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Verdiのレコード置き場 今日車で聴いたものblog
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2008/07/07のBlog
P.J.B.E. ルネサンス名演集
 フィリップ.ジョーンズ・ブラス・アンサンブル
 DECCA/ユニバーサル・クラシックス UCCD-3023

 あぢい..........
 夏ですねぇ。急に暑くなりました。涼しくなる音楽、ありませんかね。


 ブラスバンド、というもの、実はあまり聞きません。
 自分でやったことが無かったし、中高はブラバンみたいなものとあまり縁のない学校だったし(てか、音楽部はあったけどブラバンはやってなかったんでは?)、というわけで、いまいちピンと来ないのです。
 で、あまりいいイメージも無いので、あまり聞いてないんですね。「ブラス!」(原題 Brass off!)でブラスバンドが出て来てはいたけれど、それは映画観てへーほーふーん で終わってしまいました。ちゃんと聞いてないのは相変わらず。

 とは言うものの、ちょっと申し訳ないけど、本当に「いいな」と思えるレベルのものであれば、聞くのです。つまりは、「音よし、曲よし、演奏よし」であれば。まぁ、我ながらわがままなこと(苦笑)

 で、今日は、そういう数少ない「聞いてるブラスバンド音楽」を取り上げました。そうは言っても、これは「ブラスバンド」にしてはかなり贅沢な音楽です。
 演奏はP.J.B.E.、即ちフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル。ブラスに興味が無い私でも、この団体くらいは知ってます。ブラスバンドと言うのはちと失礼でしょうか?と思ってしまうくらい。
 このP.J.B.E.が演奏しているのが、ルネッサンス期、各地で活躍した作曲家達の作品をブラスアンサンブル用に編曲したもの。これが、演奏自体の良さもあるにせよ、結構合うのです。

 まず、ルネッサンス期の音楽というのは、どちらかというと、ゆったりとしたテンポの音楽が多く、極端にテンポの速い音楽は多くはないので、金管には相性がいいのでしょう。金管だって速いパッセージが吹けない訳ではないけれど、どちらかというと、朗々と響き渡る、ってのが楽しいというイメージがあります。
 当然、そこには、曲を選んだ編曲者の判断というか目利きも入っています。実際、上手く選ばれているし、編曲もいいと思います。ここに取り上げられている作曲家は12人。プレトリウス、バード、ギボンズ、ガブリエリ、ジェルウェイズ&アテニャン........イタリア、フランス、イギリスから選ばれているようですが、まぁよくも集めたものです。
 ルネッサンス期の音楽でも、集められているのは、舞曲とマドリガルなどの声楽曲。いずれも旋律がはっきりしていて、歌うような音楽です。こうした面を生かして、歌うように柔らかく演奏すれば、とてもいい音楽に仕上がるような編曲になっている。

 んでもって、名手揃いのP.J.B.E.です。上手いのです(笑)文句ありません。
 本当に、柔らかぁく演奏してくれるのです。「金管」「ブラス」というイメージからはかけ離れた演奏です。時に管楽器は弦楽器などより遥かに歌えるものだけれど、P.J.B.E.はその中でも秀逸のバンドだったのだなぁ、と改めて思うのです。
 これを聞いていると、ブラスバンドも結構面白いのかな、などと、ちょっと思ったりするのです。まぁ、本気で手を出し始めると大変なので控えるようにしていますが....(笑)
 それにしても、いい金管の音は、ある種の爽やかさがありますね。抜けるような感じ。その辺がこの季節にちょっと聞きたくなる所以かも知れません。

2008/07/04のBlog
F.J.ハイドン:弦楽四重奏曲第68番変ホ長調 op.64-6, Hob.III-64 / 第63番ハ長調 op.64-1, Hob.III-65 / 第65番変ロ長調 op.64-3, Hob.III-67
 ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団
 WESTMINSTER / ビクターエンタテインメント MVCW-19039

 最近改めて気付いたのですが、ってのも変な話か?まぁともかく、私はハイドンを意外に度々聞いているようなのです。それも、偏りがあって、弦楽四重奏や交響曲は聞いている割に、ピアノソナタはあまり聞いていないように思います。勿論ハイドンのピアノソナタは、結構マイナーな存在ではありますので、あまり聞いてないのは変ではないかも知れないけれど。
 でも、元々ピアノなんかの方が好きな筈なのに、ハイドンに関しては、弦楽四重奏や交響曲の方がメイン。別に嫌いじゃないんですが、多分私が聞きたいのは、古典派の代表選手・ハイドン一流の典型的な複数声部による構造的な音楽なんでしょう。ある程度構造的なのは聞き取りたいけど、根が間抜けなので、あんまり難しいのはついて行けない...........そうすると、割合に教科書通りに書かれてる(というよりハイドンが教科書になったのか?)、ハイドンの弦楽四重奏なんかは分かりやすくてすっきりしていて、聞いてて楽しい訳です。交響曲もそうだな。その点、ピアノ曲の場合、そこまでの構造が見えにくいということもあって、どうせなら.....となるのですね、きっと。
 そんなわけで、結構ハイドンは聞いているのです。

 今回は久々に古いCDを出してきました。
 CD自体も十年位前のものですが、録音は半世紀前。昔の名門、ウェストミンスターレーベルのものです。最近はユニバーサル傘下でセット物で出ていますが、一時は幻のレーベル扱いだったとか。それでも、内容・音質共に良質だったこと、オールドファンの郷愁を誘ったこともあって(「昔のものは皆美しい」?)、忘れられずに今も残ったという訳です。
 この録音も今はセットで出ている筈ですが、以前に既に単発で買っていました。

