ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | ユーザ登録 | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
さぁ~て、今度は故国でいろいろつぶやいてみるか! ダメダメ商社マンのBlog録
Blog
[ 総Blog数:1190件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2004/11/30のBlog
[ 01:31 ] [ 異国でつぶやきまっせ~ ]
こうやって中国に染まってると、身も心も染まってしまうせいか、
どーも中国人と間違えられることが多いです。
中国語がしゃべれる上に、元の顔のベースが台湾・香港系のせいか、
俺は余計に間違えられますわ。

「同じアジア人なんだから、わからなくて当然でしょ」
と言いますが、それは見慣れてないからで、わかる人はわかります。
どう説明していいのかわからないですが、
顔だけやなく、雰囲気とか服装のセンスとかでもわかります。
上海の某観光地の、仕事柄外国人を見慣れてる売り子いわく、
どんなに中国人に化けてもわかるそうですよー。
俺自身も、観光地とかの人ごみでも、「ありゃ日本人やな」ってのはすぐわかります。

参考までに、香港での日本人と現地女性の見分け方を。
1、格好がラフな割には化粧が濃い(現地人はGパン履いてたら原則すっぴん)
2、団体で行動する時の、人と人の間隔が短い。
3、常にガイドブックを持ってキョロキョロしてる。
4、1000香港ドルを平気で人前で出す。
5、財布を後ろポケットに入れる。それも入れ方が浅い(財布すられまっせ・・・)
6、DFSの袋を両手にぶら下げてる
7、オクトパスカード(香港の万能ICカード)を持っていない。

俺のウォッチング実績からして、
上に4つ以上当てはまったら、間違いなく日本人です(笑

でも、俺はバレないことが多いです・・・。
他の人には「こんにちは」とか言っても、俺だけには「ニーハオ」。
おい!って思わずツッコミの手が出てしまいそうになります。

留学してた時の旅行の時、
ある台湾人女性と知り合いになりました。
彼女と楽しく会話(もち中国語)をしていたのですが、
日本人の団体とすれ違い、「お、日本人や」と言うと、「なんでわかるの?」
俺:「だって、日本語しゃべってたやん」
彼女:「えええええ、すごい~~!『日本語』しゃべれるんだ!」
俺:「おいおい、俺日本人って言ったやん・・・」
彼女:「(無視)」

で、もう一回日本人の団体さんとすれ違いました。
俺:「お、また日本人や。(日本人)多いなー」
彼女:「すごいねー。『日本語』わかるんだね!私、東京に1年いたけど、全然しゃべれないわ」
俺:「だ~~か~~ら~~、俺は日本人やっちゅーねん!」
彼女:「はははは、冗談はよしてよ~~」
俺:「もーーーー、(と言いつつパスポートを見せる)。ほれ、俺のパスポート」
彼女:「すごーーーーーい!」
俺:「何がすごいん?」
彼女:「日本に帰化できたんだー。いつ帰化したの?」
俺:「・・・・(ダメだこりゃ)」

これ、よくネタ(作り話)って言われますが、紛れもない実話です(笑
2004/11/29のBlog
[ 16:39 ] [ 異国でつぶやきまっせ~ ]
ドラクエⅧって、発売してたんですね。
ここ数日、ブログにドラクエのが多いなーって思ったら、これってⅧやったんですね。
ⅤとかⅥのリメイクかと思ってました。

どうやら発売日から3日間で300万本突破、いやはやドラクエはワンパターンとかで
一時はFFに人気をさらわれたこともあったけど、
ドラクエ人気未だ健在ってとこですね~。

初代ドラクエを発売日に買った一人としては、なんか嬉しい限り。

俺も買いたい、やりたい。でも海外なんでできへん。
その前にPS2持ってね~~。
ええねん、クールに外からまた~~り眺めてるぜ(-_-)y-~

唐突ですが、プレステを中国語で言うと、

「索尼遊戯站」

と言います。「索尼」はソニーの音訳(これで「すぅぉーにー」と読む)で、
「遊戯站」はPlay Stationの直訳です。
まあ、最近はPlay Stationで通じることが多いですが、油断してはあきまへん(笑

