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2006/11/01のBlog
[ 01:59 ]
[ クラシック ]
F.J.ハイドン:ピアノ・ソナタ第59番変ホ長調 Hob.XVI-49
W.A.モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番ハ長調 K.330、幻想曲とフーガ ハ長調 K.394
グレン・グールド(piano)
CBS SONY 28DC 5289
自分的には10月の記事ですが、今はもう11月。今年もあと二ヶ月です。
昨日の記事はちょっと雑でした............貧すりゃ鈍するってなもんで................もう暫くこんな調子?やれやれ..............
昨日はC.P.E.バッハの曲を聞いていたのですが、たまたまこれを手持ちから見つけたので、久々に聞いてみました。いや、やっぱりグールド、久々に聞くと面白いです。
ちなみに、とっくにこの番号では廃盤になってる筈ですが、今でもあるんだろうな、この録音。
1958年6月7~10日の録音です。モノラル。グールドとしてはかなり古い部類のもの。と言っても、例のゴールドベルク変奏曲の後ではありますが。
グールドはスタインウェイのコンサートグランドを弾きながら、チェンバロやフォルテピアノなどの音、まぁ正確に言うとレガートの掛からない、現代ピアノとしては響きの乏しい乾いた音を如何に出そうかと腐心した人です。
その試みに成功したのかどうかはともかく、ここで聞けるピアノの音は、確かにフォルテピアノのような線の細い音とは違うけれど、とてもスタインウェイとは思えない響きの少ない音です。
今にして思えば、何たる不毛、という言い方も出来るのかもしれませんが、グールド流の「最適選択」は、なかなか興味深い効果を出しています。モーツァルトのK.330のソナタなど、今ではそれこそ無数に録音があり、フォルテピアノによるものも少なくないですが、グールドのそれはそうした「ピリオド」演奏ともまた一味違います。
勿論私は生でなんて聞いたこと無いから分からないし、これはモノラルだからあまり確かではないけれど、響きは少ないけれど音量は現代ピアノ、という風ではないのかな。そう書くと連想されるのはかつてのアンマー・チェンバロ - ヴァルヒャが使用してバッハの数々の録音を遺した、ピアノの筐体にチェンバロの機構を載せたようなモダン・チェンバロ - ですが、そういうのとは違って、あくまで「ピアノ」なんですね。
グールドに関する話を読んで行くと、どうもグールドは「この音楽だからこう"であるべきだ"」という思考法ではなく、「この音楽にはこれがいいんではないか?って言うよりこの音色、響き、面白い~」という嗜好でこの種の音を好んで居た節があります。
フォルテピアノもそうなんですが、ハンマーが弦を叩く音が感じられる風なんですね。その感じは、グールドの録音全般に感じられるものです。晩年の、ヤマハのコンサートグランドを好んで使用した頃のは、少し違いますが、70年代後半までのグールドの音は、概ねこの傾向の音。
昔も今も好んで聞くのはモーツァルトのソナタですが、最近は最後の「幻想曲とフーガ」に惹かれるものがあります。幻想曲やフーガは確かにバロック期に源流を発する様式の曲ですが、ここで聞かれる幻想曲は、バロック期のそれを思わせる部分もあるにはあるのだけど、ちょっと違うんですね。モーツァルトの幻想曲と呼ばれるものの中では、かなりバロック的な形式に引っ張られていますが、やはりなんといっても響きがもう違っている。それに、様式というものがもう足かせにならない。そんな感じでしょうか。
フーガはまた別のものですが。これは確かに見事なフーガになっている。でも、これを聞いて「バッハですね」と思う人は、いるのかな?「バッハだよ」と言われれば信じてしまいそうな気はしますが、やっぱりちょっと違うような?
というとこまで書いて夕べは寝てしまいましたが、そうは言ってもソナタの方も面白いです。K.330は結構な人気曲ですが、音楽としても印象的です。スタッカートのようなタッチで始まり、軽やかに進んで行く第1楽章。静かだけれど静か過ぎない(?)緩徐楽章を経て、もう一度ソナタ形式の終楽章は、第1楽章と同じような軽やかさ。
疾走するモーツァルトの悲しみとか言ったのは小林秀雄だったと思いますが、これはさしずめとっとこと軽やかに走って行くような音楽。そこに悲しみを見れば見るのだろうけど、それは多分見てる心の中にあるものの反映に過ぎないんではないかな、少なくともこの曲に関する限り。などというようなことを思ったりするのであります。
冒頭のハイドンは、そうですね、モーツァルトが亡くなってからの作品らしいですが、なんというか、地に足の着いた構成感とでも言うようなものがあって、これはこれでいいなぁと思います。
W.A.モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番ハ長調 K.330、幻想曲とフーガ ハ長調 K.394
グレン・グールド(piano)
CBS SONY 28DC 5289
自分的には10月の記事ですが、今はもう11月。今年もあと二ヶ月です。
昨日の記事はちょっと雑でした............貧すりゃ鈍するってなもんで................もう暫くこんな調子?やれやれ..............
昨日はC.P.E.バッハの曲を聞いていたのですが、たまたまこれを手持ちから見つけたので、久々に聞いてみました。いや、やっぱりグールド、久々に聞くと面白いです。
ちなみに、とっくにこの番号では廃盤になってる筈ですが、今でもあるんだろうな、この録音。
1958年6月7~10日の録音です。モノラル。グールドとしてはかなり古い部類のもの。と言っても、例のゴールドベルク変奏曲の後ではありますが。
グールドはスタインウェイのコンサートグランドを弾きながら、チェンバロやフォルテピアノなどの音、まぁ正確に言うとレガートの掛からない、現代ピアノとしては響きの乏しい乾いた音を如何に出そうかと腐心した人です。
その試みに成功したのかどうかはともかく、ここで聞けるピアノの音は、確かにフォルテピアノのような線の細い音とは違うけれど、とてもスタインウェイとは思えない響きの少ない音です。
今にして思えば、何たる不毛、という言い方も出来るのかもしれませんが、グールド流の「最適選択」は、なかなか興味深い効果を出しています。モーツァルトのK.330のソナタなど、今ではそれこそ無数に録音があり、フォルテピアノによるものも少なくないですが、グールドのそれはそうした「ピリオド」演奏ともまた一味違います。
勿論私は生でなんて聞いたこと無いから分からないし、これはモノラルだからあまり確かではないけれど、響きは少ないけれど音量は現代ピアノ、という風ではないのかな。そう書くと連想されるのはかつてのアンマー・チェンバロ - ヴァルヒャが使用してバッハの数々の録音を遺した、ピアノの筐体にチェンバロの機構を載せたようなモダン・チェンバロ - ですが、そういうのとは違って、あくまで「ピアノ」なんですね。
グールドに関する話を読んで行くと、どうもグールドは「この音楽だからこう"であるべきだ"」という思考法ではなく、「この音楽にはこれがいいんではないか?って言うよりこの音色、響き、面白い~」という嗜好でこの種の音を好んで居た節があります。
フォルテピアノもそうなんですが、ハンマーが弦を叩く音が感じられる風なんですね。その感じは、グールドの録音全般に感じられるものです。晩年の、ヤマハのコンサートグランドを好んで使用した頃のは、少し違いますが、70年代後半までのグールドの音は、概ねこの傾向の音。
昔も今も好んで聞くのはモーツァルトのソナタですが、最近は最後の「幻想曲とフーガ」に惹かれるものがあります。幻想曲やフーガは確かにバロック期に源流を発する様式の曲ですが、ここで聞かれる幻想曲は、バロック期のそれを思わせる部分もあるにはあるのだけど、ちょっと違うんですね。モーツァルトの幻想曲と呼ばれるものの中では、かなりバロック的な形式に引っ張られていますが、やはりなんといっても響きがもう違っている。それに、様式というものがもう足かせにならない。そんな感じでしょうか。
フーガはまた別のものですが。これは確かに見事なフーガになっている。でも、これを聞いて「バッハですね」と思う人は、いるのかな?「バッハだよ」と言われれば信じてしまいそうな気はしますが、やっぱりちょっと違うような?
というとこまで書いて夕べは寝てしまいましたが、そうは言ってもソナタの方も面白いです。K.330は結構な人気曲ですが、音楽としても印象的です。スタッカートのようなタッチで始まり、軽やかに進んで行く第1楽章。静かだけれど静か過ぎない(?)緩徐楽章を経て、もう一度ソナタ形式の終楽章は、第1楽章と同じような軽やかさ。
疾走するモーツァルトの悲しみとか言ったのは小林秀雄だったと思いますが、これはさしずめとっとこと軽やかに走って行くような音楽。そこに悲しみを見れば見るのだろうけど、それは多分見てる心の中にあるものの反映に過ぎないんではないかな、少なくともこの曲に関する限り。などというようなことを思ったりするのであります。
冒頭のハイドンは、そうですね、モーツァルトが亡くなってからの作品らしいですが、なんというか、地に足の着いた構成感とでも言うようなものがあって、これはこれでいいなぁと思います。
2006/10/31のBlog
[ 03:32 ]
[ クラシック ]
C.P.E.BACH / SONATEN, RONDOS und FANTASIEN
Gustav Leonhardt (Harpsichord, Fortepiano & Clavichord)
SEON/Sony Classical SB2K 61789
い、忙しい........onz
いやまぁ、コンサートとか結構行ったりしてるので、忙しいって言ってもそれほどじゃないんですが、やっぱり休日休めなかったり帰りがその日の内ってのが週に2日、とかいうと、ちょーーっとしんどいですねぇ。
で、1週間も放置しておりました。
忙しくても車には乗るので、それなりにいろいろ聞いたりしているのですが、聞くのとblogに書くのとは別問題。ま、それはそれとしても、もう少しまともな時間に更新したい.....
