ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | ユーザ登録 | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
Verdiのレコード置き場 今日車で聴いたものblog
Blog
[ 総Blog数:474件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2007/12/17のBlog
ALFRED DELLER : "O Ravjshing Delight" Air Anglais
 David Munrow, Richard Lee (recorder)
 Desmond Dupre (lute & viola da gamba)
 Robert Elliott (cembaro)
 Alfred Deller (countertenor)
 Harmonia Mundi HMC90215

 今日はほぼ家に居ましたが、夕方図書館へ。いや、寒かった寒かった。風が結構あって、きつかったですね。冬本番という感じです。ま、討ち入りの日も過ぎたし、もう本格的に寒くなりますね。

 今日は昨日と変わって、あれこれとっかえひっかえ聞いていました。その中から久し振りに引っ張り出して来たものを。
 カウンターテナーの草分け的存在、アルフレッド・デラーによる、イギリスのエール集です。いや、普通に歌曲集とか言った方がいいのかな?何分にも、ハルモニア・ムンディなもので、正確にはタイトル通りのAir のままでいいのか、気を利かせた方がいいのか、なんとも。
 1969年の録音。実は、リコーダー奏者としてデヴィッド・マンロウの名前が見えます。デラー・コンソートにマンロウは参加していなかったと思いますので、これは英国古楽の一時代を築いた両雄による共演の記録、ということになります。でも、リコーダーが入ってる曲って、少ないんですよね(苦笑)殆どが、リュート伴奏程度で。
 もっとも、古楽と言いながら、17世紀から18世紀に掛けてのものですので、これが大陸なら「バロック期」で片付いてしまいます。イングランドでも、この時期はもう中世やルネッサンスではありませんしね。ダウランドを初めとする作品が21曲選ばれています。

 デラーの声は、今聞いても新鮮です。カウンターテナーの声なんだけれど、伸びやかで自然体。気持ちよく調和した歌声です。透明感もあって、デラーの良さはそこなのですが、この録音ではそれ以上に「調和」というのがキーワードのような。まろやか、てな感じなんですね。よく聞くと、ちょっと発音が曖昧なところもありますが、それも含めて歌唱スタイルになっている感じ。
 このCD最後の曲は、ダウランドのFlow my tears、流れよ我が涙、あの有名な曲ですが、デラーの歌唱はあくまで淡々として、調和重視。今時のリュート伴奏歌曲だと、もっと表情の激しい、敢えて言えば尖った歌い方(結構誇張してますが)になるかと思うのですが、デラーのはあくまでまろやか。いや、今時でなくても、例えばこの間取り上げたキングス・シンガーズあたりのスタイルからしても、尚デラーのは丸い。勿論、それが良さになってもいるのですが。

 デラーにしてもマンロウにしてもそうなのですが、彼らにとって古楽演奏というのは、少なからず「これはどんな音楽だったんだろう?」という意識が働いていたと思います。その意識を、自分の持てる演奏技法から導き出して答えを出して行った。だから、デラーの歌唱は、デラーの思う音楽なのだろうと思うのですが、その導かれた結論がなんとも面白くて。そういう言い方をするとずるいかも知れませんが、音楽的なのです。或いは、音楽として魅力がある、でもいいですが。結局、デラーという歌手の持つ歌の良さ、上手さが前に出ている訳です。
 確かに曲の良さ、更にはカウンターテナーの物珍しさ、みたいなものはありますが、それ以上にやはりデラーなんだろうな、と思うのです。結局は、演奏者の内在している音楽の問題。ここの所は、どういう音楽をどういう風に演奏しても変わらないのでしょうね。



2007/12/16のBlog
M.Mussorgsky : BORIS GODUNOV
 Nicolai Ghiaurov, Martti Talvela (bass)
 Galina Vishnevskaya (soprano), etc.
 Wiener Saengerknaben / Sofia Radio Chorus / Wiener Staatsopernchor
 Wiener Philharmoniker
 Herbert von Karajan (conduct)
 DECCA 411 862-2

 今日、というか昨日は、朝から夕方に掛けて仕事でした。年末に向けて残務を追い込み。大慌てです。
 でもまぁ、家で仕事をするならば、ながら聞きが出来るので、それはそれで悪くはない。特に今日のように朝からとなると、普段聞けないようなものも聞ける訳でありまして。ま、この際、ながら聞きってのは勘弁して頂く方向で.....

 というわけで、今日は大物です。ボリス・ゴドゥノフ。CD3枚組、実演では4時間半コースです。カラヤン指揮ウィーン・フィルの、リムスキー=コルサコフ版ということになってますが、リムスキー=コルサコフ版って、最後、ボリスの死で終わるんじゃなかったかな?
 まぁ、ボリス・ゴドゥノフは、指揮者によってそれこそ面白いようにあれこれ変えられているので、どれがどうとなかなか特定出来ないのではありますが。もっともそれを言えば、ボリスに限らずムソルグスキーはあまりにも皆にいじられ過ぎという気もします。大体が、リムスキー=コルサコフがちょっかい出し過ぎなんでありまして。で、皆も「いいかな」てな感じでいいようにいじることいじること。「展覧会の絵」は言うに及ばず、「禿げ山の一夜」にせよ「ホヴァンシチーナ」にせよ、結構手が入ってるし。ショスタコーヴィチも結構色々ちょっかい出してるんですよね。

