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Verdiのレコード置き場 今日車で聴いたものblog
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2008/07/21のBlog
MEDIEVAL ENGLISH MUSIC
 The Hilliard Ensemble
 Harmonia Mundi France HMA1901106

 また古楽です。好きだねぇ、我ながら....
 録音年月日をはっきり書いていないのですが、恐らく1983年頃だと思います。タイトルの通り、イングランドの14世紀から15世紀にかけての宗教曲を取り上げた録音です。ちなみに、一曲を除いては作者不明。
 14、5世紀のイングランドというのは、政治的には色々あった時代です。百年戦争と薔薇戦争の時期がすっぽり入ります。そういう意味では、非常に厳しい時代であったと思うけれど、同時に、社会的に豊穣な面もあった時代、というところでしょうか。そんな時期の音楽です。

 ポリフォニー、特にルネッサンス期やそれ以前の声楽曲は、宗教曲と世俗曲とを問わず、結構好きです。歌い方や旋法等も含めて、現代において普通に「クラシック音楽」とされるものの体系から外れている解放感みたいなものを感じます。まぁ、勝手にこちらが感じてるだけなので、それもどうなんだという話はあるけれど。
 ヒリアード・アンサンブルは、言うまでもなく古楽声楽曲の第一人者(?)の一つでしょう。カウンター・テナー1、テナー3、バス1という編成で歌っていますが、男ばかりで見事なハーモニーを奏でています。個人的なお気に入りは、このCDでは、12曲目の Tota pulca es amica mea。非常に綺麗なハーモニーです。世の中の合唱という合唱がこんだけ綺麗なハーモニーを作り出せるなら、どんなにか素晴らしいことか、なんてのはもうファンタジーの領域になってしまいますが(苦笑)、そんな風に思わせるくらい。

 うだうだと考えたりするのが嫌になるような暑さですが、そういう季節に妙に合います。いや、決して、聞いてると涼しくなってきたりする訳ではないんですよ。ただ、気分的に楽になって来る、とでも言うんでしょうかね、これは。リラックスする?いわゆるひとつの癒しの音楽?うわぁ、そんな言い方したくない。でも、そんな風に分類されてしまいかねないような感じです。そういや、こういうのって、グレゴリオ聖歌と似てるし、あれも元祖ヒーリング・ミュージックみたいに言われてたしなぁ。
 でも、グレゴリオ聖歌みたいな、ある種の肩の力の入り方、というのは無いし。そのへんが割合に聞きやすいものになっているのかも知れません。

 本当は、この辺の音楽について、もうちょっと体系的に調べたりすると面白いだろうな、とか思うんですけどね。でも、どうにも時間が......やれやれです。


2008/07/19のBlog
Who is afraid of 20th century music?
 Philharmonisches Staatsorchester Hamburg
 Ingo Metzmacher (conduct)
 Syrinx LC01039

 ええ、まぁ、正式なタイトルは上記の通りなんですね。「20世紀音楽を怖がる人って誰?」「怖がる人なんているの?」って訳す所でしょうか。でも、感覚的にはですね、やはりこう20世紀音楽を片手に掲げて「悪いごはいねがー!!」と迫って来る感じではないかいな、と、こう思う訳でして。

 ハンブルク州立管弦楽団、なのでしょうか。この楽団が中心に制作したCDのようです。全5枚組+ボーナスCD。1999年の大晦日、ミレニアム・ジルベスター・コンサートとして、この "Who is afraid of 20th century music?" と題したコンサートが行われたのを皮切りに、2003年まで続いたこのジルベスアー・コンサート・シリーズを記録したのがこのセットというわけです。
 ご存知の通り、1999年は決して20世紀最後の年ではなかったわけですが、まぁこれはこの際置くとして、ということでしょう。
 なまはげ いや違う指揮はインゴ・メッツマッハー。ここ数年、あまり活躍を聞かないのですが、この頃は新進気鋭の指揮者として出てましたっけ。最近はどこでやってるんだろう?

 さぁ、なまはげに追われて泣きながら聞いてみましょう。
 とはいえ、物凄い内容というわけではありません。存外すんなり聞きやすいと思います。まぁ、土台20世紀音楽、ですから、一番古い生まれはアナトール・リャードフの1855年。以下、ラヴェル、ストラヴィンスキー、オネゲル、ガーシュイン、ショスタコーヴィチ、といった面々が結構プログラムされてます。そう考えると至って聞きやすそう。
 ちなみに初年度、1999年のラインアップは、バーンスタイン、ヘンツェ、カーゲル(この人知らない)、アイヴズ、ストラヴィンスキー、ラヴェル、ワイル、プレート(この人も知らない)、ヒンデミット、ツィマーマン、ショスタコーヴィチ、ハチャトゥリアン、プロコフィエフ。こう並べてみると、確かに怖くはないですね(笑)ちなみにプログラムの最初はキャンディード序曲で掴んでおいて、最後はハチャトゥリアンの「剣の舞」。一曲一曲が、長くても10分ほどというのもいいのでしょうね。

 演奏もなかなかよいです。これだけのバリエーションをあれこれやっているのだから、良し悪しもあろうというものですが、全体にあまりくどくどしくないすっきりした演奏で、よくまとまってます。あの、「クラシック ホームコンサート」みたいなCD、ありますよね?あれの20世紀音楽版、と考えるといいかも知れません。

 なんだ、全然怖くないじゃん(笑)

 ちなみに、このCD、ライブ録音ということもあって、全ての曲の後に拍手が入ってます。これがまた面白いというか、味があるというか、微妙に変わるお客の反応がなんともです(笑)


