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Verdiのレコード置き場 今日車で聴いたものblog
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2007/10/23のBlog
Henry VIII and his Six Wives
music arranged and composed by David Munrow

 The Early Music Consort of London
 David Munrow (directed by)
 TESTAMENT SBT1250

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 先日に引き続き、またしてもイングランドの古楽ネタです。いや、これを古楽というなら、なんですが。一応。

 ヘンリー8世にまつわる音楽、みたいなのは以前にも書いたのですが、こちらは古楽黎明期の雄、デビッド・マンロウが映画のサウンドトラックとして制作したもの。それがTESTAMENTで出て来るあたりが面白いんですけどね。
 16世紀のイングランドは、王権争いである薔薇戦争で、最後の最後に陰険と名高いリチャード3世を、肖像画で見るからに数倍陰気で陰険そうなヘンリ7世が倒して、王権が安定します。血で血を洗う抗争を親父の代で終わらせた後に出たのがヘンリ8世。6人の妻を持ち、離婚する為にカソリックから分離したという、ファンキーと言うかファッッキンと言うか、まぁなかなかの御仁です。結構治世は大荒れだったようですが、戦争はなかったので、下々はそれほどとばっちりは食わなかったようですが。ちなみに彼の「私生児」が誰あろうエリザベス一世。シェークスピアのおかげもあって、この辺の歴史は英国でも結構人気のある時代です。日本で言えば戦国時代ですかね。
 で、人気があるのでTVドラマにもなるし、映画も作られる。1972年に、「ヘンリー8世と6人の妻」なる映画が作られました。私は観たことないんですが..... この映画のサントラを担当したのが、古楽黎明期の第一人者の一人であったデビッド・マンロウ。1942年生、1976年に亡くなりましたが、もし彼が健在であったら、古楽演奏の歴史は少なからず変わっていたと思います。

 マンロウの面白い所は、その活動の中心が、バロック以前の音楽に集中していたことでしょう。彼の活動の原点となったエピソードの一つに、学生時代、師の研究室に飾ってあった古い管楽器を見て、「あれはどんな音が出るのだろう?あれで演奏された音楽とはどのようなものなのだろう?」と考えたのがこの世界に足を踏み入れたきっかけになった、というのがあります。
 正直、多くの古楽器演奏、ピリオド演奏というのは、そのセンターフィールドをバロック以降に置いています。特にこの15年くらいは、バロックから古典派、場合によってはロマン派までを中心に置いています。意地の悪い言い方をするなら、これらは、「研究が可能な音楽」なのですね。研究して新発見を為したり、奏法を追究したり、ということが可能な世界。一方、それ以前の音楽となると、途端に体系的な演奏が減ります。マンロウ以外ではアルフレッド・デラーによるデラー・コンソートの活動が主でしょうか。最近でもそうした時代の音楽は演奏されるようになってきましたが、やはりまだまだ馴染みが浅い。未だに、バロック以前の音楽を聴く場合、マンロウの一連の仕事は数少ないまとまった録音と言えるのです。
 で、マンロウが楽しいのは、やはり「これってどんな音楽なんだろ?」という好奇心が中心にあることなのですね。そいっちゃなんですが、最近の多くの古楽演奏家、団体は、この核となるべき好奇心が無いんですよね。
 好奇心旺盛のマンロウは、なので、結構アバウトでもあります。実はこのCDに収録されている音楽、多くはマンロウ編曲によるもの。要は、ヘンリ8世の時代に書かれた音楽を適当な編成に編曲したもの。そして、残りは、実はマンロウが作曲したものなんですね。思わずおいおいと突っ込みたくなるところですが、実際聞いてみると、結構それっぽく出来ているのです。勿論、70年代といえど、そこはそれ映画音楽ですから、相応に外連味はあるのですが、言われないとなかなかそうとは思えない。

 勿論、邪道と言えば邪道でしょうね。でも、面白いのですよ、このCD。幾らそれっぽい作り物でも、ここには、古楽を知り尽くそうとする若い音楽家の好奇心が感じられます。決して一丁上がりの既製品ではないのです。大真面目にそれっぽい音楽を作っている。演奏にも手抜きはありません。リコーダーの響きがよく映えます。下手にそれっぽく考えられた演奏より面白いのですよ、これ。陽気な王様ヘンリーに似つかわしい音楽が前半だとすれば、後半はリコーダー大会にヴァージナルにリュートに、と、ダウランドらに当時書かれた音楽が、本編に劣らず耳を楽しませてくれます。

 若くして古楽研究を進めながら、あくまで好奇心は失わなかったマンロウ。70年代でありながら堂々TESTAMENTに登場するあたり、この人の、特に英国での人気が決して失われていないのだな、と思います。
 ちなみに、演奏のThe Early Music Consort of Londonには、ハープシコード奏者としてクリストファー・ホグウッドの名前も見られます。マンロウ、生きていれば65歳。まだまだいろいろやれる歳だのに。残念です。


2007/10/21のBlog
G.Mahler : Kindertotenlieder / Lieder eines fahrenden Gesellen /
Fuenf lieder nach F.Rueckert(*) / Vier lieder aus "Die Knaben Wunderhorn" (#)

 Siegfried Lorenz (bariton)
 Gewandhausorchester Leipzig / Kurt Masur (conduct)
 Berliner Sinfonie-Orchester / Guenter Herbig (conduct)(*)
 Staatskapelle Berlin / Otmar Suitner (conduct)(#)
 BERLIN Classics 0185872BC