ドラクエって中国語では?
フ、そんなおろかな質問するんやあらへんわい。
ドラクエを中国語ではね、








「わかりません」

以上です。中国にドラクエ自体がないから、たぶんないでしょう。

・・・と思ったのですが、いろいろ調べてみると、

「勇者斗悪竜」(「勇者、悪の龍と闘う」という意味)

と言うそうです。

買った皆さん、徹夜はいいけど仕事や学業に支障をきたしたらあきまへんで~~♪
[ 15:35 ] [ 変な日本語in China ]
上海市内の中心にある、
日本人も多く訪れるという足マッサージ専門店の看板です。
う~~ん、日本語になってませんが、何か。

面白かったらここをクリックしてやって下さい。
[ 02:43 ] [ 異国でつぶやきまっせ~ ]
[jinさんのブログ]にとらっくばーーっく!

TB企画とかいうのに参加してみました。

MYストレス解消法。それは・・・。
やっぱり掲示板荒らし・・・というのは嘘、これは絶対嘘です(-_-メ)

真面目に言うと、やっぱり旅行ですね。
それも、一人でのんびり散歩しながら、完全マイペースで旅行ってのが条件です。

旅先でのんびりお茶を飲んで、下町・旧市街を歩いて地元の人の生活の吐息に触れたり、
ホテルでテレビを見ながらベッドで寝そべってメールチェック。
嗚呼、なんて優雅なんでせうか!

う~~ん、最近ストレスがたまってるのは、旅行に行ってへんせいなんか?
2004/11/28のBlog
[ 22:36 ] [ メシを喰らう! ]
以前、吉野家の特集をするって言っていましたが、ようやく画像と文章が整理できました。
大変お待たせしました・・・って誰も待ってへんって?まあええか・・・。

吉野家は上海にも目立つようになりました。
南京東路にある店は、土日にもなれば常に満員状態で、上海っ子にも受け入れられ始めたようです。
ちなみに、今年は日本の吉野家では牛丼店やのに牛丼がない、という危機的状況が発生していましたが、
こちら中国は全く関係なし、中国製牛肉を利用して、引き続き牛丼は続行中です。

外見は、画像にあるように全く日本と変わらず。でも、ちょっと違う所は、

日本の吉野家:カウンター方式で気軽に入りにくい雰囲気がないこともない。
中国の吉野家:普通のファーストフードと同じような席配列。


というのがあります。
台湾・香港でも中は普通のファーストフード店と変わらず、
台湾では女子高生のたまり場にもなっているくらい、女性でも気軽に入れる雰囲気です。

中国の吉野家の牛丼の値段は、並みが12元(140円くらい)で、
牛丼だけでなく、鶏丼や豚丼(角煮丼)もあるのが特徴です。
なんかよくわからんけど、ケーキや抹茶アイスという、日本の吉野家をイメージしたら
間が抜けそうなメニューもあったりします。

ブツブツ言わずにとにかく食べてみましょう。
味は日本の牛丼とそんなに変わりません。なんか懐かしい味ですわ、これ。
でも、俺のお気に入りは鶏丼です。
照り焼き風なんですが、照り焼きほどこってりはしてなく、極めて俺好みの味でした。

豚の角煮丼は、中国語で「東坡肉」と言って、浙江省杭州の名物でもあります。

吉野家のメニューを撮ってきました。
どれがどれだかわかるかな?


