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2006/12/04のBlog
[ 01:50 ]
[ クラシック ]
C.Saint-Saens : Bassoon Sonata op.168
J. Roentgen : Bassoon Sonata / 3 Romances for solo piano op.32
L. V. Grθ?ndahl : Concerto for Bassoon (Arranged for piano)
Dirk Meijer (bassoon)
Jan van Liere (piano)
FINLANDIA / Warner Classics 0927-48197-2
バスーン。擬音のような、なんか間抜けな響きですね。フランス語ではバソン、ドイツやイタリア語ではファゴットと言うのでしょうか。なんかバソンとファゴットとは違うとか、フランス人よく分かりませーんな話もあるようですが、これはどっちなんだろ.............フランス人とオランダ人とデンマーク人........
時々、管楽器を聞いてみたくなります。でも、意外と管楽器の音楽というのはデリケートだし、決して数も多くないので、それほどは聞かないんですが。
で、某CD店でこんなのを見つけたので買ってみました。
サン=サーンスはまぁいいですよね。次の人はレントゲンさんと仰るのだそうです。別にx線研究をしていたわけではないようですが。3人目は.....なんて読むの?グレンダール?よく分かりません。
内容は、なかなか面白いです。サン=サーンスとレントゲンのが1920年代の作品、最後のデンマーク人のが1942年だそうです。にも拘らず、いずれもむしろロマン派の延長線上にあるような音楽です。きちんと確認はしていませんが、恐らくは調性のある音楽。全編を通して決まった調があって、という感じではないですが、無調、12音技法といった手法からは縁遠いようです。最後のは、ちょっと不協和音入ってますが。
レントゲンさんの(何故さん付け?(^^;)は二曲あって、ピアノ独奏曲もありますが、これも悪くない。グリーグ(正確にはその奥さん?)と親交があったようで、そういえば、グリーグの抒情小曲集でしたっけ?あれに一脈通ずる音楽のような感じがあります。うん、この3人の中では、この人のが一番聞いていて楽しいかな?
バスーン、あまり独奏曲は聞かないのですが、なかなか響きがいいですね。大体が、管楽器、特に木管は、音が柔らかいので、不協和音があまり不協和に感じられないような気がします。元々楽器単体ではそれほど不愉快な音を立てにくいし。なので、最後の曲も、あまり聞きにくい、しんどいという感じじゃないのですね。
加えて私はやはり低声部好き(低音好き、とかいってコントラバスやチューバを偏愛、というわけでも無いので)なので、バスーンは性に合うようです。それと、やはり楽曲でしょうか。このへんの、20世紀に入ってのロマン派というか、メインストリーム外の作曲家の作品というのは、結構聞き漏らしてる部分が多いんですよね。ニールセンとかもそうだし。
演奏者の両名は良く存じませんが、演奏は聞きにくいところも無く、感じのいいものです。取り敢えず私は満足。
J. Roentgen : Bassoon Sonata / 3 Romances for solo piano op.32
L. V. Grθ?ndahl : Concerto for Bassoon (Arranged for piano)
Dirk Meijer (bassoon)
Jan van Liere (piano)
FINLANDIA / Warner Classics 0927-48197-2
バスーン。擬音のような、なんか間抜けな響きですね。フランス語ではバソン、ドイツやイタリア語ではファゴットと言うのでしょうか。なんかバソンとファゴットとは違うとか、フランス人よく分かりませーんな話もあるようですが、これはどっちなんだろ.............フランス人とオランダ人とデンマーク人........
時々、管楽器を聞いてみたくなります。でも、意外と管楽器の音楽というのはデリケートだし、決して数も多くないので、それほどは聞かないんですが。
で、某CD店でこんなのを見つけたので買ってみました。
サン=サーンスはまぁいいですよね。次の人はレントゲンさんと仰るのだそうです。別にx線研究をしていたわけではないようですが。3人目は.....なんて読むの?グレンダール?よく分かりません。
内容は、なかなか面白いです。サン=サーンスとレントゲンのが1920年代の作品、最後のデンマーク人のが1942年だそうです。にも拘らず、いずれもむしろロマン派の延長線上にあるような音楽です。きちんと確認はしていませんが、恐らくは調性のある音楽。全編を通して決まった調があって、という感じではないですが、無調、12音技法といった手法からは縁遠いようです。最後のは、ちょっと不協和音入ってますが。
レントゲンさんの(何故さん付け?(^^;)は二曲あって、ピアノ独奏曲もありますが、これも悪くない。グリーグ(正確にはその奥さん?)と親交があったようで、そういえば、グリーグの抒情小曲集でしたっけ?あれに一脈通ずる音楽のような感じがあります。うん、この3人の中では、この人のが一番聞いていて楽しいかな?
バスーン、あまり独奏曲は聞かないのですが、なかなか響きがいいですね。大体が、管楽器、特に木管は、音が柔らかいので、不協和音があまり不協和に感じられないような気がします。元々楽器単体ではそれほど不愉快な音を立てにくいし。なので、最後の曲も、あまり聞きにくい、しんどいという感じじゃないのですね。
加えて私はやはり低声部好き(低音好き、とかいってコントラバスやチューバを偏愛、というわけでも無いので)なので、バスーンは性に合うようです。それと、やはり楽曲でしょうか。このへんの、20世紀に入ってのロマン派というか、メインストリーム外の作曲家の作品というのは、結構聞き漏らしてる部分が多いんですよね。ニールセンとかもそうだし。
演奏者の両名は良く存じませんが、演奏は聞きにくいところも無く、感じのいいものです。取り敢えず私は満足。
2006/12/02のBlog
[ 02:28 ]
グルダ ノン・ストップ
フリードリヒ・グルダ (piano)
SONY CLASSICAL SICC 335
12月になっちゃいましたねぇ。もう今年も残すところ1ヶ月です。
10月くらいから、イェルク・デムスが来日しています。いわゆる"ウィーン三羽烏"の一人。って、今となっては「何だそれ?」てな話ですが。この人、実はまだ日本に居るんですよね。明日は横浜でモーツァルトのピアノ協奏曲、3日の日曜日、練馬の光が丘美術館でコンサートだとか。流石にこれで終わりかな。
実は今回リサイタルを2回聞いたのですが、もうご高齢ということもあって、少なからず不安定。テンポは揺れるし。ただ、速いパッセージの処理など聞いていると、必ずしも「技術」の問題ではないようなのですね。全般に音楽がゆっくり目に流れている傾向はあるけれど、弾けないから、出来ないから、ではないらしい。ミスタッチが無いわけではないけれど、出鱈目ではない。むしろ、「歌」があるんですね。言ってしまえばフレージングの問題なのだけど、結局、テンポの揺れにせよ、ミスにせよ、それが音楽の流れを断ち切るようには現われては居ない。だから、多少の瑕があっても、音楽としては非常に楽しめる。実は、録音など聞くと、「あれ?」と思うケースも無くはないのですが、今回の演奏会ではむしろ楽しめたと思います。
実は、グルダの他の録音を聞いて、久しぶりにこれを出してきました。1990年、ミュンヘンでのライブ録音。グルダは一時期割とよく聞いていましたが、最近はこの辺の録音は御無沙汰で、本当に久しぶり。
で、聞き進めていって、中盤のドビュッシー・ショパンと弾き継いで、終盤のシューベルトへ向かうあたりで、「あれ?」と思ったんですね。特に、ショパンの「舟歌」。雰囲気は出てるんですが、なんとなく、音が多過ぎたり、足らなかったり。自分の中ではこの曲はアルゲリッチで随分聞いていて(そういやあのお姉さんは確かグルダに師事していた筈だなぁ)、そのイメージが強いのですが、アルゲリッチの堂々として堅牢たる構築物のような演奏に比すると、なんかもたつくような感じなんですね。ピアノの音も、決して綺麗とは言えない。
グルダ存命の頃も、今でも少なからずそうだろうけど、「そんなグルダは型に囚われない自由な音楽家で」云々なんて話が出てくると思うのですが、やっぱり、ヘンなものはヘン、なんですよね。昔は、必ずしもそうは思わなかったのだけど.................. 歳を取って、見えてしまったもの、なんでしょうか。
そうは言っても、そのおかしさというのが、先のデムスのように、音楽として決して致命的なものには至っていないんですね。揺れるし、変だし、でも、ヘンなりに歌は歌として歌われている。シューベルトの即興曲に行くと、また、これが結構な演奏になっていたりする。
結局、晩年のグルダというのは、ライブで聞くべき人、だったのかな、という気が少しします。特にこういうコンサートの場合。レコードという言葉が「記録する」という意味であることを、改めて感じさせられます。良くも悪くも、それは「レコード」である、と。その点、輸入盤で出ているパリでのライブは、これはまたちょっと違ったかなと思いますが。
フリードリヒ・グルダ (piano)
SONY CLASSICAL SICC 335
12月になっちゃいましたねぇ。もう今年も残すところ1ヶ月です。
10月くらいから、イェルク・デムスが来日しています。いわゆる"ウィーン三羽烏"の一人。って、今となっては「何だそれ?」てな話ですが。この人、実はまだ日本に居るんですよね。明日は横浜でモーツァルトのピアノ協奏曲、3日の日曜日、練馬の光が丘美術館でコンサートだとか。流石にこれで終わりかな。
実は今回リサイタルを2回聞いたのですが、もうご高齢ということもあって、少なからず不安定。テンポは揺れるし。ただ、速いパッセージの処理など聞いていると、必ずしも「技術」の問題ではないようなのですね。全般に音楽がゆっくり目に流れている傾向はあるけれど、弾けないから、出来ないから、ではないらしい。ミスタッチが無いわけではないけれど、出鱈目ではない。むしろ、「歌」があるんですね。言ってしまえばフレージングの問題なのだけど、結局、テンポの揺れにせよ、ミスにせよ、それが音楽の流れを断ち切るようには現われては居ない。だから、多少の瑕があっても、音楽としては非常に楽しめる。実は、録音など聞くと、「あれ?」と思うケースも無くはないのですが、今回の演奏会ではむしろ楽しめたと思います。
実は、グルダの他の録音を聞いて、久しぶりにこれを出してきました。1990年、ミュンヘンでのライブ録音。グルダは一時期割とよく聞いていましたが、最近はこの辺の録音は御無沙汰で、本当に久しぶり。
で、聞き進めていって、中盤のドビュッシー・ショパンと弾き継いで、終盤のシューベルトへ向かうあたりで、「あれ?」と思ったんですね。特に、ショパンの「舟歌」。雰囲気は出てるんですが、なんとなく、音が多過ぎたり、足らなかったり。自分の中ではこの曲はアルゲリッチで随分聞いていて(そういやあのお姉さんは確かグルダに師事していた筈だなぁ)、そのイメージが強いのですが、アルゲリッチの堂々として堅牢たる構築物のような演奏に比すると、なんかもたつくような感じなんですね。ピアノの音も、決して綺麗とは言えない。
グルダ存命の頃も、今でも少なからずそうだろうけど、「そんなグルダは型に囚われない自由な音楽家で」云々なんて話が出てくると思うのですが、やっぱり、ヘンなものはヘン、なんですよね。昔は、必ずしもそうは思わなかったのだけど.................. 歳を取って、見えてしまったもの、なんでしょうか。
そうは言っても、そのおかしさというのが、先のデムスのように、音楽として決して致命的なものには至っていないんですね。揺れるし、変だし、でも、ヘンなりに歌は歌として歌われている。シューベルトの即興曲に行くと、また、これが結構な演奏になっていたりする。
結局、晩年のグルダというのは、ライブで聞くべき人、だったのかな、という気が少しします。特にこういうコンサートの場合。レコードという言葉が「記録する」という意味であることを、改めて感じさせられます。良くも悪くも、それは「レコード」である、と。その点、輸入盤で出ているパリでのライブは、これはまたちょっと違ったかなと思いますが。
2006/11/30のBlog
[ 02:28 ]
[ クラシック ]
"Echoes from Austria" - Music als Heimat?
