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2008/03/10のBlog
[ 01:44 ]
[ 歌曲 ]
G.Mahler : Kindertotenlieder
R.Wagner : Wesendonck-Lieder
H.Wolf : In der Fruehe / Denk'es, o Seele! / Wo find'ich Trost
Waltraud Meier (mezzo-soprano)
Orchestra de Paris
Daniel Barenboim (conduct)
WarnerClassics (Elatus) 2564-60439 2
ワルトラウト・マイヤーは、去年バレンボイム率いるベルリン国立歌劇場の引っ越し公演で一緒に来日して、イゾルデを歌って行きました。それは行かなかったけれど、歌曲のリサイタルがあったのでそれには出掛けました。シューベルト、R=シュトラウス、ヴォルフだったかな?なかなかいい歌を聴かせてもらいました。どちらかと言うと、精緻な歌を聴かせるタイプじゃなさそうだし、イゾルデの方は一部ではあまり評判良くなかったとも聞きますが、「ライブでドイツ歌曲を聞く」という機会としてはかなりいいものを聞かせて貰った、という所でした。結構自分としては点が高かったのですが、まぁ、確かに、歌手としてのポテンシャルは高い人ですから。
そのマイヤーが、やはりバレンボイムと組んで、パリ管をバックに録音した歌曲集がこれです。実は、録音は1988年10月。もう20年前の話なんですね。でも、正直、それほど「古い録音」という気はしないのですが。全てオーケストラ伴奏で、マーラーの「子供の死の歌」、ワーグナーのヴェーゼンドンク・リーダー、それにヴォルフの管弦楽伴奏の歌曲3曲、という構成です。
マーラーの「子供の死の歌」、日本では以前から一般的には「亡き子を偲ぶ歌」と呼ばれてます。でも、原題は、Kindertotenlieder。実は直訳すると「子供の死の歌」なんですね。でも、日本人は優しいのでしょうね。あまりに直截的なこの題に耐えられず、「亡き子を偲ぶ歌」と誰かがしたのでしょう。決して内容的には間違っては居ないんですが。
この歌曲集は正直難しいのだと思います。あまりに感情が直接的に出ている感じがあって、題材とも相俟って、ちょっと近寄り難い感じがあります。近寄り難い、ってのも変ですが、距離を置きたくなってしまうのですね。いわゆる「引いてしまう」という奴です。マーラーの奥さんのアルマが、"自分の妻と子供が幸せそうに暮らしている側で、こんな恐ろしい不吉な歌曲を作曲出来るなんて" というようなことを言っています。実際、この曲が書かれた後で、この夫婦は子供を亡くしています。アルマという人、外野から見ていると決して好感を持てない人物ではあるのですが、この一件に関しては、気持ちは分かります。たとえ後付けの理屈だとしても、そりゃ一言言いたくなるでしょうね。
で、マイヤーはというと、感情をセーブして、あまり思い入れが強くならないようなアプローチで歌っています。まぁ、これが王道ではあるんですけどね。ただ、元々表現力の豊かなマイヤーの声ですから、よくセーブしてるな、と思います。いや、一部、抑えかねてるところもあるかな(笑)
正直言うと、そういう、セーブしなきゃいけない曲が多いんですけどね、このアルバムは。続いてのワーグナーのヴェーゼンドンク・リーダー。これも、5曲の歌曲からなる歌曲集ですが、別の意味で抑え気味の表現が求められる曲です。一部の曲では「トリスタンとイゾルデ」の呼び声が聞こえて来ます。実際、「トリスタン」の習作として書かれた曲もあるくらい。で、時には何とも言えない退廃的な雰囲気も漂う。そんな作品ですが、ここでもマイヤー、抑えながら、でも表現する所はきっちり表現してます、という歌唱で聞かせてくれます。
で、実は、ヴォルフもその系統の曲なんですけどね。マイヤー、抑えっぱなし(笑)最終曲、ちょっと走ってみた感もありますが、基本的な基調は変わりません。正直、今やワーグナーを歌うソプラノとしてはトップクラスの存在であるマイヤーの歌、としては、かなりイメージが違うかも。まぁ、別の言い方をすれば、そんなマイヤーにこういう歌曲を歌わせる贅沢、とも言えましょうか。
バレンボイム指揮のパリ管はどうか、というと、正直あまり印象が無い。マイヤーばっかり一生懸命聞いてるもんですから.......でも、足を引っ張るようなことは全くありません。きっと、いい伴奏なのでしょう。
R.Wagner : Wesendonck-Lieder
H.Wolf : In der Fruehe / Denk'es, o Seele! / Wo find'ich Trost
Waltraud Meier (mezzo-soprano)
Orchestra de Paris
Daniel Barenboim (conduct)
WarnerClassics (Elatus) 2564-60439 2
ワルトラウト・マイヤーは、去年バレンボイム率いるベルリン国立歌劇場の引っ越し公演で一緒に来日して、イゾルデを歌って行きました。それは行かなかったけれど、歌曲のリサイタルがあったのでそれには出掛けました。シューベルト、R=シュトラウス、ヴォルフだったかな?なかなかいい歌を聴かせてもらいました。どちらかと言うと、精緻な歌を聴かせるタイプじゃなさそうだし、イゾルデの方は一部ではあまり評判良くなかったとも聞きますが、「ライブでドイツ歌曲を聞く」という機会としてはかなりいいものを聞かせて貰った、という所でした。結構自分としては点が高かったのですが、まぁ、確かに、歌手としてのポテンシャルは高い人ですから。
そのマイヤーが、やはりバレンボイムと組んで、パリ管をバックに録音した歌曲集がこれです。実は、録音は1988年10月。もう20年前の話なんですね。でも、正直、それほど「古い録音」という気はしないのですが。全てオーケストラ伴奏で、マーラーの「子供の死の歌」、ワーグナーのヴェーゼンドンク・リーダー、それにヴォルフの管弦楽伴奏の歌曲3曲、という構成です。
マーラーの「子供の死の歌」、日本では以前から一般的には「亡き子を偲ぶ歌」と呼ばれてます。でも、原題は、Kindertotenlieder。実は直訳すると「子供の死の歌」なんですね。でも、日本人は優しいのでしょうね。あまりに直截的なこの題に耐えられず、「亡き子を偲ぶ歌」と誰かがしたのでしょう。決して内容的には間違っては居ないんですが。
この歌曲集は正直難しいのだと思います。あまりに感情が直接的に出ている感じがあって、題材とも相俟って、ちょっと近寄り難い感じがあります。近寄り難い、ってのも変ですが、距離を置きたくなってしまうのですね。いわゆる「引いてしまう」という奴です。マーラーの奥さんのアルマが、"自分の妻と子供が幸せそうに暮らしている側で、こんな恐ろしい不吉な歌曲を作曲出来るなんて" というようなことを言っています。実際、この曲が書かれた後で、この夫婦は子供を亡くしています。アルマという人、外野から見ていると決して好感を持てない人物ではあるのですが、この一件に関しては、気持ちは分かります。たとえ後付けの理屈だとしても、そりゃ一言言いたくなるでしょうね。
で、マイヤーはというと、感情をセーブして、あまり思い入れが強くならないようなアプローチで歌っています。まぁ、これが王道ではあるんですけどね。ただ、元々表現力の豊かなマイヤーの声ですから、よくセーブしてるな、と思います。いや、一部、抑えかねてるところもあるかな(笑)
正直言うと、そういう、セーブしなきゃいけない曲が多いんですけどね、このアルバムは。続いてのワーグナーのヴェーゼンドンク・リーダー。これも、5曲の歌曲からなる歌曲集ですが、別の意味で抑え気味の表現が求められる曲です。一部の曲では「トリスタンとイゾルデ」の呼び声が聞こえて来ます。実際、「トリスタン」の習作として書かれた曲もあるくらい。で、時には何とも言えない退廃的な雰囲気も漂う。そんな作品ですが、ここでもマイヤー、抑えながら、でも表現する所はきっちり表現してます、という歌唱で聞かせてくれます。
で、実は、ヴォルフもその系統の曲なんですけどね。マイヤー、抑えっぱなし(笑)最終曲、ちょっと走ってみた感もありますが、基本的な基調は変わりません。正直、今やワーグナーを歌うソプラノとしてはトップクラスの存在であるマイヤーの歌、としては、かなりイメージが違うかも。まぁ、別の言い方をすれば、そんなマイヤーにこういう歌曲を歌わせる贅沢、とも言えましょうか。
バレンボイム指揮のパリ管はどうか、というと、正直あまり印象が無い。マイヤーばっかり一生懸命聞いてるもんですから.......でも、足を引っ張るようなことは全くありません。きっと、いい伴奏なのでしょう。
2008/03/09のBlog
[ 01:30 ]
[ ジャズ ]
セロニアス・モンク・トリオ
セロニアス・モンク (piano)
ゲイリー・マップ, パーシー・ヒース (bass)
アート・ブレイキー, マックス・ローチ (drums)
Prestige/ユニバーサル クラシック&ジャズ UCCO-9057
日本盤のCDなのですが、ジャケットには「セロニアス・モンク」と表記されています。うーん、確かにそういう表記が一般的なの?でも、なんとなく、自分の中では「テロニアス」の表記がしっくり来るので、CDの表記についてだけ「セ」にして、残りは「テ」にしました。悪しからず。
テロニアス・モンクは、時々聞いてます。でも、そう熱心な聞き手というわけではありません。RIVERSIDEへの録音は結構聞いているのですが、何故かPRESTIGEへの録音はあまり聞いていないのです。まぁ、傾向的には、RIVERSIDEへの録音の方が、割合にスクェアな印象があって、そのへんが影響してるのかも知れません。単なる巡り合わせという話もあるけど。
このアルバムも最近入手したもの。某ショップの閉店セールで拾ってきました。あううう、ごめんよぉ、そんなのばっかりで.......
録音は1952年から54年にかけてですので、結構古いのです。まぁ、モダンジャズなんてどれも古いと言えば古いのではありますが。正直シャビーな録音状況ではあります。演奏は、それとは別に面白いのですが.......... テロニアス・モンクを「難解」とか、「一般的でない」というように仰る方が居られるようなのですね、世の中には。正直、RIVERSIDEの録音から入った私にはよく分からないのですが、これを聞いていると、ああ、そういう人は、この辺の録音から聞いたのかな、とかつい思ってしまうのです。
と言っても、そんなに「難しい」訳ではないと思うのです。ただ、ファンキーだったり、ホンキイトンクだったり、聞き様によっては分かり易いのですが、時々妙に調子っぱずれだったりするのです。それが、ジャズらしくないというか、シュールに響いたりするのです、これが。
別段理屈っぽい訳でもないし、凄くアクロバティックなことをする訳でもない。ただ、少しだけ「ズラす」感じなんでしょうかね、これは。その少しの「ズレ」が特別なテイストを感じさせるというのか......