これが中国吉野家の牛丼でい!
ちなみに、画像は別の日に撮ったテイクアウトのです。


これが、日本にはない鶏丼でございます。
野菜もあるんで栄養バランスも牛丼よりはGood。

豚丼はまだ撮ってないんで、撮り次第UPしますm(__)m
第一章はこちら
第二章はこちら
第三章はこちら
第四章はこちら

塘沽路よりバスに乗って、一気に魯迅公園まで北上し、
かつて日本人が一番固まっていた界隈を歩いてみる。

現在は、作家の魯迅を記念して魯迅公園という名前になり、
老若男女を問わず楽しめる憩いの場となっているが、
その歴史は古く、1905年に外国人専用の公園としてオープンしたのが始まりである。
当時の正式名は「虹口公園」だが、上海在住の日本人からは、俗に「新公園」と呼ばれていた。
何故新公園なのか、それはわからないが、その名前は歴史上に出てくる時もある。
上海事変終結後の1932年4月29日、「新公園」で戦勝式典をしている最中、
朝鮮人の投げた爆弾で白川義則陸軍大将が死亡、第二次世界大戦後の外務大臣を務めた、当時上海公使であった重光葵が足を切断する重症を負った事件が、
この公園で起こった。
戦後は中国政府のもとで整備され、昔魯迅がよく散歩した公園ということで、
「魯迅公園」と命名され、毛沢東の筆による魯迅の墓もここにある。
公園にの中には現在、「魯迅記念館」があり、魯迅の原稿や遺品などが収められている。
魯迅公園には、休日には観光客の他に、地元の人が絵を描き、歌を歌い、カップルが愛を語り合う、日本でも一昔前はよく見かけた風景を見ることができるが、
それは、歴史に翻弄されたきな臭い場所ではあるものの、今も昔も変わっていないように思える。

魯迅公園の北出口を出ると、大連西路の向かいに上海外国語大学の正門を見ることができる。
名前の通り上海唯一の外国語教育専門大学で、国立の重点大学(国家が定めた、国立大学の中でも更に重視された大学)でもあるエリート大学である。
日本人留学生も多く在籍し、多くの学生が在籍しているが、ここも日本人と関わりがある場所である。
元々この場所は、持志大学という私立大学があったが、上海事変で崩壊し廃校した。
その跡に1942年、日本の第二高等女学校が作られ、終戦までその位置にあった。
現在は当時の建物はすべて壊され、全くその面影を見ることはできない。
しかし、学校の建物ではないものの、大連西路の向かいにある東体育会路には、昔のままの洋館が数多く残っており、当時の姿をとどめている。

さて、そのまま魯迅公園の外側を沿うように歩くと、山陰路という道に出る。
昔は「施高塔(スコット)路」といわれたこの道は、上海の中でいちばん旧日本人居留区の面影を残した場所であり、
そこに残る家の一軒一軒を見ても、何か日本っぽい所が残っている。
それは意識しないと気づかない程度のものだが、意識して見てみると、
我々が日本で見る住宅のそれということが、素人の目でもわかる。

道の街路樹のトンネルをくぐっていくと、両端に小道が奥へ伸びている。
そこの各小道には、はるか以前に住んでいた日本人の住居が、今でもそのままの
状態で残されている。
山陰路の北から見て左手のいちばん最初の小道が「興業坊」である。
興業坊を入ると、そこは洋風建築の長屋のような住宅が道の両端に建てられ、
道も比較的広めにできている。
そこの左手にあるのが、1930年頃に吉行エイスケが住んだ住宅である。
資料が乏しいため、この興業坊の左手にある長屋のどこに住んでいたかは不明だが、
開いた窓から、今にでも彼がひょっこりと首を出してきそうな雰囲気である。
吉行エイスケは、NHKの連続テレビ小説「あぐり」で有名になった、
主人公「あぐり」の夫なのだが、また作家・エッセイストの吉行淳之介
女優の吉行和子の実父でもある。そう言った方がわかりやすいかもしれない。
1906年に岡山に生まれ、1940年に没するが、死の10年前より上海には少なからず出かけていたという記録が残っている。

