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Verdiのレコード置き場 今日車で聴いたものblog
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2007/07/01のBlog
GENERATIONS
 Gary Burton (vibraphone)
 Julian Lage (guitar)
 The Trio:
Makoto Ozone (piano)
James Genus (bass)
Clarence Penn (drums)
CONCORD JAZZ CCD-2217-2

 とにかくねぇ、書く暇が無いんですよ書く暇が!ひー。
 おまけに、仕事だけでなく公私の私の方も慌しくて、本当に余裕無くなって来ました。これはたまらん。というわけであまり丁寧に書いてる暇が無くなってきたのであります。書き飛ばしてるつもりじゃないですけども......

 閑話休題。
 ゲイリー・バートンが若手ギタリスト・ジュリアン・レイジを迎え、バックに小曽根真トリオを配したなかなか豪華なアルバムであります。小曽根真は確かゲイリー・バートンの教え子にも当たるので(バークレーで教え教わった筈)、その繋がりというわけ。アルバム名義はゲイリー・バートンで、扱い的には「バック担当」という感じでもあるのでか、小曽根ファンにはそれほど存在感の大きいアルバムでは無いとは思います。一方、ゲイリー・バートン・ファン(ってちょっとレアだな)には、アルバム数が多くて.......

 内容はなかなかです。小曽根の存在感が....なんて言いましたが、結構「ああ、こんな感じだよな」というように聞けて楽しいと思います。大体がゲイリー・バートンと小曽根真、結構音楽的に近しいと思いますしね。
 個人的には、1曲目の"First Impression" と 9曲目の "Ladies in Mercedes" がいいかな。

 さぁ、出かけるので今日はここまで!


2007/06/24のBlog
the sound of music by pizzicato five
 pizzicato five
matador ole 166-2


 忙しいです。
 いや、一応土日は休みなんですが、実はやらなきゃいけないことが溜まってます。でもストレス溜まるので遊んでしまいます。暑くなってきたというのに、えらいこってす。どーすんだ俺状態であります。勿論平日は午前様連続です。まぁ、昔もそういうことはよくあったけど、最近は日中の密度がめちゃめちゃ濃いし、それでも終わらないしで、きっついです。
 ハイ。煮詰まってます。そう。こういう時こそ、今更ですが、もう解散しちゃったけど、ピチカート・ファイブなのです。 a new stereophonic sound spectacular! なのであります!

 と言いつつ、おめーは似たようなCD一体幾つ持ってるんだ?と言われそうですが、まぁいいじゃないですか。こちら、日本盤ではございません。matadorレーベルの輸入盤であります。別に何が変わるというわけでは御座いませんし、楽曲はいつものピチカートであります。未だにこんなもん聞いてるのもあれですが、つい聞いてしまうのであります。やっぱりねぇ、取り敢えず元気を出すにはいいですよ。微妙で不思議な歌詞が、アップテンポで流れて行くのは、なかなか気持ちのいいものです。「東京は夜の7時」なんてやっぱいいですよ。前奏に乗って "a new stereophonic soud spectacular!" なんて囁かれると、おおおーかっこええぞ~とかつい思ってしまうのであります。
 なんかこう音楽をそういう風に「使って」しまうのも、ホントは内心ちょっと忸怩たるものはあるのですが、まぁ、背に腹換えられないし。

 ちなみにこれ、輸入盤だから、英訳歌詞にローマ字で書いた日本語が付いているという「対訳つき」なのですが、なかなか面白い。ああ、こういう表現になるのね、という面白さもだけど、その英訳もところどころちょっと洒落ていたりして。


2007/06/17のBlog
L.v.Beethoven : Piano Concerto No.4 / Piano sonata op.109 & op.110
 Helene Grimaud (piano)
 New York Philharmonic
 Kurt Masur (conduct)
TELDEC 3984-26869-2

 協奏曲を収録したCDでは、時々、独奏者の演奏による独奏曲の録音をカップリングしていることがあります。ピアノ協奏曲なんかでは、独奏曲の録音もしやすいのか、目にすることが少なくありません。まぁ、カップリングというより埋め草と呼んだ方が実態を表しているかも知れません。
 普通はその手の収録曲は、メインの協奏曲より短くて、おまけに入れましたっていうのが多いんですけど、たまに、そっちの方が魅力的だったりすることもあります。

 で、このカップリングなんですけど.....まぁ、一般的にどうなのか知りませんが、個人的には、ベートーヴェンのピアノ・ソナタで最後の3曲というのは稀代の名曲だと思ってまして、正直言えばピアノ協奏曲よりよっぽど興味があるという..... ホントは一番大好きなのはop.111のソナタなのですが、前2曲も嫌いじゃない、というよりむしろ好きだし。
 いや、協奏曲の4番もいい曲ですよ、確かに。<一応フォロー

 エレーヌ・グリモー、ライナーノートによると現在37歳になりますが、正直この人とベートーヴェンの最後のソナタ群とは、俄かには繋がりませんでした。だって、なんとなくイメージ的にはリリカルで..............
 あ、でも、リリカルというのはベートーヴェンには合うなぁ。ショパンって感じかな?ベートーヴェンの、リリカルだけど構築的な音楽のイメージとはなんとなく違うように思っていたのですけどね。
 ですが、実際聞いてみて、納得。というより、グリモーという人の音楽のイメージがそもそも間違っているのでしょうね。協奏曲の演奏からして、もう既に「リリカル~」というのとは違う。けどまぁ、今日書きたいのは取り敢えずはピアノ・ソナタの方なので。