 ボリス・ゴドゥノフの難しさは、敢えて言えば脈絡の無さ、でしょうか。勿論全体の物語にはちゃんと流れがあるのですが、直接の繋がりがないんですよね。特に、ボリスとグリゴリーのエピソード相互に、関連はあるのだけど、話としては繋がらないので、ちょっと散漫になってしまうと言うか。で、個人的に言うと、僭称者の一代記というか、冒険譚とでも言うべきグリゴリーに関わる場面よりは、ボリスに関わる場面の方が圧倒的に面白いと思うのです。厚みがあるというか。ボリスの為政者・権力者としての苦悩、それに対置される民衆の苦しみ、近いようでとても遠い両者の間の緊迫感。グリゴリー一人の野心(一人ではないけれど)が生み出すドラマのエネルギーと比べると、厚みが違うのも当然、でしょうか。プーシキンの原作自体がそういう傾向ですし。

 で、こういう厚みのある音楽をやらせるとやっぱり上手いのですね、カラヤンは。確かにここでもカラヤンは綺麗に整った音楽に仕上げています。ともすれば、より泥臭い音楽でもあるムソルグスキーの作品としては、綺麗過ぎるほど。「カラヤンの音楽は耳障りが良くて軽いだけ」なんて言われる所以でしょうか。
 でも、ちっとも軽くはないのです。綺麗に揃って、整っているから、そう感じられるだけで、本当は十分に厚いのです。揃っているから、重たさを実感させるような所が見えにくいだけ。第4幕の民衆の合唱など、もっと暴力的な方が、なんて思うのでしょうが、音楽は音楽としてきちんと演奏される方が、やっぱりいいんですよね。

 キャストは、スラヴ系の名前が並びますが、よく知っている名前は、ボリス役のニコライ・ギャウロフと、マリーナ役のガリーナ・ヴィシネフスカヤくらい。それに、ピーメン役のマルッティ・タルヴェラが。彼は確かフィンランド出身じゃなかったかと思うけど、この中に置くと異色に見えます。まぁ、後は大役はフョードルとグレゴリーくらいですが。オーケストラはウィーン・フィルなんだし、他に誰を持って来ることも出来るでしょうが、適材であればそれでよし、という、カラヤンらしい選択です。
 ウィーン・フィル。こういうオペラには合わなさそうなオーケストラですが、実はスラブ物は結構やってるようです。アバド時代には「ホヴァンシチーナ」もレパトリーに入れて録音してるし、来日公演では「ボリス」も持って来てるし(あれは面白かった!クライバーを諦めて観に行ったけど、未だに後悔無し!)。シュターツオパーの演目としては、常に入っている訳ではないんで、ちょっと惜しいなぁと思います。録音は1970年。

 久々に全曲通して聞きましたが、やっぱり第4幕が面白いなぁ。面白いと言うか、ドラマがあります。正直、音楽だけ聞いていると、場面間の関連が薄いこともあって、全体としては少々退屈する、というのが本音です。ハイ。舞台を見ながらだと、結構飽きないんですけどね。
 そこへいくと、第4幕はやっぱり「分かり易い」。苦しむ民衆、苦悩するボリス、愚直にボリスを告発する聖愚者。蠢動する貴族と、それと知らずボリスを糾弾するピーメン。ボリスの死。訳も分からず「新王」グレゴリーを熱烈歓迎する民衆と、永遠に終わることが無いとすら思われる聖愚者の嘆き。
 ちなみに、聖愚者の嘆きで終幕とするのはムソルグスキーのプラン。プーシキンの原作は、ボリスの死後、フョードルを抹殺した貴族達が、自分達の傀儡である僭称者グレゴリーを「先王の遺児・ディミトリーである!」と民衆に歓迎を強要するのに、民衆は沈黙を以て応える、という場面で終幕としています。民衆に共感を寄せるプーシキンにしてみれば、冒頭でボリスに喝采を「送らされる」民衆に、同じことをさせるに忍びなかったのでしょうが、ムソルグスキーの終幕は、より救い難く、でも恐らくは近代的なのでしょう。これはムソルグスキーの勝ちだろうな。


2007/12/15のBlog
C.Nielsen : Chaconne op.32 / Suite 'Den Luciferiske' op.45 / Three piano pieces op.59 / Five piano pieces op.3 / Humoreske-bagateller op.11
 Leif Ove Andsnes (piano)
 Virgin Classics 7243 5 62040 2 7

 ニールセンのピアノ曲集、なんていうものを何故か持っています。自分で何故かって言ってしまうのもなんだかなんですが。1995年の録音で、演奏はレイフ・オヴェ・アンスネス。どういうわけかこの人の録音と巡り会うことが最近多いような気がします。特別、大のファンというわけでもないんですが。巡り合わせなんでしょうかねぇ。

 ニールセン、と言われても、デンマークの、割と最近の、20世紀前半の作曲家、くらいの知識しかありません。実際には1865年生まれ、1931年没。19世紀末から20世紀初頭、というのが正しいんでしょうか。交響曲は「不滅」と呼ばれる第4番が結構知られて、聞かれてもいますが、はて他にあるんだっけ?と思ったら、このCDの解説に曰く「歌曲を除けば、恐らくピアノ曲ほどニールセンの作品の中で無視されて来た分野は無い」だそうです。........すみません、交響曲以外さっぱりなんですが........

