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さぁ~て、今度は故国でいろいろつぶやいてみるか! ダメダメ商社マンのBlog録
Blog
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2005/03/12のBlog
[ 20:59 ] [ 故国でのつぶやき ]
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ここは、チンチン電車の浜寺公園前の通りにある、
南海本線 浜寺公園駅です。
なんかレトロチックな建物ですが、それもそのはず、
これは明治40年(1907)に建てられた駅舎で、今でも立派な現役です。
設計者は辰野片岡建築事務所の辰野金吾
建築学に詳しい人なら、辰野金吾って聞いて「!!!」ってなるはず。
あの東京駅の設計者が辰野金吾で、東京駅を作る7年前の作品です。
東京駅とは全くちゃいますが、木造とレンガの違いなんで仕方ないです。
国の登録文化財でもあり、愛知県の明治村が欲しがってるそうですが、
まだまだ現役ということで、明治村送りは先になりそうです。

ほな、何故今は静かな住宅街の浜寺公園にこんな立派な駅を建てたんでしょう?
今はほとんど伝説となってしまいましたが、
浜寺公園はその昔、日本有数のリゾート地でした。
今や石油コンビナートになってしまったところは昔は海岸で、
「東洋一の海岸」
と呼ばれて、夏には全国から観光客が来たと言います。
また、堺出身の与謝野晶子が与謝野鉄幹にプロポーズしたのも、
ここの海岸でデートしてた時と言われています。
浜寺公園駅はその玄関口として作られ、海水浴客で賑わったそうです。
俺らの世代からしたら信じられないことですが、
我々の親の世代、特に大阪在住の人やと、一回は行ったことがあるはず。
「ああ、あそこ私が子供の頃は海でねー」
なんて話をしてくれるかもしれまへん。
ちなみに、海水は戦前はかなりきれいやったらしいですが、
(生き証人:90越えたうちのじいちゃん)
埋め立てられる寸前は工業用水とかでかなりきちゃなかったみたいです。
(生き証人:うちのオヤジ&母親)

浜寺公園は松の木が多く生い茂り、
日本の名松100選にも選ばれてるらしいです。
明治時代、たまたまここを訪れた大久保利通が、
士族の失業対策で松が伐採されてるのを嘆き、歌を詠みました。
それがきっかけで保存運動が起き、松の伐採は中止、
国の指定公園第一号となりました。
小さい頃は浜寺公園が絶好の遊び場やったんですが、
確かに松が多くて、毛虫がゴロゴロしてて気持ち悪かったのを覚えてます。
また、ハマデラソウ(浜寺草)という浜寺公園にしか生えていない草があり、
「絶滅危惧種」に指定されてるそうな。
また、ここは有名な別荘地としても有名やったそうです。
浜寺あたりには、やたらデカい家が建ってますが、
それは昔の別荘地やったそうです。
中には国の登録有形文化財に指定されてるのもあります。

また、線路をまたぐ別荘もありました。
画像は南海の踏み切りですが、左にあるボロい柱は、
その昔あるお屋敷の入り口やったらしく、
別荘の敷地内を電車が走ってたそうです。
この踏切の向こうに、その昔広大なお屋敷があったそうな。
この柱だけが名残を残していますが、この柱はよく見ると、
けっこう凝った装飾をしてて、昔さぞデカい屋敷があったんやろなー、
という面影を残しています。
この幻の屋敷の名残、あるとは聞いてたけど、浜寺公園駅近くの踏み切り
ローラー大捜索でやっと見つけました。
おまけのおまけ。
ふと見かけた梅の花(やと思う)です。
[ 19:10 ] [ 故国でのつぶやき ]
ちょいと買い物に行ってただいま帰ってきました。
実は、ここで書いた「京都和服ツアー」の準備をしてきました。

向かったとこは、まずは画像をどうぞ。
はい、これが名前くらいは聞いたことある通天閣です。
俺も、こうやって画像で撮ったのは初めてですわ。
通天閣のお膝元、新世界でございます。
アニメでおなじみの「じゃりん子チエ」はここが舞台です。
でも、じゃりん子チエって、舞台が
アニメ=新世界
マンガ(原作)=天下茶屋