 ありきたりの表現ですが、空から光の降ってくるが如きアルペッジョ(のような楽節)で幕開けるop.109。この3曲の怖さは、気を抜くとこういう見掛けの自由さ故につい構成感とかが疎かになってしまうこと。気持ちよく曲の流れに委ねてしまうと、気が付けばぐずぐずに....... そういば、このop.109とop.110で共通して使われている速度表示(の一部)があります。それは、"ma non troppo"、「~し過ぎないように」。op.109の場合は第1楽章が"Vivace ma non troppo"、「快活に、でもやり過ぎないように」。こんな綺麗でそのまま走りたくなるような曲書いておいて、鬼ですね、鬼。でも、このほどほど感のバランスがある面ではこの3曲の肝かも知れません。

 グリモーのは、バランスの取れた知情意揃ったいい演奏、と言いたいのですが、よく聞くとちょっと違う。いやむしろ危なっかしいバランスの上でなんとかやってる感じじゃないのこれは?グリモー、演奏しながら呻いてるというか喘いでるし、確かによく弾けているけど、決して知情意揃ったという感じではない。ともすれば情念が暴走しそうなのを知を用いて音楽の構成の中に矯めようとする、強烈な意思の力。うーん、なんとなくそんな感じでしょうか?
 軽々と演奏しているわけではない。けれど、力が不足している風でもない。むしろ、なんとかこの自分の音楽を、ある型式の中になんとか納めて統御しようとしているのか。剣気が抑えられない、てな感じですかね。
 Vivace ma non toroppo。グリモー、フラストレーション溜まるんでしょうねぇ。
 op.110の最終楽章は、これまたAllegro ma non troppo という表記がありますが、ここではフーガが出てきます。このフーガを弾くグリモーのピアノの楽そうなこと!普通この辺は硬く聞こえてしまう、もうちょっと正確に言うとそれまでの演奏より急に硬く感じられてしまう演奏が多いのですが、グリモーのは却って闊達になったように感じられます。フーガというはっきりした形式に統御されるから、かえって楽なのかな、と思ったりします。

 私はグリモーってこういう演奏をする人とは思っていませんでした。意外です。もし、美形女流ピアニスト、くらいにしか思ってない方が居られるなら、是非この録音を聞かれてみては如何かと。結構名の通ったピアニストでも、このへんのソナタとなると「?」な演奏だったり、そもそも弾いてなかったりしますからね。

 惜しむらくはop.111が無いこと。聞いてみたいですねぇ。あの最終楽章の長大なアリエッタとどんな風に切り結ぶんでしょうねぇ。

2007/06/11のBlog
Sir E.Elgar : Cello Concerto op.85
(Les Introuvables de Jaqueline Du Pre)
 Jaqueline Du Pre (cello)
 London Symphony Orchestra
 Sir John Barbirolli (conduct), etc
EMI CLASSICS 7243 5 68132 2 9

 エルガー繋がりであります。
 ジャクリーヌ・デュ・プレのこのセットは、先日もドヴォルザークのチェロ協奏曲でエントリーさせましたが。今回はエルガーの協奏曲です。
 デュ・プレに関しては、「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」という映画がありましたが、その中でも取り上げられていたのがエルガーの協奏曲。とても印象的な、悲劇的で情熱的な一節が取り上げられていました。
 でも、本当はこの曲、劇的一辺倒ではなくて、むしろ「嘆きの歌」とでも言いたくなる様な曲でもあります。

 第1楽章はチェロの独奏から入りますが、この長いレチタティーヴォに対し、オーケストラはあまり表に立って来ません。むしろチェロによって奏でられる嘆きの後、最後近くになって、あのオーケストラの全奏による一節が、しかし一度だけ奏でられて、そして第1楽章はおしまい。
 第2楽章は不思議な感じのパッセージの積み重ねで、最初レントからアレグロ・モルトへ移行して、ちょっと聞くと明るい感じ。うっかりするとこれで終わりかな?と感じるような曲ですが、終結部も軽く、期待を裏切って第3楽章のアダージョへ。諦念の情を感じさせる嘆きを秘めつつ、それはあくまで秘めたままに、叙情的な歌を歌うチェロ独奏。本当に、この曲、オーケストラが引っ込んでるんですよね。チェロにその分期待が掛かる曲。
 第4楽章は、最初は最終楽章に相応しく劇的な始まり方ながら気がつけばまたしてもチェロ独奏による悲しげな歌が印象的。結局、全編にわたって、協奏曲らしい規模の大きさよりも、チェロ独奏が主役という以上に前面に出た曲なのですね。チェロとオーケストラの為のソナタ、と言いたくなるような曲。それを協奏曲と言うんでしょう?と言えば、その通りなんだけど。