いや、元々ブルーノートだって、通常の和声進行から少しだけズラして生まれたものではあるんだけど、そこからもう一歩ズラしてみました、というのがテロニアス・モンクなのかな、という気がするのです。そんなに難しいことはしてないと思うんですけどね。でも、そのへんがやっぱりモンクの良さの依って来たる所なのかな。
セロニアス・モンク (piano)
ゲイリー・マップ, パーシー・ヒース (bass)
アート・ブレイキー, マックス・ローチ (drums)
Prestige/ユニバーサル クラシック&ジャズ UCCO-9057
日本盤のCDなのですが、ジャケットには「セロニアス・モンク」と表記されています。うーん、確かにそういう表記が一般的なの?でも、なんとなく、自分の中では「テロニアス」の表記がしっくり来るので、CDの表記についてだけ「セ」にして、残りは「テ」にしました。悪しからず。
テロニアス・モンクは、時々聞いてます。でも、そう熱心な聞き手というわけではありません。RIVERSIDEへの録音は結構聞いているのですが、何故かPRESTIGEへの録音はあまり聞いていないのです。まぁ、傾向的には、RIVERSIDEへの録音の方が、割合にスクェアな印象があって、そのへんが影響してるのかも知れません。単なる巡り合わせという話もあるけど。
このアルバムも最近入手したもの。某ショップの閉店セールで拾ってきました。あううう、ごめんよぉ、そんなのばっかりで.......
録音は1952年から54年にかけてですので、結構古いのです。まぁ、モダンジャズなんてどれも古いと言えば古いのではありますが。正直シャビーな録音状況ではあります。演奏は、それとは別に面白いのですが.......... テロニアス・モンクを「難解」とか、「一般的でない」というように仰る方が居られるようなのですね、世の中には。正直、RIVERSIDEの録音から入った私にはよく分からないのですが、これを聞いていると、ああ、そういう人は、この辺の録音から聞いたのかな、とかつい思ってしまうのです。
と言っても、そんなに「難しい」訳ではないと思うのです。ただ、ファンキーだったり、ホンキイトンクだったり、聞き様によっては分かり易いのですが、時々妙に調子っぱずれだったりするのです。それが、ジャズらしくないというか、シュールに響いたりするのです、これが。
別段理屈っぽい訳でもないし、凄くアクロバティックなことをする訳でもない。ただ、少しだけ「ズラす」感じなんでしょうかね、これは。その少しの「ズレ」が特別なテイストを感じさせるというのか......
いや、元々ブルーノートだって、通常の和声進行から少しだけズラして生まれたものではあるんだけど、そこからもう一歩ズラしてみました、というのがテロニアス・モンクなのかな、という気がするのです。そんなに難しいことはしてないと思うんですけどね。でも、そのへんがやっぱりモンクの良さの依って来たる所なのかな。
2008/03/03のBlog
[ 23:46 ]
[ クラシック ]
L.v.ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調 op.53 "ワルトシュタイン" / 第27番 ホ短調 op.90 / 第32番 ハ短調 op.111
ブルーノ=レオナルド・ゲルバー (piano)
DENON COCQ-84053
Doblogのアクセスの内、かなりの数はやはりロボット、それもくだらんレス付けの為なのでしょうねぇ、と、しつこいゴミコメントに辟易している今日この頃であります。今月には新機能導入で対策強化の見通しのようですが、果たして?
さて、気を取り直して。
昨日も出掛けつつも、いろいろ聞いていました。何を書こうかな、と考えた結果、わりと代わり映えしないものを取り上げることにしました。すみませんねぇ.....
実は、この録音は、一部取り上げたことがあります。というか、被ってるんですよね。
前回のエントリーはこちら。
この時取り上げたのは、DENONのクレスト1000シリーズで出された、再発のコンピレーション物。なので、"テンペスト" "ワルトシュタイン" "告別" と、名前入り有名曲が3曲揃い踏みしています。今回取り上げるのは、その後買ったゲルバーのソナタ集としての再発シリーズ。なので、選曲が違います。第21番"ワルトシュタイン"、第27番op.90、そして第32番op.111。
結構思い入れのある内容のライナーによると、ゲルバーは1995年までに19曲を録音して、以後、ストップしている状態のようです。ゲルバー自身の問題もあったようですし、やはりバブル経済後のDENONレーベルの経営の苦しさもあったのでしょう。確かに、ゲルバーの演奏はいいものなので、「全集完結が望まれる」ところであります。
このCDでの目当ては、やはりop.111。この曲、例によって好きなので、どうしても聞きたくなってしまうのです。このブログでも、この曲として4回目のエントリーのようです。実は内心(まだそれだけか....)とか思ってるんですが。
で、どうか?
実は前回のエントリーで、「線が細い訳じゃないけど、でも繊細」とか、評価が難しいとか、そんなこと書いてます。うん、なんとなく分かるような気がします。
敢えて言えば、思いの外安定感が感じられないピアニスト、なんですよね。線が細いとか、不安定とか、そういう感じではないのだけど、どことなく、聞いていて「あれ?大丈夫?」と思わせるところがあるのです。不思議なんですよね。こういうのもエキセントリックと言うのかな。どうもそういうのとも違うのだけど。
多分、普段聞こえないものが聞こえるんじゃないかと思うのです。例えば、トリルなんだけど、トリルがそれぞれの音として聞こえる、というような感じ。よく言えばしっかり弾いている。疎かにしないから、ちゃんと音が聞こえている。聞く側がアバウトに聞いていると、気が付かず「こんな感じ」で流しているところをきっちりやっている、ということかも知れませんが.....
本当に、別段変なことをやってるわけではないんですよ。テンポだって特別遅い訳でないし。
演奏としては、音楽的には、聞きたくなる、という意味でも十分魅力的です。op.111の演奏としての評価は、まぁベストではないですね。私はもう少しどっしりしたのが好き。でも、このゲルバーの録音は、それはそれとして、ピアノ演奏として何か惹かれるものがあります。
好き嫌いのレベルで言えば、意外と面白いのはop.90かも知れません。聞く側の楽しみという点ではこちらの方が楽しめるやも。元々ベートーヴェンのソナタの中でも、やや異色に近い扱われ方をしている曲で、前後の作品との連関性もあまりなくて、規模もやや小規模と、忘れられる可能性あり、という曲ですが、やや変わった光の当たり方がこの曲では面白い方に作用しているのでしょう。
ゲルバーが録音し残している作品には、op.109 と op.110 も入ってます。聞いてみたいなぁ、確かに.....
ブルーノ=レオナルド・ゲルバー (piano)
DENON COCQ-84053
Doblogのアクセスの内、かなりの数はやはりロボット、それもくだらんレス付けの為なのでしょうねぇ、と、しつこいゴミコメントに辟易している今日この頃であります。今月には新機能導入で対策強化の見通しのようですが、果たして?
さて、気を取り直して。
昨日も出掛けつつも、いろいろ聞いていました。何を書こうかな、と考えた結果、わりと代わり映えしないものを取り上げることにしました。すみませんねぇ.....
実は、この録音は、一部取り上げたことがあります。というか、被ってるんですよね。
前回のエントリーはこちら。
この時取り上げたのは、DENONのクレスト1000シリーズで出された、再発のコンピレーション物。なので、"テンペスト" "ワルトシュタイン" "告別" と、名前入り有名曲が3曲揃い踏みしています。今回取り上げるのは、その後買ったゲルバーのソナタ集としての再発シリーズ。なので、選曲が違います。第21番"ワルトシュタイン"、第27番op.90、そして第32番op.111。
結構思い入れのある内容のライナーによると、ゲルバーは1995年までに19曲を録音して、以後、ストップしている状態のようです。ゲルバー自身の問題もあったようですし、やはりバブル経済後のDENONレーベルの経営の苦しさもあったのでしょう。確かに、ゲルバーの演奏はいいものなので、「全集完結が望まれる」ところであります。
このCDでの目当ては、やはりop.111。この曲、例によって好きなので、どうしても聞きたくなってしまうのです。このブログでも、この曲として4回目のエントリーのようです。実は内心(まだそれだけか....)とか思ってるんですが。
で、どうか?
実は前回のエントリーで、「線が細い訳じゃないけど、でも繊細」とか、評価が難しいとか、そんなこと書いてます。うん、なんとなく分かるような気がします。
敢えて言えば、思いの外安定感が感じられないピアニスト、なんですよね。線が細いとか、不安定とか、そういう感じではないのだけど、どことなく、聞いていて「あれ?大丈夫?」と思わせるところがあるのです。不思議なんですよね。こういうのもエキセントリックと言うのかな。どうもそういうのとも違うのだけど。
多分、普段聞こえないものが聞こえるんじゃないかと思うのです。例えば、トリルなんだけど、トリルがそれぞれの音として聞こえる、というような感じ。よく言えばしっかり弾いている。疎かにしないから、ちゃんと音が聞こえている。聞く側がアバウトに聞いていると、気が付かず「こんな感じ」で流しているところをきっちりやっている、ということかも知れませんが.....
本当に、別段変なことをやってるわけではないんですよ。テンポだって特別遅い訳でないし。
演奏としては、音楽的には、聞きたくなる、という意味でも十分魅力的です。op.111の演奏としての評価は、まぁベストではないですね。私はもう少しどっしりしたのが好き。でも、このゲルバーの録音は、それはそれとして、ピアノ演奏として何か惹かれるものがあります。
好き嫌いのレベルで言えば、意外と面白いのはop.90かも知れません。聞く側の楽しみという点ではこちらの方が楽しめるやも。元々ベートーヴェンのソナタの中でも、やや異色に近い扱われ方をしている曲で、前後の作品との連関性もあまりなくて、規模もやや小規模と、忘れられる可能性あり、という曲ですが、やや変わった光の当たり方がこの曲では面白い方に作用しているのでしょう。
ゲルバーが録音し残している作品には、op.109 と op.110 も入ってます。聞いてみたいなぁ、確かに.....