Lieder von Ernst Krenek und Franz Schubert
(Krenek:Ausgewaehltr Lieder von "Reisebuch aus den oesterreichischen Alpen, op.62
Schubert:Ausgewaehlte Lieder)
Wolfgang Holzmair (bariton)
Russell Ryan (piano)
ORF CD 350
Krenek。名前からしてよく分かりません。元はチェコの家系だそうで、"クシェネク"となりそうなところ、"クルシェネク"と呼ぶのが一般的で、でも本人は"クレーネク" と呼ばれたかったとかなんとか。ああもうよくわからん。
一般にはあまり知られていないかも知れません。20世紀音楽に興味のある人などは、ナチス・ドイツに「退廃音楽家」の烙印を押されたことで知られているかもしれません。実際、その一因ともなった、代表作のように扱われているのが「ジョニーは演奏する」という、ジャズを演奏する話の歌劇でありまして、これは確か小澤征爾がウィーンだか松本だかで、割と最近上演したのじゃなかったかな?1900年の生まれ。ウィーン出身ですが、この件もあって第二次大戦前にアメリカに移住し、以後住まいとしてはアメリカ国内を専らとしたそうです。1991年没。
という略歴から想像するに、ああ現代の音楽やねぇ、と思うわけですが、実はこれが違う。この人、生涯を通じてかなり頻繁に作風を変えてきたそうで、ここで歌われている「オーストリア・アルプスの旅日記」という歌曲集は1929年の作品ですが、一緒に歌われているシューベルトの諸作品と並べると、正直、咄嗟に「どっちかな?」と思わされる曲ばかり。最後、アンコールで歌われている一曲だけは「ああ、これはシューベルトじゃないな」とすぐ分かりますが、他はよくよく聞かないと渾然一体としてよく分かりません。
実は、さきほどのジャズ歌劇「ジョニーは演奏する」は1927年の作品。その間、1928年はシューベルト没後100年ということで、この間にシューベルトに感化されて、よく似たロマン派風の作品を書いた、という事のようで...........................................................
まぁ作風はともかく、歌曲としてはなかなか面白いです。よく聞くと、確かに現代的な不協和音など使われていたりするのですが、基本的には伝統的なドイツ歌曲の延長線上で、そのように歌われるべき作品として出来上がっているようです。ドイツ語の歌詞しか付いていないので(てかライナー全部ドイツ語)、よく分からないのが難点ですが.....一度調べて読んでやろうかしらん。
シューベルトの方も、クルシェネクの作品に近親性のある作品を選んでいるようです。テーマがやはり山や故郷やまぁそうしたものに関連したものが多いですが、音楽的に近い、というのもあるんだろうな、これは。
正直言ってですね、車の中で聞いてると、当然「今何を歌ってるか」なんて確認出来るわけもないので、1曲か2曲毎に交互に歌われる、クルシェネクかシューベルトか、どちらか分からないんですよこれが。本当に。確かに注意深く聞くと、分かる部分もあるのですが、むしろそれほどによく似ている事の方が驚きです。
まぁそんなわけで、聞いて音楽的に面白いねぇ、と言ってる程度ですが、それはそれとしても楽しい一枚です。2003年にウィーンのコンツェルトハウスでのライブ録音だそうですが、これはその場に居て聞いたら楽しかったろうなぁ。ヴォルフガング・ホルツマイアーがこれまたいい歌唱を披露してくれています。
これはもうちょっと聞き込んでみたいCD、というか曲達です。
Lieder von Ernst Krenek und Franz Schubert
(Krenek:Ausgewaehltr Lieder von "Reisebuch aus den oesterreichischen Alpen, op.62
Schubert:Ausgewaehlte Lieder)
Wolfgang Holzmair (bariton)
Russell Ryan (piano)
ORF CD 350
Krenek。名前からしてよく分かりません。元はチェコの家系だそうで、"クシェネク"となりそうなところ、"クルシェネク"と呼ぶのが一般的で、でも本人は"クレーネク" と呼ばれたかったとかなんとか。ああもうよくわからん。
一般にはあまり知られていないかも知れません。20世紀音楽に興味のある人などは、ナチス・ドイツに「退廃音楽家」の烙印を押されたことで知られているかもしれません。実際、その一因ともなった、代表作のように扱われているのが「ジョニーは演奏する」という、ジャズを演奏する話の歌劇でありまして、これは確か小澤征爾がウィーンだか松本だかで、割と最近上演したのじゃなかったかな?1900年の生まれ。ウィーン出身ですが、この件もあって第二次大戦前にアメリカに移住し、以後住まいとしてはアメリカ国内を専らとしたそうです。1991年没。
という略歴から想像するに、ああ現代の音楽やねぇ、と思うわけですが、実はこれが違う。この人、生涯を通じてかなり頻繁に作風を変えてきたそうで、ここで歌われている「オーストリア・アルプスの旅日記」という歌曲集は1929年の作品ですが、一緒に歌われているシューベルトの諸作品と並べると、正直、咄嗟に「どっちかな?」と思わされる曲ばかり。最後、アンコールで歌われている一曲だけは「ああ、これはシューベルトじゃないな」とすぐ分かりますが、他はよくよく聞かないと渾然一体としてよく分かりません。
実は、さきほどのジャズ歌劇「ジョニーは演奏する」は1927年の作品。その間、1928年はシューベルト没後100年ということで、この間にシューベルトに感化されて、よく似たロマン派風の作品を書いた、という事のようで...........................................................
まぁ作風はともかく、歌曲としてはなかなか面白いです。よく聞くと、確かに現代的な不協和音など使われていたりするのですが、基本的には伝統的なドイツ歌曲の延長線上で、そのように歌われるべき作品として出来上がっているようです。ドイツ語の歌詞しか付いていないので(てかライナー全部ドイツ語)、よく分からないのが難点ですが.....一度調べて読んでやろうかしらん。
シューベルトの方も、クルシェネクの作品に近親性のある作品を選んでいるようです。テーマがやはり山や故郷やまぁそうしたものに関連したものが多いですが、音楽的に近い、というのもあるんだろうな、これは。
正直言ってですね、車の中で聞いてると、当然「今何を歌ってるか」なんて確認出来るわけもないので、1曲か2曲毎に交互に歌われる、クルシェネクかシューベルトか、どちらか分からないんですよこれが。本当に。確かに注意深く聞くと、分かる部分もあるのですが、むしろそれほどによく似ている事の方が驚きです。
まぁそんなわけで、聞いて音楽的に面白いねぇ、と言ってる程度ですが、それはそれとしても楽しい一枚です。2003年にウィーンのコンツェルトハウスでのライブ録音だそうですが、これはその場に居て聞いたら楽しかったろうなぁ。ヴォルフガング・ホルツマイアーがこれまたいい歌唱を披露してくれています。
これはもうちょっと聞き込んでみたいCD、というか曲達です。
2006/11/29のBlog
[ 01:20 ]
[ クラシック ]
F. Schubert Lieder
Elisabeth Ebert (soprano)
Dieter Zechlin (piano)
Berlin Classics 0031142BC
ドイツ・リートに限らずそうですが、歌ものというのはやはり言葉の問題がどうしても気になります。
決して、言語が理解出来なければ楽しめないとか、そういうつもりは無いんです。そりゃぁ分かったに越したことはないとは思いますけども。ただ、そうは言っても、ある程度聞けばそれなりに言葉 - 言語としての意味はともかく - は分かってきますし、この言葉をどう歌うか、とか、発音が、とか、そういうことはどうしても気になってくるものです。
実は一昨日、イアン・ボストリッジが歌うシューベルトの「美しき水車屋の娘」を聞いてきました。細かい話は別blogで書いたので措くとして、やはり言葉と発音というのは、歌ものでは大事な要素だなと改めて思わされたのです。
御存知の方はイメージ出来ると思いますが、「水車屋」の18曲目、しぼめる花。恋した水車屋の娘にかつて貰った花はもう萎れてしまった。自分が死んだらそれを墓に入れておくれ。その周りで、いつの日かあの人が自分のことを思い出してくれたなら、花たちよ、皆花開け!"Herauf, Herauf!" 今こそ冬は去り、5月が訪れたのだから!