C.P.E.バッハ。カール・フィリップ・エマニュエル。1714年生まれの1788年没。ヨハン・セバスチャンの次男にして、プロイセン王フリードリッヒ二世に仕えた音楽家であります。彼のものしたクラヴィーア教本は邦訳でも手に入ります(高いけど)。ヨハン・セバスチャンは、今では大バッハとして、知らぬ者は無いほどではありますが、同時代で受けた評価としては、むしろ息子達、カール・フィリップ・エマニュエルや、ヨハン・クリスチャンらの方が高かったと思われます。
そのC.P.E.が遺したクラヴィーア曲を弾いた2枚組。レオンハルトは、御存知古楽演奏の雄。特に鍵盤楽器の演奏では数々の録音を残しています。ここでは、ハープシコード、つまりはチェンバロ、クラヴィコードとフォルテピアノを弾いています。チェンバロとフォルテピアノは各2種類の楽器を使い、曲によりそれぞれの音が楽しめるという趣向。
C.P.E.は、時代的には、クラヴィーア曲で言えば丁度チェンバロやクラヴィコードからフォルテピアノへの過渡期に当たる時期の人です。彼が中年となりし頃、漸くモーツァルトが生まれます。ヨハン・セバスチャンが29歳の時の子供ですから、年齢的にはむしろ親父の方に近い。ただ、長生きしたので、亡くなるのはモーツァルトに先立つことわずか3年。音楽的には、モーツァルトやハイドンに繋がる時期であるのは勿論です。
実際、ここに収録されている曲も、父ヨハン・セバスチャンのそれとはかなり趣が異なります。対位法を駆使したりとか、舞曲を組み合わせてのバロック風の組曲とか、そういう曲がありません。ロンド、ファンタジア、ソナタと題された曲が集められていますが、例えば同じファンタジア、幻想曲として知られる、モーツァルトの短調の幻想曲などに較べれば、モーツァルトがよほど自由闊達に曲を書いていたのだな、と分かります。というより、あれの方がかなり異形だということなんでしょうが。
でも、だからこれらの曲がつまらないわけでもなくて。派手さは無く、さりとて後年の古典派のソナタのように形式の束縛感もまだそれほどではないという感じ。
レオンハルトの演奏もいいですね。特にフォルテピアノの演奏が面白い。楽器のせいもあるのでしょうが、どことなく、叩いている感じが、ちょっと引っ掻いてる感じに近かったりして、チェンバロに通ずるものがあります。まぁ、フォルテピアノと言っても、大体1世紀くらいの間にかなりの変遷を経てきているでしょうから、色々あって当たり前なのですが。
Gustav Leonhardt (Harpsichord, Fortepiano & Clavichord)
SEON/Sony Classical SB2K 61789
い、忙しい........onz
いやまぁ、コンサートとか結構行ったりしてるので、忙しいって言ってもそれほどじゃないんですが、やっぱり休日休めなかったり帰りがその日の内ってのが週に2日、とかいうと、ちょーーっとしんどいですねぇ。
で、1週間も放置しておりました。
忙しくても車には乗るので、それなりにいろいろ聞いたりしているのですが、聞くのとblogに書くのとは別問題。ま、それはそれとしても、もう少しまともな時間に更新したい.....
C.P.E.バッハ。カール・フィリップ・エマニュエル。1714年生まれの1788年没。ヨハン・セバスチャンの次男にして、プロイセン王フリードリッヒ二世に仕えた音楽家であります。彼のものしたクラヴィーア教本は邦訳でも手に入ります(高いけど)。ヨハン・セバスチャンは、今では大バッハとして、知らぬ者は無いほどではありますが、同時代で受けた評価としては、むしろ息子達、カール・フィリップ・エマニュエルや、ヨハン・クリスチャンらの方が高かったと思われます。
そのC.P.E.が遺したクラヴィーア曲を弾いた2枚組。レオンハルトは、御存知古楽演奏の雄。特に鍵盤楽器の演奏では数々の録音を残しています。ここでは、ハープシコード、つまりはチェンバロ、クラヴィコードとフォルテピアノを弾いています。チェンバロとフォルテピアノは各2種類の楽器を使い、曲によりそれぞれの音が楽しめるという趣向。
C.P.E.は、時代的には、クラヴィーア曲で言えば丁度チェンバロやクラヴィコードからフォルテピアノへの過渡期に当たる時期の人です。彼が中年となりし頃、漸くモーツァルトが生まれます。ヨハン・セバスチャンが29歳の時の子供ですから、年齢的にはむしろ親父の方に近い。ただ、長生きしたので、亡くなるのはモーツァルトに先立つことわずか3年。音楽的には、モーツァルトやハイドンに繋がる時期であるのは勿論です。
実際、ここに収録されている曲も、父ヨハン・セバスチャンのそれとはかなり趣が異なります。対位法を駆使したりとか、舞曲を組み合わせてのバロック風の組曲とか、そういう曲がありません。ロンド、ファンタジア、ソナタと題された曲が集められていますが、例えば同じファンタジア、幻想曲として知られる、モーツァルトの短調の幻想曲などに較べれば、モーツァルトがよほど自由闊達に曲を書いていたのだな、と分かります。というより、あれの方がかなり異形だということなんでしょうが。
でも、だからこれらの曲がつまらないわけでもなくて。派手さは無く、さりとて後年の古典派のソナタのように形式の束縛感もまだそれほどではないという感じ。
レオンハルトの演奏もいいですね。特にフォルテピアノの演奏が面白い。楽器のせいもあるのでしょうが、どことなく、叩いている感じが、ちょっと引っ掻いてる感じに近かったりして、チェンバロに通ずるものがあります。まぁ、フォルテピアノと言っても、大体1世紀くらいの間にかなりの変遷を経てきているでしょうから、色々あって当たり前なのですが。
2006/10/24のBlog
[ 03:00 ]
[ ジャズ ]
MY FAVORITE THINGS
John Coltrane (soprano & tenor sax)
McCoy Tyner (piano)
Steve Davis (bass)
Elvin Jones (drums)
ATLANTIC R2 75204
はい。名盤なんて言うも愚か、こっ恥ずかしいくらいの大名盤で御座います。
サックスを聴き始めるとすると、大体昔のところではこの3人に必ず当たります。ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、キャノンボール・アダレイ。この中で一番理屈っぽくて哲学的、とされるのがコルトレーンでしょう。何せああた代表作が Love Supreme、至高の愛、ですからね。
でも、勿論あーぱーいーじーりすにんがーな私は、楽しいと思うものしか聞かないので、てつがくなコルトレーンはよく分からないのであります。分からないのですが、これは聞きました。ええと、昔々、従姉が引っ越して、留守番をする必要があって、引越し先で1日潰した時に、好きなもん(レコードですよレコード!)聞いていいよと言われ、引っ張り出してきたもの。
ジャズはあまり聴いてませんでしたから、"My Favorite Things" で掴んだんですね。で、聞いて、「おお」となった、と。最初に持ってたCDは何処かで失くして、これは二度目。
まぁ経緯からしてなのですが、やはりこのアルバム、私個人としてはMy Favorite Things のアルバムなのです。他に3曲あって、 Everytime We Say Goodbye、Summertime、But not for Me、と、スタンダードの名曲揃いで、まぁコルトレーンとしてはあり得ないくらいのポピュラーな名曲アルバムなのですが、やはり冒頭のタイトル曲が何よりです。抜群のドライブ感があるのです。他の3曲の方がよほどジャズらしい曲なのだけれど、このMy Favorite Thingsには、他には無い独特かつ強烈なドライブ感があります。
マッコイ・タイナーのピアノがいいんですね。短調のイントロからブルースでリズムとテンポを決めて、3拍子でドライブを始める。そう、My Favorite Things は基本的にワルツなのです。その原曲のリズムを忠実に引き継ぎながら、実に自在な演奏を繰り広げるマッコイ・タイナーとリズム・セクション。ワルツなのに抜群のドライブ感は、最初は3拍子の第1拍を弾かないことで印象付け、中盤以降は「ターン、タ-ン ターーン」(強・短・長)の微妙に不等価になっている3拍子で何時までも続いて飽きさせないのであります。
サックスのコルトレーンは、まぁいわばマッコイの掌の上で踊るが如し....というと過小評価してるようですが、音楽的にはそんな感じなのですね。それでも、この二人の和声感は最高です。最初、イントロからやや重苦しい雰囲気を引き摺ってきたのが、まずピアノが、続いてサックスが、突然空へ放たれたように上昇して行くような開放感を持って展開して行く。このあたりが最高に気持ちいいのであります。
てなこと言ってる私はきっといいコルトレーンの聞き手ではないのでしょう、コルトレーン・ファンを名乗るなら、やはり至高の愛に感涙しなければいけない.....のかどうかは分かりませんが。
My Favorite ThingsといえばJR東海で京都行こうっていうのが相場ですが、あの演奏に比べるとよほど原曲からは離れています。そういうのとは違うけど、私はこれ大好きなんですよねぇ~
John Coltrane (soprano & tenor sax)
McCoy Tyner (piano)
Steve Davis (bass)
Elvin Jones (drums)
ATLANTIC R2 75204
はい。名盤なんて言うも愚か、こっ恥ずかしいくらいの大名盤で御座います。
サックスを聴き始めるとすると、大体昔のところではこの3人に必ず当たります。ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、キャノンボール・アダレイ。この中で一番理屈っぽくて哲学的、とされるのがコルトレーンでしょう。何せああた代表作が Love Supreme、至高の愛、ですからね。
でも、勿論あーぱーいーじーりすにんがーな私は、楽しいと思うものしか聞かないので、てつがくなコルトレーンはよく分からないのであります。分からないのですが、これは聞きました。ええと、昔々、従姉が引っ越して、留守番をする必要があって、引越し先で1日潰した時に、好きなもん(レコードですよレコード!)聞いていいよと言われ、引っ張り出してきたもの。
ジャズはあまり聴いてませんでしたから、"My Favorite Things" で掴んだんですね。で、聞いて、「おお」となった、と。最初に持ってたCDは何処かで失くして、これは二度目。
まぁ経緯からしてなのですが、やはりこのアルバム、私個人としてはMy Favorite Things のアルバムなのです。他に3曲あって、 Everytime We Say Goodbye、Summertime、But not for Me、と、スタンダードの名曲揃いで、まぁコルトレーンとしてはあり得ないくらいのポピュラーな名曲アルバムなのですが、やはり冒頭のタイトル曲が何よりです。抜群のドライブ感があるのです。他の3曲の方がよほどジャズらしい曲なのだけれど、このMy Favorite Thingsには、他には無い独特かつ強烈なドライブ感があります。
マッコイ・タイナーのピアノがいいんですね。短調のイントロからブルースでリズムとテンポを決めて、3拍子でドライブを始める。そう、My Favorite Things は基本的にワルツなのです。その原曲のリズムを忠実に引き継ぎながら、実に自在な演奏を繰り広げるマッコイ・タイナーとリズム・セクション。ワルツなのに抜群のドライブ感は、最初は3拍子の第1拍を弾かないことで印象付け、中盤以降は「ターン、タ-ン ターーン」(強・短・長)の微妙に不等価になっている3拍子で何時までも続いて飽きさせないのであります。
サックスのコルトレーンは、まぁいわばマッコイの掌の上で踊るが如し....というと過小評価してるようですが、音楽的にはそんな感じなのですね。それでも、この二人の和声感は最高です。最初、イントロからやや重苦しい雰囲気を引き摺ってきたのが、まずピアノが、続いてサックスが、突然空へ放たれたように上昇して行くような開放感を持って展開して行く。このあたりが最高に気持ちいいのであります。
てなこと言ってる私はきっといいコルトレーンの聞き手ではないのでしょう、コルトレーン・ファンを名乗るなら、やはり至高の愛に感涙しなければいけない.....のかどうかは分かりませんが。
My Favorite ThingsといえばJR東海で京都行こうっていうのが相場ですが、あの演奏に比べるとよほど原曲からは離れています。そういうのとは違うけど、私はこれ大好きなんですよねぇ~
2006/10/23のBlog
[ 02:29 ]
[ クラシック ]
アフィニス・サウンド・レポート 第7回アフィニス夏の音楽祭
C.P.E.バッハ:シンフォニア第2番変ロ長調
モーツァルト:ディヴェルティメント第11番ニ長調
フランセ:八重奏曲
アフィニス・アンサンブル
財団法人 アフィニス文化財団 ASR-013
この週末は、色々聞いたのですが、「これ!」というCDがあまりなくて......実は生演奏も聞きに行ったので、そちらも別で紹介しますが、まぁ、それもあって、CDの方はお留守....