2008/07/17のBlog
M.Mussorgsky : "Boris Godunov"
 Boris Christoff, Kim Borg, Nicolai Gedda, Eugenia Zareska, etc
 Choeurs Russes de Paris
 Orchestre National de la Radiodiffusion Francaise
 Issay Dobrowen (conduct)
 EMI CLASSICS 7243 5 65192 2 0

 ボリス・ゴドゥノフは結構好きなオペラ、と書き始めて検索してみたら、呆れたことに抜粋盤も含めて過去4回もエントリーしているではありませんか。これで5回目。しかも内一回は丁度1年前。そんなにオペラのエントリーが多い訳でもないのに、どんだけ好きなんだお前は(苦笑)

2006/3/9

2006/12/10

2007/7/16

2007/12/16

 いや、本当に、偶然なんですけど、よく聞いてるんですねぇ。
 結局私はバス・バリトンが好きなので、どうしてもこういう低声大活躍の曲に行ってしまうのです。特にボリス・ゴドゥノフは格別です。なんというか、昏い怪しさと憂愁と、歴史、あるいはより大きなものに抗い敗れていく姿.......スケールの大きさも、凡百のオペラでは太刀打ちは敵いません。

 今回の録音は古いです。1952年、パリのシャンゼリゼ劇場にて。パリ・ロシア合唱団を擁して、フランス放送国立管弦楽団、指揮はイザイ・ドブロウェン。フランスのロシア好きは伝統なんでしょうね。ナポレオンが敗れ去った国の筈なんですが、不思議なものです。まぁ、敵の敵は味方、という歴史の方が長いんでしょうけれど。
 歌唱陣にはロシア・東欧系の名前が並びます。グリゴリー/偽ディミトリーにニコライ・ゲッダがいたりするのですが、この録音は何と言ってもボリス・クリストフ。この録音、実はクリストフの名が3カ所にエントリーされているのです。主役であるボリス・ゴドゥノフの他に、劇の最初と最後に重要な役を果たす高僧ピーメン、そして破戒僧ワルラーム。いや、あんた、出過ぎだって(笑)
 そう、この録音は「ボリスを聞くボリス・ゴドゥノフ」なのです。

 正直、録音がモノラルで、古いこともあって、そうはっきり「同じだ!」とは分かりません。なので、それほど違和感はなし。この録音はリムスキー=コルサコフ版なので、最後はボリスの死で終わりますが、この最終場は圧巻。ピーメンの語りから、ボリスの死に至るまで、ボリス・クリストフの独壇場であります。これも、スタジオ録音だから出来る技。
 いや、本当にいい歌唱です、クリストフ。彼のボリス・ゴドゥノフには、クリュイタンスによる録音があって、どちらかと言えばこちらの方が一般に知られた名盤となってますが(ついでに録音もより新しいし)、この一人3役八面六臂大活躍のクリストフ、いいのです。
 惜しむらくは、この録音、あまり良くないこと。それでも、古い録音に慣れた耳には、この程度は問題無いのですが、如何せんオーケストラの音が今一つで、それがちょっと残念。特に、ボリスの死などは、息を引き取ってからのオーケストラの表情が聞き物なので。
 まぁ、その辺は、「クリストフを聞く」のが目的なので、取り敢えず我慢してしまえるのです。「いい録音」なら、他にありますから。アバドとか、チャカロフとかね........あ、また聞きたくなってきた...... いやいや、ほどほどに、ほどほどに(笑)


2008/07/15のBlog
[関連したBlogその1「気分はバッハのプレリュード」]

[関連したBlogその2「クラシック音楽のひとりごと」]

A Consort Of Musicke Bye WILLIAM BYRDE and ORLANDO GIBBONS
BYRD : First Pavan and Galliard / Hughe Ashton's Ground / Sixth Pavan and Galliard / A Voluntary / Sellinger's Round
GIBBONS : Fantasy in C / Allemande, or Italian Ground / "Lord of Salisbury" Pavan and Galliard
 Glenn Gould (piano)
 SONY CLASSICAL 88697130942-39

 本当は今日はもうさっさと寝ようと思ってたんですが、気が付けば、偶然にもよく行くサイト2カ所でグールドネタがアップされているではありませんか。というわけで、折角なので、勝手に繋がせて頂くことに致しました。
 丁度、この間聞いていて、でも書かなかったCDがあるんですよね。

 紹介しているのは、例のグールド全集(安く入手出来ましてね、買っちまいましたよ)の1枚としてなのですが、実はこのCD、昔から聞いています。聞き始めからだと20年来の付き合いだと思います。実は隠れ古楽ファンである私をその方面に向かわせた音楽の一つ、かも知れません。

 グールドといえばバッハ、といった感がありますが、バッハ以後の作品も録音しているように、バッハ以前の作曲家の作品も演奏しています。とはいえ、纏まって録音しているのは、この録音くらいのものです。
 タイトルの通り、ここで取り上げられているのは1617世紀のイングランドの作曲家、バードとギボンズの作品集。
 正直、一体何故グールドがこの二人の作曲家を取り上げて録音したのか、定かではありません。特に、私がこれを最初に聞いた頃は、他の演奏家によるバードやギボンズのヴァージナル曲の録音は入手困難でしたし、今だって数多いとは言えません。ピアノでの録音となると、未だに殆ど無いのではないかと。(少なくとも聞きたくなるような範囲では)

 この録音は、この曲が、とか、この演奏が、という単位ではなく、このアルバムとしてとても魅力的です。ピアノでありながら殆ど響きを感じさせないグールド独特の演奏。グールドは、多くの曲で、ゆっくりしたテンポを選んでいます。その演奏方法が唯一無二でないのは、他の演奏者による(主にチェンバロ、ヴァージナルなど)演奏の中には、もっとテンポの速いものもあることから明らかなのですが、一部テンポの速い演奏も交えながら、全体にはアダージョでメゾピアノな音楽、という造りになっています。

 夜の音楽。こういう音楽って私は結構好きで、そんな風に勝手に決めているのが幾つかあるのですが、このグールドのヴァージナル音楽集もその一つ。これは、深夜聞くのにとてもいい音楽です。波長があるのかな、と思います。実は、最近、車で聞いていたりしたのですが、朝聞いたって一向に構わないんですよね。勿論。それはそれで爽やかでいいのです。でも、やっぱり、夜かなぁ.....

