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2008/06/07のBlog
[ 15:45 ]
[ 車で音楽 ]
My Heart Will Go On Zauber keltischer Harfenmusik
Belfast Harp Orchestra, Sileas, etc.
DECCA 4428238
忙しくてまいってます。ちょっとたまらんなぁ、という今日この頃。今日も仕事中です。メリハリがあればともかく、もうちょっとこの状態は何とも......
DECCAってことになってますが、まぁ、コンピレーションもののイージーリスニングですね。難しいものを聞く気力はありません。
大体がタイトル曲なんて、タイタニックのアレでしょ。その他、ロンドンデリーの歌など、有名無名の民謡編曲、などなどを様々な奏者がハープで演奏していくのであります。ハープといっても、アイリッシュ・ハープもあれば、Celtic Electroharpなるもの、Wire-strung Harpなるものもありまして、どれがどれやら.....
ま、あれですね、コンピレーションですから、仕方ないですね。
一応、「民族音楽」という期待で聞いたのですが、これはたいしたことなかった、というのが正直な感想。それほど感銘を受けるようなものではない。まぁ、今時の「ケルト音楽」って、リズミックなの、ポップミュージック、イージーリスニング、と、大体そういう方向性になってますからね。あまりハードな期待をしても無理か......
と言いながら、聞いてしまうのは、あんまり難しいこと考えたくない状態の身には、こういうのも悪くない、と思えるので。「癒し」なんて口が裂けても言いたくない、と日頃思っているけれど、こういう音楽もあれば聞くし、聞けばそれなりに心地よく感じてしまうのも事実なのであります。ううううむ(笑)
Belfast Harp Orchestra, Sileas, etc.
DECCA 4428238
忙しくてまいってます。ちょっとたまらんなぁ、という今日この頃。今日も仕事中です。メリハリがあればともかく、もうちょっとこの状態は何とも......
DECCAってことになってますが、まぁ、コンピレーションもののイージーリスニングですね。難しいものを聞く気力はありません。
大体がタイトル曲なんて、タイタニックのアレでしょ。その他、ロンドンデリーの歌など、有名無名の民謡編曲、などなどを様々な奏者がハープで演奏していくのであります。ハープといっても、アイリッシュ・ハープもあれば、Celtic Electroharpなるもの、Wire-strung Harpなるものもありまして、どれがどれやら.....
ま、あれですね、コンピレーションですから、仕方ないですね。
一応、「民族音楽」という期待で聞いたのですが、これはたいしたことなかった、というのが正直な感想。それほど感銘を受けるようなものではない。まぁ、今時の「ケルト音楽」って、リズミックなの、ポップミュージック、イージーリスニング、と、大体そういう方向性になってますからね。あまりハードな期待をしても無理か......
と言いながら、聞いてしまうのは、あんまり難しいこと考えたくない状態の身には、こういうのも悪くない、と思えるので。「癒し」なんて口が裂けても言いたくない、と日頃思っているけれど、こういう音楽もあれば聞くし、聞けばそれなりに心地よく感じてしまうのも事実なのであります。ううううむ(笑)
2008/06/05のBlog
[ 01:40 ]
[ クラシック ]
W.A.Mozart : Piano Concertos <no.17 no.21 c-dur no.20 d-moll k.467, a-dur k.488, k.453, k.466, g-dur k.491 c-moll no.24 no.23>
Arthur Rubinstein (piano)
RCA Victor Symphony Orchestra
Alfred Wallenstein, Josef Krips[K.491] (conduct)
RCA/BMG 09026-63061-2
[関連したBlog]
アルトゥール・ルービンシュタイン。LPでクラシックを聴き始めた頃にまとめて聞いて(安かったのです)、以来折に触れ聞いています。とはいえ、今時ルービンシュタインなんて流行らないですかね。実際、ルービンシュタインの影は年々薄くなっているように思います。まぁ、なんとなく分からないでもない気がします。
ルービンシュタインは、良くも悪くもピアニストの王様だったんだと思います。王様ってのは、死んで代が替わり、次の王に取って代わられてしまいますからね。亡くなってもう四半世紀。
それでも、ホロヴィッツのように癖のある怪人だったら、或いはバックハウスのように気難しげな職人だったら、それ故に名も後々まで残るというものだと思うのですが、ルービンシュタインの場合、音楽家として正道に過ぎたのかな、という気がします。とてもいい演奏なんですけどね。
そんなわけですが、そういえば、私の場合、よく聞くのは協奏曲だったりします。オーケストラと渡り合うには、こういう正道を行く演奏がいいのかな。
で、今日はモーツァルトの協奏曲の20番を聞きました。モーツァルトの20番から24番は、名曲揃いですが、中でも20番は好きです。長調で華やかさと抒情性を兼ね備えた21番が一番人気かも知れませんが、陰翳のある、それも陰の方がやや優位の20番はやはり捨て難い。
この録音は1961年のものですが、この時点で既にルービンシュタインは70を越えています。確かに、忘れられてしまうわけです。本来なら、SP・モノラル録音時代の、いにしえのピアニスト扱いされるところが、1960年代のステレオ時代に晩年の録音が遺されて、しかもそれが尋常でなく立派、というわけですから。
いや、実際、この録音は本当に王道。立派にして堂々たるものです。スタインウェイを操るピアニストがモーツァルトの書いた協奏曲を弾くなら、このように弾いて、楽器と音楽の可能性を引き出してやるものだ、という手本のようなものです。まぁ、そういうのは代り映えもしないしつまらない、ということなのかも知れませんが。でも、代り映えしないと偉そうに言うほど聞いたんかい、という気もしないではないですね。
この曲で好きなのは、第2楽章。ロマンスと題された緩徐楽章で、その名の通り確かにちょっとロマンチック。でも、ちょっと危なげな雰囲気も垣間見えるのです。決して中間部の激しさを伴う部分のことではなく、最初のあの緩やかな長調の音楽が。この曲は、映画「アマデウス」の最後、自殺を図り、精神病院に入れられたサリエリが、「凡人に幸いあれ」と患者達を祝福して回る場面で使われているのですが、この曲を選んだ監督だか音響担当だかの眼力は生半ではないと思います。
これが聞きたくて時々この曲をかけるのですが、ルービンシュタインも、指揮のウォーレンシュタインも、淡々とした表現がとてもいいなと思うのです。
過剰には歌わず、必要以上に突慳貪にもならず、ピアノの性能を十二分に発揮して、きちんと演奏すれば、自ずと結果は付いて来る。なんとなく、そんな風に演奏している、いや、音楽をやっている印象を受ける演奏です。
Arthur Rubinstein (piano)
RCA Victor Symphony Orchestra
Alfred Wallenstein, Josef Krips[K.491] (conduct)
RCA/BMG 09026-63061-2
[関連したBlog]
アルトゥール・ルービンシュタイン。LPでクラシックを聴き始めた頃にまとめて聞いて(安かったのです)、以来折に触れ聞いています。とはいえ、今時ルービンシュタインなんて流行らないですかね。実際、ルービンシュタインの影は年々薄くなっているように思います。まぁ、なんとなく分からないでもない気がします。
ルービンシュタインは、良くも悪くもピアニストの王様だったんだと思います。王様ってのは、死んで代が替わり、次の王に取って代わられてしまいますからね。亡くなってもう四半世紀。
それでも、ホロヴィッツのように癖のある怪人だったら、或いはバックハウスのように気難しげな職人だったら、それ故に名も後々まで残るというものだと思うのですが、ルービンシュタインの場合、音楽家として正道に過ぎたのかな、という気がします。とてもいい演奏なんですけどね。
そんなわけですが、そういえば、私の場合、よく聞くのは協奏曲だったりします。オーケストラと渡り合うには、こういう正道を行く演奏がいいのかな。
で、今日はモーツァルトの協奏曲の20番を聞きました。モーツァルトの20番から24番は、名曲揃いですが、中でも20番は好きです。長調で華やかさと抒情性を兼ね備えた21番が一番人気かも知れませんが、陰翳のある、それも陰の方がやや優位の20番はやはり捨て難い。
この録音は1961年のものですが、この時点で既にルービンシュタインは70を越えています。確かに、忘れられてしまうわけです。本来なら、SP・モノラル録音時代の、いにしえのピアニスト扱いされるところが、1960年代のステレオ時代に晩年の録音が遺されて、しかもそれが尋常でなく立派、というわけですから。
いや、実際、この録音は本当に王道。立派にして堂々たるものです。スタインウェイを操るピアニストがモーツァルトの書いた協奏曲を弾くなら、このように弾いて、楽器と音楽の可能性を引き出してやるものだ、という手本のようなものです。まぁ、そういうのは代り映えもしないしつまらない、ということなのかも知れませんが。でも、代り映えしないと偉そうに言うほど聞いたんかい、という気もしないではないですね。
この曲で好きなのは、第2楽章。ロマンスと題された緩徐楽章で、その名の通り確かにちょっとロマンチック。でも、ちょっと危なげな雰囲気も垣間見えるのです。決して中間部の激しさを伴う部分のことではなく、最初のあの緩やかな長調の音楽が。この曲は、映画「アマデウス」の最後、自殺を図り、精神病院に入れられたサリエリが、「凡人に幸いあれ」と患者達を祝福して回る場面で使われているのですが、この曲を選んだ監督だか音響担当だかの眼力は生半ではないと思います。
これが聞きたくて時々この曲をかけるのですが、ルービンシュタインも、指揮のウォーレンシュタインも、淡々とした表現がとてもいいなと思うのです。
過剰には歌わず、必要以上に突慳貪にもならず、ピアノの性能を十二分に発揮して、きちんと演奏すれば、自ずと結果は付いて来る。なんとなく、そんな風に演奏している、いや、音楽をやっている印象を受ける演奏です。
2008/06/01のBlog
[ 02:52 ]
[ クラシック ]
LAND OF HOPE AND GLORY
'The Last Night of the Proms'
Sarah Walker (mezzo-soprano)
Thomas Allen (baritone)
London Philharmonic Choir
London Philharmonic Orchestra
Sir Roger Norrington (conduct)
DECCA 480 0476
The Last Night of the Proms" と副題が付いてますが、ラストナイトのライブではありません。大体が、オケがBBCではなくてロンドン・フィルですし。しかしまぁベタな演目です。これを振ってるのがノリントン。1996年の録音ですから、もうノリントンだって相応の評価は得てるだろうに。でも、そうでした。サー・ロジャー・ノリントン。卿はブリティッシュなのでした。なるほど。
Land of Hope and Glory、日本語では希望と栄光の地、と訳されます。元々はエルガーの「威風堂々」第1番の中間部として作曲されたものを、エドワード7世の戴冠を祝して作曲された戴冠式頌歌 (Coronation Ode)に用いられ、その際に歌詞が付けられました。それが、元の「威風堂々」第1番を演奏する際に、合唱を付けて、この頌歌に付けられた詩の一部を歌うようになった、というわけです。
但し、「威風堂々」に逆輸入したのはエルガーではないので、これはまぁ勝手にやってる訳ですね。ロンドンの夏の音楽祭、プロムスのラストナイトの定番です。
日本人にとっては、あのラストナイトの雰囲気は異様に感じられるという向きもあるようです。まぁ、確かに、異様と言えば異様ですね。ただ、例えばこの曲や、 "Rule, Britannia!" なんかを、極めて愛国心の強い歌として観じるのも、まぁ気持ちは分かるのですが、ちょっと違うような気がします。
確かに、歌詞を見ると、「Wider still and wider」とか言ってますし、大体自分達が住んでる場所を平気で「希望と栄光の地」と言っているあたり、なんとも、ではるんですけどね。でもね。Land of hope and glory なのです。決してImperial でもState でもCountry でもないんです。Land なんです。「希望と栄光の国」とよく訳されますが、Landなのです。
アーン作曲のRule, Britannia! にしても、よくよく考えてみると、Britannia はブリテンを象徴した女神なのですが、あくまで Rule, Britannia! Britannia rule the waves なのです。Britons never never never shall be slaves. なのです。つまり、ブリティッシュは決して奴隷にならないぞ!と言っているのです。.........愛国心の高揚、と言う割には、ちょっと弱気でないかい?