演奏はともかく、これ紹介するのも如何かと言えばあれなんですが、まぁ折角なので。
実はこれ非売品です。
アフィニス文化財団(http://www.jti.co.jp/Culture/Affinis/Welcome.html)という財団法人があります。アドレスを見て気づく方も居られましょうが、JT、日本たばこ産業がメセナ事業の一環として運営している(という言い方でいいのかな?)団体です。
で、この団体、日本国内のオーケストラの数々を支援しておりまして、その団体のメンバーなどを中心に、時に応じて様々なメンバーで室内楽から室内オーケストラまでの演奏会を行ったりしています。
と同時に、やはり日本のオーケストラの若手メンバー等を集めて、世界各地の腕っ扱きを招いて研鑽を積む機会を与えよう、という、「アフィニス夏の音楽祭」というのを、長野県飯田市でやっています。
この音楽祭も公開のものなのですが、先ほどの演奏会の模様なども含めて、活動の様子をCDに収録して「音の機関紙」として配布しているのが、「アフィニス・サウンド・レポート」。はい、在庫があればタダで頂けます。でも、人気があって、殆ど在庫切れなんですね。実はこの夏にも出たのですが、私はまんまと入手し損ねました....(/_;) クスン
ここに紹介したのは、アフィニス・サウンド・レポートのVol.13。1995年に出されたものです。バックナンバーで残ってたのを入手したのがこの間なんですけどね。
ナレーションが入ったり、レッスン風景も収録されたりしてますが、基本は実際のコンサートでの演奏。そちらはナレーションも何も無い、ちゃんとしたものです。
なんていうか、いやぁこれはとんでもなく素晴らしい!っていうのではないですよ。でも、やはりそういう言わばマスタークラスの延長として演奏されてますし、コンサート自体はプロとして有料で聞かせてるし、変なもんじゃありません。正統的に、丁寧に演奏してる感じです。
C.P.E.バッハとか、なかなか面白いですよ。曲自体が、このへんの時代のは面白いですしね。というか、正直言うとこの辺の、いわゆる古典派の音楽って、私大好きなんですねきっと(爆)合奏もなかなか良くてね、これは。
モーツァルトのディヴェルティメントは、正直、小編成で、誤魔化しが効かないので、力量が見えちゃってる部分もあって、苦しいといえば苦しい。でもまぁ、これは、そういうことも含めて「どれどれ?」とばかりに聞くものでしょうし、本来は。
フランセは、曲自体がこれも魅力的。1912年生まれの、バリバリの現代作曲家にしては、驚くほど調性感のある作品です。1974年の作とは思えません。まぁ、元々フランスではミヨーやプーランクみたいな人も居たし、こういう作品が出てくる素地があるのかも知れません。フランセはあまり詳しくないので、少し追いかけてみたいところですね。
この「サウンド・レポート」、今でも申し込めば貰えるみたいですが、幾つか御願い。
何せタダ(送料すら向こう持ち!)ですからね、殆ど在庫無しになってるけど、それはしょうがないと言う事で。本来なら機関紙のバックナンバーなんて普通取っておかないしねぇ。
で、結構お忙しいのか、すごーく届くまでに時間が掛かります。だから、まぁ届かなかったらそん時はそん時でしゃぁないか、くらいのつもりで気長にどうぞ。私も、今回は1ヶ月以上経ってからだったと思います、多分。申し込んだの今月ではなかったと思うし。
だからって、いちいち催促したりしないようにね。まぁ別に個々人がどうされようと自由なんですが、無料で送料掛けて配布するのだし、ただでさえ先方持ち出しでしょうから。私んとこで紹介されて先方に迷惑が、てのも心苦しいので..............(^^;
ちなみに、アフィニス・アンサンブル・セレクションの公演、次回は12月1日(金)で、知る人ぞ知る?宿老・ゲルハルト・ボッセの指揮で、J.C.バッハ、ハイドン、シューベルトの交響曲を演奏します。自由席で2千円だそうです。
金曜日でなきゃ行きたいところだけどなぁ........................
C.P.E.バッハ:シンフォニア第2番変ロ長調
モーツァルト:ディヴェルティメント第11番ニ長調
フランセ:八重奏曲
アフィニス・アンサンブル
財団法人 アフィニス文化財団 ASR-013
この週末は、色々聞いたのですが、「これ!」というCDがあまりなくて......実は生演奏も聞きに行ったので、そちらも別で紹介しますが、まぁ、それもあって、CDの方はお留守....
演奏はともかく、これ紹介するのも如何かと言えばあれなんですが、まぁ折角なので。
実はこれ非売品です。
アフィニス文化財団(http://www.jti.co.jp/Culture/Affinis/Welcome.html)という財団法人があります。アドレスを見て気づく方も居られましょうが、JT、日本たばこ産業がメセナ事業の一環として運営している(という言い方でいいのかな?)団体です。
で、この団体、日本国内のオーケストラの数々を支援しておりまして、その団体のメンバーなどを中心に、時に応じて様々なメンバーで室内楽から室内オーケストラまでの演奏会を行ったりしています。
と同時に、やはり日本のオーケストラの若手メンバー等を集めて、世界各地の腕っ扱きを招いて研鑽を積む機会を与えよう、という、「アフィニス夏の音楽祭」というのを、長野県飯田市でやっています。
この音楽祭も公開のものなのですが、先ほどの演奏会の模様なども含めて、活動の様子をCDに収録して「音の機関紙」として配布しているのが、「アフィニス・サウンド・レポート」。はい、在庫があればタダで頂けます。でも、人気があって、殆ど在庫切れなんですね。実はこの夏にも出たのですが、私はまんまと入手し損ねました....(/_;) クスン
ここに紹介したのは、アフィニス・サウンド・レポートのVol.13。1995年に出されたものです。バックナンバーで残ってたのを入手したのがこの間なんですけどね。
ナレーションが入ったり、レッスン風景も収録されたりしてますが、基本は実際のコンサートでの演奏。そちらはナレーションも何も無い、ちゃんとしたものです。
なんていうか、いやぁこれはとんでもなく素晴らしい!っていうのではないですよ。でも、やはりそういう言わばマスタークラスの延長として演奏されてますし、コンサート自体はプロとして有料で聞かせてるし、変なもんじゃありません。正統的に、丁寧に演奏してる感じです。
C.P.E.バッハとか、なかなか面白いですよ。曲自体が、このへんの時代のは面白いですしね。というか、正直言うとこの辺の、いわゆる古典派の音楽って、私大好きなんですねきっと(爆)合奏もなかなか良くてね、これは。
モーツァルトのディヴェルティメントは、正直、小編成で、誤魔化しが効かないので、力量が見えちゃってる部分もあって、苦しいといえば苦しい。でもまぁ、これは、そういうことも含めて「どれどれ?」とばかりに聞くものでしょうし、本来は。
フランセは、曲自体がこれも魅力的。1912年生まれの、バリバリの現代作曲家にしては、驚くほど調性感のある作品です。1974年の作とは思えません。まぁ、元々フランスではミヨーやプーランクみたいな人も居たし、こういう作品が出てくる素地があるのかも知れません。フランセはあまり詳しくないので、少し追いかけてみたいところですね。
この「サウンド・レポート」、今でも申し込めば貰えるみたいですが、幾つか御願い。
何せタダ(送料すら向こう持ち!)ですからね、殆ど在庫無しになってるけど、それはしょうがないと言う事で。本来なら機関紙のバックナンバーなんて普通取っておかないしねぇ。
で、結構お忙しいのか、すごーく届くまでに時間が掛かります。だから、まぁ届かなかったらそん時はそん時でしゃぁないか、くらいのつもりで気長にどうぞ。私も、今回は1ヶ月以上経ってからだったと思います、多分。申し込んだの今月ではなかったと思うし。
だからって、いちいち催促したりしないようにね。まぁ別に個々人がどうされようと自由なんですが、無料で送料掛けて配布するのだし、ただでさえ先方持ち出しでしょうから。私んとこで紹介されて先方に迷惑が、てのも心苦しいので..............(^^;
ちなみに、アフィニス・アンサンブル・セレクションの公演、次回は12月1日(金)で、知る人ぞ知る?宿老・ゲルハルト・ボッセの指揮で、J.C.バッハ、ハイドン、シューベルトの交響曲を演奏します。自由席で2千円だそうです。
金曜日でなきゃ行きたいところだけどなぁ........................
2006/10/20のBlog
[ 01:52 ]
[ クラシック ]
....ああっ、石を投げないでぇ~........""""""""(;><)/
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲集
寺神戸亮 (ヴァイオリン)
シギスヴァルト・クイケン (指揮・ヴァイオリン)
ラ・プティット・バンド
DENON COCQ-84188-90
今度はモーツァルトと、実はアイドル繋がりで..........
