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PRAYERS'pharmacy BLOG
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2006/08/27のBlog
[ 15:20 ] [ ┣ JEF UNITED ]
海野の突破からコーナーを得て、セカンドを将吾が拾って繋いで最後はじゅんじゅんのヘッド! デカイことはいいことだー。
[ 14:56 ] [ ┣ JEF UNITED ]
スコアレスです。
守備が安定していて、ヤバイ場面はカウンター一度くらい。七三でうちが押してるけれど、相手もゴール前で人数かけてよく守ってる。

後半FWの奮起に期待。
とりあえずここまでは将吾は相変わらず前への意識が高くて良い。
トンスはボールのおさまりが悪く出向組としては行ってるにしては少し物足りないかな。
[ 13:55 ] [ ┣ JEF UNITED ]
ジェフクラの応援です。
いくぞ、天皇杯!(^O^)/
2006/08/26のBlog
[ 17:34 ] [ ┣ JEF UNITED ]
ジェフユナイテッド市原・千葉
[GK]
1 立石智紀
[DF]
3 斎藤大輔
5 ストヤノフ
4 水本裕貴
[MF]
2 坂本將貴
6 阿部勇樹
15 中島浩司
22 羽生直剛
9 クルプニコビッチ
[FW]
10 ハース
18 巻誠一郎

[SUB]
30 岡本昌弘
24 結城耕造
16 山岸智
20 工藤浩平
23 楽山孝志
11 要田勇一
27 熊谷智哉



またまたクマ━━( ・(ェ)・)━━!!! 頑張れ、今日こそデビュー!

水野と勇人はやはり間に合わず。クルプニが復帰したけどサトルが外れるのは意外だなあ。羽生が右サイドやるってことか…?
以下は素材屋さんや壁紙屋さんの力を借りました^^;
1~3のエントリに張ってある写真については、自分で撮影したものを使ってます。
我が愛車のミニ。
カラーリングもグレードも違うんですけどね。ドイツかオランダのMINIオフィシャルサイトからだったかな? いい写真だったので拝借。
鏡に映る自分を見るワンコ。
毛むくじゃらワンコ。
おまけのおまけ。「ゲッチュー!」(死語)という感じの二足歩行ワンコ。
2005年、皐月賞。ディープインパクト第一冠。
2004年、ラリージャパン。
スーパーSSを疾走する、アイスクール・セブのシトロエンクサラWRC。
2005年、有馬記念。夜明けの中山競馬場。
放牧先で再会。クロフネ。
目の中の輝きがキレイに写っていて(自画自賛)結構お気に入り。
2005年ナビスコカップ優勝1。
優勝の瞬間の歓喜。もう一度味わいたいけど、何度優勝してもこの時ほどの喜びは得られないかも知れないな。
2005年ナビスコカップ優勝2。
ゴール裏と一緒に記念撮影のシーンを背後から。レギュラーメンバーはほとんど前列に座っているから写ってないけど^^;
ジェフユナイテッドロゴ入りサッカーボール。
姉崎の練習見に行った時、ボールが撮ってくれって。
2006年最初(だったかな?)の円陣ダッシュ。
2006年、A3決勝の霞ヶ丘。
2年近く「連敗」を体験しなかったジェフユナイテッド。ホームフクアリでのFC東京戦、そしてアウェーヤマハでの磐田戦。この中二日の2連戦2連敗はチームにとてつもないダメージを与えた。
1ヶ月前。イビチャ・オシムがチームを離れたこと、それはジェフというチームにかつてないインパクトを与えた大事件であったが、すぐさまチームはオシムの教えのままに前向きになり、リーグにA3に邁進した。…ように見えた。
そこには表面化しない数々の齟齬があった。痛みがあった。我慢があった。それらは積み重なっていつしか大きなストレスにとなり、さらにW杯後の連戦が重なった。イビチャ・オシムがチームを離れたことで生まれた選手の「俺たちがやるんだ」というポジティブな自立心は、いつしか「やらなきゃいけない」というネガティブなプレッシャーへと変化した。ストレスは疲労を呼び、その心身の疲労は人とボールの枷となった。また怪我人が続いたこともあって、連動性に満ちたジェフのサッカーは、その見る影を無くしていった。