 実際、この録音は贔屓目でなくとも質の高いものと言っていいと思います。音質も1950年代という時期とは思えないほどです。やや古めかしくは感じるけれど、雑音は少ないし、クリアに楽器の音が録れています。モノラルですが、編成のせいもあって、決して物足りないと言う感じではありません。往年から評価の高いレーベルであった所以でしょう。
 勿論内容もとてもいい。ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団は、例によってウィーン・フィルのメンバーによる楽団の一つで、1934年に当時のウィーン響のメンバーで結成してから、1967年迄の間活動した由。演奏内容は、月並みな感想ですが、端正・快活・美音・煥発、とまぁ、こんな感じでしょうか。若さに任せて、みたいな無謀なのとは違う躍動感と、音自体も含めた安定感を一つながらに感じさせる演奏です。

 いや、それは、曲自体がそのように感じさせるのかもしれません。ここに収められているのは、ハイドンのop.64の6曲の内3曲。「第3トスト四重奏曲」などと呼ばれる作品集の半分です。ここには収録されていませんが、この6曲の中には「ひばり」も入っています。あの、軽やかに駆け上がる、というよりは飛翔する、という感じでしょうか、本当に。あの印象的な出だしを持つ曲も仲間という訳です。作曲は1790年。モーツァルトが亡くなる前の年、既に「ハイドン・セット」は作曲されて久しく、ハイドンもモーツァルトの影響を受けたと言われる時期です。
 上記の通り、決して派手なセットではありませんが、丹念に聞いていると、こちらからあちらへ、あちらからこちらへと音楽が決して派手ではなく、自然体と感じさせるように動いて行く。そんな印象のある曲たちです。

 演奏と録音の、程よい響きを保ちつつ誤摩化しも無く、聞きやすい。見通しが利く。そんな演奏です。こういう曲をこういう演奏で聞くのは楽しいものです。シンプルで、でも飽きさせない。理屈抜きで、いいなぁ、と思ってしまいます。
 こういう、派手ではないけれど自然ないい響きを持つ演奏って、最近はあんまりないかも知れないですね。でも、詰めに詰めました、というのではない、余裕とか遊びとか、要は詰め切ってない曖昧な部分がなんとなくある、みたいな感じの演奏は、やっぱりいいなぁと思うのでした。




2008/06/30のBlog
G.Mahler:Das Knaben Wnderhorn
 Anna Larsson (contralt)
 Bo Skovhus (bariton)
 Adam Fisher (conductor)
 DR/Universal DRS1


 CD時代・デジタル時代になって大きく変わった事の一つに、CDを出すという事の意味合いが随分と軽くなった、ということが言えると思います。デジタル化で機材の簡素化が進み、後編集がより容易になって、全般に録音がしやすくなってきた。一方でCDそのものを作るコストが、コンピューター関連での著しい需要の伸びと相俟って、大幅に下がってきた。勿論演奏家のコストなどは下がらず、むしろ上がる方向なのでしょうし、だから、著名な演奏家の録音を鳴り物入りで発売する、大手レーベルのコストは、まだ掛かる部分も大きいのでしょう。でも、それ以外では、かなり気楽にCDが作られ、売られているのが現状では。
 それは決して悪い事ではないんであって、同曲異演が多数出てきたのがこの何年かの特徴だと思います。結果、なかなかマイナーながらいいツボを突いて来る録音が出ていたりします。

 このCDなども、そうした動きの中で恩恵を得て世に出たものの一つと言えるかも知れません。Danish Radio Sinfonietta、訳するなら、デンマーク放送シンフォニエッタとなるのでしょうか。指揮はアダム・フィッシャー、コントラルトにアンナ・ラーッソン、バリトンにボウ・スコウフス。曲はマーラーの「子供の不思議な角笛」。こういう録音が手に入ってしまう不思議、なんですよね。アダム・フィッシャーは確かに一級だけれど、こういう録音がぱっぱか売れるような人ではないですね。ボウ・スコウフスはまぁ一線級ですが、ラーッソン(でいいのかな?)は正直無名のスウェーデン人。大体、デンマーク放送シンフォニエッタって何?
 そして曲が「子供の不思議な角笛」。20年くらい前にこの曲で普通に入手出来る録音と言ったら、まずはセル指揮でディースカウらが歌ったものくらいで、後はマーラー全集のついでに入れられたものとかじゃなかったか。それすら多くはなかったし。(「角笛」を交響曲全集のついでに入れる人は多くありません)バーンスタインくらいかな、めぼしい所は。ショルティはあったと思うけど......ハイティンクも、あった筈だけど......
 なので、こういう、そこそこ整っている演奏が気軽に聞ける状況というのは、本当にそれ自体有り難い事ではあります。同時に、種類が多過ぎて訳分かんなくなってたりするということもあるんですけどね。

 とまぁ、そんなことを思いながら聞いているのであります。演奏は上々。やはりスコウフスの歌はうまいなぁ、というのが一つ。ラーッソン嬢は、まぁ、コントラルトは余程下手でなければある程度聞けちゃうということもあるにせよ、悪くないと思います。この録音を聞いて楽しめる程度には上手い。でも、なんというか、特別凄いとかいうことではないですね。なんとかシンフォニエッタも、まぁ雰囲気は出てるし、いいんじゃない?という。
 良くも悪くも、こういう「そこそこ聞ける」クラスの録音が多く出される、というのが今の時代なのでしょう。リートファンみたいな身には、これもまたいいものかな、という気はしますが。

 それにしても「角笛」、マーラーの交響曲はよく聞かれるのに、という気がしないでもないですが、皆そんなにドイツ歌曲とかって抵抗があるんですかね?
 私は結構好きです。もっとも、歌曲集と力説しながら、どっかで「これは歌曲というのは無理あるか?」と思ってたりもするものではありますが。もうちょっと聞かれてもいいと思いますしね、