って違うらしいですね。俺はマンガを見たことないんでわからんですが。
わかった人はもうわかりましたねー。
たどり着いた先はでんでんタウン、つまり日本橋です。
日本橋、東京やと「にほんばし」ですが、大阪は「にっぽんばし」です、ご注意を。
といっても、俺も「にほんばし」って言ってるのは内緒です。

でんでんタウンは説明不要なくらい有名な電気街で、
道の両側はすべて電気屋です。
「東の秋葉原」「西の日本橋」というくらい有名ですよね。
でも、最近はアニメのDVD屋とかも多くなってきました。

でも、ここが電気街になったのは戦後のことで、
戦前は東京の神田並みの古本屋街やったことは知ってる人は少ないでしょう。
昭和初期あたりが最盛期で、100件近くの古本屋があったと言われています。
大阪人なら名前は聞いたことがある「天牛書店」は、ここが発祥の地です。
また、本が集まるところ学生あり、学生の街としても有名でした。
でも、空襲ですべて焼き払われ、古本屋街としての日本橋の面影はほとんどありません。わずかに2~3件、小さい古本屋が残ってるのみです。

とうんちくは(-_-)/■オイトイテ
でんでんタウンと着物、どない関係あんねん?ということですが、
でんでんタウンの横筋(←これもある意味関西弁ですね。横丁かな)には、
リサイクルの服屋が並んでるんです。
といっても、偉そうなことを言っておいて俺も昨日知ったばっかりですが(笑

で、リサイクルの和服を探しに出かけたんですが、
これがあっけないくらいに見つかりました。
店のおばちゃんと漫才しながら服を物色、たまたま安値でええ着物が見つかりました。浴衣なら着たことはあるんですが、和服はほとんど初めてなんで、
何を基準にしていいかわかりません。
何せ、
「おばちゃん、和服にポケットってどこにあるん?」
というレベルですから(笑
着物の中に襦袢(じゅばん)を着ることすら知りませんでした_| ̄|○
「おばちゃん、俺の一世一代の和服デビューやねん、まけて~な~♪
なぬ!?1万2千円?おばちゃんのべっぴんさで2千円引いて~な~」
とお願いして、
着物+襦袢+ぞうり+帯でしめてジャスト1万円也にしてもらいました。
というわけで、帰って着てみました。
ちなみに、着方などわからんので、帯の締め方は自己流です。
というかメチャクチャです。せっかくの着物が台無しです。
おかんが帰ってきたら教えてもらいます。
着物屋のおばちゃんいわく、これはフォーマルな和服で、
お茶会とかにも使えるいい服なんだそうな。
この着物で5000円やから、リサイクルもん恐るべし。

いちおう俺の顔にはモザイクをかけてます。
髪の毛がボサボサなんで見せれたもんやありまへん。
うるへー、モザイクったらモザイクやねんよ( ゚∀゚) y━・~~~

う~~ん、洋服もいいけど和服もなかなかなもんやな、
と自画自賛してみる。
相変わらずナルシストな俺でした。
[ 14:11 ] [ 故国でのつぶやき ]
ちょっとマジメに書いてみましょう。
今まで書いたBlogの中でも一番長いと思うんで、休憩しながら読んで下さい。

今、安岡正篤氏の本を読んでいます。
日本最後の陽明学者とも言われていますが、その反面国粋主義者という言われもないレッテルも貼られたりしてる人で、評価もいろいろ分かれています。
ですが、中国の古典を通じて人間性を高めよう、古典を現代に生かそうとするその姿勢は評価できます。
というか古典の解説がすごいわかりやすいですね。
さすが東洋思想の専門家を言われてただけあります。
で、氏のある講演会の内容で、
「今の日本は人材を育てなさすぎ。20年後にそのツケがきますよ」
と言ってたんですが、これは昭和45年に言ってたことです。
その20年後と言えば、昭和65年・・・はないので、平成2年ですね。
ちょうどバブルがはじけた頃やと思います。
そこからでしょう、不景気なんて呼ばれたのは。
今、安岡氏が予言した通り、深刻な人材不足が起きています。