この Herauf という言葉、これこそがこの歌のクライマックスであり、この歌曲集の一つの山でもあるのですが、でも、この Herauf がどういう言葉であるか分からないのと分かるのとでは、確かに受け取り方が違うのだと思うのです。ついでに言うと、「5月が来た」という言葉の意味も大事で、5月というのはドイツあたりでは春の初めのイメージに近いのです。日本ではむしろ夏のイメージすらある5月ですが。北海道の季節感に近いのだ、という話を聞いた事があります。5月が来た、というのは、春が来た、という以上に、再び緑が地に溢れる、というような再生のイメージも担っているのでしょう。
てなことを感じるかどうかと言うところで、何歌ってるんだか分からないような発音だとやはりある面に於いては「歌えてない」と言わざるを得ないんだろうな、と思います。ボストリッジは、まぁこの辺ちゃんと聞こえてましたけどね。
言い換えると、その言語を母語とする人とか、その発音が綺麗な人の歌、というのは、それだけで楽しめる要素になるのだろうな、と思うのです。
で、このCD。もうお分かりですね。発音が綺麗なのです。多分、ドイツ語を母語としている人だと思うのですが、そういうこと以上に、発音が美しい。まるでベルリッツの発音練習用CDじゃないかしらというような、てのは言い過ぎですが、そんな気がするくらい、綺麗な発音です。
厳密には、例えば "und" の最後が破裂音として聞こえて来たりするので、歌として綺麗か、と言われれば、異論があるかも知れません。けれど、確かに、ちゃんと読めばそう発音するだろうな、というところがその通りに発音されて、聞こえ、それで尚端整で綺麗。
たまたま手元にあったので引き合いに出す格好になってしまって、大変に申し訳ないのだけれど、例えば鮫島有美子 - この人の歌うドイツ語の歌は、日本人としては多分白井光子の次に見事だと思うのだけれど - と較べると、特に子音の処理で差が出てしまうのですね。ドイツ語は、我々のイメージからすると、堅くてごつごつした言葉なのだけど、エーベルトが歌うとちゃんと子音が聞こえるのだけど、尖って聞こえるでなし、大袈裟になるでなし。かすかに、だけどしっかりと聞こえるので、よく分かるのです。
鮫島有美子もいいのだけど、較べてしまうと、どうしても子音の発音が弱い。それ以上はっきりと発音してしまうとごつごつしてしまう、そんなところだと思うのです。でも、恐らくこの人の発音は、日本人の歌手としては、かなり綺麗な方だと思います。そういう難しさがある。
なんだよ、じゃぁ、ネイティヴに歌わせるのがやっぱり一番って結論かい?いやいやそうは言わないのです。けれども、やはり上手なネイティヴというのは、強いよね、というところでしょうか。
1964年頃、恐らく東独の人だと思います。録音は若干古めかしくて風呂場的雰囲気が漂いますが、それでも歌手の声は綺麗に捉えられています。ピアニストのディーター・ツェヒリンの名は聞いた事がありますが、不勉強で、エリーザベト・エーベルトの方はあまり聞いた事がありません。このCD同様、edel系の録音の幾つかに顔を出しているようです。
とにかく、声はいいですよ。ここでは、「野ばら」とか「ます」、「アヴェ・マリア」、「君は我が憩い」、「楽に寄す」など定番曲を含め16曲を歌っています。約53分、声も発音もいいですが、歌い回しも素晴らしい。どの曲も素晴らしいですが、今の気分としては、「やまびこ」D.990cと、「君は我が憩い」D.776、それに、可憐さと音楽的雄大さを併せ持った「水の上にて歌う」D.774、この3曲をお勧めとしましょうか。まぁ、こういう場合のお勧めは、日によって気が変わるような気はしますが.....(笑)
当分、ドイツ・リートが続きそうな気がします....................
Elisabeth Ebert (soprano)
Dieter Zechlin (piano)
Berlin Classics 0031142BC
ドイツ・リートに限らずそうですが、歌ものというのはやはり言葉の問題がどうしても気になります。
決して、言語が理解出来なければ楽しめないとか、そういうつもりは無いんです。そりゃぁ分かったに越したことはないとは思いますけども。ただ、そうは言っても、ある程度聞けばそれなりに言葉 - 言語としての意味はともかく - は分かってきますし、この言葉をどう歌うか、とか、発音が、とか、そういうことはどうしても気になってくるものです。
実は一昨日、イアン・ボストリッジが歌うシューベルトの「美しき水車屋の娘」を聞いてきました。細かい話は別blogで書いたので措くとして、やはり言葉と発音というのは、歌ものでは大事な要素だなと改めて思わされたのです。
御存知の方はイメージ出来ると思いますが、「水車屋」の18曲目、しぼめる花。恋した水車屋の娘にかつて貰った花はもう萎れてしまった。自分が死んだらそれを墓に入れておくれ。その周りで、いつの日かあの人が自分のことを思い出してくれたなら、花たちよ、皆花開け!"Herauf, Herauf!" 今こそ冬は去り、5月が訪れたのだから!
この Herauf という言葉、これこそがこの歌のクライマックスであり、この歌曲集の一つの山でもあるのですが、でも、この Herauf がどういう言葉であるか分からないのと分かるのとでは、確かに受け取り方が違うのだと思うのです。ついでに言うと、「5月が来た」という言葉の意味も大事で、5月というのはドイツあたりでは春の初めのイメージに近いのです。日本ではむしろ夏のイメージすらある5月ですが。北海道の季節感に近いのだ、という話を聞いた事があります。5月が来た、というのは、春が来た、という以上に、再び緑が地に溢れる、というような再生のイメージも担っているのでしょう。
てなことを感じるかどうかと言うところで、何歌ってるんだか分からないような発音だとやはりある面に於いては「歌えてない」と言わざるを得ないんだろうな、と思います。ボストリッジは、まぁこの辺ちゃんと聞こえてましたけどね。
言い換えると、その言語を母語とする人とか、その発音が綺麗な人の歌、というのは、それだけで楽しめる要素になるのだろうな、と思うのです。
で、このCD。もうお分かりですね。発音が綺麗なのです。多分、ドイツ語を母語としている人だと思うのですが、そういうこと以上に、発音が美しい。まるでベルリッツの発音練習用CDじゃないかしらというような、てのは言い過ぎですが、そんな気がするくらい、綺麗な発音です。
厳密には、例えば "und" の最後が破裂音として聞こえて来たりするので、歌として綺麗か、と言われれば、異論があるかも知れません。けれど、確かに、ちゃんと読めばそう発音するだろうな、というところがその通りに発音されて、聞こえ、それで尚端整で綺麗。
たまたま手元にあったので引き合いに出す格好になってしまって、大変に申し訳ないのだけれど、例えば鮫島有美子 - この人の歌うドイツ語の歌は、日本人としては多分白井光子の次に見事だと思うのだけれど - と較べると、特に子音の処理で差が出てしまうのですね。ドイツ語は、我々のイメージからすると、堅くてごつごつした言葉なのだけど、エーベルトが歌うとちゃんと子音が聞こえるのだけど、尖って聞こえるでなし、大袈裟になるでなし。かすかに、だけどしっかりと聞こえるので、よく分かるのです。
鮫島有美子もいいのだけど、較べてしまうと、どうしても子音の発音が弱い。それ以上はっきりと発音してしまうとごつごつしてしまう、そんなところだと思うのです。でも、恐らくこの人の発音は、日本人の歌手としては、かなり綺麗な方だと思います。そういう難しさがある。
なんだよ、じゃぁ、ネイティヴに歌わせるのがやっぱり一番って結論かい?いやいやそうは言わないのです。けれども、やはり上手なネイティヴというのは、強いよね、というところでしょうか。
1964年頃、恐らく東独の人だと思います。録音は若干古めかしくて風呂場的雰囲気が漂いますが、それでも歌手の声は綺麗に捉えられています。ピアニストのディーター・ツェヒリンの名は聞いた事がありますが、不勉強で、エリーザベト・エーベルトの方はあまり聞いた事がありません。このCD同様、edel系の録音の幾つかに顔を出しているようです。
とにかく、声はいいですよ。ここでは、「野ばら」とか「ます」、「アヴェ・マリア」、「君は我が憩い」、「楽に寄す」など定番曲を含め16曲を歌っています。約53分、声も発音もいいですが、歌い回しも素晴らしい。どの曲も素晴らしいですが、今の気分としては、「やまびこ」D.990cと、「君は我が憩い」D.776、それに、可憐さと音楽的雄大さを併せ持った「水の上にて歌う」D.774、この3曲をお勧めとしましょうか。まぁ、こういう場合のお勧めは、日によって気が変わるような気はしますが.....(笑)
当分、ドイツ・リートが続きそうな気がします....................
2006/11/24のBlog
[ 01:23 ]
[ クラシック ]
F.Schubert : The piano sonatas
Andras Schiff (piano)
DECCA 448 390-2
今日はお休みなので、ちょっとお遊びな話を。
皆様御存知のだめカンタービレ。いわゆる"月九"でやってますが、私の場合普段の生活上見られるわけがありません。んな早く帰ってないって.......... 録画しときゃいいでしょ、という話はありますが、めんどくさいし、録画しても見る暇無いので、結局見てません。
あれか、アニメが始まれば、深夜枠らしいから、見られるか。でもそれまでは、というわけで、私の知識は専ら原作漫画に拠っております。
んで、ドラマではまだ出てないんだと思うけど、のだめがコンクールの1次予選で弾き、後々初リサイタルでも弾いたのが、シューベルトのピアノ・ソナタ第16番。ドイッチュ番号845、です。これがねぇ、ちょっとピンと来ないんですよね............. 平たく言うと「なんでそんな曲弾くの?」なんですよ。
曲そのものは、決して悪くないんですよ。いい曲です。ただ、この曲、難しいというか、地味なんですよね。第1楽章からしてModeratoです。主題も、特徴的でややエキゾチックな響きなんだけど、凄く強い印象を与えるのはなかなかに難しい。で、シューベルトお得意の「緩徐楽章2連荘」を持ち出してくるので、この2楽章の組み立てが難しい。第3楽章も、テンポこそAllegro vivaceから始まるけど、内容的には控え目に丁寧に弾いて行かないといけない曲。派手にいけるのは終楽章くらいかな?
学習目的としてはいいと思うんですけどね。コンクールみたいなとこで勝負するには、自分に合う曲を出来るだけ選ぶ方がいいには決まってる。まぁ、「何故この曲選んだ?」と訊かれて「付き合ったことのないタイプの人と付き合ってみたくなったって言うか....」とかほざいてますから、それはまぁ辻褄合うんですけどね。
でも、リサイタルでこれ弾くのって、どうなんだろう?
何度も言うようですが、この曲決して悪くありません。でも、リサイタルであれば尚のこと、お客に聞かせるのに自分に都合のいい曲を選ぶのが筋だと思うのですが、この曲はどうだろう?弾いちゃいけないとは思わないけど、リストやラヴェルをやった後に、この曲というのは、なかなか大変だと思うんですよね。まだ学生ののだめがレパートリーを持ってなかった、というのはあると思うんですが、これやるかなぁ?
というわけで只今この曲をシフで聞いております。いい演奏です。特に、透明感のあるシフの演奏はよく合ってます。シフだったら、オール・シューベルト・プログラムを組んで、この曲を入れるかも知れません。つまり、シューベルトをプロパーとする、シフやブレンデルのようなピアニストが入れるならいいんですが..........ってところかな。
漫画ののだめのように、多彩な響きを身上にして、モーツァルトからリスト、ラヴェルと弾き進めてきた後にこの曲では、良さも十分出ないんじゃないかと思うし、お客さんの緊張感を維持するのも大変だろうなぁ、と。イ短調、っていうのも、合わないような気がするし。
自分はピアノを弾くわけじゃないけど、もし誰かピアニストのリサイタルを組むとなったら、きっとこの選曲はしないでしょうね。まぁ、それでも人を引き付けられる天紊がある、ということなんでしょうが....................
