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2008/02/12のBlog
[ 00:41 ]
[ オペラ ]
BJOeRLING reDISCOVERED - Carnegie Hall Recital September 24, 1955 -
Jussi Bjoerling (tenor)
Frederick Schauwecker (piano)
RCA/BMG 82876 53379 2
ユッシ・ビョルリンク。1911年スゥェーデン生まれのテノール歌手です。1960年に早逝。享年49歳。歌手としてはまだ若過ぎる死ですが、戦前から戦後にかけて既に華々しい名声を築いていた人です。METによく出ていたこともあって、アメリカでは結構人気が高く、録音も少なからず残っています。
この録音は、1955年のカーネギーホールでのリサイタルの模様を収録したもの。ベートーヴェンのアデライーデ、シューベルト、R・シュトラウス、ブラームスの歌曲に始まり、ドン・ジョヴァンニのアリア、フェドーラのアリア、カルメンの"花の歌"、マスネの"マノン"のアリア、グリーグ、シベリウスの歌曲。ここからアンコールで、スゥェーデン作曲家SJOeBERGの歌曲、カヴァレリア・ルスティカーナのアリア、トスティの"理想"、トスカの"星は光りぬ"、トスティをもう一曲、フォスターの"金髪のジェニー"、アンドレア・シェニエのアリア、最後に"冷たい手を"。全部で26曲、約80分。いやー、CD1枚にしては盛り沢山です。
勿論私はビョルリンクを生で聞いたことはありません。若い頃のビョルリンクは、丸顔だけどなかなか整った顔立ち。ドナルド・キーンはお月様みたいな顔、と評していたようですが、分かるような気がします。
問題は声ですが、これがまぁ何ともいえない声でして。今の歌手には無い、甘い声。フェルッチョ・タリアヴィーニもこのタイプですが、甘いのです。マリオ・ランツァあたりも甘いですが、ランツァの甘さに比べると上品。ビロードの声、なんて表現があったけど、あんな感じかな、などと思わせる感じなのです。それでいて声に芯があって、決して弱々しくはない。古臭いと言えなくもないですが、このタイプの歌手は本当にいないのです。強いて言えば、アンドレア・ボッチェリが多少系統的に近いかも知れませんが、格が違い過ぎるかな。特に、甘さと品を兼ね備えた、ビョルリンクやタリアヴィーニとはちょっとね。
ビョルリンクは、トゥーランドットもトロヴァトーレも歌っています。正直、この甘い声で?と思わなくもないのですが、実際聞いてみると、これがいいのです。やはり地力があるというか、元の声がしっかりしているのでしょうね。
そういう人のリサイタルですから、楽しくない訳がありません。さすがに、シューベルトなど聞いていると、多少の違和感も無くはないですが、それは上手い下手ではなくて、スタイルの問題であって、歌としては実にいい。元々スゥェーデンの出身なので、ドイツ語に関しても、発音などそれほどの違和感が無い。イタリアオペラの人、という印象は強いのですが、ちゃんとドイツ語で歌えるのです。
結局、声もいいけど、それを上手く使って歌えているのですね。声と歌い回しの良さで8割方出来上がってる。残り2割は曲で持つ。てなとこでしょうか?
まぁ、そうはいっても、やっぱり一番いいのはイタリア系オペラ。フェドーラなんて二分とかからないんですが、やっぱり盛り上がってます。更に盛り上がるのがアンコール。カヴァレリア・ルスティカーナからイタリア一色。途中フォスターが入るのは御愛嬌。ところであの曲、「金髪のジェニー」って、Jeanie with the light brown hair 、つまりどちらかというと、亜麻色の髪のジーニー なんですね。いや、Light brown hair は、金髪とはちょっと違うと思います。ま、最初に邦題考えた人の勝利なんでしょうけど。
とにかく、カヴァレリア以降、もう涙物です。特に最後の、シェニエの「ある晴れた五月の日」に「冷たい手を」はもう何も言うことはありません、て感じです。ちょっとフォルムが崩れそうに感じるのは、流石に甘い声が身上の繊細なテノールだから、というところでしょうか。それでも今時のテノールとは比較にならない安定したいい声なんですが。
ああ、やっぱり、いいテノールのリサイタルはええなぁ.......
しかし、自分が聞き始めた頃、1955年って言ったら、まぁ30年前ってところなのですが、今や半世紀以上前、なのですね。歳を取りました......
Jussi Bjoerling (tenor)
Frederick Schauwecker (piano)
RCA/BMG 82876 53379 2
ユッシ・ビョルリンク。1911年スゥェーデン生まれのテノール歌手です。1960年に早逝。享年49歳。歌手としてはまだ若過ぎる死ですが、戦前から戦後にかけて既に華々しい名声を築いていた人です。METによく出ていたこともあって、アメリカでは結構人気が高く、録音も少なからず残っています。
この録音は、1955年のカーネギーホールでのリサイタルの模様を収録したもの。ベートーヴェンのアデライーデ、シューベルト、R・シュトラウス、ブラームスの歌曲に始まり、ドン・ジョヴァンニのアリア、フェドーラのアリア、カルメンの"花の歌"、マスネの"マノン"のアリア、グリーグ、シベリウスの歌曲。ここからアンコールで、スゥェーデン作曲家SJOeBERGの歌曲、カヴァレリア・ルスティカーナのアリア、トスティの"理想"、トスカの"星は光りぬ"、トスティをもう一曲、フォスターの"金髪のジェニー"、アンドレア・シェニエのアリア、最後に"冷たい手を"。全部で26曲、約80分。いやー、CD1枚にしては盛り沢山です。
勿論私はビョルリンクを生で聞いたことはありません。若い頃のビョルリンクは、丸顔だけどなかなか整った顔立ち。ドナルド・キーンはお月様みたいな顔、と評していたようですが、分かるような気がします。
問題は声ですが、これがまぁ何ともいえない声でして。今の歌手には無い、甘い声。フェルッチョ・タリアヴィーニもこのタイプですが、甘いのです。マリオ・ランツァあたりも甘いですが、ランツァの甘さに比べると上品。ビロードの声、なんて表現があったけど、あんな感じかな、などと思わせる感じなのです。それでいて声に芯があって、決して弱々しくはない。古臭いと言えなくもないですが、このタイプの歌手は本当にいないのです。強いて言えば、アンドレア・ボッチェリが多少系統的に近いかも知れませんが、格が違い過ぎるかな。特に、甘さと品を兼ね備えた、ビョルリンクやタリアヴィーニとはちょっとね。
ビョルリンクは、トゥーランドットもトロヴァトーレも歌っています。正直、この甘い声で?と思わなくもないのですが、実際聞いてみると、これがいいのです。やはり地力があるというか、元の声がしっかりしているのでしょうね。
そういう人のリサイタルですから、楽しくない訳がありません。さすがに、シューベルトなど聞いていると、多少の違和感も無くはないですが、それは上手い下手ではなくて、スタイルの問題であって、歌としては実にいい。元々スゥェーデンの出身なので、ドイツ語に関しても、発音などそれほどの違和感が無い。イタリアオペラの人、という印象は強いのですが、ちゃんとドイツ語で歌えるのです。
結局、声もいいけど、それを上手く使って歌えているのですね。声と歌い回しの良さで8割方出来上がってる。残り2割は曲で持つ。てなとこでしょうか?
まぁ、そうはいっても、やっぱり一番いいのはイタリア系オペラ。フェドーラなんて二分とかからないんですが、やっぱり盛り上がってます。更に盛り上がるのがアンコール。カヴァレリア・ルスティカーナからイタリア一色。途中フォスターが入るのは御愛嬌。ところであの曲、「金髪のジェニー」って、Jeanie with the light brown hair 、つまりどちらかというと、亜麻色の髪のジーニー なんですね。いや、Light brown hair は、金髪とはちょっと違うと思います。ま、最初に邦題考えた人の勝利なんでしょうけど。
とにかく、カヴァレリア以降、もう涙物です。特に最後の、シェニエの「ある晴れた五月の日」に「冷たい手を」はもう何も言うことはありません、て感じです。ちょっとフォルムが崩れそうに感じるのは、流石に甘い声が身上の繊細なテノールだから、というところでしょうか。それでも今時のテノールとは比較にならない安定したいい声なんですが。
ああ、やっぱり、いいテノールのリサイタルはええなぁ.......
しかし、自分が聞き始めた頃、1955年って言ったら、まぁ30年前ってところなのですが、今や半世紀以上前、なのですね。歳を取りました......