世の中不景気不景気なんて言われてますが、俺はずっと思ってました。
「ホンマに不景気なんか??」
「仕事がないやん」と言う人がいますが、求人数はむしろ増えていく一方ですよ。
ほんの一時期、求人広告雑誌の最大手で働いてたことがあるんですが、
その仕事を通じて感じたことは、
「求人に関しては全然不景気やない、むしろ好景気」
ということです。
不景気とかマスコミは言いながら、求人雑誌はどんどん太くなってきてます。
ということは、求人数は不景気と言っておきながら急上昇なんです。
おかげでインセンティブをがっぽり稼がせていただいた上で、
「勉強終わり。次のステップに向かいます」と円満退職させていただきました。
仕事柄、社長さんと呼ばれる人や自営業者の方とサシでしゃべっておりました。
こんな若造を、人材コサルタントとして相手してくれたのは有難いもんです。

「でも、なかなか就職が決まれへんのはどういうことやねん」
と言うかもしれませんが、こういうことです。
社長さんとかががいつも嘆いてたことがあります。
「ええ人材が来えへんねん。人はめっちゃ来るんやけどなー」
なるほどなーとは思いました。
企業は即戦力を求めているんです。すぐに働ける人材が欲しい、
すぐに会社に貢献してくれる人材が欲しい、ということです。
俺がこの仕事に就いてた時は、「不景気」が底をついてやっと上がるかな?
ってな時やったんで、企業も余裕がなかったんでしょうね。
でも、フリーター志向の人が増えて、ぼんやりと技術を磨くこともせず、
将来のビジョンも持たずにボケーっと働くんで、
職人意識、プロ意識を持った人が少なくなってるってわけです。
つまり、
「企業が求めてる人材」「求職者の能力」
が完全に不一致してると俺は感じます。

「不景気や、仕事がない、日本よ、なんとかしろ」
と言ってる人がいますが、俺はそんな人にこう言ってます。
「他力本願になるな。一回自分の実力を見つめなおしてみなはれ」
日本のせいにするな、それやったら自分らが日本を立て直せ、というわけです。
政治家がグウタラしてるから、まあそう人のせいにしたら気分も晴れるでしょう。
ひどいことを言うと、人のせいにするのはサルでもできます。
でも、ボトム(経済)から建て直し、それかたトップ(政治)に反映させることは十分可能です。台湾も、高度経済成長で経済面での機関車となってた経営者が発言力を増し、
ついに台湾人による台湾人のための政治を達成できた、という実例があります。
台湾の「革命」は、決して李登輝さん一人がやったんやありまへん。

フリーターでも、仕事に誇りを持ってやれば、いずれ転職しても有利になります。
今の時代、ある意味ラッキーやと思います。
俺はこの時代に生まれてよかったと思ってます。
なんでかと言うと、いろんなことにチャレンジできるからです。
俺みたいな人生、昭和の時代にやってたら、企業はどこも雇ってくれずに、
今頃どっかでホームレスやってるでしょう(笑
昭和の時代、終身雇用、寄らば大樹の陰がまかり通ってた頃、
転職なんてとんでもないことでした。転職=落伍者と見なされてたそうです。
ステップアップのために3回も転職した俺なんか、もうクズでしょう(笑
なんで、面接をしてる時に、担当のおっさんから、
「転職してるねー。ふーん。一つの会社におられへんわけやね」
と嫌悪感をモロに出されたことがありました。
採用となったものの、古臭い考えの人間と仕事できまへん、
とこちらからお断りしましたが、
企業に絶対忠誠、という古臭い考えがまだ残ってる世代もあります。
彼らはそうしてきたことによって、そういう価値観を持ってるのは仕方ないです。
けど、今は時代が違います。
高度経済成長の時はいわば江戸時代、殿がアホでも配下はついていかないとダメな時代でした。
けど、今は歴史でたとえるなら戦国時代やと思います。
戦国時代、学校の歴史だけの知識やったら、戦争ばっかで暗い時代ってイメージがあると思いますが、決してそうではありまへん。
面白いことに、戦争ばっかやってた戦国時代に人口は爆発的に増えています。
また、技術革新も起き、農業生産力も格段にアップした時代でもあります。
戦国時代は、人の流れが流動的で、みんな一旗上げようと躍起になった時代でもあり、少しでも勝ちが見える主君に仕えて自分も勝とうということが「常識」やった時代でもあり、「転職」が何もおかしくなかった時代でもあります。