 エルガーは生年1857年ですが、この曲が書かれたのは1918年。この年は、第1次大戦の終わった年です。エルガー61歳。生年から想像されるように、エルガーはやはり19世紀の人なのですね。
 この曲は、エルガーにとってのレクイエムだ、という見方があります。それまで自分を取り巻いていた世界が崩壊するのを目の当たりにした悲劇。空爆なども受けつつも、結局は自国の領土内では戦いの無かった英国にとって、戦争によってそれまでの世界や価値観が崩壊していくという感覚は、直接戦火の傍にあり、しかも敗戦国となったドイツ人らに較べて、まだしも余裕がある分より一層観念的に迫ってきたのではないかな、と思います。この曲に、多くの管弦楽曲に感じられるようなカタルシスはあまり感じられません。取り返しのつかない、失われたものの不在、という感覚がどこかにあるような気がします。
 ただ、この後、エルガーは「時代遅れの作曲家」と見なされます。「のだめ」なんかには、「これが俺の音楽だ、という心意気がある」みたいな言い方をしていて、まぁそういう側面もあるのかも知れないのだけれど、この曲を聞くにつけ、エルガー自身もう書く気が失せてしまったのかな、と個人的には思います。
 このチェロ協奏曲の半年後、エルガーは妻を亡くします。その後も創作活動が無いわけではなかったけれど、半ば隠遁、とまでは行かずとも活動の程度も鈍ったままに、16年後の1934年に亡くなります。彼にとっては、様変わりしてしまった世界で、もうかつてのようにある意味で希望を湛えた音楽を書くことは出来なかったのではないかな、と思うのです。その意味では、ナイーヴと言われても仕方ないのかも知れません。でも、こういう音楽を書いてしまった後に、自分の世界がすっかり変わってしまったと感じている人に、それはちょっと酷なのかな、とも思うのであります。

 このCDには、その後にディーリアスのチェロ協奏曲が収められています。ディーリアスも「英国人」には結構人気の作曲家です。まぁ、実際、聞けば結構いいなぁ、と思います。その話も又今度かな。

2007/06/10のBlog
E.ELGAR SYMPHONY No.2, op.63
 BBC SYMPHONY ORCHESTRA
 Sir Malcom Sargent (conduct)
BBC Music Vol.15 No.10



 英国の雑誌で"BBC Music"というのがあります。BBCが出してる雑誌ですが、毎号特集に関係するCDが1枚付いているのです。バックがクラシック専門のラジオチャンネルと幾つもの楽団を持ってるBBCですから、ラインナップは豪華です。
 で、これを購読しているのですが、今月の特集はエルガー生誕150周年で、その特集関連CDがこれ、というわけです。エルガー、1857年6月生まれだそうです。2日、なのかな?ちょっとはっきり書いてあるのが無くて......

 この間、車でラジオを聞いていたら、エルガーの「威風堂々第1番」に続いて、「戴冠式頌歌」の「希望と栄光の地」が掛かっていました。Pump and Circumstance March No.1、ですが、この曲の中間部に歌詞をつけて、後に「戴冠式頌歌」に使った際の出だしが Land of Hope and glory なのですね。The PROMs のラストナイトでも、「威風堂々」の演奏としながら、必ずこれが歌われるので、お聞きになったことのある方も多いでしょう。
 ラストナイトの後半で歌われる曲目は、ある意味軽いナショナリズムが交じった曲が多いのですよね、実は。「希望と栄光の地」もそうですが、「ルール・ブリタニア」なんてもろですからね。Rule Britania! Britania rule the waves! England's never never never surrendered!(だったかな?) いやはや(笑)でも、実際にその場に居ると、存外気にならないものですけどね。そのへんの話は措くとして、実は、後半の御約束曲目は全て連合王国の作曲家の手になるものです。その年によって他の作曲家が間に入るにせよ、ですが。まぁ、考えてみりゃそれも道理で、何分にも「自分達の作曲家」、いや、「自分達の音楽」ですからね。

 我々日本人の目から見ると、やはり「英国人」の自国の作曲家への愛情というのは贔屓に見えるのですよね。でも、それは多分話が違う。
 まず何より、いわゆる西洋古典音楽というのは、「英国人」にとっては自分達の音楽なのです、やはり。ヘンデルが最も華々しく活躍したのはロンドンでですし、この街にはモーツァルトもハイドンもやって来た。ベートーヴェンこそ来なかったものの、「第九」は他でもないロンドンの団体の委嘱が作曲の契機だった筈。
 であればこそ、その中でも自国の作曲家への思い入れも自然に出るものだと思います。あれを「贔屓」と思うのは、要するに日本人にはやっぱりクラシック音楽は「異物」だからなんだろうなと思います。山田耕作や伊福部昭を「我らが作曲家」と思う人はいるみたいだけど、単なる「好き」以上の「我らが...」てな話になると、やはりどっか頑張ってる感・無理してる感は否めない。
 少なくとも、毎年彼らの作品をみんなで合唱して、それがTV中継されて、なんてことはまずあり得ない。その程度の認知度というか存在感なんですよね。彼等が、というより、日本の社会の中でのそうした音楽の存在感が、かな?このへんの話もややこしいのでこの辺で割愛するとして....

 まぁ、素直に言って、こんな風に聞いて貰える英国の作曲家達はやっぱり果報者なんでしょう(笑)それとも、こんな風に聞ける作曲家を持つ英国人が果報者?

 で、このCDの話。BBC交響楽団はいいとして、指揮がサー・マルコム・サージェント。録音は1964年1月29日。ブリストルでのライブを録音したもので、"Never Before Heard on Disc" だそうです。まぁ、そうだろうなぁ。これ、年代の割にかなり録音状態がよろしくありません。多分放送用録音じゃないのかな?
 正直、こんな遠い感じでわざわざ管弦楽聞くのもなんだかなぁと思ったりもします。ただまぁ、放送用の場合、音が貧弱なりにバランスを考えて録られてることも多いので、悪いなりに聞けたりもします。これもそんな感じ。やっぱり良くはないですけどね。
 曲自体はなかなか面白い。エルガー自体は19世紀と20世紀の境目を生きた人ですが、やはり彼の本質は19世紀的なものに根差してるんだろうな、という気がしてくる。20世紀としてはオーソドックスな作風です。そう、この曲、1911年に作曲されています。歴とした20世紀音楽ですが、ブラームスほどに晦渋でなく、ブルックナーほどに偏執的でもない。R・シュトラウスほどには斜に構えてない。まぁ、確かにこうやって聞いていると、もうちょっとちゃんとした録音で聞きたいとは思いますが。とはいえ、贔屓の引き倒しにはなってない。相応の演奏です。
 全4楽章、この演奏では全曲で55分弱。そうやって考えると結構な大曲ですよね。

