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さぁ~て、今度は故国でいろいろつぶやいてみるか! ダメダメ商社マンのBlog録
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2004/11/01のBlog
[ 00:09 ] [ 中国・上海一言情報局 ]
上海に「福州路」という道があります。
市の中心部を東西に走る道で、戦前は「四馬路」と呼ばれていました。

そこは、昔からの本屋街でもあります。
今ではちょっと少なくなりましたが、本屋が軒を連ねています。
最近はパソコンソフトの店や、何故か日本食レストランも増えましたねー。
しかし、福州路と日本食、全然関係ないんやけどなー。
福州路は土日には人でいっぱいいっぱいになり、歩道からはみ出そうな勢いです。

福州路にはいっぱい本屋があるのは蒸気の通りですけど、大きく分けたら
1.「上海書城」
2.「外文書店」
3.「上海図書中心」

の3つです。

「上海書城」はビルの1~6階がそのまま本屋になってて、
とにかく人が多くて、ゆっくり本を選べないところが難点かな。
とにかく大きい。上海どころか中国一デカいかもしれまへん。

「外文書店」は、元々は輸入ものの本を扱ってたところで、戦前からの歴史があります。
今でも洋物の本を扱っており、小数ながら日本の本もあります。

「上海図書中心」は福州路に2軒あり、一つは総合的な書店、もう一つは
芸術関連の本を扱っている店に分かれます。

中国の本屋・出版事情、お目当ての本を探したいなら、
覗いて人民ウォッチングしてみるのも面白いでしょう。

また、最近中国語を勉強している人が多いですが、
現地の外国人向け中国語テキスト・HSK(中国語版TOEFL)の教材は、
「上海書城」と「外文書店」に多いんで、買いたい人はそこを目指しましょう。

また他に、スタバと合体していて雰囲気がジュンク堂と似てる「思考楽書局」
も面白いかもしれません。

最近福州路のバンド寄りに「船長酒店(Captain Youth Hostel)」という安宿がオープンし、バックパックを背負ったバックパッカーも目立つようになりました。

観光で行く南京路や人民広場、上海博物館にも近いんで、
散歩ついでに寄ってみてはどないでっか?
2004/10/31のBlog
[ 20:36 ] [ 異国でつぶやきまっせ~ ]
今日DVD屋で、何かおもろいDVDはないかなーと見てたら、
これまた渋いものを見つけました。
その名は、

「二百三高地」

渋い、渋すぎる。こんなの買う俺も渋い・・・(汗

で、今見終わったであります(敬礼
3時間以上、長かったであります(敬礼
あれ?なんか軍隊言葉になってる。まだ余韻があるようで。

有名な映画なんで俺らの世代なら知ってると思うけど、
日露戦争の旅順攻略を描いた映画であります。
俺は小学校の頃にテレビで見たことがありますが、
けっこう強烈なイメージがありました。

日露戦争は学校で勉強したし、小説とかでも背景は知ってるけど、
やっぱ映画とは言っても映像で見るとけっこうエグい。
血が飛び散り、手や足が吹飛ぶ、今ならなんとか委員会からクレームが来るかも(笑
旅順要塞攻略のすさまじさが痛いほどよくわかりましたわ。
すごい緊迫感があってずっとパソコンんとにらめっこしていました。
トップから見た目だけでなく、一般市民、兵卒から見た目も描いていて、
当時の兵隊もいろいろあるんやなーとも思いました。

キャスティングも素晴らしい。
丹波哲郎が格好いい、三船敏郎(故人)はもっと格好いい、
乃木役の仲代達也は乃木そっくり。特にあの泣きそうな目が(笑
夏目雅子(故人)、めっちゃ美人やん。あなたを奪った白血病が恨めしい。
ちょい役で野際陽子も出ております。