サポーターの暴挙がさらに追い打ちを掛ける。
FC東京戦後の楽山のゴール裏への呼び出し。愚行としか言いようがない阿部への横断幕掲示。サポーターは迷走し、チームもまた同様だった。

『8・23ヤマハスタジアムの屈辱』。
号泣する羽生の姿は、思うようにいかない不甲斐なさ、悔しさ、チームメイトへの思いやり、理解されない孤独、様々なものが込められていたように思う。水本も涙し、阿部もそうだったと聞く。ゴール裏もまた、多くのサポーターが涙にくれた。決してもらい泣きではなかった。サポーターもまた、思うに任せない応援に悔しさと不甲斐なさを感じたのだろう。

チームは磐田から千葉に戻らなかった。これは異例のことだ。選手自ら九州への直接移動を申し入れ、熊本でのミニキャンプへと突入した。「何かを変えなければ」。選手が自ら考え、素早いリアクションを起こした。3連敗は絶対にしてはならない。また、アマル体制移行後、結果が出ても内容が伴わなかったり、内容も結果も良くない試合が続いていることに選手たちも思うところがあったということだろう。

あの涙を無駄にしてはいけない。絶対に。
『8・23』。その日を決して忘れない。その日からジェフが変わっていく。そう振り返るためにも、この福岡戦、絶対に勝たなければいけない。その覚悟が、選手の気持ちに火を付けるだろう。否、既に燃え上がらせているに違いない。

サポも同様だ。あの涙を無駄にしてはいけない。絶対に。
くだんの横断幕が阿部を始め選手に与えた衝撃は、想像以上に大きい。サポーターと選手の気持ちがチグハグでは、決して勝利など出来やしない。選手とサポが、言ってしまえばビジネスライクな、気持ちが通じ合わない冷淡な関係になるようなことほど悲しいことはない。あの失態を取り返すために、選手の信頼を再び得るために。共に戦う仲間と認めて貰うために。サポーターもまた、この福岡戦は正念場だ。

後がない。
上記のように、リーグ戦での連敗がもたらした衝撃はチームを大きく揺さぶった。大きな修正を施しにくい連戦の最中である、ここで瓦解するわけには決していかない。3連敗は許されない、立て直していかなければならないのだ。
ジェフらしいサッカーが出来ていない。ボールが上手く回らない。1タッチ2タッチ多い。人数が足りない。2列目以降の飛び出しが少ない…。選手自ら、そのような言葉を口にする。ダイレクトプレーや流動性、圧倒的な運動量。ジェフの持ち味は諸刃の刃、微妙なバランスの上に成立していたことを改めて思い知る。

簡単にボールを叩いて、前に出る。
言うのは容易だが、それには大きな勇気が要る。自分のマークの相手を捨て、スペースを捨てて前に出る。それは目を瞑って前に踏み出すのに似た恐怖を伴う行為だ。試して欲しい。自分の通勤通学路で。あるいは自分の家の廊下で。よく知っていると思う場所であっても、目を瞑って10歩歩くことがどれほど恐ろしいか。やってみればすぐに分かるはずだ。

今のジェフは、その「恐怖」を克服することが必要だ。連戦の疲労とかは言い訳には出来ない。ジェフがこのスタイルを選んだ時から、それはいわば宿命的に付いてくるものだ。出来るだけ無駄な背走を廃して、スタミナを温存する。全力疾走は、攻撃の場面で。そして攻撃したならば、しっかりと攻めきること。まずはそこから徹底していきたい。

そして、何より、彼らに勇気をもたらすのはサポーターの声援だと言うこと。叫べ、声を涸らせ。何も恐れることはないんだ、と。失敗したっていい、負けたっていい。勇気を持って足を踏み出してさえくれれば。選手全員の力が必要だ。「いらない」なんて、口が裂けても言えない。今必要なのは、「お前たちなら、絶対出来る」「信じてる!」そう叫ぶことだ。

自分たちらしいサッカーで。ジェフのスタイルで。
それで勝利を掴めれば、齟齬や痛みや我慢や不満や不安、それらストレスもきっと消し飛んでいく。またポジティブに上を見てサッカーが出来るはずだ。