スメタナ弦楽四重奏団がアイドルであるように、聞き始めの頃好んで聞いていたヴァイオリニストがハイフェッツであります。要は、当時LPで安価に出ていたシリーズで、ヴァイオリンと言えばハイフェッツだったということなのですが。私は元々あまりヴァイオリンには深い興味は無くて、ハイフェッツで協奏曲やらなにやら、一通りは聞いたというわけです。
基本的にはハイフェッツはロマンティストなんですね。あくまで個人的印象ですが、ピアノで言えばホロヴィッツにあたるのがハイフェッツ、というところなんじゃないでしょうか。ロマンティストでアクが強くて、聞けばすぐに「ああ、あの人?」と分かってしまうような。何を弾いても自分の音楽になってしまう。手に触れるもの皆黄金になってしまうという伝説のミダス王のような音楽家。
そういう人の演奏でヴァイオリンを聞き始めたわけです。メンデルスゾーンでもチャイコフスキーでも、ブラームスでもベートーヴェンでも、モーツァルトでさえも、ハイフェッツから。
ところがハイフェッツの演奏したCDは、実は殆ど持ってません。RCA系はもうひとつハイフェッツの再発に不熱心で、国内盤でも少々中途半端な値段で幾つか録音が出てるだけで、それすらあまり見掛けません。こちらもたまに聞きたくなるけど、そんな調子だし、まぁいいや、と、ついなってしまうのです。
モーツァルトの協奏曲。ハイフェッツの演奏は、かなりロマンティックというか、化粧の濃い、色のはっきりした演奏だったと思います。ヴァイオリン独奏が前に出てきていて、この音色を聞け!みたいな。昔のことなので印象違いかも知れませんが、まぁ私の中ではそんな感じ。で、そういうイメージが強くて、でも、そういうスタイルだとついロマン派に行ってしまうので、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲はあまり聞いてないんですね。
このCD、クイケン率いるラ・プティット・バンドによる演奏で、廉価再発と相成ったもの。今年再発なのですが、その割に実はモーツァルト記念年企画では無いという、商売っ気あるんだかないんだかよく分からない話で。
かつてハイフェッツで聞いたのは4番と5番のカップリング。5番は寺神戸が、4番はクイケンが独奏しています。
協奏曲というのは、モーツァルトの頃には、独奏楽器が前面に立って、伴奏の合奏団を背景に一つ妙技をお聞かせしましょう、という曲になってます。たまたま独奏楽器があるけどメインは合奏、というようなスタイルとはちょっと違います。ハイフェッツはその極端な例でしょう。
そこいくと、この演奏は、まるでディヴェルティメントの一曲を聞いているよう。独奏があまり激しく自己主張しないんですね。特に、4番の方はその傾向が強いです。
このCDの帯に曰く「スーパー・ソリスト対ヴィルトゥオーゾ・オーケストラで丁々発止とやりあう「競争曲」のCDはそっと脇に置いて、本当の「協奏曲」の演奏を楽しんでみませんか」だそうですが、お生憎様。本当の協奏曲とはやはり相応に丁々発止とやりあわないといけないのが本来です。そうすることで、コンサートでの楽しみを提供することが出来たのだから。モーツァルトが書いたヴァイオリン協奏曲は5曲、それも若年の時にしか無いのは、必ずしも偶然だけではありません。27曲もピアノ協奏曲が書かれたのは、言葉通りの意味でピアノが「モーツァルトの楽器」であったからなのです。
というところからすると、確かにこの演奏、音はいいけどヴァイオリン独奏はやや埋没気味です。じゃそれがいけないかというと、まぁそれはそれとして、取り敢えず「邪道」にしても、なかなかいい演奏です。協奏曲としては欲求不満が残る演奏ですが、独奏の入ったディヴェルティメントとでも見れば、質のいい音楽が展開されます。
いわゆるピリオド演奏ですが、流石にこのクラスになれば、不安定な所もありません。いわゆるノン・ヴィヴラートではあるけれど、一部の勘違い演奏と違って音楽がぶつ切りにされることもありません。音程もしっかりしています。こうなると、透明感のあるこの種の演奏は確かに聞いてて気分がいい。
5番の「トルコ風」も有名で、こちらもいいですが、個人的にはこういう演奏であれば4番の方が好みです。ハイフェッツのロマンティックに歌いまくる印象の演奏も色気たっぷりで良かったと思うのですが、まぁこれはこれで悪くない。聞いて「ああ、今日はヴァイオリンを聞いたな」と思うタイプの演奏ではないけれど、合奏と独奏が音色的にも合って一体として聞ける。色気は無いけどクイケン率いる合奏団の地力で聞かせるという..........色気よりクイケン...........................
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲集
寺神戸亮 (ヴァイオリン)
シギスヴァルト・クイケン (指揮・ヴァイオリン)
ラ・プティット・バンド
DENON COCQ-84188-90
今度はモーツァルトと、実はアイドル繋がりで..........
スメタナ弦楽四重奏団がアイドルであるように、聞き始めの頃好んで聞いていたヴァイオリニストがハイフェッツであります。要は、当時LPで安価に出ていたシリーズで、ヴァイオリンと言えばハイフェッツだったということなのですが。私は元々あまりヴァイオリンには深い興味は無くて、ハイフェッツで協奏曲やらなにやら、一通りは聞いたというわけです。
基本的にはハイフェッツはロマンティストなんですね。あくまで個人的印象ですが、ピアノで言えばホロヴィッツにあたるのがハイフェッツ、というところなんじゃないでしょうか。ロマンティストでアクが強くて、聞けばすぐに「ああ、あの人?」と分かってしまうような。何を弾いても自分の音楽になってしまう。手に触れるもの皆黄金になってしまうという伝説のミダス王のような音楽家。
そういう人の演奏でヴァイオリンを聞き始めたわけです。メンデルスゾーンでもチャイコフスキーでも、ブラームスでもベートーヴェンでも、モーツァルトでさえも、ハイフェッツから。
ところがハイフェッツの演奏したCDは、実は殆ど持ってません。RCA系はもうひとつハイフェッツの再発に不熱心で、国内盤でも少々中途半端な値段で幾つか録音が出てるだけで、それすらあまり見掛けません。こちらもたまに聞きたくなるけど、そんな調子だし、まぁいいや、と、ついなってしまうのです。
モーツァルトの協奏曲。ハイフェッツの演奏は、かなりロマンティックというか、化粧の濃い、色のはっきりした演奏だったと思います。ヴァイオリン独奏が前に出てきていて、この音色を聞け!みたいな。昔のことなので印象違いかも知れませんが、まぁ私の中ではそんな感じ。で、そういうイメージが強くて、でも、そういうスタイルだとついロマン派に行ってしまうので、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲はあまり聞いてないんですね。
このCD、クイケン率いるラ・プティット・バンドによる演奏で、廉価再発と相成ったもの。今年再発なのですが、その割に実はモーツァルト記念年企画では無いという、商売っ気あるんだかないんだかよく分からない話で。
かつてハイフェッツで聞いたのは4番と5番のカップリング。5番は寺神戸が、4番はクイケンが独奏しています。
協奏曲というのは、モーツァルトの頃には、独奏楽器が前面に立って、伴奏の合奏団を背景に一つ妙技をお聞かせしましょう、という曲になってます。たまたま独奏楽器があるけどメインは合奏、というようなスタイルとはちょっと違います。ハイフェッツはその極端な例でしょう。
そこいくと、この演奏は、まるでディヴェルティメントの一曲を聞いているよう。独奏があまり激しく自己主張しないんですね。特に、4番の方はその傾向が強いです。
このCDの帯に曰く「スーパー・ソリスト対ヴィルトゥオーゾ・オーケストラで丁々発止とやりあう「競争曲」のCDはそっと脇に置いて、本当の「協奏曲」の演奏を楽しんでみませんか」だそうですが、お生憎様。本当の協奏曲とはやはり相応に丁々発止とやりあわないといけないのが本来です。そうすることで、コンサートでの楽しみを提供することが出来たのだから。モーツァルトが書いたヴァイオリン協奏曲は5曲、それも若年の時にしか無いのは、必ずしも偶然だけではありません。27曲もピアノ協奏曲が書かれたのは、言葉通りの意味でピアノが「モーツァルトの楽器」であったからなのです。
というところからすると、確かにこの演奏、音はいいけどヴァイオリン独奏はやや埋没気味です。じゃそれがいけないかというと、まぁそれはそれとして、取り敢えず「邪道」にしても、なかなかいい演奏です。協奏曲としては欲求不満が残る演奏ですが、独奏の入ったディヴェルティメントとでも見れば、質のいい音楽が展開されます。
いわゆるピリオド演奏ですが、流石にこのクラスになれば、不安定な所もありません。いわゆるノン・ヴィヴラートではあるけれど、一部の勘違い演奏と違って音楽がぶつ切りにされることもありません。音程もしっかりしています。こうなると、透明感のあるこの種の演奏は確かに聞いてて気分がいい。
5番の「トルコ風」も有名で、こちらもいいですが、個人的にはこういう演奏であれば4番の方が好みです。ハイフェッツのロマンティックに歌いまくる印象の演奏も色気たっぷりで良かったと思うのですが、まぁこれはこれで悪くない。聞いて「ああ、今日はヴァイオリンを聞いたな」と思うタイプの演奏ではないけれど、合奏と独奏が音色的にも合って一体として聞ける。色気は無いけどクイケン率いる合奏団の地力で聞かせるという..........色気よりクイケン...........................
2006/10/19のBlog
[ 00:56 ]
[ クラシック ]
モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番ト長調K.387 "春" 、第16番変ホ長調 K.428
スメタナ弦楽四重奏団
DENON COCO-70793
先日のウィーンSQのモーツァルトからの繋がりで.............
クラシック音楽に限らずですが、何か聞き始めた頃って、自分にとって特別な音楽家というのが出来たりします。自分の世界、とでもいうようなものが形成されていく過程で礎石のように組み込まれていく演奏や曲とか、演奏家や作曲家、というようなものがあったりしませんでしたか?
私の場合、やっぱりそういうのがありました。
で、室内楽でそういうキーストーンになった演奏家が、スメタナ弦楽四重奏団なのです。
レコードを色々買い集めて聞き始めた頃で、当時は丁度CDへの過渡期だったので、安いLPが出てたりしたのと同時に、LPの在庫処分で安く売られてたりしたのですね。そんな風にして手に入れた内の一つが、ドヴォルザークの「アメリカ」とハイドンの「ひばり」をカップリングした1枚。演奏はスメタナSQ。東芝EMIが出してました。今でもこれはあると思います。
その後、DENON自慢のPCM録音、って要はデジタル録音の走りなのですが、この最新方式で1975年に録音したという触れ込みのモーツァルトを入手したりして、という風に聞いていったのです。で、それからほどなくして、スメタナSQは解散します。最後のサントリーホールでの、スメタナの弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」、よーく覚えてます。
かくて我がアイドルは永遠となったのであります。まるでキャンディーズか山口百恵のようだ......................
閑話休題。
まぁそんなわけで思い入れも一入のスメタナSQによる、モーツァルトのハイドン・セットの1枚であります。件の1975年の録音。まぁ多少割り引いて読んでおいて下さい。
とはいえ、やはりこの演奏は見事です。今から見返すと、もう少し色気のある、艶のある録音だったら....と思わなくもないのですが、まぁ文句の付け所はそれくらい。この間のウィーンSQの演奏と近いと言えば近いのですが、こちらの方がよりザッハリッヒカイト・即物的、というか、質実剛健というか、そんな感じがあります。音色はいいんだけど、ウィーンSQが響きで聞かせるところを、クリアに聞かせて尚十二分に魅力的、というところでしょうか。ウィーンSQとは違う、重めというか土臭いというか、そんな感じの音色です。それを洗練させ、透明度の高いことでは抜群の録音で聞かせる。そんな感じです。
ここで聞けるのは、ハイドン・セットの内の第14番と16番。中で、第14番の第4楽章。ここは、時にモーツァルトが使ってみせた対位法的書法がかなりはっきりと出ているところなのですが、これを録音で聞くと、本当に目で見えるように各声部が立ち上がって行くのが面白いように分かります。
そう。この四重奏団は、確かに各員良く揃った音を有しているのだけれど、録音のせいもあってか、ヴァイオリンとヴィオラとチェロ、それぞれの楽器の固有の音の違いが、音の高低の問題でなく、良く分かるのです。音像とか音の分離とかの、オーディオ的なことでなく、四重奏団の音として声部が分かる。聞こえるように演奏している、ということでもあるのでしょうが。
これはどちらがどうということではなくて、ウィーンSQが一つの楽器として機能しているように聞こえる行き方を選び、スメタナSQはむしろ4つの楽器それぞれの特質が聞こえる方を選んだ、ということなのだと思います。そういえば、アルバン・ベルクSQ。これもまた異なる行き方をしていたと思っています。あれはまさに4つの楽器の丁々発止、というところだったのかな?