自分だったら、この曲ではなくて、第17番、D.850のニ長調のソナタを選ぶかな。急-緩-急-急の、早目のテンポでの構成。何より第1楽章でお客を掴みやすいし、演奏効果も期待出来るので、緊張感を維持しやすいのではないかな。勿論、丁寧にきちんと弾くのが必須条件ですが、それはシューベルトのソナタなら皆そうだし。多分、聞き比べて頂ければ、リサイタルとしてどちらがやり易いか分かって頂けるのではないかな。
上手く弾けなかったら、というリスクは確かにあるけど、そこはそれ、漫画だし.....(笑)
そういや、のだめがコンクールへの準備中、「シュベルトは気難しい」とか言ってるのですが、このD.850弾いてたら、そうは思わないんじゃないかな?って、漫画に突っ込んでもしょうがないんだけどさ(苦笑)
Andras Schiff (piano)
DECCA 448 390-2
今日はお休みなので、ちょっとお遊びな話を。
皆様御存知のだめカンタービレ。いわゆる"月九"でやってますが、私の場合普段の生活上見られるわけがありません。んな早く帰ってないって.......... 録画しときゃいいでしょ、という話はありますが、めんどくさいし、録画しても見る暇無いので、結局見てません。
あれか、アニメが始まれば、深夜枠らしいから、見られるか。でもそれまでは、というわけで、私の知識は専ら原作漫画に拠っております。
んで、ドラマではまだ出てないんだと思うけど、のだめがコンクールの1次予選で弾き、後々初リサイタルでも弾いたのが、シューベルトのピアノ・ソナタ第16番。ドイッチュ番号845、です。これがねぇ、ちょっとピンと来ないんですよね............. 平たく言うと「なんでそんな曲弾くの?」なんですよ。
曲そのものは、決して悪くないんですよ。いい曲です。ただ、この曲、難しいというか、地味なんですよね。第1楽章からしてModeratoです。主題も、特徴的でややエキゾチックな響きなんだけど、凄く強い印象を与えるのはなかなかに難しい。で、シューベルトお得意の「緩徐楽章2連荘」を持ち出してくるので、この2楽章の組み立てが難しい。第3楽章も、テンポこそAllegro vivaceから始まるけど、内容的には控え目に丁寧に弾いて行かないといけない曲。派手にいけるのは終楽章くらいかな?
学習目的としてはいいと思うんですけどね。コンクールみたいなとこで勝負するには、自分に合う曲を出来るだけ選ぶ方がいいには決まってる。まぁ、「何故この曲選んだ?」と訊かれて「付き合ったことのないタイプの人と付き合ってみたくなったって言うか....」とかほざいてますから、それはまぁ辻褄合うんですけどね。
でも、リサイタルでこれ弾くのって、どうなんだろう?
何度も言うようですが、この曲決して悪くありません。でも、リサイタルであれば尚のこと、お客に聞かせるのに自分に都合のいい曲を選ぶのが筋だと思うのですが、この曲はどうだろう?弾いちゃいけないとは思わないけど、リストやラヴェルをやった後に、この曲というのは、なかなか大変だと思うんですよね。まだ学生ののだめがレパートリーを持ってなかった、というのはあると思うんですが、これやるかなぁ?
というわけで只今この曲をシフで聞いております。いい演奏です。特に、透明感のあるシフの演奏はよく合ってます。シフだったら、オール・シューベルト・プログラムを組んで、この曲を入れるかも知れません。つまり、シューベルトをプロパーとする、シフやブレンデルのようなピアニストが入れるならいいんですが..........ってところかな。
漫画ののだめのように、多彩な響きを身上にして、モーツァルトからリスト、ラヴェルと弾き進めてきた後にこの曲では、良さも十分出ないんじゃないかと思うし、お客さんの緊張感を維持するのも大変だろうなぁ、と。イ短調、っていうのも、合わないような気がするし。
自分はピアノを弾くわけじゃないけど、もし誰かピアニストのリサイタルを組むとなったら、きっとこの選曲はしないでしょうね。まぁ、それでも人を引き付けられる天紊がある、ということなんでしょうが....................
自分だったら、この曲ではなくて、第17番、D.850のニ長調のソナタを選ぶかな。急-緩-急-急の、早目のテンポでの構成。何より第1楽章でお客を掴みやすいし、演奏効果も期待出来るので、緊張感を維持しやすいのではないかな。勿論、丁寧にきちんと弾くのが必須条件ですが、それはシューベルトのソナタなら皆そうだし。多分、聞き比べて頂ければ、リサイタルとしてどちらがやり易いか分かって頂けるのではないかな。
上手く弾けなかったら、というリスクは確かにあるけど、そこはそれ、漫画だし.....(笑)
そういや、のだめがコンクールへの準備中、「シュベルトは気難しい」とか言ってるのですが、このD.850弾いてたら、そうは思わないんじゃないかな?って、漫画に突っ込んでもしょうがないんだけどさ(苦笑)
2006/11/23のBlog
[ 04:31 ]
[ クラシック ]
A.ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 op.95 「新世界より」
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
ヴァーツラフ・ノイマン (conduct)
DENON COCO-70706
[関連したBlog]
というわけで、ドヴォルザークの新世界が続きます。ドヴォルザークつったらまぁやっぱりチェコ・フィルは外せないでしょう?チェコ・フィルつったらやっぱりノイマンは外せないよねぇ?というわけで、ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィルの新世界であります。超定番。
ノイマン/チェコ・フィルでは、2つの全曲録音があるのですが、この録音はそれとは別に、1993年、プラハで行われた、「新世界」交響曲初演100周年の記念コンサートでの演奏を収録したものです。勿論ライブ録音。
やはり響きがいいですなぁ、チェコ・フィルは。上手い下手を言えば、ここより上手いところもあるし、趣味を言えばウィーン・フィルなんかとは違うのですが、とにかくこのオーケストラには「刺客」が沢山居るのです。弦の響きがいいのもそうなんだけど、例えばですね、第4楽章、この録音では2分ほど経った所(ちと手前)から、クラリネットの独奏が入るのですが、このクラリネットが何故か凄く綺麗なのです...............
オーボエとかじゃない。言えばクラリネット。正直オーケストラの中でそれほどまでに良し悪しで目立つ楽器じゃないですよ。それこそ何度聴いたか知れない所なんだけど、なのに、あんた、どうしてこんなに綺麗なの............orz
油断してうっかり聞いていると、こういう刺客が忽ち現れて「ぐさり」と一刺ししていくのです。以前、チェコ・フィルが「NHK音楽祭」というのでやってきて、ベートーヴェンの第九をやっていったことがあるのですが、この時は、第3楽章の冒頭、木管が音を繋いで弦に受け渡して音楽が始まる、ここのところでぐさりとやられました。パートが変わっているのが、分からないんですよ。木管同士でも分からない上に、そのままシームレスに弦に繋がる、その響きが等質で........一つの「オーケストラの音」として等質。
チェコ・フィル恐るべし。
この演奏、全体としては、ちょっとゆっくり目なんですね。特に後半の2楽章。この辺は、ライブ盤故でしょうか。これを生で聞いたら、さぞかし素晴らしかったろうなと思うのですが、録音で聞くと、若干その面で物足りなさを感じる気もします。これはこれでいいんですけどね。でも、少なくとも私は、これまたセル/クリーヴランド管に引っ張られているかも知れないけど、後半は一気呵成に畳み掛けてくれる方が、録音で聞く分にはいいかなと思います。生だったらこのテンポで大賛成。吸引力と緊張感のバランスが、生で聞くのと録音で聞くのとでは違ってくる一例ではないかと。
録音は、これがまたいい。DENONがチェコで収録した、最後の輝かしい伝説の一つかも知れません。マイク2本録りで、それ故に各パートがよく聞こえてというような「優秀録音」ではなく、若干の偏りはあるけれど、音楽を聞く、という面では実に気持ちのいい聞こえ方です。
このCDのライナー、まぁ評論家のヨタはともかくとして、ノイマンのこの演奏なのか録音なのか、に寄せるコメントが付いていて、曰く、ノイマンはこの曲と160回以上「出会った」のだとか。指揮をした回数、と受け取っていいかな、と思うのですが、ノイマンにしてこの回数しか指揮出来なかった、と思えば、ええとですね、その、同じ曲で100回も聞いてないのが殆どと言うのも、あの、そうおかしな話ではない、の、か、な、なんちゃって.......................................
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
ヴァーツラフ・ノイマン (conduct)
DENON COCO-70706
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というわけで、ドヴォルザークの新世界が続きます。ドヴォルザークつったらまぁやっぱりチェコ・フィルは外せないでしょう?チェコ・フィルつったらやっぱりノイマンは外せないよねぇ?というわけで、ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィルの新世界であります。超定番。
ノイマン/チェコ・フィルでは、2つの全曲録音があるのですが、この録音はそれとは別に、1993年、プラハで行われた、「新世界」交響曲初演100周年の記念コンサートでの演奏を収録したものです。勿論ライブ録音。
やはり響きがいいですなぁ、チェコ・フィルは。上手い下手を言えば、ここより上手いところもあるし、趣味を言えばウィーン・フィルなんかとは違うのですが、とにかくこのオーケストラには「刺客」が沢山居るのです。弦の響きがいいのもそうなんだけど、例えばですね、第4楽章、この録音では2分ほど経った所(ちと手前)から、クラリネットの独奏が入るのですが、このクラリネットが何故か凄く綺麗なのです...............