2008/02/11のBlog
[ 02:14 ]
[ 車で音楽 ]
ザ・ブルーハーツ:スーパーベスト
meldoc MECR-25060
はーい、間違いないですよ。ここはVerdiのレコード置き場です
でも、ザ・ブルーハーツなんですよ
実は私はカラヤンが好きです。好きなのには色々理由があるけれど、理由の一つに「かっこいい」というのがあると思います。そう、どうしようもなく、カラヤンはかっこいいのです。指揮者というのは指導者ですから多かれ少なかれかっこいいと思われてますが、カラヤンはそれを十二分に意識して、かっこいいことを追求してみせた人だと思います。
かっこいいから好き、ではないのです。これだけの音楽を作っておいて、しかも尚かっこいい。それも半端でなくかっこいい。これは凄い。
ザ・ブルーハーツです。「リンダ・リンダ」であり、「TRAIN-TRAIN」であり、「キスしてほしい」のザ・ブルーハーツです。実はリアルタイムです。
ザ・ブルーハーツは、実は、めちゃめちゃかっこわるいのです。基本的に貧乏人のプロテストソングなのですが、そもそもプロテストソングってかっこわるいものなのです。しかも、正直、平成の日本で貧乏とかプロテストとか、たかが知れてます。それを社会派的に歌ってしまう。その真面目さでブルースを紡いでしまう。なんてかっこわるいのでしょう。だって、今更、消費税導入(3%ですよ、最初の。5%じゃなくて)を揶揄して歌われてもねぇ。仮想敵は、戦争であり、政治家であり、会社であり経済であり、つまりは大人。ベタベタで、しかも子供です。
もうとっくに消えていてもおかしくない。いや、ザ・ブルーハーツ自体はもうないか。今はザ・クロマニヨンズ、ですかね。
でも、そうしたかっこわるさを貫いた結果、残ってしまう音楽もあるのです。かっこわるいものを愚直にかっこわるく突き詰めた結果、行き着いたところにあるのが、「リンダ・リンダ」であり、「人にやさしく」だと思うのです。歌としては、「TRAIN-TRAIN」も好きだけど、やはり「リンダ・リンダ」には敵わない、と思うのです。ドブネズミですよ、ドブネズミ。でも、「決して負けない強い力を一つだけ持つ」ドブネズミなんです。
カラヤンとザ・ブルーハーツに共通点なんか無いと思います。でも、かっこよさも、かっこわるさも、どっちもとことんまで突き詰めていくと、本質に到ることがあるのではないかと思うのです。そういう本質には、やっぱり人を惹き付ける力があるのではないでしょうか。
..................ま。あれですよ。理屈はそういうことだけど、年代的にね。捨て難いんですよ。まぁ結局そういうことなんだけどさ。
meldoc MECR-25060
はーい、間違いないですよ。ここはVerdiのレコード置き場です
でも、ザ・ブルーハーツなんですよ
実は私はカラヤンが好きです。好きなのには色々理由があるけれど、理由の一つに「かっこいい」というのがあると思います。そう、どうしようもなく、カラヤンはかっこいいのです。指揮者というのは指導者ですから多かれ少なかれかっこいいと思われてますが、カラヤンはそれを十二分に意識して、かっこいいことを追求してみせた人だと思います。
かっこいいから好き、ではないのです。これだけの音楽を作っておいて、しかも尚かっこいい。それも半端でなくかっこいい。これは凄い。
ザ・ブルーハーツです。「リンダ・リンダ」であり、「TRAIN-TRAIN」であり、「キスしてほしい」のザ・ブルーハーツです。実はリアルタイムです。
ザ・ブルーハーツは、実は、めちゃめちゃかっこわるいのです。基本的に貧乏人のプロテストソングなのですが、そもそもプロテストソングってかっこわるいものなのです。しかも、正直、平成の日本で貧乏とかプロテストとか、たかが知れてます。それを社会派的に歌ってしまう。その真面目さでブルースを紡いでしまう。なんてかっこわるいのでしょう。だって、今更、消費税導入(3%ですよ、最初の。5%じゃなくて)を揶揄して歌われてもねぇ。仮想敵は、戦争であり、政治家であり、会社であり経済であり、つまりは大人。ベタベタで、しかも子供です。
もうとっくに消えていてもおかしくない。いや、ザ・ブルーハーツ自体はもうないか。今はザ・クロマニヨンズ、ですかね。
でも、そうしたかっこわるさを貫いた結果、残ってしまう音楽もあるのです。かっこわるいものを愚直にかっこわるく突き詰めた結果、行き着いたところにあるのが、「リンダ・リンダ」であり、「人にやさしく」だと思うのです。歌としては、「TRAIN-TRAIN」も好きだけど、やはり「リンダ・リンダ」には敵わない、と思うのです。ドブネズミですよ、ドブネズミ。でも、「決して負けない強い力を一つだけ持つ」ドブネズミなんです。
カラヤンとザ・ブルーハーツに共通点なんか無いと思います。でも、かっこよさも、かっこわるさも、どっちもとことんまで突き詰めていくと、本質に到ることがあるのではないかと思うのです。そういう本質には、やっぱり人を惹き付ける力があるのではないでしょうか。
..................ま。あれですよ。理屈はそういうことだけど、年代的にね。捨て難いんですよ。まぁ結局そういうことなんだけどさ。
2008/02/10のBlog
[ 11:43 ]
[ クラシック ]
フランス近代ピアノ・トリオ選
(ドビュッシー:トリオ ト長調 / ラヴェル:トリオ / フォーレ:トリオ 作品120)
ジャック:ルヴィエ (piano)
ジャン=ジャック・カントロフ (violin)
フィリップ・ミュレル (cello)
DENON COCO-70853
御存知の通り、Doblogのコメント機能はDoblogユーザー以外からのコメントを遮断する機能があります。この一週間ほどこの制約を外してみたのですが、やっぱりスパムばかり付くので、元に戻しました。なんとかならないもんですかね、あれ。
そんなこんなに加えて、結構blog外のよしなしごとにコンサートも行ったりして、昨日はちょっとバタバタでした。そういえば、某CD量販店で、カラヤンのEMI BOX、声楽編を見掛けたのですが、内容を見てやっぱりパスしました。だって、あれ、オペラもの、殆ど持ってるんですもの........ いつか、どっかでバーゲンで、もっと安く出ているのを見掛けでもしたら、考えちゃうかも知れませんが、取り敢えずはパスだなぁ。
さて、昨晩は書けなかったのですが、珍しくこんなものを聞いています。ドビュッシーやラヴェル、ピアノ曲は結構よく聞いているのですが、この辺の曲は普段あまり聞いていません。ちょっと出来心で(?)引っ張り出してみました。
ドビュッシーの三重奏曲は、実は本当に一曲として完結しているのかどうかもはっきりしません。1880年頃に作曲されたとはいえ、出版されたのは1986年。第1楽章の自筆譜と、後から発見された残り3楽章の自筆譜、その他を組み合わせて編集されたものなので、そういう曲が実在したことは認められていても、これが本当に正しい姿かどうかはよく分からない、というのが実情。
そのせいもあってか、例えば第1楽章とそれ以降とでは、少し楽想が変わっていたりします。第1楽章の方が、残りの楽章より洗練度合いが高いというか、和声の使い方などより凝った感じがします。
ラヴェルの方は、1914年に作曲されたのがはっきりしています。こちらはラヴェルらしい作品、と言っていいのでしょうか。ピアノ部が印象的な作品です。ピアノ作品にヴァイオリンとチェロが伴奏しているよう、というのは流石に言い過ぎかな?
作品としては、ピアノ曲で言えば、「ソナチネ」と「夜のガスパール」を連想させる内容です。ソナチネの構成感に、夜のガスパールの表現の幅とロマンティシズム - ゴシック・ロマンというべきか? - が掛け合わされた感じでしょうか。
個人的には、第3楽章のパッサカリアの、重厚さと単純な旋律美に惹かれるものがあります。その前の第2楽章での華やかさと、最終楽章の煌めくように跳ね回る様との、緩急のコントラストは流石としか言い様がありません。
フォーレはまだあまり聞いていなくて。ラヴェルを聞いてしまった段階で満足して終えてしまうことが多いので...... いい悪いでなくて、ラヴェルで結構華やかに終わった後、チェロの独奏で静かに始まるフォーレの楽想はちょっと毛色が違っていて、つい、ここで一度止めてしまうのです。悪い曲だとは思わないんですが、このアルバムだと次に行かないんですよね、気持ちが。
今度、ちゃんと聞いてみようと思います。
演奏としては、十分だと思います。名手揃いのアンサンブルですが、曲としてピアノの占めるウェイトが結構多いので、どうしてもルヴィエのピアノが目立ってしまう感があります。いや、ヴァイオリンも、チェロも、十分綺麗なんですが。
(ドビュッシー:トリオ ト長調 / ラヴェル:トリオ / フォーレ:トリオ 作品120)
ジャック:ルヴィエ (piano)
ジャン=ジャック・カントロフ (violin)
フィリップ・ミュレル (cello)
DENON COCO-70853
御存知の通り、Doblogのコメント機能はDoblogユーザー以外からのコメントを遮断する機能があります。この一週間ほどこの制約を外してみたのですが、やっぱりスパムばかり付くので、元に戻しました。なんとかならないもんですかね、あれ。
そんなこんなに加えて、結構blog外のよしなしごとにコンサートも行ったりして、昨日はちょっとバタバタでした。そういえば、某CD量販店で、カラヤンのEMI BOX、声楽編を見掛けたのですが、内容を見てやっぱりパスしました。だって、あれ、オペラもの、殆ど持ってるんですもの........ いつか、どっかでバーゲンで、もっと安く出ているのを見掛けでもしたら、考えちゃうかも知れませんが、取り敢えずはパスだなぁ。
さて、昨晩は書けなかったのですが、珍しくこんなものを聞いています。ドビュッシーやラヴェル、ピアノ曲は結構よく聞いているのですが、この辺の曲は普段あまり聞いていません。ちょっと出来心で(?)引っ張り出してみました。
ドビュッシーの三重奏曲は、実は本当に一曲として完結しているのかどうかもはっきりしません。1880年頃に作曲されたとはいえ、出版されたのは1986年。第1楽章の自筆譜と、後から発見された残り3楽章の自筆譜、その他を組み合わせて編集されたものなので、そういう曲が実在したことは認められていても、これが本当に正しい姿かどうかはよく分からない、というのが実情。
そのせいもあってか、例えば第1楽章とそれ以降とでは、少し楽想が変わっていたりします。第1楽章の方が、残りの楽章より洗練度合いが高いというか、和声の使い方などより凝った感じがします。
ラヴェルの方は、1914年に作曲されたのがはっきりしています。こちらはラヴェルらしい作品、と言っていいのでしょうか。ピアノ部が印象的な作品です。ピアノ作品にヴァイオリンとチェロが伴奏しているよう、というのは流石に言い過ぎかな?
作品としては、ピアノ曲で言えば、「ソナチネ」と「夜のガスパール」を連想させる内容です。ソナチネの構成感に、夜のガスパールの表現の幅とロマンティシズム - ゴシック・ロマンというべきか? - が掛け合わされた感じでしょうか。
個人的には、第3楽章のパッサカリアの、重厚さと単純な旋律美に惹かれるものがあります。その前の第2楽章での華やかさと、最終楽章の煌めくように跳ね回る様との、緩急のコントラストは流石としか言い様がありません。
フォーレはまだあまり聞いていなくて。ラヴェルを聞いてしまった段階で満足して終えてしまうことが多いので...... いい悪いでなくて、ラヴェルで結構華やかに終わった後、チェロの独奏で静かに始まるフォーレの楽想はちょっと毛色が違っていて、つい、ここで一度止めてしまうのです。悪い曲だとは思わないんですが、このアルバムだと次に行かないんですよね、気持ちが。
今度、ちゃんと聞いてみようと思います。
演奏としては、十分だと思います。名手揃いのアンサンブルですが、曲としてピアノの占めるウェイトが結構多いので、どうしてもルヴィエのピアノが目立ってしまう感があります。いや、ヴァイオリンも、チェロも、十分綺麗なんですが。
2008/02/09のBlog
[ 02:45 ]
[ クラシック ]
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)BWV.1007-1012
長谷川陽子(cello)
ビクターエンタテイメント VICC-60139-40
酷い一週間だった................
というわけで、週末です。あんまりのんびり出来ませんが。でも週末です。
で、今朝から久々にお気に入りのを引っ張り出して聴いてます。
長谷川陽子による、バッハの無伴奏チェロ組曲。1999年の録音ですから、もう10年ほど前になります。バッハの没後250年を記念した録音の一つです。
よく言うことですが、クラシック音楽だって実のところ万古不易なんてことはなくて、結構時々の流行に左右されるものです。この無伴奏チェロ組曲も同様で、最近の演奏は妙にリズム感が前に出ていたり、やたらと歯切れよかったり、というのが多いようです。
長谷川陽子の演奏は、そうしたスタイルとは違って、言ってみればチェロのパフォーマンスを最大限引き出そうとするかのような演奏。「こうである筈」のようなものは感じません。楽器に忠実、と言ってもいいでしょうか。人馬一体、なんていう言い方がありますが、アレに近い感じです。
古楽器演奏の、或いは逆に「自己の表現を追い求める」スタイルの演奏は、人が楽器を御している、という感じを受けることが少なくないように思います。当人達は気持ちよくやっているつもりなのかも知れないけれど、意外と端で聴いていて自然に感じられないことがあります。楽器を鳴らしてる感じですね。長谷川陽子の演奏は、肩の力が抜けた感じの演奏。無理せず、楽器が鳴りたいと思うような方向に音楽を紡いでやっているような。こういう演奏は、聴いていて気持ちのいいものです。
この曲も、持っている人は色々録音を持っていると思いますが、実は長谷川陽子のような演奏は意外と少ないかも知れません。ちょっと古いスタイルではありますが、でも、こういうスタイル、結構いいものです。
長谷川陽子(cello)
ビクターエンタテイメント VICC-60139-40
酷い一週間だった................