 このCDに収められているのは5作品。内4作品は組曲だったり小品集だったりで、実際には21曲が収められています。
 面白いか?と言われると、アルバムとしては面白い、てな微妙な答えになりますでしょうか。アンスネスの透明感のある演奏が面白いんですけどね。それはそれとして、曲としてどうかと言われると、興味深い、みたいな話になります。
 こういう作風の人、他に居たかなぁ。マトリックス的に考えると、地域性ではいわゆる国民楽派のカテゴリーなんでしょうが、グリーグなんかとは違って、結構近代的。でも、どこかしらロマン派のしっぽがくっついてる。シベリウスに近い?でも、シベリウスほど地域性に根差しているとは言えない。いや、むしろ、もっと抽象性が高いと言うか。
 じゃ、ブラームス?いや、確かに通ずるものはありそうだけど、もっと近代的。でも、ベルクやシェーンベルクじゃない。そこまではいかない。同時代だと、ラフマニノフかな?でも、あれはもっともっとロマンティックだし、スクリャービンほどファナティックでもないし。フランス?ドビュッシーやラヴェル?いや、遠いなぁ....... これじゃさっぱり分かりませんよね。独特の作風、としか言い様がない。

 1曲目の「シャコンヌ」は9分ほどの、この中では1曲としては1番長い作品です。1916年の作曲。シャコンヌと言えば、バッハの無伴奏ヴァイオリンの中の一曲を思い出しますが、あれのイメージなのでしょうか。一種の変奏曲で、荘厳と言えば荘厳、或いは幻想的と言えば幻想的。
 本当に、掴み所があるようなないような、そんな感じなのです。でも、決して折衷的ではない。こうと説明出来るのではないけれど、誰と誰とを合わせると、というようなものではない。ニールセンという人の刻印が刻まれている。そんな音楽。ただ、たまたまそれを一口で説明するに適当な言葉が無い。そんな感じでしょうか。

 アンスネスの演奏がどの程度この音楽を更に独特のものにしているのか、というのは、俄にはなんとも言えませんが、でも、この演奏が恐らくは優れているのだろう、というのはよく分かります。アンスネスの、表現の幅のある、大柄な演奏を容れるに足るだけの器としての音楽、なのでしょう。

2007/12/12のBlog
C.Debussy:Piano Works
Masques / L'Ile joyeuse / Images / Deux Arabesques / Estampes / Children's Corner / Preludes / Petite suites pour quatre mains

 Robert Casadesus, Gaby Casadesus (piano)
SONY CLASSICAL 5033992

 カサドシュとは結構長い付き合いです。セル=クリーヴラント管とのモーツァルトの協奏曲で聞き始めて以来、20年の付き合いです。このドビュッシーは輸入盤で再発されたもの。

 録音されたのは1950年代。1950年から1954年に掛けて。それに、4手の為の小組曲が1959年。はっきり言って古いです。セルとの協奏曲は確か1960年頃だったと思うので、それほど聞き辛くはなかったのですが、しかし、この録音、今にして聞くとこんなに古かったのか......

 カサドシュというピアニストが、今どの程度の評価を受けているのか、いまいちよく分かりません。このCD自体はカサドシュ全集のようにして再発されたシリーズの一つなので、それなりに評価は高いのでしょう。
 ただ、昔聞いた印象からすると、随分と今時とは違うスタイルの演奏です。今だと、ドビュッシーなんかは、響きを聞かせるような感じの演奏が主流ですね。響かせようとすると、どうしても演奏はゆっくり目になります。前奏曲集の第1巻の「沈める寺」なんかそうでしょう。ところがカサドシュは、まるで「無造作に」と形容したくなるような感じで、どんどん弾き進めて行ってしまうのです。タメがないんですよね。で、左手でリズムを刻んでるようなところでも、はっきり聞こえるように演奏してしまう、或いは録音してしまう。
 正直、今、新人ピアニストがこんな風に弾いたら、「全然だめじゃん」とかいってもう聞こうとしないだろうな、自分なんかは。

 ところがカサドシュはフランスものの大家と看做されているのです。それはそうでしょう。1899年生まれで、ラヴェルが自分の結婚式に参列していたというくらいですから。で、そういわれれば確かに、カサドシュのラヴェルは絶品なのです。皮肉の利いた、曖昧な印象派というイメージとはむしろ反対の、むしろ鋭敏な音楽であるラヴェルに、このカサドシュの演奏は合います。

 じゃ、ドビュッシーはだめなのかというと、そうとも言い切れないのですね。ヴェールの陰に隠して見せない、というようなのではなく、むしろ陽光の下にさらけ出すが如き演奏ではあるけれど、それが却ってすっきりしていていいような気がします。特に、前奏曲集など聞いていると、「定番」の如何にも印象派風の曲とはちょっと違う作品で、おやっと思うような貌を見せてくれたりします。
 この中で、前奏曲集以外では、「喜びの島」が面白いです。割とはっきりした曲のようで、実は結構雰囲気で聞かせてしまったりすることもあるけれど、「神秘の島」という感じではなく、もっとはっきり、まるで「バッカス祭でもやるのかな」と思わされるような演奏。
 こういうのも新即物主義、ノイエ・ザッハリッヒカイト、なんて言うんでしょうかね。その系統だと、ドビュッシーではワルター・ギーゼキングが居ましたが、それともちょっと違うかな。何処かにギーゼキングには無い香りを感じます。





2007/12/09のBlog
J.ブラームス:交響曲第4番ホ短調 op.98
F.リスト:交響詩「前奏曲」

 フィルハーモニア管弦楽団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン (conduct)
  新星堂/EMI SAN-34

 久々に懐かしいCDが出て来たので聞いています。
 もう15年も前のCDです。新星堂が独自企画で出した名曲名盤シリーズ、SHINSEIDO 1000CLASSICS ANGEL1000シリーズの1枚。EMI音源の古い録音を持って来て、廉価盤で出すという企画です。当時はメジャーレーベルはまだここまでの廉価盤は出していなかったので、新星堂の企画に東芝EMIが乗った形です。
 解説はついてません。曲目と時間、演奏者、録音年月があるだけ。帯が残ってて、カラヤンの紹介が簡単にあるだけです。帯には惹句が一言。「厳しく......はてしなく......」
 いや、笑っちゃいけない。きっと大真面目だったと思うんです。思うんですけど。笑っちゃいけないんだけど...................わけわからん.....(^^; なんというか、1970年代的ですよね。1992年のCDの惹句ではないような......