続いての小道は、花園里である。
今も昔もそのままの名前であるこの道には、ゾルゲ事件で死刑になった尾崎秀実が、1930年より2年間住んでいた住居跡が残っている。
1928年から東京朝日新聞社上海特派員として上海に滞在していた尾崎だが、
30年にアグネス・メドレーを通して、アメリカ人記者ジョンソンを名乗っていたリヒャルド・ゾルゲと、パシフィック・ホテル(現和平飯店南楼)で出会う。
彼自身、「宿命的」と語ったこの出会いが、尾崎の人生を決定付けることとなる。
後にスパイ容疑で死刑になる尾崎だが、この引き金は上海で引かれていたとは、
私も初めて知ったことである。

これらの道を山陰路をはさんだ向かい側が、「大陸新邨」の建物である。
大陸新邨とは、1931年に大陸銀行上海信託部が投資して建てた、赤煉瓦3階建てのテラスハウス住宅である。
調度品はもちろんのこと、建材もヨーロッパから輸入された豪華住宅で、
当時はもちろん、現在でも豪華とも言える彫刻が残り、独特の存在感を以って
来る人の目をそちらに向けさせている。
ここに、近代中国の小説家、魯迅が 1933年4月11日から魯迅が亡くなる1936年10月19日までの約3年半この家で過ごした家が、
「魯迅故居」という名前で整備され、観光名所になって残っている。
魯迅故居の一階は応接室と台所、二階は寝室兼書斎と倉庫、三階は魯迅の息子(海嬰)と手伝いさんの寝室及び来客の寝室になっている。
今魯迅故居の収蔵品は400件余り、魯迅の当時の生活を偲ぶことができる。
その横には、同じ時期を生きた作家・文学者であり、中華人民共和国建国後は文化部長(文化庁長官に相当)にも就いた芽盾が住んでいたこともあり、
近代中国の息吹がこの周りで芽吹いていたのは興味深い。

その理由を解き明かすのに必要なキーワードが、内山完造である。
元々は参天堂の目薬売りとして上海に渡ったのだが、中国中を歩くうちに中国庶民の生活に造詣が深くなり、
その最中に、上海に内山書店を作る。
元々はキリスト教書籍の専門店であったが、のちに日本語書籍全般を扱うこととなり、
そこに日本人だけでなく、日本留学派の中国人も常連になるようになっていた。
その常連の中に、魯迅がいた。
魯迅と内山は親友となり、魯迅は彼のことを尊敬をこめて「老板(ラオパン)」と呼んでいた。
当時は近代文学や哲学などは中国には書籍が乏しく、
日本留学派の彼らは、日本の書籍を通して近代概念というものを吸収していたという。
内山書店は、いつの間にかその彼らの絶好のサロンとなり、
内山完造も彼らを拒絶せず、書店の片隅に無料のサロンを設けて彼らを歓迎した。
ここを通して、魯迅の紹介で数々の近代中国の文学を支える若者が集まり、
また、日本の文学者たちも、内山の紹介で魯迅や彼らを紹介し、
日中の文学者が集まり、会合などが開かれたことも、二度や三度ではない。

上海に渡り、内山の紹介で若き中国の文学者と親交を深めた人物に、谷崎潤一郎がいる。
彼は1926年1月に上海へ向かい、内山の仲介で郭沫若田漢と「顔つなぎの会」を行った。
この時に交わした論議は省略するが、谷崎の「上海交遊記」「上海見聞録」は、当時の中国の知識人の本音を聞きだし、それを記録に残した数少ない人物であり、
当時の中国・上海の紀行文が数多くある中でひときわ輝いている歴史的文献である。

日中の文学者が一堂に会し、ある意味歴史を築き上げたとも言える内山書店は、
現在は中国工商銀行になっている。
しかし建物は四川北路にそのまま残っており、「内山書店」という中国政府によって掲げられたプレートが、
まさにここが内山書店であったことを証明させている。

内山書店は、流れを汲む東京の内山書店に受け継がれ、中国・台湾書の専門店として現在に至っている。

フィニッシュまでもう一息!第六章へ
******************************************************************


