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2004/12/28のBlog
[ 01:38 ]
[ 異国でつぶやきまっせ~ ]
スマトラ島の地震、1日たったらすごいことになってます。
死者が2万人強、たぶん津波としては史上最悪の惨事でしょうね。
日本でも、チリで起こった地震で津波がはるか彼方の日本にやってきて、
村が一つ壊滅したってことがありましたが、
今回は国をまたいでアジアクラスで被害が広がっています。
経験してないと、「たかが津波」って思うかもしれないですが、俺も内心そう思ってました。
けど、これを見ると津波ってメチャクチャ怖いですね。
リゾート地のプーケットも、ペナンもかなり被害を受けてるようです。
邦人の中には行方が知れない人もいて、安否が気がかりですね。
「地震より津波が怖い」
って言う人がいます。
地震が起きて何ともなくて、ホッとしたところで大波・・・。
そりゃ怖いわな。
死者が2万人強、たぶん津波としては史上最悪の惨事でしょうね。
日本でも、チリで起こった地震で津波がはるか彼方の日本にやってきて、
村が一つ壊滅したってことがありましたが、
今回は国をまたいでアジアクラスで被害が広がっています。
経験してないと、「たかが津波」って思うかもしれないですが、俺も内心そう思ってました。
けど、これを見ると津波ってメチャクチャ怖いですね。
リゾート地のプーケットも、ペナンもかなり被害を受けてるようです。
邦人の中には行方が知れない人もいて、安否が気がかりですね。
「地震より津波が怖い」
って言う人がいます。
地震が起きて何ともなくて、ホッとしたところで大波・・・。
そりゃ怖いわな。
2004/12/27のBlog
[ 23:29 ]
[ 租界散歩 ]
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
番外編
(画像は現在の四川北路)
内山書店を過ぎ、四川北路をそのまま北上していくと、左手に5階建ての古いマンションが見える。
このアパートは、現在北川公寓という名前なのだが、戦前はラモスアパートと呼ばれ、
このアパートの3階4号室に、魯迅が1930年5月から1933年4月までここに住み、
隠れるようにここに住んでいた。
その間に上海事変が起き、銃弾が壁を貫いて部屋まで届いたこともあったという。
最上階の5階部分は1978年に建て増しされたものだが、それ以外はほぼ原型を留めている。
そのラモスアパートより右斜めにある白い建物が、
数々の火種の拠点になったとも言える、日本海軍特別陸戦隊本部である。
陸戦隊とは海軍の中にある陸上部隊のことで、
上海特別陸戦隊は上海に住む日本人保護を目的に上海に駐留した部隊である。
1928年より上海に駐留し、日本人が多い虹口地区に拠点を構えていた。
現存する本部建物は、第一次上海事変の後に建てられた鉄筋コンクリート造4階建てのもので、
第一次・第二次上海事変の際はここから陸戦隊が出発し、中国軍と直接の戦闘を行った。
画像にわずかに見えるすっかり錆びた物見櫓は、当時のまま残っていて、その錆び具合が年月の流れを感じさせている。
学校の教科書にも出てくる上海事変、その決戦の場がまさにここなのである。
戦前は竇楽安路と呼ばれ、住人のほぼ100%が日本人だったという道、
現在は多倫路と呼ばれ、近年この界隈が整備され観光スポットになった。
道は石畳になり新しくはなったものの、道一本はずれるとそこは未だに濃厚な旧上海の生活の場が残っている。
多倫路を渡り終え、四川北路と交わる交差点の向かって左側には、
かつて「公琲」と呼ばれたカフェがあった。
日本人経営とも、ユダヤ人経営とも言われたこの喫茶店、
外国人経営という安全さもあってか、共産党革命家や文学者が集まる場所として栄え、隠れた歴史の舞台にもなった所である。
建物は90年代前半まで残されていたのだが、老朽化でついに壊され現在は全くその面影はない。
しかし、「公琲」という名前はそのままで跡地に喫茶店が出来、
せめてここにかつて「公琲」があったという名前は残っている。
多倫路を出て四川北路を横断すると、今は建物の影に隠れて見つけにくいが、
昔ながらの「石庫門建築」が残る余慶坊がある。
現在でも数多くの世帯が軒を並べて住むこの集落、
かつては詩人の金子光晴が、夫人の森三千代の不倫清算旅行の際に上海に立ち寄り、
1928年から1929年までこの余慶坊の一室を借りて住んでいた。
その上海生活は「どくろ杯」に詳しく描かれている。
「私たち三人は、日本人のたまりの虹口、文路を抜けて、北四川路を出ると、北へ、北へ、車を走らせた。日本書店の内山完造さんの店の筋向いの余慶坊という一角の入口で、車を下りた。二筋の路地を、表と裏が向かい合って、支那風の漆喰な二階建長屋が続いている。入口には、雑貨屋と、熱湯を沸かして桶で売る店とが並んでいた」
(どくろ杯 原文ママ)
彼らが味わったその雰囲気の「おすそ分け」をもらおうと、私も余慶坊に入ってみた。
観光名所でも何でもなく、現在でも人々が普通に住む住宅地なので、
外来者の私などが入ると明らかに浮いていた。
幅数メートルほどの細い路地で子供が無邪気な声を出して遊び、数々の辛苦をなめてきただろう老婆が、椅子に座って外来者の私を値踏みするようにじっと見つめていた。
四川北路の入口より入ってかなり奥の場所に、金子光晴が間借りした家が、
そのままの姿で残っていた。
余慶路123号、ここが彼が1年間を過ごしていた家である。
時代は変わり、家の主が日本人から中国人に変わっても、その建物は数々の人々の喜怒哀楽を見てきたに違いない。
金子光晴が上海でついた吐息も、この建物に残っているかのようである。
余慶坊を出て四川北路に戻り南下すると、すぐにかなり大きい建物を見ることができる。
そこは「上海市第四人民医院」だが、元は「福民病院」と呼ばれていた日本人経営の病院であった。
日本人経営ながら患者は国際的で、国籍分け隔てなく患者を診る当時としては珍しい病院で、
魯迅もよくここを訪ね、彼の長男もここで生まれている。
建物は残念ながら最近壊されてしまったが、その規模は建物が新しくなっても受け継がれ、
当時どれだけ大きい病院だったかが容易に想像ができる。
その横には、当時の上海日本尋常高等小学校が当時の建物のまま残っている。
残念ながら四川北路沿いにビルが建てられてしまったために、四川北路沿いからはその建物は見えなくなってしまったが、
校門から覗いてみると校舎はそのまま残っていることがわかる。
日本の学校は戦前に数多くあり、大学と旧制高校以外はすべて揃い、上海にいながら日本と同等の教育を受けることができた。
今の日本人学校とは規模も生徒数もケタが違い、当時日本人がどれだけの勢力を誇っていたか、その跡を訪ねるだけでもすぐわかる。
以上、日本人の足跡を訪ねる旅は終わる。
すべてを渡り終え、ふと空を見ると、雲ひとつない青空である。
かつて、ここあたりに住んでいた日本人は、この青空を見ながら何を考えていたのであろうか。
時代の嵐に巻き込まれながらもしたたかに生きた彼らの足跡は、
徐々に少なくなってきているものの、まだ確実に残っている。
終
というわけで予告編。
お次は上海に残る租界建築の数々を紹介したいと思っております。
お楽しみに!