というわけで、週末です。あんまりのんびり出来ませんが。でも週末です。
で、今朝から久々にお気に入りのを引っ張り出して聴いてます。
長谷川陽子による、バッハの無伴奏チェロ組曲。1999年の録音ですから、もう10年ほど前になります。バッハの没後250年を記念した録音の一つです。
よく言うことですが、クラシック音楽だって実のところ万古不易なんてことはなくて、結構時々の流行に左右されるものです。この無伴奏チェロ組曲も同様で、最近の演奏は妙にリズム感が前に出ていたり、やたらと歯切れよかったり、というのが多いようです。
長谷川陽子の演奏は、そうしたスタイルとは違って、言ってみればチェロのパフォーマンスを最大限引き出そうとするかのような演奏。「こうである筈」のようなものは感じません。楽器に忠実、と言ってもいいでしょうか。人馬一体、なんていう言い方がありますが、アレに近い感じです。
古楽器演奏の、或いは逆に「自己の表現を追い求める」スタイルの演奏は、人が楽器を御している、という感じを受けることが少なくないように思います。当人達は気持ちよくやっているつもりなのかも知れないけれど、意外と端で聴いていて自然に感じられないことがあります。楽器を鳴らしてる感じですね。長谷川陽子の演奏は、肩の力が抜けた感じの演奏。無理せず、楽器が鳴りたいと思うような方向に音楽を紡いでやっているような。こういう演奏は、聴いていて気持ちのいいものです。
この曲も、持っている人は色々録音を持っていると思いますが、実は長谷川陽子のような演奏は意外と少ないかも知れません。ちょっと古いスタイルではありますが、でも、こういうスタイル、結構いいものです。
2008/02/04のBlog
[ 01:00 ]
[ クラシック ]
愛の笛 デヴィッド・マンロウ/リコーダー名曲集
ファロネルのグラウンド(anonym) / サラバンド、ガヴォットとロンドー風メヌエット(デュパール) / 6羽の鳥の鳴き声(anonym) / ソナタ(ダニエル・パーセル) / スコットランド風ユーモアにもとづくグラウンド(マテイス) / ソナタ(パーチャム) / ソナタ(ヘンデル) / 4つのプレリュード(ペプシェ、ヘンリー・パーセル、ペプシェ、ツィアーニ) / ソナタ(anonym)
デヴィッド・マンロウ (recorder & flageolet)
オリヴァー・ブルックス (bass viol & cello)
ロバート・スペンサー (theorbo & guitar)
クリストファー・ホグウッド (harpsichord)
デッカ UCCD-9144
久々に出して来て聞いてたのですが、実はこの録音未だに書いてなかったことが判明。というか、マンロウ自体あまり取り上げてないんですね、自分。もっとも、去年の秋からマンロウ絡みは3本目なので、よく取り上げてるとも言えるのですが。
デヴィッド・マンロウ。ロンドン古楽コンソートの創設者の一人で、リコーダー演奏家として、古楽研究者、というより奏者として目覚ましい業績を上げながら、1976年に33歳の若さで早逝。然しながら、その録音はいわば現在の古楽ブームの重要な礎になっている、と言っていいと思います。
というより、これも何度も言っていることですが、マンロウの古楽演奏には「楽しさ」と「好奇心」が溢れています。これは、今時の、為にする、プロモートされた楽しみ、好奇心とは全く別物。マンロウ自身の「これをやってみたい」という思いが見え隠れするのです。この録音もそんなものの一つ。バロック期のリコーダー曲を集めた録音です。
原題は The amorous flute だけれど、この録音で取り上げている17世紀から18世紀初めのバロック期には、フルートと言えばリコーダーのことを指していた、とは、このCDのライナーにもある通り。
で、「リコーダー名曲集」となってはいるのだけれど、名曲とは言ってもここに出て来るのは主にバロック期のイギリス、というよりロンドンで親しまれていたであろうリコーダー曲。なので、知られた名前も存外少なくて、パーセルとヘンデルの名前が見えるだけ。
けれど、これは面白いのです。リコーダー名曲と言ってバッハか誰かを引っ張って来るのではなくて、当時親しまれていたらしい曲を集めたあたりがマンロウの面目躍如ってところでしょうか。
つまりですね。今でも、廉価盤のシリーズなんかに必ず「クラシック名曲集」みたいなのがあるじゃないですか。カルメン前奏曲とか、カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲とか、美しく青きドナウとか、スケーターズワルツとか、アルビノーニのアダージョとか、G線上のアリアとか、そういうのとにかく全部一緒にして1枚にしました、みたいなの。最近はもうちょっとスマートにコンセプト化してるみたいですけど。あれの、バロック期ロンドンのリコーダー版をやったわけですよ、マンロウは。言ってみれば。
いや、本当に、ああいうCDくらい楽しいのです、この録音は。このCD3曲目に、「6羽の鳥の鳴き声」というのがありますが、これがなんとも楽しい。18世紀初めのロンドンで、The Bird Fancyer's Delight という題で出版された曲集からだそうですが、要は鳥の鳴き声の模写なのです。むくどり、森のひばり、カナリア、庭のうそ鳥、東インドのナイチンゲール、むくどりがもう一種。それぞれが1分足らずなのだけど、とてもよく出来てます。勿論、私、この鳥達が本当はどう鳴いてるのかなんて知りませんけど、ああ、そんな鳴き声なんだ、とつい思ってしまいそうなところが楽しい。マンロウは、これをリコーダーの子分みたいな楽器、フラジオレットで演奏しています。リコーダーより高くて、ちょっと重みが無い、つまりは甲高くて軽やかな音。
勿論、このCD、「ソナタ」とかそういう曲も入ってます。でも、どれも短くて、一番長いのでもヘンデルの書いた8分ほどの曲。イングランドで昔から親しまれているグラウンドと呼ばれる舞曲や、これまたそれぞれ1分ほどの4人の作曲家によるプレリュードなど、そうした曲が多く入ってます。むしろ小品集なのですが、決して単純なものでなく、聞く者を飽きさせません。
マンロウの録音は、いつもそうです。「聞く者が飽きない」。この、面白さ、楽しさ、好奇心が先に来る、マンロウという演奏家が、私は本当に好きなのです。
The amorous flute、邦題は「愛の笛」としています。辞書で引くと「色っぽい」「多情な」「なまめかしい」なんて出ていますが、ちょっと用法は違うのだけど、恋する笛、てなニュアンスでどうかな、などと思ったりするのです。
ファロネルのグラウンド(anonym) / サラバンド、ガヴォットとロンドー風メヌエット(デュパール) / 6羽の鳥の鳴き声(anonym) / ソナタ(ダニエル・パーセル) / スコットランド風ユーモアにもとづくグラウンド(マテイス) / ソナタ(パーチャム) / ソナタ(ヘンデル) / 4つのプレリュード(ペプシェ、ヘンリー・パーセル、ペプシェ、ツィアーニ) / ソナタ(anonym)
デヴィッド・マンロウ (recorder & flageolet)
オリヴァー・ブルックス (bass viol & cello)
ロバート・スペンサー (theorbo & guitar)
クリストファー・ホグウッド (harpsichord)
デッカ UCCD-9144
久々に出して来て聞いてたのですが、実はこの録音未だに書いてなかったことが判明。というか、マンロウ自体あまり取り上げてないんですね、自分。もっとも、去年の秋からマンロウ絡みは3本目なので、よく取り上げてるとも言えるのですが。
デヴィッド・マンロウ。ロンドン古楽コンソートの創設者の一人で、リコーダー演奏家として、古楽研究者、というより奏者として目覚ましい業績を上げながら、1976年に33歳の若さで早逝。然しながら、その録音はいわば現在の古楽ブームの重要な礎になっている、と言っていいと思います。
というより、これも何度も言っていることですが、マンロウの古楽演奏には「楽しさ」と「好奇心」が溢れています。これは、今時の、為にする、プロモートされた楽しみ、好奇心とは全く別物。マンロウ自身の「これをやってみたい」という思いが見え隠れするのです。この録音もそんなものの一つ。バロック期のリコーダー曲を集めた録音です。
原題は The amorous flute だけれど、この録音で取り上げている17世紀から18世紀初めのバロック期には、フルートと言えばリコーダーのことを指していた、とは、このCDのライナーにもある通り。
で、「リコーダー名曲集」となってはいるのだけれど、名曲とは言ってもここに出て来るのは主にバロック期のイギリス、というよりロンドンで親しまれていたであろうリコーダー曲。なので、知られた名前も存外少なくて、パーセルとヘンデルの名前が見えるだけ。
けれど、これは面白いのです。リコーダー名曲と言ってバッハか誰かを引っ張って来るのではなくて、当時親しまれていたらしい曲を集めたあたりがマンロウの面目躍如ってところでしょうか。
つまりですね。今でも、廉価盤のシリーズなんかに必ず「クラシック名曲集」みたいなのがあるじゃないですか。カルメン前奏曲とか、カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲とか、美しく青きドナウとか、スケーターズワルツとか、アルビノーニのアダージョとか、G線上のアリアとか、そういうのとにかく全部一緒にして1枚にしました、みたいなの。最近はもうちょっとスマートにコンセプト化してるみたいですけど。あれの、バロック期ロンドンのリコーダー版をやったわけですよ、マンロウは。言ってみれば。
いや、本当に、ああいうCDくらい楽しいのです、この録音は。このCD3曲目に、「6羽の鳥の鳴き声」というのがありますが、これがなんとも楽しい。18世紀初めのロンドンで、The Bird Fancyer's Delight という題で出版された曲集からだそうですが、要は鳥の鳴き声の模写なのです。むくどり、森のひばり、カナリア、庭のうそ鳥、東インドのナイチンゲール、むくどりがもう一種。それぞれが1分足らずなのだけど、とてもよく出来てます。勿論、私、この鳥達が本当はどう鳴いてるのかなんて知りませんけど、ああ、そんな鳴き声なんだ、とつい思ってしまいそうなところが楽しい。マンロウは、これをリコーダーの子分みたいな楽器、フラジオレットで演奏しています。リコーダーより高くて、ちょっと重みが無い、つまりは甲高くて軽やかな音。
勿論、このCD、「ソナタ」とかそういう曲も入ってます。でも、どれも短くて、一番長いのでもヘンデルの書いた8分ほどの曲。イングランドで昔から親しまれているグラウンドと呼ばれる舞曲や、これまたそれぞれ1分ほどの4人の作曲家によるプレリュードなど、そうした曲が多く入ってます。むしろ小品集なのですが、決して単純なものでなく、聞く者を飽きさせません。
マンロウの録音は、いつもそうです。「聞く者が飽きない」。この、面白さ、楽しさ、好奇心が先に来る、マンロウという演奏家が、私は本当に好きなのです。
The amorous flute、邦題は「愛の笛」としています。辞書で引くと「色っぽい」「多情な」「なまめかしい」なんて出ていますが、ちょっと用法は違うのだけど、恋する笛、てなニュアンスでどうかな、などと思ったりするのです。
2008/02/03のBlog
[ 02:54 ]
[ ラ・フォル・ジュルネ ]
F. Schubert : Fantasie C-dur, D.934
J. Brahms : Piano Quartet C-moll, op.60
L. v. Beethoven : Trio D-dur, op.9, no.2
Jascha Heifetz (vaiolin)
Brooks Smith, Jacob Lateiner (piano)
Sanford Schonbach (viola)
Gregor Piatigorsky (cello)
BMG classics / RCA 09026 61773 2
シューベルトのイメージというと、まずは「野ばら」や「魔王」といった歌曲、次は「未完成」や「グレート」といった交響曲、「ます」といった室内楽、ピアノソナタ、そんなところでしょうか。実は、シューベルトは作曲家としてはかなりのオールラウンダーで、ミサ曲も多く作っていますし、マイナーながらオペラも書いています。ベートーヴェンなんかと比べても全く遜色無いのです。ただ、まぁ、多くの作品で、ある種のシューベルトらしさと言うべき刻印が見受けられるというのもありますが....