オーボエとかじゃない。言えばクラリネット。正直オーケストラの中でそれほどまでに良し悪しで目立つ楽器じゃないですよ。それこそ何度聴いたか知れない所なんだけど、なのに、あんた、どうしてこんなに綺麗なの............orz
油断してうっかり聞いていると、こういう刺客が忽ち現れて「ぐさり」と一刺ししていくのです。以前、チェコ・フィルが「NHK音楽祭」というのでやってきて、ベートーヴェンの第九をやっていったことがあるのですが、この時は、第3楽章の冒頭、木管が音を繋いで弦に受け渡して音楽が始まる、ここのところでぐさりとやられました。パートが変わっているのが、分からないんですよ。木管同士でも分からない上に、そのままシームレスに弦に繋がる、その響きが等質で........一つの「オーケストラの音」として等質。
チェコ・フィル恐るべし。
この演奏、全体としては、ちょっとゆっくり目なんですね。特に後半の2楽章。この辺は、ライブ盤故でしょうか。これを生で聞いたら、さぞかし素晴らしかったろうなと思うのですが、録音で聞くと、若干その面で物足りなさを感じる気もします。これはこれでいいんですけどね。でも、少なくとも私は、これまたセル/クリーヴランド管に引っ張られているかも知れないけど、後半は一気呵成に畳み掛けてくれる方が、録音で聞く分にはいいかなと思います。生だったらこのテンポで大賛成。吸引力と緊張感のバランスが、生で聞くのと録音で聞くのとでは違ってくる一例ではないかと。
録音は、これがまたいい。DENONがチェコで収録した、最後の輝かしい伝説の一つかも知れません。マイク2本録りで、それ故に各パートがよく聞こえてというような「優秀録音」ではなく、若干の偏りはあるけれど、音楽を聞く、という面では実に気持ちのいい聞こえ方です。
このCDのライナー、まぁ評論家のヨタはともかくとして、ノイマンのこの演奏なのか録音なのか、に寄せるコメントが付いていて、曰く、ノイマンはこの曲と160回以上「出会った」のだとか。指揮をした回数、と受け取っていいかな、と思うのですが、ノイマンにしてこの回数しか指揮出来なかった、と思えば、ええとですね、その、同じ曲で100回も聞いてないのが殆どと言うのも、あの、そうおかしな話ではない、の、か、な、なんちゃって.......................................
2006/11/22のBlog
[ 01:48 ]
[ 車で音楽 ]
スキマスイッチ/空創クリップ
BMGファンハウス AUCK-11006
とまぁ、アルバムだとこうなるのですが、実のところアルバムがどうとかいうより「この曲」なのであります。今更ですけどね。書こうかなーと思いつつここまでほったらかしできてしまいました。
ありがちと言えばありがちな曲なんでしょうが、それだけに、捕まってしまうともう逃れられないのであります。サビがねェ。このメロディもいいけど、ちょっとづつ螺旋を描くように上がって行く展開がいいですなぁ。大袈裟でないけどしっかりと落着感があります。お上手な造りであります。CDで聞くとまぁ悪くないんだけど、もっとゴージャスに音を造ったら、もっと面白いのになぁ、とか思ったりするのですね。
お決まりのパターンと言えばパターンなんだけど、それだけに、上手く掴む事が出来るようなものを作ってみせた、というだけで十分では。
それと、歌詞。
全力で少年。意味不明です。意味不明ですがなんとなく分かってしまうのであります。雰囲気で押し切られてるような気もしますが、これはもうなんとなく、と思った時点で負けですね。
「セカイを開くのは誰だ?」「怯えてたら何も生まれない」「セカイを開くのは僕だ」。同じフレーズの3回の繰り返し、バースの最後に当たる一節です。ベタだけどお見事。こういう歌詞と、上りながら開いていくような音楽が気持ちいいのですね。最初私は「拓く」だとばかり思ってました。ホントはそういうことなのかも知れないけど、そうでなきゃな、という気がします。
なんとなく、久々に地に足つけて遠くを見て大袈裟じゃないけど思うところあり、そういう歌だなぁと思うのです。まさに「全力で少年」って感じでしょうか。
.............つまり、自分は結構こういう流行りものに弱いのかも知れません...................まぁ、いいじゃん(笑)
BMGファンハウス AUCK-11006
とまぁ、アルバムだとこうなるのですが、実のところアルバムがどうとかいうより「この曲」なのであります。今更ですけどね。書こうかなーと思いつつここまでほったらかしできてしまいました。
ありがちと言えばありがちな曲なんでしょうが、それだけに、捕まってしまうともう逃れられないのであります。サビがねェ。このメロディもいいけど、ちょっとづつ螺旋を描くように上がって行く展開がいいですなぁ。大袈裟でないけどしっかりと落着感があります。お上手な造りであります。CDで聞くとまぁ悪くないんだけど、もっとゴージャスに音を造ったら、もっと面白いのになぁ、とか思ったりするのですね。
お決まりのパターンと言えばパターンなんだけど、それだけに、上手く掴む事が出来るようなものを作ってみせた、というだけで十分では。
それと、歌詞。
全力で少年。意味不明です。意味不明ですがなんとなく分かってしまうのであります。雰囲気で押し切られてるような気もしますが、これはもうなんとなく、と思った時点で負けですね。
「セカイを開くのは誰だ?」「怯えてたら何も生まれない」「セカイを開くのは僕だ」。同じフレーズの3回の繰り返し、バースの最後に当たる一節です。ベタだけどお見事。こういう歌詞と、上りながら開いていくような音楽が気持ちいいのですね。最初私は「拓く」だとばかり思ってました。ホントはそういうことなのかも知れないけど、そうでなきゃな、という気がします。
なんとなく、久々に地に足つけて遠くを見て大袈裟じゃないけど思うところあり、そういう歌だなぁと思うのです。まさに「全力で少年」って感じでしょうか。
.............つまり、自分は結構こういう流行りものに弱いのかも知れません...................まぁ、いいじゃん(笑)
2006/11/21のBlog
[ 01:57 ]
[ ジャズ ]
SONNY CLARK QUINTETS
Sonny Clark (piano)
Art Farmer (trumpet)
Jackie McLean (alto sax)
Clifford Jordan (tenor sax)
Kenny Burrell (guitar)
Paul Chambers (bass)
Philly Joe Jones, Pete La Roca (drums)
BLUE NOTE/東芝EMI TOCJ-6455
ソニー・クラークといえば、"Cool Struttin'"、あのクールなハイヒールの足で有名(笑)なアルバムがありますが、これはそのセッションの一部である2曲と、もう一つ別のセッション3曲とを併せて造ったアルバムだとか。正確には、オリジナルのブルーノートとしては発売されず、アサインされていた1592 という番号は欠番になっているのだとか。理由はよく分かりませんが。
"Cool Struttin'"の続きで録音されたのは、トランペットとアルトサックスの2ホーン(しかもアート・ファーマーにジャッキー・マクリーン!)であるのに対して、3曲の方はテナーサックスの1ホーンにギターという構成。賑やかに騒々しい、というか全般にハイトーンな前半に対し、自然と落ち着きの感じられる後半。よく言えば構成の妙であり、言い換えれば、ちとバランスの悪い、据わりの良くないアルバムでしょうか......(^^;
悪くない演奏ですが、こうやって並べられると、出来の良し悪しはあるにせよ、後半の1ホーンの方の落ち着きをいいなぁと思ってしまいます。でも、ギター入りのやや緩めのジャズって、車にはそれほど合うとは言えないような................
そういう意味では一曲目の"Royal Flush"とか、いきなり「せーの」で始まる感じがよかったりするんですけども。
ジャズに限らず、アルバムって、時々、一つ一つの曲とか演奏とかは悪くないんだけど、全体としてしっくりはまらない感じになることがありますが、これは、そんな感じかなぁ。
"Cool Struttin'"を聞いて、「ソニー・クラークをもっと聞いてみたい」という人が、そうだなぁ、「ソニー・クラーク・トリオ」あたりを聞いてから、3枚目に巡り会うと、わりと楽しく聞けるかも知れません。
Sonny Clark (piano)
Art Farmer (trumpet)
Jackie McLean (alto sax)
Clifford Jordan (tenor sax)
Kenny Burrell (guitar)
Paul Chambers (bass)
Philly Joe Jones, Pete La Roca (drums)
BLUE NOTE/東芝EMI TOCJ-6455
ソニー・クラークといえば、"Cool Struttin'"、あのクールなハイヒールの足で有名(笑)なアルバムがありますが、これはそのセッションの一部である2曲と、もう一つ別のセッション3曲とを併せて造ったアルバムだとか。正確には、オリジナルのブルーノートとしては発売されず、アサインされていた1592 という番号は欠番になっているのだとか。理由はよく分かりませんが。
"Cool Struttin'"の続きで録音されたのは、トランペットとアルトサックスの2ホーン(しかもアート・ファーマーにジャッキー・マクリーン!)であるのに対して、3曲の方はテナーサックスの1ホーンにギターという構成。賑やかに騒々しい、というか全般にハイトーンな前半に対し、自然と落ち着きの感じられる後半。よく言えば構成の妙であり、言い換えれば、ちとバランスの悪い、据わりの良くないアルバムでしょうか......(^^;
悪くない演奏ですが、こうやって並べられると、出来の良し悪しはあるにせよ、後半の1ホーンの方の落ち着きをいいなぁと思ってしまいます。でも、ギター入りのやや緩めのジャズって、車にはそれほど合うとは言えないような................
そういう意味では一曲目の"Royal Flush"とか、いきなり「せーの」で始まる感じがよかったりするんですけども。
ジャズに限らず、アルバムって、時々、一つ一つの曲とか演奏とかは悪くないんだけど、全体としてしっくりはまらない感じになることがありますが、これは、そんな感じかなぁ。
"Cool Struttin'"を聞いて、「ソニー・クラークをもっと聞いてみたい」という人が、そうだなぁ、「ソニー・クラーク・トリオ」あたりを聞いてから、3枚目に巡り会うと、わりと楽しく聞けるかも知れません。
2006/11/20のBlog
[ 02:02 ]
[ クラシック ]
George London ・ SPIRITUALS
George London (bass-bariton)
Singgemeinschaft Rudolf Lamy
Members of theOrchestra of the Bavarian State Radio
Rhythm Section, Carl Michalski (conduct)
Deutsche Grammophon 00289 477 6193
ジョージ・ロンドン、これまた古い歌手を持ってきてしまいました。1920年生まれ、1960年代に活躍した歌手です。1985年没。勿論私は生で聞いたことなどありません。この録音は、1963年のものです。
ロンドン自身はロシア移民の子としてアメリカで生まれたそうです。ロンドンというのがどういう謂れの苗字なのか分かりませんが、或いは移民してきた時にエリス島あたりで役人に適当に付けられちゃったのかも知れないなぁ、などと想像してみたりするのですが、実のところはよく分かりません......