幕末・明治の有名人で誰が好きかというと、俺は児玉源太郎なんです。
日露戦争だけでなく、台湾の歴史を語る上でも必ず出てくる名前です。
旧5000円札(新渡戸稲造)いわく、
「どんな相談をしても10分で答えが来る。こんな頭が切れる人は見たことない」
と言わせた人で、写真を見てもええ顔してますわ。
結局彼は日露戦争で精魂尽き果てたように、1906年に死去しますが、
もうちょっと生きてたら総理大臣確実だっただろう、と言われていた人物です。
この映画では丹波哲郎が役し、なかなか似てないこともないんですが、
当の本人が身長155cmやったのに対して、映画では他の人より大きいって
ちょっと違和感があったかな。

いちおう中国語の字幕もつけて、「どう訳してんやろ?」と思って見てましたが、
字幕、メチャクチャでした。特に名前は間違えまくり。
山縣有朋も「山下」になってるし、
上の児玉源太郎も、字幕じゃ「児玉清」って、そりゃ俳優や!!!(笑
俺でもこんなアホみたいな間違いはしませんぜ、翻訳者さん。
それと、映画を見て中国語勉強する方多いと思うけど、
翻訳の字幕の質はかなり悪いんで、マネする時は十分に注意してねー。


203高地が墜ちた時の二人。
左が丹波哲郎演じる児玉源太郎、
右が仲代達也演じる乃木希典であります。
[ 19:35 ] [ 異国でつぶやきまっせ~ ]
日本でも、勧誘とかの得体の知れない電話がありますが、
中国も例外なくあります。それも日本よりわけがわからん。

さっきかかってきた電話もそうでした。
俺:「もしもし」
電話の相手(以下A):(甘い声で)「もしもし~、こんばんは♪」
俺:「あんた誰?」
A:「不動産屋ですが、お部屋をお借りですよね?」
俺:「(人の話を聞けよ・・・と思いつつ)何か用?」
A:「部屋の管理人の電話番号を教えて下さい♪」
俺:「なんであんたに教えんとあかんねん?」
A:「だって私は不動産会社ですよ」
俺:「俺が契約してるとこやったら、管理人の番号くらい知ってるやろ。
 あんたの不動産会社の名前は?」
A:「管理人の電話番号知らないですか?」
俺:「知るかよ。知っててもおしえね~♪」
A:「さようなら~~」ガチャッ!
(以上全部元は中国語。勝手訳:パルプンテのぶ)

なんやったんや?????
[ 04:13 ] [ 異国でつぶやきまっせ~ ]
拝啓
神様、ここに告白致します。
私、実は紙幣マニアなんです。

世界中の紙幣を集めてはや5年、骨董品屋を探し回り、
関西空港で、嘘の便名を書いて行きもしない国の紙幣を両替し、
頭を下げて人に譲ってもらいながら収集をしてきました。

神様、あなたのおかげで、本日もコレクションができました。
「多倫路」の骨董品屋で、中華民国の紙幣と旧満州国の紙幣、
そして懐かしきFEC(外匯兌換券)とも再会できました。

お礼にここで画像を晒しますので、ご存分にお楽しみ頂ければ幸いです。

敬具

パルプンテのぶ



これが昔の外国人専用紙幣(FEC)です。
発行銀行に注目!
人民元は中国人民銀行やけど、FECは中国銀行です。
紙幣というより、外国人用の全国共通商品券みたいなもんか。
「原則」として、昔は中国に着いたら
外貨→FECに両替しなければならず、
外国人は人民元を持ったり使うのは実は違法だったのれす!
でも、現実はそんなこと言ってられなく、使いまくってました。
FECと人民元は「同値」でしたが、現実は100FEC=110元(人民元)
くらいで闇両替できていました。
人民はFECの存在を知らない人が多く、そこらの商店で買い物する時
FECを渡しても、「偽札渡すな!」とか「こんなお札知らないね」と
突き返されることはしょっちゅうでした。

1993年まで使われ、俺がFECを知り、
実際に使っていた最後の世代になりました。
最近中国を知った人はFECなんて知らんらしく、
こういう話をすると、「俺も骨董品になったなー」と
思ってしまいます_| ̄|○


あの満州国の紙幣です。
民国17年(1928年)発行の紙幣です。
民国19年(1930年)発行の紙幣です。
[ 02:17 ] [ 異国でつぶやきまっせ~ ]
しかし、今日もDoblogは重かったな~。