豊臣秀吉は、最初は今川のある武将に仕えていました。
しかし、有能やったために古い人間から嫉妬を受け、主人から
「退職金あげるから、お願いやから辞めてくれないか?」
と言われました。
しかし、秀吉はこう言いました。
「いえ、退職金なんか要りません。なぜならば、あなたが私を捨てたんやなく、
私があなたを見捨てるんですから」
と言って主人の下を去りました。それから織田信長に仕えたのは周知の通りです。
秀吉が何を言いたかったのか、それは
「会社が部下を切るんやなくて、部下が会社を見限るときもある」
ということです。
今風に言えば、
今川=老舗の大企業
織田=不気味やけど勢いがあるベンチャー企業

とも言えると思います。
「よし、派閥とかでうざい大企業より、ベンチャー企業に賭けてみるか」
と思った秀吉の思惑は大当たり、織田信長のもとで出世していったのは、歴史の授業で習った通りです。歴史は年号だけやおまへん、そこに隠されたいろいろな人間のドラマこそおもろいんですよ。
昔にはこんな時代があった、それを今と比べて、生き様を見つける、
歴史の勉強法はまさにこれやと思います。受験には全く役に立ちませんが、
一人の人間がどう生きるか、というのにはすごい有益やと思います。

中国に留学してた頃、ある留学生がこんなことを言ってました。
「日本は不景気で、就職があるかどうか不安や。イヤな時代に生まれたわ」
俺は、
「そうか?おもろい時代やん。血が騒ぐわ~」
と言ったんですが、彼は一言、
「お前、頭おかしいわ」
そうです、俺は頭がおかしいんですw 思考が少し違います。
俺には、
「この時代を生き抜いてやるわい」
って心意気と、外国語という武器があったんで、行き抜く自信はありました。
俺は別に日本という縛りはなかったんで、中国で働いてもええやん、という考えを持ってたんですが、
「日本で働く」=勝ち組
「中国で働く」=なんかよくわからんけど負け組
という図式が、彼らの頭にはあったんでしょうね。
別に就職を日本にこだわる必要ないやんとは思います。
「海外で働いてるんだ、羨ましい」
てよく言われますが、返す刀で、
「そんなに羨ましいんやったら、海外で働いたらええやん。紹介するで」
と斬ってます。そしたら、
「そんな実力もないし、言葉もしゃべれないし、etc...」
と「逃げ」に走ってしまいます。
言葉がしゃべれない、実力がない、そんなのは逃げ口上にしか聞こえません。
言葉なんか現地におったらどないかなるし、経験値は働きながら稼いでいったらいいんです。ドラクエとかFFと同じですよ。最初は弱弱しいけど、どんどん強くなっていく。
最初からモンスターに背を向けてどないすんねん、と思います。
俺は周知の通り休職中ですが、別に挫折とかは全然思ってまへん。
むしろ、ええ経験値稼ぎやと思ってます。そう考えないと病気が重くなるってのもあるんですが、明日会社から「おまえ、クビ」って言われても怖くないです。
「さよですか、ほなさいなら」
俺もさいならさせていただきます。ケンカ別れはしたくないですが、
せめて後腐れないようにちゃんと辞めます。
することは一つ、次の仕事を見つけるだけです。

別に逃げるのが悪いとは言ってまへん。逃げるのはいいことです。
でも、最近の20代前半の人の言うことを聞いてると、
理屈・屁理屈をごね回して、戦ってもないのに逃げ出してることですね。
言ってることはもっともなんですが、「それ、逃げやん」と思ってしまうこともあります。
戦って逃げるのは全然いいことです。
ゲームやってたらわかりますが、戦っても勝ち目がなかったら逃げたらいいですよ。
日本人は、どうも逃げを卑怯という風潮を持ってますが、俺は逃げる時には逃げろ、って言ってます。逃げて戦力を温存したら、またチャンスがやってきます。
それで戦っては逃げ、戦っては逃げ、結局天下を統一した人が中国にいます。
漢の劉邦のことですが、劉邦のやり方は相撲で言えば1勝14敗で優勝してしまったようなもんですね(笑
相撲じゃそんなのあり得ないですが、人生ではあり得ます。
でも、もっと卑怯なんは戦わずに逃げることやと思います。
土俵に上がらないとわからんのに、最初から諦めてしまうんです。
「無理」「不可能」なんて口ではいくらでも言えます。
でもそんなもん、やってみないとわかりまへん。
なんか最近、やりもしないのに諦める人が多いんですよねー。
人間とはおもろいもんで、最初は羨望のまなざしで見てた人に嫉妬し、
最悪パターンやと敵意や殺意に変わったりします。
ジョン・レノンを殺した犯人が典型的な例やと思いますが、
土俵にも上がってへんのに自分で卑屈になる、相手はええ迷惑ですよね。
「嫉妬は1000の目を持っている。でもすべての目が正しく見えていない」
これはユダヤのことわざですが、
嫉妬になってしまうと、見えるものも見えなくなり、果ては曲がった感情になってしまいます。
そうならないにはどうすればいいか?
そんなの簡単です。「自分」が羨望する人に近づいたらいいんです。