2008/03/02のBlog
[ 00:08 ]
[ クラシック ]
L.v.Beethoven : Symphony No.9 in D minor, op.125 "Choral"
Susan Gritton (sopran)
Wendy Dawn Thompson (alto)
Timothy Robinson (tenor)
Matthew Rose (bass)
BBC National Orchestra and Chorus of Wales
Francois-Xavier Roth (conduct)
BBC Music Vol.16 No. 7
BBC、英国の国営放送局ですが、ここは幾つかFM放送のチャンネルを持っていて、そのうちの1つがほぼクラシック専門のチャンネルです。そんな関係で、この放送局は"BBC Music" という月刊誌も出しています。日本でもCD量販店で買えますし、個人で直接購読も出来ます。
この"BBC Music"、日本で買うと千円ちょっとなのですが、毎号CDが付録に付いてきます。BBCはオーケストラも複数持っていて(BBC交響楽団、管弦楽団、BBCウェールズ管、BBCスコットランド管、まだあったかな?)、そうしたオケやリサイタルなど、放送用やそうでないものの演奏を録音したものが付いて来るのです。数多い演奏の中から選ばれているので、まぁ、質もそう悪くない。
で、最新号に付いて来たのがこれ。ベートーヴェンの第九。演奏は、フランソワ=クサヴィエ・ロス指揮、BBCウェールズ・ナショナル管及び合唱。独唱者はあまり知りませんが、テノールのティモシー・ロビンソンは英国で見掛ける名前ですね。この曲が付録で付いて来るのはあったかな?購読して5年ですが、知る限り初めてかも。というわけで早速聞いてみました。
うひゃー、なんだこりゃ。速い速い。2007年10月20日、スワンジー音楽祭(ウェールズですね)でのライブ録音だそうですが、59分足らずです。確か、CD
のオリジナルの収録時間規格が64分になったのは、カラヤンが「第九を一枚に収めたい」と言ったから、という話がありましたが、カラヤンの演奏って結構速いですよ。それを、ライブで1時間足らず。これは凄い。曲間をある程度省いているにせよ、ねぇ。
実は、第4楽章の合唱に入ると、それほど極端ではありません。それまでが速いのですね。特に第3楽章!この楽章の、諦念の情を感じさせる静謐さ、アダージョ・モルト・エ・カンタービレが好き、という人は少なくないと思いますが、ここが結構速い。一部繰り返しも省いてるのか、と思うほどで、なんと第3楽章に11分しか掛かってないのです、普通は20分、とは言わないけど、15分以上は掛かってると思うのですが。とはいえ、何度か聞いていると、それほどまでに不自然とは感じなくなって来るのも事実ではありますが。
ライナーを読むと、御本人にも十分自覚はあるようで、ベートーヴェンが本当に望んでいたものをスコアを再検討し、残された手紙なども照らして研究した、その結果......"When I did this, the results could be quite radical." だそうです。quiteかい、と思ってしまうのではあります。
まぁ、テンポの面を除くと、めちゃめちゃ奇を衒ってるとかいうことも無いのではありますが、しかし、そうは言っても、テンポだけで十分........(苦笑) いや、ピリオド演奏みたいな、奏法面での過激さが感じられない分だけ、これは余計にラジカルに感じるかも知れないですね。良し悪しとは別に、色々観ずる所ある演奏です。
まぁ、再検討して「ベートーヴェンが本当に望んだもの」って時点で、十分ピリオド思想ですけどね。
しかし、実際の所、ベートーヴェンが本当にイメージしてたのって、どんな演奏なんでしょうね。勿論死人に口無し、しかも聴力を失って随分になる人のことですから、分かる訳もないので、それだけにイジられちゃう余地があるという、考えてみりゃ気の毒な話ですな.....
あ、フランソワ=クサヴァー・ロス、今度のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンで来日します。マーラーの「大地の歌」を振るようです。行ってみようか.....
Susan Gritton (sopran)
Wendy Dawn Thompson (alto)
Timothy Robinson (tenor)
Matthew Rose (bass)
BBC National Orchestra and Chorus of Wales
Francois-Xavier Roth (conduct)
BBC Music Vol.16 No. 7
BBC、英国の国営放送局ですが、ここは幾つかFM放送のチャンネルを持っていて、そのうちの1つがほぼクラシック専門のチャンネルです。そんな関係で、この放送局は"BBC Music" という月刊誌も出しています。日本でもCD量販店で買えますし、個人で直接購読も出来ます。
この"BBC Music"、日本で買うと千円ちょっとなのですが、毎号CDが付録に付いてきます。BBCはオーケストラも複数持っていて(BBC交響楽団、管弦楽団、BBCウェールズ管、BBCスコットランド管、まだあったかな?)、そうしたオケやリサイタルなど、放送用やそうでないものの演奏を録音したものが付いて来るのです。数多い演奏の中から選ばれているので、まぁ、質もそう悪くない。
で、最新号に付いて来たのがこれ。ベートーヴェンの第九。演奏は、フランソワ=クサヴィエ・ロス指揮、BBCウェールズ・ナショナル管及び合唱。独唱者はあまり知りませんが、テノールのティモシー・ロビンソンは英国で見掛ける名前ですね。この曲が付録で付いて来るのはあったかな?購読して5年ですが、知る限り初めてかも。というわけで早速聞いてみました。
うひゃー、なんだこりゃ。速い速い。2007年10月20日、スワンジー音楽祭(ウェールズですね)でのライブ録音だそうですが、59分足らずです。確か、CD
のオリジナルの収録時間規格が64分になったのは、カラヤンが「第九を一枚に収めたい」と言ったから、という話がありましたが、カラヤンの演奏って結構速いですよ。それを、ライブで1時間足らず。これは凄い。曲間をある程度省いているにせよ、ねぇ。
実は、第4楽章の合唱に入ると、それほど極端ではありません。それまでが速いのですね。特に第3楽章!この楽章の、諦念の情を感じさせる静謐さ、アダージョ・モルト・エ・カンタービレが好き、という人は少なくないと思いますが、ここが結構速い。一部繰り返しも省いてるのか、と思うほどで、なんと第3楽章に11分しか掛かってないのです、普通は20分、とは言わないけど、15分以上は掛かってると思うのですが。とはいえ、何度か聞いていると、それほどまでに不自然とは感じなくなって来るのも事実ではありますが。
ライナーを読むと、御本人にも十分自覚はあるようで、ベートーヴェンが本当に望んでいたものをスコアを再検討し、残された手紙なども照らして研究した、その結果......"When I did this, the results could be quite radical." だそうです。quiteかい、と思ってしまうのではあります。
まぁ、テンポの面を除くと、めちゃめちゃ奇を衒ってるとかいうことも無いのではありますが、しかし、そうは言っても、テンポだけで十分........(苦笑) いや、ピリオド演奏みたいな、奏法面での過激さが感じられない分だけ、これは余計にラジカルに感じるかも知れないですね。良し悪しとは別に、色々観ずる所ある演奏です。
まぁ、再検討して「ベートーヴェンが本当に望んだもの」って時点で、十分ピリオド思想ですけどね。
しかし、実際の所、ベートーヴェンが本当にイメージしてたのって、どんな演奏なんでしょうね。勿論死人に口無し、しかも聴力を失って随分になる人のことですから、分かる訳もないので、それだけにイジられちゃう余地があるという、考えてみりゃ気の毒な話ですな.....
あ、フランソワ=クサヴァー・ロス、今度のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンで来日します。マーラーの「大地の歌」を振るようです。行ってみようか.....
2008/03/01のBlog
[ 01:55 ]
[ クラシック ]
"POPS CAVIAR" - Russian Orchestral Fireworks
(Borodin:In the Steppes of Central Asia, "Prince Igor" Overture & Polovtsian Dance / Rimsky-Korsakov:Russian Easter Ouverture, The flight of the Bumblebee / Khachaturian:Gayne, Galop from Masquerade Suite / Tchaikovsky:Eugene Onegin:Polonaise / Waltz for The Sleeping Beauty)
Boston Pops Orchestra
Arther Fiedler (conduct)
RCA/BMG 09026-68132-2
アーサー・フィードラー指揮、ボストン・ポップス。往年の名コンビ、という奴ですね。といっても勿論私はリアルタイムでは知りません。このCDの録音も、1950年代ですから。
このコンビの録音は、しかし、結構聞いています。何度も書きました、LP時代末期の当時のRVC、今で言うBMGジャパンに相当するのですが、そこが出していたRCAなどの録音の廉価LPのシリーズにこのコンビの演奏が多数あったのです。
とはいえ、そこはボストン・ポップス。「本格的」な内容のはあまりなくて、ルロイ・アンダーソン物(「シンコペイテッド・クロック」とか、「そり滑り」とか、そんなんですね)と、オペレッタ序曲集みたいなのとか(スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲、とか。ちなみに、私はこの「軽騎兵」というオペラ、舞台はおろか録音でも聞いたことないのですが)、そんなLPだったのですね。
まぁ、それに比べると、もうちょっと気合いは入っていそうですが、基本的には同じ系統の録音です。なにせアルバム名が"POPS CAVIAR" ですからね。正直、「ダッタン人の踊り」とか聞いていると、あ、低音が弱いな、とかつい気になってしまいます。仕方無いだろうと思うんですけどね。だって、結局「ポップス・オーケストラ」ですから、どうしても聞き易いものをと考えるでしょうし、ここで最大限重量級の音を追求するのは目的じゃない、てなところなのでしょうか。
確かに「ポップス」なのですから、それはそれで間違いではないのです。このところ「ダッタン人の踊り」は何度か生演奏で聞いたりしていますが、それはそれとして、気軽に聞く分にはこういうのも悪くない。ちなみに副題は"RUSSIAN ORCHESTRAL FIREWORKS"。ロシア管弦楽の花火、なんだそうです。
曲目数もそうですが、時間的にも、ボロディンのウェイトが高いです。「中央アジアの高原にて」と、「イーゴリ公」序曲とダッタン人の踊り。まぁ、ボロディンでよく聞かれるのは、この3曲を除くと、後は交響曲第2番くらいですが、いずれも私は好きなので、結構嬉しい。
その他にも、「ああ、あれ」とすぐ思い当たる曲が入って、「ロシア管弦楽曲集」の面目躍如といった所でしょうか。難しく考えずに聞くのにいい選曲です。加えて、言ってみれば屈託の無い明るさみたいなものが、気楽にさらっと聞ける音楽に仕上げています。
そういうのもたまにはいいものなのです。
(Borodin:In the Steppes of Central Asia, "Prince Igor" Overture & Polovtsian Dance / Rimsky-Korsakov:Russian Easter Ouverture, The flight of the Bumblebee / Khachaturian:Gayne, Galop from Masquerade Suite / Tchaikovsky:Eugene Onegin:Polonaise / Waltz for The Sleeping Beauty)
Boston Pops Orchestra
Arther Fiedler (conduct)
RCA/BMG 09026-68132-2
アーサー・フィードラー指揮、ボストン・ポップス。往年の名コンビ、という奴ですね。といっても勿論私はリアルタイムでは知りません。このCDの録音も、1950年代ですから。
このコンビの録音は、しかし、結構聞いています。何度も書きました、LP時代末期の当時のRVC、今で言うBMGジャパンに相当するのですが、そこが出していたRCAなどの録音の廉価LPのシリーズにこのコンビの演奏が多数あったのです。
とはいえ、そこはボストン・ポップス。「本格的」な内容のはあまりなくて、ルロイ・アンダーソン物(「シンコペイテッド・クロック」とか、「そり滑り」とか、そんなんですね)と、オペレッタ序曲集みたいなのとか(スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲、とか。ちなみに、私はこの「軽騎兵」というオペラ、舞台はおろか録音でも聞いたことないのですが)、そんなLPだったのですね。
まぁ、それに比べると、もうちょっと気合いは入っていそうですが、基本的には同じ系統の録音です。なにせアルバム名が"POPS CAVIAR" ですからね。正直、「ダッタン人の踊り」とか聞いていると、あ、低音が弱いな、とかつい気になってしまいます。仕方無いだろうと思うんですけどね。だって、結局「ポップス・オーケストラ」ですから、どうしても聞き易いものをと考えるでしょうし、ここで最大限重量級の音を追求するのは目的じゃない、てなところなのでしょうか。
確かに「ポップス」なのですから、それはそれで間違いではないのです。このところ「ダッタン人の踊り」は何度か生演奏で聞いたりしていますが、それはそれとして、気軽に聞く分にはこういうのも悪くない。ちなみに副題は"RUSSIAN ORCHESTRAL FIREWORKS"。ロシア管弦楽の花火、なんだそうです。
曲目数もそうですが、時間的にも、ボロディンのウェイトが高いです。「中央アジアの高原にて」と、「イーゴリ公」序曲とダッタン人の踊り。まぁ、ボロディンでよく聞かれるのは、この3曲を除くと、後は交響曲第2番くらいですが、いずれも私は好きなので、結構嬉しい。
その他にも、「ああ、あれ」とすぐ思い当たる曲が入って、「ロシア管弦楽曲集」の面目躍如といった所でしょうか。難しく考えずに聞くのにいい選曲です。加えて、言ってみれば屈託の無い明るさみたいなものが、気楽にさらっと聞ける音楽に仕上げています。
そういうのもたまにはいいものなのです。
2008/02/26のBlog
[ 02:08 ]
[ クラシック ]
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GREAT CHAMBER MUSIC
Various Artists
AURA/DOCUMENTS 224074
ゴミコメント対策で、ダミー記事を設定しました。今、一時的にコメントを開放してますが、これで効果が上がるようであれば、この対応で暫く行ってみようと思います。最終的にどうなるかまではなんとも......