 そんな聞き方なので、どの曲がおすすめ、みたいなのはあまりありません。アルバムとして楽しむ。そういう録音です。私には、一曲目の第1パヴァーヌとガイヤルド(バード)の印象が強くて、上記のような印象を持っているのだけど、同じバードでも最後に入っているセリンジャーのラウンドなど、結構活発な音楽です。でも、そうしたものも含めて、何処か人を沈静化させる音楽だな、と思ったりもするのです。

2008/07/12のBlog
Melancholie Lieder von Robert Schumann
Melancholie op.74-6 / Liederkreis op.39 / Lieder (nach H.C.Andersen und A.v.Chamisso) op.40 / Sechs Gedichte aus dem Liederbuch eines Malers, op.36 / Gesaenge des Harfners aus, op.98a / Tief im Herzen trag' ich Pein, op.138-2 / Der Einsiedler, op.83-3
 Christian Gerhaher (bariton)
 Gerold Huber (piano)
RCA/SONY BMG 88697168172

 最近売り出し中、というのはもう失礼ですね、目下上り調子のクリスチャン・ゲルハーエル、RCA RED SEALに移籍後第三弾の録音です。いや、移籍と言っても元々同系列のARTE NOVAからレーベルというかシリーズが変わっただけですからね。ARTE NOVAも最近は随分垢抜けて来たし、まぁ、安くなきゃ売れない新人から本格派に格上げというところでしょうか。
 ARTE NOVAではシューベルトの3大歌曲集で名を挙げたゲルハーエルですが、今回はシューマンの歌曲。リーダークライスの op.39、アイヒェンドルフの詩によるものの方を中心に、他に3つの連作集などを取り混ぜて、全29曲。なかなか盛り沢山の選曲です。

 改めて思うのですが、ゲルハーエル、声が軽いんですね。そういえば、生で聞いた時も、ずしんと来るという感じの声ではなかったしな。声質が、というと、ちょっと違うような気もしますが、どう言うんだろうな、これは。
 歌唱は申し分ありません。20世紀ドイツ歌曲歌唱の標準的な歌い方を引き継いでいます。まぁ、ヘルムート・ドイッチュ、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ、エリザベート・シュワルツコップのマスタークラスに出て、なんて経歴を書いてるくらいですし、意識している位のことはあるでしょうが、そう皮肉に言わずとも、確かにそうした系譜の中にいるのでしょう。
 敢えて申さば、もっと声に力があるといいかなぁ。声量とか言うことではなくてですね。あの、目力(めぢから)、なんて言い方することあるじゃないですか。ああいう意味合いでの、力。いい声だし、決して魅力が足りないとも思いません。でも、もうちょっと、掴んで来るような力があってもいいかなぁ.....などと思ってしまうのであります。

 とはいえ、いいCDです。思うに、シューベルトも悪くないけれど、この人はどちらかと言えば、シューマンの方が合ってるんじゃないかという気がします。歌に表現力のある人ですし、その表現自体もよく考えられているように思われますし、こういう人にとっては、シューマン以降の歌曲の方が得意な面をより活かせるんではないだろうか、と思うのです。
 次はどんな録音を出して来るのか?先が楽しみです。


2008/07/10のBlog
現代オーボエの領域
ヴァレッシュ:パッサカリア・コンチェルタンテ オーボエと12の弦楽器の為の
ペンデレツキ:カプリッチョ オーボエと11の弦楽器の為の
イサン・ユン:ピリ オーボエの為の
デニソフ:ソロ オーボエの為の
ホリガー:多重音の為のスタディ オーボエの為の / リート エレクトリック・フルートの為の

 ハインツ・ホリガー (oboe, verstaerkte Floete)
 カメラータ・ベルン
 DENON COCO-70863

 コロンビアミュージックエンタテインメント、昔の日本コロンビアにしてデンオン(DENON。なに?デノン?なんじゃそれは?)が出している廉価盤シリーズが「クレスト1000」シリーズ。まぁ言ってみれば同社の音源蔵出し大セールの類いですが、揃いも揃ったり全400枚に及ぶのだそうです。
 このシリーズが凄いのは、値段も安い(1枚千円+消費税)けれど、失礼ながら弱小レーベルでこれだけの枚数を揃えたこと。結果、他の大手なら名曲シリーズで終わる所が、何やら物凄い幅広いラインナップを取り揃えているのです。結局、いわゆる売れ筋(例えばカラヤン/ベルリン・フィルとか)の名曲シリーズにし切れなかったってことだと思うのですが、それを半ば逆手に取って、あるもの全部このシリーズにつぎ込んだんでしょう。その思いっきりの良さが、結果としてこのシリーズを奥深くしているのです。いや別に私回しもんでもなんでもないんですけどね。