 マーラーは、管弦楽伴奏歌曲を結構書いています。さすらう若人の歌、亡き子を偲ぶ歌、子供の不思議な角笛、その他に特に連作とせずに書かれているものなど。その中でも、実はあまり聞く機会が多くないのが、亡き子を偲ぶ歌です。
 録音数など見ると、決して少ない訳ではないのですが、実演があまり多くは無いのではないかなと。まぁ、内容的にも躊躇してしまう面はあると思いますし。日本語では「亡き子を偲ぶ歌」としていて、それは内容的には間違いではないけれど、原題は"Kindertotenlieder"、直訳すれば「子供の死の歌」。ちょっとざらりとした感じがあります。録音では、キャスリーン・フェリアーのものが名高いですが、本当は詩の内容的には父親なので、男声で歌われるのが本筋です。
 この曲、リュッケルトの詩に作曲したものですが、この曲には逸話があります。これを作曲した当時、マーラーは娘を設けていましたが、妻のアルマ・マーラーによれば、幸せに暮らしている家族がいながら、どうしてこうも不吉な歌を書けるものか、悪い予感がする、と厭がったそうです。事実、この数年後にこの夫婦は娘を亡くします。まぁ、アルマの回想がどこまで本当かは分かりませんし、エキセントリックな人であるのも事実ではありますが、気持ちは分かります。

 実際、この曲はかなり、なんというか、心の肌触り(?)の悪い曲だと思います。詩そのものからして、のっけから昨夜我が子を失ったという情景から入りますから、もう既に救い様がないのですが、第一曲、哀し気な木管の独奏が寂寥感をいや増すのです。以下、第5曲だけは感情の激しさを反映するかのような嵐の描写から、あたかも救いを齎すかのような平穏な音楽へと収斂して行きますが、そこまでは、基本的に不協和音を交えたざらついた喪失感に満ちた音楽です。いや、正直、これはしんどいですよ。
 さすらう若人の歌と比べると、より直接的な感情の起伏に満ちた「さすらう若人」とは随分違います。こちらでは、最終曲、菩提樹の下での眠りに救いを見出しつつ、最後は和声の解決を見ないままに中途半端に終わらせたマーラーも、さすがに「亡き子」では、和声解決を図って、最後は救いを感じさせて終わらせています。失恋は洒落にもなるが、子供を亡くすのは洒落にならない、ってことでしょうかね。

 歌うはジークフリート・ローレンツ。管弦楽はクルト・マズア指揮するライプツィヒ・ゲヴァントハウス管。旧ドイツ・シャルプラッテンの流れを汲むBERLIN Classicsらしい一枚です。ローレンツの録音はなかなか宜しいです。あまり芝居っ気の強くない録音ですが、こういうのも悪くない。元々マーラーの歌曲は身振りも大きいし、歌によっては、時々シニカルに過ぎてどう落としていいのか分からなくなることもあるくらいですから、却って抑え気味に歌われるのもいいように思います。
 ここでは、「亡き子を偲ぶ歌」の他に、「さすらう若人の歌」、リュッケルトの詩による5つの歌曲、加えて「子供の不思議な角笛」から4曲が収録されています。リュッケルト歌曲は歌曲集の世界とは少々違って、言ってみれば耽美派の世界でありましょうか。より贅肉を削ぎ落とした感じで、歌曲としては、こちらの方が完成度は高いと言うべきなのかな?ちなみにこちらは、ベルリン交響楽団、指揮はギュンター・ヘルビッヒ。


2007/10/20のBlog
English Chamber music of the 17th Century
Trio Sonnerie
Stephen Stubbs (theorbo & baroque guitar)
Andrew Lawrence-King (harp & organ)
Teldec/Warner 0927 49976 2

 風邪っぴきでほぼ先週一杯死んでおりました。仕事休んだのは1日だけだけど、まぁ仕事してても本調子じゃないですよね。正直。
 この記事も、途中書きかけで放っておいてました。やれやれ。

 例によって行き当たりばったりで聞いている古楽系のCDです。今回は、Warner系の廉価盤シリーズから。
 「17世紀のイングランド室内楽」という、まぁ素っ気ないと言えば素っ気ないタイトルです。実は、17世紀のイングランドというのは、激動の時代です。

 17世紀のイングランドは、1603年にエリザベス女王が亡くなり、以後激動の歴史を歩みます。女王の指名によりスコットランド王ジェームズ5世がイングランド王ジェームズ1世として即位。その後継のチャールズ1世の治世下でピューリタン革命勃発、1649年にはチャールズ1世は処刑されます。クロムウェル治世下ではカトリックが弾圧され、西欧の文化の種でもあった修道院が閉鎖・破壊に追い込まれ、教会音楽も厳しく制限され、一般の歌舞音曲など目の敵にされる時代です。クロムウェルの死後、1660年に王政復古でチャールズ2世が即位しますが、その子ジェームズ2世はカトリックの性急な復興を図って議会と対立、ついに1688年名誉革命によって王位を追われ、翌年オランダ総督ウィリアムと妻メアリーがそれぞれウィリアム3世、メアリ2世として即位します。英国史はおろか、西洋各国史の中でも珍しい激動の時代です。2度も革命で王を退位させてるわけですし、宗教的にもめまぐるしく力関係が変わった時期です。当然文化的にも大きな影響があったのは間違いないでしょう。
 カトリックとほぼ訣別し、国教会体制が整っていった英国では、独自の宗教音楽文化が出来てしまったのが一つ。中欧やフランスでオペラなどの音楽が生まれていった時期、英国は内戦やらでとてもじゃないがそれどころではなかったのが第二。加えてピューリタン革命を挟んで、享楽的文化としての音楽が断絶した時期があるのが第三。もっとも、この時期経済的にも政治的にも頑張って一足早い安定を得た18世紀イングランドは、音楽の一大消費者として現れる訳ですが、まぁそれはまた別の話。