 そういや、最近はエルガーの交響曲って、録音する人、あまり居ないですよね。まぁ、元々グローバルな人気を誇っているとは言えないけど。でも、英国内では、それこそBBCを母体にした団体が幾つもあるので、演奏回数ではそう少なくもないのでは。



2007/06/08のBlog
コンスタンチン・リフシッツ ロンドン・デビュー・リサイタル・ライブ
クープラン:クラヴサン曲集より 第8組曲
ブラームス:自作の主題による変奏曲 op.21-1 / ハンガリー民謡による変奏曲 op.21-2
ラフマニノフ:前奏曲集 op.32 より(抜粋6曲:1,2,5,6,7,13番)

 コンスタンチン・リフシッツ (piano)
DENON COCO-80148

 コンスタンチン・リフシッツといえば、若手ピアニストの一人として結構名が知れた存在ではあります。以前一度聞いたことがありますが、少々気難しそうな感じもあるけど、まぁこの種の - という言い方は失礼なんだろうけど - 若手ピアニストとしてはなかなかというところでしょうか。コンクール歴が殆ど無い。その割には「天才肌」というのとも違うし、変な割にバランスが取れてる。今時珍しいタイプかも知れません。
 リサイタルでは最近流行の(いやホントに)展覧会の絵を弾いていて、ちょっと風変わりだけどなかなか面白かったのを覚えています。その後買って聞いた、シューベルトのソナタの21番、変ロ長調の長いソナタ、これも独特だけど良かった。ちょっと危なっかしい感じだけど、構成感のあやふやさみたいなものが辛うじてプラスの方向に踏み止まっているので、「ピアニスト」としておかしな方向に行っていない。そんな感じでしょうか。

 1976年生まれなので現在やっと30歳くらい。今時30歳は十分年寄りなのか?もう神童とは呼ばれない歳ですね。その彼が19歳の時にロンドンで初のリサイタルを開いた時の録音がこれです。1995年、ロンドンのウィグモア・ホールでの録音。ロンドンでの、室内楽、歌曲やピアノのリサイタルの聖地みたいなところです。
 こうやって見ると、なかなか堂々とした曲目です。若干19歳ながらねぇ、と思うのですが、なんでもリフシッツは12歳くらいでリサイタル活動を始めたそうで、その頃から意識的にプログラムを積んできているのなら、こうした内容になるのも不思議ではないのでしょう。
 とはいえ、確かに大胆です。クープラン、ブラームス、ラフマニノフ、ですからね。しかも、66分程の収録時間の内ほぼ半分がクープラン。当日は、クープランとブラームスで前半、後半はラフマニノフの13の前奏曲op.32全曲だったそうで、だからここに収録されているのはその後半部分から半分ほど抜粋、ということになります。

 分かってて聞いてるから驚くこともないのですが、19歳のピアニストとしては実に達者です。まぁ、言えばどうとでも言えるのでしょうが、全編に流れるリリシズムが心地よい。でも、決して甘ったるいそれではない。クープラン、ブラームス、ラフマニノフ、それぞれの魅力を引き出す上で自然に立ち現れるリリシズム。
 勿論、一つ一つの楽曲を捉えてみれば、もっといい録音というのはあるかも知れません。クープランをピアノで弾く人は少なくなってしまったし、目ぼしい所ではヒューイットくらいしかいないだろうけど、ブラームスやラフマニノフは沢山居ます。でも、その中で決して水準以下ということなく、十二分に楽しめる演奏で、一晩のコンサートを組み立ててくれる。
 個人的に好きなのはクープラン。元々この辺の曲が好きというのもありますが、ここでのリフシッツ、奇を衒うこともなく、クリアないい音で弾いてくれます。でも、透明感のある、という感じではないんですね。むしろちょっと厚みのあるくらい。このへんが聞き応えを感じさせるのです。まず何よりもピアニスト、なんでしょうか。

 この人、最近はややスランプ気味でもあるのか、あまり派手に飛び回ってる風ではないですし、録音も決して多くないのですが、やはり生で聞いて楽しむタイプのピアニストかも知れません。まぁ、そういうのも面白かろと思うのだけど。そのうち、又来ないかな?

2007/06/03のBlog
SWEDISH CONTEMPORARY VOCAL MUSIC Vol.3
 The ERIC ERICSON CHAMBER CHOIR
 Eric Ericson (conduct)
PHONO SUECIA PSCD 44

 こないだのラ・フォル・ジュルネでかなり衝撃的だったのが、アクサントゥス合唱団による北欧合唱曲の公演。曲もいいけど、アンサンブルが素晴らしい。特に衝撃だったのが、最後に歌われたヒルボリ作曲「ムウヲオアヱエユイユエアオウム」。歌詞というより様々な母音を使ってハミングで構成された曲ですが、声明のようにそれぞれから歌われる声が交唱しあって不思議な透明感のある響きで、まるで夏の夜の昆虫の鳴き交わすような音楽。これが面白かった。
 アクセントゥス、「合唱」としての精度の高さも凄いのだけれど、人の声でこんな複雑なことをやってしまうのが凄いなぁ、と。よく釣られないなー、と、割と低レベル(笑)な感心の仕方をしていたりするのですが、この曲はまるで人間シンセサイザーのようで、本当に人間業ではなかった。
 で、ここ最近、合唱の魅力を再発見しつつ、この曲のCDないかなー、と思って探しあぐねていたのですが、ようやく見つけたのがこのCDです。