スメタナ弦楽四重奏団
DENON COCO-70793
先日のウィーンSQのモーツァルトからの繋がりで.............
クラシック音楽に限らずですが、何か聞き始めた頃って、自分にとって特別な音楽家というのが出来たりします。自分の世界、とでもいうようなものが形成されていく過程で礎石のように組み込まれていく演奏や曲とか、演奏家や作曲家、というようなものがあったりしませんでしたか?
私の場合、やっぱりそういうのがありました。
で、室内楽でそういうキーストーンになった演奏家が、スメタナ弦楽四重奏団なのです。
レコードを色々買い集めて聞き始めた頃で、当時は丁度CDへの過渡期だったので、安いLPが出てたりしたのと同時に、LPの在庫処分で安く売られてたりしたのですね。そんな風にして手に入れた内の一つが、ドヴォルザークの「アメリカ」とハイドンの「ひばり」をカップリングした1枚。演奏はスメタナSQ。東芝EMIが出してました。今でもこれはあると思います。
その後、DENON自慢のPCM録音、って要はデジタル録音の走りなのですが、この最新方式で1975年に録音したという触れ込みのモーツァルトを入手したりして、という風に聞いていったのです。で、それからほどなくして、スメタナSQは解散します。最後のサントリーホールでの、スメタナの弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」、よーく覚えてます。
かくて我がアイドルは永遠となったのであります。まるでキャンディーズか山口百恵のようだ......................
閑話休題。
まぁそんなわけで思い入れも一入のスメタナSQによる、モーツァルトのハイドン・セットの1枚であります。件の1975年の録音。まぁ多少割り引いて読んでおいて下さい。
とはいえ、やはりこの演奏は見事です。今から見返すと、もう少し色気のある、艶のある録音だったら....と思わなくもないのですが、まぁ文句の付け所はそれくらい。この間のウィーンSQの演奏と近いと言えば近いのですが、こちらの方がよりザッハリッヒカイト・即物的、というか、質実剛健というか、そんな感じがあります。音色はいいんだけど、ウィーンSQが響きで聞かせるところを、クリアに聞かせて尚十二分に魅力的、というところでしょうか。ウィーンSQとは違う、重めというか土臭いというか、そんな感じの音色です。それを洗練させ、透明度の高いことでは抜群の録音で聞かせる。そんな感じです。
ここで聞けるのは、ハイドン・セットの内の第14番と16番。中で、第14番の第4楽章。ここは、時にモーツァルトが使ってみせた対位法的書法がかなりはっきりと出ているところなのですが、これを録音で聞くと、本当に目で見えるように各声部が立ち上がって行くのが面白いように分かります。
そう。この四重奏団は、確かに各員良く揃った音を有しているのだけれど、録音のせいもあってか、ヴァイオリンとヴィオラとチェロ、それぞれの楽器の固有の音の違いが、音の高低の問題でなく、良く分かるのです。音像とか音の分離とかの、オーディオ的なことでなく、四重奏団の音として声部が分かる。聞こえるように演奏している、ということでもあるのでしょうが。
これはどちらがどうということではなくて、ウィーンSQが一つの楽器として機能しているように聞こえる行き方を選び、スメタナSQはむしろ4つの楽器それぞれの特質が聞こえる方を選んだ、ということなのだと思います。そういえば、アルバン・ベルクSQ。これもまた異なる行き方をしていたと思っています。あれはまさに4つの楽器の丁々発止、というところだったのかな?
2006/10/16のBlog
[ 02:05 ]
[ クラシック ]
便乗記事であります、わはは(笑)
新宿は歌舞伎町に、エポペというバーがあります。このバー、オーナーがカトリックの神父さんというなんだかよく分からない不思議なお店であります。小さい店で、一応バー形式なんだけど、まぁどっちかと言うと家庭風居酒屋に近い。あの、新宿ゴールデン街ってありますよね。あの辺の小さいカウンターだけの小料理屋にかなり近い雰囲気の店です。大体が10人入ると一杯だし。カクテルとか出るのかなぁ.....たまにしか作ってるとこ見ないな(笑)
で、私はといえば、たまに行く、行っても酒殆ど飲まないという、バー殺しの悪い客(笑)でありますが、縁あって私の知人がここのお店の企画に付き合っていまして(というか企画して持ち込んでるのか?)、私もちょっとだけお手伝いさせて貰ってます。正確には口出すだけとも言いますが(-.-;)
で、このバーで「木曜日はクラシックの日」と称して、ずーっとBGMとしてクラシックのCDを掛ける、というのをやってます。別に聞きに来てもらう、というわけじゃなくて、たまたま酒飲みに行ったらクラシックがBGMだねぇ今日は、という程度のいい加減な勢いです。まぁゴールデン街の小料理屋のノリですから推して知るべしということで。BGMなんてそっちのけでああでもないこうでもないって議論してたりするし。10月はピアノ曲でまとめてるんですが、来月はどうする?という話で、時事ネタに便乗して(笑)、11月は「のだめカンタービレ」に出てくる曲をやろうじゃないか、ということに。
選曲はどうするか?というのもありますが、誰の演奏に?とかまぁいろいろ考えるわけです。
で、ちょっと考えてみました。まぁ、最後は件の知人のところに任せるんだけど....
☆ドラマのオープニング:ベートーヴェン 交響曲第7番 (だそうな)
うーーーーーん........クライバー?でも、ちょっとかっこよすぎるし.....
アバドの新録で提案してみるか。(否決されそうだけど.......)
☆ドラマのエンディング:ガーシュイン ラプソディー・イン・ブルー(と聞いた)
そりゃぁもぉバーンスタインの旧盤で決まり!
.............................でも何処行ったっけ...........................?
☆のだめの初リサイタル
・モーツァルト キラキラ星変奏曲
うーーーん、意外と持ってないんだよな、録音。
ギーゼキングは古いし.........................................................
これは知人に任そう。
・モーツァルト ピアノソナタ 第18番
ピリスだなぁ。バーだし、綺麗に清澄に。
あ、でもアラウのがあるな。うーーん。アラウの方が酒飲み?(謎)
・リスト 2つの伝説 No.2 <波の上を歩くパオラの聖フランチェスコ>
うわぁ。これ、持ってるのか?<自分
知人にパス!キラーパス!!(おひ)
・ラヴェル 水の戯れ
これはやっぱりフランソワ、といきたいんだけど...........
もっとキラキラ感を大事にするなら、録音も考えて..........ヒューイット?
・シューベルト ピアノソナタ第16番
さぁどうしよう?
ブレンデルかなぁ。それともケンプ?いや、ここは一つ最近の新人
ミヒャェル・エンドレス君に登板を。
とかまぁこんな調子で考えてるんですけどね。
なんかいい案があったら教えて下さいませ。11月まで後半月だから、再来週には決めなきゃだし。まぁホントにのだめでやるのかどうか分からないんだけど。あ、バーの方へのお運びも是非どうぞ。木曜日でなくても、バー自体は年中無休でやってます。
新宿は歌舞伎町に、エポペというバーがあります。このバー、オーナーがカトリックの神父さんというなんだかよく分からない不思議なお店であります。小さい店で、一応バー形式なんだけど、まぁどっちかと言うと家庭風居酒屋に近い。あの、新宿ゴールデン街ってありますよね。あの辺の小さいカウンターだけの小料理屋にかなり近い雰囲気の店です。大体が10人入ると一杯だし。カクテルとか出るのかなぁ.....たまにしか作ってるとこ見ないな(笑)
で、私はといえば、たまに行く、行っても酒殆ど飲まないという、バー殺しの悪い客(笑)でありますが、縁あって私の知人がここのお店の企画に付き合っていまして(というか企画して持ち込んでるのか?)、私もちょっとだけお手伝いさせて貰ってます。正確には口出すだけとも言いますが(-.-;)
で、このバーで「木曜日はクラシックの日」と称して、ずーっとBGMとしてクラシックのCDを掛ける、というのをやってます。別に聞きに来てもらう、というわけじゃなくて、たまたま酒飲みに行ったらクラシックがBGMだねぇ今日は、という程度のいい加減な勢いです。まぁゴールデン街の小料理屋のノリですから推して知るべしということで。BGMなんてそっちのけでああでもないこうでもないって議論してたりするし。10月はピアノ曲でまとめてるんですが、来月はどうする?という話で、時事ネタに便乗して(笑)、11月は「のだめカンタービレ」に出てくる曲をやろうじゃないか、ということに。
選曲はどうするか?というのもありますが、誰の演奏に?とかまぁいろいろ考えるわけです。
で、ちょっと考えてみました。まぁ、最後は件の知人のところに任せるんだけど....
☆ドラマのオープニング:ベートーヴェン 交響曲第7番 (だそうな)
うーーーーーん........クライバー?でも、ちょっとかっこよすぎるし.....
アバドの新録で提案してみるか。(否決されそうだけど.......)
☆ドラマのエンディング:ガーシュイン ラプソディー・イン・ブルー(と聞いた)
そりゃぁもぉバーンスタインの旧盤で決まり!
.............................でも何処行ったっけ...........................?
☆のだめの初リサイタル
・モーツァルト キラキラ星変奏曲
うーーーん、意外と持ってないんだよな、録音。
ギーゼキングは古いし.........................................................
これは知人に任そう。
・モーツァルト ピアノソナタ 第18番
ピリスだなぁ。バーだし、綺麗に清澄に。
あ、でもアラウのがあるな。うーーん。アラウの方が酒飲み?(謎)
・リスト 2つの伝説 No.2 <波の上を歩くパオラの聖フランチェスコ>
うわぁ。これ、持ってるのか?<自分
知人にパス!キラーパス!!(おひ)
・ラヴェル 水の戯れ
これはやっぱりフランソワ、といきたいんだけど...........
もっとキラキラ感を大事にするなら、録音も考えて..........ヒューイット?
・シューベルト ピアノソナタ第16番
さぁどうしよう?
