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Verdiのレコード置き場 今日車で聴いたものblog
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2008/03/01のBlog
"POPS CAVIAR" - Russian Orchestral Fireworks
(Borodin:In the Steppes of Central Asia, "Prince Igor" Overture & Polovtsian Dance / Rimsky-Korsakov:Russian Easter Ouverture, The flight of the Bumblebee / Khachaturian:Gayne, Galop from Masquerade Suite / Tchaikovsky:Eugene Onegin:Polonaise / Waltz for The Sleeping Beauty)
 Boston Pops Orchestra
 Arther Fiedler (conduct)
 RCA/BMG 09026-68132-2

 アーサー・フィードラー指揮、ボストン・ポップス。往年の名コンビ、という奴ですね。といっても勿論私はリアルタイムでは知りません。このCDの録音も、1950年代ですから。
 このコンビの録音は、しかし、結構聞いています。何度も書きました、LP時代末期の当時のRVC、今で言うBMGジャパンに相当するのですが、そこが出していたRCAなどの録音の廉価LPのシリーズにこのコンビの演奏が多数あったのです。
 とはいえ、そこはボストン・ポップス。「本格的」な内容のはあまりなくて、ルロイ・アンダーソン物(「シンコペイテッド・クロック」とか、「そり滑り」とか、そんなんですね)と、オペレッタ序曲集みたいなのとか(スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲、とか。ちなみに、私はこの「軽騎兵」というオペラ、舞台はおろか録音でも聞いたことないのですが)、そんなLPだったのですね。

 まぁ、それに比べると、もうちょっと気合いは入っていそうですが、基本的には同じ系統の録音です。なにせアルバム名が"POPS CAVIAR" ですからね。正直、「ダッタン人の踊り」とか聞いていると、あ、低音が弱いな、とかつい気になってしまいます。仕方無いだろうと思うんですけどね。だって、結局「ポップス・オーケストラ」ですから、どうしても聞き易いものをと考えるでしょうし、ここで最大限重量級の音を追求するのは目的じゃない、てなところなのでしょうか。
 確かに「ポップス」なのですから、それはそれで間違いではないのです。このところ「ダッタン人の踊り」は何度か生演奏で聞いたりしていますが、それはそれとして、気軽に聞く分にはこういうのも悪くない。ちなみに副題は"RUSSIAN ORCHESTRAL FIREWORKS"。ロシア管弦楽の花火、なんだそうです。

 曲目数もそうですが、時間的にも、ボロディンのウェイトが高いです。「中央アジアの高原にて」と、「イーゴリ公」序曲とダッタン人の踊り。まぁ、ボロディンでよく聞かれるのは、この3曲を除くと、後は交響曲第2番くらいですが、いずれも私は好きなので、結構嬉しい。
 その他にも、「ああ、あれ」とすぐ思い当たる曲が入って、「ロシア管弦楽曲集」の面目躍如といった所でしょうか。難しく考えずに聞くのにいい選曲です。加えて、言ってみれば屈託の無い明るさみたいなものが、気楽にさらっと聞ける音楽に仕上げています。
 そういうのもたまにはいいものなのです。

2008/02/26のBlog
[関連したBlog]

GREAT CHAMBER MUSIC
 Various Artists
 AURA/DOCUMENTS 224074

 ゴミコメント対策で、ダミー記事を設定しました。今、一時的にコメントを開放してますが、これで効果が上がるようであれば、この対応で暫く行ってみようと思います。最終的にどうなるかまではなんとも......

 閑話休題。

 この間書いた超怪しげ廉価盤の続きであります。このセットの紹介は、前回の2/18付記事を見て頂くとして、今回はもう1枚御紹介。ハイ。スメタナSQの登場です。

 まず何よりも嬉しいのは、前回同様、このスメタナSQの録音も、音質が大変宜しいこと。いや、なかなかこうは行かないですよ。これもスイス・イタリア語放送の録音で、1979年と1982年のもの。流石にこの辺の年代の放送用録音は音質が上等。格別聞き苦しいなんてことはありません。ここに収められているのは3曲、ハイドンの弦楽四重奏曲第39番、シューベルトの弦楽四重奏曲第10番 D.87、及び第14番 D.810 "死と乙女"。なかなかに盛り沢山です。

 この3曲で言うと、やはりよく知られているのは最後の"死と乙女"でしょう。それに比べると前段は退屈か......なんてことは無いのでして、むしろハイドンやシューベルトの若い時の作品が結構面白い。

 ハイドンは、時々耳にすることがあるのですが、ハ長調というベタな調性のわりに表情が色々に変わって、なかなか面白い曲です。全体にアレグロ色の強い楽曲で、なかなか元気よく跳ね回ってる感じですね。
 こういう、なんというか、機嫌のいい作品、というのは、ハイドンには時々ある独特の快活さに溢れていて、それを活かしたスメタナ四重奏団の演奏もよく合っています。
 次のシューベルトは、D.87でありながら、既に堂々たる作品。聞いていても退屈しません。古典的な形式で一貫して書かれながら、決してスマートでは無いにせよ、古典的な枠を越えた、ロマン派的な音色など聞かせていて、これはこれで面白い。黙って聞いていると、意外とハイドンやモーツァルトに行き着いたりするものですから。
 「死と乙女」は........まぁ、想像通りということで。

 スメタナSQは、勿論問題ありません。いい出来です。



2008/02/23のBlog
プッチーニ:ラ・ボエーム
 レナータ・テバルデイ / カルロ・ベルゴンツィ / エットーレ・バスティアニーニ / チェーザレ・シエピ / フェルナンド・コレナ
 ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団
 トゥリオ・セラフィン (conductor)
Decca F00L-20558/9

 今日は週末だし、軽いものでも聞こうと思い立ちました。で、車に積んで出たのがこのCDであります。
 ..........いや、ボエームは、軽いっすよ。プッチーニ、十分軽いっすよ........