第二章
第三章
第四章
第五章
番外編
(画像は現在の四川北路)
内山書店を過ぎ、四川北路をそのまま北上していくと、左手に5階建ての古いマンションが見える。
このアパートは、現在北川公寓という名前なのだが、戦前はラモスアパートと呼ばれ、
このアパートの3階4号室に、魯迅が1930年5月から1933年4月までここに住み、
隠れるようにここに住んでいた。
その間に上海事変が起き、銃弾が壁を貫いて部屋まで届いたこともあったという。
最上階の5階部分は1978年に建て増しされたものだが、それ以外はほぼ原型を留めている。
そのラモスアパートより右斜めにある白い建物が、
数々の火種の拠点になったとも言える、日本海軍特別陸戦隊本部である。
陸戦隊とは海軍の中にある陸上部隊のことで、
上海特別陸戦隊は上海に住む日本人保護を目的に上海に駐留した部隊である。
1928年より上海に駐留し、日本人が多い虹口地区に拠点を構えていた。
現存する本部建物は、第一次上海事変の後に建てられた鉄筋コンクリート造4階建てのもので、
第一次・第二次上海事変の際はここから陸戦隊が出発し、中国軍と直接の戦闘を行った。
画像にわずかに見えるすっかり錆びた物見櫓は、当時のまま残っていて、その錆び具合が年月の流れを感じさせている。
学校の教科書にも出てくる上海事変、その決戦の場がまさにここなのである。
戦前は竇楽安路と呼ばれ、住人のほぼ100%が日本人だったという道、
現在は多倫路と呼ばれ、近年この界隈が整備され観光スポットになった。
道は石畳になり新しくはなったものの、道一本はずれるとそこは未だに濃厚な旧上海の生活の場が残っている。
多倫路を渡り終え、四川北路と交わる交差点の向かって左側には、
かつて「公琲」と呼ばれたカフェがあった。
日本人経営とも、ユダヤ人経営とも言われたこの喫茶店、
外国人経営という安全さもあってか、共産党革命家や文学者が集まる場所として栄え、隠れた歴史の舞台にもなった所である。
建物は90年代前半まで残されていたのだが、老朽化でついに壊され現在は全くその面影はない。
しかし、「公琲」という名前はそのままで跡地に喫茶店が出来、
せめてここにかつて「公琲」があったという名前は残っている。
多倫路を出て四川北路を横断すると、今は建物の影に隠れて見つけにくいが、
昔ながらの「石庫門建築」が残る余慶坊がある。
現在でも数多くの世帯が軒を並べて住むこの集落、
かつては詩人の金子光晴が、夫人の森三千代の不倫清算旅行の際に上海に立ち寄り、
1928年から1929年までこの余慶坊の一室を借りて住んでいた。
その上海生活は「どくろ杯」に詳しく描かれている。
「私たち三人は、日本人のたまりの虹口、文路を抜けて、北四川路を出ると、北へ、北へ、車を走らせた。日本書店の内山完造さんの店の筋向いの余慶坊という一角の入口で、車を下りた。二筋の路地を、表と裏が向かい合って、支那風の漆喰な二階建長屋が続いている。入口には、雑貨屋と、熱湯を沸かして桶で売る店とが並んでいた」
(どくろ杯 原文ママ)
彼らが味わったその雰囲気の「おすそ分け」をもらおうと、私も余慶坊に入ってみた。
観光名所でも何でもなく、現在でも人々が普通に住む住宅地なので、
外来者の私などが入ると明らかに浮いていた。
幅数メートルほどの細い路地で子供が無邪気な声を出して遊び、数々の辛苦をなめてきただろう老婆が、椅子に座って外来者の私を値踏みするようにじっと見つめていた。
四川北路の入口より入ってかなり奥の場所に、金子光晴が間借りした家が、
そのままの姿で残っていた。
余慶路123号、ここが彼が1年間を過ごしていた家である。
時代は変わり、家の主が日本人から中国人に変わっても、その建物は数々の人々の喜怒哀楽を見てきたに違いない。
金子光晴が上海でついた吐息も、この建物に残っているかのようである。
余慶坊を出て四川北路に戻り南下すると、すぐにかなり大きい建物を見ることができる。
そこは「上海市第四人民医院」だが、元は「福民病院」と呼ばれていた日本人経営の病院であった。
日本人経営ながら患者は国際的で、国籍分け隔てなく患者を診る当時としては珍しい病院で、
魯迅もよくここを訪ね、彼の長男もここで生まれている。
建物は残念ながら最近壊されてしまったが、その規模は建物が新しくなっても受け継がれ、
当時どれだけ大きい病院だったかが容易に想像ができる。
その横には、当時の上海日本尋常高等小学校が当時の建物のまま残っている。
残念ながら四川北路沿いにビルが建てられてしまったために、四川北路沿いからはその建物は見えなくなってしまったが、
校門から覗いてみると校舎はそのまま残っていることがわかる。
日本の学校は戦前に数多くあり、大学と旧制高校以外はすべて揃い、上海にいながら日本と同等の教育を受けることができた。
今の日本人学校とは規模も生徒数もケタが違い、当時日本人がどれだけの勢力を誇っていたか、その跡を訪ねるだけでもすぐわかる。
以上、日本人の足跡を訪ねる旅は終わる。
すべてを渡り終え、ふと空を見ると、雲ひとつない青空である。
かつて、ここあたりに住んでいた日本人は、この青空を見ながら何を考えていたのであろうか。
時代の嵐に巻き込まれながらもしたたかに生きた彼らの足跡は、
徐々に少なくなってきているものの、まだ確実に残っている。
終
というわけで予告編。
お次は上海に残る租界建築の数々を紹介したいと思っております。
お楽しみに!