ブレンデルかなぁ。それともケンプ?いや、ここは一つ最近の新人
ミヒャェル・エンドレス君に登板を。
とかまぁこんな調子で考えてるんですけどね。
なんかいい案があったら教えて下さいませ。11月まで後半月だから、再来週には決めなきゃだし。まぁホントにのだめでやるのかどうか分からないんだけど。あ、バーの方へのお運びも是非どうぞ。木曜日でなくても、バー自体は年中無休でやってます。
2006/10/14のBlog
[ 11:35 ]
[ クラシック ]
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モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番 変ロ長調 K.458 「狩」、第22番 変ロ長調 K.589 「プロシャ王第2番」、第23番 ヘ長調 K.590 「プロシャ王第3番」
ウィーン弦楽四重奏団
RCA/BMGファンハウス/Tower Record TWCL1017
ウィーン絡みが続きます。
ウィーン弦楽四重奏団は、以前ハイドンの録音について書きましたが、今度はモーツァルトです。1975年と1978年の録音。タワーレコードが展開している「埋もれている近過去の名盤を復刻する」というシリーズの一枚。この録音は、実際には初出当時とは違うカップリングのようですが。
なるほど「名盤復刻」と仰るだけのことはある、いい演奏です。
まず、録音。いきなり録音を褒められても、という話はありましょうが、あくまで録音されたものを聞くのですから、録音の質の良し悪しは決して軽視出来ません。録音時期は若干違いますが、どちらも録音として取り敢えず聞きやすく作られています。いわゆるハイファイな音というのとは違って、弦楽四重奏というアンサンブルを楽器として聞いている感じ。楽器毎によく分離して聞こえる、っていうのではないですね。でも、車や自室で聞く分には、弦楽四重奏団なんて決して入らないスペースで聞くのですから、こういう聞こえ方は好ましくもあります。
演奏そのものも、録音の傾向に合っています。元来、各々の楽器同士が鋭く対立しながら進んでいくようなのではなくて、むしろ等質の音色、響きを指向するような音楽ですから、こういう全体で一つの楽器のように、というのはいいのではないかなと。
古典派、特にハイドンやモーツァルトの弦楽四重奏は、主旋律があって、各パートは主旋律に対し伴奏に回って、という風にできてます。主旋律も決してやたら長かったり複雑だったりするわけではないし。どの楽器が今何をやっていて、というように分析的に聞くよりも、全体をざくっと俯瞰しながら聞くような録音でしょうか。
でもそれは演奏自体がアバウトになっているということではありません。各楽器の等質性もさりながら、各パートの息が見事に合っているからこその一体感であります。フレージングの取り方やアーティキュレーションも適切というだけでなく、一貫性があります。
モーツァルトの弦楽四重奏でも、プロシャ王セットは、ハイドン・セットに較べると、やや影が薄い存在かも知れません。ハイドン・セットには、ここに収録されている「狩」や「不協和音」のような題名つきの曲もあって、比較すれば華やかさもあるのでよく聞かれるのでしょうが、どうしてプロシャ王セットもなかなか素晴らしい。というより、良し悪しでなく音楽の傾向にあまり差が感じられません。「狩」から約5年後の作品ですが、ちょっと聞いたくらいではそれほど作曲時期に差があるようには感じられないのです。一般的に同じ作曲家の同ジャンルでの作風が5年で極端に変わる事はあまりないですが、モーツァルトの場合は5年で結構変わったりしますけどね。まぁ、既にハイドン・セットの時期には高い完成度にあった、ということなのでしょう。
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RCA/BMGファンハウス/Tower Record TWCL1017
ウィーン絡みが続きます。
ウィーン弦楽四重奏団は、以前ハイドンの録音について書きましたが、今度はモーツァルトです。1975年と1978年の録音。タワーレコードが展開している「埋もれている近過去の名盤を復刻する」というシリーズの一枚。この録音は、実際には初出当時とは違うカップリングのようですが。
なるほど「名盤復刻」と仰るだけのことはある、いい演奏です。
まず、録音。いきなり録音を褒められても、という話はありましょうが、あくまで録音されたものを聞くのですから、録音の質の良し悪しは決して軽視出来ません。録音時期は若干違いますが、どちらも録音として取り敢えず聞きやすく作られています。いわゆるハイファイな音というのとは違って、弦楽四重奏というアンサンブルを楽器として聞いている感じ。楽器毎によく分離して聞こえる、っていうのではないですね。でも、車や自室で聞く分には、弦楽四重奏団なんて決して入らないスペースで聞くのですから、こういう聞こえ方は好ましくもあります。
演奏そのものも、録音の傾向に合っています。元来、各々の楽器同士が鋭く対立しながら進んでいくようなのではなくて、むしろ等質の音色、響きを指向するような音楽ですから、こういう全体で一つの楽器のように、というのはいいのではないかなと。
古典派、特にハイドンやモーツァルトの弦楽四重奏は、主旋律があって、各パートは主旋律に対し伴奏に回って、という風にできてます。主旋律も決してやたら長かったり複雑だったりするわけではないし。どの楽器が今何をやっていて、というように分析的に聞くよりも、全体をざくっと俯瞰しながら聞くような録音でしょうか。
でもそれは演奏自体がアバウトになっているということではありません。各楽器の等質性もさりながら、各パートの息が見事に合っているからこその一体感であります。フレージングの取り方やアーティキュレーションも適切というだけでなく、一貫性があります。
モーツァルトの弦楽四重奏でも、プロシャ王セットは、ハイドン・セットに較べると、やや影が薄い存在かも知れません。ハイドン・セットには、ここに収録されている「狩」や「不協和音」のような題名つきの曲もあって、比較すれば華やかさもあるのでよく聞かれるのでしょうが、どうしてプロシャ王セットもなかなか素晴らしい。というより、良し悪しでなく音楽の傾向にあまり差が感じられません。「狩」から約5年後の作品ですが、ちょっと聞いたくらいではそれほど作曲時期に差があるようには感じられないのです。一般的に同じ作曲家の同ジャンルでの作風が5年で極端に変わる事はあまりないですが、モーツァルトの場合は5年で結構変わったりしますけどね。まぁ、既にハイドン・セットの時期には高い完成度にあった、ということなのでしょう。
2006/10/13のBlog
[ 01:18 ]
[ オペラ ]
ヨハン・シュトラウス2世 「こうもり」
ヴォルフガング・ブレンデル (アイゼンシュタイン:bariton)
キリ・テ・カナワ (ロザリンデ:soprano)
トム・クラウセ (フランク:bass)
ブリギッテ・ファスベンダー (オルロフスキー公:mezzo soprano)
リチャード・リーチ (アルフレート:tenor)
オラフ・ベーア (ファルケ:bariton)
エディタ・グルベローヴァ (アデーレ:soprano)
オットー・シェンク (フロッシュ:語り)
台詞作成・演出:アウグスト・エヴァーディンク
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団
アンドレ・プレヴィン (conduct)
PHILIPS/日本フォノグラム PHCP-5021~2
こないだの反動で、やはり音のいい録音を聞きたいとか思うわけです。で、何にしようかとがさごそ引っ掻き回して、これを出してきました。
やっぱりこうもりと言えばウィーンなのですが、実はウィーン・フィル、またはウィーン国立歌劇場によるこうもりの録音はそれほど多くはありません。映像とかもあるけども。
実際には毎年必ず大晦日と元旦、時には正月3日とかも、には舞台に掛かっているので、上演は必ずあるのですが、でも録音は決して多くない。で、ウィーンでのこうもりで今のところ最新の筈の録音がこれ。1990年の録音です。
見れば分かる通り、これまたかなりの豪華キャストです。1990年当時、ウィーンを前提にこうもりを録音する、と考えた場合、他に代えられる歌手もいるにはいたけれど、このレベルを超えることはなかなか難しかったでしょう。
でも、何故か指揮がプレヴィン。
いや、決して悪くはないですよ。でも、ウィーンのこうもりの指揮者にプレヴィン?と当時は思ったものです。クライバーは仕事しないし、こうもりは前に入れてるし。でも、だからって何故プレヴィン?という...........
で、出来上がった録音は、というと、正直豪華歌手陣を聞くのに忙しくて、それどころじゃないんですね(笑) いや実際、ここに聞ける歌手達は1990年当時実に生きのいい面々。1990年はグルベローヴァの最盛期と言ってもいいくらい(本当は少し前?)だし、ブレンデル、ファスベンダーも脂の載ってる頃。それに、リチャード・リーチ!ああ勿体無い。キリ・テ・カナワはやや下り坂ですが、円熟のロザリンデってところでしょうか。この辺の人達がまぁ聞き物ですね。取り敢えずアデーレのアリアを聴いていれば幸せになれること間違いなしですが......
で、プレヴィンはどうでもいいのか、というと.......いやいやそんなことは。
この録音、果たして誰をメインに置かれているのか分かりませんが、プレヴィンのこうもり、ではないような気がするんですね。ただ、プレヴィンはいわば整理能力に長けています。見ての通りのキャストで、次から次へコラージュのように歌が出てくるオペラです。求められたのは、ウィーン・フィルやこの歌手陣を歌わせる指揮者ではなく、これだけのびっくり箱状態を破綻無く自然に纏められる実務者だったんじゃないか、という気がします。
ことこうもりに関する限り、今となってはこういう録音を作ることはかなり難しいんじゃないかと思います。歌手が集まらないのではないかと。録音し、繰り返し聞くに耐えるだけのものが出来るかと言えば、難しいのでは。強いて言えば、アーノンクールに振らせれば、音楽的には面白くなると思いますが(実際アーノンクールにはこうもりの録音があります)、歌手がなぁ............
その意味では殆ど最後の「ウィーンのこうもり」となる可能性は高いと思います。その割に人気ないんだよなぁ、これ.........
ヴォルフガング・ブレンデル (アイゼンシュタイン:bariton)
キリ・テ・カナワ (ロザリンデ:soprano)
トム・クラウセ (フランク:bass)
ブリギッテ・ファスベンダー (オルロフスキー公:mezzo soprano)
リチャード・リーチ (アルフレート:tenor)
オラフ・ベーア (ファルケ:bariton)
エディタ・グルベローヴァ (アデーレ:soprano)
オットー・シェンク (フロッシュ:語り)
台詞作成・演出:アウグスト・エヴァーディンク
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団
アンドレ・プレヴィン (conduct)
PHILIPS/日本フォノグラム PHCP-5021~2
こないだの反動で、やはり音のいい録音を聞きたいとか思うわけです。で、何にしようかとがさごそ引っ掻き回して、これを出してきました。
やっぱりこうもりと言えばウィーンなのですが、実はウィーン・フィル、またはウィーン国立歌劇場によるこうもりの録音はそれほど多くはありません。映像とかもあるけども。
実際には毎年必ず大晦日と元旦、時には正月3日とかも、には舞台に掛かっているので、上演は必ずあるのですが、でも録音は決して多くない。で、ウィーンでのこうもりで今のところ最新の筈の録音がこれ。1990年の録音です。
見れば分かる通り、これまたかなりの豪華キャストです。1990年当時、ウィーンを前提にこうもりを録音する、と考えた場合、他に代えられる歌手もいるにはいたけれど、このレベルを超えることはなかなか難しかったでしょう。
でも、何故か指揮がプレヴィン。
いや、決して悪くはないですよ。でも、ウィーンのこうもりの指揮者にプレヴィン?と当時は思ったものです。クライバーは仕事しないし、こうもりは前に入れてるし。でも、だからって何故プレヴィン?という...........