吉行エイスケが住んでいた興業坊
画像左手の家のどこかに彼が住んでいました。


「大陸新邨」の一部です。
左の赤レンガの建物がそれで、まだまだきれいに残っています。


「内山書店」の跡。
現在は中国工商銀行になっています。

内山書店き埋め込まれている、
「内山書店」のプレート。

人気Blogランキング ブログサーチ(blog search)
読み終えたらクリックして下さると幸いですm(__)m。
[ 19:20 ] [ 中国・上海一言情報局 ]
1両目はこちら
2両目はこちら
3両目はこちら
4両目はこちら
5両目はこちら

右の画像は、俺が乗った列車の車内です。
軟座ですが、なかなか心地いい座席です。
俺が乗った「T733」は、オール軟座の特急列車で、
南京西→南京→鎮江→常州→無錫→蘇州→上海
と停車します。
ちなみにこの列車、車内スタッフが全員「中国東方航空」の職員で、
美人スッチーは飛行機で忙しいくて出払ってるのか、美人はいなかったけど、
サービスはかなり細かくて列車とは思えなかったです。

向かい側のホームでは、
無錫始発南寧(広西チュアン族自治州)行きの列車が、
これから31時間の旅に備えて準備中です。
車内にあった電光掲示板の速度表示。
写真を撮った時点では137km/h出ています。

速度がかなり出ていたせいで車内はかなり揺れていて、
デジカメの照準もなかなか合わなかったのですが、
おニューデジカメの「手ブレ補正機能」のおかげで
かなり鮮明な写真が撮れました。

隣で同じアングルで写真を撮っていた客は、
ぶれまくってロクな画像が撮れず、結局諦めました。
この勝負、Panasonicの勝ち!


俺が乗った列車の数分後を、常に画像の西安発上海行き特快(T137)が
常に追っていました。
無錫到着も隣のホーム、蘇州も隣のホーム、
我々の列車がホームに滑り込み、客の乗り降りを扱ってる間に、
西安発上海行きがバカでかい警笛を鳴らしながらホームに突っ込んできました。
警笛が「はぁはぁ、新型さんよ、やっと追いついたぜ、ぜーぜー」
って言う会話のように聞こえて、
まるで、特急同士の鬼ごっこのようで面白かったです。

(後で調べたんですが、西安発上海行きは20分遅れのため、
こういう「鬼ごっこ」が成立したってわけで、偶然の出来事でした)







旅の終わり、到着駅のホームの案内や、
降りる人の流れに従って、出口へ向かいます。
出口を出るとそこは新天地、新たな旅の始まりです!

画像は上海駅の出口です。
結局、上海には4分遅れで到着しましたが、
中国じゃ、4分など遅れでも何でもありません。
全然「許容範囲内」です(笑

人気Blogランキング ブログサーチ(blog search)読み終えたらクリックして下さいね。
[ 11:22 ] [ 中国・上海一言情報局 ]
1両目はこちら
2両目はこちら
3両目はこちら
4両目はこちら

右の写真は待合室です。
飛行機の搭乗口のように、「搭乗手続き」が始まるまで
待合室で待機することになります。
だいたい、始発列車だと発車30分前に検札が始まるんで、
それまでに待合室に着いているようにしましょう。
また、「軟臥」「軟座」の人は、こんな待合室とは別に、
「軟席候車室(1等専用待合室)」というVIP待合室があり、
駅にもよりますが、かなりきれいな待合室があなたをお待ちしております。
無錫は、現在改装中で「軟席候車室」が使えなく、
一般待合室で待機となりました_| ̄|○
待合室には、画像のような掲示板があり、
(画像のような電光掲示板の場合もあれば、普通の看板の場合もあります)
乗る列車の表示の近くで待機しておきましょう。
「旅客和車站人員請注意。イ尓乗坐的○○次(列車番号)列車、
現在開始検票了」