数日「これはマシになったかな」と思ったら、
今日も重くて更新するのに一苦労。
他のブログはサクサク更新できるのに、Doblogだけなんで?
「まあしゃーないか」と思って数日様子見してたものの、
いちばん訪問人数が増える時間帯にこれじゃ、
見たくても見れない→それが何回か続く→重いからここはもう見ない
→訪問者減少→モチベーション下がる
ってな感じになっちゃいまっせ。
確かに軽くなる時はあるけど、深夜とか早朝じゃ、意味あらへんがな~。

ちょっと参考までに、
まあ待て、ブログを借りる前にここを読めの「ブログサーバおそおそランキング」を読んでいたのだが、
ここはおそおそランキングトップを爆走していた。

「それにしても、Doblogの運営者はまともに対応しているのでしょうか? ここまで長期的に重いのはシステム運用の会社としてどうかと思います。メンテの回数だけは多いようですが、改善が見られなければ何の意味もないです」
とまで言われてますよ、編集部さん!

機能はすごくいいし、使いやすいので気に入ってはおるんやけど、
これだけ遅いとこっちがイライラするし、何より見に来る人に迷惑やな。
悪いけど、ちょっとキレかけです。

ここは簡単には離れるつもりはないけど、
ストレスがたまるサイトだこと(笑

すみません、これはつぶやきというよりぼやきでした il||li _| ̄|○ il||li

2004/10/30のBlog
今日、租界散歩の際に「多倫路文化名人街」に寄ってきました。
ここは戦前には「竇楽安路」と呼ばれ、
魯迅郭沫若芽盾という文学者がこの近くに住み、
中国近代史において避けられない道となりました。
そして、ここあたり日本人街でもあったため、どこか日本的なとこもあります。
ここが1998年に最近観光名所として整備され、
「多倫路文化名人街」となりました。

ちょっと小奇麗になって観光化され、
見世物なんちゃって租界みたいな所は否めませんが、
雰囲気は十分に残しています。
ここには、陶磁器や骨董品などの店がいろいろ並び、
よーく見ると面白いグッズが売っていたりします。
戦前の地図やポスターや紙幣、共産党グッズなど、
マニアならよだれが出そうなものが埋もれてますよ。

「俺はこんな観光化された所なんかイヤじゃ!本物志向なんや!」
というあなた、多倫路から一歩裏道に出ましょう。
多倫路から一歩裏道に出ると、
それはそれはこってり濃い~~~~人民の世界が待っています。
人民の声の騒がしさ、臭豆腐の鼻が曲がるような強烈な匂いに辟易しつつも、
あなたの、本物の世界を見たいという欲望は満足できるでしょう。

お店に関しては、ここもご覧下さい。


道沿いにある露店。
意外に種類が多いです。
多倫路の北側入り口にある「知恩院」。
1924年建造のイスラムスタイルの建築。
細かい細部の彫刻、列柱で支えられるアーケード式ベランダ、
アラビアンタイル貼りの壁面に特色がある。
上海市優秀近代建築。
(『上海歴史ガイドマップ』より)

多倫路文化名人街の眺め


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読み終えたらクリックして下さると幸いですm(__)m。
[ 20:04 ] [ 中国的風景@中国写真館 ]
上海写真館その2です。

今日は租界散策で6時間以上も歩きっぱなしでやんした。
ネタは腐るほど見つかったものの、5キロくらいは歩いたような。
で、やっと帰ってきた・・・というか帰ってこれたって言った方がいいかも・・・。
タクシーは全然捕まらんし、バスはパンパンに混んでて疲れました。

というわけで、上海の風景をお楽しみ下さい。
写真100枚以上は撮ってきたんで、黙って写真に名前つけときます。


南京西路にある公衆トイレです。
入り口がガラス張りでなんとも豪華!?