 時期的には、ルネッサンスからバロックへの過渡期となるわけです。取り上げられている作曲家は、作曲家不詳を除くと以下の通り。
 ・Thomas Baltzar (1630-1663)
 ・Johann Schop (?-1667)
 ・Nicola Matteis (late 1670s-1749)
 ・William Brade (1560-1630)
 ・William Lawes (1602-1645)
 ・Christopher Simpson (1605-1669)
 ・John Jenkins (1592-1678)
 ・William Byrd (1543-1623)
 ・Michel Farinel (1649-?)
この中で知っているのはバードくらいのもの。やっぱりね、この分野ってマイナーだと思います。
 編成は色々。オルガンを通奏低音に使っている曲が多いのは、この演奏集団の選択にもよるのでしょう。概ね、弦楽器、ヴァイオリンを中心に、ギターやテオルボ、オルガン、ハープなどがそれぞれに組み合わされている感じです。編成も曲のスタイルも区々ですが、舞曲系の曲が多いのは、ヴァージナル曲として16世紀から流行していた名残でしょうか。
 このくらいになると、もう、興味の持ち方が「どういう曲があるんだろう?」から始まってしまうので、いわゆる古楽系がどうのという話でなくなってきます。いや、むしろ、「古楽」と言われると、私なんかはこういうのがイメージにしっくり来るんですけどね。ありきたりな言い方ですが、「典雅」っていうのはこういう音楽のことかなぁ、という感じ。全体にゆったり目のテンポ。勿論曲により緩急はありますけどね。

 演奏がいいのか悪いのか、というのはよく分かりませんが、気持ちよく聞けます。このくらい「遠い」と、音楽自体をどうこう考える、という感じじゃなくなりますね。
 演奏者のTrio Sonnerie、ライナーにも格別情報はありません。1992年12月、UKのサフォークでの録音、とありますので、恐らくはUKの古楽アンサンブルの一つなのでしょう。イングランドの12月は、空が既に寒そうだな、と思います。「寒い国から帰って来たスパイ」というのがジョン・ル・カレの小説にありましたが、あの「寒い国」はロシアだか東ドイツだったと思うのだけど、どうしてどうして、イングランドも気候的にはとても心を寒くさせる国だな、と思ったりするのです。そこへいくと、このCDに入っている音楽のイメージとはちょっと違うな、とも思ったりするのですけれどね。


2007/10/13のBlog
ヴェルディ:運命の力
 マリオ・デル=モナコ (tenor), エットーレ・バスティアニーニ (bariton), レナータ・テバルディ (soprano), チェーザレ・シエピ (bass) etc.
 ローマ聖チェチーリア音楽院合唱団、管弦楽団
 フランチェスコ・モリナーリ=プラデッリ (conduct)
LODON/ポリドール POCL-2399/401

 実は10月10日はヴェルディの誕生日だったんだそうです。ヴェルディっつっても私じゃないっすよ。言わすと知れた本家本元(?)、ジュゼッペ・ヴェルディの19ン回目の誕生日なんだそうです。そうか、後数年もすれば、ヴェルディ生誕200年になってしまうんですね。
 とか言ってる私は正直結構誕生日とかには無頓着です。自分の誕生日も、この歳になると別段こだわらないし、その分他人の誕生日も覚えません。付き合いの悪い奴です(苦笑)にも関わらずヴェルディの誕生日を何故知ってるかというと、なんのことはないラジオの特集で知ったのです。それも、翌日の再放送。やる気の無さが滲み出てます。
 で、ラジオでヴェルディ特集を楽しく聴いた訳ですが、ちょっと選盤がねぇ。何故かムーティ盤ばかり掛けるのです。いや、確かに、ムーティは有名だし、演奏も決して悪くないし、録音も比較的新しいから放送向きだし。でもさぁ、「運命の力」でムーティ盤はないでしょう。「運命の力」第4幕から、っていう選択それ自体は大変結構。ついでに言うと、個人的には「運命の力」って言われるより、"La forza del destino" ってぇイタリア語読みの方が、語感的には武張った感じがあって、好きです。まそんなわけで、それはいいんだけど、それにしても4幕の二重唱がドミンゴとザンカナッロってのはどうなんだ。"Pace, Pace, mio Dio" がフレーニってのはある意味いいんだけど、一般的にはどうだ、とか。そりゃまぁ、ドミンゴにフレーニでスカラ座で、何せムーティでというのは分かるけど.............
 でもまぁ、有り体に申せば、やはりムーティは歌向きじゃないよ、と思うのです。公平に言っていい指揮者だし、彼の「オペラ」は立派だけど、「歌」向きでは、ないなぁ。

 というわけで、欲求不満解消の為今日聴いていたのがこのCD。べたべたですが、希代の名盤の一つ。いや、このCDをおかずにして1週間くらいblogが続きそうな録音であります。1950年代のデッカを象徴するような究極のキャスティング。デル=モナコとバスティアニーニの黄金コンビに、テバルディが絡むという豪華版。「脇」を固めるのがシミオナートにシエピ。端役のフラ・メリトーネを歌うのがフェルナンド・コレナ。このキャスティングの誰でも、いずれかのオペラで主役が張れます。ちなみに、ここでもピエロ・デ・パルマは行商人役で登場。
 もっとも、今日聞いていたのは専ら第4幕。或いは第1幕をプロローグとすれば第3幕でしょうか。緊迫したデル=モナコとバスティアニーニのやり取りから、テバルディの "Pace" 。これがいいんですよね。正直に言うと、テバルディはそれほど「好き」というわけではありませんが、聴けばやはりいいんですよね。声量もあるけど、その豊かな声量を活かしてフレージングが自在なのがとても音楽的。
 他方、無条件に「好き」というのが、「黄金のトランペット」マリオ・デル=モナコと、エットーレ・バスティアニーニ。やはりヴェルディにはバスティアニーニは欠かせません。デル=モナコとの共演では、黄金のトランペットだけど輝かしいばっかりじゃ飽きるよね、という勝手な気持ちを見透かすかのように蔭のある役を見事に演じてこれまた素晴らしいのです。そう言っちゃなんですが、やはりデル=モナコはバスティアニーニと組むと互いに役が引き立つ感じです。第3幕での言わば「偽りの二重唱」もいいんですよね。