もう一つ、ラストナイトの定番に、Jerusalemがあります。パリー作曲。確かにこの曲、イングランドにイェルサレムを建てよう、と歌うのではあります。でも、そこで歌われているのは、この楽園とはほど遠いイングランドの地に、イェルサレムを建てるまで、我らはこの心の戦いを収めるまい、という内容なのです。
一度だけ、ラストナイトに潜り込んだことがあります。別に不法侵入した訳じゃありませんが。そこでやっているのは、日本人が「国」とか「愛国」とか考えているのとは相当に違ったものだと思います。
勿論、そこにいるのはイングランドだけじゃない。GBの旗もあるけど、スコットランド旗もウェールズの旗もある。恐らくは旧英領と思しき知らない旗もあれば、何故かフランスもドイツもブラジルも日本も中国の旗もある。誰かが持って来ているのです。ちなみに私は旗が無いので白いシャツに赤い◎書いて持って行きました(苦笑)要するに、まぁ、なんでもありなのです。とはいえ、確かに多いのはGBの人ですね。
でも、こうした歌を歌っていることが、ナショナリズムみたいなものか、と言われると、そうだけどちょっと違う、と思うのです。簡単に言えば、排他的なものが、上手く隠してるだけかも知れないけど、あまり感じられない。確かにViva Britain! Viva England! なイヴェントではあるのだけど。でも、それは、どちらかというと、Land を称えるイヴェントのような気がするのです。国、じゃないんですね。国を愛するというよりは、今自分がいる、この地が好きだ、という感情、なのでしょうか。強いて言えば愛郷心、でも、日本語の愛という言葉自体が合わないような気がします。
プロムスの会場であるロイヤル・アルバート・ホールが最後の舞台になる映画で、ブラス!というのがあったのを覚えていらっしゃるでしょうか。あれは、炭鉱が閉山の危機にあって、活動も覚束無くなった貧しい鉱夫達(というか失業者達?)を中心にしたブラスバンドが、全国大会で優勝するという話。でも、決してハッピーエンドではない。優勝はしたけれど、明日の生活もどうなるかわからない。まぁとにかくどうにかしようとは思うけれど、という形で終わります。その最後、主人公達が、夜の観光バスの二階で真摯に演奏するのが、威風堂々第1番の中間部。つまりは、失業者によって演奏されるLand of Hope and Glory。映画としては痛烈な皮肉でもあります。でもまぁ、演奏してる彼等に、そういう考えはないんじゃないでしょうか。
まぁ、どう捉えるかはそれぞれですが、善くも悪くももうちょっと素朴というかニュートラルな感じじゃないのかな、と思うのです。鈍すぎる、って言われるかも知れませんけどね。
しかし、よくこんなの録音してるな......<ノリントン
あ、演奏ですが、実はノリントンらしさもちょっと出ていて、なかなかです。威風堂々の中間部とか、平生はゆったり演奏したくなる所をきびきびと進めてみせたり、やはり一筋縄ではいきません。
'The Last Night of the Proms'
Sarah Walker (mezzo-soprano)
Thomas Allen (baritone)
London Philharmonic Choir
London Philharmonic Orchestra
Sir Roger Norrington (conduct)
DECCA 480 0476
The Last Night of the Proms" と副題が付いてますが、ラストナイトのライブではありません。大体が、オケがBBCではなくてロンドン・フィルですし。しかしまぁベタな演目です。これを振ってるのがノリントン。1996年の録音ですから、もうノリントンだって相応の評価は得てるだろうに。でも、そうでした。サー・ロジャー・ノリントン。卿はブリティッシュなのでした。なるほど。
Land of Hope and Glory、日本語では希望と栄光の地、と訳されます。元々はエルガーの「威風堂々」第1番の中間部として作曲されたものを、エドワード7世の戴冠を祝して作曲された戴冠式頌歌 (Coronation Ode)に用いられ、その際に歌詞が付けられました。それが、元の「威風堂々」第1番を演奏する際に、合唱を付けて、この頌歌に付けられた詩の一部を歌うようになった、というわけです。
但し、「威風堂々」に逆輸入したのはエルガーではないので、これはまぁ勝手にやってる訳ですね。ロンドンの夏の音楽祭、プロムスのラストナイトの定番です。
日本人にとっては、あのラストナイトの雰囲気は異様に感じられるという向きもあるようです。まぁ、確かに、異様と言えば異様ですね。ただ、例えばこの曲や、 "Rule, Britannia!" なんかを、極めて愛国心の強い歌として観じるのも、まぁ気持ちは分かるのですが、ちょっと違うような気がします。
確かに、歌詞を見ると、「Wider still and wider」とか言ってますし、大体自分達が住んでる場所を平気で「希望と栄光の地」と言っているあたり、なんとも、ではるんですけどね。でもね。Land of hope and glory なのです。決してImperial でもState でもCountry でもないんです。Land なんです。「希望と栄光の国」とよく訳されますが、Landなのです。
アーン作曲のRule, Britannia! にしても、よくよく考えてみると、Britannia はブリテンを象徴した女神なのですが、あくまで Rule, Britannia! Britannia rule the waves なのです。Britons never never never shall be slaves. なのです。つまり、ブリティッシュは決して奴隷にならないぞ!と言っているのです。.........愛国心の高揚、と言う割には、ちょっと弱気でないかい?
もう一つ、ラストナイトの定番に、Jerusalemがあります。パリー作曲。確かにこの曲、イングランドにイェルサレムを建てよう、と歌うのではあります。でも、そこで歌われているのは、この楽園とはほど遠いイングランドの地に、イェルサレムを建てるまで、我らはこの心の戦いを収めるまい、という内容なのです。
一度だけ、ラストナイトに潜り込んだことがあります。別に不法侵入した訳じゃありませんが。そこでやっているのは、日本人が「国」とか「愛国」とか考えているのとは相当に違ったものだと思います。
勿論、そこにいるのはイングランドだけじゃない。GBの旗もあるけど、スコットランド旗もウェールズの旗もある。恐らくは旧英領と思しき知らない旗もあれば、何故かフランスもドイツもブラジルも日本も中国の旗もある。誰かが持って来ているのです。ちなみに私は旗が無いので白いシャツに赤い◎書いて持って行きました(苦笑)要するに、まぁ、なんでもありなのです。とはいえ、確かに多いのはGBの人ですね。
でも、こうした歌を歌っていることが、ナショナリズムみたいなものか、と言われると、そうだけどちょっと違う、と思うのです。簡単に言えば、排他的なものが、上手く隠してるだけかも知れないけど、あまり感じられない。確かにViva Britain! Viva England! なイヴェントではあるのだけど。でも、それは、どちらかというと、Land を称えるイヴェントのような気がするのです。国、じゃないんですね。国を愛するというよりは、今自分がいる、この地が好きだ、という感情、なのでしょうか。強いて言えば愛郷心、でも、日本語の愛という言葉自体が合わないような気がします。
プロムスの会場であるロイヤル・アルバート・ホールが最後の舞台になる映画で、ブラス!というのがあったのを覚えていらっしゃるでしょうか。あれは、炭鉱が閉山の危機にあって、活動も覚束無くなった貧しい鉱夫達(というか失業者達?)を中心にしたブラスバンドが、全国大会で優勝するという話。でも、決してハッピーエンドではない。優勝はしたけれど、明日の生活もどうなるかわからない。まぁとにかくどうにかしようとは思うけれど、という形で終わります。その最後、主人公達が、夜の観光バスの二階で真摯に演奏するのが、威風堂々第1番の中間部。つまりは、失業者によって演奏されるLand of Hope and Glory。映画としては痛烈な皮肉でもあります。でもまぁ、演奏してる彼等に、そういう考えはないんじゃないでしょうか。
まぁ、どう捉えるかはそれぞれですが、善くも悪くももうちょっと素朴というかニュートラルな感じじゃないのかな、と思うのです。鈍すぎる、って言われるかも知れませんけどね。
しかし、よくこんなの録音してるな......<ノリントン
あ、演奏ですが、実はノリントンらしさもちょっと出ていて、なかなかです。威風堂々の中間部とか、平生はゆったり演奏したくなる所をきびきびと進めてみせたり、やはり一筋縄ではいきません。
2008/05/31のBlog
[ 11:14 ]
[ クラシック ]
武満徹:室内楽作品集成 1
妖精の距離 / 悲歌 / 十一月の霧と菊の彼方から / 揺れる鏡の夜明け / 犂 / ア・ウェイ・ア・ローン
清水高師 (violin)
小賀野久美、藤井一興 (piano)
上村昇 (cello)
アルディッティ四重奏団
フォンテック FOCD9226
武満に限らずそうなのですが、ついでに言えばこないだ書いた話にも通じるのですけれど、現代音楽に関しては、どうも、大規模な管弦楽などよりは、室内楽の方が取っ付きやすいのではないか、という気がします。あくまで「気がする」だけで、極めて個人的な感想なんですけども。