 パヴァロッティとフレーニが歌う、カラヤン盤が「新・名盤」とするなら、こちらはいわば「旧・名盤」。とにかく面子が洒落にならないくらい凄いのです。ミミにテバルディ、ロドルフォにベルゴンツィ、マルチェッロにバスティアニーニ。既にこの時点で凄いのですが、コルリーネにシエピ、ブノアにフェルナンド・コレナ。曲目間違えてます。これはヴェルディ、それも重量級の「運命の力」の配役表だろ、といったところ。実際、これにシミオナートを入れれば成立しますからね。唯一名前負けするのは、ムゼッタ役のジャンナ・ダンジェロですが、これもなかなかいいソプラノ。そしてパルピニョールに名傍役ピエロ・デ・パルマ。
 サンタ・チェチーリアに、指揮がトゥリオ・セラフィン。これだけ集めれば何やったって注目すべきですが、それがボエームだというのだから、もう何と言ったらいいか......

 敢えて難を言えば、ベルゴンツィがややヒロイックに過ぎるのが微苦笑を誘ってしまう、というところでしょうか。いや、デル・モナコに比べればよほど.....という話ではありますけど、それにしても。だって、第1幕の「エウレカ!」(わかった!)の意味無く無駄にかっこいいことといったら.....幾ら「ローマの危機」(部屋が寒い)の為に「世界の為には大きな損害」(自分の書いた売れてない戯曲の原稿を燃やして暖を取る)を甘受する、って重大事だとはいえ........ね...........最終幕だって結構なもんですし。
 まぁ、言い出せばキリはないので、テバルディだって聞く分にはとてもいいけれど、ミミにはちょっと合わないし。それを言い出したら、バスティアニーニの似合わなさ加減、というより勿体無さ加減は如何なものか。なので、そこはまぁ概ね不問に付して、声の響宴を楽しむのであります。
 セラフィンの指揮はさすがの一言に尽きます。「こうして欲しい所に来る」という、文句無しのごく自然な音楽の流れ。当然のようによく歌っているのです。
 もう一つは、この録音、とても丁寧なのです。歌い終わりも流してしまわない。きちんと最後まで。こういう録音は最近はそう多くない。第2幕、ムゼッタのワルツみたいな歌でさえ、きちんと最後まで歌い切る、丁寧さ。高く評価する所以であります。

 まぁ色々立ちいった話はありますが、結論から言えば、やはり録音もいいのだけど、曲として楽しめるんですよね、ボエームは。聞き始めれば、つい最後まで聞いてしまうのです。これだけ入り乱れていい歌手が揃えば、何処から聞いても楽しめてしまう、となるのであります。

2008/02/19のBlog
GREAT CHAMBER MUSIC
 Various Artists
 AURA/DOCUMENTS 224074

 今日は怪しげド廉価盤であります。最近、2,000円を切る値段で出回っている、10枚組のシリーズです。Membran Music というところが出している、DOCUMENTS という箱物。「ああ、あれね。やたら古い著作権の切れた録音とか集めて出してるとこでしょ?」ハイ、その通りです。え?あんなとこのCDなんて、ですって?ええ、まぁ、私もそう思ってたんですが......

 これまた一部で有名な怪しげ廉価盤レーベルで、AURAというのがあります。ここは、スイス・イタリア語放送局の持つ音源をCD化しているレーベルです。これもとっても怪しげなのですが、今日取り上げるのは、この怪しげレーベルコンビによる室内楽10枚組。いや、私も最初手に取った時は、「まーた怪しげなもん出してんなこのレーベルは....」と思ったのですが、結構内容がいいのです。

 スイス・イタリア語放送の録音は、確かにそれなりにいい録音があったりするのですが、その中でも結構粒揃い。一番古いので1953年、最新は1982年。それに別系統の録音で1992年というのが入っています。50年代は10枚中2枚なので、音質もそれほど悪くは無さそうです。
 演奏家がこれまたなかなかで、ミルシュタイン、フルニエ、グリュミオー&ハスキル、今日取り上げるイタリアSQ、ジュリアードSQ、ウィーン八重奏団、スメタナSQ、ランパル、シェリングなどが名を連ねます。最後にはマリオ・ブルネッロの名前も見えます。
 10枚組でこれだけ聞けて2,000円しないのだから、御の字と言うべきでしょう。

 今日聞いたのは、イタリア四重奏団の演奏。モーツァルトの弦楽四重奏第15番ニ短調 K.421、ドヴォルザークの第12番「アメリカ」、それにラヴェルの弦楽四重奏。1968年の録音です。
 前述の通り、音はそれほど悪くない。気にせず十分楽しめるレベルです(これ、やっぱり大事なことですよ)。他の録音だと、「まぁ聞ける」レベルのもありますが、この録音だと単に「聞ける」だけでなく、結構細かい所、音色や響きもきちんとしたレベルの出来映えなので、全く普通に楽しめます。