シューベルトらしさの刻印、というものがあるとして、その一つは「メロディ」でしょうか。
とにかく、シューベルトの作品は、どれも印象的なメロディが詰まっているのです。勿論、少なくとも20世紀初めくらいまでなら、どんな作曲家の作品にも、メロディは詰まっています。シューベルトが別格なのは、その質、量、規模が他を圧しているからです。
まずは質。古典派からロマン派の器楽曲では、主題があって、それを色々に展開していく、というのが最もポピュラーな音楽の作り方になっているのですが、シューベルトの場合、この主題の質が高いのです。具体的には、聞いて魅力的である率が高い。印象に残り易い、いいメロディであることが多いのです。
量、というのは、この打率が高いのに、多作家であるということ。シューベルトの作品を整理したドイッチュによる番号では、1000番近いところまで番号が付いています。これらの中には、1曲数分の歌曲が沢山含まれていますので - 大体600曲くらい? - 、書いた音符の数はそうは多くないかも知れません。(歌曲集はそれ一つで一つの番号ではあるにせよ)
けれど、その一曲一曲にメロディを書いている、ということですから、そう考えると随分なことなのです。
そして、規模。
器楽曲の場合、主題は後で色々に展開、平たく言えば変奏させるので、あまり長くて込み入ったものだと、展開させにくいという問題が起きます。ところが、シューベルトの書いた主題は、結構長いものが多いのです。まるで、歌曲の詩一連分に作曲するようなメロディだったり。
でも、これは聞く側からすると、印象に残り易い結果にも繋がります。断片的なメロディは、確かにそれはそれで印象深いものであることもあるけれど、やはりひとまとまりの音楽としてある方が記憶に残り易いしキャッチーな要素も入り易い。あまり長いとそれはそれで問題ですけどね。
面白いのは、そういうメロディメーカーであるシューベルトが、時に、気に入ったメロディを平気で他の曲に転用したりしていることです。あれだけのメロディを書けたシューベルトですから、思い浮かばなかったというより、むしろ才能があればこそ、自分でも気に入ったメロディであれば、頓着しないで使ったということなのでしょう。
有名なところでは、ピアノ五重奏曲「ます」。あれは、歌曲「ます」のメロディを使って、楽章を一つ作ったことからその名があります。他にも、劇音楽「ロザムンデ」の中の曲で使ったメロディを基に、弦楽四重奏曲の楽章を一つ拵えたり、即興曲を書いたり。或いは、歌曲「死と乙女」のメロディをそのまま使ってこれまた弦楽四重奏を書いたり。
このヴァイオリンとピアノの為の幻想曲でも、シューベルトは第3楽章(実はこの楽章だけで全曲の半分弱を占めるのですが)で、自らの歌曲 Sei mir gegruesst、「挨拶をします」のメロディを使って変奏曲を書いています。
歌曲のメロディが必ずしも器楽曲に合うとは限りません。「楽器」として、それぞれ歌わせ方も異なる以上、あるメロディや、そのメロディの鳴らし方が、他の楽器にとっても同じとは限りませんが、そこは流石にシューベルト。ややゆっくり目でどことなく切なげに歌われる感じのこのメロディを、ヴァイオリンにしっとりと歌わせています。
いや、本当に、元々この曲の為に書かれたんじゃないの?と思わせるような良質の音楽です。不自然なところは全くなく、ごく自然にヴァイオリンが歌っているのです。メロディというものを良く知る人の強み、なのでしょうか。
ここでは、ハイフェッツの演奏で。冷たい、とか、そんな風に、あまり良く言われないこともあるヴァイオリニストとですが、どうしてどうして、実に見事な歌をお持ちです。
J. Brahms : Piano Quartet C-moll, op.60
L. v. Beethoven : Trio D-dur, op.9, no.2
Jascha Heifetz (vaiolin)
Brooks Smith, Jacob Lateiner (piano)
Sanford Schonbach (viola)
Gregor Piatigorsky (cello)
BMG classics / RCA 09026 61773 2
シューベルトのイメージというと、まずは「野ばら」や「魔王」といった歌曲、次は「未完成」や「グレート」といった交響曲、「ます」といった室内楽、ピアノソナタ、そんなところでしょうか。実は、シューベルトは作曲家としてはかなりのオールラウンダーで、ミサ曲も多く作っていますし、マイナーながらオペラも書いています。ベートーヴェンなんかと比べても全く遜色無いのです。ただ、まぁ、多くの作品で、ある種のシューベルトらしさと言うべき刻印が見受けられるというのもありますが....
シューベルトらしさの刻印、というものがあるとして、その一つは「メロディ」でしょうか。
とにかく、シューベルトの作品は、どれも印象的なメロディが詰まっているのです。勿論、少なくとも20世紀初めくらいまでなら、どんな作曲家の作品にも、メロディは詰まっています。シューベルトが別格なのは、その質、量、規模が他を圧しているからです。
まずは質。古典派からロマン派の器楽曲では、主題があって、それを色々に展開していく、というのが最もポピュラーな音楽の作り方になっているのですが、シューベルトの場合、この主題の質が高いのです。具体的には、聞いて魅力的である率が高い。印象に残り易い、いいメロディであることが多いのです。
量、というのは、この打率が高いのに、多作家であるということ。シューベルトの作品を整理したドイッチュによる番号では、1000番近いところまで番号が付いています。これらの中には、1曲数分の歌曲が沢山含まれていますので - 大体600曲くらい? - 、書いた音符の数はそうは多くないかも知れません。(歌曲集はそれ一つで一つの番号ではあるにせよ)
けれど、その一曲一曲にメロディを書いている、ということですから、そう考えると随分なことなのです。
そして、規模。
器楽曲の場合、主題は後で色々に展開、平たく言えば変奏させるので、あまり長くて込み入ったものだと、展開させにくいという問題が起きます。ところが、シューベルトの書いた主題は、結構長いものが多いのです。まるで、歌曲の詩一連分に作曲するようなメロディだったり。
でも、これは聞く側からすると、印象に残り易い結果にも繋がります。断片的なメロディは、確かにそれはそれで印象深いものであることもあるけれど、やはりひとまとまりの音楽としてある方が記憶に残り易いしキャッチーな要素も入り易い。あまり長いとそれはそれで問題ですけどね。
面白いのは、そういうメロディメーカーであるシューベルトが、時に、気に入ったメロディを平気で他の曲に転用したりしていることです。あれだけのメロディを書けたシューベルトですから、思い浮かばなかったというより、むしろ才能があればこそ、自分でも気に入ったメロディであれば、頓着しないで使ったということなのでしょう。
有名なところでは、ピアノ五重奏曲「ます」。あれは、歌曲「ます」のメロディを使って、楽章を一つ作ったことからその名があります。他にも、劇音楽「ロザムンデ」の中の曲で使ったメロディを基に、弦楽四重奏曲の楽章を一つ拵えたり、即興曲を書いたり。或いは、歌曲「死と乙女」のメロディをそのまま使ってこれまた弦楽四重奏を書いたり。
このヴァイオリンとピアノの為の幻想曲でも、シューベルトは第3楽章(実はこの楽章だけで全曲の半分弱を占めるのですが)で、自らの歌曲 Sei mir gegruesst、「挨拶をします」のメロディを使って変奏曲を書いています。
歌曲のメロディが必ずしも器楽曲に合うとは限りません。「楽器」として、それぞれ歌わせ方も異なる以上、あるメロディや、そのメロディの鳴らし方が、他の楽器にとっても同じとは限りませんが、そこは流石にシューベルト。ややゆっくり目でどことなく切なげに歌われる感じのこのメロディを、ヴァイオリンにしっとりと歌わせています。
いや、本当に、元々この曲の為に書かれたんじゃないの?と思わせるような良質の音楽です。不自然なところは全くなく、ごく自然にヴァイオリンが歌っているのです。メロディというものを良く知る人の強み、なのでしょうか。
ここでは、ハイフェッツの演奏で。冷たい、とか、そんな風に、あまり良く言われないこともあるヴァイオリニストとですが、どうしてどうして、実に見事な歌をお持ちです。
2008/02/02のBlog
[ 01:07 ]
[ クラシック ]
Beethoven Piano Sonatas : No.15 D major op.28 "Pastoral" / N0.8 C minor op.13 "Pathetique" / N0.3 C major op.2 No.3
Angela Hewitt (piano)
Hyperion CDA67605
アンジェラ・ヒューイットが取り組んでいるベートーヴェンのソナタ録音の第二巻。恐らく全集にするのだと思いますが、この第二巻では、15番「田園」と8番「悲愴」、それに3番というカップリング。なかなか痛いところを突いて来るカップリングでしょうか。
ヒューイットは、中堅と呼んでいい域のピアニストです。自分が学生の頃、もう20年も前に、「グレン・グールド・コンクール優勝」という看板で来日したのを聞いたことがあります。改めて経歴を見ると「トロント国際バッハコンクール」ということらしいのですが、当時は確かグールドの名前を冠していたなぁ。
ちなみにそのコンサートはタダでした。武蔵野市の主催で、葉書で応募して招待、というのじゃなかったかな。何を弾いたか、全部は憶えていないのだけど、バッハを何か弾いたな、というのと、ラヴェルの「クープランの墓」の演奏が良かったのと(特にメヌエット!)、アンコールでゴールドベルク変奏曲のアリアを弾いておしまい、だったのはよく憶えています。
その後ライプツィヒのバッハコンクールでも優勝したおかげで、バッハ弾きみたいになっていたみたいですが、Hyperionでバッハの鍵盤楽曲「全集」を録音して「禊ぎ」が済んだのか、その後ラヴェル、クープラン、ショパンにシャブリエと、弾きたいものを弾いてます、てな感じです。その上にベートーヴェンに」取り組んでいるというわけです。
イタリアの新興ピアノメーカー、ファツィオーリ社のピアノを使っての録音。ここのピアノは、スタインウェイやヤマハに比べると、リリカルで透明感のある音がするように思います。というより、そういう風のあるピアニストに好まれる、ということなのかも知れませんが。
そう、ヒューイットの演奏は、そうしたリリカルさが活きる曲目が多いように思います。勿論ベートーヴェンのソナタとなると、必ずしもそう言う訳にもいかないのでは、という気がしますが。
で、この録音ですが、一曲目は第15番「田園」。いや、これがいいんです。
この曲、ちょっと難しいところのある曲ではないかと思います。和音の静かな連打で始まる第1楽章が、ベートーヴェンには珍しい「静かなアレグロ」なので、知名度の問題もあってやや軽く見られがちなのですが、実は長さで言えばいわゆる「3大ソナタ」より長いくらい。全4楽章、そのうち3分の2は前2楽章が占めるのですが、ここに目立ったクライマックスが無いんです。後半はちょっと盛り上がりますが、これはベートーヴェンらしからぬ劇性の少ない曲。4楽章構成で、長い前半2楽章、静かな楽曲.......ちょっとシューベルトのソナタを思い起こさせます。いや、勿論ベートーヴェンの方が先ですが。