それには、
「これは他の人には負けへんで~」
ってのを持ってると、すごい励みになります。
「伝家の宝刀」って言うんでしょうか、仕事で磨き上げられた刀はすごい切れ味を持っています。この自分だけの名刀を持ってたら、採用側は見逃しません。
俺は、語学という武器を持ってます。特に中国語には自信を持ってます。
そこらの外大中国語学科どころか、中国の知識とかも含めた総合力やったら、
そこらの中国人にも負けないと思ってます。
19歳の時から、関西の外大中国語学科すべてに友達を通して武者修行してたんで、やってるうちに自信がついちゃいました。
逆に言うと、それだけ自信がなかったら弱肉強食の中国を生きていけまへん(笑

何を言いたいかと言うと、
「自分の実力を積んだらおもろい時代やでー。戦国時代やでー」
ってのと、
「自分だけの『個性』を持て」
ってことです。
個性っても、上っ面だけ飾るんやおまへんでー。
「個性」が一人歩きして、
「みんなと違う格好や振る舞いをしたらいい」
なんて思ってる人がおるらしいですが、
それは若い頃の織田信長や徳川光圀のように、計算されたものでないと、
タダの頭が空っぽの大馬鹿です。
個性は、内からにじみ出てくるもんです。内側を磨いて、
それが内側から外側に、キラリと光る形で出てくる、それが個性です。
顔が悪いのに、やたらモテる人っていません?特に男に。
それはキラリと光るものを持ってるからです。
女性はどうもこれを感知する能力があるらしく、男はほとんど気づかない「キラリ」に気づき、性別関係なくそれに惹かれるってことが多いみたいです。

つまり何を言いたいのか、
これから就職する20代後半や、大学に通おうとする10代後半の人に、
「今からでも実力を蓄えて、自分で考えて自分の道を進みましょう」
って言いたいんですわ。
大企業だけが会社やありまへん。
できたての会社の方が、しんどいけどおもろかったりします。
あと、
「○○君があの会社やから」なんて人をものさしにするべからず、ってことです。
「自分はこんなことをしたい」とビジョンを作っておいて、
それさえ作ったらあとはその道に進むのみです。
「将来なにするかわからん」と言ってる人、今からでも考えてみましょう。
それをBlogに書いて人の意見を聞くのもいいでしょう。
人生の先輩方がいろんな意見をくれることでしょう。

ここに、ハチャメチャな人生を送ってるアホがいたりします。
年齢は30になっちゃいましたが、これからもやってやります。
転職3回、その度に「伝家の宝刀」でメシ食って、砥石で必死に磨いてる、
くたばりそうでくたばらない高卒がいたりします。
大学に行ってへんからって卑屈になる必要はありまへん。
「大学卒がなんぼのもんじゃい!」ってなくらいの気概で望んで、
自分だけの刀を磨いて下さい。
逆に大学に行ってる人、大学を卒業した人は、
これからの時代それで食えると思ったら大間違いです。
3流大学やからって卑屈になる必要はありまへん。
それこそ要らぬ重荷、逆に開き直って勉強して、エリートと気取ってる輩を
あごで使ってやりましょう。それがエネルギーになって気づいてない力を発揮することも多々あります。
「俺は何も取り得がない」って人は、今からでも作りましょう。
なかったら作ったらいいんです。頭で考えず、行動に移したらいいんです。