閑話休題。
この間書いた超怪しげ廉価盤の続きであります。このセットの紹介は、前回の2/18付記事を見て頂くとして、今回はもう1枚御紹介。ハイ。スメタナSQの登場です。
まず何よりも嬉しいのは、前回同様、このスメタナSQの録音も、音質が大変宜しいこと。いや、なかなかこうは行かないですよ。これもスイス・イタリア語放送の録音で、1979年と1982年のもの。流石にこの辺の年代の放送用録音は音質が上等。格別聞き苦しいなんてことはありません。ここに収められているのは3曲、ハイドンの弦楽四重奏曲第39番、シューベルトの弦楽四重奏曲第10番 D.87、及び第14番 D.810 "死と乙女"。なかなかに盛り沢山です。
この3曲で言うと、やはりよく知られているのは最後の"死と乙女"でしょう。それに比べると前段は退屈か......なんてことは無いのでして、むしろハイドンやシューベルトの若い時の作品が結構面白い。
ハイドンは、時々耳にすることがあるのですが、ハ長調というベタな調性のわりに表情が色々に変わって、なかなか面白い曲です。全体にアレグロ色の強い楽曲で、なかなか元気よく跳ね回ってる感じですね。
こういう、なんというか、機嫌のいい作品、というのは、ハイドンには時々ある独特の快活さに溢れていて、それを活かしたスメタナ四重奏団の演奏もよく合っています。
次のシューベルトは、D.87でありながら、既に堂々たる作品。聞いていても退屈しません。古典的な形式で一貫して書かれながら、決してスマートでは無いにせよ、古典的な枠を越えた、ロマン派的な音色など聞かせていて、これはこれで面白い。黙って聞いていると、意外とハイドンやモーツァルトに行き着いたりするものですから。
「死と乙女」は........まぁ、想像通りということで。
スメタナSQは、勿論問題ありません。いい出来です。
GREAT CHAMBER MUSIC
Various Artists
AURA/DOCUMENTS 224074
ゴミコメント対策で、ダミー記事を設定しました。今、一時的にコメントを開放してますが、これで効果が上がるようであれば、この対応で暫く行ってみようと思います。最終的にどうなるかまではなんとも......
閑話休題。
この間書いた超怪しげ廉価盤の続きであります。このセットの紹介は、前回の2/18付記事を見て頂くとして、今回はもう1枚御紹介。ハイ。スメタナSQの登場です。
まず何よりも嬉しいのは、前回同様、このスメタナSQの録音も、音質が大変宜しいこと。いや、なかなかこうは行かないですよ。これもスイス・イタリア語放送の録音で、1979年と1982年のもの。流石にこの辺の年代の放送用録音は音質が上等。格別聞き苦しいなんてことはありません。ここに収められているのは3曲、ハイドンの弦楽四重奏曲第39番、シューベルトの弦楽四重奏曲第10番 D.87、及び第14番 D.810 "死と乙女"。なかなかに盛り沢山です。
この3曲で言うと、やはりよく知られているのは最後の"死と乙女"でしょう。それに比べると前段は退屈か......なんてことは無いのでして、むしろハイドンやシューベルトの若い時の作品が結構面白い。
ハイドンは、時々耳にすることがあるのですが、ハ長調というベタな調性のわりに表情が色々に変わって、なかなか面白い曲です。全体にアレグロ色の強い楽曲で、なかなか元気よく跳ね回ってる感じですね。
こういう、なんというか、機嫌のいい作品、というのは、ハイドンには時々ある独特の快活さに溢れていて、それを活かしたスメタナ四重奏団の演奏もよく合っています。
次のシューベルトは、D.87でありながら、既に堂々たる作品。聞いていても退屈しません。古典的な形式で一貫して書かれながら、決してスマートでは無いにせよ、古典的な枠を越えた、ロマン派的な音色など聞かせていて、これはこれで面白い。黙って聞いていると、意外とハイドンやモーツァルトに行き着いたりするものですから。
「死と乙女」は........まぁ、想像通りということで。
スメタナSQは、勿論問題ありません。いい出来です。
2008/02/23のBlog
[ 02:33 ]
[ オペラ ]
プッチーニ:ラ・ボエーム
レナータ・テバルデイ / カルロ・ベルゴンツィ / エットーレ・バスティアニーニ / チェーザレ・シエピ / フェルナンド・コレナ
ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団
トゥリオ・セラフィン (conductor)
Decca F00L-20558/9
今日は週末だし、軽いものでも聞こうと思い立ちました。で、車に積んで出たのがこのCDであります。
..........いや、ボエームは、軽いっすよ。プッチーニ、十分軽いっすよ........
パヴァロッティとフレーニが歌う、カラヤン盤が「新・名盤」とするなら、こちらはいわば「旧・名盤」。とにかく面子が洒落にならないくらい凄いのです。ミミにテバルディ、ロドルフォにベルゴンツィ、マルチェッロにバスティアニーニ。既にこの時点で凄いのですが、コルリーネにシエピ、ブノアにフェルナンド・コレナ。曲目間違えてます。これはヴェルディ、それも重量級の「運命の力」の配役表だろ、といったところ。実際、これにシミオナートを入れれば成立しますからね。唯一名前負けするのは、ムゼッタ役のジャンナ・ダンジェロですが、これもなかなかいいソプラノ。そしてパルピニョールに名傍役ピエロ・デ・パルマ。
サンタ・チェチーリアに、指揮がトゥリオ・セラフィン。これだけ集めれば何やったって注目すべきですが、それがボエームだというのだから、もう何と言ったらいいか......
敢えて難を言えば、ベルゴンツィがややヒロイックに過ぎるのが微苦笑を誘ってしまう、というところでしょうか。いや、デル・モナコに比べればよほど.....という話ではありますけど、それにしても。だって、第1幕の「エウレカ!」(わかった!)の意味無く無駄にかっこいいことといったら.....幾ら「ローマの危機」(部屋が寒い)の為に「世界の為には大きな損害」(自分の書いた売れてない戯曲の原稿を燃やして暖を取る)を甘受する、って重大事だとはいえ........ね...........最終幕だって結構なもんですし。
まぁ、言い出せばキリはないので、テバルディだって聞く分にはとてもいいけれど、ミミにはちょっと合わないし。それを言い出したら、バスティアニーニの似合わなさ加減、というより勿体無さ加減は如何なものか。なので、そこはまぁ概ね不問に付して、声の響宴を楽しむのであります。
セラフィンの指揮はさすがの一言に尽きます。「こうして欲しい所に来る」という、文句無しのごく自然な音楽の流れ。当然のようによく歌っているのです。
もう一つは、この録音、とても丁寧なのです。歌い終わりも流してしまわない。きちんと最後まで。こういう録音は最近はそう多くない。第2幕、ムゼッタのワルツみたいな歌でさえ、きちんと最後まで歌い切る、丁寧さ。高く評価する所以であります。
まぁ色々立ちいった話はありますが、結論から言えば、やはり録音もいいのだけど、曲として楽しめるんですよね、ボエームは。聞き始めれば、つい最後まで聞いてしまうのです。これだけ入り乱れていい歌手が揃えば、何処から聞いても楽しめてしまう、となるのであります。
レナータ・テバルデイ / カルロ・ベルゴンツィ / エットーレ・バスティアニーニ / チェーザレ・シエピ / フェルナンド・コレナ
ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団
トゥリオ・セラフィン (conductor)
Decca F00L-20558/9
今日は週末だし、軽いものでも聞こうと思い立ちました。で、車に積んで出たのがこのCDであります。
..........いや、ボエームは、軽いっすよ。プッチーニ、十分軽いっすよ........
パヴァロッティとフレーニが歌う、カラヤン盤が「新・名盤」とするなら、こちらはいわば「旧・名盤」。とにかく面子が洒落にならないくらい凄いのです。ミミにテバルディ、ロドルフォにベルゴンツィ、マルチェッロにバスティアニーニ。既にこの時点で凄いのですが、コルリーネにシエピ、ブノアにフェルナンド・コレナ。曲目間違えてます。これはヴェルディ、それも重量級の「運命の力」の配役表だろ、といったところ。実際、これにシミオナートを入れれば成立しますからね。唯一名前負けするのは、ムゼッタ役のジャンナ・ダンジェロですが、これもなかなかいいソプラノ。そしてパルピニョールに名傍役ピエロ・デ・パルマ。
サンタ・チェチーリアに、指揮がトゥリオ・セラフィン。これだけ集めれば何やったって注目すべきですが、それがボエームだというのだから、もう何と言ったらいいか......