 その中から、これは奥が深いぞという1枚をご紹介。
 ハインツ・ホリガー。オーボエの名手にして、スイスを拠点にベルンやバーゼルなどの団体に関わって来ている音楽家。何より積極的に現代音楽に取り組んで来ているのですが、この録音はそのホリガーの独擅場。ヴェレッシュ、ペンデレツキ、イサン・ユン、デニソフ、そしてホリガー自身の作品が取り上げられていますが、いずれも面白い。
 いかにも「現代音楽」な、「現代的不安を表現」したようなヴェレッシュらのような曲もあれば、「西洋的音楽観から自由に、新たな側面に光を当てた」ようなイサン・ユンのような作品あり、インスタレーションのように音を点々と置くような抽象的なホリガーの作品あり。いかにも「ゲンダイオンガク」的なのですが、演奏がいいので聞けてしまうのです。
 現代音楽はいい演奏で聴け。これ、鉄則です。取っ付きにくいだけに、演奏がよくないと、全然興味を持てなくなってしまう。そういう意味ではとっても厳しい音楽です。まぁ、ウィーン・フィルあたりが演奏したら、音楽の方が位負けして「ウィーン・フィルの演奏」だけが残りました、みたいなケースもありますけどね。
 この録音も十分にいい演奏です。ホリガーの演奏も勿論いいけれど、カメラータ・ベルンの演奏も良くて、ホリガーと四つに組んで緊張感のある演奏を聞かせてくれます。

 何が凄いって、まず、この録音、1974年なのです。結構古い。なのに、DDD、即ちデジタル録音。しかも、録音場所は、日本。武蔵野音大のベートーヴェン・ホール。そう、デンオンが世界に先駆けて実現したデジタル録音、PCM方式の録音なのです。この録音はDENONレーベルへの録音ということ。
 1974年にPCM録音をやってること自体が特筆すべきなのだけど、それでもって、ホリガーを日本に呼んで、こんな選曲で録音させてしまう。デンオン恐るべし。その上、今になって、廉価盤シリーズに惜しげも無くこの録音を忍ばせて、1枚千円で売ってしまう。いやもう、なんというか.......タイトルだけ見たら一番売れない部類のこのCD、しかしながら「ゲンダイオンガクでも聞いてみようか」とつい出来心を起こしてしまった人にはもってこいのいい録音なのです。
 他にも、色々出せる音源は沢山持ってる筈のデンオンですが、にも関わらず400種類もあるからといってこんな録音を出してしまう所が凄い。本当に、この値段だったら、「んじゃ買ってみようか」とつい出来心を起こすこともあり得るかも知れないし。この「取り敢えず出しとけ、出しときゃ誰か聞くだろう」的な出し方に、懐の深さを感じてしまうのです。



2008/07/07のBlog
P.J.B.E. ルネサンス名演集
 フィリップ.ジョーンズ・ブラス・アンサンブル
 DECCA/ユニバーサル・クラシックス UCCD-3023

 あぢい..........
 夏ですねぇ。急に暑くなりました。涼しくなる音楽、ありませんかね。


 ブラスバンド、というもの、実はあまり聞きません。
 自分でやったことが無かったし、中高はブラバンみたいなものとあまり縁のない学校だったし(てか、音楽部はあったけどブラバンはやってなかったんでは?)、というわけで、いまいちピンと来ないのです。
 で、あまりいいイメージも無いので、あまり聞いてないんですね。「ブラス!」(原題 Brass off!)でブラスバンドが出て来てはいたけれど、それは映画観てへーほーふーん で終わってしまいました。ちゃんと聞いてないのは相変わらず。

 とは言うものの、ちょっと申し訳ないけど、本当に「いいな」と思えるレベルのものであれば、聞くのです。つまりは、「音よし、曲よし、演奏よし」であれば。まぁ、我ながらわがままなこと(苦笑)

 で、今日は、そういう数少ない「聞いてるブラスバンド音楽」を取り上げました。そうは言っても、これは「ブラスバンド」にしてはかなり贅沢な音楽です。
 演奏はP.J.B.E.、即ちフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル。ブラスに興味が無い私でも、この団体くらいは知ってます。ブラスバンドと言うのはちと失礼でしょうか?と思ってしまうくらい。
 このP.J.B.E.が演奏しているのが、ルネッサンス期、各地で活躍した作曲家達の作品をブラスアンサンブル用に編曲したもの。これが、演奏自体の良さもあるにせよ、結構合うのです。

 まず、ルネッサンス期の音楽というのは、どちらかというと、ゆったりとしたテンポの音楽が多く、極端にテンポの速い音楽は多くはないので、金管には相性がいいのでしょう。金管だって速いパッセージが吹けない訳ではないけれど、どちらかというと、朗々と響き渡る、ってのが楽しいというイメージがあります。
 当然、そこには、曲を選んだ編曲者の判断というか目利きも入っています。実際、上手く選ばれているし、編曲もいいと思います。ここに取り上げられている作曲家は12人。プレトリウス、バード、ギボンズ、ガブリエリ、ジェルウェイズ&アテニャン........イタリア、フランス、イギリスから選ばれているようですが、まぁよくも集めたものです。
 ルネッサンス期の音楽でも、集められているのは、舞曲とマドリガルなどの声楽曲。いずれも旋律がはっきりしていて、歌うような音楽です。こうした面を生かして、歌うように柔らかく演奏すれば、とてもいい音楽に仕上がるような編曲になっている。