2008/06/28のBlog
レオンハルト/クラヴィコード・リサイタル
 グスタフ・レオンハルト (Klavichord)
 PHILIPS/ユニバーサル・クラシックス UCCP-3463

 クラヴィコード。チェンバロ、ハープシコード、クラヴサンは大体似たような楽器を指していると考えていいのですが、クラヴィコードはちょっと違います。チェンバロは、直角三角形(或いは長方形から直角三角形を切り取ったような形)の、ピアノの小型版のような筐体を持っています。鍵盤を押すと、その先がピアノで言うハンマーを押し上げて、先端の金属片が弦を弾く。クラヴィコードはより小型で、構造も単純。鍵盤の先に金属片が付いていて、直接弦を弾く。だから、チェンバロより細かいニュアンスを弾き方で表現する事が出来る。その代わり、構造的にどうしても音は小さくなります。チェンバロが筐体の共鳴も活かした、まだしも響きのある音を出すとするなら、クラヴィコードは本当に弦の音だけで聞かせる楽器です。ギターにより近い音でしょうか。ただ、ギターのような共鳴箱が無いので、より弦を爪弾くだけに近い感じですね。
 チェンバロだって決して大きい音は出ませんが、チェンバロが広間で演奏されるのに向いている、とでもするならば、クラヴィコードは自室で、せいぜい数人で楽しむのに適した楽器、となります。

 当年取って80歳のグスタフ・レオンハルト。いや全くあちこちに録音のある人で、DHMあり、SEONあり、PHILIPSあり、と、忙しい人であります。そのレオンハルトが1988年に録音したのがこのCD。題して、クラヴィコード・リサイタル。なるほど、これはクラヴィコードを聞くCDなのでしょう。
 ここでは、J.S.バッハの先人であるリッター、或いは彼の子供達であるヴィルヘルム・フリーデマン・バッハやカール・フィリップ・エマニュエル・バッハの作品が取り上げられています。勿論J.S.バッハ自身の作品も演奏されています。これらの曲が特にクラヴィコードの為に書かれたという訳ではありません。が、基本的にクラヴィーア曲=鍵盤楽器の曲ですし、音域さえカバー出来れば普通に演奏出来る訳ですが、ただ、趣はやはり変わって来るというものです。

 本当を言えば、CDのように録音で聞いてしまうと、音の小ささ加減が分かりにくいものではあります。でも、独特の、乾いた感じの、けれど可愛らしさを感じさせる音を聞けば、チェンバロとはまた違った楽しさを感じられるのではないでしょうか。ピアノどころかチェンバロの音すら、いや、むしろチェンバロだからこそかも知れませんが、あの小さな音すら金属的で煩わしく感じられるような時、もっとシンプルなクラヴィコードの方が、存外落ち着くのかも知れません。

 ところで、こういう楽器、あったら楽しいかもしれないですね。聞けるのは普通に弾いても周りの何人かでしかないけれど、音は小さいし、ちょっと金属的な感じもあるだけに、なかなか「上手く」行かないのかも。
 J.S.バッハの曲では、フランス組曲第二番が演奏されていますが、こうやって聞くと確かにクラヴィコードに合う/合わないというのがあるのかも知れませんが、なかなか面白く聞けます。


2008/06/25のBlog
F.Schubert : Winterreise D.911 / Die Schoene Muellerin D.795
 Claudio Desderi (bariton)
 Dino Ciani (piano)
 ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO(Dynamic) IDIS 6462/3

 今日は少々風変わりなものを。

 ディーノ・チアーニというピアニストが居ます。居ました。居たそうです。
 1941年生まれのイタリア人。コルトー門下で、1961年にはウィーンでのベートーヴェン・コンペティション、ブダペストでのリスト=バルトーク・コンペティションで成果を挙げ、いよいよキャリアを積み始め、録音も少なからず行われたのですが、1974年に交通事故で亡くなってしまいました。実は相当の実力の持ち主だったようです。今残っている録音を聞いても、癖もあるけど面白い演奏をする人のようです。グラモフォンやDynamicに纏まった録音集があります。
 享年32歳、今生きていれば67歳。確かに惜しいですね。

 一方、クラウディオ・デズデーリ。こちらも、そこそこ知名度はあれど、決して皆様ご存知というわけではないでしょう。イタリアのバリトンで、実はスカラなんかにも出ているけれど、主役級ではない。ドン・ジョヴァンニだったら外題役じゃなくてレポレロ、みたいな人です。こちらは割合最近も歌っている人です。やっぱり癖もあるけど面白い、みたいな人。

 この二人が、チアーニが亡くなる直前に遺した録音があります。正しくはライブ録音なのですが。うん、イタリア特有のちょっと怪しげな......いや、まぁ、一応Dynamicレーベルの一環ではあるんですが。
 歌手とピアニストですから、当然歌物になります。イタリア人歌手にピアニストであれば、ナポリ民謡集かイタリア・オペラアリア集か、はたまたトスティの歌曲か?いえいえ、これが、シューベルトの「冬の旅」なのです。なんでまたよりによって冬の旅。いや別に歌っちゃいけないわけではないんですが、しかし、これが.......