敢えて難を言えば、ベルゴンツィがややヒロイックに過ぎるのが微苦笑を誘ってしまう、というところでしょうか。いや、デル・モナコに比べればよほど.....という話ではありますけど、それにしても。だって、第1幕の「エウレカ!」(わかった!)の意味無く無駄にかっこいいことといったら.....幾ら「ローマの危機」(部屋が寒い)の為に「世界の為には大きな損害」(自分の書いた売れてない戯曲の原稿を燃やして暖を取る)を甘受する、って重大事だとはいえ........ね...........最終幕だって結構なもんですし。
まぁ、言い出せばキリはないので、テバルディだって聞く分にはとてもいいけれど、ミミにはちょっと合わないし。それを言い出したら、バスティアニーニの似合わなさ加減、というより勿体無さ加減は如何なものか。なので、そこはまぁ概ね不問に付して、声の響宴を楽しむのであります。
セラフィンの指揮はさすがの一言に尽きます。「こうして欲しい所に来る」という、文句無しのごく自然な音楽の流れ。当然のようによく歌っているのです。
もう一つは、この録音、とても丁寧なのです。歌い終わりも流してしまわない。きちんと最後まで。こういう録音は最近はそう多くない。第2幕、ムゼッタのワルツみたいな歌でさえ、きちんと最後まで歌い切る、丁寧さ。高く評価する所以であります。
まぁ色々立ちいった話はありますが、結論から言えば、やはり録音もいいのだけど、曲として楽しめるんですよね、ボエームは。聞き始めれば、つい最後まで聞いてしまうのです。これだけ入り乱れていい歌手が揃えば、何処から聞いても楽しめてしまう、となるのであります。
2008/02/19のBlog
[ 00:37 ]
[ クラシック ]
GREAT CHAMBER MUSIC
Various Artists
AURA/DOCUMENTS 224074
今日は怪しげド廉価盤であります。最近、2,000円を切る値段で出回っている、10枚組のシリーズです。Membran Music というところが出している、DOCUMENTS という箱物。「ああ、あれね。やたら古い著作権の切れた録音とか集めて出してるとこでしょ?」ハイ、その通りです。え?あんなとこのCDなんて、ですって?ええ、まぁ、私もそう思ってたんですが......
これまた一部で有名な怪しげ廉価盤レーベルで、AURAというのがあります。ここは、スイス・イタリア語放送局の持つ音源をCD化しているレーベルです。これもとっても怪しげなのですが、今日取り上げるのは、この怪しげレーベルコンビによる室内楽10枚組。いや、私も最初手に取った時は、「まーた怪しげなもん出してんなこのレーベルは....」と思ったのですが、結構内容がいいのです。
スイス・イタリア語放送の録音は、確かにそれなりにいい録音があったりするのですが、その中でも結構粒揃い。一番古いので1953年、最新は1982年。それに別系統の録音で1992年というのが入っています。50年代は10枚中2枚なので、音質もそれほど悪くは無さそうです。
演奏家がこれまたなかなかで、ミルシュタイン、フルニエ、グリュミオー&ハスキル、今日取り上げるイタリアSQ、ジュリアードSQ、ウィーン八重奏団、スメタナSQ、ランパル、シェリングなどが名を連ねます。最後にはマリオ・ブルネッロの名前も見えます。
10枚組でこれだけ聞けて2,000円しないのだから、御の字と言うべきでしょう。
今日聞いたのは、イタリア四重奏団の演奏。モーツァルトの弦楽四重奏第15番ニ短調 K.421、ドヴォルザークの第12番「アメリカ」、それにラヴェルの弦楽四重奏。1968年の録音です。
前述の通り、音はそれほど悪くない。気にせず十分楽しめるレベルです(これ、やっぱり大事なことですよ)。他の録音だと、「まぁ聞ける」レベルのもありますが、この録音だと単に「聞ける」だけでなく、結構細かい所、音色や響きもきちんとしたレベルの出来映えなので、全く普通に楽しめます。
しかし、イタリア四重奏団も芸達者です。通常のコンサートでも、これほど性格の違う3つの作品を同じプログラムに載せることは殆ど無いと思うのですが、それをやって見事に弾き分けているのですから。
モーツァルトは、ハイドン・セットの一曲にして、数少ない短調の曲。陰翳のある、けれど何処か闊達さも兼ね備えている、古典派なのだけれど何処か後年のロマン派の音楽を垣間見るような気にさせる音楽です。イタリア四重奏団は過剰に表現に走ることなく、過不足ない演奏を聞かせてくれます。第3楽章の短調のメヌエットが実に見事。
その後にドヴォルザークの「アメリカ」。これはもう曲自体は言うことはありませんが、演奏もモーツァルトとは打って変わって、抑えていたものが放たれた感じ。決して放埒なのではなくて、縦横無尽に表現力を駆使している、といった感じでしょうか。なかなかに思い切って弾けています。こういう元気のよさが「アメリカ」の身上でしょう。
そして、最後にラヴェル。ラヴェルは、イタリア四重奏団には録音もあるのですが、その録音と負けずとも劣らぬ洒脱さを備えた、健康的な演奏を聞かせてくれます。
そう、この録音で聞けるイタリア四重奏団は、陽の光を受けているような感じなのです。なんだか妙な言い方ですが、健康的なんですね。決して単純だとかいうことではなくて、ただ、立派で、弾けるような新鮮さ、闊達さがあるのです。
全部が全部いい演奏ばかりではないんだろうと思うのですが、この1枚が入ってるだけでも、十分「当たり」です、このCD。いや、他にもまだ聞いてない演奏がどんなもんか、楽しみが増えました。
Various Artists
AURA/DOCUMENTS 224074
今日は怪しげド廉価盤であります。最近、2,000円を切る値段で出回っている、10枚組のシリーズです。Membran Music というところが出している、DOCUMENTS という箱物。「ああ、あれね。やたら古い著作権の切れた録音とか集めて出してるとこでしょ?」ハイ、その通りです。え?あんなとこのCDなんて、ですって?ええ、まぁ、私もそう思ってたんですが......
これまた一部で有名な怪しげ廉価盤レーベルで、AURAというのがあります。ここは、スイス・イタリア語放送局の持つ音源をCD化しているレーベルです。これもとっても怪しげなのですが、今日取り上げるのは、この怪しげレーベルコンビによる室内楽10枚組。いや、私も最初手に取った時は、「まーた怪しげなもん出してんなこのレーベルは....」と思ったのですが、結構内容がいいのです。
スイス・イタリア語放送の録音は、確かにそれなりにいい録音があったりするのですが、その中でも結構粒揃い。一番古いので1953年、最新は1982年。それに別系統の録音で1992年というのが入っています。50年代は10枚中2枚なので、音質もそれほど悪くは無さそうです。
演奏家がこれまたなかなかで、ミルシュタイン、フルニエ、グリュミオー&ハスキル、今日取り上げるイタリアSQ、ジュリアードSQ、ウィーン八重奏団、スメタナSQ、ランパル、シェリングなどが名を連ねます。最後にはマリオ・ブルネッロの名前も見えます。
10枚組でこれだけ聞けて2,000円しないのだから、御の字と言うべきでしょう。
今日聞いたのは、イタリア四重奏団の演奏。モーツァルトの弦楽四重奏第15番ニ短調 K.421、ドヴォルザークの第12番「アメリカ」、それにラヴェルの弦楽四重奏。1968年の録音です。
前述の通り、音はそれほど悪くない。気にせず十分楽しめるレベルです(これ、やっぱり大事なことですよ)。他の録音だと、「まぁ聞ける」レベルのもありますが、この録音だと単に「聞ける」だけでなく、結構細かい所、音色や響きもきちんとしたレベルの出来映えなので、全く普通に楽しめます。
しかし、イタリア四重奏団も芸達者です。通常のコンサートでも、これほど性格の違う3つの作品を同じプログラムに載せることは殆ど無いと思うのですが、それをやって見事に弾き分けているのですから。
モーツァルトは、ハイドン・セットの一曲にして、数少ない短調の曲。陰翳のある、けれど何処か闊達さも兼ね備えている、古典派なのだけれど何処か後年のロマン派の音楽を垣間見るような気にさせる音楽です。イタリア四重奏団は過剰に表現に走ることなく、過不足ない演奏を聞かせてくれます。第3楽章の短調のメヌエットが実に見事。
その後にドヴォルザークの「アメリカ」。これはもう曲自体は言うことはありませんが、演奏もモーツァルトとは打って変わって、抑えていたものが放たれた感じ。決して放埒なのではなくて、縦横無尽に表現力を駆使している、といった感じでしょうか。なかなかに思い切って弾けています。こういう元気のよさが「アメリカ」の身上でしょう。
そして、最後にラヴェル。ラヴェルは、イタリア四重奏団には録音もあるのですが、その録音と負けずとも劣らぬ洒脱さを備えた、健康的な演奏を聞かせてくれます。
そう、この録音で聞けるイタリア四重奏団は、陽の光を受けているような感じなのです。なんだか妙な言い方ですが、健康的なんですね。決して単純だとかいうことではなくて、ただ、立派で、弾けるような新鮮さ、闊達さがあるのです。
全部が全部いい演奏ばかりではないんだろうと思うのですが、この1枚が入ってるだけでも、十分「当たり」です、このCD。いや、他にもまだ聞いてない演奏がどんなもんか、楽しみが増えました。
2008/02/18のBlog
[ 00:34 ]
[ クラシック ]
D.Scarlatti : 12 sonatas (K.162 / 322 / 27 / 96 / 394 / 17 / 420 / 518 / 519 / 208 / 427 / 491)
Andras Schiff (piano)
HUNGAROTON Classic HCD11806
久々に、スカルラッティのソナタを聴いています。
スカルラッティのソナタも、随分いろんな人の録音を持ってますが、今日は、若き日のアンドラーシュ・シフの録音。1975年、シフの母国・ハンガリーのフンガロトンへ入れたものです。
シフというピアニストへの評価は、今どんな感じなんでしょうか。ここ数年は目立った新しい録音がありませんが、1990年代にはデッカへのバッハやシューベルトの録音を完成させて、押しも押されぬ大ピアニスト、という風格がありました。
今年、日本に来るんですよね。以前何度か聞いたことはありますが、やはり何度でも聞いてみたいピアニストの一人です。
シフのピアノは、何処かに清潔感を漂わせている印象があります。選曲からしてそうなのかも知れません。私の知る限り、シフはロマン派以降の作品をあまり弾いていないようです。バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト。ここまでかな。歌曲の伴奏とかで、シューマンを弾くシフ、というのはイメージ出来るのですが、例えばクライスレリアーナを弾くシフ、というのはちょっと...... シフもショパンくらい弾いてると思うのですが、やはりイメージじゃないですね。
別にロマン派の音楽が汚いと言ってる訳ではなくて、ただ、ああした音楽に共通して求められるある種の資質、敢えて極端に言ってみれば卑俗で下品なものをそのように、かつ魅力的に描く、という点で、良くも悪くも向いてないのではないかな、という気がします。やって出来ないことは無いだろうけど、彼の音楽性はそこに向いていない、そんな感じじゃないでしょうか。
実は、ドメニコ・スカルラッティのソナタは、バッハと同じバロック期の音楽でありながら、そうしたロマン派の作品に通ずる部分があるような気がします。モーツァルトの幾つかの曲にも見られるのだけど、俗っぽいけれど楽しい、その楽しさが先に立つ、そんな感じがあるのです。ただ、スカルラッティやモーツァルトでは、その俗っぽさがまだロマン派ほどに直截的でなく、様式的な殻を纏っている。その殻故に崩れて行かずに止まっている。
まだ若い頃故、ということはあるのかも知れませんが、ここでスカルラッティを弾くシフは、武装を解いているという感じがします。「武装」というのもこれまた妙ですが、自然なのかどうかは分からないけど、構えた感じがしないのですね。
言い換えると、バッハなどを弾いている時のシフは、何処か気を抜けない感じがあるのです。緊張感というほどではないし、不自然な訳でもないのだけれど、いつのまにか集中力を費やして聞いている、というような。それだけの演奏だからこそ、ということではあるのですが、それにしても。
シフの弾くスカルラッティには、そういう感じがあまりないのですね。まだ若いから、ということはあるかも知れないけれど、珍しく知情意の情が前に出て来てるような。
知情意、という言い方で言えば、一般には音楽の場合、知情意の情に重きがあって、知は一番軽い、という風があるように思います。シフの場合、一般的にはこのバランスが上手く取れている。でも、それは、結果的に情が一般より低く、知が重いということになるのかも。
そのシフが珍しく情を出している。そういうシフが意外で面白いのです。