 んでもって、名手揃いのP.J.B.E.です。上手いのです(笑)文句ありません。
 本当に、柔らかぁく演奏してくれるのです。「金管」「ブラス」というイメージからはかけ離れた演奏です。時に管楽器は弦楽器などより遥かに歌えるものだけれど、P.J.B.E.はその中でも秀逸のバンドだったのだなぁ、と改めて思うのです。
 これを聞いていると、ブラスバンドも結構面白いのかな、などと、ちょっと思ったりするのです。まぁ、本気で手を出し始めると大変なので控えるようにしていますが....(笑)
 それにしても、いい金管の音は、ある種の爽やかさがありますね。抜けるような感じ。その辺がこの季節にちょっと聞きたくなる所以かも知れません。

2008/07/04のBlog
F.J.ハイドン:弦楽四重奏曲第68番変ホ長調 op.64-6, Hob.III-64 / 第63番ハ長調 op.64-1, Hob.III-65 / 第65番変ロ長調 op.64-3, Hob.III-67
 ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団
 WESTMINSTER / ビクターエンタテインメント MVCW-19039

 最近改めて気付いたのですが、ってのも変な話か?まぁともかく、私はハイドンを意外に度々聞いているようなのです。それも、偏りがあって、弦楽四重奏や交響曲は聞いている割に、ピアノソナタはあまり聞いていないように思います。勿論ハイドンのピアノソナタは、結構マイナーな存在ではありますので、あまり聞いてないのは変ではないかも知れないけれど。
 でも、元々ピアノなんかの方が好きな筈なのに、ハイドンに関しては、弦楽四重奏や交響曲の方がメイン。別に嫌いじゃないんですが、多分私が聞きたいのは、古典派の代表選手・ハイドン一流の典型的な複数声部による構造的な音楽なんでしょう。ある程度構造的なのは聞き取りたいけど、根が間抜けなので、あんまり難しいのはついて行けない...........そうすると、割合に教科書通りに書かれてる(というよりハイドンが教科書になったのか?)、ハイドンの弦楽四重奏なんかは分かりやすくてすっきりしていて、聞いてて楽しい訳です。交響曲もそうだな。その点、ピアノ曲の場合、そこまでの構造が見えにくいということもあって、どうせなら.....となるのですね、きっと。
 そんなわけで、結構ハイドンは聞いているのです。

 今回は久々に古いCDを出してきました。
 CD自体も十年位前のものですが、録音は半世紀前。昔の名門、ウェストミンスターレーベルのものです。最近はユニバーサル傘下でセット物で出ていますが、一時は幻のレーベル扱いだったとか。それでも、内容・音質共に良質だったこと、オールドファンの郷愁を誘ったこともあって(「昔のものは皆美しい」?)、忘れられずに今も残ったという訳です。
 この録音も今はセットで出ている筈ですが、以前に既に単発で買っていました。

 実際、この録音は贔屓目でなくとも質の高いものと言っていいと思います。音質も1950年代という時期とは思えないほどです。やや古めかしくは感じるけれど、雑音は少ないし、クリアに楽器の音が録れています。モノラルですが、編成のせいもあって、決して物足りないと言う感じではありません。往年から評価の高いレーベルであった所以でしょう。
 勿論内容もとてもいい。ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団は、例によってウィーン・フィルのメンバーによる楽団の一つで、1934年に当時のウィーン響のメンバーで結成してから、1967年迄の間活動した由。演奏内容は、月並みな感想ですが、端正・快活・美音・煥発、とまぁ、こんな感じでしょうか。若さに任せて、みたいな無謀なのとは違う躍動感と、音自体も含めた安定感を一つながらに感じさせる演奏です。

 いや、それは、曲自体がそのように感じさせるのかもしれません。ここに収められているのは、ハイドンのop.64の6曲の内3曲。「第3トスト四重奏曲」などと呼ばれる作品集の半分です。ここには収録されていませんが、この6曲の中には「ひばり」も入っています。あの、軽やかに駆け上がる、というよりは飛翔する、という感じでしょうか、本当に。あの印象的な出だしを持つ曲も仲間という訳です。作曲は1790年。モーツァルトが亡くなる前の年、既に「ハイドン・セット」は作曲されて久しく、ハイドンもモーツァルトの影響を受けたと言われる時期です。
 上記の通り、決して派手なセットではありませんが、丹念に聞いていると、こちらからあちらへ、あちらからこちらへと音楽が決して派手ではなく、自然体と感じさせるように動いて行く。そんな印象のある曲たちです。

 演奏と録音の、程よい響きを保ちつつ誤摩化しも無く、聞きやすい。見通しが利く。そんな演奏です。こういう曲をこういう演奏で聞くのは楽しいものです。シンプルで、でも飽きさせない。理屈抜きで、いいなぁ、と思ってしまいます。
 こういう、派手ではないけれど自然ないい響きを持つ演奏って、最近はあんまりないかも知れないですね。でも、詰めに詰めました、というのではない、余裕とか遊びとか、要は詰め切ってない曖昧な部分がなんとなくある、みたいな感じの演奏は、やっぱりいいなぁと思うのでした。




2008/06/30のBlog
G.Mahler:Das Knaben Wnderhorn
 Anna Larsson (contralt)
 Bo Skovhus (bariton)
 Adam Fisher (conductor)
 DR/Universal DRS1


 CD時代・デジタル時代になって大きく変わった事の一つに、CDを出すという事の意味合いが随分と軽くなった、ということが言えると思います。デジタル化で機材の簡素化が進み、後編集がより容易になって、全般に録音がしやすくなってきた。一方でCDそのものを作るコストが、コンピューター関連での著しい需要の伸びと相俟って、大幅に下がってきた。勿論演奏家のコストなどは下がらず、むしろ上がる方向なのでしょうし、だから、著名な演奏家の録音を鳴り物入りで発売する、大手レーベルのコストは、まだ掛かる部分も大きいのでしょう。でも、それ以外では、かなり気楽にCDが作られ、売られているのが現状では。
 それは決して悪い事ではないんであって、同曲異演が多数出てきたのがこの何年かの特徴だと思います。結果、なかなかマイナーながらいいツボを突いて来る録音が出ていたりします。