黒人霊歌。Spiritual とだけ綴られ、実際そのようにしか呼ばれませんが、現実に、今ではそうとは限らないにせよ、かつてはアメリカで、教会すら分けられていたような時代に(今でもある程度そうでしょうけど)、黒人達が教会で合唱していた彼らの「聖歌」です。だから、その歌詞にも、彼等の訛りが反映されてます。英語ではそう言わないけれど、「黒人霊歌」という表現は、多分に差別的かも知れませんが、結構実態を表しているとも言えるでしょう。
ゴスペルのはしりでもあるわけですが、まだジャズやR&Bの要素が無い。強いて言えば、ブルースの和声進行が一部聞かれたりするくらいかな(ジェリコの戦いとか)。いや、むしろ、こうしたSpiritualsを母体の一つとして、ブルースやジャズが出て行った、と考えるべきかも知れません。
そんな経緯もあって、実際にこれを歌うのは、多くの場合、合唱団である事が多いです。ソロだと、黒人系の歌手が殆ど。ジェシー・ノーマンとか、バーバラ・ヘンドリックスとか。キャスリーン・バトルも前に歌ってましたっけ。単発で有名曲を歌うケースはあるけど、まとめて歌うのは大抵こうした人達。
で、ジョージ・ロンドン。何故ロシア系の彼が?と思うのですが、細かい経緯は知らず、CDのジャケットによれば、彼自身これら黒人霊歌を "their simple form, the rich imagery of their world of ideas, their inwardness and direct emotion" の故に好んでいたそうです。うん、まぁ、分からなくはない。実際、ヨーロッパでのリサイタルでは、黒人霊歌を幾つか歌って締めるというのを常にしていたそうです。
聞く方の身からすると、なんというかあれですね、西部劇を見ていて音楽として付いてきそうな雰囲気があります。黒人霊歌に親和性が高い音楽の一つにフォスターの歌曲があるけど、あれをもっと泥臭くした感じ。白人が頑張ってそれらしく歌っているような。でも、いわゆる「霊歌」って感じでもないかな。この演奏が、オーケストラ伴奏であるのも理由の一つかも知れません。この中で、ピアノと多分弱音器付きのトランペット伴奏で歌っている曲があるのですが("I got to lie down")、これ、明らかにブルースしていて、この曲は結構異色に聞こえます。ブルース色たっぷりの「ジェリコの戦い」("Joshua fit de Battle of Jerico")よりももっと異色。
まぁ、それを言えば、やはりロンドンの歌が、いわゆる「黒人霊歌」の声、歌じゃない、ということになるのでしょう。
ところが、これまたCDのジャケットによると、ロンドンはこれらの歌は「シューベルトのリートのように」歌われるべきだ、と言っていたのだとか。まぁ、要は芸術歌曲として真剣に取り上げ、歌われるべきだ、ということなのでしょうが、確かにこの歌い方は「雰囲気を出してどうこう」という歌い方とは一線を画するものがあります。
雰囲気は確かに「白人男性歌手が歌う西部劇の挿入歌」なんですね。オペラや歌曲とはやはり歌い方も違うし。でも、よく聞くと、とは言っても私に黒人霊歌の発音の問題なんて分かるわけないし、歌詞もよく知らないのではありますが、例えば、一曲目の"Swing low, sweet Chariot"でのこの句の繰り返しの処理など、確かにただ繰り返すというのとは違う。雰囲気で流すと言うようなことを決してしていない。ちゃんと歌っているんですね。歌詞も聞き取れる、というのは、まぁ訛っている筈の歌でいいのか悪いのか、という話はありますが、これがロンドンなりにきちんと歌った結果なのだと思います。
黒人霊歌集、というより、ロンドンの歌を楽しむ録音、と言えましょうか。この人、意外とリサイタル様の録音が少ないので、なかなかええですよ。
George London (bass-bariton)
Singgemeinschaft Rudolf Lamy
Members of theOrchestra of the Bavarian State Radio
Rhythm Section, Carl Michalski (conduct)
Deutsche Grammophon 00289 477 6193
ジョージ・ロンドン、これまた古い歌手を持ってきてしまいました。1920年生まれ、1960年代に活躍した歌手です。1985年没。勿論私は生で聞いたことなどありません。この録音は、1963年のものです。
ロンドン自身はロシア移民の子としてアメリカで生まれたそうです。ロンドンというのがどういう謂れの苗字なのか分かりませんが、或いは移民してきた時にエリス島あたりで役人に適当に付けられちゃったのかも知れないなぁ、などと想像してみたりするのですが、実のところはよく分かりません......
黒人霊歌。Spiritual とだけ綴られ、実際そのようにしか呼ばれませんが、現実に、今ではそうとは限らないにせよ、かつてはアメリカで、教会すら分けられていたような時代に(今でもある程度そうでしょうけど)、黒人達が教会で合唱していた彼らの「聖歌」です。だから、その歌詞にも、彼等の訛りが反映されてます。英語ではそう言わないけれど、「黒人霊歌」という表現は、多分に差別的かも知れませんが、結構実態を表しているとも言えるでしょう。
ゴスペルのはしりでもあるわけですが、まだジャズやR&Bの要素が無い。強いて言えば、ブルースの和声進行が一部聞かれたりするくらいかな(ジェリコの戦いとか)。いや、むしろ、こうしたSpiritualsを母体の一つとして、ブルースやジャズが出て行った、と考えるべきかも知れません。
そんな経緯もあって、実際にこれを歌うのは、多くの場合、合唱団である事が多いです。ソロだと、黒人系の歌手が殆ど。ジェシー・ノーマンとか、バーバラ・ヘンドリックスとか。キャスリーン・バトルも前に歌ってましたっけ。単発で有名曲を歌うケースはあるけど、まとめて歌うのは大抵こうした人達。
で、ジョージ・ロンドン。何故ロシア系の彼が?と思うのですが、細かい経緯は知らず、CDのジャケットによれば、彼自身これら黒人霊歌を "their simple form, the rich imagery of their world of ideas, their inwardness and direct emotion" の故に好んでいたそうです。うん、まぁ、分からなくはない。実際、ヨーロッパでのリサイタルでは、黒人霊歌を幾つか歌って締めるというのを常にしていたそうです。
聞く方の身からすると、なんというかあれですね、西部劇を見ていて音楽として付いてきそうな雰囲気があります。黒人霊歌に親和性が高い音楽の一つにフォスターの歌曲があるけど、あれをもっと泥臭くした感じ。白人が頑張ってそれらしく歌っているような。でも、いわゆる「霊歌」って感じでもないかな。この演奏が、オーケストラ伴奏であるのも理由の一つかも知れません。この中で、ピアノと多分弱音器付きのトランペット伴奏で歌っている曲があるのですが("I got to lie down")、これ、明らかにブルースしていて、この曲は結構異色に聞こえます。ブルース色たっぷりの「ジェリコの戦い」("Joshua fit de Battle of Jerico")よりももっと異色。
まぁ、それを言えば、やはりロンドンの歌が、いわゆる「黒人霊歌」の声、歌じゃない、ということになるのでしょう。
ところが、これまたCDのジャケットによると、ロンドンはこれらの歌は「シューベルトのリートのように」歌われるべきだ、と言っていたのだとか。まぁ、要は芸術歌曲として真剣に取り上げ、歌われるべきだ、ということなのでしょうが、確かにこの歌い方は「雰囲気を出してどうこう」という歌い方とは一線を画するものがあります。
雰囲気は確かに「白人男性歌手が歌う西部劇の挿入歌」なんですね。オペラや歌曲とはやはり歌い方も違うし。でも、よく聞くと、とは言っても私に黒人霊歌の発音の問題なんて分かるわけないし、歌詞もよく知らないのではありますが、例えば、一曲目の"Swing low, sweet Chariot"でのこの句の繰り返しの処理など、確かにただ繰り返すというのとは違う。雰囲気で流すと言うようなことを決してしていない。ちゃんと歌っているんですね。歌詞も聞き取れる、というのは、まぁ訛っている筈の歌でいいのか悪いのか、という話はありますが、これがロンドンなりにきちんと歌った結果なのだと思います。
黒人霊歌集、というより、ロンドンの歌を楽しむ録音、と言えましょうか。この人、意外とリサイタル様の録音が少ないので、なかなかええですよ。
2006/11/19のBlog
[ 05:53 ]
[ クラシック ]
A.ボロディン:弦楽四重奏曲第2番 D Major
D.ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第8番 op.110 / 第10番 op.118*
ボロディン四重奏団
ヴェラー四重奏団*
LONDON/キングレコード KICC 8184
ねむ..................
という、まぁ色々あって夜更かしというより徹夜状態なのですが、今日はこんなものを。
ボロディンは意外とよく聞く作曲家です。ロシア五人組の一人、元は化学者にして教育者という日曜作曲家ですが、結構色々な作品を残しています。「韃靼人の踊り」とか「中央アジアの草原にて」で名を知られた人ですが、個人的には歌劇「イーゴリ公」の作曲者であります。「韃靼人の踊り」も、「イーゴリ公」の中の舞踏音楽なのですがね。
その他には、となると、交響曲第2番と、この弦楽四重奏曲第2番が出てきます。ボロディンとしては人気曲、というわけですが、確かにいい意味でキャッチーな(どんな意味だ?)曲です。
もう第一楽章からしてとてもキャッチーです。チェロが静かに歌いだすメロディが印象的。
ボロディンって、先に挙げた曲なんかを通じて、まずは「ロシアとか中央アジア系のメロディを上手いこと取り入れるのに長けてる」というように見られてると思うのですが、実はそこの問題というより、生かし方だと思うんですね。この曲なんかも、よく聞くと全然エキゾチックじゃないメロディなんだけど、多分生かし方の問題なんですよね。
私はこの曲の楽譜は見たこと無いんだけど、これを聞いてると、「ああ、きっと音符少ないんだろうな」という感じがします。弦楽四重奏なんだけど、4本全部は使ってないところが結構あって、そういう部分がまた綺麗なんですね。ハイドンとかモーツァルト、ベートーヴェンもそうだけど、この人達の「名作」と呼ばれてる作品は、概してみな一生懸命弾いてます。
音符も音量も控え目にして尚キャッチー。シンプルな綺麗さ、というところでしょうか。この感じが、独特の人気を博す秘密なのかも。有名な第3楽章の「夜想曲」は、わりとハイドンやモーツァルト風の「四重奏」してますけどね。それはそれで上手くこなす。
多分、作曲技術的には、物凄い人なんじゃないと思います。でも、基本的なところを上手く抑えつつ、メロディの才能、特にそれを生かす才能があった人なんじゃないかなと。シューベルトタイプですね。でもシューベルトほどの天才ではないし、そこまで突き抜けてもいない。でも、その分、音楽でも日常生活でも、如才無くこなす器用さくらいはあった。そんな感じじゃないかなぁ。その結果、こういう佳作を残してくれた。
.......なんかいい人生ですなぁ。
カップリングはショスタコーヴィチですが、こちらも含めて、ボロディン弦楽四重奏団の演奏は結構なものです。おまけのヴェラー四重奏団は、ここではショスタコーヴィチの1曲だけなので、なんとも.....魅力的な演奏ではありますが、今となっては少し綺麗過ぎると言われちゃうかも?
D.ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第8番 op.110 / 第10番 op.118*
ボロディン四重奏団
ヴェラー四重奏団*
LONDON/キングレコード KICC 8184
ねむ..................