Andras Schiff (piano)
HUNGAROTON Classic HCD11806
久々に、スカルラッティのソナタを聴いています。
スカルラッティのソナタも、随分いろんな人の録音を持ってますが、今日は、若き日のアンドラーシュ・シフの録音。1975年、シフの母国・ハンガリーのフンガロトンへ入れたものです。
シフというピアニストへの評価は、今どんな感じなんでしょうか。ここ数年は目立った新しい録音がありませんが、1990年代にはデッカへのバッハやシューベルトの録音を完成させて、押しも押されぬ大ピアニスト、という風格がありました。
今年、日本に来るんですよね。以前何度か聞いたことはありますが、やはり何度でも聞いてみたいピアニストの一人です。
シフのピアノは、何処かに清潔感を漂わせている印象があります。選曲からしてそうなのかも知れません。私の知る限り、シフはロマン派以降の作品をあまり弾いていないようです。バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト。ここまでかな。歌曲の伴奏とかで、シューマンを弾くシフ、というのはイメージ出来るのですが、例えばクライスレリアーナを弾くシフ、というのはちょっと...... シフもショパンくらい弾いてると思うのですが、やはりイメージじゃないですね。
別にロマン派の音楽が汚いと言ってる訳ではなくて、ただ、ああした音楽に共通して求められるある種の資質、敢えて極端に言ってみれば卑俗で下品なものをそのように、かつ魅力的に描く、という点で、良くも悪くも向いてないのではないかな、という気がします。やって出来ないことは無いだろうけど、彼の音楽性はそこに向いていない、そんな感じじゃないでしょうか。
実は、ドメニコ・スカルラッティのソナタは、バッハと同じバロック期の音楽でありながら、そうしたロマン派の作品に通ずる部分があるような気がします。モーツァルトの幾つかの曲にも見られるのだけど、俗っぽいけれど楽しい、その楽しさが先に立つ、そんな感じがあるのです。ただ、スカルラッティやモーツァルトでは、その俗っぽさがまだロマン派ほどに直截的でなく、様式的な殻を纏っている。その殻故に崩れて行かずに止まっている。
まだ若い頃故、ということはあるのかも知れませんが、ここでスカルラッティを弾くシフは、武装を解いているという感じがします。「武装」というのもこれまた妙ですが、自然なのかどうかは分からないけど、構えた感じがしないのですね。
言い換えると、バッハなどを弾いている時のシフは、何処か気を抜けない感じがあるのです。緊張感というほどではないし、不自然な訳でもないのだけれど、いつのまにか集中力を費やして聞いている、というような。それだけの演奏だからこそ、ということではあるのですが、それにしても。
シフの弾くスカルラッティには、そういう感じがあまりないのですね。まだ若いから、ということはあるかも知れないけれど、珍しく知情意の情が前に出て来てるような。
知情意、という言い方で言えば、一般には音楽の場合、知情意の情に重きがあって、知は一番軽い、という風があるように思います。シフの場合、一般的にはこのバランスが上手く取れている。でも、それは、結果的に情が一般より低く、知が重いということになるのかも。
そのシフが珍しく情を出している。そういうシフが意外で面白いのです。
2008/02/17のBlog
[ 01:58 ]
[ クラシック ]
Schoenberg・Berg・Webern
(Webern : Passacaglia op.1 / Five Movements op.5 / Six Pieces for Orchestra op.6 / Symphony op.21)
Berliner Philharmoniker
Herbert von Karajan (conductor)
Deutsche Grammphon 427 424-2
今年は生誕100年ということで色々と企画物のCDが出ているカラヤンですが、正直、結構色々持ってしまっています。あれだけ色々録音した人だけあって、結構引っ張り出してみたらあらこれもカラヤン、みたいなことが意外とあります。
これもその一つ。ちょっとウェーベルンでも聞こうか、と思って探したらこれがありました。この手の曲では、シノーポリがドレスデンと録音していたシリーズがあったので、そちらの方が新しいのではありますが、このカラヤン盤も古典的演奏で、かつ面白い。
いわゆる新ウィーン楽派、シェーンベルク・ベルク・ウェーベルンの管弦楽曲を3枚に収めたものです。1972年から1974年にかけての録音。
カラヤン/ベルリン・フィルの演奏は、やはり「いい演奏」であります。別の言い方をすると、らしくないんですね。不協和音を奏している筈なのに、何処か調和しているものを感じてしまう。新ウィーン楽派の音楽が元々持っていた筈の異形性みたいなものが、もう一つ出て来ないと言えば出て来ない。「音楽的」になってしまっているんですね。
でも、本当は存外そういうものではないのかな、という気もしなくはないのです。妙に異形であることを強調するのも、本来は少しヘンではあるし。無調から12音技法へと駒を進めて行った人達ではありますが、マーラーに非常な親近感を持ち、更に遡ればバッハの作品を編曲するなど、全く既存の音楽と違う所から来た音楽という訳でもないのですから。
今回聞いたのはウェーベルンの作品。ウェーベルンは、この3人の中でも最も先鋭的な音楽を書いた人かも知れません。若い頃の作品で「夏風の中で」というのがありますが、これなどは、せいぜいちょっと毛色が変わった程度の後期ロマン派の作品、といった感じです(それはそれで面白いのですが)。ところが、ここに収録されている「パッサカリア」では徐々に無調音楽の方へ進むと共に、奏法、表現が段々独特の風合いを帯びてきます。次第に、調性どころか旋律と呼べるものすら失われて行き、最後は作品の短さ以上に極端に音符の少ない、点描音楽と言いたくなるような作品になっていきます。この録音の最後に「交響曲」というのが収録されていますが、これなど、一体どのように「交響曲」になっているのやら?という作品。大体が、弦楽四重奏に、管4本とハープ、という編成ですから。
でも、それはそれとして、確かに面白いんですよね。まとまった「音楽」を期待すると厳しいのですが。
自分の場合、ウェーベルンあたりの音楽は、一種の「環境」「状況」を造り出すもの、というように受け取ってます。旋律とか、和声とか、そうしたものの連関を読み取ろうとすると、どうしても無理が来てしまう。そうではなくて、ウェーベルンが布石した音符達が造り出す「状況」に身を置いてみる、という聞き方をするようになってきました。やはり、理解するのが難しいと思うのです。というより、「理解する」という作業がそもそも不適切なんではないかな、と。シェーンベルク - 実はあまり好きではないのですが - やベルクの場合、「理解する」というのがまだ可能だと思うのですが、ウェーベルンは抽象度がやはりずっと高いような気がします。
カラヤン/ベルリン・フィルの演奏は、それを承知で、抽象的なのはそのままに、そこで紡がれる音が、とても受け取り易いように演奏されているのだと思うのです。それをいい演奏と言っていいのか悪いのか、よく分かりませんが、取り敢えずはウェーベルンを聞く上で、この演奏は比較的取っ付き易いものではないかな、と思います。
(Webern : Passacaglia op.1 / Five Movements op.5 / Six Pieces for Orchestra op.6 / Symphony op.21)
Berliner Philharmoniker
Herbert von Karajan (conductor)
Deutsche Grammphon 427 424-2
今年は生誕100年ということで色々と企画物のCDが出ているカラヤンですが、正直、結構色々持ってしまっています。あれだけ色々録音した人だけあって、結構引っ張り出してみたらあらこれもカラヤン、みたいなことが意外とあります。
これもその一つ。ちょっとウェーベルンでも聞こうか、と思って探したらこれがありました。この手の曲では、シノーポリがドレスデンと録音していたシリーズがあったので、そちらの方が新しいのではありますが、このカラヤン盤も古典的演奏で、かつ面白い。
いわゆる新ウィーン楽派、シェーンベルク・ベルク・ウェーベルンの管弦楽曲を3枚に収めたものです。1972年から1974年にかけての録音。
カラヤン/ベルリン・フィルの演奏は、やはり「いい演奏」であります。別の言い方をすると、らしくないんですね。不協和音を奏している筈なのに、何処か調和しているものを感じてしまう。新ウィーン楽派の音楽が元々持っていた筈の異形性みたいなものが、もう一つ出て来ないと言えば出て来ない。「音楽的」になってしまっているんですね。
でも、本当は存外そういうものではないのかな、という気もしなくはないのです。妙に異形であることを強調するのも、本来は少しヘンではあるし。無調から12音技法へと駒を進めて行った人達ではありますが、マーラーに非常な親近感を持ち、更に遡ればバッハの作品を編曲するなど、全く既存の音楽と違う所から来た音楽という訳でもないのですから。
今回聞いたのはウェーベルンの作品。ウェーベルンは、この3人の中でも最も先鋭的な音楽を書いた人かも知れません。若い頃の作品で「夏風の中で」というのがありますが、これなどは、せいぜいちょっと毛色が変わった程度の後期ロマン派の作品、といった感じです(それはそれで面白いのですが)。ところが、ここに収録されている「パッサカリア」では徐々に無調音楽の方へ進むと共に、奏法、表現が段々独特の風合いを帯びてきます。次第に、調性どころか旋律と呼べるものすら失われて行き、最後は作品の短さ以上に極端に音符の少ない、点描音楽と言いたくなるような作品になっていきます。この録音の最後に「交響曲」というのが収録されていますが、これなど、一体どのように「交響曲」になっているのやら?という作品。大体が、弦楽四重奏に、管4本とハープ、という編成ですから。
でも、それはそれとして、確かに面白いんですよね。まとまった「音楽」を期待すると厳しいのですが。
自分の場合、ウェーベルンあたりの音楽は、一種の「環境」「状況」を造り出すもの、というように受け取ってます。旋律とか、和声とか、そうしたものの連関を読み取ろうとすると、どうしても無理が来てしまう。そうではなくて、ウェーベルンが布石した音符達が造り出す「状況」に身を置いてみる、という聞き方をするようになってきました。やはり、理解するのが難しいと思うのです。というより、「理解する」という作業がそもそも不適切なんではないかな、と。シェーンベルク - 実はあまり好きではないのですが - やベルクの場合、「理解する」というのがまだ可能だと思うのですが、ウェーベルンは抽象度がやはりずっと高いような気がします。
カラヤン/ベルリン・フィルの演奏は、それを承知で、抽象的なのはそのままに、そこで紡がれる音が、とても受け取り易いように演奏されているのだと思うのです。それをいい演奏と言っていいのか悪いのか、よく分かりませんが、取り敢えずはウェーベルンを聞く上で、この演奏は比較的取っ付き易いものではないかな、と思います。
2008/02/16のBlog
[ 09:28 ]
[ ラ・フォル・ジュルネ ]
F.Schubert : Piano Sonata in B flat D.960 / Lieder (Viola D.786, Der Winterabend D.938, Abschied von der Erde (melodrama) D.829)
Leif Ove Andsnes (piano)
Ian Bostridge (tenor)
EMI 7243 5 57901 2 5
我ながら呆れてしまうのですが、この曲、これまでに3度も取り上げているのです。つい一ヶ月前にはベルマンの演奏を取り上げ、それ以前にはデーラー、ブレンデルを取り上げてきました。まぁ、好きな曲で、かつ稀代の名曲なので、どうしようもないです。
で、懲りずに再度取り上げるのです。まぁ、シューベルトを語る上で、この曲はどうしたって外せません。
シューベルトの作品の多くは、作品番号を持っていません。でもそれだと、一体どの作品がどんなものだか、整理がつかなくてよく分からないので、後世の学者が番号を付けています。バッハのBWV、モーツァルトのケッヒェル番号(K)、ハイドンのホーボーケン番号、などなど、同様のケースは少なくありません。
シューベルトの場合は、ドイッチュという学者が番号を振りました。なので、ドイッチュ番号と呼ばれます。Dの後に番号が付いています。作品の書かれた時期の順に番号が振られています。これはモーツァルトのケッヒェル番号と同じ方式です。ケッヒェルの方は620番くらいで終わっていますが、ドイッチュの方は960番台まで付いています。もうちょいで大台だったのに.......