 このCDなども、そうした動きの中で恩恵を得て世に出たものの一つと言えるかも知れません。Danish Radio Sinfonietta、訳するなら、デンマーク放送シンフォニエッタとなるのでしょうか。指揮はアダム・フィッシャー、コントラルトにアンナ・ラーッソン、バリトンにボウ・スコウフス。曲はマーラーの「子供の不思議な角笛」。こういう録音が手に入ってしまう不思議、なんですよね。アダム・フィッシャーは確かに一級だけれど、こういう録音がぱっぱか売れるような人ではないですね。ボウ・スコウフスはまぁ一線級ですが、ラーッソン(でいいのかな?)は正直無名のスウェーデン人。大体、デンマーク放送シンフォニエッタって何?
 そして曲が「子供の不思議な角笛」。20年くらい前にこの曲で普通に入手出来る録音と言ったら、まずはセル指揮でディースカウらが歌ったものくらいで、後はマーラー全集のついでに入れられたものとかじゃなかったか。それすら多くはなかったし。(「角笛」を交響曲全集のついでに入れる人は多くありません)バーンスタインくらいかな、めぼしい所は。ショルティはあったと思うけど......ハイティンクも、あった筈だけど......
 なので、こういう、そこそこ整っている演奏が気軽に聞ける状況というのは、本当にそれ自体有り難い事ではあります。同時に、種類が多過ぎて訳分かんなくなってたりするということもあるんですけどね。

 とまぁ、そんなことを思いながら聞いているのであります。演奏は上々。やはりスコウフスの歌はうまいなぁ、というのが一つ。ラーッソン嬢は、まぁ、コントラルトは余程下手でなければある程度聞けちゃうということもあるにせよ、悪くないと思います。この録音を聞いて楽しめる程度には上手い。でも、なんというか、特別凄いとかいうことではないですね。なんとかシンフォニエッタも、まぁ雰囲気は出てるし、いいんじゃない?という。
 良くも悪くも、こういう「そこそこ聞ける」クラスの録音が多く出される、というのが今の時代なのでしょう。リートファンみたいな身には、これもまたいいものかな、という気はしますが。

 それにしても「角笛」、マーラーの交響曲はよく聞かれるのに、という気がしないでもないですが、皆そんなにドイツ歌曲とかって抵抗があるんですかね?
 私は結構好きです。もっとも、歌曲集と力説しながら、どっかで「これは歌曲というのは無理あるか?」と思ってたりもするものではありますが。もうちょっと聞かれてもいいと思いますしね、


2008/06/28のBlog
レオンハルト/クラヴィコード・リサイタル
 グスタフ・レオンハルト (Klavichord)
 PHILIPS/ユニバーサル・クラシックス UCCP-3463

 クラヴィコード。チェンバロ、ハープシコード、クラヴサンは大体似たような楽器を指していると考えていいのですが、クラヴィコードはちょっと違います。チェンバロは、直角三角形(或いは長方形から直角三角形を切り取ったような形)の、ピアノの小型版のような筐体を持っています。鍵盤を押すと、その先がピアノで言うハンマーを押し上げて、先端の金属片が弦を弾く。クラヴィコードはより小型で、構造も単純。鍵盤の先に金属片が付いていて、直接弦を弾く。だから、チェンバロより細かいニュアンスを弾き方で表現する事が出来る。その代わり、構造的にどうしても音は小さくなります。チェンバロが筐体の共鳴も活かした、まだしも響きのある音を出すとするなら、クラヴィコードは本当に弦の音だけで聞かせる楽器です。ギターにより近い音でしょうか。ただ、ギターのような共鳴箱が無いので、より弦を爪弾くだけに近い感じですね。
 チェンバロだって決して大きい音は出ませんが、チェンバロが広間で演奏されるのに向いている、とでもするならば、クラヴィコードは自室で、せいぜい数人で楽しむのに適した楽器、となります。

 当年取って80歳のグスタフ・レオンハルト。いや全くあちこちに録音のある人で、DHMあり、SEONあり、PHILIPSあり、と、忙しい人であります。そのレオンハルトが1988年に録音したのがこのCD。題して、クラヴィコード・リサイタル。なるほど、これはクラヴィコードを聞くCDなのでしょう。
 ここでは、J.S.バッハの先人であるリッター、或いは彼の子供達であるヴィルヘルム・フリーデマン・バッハやカール・フィリップ・エマニュエル・バッハの作品が取り上げられています。勿論J.S.バッハ自身の作品も演奏されています。これらの曲が特にクラヴィコードの為に書かれたという訳ではありません。が、基本的にクラヴィーア曲=鍵盤楽器の曲ですし、音域さえカバー出来れば普通に演奏出来る訳ですが、ただ、趣はやはり変わって来るというものです。

 本当を言えば、CDのように録音で聞いてしまうと、音の小ささ加減が分かりにくいものではあります。でも、独特の、乾いた感じの、けれど可愛らしさを感じさせる音を聞けば、チェンバロとはまた違った楽しさを感じられるのではないでしょうか。ピアノどころかチェンバロの音すら、いや、むしろチェンバロだからこそかも知れませんが、あの小さな音すら金属的で煩わしく感じられるような時、もっとシンプルなクラヴィコードの方が、存外落ち着くのかも知れません。