っていう放送があったら、検札開始です。

北京とか上海などでは英語放送もありますが、
ほとんどは中国語だけなんで、中国語がわからん人は、
周りの人を観察してみましょう。
周りの人の切符を横目で見て、同じ列車ならその人の動向をチェックし、
何か放送があってその人が立ち上がり、検札場に向かったら、
検札開始ということです。
ちなみに、検札は発車5分前くらいには打ち切るんで、
必ず10分前には検札を済ませておいた方が無難です。

画像の表示は、
「T733次列車 上海行き 5番ホームで乗車です」
という意味です。


指定されたホームへ行き、いざ列車に乗り込みます。
画像は、俺が乗った列車が無錫始発やないため(南京西駅発)、
まだ列車が到着しておりません。
でも、始発列車の場合は既に列車がホームで待機しています。

その場合は、切符に書かれた号車にGO!


さて、列車に乗り込む・・といきたいのですが、
各乗り口には車掌が立っており、
切符のチェックを受けてから車内に乗り込むことになります。

画像は、入口に乗り込む人民の群れ。
みんな入口に殺到してすごい殺気です(笑
中国人はいつまでたっても、「並んだ方が早い」というのを覚えないようです。

もう一息であなたも中国鉄路マスター!
マスターへの道は6両目へGO

人気Blogランキング ブログサーチ(blog search)読み終えたらクリックして下さいね。
[ 11:22 ] [ 中国・上海一言情報局 ]
ただいま上海へ帰ってきました。

無錫はアホみたいに寒かったんですが、上海へ帰ってくると・・・。

あれ?めちゃくちゃ暖かい

暑いまではいきませんが、ポカポカ陽気です。
2時間前までは無錫で、「さむ~~~~」って言ってたのに、
130kmしか離れてへんのになんやねん、この気温差は~~。

とつぶやきはここまで。

無錫~上海は、「いろいろ事情+個人的な趣味」で列車で帰りました。
俺は列車(旅行)が好きなんで、何かと列車を使いたいんですが、
乗れそうでなかなか乗れるチャンスがありません。

せっかくなんで、中国列車乗車指南でも致しましょう。

日本はほとんどが電車になってしまいましたが、
中国の列車はまだまだ客車(機関車が引っ張ってるあれ)が主流です。
日本の鉄道マニアも、中国の列車旅情に憧れて、最近中国入りしているとか。

で、中国の列車種別は主に6種類。

直達:意味は「ノンストップ」。そう、途中駅には一切止まらないノンストップ特急です。
途中駅がデカかろうと関係なく、すべて通過していく心地よい列車です。
日本で言うと、東京~大阪間の列車が、途中駅に横浜があろうが静岡があろうが、
名古屋があろうが岐阜があろうが京都があろうが新大阪があろうが、
すべて無視(通過)していくようなもんです。
10年前にはあり、いったんは廃止された種別ですが、
飛行機との競争の激化で鉄道もうかうかしてられなくなり、今年4月18日のダイヤ改正で復活した種別です。
北京~上海や北京~ハルピンなど、北京を中心として走っています。
この列車は、列車番号の最初に「Z」がついており、Z1~Z99まであります。

特快:いわゆる特急です。
全国至る所に走っていて、日本の特急と同じなんで、くどい説明は不要でしょう。
「特快」は、列車番号の頭に「T」がついており、T1~T999までの番号があります。

高速・準高速:広東省広州(東)~深セン・香港九龍間を走ってる、
ここだけにしかない列車種別です。
時刻表は「特快」扱いですが、「高速」はノンストップ、「準高速」はノンストップのものと
途中駅に停車するタイプがあります。
「高速」は、スウェーデンから直輸入のX2000という高速列車を使用していて、
香港行きの準高速には、日本製の列車も活躍しています。
リニアは別として、中国では現時点で唯一200km/h走行をする列車種別で、
広州~香港間は、TGV型の高速列車から2階建て新型列車まで、
いろんな車両が使われているので、
拠点の広州東駅はまるで中国鉄道博物館のような感じです。
鉄道マニアにはたまらなん区間で、1日中いても飽きません。