それは決して「失われてしまった」わけではない。ただちょっとだけ「見えなくなっている」だけだ。間違いなく、選手の心に、身体に、ジェフのサッカーは染み付いている。何かの切っ掛けがあれば、井戸に水が湧き出るように自ずとジェフらしいサッカーがフィールドに満ちるはず。やれる、はずだ。


福岡は川勝体制移行後、未だ勝ち星がない。ここ2試合は併せて10失点という(ウチが言うのも何だが)どうしようもない泥沼に陥っている。春にフクアリで見せてくれた質の高い守備と昇格組の勢いを追い風にした迫力ある攻撃は既に霧消した。川勝自身、サポから松田前監督の遺産を食い潰した戦犯のような扱いを受けつつあり、C大阪がすぐ後ろに迫っていることもあって、ジェフ同様に後がない。

今の福岡の持ち味は攻撃だ。3節前、ビッグスワンで戦った新潟のように、前に前に出てくるだろう。ジェフとしては、まずその突貫をいなすことが大事だ。結果を求めてくる福岡は、気持ちが入っている。決して油断は出来ない。新潟に苦戦し、FC東京に苦戦したように、走り勝つ気概のあるチームはジェフにとって最大の敵となる。同じ轍は踏まぬことだ。
相手も気持ちが入っているが故に、しっかりと相手の気持ちを削ぐような戦い方、あるいはボールの動かし方が出来れば後半脚を止めさせることも出来るだろう。新潟戦のように賢く戦うことが重要だ。そして、恐怖に捕らわれないこと。相手の出足に恐怖を覚えれば、こちらの出足が凍り付く。勇気を持って前に出ることだ。

*

福岡には残念だけれど、行けない。本当に申し訳なく思う。魂を届けたい。そして、30日の凱旋をフクアリで待ちわびる。結果が欲しい。でも、結果より選手もサポーターも笑顔で帰ってこられるようなサッカーをしてくれれば、それでいい。それがいい。もちろん結果もついてきてくれれば最高だけれど。

*

全然、プレビューになってないや。すごく気持ちが乱れてるって自分でも分かるな。それはそれで日記らしいんでこのままエントリします…。
2006/08/25のBlog
『決定的瞬間』で世に知られる、アンリ・カルティエ=ブレッソン。僕は写真について決して造詣が深いわけではないけれど、ひとりの表現者として、カルティエ=ブレッソンを心から尊敬している。
その写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンへのインタビューを中心に、彼の友人、彼の信奉者、彼の被写体、それぞれの人にカルティエ=ブレッソンとカルティエ=ブレッソンの作品を語って貰い、ドキュメンタリー映画としてまとめることで、カルティエ=ブレッソンそのものを描き出すことに成功している。写真に興味が無くても(あるならば余計に!)、あるいはカルティエ=ブレッソンを全く知らなくても、彼の撮る作品と彼自身の人間的魅力にきっと大きなカタルシスを得ることが出来るはずだ。スペクタクルがあるわけでは決してないけれど、そこに込められた示唆、諧謔、皮肉、教訓は、決して観客を飽きさせない。ドキュメンタリーの枠に留まらない、上質な映画を観させてくれた満足感を得ることが出来るはずだ。

カルティエ=ブレッソンは「写真のために生きるなんてことはない。自分が生きてきた結果、写真が残るのだ」と語る。その言葉をなぞるかのように、カルティエ=ブレッソンの個人にカメラを向けながら、決して彼に彼自身の昔語りはさせない。ただ、作品と、その作品に対するカルティエ=ブレッソンの思いや感想を丁寧に拾って、それをひとつひとつ積み重ねていく。彼の言葉を証明するかのように、その作品たちは他の何よりも雄弁にその生き方、生き様を語ってくれる。

ソビエトでついシャッターを切ったら、軍事機密が写り込んでしまって危うく逮捕されそうになったこと。周囲が黒人だらけのハーレムに何ヶ月も住み込み、暴力と差別と貧困を目の当たりにしたこと。メキシコのトンカチの昼とセックスの夜。どこか諧謔に満ちた語り口とその写真。
ガンジーを撮影する前日、自分の写真集を前に語り合ったこと。ガンジーはひとつの写真(クローデルのポートレイト)を指して「死…、死…、死…。」と呟いて、その数分後に暗殺されたこと。ベルリンの壁とドイツ。日本、市川団十郎の葬儀。コートジヴォアールの喧噪。共産化前夜の中国…。様々な政変、歴史的事件に立ち会ったこととその写真。
燃え立つような気迫でタクトを振るうレナード・バーンスタイン、若き日の物憂げなトルーマン・カポーティ、沈思のマリリン・モンロー。"ポートレイトの神様"と称えられるに相応しい、歴史的著名人たちとの邂逅と、その人間としての本質を浮き上がらせるそれらの写真。