 しかし、イタリア四重奏団も芸達者です。通常のコンサートでも、これほど性格の違う3つの作品を同じプログラムに載せることは殆ど無いと思うのですが、それをやって見事に弾き分けているのですから。
 モーツァルトは、ハイドン・セットの一曲にして、数少ない短調の曲。陰翳のある、けれど何処か闊達さも兼ね備えている、古典派なのだけれど何処か後年のロマン派の音楽を垣間見るような気にさせる音楽です。イタリア四重奏団は過剰に表現に走ることなく、過不足ない演奏を聞かせてくれます。第3楽章の短調のメヌエットが実に見事。
 その後にドヴォルザークの「アメリカ」。これはもう曲自体は言うことはありませんが、演奏もモーツァルトとは打って変わって、抑えていたものが放たれた感じ。決して放埒なのではなくて、縦横無尽に表現力を駆使している、といった感じでしょうか。なかなかに思い切って弾けています。こういう元気のよさが「アメリカ」の身上でしょう。
 そして、最後にラヴェル。ラヴェルは、イタリア四重奏団には録音もあるのですが、その録音と負けずとも劣らぬ洒脱さを備えた、健康的な演奏を聞かせてくれます。

 そう、この録音で聞けるイタリア四重奏団は、陽の光を受けているような感じなのです。なんだか妙な言い方ですが、健康的なんですね。決して単純だとかいうことではなくて、ただ、立派で、弾けるような新鮮さ、闊達さがあるのです。

 全部が全部いい演奏ばかりではないんだろうと思うのですが、この1枚が入ってるだけでも、十分「当たり」です、このCD。いや、他にもまだ聞いてない演奏がどんなもんか、楽しみが増えました。



2008/02/18のBlog
D.Scarlatti : 12 sonatas (K.162 / 322 / 27 / 96 / 394 / 17 / 420 / 518 / 519 / 208 / 427 / 491)
 Andras Schiff (piano)
 HUNGAROTON Classic HCD11806

 久々に、スカルラッティのソナタを聴いています。
 スカルラッティのソナタも、随分いろんな人の録音を持ってますが、今日は、若き日のアンドラーシュ・シフの録音。1975年、シフの母国・ハンガリーのフンガロトンへ入れたものです。

 シフというピアニストへの評価は、今どんな感じなんでしょうか。ここ数年は目立った新しい録音がありませんが、1990年代にはデッカへのバッハやシューベルトの録音を完成させて、押しも押されぬ大ピアニスト、という風格がありました。
 今年、日本に来るんですよね。以前何度か聞いたことはありますが、やはり何度でも聞いてみたいピアニストの一人です。

 シフのピアノは、何処かに清潔感を漂わせている印象があります。選曲からしてそうなのかも知れません。私の知る限り、シフはロマン派以降の作品をあまり弾いていないようです。バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト。ここまでかな。歌曲の伴奏とかで、シューマンを弾くシフ、というのはイメージ出来るのですが、例えばクライスレリアーナを弾くシフ、というのはちょっと...... シフもショパンくらい弾いてると思うのですが、やはりイメージじゃないですね。
 別にロマン派の音楽が汚いと言ってる訳ではなくて、ただ、ああした音楽に共通して求められるある種の資質、敢えて極端に言ってみれば卑俗で下品なものをそのように、かつ魅力的に描く、という点で、良くも悪くも向いてないのではないかな、という気がします。やって出来ないことは無いだろうけど、彼の音楽性はそこに向いていない、そんな感じじゃないでしょうか。

 実は、ドメニコ・スカルラッティのソナタは、バッハと同じバロック期の音楽でありながら、そうしたロマン派の作品に通ずる部分があるような気がします。モーツァルトの幾つかの曲にも見られるのだけど、俗っぽいけれど楽しい、その楽しさが先に立つ、そんな感じがあるのです。ただ、スカルラッティやモーツァルトでは、その俗っぽさがまだロマン派ほどに直截的でなく、様式的な殻を纏っている。その殻故に崩れて行かずに止まっている。
 まだ若い頃故、ということはあるのかも知れませんが、ここでスカルラッティを弾くシフは、武装を解いているという感じがします。「武装」というのもこれまた妙ですが、自然なのかどうかは分からないけど、構えた感じがしないのですね。
 言い換えると、バッハなどを弾いている時のシフは、何処か気を抜けない感じがあるのです。緊張感というほどではないし、不自然な訳でもないのだけれど、いつのまにか集中力を費やして聞いている、というような。それだけの演奏だからこそ、ということではあるのですが、それにしても。

 シフの弾くスカルラッティには、そういう感じがあまりないのですね。まだ若いから、ということはあるかも知れないけれど、珍しく知情意の情が前に出て来てるような。
 知情意、という言い方で言えば、一般には音楽の場合、知情意の情に重きがあって、知は一番軽い、という風があるように思います。シフの場合、一般的にはこのバランスが上手く取れている。でも、それは、結果的に情が一般より低く、知が重いということになるのかも。
 そのシフが珍しく情を出している。そういうシフが意外で面白いのです。




2008/02/17のBlog
Schoenberg・Berg・Webern
(Webern : Passacaglia op.1 / Five Movements op.5 / Six Pieces for Orchestra op.6 / Symphony op.21)
 Berliner Philharmoniker
 Herbert von Karajan (conductor)
 Deutsche Grammphon 427 424-2

 今年は生誕100年ということで色々と企画物のCDが出ているカラヤンですが、正直、結構色々持ってしまっています。あれだけ色々録音した人だけあって、結構引っ張り出してみたらあらこれもカラヤン、みたいなことが意外とあります。