 まぁ、それを言うと、録音は1955年なんで。録音状態はこの時期にしては随分と良好。聞き易いですし、聞こえて欲しい音もそこそこ聞こえて。正直言うと、このCD買った頃、私はまだあまりブラームスは、というか交響曲は全般にそれほど好んでは聞いていなくて、1、2度聞いて「うーん。やっぱよくわかんない」とか言って諦めちゃったような気がします。昔から忍耐無かったのね。
 ブラームスの4番が好きになったのは、N響で、確かホルスト・シュタインだかの生演奏を聞いて、第4楽章から開眼したのでしたっけ。このCD買った後じゃないかなぁ。

 カラヤンの演奏は、この頃は後年のベルリン・フィルなどとのそれとは幾分異なります。基本スタイルは変わらず、何処となくスポーティ(カラヤン嫌いの人はこのスポーティな感じが嫌いなんでしょうね)ですが、後年に比べると、流麗さでは大人しめでしょうか。特に、レガートの度合いがそれほどではない。むしろインテンポ気味で、なんだか全曲歌えてしまいそうなくらいのすっきりさ加減。
 でも、本当に「こうくるだろう?こう来て欲しい!」と思う所にすっと入って来るんですね。この辺の感じは、後年の流麗さを増した頃よりピタッと決まっているかも知れません。

 ブラームスの4番、第4楽章のパッサカリアが何故か好きなのです....という話は前にも書いたかな。変奏曲形式は、意識しては居ないけど、好きみたいです。我ながら。それと、この不思議な曲想がいいのでしょう。短調の、如何にも某か悲劇を感じさせる趣がありながら、変奏曲という抽象性の高いスタイルなのが、どっち付かずな不思議な感じで、惹かれるのかも知れません。第1楽章冒頭の、如何にも物憂げな感じからすると、随分突き放したような終わり方でもあるし。その辺も魅力と言えば魅力ですね。そういえば、エルガーに「エニグマ(謎)変奏曲」というのがありますが、この楽章こそ、謎の変奏曲と呼ぶに相応しいかも。
 まぁ、それを聞きたさに、結局いつか全曲聞くようになっていた、と。なので、実は2番と3番は未だにあまりよく分かりません。ま、そんなもんですよね。
 この変奏曲でも、カラヤンの演奏は勿論素晴らしいです。こういう時に過剰に情感込めずに進められるのが、カラヤンのカラヤンたる所以でしょうか。

 余白には、リストの交響詩「前奏曲」。このへんも普段は聞きませんが、たまに聞くといい曲ですね。これも変奏曲形式に近いんだよな、そういえば.....

2007/12/08のBlog
F.Schubert : Die Schoene Muellerin op.25 D.795
 Werner Guera (tenor)
 Jan Schultsz (piano)
 Harmonia Mundi HMA1951708

[関連したBlog]

 ギュラの歌う「白鳥の歌」については、この春に記事にしたことがあります。「白鳥の歌」や「詩人の恋」は聞いていたけれど、これは聞けていませんでした。最近、廉価盤のシリーズで出直したので、購入。録音は1999年ですから、白鳥の歌より7年前。というより、7歳若い、と表現する方がしっくり来るかな。

 以前も書きましたが、ギュラの歌唱は「明晰」という言葉がよく合います。決して怜悧という訳ではない。十分、いや、並以上に抒情的でもある。けれど、やはり、「明晰」という形容は外せない。
 「水車屋」は、抒情的ではあるけれど、ドロドロのロマンティシズムとはちょっと違っています。「冬の旅」や「白鳥の歌」のハイネの詩による歌のような、深い陰翳の、その暗がりの部分を描き出すような面は、あまり無い。水車屋に於いて、陽の光が当たらない部分は無いのではないでしょうか。陰はあるけれど、その陰は、暗がりの奥、引きずり込まれるような翳、闇とは違うような気がします。
 そう、それは最終曲、「小川の子守唄」に至るも変わりません。ここで既に水車屋は小川の底に屍を横たえているのだけれど、それは月明りの下、あくまで慰めとして響くのです。決して救い様の無い、絶対的な負のイメージではない。

 一方で、だから、この歌曲集については、水車屋と同化してしまうような歌い方も出来てしまうのでしょう。どうしようもない暗がりにうっかり入り込んでしまうと抜けられませんから。

 若いギュラの歌唱は、明晰で抒情的。で、恐らくは、適度な距離があるのです。のめり込みはしない。歌としてきちんと表現している。そんな感じでしょうか。たとえばかつてのボストリッジに感じられるような危なっかしさがあまりありません。技巧的に、ということでなく、上手いんですね。
 ギュラの録音は、どれも、某か惹き付けられるものがあります。前にも書いた「歌がよく見える感じ」に起因するのかも知れません。是非一度実演で聞いてみたいものです。

2007/12/06のBlog
L.v.Beethoven : Piano Sonata No.21 C-dur, op.53 "Waldstein" / No.26 Es-dur, op.81A "Les Adieux" / No.31 As-dur, op110 / No.14 cis-moll, op.27-2 "Moonlight"
 Nelson Freire (piano)
 DECCA 475 8155

 なんか最近blogに逃避してるなーと思わなくもない今日この頃であります。

 ネルソン・フレイレ。アルゲリッチと連弾で「ラ・ヴァルス」を弾いている映像を確か持っていました。そんな印象が先に立ってしまうピアニストです。確か病気でもしてたんじゃないかな、一時期。いや、思い込み?