かつて日本人が多く住んでいた乍浦路は、
現在は美食街(レストラン街)として栄えています。
シーフードレストランが多かったですね。


今は上海蟹がおいしい季節、
道端でも蟹が売られています。かなり小さいですが(笑

雲に隠れた電視塔です。
なんとも幻想的ですねー。

面白かったらここをクリックして下さい♪
[ 01:29 ] [ メシを喰らう! ]
深夜のこんな時に、急にアイスクリームが食べたくなり、
コンビニまで走ってきました。
家に帰ってからずっとヒッキー状態やったんで、5時間ぶりに外に出ると・・・
さ、寒い・・・!!
しかし、俺はアイスを食べたいのだ。寒さなんかに負けないわ。
とコンビニまでダッシュダーッシュダッシュ(byキャプテン翼)。

コンビニは100mくらいの距離にあるんですが、
その間には、「虹橋路」という関門がそびえています。
昼は交通量が多く、夜は車がすごいスピードで走り、いやいや特攻をかけてきます。
人が横断歩道を渡ろうものなら、クラクションを鳴らし、パッシングをかけながら
突っ込んでまいります。
日本の暴走族の方がまだマナーがあっていいかもしれへん。
俺はもう慣れてしまったけど、中国に慣れないうちはメチャクチャ怖いと思いますよ。
でも、虹橋路を渡らないことにはコンビニに着けない、アイスが食えない。
勇気を振り絞って、そして口笛を吹きながら横断歩道を渡り、無事コンビニに到着。
週末なんで近くのクラブの客が道に溢れ、
韓国人の酔っ払いが数人何かを叫んでおりました。

コンビニに到着してアイスを探すと、あったあった、ハーゲンダッツ。
ハーゲンダッツは中国語で「哈根達斯(はーげんだーすー)」と言います。
俺の大好きなバニラクッキーをGET♪
しかし、お値段は27.5元(約300円)。アイヤ~!メチャクチャたかいアルよ。
オンボロ食堂でチャーハンを5人前頼んでまだ釣りが来る高さ。

そう、ハーゲンダッツは日本より高いのです。
中国は物価が安いから何もかも日本より安い、と思ったら大間違いなのれす。

掲示板とかを見てると、最近「中国でブランドものを買いたいです♪安いところを知りませんか?」という質問が多い。
俺は優しいので、心の中では「中国やなくて香港行ってこい、この愚か者」と思いながら、
「えとね、中国には関税があってね、輸入物には税金がつくの。
ブランド物の関税の比率はね、日本より高いの。
だから日本と同じくらいか、日本より高いんだよ。
日本でベンツって高いでしょ?あれは関税がついてるから高いんだよ。
わかったかな?」
と、天使のささやきのようなカキコで諭します。

アイス買うぞーと思って財布を見る。あ・・・28元しか入ってない・・・_| ̄|○
なんで俺ってこんなに金欠なんやろか。と自問自答してる場合やない。
とにかく有り金はたいてアイスクリームGET。

家に帰って、27元分時間をかけて食べようかなーと思い、
スローモーションのようなペースで食べてみる。
でも、食べだすともう手がオートマティックになって脳のコントロールが効かなくなります。
すごいペースで食べ続けて5分程度でごちそうさま。

ハーゲンダッツはやっぱうまかった。でも高かった。
2004/10/29のBlog
[ 22:36 ] [ 異国でつぶやきまっせ~ ]
前編はネット制限@中国 1ページ目

ネット制限、最盛期は一昨年~去年がいちばんひどかったです。
当時は広東在住で、ヒマだったんで某巨大掲示板でコテハン
なるものをやってたのですが、

とにかく見れるサイトが1日、また1日と少なくなっていき、
ついにはHotmailまでとてつもなく重くなってしまいました。
中国は昔からHotmailは重くて開けないことが多かったんですけど、
その時はもうパソコンを投げたいくらい重かったです。
掲示板で「こちら広東より。Hotmail重し。他地方の状況はどうか」
とカキコすると、
「こちら北京。Hotmail全く開けず。メッセンジャーも死んでます!!」
「大連からです。かなり重いです」
「雲南省大理より。こちらは異常なし」
なんてレスがやって来ます。
あの時は、中国各地に散らばっている在住者のトランシーバー状態になっていました。