 これもその一つ。ちょっとウェーベルンでも聞こうか、と思って探したらこれがありました。この手の曲では、シノーポリがドレスデンと録音していたシリーズがあったので、そちらの方が新しいのではありますが、このカラヤン盤も古典的演奏で、かつ面白い。
 いわゆる新ウィーン楽派、シェーンベルク・ベルク・ウェーベルンの管弦楽曲を3枚に収めたものです。1972年から1974年にかけての録音。
 カラヤン/ベルリン・フィルの演奏は、やはり「いい演奏」であります。別の言い方をすると、らしくないんですね。不協和音を奏している筈なのに、何処か調和しているものを感じてしまう。新ウィーン楽派の音楽が元々持っていた筈の異形性みたいなものが、もう一つ出て来ないと言えば出て来ない。「音楽的」になってしまっているんですね。
 でも、本当は存外そういうものではないのかな、という気もしなくはないのです。妙に異形であることを強調するのも、本来は少しヘンではあるし。無調から12音技法へと駒を進めて行った人達ではありますが、マーラーに非常な親近感を持ち、更に遡ればバッハの作品を編曲するなど、全く既存の音楽と違う所から来た音楽という訳でもないのですから。

 今回聞いたのはウェーベルンの作品。ウェーベルンは、この3人の中でも最も先鋭的な音楽を書いた人かも知れません。若い頃の作品で「夏風の中で」というのがありますが、これなどは、せいぜいちょっと毛色が変わった程度の後期ロマン派の作品、といった感じです(それはそれで面白いのですが)。ところが、ここに収録されている「パッサカリア」では徐々に無調音楽の方へ進むと共に、奏法、表現が段々独特の風合いを帯びてきます。次第に、調性どころか旋律と呼べるものすら失われて行き、最後は作品の短さ以上に極端に音符の少ない、点描音楽と言いたくなるような作品になっていきます。この録音の最後に「交響曲」というのが収録されていますが、これなど、一体どのように「交響曲」になっているのやら?という作品。大体が、弦楽四重奏に、管4本とハープ、という編成ですから。

 でも、それはそれとして、確かに面白いんですよね。まとまった「音楽」を期待すると厳しいのですが。
 自分の場合、ウェーベルンあたりの音楽は、一種の「環境」「状況」を造り出すもの、というように受け取ってます。旋律とか、和声とか、そうしたものの連関を読み取ろうとすると、どうしても無理が来てしまう。そうではなくて、ウェーベルンが布石した音符達が造り出す「状況」に身を置いてみる、という聞き方をするようになってきました。やはり、理解するのが難しいと思うのです。というより、「理解する」という作業がそもそも不適切なんではないかな、と。シェーンベルク - 実はあまり好きではないのですが - やベルクの場合、「理解する」というのがまだ可能だと思うのですが、ウェーベルンは抽象度がやはりずっと高いような気がします。
 カラヤン/ベルリン・フィルの演奏は、それを承知で、抽象的なのはそのままに、そこで紡がれる音が、とても受け取り易いように演奏されているのだと思うのです。それをいい演奏と言っていいのか悪いのか、よく分かりませんが、取り敢えずはウェーベルンを聞く上で、この演奏は比較的取っ付き易いものではないかな、と思います。


2008/02/16のBlog
F.Schubert : Piano Sonata in B flat D.960 / Lieder (Viola D.786, Der Winterabend D.938, Abschied von der Erde (melodrama) D.829)
 Leif Ove Andsnes (piano)
 Ian Bostridge (tenor)
 EMI 7243 5 57901 2 5


 我ながら呆れてしまうのですが、この曲、これまでに3度も取り上げているのです。つい一ヶ月前にはベルマンの演奏を取り上げ、それ以前にはデーラーブレンデルを取り上げてきました。まぁ、好きな曲で、かつ稀代の名曲なので、どうしようもないです。
 で、懲りずに再度取り上げるのです。まぁ、シューベルトを語る上で、この曲はどうしたって外せません。

 シューベルトの作品の多くは、作品番号を持っていません。でもそれだと、一体どの作品がどんなものだか、整理がつかなくてよく分からないので、後世の学者が番号を付けています。バッハのBWV、モーツァルトのケッヒェル番号(K)、ハイドンのホーボーケン番号、などなど、同様のケースは少なくありません。
 シューベルトの場合は、ドイッチュという学者が番号を振りました。なので、ドイッチュ番号と呼ばれます。Dの後に番号が付いています。作品の書かれた時期の順に番号が振られています。これはモーツァルトのケッヒェル番号と同じ方式です。ケッヒェルの方は620番くらいで終わっていますが、ドイッチュの方は960番台まで付いています。もうちょいで大台だったのに.......

 ドイッチュ番号で950番あたりは、ですので、最晩年の作品群、ということになります。その中でも956番以降は至玉の傑作群、なんてことをつい言いたくなってしまいます。まぁそれも正直無理は無いのでして、D.956は弦楽五重奏曲(分かる人には分かる大変な作品)、D.957が歌曲集「白鳥の歌」、そしてD.958、959、960 がシューベルトの最後の3大ソナタ。生前は作曲家としては決していい扱いではなく、むしろ素人同然の扱いだったシューベルトですが、この5つの作品の内どれか一つだけでも、十分歴史に名を残せるというくらいの作品です。

 D.960は最後のピアノソナタ。事実上恐らく最後の器楽曲作品と言われています。全部で40分以上掛かるのが普通、という、長大な作品ですが、よくある「長い曲」に比べると、決して飽きることはありません..............多分。うん、飽きないと思うんだけど。
 一番長いのは第1楽章。これが20分ほど掛かります。何故そんなに長いのかというと、「ちゃんとしたソナタ形式を墨守しているから」なのです。