多分、管弦楽とかは、複雑すぎるんですね、私には。現代の作曲家は、作品を書くに当たってはかなり自由度が高いですから、使おうと思えばどんな楽器でも使うように指示出来るし、どんな音の積み重ねを連ねることも許されるし、楽曲構成なども縛られることはない。勿論、それが良さなのだ、ということでもあるのですが、そのように音楽の枠を拡げることが、複雑さを増す方向に行っているのは確かです。それでも勿論そうした音楽を受け取ることは可能なのですが、人によっては - 私のように - 聞く側にとっての負担が増している、と感じないこともないかと思うのです。
平たく言うと疲れちゃうんですね。ま、もっとも、ブルックナーとかだって長過ぎて疲れちゃう、てなことはあるので、現代音楽に限った話じゃないだろ!と言われると一言も無いのですが(苦笑)
武満徹は日本人作曲家としても、現代作曲家としても、異例の人気を保っている、と言っていいと思います。確かにこの人聞きやすい音楽も多くて、人気あるのもうなずけるんですよね。でも、やっぱり、聞き疲れるとかいうのは、それとはちょっと別の話で、あるにはあるのです。
そういう意味で言うと、確かにこの室内楽だって、疲れるには疲れます。とっても取っ付きやすい、というわけではないと思います。でも、やっぱり、編成としての簡潔さが、聞く側にとっての受け取りやすさの一因になってるのではないかな、と思うのです。調性感こそ曖昧なものの、決して突拍子も無い音楽にはならない安定感や、武満特有の「音の少なさ」とも相俟って、そうした印象を受けるのかも知れません。そういえば、武満の音楽にはアレグロな音楽が比較的少ないのですが、ここに入っている作品、急テンポのものは少ないですね。そうしたこともありますね。きっと。
このCDの中では、ピアノとチェロの為の作品で、ORION <犂> という作品が収録されていますが、これなんかが今の所一番気に入っているかな。どちらかというと気難しい風で、決して親しみやすい顔をした音楽ではないのだけど、気が付くと聞き入ってしまうというか引き込まれているのに気付く、そんな音楽です。ちなみに、なんでORIONなのか、聞いている限りではすぐに合点が行くという訳ではありません。武満の表題付き音楽は、存外、「なんでそういう表題なのかよくわからない」というのが少なくないのでは。でも、そういうこととは別に、「ああ、これは"夜の音楽"だな」と感じさせるものがあります。矛盾してるようですが。
妖精の距離 / 悲歌 / 十一月の霧と菊の彼方から / 揺れる鏡の夜明け / 犂 / ア・ウェイ・ア・ローン
清水高師 (violin)
小賀野久美、藤井一興 (piano)
上村昇 (cello)
アルディッティ四重奏団
フォンテック FOCD9226
武満に限らずそうなのですが、ついでに言えばこないだ書いた話にも通じるのですけれど、現代音楽に関しては、どうも、大規模な管弦楽などよりは、室内楽の方が取っ付きやすいのではないか、という気がします。あくまで「気がする」だけで、極めて個人的な感想なんですけども。
多分、管弦楽とかは、複雑すぎるんですね、私には。現代の作曲家は、作品を書くに当たってはかなり自由度が高いですから、使おうと思えばどんな楽器でも使うように指示出来るし、どんな音の積み重ねを連ねることも許されるし、楽曲構成なども縛られることはない。勿論、それが良さなのだ、ということでもあるのですが、そのように音楽の枠を拡げることが、複雑さを増す方向に行っているのは確かです。それでも勿論そうした音楽を受け取ることは可能なのですが、人によっては - 私のように - 聞く側にとっての負担が増している、と感じないこともないかと思うのです。
平たく言うと疲れちゃうんですね。ま、もっとも、ブルックナーとかだって長過ぎて疲れちゃう、てなことはあるので、現代音楽に限った話じゃないだろ!と言われると一言も無いのですが(苦笑)
武満徹は日本人作曲家としても、現代作曲家としても、異例の人気を保っている、と言っていいと思います。確かにこの人聞きやすい音楽も多くて、人気あるのもうなずけるんですよね。でも、やっぱり、聞き疲れるとかいうのは、それとはちょっと別の話で、あるにはあるのです。
そういう意味で言うと、確かにこの室内楽だって、疲れるには疲れます。とっても取っ付きやすい、というわけではないと思います。でも、やっぱり、編成としての簡潔さが、聞く側にとっての受け取りやすさの一因になってるのではないかな、と思うのです。調性感こそ曖昧なものの、決して突拍子も無い音楽にはならない安定感や、武満特有の「音の少なさ」とも相俟って、そうした印象を受けるのかも知れません。そういえば、武満の音楽にはアレグロな音楽が比較的少ないのですが、ここに入っている作品、急テンポのものは少ないですね。そうしたこともありますね。きっと。
このCDの中では、ピアノとチェロの為の作品で、ORION <犂> という作品が収録されていますが、これなんかが今の所一番気に入っているかな。どちらかというと気難しい風で、決して親しみやすい顔をした音楽ではないのだけど、気が付くと聞き入ってしまうというか引き込まれているのに気付く、そんな音楽です。ちなみに、なんでORIONなのか、聞いている限りではすぐに合点が行くという訳ではありません。武満の表題付き音楽は、存外、「なんでそういう表題なのかよくわからない」というのが少なくないのでは。でも、そういうこととは別に、「ああ、これは"夜の音楽"だな」と感じさせるものがあります。矛盾してるようですが。
2008/05/28のBlog
[ 01:20 ]
[ クラシック ]
L.v.Beethoven : Piano Sonata Nr.22 F Major op.54 / Nr.24 F sharp minor op.78 / Nr.29 B flat Major "Hammerklavier"
Gerhard Oppitz (piano)
Haenssler classic CD98.207
おかげさまで、アクセス数が累計8万件を超えました。このblog、2005年の6月から始めてますから、この6月で丸3年になります。合計すれば1日平均70アクセスくらい、でしょうか。随分前にも書いたけど、毎日更新するでなく、画像も載せない、と、人気の出る要素をことごとく回避している筈なのに、よくお越し頂けるものです。御礼申し上げます。
それはいいんですが、最近、昔の記事を読み返してみたのですが..........なんか理屈っぽくなってますねぇ、近年。書くことが。始めた頃は、せいぜい5行くらいの記事しか書いてないですもんね。今じゃ、下手すると一つの記事でその10倍くらい書いてるし。
まぁ、正直言うと、以前は「あまりぐだぐだ書かないようにしよう」と心がけて、軽い内容で気楽にやって行こう、と思ってやっていたのですが、その内本性が(?)出始めて、ぐだぐだと埒も無いことを書き連ねるようになってしまったのであります。人間、猫被ってるのにも限界があるのです。まぁ、本性出てしまったものは今更引っ込みがつきません<引っ込めろよ
それにしても、いつも思うのだけど、一体どなたが読んでおられるのでしょうね。不徳の致す所ながら、コメントもTBも大して付かないので(ま、コメントはDoblogメンバーに限ってしまっているのも大きいですが)、一体どうなっているのだろうと思っているのですが。どこぞでさらし者にでもなっているのでしょうか。失礼ながら、いわゆる落語のアレでしょうか。「いやぁ、あいつは本当に暇な奴だねぇ。昨日も一日中釣れもしないのに、ずーっと釣り糸垂れて待ってやがったよ。朝から晩まで!本当だって!俺、ずーっと見てたんだもん。」
.........すみません。これは本当に失礼ですね(^^;
さて本題。
ゲルハルト・オピッツ。近年は毎年冬に来日して、オペラシティでベートーヴェンのピアノソナタ全曲演奏会を続けています。ヴィルヘルム・ケンプの弟子で、ドイツの正統派ピアニスト、なんだそうです。一度聞いたことがありますが、むしろやや軽めの音で、正直言うと「ドイツの正統的」って感じはあまりしなかったですけどね。まぁ、それは、「ドイツの正統」に対する偏見かも知れないし。
でも、確かに、ケンプも録音で聞く限りでは重々しい音では無いよなぁ、などと思ったりもするのではあります。
そのオピッツが、独Haensslerに、ベートーヴェンのソナタを録音しています。一応全集になるのかな?これはその1枚。22番、24番と29番「ハンマークラヴィーア」を収録しています。少々異端的な3曲の組み合わせ。
これが、オピッツのやや軽め - というより軽快と言った方がいいのかも知れませんね - の音によく合うのです。録音も微妙に違えていて、前二曲はいずれも二楽章構成で、基本的に全部アレグロ楽章なのですが、これが臨場感溢れるなかなか楽しい聞き物。ベートーヴェンには珍しく機嫌の良い音楽というのも合ってます。
一方、「ハンマークラヴィーア」は、ちょっと引いた感じの録音で、演奏も力押しすることもない品のいい演奏。これがなかなか趣味が良くていいのです。大体が、ハンマークラヴィーア、ついつい「大曲」らしく弾いてしまう演奏も少なくないのですが、考えてみれば「長い」=「大曲」、というわけでもありませんからね。
いや、確かに大曲ではあるのだろうと思います。でも、大仰に表現してみたり、徒に声を荒げてみたりすればいいのか、というと、それはそうでもないわけで。力こぶを入れてみせることが、こういう曲を弾く秘訣というわけでもないだろう、と言っているかのような演奏。この演奏を聞いていると、確かに大曲だけれど、この曲、最後の3つのソナタと地続きなのだな、と思わされるような繊細さを感じるのです。
となれば、やはり、オピッツの「最後の三曲」も聞いてみたいのではありますが.......出てるのかな?出てるよなぁ?今度探してみよう......