 大体が、デズデーリ、決して緻密なタイプの歌い手ではありません。どちらかといえば大らか。チアーニも、きっちりと音楽を刻んでいくというよりは、フレーズを歌わせるのが得意、それが音楽なんだから、多少の揺れはあるものよ、というタイプ。この二人が組む訳ですから、テンポは揺れる、表現は振幅が大きい、発音も何か変。しかもライブなので抑えも効かないし。今時のドイツリート歌いに慣れた身には、おいおいおいおいと言いたくなるような演奏であります。
 確かに、今のドイツリート歌唱というのは、基本的には端正で丁寧、発音もしっかりして何を歌っているか分かるように、という方向です。非ドイツ人の歌唱でも、発音には気を使っているのが一般的。そもそも、最近のイタリア人歌手で、シューベルト、しかも冬の旅などの歌曲集を歌うような人が居たかな?居ないんじゃないでしょうか。

 というわけで、ちょっと聞くとなんじゃこりゃ?的な、少々破天荒な演奏なのですが、これはこれで面白いのです。自由に、繊細なニュアンス、みたいなところは気にせず歌っていく。でも、無茶かというと決してそうでもない。よくよく聞いてみると、典型的なドイツリートの表現、ではないのだけれど、それなりに表現の方向は曲に合ってはいる。勿論、様式感、という点では厳しいです。でも、これはこれで一応理に適っているのではあります。
 思うに、これは「クラウディオ・デズデーリとディーノ・チアーニの夕べ」というべき演奏なのでしょう。デズデーリを聞くリサイタル。素材がたまたま冬の旅。そう割り切って聞くと、これ、面白いのです。デズデーリの歌唱の雄弁な事!嵐のような伴奏に立ち向かって吠えるが如きデズデーリ。録音も悪いですし、これだけ聞いていると確かにしんどい面もありますが、これを生で聞いていたらさぞや面白かったろうなぁ.....と思わせるのです。

 ちなみにこれは2枚組で、もう1枚は「美しき水車屋の娘」。これも録音悪いんですが同系統の演奏で......面白いです。




2008/06/22のBlog
GLENN GOULD : SALZBURG RECITAL 25. August 1959
J.P.Sweelinck : Fantasia in D
A.Schoenberg : Suite fuer Klavier op.25
W.A.Mozart : Klaversonate C-Dur K.330
L.S.Bach : Goldberg Variationen BWV.988
 Glenn Gould (piano)
SONY SMK53474

 うう、忙しいっす...........煮詰まってますねぇ........

 グレン・グールド。もう四半世紀以上前に50歳そこそこで亡くなった、「コンサートをドロップアウトした」ピアニスト。いや、「音楽家」とか、「アーティスト」とか、はたまたいっそ「哲学者」とか、色々に呼ぶのが正しいのでしょうか?

 実際、人口に膾炙したクラシックの演奏家で、この人ほど長くカリスマorアイコンorアイドルとしての地位を保っている人も珍しいと思います。これ以外では、カラヤンくらいしかいないんじゃないでしょうか。ただ、グールドが強烈なのは、知的ブランドとして機能しているというところでしょう。
 ある人達は、村上春樹からグールドに入り、またある人達は坂本龍一からグールドに入り、また別の人は浅田彰だか誰だかから入り、しまいには木村拓哉から入る、という具合。嫌味な言い方をすれば、グールドを聞く、好むというのは、自分を知的に演出する為のアイテムの一つなのです。そして、その装いは、亡くなって四半世紀を過ぎた今でも十分機能する、というところが恐ろしいというべきか。
 いや、決してそうしたファッションとしてのグールドの使われ方だけでなく、もう少し真面目に音楽家、ピアニストとして云々する人々にしても、未だにグールドは非常に興味深い対象であるようなのです。グールドを云々すれば、取り敢えず皆引っ掛かってくれる(騙される、と言う意味ではないですよ)、しかもそれによって知的であるという演出も可能、そんな雰囲気なのです。
 端的に言って、グールドは、便利な記号なのです。

 そのグールドが、生前、コンサートを拒絶して録音による演奏発表を中心とした中で、録音を編集することについて大体こんなようなことを言っています。

 コンサートは一回限りのもので、しかもやり直しが効かない(「Take 2 がない」。むしろ、編集によって自らがあるべきと思う姿へと作り上げていくことが出来る録音の方がいい。
 更には、聞き手による音楽の選択を可能にする為にも、演奏を幾つかのパーツに分けて複数通り用意し、最終の完成形は聞き手の好みによって決めることが出来るようになればいい。
 (前者は比較的良く知られていますが、後者は、一部の対談形式のエッセイなどで述べられている程度なので、あまり知られていないかも知れませんが。)

 これ、ある面では「危険思想」ですし、それ故にグールドを「非常に進んだ」音楽家として認知させる契機にもなったのではあります。ただ、そうしたこと故にグールドは確かに「先進的音楽家」ということにはなっているけれど、彼が亡くなったのは1982年なのです。つまり、グールドはCDなんてものは知らなかった。今なら、ある録音を部分毎に取り出して組み替えるなんてことは容易な話になっています。技術の進化はグールドの想定をとっくに越えてしまいました。
 いや、それ以上に、例えばipod shuffleの基本思想って、「次に何が来るか分からない」という状態を楽しむ所にあると思うのです。そこに入っているものこそ自分で選び取ったものだけれど、次に何を聴くか、どのような順序で聴くかは、演奏家の意思はおろか、聞き手の意思すら介入せず、機械がランダムに決めている。ここではもはや「誰の作品か」ということすら重視されなくなりつつあるのです。
 勿論、グールドの演奏は曲によるにせよ特徴的ではあるので、ipodから聞こえてくればそれと分かってしまうのでしょうけれど。でも、それは言い換えれば、「グールドである」という事実への依存度が高いということでもあるのでして。