実は、ベートーヴェンの演奏で定評のあるピアニストでも、この曲は意外と良くなかったりします。ちょっとベートーヴェンらしからぬ曲、なのでしょう。
これをヒューイットはなかなか上手に料理しています。リリカルな響きの楽器を使って、デュナミークを繊細にコントロール。決して劇的ではないけれど、音楽の表情が活き活きとしています。持ち前の端正な演奏スタイルもあって、情に溺れることもなく、気持ちのいい演奏です。
一緒に入っている第8番は、言わずと知れた「悲愴」ですが、こちらも無理にドラマティックに仕立てることも無く、抑制された中での、見方によっては落ち着いた演奏。こういうベートーヴェンを弾く人は、決して多くはありません。ちょっとした希少価値かも知れません。
今後ヒューイットが録音を進めるにつれて、後期のピアノソナタなんかにも手を付けていくでしょうが、果たしてどうなるものか、興味深いです。同じようにリリックに弾いていくのか、それとも......?年に1枚か2枚か、という感じのペースなので、じっくり待つことにします。
Angela Hewitt (piano)
Hyperion CDA67605
アンジェラ・ヒューイットが取り組んでいるベートーヴェンのソナタ録音の第二巻。恐らく全集にするのだと思いますが、この第二巻では、15番「田園」と8番「悲愴」、それに3番というカップリング。なかなか痛いところを突いて来るカップリングでしょうか。
ヒューイットは、中堅と呼んでいい域のピアニストです。自分が学生の頃、もう20年も前に、「グレン・グールド・コンクール優勝」という看板で来日したのを聞いたことがあります。改めて経歴を見ると「トロント国際バッハコンクール」ということらしいのですが、当時は確かグールドの名前を冠していたなぁ。
ちなみにそのコンサートはタダでした。武蔵野市の主催で、葉書で応募して招待、というのじゃなかったかな。何を弾いたか、全部は憶えていないのだけど、バッハを何か弾いたな、というのと、ラヴェルの「クープランの墓」の演奏が良かったのと(特にメヌエット!)、アンコールでゴールドベルク変奏曲のアリアを弾いておしまい、だったのはよく憶えています。
その後ライプツィヒのバッハコンクールでも優勝したおかげで、バッハ弾きみたいになっていたみたいですが、Hyperionでバッハの鍵盤楽曲「全集」を録音して「禊ぎ」が済んだのか、その後ラヴェル、クープラン、ショパンにシャブリエと、弾きたいものを弾いてます、てな感じです。その上にベートーヴェンに」取り組んでいるというわけです。
イタリアの新興ピアノメーカー、ファツィオーリ社のピアノを使っての録音。ここのピアノは、スタインウェイやヤマハに比べると、リリカルで透明感のある音がするように思います。というより、そういう風のあるピアニストに好まれる、ということなのかも知れませんが。
そう、ヒューイットの演奏は、そうしたリリカルさが活きる曲目が多いように思います。勿論ベートーヴェンのソナタとなると、必ずしもそう言う訳にもいかないのでは、という気がしますが。
で、この録音ですが、一曲目は第15番「田園」。いや、これがいいんです。
この曲、ちょっと難しいところのある曲ではないかと思います。和音の静かな連打で始まる第1楽章が、ベートーヴェンには珍しい「静かなアレグロ」なので、知名度の問題もあってやや軽く見られがちなのですが、実は長さで言えばいわゆる「3大ソナタ」より長いくらい。全4楽章、そのうち3分の2は前2楽章が占めるのですが、ここに目立ったクライマックスが無いんです。後半はちょっと盛り上がりますが、これはベートーヴェンらしからぬ劇性の少ない曲。4楽章構成で、長い前半2楽章、静かな楽曲.......ちょっとシューベルトのソナタを思い起こさせます。いや、勿論ベートーヴェンの方が先ですが。
実は、ベートーヴェンの演奏で定評のあるピアニストでも、この曲は意外と良くなかったりします。ちょっとベートーヴェンらしからぬ曲、なのでしょう。
これをヒューイットはなかなか上手に料理しています。リリカルな響きの楽器を使って、デュナミークを繊細にコントロール。決して劇的ではないけれど、音楽の表情が活き活きとしています。持ち前の端正な演奏スタイルもあって、情に溺れることもなく、気持ちのいい演奏です。
一緒に入っている第8番は、言わずと知れた「悲愴」ですが、こちらも無理にドラマティックに仕立てることも無く、抑制された中での、見方によっては落ち着いた演奏。こういうベートーヴェンを弾く人は、決して多くはありません。ちょっとした希少価値かも知れません。
今後ヒューイットが録音を進めるにつれて、後期のピアノソナタなんかにも手を付けていくでしょうが、果たしてどうなるものか、興味深いです。同じようにリリックに弾いていくのか、それとも......?年に1枚か2枚か、という感じのペースなので、じっくり待つことにします。
2008/01/27のBlog
[ 01:00 ]
[ 車で音楽 ]
The Best of Shogo Hamada Vol.2
浜田省吾
SME Records SECL 502
実は、ヴィントガッセンを聞く裏で、久々に浜省なんぞ聞いていたのであります。それも、なんとも微妙なCD。
一般にね、浜省っていうと、「もうひとつの土曜日」とか「悲しみは雪のように」とか、懐かしいところでは「路地裏の少年」とか、そのへんだと思うんですよ。ところが、そういうのは全然入ってないBest盤。いや、実のところ、このBest盤、Vol.1 と Vol.2があって、その他にThe History of Hamada Shogo という、実はこちらの方が先に出たんだけど、まぁこの3つでワンセットみたいな雰囲気があってですね。で、先に挙げたよく知られた曲は3つ目のに入っている。
で、この"Best"のVol.2は、浜田省吾曰く「少年青年期の楽曲」なんだそうで、1975年から1986年にかけての楽曲から選ばれてます。いい曲揃いだけど、決して売れた曲揃いという訳ではありません。
正直、浜田省吾に格別思い入れがある訳ではないんですけどね。でもまぁ、数少ない「CDくらい買うJ-POP」の一つではあります。いや、J-POPって言い方は失礼だよなぁ。
そんなに日本のポップミュージックに詳しい訳ではないのだけれど、一応リアルタイムでの実感として、日本のポップミュージック、ロックのターニングポイントはやっぱりサザンオールスターズの登場だと思うのです。サザンが出て来て、ロックなるものがお茶の間で流れるものとしておかしくなくなった。今のJ-POPと呼ばれるもの、特にロック系は、何処かで必ずサザンに負ってるものがあるんじゃないかと思います。
でも、浜田省吾は、サザンより前に来て、フォークでもない、ニューミュージックでもない、さりとてハードでアンダーグラウンドでもない「ロック」をやって、今でもやり続けてる人、ではないかと思うのです。浜省の日本語は分かるし、ちゃんと日本語になってる。楽曲としてもそうなんだけど、何処となく清潔感があるのです。そういう意味では、彼の声自体も同様に清潔感があります。そのへんが、特に思い入れはないと言いながら、何故かCDを持っている理由なのです。
多分、ロック好きの人には、浜省はロックじゃない、とか言われるんじゃないかなという気がします。まぁ、別に、そのへんの評価はどうでもいいのです。自分にとっては浜省は浜省だから。それでいいのです。
どの曲がどう、というのが特にあるわけではないです。音楽、詩、それぞれがどこかしら惹かれる、或いは引っ掛かるものを持っていて、それに捉えられてしまう、という感じかな。どの曲が、というより、このアルバム全体が惹くのかも知れません。だから "Best" アルバム、なのかな。
浜田省吾
SME Records SECL 502
実は、ヴィントガッセンを聞く裏で、久々に浜省なんぞ聞いていたのであります。それも、なんとも微妙なCD。
一般にね、浜省っていうと、「もうひとつの土曜日」とか「悲しみは雪のように」とか、懐かしいところでは「路地裏の少年」とか、そのへんだと思うんですよ。ところが、そういうのは全然入ってないBest盤。いや、実のところ、このBest盤、Vol.1 と Vol.2があって、その他にThe History of Hamada Shogo という、実はこちらの方が先に出たんだけど、まぁこの3つでワンセットみたいな雰囲気があってですね。で、先に挙げたよく知られた曲は3つ目のに入っている。
で、この"Best"のVol.2は、浜田省吾曰く「少年青年期の楽曲」なんだそうで、1975年から1986年にかけての楽曲から選ばれてます。いい曲揃いだけど、決して売れた曲揃いという訳ではありません。
正直、浜田省吾に格別思い入れがある訳ではないんですけどね。でもまぁ、数少ない「CDくらい買うJ-POP」の一つではあります。いや、J-POPって言い方は失礼だよなぁ。
そんなに日本のポップミュージックに詳しい訳ではないのだけれど、一応リアルタイムでの実感として、日本のポップミュージック、ロックのターニングポイントはやっぱりサザンオールスターズの登場だと思うのです。サザンが出て来て、ロックなるものがお茶の間で流れるものとしておかしくなくなった。今のJ-POPと呼ばれるもの、特にロック系は、何処かで必ずサザンに負ってるものがあるんじゃないかと思います。
でも、浜田省吾は、サザンより前に来て、フォークでもない、ニューミュージックでもない、さりとてハードでアンダーグラウンドでもない「ロック」をやって、今でもやり続けてる人、ではないかと思うのです。浜省の日本語は分かるし、ちゃんと日本語になってる。楽曲としてもそうなんだけど、何処となく清潔感があるのです。そういう意味では、彼の声自体も同様に清潔感があります。そのへんが、特に思い入れはないと言いながら、何故かCDを持っている理由なのです。
多分、ロック好きの人には、浜省はロックじゃない、とか言われるんじゃないかなという気がします。まぁ、別に、そのへんの評価はどうでもいいのです。自分にとっては浜省は浜省だから。それでいいのです。
どの曲がどう、というのが特にあるわけではないです。音楽、詩、それぞれがどこかしら惹かれる、或いは引っ掛かるものを持っていて、それに捉えられてしまう、という感じかな。どの曲が、というより、このアルバム全体が惹くのかも知れません。だから "Best" アルバム、なのかな。
2008/01/26のBlog
[ 01:19 ]
[ オペラ ]
Wolfgang Windgassen singt Wagner
(Rienzi, Tristan und Isolde, Siegfried, Goetterdaemmerung, Parsifal, Lohengrin, Tannhaeuser, Meistersinger)
Wolfgang Windgassen(tenor), etc.