快速:快速って書いてますが、日本で言う急行に相当します。
この種別は、列車番号の頭に「K」がついています。
また、日本に各JR会社の範囲があるように、中国にも各鉄道管理局の管轄範囲
というものがあります。
その管理局のみを走る「快速」は「管内快速列車」といい、
列車番号の頭には「N」がついております。これも今年4月18日のダイヤ改正で登場した種別です。

普快:日本で言うと快速とか準急に相当します。
とにかくトロトロ走り、「直達」「特快」「快速」にどんどん抜かれながらも、
けなげに走り続ける涙ぐましい列車です。
列車番号にはアルファベットはつかず、ほとんどが4桁の番号だけです。

慢車:いわゆる「各駅停車」です。
よっぽどの変わり者か鉄道マニアでない限り、外国人が使うことはまずありません。
俺も1回しか乗ったことがありません。(←乗ったことあるんかい)

列車種別によってどれだけの時間差か、北京~上海間を例を見てみましょう。

★直達:Z1/Z5/Z7/Z13/Z21:11時間58分
★特快:T103/T109:13時間32分
★快速:K255:18時間03分(北京南~上海西駅なんで、参考記録)
★普快:1461:21時間30分

デカい中国、日本では考えられないくらい長い距離を走る列車もあります。
特に、ウルムチ発の列車は、日本の常識では考えられない距離を走ったりします。

ウルムチ~上海 T54/T51:走行距離4077km 所要時間約48時間
ウルムチ~連雲港東 1086/1087:走行距離3651km 所要時間約56時間
ウルムチ~重慶 1081/1084:走行距離3358km 所要時間約57時間



4000キロって、単純距離だと北海道の稚内から鹿児島までの距離にまだちょっとプラスしないといけない距離です。
上海~ウルムチは今でこそ2日になりましたが、昔は3日半かかっていました。
また、上海~ウルムチの列車が、「中国横断列車」なら、
広州東~ハルピンのT236/T237は、走行距離3656km
中国の南北を縦断する「中国縦断列車」です。
この列車に乗ると、常夏の熱帯からマイナス30度の寒帯まで、一気に体験できます。
お暇なら全区間走破なんていかがですか?たったの35時間ですし( ̄ー ̄)

また、中国は、意外にも国と国境を接している世界一の国で、もちろん陸続きの国がほとんどなんで、
国をまたぐ「国際列車」なんてものも走ってます。
国際列車は北京駅を中心に走っており、
主な列車は以下の通り。

★北京~ウランバートル(モンゴル)~モスクワ(ロシア)
★北京~ハルピン~満州里~モスクワ(ロシア)
★北京~ピョンヤン(北朝鮮)
★北京西~ハノイ(ベトナム)
★ハルピン~ハバロフスク(ロシア)~ウラジオストック(ロシア)
★ウルムチ~アルマティ(カザフスタン)


香港を「外国」と見なすなら、
★北京~広州東~香港九龍 T97B/T98B
★上海~広州東~香港九龍 K99B/K100B
★広州東~香港九龍 いっぱい
という列車もあります。


広州東~深セン間を走る「準高速」です。
この列車は、「藍箭号(Blue Arrow)」というらしいですが、
俗にスウェーデンのX2000の「新時速号」に対して、
メードインチャイナ「新時速号」なんで「国産新時速号」とも言います。

(広州東駅にて)
北京~上海間の特急です。

 (北京駅にて)



お次は2両目をどうぞー。

人気Blogランキング ブログサーチ(blog search)読み終えたらクリックして下さいね。
[ 11:22 ] [ 中国・上海一言情報局 ]
1両目はこちら