という、まぁ色々あって夜更かしというより徹夜状態なのですが、今日はこんなものを。
ボロディンは意外とよく聞く作曲家です。ロシア五人組の一人、元は化学者にして教育者という日曜作曲家ですが、結構色々な作品を残しています。「韃靼人の踊り」とか「中央アジアの草原にて」で名を知られた人ですが、個人的には歌劇「イーゴリ公」の作曲者であります。「韃靼人の踊り」も、「イーゴリ公」の中の舞踏音楽なのですがね。
その他には、となると、交響曲第2番と、この弦楽四重奏曲第2番が出てきます。ボロディンとしては人気曲、というわけですが、確かにいい意味でキャッチーな(どんな意味だ?)曲です。
もう第一楽章からしてとてもキャッチーです。チェロが静かに歌いだすメロディが印象的。
ボロディンって、先に挙げた曲なんかを通じて、まずは「ロシアとか中央アジア系のメロディを上手いこと取り入れるのに長けてる」というように見られてると思うのですが、実はそこの問題というより、生かし方だと思うんですね。この曲なんかも、よく聞くと全然エキゾチックじゃないメロディなんだけど、多分生かし方の問題なんですよね。
私はこの曲の楽譜は見たこと無いんだけど、これを聞いてると、「ああ、きっと音符少ないんだろうな」という感じがします。弦楽四重奏なんだけど、4本全部は使ってないところが結構あって、そういう部分がまた綺麗なんですね。ハイドンとかモーツァルト、ベートーヴェンもそうだけど、この人達の「名作」と呼ばれてる作品は、概してみな一生懸命弾いてます。
音符も音量も控え目にして尚キャッチー。シンプルな綺麗さ、というところでしょうか。この感じが、独特の人気を博す秘密なのかも。有名な第3楽章の「夜想曲」は、わりとハイドンやモーツァルト風の「四重奏」してますけどね。それはそれで上手くこなす。
多分、作曲技術的には、物凄い人なんじゃないと思います。でも、基本的なところを上手く抑えつつ、メロディの才能、特にそれを生かす才能があった人なんじゃないかなと。シューベルトタイプですね。でもシューベルトほどの天才ではないし、そこまで突き抜けてもいない。でも、その分、音楽でも日常生活でも、如才無くこなす器用さくらいはあった。そんな感じじゃないかなぁ。その結果、こういう佳作を残してくれた。
.......なんかいい人生ですなぁ。
カップリングはショスタコーヴィチですが、こちらも含めて、ボロディン弦楽四重奏団の演奏は結構なものです。おまけのヴェラー四重奏団は、ここではショスタコーヴィチの1曲だけなので、なんとも.....魅力的な演奏ではありますが、今となっては少し綺麗過ぎると言われちゃうかも?
2006/11/18のBlog
[ 03:23 ]
[ クラシック ]
A.Dvorak : Symphony No.7 in D Minor, op.70 / No.8 in G Major, op.88 / No.9 in E Minor, op.95 / Carnival Overture, op.92
B.Smetana : Overture to "The Bartered Bride" / String Quartet in E Minor "From My Life" (Orchestration by G.Szell)
The Cleveland Orchestra
George Szell (conduct)
SONY CLASSICAL 517495 2
突然ですが、100回聞いたことのある曲って何曲ありますか?100回聞いたことのあるCDだったら?
てな話をなんで持ち出したかというと、こんなことを考えたからなのですね。つまり、自分はどれだけの音楽を聞いてきたか?というような。
まぁ仮に20年として、毎日欠かさず一日CD4枚分は聞いてると仮定しましょう。4枚で365日は、少々おまけして年間1500枚分。え?それしか聞けてないの?あれまぁ....
で、20年として、3万枚分の音楽を聞いた、と。同じ曲や同じCDを繰り返し聞いてることはあるんだけど、お分かりの通り私はかなり乱れ聞きする方なので、意外と繰り返し聴いてることは少ない。だがしかし、それにしても.......はて、自分は、「この曲なら100回は聞いた!」と言える曲が何曲あったかな?CDだったら?うーむむむ。
曲だったら、100回くらい聞いてるよな、という曲は幾つかあります。シューベルトの冬の旅。水車屋は、どうかな。多分クリア?ベートーヴェンの第九は、生で結構聞いてたりするし、多分聞いてる。ドヴォルザークの9番の方も。椿姫は流石に100回は聞いてるよなぁ......後は、どうだろ?
とまぁこんな調子なので、同じCDでとなると、なかなか無いのです。可能性としていい線行ってそうなのが、ハンス・ホッターの冬の旅と、このセル指揮クリーヴランド管の新世界、というわけなのです。
この新世界、CD出たての頃、最初に買ったうちの一枚でした。当時は国内盤で。実は最近、スメタナの「売られた花嫁」序曲に、弦楽四重奏曲第1番のオーケストラ版(セル編曲)というレアなアイテムをカップリングした輸入盤が出たのでついふらふらと...........
なんと1959年の録音です。結構古い。改めて聞くと、ノイズが乗ったりしていて、特に車の中だとちょっと気になるのですが、自宅で聞くと結構スピーカーが良く鳴ってくれて、存外気になりません。そうだなぁ、そういえば昔も「よく鳴ってくれる」のが楽しかったかなぁ。
私はセル/クリーヴランド管大好き人間なのですが、その原点が実はこれ。確かに、弦がよく鳴るんですよね。よく鳴るのだけど、ちっともバラけたり乱れたりしない。まるで一つの楽器のようにきちんと立ち上がってくる。管も同様。管の良し悪しを言えば、オーマンディー指揮のフィラデルフィア管というのがあって、あれは確かに華やかなんだけど、でも、精度の高さ、つまり、「ここでこう響いて欲しいんだ」という観点から言えば、やはりクリーヴランド管は上を行きます。
録音のせいもあるけど、弦の全奏で高いところを弾く時、ちょっと緊張感が出過ぎる感もありますが、その程度のことは問題にならない。
セル/クリーヴランド管は「冷たい」んだ、という話を聞きます。マシンのようで、正確無比だけど、冷たいんだとか。まぁ昔から「ああそうですか」くらいにしか思っていなかったのですが、正直、これが冷たいんだったら今時の演奏は殆ど全部冷凍庫送りだな、と思います。よく揃っているのに、それで汲々とするでなく、表現がきちんと為されている。確かに、甘い音色ではないですけどね。
思うに、これを「冷たい」で済ましてしまった方達は、例えばもっと音色の甘いオーケストラを好んでおられたのではないかなと。特に一般リスナーの場合、昔は、このクリーヴランド管の弦が、特に低弦が、きちんと聞こえるようなシステムを持てなかったからなのではなかったのかな、と思ったりするのであります。
新世界と言えば第2楽章、と思われてますが、個人的には全部好き。特に、最初の楽章での弦の充実が素晴らしい。
ご当地ものでチェコ・フィルの演奏、というのも定番で、それも結構好きではありますが、意外と時々ややこしいこの曲、セルの見事な捌きと、よく仕込まれたオーケストラによる演奏はなかなか良いですよ。
そういえば、セルはこの曲の演奏で、第1楽章の繰り返しを省いている部分があるのですが、これ恐らくは昔の慣習だと思うのだけれど(確かアンチェルもそうやっていたような)、これで聞き慣れたせいもあるにせよ、やはりこの処理の方がすっきりすると思います。特徴的な冒頭部に戻る前に、取って付けたように「ドン・ジャン・ジャン!」とばかりに一回「終わって」戻ってくる処理は、「正しい」のかも知れないけれど、如何にも野暮ったくて興醒めであります。新しい、正しい形がいいとは限らないぞ、という一例でありましょう。
B.Smetana : Overture to "The Bartered Bride" / String Quartet in E Minor "From My Life" (Orchestration by G.Szell)
The Cleveland Orchestra
George Szell (conduct)
SONY CLASSICAL 517495 2
突然ですが、100回聞いたことのある曲って何曲ありますか?100回聞いたことのあるCDだったら?
てな話をなんで持ち出したかというと、こんなことを考えたからなのですね。つまり、自分はどれだけの音楽を聞いてきたか?というような。
まぁ仮に20年として、毎日欠かさず一日CD4枚分は聞いてると仮定しましょう。4枚で365日は、少々おまけして年間1500枚分。え?それしか聞けてないの?あれまぁ....
で、20年として、3万枚分の音楽を聞いた、と。同じ曲や同じCDを繰り返し聞いてることはあるんだけど、お分かりの通り私はかなり乱れ聞きする方なので、意外と繰り返し聴いてることは少ない。だがしかし、それにしても.......はて、自分は、「この曲なら100回は聞いた!」と言える曲が何曲あったかな?CDだったら?うーむむむ。
曲だったら、100回くらい聞いてるよな、という曲は幾つかあります。シューベルトの冬の旅。水車屋は、どうかな。多分クリア?ベートーヴェンの第九は、生で結構聞いてたりするし、多分聞いてる。ドヴォルザークの9番の方も。椿姫は流石に100回は聞いてるよなぁ......後は、どうだろ?
とまぁこんな調子なので、同じCDでとなると、なかなか無いのです。可能性としていい線行ってそうなのが、ハンス・ホッターの冬の旅と、このセル指揮クリーヴランド管の新世界、というわけなのです。
この新世界、CD出たての頃、最初に買ったうちの一枚でした。当時は国内盤で。実は最近、スメタナの「売られた花嫁」序曲に、弦楽四重奏曲第1番のオーケストラ版(セル編曲)というレアなアイテムをカップリングした輸入盤が出たのでついふらふらと...........