 エリク・エリクソンは「合唱の神様」、合唱指揮者として有名ですが、そのエリクソンが1945年に結成したのがエリク・エリクソン室内合唱団だそうです。結構歴史があるのですね。てか、エリクソンて1918年生まれなのですね。うわぁ。

 ここで取り上げられているのはスゥェーデンの現代作曲家の合唱作品で、全部で5人、6曲が選ばれています。
 お目当てのヒルボリ作曲の「ムウヲ....」は3曲目。既に書いたように、CDで聞いてもやっぱりシンセサイザーのようで、咄嗟に「え?これ、人の声?」とか思ってしまいます。でも、このCD、全編現代の合唱曲で、そのせいもあって、それほど違和感はありません。うん。面白い。
 現代音楽、それほど好きではないですが、こういう合唱曲は面白いですねぇ。やはり人の声だと違和感にも限界があるのか、特に合唱だとどうしてもハーモニーがあってのことになるので、聞きやすいのかも知れません。それと、北欧というのは合唱が盛んな土地のようで、こうした曲が沢山書かれているようです。バルト3国も同様に現代作品の重要な産地になっているようですが、北欧の方がいいかな?
 そういえば、北欧はシベリウスのように20世紀でも結構活躍した作曲家が出ているのと、大陸本土の音楽の進み方とは少し違った歴史を持っているようで、元々「現代音楽」の発展の仕方が少し違っているのかも知れませんね。

 いずれの曲もなかなか面白いです。5曲目、JENNEFELTの "O, Domine" は、ラテン語のレクイエムの歌詞に作曲された、一種の小レクイエム。途中切れ目無しに演奏される8分足らずの小品で、勿論典礼音楽としては使えないのですが、独特の雰囲気のある作品です。曲としては、2曲目のJ.SANDSTROEMの「二つの日本の風景」でしょうか。北斎の日本画に触発された作品だそうですが、そういうこととは別にそこはかとない静かな哀しみを秘めたような曲調がいいですね。北斎の画で、こういう哀調を帯びたものってあったかな?どうだろ?

 演奏は勿論素晴らしい。アクサントゥスを聞いた時も思ったのですが、やはり日本での合唱のイメージと、北欧あたりのトップレベルの合唱団のやってることとでは、相当の差があります。声自体がとても綺麗で、よくコントロールされていて、沢山の声部に分かれた複雑な曲でも対応出来る。オペラの合唱なんてせいぜい4部ですからね。複雑だけど、綺麗です。曲も、演奏も。
 結局は伝統と地力の差なのでしょうね。なんだかんだ言っても、教会での礼拝を基点にした合唱の経験と伝統が大きいと思います。個々人がそういうこととあまり関わりを持たなくても、何かにつけてそういうものに触れ、或いはそういう場で演奏する必要が、社会の中での合唱の地力をもたらしていて、こういう非キリスト教的音楽をやるのにもアドバンテージを与えているのだと思います。


2007/05/29のBlog
バスティアニーニ・リサイタル・1965
 エットーレ・バスティアニーニ (bariton)
 三浦洋一 (piano)
SEVEN SEAS/キングレコード KICC 58

 昨日は藤原歌劇団のリゴレットの公演を観て来たのですが、帰ってきて、なんとなくバスティアニーニのリゴレットが聞きたくなって、CDを引っ張り出す内、これが目に付きまして。

 バスティアニーニは好きなバリトンです。勿論随分前に亡くなっていて、生で聞いたことなど無いのですが。自分のblogで検索してみたら、時々取り上げてます。奇しくも丁度1年前、去年のF1モナコGPの日には、デル・モナコのアルバムを取り上げているのですが、やはりデル・モナコと言えばバスティアニーニ、ってわけで.......もないんですが。

 1965年、バスティアニーニが早逝する二年前、来日した際のライブ録音です。ここでもバスティアニーニはリゴレットの「悪魔め、鬼め」、"Cortigiani" を歌っています。ですが、ここでのバスティアニーニ、出を思いっきり間違えてます。ピアノが上下降する音形の2度目の最後で入る筈が1拍半くらい遅れてます。戸惑う伴奏。揺れる歌唱。しかし、持ち直してからはバスティアニーニの独壇場。
 でも、やっぱり、バスティアニーニなんですよねぇ。何歌ってもかっこいい。かっこよ過ぎる。
 このCDの解説は黒田恭一なのですが、バスティアニーニファンでもある彼は、この稀代のヴェルディアン・バリトンについてこんなことを書いています。
 「ヴェルディをうたうときのバスティアニーニは、いつでも、その音楽の語りうることを信じ、過度に演じすぎることはなかった。」
 そう、全くその通り。過度に演じることなく、その音楽の語りうることを信じて歌えば、自ずから音楽が語り始める。それがヴェルディのオペラ。
 それはその通りなんだけど、しかし、その境地に達することのなんと難しいものか。それが出来る人が、果たしてどれほど居たものか。
 これと良く似た音楽があります。シューベルトの歌曲。幾らでも歌う人は居るけれど、どうしても演じてしまい、色気が見え隠れしてしまって興醒めする。本当に、あの歌曲を自然に、自然であることすら気付かせずに聞かせることは難しい。そしてまた、そういうのを一度聞いてしまうと、下手に逸って歌われると鼻に付いて仕方がない。そういう音楽です。