 ところで、こういう楽器、あったら楽しいかもしれないですね。聞けるのは普通に弾いても周りの何人かでしかないけれど、音は小さいし、ちょっと金属的な感じもあるだけに、なかなか「上手く」行かないのかも。
 J.S.バッハの曲では、フランス組曲第二番が演奏されていますが、こうやって聞くと確かにクラヴィコードに合う/合わないというのがあるのかも知れませんが、なかなか面白く聞けます。


2008/06/25のBlog
F.Schubert : Winterreise D.911 / Die Schoene Muellerin D.795
 Claudio Desderi (bariton)
 Dino Ciani (piano)
 ISTITUTO DISCOGRAFICO ITALIANO(Dynamic) IDIS 6462/3

 今日は少々風変わりなものを。

 ディーノ・チアーニというピアニストが居ます。居ました。居たそうです。
 1941年生まれのイタリア人。コルトー門下で、1961年にはウィーンでのベートーヴェン・コンペティション、ブダペストでのリスト=バルトーク・コンペティションで成果を挙げ、いよいよキャリアを積み始め、録音も少なからず行われたのですが、1974年に交通事故で亡くなってしまいました。実は相当の実力の持ち主だったようです。今残っている録音を聞いても、癖もあるけど面白い演奏をする人のようです。グラモフォンやDynamicに纏まった録音集があります。
 享年32歳、今生きていれば67歳。確かに惜しいですね。

 一方、クラウディオ・デズデーリ。こちらも、そこそこ知名度はあれど、決して皆様ご存知というわけではないでしょう。イタリアのバリトンで、実はスカラなんかにも出ているけれど、主役級ではない。ドン・ジョヴァンニだったら外題役じゃなくてレポレロ、みたいな人です。こちらは割合最近も歌っている人です。やっぱり癖もあるけど面白い、みたいな人。

 この二人が、チアーニが亡くなる直前に遺した録音があります。正しくはライブ録音なのですが。うん、イタリア特有のちょっと怪しげな......いや、まぁ、一応Dynamicレーベルの一環ではあるんですが。
 歌手とピアニストですから、当然歌物になります。イタリア人歌手にピアニストであれば、ナポリ民謡集かイタリア・オペラアリア集か、はたまたトスティの歌曲か?いえいえ、これが、シューベルトの「冬の旅」なのです。なんでまたよりによって冬の旅。いや別に歌っちゃいけないわけではないんですが、しかし、これが.......

 大体が、デズデーリ、決して緻密なタイプの歌い手ではありません。どちらかといえば大らか。チアーニも、きっちりと音楽を刻んでいくというよりは、フレーズを歌わせるのが得意、それが音楽なんだから、多少の揺れはあるものよ、というタイプ。この二人が組む訳ですから、テンポは揺れる、表現は振幅が大きい、発音も何か変。しかもライブなので抑えも効かないし。今時のドイツリート歌いに慣れた身には、おいおいおいおいと言いたくなるような演奏であります。
 確かに、今のドイツリート歌唱というのは、基本的には端正で丁寧、発音もしっかりして何を歌っているか分かるように、という方向です。非ドイツ人の歌唱でも、発音には気を使っているのが一般的。そもそも、最近のイタリア人歌手で、シューベルト、しかも冬の旅などの歌曲集を歌うような人が居たかな?居ないんじゃないでしょうか。

 というわけで、ちょっと聞くとなんじゃこりゃ?的な、少々破天荒な演奏なのですが、これはこれで面白いのです。自由に、繊細なニュアンス、みたいなところは気にせず歌っていく。でも、無茶かというと決してそうでもない。よくよく聞いてみると、典型的なドイツリートの表現、ではないのだけれど、それなりに表現の方向は曲に合ってはいる。勿論、様式感、という点では厳しいです。でも、これはこれで一応理に適っているのではあります。
 思うに、これは「クラウディオ・デズデーリとディーノ・チアーニの夕べ」というべき演奏なのでしょう。デズデーリを聞くリサイタル。素材がたまたま冬の旅。そう割り切って聞くと、これ、面白いのです。デズデーリの歌唱の雄弁な事!嵐のような伴奏に立ち向かって吠えるが如きデズデーリ。録音も悪いですし、これだけ聞いていると確かにしんどい面もありますが、これを生で聞いていたらさぞや面白かったろうなぁ.....と思わせるのです。

 ちなみにこれは2枚組で、もう1枚は「美しき水車屋の娘」。これも録音悪いんですが同系統の演奏で......面白いです。




2008/06/22のBlog
GLENN GOULD : SALZBURG RECITAL 25. August 1959
J.P.Sweelinck : Fantasia in D
A.Schoenberg : Suite fuer Klavier op.25
W.A.Mozart : Klaversonate C-Dur K.330
L.S.Bach : Goldberg Variationen BWV.988
 Glenn Gould (piano)
SONY SMK53474

 うう、忙しいっす...........煮詰まってますねぇ........

 グレン・グールド。もう四半世紀以上前に50歳そこそこで亡くなった、「コンサートをドロップアウトした」ピアニスト。いや、「音楽家」とか、「アーティスト」とか、はたまたいっそ「哲学者」とか、色々に呼ぶのが正しいのでしょうか?