 流石に録音は古いです。と書いてて驚いてしまうのですが、この録音、1955年のもの。つまり半世紀以上前です。でも、さほどの違和感無く楽しめます。この辺がストレスの溜まらない録音の年限ギリギリじゃないでしょうか。まぁ、オーケストラの録音はちょっとしょぼいですが、まぁ文句は言えません。モリナーリ=プラデッリ指揮、ローマ・サンタ・チェチーリア管。デッカのイタリアオペラでは時々見る名前です。それはまぁ、スカラ座管の方が見栄えはしますけど。
 でもまぁ、録音がどうしたとか、見栄えがどうしたとか言ってみても、事実ここに記録された「声」はそんなことお構い無し。この見ようによっては一種の蛮勇さこそ、ここに記録されたヴェルディの音楽の魅力をよく伝えてくれるのであります。


2007/10/11のBlog
Elizabeth Schwarzkopf - Aix en Provence 1954
 Elisabeth Schwarzkopf (soprano)
 Hans Rosbaud (piano)
 INA IMV067

 世間様の標準的アクセス数にはほど遠いこのblogも、気が付けばいつの間にやら5万アクセス目前であります。一昨年の6月から2年半足らずということになります。これも検索ロボット様のおかげ......ってネタ、前にも使ったな....... ともあれ、人間の皆様には、毎度お運び頂き有り難う御座いますです。
 記念の5万アクセス目を踏んでも、なーんにも出ません。淡々と過ぎ行くのみであります。目指せ、coolなblog...........?

 エリザベート・シュワルツコップの、1954年、エクス・アン・プロヴァンス(エクサン・プロヴァンスという発音が正しいと思いますが、それじゃ字面的にはピンと来ないので)音楽祭でのライブ録音です。7月24日。エクス・アン・プロヴァンス音楽祭、行ったことはないですが、音楽祭の古さでは相当なものではないかなと思います。
 録音時間は詰め込みに詰め込んで、79分54秒。本来のCDの仕様は64分とかで、それを74分で最大限使ってるというところ、80分までは一応出来るみたいですが、ギリギリ一杯ですね。約80分というのは、リサイタル一晩分に相当すると考えていいと思います。40分やって20分休憩、残り40分とすれば、やや短めですがおかしくはない。実際にはこのCDに入っている以上に拍手とか曲間とかで時間取りますからね。曲数は26曲。結構頑張ってます。

 実際、この録音というかリサイタル、バラエティに富んでます。このリサイタルのポスターの写真がライナーに載っているのですが、本当に25曲プログラムに載ってます。最後の一曲はアンコール。開始時刻は21時ですから、終わったのは23時頃でしょう。幾ら真夏とはいえ、御苦労様です。。。。。
 バッハ、グルック、ベートーヴェン、モーツァルトを2曲、ペルゴレージ、ヘンデル、マルティーニ(というより「愛の喜び」)、シューベルトを5曲(「シルヴィアに」や水車屋から一曲、など)、シューマンを2曲(「くるみの木」!)、ブラームスを2曲、ヴォルフを8曲。最後に、アンコールとしてスイスの民謡。聞きごたえがありますし、結構いい曲が取り上げられてます。

 この年シュワルツコップは39歳。歌手としては若いとも言えるし、そろそろ円熟期という考え方も出来る頃です。シュワルツコップの録音は、この頃より後のものの方が多いと思いますし、実際のイメージもそんな感じではないかと思いますが、ここでのシュワルツコップは、当たり前ですが、若い!
 面白いのは、それなのに、後々彼女の愛唱歌とも言える曲が既に入っていたり(ブラームスの民謡編曲「谷の底の方では」やバッハの「御身が側に居られるなら」)、彼女の十八番とも言えるヴォルフが入っていたりすること。ヴォルフは後半のメインですね、明らかに。その一方では、これほどバリエーションに富んだレパートリーを用意しているし。
 それと、若かりし頃の彼女の声が存外艶っぽいのです。シュワルツコップというとちょっとイメージが違うようですが、マルティーニの「愛の喜び」など、ちょっと「あれ?」と思うくらいの艶っぽさがあります。
 個人的には、大好きな「くるみの木」を歌ってくれているのが嬉しいです。
 音質は、放送向け録音からなので、音は公平に言ってこの年代のライブものとしてはいいですが、モノラルだし、やはり限界はあります。でもまぁ、聞く分には十分楽しめます。たまにはこういうの聴くと楽しいですね。

2007/10/09のBlog
ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」 / 第14番
 カルミナ弦楽四重奏団
 DENON COCO-70849

 先日、弦楽四重奏のコンサートを聞いて、色々ありまして、結局「アメリカ」のCDが聞きたいなー、と思って掛けたのがこのCDです。素直にスメタナ四重奏団とかプラジャーク四重奏団とか持ってくればいいものを、わざわざこれを持って来る所が我ながらあまのじゃくというかなんというか........

 カルミナ四重奏団。1984年に結成されたカルテットで、この録音は1997年のもの。期待の新星、ということだったようです。解説では評論家が褒めちぎってますが..........

 うーん。
 上手いんですけどね、歌ってるんですけどね。で、楽器の音も綺麗でいいんですけどね。なーんちゅーかなぁ.............
 まとまってること、正しいこと、あるべき要素をきちんと配して組み上がっていること、という点に於いては、確かに立派なんです。でも、この演奏を聞いていると、ちょっと物足りないんですよね。というか、もっと言うと、つまらないのです。