それが数日続き、俺もいったん諦めてメインメールボックスをYahooにしたんですが、
その「アイヤ~!Hotmail重いアルよ騒動」は1ヶ月続きました。
広東では重くても見れたんですが、北京では全く見れなかったそうな。

いちばんひどい時にはgoogleまで見れなくなり、検索機能がマヒしてすごい騒ぎになったんですが、
さすがにネチズンの反発を呼んで2日で中止になりました。
さすがにgoogleはやりすぎで、全世界に中国のネット制限の現実を報道される
結果になって、中国政府が恥をかいただけでしたね。
中国政府、ちょっと調子に乗りすぎ。

最近は、amazon.co.jpや読売新聞のサイトも見れないことが多いです。
Yahoo!Japanまでロックがかかったら、私帰国させていただきます(笑
[ 20:55 ] [ メシを喰らう! ]
今日は頭痛がするんで、駐在の先輩と一緒に帰りました。
タクシーの中で愚痴を言いながら20分、弁当を買ってとっとと帰ってきました。

古北にある弁当屋でカツ丼と牛丼を購入。
時間がたってたせいか、両方とも「8折」(2割引)、ラッキ~。
カツ丼8元、牛丼12元、計20元。毎度あり~。
そして、電気代がもったいないので、きっちり店で電子レンジでチンしました。

駐在員、こんなとこでもきっちりケチってます。
だって、中国じゃ金持ちでも日本に帰ったら平社員でっせー。
メチャクチャ給料安いんやでー(涙
住民税(?)控除分が駐在員手当てじゃやってられへんわいー(怒

で、こんなとこで安月給自慢をしても仕方ないので、
話は戻ります。

まずはカツ丼を食べてみました。
ん!味はまずまず。腹が減ってるからかもしれないですが、
なんか懐かしい味にドッキリ。
カツがなんかうまい。
腹が減っていたんでカツ丼は3分ほどで平らげて、あとは牛丼を片付けるか。
で、牛丼を一口・・・、ん!まずいな、これ・・・。
こりゃ食べれたもんやないでー。どんな味付けしてんねんアホ~!
誰やねん、これ作ってるの。吉野屋の方がよっぽどおいしいぞ!
と2行ほど愚痴を言いつつ完食しました(笑

なんかまずかったんで、昨日コンビニで買っておいた
ベビースターラーメンとポッキーをおやつにしました。
ポッキーは「格力高(グリコ)」が現地生産していますが、
ベビースターラーメンは正真正銘のMade in Japan。
でも価格は3元(44円くらい)。
ポッキーはしょっちゅう食べてますが、ベビースターラーメンは昨日始めて発見しました。
懐かしさのあまり買ってみたんですが、日本と同じ味なんで(日本製やからそりゃそうか)、
思わずテレビをつけてNHKを見てしまいました。
NHKとベビースターラーメン、別に因果関係はないんですが、
こうやって日本のテレビを見てると、「俺はホンマに上海におるんか?」
と変な錯覚に陥りそうです。


これが今日のカツ丼と牛丼です。
カツ丼(豚肉)の方が安いのは中国ならでは。


ベビースターラーメン(賏星好吃麺)とポッキー(百奇)。
味はそのままです。好吃~~!(←中国語で「おいし~~」って意味です)
第一章はこちらです

金山大楼を離れ、次の目的地へと足を向ける。
戦前は熙華路(Seward Road)と呼ばれた長治路あたりも昔の建物がよく残り、
租界時代の住宅地の名残をよく留めている。
数年前、放浪の旅の途上で浦江飯店に滞在し、
この道は毎日のように通っていたのだが、改めて通ると昔は宝の山を目の前にして
宝の価値がわからない故に見逃していたことがわかった。
無知なのは悪くはないが、無知を続けるのは愚かなことであろう。
長治路を何気に歩いていると、武昌路との角になにやら気になる建物が。
見事な赤レンガ造りだが、特に目立つということはない。
似たような建物は回りにけっこうあるのだが、どうも俺の直感がそこを離れさせない。
「上海歴史ガイドマップ」を紐解いてみると、
そこは大日本航空会社のオフィス跡だという。