 半ば素人と看做されていて、主な作品は歌曲だったシューベルトは、言ってみれば「ちゃんとした作曲」というのに少なからぬこだわり、というよりむしろコンプレックスを持っていたと言ってもいいかも知れません。作曲家として形式をきちんと整えた作品を書くことは彼にとって重要なテーマの一つだったようです。
 故に、即興曲集や「楽興の時」の作曲家は、ピアノソナタを書き続けます。第一楽章はソナタ形式。第二楽章は緩徐楽章で、第三楽章でスケルツォを書いて、第四楽章はロンド形式とか変奏曲形式。テンポも古典的で、彼の後期のピアノソナタは殆どが4楽章形式で、中-緩-急-急。第四楽章はいつもアレグロかアレグレット。ワンパターンです。
 ソナタ形式というのは、4つの部分に分かれます。主題を登場させる提示部。もう一度主題を聞かせる提示部の繰り返し。主題を変奏したりさせる展開部。もう一度主題を聞かせる再現部。シューベルトは、この通りに書いているのですが、それぞれのパートが殆ど同じくらいの時間掛かるのです。各パート5分。これは、実はソナタ形式としてはちょっと展開部が弱い、と言えなくもないのですが、まぁ古典的作品としてはこんなものです。でも、本来は結構退屈な筈です。だって、提示部・その繰り返し・再現部は、事実上殆ど変わらない内容を聞かせられるのですから。

 でも、シューベルトの場合、この提示部がとても魅力的なので、飽きないのです。特にこのD.960は。中庸な、歩くような速度で演奏される静かな主題は歌のようで、それが延々と続くのです。はっきり言って、これはソナタの主題と言うよりは、ピアノで歌われる歌なのです。歌だったら、5分くらいかかっても、それほど変ではないですよね。勿論「主題」というべきメロディの部分はあるけれど(それだって古典派のソナタ形式の主題と比べても随分長いのだけど)、これは事実上「主題を中心に展開」というのではなくて、むしろ「20分の歌」と言いたくなるような作品なのです。
 シューベルトの器楽曲の「欠点」は、強いて言えばこの点だと思います。主題(というよりもう歌なんだけど)が長過ぎて、古典的な形式に入れるのが困難。それでも十分魅力的で、つい聞いてしまうのではあるのですが。
 だから、「ああ、長いんだ」「また同じか」と思わずに、音楽に身を委ねて、成り行きに任せて聞いてしまう、というのが、正しく楽しむ聞き方の一つではないかな、と思います。演奏者にとっても難しいのですが、それを如何に飽きさせずに聞かせるか。ピアニストによっては、提示部の繰り返しを行わないようにする人も居ますが(ブレンデルやヘブラーなど)、それも一方策とは思いつつ、私自身は同じ音楽をそれでも微妙に表現を変えながら繰り返し聞かせてくれる方が、シューベルトの場合はやはりいいのではないかと思っています。

 この作品も演奏は無数にあって、いい演奏も多数あります。シフ、ルービンシュタイン、リヒテル、アラウ、ハスキル(稀代の名演!)、ポリーニ(現代的演奏の最高位!)、などなど、ですが、今日は今が旬のピアニストの一人、アンスネスの演奏で。最近、シューベルトの後期ピアノソナタを集めて2枚組にしたものが出ましたが、あれは元々イアン・ボストリッジとの歌曲の演奏と、ソナタ一曲ずつとをカップリングして出したもの。このD.960では、歌曲3曲がカップリングされています。
 アンスネスの演奏は、現代的と言っていいと思いますが、十分に「歌」があるので、決して素っ気ない演奏ではありません。1980年代末にポリーニの名演があって、現代的な、過剰な思い入れを排した演奏が出来るようになってきましたが、アンスネスのはそれを踏襲した抑制の利いた演奏です。もう少し凄みがあってもいいのではありますが........


2008/02/12のBlog
BJOeRLING reDISCOVERED - Carnegie Hall Recital September 24, 1955 -
 Jussi Bjoerling (tenor)
 Frederick Schauwecker (piano)
 RCA/BMG 82876 53379 2

 ユッシ・ビョルリンク。1911年スゥェーデン生まれのテノール歌手です。1960年に早逝。享年49歳。歌手としてはまだ若過ぎる死ですが、戦前から戦後にかけて既に華々しい名声を築いていた人です。METによく出ていたこともあって、アメリカでは結構人気が高く、録音も少なからず残っています。

 この録音は、1955年のカーネギーホールでのリサイタルの模様を収録したもの。ベートーヴェンのアデライーデ、シューベルト、R・シュトラウス、ブラームスの歌曲に始まり、ドン・ジョヴァンニのアリア、フェドーラのアリア、カルメンの"花の歌"、マスネの"マノン"のアリア、グリーグ、シベリウスの歌曲。ここからアンコールで、スゥェーデン作曲家SJOeBERGの歌曲、カヴァレリア・ルスティカーナのアリア、トスティの"理想"、トスカの"星は光りぬ"、トスティをもう一曲、フォスターの"金髪のジェニー"、アンドレア・シェニエのアリア、最後に"冷たい手を"。全部で26曲、約80分。いやー、CD1枚にしては盛り沢山です。
 勿論私はビョルリンクを生で聞いたことはありません。若い頃のビョルリンクは、丸顔だけどなかなか整った顔立ち。ドナルド・キーンはお月様みたいな顔、と評していたようですが、分かるような気がします。
 問題は声ですが、これがまぁ何ともいえない声でして。今の歌手には無い、甘い声。フェルッチョ・タリアヴィーニもこのタイプですが、甘いのです。マリオ・ランツァあたりも甘いですが、ランツァの甘さに比べると上品。ビロードの声、なんて表現があったけど、あんな感じかな、などと思わせる感じなのです。それでいて声に芯があって、決して弱々しくはない。古臭いと言えなくもないですが、このタイプの歌手は本当にいないのです。強いて言えば、アンドレア・ボッチェリが多少系統的に近いかも知れませんが、格が違い過ぎるかな。特に、甘さと品を兼ね備えた、ビョルリンクやタリアヴィーニとはちょっとね。