金子光晴が住んでいた家です。
ここの二階を間借りしていました。
窓から彼は何を考えていたのでしょうか。
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[ 02:36 ]
[ 数行消息 パルプンテ1行日記 ]
マッサージに行った。爆睡した。マッサージされてるの、全然覚えてへん。
2004/12/26のBlog
[ 23:26 ]
[ 異国でつぶやきまっせ~ ]
さて、こたつ購入の次は温風器。
こたつがあまりに重いんで、とりあえず帰宅してこたつを置き、
その足でカルフールへ。
さすがカルフール、昼はすごい人でレジもフル稼働でも人、ひと、ヒトでいっぱい。
人ごみを避けながら電器売り場に向かう。目標、温風器!予算200元以内!
すると、あっけなくセールでありました。
セールで178元、けっこうモノも良さそうなんで購入。
あと、防寒用に、
厚手のパジャマ
こたつ用の背もたれ
上に敷く用の毛布
も購入~。
あと、こたつの下に敷く絨毯が欲しかったんやけど、
値段を見ると、300元やら500元やら高い!
ちょっと予算オーバーなんで、買うのは見送り。
こたつがあまりに重いんで、とりあえず帰宅してこたつを置き、
その足でカルフールへ。
さすがカルフール、昼はすごい人でレジもフル稼働でも人、ひと、ヒトでいっぱい。
人ごみを避けながら電器売り場に向かう。目標、温風器!予算200元以内!
すると、あっけなくセールでありました。
セールで178元、けっこうモノも良さそうなんで購入。
あと、防寒用に、
厚手のパジャマ
こたつ用の背もたれ
上に敷く用の毛布
も購入~。
あと、こたつの下に敷く絨毯が欲しかったんやけど、
値段を見ると、300元やら500元やら高い!
ちょっと予算オーバーなんで、買うのは見送り。
[ 19:50 ]
[ 異国でつぶやきまっせ~ ]
掃除が終わったら、次の計画は、
「部屋完全防寒計画」
でございます。
上海もいきなり寒くなり、部屋もけっこう寒いんで暖房器具を買おうかなーとは思ってました。
もちろん各部屋にはエアコンがあるんですが、
部屋が変に広いためか効きが悪く、電気代もかかるために、あるものを購入しようと思いました。
それは、
・温風器
・こたつ
でございます。
温風器はわかるけど、「こたつ」ってあなた(笑
って思いませんでしたか?
実はこたつ、上海で売ってるんです。
もちろん日本人用なんですが、前に客先訪問をした時に、先方から
「こたつが古北で売ってる」って情報を入手しました。
売ってるのがわかったのはいいんですが、問題は、
「どこで売ってるのか聞くのを忘れた」
ことなんですけどね(笑
狭い古北新区とはいえ、売ってるとこ知らんかったら仕方ないか、と思って
何気にフリーペーパーを見てると、なんと
古北新区にリサイクルショップ発見!
名前は「ふくぜん」と言い、上海に既に3軒あるそうです。
漫画喫茶といいリサイクルショップといい、いろいろあります、古北。
「部屋完全防寒計画」
でございます。
上海もいきなり寒くなり、部屋もけっこう寒いんで暖房器具を買おうかなーとは思ってました。
もちろん各部屋にはエアコンがあるんですが、
部屋が変に広いためか効きが悪く、電気代もかかるために、あるものを購入しようと思いました。
それは、
・温風器
・こたつ
でございます。
温風器はわかるけど、「こたつ」ってあなた(笑
って思いませんでしたか?
実はこたつ、上海で売ってるんです。
もちろん日本人用なんですが、前に客先訪問をした時に、先方から
「こたつが古北で売ってる」って情報を入手しました。
売ってるのがわかったのはいいんですが、問題は、
「どこで売ってるのか聞くのを忘れた」
ことなんですけどね(笑
狭い古北新区とはいえ、売ってるとこ知らんかったら仕方ないか、と思って
何気にフリーペーパーを見てると、なんと
古北新区にリサイクルショップ発見!
名前は「ふくぜん」と言い、上海に既に3軒あるそうです。
漫画喫茶といいリサイクルショップといい、いろいろあります、古北。
というわけで、なんか面白そうなんで言ってまいりました、そのショップ。
うちのマンションから歩いて3分ほど、マンションが入り組んだとこにある店なんで、
ちょっとわかりにくいです。
この黄色い看板が目印!
とも言えるフクゼン、日本目当てだけあって、表示はほとんど日本語。
中国語表記の「福九善」は日本語で読むと
「ふくくぜん」になっちゃいますが、
そこは突っ込まないのが中国のマナー(!?)。
気にしない気にしない。
中は、所狭しと中古品がいっぱい!
古本もあれば机もある、ポットもあればFAX付き電話まであります。
とにかく、日本人駐在員が残した抜け殻がいっぱい売ってます。
店自体はそんなに大きいってわけじゃありませんが、
今話題のドンキホーテみたいな陳列の仕方をして、
狭い店内に多く品物を置こうと思索中でございます。
また、日本のテレビ番組のビデオも売っており、
「トリビアの泉」の最新版なんかも売ってたりしてます。
「こたつ入荷しました!」
こ、こ、こたつや~~~~~~~!!
思わず店員のおねーちゃんに、
「怎麼売?(いくら?)」
と聞きましたが、聞くまでもなく「こたつ入荷しました!」の下に値段が書いてました。
値段はサイズ小が750元、
デカいサイズが1050元。
値段は張りますが、日本人の冬はやっぱりこたつ!
さて、小さい方でも購入するか~~。と思って財布をチェックすると、
「げ!600元しかあらへん!」
店員に在庫を確認して、慌てて銀行に行って金を下ろしてきました。
銀行で30人くらい待って、ようやくお金を下ろし、こたつGET!
あとは家に帰ってセッティングするだけ~。
と思ったんですが、このこたつ、メチャクチャ重い・・・。
普段なら3分で家に帰れるところを、12,3分かかってしまいました。
リサイクルショップ フクゼン
万科店
住所:古北新区栄華西道19弄 金獅公寓5号102室
電話番号:6295-1071(日本語可)
営業時間:9:00 ~ 20:00
古北店
住所:古北新区栄華東道8号 羅馬花園D棟101室
電話番号:6209-8845
営業時間:9:00 ~ 20:00
呉中家具店
住所:呉中路51号B9-B10 門面
電話番号:5425-1978
営業時間:9:00 ~ 20:00
まだ続く。
こ、こ、こたつや~~~~~~~!!
思わず店員のおねーちゃんに、
「怎麼売?(いくら?)」
と聞きましたが、聞くまでもなく「こたつ入荷しました!」の下に値段が書いてました。
値段はサイズ小が750元、
デカいサイズが1050元。
値段は張りますが、日本人の冬はやっぱりこたつ!