 音楽家として最も先進的と看做される演奏家だったグールドの人気が、実は旧来の縛りである「演奏家」という個人の属性に最も依存しているという皮肉な事実。

 この録音は、グールドが1959年夏のザルツブルク音楽祭で開いたリサイタルのライブ録音です。演奏自体は私は嫌いではないんですが、当たり前のことながら、この録音が相応に価値のあるものとして遇されている一因には、やはり「グールドである」という事があるのは否めません。決して貶めて言う訳ではないのです。ただ、この事実、果たしてグールド自身にとってはどのように受け止められる話なのでしょうね。
 ......まぁ、そんな風に考える事自体、健全ではないんでしょうけど。

 グールドの演奏それ自体は面白いです。あまり唸ってないのもポイントが高い(苦笑)
 メインのゴールドベルクは、いわゆる最初の録音のアプローチとほぼ同系統です。ライブ故の傷、と思われるようなところが無いのは流石に凄い。表現上のわずかなアンバランス感が幾つかある、という程度でしょうか。それも含めていい演奏。
 だけれど、好き嫌いを言えば、むしろゴールドベルクの前に入っている曲の方が音楽としては好きです。特に冒頭のスヴェーリンク。グールドのバロック音楽では、バードやギボンズなどの作品を録音したものがありましたが、あれに連なる系統の演奏です。いや、時期としてはこのスヴェーリンクの方が先ですね。独特の気怠さと寂寥感を感じさせる、なんとも言えない演奏です。まぁ、この辺の曲は、スタンダード的には、レオンハルトあたりのチェンバロ演奏で耳をブラッシュアップして貰った方がいいかも知れませんが....


2008/06/20のBlog
G.Gershwin : Rhapsody in Blue / An American in Paris
M.Ravel : Concerto for the left hand in D

 Pascal Roge (piano)
 RSO Wien
 Bertrand de Billy (conduct)
 OEHMS CLASSICS OC623

 最近更新がありませんでした。忙しいのもありますが、正直、不作が続いてまして、書くことがあまり無かったんですね。ハイ。まぁ、まるで無かった訳でもないんですけども。例えばこんなのとか......

 パスカル・ロジェ。フランスのピアニストで、ラヴェルなどのフランス音楽に録音が多いのですが、彼がウィーン放送交響楽団と録音したのがこのCD。確かこれの前に、同じガーシュインとラヴェルの組み合わせ(各々のピアノ協奏曲)を録音したのがあって、このCDはその続編みたいなものだった筈。指揮はベルトランド・ド・ビリー。
 ま、ラヴェルの左手の為の協奏曲もありますが、やはり耳目を引くのはラプソディー・イン・ブルーというのが正直な所ではあります。勢い、そちらの出来が気になるのですが...............うーん(笑)

 率直に言って、ラプソディー・イン・ブルーは難しいのです。演奏が技術的に難しいと言うより、それらしく演奏して雰囲気をきちんと出すのが難しい。元々普通にやったら「楽譜上合ってるけど音楽的には不整合」みたいなところがあるのでして、それを上手くそれっぽく聞かせるようにしないと駄目なんですよね。このへんは大体こんな感じで聞かせよう、みたいなノリが大事。
 そのへんが、このコンビ、なんか変なのです(苦笑)或いは真面目にクラシック音楽として取り組んだ結果、なのかも知れないのですが、なんというか、全然ノレないんですよね。
 強いて言えば協奏曲としての演奏なのでしょうか。それならそれで、思いっきりクラシックの交響音楽の方に振り切ってしまうのなら、それで突破口も開けるのでしょうけど、そうでもない。或いは、この組み合わせだったら、例えばモーツァルトの協奏曲なんかやってもいい演奏になるかと思うので、その方向で、モーツァルトに取り組むみたいに演奏してみました、とかいうなら、それもまた面白いのだろうけど、「モーツァルトにモーツァルトらしく取り組む」ように、「ガーシュインにガーシュインらしく取り組んだ」結果、なんですよね。あまりにも当たり前すぎるというか、なんかこうもう一つ突破口が開けない。演奏レベルとしては多分良く出来てるだけに、なんだかなー、という感じが強いのです。
 演奏はちゃんとしてますよ。してるけど、ちゃんとしてるからなんとかなる曲じゃないと思うんですよね。いっそ、昔の、オーマンディー指揮でアントルモンが弾いた録音みたいに、ド真面目にやるって手もあると思うんですが、なまじそっちがわを向きつつやるもんだから......

 悪い演奏とは言わないと思うんですよね。でも、なぁ。こういう曲、結構デリケートだし。難しいもんなんだなぁ、と、ちょっと思ったのでした。


2008/06/14のBlog
L.v.Beethoven : Piano Sonata No.22 F major, op.54 / No.23 f minor, op.57 "Appassionata" / No.24 F-sharp major, "a Therese" / No.25 G major, op.79 / No.26 E-flat major, op.81a "Les Adieux"
 Andras Schiff (piano)
 ECM ECM 1947

 なんだか同じようなものばかり聞いてる気がしないでもないような......ま、いいか。

 この数年で、ベートーヴェンのピアノソナタの全集を録音しているピアニストが実は集中しているのです。良し悪しはそれぞれですが、内田光子がフィリップスに、アンジェラ・ヒューイットがハイペリオンに、そしてアンドラーシュ・シフがECMに。個人的には、最初にがっかりしてしまった(^^;内田光子はちょっとアレですが、ヒューイットはファツィオリのピアノの音もあって、なかなか面白い演奏。そして、シフの堂々たる演奏。

 たまたま今日だか昨日だかの新聞を眺めていたら、このCDの評が出ていました。シフの演奏をTVゲームで次々と難敵をクリアしていくよう、という風に。ふん.......そんな風に感じる人もいるのだねぇ。