 ビョルリンクは、トゥーランドットもトロヴァトーレも歌っています。正直、この甘い声で?と思わなくもないのですが、実際聞いてみると、これがいいのです。やはり地力があるというか、元の声がしっかりしているのでしょうね。
 そういう人のリサイタルですから、楽しくない訳がありません。さすがに、シューベルトなど聞いていると、多少の違和感も無くはないですが、それは上手い下手ではなくて、スタイルの問題であって、歌としては実にいい。元々スゥェーデンの出身なので、ドイツ語に関しても、発音などそれほどの違和感が無い。イタリアオペラの人、という印象は強いのですが、ちゃんとドイツ語で歌えるのです。
 結局、声もいいけど、それを上手く使って歌えているのですね。声と歌い回しの良さで8割方出来上がってる。残り2割は曲で持つ。てなとこでしょうか?

 まぁ、そうはいっても、やっぱり一番いいのはイタリア系オペラ。フェドーラなんて二分とかからないんですが、やっぱり盛り上がってます。更に盛り上がるのがアンコール。カヴァレリア・ルスティカーナからイタリア一色。途中フォスターが入るのは御愛嬌。ところであの曲、「金髪のジェニー」って、Jeanie with the light brown hair 、つまりどちらかというと、亜麻色の髪のジーニー なんですね。いや、Light brown hair は、金髪とはちょっと違うと思います。ま、最初に邦題考えた人の勝利なんでしょうけど。
 とにかく、カヴァレリア以降、もう涙物です。特に最後の、シェニエの「ある晴れた五月の日」に「冷たい手を」はもう何も言うことはありません、て感じです。ちょっとフォルムが崩れそうに感じるのは、流石に甘い声が身上の繊細なテノールだから、というところでしょうか。それでも今時のテノールとは比較にならない安定したいい声なんですが。

 ああ、やっぱり、いいテノールのリサイタルはええなぁ.......

 しかし、自分が聞き始めた頃、1955年って言ったら、まぁ30年前ってところなのですが、今や半世紀以上前、なのですね。歳を取りました......


2008/02/11のBlog
ザ・ブルーハーツ:スーパーベスト
 meldoc MECR-25060

 はーい、間違いないですよ。ここはVerdiのレコード置き場です
 でも、ザ・ブルーハーツなんですよ

 実は私はカラヤンが好きです。好きなのには色々理由があるけれど、理由の一つに「かっこいい」というのがあると思います。そう、どうしようもなく、カラヤンはかっこいいのです。指揮者というのは指導者ですから多かれ少なかれかっこいいと思われてますが、カラヤンはそれを十二分に意識して、かっこいいことを追求してみせた人だと思います。
 かっこいいから好き、ではないのです。これだけの音楽を作っておいて、しかも尚かっこいい。それも半端でなくかっこいい。これは凄い。

 ザ・ブルーハーツです。「リンダ・リンダ」であり、「TRAIN-TRAIN」であり、「キスしてほしい」のザ・ブルーハーツです。実はリアルタイムです。
 ザ・ブルーハーツは、実は、めちゃめちゃかっこわるいのです。基本的に貧乏人のプロテストソングなのですが、そもそもプロテストソングってかっこわるいものなのです。しかも、正直、平成の日本で貧乏とかプロテストとか、たかが知れてます。それを社会派的に歌ってしまう。その真面目さでブルースを紡いでしまう。なんてかっこわるいのでしょう。だって、今更、消費税導入(3%ですよ、最初の。5%じゃなくて)を揶揄して歌われてもねぇ。仮想敵は、戦争であり、政治家であり、会社であり経済であり、つまりは大人。ベタベタで、しかも子供です。
 もうとっくに消えていてもおかしくない。いや、ザ・ブルーハーツ自体はもうないか。今はザ・クロマニヨンズ、ですかね。

 でも、そうしたかっこわるさを貫いた結果、残ってしまう音楽もあるのです。かっこわるいものを愚直にかっこわるく突き詰めた結果、行き着いたところにあるのが、「リンダ・リンダ」であり、「人にやさしく」だと思うのです。歌としては、「TRAIN-TRAIN」も好きだけど、やはり「リンダ・リンダ」には敵わない、と思うのです。ドブネズミですよ、ドブネズミ。でも、「決して負けない強い力を一つだけ持つ」ドブネズミなんです。

 カラヤンとザ・ブルーハーツに共通点なんか無いと思います。でも、かっこよさも、かっこわるさも、どっちもとことんまで突き詰めていくと、本質に到ることがあるのではないかと思うのです。そういう本質には、やっぱり人を惹き付ける力があるのではないでしょうか。

 ..................ま。あれですよ。理屈はそういうことだけど、年代的にね。捨て難いんですよ。まぁ結局そういうことなんだけどさ。

2008/02/10のBlog
フランス近代ピアノ・トリオ選
(ドビュッシー:トリオ ト長調 / ラヴェル:トリオ / フォーレ:トリオ 作品120)