 同じ曲でもあれやこれやの演奏を聞く理由は、簡単に言えば「違うものを欲する」からです。勿論良し悪しや好き嫌いはあるけれど、そこの「違い」が無ければ、わざわざ違えて聞く意味が無い。
 でも、この「違い」というのは、単なる「差異」という風にも割り切れない。それは、いわば「色」の違い、なのです。それぞれの演奏の持つ雰囲気、表情、表現、そうしたものの総体としての「色」。アバウトな話ではありますが、でも、やはりそういうものではあるのです。
 例えばスメタナ四重奏団なら、幾つも録音はあるけれど、それぞれに、録音の質まで含めて、「色」がある。全体として、スメタナ四重奏団ならこうだろうな、という色の傾向がある。プラジャーク四重奏団ならプラジャークの、パノハ四重奏団ならパノハの、リンゼイ四重奏団ならリンゼイの、それぞれの色がある。
 では、カルミナ四重奏団には?結論から言うと、「色」が無いのです。そんな感じなのです。「無色透明」ではありません。「無色透明」には、「色が無くて透明」という色がある。それすらないのです。

 公平に言って、この演奏はかなりいい出来のものです。合奏は精密だし、構成も考えられている。それなりに歌ってるし、楽器の音色だって悪くない。
 でも、この演奏、よく計算されていて、その計算通りに出来ているのだけど、その結果、全てが予想の範囲内に収まってしまう感じなのです。超高級ファミレスの料理。素材は吟味され、腕のいい料理人がレシピ通りに調理し、最高の状態でサーブされる。けれど、それは、非常に真っ当ではあるけれど、一回食べれば分かってしまう味。とても美味しいけれど、だから「困った時の対応策」にはなるけど、でも、それだけ。それ以上には決してならない予感がある。是非もう一度、の「是非」が絶対付かないのです。
 発見が無いのです。平たく言えば。一度聞けばこの曲がどういう曲か大体分かってしまう。分かってしまうのです。だから、何度も聞く必要が無い。
 今の演奏家は、正しいこと、ある程度まとまりよくすること、を求められる傾向が強いと思います。それが全般的傾向。この演奏は、それを突き詰めて行った結果だと思います。だから、大変優れた演奏ではある。でも、この演奏からは、例えばスメタナ四重奏団が聞かせてくれた、楽器特有の音色、響きを楽しむ、という聞き方は出来ないし、プラジャーク四重奏団がやってくれたような恐るべき歌を引き出してくれる予感も無い。厳しいけれど、正しく、まとまりよく、の先が無ければ、聞く側はつまらないのです。それを理知的な面に求めている風もあるのかも知れないけれど、それにしては突き詰めたものが無い。それでは、わざわざこれを聞く理由がないのです。これをこそ真のスタンダード、と考える手もありますが、それを言うにはやはり何か足りない。完成してしまっている時点で、それでも尚、その完成度故に愛する、というあり方もあるのですが、これはそうではないんですよね。この時点でもう「この曲はこれで終わった」と言っているようで......

 風変わりな演奏がいい、と言っている訳ではないのですけどね。



2007/10/08のBlog
Puccini : Turandot
 Joan Sutherland, Montserrrat Caballe (soprano)
 Luciano Pavarotti (tenor)
 Nicolai Ghiaurov (bariton)
 London Philharmonic Orchestra
Zubin Mehta (conduct)
DECCA 414 274-2

 パヴァロッティが亡くなって、1ヶ月が過ぎました。そろそろ月刊誌等の特集でもパヴァロッティ特集が出始める頃です。タイミング的には2週間くらい遅れているかと思いますが、定期購読しているBBC music magazineOPERAは、揃って表紙が黒い背景でにこやかなパヴァロッティの写真です。勿論追悼記事がカバーストーリー。とはいえ、「ポップスター」パヴァロッティに、屈託が無くもない、よりマニア度の高いOPERAと、躊躇うこと無くそのポップ性も含めて高く評価しているBBC music magazine、という差はあるのですが。

 やはり雑誌として読んで楽しいのは、より大衆性の高いBBC music magazineです。中で、各界の士による追悼のコメントが掲載されていますが、中で心を打つのはミレッラ・フレーニの、ありきたりだろうけれど、万感胸に迫るもののあるコメント。曰く "We have lost a great tenor, a great singer, but I have lost a great friend." (BBC music magazine, p23, October 2007) 以前も触れましたが、メトの記念ガラで、こうもり第2幕の劇中劇ガラコンサート大トリでのフレーニの表情が忘れられません。パヴァロッティがロドルフォ、ドミンゴがマルチェッロで、ボエーム4幕の二重唱「もう帰らないミミ」を歌う、その姿を「どれどれ、どんな感じ?」と如何にも楽しそうに眺めるミミ、ならぬフレーニ。この姿を収めたカメラマンも、ディレクターも、本当に偉い。これもまた15年くらい前の話です。

 なのですが、そこはやっぱりBBC。フレーニの前に載っているコメントは、誰あろう我らがデイム・ジョーン・サザランド。そしてまた、パヴァロッティを忍ぶディスク紹介でも、CDで上がっているのは「連隊の娘」「清教徒」「ボエーム」そして「トゥーランドット」、いずれもデッカへの録音です。全部聞いてる方はお気付きでしょうが、御存知「カラヤンのボエーム」以外は全てサザランドがプリマなのであります。偉大なり、サザランド(笑)
 いや、揶揄でなく、私も本当にサザランド好きなんですけどね。

 という訳でパヴァロッティを改めて偲びつつ聞いているのが、お勧めの一点、「トゥーランドット」であります。なんとなんと、1972年の録音。35年前です。にも関わらず、なんとトゥーランドットの定盤は、この後も大して代わり映えしません。まぁ、この前にはコレッリ=ニルソン、デル・モナコ=ボルク、ビョルリンク=ニルソンという重量級があったし、後にはカレーラス=マルトンとかカラヤンの指揮でドミンゴが歌ったりとか、そのくらいしか無かったので、やむを得ないんですけどね。
 実はキャストが凄い。ロンドン・フィルにメータの指揮はともかく、リューにカバリエ。サザランドのトゥーランドットに対するに、ですから、これはなかなか凄い。いや、堂々たるリューであります。ティムールにギャウロフ、何故か皇帝にサー・ピーター・ピアース。ピンポンパンにはトム・クラウゼやピエロ・デ・パルマの名も見えます。