 番号順に録音されてきたシフの全集は、既に第6巻を数えるに至りました。今回は番号では22番から26番まで、作品番号ではop.81a まで来ました。ここから先がまた大変で....後6曲、大曲揃いですから。チューリッヒ・トーンハレでのコンサート録音。そういえば、数年前に、以前チケットを買った関係で、このコンサート・ツィクルスのDMが来てましたっけ。そうか、あのツィクルスがこの録音になるのか。

 「堂々たる」と言ったものの、「大家」「巨匠」「ヴィルトゥオーゾ」という演奏ではありません。大体がシフはそういうイメージのある演奏家ではないですし。バッハ、モーツァルト、シューベルト、そうしたところがメインのレパートリーになるピアニストですが、どことなく「アンチ・ヴィルトゥオーゾ」的な演奏です。外連味がなくて、むしろスクェアだけれど、窮屈ではない。プログラミングも結構な内容なのだけれど、「弾きたいものを弾いている」という感じです。でも決して気まぐれだったりはしない。
 演奏自体も、とても確りしたものです。揺らぎや迷いが感じられない。大上段に構えて「かくあれかし」と叫ぶのではないけれど、整然と、こうでこうだからこう、というような組み立てが出来ている。けれど、「理路整然」という風でもないのですよね。

 分かりやすいのが、2曲目の「熱情」。この曲、最近はかなりいろいろに弾かれるようになってしまって、随分とテンポを揺らして、時には性急に畳み掛けるように弾いたかと思うと、今度は思い入れたっぷりに弾いてみせる、なんて人が多いのですが、シフの演奏は極めて堅実。イン・テンポと言ってしまえばそれまでですが、安易にルバートを掛けるようなことをせずに、一定のテンポを堅持する。確かに、ベートーヴェンのソナタは、曲想が如何に激しかろうとも、あくまで古典派のソナタなのですから(後期のソナタ群は微妙な所でもありますが)、同じ楽章の中であまりテンポを変えない方がいいのでしょうし。

 勿論、演奏的に不足はありません。緻密、という感じではないですが、それでも細部までよくコントロールされていて、「あれ?」と思うようなところもない。全体的にも分かりやすい、見通しの利く演奏です。録音だから、という以上に、ちゃんと気配りされている、というところでしょう。
 勿論、それぞれの曲想に合わせた表現もよく練られていますし、構成もきちんと押さえられている。王道を行くが如し、やはり堂々とした演奏、と言っていいのだと思います。


2008/06/10のBlog
J.Haydn : Symphony D-dur Hob.I/104 "London"
R.Schumann : Symphony No.2 op.61, C-dur

 SWR RADIO-SINFONIEORCHESTER STUTTGART
 Roger Norrington (conduct)
 Haenssler CD93.011

 ノリントン卿の録音....と言おうとしたけど、よく見たら「サー」が付いてない。あれ?ノリントンが爵位を貰ったのって、そんなに最近だったっけ?ちなみにこの録音、1999年のもので、発売は多分2000年。そんなもんかな?

 ノリントンが当時の手兵、南西ドイツ放送交響楽団(うーん、でも、直訳するとこれって「SWR・シュトゥットガルト放送交響楽団」とでも訳すべき?)を率いての録音です。一応ライヴらしく、拍手なんかが入ってます。
 さて、ノリントンらしいと言えば、ハイドンの方なのかシューマンの方なのか、どちらなんでしょう。最近のノリントンならどっちもあり、なのかも知れませんが。

 シューマンの交響曲を聴くのは久しぶりです。2番は、暫く前にラジオで掛かったのを覚えていますが、それ以来です。結構間が空いてるなぁ。実は、本当は1番や4番の方がどちらかというと好き、というか、聞きたい方なのですが、このCDに入っているのは2番なので仕方ない。こちらはというと、元々は「ノリントンのハイドン」を聞こうと買ったのだし。
 で、実際聞いてみると、どちらもいい演奏なのだけど、かえってハイドンよりシューマンの方が面白いかも、という、お約束のパターンなのであります。
 いや、決してハイドンがつまらない訳ではありませんが、まぁ、予想の範囲内というか、「ノリントンのハイドン」として普通にいい、というか。そんな感じでして。多少ノリントンらしい「活きの良さ」は感じるけれど、こりゃ凄いぞ!というほどではないし。むしろ、この「ロンドン」ハイドンなんだけど、交響曲では一番最後の作品(1795年)であり、何処かロマン派に通ずる感じがあって、そうした面が面白い。

 で、シューマンです。
 シューマンの交響曲は、なんとなく評価が定まらない部分があるような気がします。決して軽んじられる訳ではないんでしょうが、「交響曲の系譜」からすると大抵外される。つまり、ベートーヴェン以降ブラームスまでの間は傍流なんですよね、交響曲の「正史」からは。で、なんとなくこちらもそんな気分になってきて、つい「そういうもんか」と納得してしまうような。人気はあると思うんですけどねぇ.....
 中でも2番はちょっとメリハリがはっきりしないし。交響曲の構成としてはちょっと難しいようにも思います。この曲の肝は.....第3楽章かな?強いて言えば急-急-緩-急という構成の中で、唯一の緩徐楽章ながら、存在感がある第3楽章。ロマン派の代表格シューマンのピアノ曲、例えば幻想曲の中間部あたりを思わせる、やや瞑想的な面も感じさせる音楽です。決して勿体ぶってるわけではないけれど、重みは感じさせられます。ところが、構成的に厳しいなぁ、と思うのは、最終楽章が承前獅子奮迅して取り纏めるが如し、とはいかないあたりがですね.......
 全体に、かっちりとしたまとまりが感じられにくい。各々の楽章は、結構魅力的で面白いんですが。このへんはロマン派の交響曲に多かれ少なかれ共通する悩みなんでしょうか。