中国の列車につながってる車両の種類は、主に5種類です。

軟臥(るあんうぉー):いわゆる1等寝台です。
車両の下には、「軟臥車 RW」と表記しています。
4人一部屋のコンパートメント方式で、たいていの列車には1両しかつなげていませんが、
「直達」や国際列車、香港行き夜行はこの車両がメインになります。
また、国際列車(特にモスクワ行き)はこの車両が「2等寝台」となります。
1両32人の定員っていうのもあるせいか、最近は一番早く切符が売り切れたりします。

硬臥(いんうぉー):2等寝台で、日本の夜行列車のB寝台を3段にして、
カーテンを失くしたものと思ってください。
車両の下には、「硬臥車 YW」と表記しています。
夜をまたぐ長距離列車には、後で説明する「硬座」とコンビを結成しており、
長距離列車のメイン車両でもあります。
「硬臥」で独特なのが、消灯時間があること。
たかが消灯時間って思われますが、これが中国の列車で重要なキーポイントです。
消灯時間がないと、中国人は他人が寝てようがうるさがってようが、騒ぎ立てます。
地声がうるさい中国人、神経質な人は寝れたもんやありまへん。
でも、消灯時間があると容赦なく電灯が消され、起きてると車掌に怒鳴られるので、
さすがの人民も寝ざるを得ません。
「軟臥」や「硬座」だと消灯時間がないので、「軟臥」だと夜型で酒好きの同室だと、
または「硬座」だと24時間騒ぎ立てます。
あの騒がしさで寝れたら、ものすごい神経だと自画自賛しても構いません。
そういう意味で、プライベートなんてものはありませんが、ある意味いちばん快適かもしれません。
値段もそこそこなんで、旅行する時はいちばん使うかもしれません。

軟座(るあんつぅおー):1等座席、日本で言えばグリーン車に相当します。
車両の下には、「軟座車 RZ」と表記されています。
昼間走る列車にしかつないでいませんが、たまーーーーーーーーーーーーーーーに、
夜行列車にも「硬座」扱いで連結してることがあります。
1等といっても、日本の特急の普通車程度のものですが、それでも中国じゃ快適でございます。
列車によっては、「1等軟座」「2等軟座」というのがあったり、
コンパートメントの車両があったりもします。

硬座(いんつぅおー):2等座席(普通車)で、3列+2列の、
背もたれが垂直で硬い座席が無造作に並んでいます。
車両の下には、「硬座車 YZ」と表記しています。
夜行・昼行列車を問わずほとんどの列車につながっており、
値段ももちろんいちばん安いです。
数々の伝説を作り、中国旅行者を困らせてきた「人民列車」で、
意味は長距離列車の「硬座」に乗ればわかります・・・。
硬座に乗らずして中国を語るなかれ!と言う人もいて、
別名「走る中国」とも言えるかも。
夏はゴキブリが車内を縦横無尽にかけめぐり、冬は隙間風で凍死しそうになる
硬座は過去のものとなりつつありますが、それでも硬座のキツさは変わらず。
初めての人は平均8時間くらいで音を上げ、
乗りこなした人でも夜を越すのはかなりしんどく、24時間乗ってるとグロッキーになります。
腰痛持ちの人は、まず乗らない方がいいでしょう。確実に腰痛が悪化しますよ。
俺も若くて金がない頃はよく「硬座」に乗って旅をして、通算260時間くらい乗っていますが、
これに乗る度にクタクタになって、「もう(硬座にゃ)二度と乗らんぞ・・・」って思いつつ、
また乗ってしまう、なんだか中国を象徴するような車両です。

高包・高級軟臥・豪華軟臥:最近出てきた車両で、日本語で言うと「特等寝台」って感じです。
北京~上海等の「直達」や国際列車・香港行きにしかつなげていない車両で、
各部屋・または各車両にはシャワーがついています。
二人部屋(一人で占領可)、完全個室の2種類があり、前者は国際列車や香港行き、
後者は「直達」列車につなげています。
ちなみに、後者はまだ見たことがありませんが、各部屋に電話・シャワー・テレビがついているそうな。

主な列車は、
夜行列車:硬座+食堂車+軟臥+硬臥