大日本航空会社とは、1939年(昭和14年)9月1日に、
日本と中国・満州の航空連絡の便宜をはかるため、
日本航空輸送(株)と満州航空(株)の子会社、国際航空(株)が合併し
設立された会社で、今のJALの前身であるとのこと。
http://www.tt-museum.jp/war_0020_dnk1939.html
に昭和15年の時刻表がある。
上海までの定期便も飛んでいたらしい。

長治路をそのまままっすぐ向かい、ミン(門構に文)行路を左に曲がると、
典型的な租界風建築と瓦屋根の妙な組み合わせの建物が目の前に見える。
ここが、戦前上海にあった日本旅館の中で、規模・風格ともに筆頭に挙げられていた
「萬歳館」の跡である。
1904年創業で、上海で一番有名な日本旅館だけあって、文化人もここによく宿泊し、
芥川龍之介・佐藤春夫等もここに滞在し、上海ライフを楽しんでいたという。
特に芥川龍之介に至っては、3階に住んでいた頃にここのメイドに惚れてしまった
というほのぼのエピソードまで残っている。
今は1階が部分がレストランになっているが、瓦屋根は中国にしては妙に違和感があり、
恐らく当時のものを流用しているのであろう。少なくともそう願いたい。

ミン行路と峨眉路との交差点を右に曲がると、
右手に3階建ての赤レンガの立派な建物が見える。
周りの建物が古ぼけた白い建物なので余計に目立つ。
そこはかつて魯迅の主治医をしていた須藤五百三(いおぞう。1876-1959)が1919年に開いた須藤医院の跡である。
2階が診療室になっていたといい、ここに医院を開くということは、周りの住人は
ほとんど日本人だったと容易に推測できる。
そう思うと、何か祖先を訪ねる旅の途中でたどり着いたオアシスのような感じがした。
須藤医師は、上述の通り魯迅の最晩年の主治医であり、
ここから魯迅の家まで往診に行っていたという。
「上海歴史ガイドマップ」によると、魯迅の日記には須藤医師の名前が150回以上も出てくるという。
また、これは面白い話だが、須藤医師魯迅暗殺説なるものがある。
これは魯迅の息子(名前失念中)が著書の中で言い出した新説なのだが、
根拠は「(彼が)1961年に来日した時に彼が来なかった」からだそうな。
おいおい、1959年に亡くなった人が会いに行けるかよ、
と本にツッコミを入れたことがある。
それ以外にも彼が魯迅を殺したという動機が全くなし。
まあ息子の妄想なのだろう。

須藤医院跡をそのまままっすぐ行くと、次の交差点の右手に、
ツタで囲まれた校舎のようなものが見える。
校舎には「虹橋区第一中心小学」と書いてあるが、
このツタの校舎といい、何かありそうな感じがした。
嗅覚が働き、またガイドブックを開いてみると、
漢壁礼蒙女堂(Thomas Hanbury School for Girls)ということらしい。
ここは不動産商のハンベリーの寄付によって、欧亜混血児のために作られた
小学校を起源とし、戦争中は日本領事館警察となったところでもある。
その隣には、上海の伝説にもなった三角マーケット(虹口マーケット)の跡がある。
三角マーケットは、その名の通り三角の形をした公設マーケットで、
戦前の上海を語ると必ずと言ってもいいほど出てくる伝説の市場である。
何故伝説なのか、租界という性質から世界中の品物が集められ、
その品揃えは日本から来た者を驚かせたという。
戦後もそのままの形で市場として使われていたが、
1990年代前半についに取り壊しになり、現在は跡地に高層ビルが建設中である。
11年前にここを訪ねた時は、伝説の三角マーケットは確かにここに存在していた。
当時のままの姿で、まだ現役の市場として活動していたのだが、
その時の面影は今は全くない。
ある意味いちばん取り壊して欲しくなかった建物だったのだが、
既に瓦礫の山、否ビルになっているので、今更嘆いても仕方ない。
その三角マーケットの道の対面にそびえ、こことは対象的に
全く姿が変わっていない建物がある。租界警察の日本人宿舎である。
1931年に建てられた鉄筋コンクリート8階建ての、
丸ビルを小さくしたような形の建物は、
当時最新鋭だったエレベーターを完備し、日本人巡査の家族が住みこんでいた。
今も「公安大楼」として現役の家族寮である。