 まだ若い、と言っても37歳のパヴァロッティの声がいい。後年の独特の「泣き」が入ったような感じはまだ浅く、その分まっすぐに聞こえます。「誰も寝てはならぬ」、いいですねぇ。スタジオ録音だから拍手が入る訳ではないですが、見事に若い声で歌い上げています。
 それと、カバリエのリュー!この役は、線の細い人が演じるのが一般的なようですが、視覚抜きのCDでは、貫禄は十分あります。3幕の姫との掛け合い、「喋らないのは愛故...」と歌い上げる所も秀逸です。

 トゥーランドットだと、どうしても古い超重量級の演奏に目がいってしまうのですが、この録音なんかは、パヴァロッティとサザランドで、聞く限りではある程度の軽さも出してみせたというところで、この辺の工夫が結構いいかなと思います。

 このCDも久々に聞きましたが、やっぱり無条件に面白いですね。オーケストラの録音も含めてきちんと取られているあたりが、全体的に飽きのこない造りになっているかなと思います。

2007/10/07のBlog
バッハ:ブランデンブルグ協奏曲集(全6曲)
 ヨゼフ・スーク (violin)
 オーレル・ニコレ (flute)
 クリスティアーヌ・ジャコッテ (cembaro)
 ルツェルン弦楽合奏団
 ルドルフ・バウムガルトナー (conduct)
 EURODISK/DENON COCO-70837/8

 バッハ全集も聞き終わってないのですが、それとは別にあれやこれや聞いているのであります。

 バウムガルトナー指揮のルツェルン弦楽合奏団については、以前も結成○○周年コンサートの実況盤について書きましたが、こちらも同じくDENONの廉価盤シリーズから。1978年の録音ですから、30年近く前の録音です。まだ、古楽器演奏が一般化する前のバロック演奏の、典型的な所の一つ、でしょうか。

 自分の年代だと、まだ、こういう録音を聞いて「ああ、バッハって、バロック音楽って、こういう音楽なのか」という具合に得心していたところですね。この録音が最初にLPで発売されたのは1985年だそうですから、既にアーノンクールの「四季」なんかは世に問われていたということになります。
 そう考えると、やはり今の耳で聞くと随分「違う」となるのかも知れません。

 でも、正直言うと、このへんの、ブランデンブルグ協奏曲なんかだと、確かに「面白い」演奏もいいのだけど、こういうスタンダード的な演奏で聞くと、何処かホッとするものがあるのも事実ではあります。「泰西の名曲」くらい「泰西の名曲らしく」聞かせてくれたっていいじゃないか、みたいな、ね。

 録音、演奏共に上々であります。録音は、曲によって雰囲気がやや変わる感じはありますが、全般に概ね良好。録音担当はDENONではなく、EURO DISKなのですが、いいですね。
 ブランデンブルグ協奏曲は、多くのバロック協奏曲の例に漏れず、急-緩-急の3楽章構成が基本ですが、そのイメージに違わず、前のめりに走って行くようで。全て長調で書かれているというのもあって、なんというか、とてもポジティヴなイメージであります。この演奏もそんな傾向を裏書きするようなもので、というかそれだからスタンダードに見えるんでしょうけれど、主にヴァイオリン独奏を担当するヨゼフ・スークの澄んだ音がよございます。清澄かつ明晰にして柔和なブランデンブルグ、でしょうか?休みの日にのんびり聞くのに合ってます。

 

2007/10/06のBlog
I WILL SAY GOODBYE
 Bill Evans (piano)
 Eddie Gomez (bass)
 Eliot Zigmund (drums)
FANTASY/ビクターエンターテイメント VICJ-41497

 ナチュラルにハードな一週間でした...........

 で、今日は久し振りにエヴァンスを聞いています。

I will say goodbye、1977年5月、ファンタジーレーベルへの最後の録音です。ベースのエディ・ゴメスとの最後の録音(少なくとも正規では)でもあります。今の我々は、この3年後にエヴァンスが亡くなることを知っていますが、勿論録音した時点ではそんなこと考えられてもいないでしょう。大体がこの時点では、まだいわゆる「ラスト・トリオ」は影も形もありません。

 晩年のエヴァンスについては、演奏がよくない、というのが意外とよく語られてるようです。個人的にはそんな気もしないのでして、あれはあれで一つのスタイルだろうと思っていますが、確かにこの辺の「晩年ちょっと前」の演奏を聞いていると、なるほど最晩年のものに比べると、密度の濃さを感じます。何がどう、というと説明が難しいのですが、隙をあまり感じない、とでも言いましょうか。
 確かに晩年の "We will meet again" に比べると隙が少ない。よく考えられた演奏、という気がします。最晩年のライブ録音なんてそこへいくとさしずめノーガード戦法みたいなもんで、隙だらけ。それがまたいいんじゃないのとも思うのですが。
 でもまぁ、ジャズの場合、あれがいい、これが駄目、みたいなのに通説は無いですからね。本当に、呆れるほど、みんな言いたい放題(苦笑) あばたもえくぼ、My Fanny Valentineの世界です。

それはともあれ、"I will say goodbye"、いいです。エディ・ゴメスのベースがエヴァンスと対等に渡り合ってる感じです。比べるのは....とか言いつつも、やはりこの辺は、どうしても音楽的には「エヴァンスが引っ張ってる」感じがある最晩年トリオとは違います。冷静にトリオとしての音楽を言うなら、やっぱりこちらかなぁ。
 取り上げている曲は、ミシェル・ルグランのタイトル曲など、程良く快いものが多いです。異形のものは無く、いい素材で整った料理を作りました。さぁどうぞ、って感じですかね。"I will say goodbye" というタイトルに比して、ちょっと拍子抜け?見ようによってはそこに不満もあろうけれど、ピアノ・トリオのアルバムとしてはいいんじゃないでしょうか。