Bamberg Symphoniker, Muenchener Philharmoniker, Radio-Symphonie-Orchester Berlin
Richard Kraus, Ferdinand Leitner, Leopold Ludwig (conduct)
Deutsche Grammophon 477 6543
私が辛うじて間に合ったと言えるヘルデン・テノールは、ルネ・コロくらいでした。
ワーグナーを歌うテノールは今でも居ますが、本当の意味で「ヘルデン・テノール」と言えるのは、コロくらいです。ジークフリート・イェルザレムには間に合わなかった。ペーター・ホフマンは、すっかりダメになってしまってから、何かで聞く機会があったけれど、かつて誇っていたであろう輝かしい声の片鱗を感じるのも難しい、という状態だった。
いや、そもそも、私は本当にヘルデン・テノールを聞いたことがあるのかさえ定かではない、というのが正確なのかも。
とは言え本当は、別段、ワーグナーのテノール役をやれるのは極々限られた人だけか、と言えば、必ずしもそうでもない。「指環」にしても、新国立劇場の「トーキョー・リング」とやらが何か凄いことのように言われるけれど、何、指環のツィクルスなら、二期会が20年くらいかけて、20年近く前に一度完結させてるのです。その完結させた「神々の黄昏」、その後再演成った「ラインの黄金」「ワルキューレ」と見る機会がありました。その頃の二期会は今の水増しとは違って、本当にやっとのことで年3公演くらいやるのが精一杯で、必ずしもレベルが高いとは言えなかったけれども、その分各公演の緊張感は半端じゃなかった。特に、ドイツ物命でやっていた二期会の「指環」に賭ける執念?は凄まじく、必ずしも「トーキョー・リング」なんてものにひけは取らなかった。演出を加えれば、私は二期会の方を取ります。今の二期会は嫌いだけれど、それはそれとして。
話が逸れましたが、つまりは、二期会でも、歌手だけはぱっとしない新国立劇場でも、一応「指環」にはなる。で、今時、それほど多大な期待は抱けないと知っているから、「このくらい」と思いながら聞いている。
先週、チェコのブルノ歌劇場の引っ越し公演で、「タンホイザー」を聞いたのですが、まぁ決して悪いテノールではない。一応歌えてる。でも、やっぱり声量不足と言うか、圧倒感が無いよね........でも、これは十分聞けるレベルだし、いいんじゃない?みたいなことを思う訳です。
そうすると。つい、昔の録音が聞きたくなってしまうのです。圧倒的な歌唱を、やっぱり求めているのです。
で、ついついこれを引っ張り出してきました。
ヴォルフガング・ヴィントガッセン。別にこの人が凄く好きという訳ではないけれど、戦後の早い時期のワーグナー歌いの一人であります。この場合そこが大事なわけで。つまり、「こないだ観たタンホイザーが不満だから埋め合わせたい」と思って聞く訳ではないのです。実際、この録音、タンホイザーは、第2幕の最初、エリザベートと久々に再会したところの二重唱しか入ってない。
不足は不足なのです。ただ、ここで欲しいのは、言ってみれば「ワーグナー濃度」なのですね。ワーグナー濃度が足りない。具体的にどうこうではなくて、もっと濃いのを身体が求めている、というところなのです。ヴィントガッセンについて、ワーグナー濃度は十分です。録音も、1950年代の古いモノラル録音ですが、音質は聞くに堪えるもので、この時期としては十分。
ヴィントガッセンは古いけれど、決して古臭くはありません。過度にロマンチックに陥らず、声は輝かしい。様式は抑えているけれど、決して「形式的」という意味での「様式的」ではない。それと、発音が綺麗。
この録音の中では、やはり元々好きな「ローエングリン」の名乗り、がやはりいいですね。決して武張った歌い方ではなく、あくまで柔らかく歌い進めて行って、最後は一点の曇りも無くその高貴なる生まれを高らかに名乗る.............一つの理想型でしょう。
いや、理想型だから、ということではないのです。そうではなくて、他にも歌い方はあるだろうけど、ただこの一曲のアリア(と言っていいのやら)だけで、ちゃんとそこにローエングリンがいて、舞台が目に浮かぶよう。軍装で正装したローエングリン、その周りを囲む人々、少し離れて項垂れるエルザ....... そんなものを見せてしまう、連想させる力が、ヴィントガッセンの歌にはあるのです。それがワーグナー濃度、と言う説明は不正確かも知れませんが、なんとなく分かって貰えるのではないかと。
勿論私はヴィントガッセンを生で聞いたことがありません。実際聞いたらどんなだったろうな、と思います。きっと凄かったんだろうな、と。それはもう敵わぬことなので、今の、聞ける演奏家の音楽を聞いている。そのことに不満を言っても詮無いことなのだけど、それはそれとして、聞きたくなってしまうものではあるのです。
ちなみにもう一曲挙げるとすれば、トリスタンとイゾルデの一節。ヴィントガッセンの、イゾルデの名を呼ぶ声の、なんと官能的な!
(Rienzi, Tristan und Isolde, Siegfried, Goetterdaemmerung, Parsifal, Lohengrin, Tannhaeuser, Meistersinger)
Wolfgang Windgassen(tenor), etc.
Bamberg Symphoniker, Muenchener Philharmoniker, Radio-Symphonie-Orchester Berlin
Richard Kraus, Ferdinand Leitner, Leopold Ludwig (conduct)
Deutsche Grammophon 477 6543
私が辛うじて間に合ったと言えるヘルデン・テノールは、ルネ・コロくらいでした。
ワーグナーを歌うテノールは今でも居ますが、本当の意味で「ヘルデン・テノール」と言えるのは、コロくらいです。ジークフリート・イェルザレムには間に合わなかった。ペーター・ホフマンは、すっかりダメになってしまってから、何かで聞く機会があったけれど、かつて誇っていたであろう輝かしい声の片鱗を感じるのも難しい、という状態だった。
いや、そもそも、私は本当にヘルデン・テノールを聞いたことがあるのかさえ定かではない、というのが正確なのかも。
とは言え本当は、別段、ワーグナーのテノール役をやれるのは極々限られた人だけか、と言えば、必ずしもそうでもない。「指環」にしても、新国立劇場の「トーキョー・リング」とやらが何か凄いことのように言われるけれど、何、指環のツィクルスなら、二期会が20年くらいかけて、20年近く前に一度完結させてるのです。その完結させた「神々の黄昏」、その後再演成った「ラインの黄金」「ワルキューレ」と見る機会がありました。その頃の二期会は今の水増しとは違って、本当にやっとのことで年3公演くらいやるのが精一杯で、必ずしもレベルが高いとは言えなかったけれども、その分各公演の緊張感は半端じゃなかった。特に、ドイツ物命でやっていた二期会の「指環」に賭ける執念?は凄まじく、必ずしも「トーキョー・リング」なんてものにひけは取らなかった。演出を加えれば、私は二期会の方を取ります。今の二期会は嫌いだけれど、それはそれとして。
話が逸れましたが、つまりは、二期会でも、歌手だけはぱっとしない新国立劇場でも、一応「指環」にはなる。で、今時、それほど多大な期待は抱けないと知っているから、「このくらい」と思いながら聞いている。
先週、チェコのブルノ歌劇場の引っ越し公演で、「タンホイザー」を聞いたのですが、まぁ決して悪いテノールではない。一応歌えてる。でも、やっぱり声量不足と言うか、圧倒感が無いよね........でも、これは十分聞けるレベルだし、いいんじゃない?みたいなことを思う訳です。
そうすると。つい、昔の録音が聞きたくなってしまうのです。圧倒的な歌唱を、やっぱり求めているのです。
で、ついついこれを引っ張り出してきました。
ヴォルフガング・ヴィントガッセン。別にこの人が凄く好きという訳ではないけれど、戦後の早い時期のワーグナー歌いの一人であります。この場合そこが大事なわけで。つまり、「こないだ観たタンホイザーが不満だから埋め合わせたい」と思って聞く訳ではないのです。実際、この録音、タンホイザーは、第2幕の最初、エリザベートと久々に再会したところの二重唱しか入ってない。
不足は不足なのです。ただ、ここで欲しいのは、言ってみれば「ワーグナー濃度」なのですね。ワーグナー濃度が足りない。具体的にどうこうではなくて、もっと濃いのを身体が求めている、というところなのです。ヴィントガッセンについて、ワーグナー濃度は十分です。録音も、1950年代の古いモノラル録音ですが、音質は聞くに堪えるもので、この時期としては十分。
ヴィントガッセンは古いけれど、決して古臭くはありません。過度にロマンチックに陥らず、声は輝かしい。様式は抑えているけれど、決して「形式的」という意味での「様式的」ではない。それと、発音が綺麗。
この録音の中では、やはり元々好きな「ローエングリン」の名乗り、がやはりいいですね。決して武張った歌い方ではなく、あくまで柔らかく歌い進めて行って、最後は一点の曇りも無くその高貴なる生まれを高らかに名乗る.............一つの理想型でしょう。
いや、理想型だから、ということではないのです。そうではなくて、他にも歌い方はあるだろうけど、ただこの一曲のアリア(と言っていいのやら)だけで、ちゃんとそこにローエングリンがいて、舞台が目に浮かぶよう。軍装で正装したローエングリン、その周りを囲む人々、少し離れて項垂れるエルザ....... そんなものを見せてしまう、連想させる力が、ヴィントガッセンの歌にはあるのです。それがワーグナー濃度、と言う説明は不正確かも知れませんが、なんとなく分かって貰えるのではないかと。
勿論私はヴィントガッセンを生で聞いたことがありません。実際聞いたらどんなだったろうな、と思います。きっと凄かったんだろうな、と。それはもう敵わぬことなので、今の、聞ける演奏家の音楽を聞いている。そのことに不満を言っても詮無いことなのだけど、それはそれとして、聞きたくなってしまうものではあるのです。
ちなみにもう一曲挙げるとすれば、トリスタンとイゾルデの一節。ヴィントガッセンの、イゾルデの名を呼ぶ声の、なんと官能的な!