 この数年、デッカに移籍して、ちょぼちょぼ録音が出るようになりました。最近はダメなアーティストだとすぐに落っことされてしまう時代ですが、その割にどっこい生きてるのはやはり演奏に某か惹き付ける物があるのでしょう。
 この録音は2006年4月のもの。今年の初め頃に出たのじゃなかったかな。曲目がなかなか泣かせます。「ワルトシュタイン」「告別」「第31番」「月光」の全4曲。一応、全曲録音とか考えている訳ではないのでしょう。全曲録音するなら、一枚にこういう入れ方はあまりしないと思いますから。「ベートーヴェンでも録音しようか」てなのりで企画して、選曲したのでしょう。いや、ある意味有名曲ばかり集めたわりには、アルバムとして据わりがいいのです。基本的に動でかつ陽性の「ワルトシュタイン」で入り、長調ながらも陰翳があり、静から動へのコントラストで聞かせる「告別」を入れて、op.110の嘆きの歌とフーガの抽象性の高い音楽へ繋ぎ、最後に「月光」。凡百の企画なら「熱情」くらい入れたいでしょうが、敢えて入れない。

 この並びの中にop.110が入っているのは、不思議と言えば不思議ですね。でも、これがしっくりくるから不思議なのです。そういえば、109でも111でもなく、確かにこの曲でないとここにはすっきりとははまらないですね。

 フレイレの演奏は、決して極上とは言えないのでしょう。技術的に、難ありとまでは言いませんが、一部処理が如何なものかな、と思わせる部分もあったりします。でも、破綻しているわけではないし。むしろ、この演奏、妙に技巧に走ったり、極端な表現を避けることで、結果、何をしたいかが割合に伝わってきます。そういう点は好ましく感じられます。演奏全体に、雄弁というのではないけれど、よく喋る、という感じがあります。そのへんが、「伝わる」と感じることに繋がっているのかと。
 この4曲の中で、どうしても惹かれてしまうのがop.110なのですが、先にも書いた通り、やはりこの1曲がアルバムで大事な役割を果たしています。「歌」も結構ストレートに入っている曲ですが、それでも他の3曲に比べれば、音楽としての抽象性は高い。これがここに来ることで、ロマンティシズムに一気に雪崩れてしまいそうなところを踏み止まってる感じがあります。特に終楽章のフーガ。フレイレの弾くフーガは、やはりバッハのポリフォニックなフーガとは違って十分ロマンティックなのだけど、それでも何処か居住まいを正さざるを得ない感じがあります。
 きっと、こういう演奏で、op.109・110・111と続けて演奏されたら、それはそれで聞く方はしんどいだろうと思います。ちょっとくどいかな、と思うので。でも、悪くはない。

 やはりこれはアルバムとして聞くべきものでしょうね。単体で取り出してみると、それぞれの曲については「この人のがいい」というのが、必ず出て来ると思います。でも、アルバムとして全体で聞くと、それぞれがいい案配に補完しあっているような感じでしょうか。


2007/12/05のBlog
J.S.Bach : Kantaten BWV54 "Widerstehe doch der Suende" / BWV82 "Ich habe genug" / BWV56 "Ich will den Kreuzstab gerne tragen"
 Marga Hoeffgen (alt)
 Hermann Prey (bass)
 Thomanerchor Leipzig
 Gewandhausorchester Leipzig
 Kurt Thomas (conduct)
Berlin Classics 0092022BC

 またこの曲です。
 ええ、そうです。私、カレーが食べたくなるとすぐはまって、毎日カレーでも飽きないタイプです。そのくせ、暫くすると急に蕎麦に凝り始めたりとかします。おいしけりゃ続いたって構わないじゃん、ってタイプです。

 ディースカウと言えばやはりプライを連想せざるを得ません。とはいえ、結構古い録音です。1959年12月の録音。指揮がクルト・トーマスですからね。年代物です。この頃プライは幾つだったのかな?30代ではあると思うけど。(ところでプライは"バス"なんだっけ?)
 ボストリッジが21世紀、ディースカウが1980年代、プライのこれは1960年頃。大体20年間隔で来ています。プライの声が若いですねぇ。歌手については、あんまり若過ぎるのはどうかと思うけど、このくらいの頃のプライはいいです。
 録音は鄙びた感じ。これはまぁ、録音年代を考えると仕方ないでしょうね。当時の東独の Electrola がライプツィヒのトーマス教会で録った録音ですから、質的に限界がありますね、やはり。

 まずは、先の二者に比べれば、明らかに演奏スタイルが異なります。基本的にレガートな演奏。そして、テンポ設定もゆっくり目に感じられます。もっときびきびとした前二者に比べれば、ゆったりとした演奏です。こういうのは、正直言うと、ちょっとホッとしますね。
 プライの歌唱は、どちらかと言うと様式的、と言っていいのでしょうか。感情表現が生に出て来るような表現ではなく、カンタータを式典音楽として演奏している、という感じですね。勿論、ボストリッジあたりのそれと比べると、という話ではあるのですが。

 プライの声は、いつもながら「ああ、プライだなぁ」とすぐ分かります。特徴的な声。冒頭の短調で入る「もう十分です、神よ」と歌うアリアは、より鋭く迫って来るボストリッジとは違うけれど、ディースカウほどの柔らかさとも違う。言えば、ちょっとだけ距離があるんですね。式祭の音楽としては丁度いいのじゃないかという感じ。それがつまり様式的ということなのかも知れません。でも、決してよそよそしいわけではない。ボストリッジやディースカウが、彼らなりの表現で「私はもう十分です」と歌うのに比べると、「もう純分なんです」ということを歌っている感じ。
 これは、プライがそう歌っているというのもあるだろうけど、同時に、確かにプライの声というのは、時にそんな傾向があるかも知れません。「私が歌う」のではなく、「歌う"私"を表現する」とでもいうような。決して隔意があるというわけじゃ無いと思いますが。

 まぁ、それはそれとして、やはりプライの声は聞いていていいなぁと思うのです。このアリアにしてもそうですが、歌手が前面に出て歌い演じる、という感じではないのに、やはりプライという歌手の存在感を感じるのです。どう歌っても、何を歌っても、やっぱりプライはプライなんだな、と改めて思います。