ドイッチュ番号で950番あたりは、ですので、最晩年の作品群、ということになります。その中でも956番以降は至玉の傑作群、なんてことをつい言いたくなってしまいます。まぁそれも正直無理は無いのでして、D.956は弦楽五重奏曲(分かる人には分かる大変な作品)、D.957が歌曲集「白鳥の歌」、そしてD.958、959、960 がシューベルトの最後の3大ソナタ。生前は作曲家としては決していい扱いではなく、むしろ素人同然の扱いだったシューベルトですが、この5つの作品の内どれか一つだけでも、十分歴史に名を残せるというくらいの作品です。
D.960は最後のピアノソナタ。事実上恐らく最後の器楽曲作品と言われています。全部で40分以上掛かるのが普通、という、長大な作品ですが、よくある「長い曲」に比べると、決して飽きることはありません..............多分。うん、飽きないと思うんだけど。
一番長いのは第1楽章。これが20分ほど掛かります。何故そんなに長いのかというと、「ちゃんとしたソナタ形式を墨守しているから」なのです。
半ば素人と看做されていて、主な作品は歌曲だったシューベルトは、言ってみれば「ちゃんとした作曲」というのに少なからぬこだわり、というよりむしろコンプレックスを持っていたと言ってもいいかも知れません。作曲家として形式をきちんと整えた作品を書くことは彼にとって重要なテーマの一つだったようです。
故に、即興曲集や「楽興の時」の作曲家は、ピアノソナタを書き続けます。第一楽章はソナタ形式。第二楽章は緩徐楽章で、第三楽章でスケルツォを書いて、第四楽章はロンド形式とか変奏曲形式。テンポも古典的で、彼の後期のピアノソナタは殆どが4楽章形式で、中-緩-急-急。第四楽章はいつもアレグロかアレグレット。ワンパターンです。
ソナタ形式というのは、4つの部分に分かれます。主題を登場させる提示部。もう一度主題を聞かせる提示部の繰り返し。主題を変奏したりさせる展開部。もう一度主題を聞かせる再現部。シューベルトは、この通りに書いているのですが、それぞれのパートが殆ど同じくらいの時間掛かるのです。各パート5分。これは、実はソナタ形式としてはちょっと展開部が弱い、と言えなくもないのですが、まぁ古典的作品としてはこんなものです。でも、本来は結構退屈な筈です。だって、提示部・その繰り返し・再現部は、事実上殆ど変わらない内容を聞かせられるのですから。
でも、シューベルトの場合、この提示部がとても魅力的なので、飽きないのです。特にこのD.960は。中庸な、歩くような速度で演奏される静かな主題は歌のようで、それが延々と続くのです。はっきり言って、これはソナタの主題と言うよりは、ピアノで歌われる歌なのです。歌だったら、5分くらいかかっても、それほど変ではないですよね。勿論「主題」というべきメロディの部分はあるけれど(それだって古典派のソナタ形式の主題と比べても随分長いのだけど)、これは事実上「主題を中心に展開」というのではなくて、むしろ「20分の歌」と言いたくなるような作品なのです。
シューベルトの器楽曲の「欠点」は、強いて言えばこの点だと思います。主題(というよりもう歌なんだけど)が長過ぎて、古典的な形式に入れるのが困難。それでも十分魅力的で、つい聞いてしまうのではあるのですが。
だから、「ああ、長いんだ」「また同じか」と思わずに、音楽に身を委ねて、成り行きに任せて聞いてしまう、というのが、正しく楽しむ聞き方の一つではないかな、と思います。演奏者にとっても難しいのですが、それを如何に飽きさせずに聞かせるか。ピアニストによっては、提示部の繰り返しを行わないようにする人も居ますが(ブレンデルやヘブラーなど)、それも一方策とは思いつつ、私自身は同じ音楽をそれでも微妙に表現を変えながら繰り返し聞かせてくれる方が、シューベルトの場合はやはりいいのではないかと思っています。
この作品も演奏は無数にあって、いい演奏も多数あります。シフ、ルービンシュタイン、リヒテル、アラウ、ハスキル(稀代の名演!)、ポリーニ(現代的演奏の最高位!)、などなど、ですが、今日は今が旬のピアニストの一人、アンスネスの演奏で。最近、シューベルトの後期ピアノソナタを集めて2枚組にしたものが出ましたが、あれは元々イアン・ボストリッジとの歌曲の演奏と、ソナタ一曲ずつとをカップリングして出したもの。このD.960では、歌曲3曲がカップリングされています。
アンスネスの演奏は、現代的と言っていいと思いますが、十分に「歌」があるので、決して素っ気ない演奏ではありません。1980年代末にポリーニの名演があって、現代的な、過剰な思い入れを排した演奏が出来るようになってきましたが、アンスネスのはそれを踏襲した抑制の利いた演奏です。もう少し凄みがあってもいいのではありますが........
Leif Ove Andsnes (piano)
Ian Bostridge (tenor)
EMI 7243 5 57901 2 5
我ながら呆れてしまうのですが、この曲、これまでに3度も取り上げているのです。つい一ヶ月前にはベルマンの演奏を取り上げ、それ以前にはデーラー、ブレンデルを取り上げてきました。まぁ、好きな曲で、かつ稀代の名曲なので、どうしようもないです。
で、懲りずに再度取り上げるのです。まぁ、シューベルトを語る上で、この曲はどうしたって外せません。
シューベルトの作品の多くは、作品番号を持っていません。でもそれだと、一体どの作品がどんなものだか、整理がつかなくてよく分からないので、後世の学者が番号を付けています。バッハのBWV、モーツァルトのケッヒェル番号(K)、ハイドンのホーボーケン番号、などなど、同様のケースは少なくありません。
シューベルトの場合は、ドイッチュという学者が番号を振りました。なので、ドイッチュ番号と呼ばれます。Dの後に番号が付いています。作品の書かれた時期の順に番号が振られています。これはモーツァルトのケッヒェル番号と同じ方式です。ケッヒェルの方は620番くらいで終わっていますが、ドイッチュの方は960番台まで付いています。もうちょいで大台だったのに.......