2007/09/30のBlog
Franz Schubert : Lieder Volume 1
 Dietrich Fischer-Dieskau (bariton)
 Gerald Moore (piano)
 Deautsche Grammophon 437 215-2

 実は、金曜の夕方、頭痛でダウンしてしまいました。衆目の一致するところは「ストレスだねぇ......」。ええ、私もそう思います。土日も仕事、ってのもある程度は仕方ないんですが、それ以前にどうやっても処理が追っ付かず、納期遅れに貧すりゃ鈍する型のトラブルも相次いで問題山積。もう無理だってーの、本当に。
 問題は、衆目も一致する所なのに、抜本的対応策が全く取られないことであります。月曜日、仕事になるだろうか.......
 というわけでストレスの固まりと化しつつ、無理にも意地でコンサートに行ったりしているのであります。ま、それがリラックスする一つの方法でもあるので。

 一方家ではどうしているかというと、リラックス重視で、あんまり聞いていないんですけどね。で、こういう時は原点に返ろう.......というわけで、「原点」に返っています。シューベルトの歌曲。歌うはディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ。伴奏はジェラルド・ムーア。グラモフォンに入れた「全集」です。
 "Verdi" なのに原点がシューベルト?とか言われそうですが、実のところ私の原点は大本を辿ればシューベルト。それも歌曲の世界から入ったのであります。前にもカミングアウトした気はするけど。幾ら歳行ってから(高1くらい?)本格的に聞き始めたとは言え、異色っちゃぁ異色でしょうね。初めて買ったLPがハンス・ホッターの「冬の旅」ですから。

 このセットを最初に買ったのは、実はもう20年近く前。当時、フィッシャー=ディースカウによる全集が対訳付で出る、というので、わざわざ予約して買ったのでした。確かCD20枚くらいに対して4万円くらいの値付けで、それを大学生協で2割引くらいで買えたのかな。それでも3万2千円ですからね。でかい買い物です、学生にしては。

 それから10年近く後のこと。あるCDショップ、これは今でもあるのですが、改装(縮小)在庫処分、全点500円!てなセールがありまして、それに出掛けた所、この輸入盤があったのでした。聞けば、「全点」だから、9枚組でも500円。ええ、昔、清水の舞台から飛び降りるような思いで買ったこのセットの片割れが500円!実売でも1万5千円相当のものが輸入盤とはいえ500円!てか、これって殆どシューベルトとディースカウとムーアに対する冒涜では?!と、頭の中でぐるぐるぐるぐる回転している内に、つい出来心で確信犯的にバスケットに入れてしまったのでした.............

 このパッケージ、コンパクトだから持ち運びにも楽だし、いいんですよね。で、折角買った方じゃなくて500円の方を結構聞いてます(苦笑)
 このパッケージは、当時の輸入盤で全3パッケージになっていた内の一つめ。言わば「前半」で、D.546までの歌曲が入ってます。Vol.2に「後半」が、Vol.3に3大歌曲集が入っているという構成。
 1966年から68年までの録音ですが、今聞いてもそう音質に遜色は感じません。ディースカウの声が若々しい。
 この全集を聞く時は、実は殆ど「どの曲がどうで」なんて聞き方はしていません。適当に1枚抜いて、聞く。何が入っているか分からないし、詩も一生懸命追っかけはしません。かなり大雑把。でも、どれを聞いても、ディースカウの的確としか言い様の無い歌が聴けます。勿論、中にはつまらない曲もあります。バラードなど、結構退屈もします。でも、どれを聞いても結構某か楽しみがあるのです。
 今聞いているのは9枚め。このセットの中では最後期に当たります。割と知られていそうな曲では、実はD.905の「リュートに寄す」とか、D.544の「ガニュメデ」とかが入ってます。でも、全部で28曲あるから、大抵は「知らない」曲です。でも、実際聞いてみると、結構楽しめるんです。

 ディースカウの声は、確かに美声とは言えないのかもしれないけれど、発音は分かり易いし、それが為か、音楽としても、明快で、すっと入って来るんですね。ああ、こういうのが「分かる」ってことなのかな、と思います。歌曲で歌詞が分からなくて分かったと言えるのか、と問われれば、そういう分かり方もある、と答えたくなる。そんな録音です。
 こんなでリラックスと言えるのか?うーん、まぁ、でも、確かに何処かでホッとするのは確かなんですよね。音楽でホッとするというのもあるけど、それ以上に、自分が依って来たる所を再発見する、みたいな所はあるのかも知れません。ま、その辺は人それぞれだから。

2007/09/28のBlog
V. Bellini : La Sonnambula
Natalie Dessay (soprano), Francesco Meli (tenor), etc.
 Orchestra & Chaeurs de l'Opera de Lyon
 Evelino Pido (conduct)
 Virgin Classics 00946 395138

 ナタリー・デッセイの新録音が出たので、聴いてみました。結論は.....うーん......いやまぁ、悪くは無いんだけど。

 実は、まだデッセイは生で聴いた覚えがありません。来日しても忙しくて聞きに行けなかったりというのと、海外でも縁がなかったりで。正直言えば、聴けなくてもそれほど惜しく思わないというのもありましたけども。
 デッセイが最初に鳴り物入りで紹介されたのは、確か7,8年くらい前、ドリーブの「ラクメ」を初めとしたアリア集の録音だったと思います。これは今でもどっかにある筈ですが、正直、あまり聴いてないんですよね。

 デッセイは、日本でも結構人気がありますし、今のコロラトューラソプラノでは一番人気かも知れません。でも、ちょっとねぇ。
 いや、確かに良く歌えてるかも知れません。声も転がってはいる。でも、まずもって声が細いんですよね。
 声が細くて何がいけないのか?だって、コロラトューラソプラノじゃないか。そういうもんだろう?という声が聞こえてきそうです。でも、やっぱり細いのは決して褒められたもんじゃないのです。声が細いということは、ダイナミズムを欠くということ。要は声の強弱、大小のコントロールの幅に限界があるわけで、コントロールに限度があれば、当然表現力の限界に繋がります。勿論デッセイはコントロールそれ自体は見事です。でも、それは確かに「コロラトューラな箇所」で集中する分、ブレス位置、ひいてはフレージングで如何にも不自由な印象を受けます。
 平たく言えば、すっきり歌に乗れないんですね。