さて、小さい方でも購入するか~~。と思って財布をチェックすると、
「げ!600元しかあらへん!」
店員に在庫を確認して、慌てて銀行に行って金を下ろしてきました。
銀行で30人くらい待って、ようやくお金を下ろし、こたつGET!
あとは家に帰ってセッティングするだけ~。
と思ったんですが、このこたつ、メチャクチャ重い・・・。
普段なら3分で家に帰れるところを、12,3分かかってしまいました。
リサイクルショップ フクゼン
万科店
住所:古北新区栄華西道19弄 金獅公寓5号102室
電話番号:6295-1071(日本語可)
営業時間:9:00 ~ 20:00
古北店
住所:古北新区栄華東道8号 羅馬花園D棟101室
電話番号:6209-8845
営業時間:9:00 ~ 20:00
呉中家具店
住所:呉中路51号B9-B10 門面
電話番号:5425-1978
営業時間:9:00 ~ 20:00
まだ続く。
[ 18:01 ]
[ トリビアでっせ~ ]
一つ目はこちら
二つ目!はこちら
■ニュース■
今、Yahoo!動画でガンダム特集をやってますよー。
ガンダムの簡単な解説もあって、簡単にわかりやすく説明してあるんで、
よかったらどうぞ。ガンダム世界の解説はここに任せました。
ガンダムブログ、何気に好評と勝手に決め付けてるんで、
おまけにもうちょっと書いてみます。
今回は豆知識程度ですが、非常にマニアックに行きます(笑
ガンダムにはアニメや映画だけでなく、小説もあることは既に言ってありますが、
小説とテレビアニメとどこが違うのか、ちょっと比較してみませう。
●初代ガンダム
・アムロの基本設定
アニメ:アムロは民間人。父上はガンダムを設計した軍人(軍属という説もあり)
小説:アムロは軍人(士官学校の候補生)
・シャア専用MS
アニメ:シャアの最後のMSはシオング
小説:シャアの最後のMSはシャア専用リックドム
(シャア専用ゲルググとジオングは出てこない)
・ラスト
アニメ:いちおうハッピーエンド
小説:アムロがシャアの考えに共感したところで、味方によってガンダムを撃破され、死亡。
●Zガンダム
アニメと小説はほとんど変わらない。
でも、アニメじゃいやらしいキャラのパステマス・シロッコが小説ではかなり細かく描かれ、
別に変態キャラではない。
シロッコに偏見を持ってる方、「シロッコキモい」って言ってる方は小説を読め。
あと、アニメではエウーゴを裏切ってティターンズに行くレコア・ロンドは、
いつの間にかエウーゴを辞めて消息不明。
●ZZガンダム
アニメでは出てこないアムロ・レイがZZで登場。主人公のジュドーと共同戦線を組む。
ストーリーはそんなに変わらない。
●逆襲のシャア
小説には2種類あり。
1、ベルトーチカ・チルドレン:Zガンダムで出てくるアムロの彼女、ベルトーチカが主人公。
映画の『逆襲のシャア』はこちらがベース。
ここに、伝説のシャア専用MS、ナイチンゲールが出てくる。
(映画では、シャア専用MSはサザビー)
2、ハイストリーマー:上のと全く違うストーリーで、別物「逆襲のシャア」って感じ。
Zガンダムで廃人になったカミーユのその後がアムロとシャア・ブライトとの会話で出てくる。
とまあこんな感じです。
他にもF91やVガンダムの小説版がありますが、ここでは省略。
また、小説だけですが、逆襲のシャアとF91の30年の空白を埋める
「閃光のハサウェイ」という作品があります。
もちろん公式のガンダムで、初代~逆襲のシャアまで通しで出てきた名艦長、
ブライト・ノアの息子、ハサウェイが主人公です。
映像化の話もあったそうですが、ラストがかなり衝撃的なんで中止になったらしいです。
MS(モビルスーツ)に関しては、
1年戦争の時のMS、ガンダムの高さは18mで、モビルスーツの進化により
どんどんその大きさは増していき、逆襲のシャアの頃になると、22~24mのものになっていきました。
しかし、MSの大型化=推進出力にエネルギーがかかる、ということで、
省エネも兼ねてMSが小さくなり、F91の頃にはMSが小型化し、
それによってエネルギーが別のところにも使えるようになり、
ビームシールドなどの隠し兵器が生まれました。
MS、画像で見ると大きさなんてわかりませんが、設定上は逆襲のシャア→F91で7mくらい小さくなってます。
もちろん、Vガンダムの頃になるともうちょっと小さくなってます。
そして、MSの材質は何やねん!?というと、初代ガンダムの頃はチタン合金です。
そして7年後、Zガンダムの頃に、ガンダリウム合金という合金が極秘開発されたのですが、
これは、設定上ではシャアがガンダリウム合金の情報を盗み取り、
MS製造会社であるアナハイム・エレクトロニクスに渡した、ということになってます。
それを使った最初のMSは、Zガンダムに出てくるリック・ディアスで、
本当は「ガンダム」を作るはずだったのですが、
設計スタッフが元ジオン公国(初代ガンダムの敵側)のスタッフが多かったために、
外観がドムのようになってしまった、という設定です。
ちなみに、リック・ディアスの名付け親はシャアで、このMSの試作品ができた時に、
「こりゃガンダムじゃねーだろ」って言ってその場で即席でつけたということでやんす。
Zガンダムに出てくる最初のガンダム、ガンダムマークⅡはチタン合金を採用しています。
クワトロ(シャア):「ガンダムマークⅡの材質は前回のと同じという結果が出たが」
カミーユ:「父は、次のガンダムには新しい合金を使うって言っていました」
クワトロ:「マークⅡは所詮マークⅡか・・・」
(Zガンダムの一セリフより)
というセリフからもわかります。
ガンダムにはいろいろなMSが出てきますが、
名前の由来って、考えたことがあります?