 このCDで聞かれるバスティアニーニの歌は、そういう音楽を歌う事の出来る音楽家の、最良の記録の一つ、と言っていいでしょう。と言いつつ、ここでは後半でしっかり「帰れソレントへ」とか「カタリ」とか、「オー・ソレ・ミオ」とか、歌ってるんですけどね。いやさ、そういうのがいけないわけではないんだけど。
 でも、こういう曲で、きちっと歌い回すバスティアニーニを聞いていると、つい、ああ、なんて勿体無い....と思ってしまったりするのです。こういう曲でもバスティアニーニの歌のフォルムは変わらない。変わってる曲もあるんですけどね。「セヴィリア」のフィガロとか。でも、基本は変わらない。

 バスティアニーニは、そういう意味では、何歌っても同じ、です。でも、その歌い方が様式感を伴っているので、何歌ってもバスティアニーニ、なんだけど、それは同時に正しく「歌」になっているのです。
 バスティアニーニは昔から好きだけど、未だに聞き続けるのは、多分、そうした様式感というものがしっかりしているからなのだと思います。今では、こういう様式感を内在した人というのは本当に少ない。それを形成する事自体誰にでも出来ることではない、難しいことなのだから。一方で、そうした様式感を礎に歌うことが必ずしも支持されるとは言えず、むしろ演じることを求めながら、「確としたもの」が無いと無責任に言い放ってしまう、というのが今のきき手なのかも知れません。そういう無責任さというものに冷や水を掛けてくれる。バスティアニーニとは私にとってはそんな存在かも知れません。


2007/05/26のBlog
Edition Klavier-Festival Ruhr : Almanach 1997-2004
 (CD詳細はこちら)


 音楽祭というのは本当にあちこちで催されています。その大半は結構知られていません。日本で行われている音楽祭だって、全部はなかなか。東京のオペラの森とか、「東京の夏」みたいなのは省くとしても、サイトウキネンフェスティヴァル草津国際音楽フェスティヴァル木曽音楽祭宮崎国際音楽祭、あれ、霧島なんとかいうのもあったっけ?札幌のPMFとか、他にも色々ありそう。
 こんなですから、海外のなんてとてもとても。メジャーどころのザルツブルクやバイロイト、ルツェルン、或いはラストナイトばかり有名になっちゃったthe POMSなんかはともかく、エディンバラやチューリッヒ、シューベルティアーデですら「よく知られた」と言えるかどうか。
 そんなわけで、「音楽祭」と言われてもそれこそ無数にあるのですが、何せヨーロッパ、集めようと思えば相応の演奏家は集まってしまいます。

 で、最近知ったのが Klavier-Festival Ruhr、ルール・ピアノ・フェスティヴァル。行ってみたわけではなくて、この音楽祭の演奏8年分から10枚のCDに収めたセットを安く入手したのです。
 歴史は比較的浅く、原型は1989年に遡るとか。このセットは1997年の演奏からで、ところが収録されているピアニスト、全部で55人いるのですが、殆ど知らない人です。それも道理で、コンセプトを読むと、この音楽祭、毎年20人以上のピアニストをアサインして開催しているのですが、「我らの同時代のピアニストを呼ぶ」という趣旨で、少なくともその3分の1がこれが初リサイタルになるような若手ピアニストだとか。で、収録されている演奏も、そうしたピアニストのものに集中しているようです。
 確かに、この音楽祭のサイトでプログラムを見ると、5月から7月までやっているのですが(ラ・フォル・ジュルネみたいに短期高密度型ではなく、長期間ぽつぽつと、ルール地方の各地、デュッセルドルフやジュイスブルクなどで同時多発的にコンサートが開催されるスタイル)、中にはブレンデルやアルゲリッチやシフといった名前あり、マルティン・シュタットフェルトやマルク=アンドレ・アムランといった若手あり、知らない名前沢山あり、ついでにチック・コリアとゲイリー・バートンの名前あり(これ聞きたいぞ....)、とまぁなかなか面白い面子なのであります。

 でも、CDは若手ばっかり?まぁそれはそうなんですが、これが結構面白い。沢山の演奏会があるから、玉石混交というのもあるでしょうが、そこはそれ収録する演奏も選ばれてますから、どの演奏もかなり「聞ける」演奏です。
 こないだから聞き始めて只今4枚目、2000年の録音ですが、スカルラッティのソナタ(F.GAMBA)に始まり、ハイドンのソナタにベートーヴェンの"エロイカ変奏曲"、アンコールのようにドビュッシーの前奏曲を一曲(C.TIBERGHIEN)。ビゼーの子供の遊びから一節(Y.TAL & A.GROETHUYSEN)を挟んで、ラフマニノフの前奏曲、ブラームスのワルツにウェーバーの"舞踏への勧誘"(M.KIRSCNEREIT)。最後にW.DAUNERという人の自作自演。
 .........知らない名前ばかりでしょう?でも、いずれの演奏も、達者で見事です。これだけ多彩にあれこれ演奏されると飽きる暇がないし、音もいい。正直、そう個性的にめまぐるしく変わるわけでは無いけど、良し悪しとは違う微妙な差があるので、結構聞けてしまうのです。
 このCDの中で面白かったのは、ラフマニノフの前奏曲。小曲ですが、なかなかブリリアントな演奏で楽しい。スカルラッティも好きだけど、まぁ元々スカルラッティのソナタ自体好きなので、どっちの理由かよく分かりませんが。まぁ、こんな感じで、あれは面白いな、などと聞き倒すのが正しい聞き方かも知れません。
 大体が、若いピアニストのいい演奏ばかり集中して聞ける、なんて機会、そうはないですから。大体がリサイタルにわざわざ出かけるのはしんどいし。若手だとなかなかCD出ないし。出ても、高いし。コンクールを聞く手はあるけど、それはそれで時間とレベルを考えるとしんどいし。なんてことをつらつら思うに、ピアノの好きな人には結構いいんじゃないかと思います。
 日本では輸入盤を扱っている店で、1万円くらいで出しているようです。私は随分安く買ってしまったのでありますが.........