 ノリントンの演奏は、このまとまりを感じにくい音楽を、きびきびと明晰に演奏していきます。明晰と言っても、理詰めみたいなのではありません。ロマン派はロマン派らしく、でも、一つ一つのフレーズを明確に、けれど相応しい表現で演奏していく。だから、構成感の希薄さはあっても、迷子にはならない。格別奇を衒った風も無いのも、好感を持てます。
 強いて言えば「それっぽくない」って言われるんでしょうか。でも、シューマンみたいな音楽だったら、むしろこういうアプローチの方がいいんじゃないかという気がします。それっぽい演奏も、それはそれでいいんですけどね。


2008/06/07のBlog
My Heart Will Go On Zauber keltischer Harfenmusik
 Belfast Harp Orchestra, Sileas, etc.
 DECCA 4428238

 忙しくてまいってます。ちょっとたまらんなぁ、という今日この頃。今日も仕事中です。メリハリがあればともかく、もうちょっとこの状態は何とも......

 DECCAってことになってますが、まぁ、コンピレーションもののイージーリスニングですね。難しいものを聞く気力はありません。
 大体がタイトル曲なんて、タイタニックのアレでしょ。その他、ロンドンデリーの歌など、有名無名の民謡編曲、などなどを様々な奏者がハープで演奏していくのであります。ハープといっても、アイリッシュ・ハープもあれば、Celtic Electroharpなるもの、Wire-strung Harpなるものもありまして、どれがどれやら.....
 ま、あれですね、コンピレーションですから、仕方ないですね。

 一応、「民族音楽」という期待で聞いたのですが、これはたいしたことなかった、というのが正直な感想。それほど感銘を受けるようなものではない。まぁ、今時の「ケルト音楽」って、リズミックなの、ポップミュージック、イージーリスニング、と、大体そういう方向性になってますからね。あまりハードな期待をしても無理か......
 と言いながら、聞いてしまうのは、あんまり難しいこと考えたくない状態の身には、こういうのも悪くない、と思えるので。「癒し」なんて口が裂けても言いたくない、と日頃思っているけれど、こういう音楽もあれば聞くし、聞けばそれなりに心地よく感じてしまうのも事実なのであります。ううううむ(笑)



2008/06/05のBlog
W.A.Mozart : Piano Concertos <no.17 no.21 c-dur no.20 d-moll k.467, a-dur k.488, k.453, k.466, g-dur k.491 c-moll no.24 no.23>
 Arthur Rubinstein (piano)
 RCA Victor Symphony Orchestra
 Alfred Wallenstein, Josef Krips[K.491] (conduct)
 RCA/BMG 09026-63061-2

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 アルトゥール・ルービンシュタイン。LPでクラシックを聴き始めた頃にまとめて聞いて(安かったのです)、以来折に触れ聞いています。とはいえ、今時ルービンシュタインなんて流行らないですかね。実際、ルービンシュタインの影は年々薄くなっているように思います。まぁ、なんとなく分からないでもない気がします。
 ルービンシュタインは、良くも悪くもピアニストの王様だったんだと思います。王様ってのは、死んで代が替わり、次の王に取って代わられてしまいますからね。亡くなってもう四半世紀。
 それでも、ホロヴィッツのように癖のある怪人だったら、或いはバックハウスのように気難しげな職人だったら、それ故に名も後々まで残るというものだと思うのですが、ルービンシュタインの場合、音楽家として正道に過ぎたのかな、という気がします。とてもいい演奏なんですけどね。
 そんなわけですが、そういえば、私の場合、よく聞くのは協奏曲だったりします。オーケストラと渡り合うには、こういう正道を行く演奏がいいのかな。

 で、今日はモーツァルトの協奏曲の20番を聞きました。モーツァルトの20番から24番は、名曲揃いですが、中でも20番は好きです。長調で華やかさと抒情性を兼ね備えた21番が一番人気かも知れませんが、陰翳のある、それも陰の方がやや優位の20番はやはり捨て難い。
 この録音は1961年のものですが、この時点で既にルービンシュタインは70を越えています。確かに、忘れられてしまうわけです。本来なら、SP・モノラル録音時代の、いにしえのピアニスト扱いされるところが、1960年代のステレオ時代に晩年の録音が遺されて、しかもそれが尋常でなく立派、というわけですから。
 いや、実際、この録音は本当に王道。立派にして堂々たるものです。スタインウェイを操るピアニストがモーツァルトの書いた協奏曲を弾くなら、このように弾いて、楽器と音楽の可能性を引き出してやるものだ、という手本のようなものです。まぁ、そういうのは代り映えもしないしつまらない、ということなのかも知れませんが。でも、代り映えしないと偉そうに言うほど聞いたんかい、という気もしないではないですね。

 この曲で好きなのは、第2楽章。ロマンスと題された緩徐楽章で、その名の通り確かにちょっとロマンチック。でも、ちょっと危なげな雰囲気も垣間見えるのです。決して中間部の激しさを伴う部分のことではなく、最初のあの緩やかな長調の音楽が。この曲は、映画「アマデウス」の最後、自殺を図り、精神病院に入れられたサリエリが、「凡人に幸いあれ」と患者達を祝福して回る場面で使われているのですが、この曲を選んだ監督だか音響担当だかの眼力は生半ではないと思います。
 これが聞きたくて時々この曲をかけるのですが、ルービンシュタインも、指揮のウォーレンシュタインも、淡々とした表現がとてもいいなと思うのです。
 過剰には歌わず、必要以上に突慳貪にもならず、ピアノの性能を十二分に発揮して、きちんと演奏すれば、自ずと結果は付いて来る。なんとなく、そんな風に演奏している、いや、音楽をやっている印象を受ける演奏です。