ドイッチュ番号で950番あたりは、ですので、最晩年の作品群、ということになります。その中でも956番以降は至玉の傑作群、なんてことをつい言いたくなってしまいます。まぁそれも正直無理は無いのでして、D.956は弦楽五重奏曲(分かる人には分かる大変な作品)、D.957が歌曲集「白鳥の歌」、そしてD.958、959、960 がシューベルトの最後の3大ソナタ。生前は作曲家としては決していい扱いではなく、むしろ素人同然の扱いだったシューベルトですが、この5つの作品の内どれか一つだけでも、十分歴史に名を残せるというくらいの作品です。
D.960は最後のピアノソナタ。事実上恐らく最後の器楽曲作品と言われています。全部で40分以上掛かるのが普通、という、長大な作品ですが、よくある「長い曲」に比べると、決して飽きることはありません..............多分。うん、飽きないと思うんだけど。
一番長いのは第1楽章。これが20分ほど掛かります。何故そんなに長いのかというと、「ちゃんとしたソナタ形式を墨守しているから」なのです。
半ば素人と看做されていて、主な作品は歌曲だったシューベルトは、言ってみれば「ちゃんとした作曲」というのに少なからぬこだわり、というよりむしろコンプレックスを持っていたと言ってもいいかも知れません。作曲家として形式をきちんと整えた作品を書くことは彼にとって重要なテーマの一つだったようです。
故に、即興曲集や「楽興の時」の作曲家は、ピアノソナタを書き続けます。第一楽章はソナタ形式。第二楽章は緩徐楽章で、第三楽章でスケルツォを書いて、第四楽章はロンド形式とか変奏曲形式。テンポも古典的で、彼の後期のピアノソナタは殆どが4楽章形式で、中-緩-急-急。第四楽章はいつもアレグロかアレグレット。ワンパターンです。
ソナタ形式というのは、4つの部分に分かれます。主題を登場させる提示部。もう一度主題を聞かせる提示部の繰り返し。主題を変奏したりさせる展開部。もう一度主題を聞かせる再現部。シューベルトは、この通りに書いているのですが、それぞれのパートが殆ど同じくらいの時間掛かるのです。各パート5分。これは、実はソナタ形式としてはちょっと展開部が弱い、と言えなくもないのですが、まぁ古典的作品としてはこんなものです。でも、本来は結構退屈な筈です。だって、提示部・その繰り返し・再現部は、事実上殆ど変わらない内容を聞かせられるのですから。
でも、シューベルトの場合、この提示部がとても魅力的なので、飽きないのです。特にこのD.960は。中庸な、歩くような速度で演奏される静かな主題は歌のようで、それが延々と続くのです。はっきり言って、これはソナタの主題と言うよりは、ピアノで歌われる歌なのです。歌だったら、5分くらいかかっても、それほど変ではないですよね。勿論「主題」というべきメロディの部分はあるけれど(それだって古典派のソナタ形式の主題と比べても随分長いのだけど)、これは事実上「主題を中心に展開」というのではなくて、むしろ「20分の歌」と言いたくなるような作品なのです。
シューベルトの器楽曲の「欠点」は、強いて言えばこの点だと思います。主題(というよりもう歌なんだけど)が長過ぎて、古典的な形式に入れるのが困難。それでも十分魅力的で、つい聞いてしまうのではあるのですが。
だから、「ああ、長いんだ」「また同じか」と思わずに、音楽に身を委ねて、成り行きに任せて聞いてしまう、というのが、正しく楽しむ聞き方の一つではないかな、と思います。演奏者にとっても難しいのですが、それを如何に飽きさせずに聞かせるか。ピアニストによっては、提示部の繰り返しを行わないようにする人も居ますが(ブレンデルやヘブラーなど)、それも一方策とは思いつつ、私自身は同じ音楽をそれでも微妙に表現を変えながら繰り返し聞かせてくれる方が、シューベルトの場合はやはりいいのではないかと思っています。
この作品も演奏は無数にあって、いい演奏も多数あります。シフ、ルービンシュタイン、リヒテル、アラウ、ハスキル(稀代の名演!)、ポリーニ(現代的演奏の最高位!)、などなど、ですが、今日は今が旬のピアニストの一人、アンスネスの演奏で。最近、シューベルトの後期ピアノソナタを集めて2枚組にしたものが出ましたが、あれは元々イアン・ボストリッジとの歌曲の演奏と、ソナタ一曲ずつとをカップリングして出したもの。このD.960では、歌曲3曲がカップリングされています。
アンスネスの演奏は、現代的と言っていいと思いますが、十分に「歌」があるので、決して素っ気ない演奏ではありません。1980年代末にポリーニの名演があって、現代的な、過剰な思い入れを排した演奏が出来るようになってきましたが、アンスネスのはそれを踏襲した抑制の利いた演奏です。もう少し凄みがあってもいいのではありますが........
2008/02/12のBlog
[ 00:41 ]
[ オペラ ]
BJOeRLING reDISCOVERED - Carnegie Hall Recital September 24, 1955 -
Jussi Bjoerling (tenor)
Frederick Schauwecker (piano)
RCA/BMG 82876 53379 2
ユッシ・ビョルリンク。1911年スゥェーデン生まれのテノール歌手です。1960年に早逝。享年49歳。歌手としてはまだ若過ぎる死ですが、戦前から戦後にかけて既に華々しい名声を築いていた人です。METによく出ていたこともあって、アメリカでは結構人気が高く、録音も少なからず残っています。
この録音は、1955年のカーネギーホールでのリサイタルの模様を収録したもの。ベートーヴェンのアデライーデ、シューベルト、R・シュトラウス、ブラームスの歌曲に始まり、ドン・ジョヴァンニのアリア、フェドーラのアリア、カルメンの"花の歌"、マスネの"マノン"のアリア、グリーグ、シベリウスの歌曲。ここからアンコールで、スゥェーデン作曲家SJOeBERGの歌曲、カヴァレリア・ルスティカーナのアリア、トスティの"理想"、トスカの"星は光りぬ"、トスティをもう一曲、フォスターの"金髪のジェニー"、アンドレア・シェニエのアリア、最後に"冷たい手を"。全部で26曲、約80分。いやー、CD1枚にしては盛り沢山です。
勿論私はビョルリンクを生で聞いたことはありません。若い頃のビョルリンクは、丸顔だけどなかなか整った顔立ち。ドナルド・キーンはお月様みたいな顔、と評していたようですが、分かるような気がします。
問題は声ですが、これがまぁ何ともいえない声でして。今の歌手には無い、甘い声。フェルッチョ・タリアヴィーニもこのタイプですが、甘いのです。マリオ・ランツァあたりも甘いですが、ランツァの甘さに比べると上品。ビロードの声、なんて表現があったけど、あんな感じかな、などと思わせる感じなのです。それでいて声に芯があって、決して弱々しくはない。古臭いと言えなくもないですが、このタイプの歌手は本当にいないのです。強いて言えば、アンドレア・ボッチェリが多少系統的に近いかも知れませんが、格が違い過ぎるかな。特に、甘さと品を兼ね備えた、ビョルリンクやタリアヴィーニとはちょっとね。
ビョルリンクは、トゥーランドットもトロヴァトーレも歌っています。正直、この甘い声で?と思わなくもないのですが、実際聞いてみると、これがいいのです。やはり地力があるというか、元の声がしっかりしているのでしょうね。
そういう人のリサイタルですから、楽しくない訳がありません。さすがに、シューベルトなど聞いていると、多少の違和感も無くはないですが、それは上手い下手ではなくて、スタイルの問題であって、歌としては実にいい。元々スゥェーデンの出身なので、ドイツ語に関しても、発音などそれほどの違和感が無い。イタリアオペラの人、という印象は強いのですが、ちゃんとドイツ語で歌えるのです。
結局、声もいいけど、それを上手く使って歌えているのですね。声と歌い回しの良さで8割方出来上がってる。残り2割は曲で持つ。てなとこでしょうか?
まぁ、そうはいっても、やっぱり一番いいのはイタリア系オペラ。フェドーラなんて二分とかからないんですが、やっぱり盛り上がってます。更に盛り上がるのがアンコール。カヴァレリア・ルスティカーナからイタリア一色。途中フォスターが入るのは御愛嬌。ところであの曲、「金髪のジェニー」って、Jeanie with the light brown hair 、つまりどちらかというと、亜麻色の髪のジーニー なんですね。いや、Light brown hair は、金髪とはちょっと違うと思います。ま、最初に邦題考えた人の勝利なんでしょうけど。
とにかく、カヴァレリア以降、もう涙物です。特に最後の、シェニエの「ある晴れた五月の日」に「冷たい手を」はもう何も言うことはありません、て感じです。ちょっとフォルムが崩れそうに感じるのは、流石に甘い声が身上の繊細なテノールだから、というところでしょうか。それでも今時のテノールとは比較にならない安定したいい声なんですが。
ああ、やっぱり、いいテノールのリサイタルはええなぁ.......
しかし、自分が聞き始めた頃、1955年って言ったら、まぁ30年前ってところなのですが、今や半世紀以上前、なのですね。歳を取りました......
Jussi Bjoerling (tenor)
Frederick Schauwecker (piano)
RCA/BMG 82876 53379 2
ユッシ・ビョルリンク。1911年スゥェーデン生まれのテノール歌手です。1960年に早逝。享年49歳。歌手としてはまだ若過ぎる死ですが、戦前から戦後にかけて既に華々しい名声を築いていた人です。METによく出ていたこともあって、アメリカでは結構人気が高く、録音も少なからず残っています。
この録音は、1955年のカーネギーホールでのリサイタルの模様を収録したもの。ベートーヴェンのアデライーデ、シューベルト、R・シュトラウス、ブラームスの歌曲に始まり、ドン・ジョヴァンニのアリア、フェドーラのアリア、カルメンの"花の歌"、マスネの"マノン"のアリア、グリーグ、シベリウスの歌曲。ここからアンコールで、スゥェーデン作曲家SJOeBERGの歌曲、カヴァレリア・ルスティカーナのアリア、トスティの"理想"、トスカの"星は光りぬ"、トスティをもう一曲、フォスターの"金髪のジェニー"、アンドレア・シェニエのアリア、最後に"冷たい手を"。全部で26曲、約80分。いやー、CD1枚にしては盛り沢山です。
勿論私はビョルリンクを生で聞いたことはありません。若い頃のビョルリンクは、丸顔だけどなかなか整った顔立ち。ドナルド・キーンはお月様みたいな顔、と評していたようですが、分かるような気がします。
問題は声ですが、これがまぁ何ともいえない声でして。今の歌手には無い、甘い声。フェルッチョ・タリアヴィーニもこのタイプですが、甘いのです。マリオ・ランツァあたりも甘いですが、ランツァの甘さに比べると上品。ビロードの声、なんて表現があったけど、あんな感じかな、などと思わせる感じなのです。それでいて声に芯があって、決して弱々しくはない。古臭いと言えなくもないですが、このタイプの歌手は本当にいないのです。強いて言えば、アンドレア・ボッチェリが多少系統的に近いかも知れませんが、格が違い過ぎるかな。特に、甘さと品を兼ね備えた、ビョルリンクやタリアヴィーニとはちょっとね。
ビョルリンクは、トゥーランドットもトロヴァトーレも歌っています。正直、この甘い声で?と思わなくもないのですが、実際聞いてみると、これがいいのです。やはり地力があるというか、元の声がしっかりしているのでしょうね。
そういう人のリサイタルですから、楽しくない訳がありません。さすがに、シューベルトなど聞いていると、多少の違和感も無くはないですが、それは上手い下手ではなくて、スタイルの問題であって、歌としては実にいい。元々スゥェーデンの出身なので、ドイツ語に関しても、発音などそれほどの違和感が無い。イタリアオペラの人、という印象は強いのですが、ちゃんとドイツ語で歌えるのです。
結局、声もいいけど、それを上手く使って歌えているのですね。声と歌い回しの良さで8割方出来上がってる。残り2割は曲で持つ。てなとこでしょうか?
まぁ、そうはいっても、やっぱり一番いいのはイタリア系オペラ。フェドーラなんて二分とかからないんですが、やっぱり盛り上がってます。更に盛り上がるのがアンコール。カヴァレリア・ルスティカーナからイタリア一色。途中フォスターが入るのは御愛嬌。ところであの曲、「金髪のジェニー」って、Jeanie with the light brown hair 、つまりどちらかというと、亜麻色の髪のジーニー なんですね。いや、Light brown hair は、金髪とはちょっと違うと思います。ま、最初に邦題考えた人の勝利なんでしょうけど。
とにかく、カヴァレリア以降、もう涙物です。特に最後の、シェニエの「ある晴れた五月の日」に「冷たい手を」はもう何も言うことはありません、て感じです。ちょっとフォルムが崩れそうに感じるのは、流石に甘い声が身上の繊細なテノールだから、というところでしょうか。それでも今時のテノールとは比較にならない安定したいい声なんですが。
ああ、やっぱり、いいテノールのリサイタルはええなぁ.......
しかし、自分が聞き始めた頃、1955年って言ったら、まぁ30年前ってところなのですが、今や半世紀以上前、なのですね。歳を取りました......
2008/02/11のBlog