まだまだ続く・・・
第三章へ

****************************************************************

長治路と武昌路の交差点にある
大日本航空会社のオフィス跡。

日本旅館、萬歳館の跡。
日本式かもしれない屋根がなんとなく面影をしのばせてますね。

元須藤医院。
なんとなく医院風に見える・・・かな?
三角マーケットの跡・・・。
面影は何もありまへん・・・。

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今日は、久しぶりにいい天気なんでひたすらフィールドワークの日と決めた。
今日の目標は黄浦区あたり。
携帯する本は「上海歴史ガイドブック」(右)。
租界時代の建物の位置等が地図上に書いてある本だが、
とにかくかなり詳しく、租界の足跡を調べるには絶好の本である。
まずは腹ごしらえして、バスと地下鉄を乗り継いで南京東路外灘へ。
外灘の入り口に、まるで東大寺の仁王像のようにそびえる和平飯店
もう数十回は見ているので見飽きたかと思ったら、
改めて見てみると彫刻がきめ細かい。

和平飯店は、今更説明は不要とは思うけど、
緑のとんがり帽子が特徴的な北楼は、
別名「サッスーン・ハウス」と呼ばれ、上海の大財閥、ユダヤ系イギリス人サッスーン
己の力を誇示するかのように、当時上海で一番高かった土地に建てられた。
5階から10階まではキャセイ・ホテルとして営業、
最上階はサッスーン本人の自宅兼事務所が置かれた。

現在の和平飯店南楼は、北楼よりも古く、別のホテルだったが、
1965年に和平飯店に事実上吸収された経歴がある。

外灘の建物は次回以降に説明するとして、
俺の今回のフィールドワークの目標は、
戦前の上海に一大勢力を築いた日本人居民の足跡を尋ねる旅である。
戦前、日本人にとって上海はパスポートなしで行ける気軽な外国であり、
学生から社会人、そして事情で日本に住めなくなった不穏分子まで、
実に様々な人種を呑み込んでいった。
その人口は2万とも3万とも言われているが、
これはあくまで登記をした人口であって、
実際の人口は今もってわからない。
太平洋戦争勃発時の1941年には、10万人以上もの日本人がいたという。
文化人を寄せ付ける魅力も兼ね備えていたらしく、
芥川龍之介や金子光晴、谷崎潤一郎、
連続テレビ小説「あぐり」で有名になった吉行エイスケ等も上海を訪れ、
様々な場所に足跡を残している。
当時の上海がどのようなものかは、彼らの旅行エッセイを読めば
よくわかるだろう。

日本人が特に多かった居住地を俗に『日本租界』と言い、
上海を左右に横断する蘇州河より北の北四川路(現四川北路)や
呉淞路をメインロードとした地域に多く住んでいた。
しかしながら、「日本租界」と言っても日本が独自に租界を設けたことは
上海にはなく(天津や杭州には本当の日本租界は存在した)、
英米の共同租界の延長上にある「越界路」沿いに住んでいた。
日本人だらけだったので「日本租界のようだ」と言われていただけのことである。
しかし、そこままさに日本そのままだった。
彼らは日本語をしゃべり、日本式に改良された住宅に住み、
和服を着ながら日本料理屋に足を運んでいた。
正月になればおせち料理を食べ、凧を揚げ、盆には盆踊りもあったという、

そんな世界が敗戦とともになくなってはや60年近くたつ。

実は11年前に上海に留学していた時にも
「日本租界」の足跡を訪ねたことがある。
その時はまだまだ当時の建物が残っており、
特に四川北路は、昔の写真通りとあまりに変わってないので
ビックリした記憶がある。
かつて日本人と一緒に汗を流したという中国人もたくさんおり、
そこには確実に「日本」が残っていた。
彼らが持ち込んだ日本が、現在虹口地区には、もう部分的になってしまったが、
かつての住人を静かに待ってるかのように残っていた。
しかしながら、その時俺は二つの失敗をした。
一つは調