Gerhard Oppitz (piano)
Haenssler classic CD98.207
おかげさまで、アクセス数が累計8万件を超えました。このblog、2005年の6月から始めてますから、この6月で丸3年になります。合計すれば1日平均70アクセスくらい、でしょうか。随分前にも書いたけど、毎日更新するでなく、画像も載せない、と、人気の出る要素をことごとく回避している筈なのに、よくお越し頂けるものです。御礼申し上げます。
それはいいんですが、最近、昔の記事を読み返してみたのですが..........なんか理屈っぽくなってますねぇ、近年。書くことが。始めた頃は、せいぜい5行くらいの記事しか書いてないですもんね。今じゃ、下手すると一つの記事でその10倍くらい書いてるし。
まぁ、正直言うと、以前は「あまりぐだぐだ書かないようにしよう」と心がけて、軽い内容で気楽にやって行こう、と思ってやっていたのですが、その内本性が(?)出始めて、ぐだぐだと埒も無いことを書き連ねるようになってしまったのであります。人間、猫被ってるのにも限界があるのです。まぁ、本性出てしまったものは今更引っ込みがつきません<引っ込めろよ
それにしても、いつも思うのだけど、一体どなたが読んでおられるのでしょうね。不徳の致す所ながら、コメントもTBも大して付かないので(ま、コメントはDoblogメンバーに限ってしまっているのも大きいですが)、一体どうなっているのだろうと思っているのですが。どこぞでさらし者にでもなっているのでしょうか。失礼ながら、いわゆる落語のアレでしょうか。「いやぁ、あいつは本当に暇な奴だねぇ。昨日も一日中釣れもしないのに、ずーっと釣り糸垂れて待ってやがったよ。朝から晩まで!本当だって!俺、ずーっと見てたんだもん。」
.........すみません。これは本当に失礼ですね(^^;
さて本題。
ゲルハルト・オピッツ。近年は毎年冬に来日して、オペラシティでベートーヴェンのピアノソナタ全曲演奏会を続けています。ヴィルヘルム・ケンプの弟子で、ドイツの正統派ピアニスト、なんだそうです。一度聞いたことがありますが、むしろやや軽めの音で、正直言うと「ドイツの正統的」って感じはあまりしなかったですけどね。まぁ、それは、「ドイツの正統」に対する偏見かも知れないし。
でも、確かに、ケンプも録音で聞く限りでは重々しい音では無いよなぁ、などと思ったりもするのではあります。
そのオピッツが、独Haensslerに、ベートーヴェンのソナタを録音しています。一応全集になるのかな?これはその1枚。22番、24番と29番「ハンマークラヴィーア」を収録しています。少々異端的な3曲の組み合わせ。
これが、オピッツのやや軽め - というより軽快と言った方がいいのかも知れませんね - の音によく合うのです。録音も微妙に違えていて、前二曲はいずれも二楽章構成で、基本的に全部アレグロ楽章なのですが、これが臨場感溢れるなかなか楽しい聞き物。ベートーヴェンには珍しく機嫌の良い音楽というのも合ってます。
一方、「ハンマークラヴィーア」は、ちょっと引いた感じの録音で、演奏も力押しすることもない品のいい演奏。これがなかなか趣味が良くていいのです。大体が、ハンマークラヴィーア、ついつい「大曲」らしく弾いてしまう演奏も少なくないのですが、考えてみれば「長い」=「大曲」、というわけでもありませんからね。
いや、確かに大曲ではあるのだろうと思います。でも、大仰に表現してみたり、徒に声を荒げてみたりすればいいのか、というと、それはそうでもないわけで。力こぶを入れてみせることが、こういう曲を弾く秘訣というわけでもないだろう、と言っているかのような演奏。この演奏を聞いていると、確かに大曲だけれど、この曲、最後の3つのソナタと地続きなのだな、と思わされるような繊細さを感じるのです。
となれば、やはり、オピッツの「最後の三曲」も聞いてみたいのではありますが.......出てるのかな?出てるよなぁ?今度探してみよう......
2008/05/25のBlog
[ 21:49 ]
[ クラシック ]
Schweizer Musik fuer Floete und Klavier aus der Mitte des 20.Jahrhunderts
Werner Wehrli : suite, op.16 / Sonata, op.54
Robert Oboussier : Pavane et Gaillarde
Constantin Regamey : Sonatina
Peter Mieg : Sonate
Thomas Straessle (floete)
Christian Zaugg (Klavier)
MIGROS MUSIQUES SUISSES MGB CD 6222
例えば、日本のレコード会社は、儲からないと言いながらも、一応、日本の作曲家や音楽家の演奏を録音して発売してくれたりします。まぁ、一種の自国文化支援みたいなもんですね。
どうしても日本はクラシック音楽プロパーの国ではないから、こういうことが必要。ヨーロッパ諸国はそんな必要も無い.....かというと、これがそうでもなかったりします。UKには、ニムバスやシャンドス、ハイペリオンといったレーベルがあって、自国の作曲家や演奏家の作品を多く録音しています。どうしても、クラシック音楽の世界で見れば、特に作曲関係ではUKは非主流ですから、仕方ないかもしれません。
もう一つ、大陸にある、いわゆるクラシック音楽の中心地の一つのような顔をして、実は辺境地区、という場所があります。スイス。
はい。ここで、スイスの作曲家を挙げて下さい、と言われて、挙がりますか?俄には出てこないのではないでしょうか。私は、よく知りません。
元々スイスは、周りを取り囲むドイツ・フランス・イタリアという3つの大国の文化圏に属する人達で成っている国です。つまり、元々民族国家ではない上に、州の集まりから成る連邦国家です。独自の文化が無い訳では無いけれど、それは事実上少数民族と言うべき位置付けですし、そもそもスイス国全体を代表する文化というわけではない。
クラシック音楽で言えば、そうした文化を育む宮廷はなかったし、都市に育った筈のブルジョワ層も、厳格なプロテスタントが多い土地柄もあって、華やかな音楽文化には繋がらなかったのでしょう。
そんなスイスには、自国の音楽を積極的に取り上げているレーベルが2つあります。一つは、これは結構有名なClaves。そしてもう一つが、MIGROS。スイスのスーパーマーケット・チェーン、MIGROSが持っているレーベルなのです。Clavesが言わば「普通の」レコード会社なので、決してスイスに特化しているとは限らない(ベルガンサのスペイン歌曲集なんかを出していましたし)のに対し、MIGROSはかなりラディカルな方針を採ってます。即ち、伝統音楽から現代音楽まで、スイスの音楽に特化していること。特に、20世紀のスイス作曲家の作品について積極的に録音しています。いや、さすがにここまで付き合うのは大変.......
にも関わらずお値段はフルプライス。なので、たまに投げ売りセールの中に入っているのを拾って来るぐらいなのですが。演奏、録音は、結構質がいいので、面白いには面白いのです。
んでもって、そんな経緯で入手したのがこれ。20世紀中期の、フルートとピアノの為のスイス音楽。うーん。そうは言うものの、幾らなんでも、なんでこんなの買ったんだっけ(笑)
と言っても、そう突拍子も無い音楽でもありません。ここで取り上げられている作曲家は4人ですが、最初に取り上げられているヴェールリ(と読むのでしょうか?この、Wehrli という綴り)の作品など、調性感ばっちりの後期ロマン派と呼ぶに相応しい作品です。むしろ肩透かしにあったようで、物足りないくらい(謎)まぁ、1921年の作品ですから、そんな所なのでしょう。
とはいえ、ここで取り上げられている作品、率直に言えばあまり現代音楽してい
ません。元々、フルートとピアノの二重奏、という組み合わせも、あまりとんがった方向に行きにくい組み合わせかも知れませんし。ただ、時期的には、先の1921年の作曲を筆頭に、最も新しい年代のものでも1963年の作ですから、やはり作品としては随分聞きやすいのかも知れません。
実際、メロディアスと言っていい作品が多いのです。20世紀音楽の、旋律や和声体系を解体して、バラバラにすることに目的があるような風の音楽が無い。まぁ、最近は、むしろそういう音楽の方が主流だった、ということになってるのかも知れませんが、ともあれ、これは聞いて「時間の無駄だったー!」と思わせない(その種の「先進的音楽」こそ20世紀音楽!という向きには時間の無駄と言わしめるかも知れませんが....)作品群です。
まぁ、普通に買うと高いし、気軽に「お勧めします」というようなCDでは御座いませんが、何処ぞの投げ売りセールで巡り会ったらどうぞ、てなとこでしょうか。
Werner Wehrli : suite, op.16 / Sonata, op.54
Robert Oboussier : Pavane et Gaillarde
Constantin Regamey : Sonatina
Peter Mieg : Sonate
Thomas Straessle (floete)
Christian Zaugg (Klavier)
MIGROS MUSIQUES SUISSES MGB CD 6222
例えば、日本のレコード会社は、儲からないと言いながらも、一応、日本の作曲家や音楽家の演奏を録音して発売してくれたりします。まぁ、一種の自国文化支援みたいなもんですね。
どうしても日本はクラシック音楽プロパーの国ではないから、こういうことが必要。ヨーロッパ諸国はそんな必要も無い.....かというと、これがそうでもなかったりします。UKには、ニムバスやシャンドス、ハイペリオンといったレーベルがあって、自国の作曲家や演奏家の作品を多く録音しています。どうしても、クラシック音楽の世界で見れば、特に作曲関係ではUKは非主流ですから、仕方ないかもしれません。
もう一つ、大陸にある、いわゆるクラシック音楽の中心地の一つのような顔をして、実は辺境地区、という場所があります。スイス。
はい。ここで、スイスの作曲家を挙げて下さい、と言われて、挙がりますか?俄には出てこないのではないでしょうか。私は、よく知りません。
元々スイスは、周りを取り囲むドイツ・フランス・イタリアという3つの大国の文化圏に属する人達で成っている国です。つまり、元々民族国家ではない上に、州の集まりから成る連邦国家です。独自の文化が無い訳では無いけれど、それは事実上少数民族と言うべき位置付けですし、そもそもスイス国全体を代表する文化というわけではない。
クラシック音楽で言えば、そうした文化を育む宮廷はなかったし、都市に育った筈のブルジョワ層も、厳格なプロテスタントが多い土地柄もあって、華やかな音楽文化には繋がらなかったのでしょう。
そんなスイスには、自国の音楽を積極的に取り上げているレーベルが2つあります。一つは、これは結構有名なClaves。そしてもう一つが、MIGROS。スイスのスーパーマーケット・チェーン、MIGROSが持っているレーベルなのです。Clavesが言わば「普通の」レコード会社なので、決してスイスに特化しているとは限らない(ベルガンサのスペイン歌曲集なんかを出していましたし)のに対し、MIGROSはかなりラディカルな方針を採ってます。即ち、伝統音楽から現代音楽まで、スイスの音楽に特化していること。特に、20世紀のスイス作曲家の作品について積極的に録音しています。いや、さすがにここまで付き合うのは大変.......