実はあったりします。
ガンダム以外の主なMSの由来は以下の通り。
・ザク(初代など):足音の「ザク」「ザク」から(←これ、ホンマです)
・アプサラス(08小隊):インドの天女、アプサラスから
・ジオング(初代):「究極のジオン(公国)のMS]という意味らしい
・ジム(初代など):GM(Gundam Massproduct(ガンダム量産型))ということ。
・ボリノーク・サマーン(Zガンダム):なんと!「森の熊さん」から。
・百式(Z、ZZガンダム):100年持つように、と設計者が願いをこめて命名。
・ケンプファー(0080):ドイツ語で「闘士」という意味。
また、「ガンダム」と言う名前の由来なのですが、それは以下の通りです。
企画時当初は「フリーダムファイターガンボーイ(後にガンボイとなる)」となっていました。まぁ見れば解る通り、フリーダムの“ダム”とガンボーイの“ガン”を取ってガンダムとなったわけです。ファイターの部分は、機動戦士の“戦士”の基になっているのでしょう。ちなみに「ホワイトベース」は「フリーダムフォートレス」という名前だったそうです。結局、このころ『コンボイ』という映画があって、それに似た名前はマズイということでガンボイが変更されて「ガンダム」になりました。
そしてキャラ編トリビアですが、
ガンダム(宇宙世紀もの)は、簡単に言うと地球連邦軍とジオン軍との戦いって言っていいんですが、(F91以降は違います)
地球連邦軍は、地球生まれのエリート軍団って言ってもよく、
「名門」と言われる人たちはみんな「日系」なんです。
初代に出てきて、目立たないキャラながらお袋キャラで男性に人気がある
ミライ・ヤシマという女性キャラがいます。
彼女の設定は地球連邦軍の名門、ヤシマ家のお嬢様という設定で、
お嬢さんながら戦争という悲劇を乗り越えていく、しっかりとしたお嬢さんです。
アムロも設定は日系で、初代でお母さんと出会った難民キャンプは、
設定上は日本です。
数々のとんでもキャラを名裁き(!?)で操る艦長、ブライト・ノアも設定上は日系だし、
Zガンダム最強の萌えキャラと言われるエマ・シーンも日系です。
(彼女の場合、トルコ系という設定もあるらしいんで、どっちがホンマか知りません)
0083の主人公、コウ・ウラキや08小隊の主人公、シロー・アマダは、名前からしてそのまんま日系ですねー。
漢字で書いたら、「浦木功」「天田四郎」って感じかな。
対して、ジオンの方は欧米系が多く、日系はプラモデル上だけの設定のシン・マツナガ(白い狼というニックネームを持つ)だけです。
ガンダムは、意外に「アジアvs欧米」の対決かもしれませんねー。
さあ、これでどうだ!
二つ目!はこちら
■ニュース■
今、Yahoo!動画でガンダム特集をやってますよー。
ガンダムの簡単な解説もあって、簡単にわかりやすく説明してあるんで、
よかったらどうぞ。ガンダム世界の解説はここに任せました。
ガンダムブログ、何気に好評と勝手に決め付けてるんで、
おまけにもうちょっと書いてみます。
今回は豆知識程度ですが、非常にマニアックに行きます(笑
ガンダムにはアニメや映画だけでなく、小説もあることは既に言ってありますが、
小説とテレビアニメとどこが違うのか、ちょっと比較してみませう。
●初代ガンダム
・アムロの基本設定
アニメ:アムロは民間人。父上はガンダムを設計した軍人(軍属という説もあり)
小説:アムロは軍人(士官学校の候補生)
・シャア専用MS
アニメ:シャアの最後のMSはシオング
小説:シャアの最後のMSはシャア専用リックドム
(シャア専用ゲルググとジオングは出てこない)
・ラスト
アニメ:いちおうハッピーエンド
小説:アムロがシャアの考えに共感したところで、味方によってガンダムを撃破され、死亡。
●Zガンダム
アニメと小説はほとんど変わらない。
でも、アニメじゃいやらしいキャラのパステマス・シロッコが小説ではかなり細かく描かれ、
別に変態キャラではない。
シロッコに偏見を持ってる方、「シロッコキモい」って言ってる方は小説を読め。
あと、アニメではエウーゴを裏切ってティターンズに行くレコア・ロンドは、
いつの間にかエウーゴを辞めて消息不明。
●ZZガンダム
アニメでは出てこないアムロ・レイがZZで登場。主人公のジュドーと共同戦線を組む。
ストーリーはそんなに変わらない。
●逆襲のシャア
小説には2種類あり。
1、ベルトーチカ・チルドレン:Zガンダムで出てくるアムロの彼女、ベルトーチカが主人公。
映画の『逆襲のシャア』はこちらがベース。
ここに、伝説のシャア専用MS、ナイチンゲールが出てくる。
(映画では、シャア専用MSはサザビー)
2、ハイストリーマー:上のと全く違うストーリーで、別物「逆襲のシャア」って感じ。
Zガンダムで廃人になったカミーユのその後がアムロとシャア・ブライトとの会話で出てくる。
とまあこんな感じです。
他にもF91やVガンダムの小説版がありますが、ここでは省略。
また、小説だけですが、逆襲のシャアとF91の30年の空白を埋める
「閃光のハサウェイ」という作品があります。
もちろん公式のガンダムで、初代~逆襲のシャアまで通しで出てきた名艦長、
ブライト・ノアの息子、ハサウェイが主人公です。
映像化の話もあったそうですが、ラストがかなり衝撃的なんで中止になったらしいです。
MS(モビルスーツ)に関しては、
1年戦争の時のMS、ガンダムの高さは18mで、モビルスーツの進化により
どんどんその大きさは増していき、逆襲のシャアの頃になると、22~24mのものになっていきました。
しかし、MSの大型化=推進出力にエネルギーがかかる、ということで、
省エネも兼ねてMSが小さくなり、F91の頃にはMSが小型化し、
それによってエネルギーが別のところにも使えるようになり、
ビームシールドなどの隠し兵器が生まれました。
MS、画像で見ると大きさなんてわかりませんが、設定上は逆襲のシャア→F91で7mくらい小さくなってます。
もちろん、Vガンダムの頃になるともうちょっと小さくなってます。
そして、MSの材質は何やねん!?というと、初代ガンダムの頃はチタン合金です。
そして7年後、Zガンダムの頃に、ガンダリウム合金という合金が極秘開発されたのですが、
これは、設定上ではシャアがガンダリウム合金の情報を盗み取り、
MS製造会社であるアナハイム・エレクトロニクスに渡した、ということになってます。
それを使った最初のMSは、Zガンダムに出てくるリック・ディアスで、
本当は「ガンダム」を作るはずだったのですが、
設計スタッフが元ジオン公国(初代ガンダムの敵側)のスタッフが多かったために、
外観がドムのようになってしまった、という設定です。
ちなみに、リック・ディアスの名付け親はシャアで、このMSの試作品ができた時に、
「こりゃガンダムじゃねーだろ」って言ってその場で即席でつけたということでやんす。
Zガンダムに出てくる最初のガンダム、ガンダムマークⅡはチタン合金を採用しています。
クワトロ(シャア):「ガンダムマークⅡの材質は前回のと同じという結果が出たが」
カミーユ:「父は、次のガンダムには新しい合金を使うって言っていました」
クワトロ:「マークⅡは所詮マークⅡか・・・」
(Zガンダムの一セリフより)
というセリフからもわかります。
ガンダムにはいろいろなMSが出てきますが、
名前の由来って、考えたことがあります?