 ジャック:ルヴィエ (piano)
 ジャン=ジャック・カントロフ (violin)
 フィリップ・ミュレル (cello)
 DENON COCO-70853

 御存知の通り、Doblogのコメント機能はDoblogユーザー以外からのコメントを遮断する機能があります。この一週間ほどこの制約を外してみたのですが、やっぱりスパムばかり付くので、元に戻しました。なんとかならないもんですかね、あれ。
 そんなこんなに加えて、結構blog外のよしなしごとにコンサートも行ったりして、昨日はちょっとバタバタでした。そういえば、某CD量販店で、カラヤンのEMI BOX、声楽編を見掛けたのですが、内容を見てやっぱりパスしました。だって、あれ、オペラもの、殆ど持ってるんですもの........ いつか、どっかでバーゲンで、もっと安く出ているのを見掛けでもしたら、考えちゃうかも知れませんが、取り敢えずはパスだなぁ。

 さて、昨晩は書けなかったのですが、珍しくこんなものを聞いています。ドビュッシーやラヴェル、ピアノ曲は結構よく聞いているのですが、この辺の曲は普段あまり聞いていません。ちょっと出来心で(?)引っ張り出してみました。

 ドビュッシーの三重奏曲は、実は本当に一曲として完結しているのかどうかもはっきりしません。1880年頃に作曲されたとはいえ、出版されたのは1986年。第1楽章の自筆譜と、後から発見された残り3楽章の自筆譜、その他を組み合わせて編集されたものなので、そういう曲が実在したことは認められていても、これが本当に正しい姿かどうかはよく分からない、というのが実情。
 そのせいもあってか、例えば第1楽章とそれ以降とでは、少し楽想が変わっていたりします。第1楽章の方が、残りの楽章より洗練度合いが高いというか、和声の使い方などより凝った感じがします。

 ラヴェルの方は、1914年に作曲されたのがはっきりしています。こちらはラヴェルらしい作品、と言っていいのでしょうか。ピアノ部が印象的な作品です。ピアノ作品にヴァイオリンとチェロが伴奏しているよう、というのは流石に言い過ぎかな?
 作品としては、ピアノ曲で言えば、「ソナチネ」と「夜のガスパール」を連想させる内容です。ソナチネの構成感に、夜のガスパールの表現の幅とロマンティシズム - ゴシック・ロマンというべきか? - が掛け合わされた感じでしょうか。
 個人的には、第3楽章のパッサカリアの、重厚さと単純な旋律美に惹かれるものがあります。その前の第2楽章での華やかさと、最終楽章の煌めくように跳ね回る様との、緩急のコントラストは流石としか言い様がありません。

 フォーレはまだあまり聞いていなくて。ラヴェルを聞いてしまった段階で満足して終えてしまうことが多いので...... いい悪いでなくて、ラヴェルで結構華やかに終わった後、チェロの独奏で静かに始まるフォーレの楽想はちょっと毛色が違っていて、つい、ここで一度止めてしまうのです。悪い曲だとは思わないんですが、このアルバムだと次に行かないんですよね、気持ちが。
 今度、ちゃんと聞いてみようと思います。

 演奏としては、十分だと思います。名手揃いのアンサンブルですが、曲としてピアノの占めるウェイトが結構多いので、どうしてもルヴィエのピアノが目立ってしまう感があります。いや、ヴァイオリンも、チェロも、十分綺麗なんですが。

2008/02/09のBlog
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)BWV.1007-1012
 長谷川陽子(cello)
 ビクターエンタテイメント VICC-60139-40

 酷い一週間だった................
 というわけで、週末です。あんまりのんびり出来ませんが。でも週末です。
 で、今朝から久々にお気に入りのを引っ張り出して聴いてます。

 長谷川陽子による、バッハの無伴奏チェロ組曲。1999年の録音ですから、もう10年ほど前になります。バッハの没後250年を記念した録音の一つです。

 よく言うことですが、クラシック音楽だって実のところ万古不易なんてことはなくて、結構時々の流行に左右されるものです。この無伴奏チェロ組曲も同様で、最近の演奏は妙にリズム感が前に出ていたり、やたらと歯切れよかったり、というのが多いようです。
 長谷川陽子の演奏は、そうしたスタイルとは違って、言ってみればチェロのパフォーマンスを最大限引き出そうとするかのような演奏。「こうである筈」のようなものは感じません。楽器に忠実、と言ってもいいでしょうか。人馬一体、なんていう言い方がありますが、アレに近い感じです。
 古楽器演奏の、或いは逆に「自己の表現を追い求める」スタイルの演奏は、人が楽器を御している、という感じを受けることが少なくないように思います。当人達は気持ちよくやっているつもりなのかも知れないけれど、意外と端で聴いていて自然に感じられないことがあります。楽器を鳴らしてる感じですね。長谷川陽子の演奏は、肩の力が抜けた感じの演奏。無理せず、楽器が鳴りたいと思うような方向に音楽を紡いでやっているような。こういう演奏は、聴いていて気持ちのいいものです。

 この曲も、持っている人は色々録音を持っていると思いますが、実は長谷川陽子のような演奏は意外と少ないかも知れません。ちょっと古いスタイルではありますが、でも、こういうスタイル、結構いいものです。