で、出来上がった録音は、というと、正直豪華歌手陣を聞くのに忙しくて、それどころじゃないんですね(笑) いや実際、ここに聞ける歌手達は1990年当時実に生きのいい面々。1990年はグルベローヴァの最盛期と言ってもいいくらい(本当は少し前?)だし、ブレンデル、ファスベンダーも脂の載ってる頃。それに、リチャード・リーチ!ああ勿体無い。キリ・テ・カナワはやや下り坂ですが、円熟のロザリンデってところでしょうか。この辺の人達がまぁ聞き物ですね。取り敢えずアデーレのアリアを聴いていれば幸せになれること間違いなしですが......
で、プレヴィンはどうでもいいのか、というと.......いやいやそんなことは。
この録音、果たして誰をメインに置かれているのか分かりませんが、プレヴィンのこうもり、ではないような気がするんですね。ただ、プレヴィンはいわば整理能力に長けています。見ての通りのキャストで、次から次へコラージュのように歌が出てくるオペラです。求められたのは、ウィーン・フィルやこの歌手陣を歌わせる指揮者ではなく、これだけのびっくり箱状態を破綻無く自然に纏められる実務者だったんじゃないか、という気がします。
ことこうもりに関する限り、今となってはこういう録音を作ることはかなり難しいんじゃないかと思います。歌手が集まらないのではないかと。録音し、繰り返し聞くに耐えるだけのものが出来るかと言えば、難しいのでは。強いて言えば、アーノンクールに振らせれば、音楽的には面白くなると思いますが(実際アーノンクールにはこうもりの録音があります)、歌手がなぁ............
その意味では殆ど最後の「ウィーンのこうもり」となる可能性は高いと思います。その割に人気ないんだよなぁ、これ.........
2006/10/11のBlog
[ 02:19 ]
[ オペラ ]
G.Verdi Don Carlo
Franco Corelli (tenor), Eberhard Wachter (bariton), Nicolai Ghiaurov(bass), etc
MYTO Records 3 MCD 983.189
更新回数とか、あまり気にしてはいないのですが、やはり数日更新が無いと来られる方も滞るようで。まぁ、「Web日記」「Webメモ」みたいなところが元になてるのがblogというスタイルですから、この辺が我慢の限界なのでしょう。そりゃそうだよな、大して面白くも無いのに更新されずに3日も経ったら忘れるわな(笑)
で、気にして連日更新などたまにはしてみるのでした..............
でもなぁ、今日のこれ、ちょっと躊躇しちゃうんですけどね、ほんとは。
MYTOレーベル。オペラ好きで定盤物は大体聞いた、という人なら知らない人はあまりいないレーベルです。あのぉ、多分、怪しいんですよね、版権とか。昔からイタリアでやってるレーベルで、今はスロヴェニアにあるようです。実は折角なのでサイトとか探したのですが、見つかりませんでした。
放送録音とか、どうも隠し録り臭い音源を中心に出してるんですが、大手レーベルの録音のコピーなんてものは皆無。往時、イタリアに本拠があった頃は、何やら公の認可スタンプみたいなもんまで押されてました。日本のみならず欧米の大手レコード屋でも扱われていて、もう怪しげレーベルのメージャーというような存在です。年4回くらい、CDサイズの数ページにわたるカタログまで出してますし。未だに新譜を出しますが、微妙なツボを突いてくるんだなこれがまた。
一体どこをどうクリアしているのかいないのか、という音源ばかりで、ライブ録音が主ですが、割と音質を調整して聞き易くしているのも(或いは元がいいのか?)人気の秘密。
でもまぁ、あまり大声で言える話ではないので、こそこそと続けます......(ヒソヒソ)
このレーベルお気に入りの歌手の一人が、フランコ・コレッリ。イタリア人テノールですが、録音で聞いてもそれとわかるスーパードラマチックテノールとでもいうようなお方。いや実際そりゃあんた新派の悲劇じゃあるまいし、ちょっとやり過ぎでないかい?という感情、いやいやこれは激情表現をこれでもかとばかりに連発する。
劇場で激情なんて冗談にもなりませんが、これがまた許せてしまうような見事さなんですねぇ。あの、郷ひろみ、というよりヒロミ・ゴーがですね、もうばりばりの色男ぶりを振り撒いて華麗に振舞っているような、俗な喩えですがああいう感じの過剰さで、悪趣味とか言う以前にああもぉおっしゃるとおりでございます~、と平伏してしまうような、そんな感じ。わかる?
ちなみにコレッリは見事なまでの2枚目色男であります。
そのコレッリが外題役を歌ったのがこのドン・カルロの公演。ドン・カルロ、ヴェルディによくある激情の悲劇的ヒーローであります。はまり役なんですねぇ。ただ、この公演が行われたのは1970年。既にコレッリもやや型崩れがしてきて、激情に任せて音楽的なブレが出てきています。が、そこはそれ激情の人だし、まぁ目くじら立てずにこの激しい表現に身を任せて楽しむことに致しましょう。
ちなみにこの公演、その筋では結構有名であります。
小姓というちょい役に、若き日のエディタ・グルベローヴァが出ているのですが、第1幕、シャーリー・ヴァーレット歌うところのエボリの姫のアリアで、小姓が合わせて歌うところに来ると、華のあり方が一段違うグルベローヴァのソプラノが、華やかさを一段と引き出していて、お見事。
1970年、10月25日、ウィーン国立歌劇場でのライブ録音。客席での録音か放送用だと思います。主なキャストは以下の通り。
指揮、ホルスト・シュタイン。
ドン・カルロ、フランコ・コレッリ。
エリザベッタ、グンドゥラ・ヤノヴィッツ。
エボリの姫、シャーリー・ヴァーレット。
ロドリーゴ、エバーハルト・ヴェヒター。
フィリッポ二世、ニコライ・ギャウロフ。
宗教裁判長、マルッティ・タルヴェラ。
小姓テバルド、エディタ・グルベローヴァ。
分かる人にはよーく分かる、豪華キャスティングであります。当たり外れや向き不向きってのはまぁありますけどね。しかしまぁ、コレッリとヴェヒターの掛け合いを聞きたくないと思う人は、コレッリ好きならいないでしょう。それに、ギャウロフのフィリッポ二世!
こんなシャビーな音で、雑音もあるし、これがいいのか?と言われるとお勧めは出来ません。でも、上記に挙げたキャストの名前が分かって、もう定盤は粗方聞いたよ、ドン・カルロで面白いのは何かな?と探求し始めれば、いつかは辿り着く類の一つでしょう。
まぁ、辿り着いたらその時は聞いてみては如何かと。
Franco Corelli (tenor), Eberhard Wachter (bariton), Nicolai Ghiaurov(bass), etc
MYTO Records 3 MCD 983.189
更新回数とか、あまり気にしてはいないのですが、やはり数日更新が無いと来られる方も滞るようで。まぁ、「Web日記」「Webメモ」みたいなところが元になてるのがblogというスタイルですから、この辺が我慢の限界なのでしょう。そりゃそうだよな、大して面白くも無いのに更新されずに3日も経ったら忘れるわな(笑)
で、気にして連日更新などたまにはしてみるのでした..............
でもなぁ、今日のこれ、ちょっと躊躇しちゃうんですけどね、ほんとは。
MYTOレーベル。オペラ好きで定盤物は大体聞いた、という人なら知らない人はあまりいないレーベルです。あのぉ、多分、怪しいんですよね、版権とか。昔からイタリアでやってるレーベルで、今はスロヴェニアにあるようです。実は折角なのでサイトとか探したのですが、見つかりませんでした。
放送録音とか、どうも隠し録り臭い音源を中心に出してるんですが、大手レーベルの録音のコピーなんてものは皆無。往時、イタリアに本拠があった頃は、何やら公の認可スタンプみたいなもんまで押されてました。日本のみならず欧米の大手レコード屋でも扱われていて、もう怪しげレーベルのメージャーというような存在です。年4回くらい、CDサイズの数ページにわたるカタログまで出してますし。未だに新譜を出しますが、微妙なツボを突いてくるんだなこれがまた。
一体どこをどうクリアしているのかいないのか、という音源ばかりで、ライブ録音が主ですが、割と音質を調整して聞き易くしているのも(或いは元がいいのか?)人気の秘密。
でもまぁ、あまり大声で言える話ではないので、こそこそと続けます......(ヒソヒソ)
このレーベルお気に入りの歌手の一人が、フランコ・コレッリ。イタリア人テノールですが、録音で聞いてもそれとわかるスーパードラマチックテノールとでもいうようなお方。いや実際そりゃあんた新派の悲劇じゃあるまいし、ちょっとやり過ぎでないかい?という感情、いやいやこれは激情表現をこれでもかとばかりに連発する。
劇場で激情なんて冗談にもなりませんが、これがまた許せてしまうような見事さなんですねぇ。あの、郷ひろみ、というよりヒロミ・ゴーがですね、もうばりばりの色男ぶりを振り撒いて華麗に振舞っているような、俗な喩えですがああいう感じの過剰さで、悪趣味とか言う以前にああもぉおっしゃるとおりでございます~、と平伏してしまうような、そんな感じ。わかる?
ちなみにコレッリは見事なまでの2枚目色男であります。
そのコレッリが外題役を歌ったのがこのドン・カルロの公演。ドン・カルロ、ヴェルディによくある激情の悲劇的ヒーローであります。はまり役なんですねぇ。ただ、この公演が行われたのは1970年。既にコレッリもやや型崩れがしてきて、激情に任せて音楽的なブレが出てきています。が、そこはそれ激情の人だし、まぁ目くじら立てずにこの激しい表現に身を任せて楽しむことに致しましょう。
ちなみにこの公演、その筋では結構有名であります。
小姓というちょい役に、若き日のエディタ・グルベローヴァが出ているのですが、第1幕、シャーリー・ヴァーレット歌うところのエボリの姫のアリアで、小姓が合わせて歌うところに来ると、華のあり方が一段違うグルベローヴァのソプラノが、華やかさを一段と引き出していて、お見事。
1970年、10月25日、ウィーン国立歌劇場でのライブ録音。客席での録音か放送用だと思います。主なキャストは以下の通り。
指揮、ホルスト・シュタイン。
ドン・カルロ、フランコ・コレッリ。
エリザベッタ、グンドゥラ・ヤノヴィッツ。
エボリの姫、シャーリー・ヴァーレット。
ロドリーゴ、エバーハルト・ヴェヒター。
フィリッポ二世、ニコライ・ギャウロフ。
宗教裁判長、マルッティ・タルヴェラ。
小姓テバルド、エディタ・グルベローヴァ。
分かる人にはよーく分かる、豪華キャスティングであります。当たり外れや向き不向きってのはまぁありますけどね。しかしまぁ、コレッリとヴェヒターの掛け合いを聞きたくないと思う人は、コレッリ好きならいないでしょう。それに、ギャウロフのフィリッポ二世!