なんと1959年の録音です。結構古い。改めて聞くと、ノイズが乗ったりしていて、特に車の中だとちょっと気になるのですが、自宅で聞くと結構スピーカーが良く鳴ってくれて、存外気になりません。そうだなぁ、そういえば昔も「よく鳴ってくれる」のが楽しかったかなぁ。
私はセル/クリーヴランド管大好き人間なのですが、その原点が実はこれ。確かに、弦がよく鳴るんですよね。よく鳴るのだけど、ちっともバラけたり乱れたりしない。まるで一つの楽器のようにきちんと立ち上がってくる。管も同様。管の良し悪しを言えば、オーマンディー指揮のフィラデルフィア管というのがあって、あれは確かに華やかなんだけど、でも、精度の高さ、つまり、「ここでこう響いて欲しいんだ」という観点から言えば、やはりクリーヴランド管は上を行きます。
録音のせいもあるけど、弦の全奏で高いところを弾く時、ちょっと緊張感が出過ぎる感もありますが、その程度のことは問題にならない。
セル/クリーヴランド管は「冷たい」んだ、という話を聞きます。マシンのようで、正確無比だけど、冷たいんだとか。まぁ昔から「ああそうですか」くらいにしか思っていなかったのですが、正直、これが冷たいんだったら今時の演奏は殆ど全部冷凍庫送りだな、と思います。よく揃っているのに、それで汲々とするでなく、表現がきちんと為されている。確かに、甘い音色ではないですけどね。
思うに、これを「冷たい」で済ましてしまった方達は、例えばもっと音色の甘いオーケストラを好んでおられたのではないかなと。特に一般リスナーの場合、昔は、このクリーヴランド管の弦が、特に低弦が、きちんと聞こえるようなシステムを持てなかったからなのではなかったのかな、と思ったりするのであります。
新世界と言えば第2楽章、と思われてますが、個人的には全部好き。特に、最初の楽章での弦の充実が素晴らしい。
ご当地ものでチェコ・フィルの演奏、というのも定番で、それも結構好きではありますが、意外と時々ややこしいこの曲、セルの見事な捌きと、よく仕込まれたオーケストラによる演奏はなかなか良いですよ。
そういえば、セルはこの曲の演奏で、第1楽章の繰り返しを省いている部分があるのですが、これ恐らくは昔の慣習だと思うのだけれど(確かアンチェルもそうやっていたような)、これで聞き慣れたせいもあるにせよ、やはりこの処理の方がすっきりすると思います。特徴的な冒頭部に戻る前に、取って付けたように「ドン・ジャン・ジャン!」とばかりに一回「終わって」戻ってくる処理は、「正しい」のかも知れないけれど、如何にも野暮ったくて興醒めであります。新しい、正しい形がいいとは限らないぞ、という一例でありましょう。
2006/11/16のBlog
[ 01:22 ]
[ クラシック ]
C.P.E.バッハ:シンフォニア集 (Symphony Wq.183-1~4)
アムステルダム・バロック管弦楽団
トン・コープマン (conduct)
ERATO/ワーナーミュージック WPCS-11113
気が付くと、C.P.E.バッハの曲をよく聞いているようです。先月末もクラヴィーア曲集のことを書いたばかりなのですが、我ながら一体どうしちゃったんでしょうね?
怒られそうな話ですが、実は私そんなに真面目には音楽聞いてないんですよね。だって、そもそも「車で聴いたもの」ですからねぇ。ながら聞きの最たるものじゃないですか。
実はその傾向は家でもそうは変わりません。一生懸命スコアと首っ引きで、なんてことはしません。へらへらとblog書いたりメール書いたり本読んだりしながら聞いてます。で、そういう風にやっていると、時々、箸休め的に、あまり癖の無い音楽を聴きたいなぁ、と思ったりすることがあるわけです。
罰当たりな話ですが、実はこのCDもそういう一枚。最近の「箸休め」なのであります。うわぁ失礼な奴(^^;
C.P.E.バッハのシンフォニアは後継者を得なかった、のだそうです。実際にそういうものだったのかどうかはよく知らないけれど、確かに、同じ古典派といいながら、ハイドンやモーツァルトのよく聞かれるような作品とはかなり趣が違う。モーツァルトだったらディヴェルティメントに近い感じじゃないでしょうか。古典派、というより、ポスト・バロック、という感じ。バロックの組曲で出てくる舞曲風の楽曲の代わりに、ソナタ形式を置いている、でも曲想は後年の構成感のある古典派のものとはちょっと違う........................かな?
いずれも急-緩-急の3楽章構成。言わば定番の構成ですが、いずれも似ているようで飽きない。錐でも突き立てるかのように迫ってくる音楽、とかではないので、まぁ気楽に(?)聞けてしまうのですね。
そんなもん面白いか?と言われそうですが、それはそれで、どういうんでしょう、ある想定の中での展開の妙があって、なかなか面白いです。それと、演奏と録音上の工夫もあるのでしょうが、アタッカとまでは行かずとも、各楽章の切れ目がそうはっきり見えるわけでもないので、3楽章全体が一つの楽曲のように感じられて、スピード感があるのですね。快速音楽。軽妙というのとも違うし、速いだけというのとも違う。あっというまの10分間、って感じです。
そう何度も繰り返し聴き込むという種類の音楽ではないけど、気楽にするつもりで、つい耳を傾けてしまう。魅力があると言うより誘蛾灯に虫が引き寄せられて行くが如き吸引力。あのぉ、一応ポジティヴに評価してるつもりなんですが(笑)
演奏は、トン・コープマン指揮のアムステルダム・バロック管弦楽団。何せコープマン自身を入れて17人のアンサンブルなんだそうです。
古楽器アンサンブルというのは、各楽器のデュナミークのコントロールが結構難しい(というか大きな音を出すのがしんどい)上に、楽器の数自体が少ないので、音量コントロールは難しいんですよね。でも、ここでの演奏は、もともと楽曲自体がそう極端な表現の幅を求めているわけでもないので、至極自然でマッチした感じになっています。
アムステルダム・バロック管弦楽団
トン・コープマン (conduct)
ERATO/ワーナーミュージック WPCS-11113
気が付くと、C.P.E.バッハの曲をよく聞いているようです。先月末もクラヴィーア曲集のことを書いたばかりなのですが、我ながら一体どうしちゃったんでしょうね?
怒られそうな話ですが、実は私そんなに真面目には音楽聞いてないんですよね。だって、そもそも「車で聴いたもの」ですからねぇ。ながら聞きの最たるものじゃないですか。
実はその傾向は家でもそうは変わりません。一生懸命スコアと首っ引きで、なんてことはしません。へらへらとblog書いたりメール書いたり本読んだりしながら聞いてます。で、そういう風にやっていると、時々、箸休め的に、あまり癖の無い音楽を聴きたいなぁ、と思ったりすることがあるわけです。
罰当たりな話ですが、実はこのCDもそういう一枚。最近の「箸休め」なのであります。うわぁ失礼な奴(^^;
C.P.E.バッハのシンフォニアは後継者を得なかった、のだそうです。実際にそういうものだったのかどうかはよく知らないけれど、確かに、同じ古典派といいながら、ハイドンやモーツァルトのよく聞かれるような作品とはかなり趣が違う。モーツァルトだったらディヴェルティメントに近い感じじゃないでしょうか。古典派、というより、ポスト・バロック、という感じ。バロックの組曲で出てくる舞曲風の楽曲の代わりに、ソナタ形式を置いている、でも曲想は後年の構成感のある古典派のものとはちょっと違う........................かな?
いずれも急-緩-急の3楽章構成。言わば定番の構成ですが、いずれも似ているようで飽きない。錐でも突き立てるかのように迫ってくる音楽、とかではないので、まぁ気楽に(?)聞けてしまうのですね。
そんなもん面白いか?と言われそうですが、それはそれで、どういうんでしょう、ある想定の中での展開の妙があって、なかなか面白いです。それと、演奏と録音上の工夫もあるのでしょうが、アタッカとまでは行かずとも、各楽章の切れ目がそうはっきり見えるわけでもないので、3楽章全体が一つの楽曲のように感じられて、スピード感があるのですね。快速音楽。軽妙というのとも違うし、速いだけというのとも違う。あっというまの10分間、って感じです。
そう何度も繰り返し聴き込むという種類の音楽ではないけど、気楽にするつもりで、つい耳を傾けてしまう。魅力があると言うより誘蛾灯に虫が引き寄せられて行くが如き吸引力。あのぉ、一応ポジティヴに評価してるつもりなんですが(笑)
演奏は、トン・コープマン指揮のアムステルダム・バロック管弦楽団。何せコープマン自身を入れて17人のアンサンブルなんだそうです。
古楽器アンサンブルというのは、各楽器のデュナミークのコントロールが結構難しい(というか大きな音を出すのがしんどい)上に、楽器の数自体が少ないので、音量コントロールは難しいんですよね。でも、ここでの演奏は、もともと楽曲自体がそう極端な表現の幅を求めているわけでもないので、至極自然でマッチした感じになっています。
2006/11/15のBlog
[ 00:41 ]
[ オペラ ]
ナポリ民謡集
ホセ・カレーラス (tenor)
イギリス室内管弦楽団
エドアルド・ミュラー (conduct)
PHILIPS/日本フォノグラム 400 015-2
今はこの番号では出ていないでしょうね.....ちょっと古いCDですが、出てはいるんだろうなぁ。
ポスト3大テノール、だとかで、サルバトーレ・リチトラが騒がれているようです。なんちゅうかまぁいいんですが、気の毒だなぁと思います。だってねぇ、ポスト3大テノールって言ったら、かつてはロベルト・アラーニャが筆頭頭でしたからね。その後、最近はあまり騒がれないけどホセ・クーラも居たし、昨年から騒がれたロランド・ヴィラソンだってそんな形容詞(?)を貰ってたし。他にも何人か居たなぁ。ピエトロ・バッロだって、日本に来てた頃、そんな称号を冠してたような。
これと同じパターンが、ソプラノに於ける「マリア・カラスの再来」ってやつで。何人居たんでしたっけ?エレナ・スリオティス、アニタ・チェルケッティ、チェチリア・ガズディアやルチア・アルベルティもそんな風に呼ばれた時期があったような?
まぁ要するに無責任なもんです。そんな称号だけ付けといてハイさようなら、てなもんで。この中で歌手自身に責任があると言えるのは、ガズディアくらいでしょう。マリア・カラス・コンクールなんかで優勝するから.......
ホセ・カレーラス (tenor)
イギリス室内管弦楽団
エドアルド・ミュラー (conduct)
PHILIPS/日本フォノグラム 400 015-2
今はこの番号では出ていないでしょうね.....ちょっと古いCDですが、出てはいるんだろうなぁ。
ポスト3大テノール、だとかで、サルバトーレ・リチトラが騒がれているようです。なんちゅうかまぁいいんですが、気の毒だなぁと思います。だってねぇ、ポスト3大テノールって言ったら、かつてはロベルト・アラーニャが筆頭頭でしたからね。その後、最近はあまり騒がれないけどホセ・クーラも居たし、昨年から騒がれたロランド・ヴィラソンだってそんな形容詞(?)を貰ってたし。他にも何人か居たなぁ。ピエトロ・バッロだって、日本に来てた頃、そんな称号を冠してたような。
これと同じパターンが、ソプラノに於ける「マリア・カラスの再来」ってやつで。何人居たんでしたっけ?エレナ・スリオティス、アニタ・チェルケッティ、チェチリア・ガズディアやルチア・アルベルティもそんな風に呼ばれた時期があったような?
まぁ要するに無責任なもんです。そんな称号だけ付けといてハイさようなら、てなもんで。この中で歌手自身に責任があると言えるのは、ガズディアくらいでしょう。マリア・カラス・コンクールなんかで優勝するから.......