 最近は略して「コロ」なんて言うらしいですが、やはり名前は正しく呼ぶべきだと思います。本当は「コロラトューラソプラノ歌手」なのです。つまり、まず初めに「歌手」でなければならない。次に、「ソプラノ」でなければならない。コロラトューラとは、その後で初めて発生する属性なのです。である以上、コロラトューラでない部分もきっちりやらなきゃいけない。そういう「普通の部分」で、どうも精彩を欠くのです。
 結局、デッセイの問題は、「コロラトューラ」と「ソプラノ」「歌手」とのアンバランスにあるのだと思います。聞いていて、どうも据わりが良くないんです。実は、グルベローヴァや、古くはサザランドなどは、このバランス加減がとても良かったのです。ちゃんと「ソプラノ歌手」の部分をきっちり出来る実力を持っていて、それ故に、「普通の部分」でも豊穣な音楽を展開出来る。
 この曲での名盤の一つに、サザランドがパヴァロッティらと共演したものがありますが、これを聞いていると、パヴァロッティの声も魅力なのだけど、サザランドがいいんですよ。普通のとこでも。安心して聞いていられる。そのへんがもう一つかなぁ。言えば、10人中8人は、サザランドの声とデッセイの声と、どっちが綺麗?と訊けば、デッセイと答えると思うのです。でも、歌唱としての魅力はどうかなぁ。

 デッセイ、生で聞けばきっといいと思うんです。でも、CDで繰り返し聞くことを思えば、やはり他に軍配が上がるかなぁ、と思わなくは無いのです。


2007/09/25のBlog
Verdi : Rigoletto
 Ettore Bastianini (bariton), Alfredo Kraus (tenor), Renata Scotto (soprano),
 Fiorenza Cossotto (mezzosoprano), I. Vinco (bass), etc
 Orchestra e Coro del Maggio Musicale Fiorentino
 Gianandrea Gavazzeni (conduct)
 DISCHI RICORDI ACDOCL 205

 いやぁ、改めて見てみたら、この録音について未だに書いてなかったんですねぇ。
 バスティアニーニのリゴレット。正規録音はこれしかありません。多分。他にバスティアニーニがリゴレットを録音したという話は聞きませんから。このCDはRICORDIから出たもの。そう、リコルディ。ヴェルディ自身が作曲した作品を出版したリコルディ社です。ちゃんとDISCHI RICORDI というレーベルを持ってるんですね。ただ、この録音、あまり音質は良くないです。確か1992年頃に買ったのですが、恐らくはLPかLP用テープからあまり手を入れずに起こしているのではという感じで、トラックは4つくらいしか取ってないし、音は放送録音よりはましだし一応ステレオだけど、という感じ。その後、Warner傘下に入ってから出し直したと思うのですが、それは多少ましなのかな?
 ま、実際に持ってるのはこれなので。ずーっと愛聴盤の座を握ってます。書いたつもりで書いてなかったのはそれが理由か。あ、昔HP作ってた頃に書いた筈で、それと混同してるかな。ともあれ、長年愛聴していますが、未だに飽きないのです。本当に。

 しかしまぁ、キャストが豪華版です。いちいち役名は書きませんが、アルフレード・クラウスにレナータ・スコット、イーヴォ・ヴィンコにフィオレンツァ・コッソット、指揮はジャナンドレア・ガヴァッツェーニ。フィレンツェ五月祭管弦楽団と合唱団。これをバックに(?)バスティアニーニがリゴレットを歌うのを聞くのですから、これは洒落にならんくらい贅沢です。
 前にも書きましたが、バスティアニーニのリゴレットは、本当に似合いません(苦笑)
 客観的に言えば、リゴレットは卑しい道化です。道化が卑しいのではなく、主人に媚び諂い、家臣らをダシにして笑いを取る。一度仕事を離れれば、独善的に我が娘を溺愛し、自分の娘の心配はしても家臣の女房を略奪する手助けはする。いざ自分の娘が汚されたと知れば復讐と称して殺し屋を雇い、殺し屋に殺させた死体を前に己の全能感を声高に語る。いや、冷静に考えれば、かなり厭な奴ですよ、こいつ。そう思いません?
 そういう卑しい役に、バスティアニーニ、似合わないんですよね.....(笑)

 凛々しすぎるのです。格好良すぎるのです。トロヴァトーレでルーナ伯爵なんて歌われると「おおぅ、結構いい奴じゃん」とか思ってしまうのですが、リゴレットで「悪魔め鬼め」なんて歌われると、とても無力で哀れな道化、なんて調子ではないのでして、段々自分はギリシャ悲劇でも見てるんじゃないか、なんて気分になってくるので不思議。本当に、この、伸びのある朗々とした歌唱は、リゴレット役には合わないなぁ、とか思う訳です。

 ま、それはそうなんですが、やはりバスティアニーニを聞く上では、これは最高です。セラフィンの振ったトロヴァトーレ(DG)、同じくボエーム(DECCA)と並んで、3大バスティアニーニ盤と言っても過言ではないかと。そう、ここで聞くべきは「バスティアニーニの歌う"リゴレット"」ではないんですね。あくまで「リゴレットを歌う"バスティアニーニ"」を聞くのです。「悪魔め鬼め」なんて、殆ど全世界的悲劇を糾弾するかのような力強さ。最後のPieta! など、殆ど「演技」としての嘆きなど見せていないのに、実に力強くてそれでいて悲劇的。バスティアニーニらしくってとてもいいですけどね。

 あ、ついでに言うとその他の共演者も。今、