にも関わらずお値段はフルプライス。なので、たまに投げ売りセールの中に入っているのを拾って来るぐらいなのですが。演奏、録音は、結構質がいいので、面白いには面白いのです。
んでもって、そんな経緯で入手したのがこれ。20世紀中期の、フルートとピアノの為のスイス音楽。うーん。そうは言うものの、幾らなんでも、なんでこんなの買ったんだっけ(笑)
と言っても、そう突拍子も無い音楽でもありません。ここで取り上げられている作曲家は4人ですが、最初に取り上げられているヴェールリ(と読むのでしょうか?この、Wehrli という綴り)の作品など、調性感ばっちりの後期ロマン派と呼ぶに相応しい作品です。むしろ肩透かしにあったようで、物足りないくらい(謎)まぁ、1921年の作品ですから、そんな所なのでしょう。
とはいえ、ここで取り上げられている作品、率直に言えばあまり現代音楽してい
ません。元々、フルートとピアノの二重奏、という組み合わせも、あまりとんがった方向に行きにくい組み合わせかも知れませんし。ただ、時期的には、先の1921年の作曲を筆頭に、最も新しい年代のものでも1963年の作ですから、やはり作品としては随分聞きやすいのかも知れません。
実際、メロディアスと言っていい作品が多いのです。20世紀音楽の、旋律や和声体系を解体して、バラバラにすることに目的があるような風の音楽が無い。まぁ、最近は、むしろそういう音楽の方が主流だった、ということになってるのかも知れませんが、ともあれ、これは聞いて「時間の無駄だったー!」と思わせない(その種の「先進的音楽」こそ20世紀音楽!という向きには時間の無駄と言わしめるかも知れませんが....)作品群です。
まぁ、普通に買うと高いし、気軽に「お勧めします」というようなCDでは御座いませんが、何処ぞの投げ売りセールで巡り会ったらどうぞ、てなとこでしょうか。
2008/05/24のBlog
[ 08:44 ]
[ ラ・フォル・ジュルネ09:バッハ ]
Leon Fleisher "Two Hands"
J.S.Bach : "Jesu, Joy of Man's desiring" / "Sheep may safely graze"
D.Scarlatti : Sonata E major, K.380
F.Chopin : Mazurka op.50-3 / Nocturne op.27-2
C.Debussy : Clair de Lune
F.Schubert : Sonata B flat major, D.960
Leon Fleisher (piano)
Vanguard Classics ATM CD 1551
レオン・フライシャーといえば、かつてのヴィルトゥオーゾピアニスト。セルとの録音もありながら、右手を病んで引退に近い状態だったのが、近年ようよう復活し、演奏活動を再開した人です。
先日N響とベートーヴェンの協奏曲を共演したのを聞きに行ったのですが、その関係で改めて聞きたくなって、フライシャーが復活してから録音したこのCDを引っ張り出してきました。
そういうわけで、本来このCDを聞いたのは、フライシャー聞きたさ故だったのですが.......何故か引っ掛かったのは「フライシャーの演奏」ではなくて、バッハのコラール編曲なのであります。
ここで採られているコラールは二曲。往年のピアニスト、マイラ・ヘス編曲の "Jesu, Joy of Man's desiring" 「主よ、人の望みの喜びよ」と、ブゾーニの弟子、エゴン・ペトリ編曲の"Sheep may safely graze" 「羊達はやすらかに草を食み」。
「主よ、人の望みの喜びよ」は、これは説明不要なほど、あまりにも有名な曲。あの、さざ波のような音形に乗って立ち現れるコラールの旋律。
続いてのもう一曲が、「羊達はやすらかに草を食み」。この曲というかコラール、私は確かに聞いたことはあったけれど、あまりちゃんと聞いていなかったのですね。そう、今回引っ掛かったのは、この曲。改めて聞いたのですが、この曲、よく知られているのでしょうか?決してマイナーなわけではないのだろうと思うのだけど。やはりバッハは奥が深い?
バッハのコラールの面白さは、特に編曲版の場合そうなのだけれど、コラール旋律の良さもさることながら、伴奏にあたる対声部の印象も大きいと思います。
バッハのコラールは基本3声部に分けることが出来ると思います。通奏低音、コラールとそれに対する対声部。「主よ、人の望みの喜びよ」で言えば、さざ波のように寄せては返す音形が対声部。いや、こういう言葉でいいのか、そもそもそんな言い方するのかどうかも怪しいのですが。まぁとにかく、この部分が印象に残りやすい。何分にも、コラールは基本的に合唱の為の旋律ですし、しかも原則的には素人が歌う為のものですから。そこへいくと対声部の方は伴奏なので、いろんなことが出来るんですね。
「羊達はやすらかに草を食み」では、この部分が言ってみれば鐘の音のように喜ばしげに鳴り響きます。原曲を出して来てないので、元々どんな風になっているのか未確認なのですが、これは面白い。よく出来てるな、と思うのは、コラール旋律との対比が鮮やかなだけでなく、構造的にも、旋律的な面を前面に出すコラール部に対し、この部分が言ってみればピアノの持つ「旋律楽器ではない面」、例えば打楽器的な面(鐘というのも分類すれば打楽器ですね、そういえば)を前に出しているので、比較的単純な構造なのに、立体的な音楽に仕上がっていること。
勿論、元のバッハの音楽の持つポリフォニックな傾向故でもありますが、ピアノの持つ違った様相を同時に引き出して使うあたり、さすがブゾーニの弟子、という感じです。「主よ、人の望みの喜びよ」の方は、ピアニストだったヘスの編曲ですが、こちらが言ってみればコラールの部分を全面に押し出した「ピアニストの休息」とするなら、「羊達は....」は「ピアニストの休日」とでも言えましょうか。
フライシャーに言わせると、この曲、「我々の時代に対するantidote - 解毒剤、ということでしょうか - 」として弾いているのだそうで。難しいことを仰る(笑)まぁ、演奏としては大変結構。
バッハのコラールの編曲物というと、どうしてもアンコール・ピース的な雰囲気が漂うのですが、面白いなと思うのは、それにも関わらずやっぱりバッハはバッハ、なんですよね。他の作曲家でも多少あることではあるけれど、バッハの場合、やっぱり、そのように感じさせられることが多いような気がします。
J.S.Bach : "Jesu, Joy of Man's desiring" / "Sheep may safely graze"
D.Scarlatti : Sonata E major, K.380
F.Chopin : Mazurka op.50-3 / Nocturne op.27-2
C.Debussy : Clair de Lune
F.Schubert : Sonata B flat major, D.960
Leon Fleisher (piano)
Vanguard Classics ATM CD 1551
レオン・フライシャーといえば、かつてのヴィルトゥオーゾピアニスト。セルとの録音もありながら、右手を病んで引退に近い状態だったのが、近年ようよう復活し、演奏活動を再開した人です。
先日N響とベートーヴェンの協奏曲を共演したのを聞きに行ったのですが、その関係で改めて聞きたくなって、フライシャーが復活してから録音したこのCDを引っ張り出してきました。
そういうわけで、本来このCDを聞いたのは、フライシャー聞きたさ故だったのですが.......何故か引っ掛かったのは「フライシャーの演奏」ではなくて、バッハのコラール編曲なのであります。
ここで採られているコラールは二曲。往年のピアニスト、マイラ・ヘス編曲の "Jesu, Joy of Man's desiring" 「主よ、人の望みの喜びよ」と、ブゾーニの弟子、エゴン・ペトリ編曲の"Sheep may safely graze" 「羊達はやすらかに草を食み」。
「主よ、人の望みの喜びよ」は、これは説明不要なほど、あまりにも有名な曲。あの、さざ波のような音形に乗って立ち現れるコラールの旋律。
続いてのもう一曲が、「羊達はやすらかに草を食み」。この曲というかコラール、私は確かに聞いたことはあったけれど、あまりちゃんと聞いていなかったのですね。そう、今回引っ掛かったのは、この曲。改めて聞いたのですが、この曲、よく知られているのでしょうか?決してマイナーなわけではないのだろうと思うのだけど。やはりバッハは奥が深い?
バッハのコラールの面白さは、特に編曲版の場合そうなのだけれど、コラール旋律の良さもさることながら、伴奏にあたる対声部の印象も大きいと思います。
バッハのコラールは基本3声部に分けることが出来ると思います。通奏低音、コラールとそれに対する対声部。「主よ、人の望みの喜びよ」で言えば、さざ波のように寄せては返す音形が対声部。いや、こういう言葉でいいのか、そもそもそんな言い方するのかどうかも怪しいのですが。まぁとにかく、この部分が印象に残りやすい。何分にも、コラールは基本的に合唱の為の旋律ですし、しかも原則的には素人が歌う為のものですから。そこへいくと対声部の方は伴奏なので、いろんなことが出来るんですね。
「羊達はやすらかに草を食み」では、この部分が言ってみれば鐘の音のように喜ばしげに鳴り響きます。原曲を出して来てないので、元々どんな風になっているのか未確認なのですが、これは面白い。よく出来てるな、と思うのは、コラール旋律との対比が鮮やかなだけでなく、構造的にも、旋律的な面を前面に出すコラール部に対し、この部分が言ってみればピアノの持つ「旋律楽器ではない面」、例えば打楽器的な面(鐘というのも分類すれば打楽器ですね、そういえば)を前に出しているので、比較的単純な構造なのに、立体的な音楽に仕上がっていること。
勿論、元のバッハの音楽の持つポリフォニックな傾向故でもありますが、ピアノの持つ違った様相を同時に引き出して使うあたり、さすがブゾーニの弟子、という感じです。「主よ、人の望みの喜びよ」の方は、ピアニストだったヘスの編曲ですが、こちらが言ってみればコラールの部分を全面に押し出した「ピアニストの休息」とするなら、「羊達は....」は「ピアニストの休日」とでも言えましょうか。
フライシャーに言わせると、この曲、「我々の時代に対するantidote - 解毒剤、ということでしょうか - 」として弾いているのだそうで。難しいことを仰る(笑)まぁ、演奏としては大変結構。
バッハのコラールの編曲物というと、どうしてもアンコール・ピース的な雰囲気が漂うのですが、面白いなと思うのは、それにも関わらずやっぱりバッハはバッハ、なんですよね。他の作曲家でも多少あることではあるけれど、バッハの場合、やっぱり、そのように感じさせられることが多いような気がします。
2008/05/19のBlog
[ 00:07 ]
[ ラ・フォル・ジュルネ09:バッハ ]
J.S.Bach : Kantate BWV82 "Ich habe genug" / Kantate BWV170 "Vergnuegte Ruh" / Kantate BWV53 "Schlage doch gewuenschte Stunde!" / Kantate BWV200 "Bekennen will ich seinen Namen"
Jochen Kowalski (altus)
Academy of St. Martin in the fields
Kenneth Sillito (conduct)
CAPRICCIO 10523
で、予告通り、またしても懲りもせずにこの曲なのです。まぁ、見つけちゃったからなぁ。
これはバッハのカンタータ集という形を採っていますが、中身はアルトによる独唱カンタータばかりです。内2曲は、恐らくは一連のカンタータの一部と思われますが、それぞれアルトのアリアが残っているもの。
要するに、これまた「カンタータを聞く」というよりは「歌手を聞く」録音なのです。歌うはヨッヘン・コワルスキー。
今時、コワルスキーと聞いてどのくらいの人が「おお!」と思ってくれるものなのでしょうか。1980年代から活動を始めたカウンターテナーです。第何次か分からないけれど、古楽ブームが勃興した際、いにしえのカストラートに注目が集まった頃、カウンターテナーにも注目が集まった。そのはしりみたいな人です。別に御当人はそういうこととは関係なくやっていたのでしょうけど、波に合致したのは事実ですね。最近は今ひとつ、と思っていたら、今週来るウィーン・フォルクスオーパーの来日公演で、「こうもり」のオルロフスキーを歌うのですね。流石にちょっと高くて買ってないんだけど、これは彼の当たり役の一つ。
さて、CDです。カウンターテナーですが、CDには"Altus" と表記がある通り、声域はアルト並みなのですね。テノールの上を歌っている訳です。実際、黙ってこのCD聞いたら、なんだか分からないでしょうね。実は、初めて海外旅行に行った時、コワルスキーの歌う「オルフェオとエウリディーチェ」のオルフェオを聞いたのですが、何せ予備知識が無い上に現代演出。歌っているのは彼なのですが、声はどう聞いても女声。というわけで、友人と上演中に「あれ、女?」「男......だよなぁ?」などとこそこそ話していたのも、もう随分と古い想い出です。