 録音は古いですけど、これはこれで好きです、私は。


2007/12/03のBlog
Luciano Pavarotti : Sings Tenor Arias from
Wiliam Tell (Rossini), I Puritani (Bellini), Don Pasquale (Donizetti), Mefistofele (Boito), Il Trovatore (Verdi), La Gioconda (Ponchielli), La Boheme (Puccini), L'Arlesiana (Cilea), Maristella (Pietri)

 Luciano Pavarotti (tenor)
 Arleen Auger / Gildis Flossmann (soprano), Peter Baillie (tenor),
 Reid Bunger / Herbert Lackner (bass)
 New Philharmonia Orchestra, Leone Magiera (conduct)
 Wiener Opernorchester und chor, Nicola Rescigno (conduct) (Rossini, Bellini, Verdi, Cilea)
 DECCA 475 8380

 出たよ出た出た出ましたよ!
 クラシック界の弔問ビジネスは毎度のことですが、さすがパヴァロッティともなると追悼盤が沢山出てきます。それも如何かと思うけど、今まで出し惜しみして来たこのアリア集、ついに再発されました。しかも輸入盤でも!思えば20年来の付き合いのアルバムですが、つい買ってしまいました。
 別に私はCD屋の回し者でも何でもないですが、いや、損はしませんよ旦那。思うにパヴァロッティのアリア集の中でこれ以上の物はないでしょう。パヴァロッティを、いやオペラを語るなら、まずこれを聞け!という勢いです。

 若い頃の録音です。ジャケットは髭の無い若いパヴァロッティ。

 この中ではまずは何と言っても二曲目の "A te, o cara"。ベッリーニの「清教徒」からのアリア、正確には4重唱ですが、これがこのアルバムの白眉。1971年の録音ですが、この頃のパヴァロッティは絶頂を迎えんとするところ。リリコ・レッジェーロなのに芯があるからロブストな役も歌える。若いから傷もあるけど、それを補って余りある魅力ある声。そんな所ですが、それにしても、この"A te, o cara"の何と見事なこと!以前、パヴァロッティが亡くなってすぐに書いた、「清教徒」全曲盤の記事にも書きましたが、この録音、パヴァロッティの最良の"A te, o cara" でしょう。何よりも、柔らかく、澄んで、それなのに力強いパヴァロッティの声!まるで何処までも伸びていくよう。繰り返しでの高音は、恐らくはFよりは下がっているのではと思いますが、それがどうしたと言いたくなるこの歌唱。生で聞いたら死んじゃうんじゃないだろうか。(愛の妙薬で聞いた時は死にませんでしたけどね、実際の所。)更には、入り方に立ち上げ方、フレージングの刻み方、繰り返しでのヴァリアントの付け方、表情、全てが綺麗にはまっています。にも関わらずこれが彼にとってこのアリア最初の録音だというのだから、なんともはや。
 ちなみに、エルヴィーラはアーリン・オージェですが、共演者で有名なのはこの人くらい。本当に身一つでこの人はここから「キング・オブ・ハイC」、いや、「キング・オブ・オペラ」の地位を築いたのでしょうね。

 このアルバムもう一つのクライマックスが、「トロヴァトーレ」第3幕第2場。いや、勿論アリア集なのですが、"Ah si, ben mio" のちょっと前から、"Di quella Pira" まで通しで歌っているので、最初を少し省いただけで、殆ど通しで収録しているに等しいのです。
 このカヴァティーナとカヴァレッタ。これこそ、彼が「キング・オブ・ハイC」と呼ばれた縁の一つでしょう。ここでの歌唱は、正直言うと、"Ah si, ben mio" に関しては、最良とは言い難い部分もあります。歌唱そのものは完璧に近いのですが、一部下降音形の処理がいまいちなのと、何より声がちょっと暗いのです。悪くはないけど、このアリアとしては、もう少し、それこそ "A te, o cara" のように澄んだ声で歌われると最高なのですが。
 がしかし、それは無い物ねだり。そうしてしまうと、後が宜しくない。そう。"Di quella Pira"。こちらの歌唱との対照を考えると、ねぇ。そしてまた、この "Di quella Pira" がまたなんともはや。ってーか、パヴァロッティ、伸ばし過ぎ。今時では考えられないのですが、パヴァロッティ、アリア集の録音だから当然と言えば当然ですが、音高とフェルマータを別にすれば、楽譜通りにやってます。つまり、繰り返しをきっちり歌い、合唱が入ってもちゃんと歌うのです。そして、最後の "All'armi!" も、合唱と同時に歌い始め、殆どオーケストラと同時に終わるのです。そう、このフェルマータと、ハイCだけは、楽譜通りではなく慣習通りきっちりやるのです。ちなみに最後の "All' armi!" 全部で13秒。一息です。息継ぎをしてるかと思いきや、きっちり "r" を巻いているのです。ここまで全部歌ってですよ。今時こんな莫迦いないですよ。血が騒ぎます。これで騒がなきゃどうする。ムーティやドミンゴの録音がこの世から消え去っても惜しいとは思わないけれど、このアリア集が市場に無かったのは本当に悔しかっただけに、今回の再発が嬉しいのです。

 後は、一曲目の「ウィリアム・テル」から飛ばしてるなぁ、とか、流石に "Che gelida manina" はいいなぁ、とか、まぁいろいろあるのですが、これ以上一曲ずつ書いても仕方ないし...... あ、個人的には、"Che gelida manina" はカラヤン盤での方が艶があっていいなぁ。でも、声は、こっちの方が伸びがあるかなぁ。うわぁ、捨て難い.........