2007/05/24のBlog
L.v.Beethoven : Piano Sonata No.9 E major op.14-1 / No.10 Gmajor op.14-2 / No.26 "Les Adieux" E flat major op.81a
Rondo a capriccio G major op.129 "Rage over a lost penny"

 Jan Panenka (piano)
SUPRAPHON SU 3570-2 111

 いや、まぁ、ねぇ..........こういうタイトルにしちゃうのも如何なものかとは思いますけど....

 こういう題名の曲があるのです。作曲・ルードヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン。ロンドとカプリッツィオ ト長調。作品番号129。でも、作曲年代は1795年だとか。で、副題として、Rage over a lost penny、「失われた小銭を巡る興奮」というのがついているのです。
 6分ほどの小品で、軽快でちょこまかとよく動く旋律が左手の細かく刻んだリスムに乗って演奏されます。3連符でトリルのように聞こえる音形が繰り返し出て来て、これがまぁ落っことしてコロコロ転がっていく小銭を連想させる、ということなのでしょうか。
 まぁどうってことのないアンコールピースと言っていい小品なのですが、結構面白いんだなこれが。で、久々に聞いて、ちょっとツボにはまったので取り上げてみた次第であります。

 .......このCD、本来を言えば、「ベートーヴェンのピアノ・ソナタのCD」なんでありまして、あくまでこの小品はおまけです。アンコール的位置付け。アンコールでも何でもちゃんと真面目に弾いているのはヤン・パネンカ。チェコのピアニストで、1999年に亡くなっていますが、堅実な演奏を聞かせるピアニストです。ヨゼフ・スークやスメタナSQとの共演録音もある、ある時代のチェコスロヴァキアを代表するピアニスト、と言っていいのかな?
 勿論、「小銭」だけじゃなくて"本編"も聞いています。やはり「堅実」という感じの演奏でしょうか。ここに収録されているのは、op.14の1番と2番、それにop.81aの"告別"。なかなか渋い選曲ですが、"告別"は更に落ち着きのある演奏。面白かったのはむしろop.14の2曲でしょうか。第9番と第10番。これが結構面白いんですよ。この二つのソナタでは、ベートーヴェンは結構「軽い」書き方をしていたりして、重く、ずしーんと演奏されるよりは、むしろモーツァルトを思わせるくらいでもいいのかなと。
 パネンカの演奏、曲に添った堅実な演奏で、「ああ、こういう曲だったか」と再発見させられました。いわゆる「ベートーヴェン弾き」のピアニストだと、こういう曲の場合、軽い感じで弾いても尚剣気が抑えられない、というようなところもありますが、パネンカは至って自然体。曲に合っているということなのでしょうか。

 そういやぁ、例えばバックハウスとか、この「失われた小銭を巡る興奮」なんて、弾いたんですかねぇ?アンコールくらいでは弾いたことあるでしょうけど、録音は見たことないなぁ。グルダ、ケンプ、バレンボイム、アシュケナージ..........うーん。ブレンデルは、何処かでそういうの録音してそうな雰囲気はありますが..............
 決して皮肉でなく、パネンカ、合ってるんでしょうね、この曲にも。

2007/05/22のBlog
CLARA HASKIL The Legacy Volume III SOLO REPERTOIRE
 Clara Haskil (piano)
PHILIPS 442 635-2

 ペルルミュテールのフランス近代音楽選の関係で、久々にハスキルを引っ張り出しました。まぁ、このCDは割といつも手元にあるのですが。

 クララ・ハスキル。1960年に亡くなったピアニストです。確か、ブリュッセルの駅で階段から落ちたのが元だったか、それとも心臓発作を起こして階段から落ちたのだったか、そんな話です。
 ハスキルも、私としては、LP時代に入手して聞き始めた人なんですよね。で、このCDは3枚セットなのですが、そのLPに入っていたのはあらかた入ってます。スカルラッティのソナタ、シューマンの子供の情景だったか森の情景だったか、それとこのラヴェルのソナチネ。他にも何か入っていたかも知れません。

 ラヴェルのソナチネは、3楽章構成で、全部で10分ほどの名前の通り「小さいソナタ」です。ラヴェルのピアノ曲は風変わりな味わいの作品が多いですが(もっとも、サティの為にするような風変わりさと較べるとよほど違うのだけれど)、その中ではこの曲は構成感もあって古典寄りの作品と言っていいと思います。
 そういう作品なので、いわゆる「フランス印象派~#♪」みたいなイメージで、ブリリアントな響きで聞かせよう、なんてやられてしまうと、折角の構成感が台無しになってしまうのです。きらびやかであっても構わないけれど、響き合ってしまうのはよくない。音切れがよくないと困ってしまう。