こんなシャビーな音で、雑音もあるし、これがいいのか?と言われるとお勧めは出来ません。でも、上記に挙げたキャストの名前が分かって、もう定盤は粗方聞いたよ、ドン・カルロで面白いのは何かな?と探求し始めれば、いつかは辿り着く類の一つでしょう。
まぁ、辿り着いたらその時は聞いてみては如何かと。
2006/10/10のBlog
[ 01:42 ]
[ ジャズ ]
山下洋輔/目をみはるキャンバス
Yousuke Yamashita New York Trio
(Yousuke Yamashita (piano), Cecil McBee (bass), Pheeroan akLaff (drums))
Ravi Coltrane (tenor and soprano sax)
Verve/ポリドール POCJ-1360
最近何かと忙しくて、なかなかblogに書き込むまでに至りません。実は結構生に行っているので、そのせいもあるんですけどね。
1996年の録音ですから、もう10年前のものです。どうでもいいけど当時の旬の話でしかないライナーノートがつまらないなぁ......どのみち当時でもつまらなかったと思うけど。
山下洋輔。この夏、ビッグバンドとの共演ライブで久々に聞きました。いやぁ、柔らかくなっちゃって....というのは、15年位前のイメージを未だにこちらが持ってるからなんだと思います。既にこのCDでラジカルさはやや影を潜めています。ピアノの切れ味はいいんですけど、怖いまではいかないかなぁ。
で、この録音のもう一つの特徴は、ゲストにテナー/ソプラノ・サックスとしてラヴィ・コルトレーンを迎えていること。名前の通り、ジョン・コルトレーンの息子だそうです。次男だとか。
まぁ、正直、それほど凄い演奏、とはいかないですね。充実した内容ではあります。ただ、狂気が宿るような演奏ではない。ライナーノート氏は一曲目の「鳥の歌」、カタロニア民謡でカザルスが愛奏したので知られる曲、をひいて、なんかいろいろ書いてますが、あれは正直言ってカザルスだから意味があるので。
そういう意味では、他の曲の方がむしろ面白いかな。4曲目にラヴェルのボレロを入れてますが、これなんか割に面白いですね。妙な精神性みたいな話にならない分、かえって楽しいです。いや、楽しいというのとはちょっと違うかな?
音楽には、時に、TPOを選ぶものがあります。そんな深刻な話じゃないんですが、これは朝には合わないだろう、とか、これは夜向きじゃないなー、とか。車に合うとか合わないとかいうのもありますし。
で、この録音、車の中で朝聞いたのですが、合わなかったですねぇ。朝向きではない。特に最初の「鳥の歌」が全然朝向きじゃない。全般に、夜向きの音楽です。ブルーサイドと言うかダークサイドを抱えた音楽。そんな感じです。夜聞くといいですよ。
面白いとはちと違うか?てのはまぁそういう面も無きにしも非ず。面白いというより、夜聞いていてつい耳を傾けたくなる要素を持った演奏でしょうか。後半、A・C・ジョビンの曲を弾いてますが、なかなかいいんじゃないかな。あっけらかん、という感じでもないし。
Yousuke Yamashita New York Trio
(Yousuke Yamashita (piano), Cecil McBee (bass), Pheeroan akLaff (drums))
Ravi Coltrane (tenor and soprano sax)
Verve/ポリドール POCJ-1360
最近何かと忙しくて、なかなかblogに書き込むまでに至りません。実は結構生に行っているので、そのせいもあるんですけどね。
1996年の録音ですから、もう10年前のものです。どうでもいいけど当時の旬の話でしかないライナーノートがつまらないなぁ......どのみち当時でもつまらなかったと思うけど。
山下洋輔。この夏、ビッグバンドとの共演ライブで久々に聞きました。いやぁ、柔らかくなっちゃって....というのは、15年位前のイメージを未だにこちらが持ってるからなんだと思います。既にこのCDでラジカルさはやや影を潜めています。ピアノの切れ味はいいんですけど、怖いまではいかないかなぁ。
で、この録音のもう一つの特徴は、ゲストにテナー/ソプラノ・サックスとしてラヴィ・コルトレーンを迎えていること。名前の通り、ジョン・コルトレーンの息子だそうです。次男だとか。
まぁ、正直、それほど凄い演奏、とはいかないですね。充実した内容ではあります。ただ、狂気が宿るような演奏ではない。ライナーノート氏は一曲目の「鳥の歌」、カタロニア民謡でカザルスが愛奏したので知られる曲、をひいて、なんかいろいろ書いてますが、あれは正直言ってカザルスだから意味があるので。
そういう意味では、他の曲の方がむしろ面白いかな。4曲目にラヴェルのボレロを入れてますが、これなんか割に面白いですね。妙な精神性みたいな話にならない分、かえって楽しいです。いや、楽しいというのとはちょっと違うかな?
音楽には、時に、TPOを選ぶものがあります。そんな深刻な話じゃないんですが、これは朝には合わないだろう、とか、これは夜向きじゃないなー、とか。車に合うとか合わないとかいうのもありますし。
で、この録音、車の中で朝聞いたのですが、合わなかったですねぇ。朝向きではない。特に最初の「鳥の歌」が全然朝向きじゃない。全般に、夜向きの音楽です。ブルーサイドと言うかダークサイドを抱えた音楽。そんな感じです。夜聞くといいですよ。
面白いとはちと違うか?てのはまぁそういう面も無きにしも非ず。面白いというより、夜聞いていてつい耳を傾けたくなる要素を持った演奏でしょうか。後半、A・C・ジョビンの曲を弾いてますが、なかなかいいんじゃないかな。あっけらかん、という感じでもないし。
2006/10/05のBlog
[ 01:00 ]
[ クラシック ]
A・ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 op.88 "イギリス", チェロ協奏曲 ロ短調 op.104
フィラデルフィア管弦楽団
ナターリア・グートマン(Vc)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ(conduct)
東芝EMI(小学館) SWCI-544
最近流行のDVD付き雑誌のバリエーションで、CD付き雑誌がありますね。そのクラシック版があって、実は出るたびにチェックしてます。先日出た(最新じゃないですよ)号はドヴォルザークで、サヴァリッシュ指揮フィラデルフィア管の演奏。交響曲第8番「イギリス」とチェロ協奏曲。そういやこの組み合わせ、新世界は聞いたことあったけど、8番はなかったな、チェロ協奏曲も.....ってことで、ついつい買ってみました。980円。まぁ許せるお値段?
いい演奏の要素というのは幾つもあるでしょうが、その内の一つ、結構大きいものの一つに、フレージングというか歌い回し、というのがあります。これ、なかなか難しいんですよね。
今は、変な「音楽平等主義」みたいなものが蔓延っていて、どんな音楽でもそれなりに良さがあるような言われ方をしますから、尚更分かりにくいのですが、クラシック音楽に関しては、やはり技術とある特定の方向性を持った音楽的センスというものがないと、ちゃんとした演奏にはならないと思います。
で、それってどんなものかというと、大体こういうことだと思うんですね。
「椰子の実」って歌、御存知ですよ、ね?あの歌はこういう歌詞で始まります。
名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
これを歌う場合、気を入れずにポケッと歌うと、大抵こうなります。「|」で歌が途切れる、ブレスが入る、と考えて下さい。
名も知らぬ | 遠き島より | 流れ寄る | 椰子の実一つ
でも、普通に見れば、最初に書いたように、この部分は2行で出来ていると考える方が自然です。遠き島より、で切れる。
ところが、意味的には、ここで切れる必然性は無いんですね。ついでに言うと、この歌としては、旋律的には明らかにここで切るのが望ましいようには書かれていない。
じゃぁ、こうする?
名も知らぬ | 遠き島より 流れ寄る | 椰子の実一つ
でも、歌い出しでいきなりブレスなの?
恐らくこの歌は、一気に歌い切ってしまうと、すっきりしそう。でも、これを「さぁ息継ぎ為しで歌って~」って小学生に言ったら........しんどいでしょうね。
まぁ、これは、実際の解釈というより、一つの喩えと考えて頂きたいのですが、要は単純化すればこういうのと同じプロセスを高いレベルで出来るかどうか、だと思うんですね。
音楽全体の中から、演奏の単位となるようなひとまとまりを見出して把握すること。椰子の実で言えば、例えば最初の二行がひとまとまりだ!というような。
そのまとまりをどのように演奏するかをイメージする。どのようにすればそれが伝わるかを考え、具体的な演奏をデザインすること。先ほ
フィラデルフィア管弦楽団
ナターリア・グートマン(Vc)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ(conduct)
東芝EMI(小学館) SWCI-544
最近流行のDVD付き雑誌のバリエーションで、CD付き雑誌がありますね。そのクラシック版があって、実は出るたびにチェックしてます。先日出た(最新じゃないですよ)号はドヴォルザークで、サヴァリッシュ指揮フィラデルフィア管の演奏。交響曲第8番「イギリス」とチェロ協奏曲。そういやこの組み合わせ、新世界は聞いたことあったけど、8番はなかったな、チェロ協奏曲も.....ってことで、ついつい買ってみました。980円。まぁ許せるお値段?
いい演奏の要素というのは幾つもあるでしょうが、その内の一つ、結構大きいものの一つに、フレージングというか歌い回し、というのがあります。これ、なかなか難しいんですよね。
今は、変な「音楽平等主義」みたいなものが蔓延っていて、どんな音楽でもそれなりに良さがあるような言われ方をしますから、尚更分かりにくいのですが、クラシック音楽に関しては、やはり技術とある特定の方向性を持った音楽的センスというものがないと、ちゃんとした演奏にはならないと思います。
で、それってどんなものかというと、大体こういうことだと思うんですね。
「椰子の実」って歌、御存知ですよ、ね?あの歌はこういう歌詞で始まります。
名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
これを歌う場合、気を入れずにポケッと歌うと、大抵こうなります。「|」で歌が途切れる、ブレスが入る、と考えて下さい。
名も知らぬ | 遠き島より | 流れ寄る | 椰子の実一つ
でも、普通に見れば、最初に書いたように、この部分は2行で出来ていると考える方が自然です。遠き島より、で切れる。
ところが、意味的には、ここで切れる必然性は無いんですね。ついでに言うと、この歌としては、旋律的には明らかにここで切るのが望ましいようには書かれていない。
じゃぁ、こうする?
名も知らぬ | 遠き島より 流れ寄る | 椰子の実一つ
でも、歌い出しでいきなりブレスなの?
恐らくこの歌は、一気に歌い切ってしまうと、すっきりしそう。でも、これを「さぁ息継ぎ為しで歌って~」って小学生に言ったら........しんどいでしょうね。
まぁ、これは、実際の解釈というより、一つの喩えと考えて頂きたいのですが、要は単純化すればこういうのと同じプロセスを高いレベルで出来るかどうか、だと思うんですね。
音楽全体の中から、演奏の単位となるようなひとまとまりを見出して把握すること。椰子の実で言えば、例えば最初の二行がひとまとまりだ!というような。
そのまとまりをどのように演奏するかをイメージする。どのようにすればそれが伝わるかを考え、具体的な演奏をデザインすること。先ほ