 多少知らない曲があるから、と躊躇してはいけません。ここに記録されているのは、恐らくはテノールのアリア集として最良のものの一つ。本当は唯一無二。これに匹敵するアルバムは、グルベローヴァの「狂乱の場」(EMI) くらいでしょう。いや、あれに匹敵する盤はなさそうだから、第1位と第2位決定。(おい)

 ちなみに、HMVのサイトでは国内盤、輸入盤、それぞれこんな値段です↓

 国内盤

 輸入盤


2007/12/02のBlog
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調op.23
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調op.18

 ブリジット・エンゲラー / エレーヌ・グリモー (piano)
 エマニュエル・クリヴィヌ / ヘスス・ロペス=コボス (conduct)
 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
 DENON COCO-70623

 なんだかんだ言っても我ながらミーハーなので、泰西の名曲、なんて言われそうな曲に関しては、時々発作的に聞きたくなったりするのであります。CDも常備してるし。富山の置き薬かいな。
 ま、時々っつっても、調べたら、既にこの曲2度も取り上げてますね、私。本当はなんだかんだ言っても素で好きなんでしょうね(笑)

 で、今日はその種の常備薬をちょっと出してきました。ホントは別のものを聞こうとも思ったのですが、たまたまラジオで「エフゲニ・オネーギン」を流していて、その連想で、久々にこれが聞きたいな、と。

 というわけで、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番です。カップリングがラフマニノフの第2番。まさに常備薬的CDで御座いましょう?(笑)但し、演奏者が違うんですけどね。その辺は名曲シリーズにはよくあることってことで。CD自体が「名曲シリーズ」系です。但し、DENONの定番になってる「クレスト1000」シリーズではなく、もっと「名曲シリーズ」的なもの。だから、カップリングも名曲同士くっつけちゃえ、という感じで大雑把です(笑)
 チャイコフスキーの方は、ピアノがブリジット・エンゲラー。最近、ラ・フォル・ジュルネで来日して名を挙げました。エマニュエル・クリヴィヌ指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管。
 演奏は、一口で言うと「立派」って感じでしょうか。スケール感があって、適度に華麗で、ややゆったり目で、堂々としたもの。私に刷り込まれてるのは、ルービンシュタインのやや早めでインテンポ風の演奏なので、こんな風にゆったりと演奏されると、ちょっと引っ掛かるのですが、まぁそれはそれでいいんじゃない?ってことで。この曲結構冒頭命だと思うのですが、ここをかくも悠然と演奏してくれるといっそ気持ちいいですね。
 この導入部が終わってから、繊細なピアノ独奏から再びクライマックスを織り上げていく。変幻自在さといい、ブリジット・エンゲラー、結構色々引き出しを持ち合わせている人のようです。勿論、クリヴィヌ指揮のオーケストラの手際も見事。この手の名曲は、どうしてもマンネリ化したり、逆についつい策に溺れたり、てなこともありますが、安心して聞いていられます。
 うん。こういう定番曲、異論もあるでしょうが、やっぱり「安心して聞いていられる」ってのもやっぱり欲しいんですよね。なんもかんも芸術的で先鋭的で、ってのも勘弁してね、というのはどっかにあるかも。ちと保守的に過ぎるでしょうか?

 一方、ラフマニノフの方は、今をときめくエレーヌ・グリモーの独奏。オケは同じで、指揮者がヘスス・ロペス=コボスになっています。こちらは、思いの外、という感じの演奏かな。この曲は結構切れ味が利く曲だと思うのですが、その点ではこないだ書いたレイフ・オヴェ・アンスネスの録音がなかなか切れるのですね。
 で、グリモーもそういうタイプかと思いきや、繊細さと切れ味に加えて、結構ある種の重たさというか土の匂いというか、そんなものもあってですね。なかなか面白いです。




2007/12/01のBlog
Verdi : Requiem / Te Deum (from Quattro pezzi sacri) / Nabucco "Va, pensiero" /
Luisa Miller "Quando le sere" / Inno delle nazioni

Herva Nelli (soprano), Fedora Barbieri (mezzo-soprano), Guseppe di Stefano(tenor), Cesare Siepi (bass)
Jan Peerce (tenor)
Robert Shaw Chorale
Westminster Choir
NBC Symphony Orchestra
Arturo Toscanini (conduct)
RCA Victor / BMG 60299-2-RG

 今日もひどい一日でした.........
 しかしまぁ、ひどいと朝から分かっていて出掛けるのは結構エネルギーが要ります。今朝、殆ど直感的に選んだのがこのCD。ま、つまり、今日はDoomsday、「最後の審判」の日でありましたので。車に乗ってラジオを付けると、今日はフルトヴェングラー特集.........ううむ、我ながら恐るべき勘であります(^^;
 フルトヴェングラーね。まぁ、全く聞かない訳ではないし、決して否定はしないけど、正直、トスカニーニの方が好きであります。好き好んでは聞かないからなぁ。

 RCAに残されたトスカニーニの録音は、一時期集中的に聞いていたことがあります。主にNBCへの放送録音ですが、正直音質は決して上等ではないですね。でも、歯切れの良い、極めてスタンダードに聞こえる - この「に聞こえる」というのが大事なんだと思う訳ですが - 演奏がいいのです。