姿見ててそれですからね。いきなり録音聞いたら女声だと思うと思います。ジャケット写真だけ見て聞いたら、わけわかりませんよ、きっと(苦笑)加えて、コワルスキーの声は、他のカウンターテナーと比べても、澄んでいるというか、雑味が少ないので、なかなか男声とは気付かないかも知れません。
実際、この声は、それだけ取り出して鑑賞するに値する、希有な声です。カウンターテナーとしてどういう声がいいのか、誰が優れているのか、ということはあるかも知れませんが、単に「高い綺麗な声」というだけに終わらない、声の良さと上手さが、この人にはあります。カウンターテナーとして、というより、声楽家として取り出して聞くに値する、と思います。
他の曲もいいのですが、取り敢えず今日のお目当ては相変わらずBWV.82。ここでのコワルスキーは、それなのに、どちらかというと声をアピールするという歌唱ではありません。しっとりと落ち着いた歌唱です。劇的に表現するでもなく、むしろ淡々としています。何かが足りないということではなく、ただ淡々とした歌唱。これはこれでいいものです。
例えばプライやホッターのような、声に特徴があって、それがまた何かを感じさせる、というのもいいし、ボストリッジのように、歌唱表現として訴えるのもあり。そこへ行くと、コワルスキーのは、ちょっと「顔が見えない」感じもあります。客観的と言うのとは違うんですよね。歌っている人はいるんだけど、その人が問題なんじゃないんですよ、というような。でも、それはそれで悪くない。歌だけが前に出て、歌手は少し下がった所にいる、とでも言うのか。
思うに、こんな風に、いろんな歌われ方があって、そのそれぞれがそれぞれに突き詰めた所があって、でもそれでいて依然としてバッハのこの曲はこの曲であり得る、というのが、やはりバッハの凄い所なのかな、といつも思うのです。
管弦楽はアカデミー・オヴ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ。1993年の録音で、もう既に古楽隆盛期ですが、このオーケストラの現代楽器とかなんとかいうこととは別に、最善と思われる選択で演奏するスタイル。指揮のシリトという人は良く存じませんが、この演奏自体はなかなかいいなと思います。
Jochen Kowalski (altus)
Academy of St. Martin in the fields
Kenneth Sillito (conduct)
CAPRICCIO 10523
で、予告通り、またしても懲りもせずにこの曲なのです。まぁ、見つけちゃったからなぁ。
これはバッハのカンタータ集という形を採っていますが、中身はアルトによる独唱カンタータばかりです。内2曲は、恐らくは一連のカンタータの一部と思われますが、それぞれアルトのアリアが残っているもの。
要するに、これまた「カンタータを聞く」というよりは「歌手を聞く」録音なのです。歌うはヨッヘン・コワルスキー。
今時、コワルスキーと聞いてどのくらいの人が「おお!」と思ってくれるものなのでしょうか。1980年代から活動を始めたカウンターテナーです。第何次か分からないけれど、古楽ブームが勃興した際、いにしえのカストラートに注目が集まった頃、カウンターテナーにも注目が集まった。そのはしりみたいな人です。別に御当人はそういうこととは関係なくやっていたのでしょうけど、波に合致したのは事実ですね。最近は今ひとつ、と思っていたら、今週来るウィーン・フォルクスオーパーの来日公演で、「こうもり」のオルロフスキーを歌うのですね。流石にちょっと高くて買ってないんだけど、これは彼の当たり役の一つ。
さて、CDです。カウンターテナーですが、CDには"Altus" と表記がある通り、声域はアルト並みなのですね。テノールの上を歌っている訳です。実際、黙ってこのCD聞いたら、なんだか分からないでしょうね。実は、初めて海外旅行に行った時、コワルスキーの歌う「オルフェオとエウリディーチェ」のオルフェオを聞いたのですが、何せ予備知識が無い上に現代演出。歌っているのは彼なのですが、声はどう聞いても女声。というわけで、友人と上演中に「あれ、女?」「男......だよなぁ?」などとこそこそ話していたのも、もう随分と古い想い出です。
姿見ててそれですからね。いきなり録音聞いたら女声だと思うと思います。ジャケット写真だけ見て聞いたら、わけわかりませんよ、きっと(苦笑)加えて、コワルスキーの声は、他のカウンターテナーと比べても、澄んでいるというか、雑味が少ないので、なかなか男声とは気付かないかも知れません。
実際、この声は、それだけ取り出して鑑賞するに値する、希有な声です。カウンターテナーとしてどういう声がいいのか、誰が優れているのか、ということはあるかも知れませんが、単に「高い綺麗な声」というだけに終わらない、声の良さと上手さが、この人にはあります。カウンターテナーとして、というより、声楽家として取り出して聞くに値する、と思います。
他の曲もいいのですが、取り敢えず今日のお目当ては相変わらずBWV.82。ここでのコワルスキーは、それなのに、どちらかというと声をアピールするという歌唱ではありません。しっとりと落ち着いた歌唱です。劇的に表現するでもなく、むしろ淡々としています。何かが足りないということではなく、ただ淡々とした歌唱。これはこれでいいものです。
例えばプライやホッターのような、声に特徴があって、それがまた何かを感じさせる、というのもいいし、ボストリッジのように、歌唱表現として訴えるのもあり。そこへ行くと、コワルスキーのは、ちょっと「顔が見えない」感じもあります。客観的と言うのとは違うんですよね。歌っている人はいるんだけど、その人が問題なんじゃないんですよ、というような。でも、それはそれで悪くない。歌だけが前に出て、歌手は少し下がった所にいる、とでも言うのか。
思うに、こんな風に、いろんな歌われ方があって、そのそれぞれがそれぞれに突き詰めた所があって、でもそれでいて依然としてバッハのこの曲はこの曲であり得る、というのが、やはりバッハの凄い所なのかな、といつも思うのです。
管弦楽はアカデミー・オヴ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ。1993年の録音で、もう既に古楽隆盛期ですが、このオーケストラの現代楽器とかなんとかいうこととは別に、最善と思われる選択で演奏するスタイル。指揮のシリトという人は良く存じませんが、この演奏自体はなかなかいいなと思います。
2008/05/18のBlog
[ 11:51 ]
[ クラシック ]
「グレゴリオ聖歌前史」古ローマ聖歌とビザンツ聖歌の出会い
CHANTS DE L'EGLISE DE ROME Periode byzantine
Ensemble Organum
Marcel Peres (conduct)
Harmonia Mundi France HMA.19521218
キリスト教の聖歌と言ってもいろいろあります。一般にはグレゴリオ聖歌が一番知られているのかもしれませんが、グレゴリオ聖歌の体系が完成する以前には、それ以外の聖歌があったようですし、地域によって異なる聖歌があったりしました。
マルセル・ペレス指揮のアンサンブル・オルガヌムは、そうした古い時代の聖歌の復元演奏を録音に残しています。これはその中の1枚。日本語では「古ローマ聖歌とビザンツ聖歌の出会い」などという副題が付いています。
ここで歌われているのは、78世紀に成立したと言われる、古ローマ聖歌と呼ばれるもの。俗説で「グレゴリオ聖歌は6世紀の教皇グレゴリウス1世が編纂した」というのは恐らく誤りで、実際は11世紀から13世紀に体系が完成したのだろう、と見込まれています。なので、78世紀に成立、とされる古ローマ聖歌の方が古い、ということになります。
とはいえ、ここで演奏されているのは20世紀初めに発見されたという写本に書かれていたもの。つまり、曲がりなりにも歌い継がれて来たという形をとる他のカトリック系の聖歌、グレゴリオ聖歌やアンブロジウス聖歌などとは違って、研究と推測に基づく演奏なのであります。
ここで採られている方針は、この古ローマ聖歌が書かれた78世紀に、イタリアに影響がもたらされたと思われる、ビザンツ文化との関係を重視しています。具体的には、ビザンツ聖歌の様式、歌われ方を参考に取り入れている、というもの。
と言われましても、当方もビザンツ聖歌に詳しい訳ではありませんので、具体的にどのへんがビザンツ、というのはいと分かりかねるのではありますが。
ただ、ここで歌われている古ローマ聖歌を聞いていると、幾つか特徴的な面が浮かんできます。いわゆる教会旋法とも違う独特の体系、メリスマを多用、旋律線の動きが比較的大きい、などなど。これを聞いていると、実は、私は、イスラムのアザーンを連想します。中近東のイスラムの町で、決まった刻限に、町の塔の上から人々に礼拝を行うように促す為に歌われるもの。
歌われているのはあくまでラテン語で、キリスト教の内容で「アレルヤ」なんて延々と歌っている訳だし、勿論キリスト教の聖歌に間違いないのですが。もっとも、古ローマ聖歌が書かれたと言われる78世紀はイスラム教勃興の時期に当たりますから、むしろビザンツ聖歌などが元々あったところにイスラム教が興って、今のイスラム圏で聞かれるようなものが成立した、と見るべきなのでしょうけれど。
音楽として面白いか?というのは、人によるかも知れませんが、これ、聞き方として、クラシック音楽の枠で聞くと、ちょっと入り辛いかも知れないですね。むしろ世界の民族音楽セレクション、みたいな感覚で聞く方がすんなり聞けるかも。実際、グレゴリオ聖歌だって、そういう面はありますしね。
CHANTS DE L'EGLISE DE ROME Periode byzantine
Ensemble Organum
Marcel Peres (conduct)
Harmonia Mundi France HMA.19521218
キリスト教の聖歌と言ってもいろいろあります。一般にはグレゴリオ聖歌が一番知られているのかもしれませんが、グレゴリオ聖歌の体系が完成する以前には、それ以外の聖歌があったようですし、地域によって異なる聖歌があったりしました。
マルセル・ペレス指揮のアンサンブル・オルガヌムは、そうした古い時代の聖歌の復元演奏を録音に残しています。これはその中の1枚。日本語では「古ローマ聖歌とビザンツ聖歌の出会い」などという副題が付いています。
ここで歌われているのは、78世紀に成立したと言われる、古ローマ聖歌と呼ばれるもの。俗説で「グレゴリオ聖歌は6世紀の教皇グレゴリウス1世が編纂した」というのは恐らく誤りで、実際は11世紀から13世紀に体系が完成したのだろう、と見込まれています。なので、78世紀に成立、とされる古ローマ聖歌の方が古い、ということになります。
とはいえ、ここで演奏されているのは20世紀初めに発見されたという写本に書かれていたもの。つまり、曲がりなりにも歌い継がれて来たという形をとる他のカトリック系の聖歌、グレゴリオ聖歌やアンブロジウス聖歌などとは違って、研究と推測に基づく演奏なのであります。
ここで採られている方針は、この古ローマ聖歌が書かれた78世紀に、イタリアに影響がもたらされたと思われる、ビザンツ文化との関係を重視しています。具体的には、ビザンツ聖歌の様式、歌われ方を参考に取り入れている、というもの。
と言われましても、当方もビザンツ聖歌に詳しい訳ではありませんので、具体的にどのへんがビザンツ、というのはいと分かりかねるのではありますが。
ただ、ここで歌われている古ローマ聖歌を聞いていると、幾つか特徴的な面が浮かんできます。いわゆる教会旋法とも違う独特の体系、メリスマを多用、旋律線の動きが比較的大きい、などなど。これを聞いていると、実は、私は、イスラムのアザーンを連想します。中近東のイスラムの町で、決まった刻限に、町の塔の上から人々に礼拝を行うように促す為に歌われるもの。
歌われているのはあくまでラテン語で、キリスト教の内容で「アレルヤ」なんて延々と歌っている訳だし、勿論キリスト教の聖歌に間違いないのですが。もっとも、古ローマ聖歌が書かれたと言われる78世紀はイスラム教勃興の時期に当たりますから、むしろビザンツ聖歌などが元々あったところにイスラム教が興って、今のイスラム圏で聞かれるようなものが成立した、と見るべきなのでしょうけれど。
音楽として面白いか?というのは、人によるかも知れませんが、これ、聞き方として、クラシック音楽の枠で聞くと、ちょっと入り辛いかも知れないですね。むしろ世界の民族音楽セレクション、みたいな感覚で聞く方がすんなり聞けるかも。実際、グレゴリオ聖歌だって、そういう面はありますしね。
2008/05/17のBlog
[ 07:21 ]
[ ラ・フォル・ジュルネ09:バッハ ]
J.S.BACH : Cantata "Ich habe genug" BWV82
J.Brahms : Vier ernste Gesaenge op.121, etc.