2008/01/21のBlog
[ 02:00 ]
[ クラシック ]
J.S.Bach:Passionen-Oster-Oratorium-Kantaten
Oster-Oratorium BWV249, Magnificat BWV243, etc.
Elly Ameling, Hanneke van Bork(soprano), Helen Watts(alto), Werner Krenn(tenor), Tom Krause(bass)
Wiener Akademie Chor
Stuttgarter Kammerorchester
Karl Muenchinger(conduct) etc.
DECCA 476 170-8
週末、ほどほどにしようと思いながら、ついついコンサートに行ってしまうのがこの1、2年くらいの習性になっています。あんまりコンサートばかり行っていると、他のことが疎かになってしまうのはよく分かってるんですが。今年は少し控え目に......とか考えながら、ついつい定期演奏会とかもあって、立て込んでしまいます。
勿論楽しみとして聞いているので、別にどうってことはないのですが、何と言うのでしょう、一種音楽疲れ、聞き疲れしてしまうこともあります。音楽は好きだし、四六時中聞いていたいくらいではあるけれど、で、実際そんな風に聞いていたりするけれど、反動でいい加減に聞いたりすることもあります。いや、元々ながら聞きが多いので、そんな風な聞き方の方がメインなのかも知れないけれど。
聞かずに居ることも決して少なくはないのですが、気を入れずに、なんとなく聞いている、そんな時も存外あります。元々集中力のある方じゃないし。
で、今日は、失礼ながらこんなものを久々に聞き流していました。
マニフィカト。キリスト教の典礼で、晩課として用いられる一節です。そのラテン語の詩句にバッハが作曲したのが、BWV243のマニフィカト。華やかなシンフォニア風の序奏に導かれて、合唱が喜ばしげに"Magnificat"、「あがめます」と歌い出すのであります。ちなみに、この第一曲の歌詞は、"Magnificat anima mea Dominum"、「私の魂は主をあがめます」というもの。賑々しく祝祭的な音楽が付くのもなんとなく分かるような。ライプツィヒ時代の作らしいです。大方何か祝い事かイベントに際して作曲されたのではないかと。
とかいうことはまぁあるのですが、そういうことは今日はあまり考えてなくて、ぽーっと聞いていたのであります。なかなかに劇的な音楽で、聞いていて飽きないのではありますが、そういうこととは別に、ちょっと距離を置いて眺めるようにして聞くと、緩急短長の音楽の組み合わせの妙が、ここにもあるのに気が付きます。例えば管弦楽組曲や、幾つかの鍵盤楽器の為の組曲のように。
だからどう、というわけではないのですが、なんとなくそんな風に「意味」とは遠い世界で聞くことに、ちょっとした気晴らしみたいな気分を感じたりするのであります。
演奏はミュンヒンガー指揮、シュトゥットガルト室内管。エリー・アメリンクの名が見えます。実はコンピレーションもので、超廉価盤の三枚組。1枚目はマタイとマルコとヨハネの受難曲からの抜粋で、シュライヤーの指揮。これは2枚目で、復活祭オラトリオとカップリング。3枚目はカンタータの4番、6番、12番で、リヒターの指揮。バラバラなのです。なんでこれ買ったのか.....ミュンヒンガーのこの録音、復活祭オラトリオとマニフィカトが聞きたくて、で、実はこれの方が他のより安くて、これを買ったような。確か千円くらいで買ったんじゃ.....
けれど、そういうことは今は割とどうでもよくて、ただ、ああ、こんな音楽だったな、と思いながら聞いているのであります。
時間的には1日のクールダウンにどうぞ、てな話でしょうが、あまりクールダウン向きではなさそうです。でも、まぁ、今聞きたいのはこれなんだから、仕方無いか。まぁ、こういう曲であっても、バッハの場合、取り敢えず聞けてしまう、消化の良さみたいなところがありますね。それも随分な聞き方だなとは思いますが。
さぁ、もう寝よう。明日はまた仕事だ.......
Oster-Oratorium BWV249, Magnificat BWV243, etc.
Elly Ameling, Hanneke van Bork(soprano), Helen Watts(alto), Werner Krenn(tenor), Tom Krause(bass)
Wiener Akademie Chor
Stuttgarter Kammerorchester
Karl Muenchinger(conduct) etc.
DECCA 476 170-8
週末、ほどほどにしようと思いながら、ついついコンサートに行ってしまうのがこの1、2年くらいの習性になっています。あんまりコンサートばかり行っていると、他のことが疎かになってしまうのはよく分かってるんですが。今年は少し控え目に......とか考えながら、ついつい定期演奏会とかもあって、立て込んでしまいます。
勿論楽しみとして聞いているので、別にどうってことはないのですが、何と言うのでしょう、一種音楽疲れ、聞き疲れしてしまうこともあります。音楽は好きだし、四六時中聞いていたいくらいではあるけれど、で、実際そんな風に聞いていたりするけれど、反動でいい加減に聞いたりすることもあります。いや、元々ながら聞きが多いので、そんな風な聞き方の方がメインなのかも知れないけれど。
聞かずに居ることも決して少なくはないのですが、気を入れずに、なんとなく聞いている、そんな時も存外あります。元々集中力のある方じゃないし。
で、今日は、失礼ながらこんなものを久々に聞き流していました。
マニフィカト。キリスト教の典礼で、晩課として用いられる一節です。そのラテン語の詩句にバッハが作曲したのが、BWV243のマニフィカト。華やかなシンフォニア風の序奏に導かれて、合唱が喜ばしげに"Magnificat"、「あがめます」と歌い出すのであります。ちなみに、この第一曲の歌詞は、"Magnificat anima mea Dominum"、「私の魂は主をあがめます」というもの。賑々しく祝祭的な音楽が付くのもなんとなく分かるような。ライプツィヒ時代の作らしいです。大方何か祝い事かイベントに際して作曲されたのではないかと。
とかいうことはまぁあるのですが、そういうことは今日はあまり考えてなくて、ぽーっと聞いていたのであります。なかなかに劇的な音楽で、聞いていて飽きないのではありますが、そういうこととは別に、ちょっと距離を置いて眺めるようにして聞くと、緩急短長の音楽の組み合わせの妙が、ここにもあるのに気が付きます。例えば管弦楽組曲や、幾つかの鍵盤楽器の為の組曲のように。
だからどう、というわけではないのですが、なんとなくそんな風に「意味」とは遠い世界で聞くことに、ちょっとした気晴らしみたいな気分を感じたりするのであります。
演奏はミュンヒンガー指揮、シュトゥットガルト室内管。エリー・アメリンクの名が見えます。実はコンピレーションもので、超廉価盤の三枚組。1枚目はマタイとマルコとヨハネの受難曲からの抜粋で、シュライヤーの指揮。これは2枚目で、復活祭オラトリオとカップリング。3枚目はカンタータの4番、6番、12番で、リヒターの指揮。バラバラなのです。なんでこれ買ったのか.....ミュンヒンガーのこの録音、復活祭オラトリオとマニフィカトが聞きたくて、で、実はこれの方が他のより安くて、これを買ったような。確か千円くらいで買ったんじゃ.....
けれど、そういうことは今は割とどうでもよくて、ただ、ああ、こんな音楽だったな、と思いながら聞いているのであります。
時間的には1日のクールダウンにどうぞ、てな話でしょうが、あまりクールダウン向きではなさそうです。でも、まぁ、今聞きたいのはこれなんだから、仕方無いか。まぁ、こういう曲であっても、バッハの場合、取り敢えず聞けてしまう、消化の良さみたいなところがありますね。それも随分な聞き方だなとは思いますが。
さぁ、もう寝よう。明日はまた仕事だ.......