「オタク」って言葉があります。これにどんなことを連想しますか?
恐らくロクな連想が出来ないと思います。
そりゃ、オタクという言葉にはマイナスイメージがつきまとうからです。
でも、今はオタクの時代とも言えると思います。
オタクは、好きなことを好きで調べ、意識無意識に関わらず勉強して、
「この分野のなんちゃって専門家」になった人のことやと思います。
自分だけのオタク分野を作れば、それでメシが食えるかもしれまへん。
かく言う俺も、「オタク」風に言ったら「中国オタク」「語学オタク」「海外旅行オタク」に「鉄道(旅行)オタク」ですねー。
これにもうすぐ「Blogオタク」が加わりそうです(笑 
でも、この分野に関してはそんじょそこらの人間には負けないと思ってます。
「自分はこの分野には負けない」これを持つことやと思います。
別に何でもいいと思います。「アニメ」OK、「キティーちゃん」でも構いません。
「こいつにこのことを聞いたら、詳しい回答が、それも即答で来る」
と人に思わせる、これが大切です。
好きなんで勉強もします。勉強してたら、自然にどんどん範囲が広がってきます。
つまり、「自分のオタク分野」を軸に、様々な分野の海に漕ぎ出すことです。
そうしたら、勝手に知識なんか蓄積されていってます。
そして、蓄積された知識を元本に、自分の頭で考えて、経験を積んで、
それを「知恵」に結晶させたらいいわけです。
「や~い、オタク」と指差されてもええやないですか~。
逆に、「何のとりえもない奴に言われたあらへんわ」とストレートに返しても、
「は~い、ボクオタクでーす。エヘヘヘ」と開き直ってもいいです。
後で見返してあげればいいんですから。
でも、中途半端に終わらせたら、それこそ「オタク」になっちゃいます。
中途半端なら「オタク」、極めたらエキスパート・スペシャリストです。
エキスパートという意味での「オタク」になりましょう。

ほな、長たらしくなりましたが、これで終わり。
あー疲れた_| ̄|○
1996年

これは、悲劇の怪獣、ジャミラのお墓に刻まれた年代からわかります。
これで終わりなんですが、これだけじゃ面白くないんで、
もうちょっと「ウルトラマントリビア」を。

ウルトラマンの中でも、ウルトラセブンの人気はすごいですね、何故か。
このウルトラセブン、ウルトラマンとかの「ウルトラ族」ではなく、
少数民族の「レッド族」出身で、異例の抜擢なんだそうです。
なお、「セブン」とは、ウルトラ警備隊が6人だったんで、
「7番目の隊員」という意味だそうです。
なお、ウルトラの母とセブンの実母は姉妹だそうで、
つまり、セブンとタロウは従兄弟ってことですねー。
これは知ってると思いますが、ウルトラエースは孤児で、
ウルトラの母によって育てられたそうです。ちなみに出生・年齢は不明。

それと、ウルトラマンダイアナから、カラータイマーがLEDになってます。
カラータイマーも何気に進化してるみたいですね。
最後に、7月10日は「ウルトラマンの日」です。
[ 00:01 ] [ 数行消息 パルプンテ1行日記 ]



目、目がぁーーーーーーーーーー!


2005/03/11のBlog
[ 23:49 ] [ 故国でのつぶやき ]
ただいま、京都では、
きものでおでかけ
というイベントを行ってるみたいです。
着物で観光地を回ると、市バス・地下鉄がタダ、
主要観光地もタダor割引になるそうです。
イキなサービスをしてくれまんな、京都市。

詳しいことは、
京都市のページを見ていただけたらいいですが、
回りてーー、と思ったんですが、
やっぱりパートナーが欲しい(笑

誰か一緒に京都を着物で周ってくれる人、おれへんかな?

ついでに、
京都・東山で、
京都・花灯路2005― 東山 ―
というのを21日までやっています。
灯篭でライトアップされた京都、一回遊びにきておくれやす。
詳しいことはこちらをどうぞ。

う~~ん、花灯篭を着物で歩く、いいですな~~~。
問題は相手(女性に決まってるやん)がおれへんことですが_| ̄|○
着物が似合うハニーを大募集中ですんで、ふるってご応募下さい(´ー`)ノ

早速友達二人に聞いてみましたが、見事に振られましたil||li _| ̄|○ il||li
昨日カレーうどんを食べに行ったものの、
道を一本間違えるという失態を犯した俺ですが、
めげずに本日カレーうどんを求めてリベンジして参りました。