インタビューを受けたある写真家は言う。「カルティエ=ブレッソンの写真は、ひとつの写真が無数の物語を持つのだ」と。「観る人によって全く違う物語がそこには描かれているのだ」と。
またある写真家は言う。「白昼夢のような写真。(馬車が写っている写真を指して)この馬車がどこに向かうかは定かではない。馬車は馬車だ。しかし、この道の果ては私たちの心の中や夢に繋がっているのだ」と。
カルティエ=ブレッソンの被写体となった女優は言う。「カルティエ=ブレッソンの写真は舞台に似ている。そこに決まった脚本があるとしても、そこに盛り込まれた即興・アドリブ、それによって生まれた空気は決してひとつとして同じじゃない。観客が感じるものもそう」。

*

僕は常々、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真はサミュエル・ベケットの戯曲のようだと感じていた(余談だが、作品中で、カルティエ=ブレッソンが撮ったベケットのポートレイトがあったのは、僕にとっては非常に運命的に感じられた)。ベケットは説明するまでもなく『ゴドーを待ちながら』で知られる、演劇人にとっては神に等しい大戯曲作家だが、彼のその戯曲は、「何を待っているのか。ゴドーは何者なのか」を明らかにせず、そこに観客自らが「待っているもの」を重ねることによって、観客の人生そのものと連結した芝居空間を創出することに成功した傑作である。僕は初めてカルティエ=ブレッソンの作品に触れたのは、螺旋階段の上から自転車が通り過ぎるのを写した何気ない写真だったが、その自転車が「どこに向かっているのか」に秘められた物語性に激しく心を打たれた。ベケットのそれと同じ性質の、世界の無限の広がりをその小さなフレームの中に感じたのだ。
カルティエ=ブレッソンはもちろん、ただ漠然と走っている自転車を撮っただけではない。あらゆる「構図」が完璧に揃ったその「決定的瞬間」こそを写し取っているのである。写真と鑑賞者の心が繋がることの出来る、その「決定的瞬間」を。

この映画の中で語られるのは、構図がどうとかカルティエ=ブレッソンの歴史的位置づけがどうとか、そういう難しいことではない。学術的な部分は微塵もない。ただ、彼の言葉、彼の写真を介して、皆がカルティエ=ブレッソンについてどんなことを感じたかをただ言い合っているだけのようにも見える。だが、その積み重ねが、カルティエ=ブレッソンという人間を、彼の作品を克明に浮かび上がらせる。
スクリーンに大写しにされるカルティエ=ブレッソンの写真。ついつい見とれ、中に入り込んでしまう。そこにある物語を読みとることに専心させられてしまい、その写真について誰かが語っているセリフの字幕が全く目に入らないなんてコトが頻発する。劇場のそこここで溜息や呻きが漏れたりする。きっとそういう声を発した人は、写真の持つ物語が自分の中の物語と同期して、そこに写真に写っているもの以上のシンパシーを感じたのだろう。そのシンパシーは、劇中の登場人物が語る言葉の中に散りばめられているものと等質のものだ。僕たちもまた、カルティエ=ブレッソンの作品を前にして、この映画の出演者のひとりとなる。彼を語り、また彼の世界と繋がったひとりとなるのだ。

「拘れば"パターン"になる。無理強いすれば全てが壊れる。全ては瞬間だ。その一瞬こそが大切なんだ」。自然であること。自然体であること。自由であること。「ノン、ノン、ノン、ノン、ノン…、ウィ!」。その一瞬を逃さないこと。カルティエ=ブレッソンは、そのシンパシーの正体をそんな風に語っていた。
ある現像スタッフがカルティエ=ブレッソンに問う。「この瞬間を捉えるためにどんなに気長に待たなければいけないのだろうか」と。カルティエ=ブレッソンは答える。「写真家なんて短気じゃなきゃ務まらないよ。パッと撮って怒られる前にサッと逃げる。これだね」。