2008/06/01のBlog
LAND OF HOPE AND GLORY
'The Last Night of the Proms'

 Sarah Walker (mezzo-soprano)
 Thomas Allen (baritone)
 London Philharmonic Choir
 London Philharmonic Orchestra
 Sir Roger Norrington (conduct)
 DECCA 480 0476

 The Last Night of the Proms" と副題が付いてますが、ラストナイトのライブではありません。大体が、オケがBBCではなくてロンドン・フィルですし。しかしまぁベタな演目です。これを振ってるのがノリントン。1996年の録音ですから、もうノリントンだって相応の評価は得てるだろうに。でも、そうでした。サー・ロジャー・ノリントン。卿はブリティッシュなのでした。なるほど。

 Land of Hope and Glory、日本語では希望と栄光の地、と訳されます。元々はエルガーの「威風堂々」第1番の中間部として作曲されたものを、エドワード7世の戴冠を祝して作曲された戴冠式頌歌 (Coronation Ode)に用いられ、その際に歌詞が付けられました。それが、元の「威風堂々」第1番を演奏する際に、合唱を付けて、この頌歌に付けられた詩の一部を歌うようになった、というわけです。
 但し、「威風堂々」に逆輸入したのはエルガーではないので、これはまぁ勝手にやってる訳ですね。ロンドンの夏の音楽祭、プロムスのラストナイトの定番です。

 日本人にとっては、あのラストナイトの雰囲気は異様に感じられるという向きもあるようです。まぁ、確かに、異様と言えば異様ですね。ただ、例えばこの曲や、 "Rule, Britannia!" なんかを、極めて愛国心の強い歌として観じるのも、まぁ気持ちは分かるのですが、ちょっと違うような気がします。
 確かに、歌詞を見ると、「Wider still and wider」とか言ってますし、大体自分達が住んでる場所を平気で「希望と栄光の地」と言っているあたり、なんとも、ではるんですけどね。でもね。Land of hope and glory なのです。決してImperial でもState でもCountry でもないんです。Land なんです。「希望と栄光の国」とよく訳されますが、Landなのです。
アーン作曲のRule, Britannia! にしても、よくよく考えてみると、Britannia はブリテンを象徴した女神なのですが、あくまで Rule, Britannia! Britannia rule the waves なのです。Britons never never never shall be slaves. なのです。つまり、ブリティッシュは決して奴隷にならないぞ!と言っているのです。.........愛国心の高揚、と言う割には、ちょっと弱気でないかい?

 もう一つ、ラストナイトの定番に、Jerusalemがあります。パリー作曲。確かにこの曲、イングランドにイェルサレムを建てよう、と歌うのではあります。でも、そこで歌われているのは、この楽園とはほど遠いイングランドの地に、イェルサレムを建てるまで、我らはこの心の戦いを収めるまい、という内容なのです。

 一度だけ、ラストナイトに潜り込んだことがあります。別に不法侵入した訳じゃありませんが。そこでやっているのは、日本人が「国」とか「愛国」とか考えているのとは相当に違ったものだと思います。
 勿論、そこにいるのはイングランドだけじゃない。GBの旗もあるけど、スコットランド旗もウェールズの旗もある。恐らくは旧英領と思しき知らない旗もあれば、何故かフランスもドイツもブラジルも日本も中国の旗もある。誰かが持って来ているのです。ちなみに私は旗が無いので白いシャツに赤い◎書いて持って行きました(苦笑)要するに、まぁ、なんでもありなのです。とはいえ、確かに多いのはGBの人ですね。
 でも、こうした歌を歌っていることが、ナショナリズムみたいなものか、と言われると、そうだけどちょっと違う、と思うのです。簡単に言えば、排他的なものが、上手く隠してるだけかも知れないけど、あまり感じられない。確かにViva Britain! Viva England! なイヴェントではあるのだけど。でも、それは、どちらかというと、Land を称えるイヴェントのような気がするのです。国、じゃないんですね。国を愛するというよりは、今自分がいる、この地が好きだ、という感情、なのでしょうか。強いて言えば愛郷心、でも、日本語の愛という言葉自体が合わないような気がします。

 プロムスの会場であるロイヤル・アルバート・ホールが最後の舞台になる映画で、ブラス!というのがあったのを覚えていらっしゃるでしょうか。あれは、炭鉱が閉山の危機にあって、活動も覚束無くなった貧しい鉱夫達(というか失業者達?)を中心にしたブラスバンドが、全国大会で優勝するという話。でも、決してハッピーエンドではない。優勝はしたけれど、明日の生活もどうなるかわからない。まぁとにかくどうにかしようとは思うけれど、という形で終わります。その最後、主人公達が、夜の観光バスの二階で真摯に演奏するのが、威風堂々第1番の中間部。つまりは、失業者によって演奏されるLand of Hope and Glory。映画としては痛烈な皮肉でもあります。でもまぁ、演奏してる彼等に、そういう考えはないんじゃないでしょうか。

 まぁ、どう捉えるかはそれぞれですが、善くも悪くももうちょっと素朴というかニュートラルな感じじゃないのかな、と思うのです。鈍すぎる、って言われるかも知れませんけどね。

 しかし、よくこんなの録音してるな......<ノリントン

 あ、演奏ですが、実はノリントンらしさもちょっと出ていて、なかなかです。威風堂々の中間部とか、平生はゆったり演奏したくなる所をきびきびと進めてみせたり、やはり一筋縄ではいきません。




2008/05/31のBlog
武満徹:室内楽作品集成 1
妖精の距離 / 悲歌 / 十一月の霧と菊の彼方から / 揺れる鏡の夜明け / 犂 / ア・ウェイ・ア・ローン

 清水高師 (violin)
 小賀野久美、藤井一興