実はあったりします。
ガンダム以外の主なMSの由来は以下の通り。
・ザク(初代など):足音の「ザク」「ザク」から(←これ、ホンマです)
・アプサラス(08小隊):インドの天女、アプサラスから
・ジオング(初代):「究極のジオン(公国)のMS]という意味らしい
・ジム(初代など):GM(Gundam Massproduct(ガンダム量産型))ということ。
・ボリノーク・サマーン(Zガンダム):なんと!「森の熊さん」から。
・百式(Z、ZZガンダム):100年持つように、と設計者が願いをこめて命名。
・ケンプファー(0080):ドイツ語で「闘士」という意味。
また、「ガンダム」と言う名前の由来なのですが、それは以下の通りです。
企画時当初は「フリーダムファイターガンボーイ(後にガンボイとなる)」となっていました。まぁ見れば解る通り、フリーダムの“ダム”とガンボーイの“ガン”を取ってガンダムとなったわけです。ファイターの部分は、機動戦士の“戦士”の基になっているのでしょう。ちなみに「ホワイトベース」は「フリーダムフォートレス」という名前だったそうです。結局、このころ『コンボイ』という映画があって、それに似た名前はマズイということでガンボイが変更されて「ガンダム」になりました。
そしてキャラ編トリビアですが、
ガンダム(宇宙世紀もの)は、簡単に言うと地球連邦軍とジオン軍との戦いって言っていいんですが、(F91以降は違います)
地球連邦軍は、地球生まれのエリート軍団って言ってもよく、
「名門」と言われる人たちはみんな「日系」なんです。
初代に出てきて、目立たないキャラながらお袋キャラで男性に人気がある
ミライ・ヤシマという女性キャラがいます。
彼女の設定は地球連邦軍の名門、ヤシマ家のお嬢様という設定で、
お嬢さんながら戦争という悲劇を乗り越えていく、しっかりとしたお嬢さんです。
アムロも設定は日系で、初代でお母さんと出会った難民キャンプは、
設定上は日本です。
数々のとんでもキャラを名裁き(!?)で操る艦長、ブライト・ノアも設定上は日系だし、
Zガンダム最強の萌えキャラと言われるエマ・シーンも日系です。
(彼女の場合、トルコ系という設定もあるらしいんで、どっちがホンマか知りません)
0083の主人公、コウ・ウラキや08小隊の主人公、シロー・アマダは、名前からしてそのまんま日系ですねー。
漢字で書いたら、「浦木功」「天田四郎」って感じかな。
対して、ジオンの方は欧米系が多く、日系はプラモデル上だけの設定のシン・マツナガ(白い狼というニックネームを持つ)だけです。
ガンダムは、意外に「アジアvs欧米」の対決かもしれませんねー。
さあ、これでどうだ!
[ 16:21 ]
[ 異国でつぶやきまっせ~ ]
クリスマスも過ぎ、あとは年越しを残すのみになりました。
年末と言えば大掃除!
日本じゃ正月休みでやるもんですが、こっちは新暦の正月休みは1月1日だけなんで、
来週の週末はもう正月、この週末で大掃除をすることになりました。
今日の上海はどうせ
やし、絶好の部屋掃除日和です。
しかし、よーーく見ると、俺の部屋、
メチャクチャきちゃない!!!!!!!!
別に食べ残しが散らばってるってわけじゃないんですが、
せっかくの2LDKマンションが、足の踏み場がないくらいすごいです。
潔癖症の人は絶対に俺の部屋には入れません、というか潔癖症の方は入場をお断りしております(笑
これじゃ、女の子も連れ込めません。
まあ、一言で言うと、典型的な「男の部屋!」って感じですね。
ホンマは画像に残したかったんですが、こんな「すごい」部屋を撮るのは恥やし、
それ以前に、まああと半月もしたら元に戻るでしょ、と考えてやめにしました(笑
まずはゴミ捨てから開始。
モノを買った時の抜け殻であるダンボール箱から、スーパーで買い物をした時に発生したビニール袋、
クーリエ便で送られてくる新聞や雑誌、果ては出張の時にホテルからパクって・・・
いやいや、拝借せさていただいた石鹸やシャンプーまで、
捨てたり整理するものが、ごまんと
「発掘」
されました。
もうどこからともなく出てくる出てくる!
新聞なんか3か月分は出てきたと思います。
マンションの規定で、新聞や雑誌などは1階まで下りて捨てないとダメなんですが、
(ふつうのゴミは各階にダストボックスがあります)
あまりに1階と1○階を往復して、俺も憔悴しきった顔をしてたんで、
入口を警備してる保安(警備員)が、
「もう1x階のダストボックスの横に置いておけ」
と言ってくれました。
できればそう願ってたんですが、保安の許可をもらいました。ラッキ~~♪
「こんなとこに置くな!」怒られたら保安のせいにしよ(笑
で、片付けた部屋、といっても生活の場で使ってるリビングだけなんですが、
「こんなに広かったっけな?」
というくらいすごい広々としてしまいました。
第二段階は部屋に掃除機をかけるんですが、
掃除機をかけると、それはすごい音を立てて勢いよくゴミを吸い取ってくれてます。
知らない間に、すごいゴミが床にたまってたんですなー。
お次はフローリングの雑巾がけ。
雑巾用の安いタオルはもう購入済みなんで、とりあえずリビングの床を拭いてみる。
すると・・・
『雑巾が二拭きくらいで真っ黒になってしまいました!』
おいおい、こんなに汚れてたんかよ・・・。
さすがの俺も、ちょっとこれにはしばし絶句・・・_| ̄|○
ついでにトイレも掃除してみる。ここもかなりきちゃない!
またまた絶句・・・_| ̄|○
よ~~し、ここまできたら徹底的に掃除してやる!と一人で意地になって、
ピカピカにしてやりました。
もがくこと3時間半くらい、一通り人並みに掃除完了!
でもリビングだけね(笑
生活の90%はリビングだけで、他は寝室+寝室2(物置)だけなんで、
ドアを閉めたら誰にもわかりません・・・ってそんなレベルやないか。
続く。
年末と言えば大掃除!