Hans Hotter (bariton)
Philharmonia Orchestra
Anthony Bernard (conduct)
Gerald Moore (piano)
EMI Classics 7243 5 62808 2 3
またこの曲ですよ.......
と自分でも言ってしまうくらい、この曲のエントリーが重なっていた時期がありました。1ヶ月くらいの間に続けてこれだけ書いてます。
ヘルマン・プライ
ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ
イアン・ボストリッジ
我ながらそんなに好きな曲だっけ?と思ってしまうのですが、まぁ、聞いちゃったものは仕方ない。
この曲に行った理由は大体分かっていて、ラ・フォル・ジュルネ絡みであります。つまり、「来年のラ・フォル・ジュルネはバッハだ」というところで、何か聞こうかな、と思って、目についたのがこれだったと。
ハンス・ホッターは、先年亡くなっていて、その随分前に引退していますが、なかなかに深みのあるいい声の歌手です。とは言うものの、録音がいずれも古い。主にEMIに録音が残っているのですが、1950年代のものが多い。まぁ、1909年生まれということなので、古い録音が多いのはやむを得ないでしょうか。このCDに収録されているバッハのカンタータは1950年、ブラームスの歌曲は1951年と1956年の収録。ホッター40代、声楽家としてはいい時期の録音ということになります。ちょっと古いけど。
この82番のカンタータ「我満ち足りたり」、今更ですが、意外と録音が多い曲です。バッハのカンタータというと、コラールがあって、というイメージがありますが、この曲の場合はソロ・カンタータ、つまり、独唱のみのカンタータなのです。「カンタータ」を日本語では「交唱曲」だか「交声曲」だかと訳した、という話を聞いたことがありますが、そうすると「ソロ・カンタータ」ってのは.......?何しろ交わす相手の声がいませんしね。
まぁ、そういうことはともかく、一方ではこのカンタータ、アリア-レチタティーボ-アリア-レチタティーボ-アリア、という5曲構成なのですが、1曲目と3曲目のアリアが秀逸です。この2曲が音楽的に聞かせる曲なのです。しかも全体の演奏時間の8割をこの2曲が占める。勢い、アリアを歌う歌手に目が向くわけです。かくして、この間のボストリッジのようにソロ・カンタータだけ集めた録音や、このCDのようにカップリングがブラームスの歌曲、なんてケースが出て来ます。
実際、この録音くらいになると、年代の古さも手伝って、あまり管弦楽の方は熱心に聞いていないかも知れません。いや、勿論聞いてはいるけれど、この管弦楽の演奏が特別どうと言うことはない、ということ。オーケストラはフィルハーモニア管と聞いてますが、指揮者は、だぁれ?この人?普通に仕事はしてるね、という感じ。
要するに、歌手を、ハンス・ホッターを聞いている訳です。録音が古くても、バス・バリトンの声は結構よく聞こえるし。
ホッターの魅力は、まずは声。先述した通りの深みのある、しかも柔らかい声。決して厚ぼったいと言う感じではない。そして、安定感があるんですね。流石はヴォータン歌いと称されただけのことはあります。
そして、歌のうまさ。これは、安定感があるという話にも繋がりますが、歌い回しが上手で的確。本当に、この人の歌唱を聞いていると、ああ、この曲ってこういう風に歌われるんだな、というように、知らず知らずの内にスタンダードとして聞いてしまっていたりします。それだけ安定感がある、ということなのでしょう。
実は、そうこうするうちに、またもう一枚この曲のディスクを発見してしまいました。次回か次々回か、そちらの話も書ければ書こうかと思います。
J.Brahms : Vier ernste Gesaenge op.121, etc.
Hans Hotter (bariton)
Philharmonia Orchestra
Anthony Bernard (conduct)
Gerald Moore (piano)
EMI Classics 7243 5 62808 2 3
またこの曲ですよ.......
と自分でも言ってしまうくらい、この曲のエントリーが重なっていた時期がありました。1ヶ月くらいの間に続けてこれだけ書いてます。
ヘルマン・プライ
ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ
イアン・ボストリッジ
我ながらそんなに好きな曲だっけ?と思ってしまうのですが、まぁ、聞いちゃったものは仕方ない。
この曲に行った理由は大体分かっていて、ラ・フォル・ジュルネ絡みであります。つまり、「来年のラ・フォル・ジュルネはバッハだ」というところで、何か聞こうかな、と思って、目についたのがこれだったと。
ハンス・ホッターは、先年亡くなっていて、その随分前に引退していますが、なかなかに深みのあるいい声の歌手です。とは言うものの、録音がいずれも古い。主にEMIに録音が残っているのですが、1950年代のものが多い。まぁ、1909年生まれということなので、古い録音が多いのはやむを得ないでしょうか。このCDに収録されているバッハのカンタータは1950年、ブラームスの歌曲は1951年と1956年の収録。ホッター40代、声楽家としてはいい時期の録音ということになります。ちょっと古いけど。
この82番のカンタータ「我満ち足りたり」、今更ですが、意外と録音が多い曲です。バッハのカンタータというと、コラールがあって、というイメージがありますが、この曲の場合はソロ・カンタータ、つまり、独唱のみのカンタータなのです。「カンタータ」を日本語では「交唱曲」だか「交声曲」だかと訳した、という話を聞いたことがありますが、そうすると「ソロ・カンタータ」ってのは.......?何しろ交わす相手の声がいませんしね。
まぁ、そういうことはともかく、一方ではこのカンタータ、アリア-レチタティーボ-アリア-レチタティーボ-アリア、という5曲構成なのですが、1曲目と3曲目のアリアが秀逸です。この2曲が音楽的に聞かせる曲なのです。しかも全体の演奏時間の8割をこの2曲が占める。勢い、アリアを歌う歌手に目が向くわけです。かくして、この間のボストリッジのようにソロ・カンタータだけ集めた録音や、このCDのようにカップリングがブラームスの歌曲、なんてケースが出て来ます。
実際、この録音くらいになると、年代の古さも手伝って、あまり管弦楽の方は熱心に聞いていないかも知れません。いや、勿論聞いてはいるけれど、この管弦楽の演奏が特別どうと言うことはない、ということ。オーケストラはフィルハーモニア管と聞いてますが、指揮者は、だぁれ?この人?普通に仕事はしてるね、という感じ。
要するに、歌手を、ハンス・ホッターを聞いている訳です。録音が古くても、バス・バリトンの声は結構よく聞こえるし。
ホッターの魅力は、まずは声。先述した通りの深みのある、しかも柔らかい声。決して厚ぼったいと言う感じではない。そして、安定感があるんですね。流石はヴォータン歌いと称されただけのことはあります。
そして、歌のうまさ。これは、安定感があるという話にも繋がりますが、歌い回しが上手で的確。本当に、この人の歌唱を聞いていると、ああ、この曲ってこういう風に歌われるんだな、というように、知らず知らずの内にスタンダードとして聞いてしまっていたりします。それだけ安定感がある、ということなのでしょう。
実は、そうこうするうちに、またもう一枚この曲のディスクを発見してしまいました。次回か次々回か、そちらの話も書ければ書こうかと思います。
2008/05/13のBlog
[ 01:45 ]
[ クラシック ]
Taenze der Renaissance
Collegium Aureum
Deutsche Harmonia Mundi / SONY=BMG 88697268732
ルネッサンス期のダンス・ミュージックであります。
この手の曲集は結構好きで、見つけるとつい手が伸びてしまうのであります。体系的に聞いている訳でもないし、あれやこれやと聞いても仕方ないと言えば仕方ないんですけど。
廉価盤故、あまり詳しい情報は載っていないのですが、どうやら1961年頃のようなので、結構古い録音です。コレギウム・アウレウム。8人ほどの演奏団体だったようです。ブロックフレーテ、ヴィオラ・ダ・ブラッチョ、ヴィオラ・ダ・ガンバなどを使ったバリバリの古楽器集団ですが、これがまたなんとも楽しい音楽を繰り広げています。
大体が、バロックより前の古楽の場合、宗教曲でなければダンス・ミュージックであることが多いのですが、ここに収められているのはどれもダンス・ミュージック、しかも結構アップテンポ系の賑やかなのが多いのです。16世紀のヒップホップ?(笑)まぁ、ヒップホップとは言わないだろうけど。
でも、この演奏、本当に楽しいのです。これなら確かに踊れるな、という感じの演奏です。1960年代は、古楽演奏が戦後再度興隆した時期になりますが、後年の論理と研究の成果を発表するの図、的な演奏に比べると、ずっと音楽として楽しいと思います。ここに収められている曲は全部で8曲ですが、その8曲が全部異なる作曲家の作品になっています。しかも、名前から窺うに、地域もバラバラ。多分ドイツ系とフランス系ですが、中にはイタリア系かも知れない名前もあるようだし。
さっき、体系的に聞いてない、なんて書きましたが、この録音自体があんまり体系的じゃない。もう最初っからコンピレーションものという感じなのです。この時期の演奏家なら、デヴィッド・マンロウなんかはお気に入りですが、彼にも、この録音にも共通して感じられるのが、「まず演奏してみよう」という、進取の気風とでも言えそうなスタンス。それと、演奏・音楽自体を楽しんでいる雰囲気。要は、「成果」みたいなものはまぁいいじゃないか、とでも言うような姿勢なのですね。これも毎度言うことだけれど。
過剰に演出もせず、奏法にあまり拘りもせず、自然に身体が動き出すような感じの、伸び伸びとした音楽です。古楽というなら、このへんまで遡ってしまうと、あまり細かい理屈も追いついてこられなくて、ちょっとほっとします。
