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2008/09/06のBlog
[ 03:38 ]
[ オペラ ]
Edition Klavier-Festival Ruhr Vol.10 : W.A.Mozart/A.Zemlinsky "Die Zauberfloete" fuer Klavier zu vier Haenden
Maki Namekawa, Dennis Russell Davies (piano)
Avi 553019
相変わらず忙しいです。週末も仕事です。でも遊びにも行くぞ.......もーやってらんねー.......
閑話休題。
一体どういうルートで、どういう値付けで入って来るのか分かりませんが、以前も取り上げたルール・ピアノ・フェスティヴァルのCDであります。今回は第10巻、2004年の公演に関連して録音されたもののようです。だから、ライブとは謳っておりませんで、実際聞いた感じでも、ライブという訳ではないのかも。実は前から気になっていたCDでありますが、入手したのは最近。
2枚組なのですが、演目が、「魔笛」。ハイ。モーツァルトの魔笛です。ルール・ピアノ・フェスティヴァル、じゃなかったの?って?ハイ、そうです。私も知らなかったのですが、19世紀末から20世紀前半にかけて活躍した作曲家、ツェムリンスキーが、4手ピアノの為のスコア編曲を書いているのですね。トータルで2時間も無いので、ジングシュピールの台詞のみの部分を省いて、更に一部省略もあるのかな?とはいえ、実際聞いてみると、ほぼ全曲聞いている感じです。
編曲と言っても、ツェムリンスキーが自分の作風に書き換えたという訳ではなく、むしろ普通に、ピアノスコアを歌唱受け持ち分も含めて4手で弾く為の指示を書きました、という感じです。
正直、「魔笛」はそれほど好きなオペラではありません。少なくともモーツァルトのオペラなら、個人的には「ドン・ジョヴァンニ」、「皇帝ティトーの寛仁」、「後宮からの誘拐」、「フィガロの結婚」、まぁその後に来るのは間違い無いのですが、そうは言っても元々人気の高いオペラなので、それなりに回数聞いているのは確かです。
そうすると、ピアノ演奏といえども、聞いていれば大体「ああ、ここはあれね」というのが概ねイメージ出来てしまうのではあります。先に書いた通り、編曲とはいえあまり手は加わっておらず、原曲にかなり近いので、容易に記憶とシンクロ出来る訳です。
とはいうものの、それって、ピアノ・フェスティヴァルの関連録音としてはどうなんだ、というのは、この際あまり考えない方向で.......(苦笑) これだけ容易に原曲のイメージが持てるのだから、ピアノ演奏としては、決して悪くはないとは思うのですが、普通にピアノ演奏を聞くのとはちょっと違う聞き方をしてしまいますからねぇ。
まぁ、オペラ全曲聞くよりは気楽なので、この忙しい最中でも、聞く気にはなった、というところでして。ちょっと失礼な聞き方でしょうか?でも、まぁ、面白いのは確かなんだし。だからまぁ、いいんじゃない?と勝手に決めているのであります。
演奏は、Maki NamekawaとDennis Russell Davies。デニス・ラッセル・ディヴィスの方は、所々で指揮者として名前を聞くことがありますが、私は確かまだ聞いたことはありません。アメリカ生まれで、結構あちこちで指揮をしたり、常任に就任した経験も豊富なようですが、ピアニストとしては知らないなぁ。オペラでもあちこちで振っているので、その辺の経験によるのでしょう。一方のNamekawaさんは、私はあまり知りません。ドイツなどで演奏してらっしゃるようですが。
Maki Namekawa, Dennis Russell Davies (piano)
Avi 553019
相変わらず忙しいです。週末も仕事です。でも遊びにも行くぞ.......もーやってらんねー.......