目指すは麺一筋 堺力餅といううどん屋です。
小さい店ですが、創立90年という老舗で、味は保証つきです。
「食い倒れ」に「建て倒れ」までプラスされる堺市民の口を満足させへんと、
90年も生き延びてへんでしょう。
当時おばあちゃんの家が近くにあったんで、20年前は帰りによくここで食べていました。
ちょいと20年前にタイムスリップするつもりでいざ出陣。

で、今日行ってみたところ、お店はあっけなく見つかりました。
やっぱり道を一本間違えてたみたいです。
オヤジいわく、昼飯タイムは避けてちょっと時間をずらせとのとこなので、
1時過ぎに着くつもりで行ってみましたが、それでもそこそこ混んでいました。
目指すはカレーうどん一本、メニューも見ずに、

「カレーうどん定食」

と一言。
で、これがカレーうどん定食です。

「ゑ?カレーうどんに赤飯???」

って思うでしょう。実はカレーうどんに赤飯、めっちゃ合います。
赤飯が力餅の名物ってのもあるんですが、
小さい頃は、よく「カレーうどん+赤飯」とここで食べてました。

さて、うんちくは(-_-)/■オイトイテ
20年ぶりどころか、たぶん22年ぶりに食べてみましょう。

ジュルジュルルルルルル・・・・

OH!これや!この味や!
味は以前と全く変わってまへん。
うどんは大阪人好みのあまりコシがない大阪うどんですが、
ダシが効きつつトロ味を増して、量が少なそうでけっこう多い、
この懐かしの味を食べに来たんですわ。
さて、お次はお汁でもいただきましょうか。

ジュルルルルルル・・・・

アイゴ~!好吃アルね!
あまりの感激に中国語と韓国語が混ざりました。
赤飯との相性もバッチシでございます。
おかげで完食とあいなりました。赤飯の粒一つ残しておりまへん。
そして食後はアイスコーヒーです。
ここはうどん屋やのにコーヒーまでついてきます。

カレーの後はコーヒー、
誰が考えたんか知りまへんけど、ナイス相性です。
でも、東洋医学的には、
カレー(寒)+コーヒー(冷)の特色を持つため、
あまり飲みすぎると体が冷えて下痢を起こしたりします。
カレーを食べて腹痛を起こす人がいますが、
それは東洋医学的に見たら、体が冷えてるのに「寒」の性質を持つカレーを食べると一気に体が冷えてしまうからでごぜーますだ、お代官様。

で、食後はコーヒーを飲みながらゆっくり読書。
おまけにタバコまで加わって、とてつもなく体に悪いことをしながら
一時至福のときを迎えました。
今日のおまけ画像です。
またチンチン電車ですが、画像に写ってる電車は昭和3年に製造されたもので、
まだ10両が最後の頑張りをしています。
[ 15:27 ] [ 故国でのつぶやき ]
ただいまカレーうどんの旅から帰ってきました。

その帰り道のことですが、
右折信号を待ってたら、横で、
「ギシッ!」
って音が聞こえるじゃあーりませんか。
あまりにリアルな音に、
「うわ!俺がぶつけたんか?」
と思いましたが、よく考えたら止まってる車がどうやってぶつかるねん?

そう思った数秒後、続けて「バシャン!ギシ!」
なんて音が聞こえたんで、横を見たら、
なんと車4台玉突き衝突!

「うわ~!モロ玉突きやんけ」

って思ったら、俺の真横にトラックが一台突っ込んで「ガシャン!」。
玉突き衝突の現場をまともに見てしまいました。
合計5台、まともに自慢のボデーがぺっしゃんこです。

原因は、一番前の車が車線変更をしようとして失敗、
ブレーキをかけたことですが、別にこれといって急ブレーキでもなく、
ホンマの原因は、「車間距離短すぎ」でしょう。
せっかちな大阪人、とにかく車間距離が短すぎなんですよねー。
幸いけが人とかはなかったみたいですが、見てるこっちがビビってしまいました。
今日は雨やから視界が悪かったってのもありますが、

ご安全にm(__)m
[ 15:10 ] [ 故国でのつぶやき ]
仏カルフール、イオンに全8店売却へ・4年で日本撤退

業績不振やったんですねー。
あれだけ鳴り物入りで日本に殴りこみに来たのに、
結局撤退ですか。なんか残念ですねー。

実家から車で渋滞に巻き込まれずに40分くらい行ったとこに、
カルフール○▽□店があります。
ダイエー、専門店街が並ぶ競争の激しいとこに建てられたんですが、
安い安い攻勢のダイエーや専門店街に比べて、あまり割安感はなかったですね。
大阪はとにかく安いがモットー、安くなかったらソッポ向かれてしまいます。