2008/02/04のBlog
愛の笛 デヴィッド・マンロウ/リコーダー名曲集
ファロネルのグラウンド(anonym) / サラバンド、ガヴォットとロンドー風メヌエット(デュパール) / 6羽の鳥の鳴き声(anonym) / ソナタ(ダニエル・パーセル) / スコットランド風ユーモアにもとづくグラウンド(マテイス) / ソナタ(パーチャム) / ソナタ(ヘンデル) / 4つのプレリュード(ペプシェ、ヘンリー・パーセル、ペプシェ、ツィアーニ) / ソナタ(anonym)

 デヴィッド・マンロウ (recorder & flageolet)
 オリヴァー・ブルックス (bass viol & cello)
 ロバート・スペンサー (theorbo & guitar)
 クリストファー・ホグウッド (harpsichord)
 デッカ UCCD-9144

 久々に出して来て聞いてたのですが、実はこの録音未だに書いてなかったことが判明。というか、マンロウ自体あまり取り上げてないんですね、自分。もっとも、去年の秋からマンロウ絡みは3本目なので、よく取り上げてるとも言えるのですが。

 デヴィッド・マンロウ。ロンドン古楽コンソートの創設者の一人で、リコーダー演奏家として、古楽研究者、というより奏者として目覚ましい業績を上げながら、1976年に33歳の若さで早逝。然しながら、その録音はいわば現在の古楽ブームの重要な礎になっている、と言っていいと思います。
 というより、これも何度も言っていることですが、マンロウの古楽演奏には「楽しさ」と「好奇心」が溢れています。これは、今時の、為にする、プロモートされた楽しみ、好奇心とは全く別物。マンロウ自身の「これをやってみたい」という思いが見え隠れするのです。この録音もそんなものの一つ。バロック期のリコーダー曲を集めた録音です。

 原題は The amorous flute だけれど、この録音で取り上げている17世紀から18世紀初めのバロック期には、フルートと言えばリコーダーのことを指していた、とは、このCDのライナーにもある通り。
 で、「リコーダー名曲集」となってはいるのだけれど、名曲とは言ってもここに出て来るのは主にバロック期のイギリス、というよりロンドンで親しまれていたであろうリコーダー曲。なので、知られた名前も存外少なくて、パーセルとヘンデルの名前が見えるだけ。
 けれど、これは面白いのです。リコーダー名曲と言ってバッハか誰かを引っ張って来るのではなくて、当時親しまれていたらしい曲を集めたあたりがマンロウの面目躍如ってところでしょうか。
 つまりですね。今でも、廉価盤のシリーズなんかに必ず「クラシック名曲集」みたいなのがあるじゃないですか。カルメン前奏曲とか、カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲とか、美しく青きドナウとか、スケーターズワルツとか、アルビノーニのアダージョとか、G線上のアリアとか、そういうのとにかく全部一緒にして1枚にしました、みたいなの。最近はもうちょっとスマートにコンセプト化してるみたいですけど。あれの、バロック期ロンドンのリコーダー版をやったわけですよ、マンロウは。言ってみれば。

 いや、本当に、ああいうCDくらい楽しいのです、この録音は。このCD3曲目に、「6羽の鳥の鳴き声」というのがありますが、これがなんとも楽しい。18世紀初めのロンドンで、The Bird Fancyer's Delight という題で出版された曲集からだそうですが、要は鳥の鳴き声の模写なのです。むくどり、森のひばり、カナリア、庭のうそ鳥、東インドのナイチンゲール、むくどりがもう一種。それぞれが1分足らずなのだけど、とてもよく出来てます。勿論、私、この鳥達が本当はどう鳴いてるのかなんて知りませんけど、ああ、そんな鳴き声なんだ、とつい思ってしまいそうなところが楽しい。マンロウは、これをリコーダーの子分みたいな楽器、フラジオレットで演奏しています。リコーダーより高くて、ちょっと重みが無い、つまりは甲高くて軽やかな音。
 勿論、このCD、「ソナタ」とかそういう曲も入ってます。でも、どれも短くて、一番長いのでもヘンデルの書いた8分ほどの曲。イングランドで昔から親しまれているグラウンドと呼ばれる舞曲や、これまたそれぞれ1分ほどの4人の作曲家によるプレリュードなど、そうした曲が多く入ってます。むしろ小品集なのですが、決して単純なものでなく、聞く者を飽きさせません。
 マンロウの録音は、いつもそうです。「聞く者が飽きない」。この、面白さ、楽しさ、好奇心が先に来る、マンロウという演奏家が、私は本当に好きなのです。
 The amorous flute、邦題は「愛の笛」としています。辞書で引くと「色っぽい」「多情な」「なまめかしい」なんて出ていますが、ちょっと用法は違うのだけど、恋する笛、てなニュアンスでどうかな、などと思ったりするのです。

2008/02/03のBlog
F. Schubert : Fantasie C-dur, D.934
J. Brahms : Piano Quartet C-moll, op.60
L. v. Beethoven : Trio D-dur, op.9, no.2

 Jascha Heifetz (vaiolin)
 Brooks Smith, Jacob Lateiner (piano)
 Sanford Schonbach (viola)
 Gregor Piatigorsky (cello)
 BMG classics / RCA 09026 61773 2

 シューベルトのイメージというと、まずは「野ばら」や「魔王」といった歌曲、次は「未完成」や「グレート」といった交響曲、「ます」といった室内楽、ピアノソナタ、そんなところでしょうか。実は、シューベルトは作曲家としてはかなりのオールラウンダーで、ミサ曲も多く作っていますし、マイナーながらオペラも書いています。ベートーヴェンなんかと比べても全く遜色無いのです。ただ、まぁ、多くの作品で、ある種のシューベルトらしさと言うべき刻印が見受けられ