日本じゃ正月休みでやるもんですが、こっちは新暦の正月休みは1月1日だけなんで、
来週の週末はもう正月、この週末で大掃除をすることになりました。
今日の上海はどうせ
やし、絶好の部屋掃除日和です。しかし、よーーく見ると、俺の部屋、
メチャクチャきちゃない!!!!!!!!
別に食べ残しが散らばってるってわけじゃないんですが、
せっかくの2LDKマンションが、足の踏み場がないくらいすごいです。
潔癖症の人は絶対に俺の部屋には入れません、というか潔癖症の方は入場をお断りしております(笑
これじゃ、女の子も連れ込めません。
まあ、一言で言うと、典型的な「男の部屋!」って感じですね。
ホンマは画像に残したかったんですが、こんな「すごい」部屋を撮るのは恥やし、
それ以前に、まああと半月もしたら元に戻るでしょ、と考えてやめにしました(笑
まずはゴミ捨てから開始。
モノを買った時の抜け殻であるダンボール箱から、スーパーで買い物をした時に発生したビニール袋、
クーリエ便で送られてくる新聞や雑誌、果ては出張の時にホテルからパクって・・・
いやいや、拝借せさていただいた石鹸やシャンプーまで、
捨てたり整理するものが、ごまんと
「発掘」
されました。
もうどこからともなく出てくる出てくる!
新聞なんか3か月分は出てきたと思います。
マンションの規定で、新聞や雑誌などは1階まで下りて捨てないとダメなんですが、
(ふつうのゴミは各階にダストボックスがあります)
あまりに1階と1○階を往復して、俺も憔悴しきった顔をしてたんで、
入口を警備してる保安(警備員)が、
「もう1x階のダストボックスの横に置いておけ」
と言ってくれました。
できればそう願ってたんですが、保安の許可をもらいました。ラッキ~~♪
「こんなとこに置くな!」怒られたら保安のせいにしよ(笑
で、片付けた部屋、といっても生活の場で使ってるリビングだけなんですが、
「こんなに広かったっけな?」
というくらいすごい広々としてしまいました。
第二段階は部屋に掃除機をかけるんですが、
掃除機をかけると、それはすごい音を立てて勢いよくゴミを吸い取ってくれてます。
知らない間に、すごいゴミが床にたまってたんですなー。
お次はフローリングの雑巾がけ。
雑巾用の安いタオルはもう購入済みなんで、とりあえずリビングの床を拭いてみる。
すると・・・
『雑巾が二拭きくらいで真っ黒になってしまいました!』
おいおい、こんなに汚れてたんかよ・・・。
さすがの俺も、ちょっとこれにはしばし絶句・・・_| ̄|○
ついでにトイレも掃除してみる。ここもかなりきちゃない!
またまた絶句・・・_| ̄|○
よ~~し、ここまできたら徹底的に掃除してやる!と一人で意地になって、
ピカピカにしてやりました。
もがくこと3時間半くらい、一通り人並みに掃除完了!
でもリビングだけね(笑
生活の90%はリビングだけで、他は寝室+寝室2(物置)だけなんで、
ドアを閉めたら誰にもわかりません・・・ってそんなレベルやないか。
続く。
[ 16:08 ]
[ 異国でつぶやきまっせ~ ]
中国じゃ、パソコンはかなり安くはなったものの、まだ高嶺の花です。
国産ので3000元くらいのものもないことはないんですが、
性能はかなり悪く、案の定すぐ潰れるみたいです。
ノートパソコンはもちろんもっと高く、日本のメーカーものになると、
日本より高いのが相場です。
チャットをしていると、よく「中国は物価が安いから中国でパソコンを買いたい」
と言う人が来ます。それも、どっからか噂が出回ってるのか、
最近こんな質問が急増しているんですよね~。
結論:パソコンは日本の方が安くて性能がいいので、日本で買いませう。
俺も、2年前ですがパソコンを買うだけに帰国したことがあります。
今考えたらすごいスケジュールですが、海外在住の皆さん、ご参考に・・・ならへんか。
・香港空港深夜3時発の飛行機で関空へ
・7:10に関空着
・そのまま大阪のヨドバ○カ○ラに直行、パソコン購入。
・自宅に帰り、パソコンのセッティング。
・夜の飛行機で香港へ戻る。
また、中国人の知り合いみたいに、常に価格.comをチェックして、
目新しいものが出たら日本からの出張者に買ってきてもらう、
というきっちりした人までいます。
で、普段中国人はどこでネットしてるのかというと、
やっぱり「ネットカフェ」だそうな。
最近の中国の街角を歩くと、よく「网ロ巴」という看板を見かけることが多いと思います。
それが「ネットカフェ」で、中国語で「网ロ巴(わんばー)」と言います。
「网ロ巴」は、家の一角を借りた昔の街角ゲーセンのようなものから、
日本の郊外の漫画喫茶のようなデカいものまで様々。
値段も場所や規模などによって違いますが、
1時間3~10元とちょっと幅があります。
俺が行ったことがある最低価格は2元/hなんですが、
日本語が打てたりして外国人が集まるようなところは、やっぱり5~10元くらいはします。
どちらにしても、中に入ると夜はすごい熱気に包まれています。
デカいところでも満席になっていることは珍しくありません。
で、パソコンをいろいろ覗いてみると、ネットゲームとチャットが半分ずつくらい。
最近、昔はこれでもかってほどあったゲーセンがどんどん姿を消してるんですが、
恐らくネットカフェでゲームをした方が安上がりなんでしょうな。
中国でもチャットでコミュニケーションを取るという人が増えてきており、
チャット仲間で集まってオフ会のようなものもしているそうですが、
それに関する犯罪も多発しています。
面白い事件では、チャットの常連同士で恋をし、いざ会ってみたら、
なんとその恋愛対象は父と娘だった!という、嘘のような本当の話がありました。
しかし、これはギャグ漫画でありそうなすごいオチですな。
あと、チャットで出会って、女に「会いましょ♪」って言われ、
ノコノコ尻尾振りながら出かけると、そこには女は確かにいるが、男も数人・・・。
結局男にインネンつけられてボコボコにされて、金をむしり取られる、とまあ、
男のスケベ心理(!?)を突いた犯罪も多くなってます。
日本でもこういうのは気をつけないとダメですが、中国じゃもっと注意です。
中国はいったん逃げられるとなかなか見つけにくいですから、ホンマに。
国産ので3000元くらいのものもないことはないんですが、
性能はかなり悪く、案の定すぐ潰れるみたいです。
ノートパソコンはもちろんもっと高く、日本のメーカーものになると、
日本より高いのが相場です。