 で、今日はヴェルディのレクイエムを持って出た、という訳です。いろいろ収録されてますが、お目当てはレクイエム。1951年の録音ですから、トスカニーニの録音としては割と新しい方ですが、やはり音質的には厳しいですね。
 取り敢えず景気付けにDies irae、怒りの日。ベタですが、ま、こっちは最後の審判待ちでヤケクソですので.....(笑) この曲も、あれやこれやですっかり人口に膾炙してしまいましたが、真面目に聞くと結構厳粛な音楽であります。第一曲目の入祭唱からキリエに入る所、テノールが立ち上がって来る、後を追うバス。やはりDies Iraeの前にはコレが無いと決まりません。それと、一渡り合唱が歌って後の、Tuba mirum!このへんは正直録音の限界が出ていますが、これを生で聞いたらどんなにか凄かったろうなぁ、と思わずに居られません。
 この音楽を形作っていくトスカニーニの、背筋の伸びた演奏がまたいいのです。変な小細工が無い。とってもカンターレなのに、決して無駄な、妙なポルタメントなど付けない演奏。王道、と言っていいでしょう。トスカニーニの持ち味です。
 独唱陣も豪華。マイナーと言えばマイナーなのはソプラノだけ。後は綺羅星のような面々。フェードラ・バルビエリ、ジュゼッペ・ディ・ステファノ、そしてチェーザレ・シエピ。ディ・ステファノの歌うインゲミスコもいいですが、その後を歌うシエピのコンフタティスも極上。低声の人・ヴェルディの本領発揮です。

 面倒なのは、どうしても2枚に分かれてしまうことでしょうか。まぁ、これは仕方ないことですけどね。後半は、聞く側の印象に拠る所大かも知れませんが、どうしてもパワーダウンしたように聞こえてしまいます。まぁ、そもそも、Sanctusの後は、Agnus Dei に Lux aeterna にLibera me ですからね。曲調が大人しくなってしまうのは止む無しでしょうか。こちらは歌のヴェルディの本領発揮でしょうね。なかなか鮮やかな対照の妙を聞かせてくれます。さすが、オペラ・リリカの王。この記事、やはりジャンルを「オペラ」にせざるを得ないよなぁ、とつくづく思うのであります。

 しかし、これだけの演奏を聞かせてくれるから、と言いながら、専属オケを一つ作って演奏させましょう、という、NBCというかアメリカの太っ腹(ある意味アバウト?)加減も、面白いものではあります。



2007/11/29のBlog
キングズ・シンガーズ:マドリガル・ヒストリー・ツアー
 キングズ・シンガーズ
 コンソート・オブ・ミュージック
 アンソニー・ルーリー (conduct)
EMIクラシックス TOCE-13398

 忙しいです。めっさ忙しいのに、blog更新は最近随分ハイペースです。質より量の戦略がありありと現れております。要するに、まぁ、逃避ですねきっと、これは。まぁそのくらいの逃避でもしないと身が持たないよ、ってのが正直なところではあるんですが.........
 てなわけで、忙しいのに今日もまたblog更新してしまうのであります。ちょっとはどうにかしなさいよ.....>自分

 それはさておき。

 Madrigal History Tour。ハイ。分かる人には分かりますよね。EMIですしね。キングス・シンガーズはイングランドの合唱隊です。今更補足の必要もないですよね。ちなみに録音は1983年、残念ながらBBCのスタジオだそうです。
 勿論、キングス・シンガーズは Strawberry Fields Forever とか、Hello Goodbye とか歌ってる訳ではありません。勿論、アルバムタイトルも単に引っ掛けただけではありません。伊・英・仏・西・独、5カ国で歌われたマドリガル形式の楽曲全34曲からなる、マドリガルの地域的・時間的な広がりを俯瞰するようなアルバムです。ま、当時の世俗歌曲ってことですから、言ってみれば16世紀欧州ヒット・チューンを集めたアルバム、ってことですね。

 マドリガルと言っても多種多様です。マドリガル、元はイタリア語でマドリガーレ、16世紀頃の多声声楽曲ですが、当然国によって言葉も変わるし、自然音楽も違いが出てきます。というより、これは、言葉に引っ張られているんでしょうねきっと。それぞれの曲が書かれた当時の発音で歌われているかどうか、正確なところは私も分かりませんが(英語なんかは随分違っている筈ですが、綴りはかなり現代に近いし、発音もそう。16世紀にしてはちょっと「?」ですが。)、例えば母音の比重が高いイタリア語なんかと、子音の比重が他に比して重めの英語とでは、やはり響きやスタイルも変わって来るようです。それぞれの言葉で一番気持ちよく聞こえるように作られていったのでしょうね、やはり。
 どの曲もそれぞれにいいのですが、やはり母語ということで、英語によるマドリガルが気持ちよく聞けます。それと、なんだかんだ言ってもイタリア語の歌は綺麗ですね。
 曲のタイプも色々です。基本は多声声楽曲、ですが、コンソート・オブ・ミュージックが共演なので分かる通り、必ずしもアカペラとは限らず、器楽の伴奏が入る場合もあり、中にはソロで歌われるリュート歌曲の場合もあり、色々です。全体としては無伴奏多声が基本で、次に多いのがリュート伴奏の単声による歌曲、ってところかと。

 歌と言っても、例えばドイツリートのように複雑な内容を持った詩を音楽によって更に彫り込んでいく、というようなのとは違いますし、オペラのように音楽的技巧の妙を味わう、というのとも違います。中には合唱による効果を狙った曲もあるけれど、オペラのそれとは随分違うし。
 一方、こうしたマドリガルで歌われる詩は、それなりに味わいはあってもロマン派の歌曲のようなストーリー性があるとは言えないし、詩と音楽との連関も緊密とは言い難い。むしろ形式美に近いのかなとも思います。
 そう、表現がどうこうというよりは、耳で楽しむ、という聞き方をしているように思います。ポリフォニックな響き、現代の調性感とは違う和声感を楽しむ。それはひょっとすると浅薄な聞き方かも知れないけど、でも、キングスシンガーズの若
干浮世離れした雰囲気の歌唱には、そんないい加減な聞き方を誘うものがあるような気がするのです。
 ほら、どうせ流行歌なんだし.............ホントか?(苦笑)