アンリ・カルティエ=ブレッソンの「世界」、それはとても居心地がいい。そんなことを実感させてくれるドキュメンタリー。元からカルティエ=ブレッソンのファンだったけれど、この映画でより一層、彼の魅力に取り付かれた気がする。いつの日か、たった一枚でいいから、彼のような写真を撮りたい。いや、写真でなくてもいい。表現したい。あらゆる人の心に繋がる物語を持った作品を。この映画は、表現者としての思いを揺さぶってくれる秀作だ。
2004年8月。95歳で亡くなったカルティエ=ブレッソン。彼に改めて、哀悼の意を。映像として"遺された彼の言葉"に敬意を。この映画がもたらす、愛すべきカルティエ=ブレッソンの対話という贅沢な時間に感謝を。




(すいません、記憶力がないもので、文中でセリフとして引用している部分は正確じゃないです。でも言っていることはそういうことでした。ということでご了承下さい^^;)

*

本当に余談だけれど、僕はサミュエル・ベケットの戯曲と、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真と、イヴィチャ・オシムのサッカーに、同じ通底するものを感じている。上手く表現できないけれど、その通底するものとは、おそらくきっとそこに「自分の人生」の接点を見つけることが出来る、ということなんじゃないかと思っている。詳しくはここでは語らないけれど。
2006/08/24のBlog
本日発売の「Number」誌。
表紙から分かるとおり、『オシムジャパン』特集号です。

僕自身、いろいろと読んでいると切ないことが多すぎて、"オシム特集"的なサッカー雑誌はめっきり買わなくなりました。テレビの特集とかもほとんど観ていません。

しかし、この「Number」は買うべきです。ジェフサポなら買うべきです。10冊買うべきです。

絶対に最初に読むべきは、アシマさんが語る「最も印象に残っている夫の試合」。引用します。

「日本に来てからの試合では、昨年のナビスコカップの決勝です。(略)あの試合は、イヴァンが選手に教えたことが、すべて生きたという意味で嬉しいのです。(略)試合後の夫の顔をみれば一目瞭然です。彼が本当に満足しているかどうか、選手がやって欲しかったことを実行してくれたのかどうか、表情で分かります。ナビスコカップの時は本当に満足していました。」

ナビスコカップの時は本当に満足していました。
ナビスコカップの時は本当に満足していました。
ナビスコカップの時は本当に満足していました。
ナビスコカップの時は本当に満足していました。
ナビスコカップの時は本当に満足していました。

ジェフサポは立ち読みじゃダメですよ、その場で絶対泣くから。買って静かに心を落ち着けて読みましょう。僕は涙が止まりませんでしたよ。あの日の感動を思い起こして。そして、あの日のサッカーを、オシム監督が満足してくれていたという事実に。

改めて、ジェフというチームを誇りに思います。あのオシム監督を、「満足させた」んですよ!!!
[ 23:13 ] [ ┣ ラーメン/おそば ]
■名前:
らーめん 阿夫利(AFURI)

■場所:
恵比寿(西口出て駒沢通りを渋谷橋方向、信号ひとつ渡って川の手前の角を右折すぐ)

■食べたもの:
大葉香る梅かけそば(700yen)

■特徴:
本厚木の超有名店ZUND-BARの都内初進出店がこのAFURI。洒落た喫茶店みたいな外観のお店だけど、出てくるラーメンは硬派。熱帯夜の訪問だったこともあり、あっさりと「大葉香る梅かけそば」を注文。塩味、ガラ(滋養赤鶏)ベースに、微妙にゲンコツと魚介スープをブレンドしている。見た目も味も透明感があって、如何にも無化調という風情。素性のいいダシの旨みがしっかりと味わえる。「かけそば」と銘打っているだけあって、トッピングは大葉、ネギとあっさりしたもの。丼の真ん中に梅干しが鎮座し、酸味が全体の味を一段も二段も高めているから面白い。揺らいだ部分が一切無く、一杯の完成度が極めて高い。美味。ワサビはお好みで。全体のバランスを崩さぬよう、スープに溶かさずに細麺にちょっとずつ塗して食べるのが吉か。