チャットをしていると、よく「中国は物価が安いから中国でパソコンを買いたい」
と言う人が来ます。それも、どっからか噂が出回ってるのか、
最近こんな質問が急増しているんですよね~。
結論:パソコンは日本の方が安くて性能がいいので、日本で買いませう。
俺も、2年前ですがパソコンを買うだけに帰国したことがあります。
今考えたらすごいスケジュールですが、海外在住の皆さん、ご参考に・・・ならへんか。
・香港空港深夜3時発の飛行機で関空へ
・7:10に関空着
・そのまま大阪のヨドバ○カ○ラに直行、パソコン購入。
・自宅に帰り、パソコンのセッティング。
・夜の飛行機で香港へ戻る。
また、中国人の知り合いみたいに、常に価格.comをチェックして、
目新しいものが出たら日本からの出張者に買ってきてもらう、
というきっちりした人までいます。
で、普段中国人はどこでネットしてるのかというと、
やっぱり「ネットカフェ」だそうな。
最近の中国の街角を歩くと、よく「网ロ巴」という看板を見かけることが多いと思います。
それが「ネットカフェ」で、中国語で「网ロ巴(わんばー)」と言います。
「网ロ巴」は、家の一角を借りた昔の街角ゲーセンのようなものから、
日本の郊外の漫画喫茶のようなデカいものまで様々。
値段も場所や規模などによって違いますが、
1時間3~10元とちょっと幅があります。
俺が行ったことがある最低価格は2元/hなんですが、
日本語が打てたりして外国人が集まるようなところは、やっぱり5~10元くらいはします。
どちらにしても、中に入ると夜はすごい熱気に包まれています。
デカいところでも満席になっていることは珍しくありません。
で、パソコンをいろいろ覗いてみると、ネットゲームとチャットが半分ずつくらい。
最近、昔はこれでもかってほどあったゲーセンがどんどん姿を消してるんですが、
恐らくネットカフェでゲームをした方が安上がりなんでしょうな。
中国でもチャットでコミュニケーションを取るという人が増えてきており、
チャット仲間で集まってオフ会のようなものもしているそうですが、
それに関する犯罪も多発しています。
面白い事件では、チャットの常連同士で恋をし、いざ会ってみたら、
なんとその恋愛対象は父と娘だった!という、嘘のような本当の話がありました。
しかし、これはギャグ漫画でありそうなすごいオチですな。
あと、チャットで出会って、女に「会いましょ♪」って言われ、
ノコノコ尻尾振りながら出かけると、そこには女は確かにいるが、男も数人・・・。
結局男にインネンつけられてボコボコにされて、金をむしり取られる、とまあ、
男のスケベ心理(!?)を突いた犯罪も多くなってます。
日本でもこういうのは気をつけないとダメですが、中国じゃもっと注意です。
中国はいったん逃げられるとなかなか見つけにくいですから、ホンマに。
[ 12:51 ]
[ 異国でつぶやきまっせ~ ]
[ 10:39 ]
[ トリビアでっせ~ ]
クリスマスにまつわるトリビアを。
クリスマスと言えばサンタクロース。
サンタクロースってなんじゃい!?というと、
諸説ありはっきりしません。
どうやら、サンタの出元は聖ニコラスという司教だそうな。
で、本題。
「サンタはなんで赤い服を着てるの?」
ということなんですが、この出元は「コカ・コーラからなんです。
1931年、ハッドン・サンドブロムは、それまでの小妖精的なサンタクロースとは異なる人間味のある人物像を創り出し、その後の新聞や雑誌のコカ・コーラ社の広告には全てこのサンタが使われるようになりました。
サンドブロムのサンタは1931年のサタデー・イブニング・ポスト誌で登場してから1964年まで毎年クリスマスシーズンに登場していて、以後サンタといえばこのイメージが流布するようになったようです。
(文章の引用は、コカコーラの公式サイトより)
気づいてないうちに、コカ・コーラの影響はこんなとこに来てるんですねー。
でも、サンタ=赤い服の起源は別の説もあります。
聖ニコラスが今日のサンタクロースのような赤い頭巾のついた外套を着て、白い髭をはやし、丸々と太った老人の姿になったのは、19世紀のドイツの画家モーリツ・シュヴィントが描いたのが始まりだとも言われています。
画像はありませんが、確かに「赤い服・老人・ヒゲ」という絵があるようです。
しかし、広くは伝わらず忘れられてしまった、と言うのが定説のようです。
本もそうですが、広告の効果ってのは当たるとすごいものですね。
ちなみに、アメリカやイギリスでは「サンタクロース」、
ドイツやオーストリアでは「サンクト・ニコラス」、オランダでは「ジンテル・クラース」と呼んでいる。
中国語では「聖誕老人」でございます。
クリスマスと言えばサンタクロース。
サンタクロースってなんじゃい!?というと、
諸説ありはっきりしません。
どうやら、サンタの出元は聖ニコラスという司教だそうな。
で、本題。
「サンタはなんで赤い服を着てるの?」
ということなんですが、この出元は「コカ・コーラからなんです。
1931年、ハッドン・サンドブロムは、それまでの小妖精的なサンタクロースとは異なる人間味のある人物像を創り出し、その後の新聞や雑誌のコカ・コーラ社の広告には全てこのサンタが使われるようになりました。
サンドブロムのサンタは1931年のサタデー・イブニング・ポスト誌で登場してから1964年まで毎年クリスマスシーズンに登場していて、以後サンタといえばこのイメージが流布するようになったようです。
(文章の引用は、コカコーラの公式サイトより)
気づいてないうちに、コカ・コーラの影響はこんなとこに来てるんですねー。
でも、サンタ=赤い服の起源は別の説もあります。
聖ニコラスが今日のサンタクロースのような赤い頭巾のついた外套を着て、白い髭をはやし、丸々と太った老人の姿になったのは、19世紀のドイツの画家モーリツ・シュヴィントが描いたのが始まりだとも言われています。
画像はありませんが、確かに「赤い服・老人・ヒゲ」という絵があるようです。
しかし、広くは伝わらず忘れられてしまった、と言うのが定説のようです。
本もそうですが、広告の効果ってのは当たるとすごいものですね。
ちなみに、アメリカやイギリスでは「サンタクロース」、
ドイツやオーストリアでは「サンクト・ニコラス」、オランダでは「ジンテル・クラース」と呼んでいる。
中国語では「聖誕老人」でございます。
[ 01:46 ]
[ 中国的風景@中国写真館 ]
2004/12/25のBlog
[ 21:41 ]
[ ちょっと一息、何でもチェック ]