 実際、人口に膾炙したクラシックの演奏家で、この人ほど長くカリスマorアイコンorアイドルとしての地位を保っている人も珍しいと思います。これ以外では、カラヤンくらいしかいないんじゃないでしょうか。ただ、グールドが強烈なのは、知的ブランドとして機能しているというところでしょう。
 ある人達は、村上春樹からグールドに入り、またある人達は坂本龍一からグールドに入り、また別の人は浅田彰だか誰だかから入り、しまいには木村拓哉から入る、という具合。嫌味な言い方をすれば、グールドを聞く、好むというのは、自分を知的に演出する為のアイテムの一つなのです。そして、その装いは、亡くなって四半世紀を過ぎた今でも十分機能する、というところが恐ろしいというべきか。
 いや、決してそうしたファッションとしてのグールドの使われ方だけでなく、もう少し真面目に音楽家、ピアニストとして云々する人々にしても、未だにグールドは非常に興味深い対象であるようなのです。グールドを云々すれば、取り敢えず皆引っ掛かってくれる(騙される、と言う意味ではないですよ)、しかもそれによって知的であるという演出も可能、そんな雰囲気なのです。
 端的に言って、グールドは、便利な記号なのです。

 そのグールドが、生前、コンサートを拒絶して録音による演奏発表を中心とした中で、録音を編集することについて大体こんなようなことを言っています。

 コンサートは一回限りのもので、しかもやり直しが効かない(「Take 2 がない」。むしろ、編集によって自らがあるべきと思う姿へと作り上げていくことが出来る録音の方がいい。
 更には、聞き手による音楽の選択を可能にする為にも、演奏を幾つかのパーツに分けて複数通り用意し、最終の完成形は聞き手の好みによって決めることが出来るようになればいい。
 (前者は比較的良く知られていますが、後者は、一部の対談形式のエッセイなどで述べられている程度なので、あまり知られていないかも知れませんが。)

 これ、ある面では「危険思想」ですし、それ故にグールドを「非常に進んだ」音楽家として認知させる契機にもなったのではあります。ただ、そうしたこと故にグールドは確かに「先進的音楽家」ということにはなっているけれど、彼が亡くなったのは1982年なのです。つまり、グールドはCDなんてものは知らなかった。今なら、ある録音を部分毎に取り出して組み替えるなんてことは容易な話になっています。技術の進化はグールドの想定をとっくに越えてしまいました。
 いや、それ以上に、例えばipod shuffleの基本思想って、「次に何が来るか分からない」という状態を楽しむ所にあると思うのです。そこに入っているものこそ自分で選び取ったものだけれど、次に何を聴くか、どのような順序で聴くかは、演奏家の意思はおろか、聞き手の意思すら介入せず、機械がランダムに決めている。ここではもはや「誰の作品か」ということすら重視されなくなりつつあるのです。
 勿論、グールドの演奏は曲によるにせよ特徴的ではあるので、ipodから聞こえてくればそれと分かってしまうのでしょうけれど。でも、それは言い換えれば、「グールドである」という事実への依存度が高いということでもあるのでして。

 音楽家として最も先進的と看做される演奏家だったグールドの人気が、実は旧来の縛りである「演奏家」という個人の属性に最も依存しているという皮肉な事実。

 この録音は、グールドが1959年夏のザルツブルク音楽祭で開いたリサイタルのライブ録音です。演奏自体は私は嫌いではないんですが、当たり前のことながら、この録音が相応に価値のあるものとして遇されている一因には、やはり「グールドである」という事があるのは否めません。決して貶めて言う訳ではないのです。ただ、この事実、果たしてグールド自身にとってはどのように受け止められる話なのでしょうね。
 ......まぁ、そんな風に考える事自体、健全ではないんでしょうけど。

 グールドの演奏それ自体は面白いです。あまり唸ってないのもポイントが高い(苦笑)
 メインのゴールドベルクは、いわゆる最初の録音のアプローチとほぼ同系統です。ライブ故の傷、と思われるようなところが無いのは流石に凄い。表現上のわずかなアンバランス感が幾つかある、という程度でしょうか。それも含めていい演奏。
 だけれど、好き嫌いを言えば、むしろゴールドベルクの前に入っている曲の方が音楽としては好きです。特に冒頭のスヴェーリンク。グールドのバロック音楽では、バードやギボンズなどの作品を録音したものがありましたが、あれに連なる系統の演奏です。いや、時期としてはこのスヴェーリンクの方が先ですね。独特の気怠さと寂寥感を感じさせる、なんとも言えない演奏です。まぁ、この辺の曲は、スタンダード的には、レオンハルトあたりのチェンバロ演奏で耳をブラッシュアップして貰った方がいいかも知れませんが....


2008/06/20のBlog
G.Gershwin : Rhapsody in Blue / An American in Paris
M.Ravel : Concerto for the left hand in D

 Pascal Roge (piano)
 RSO Wien
 Bertrand de Billy (conduct)
 OEHMS CLASSICS OC623

 最近更新がありませんでした。忙しいのもありますが、正直、不作が続いてまして、書くことがあまり無かったんですね。ハイ。まぁ、まるで無かった訳でもないんですけども。例えばこんなのとか......

 パスカル・ロジェ。フランスのピアニストで、ラヴェルなどのフランス音楽に録音が多いのですが、彼がウィーン放送交響楽団と録音したのがこのCD。確かこれの前に、同じガーシュインとラヴェルの組み合わせ(各々のピアノ協奏曲)を録音したのがあって、このCDはその続編みたいなものだった筈。指揮はベルトランド・ド・ビリー。
 ま、ラヴェルの左手の為の協奏曲もありますが、やはり耳目を引くのはラプソディー・イン・ブルーというのが正直な所ではあります。勢い、そちらの出来が気になるのですが...............うーん(笑)

 率直に言って、ラプソディー・イン・ブルーは難しいのです。演奏が技術的に難しいと言うより、それらしく演奏して雰囲気をきちんと出すのが難しい。元々普通にやったら「楽譜上合ってるけど音楽的には不整合」みたいなところがあるのでして、それ