このCD、ソニーの廉価盤シリーズ "esprit" の一枚として出ているのですが、原盤はDeutsche Harmonia Mundi なんですね。SONYがBMGと統合した際に、BMGグループに入っていたDeutsche Harmonia Mundi も転がり込んで来た、というわけ。SONYグループには、これで、DHM の他に、SEON シリーズや更には Vivace シリーズなんかもあって、古楽系ではかなり結構なラインナップを誇るようになったのですが、これからどうするんだろう。
Collegium Aureum
Deutsche Harmonia Mundi / SONY=BMG 88697268732
ルネッサンス期のダンス・ミュージックであります。
この手の曲集は結構好きで、見つけるとつい手が伸びてしまうのであります。体系的に聞いている訳でもないし、あれやこれやと聞いても仕方ないと言えば仕方ないんですけど。
廉価盤故、あまり詳しい情報は載っていないのですが、どうやら1961年頃のようなので、結構古い録音です。コレギウム・アウレウム。8人ほどの演奏団体だったようです。ブロックフレーテ、ヴィオラ・ダ・ブラッチョ、ヴィオラ・ダ・ガンバなどを使ったバリバリの古楽器集団ですが、これがまたなんとも楽しい音楽を繰り広げています。
大体が、バロックより前の古楽の場合、宗教曲でなければダンス・ミュージックであることが多いのですが、ここに収められているのはどれもダンス・ミュージック、しかも結構アップテンポ系の賑やかなのが多いのです。16世紀のヒップホップ?(笑)まぁ、ヒップホップとは言わないだろうけど。
でも、この演奏、本当に楽しいのです。これなら確かに踊れるな、という感じの演奏です。1960年代は、古楽演奏が戦後再度興隆した時期になりますが、後年の論理と研究の成果を発表するの図、的な演奏に比べると、ずっと音楽として楽しいと思います。ここに収められている曲は全部で8曲ですが、その8曲が全部異なる作曲家の作品になっています。しかも、名前から窺うに、地域もバラバラ。多分ドイツ系とフランス系ですが、中にはイタリア系かも知れない名前もあるようだし。
さっき、体系的に聞いてない、なんて書きましたが、この録音自体があんまり体系的じゃない。もう最初っからコンピレーションものという感じなのです。この時期の演奏家なら、デヴィッド・マンロウなんかはお気に入りですが、彼にも、この録音にも共通して感じられるのが、「まず演奏してみよう」という、進取の気風とでも言えそうなスタンス。それと、演奏・音楽自体を楽しんでいる雰囲気。要は、「成果」みたいなものはまぁいいじゃないか、とでも言うような姿勢なのですね。これも毎度言うことだけれど。
過剰に演出もせず、奏法にあまり拘りもせず、自然に身体が動き出すような感じの、伸び伸びとした音楽です。古楽というなら、このへんまで遡ってしまうと、あまり細かい理屈も追いついてこられなくて、ちょっとほっとします。
このCD、ソニーの廉価盤シリーズ "esprit" の一枚として出ているのですが、原盤はDeutsche Harmonia Mundi なんですね。SONYがBMGと統合した際に、BMGグループに入っていたDeutsche Harmonia Mundi も転がり込んで来た、というわけ。SONYグループには、これで、DHM の他に、SEON シリーズや更には Vivace シリーズなんかもあって、古楽系ではかなり結構なラインナップを誇るようになったのですが、これからどうするんだろう。
2008/05/11のBlog
[ 22:43 ]
[ 歌曲 ]
Peter Schreier : Legendary Recordings
Volkslieder zur Gitarre
Peter Schreier (tenor)
Konrad Ragossnig (guitar)
BERLIN CLASSICS 0002852CCC (CD6)
歌をききたいな、と思った時に、何をどのように選ぶか、最初にちょっと考えます。
例えば「シューベルトの水車屋の娘を聴こう」と決めている場合はいいのですが、「何かドイツ歌曲でも聴こうか」というようにして歌を聴く場合、どのような軸で聴くものを選ぶか、ちょっと考えどころではあります。
大きく分ければ、歌い手軸と作曲家軸、ということになります。歌手だったり合唱団だったり、要は歌い手で選ぶ場合と、シューベルトのこの曲、シューマンのこの曲、というように選ぶ場合。勿論、歌手軸でも歌曲集を聴いたりすることはあるのですが、やっぱり選び方としてはどちらかを基準にしている感じです。
歌手軸の場合は、この間のプライにせよ、トレーケルにせよそうなのですが、色々なものを聴く、というパターンが多くなります。リサイタルを聴きに行く感覚に近いかも知れません。
このCD、シュライヤーの録音を集めたBOXものの一枚です。このBOX自体シュライヤー・レアリティーズみたいな感じなのですが、このCDはその中でもちょっと変わっています。民謡集なのですが、伴奏がギターなのです。
歌曲のギター伴奏というのはたまにあるのですが、意外と面白いのです。なんとなく、クラシック音楽の中で、ギターというのは傍流扱いに近い面があって(最近の村治らの活躍などで変わって来てはいますが)、歌曲でもピアノ伴奏が本来、という感じはあるのですが、ギター伴奏の方が、人の声に音量的には近いんですよね。表現力が求められる場面では、確かにピアノの方がキャパシティーは高いのですが、音量的に近いことで得られる親密さのようなものがプラスに働く面もあると思います。
音域的にも、シュライヤーはテノールですから、ギターの音域にあっているのではないかと思います。バス・バリトンになってくると、その下の音で伴奏を付けるのは、ギターだと少々苦しいかも知れません。加えて、シュライヤーのやや軽めの声も、合っているのでしょう。
歌われているのは、主にドイツ各地の民謡。中にはウェルナーの「野ばら」や、「ローレライ」(シルヒャー)、シューベルトの「菩提樹」の編曲版なども歌われていますが、まぁ、このへんも「ドイツ民謡」でしょうね。対訳はおろか、歌詞すらついていないので、何を歌っているかは、一部の曲を除けば正確には分かりません、というのが実情なのですが、それでも面白い。
面白いと言えるのは、やはりシュライヤーの声のよさ。軽めの、透明感のある声で歌われる、あまり複雑さの無い民謡たちは、柔らかいギターの音と相俟って、耳に心地よく響きます。このギター演奏も、決して超絶技巧ではなくて、まぁ単純なものではあるのですが、それが合っているのですね。シュライヤーのドイツ語の発音も、クリアで、でも決して硬くない。
こんな風に歌曲を聞くというのは、邪道なのかも知れませんが、民謡というのは、必ずしも歌われる意味内容を深く追求するものでもない、という面もあると思いますし。そんなわけで、「XXが聴きたい」というよりは、「何か歌でも聞きたいな」という感じの時に、結構アバウトに楽しんでいるのであります。
Volkslieder zur Gitarre
Peter Schreier (tenor)
Konrad Ragossnig (guitar)
BERLIN CLASSICS 0002852CCC (CD6)
歌をききたいな、と思った時に、何をどのように選ぶか、最初にちょっと考えます。
例えば「シューベルトの水車屋の娘を聴こう」と決めている場合はいいのですが、「何かドイツ歌曲でも聴こうか」というようにして歌を聴く場合、どのような軸で聴くものを選ぶか、ちょっと考えどころではあります。
大きく分ければ、歌い手軸と作曲家軸、ということになります。歌手だったり合唱団だったり、要は歌い手で選ぶ場合と、シューベルトのこの曲、シューマンのこの曲、というように選ぶ場合。勿論、歌手軸でも歌曲集を聴いたりすることはあるのですが、やっぱり選び方としてはどちらかを基準にしている感じです。
歌手軸の場合は、この間のプライにせよ、トレーケルにせよそうなのですが、色々なものを聴く、というパターンが多くなります。リサイタルを聴きに行く感覚に近いかも知れません。
このCD、シュライヤーの録音を集めたBOXものの一枚です。このBOX自体シュライヤー・レアリティーズみたいな感じなのですが、このCDはその中でもちょっと変わっています。民謡集なのですが、伴奏がギターなのです。
歌曲のギター伴奏というのはたまにあるのですが、意外と面白いのです。なんとなく、クラシック音楽の中で、ギターというのは傍流扱いに近い面があって(最近の村治らの活躍などで変わって来てはいますが)、歌曲でもピアノ伴奏が本来、という感じはあるのですが、ギター伴奏の方が、人の声に音量的には近いんですよね。表現力が求められる場面では、確かにピアノの方がキャパシティーは高いのですが、音量的に近いことで得られる親密さのようなものがプラスに働く面もあると思います。
音域的にも、シュライヤーはテノールですから、ギターの音域にあっているのではないかと思います。バス・バリトンになってくると、その下の音で伴奏を付けるのは、ギターだと少々苦しいかも知れません。加えて、シュライヤーのやや軽めの声も、合っているのでしょう。
歌われているのは、主にドイツ各地の民謡。中にはウェルナーの「野ばら」や、「ローレライ」(シルヒャー)、シューベルトの「菩提樹」の編曲版なども歌われていますが、まぁ、このへんも「ドイツ民謡」でしょうね。対訳はおろか、歌詞すらついていないので、何を歌っているかは、一部の曲を除けば正確には分かりません、というのが実情なのですが、それでも面白い。
面白いと言えるのは、やはりシュライヤーの声のよさ。軽めの、透明感のある声で歌われる、あまり複雑さの無い民謡たちは、柔らかいギターの音と相俟って、耳に心地よく響きます。このギター演奏も、決して超絶技巧ではなくて、まぁ単純なものではあるのですが、それが合っているのですね。シュライヤーのドイツ語の発音も、クリアで、でも決して硬くない。
こんな風に歌曲を聞くというのは、邪道なのかも知れませんが、民謡というのは、必ずしも歌われる意味内容を深く追求するものでもない、という面もあると思いますし。そんなわけで、「XXが聴きたい」というよりは、「何か歌でも聞きたいな」という感じの時に、結構アバウトに楽しんでいるのであります。
2008/05/10のBlog
[ 11:09 ]
[ 歌曲 ]