2008/01/20のBlog
[ 02:24 ]
[ クラシック ]
L.v.Beethoven : Symphony No.1 in C major op.21 / Symphony No.2 in D major op.36
Kammerorchesterbasel
Giovanni Antonini (conduct)
OEHMS CLASSICS OC605
こないだ旅行した時、機内エンターテイメントで聞いていた録音です。いや、えらい長時間のフライトになっちゃって、やることないし、寝られないしで....... で、聞いていたのですが、なかなか調子のいい演奏だったので、帰って来てから買ってしまいました。丁度セールで安かったし。
バーゼル室内管、というと、確かクリストファー・ホグウッドが関わってたなぁ、というくらいの知識しかありません。聞いたことも勿論無し。ホグウッド指揮のCDは聞いたことあるような。でも、印象にあまり残ってない。そんな感じです。
サイトで見たところ、1984年に結成されたとのことなので、まだ20年ちょっとの団体ですね。録音自体は、1番が2004年、2番が2005年です。
うわぁ、なんだこの元気な演奏。
これが、このCDを聞いてまず思ったこと。本当に、活きのいい演奏なのです。第1番の第1楽章、冒頭の和音からもう引き込まれます。ピリオド演奏がどうのとか、そういうこととはあまり関係なく、何はともあれ元気がいいのです。勿論、演奏としてはピリオド演奏の影響は感じられますし、打楽器のインパクトが相対的に大きいのは、明らかにピリオド演奏の影響でしょう。
でも、そういうことは確かにあるにせよ、何はともあれこの演奏、活気がある。
一つには、低音部の野蛮な元気の良さがあると思います。いや、本当に、ブーミーなくらいにコントラバスが響いて来るのです。確かにこれSACD(ハイブリッド)です。でも、SACDプレイヤーで聞くならともかく、車の中で聞いても、機内で聞いてもそのように聞こえるので、これは録音自体がそのように録られているのでしょう。
もう一つは、良くも悪くも、各楽器群が、弾いている様も含めて、異様によく聞こえるのです。これは悪くはないけど、賛否両論あると思います。オーケストラは溶け合って聞こえてなんぼではないのか?と。実際、私もどちらかというとその方が好きです。やたら「聞こえる」演奏は、決していいとは思わない。やたら躍動感ばかり強調される演奏ってのは如何なものか。
でも、やることをきちっとやれている上での躍動感なら、場合によってはいいかも知れません。この演奏が、その一例。それぞれがよく聞こえてしまうけれど、決してバラバラではない。躍動感が先に立つけれど、合ってない訳ではない。
最後に、テンポ。躍動感溢れる演奏のベースには、少々早めのテンポ設定があると思います。ハイドンの「疾風怒濤時代」を思わせるような感じ。決してせかせかとはしていません。颯爽とした演奏なのです。
勿論、冒頭に挙げたピリオド系の、メリハリがあり、スタッカート気味の非レガート奏法は、躍動感を高め、テンポ設定も上げ易くしている一因でしょう。
まぁそんなこんながありましてのこの演奏、面白いです。なんとなく7番を聞いてるような気になってきます。元気印の第1番、てところかな。聞き様によっては乱暴だし、こんながさつな演奏はいやだ!とばかりに評価は分かれるかも知れませんが、私としてはたまにはこういうのもいいかな。
勿論2番の方も面白い。第3楽章のスケルツォなんて、シンコペーションの暴れっぷりが見事であります。
Kammerorchesterbasel
Giovanni Antonini (conduct)
OEHMS CLASSICS OC605
こないだ旅行した時、機内エンターテイメントで聞いていた録音です。いや、えらい長時間のフライトになっちゃって、やることないし、寝られないしで....... で、聞いていたのですが、なかなか調子のいい演奏だったので、帰って来てから買ってしまいました。丁度セールで安かったし。
バーゼル室内管、というと、確かクリストファー・ホグウッドが関わってたなぁ、というくらいの知識しかありません。聞いたことも勿論無し。ホグウッド指揮のCDは聞いたことあるような。でも、印象にあまり残ってない。そんな感じです。
サイトで見たところ、1984年に結成されたとのことなので、まだ20年ちょっとの団体ですね。録音自体は、1番が2004年、2番が2005年です。
うわぁ、なんだこの元気な演奏。
これが、このCDを聞いてまず思ったこと。本当に、活きのいい演奏なのです。第1番の第1楽章、冒頭の和音からもう引き込まれます。ピリオド演奏がどうのとか、そういうこととはあまり関係なく、何はともあれ元気がいいのです。勿論、演奏としてはピリオド演奏の影響は感じられますし、打楽器のインパクトが相対的に大きいのは、明らかにピリオド演奏の影響でしょう。
でも、そういうことは確かにあるにせよ、何はともあれこの演奏、活気がある。
一つには、低音部の野蛮な元気の良さがあると思います。いや、本当に、ブーミーなくらいにコントラバスが響いて来るのです。確かにこれSACD(ハイブリッド)です。でも、SACDプレイヤーで聞くならともかく、車の中で聞いても、機内で聞いてもそのように聞こえるので、これは録音自体がそのように録られているのでしょう。
もう一つは、良くも悪くも、各楽器群が、弾いている様も含めて、異様によく聞こえるのです。これは悪くはないけど、賛否両論あると思います。オーケストラは溶け合って聞こえてなんぼではないのか?と。実際、私もどちらかというとその方が好きです。やたら「聞こえる」演奏は、決していいとは思わない。やたら躍動感ばかり強調される演奏ってのは如何なものか。
でも、やることをきちっとやれている上での躍動感なら、場合によってはいいかも知れません。この演奏が、その一例。それぞれがよく聞こえてしまうけれど、決してバラバラではない。躍動感が先に立つけれど、合ってない訳ではない。
最後に、テンポ。躍動感溢れる演奏のベースには、少々早めのテンポ設定があると思います。ハイドンの「疾風怒濤時代」を思わせるような感じ。決してせかせかとはしていません。颯爽とした演奏なのです。
勿論、冒頭に挙げたピリオド系の、メリハリがあり、スタッカート気味の非レガート奏法は、躍動感を高め、テンポ設定も上げ易くしている一因でしょう。
まぁそんなこんながありましてのこの演奏、面白いです。なんとなく7番を聞いてるような気になってきます。元気印の第1番、てところかな。聞き様によっては乱暴だし、こんながさつな演奏はいやだ!とばかりに評価は分かれるかも知れませんが、私としてはたまにはこういうのもいいかな。
勿論2番の方も面白い。第3楽章のスケルツォなんて、シンコペーションの暴れっぷりが見事であります。
2008/01/19のBlog
[ 02:11 ]
[ クラシック ]
J.Brahms : ein Deutsches Requiem op.45
Sandrine Piau (soprano), Stephane Degout (bariton)
Brigitte Engerer, Boris Berezovsky (piano)
Accentus
Laurence Equilbey (conduct)
Naive V4956
実は、ブラームスのドイツ・レクイエムはあまり好きではありません。ええ、我ながら結構苦手なものが多いのです(苦笑)
ドイツ・レクイエム、いい演奏に巡り会っていないのかも知れませんが、どうも生臭い感じがして厭なのです。ブラームスの音楽を考えれば別段不思議ではない、ある種の未解決の和声が、フルオーケストラで分厚く鳴らされるのが、非常にあざとく場違いに聞こえてしまうのです。
例えば、ヴェルディやフォーレの方が、より上手く、巧みに、そういう「不自然」な和声が響かないように書いています。ヴェルディのはブラームスよりより派手だけれど、その分音の分厚さを効果的に使っていますし、ある種の媚びたような音は鳴らさない。フォーレの場合、古い教会旋法を巧みに使っていて、その上にあの静謐な音楽を構築しているので、生臭さが入る余地がない。言い換えれば、そうした点では、どちらももっとあざとく振る舞っているということなんでしょうけど。でもまぁ、それがプロというものだから、ここはそのように音楽を書いた御両名の方が一枚上手、と言っていいのでしょう。
ああ見えて、ブラームスのオーケストレーションは結構華麗なのでしょう。渋いようで実は意外に華やかに響くのかも知れません。そのへんが、ドイツ・レクイエムでは「見えて」しまっているのではないかと。
まぁそんな風に思いつつ、だからドイツ・レクイエムは......と思っていたのですが、こんな録音があるのですね。
ロンドン版。要は、ピアノ二台編曲版、なのです。ブラームス自身の手になる編曲です。これがなかなかよいのです。フルオーケストラと違って、ピアノ二台ですから、幾ら和声をいじっても、音色は限られて来ます。音量も、なんだかんだ言ってピアノ二台ですから、フルオーケストラよりは大分こじんまり。和声は基本は変わりませんから、「う」と思うところはあるのですが、オーケストラの時ほどには違和感はありません。一方で、ピアノ二台というのがミソ。一台だけだと随分物足りなくなりそうですが、二台あると、シンプルな箇所は勿論、ある程度複雑に声部進行が交差するようなところでも、結構音楽を形作れています。
演奏者がこれまた。合唱はあのアクセントゥス。ローレンス・エクィルベイの指揮。ピアノが、ブリジット・エンゲラーとボリス・ベレゾフスキー。つまりはラ・フォル・ジュルネでお馴染みの面々ですが、それにしてもこの組み合わせでこの曲だと、アクセントゥスの実力が光ります。この演奏の落ち着きは、ピアノ版ということもありますが、美しい響きの合唱団の力によるところ大であろうと思います。
決してピアノ編曲版が代用ではなく、それ自体が十分完成した音楽になっている、というところが面白い。確かに聞いていると、「ああ、ここは元の楽譜そのままだな」と聞き取れる箇所も多いのですが、それ以上にこの編曲まとまりが良くて、結構聞けるのです。いや、オーケストラ抜きで聞くと、必要以上の装飾が削られて、むしろシンプルな合唱主体の曲のように聞こえて、これもまた面白いのではあります。
本当に、これは合唱を聴く為の音楽です。その期待にアクセントゥスも見事にこたえてくれます。
Sandrine Piau (soprano), Stephane Degout (bariton)
Brigitte Engerer, Boris Berezovsky (piano)
Accentus
Laurence Equilbey (conduct)
Naive V4956
実は、ブラームスのドイツ・レクイエムはあまり好きではありません。ええ、我ながら結構苦手なものが多いのです(苦笑)
ドイツ・レクイエム、いい演奏に巡り会っていないのかも知れませんが、どうも生臭い感じがして厭なのです。ブラームスの音楽を考えれば別段不思議ではない、ある種の未解決の和声が、フルオーケストラで分厚く鳴らされるのが、非常にあざとく場違いに聞こえてしまうのです。
例えば、ヴェルディやフォーレの方が、より上手く、巧みに、そういう「不自然」な和声が響かないように書いています。ヴェルディのはブラームスよりより派手だけれど、その分音の分厚さを効果的に使っていますし、ある種の媚びたような音は鳴らさない。フォーレの場合、古い教会旋法を巧みに使っていて、その上にあの静謐な音楽を構築しているので、生臭さが入る余地がない。言い換えれば、そうした点では、どちらももっとあざとく振る舞っているということなんでしょうけど。でもまぁ、それがプロというものだから、ここはそのように音楽を書いた御両名の方が一枚上手、と言っていいのでしょう。
ああ見えて、ブラームスのオーケストレーションは結構華麗なのでしょう。渋いようで実は意外に華やかに響くのかも知れません。そのへんが、ドイツ・レクイエムでは「見えて」しまっているのではないかと。
まぁそんな風に思いつつ、だからドイツ・レクイエムは......と思っていたのですが、こんな録音があるのですね。
ロンドン版。要は、ピアノ二台編曲版、なのです。ブラームス自身の手になる編曲です。これがなかなかよいのです。フルオーケストラと違って、ピアノ二台ですから、幾ら和声をいじっても、音色は限られて来ます。音量も、なんだかんだ言ってピアノ二台ですから、フルオーケストラよりは大分こじんまり。和声は基本は変わりませんから、「う」と思うところはあるのですが、オーケストラの時ほどには違和感はありません。一方で、ピアノ二台というのがミソ。一台だけだと随分物足りなくなりそうですが、二台あると、シンプルな箇所は勿論、ある程度複雑に声部進行が交差するようなところでも、結構音楽を形作れています。
演奏者がこれまた。合唱はあのアクセントゥス。ローレンス・エクィルベイの指揮。ピアノが、ブリジット・エンゲラーとボリス・ベレゾフスキー。つまりはラ・フォル・ジュルネでお馴染みの面々ですが、それにしてもこの組み合わせでこの曲だと、アクセントゥスの実力が光ります。この演奏の落ち着きは、ピアノ版ということもありますが、美しい響きの合唱団の力によるところ大であろうと思います。
決してピアノ編曲版が代用ではなく、それ自体が十分完成した音楽になっている、というところが面白い。確かに聞いていると、「ああ、ここは元の楽譜そのままだな」と聞き取れる箇所も多いのですが、それ以上にこの編曲まとまりが良くて、結構聞けるのです。いや、オーケストラ抜きで聞くと、必要以上の装飾が削られて、むしろシンプルな合唱主体の曲のように聞こえて、これもまた面白いのではあります。
本当に、これは合唱を聴く為の音楽です。その期待にアクセントゥスも見事にこたえてくれます。
2008/01/16のBlog