それにちょっと気づいたんですが、
フランスのスーパーやのに、あまりフランスの食材って売ってないんですなー。
ワインとかチーズの特売、フランス物産展なんかしたら、
舶来ものにはめっぽう弱い日本人のこと、飛びついたと思うんですが。

国が変わって中国のカルフール。
ここはすごい盛況です。上海の家の斜め前がカルフールなんですが、
土日は
「人!ひと!!ヒト!!!」
で溢れかえって、買い物どころの騒ぎやありまへん。
カルフールの前の道は慢性渋滞、タクシーの運ちゃんが行きたがりません。
仕事から帰る時、いつも運ちゃんに、
古北 家楽福(←カルフールの中国語)まで」
と言ってるんですが、(マンション名を言ってもわからん人がおるんで)
「えー、あそこイヤやっちゅーに。ずっと渋滞やん」
「まあええから行け。佳楽福の手前で降りるからよー」
とまあ、露骨に嫌がったりします。
それくらい渋滞がひどいんですわ。
上海中の渋滞を凝縮したような感じですが、まあこれは譲り合い精神ゼロどころかマイナスの中国の車の運転マナー&信号に問題があると思うんですけどね。

カルフールには上海中から買い物に人がやってくるんで、
土日の昼間のレジの平均待ち時間、なんと30~40分。
おのぼりさんの買う量がハンパやありまへん。
うちのとこはまだ外国人が多いんで割り込みとかはないですが、
それでも中国ローカル、または韓国人が割り込んできたりします。

「割り込むなボケ~!」
「そこは俺の縄張りじゃい!」

とまさに戦争です。いらち(せっかち)の俺はずっとイライラしてますわ。
カルフールで買い物、それだけですごいカロリーを消費します_| ̄|○
なんで、土日のカルフールはできるだけ避けてます。

なんでそんなに繁盛してるのか?
「カルフール」ってブランドイメージもあるし、なんと言っても安いんです。
しょっちゅう安売りしてるし、モノも豊富です。
いくら中国が物価安いっても、コートが2000円じゃ買えないでしょう。
また、閉店寸前にゲリラ安売りをすることがあって、
貧乏駐在員の俺はそれを狙って突撃することもあります。
駐在員やのにセコいことするなって?
そんなこと言われても薄月給の駐在員なんで、はい。
それに、何せマンションの入り口からカルフールまで1~2分くらいなんで、
銭湯に行く気分で買い物ができたりします。

でも、中国の流通業に共通で、やっぱり万引きに悩まされてるそうです。
客が盗むならさておいて、従業員が横流ししたりするらしく、
繁盛もいいですがスタッフのモラル教育もしっかりした方がいいかもですね。

カルフール、日本じゃ撤退ですが、中国で今後ともよろしゅーにm(__)m
8000円だった

日本初のアイクリームは、明治2年(1868)の横浜です。
町田房蔵という人が横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」が、
日本初のアイスクリーム屋だそうです。
ちなみに、当時の名前は「あいすくりん」。
お値段は2分、今の貨幣価値で8000円!たけーよー。
ハーゲンダッツの特大サイズも真っ青のお値段でございます。
こんなアイスクリーム、誰が食べてたんでせようか?
アイスクリームの歴史は、
アイスクリームの日本史
というとこにも載ってます。けっこうおもろいですね。
なお、今のようなアイスクリームは、記録に残る世界初は意外にも中国です。
マルコ・ポーロの『東方見聞録』には、
「牛乳を煮込んで香料を加え、雪で冷やして固めたもの」の記録があり、
これはアイスクリームやないか、と言われてます。

かき氷のような「氷菓」と呼ばれるものは紀元前からあり、
アレキサンダー大王も氷にハチミツをかけたものを食べた、
という記録が残ってます。
また、日本でも中国から伝わり「枕草子」にも記載されてます。
これを書いてたらアイスクリーム食べたくなってきたんで、
ハーゲンダッツ買ってきます。
[ 02:39 ] [ 数行消息 パルプンテ1行日記 ]