 ハスキルの録音は1951年頃のようです。勿論モノラルで、そのせいか、1950年代のモノラル録音に時折感じられる、妙に残響のある感じではあるのですが、それはそういう「感じ」でしかなく、前の音が次の音と重なり、干渉するというようなことはありません。清潔感のある演奏です。
 急-緩-急の構成ですが、実感としては、急-やや急-快速 というところでしょうか。第一楽章から順に、Modere, Mouvement de menuet, Anime との表記があります(アクサン省略)。最後のAnimeはアニメーションと同じ語源で「動きのある」という意味です。音楽は全体に品よくまとまっているけれど、確かに結構動きのある曲です。そういえば、確かに古典派あたりのソナタ形式の作品って、そういうスタイルのものが少なくないですね。

 「品よく」「清潔感のある」、という表現をしましたが、確かにハスキルの演奏は概ねこの点が共通しているように感じられます。品がいいんですよね。やたらとペダルを踏んで響きを濁らせることはないし、楽曲の構成感を損なうことなくすっきりとまとめる。そもそもそういう曲を選んで演奏するし、それをまた見事に弾く。
 かつてのLPでも、このCDセットでも、カップリングされている演奏で、スカルラッティのソナタが3曲あるのですが、これらもこうした特徴に適った曲であるし、演奏も又その通りであります。そのへんが、この既に亡くなって半世紀になろうとする、決して録音が多いとは言えないピアニストを未だに聞いてしまう理由なのだと思います。




2007/05/20のBlog
F.Schubert "Schwanengesang" D.957
 Tom Krause (bariton)
 Irwin Gage (piano)
DECCA 467 239-2

 今日は概ね家に居て過ごしてます。買い物くらいは出掛けたけど。仕事もやりつつ、まぁのんびり。

 結構なお天気ですが、そんな爽やかでいと麗しき5月にはちと似合わず、シューベルトの「白鳥の歌」を聞いています。歌うはトム・クラウゼ。フィンランド生まれの、バリトンとなっていますが、もうちょっと低い、バス=バリトンくらいの歌手です。もう結構な御歳ではないかと。録音は1973年頃です。
 通常、「白鳥の歌」は全14曲となっていますが、ここでは、レルシュタープの詩に作曲した "Herbst" D.945 が、歌曲集の一部として扱われて収録されています。

 「白鳥の歌」は先日もウェルナー・ギュラの演奏をエントリーしましたが、こちらは以前から聞いているもの。バス=バリトンで、低目とは言いながらこちらも明るめの声。ギュラのような「明晰」というのとはちょっと違いますが。レルシュタープとハイネ、どちらに合うかと言えば........どっちかな?多分、どちらの中にも合う曲がある、といったところかな?
 全体的にいいのですが、短調系でしかも重い曲、レルシュタープの方で言えば "In der Ferne"、ハイネの方で言えば "Die Stad" とか、そうした曲でなかなか聞かせてくれます。重くなり過ぎず、感情過剰にならず。いい感じです
 歌唱のキレがいいんでしょうか。ネイティヴでは無い故か、発音はとりわけ綺麗というわけでもないですが、歌い回し、というよりこれは "アーティキュレーション" と呼びたいくらいですが、これが適切なんですね。「音楽仕事人」って感じでしょうか(笑)

 ワーグナーを結構歌っていた人で、バイロイトにも出ていた筈です。そう無闇と録音があるわけではないけれど、いろんな役を歌っていたそうです。力量のほどが伺えます。
 さすがにもうこの人を生で聞く機会は無いでしょうが、一度聞いてみたかったなという気はします。


2007/05/17のBlog
J・ハイドン:交響曲第98番 変ロ長調 / 交響曲第99番 変ホ長調
 ドレスデン・フィルハーモニー
 ギュンター・ヘルビッヒ (conduct)
ドイツ・シャルプラッテン/徳間ジャパン TKCC-70273

 一昨日だったか、何故かアクセス数が450も.......
 こんなWebの奥の細道に、一体誰が?謎です。(小心者なので普通じゃないことが起きると気になるのです(^^;)

 さて、今日はハイドンの交響曲です。
 正直、私はそれほど管弦楽は得手ではありません。嫌いではないけど、昔からそう喜んで聞いてたわけではありません。どういうんでしょう。「ちょっと複雑過ぎる」という感じを抱いてまして......
 で、ハイドンの交響曲も、今にしてみれば管弦楽の中では単純だろうと思うのですが、以前は「どうせ聞くなら四重奏がいいや」とばかりに、あまり聞いていませんでした。このCDも、買って、聞いてはみたけど、そう好んで聞いたわけではなくて。

 ところで、そういう私がそれなりに管弦楽も聞くようになったのは、実は生演奏で聞くというのをそれなりに繰り返したことによります。まぁ、コンサートで聞くとなると逃げ場無いですから(笑)、とにかく聞くしかない。で、それこそNHKホールの天井近くで聞き続ける内に、なんとなく「聞き方」みたいなものが体得出来たような。別に理論的にどうこうじゃなくて、まぁ、「ツボ」みたいなもんですね、それが掴める様になったというかそんな感じ。
 自分は生演奏至上主義者じゃないですが(でなきゃ誰がカーステレオでCD聴くものか!)、やはり生で聞くと音の質感とかを実感出来るという楽しみがあるのはよく分かるので、特に管弦楽に関してはその魅力が強いのかな、と思っています。
 そんな風にして、ブラームスだのマーラーだのと聞き覚えていくようになったわけです。聞けるようになった、と言ってもいいかも。まぁ、だから、普段CDでは聞かない曲でも、生では結構聞けてしまうのかなと思うのです。CDで聞ける曲は勿論、そうでない曲でも聞ける。

 ところが。唯一例外が