閑話休題。
一体どういうルートで、どういう値付けで入って来るのか分かりませんが、以前も取り上げたルール・ピアノ・フェスティヴァルのCDであります。今回は第10巻、2004年の公演に関連して録音されたもののようです。だから、ライブとは謳っておりませんで、実際聞いた感じでも、ライブという訳ではないのかも。実は前から気になっていたCDでありますが、入手したのは最近。
2枚組なのですが、演目が、「魔笛」。ハイ。モーツァルトの魔笛です。ルール・ピアノ・フェスティヴァル、じゃなかったの?って?ハイ、そうです。私も知らなかったのですが、19世紀末から20世紀前半にかけて活躍した作曲家、ツェムリンスキーが、4手ピアノの為のスコア編曲を書いているのですね。トータルで2時間も無いので、ジングシュピールの台詞のみの部分を省いて、更に一部省略もあるのかな?とはいえ、実際聞いてみると、ほぼ全曲聞いている感じです。
編曲と言っても、ツェムリンスキーが自分の作風に書き換えたという訳ではなく、むしろ普通に、ピアノスコアを歌唱受け持ち分も含めて4手で弾く為の指示を書きました、という感じです。
正直、「魔笛」はそれほど好きなオペラではありません。少なくともモーツァルトのオペラなら、個人的には「ドン・ジョヴァンニ」、「皇帝ティトーの寛仁」、「後宮からの誘拐」、「フィガロの結婚」、まぁその後に来るのは間違い無いのですが、そうは言っても元々人気の高いオペラなので、それなりに回数聞いているのは確かです。
そうすると、ピアノ演奏といえども、聞いていれば大体「ああ、ここはあれね」というのが概ねイメージ出来てしまうのではあります。先に書いた通り、編曲とはいえあまり手は加わっておらず、原曲にかなり近いので、容易に記憶とシンクロ出来る訳です。
とはいうものの、それって、ピアノ・フェスティヴァルの関連録音としてはどうなんだ、というのは、この際あまり考えない方向で.......(苦笑) これだけ容易に原曲のイメージが持てるのだから、ピアノ演奏としては、決して悪くはないとは思うのですが、普通にピアノ演奏を聞くのとはちょっと違う聞き方をしてしまいますからねぇ。
まぁ、オペラ全曲聞くよりは気楽なので、この忙しい最中でも、聞く気にはなった、というところでして。ちょっと失礼な聞き方でしょうか?でも、まぁ、面白いのは確かなんだし。だからまぁ、いいんじゃない?と勝手に決めているのであります。
演奏は、Maki NamekawaとDennis Russell Davies。デニス・ラッセル・ディヴィスの方は、所々で指揮者として名前を聞くことがありますが、私は確かまだ聞いたことはありません。アメリカ生まれで、結構あちこちで指揮をしたり、常任に就任した経験も豊富なようですが、ピアニストとしては知らないなぁ。オペラでもあちこちで振っているので、その辺の経験によるのでしょう。一方のNamekawaさんは、私はあまり知りません。ドイツなどで演奏してらっしゃるようですが。
2008/09/01のBlog
[ 00:44 ]
[ 車で音楽 ]
COWBOY BEBOP BLUE
ビクターエンタテインメント VICL-60203
このところ忙しくて、平日はとてもblogまでは手が回りません。通勤途中にCDは聞くけれど、書く暇も余裕も無いなぁ、という今日この頃。細かいとこまでフォローしてられないし。
この数日、ずっと聞いてたのがこのCDであります。アニメのサントラ?と知らない人はそう思うでしょうが、まぁ、そう言わずに.....
COWBOY BEBOP。もう10年前のアニメであります。実は、放送された当時全く見てません。放送が終わってから、知人に見せられた次第。手っ取り早く言うと、近未来、太陽系くらいには人類が拡かった世界での賞金稼ぎ・バウンティハンターの話。コメディアスかつシリアスかつ若干ヒューマニスティックというか。
まぁ、本来地上波で放送するような、市場性のあるアニメではないですね。当時はまだそういう言葉は無かったか、少なくとも一般的では無かったけれど、萌え要素なんて皆無。メカニカルな格好良さもまぁ無い。にも拘らず、何故か一部で熱狂的な支持を受けて、アメリカ辺りでも未だに度々放送されるとか。
まぁ、それはそれとして、このサントラがいいのです。このCOWBOY BEBOPのサントラ・アルバムは全部で3つ出ているのですが、音楽的に圧倒的に渋いのが、3つ目のこれ。元々タイトルの通り、モダンジャズ・タッチの音楽をベースに、音楽に非常な拘りを見せたシリーズではあるのですが、中でもシックな楽曲の多いこのアルバム、元のアニメに関係無くいいのです。
勿論、そこはサントラですから、色々入ってますし、「ありゃ?」という感じの音楽も無いとは言いませんが、普通に聞けてしまうのです。如何にもな番組用に作りました的音楽みたいなのはありません。その辺が普通に聞ける理由でしょうか。
あ、一曲だけ。Ave Maria と題して、19世紀のオペラ作曲家が書いたような曲があるのですが、これが何か変。後奏で寸詰まりになってるんですよね。これは、あまりにもそれらしくするとつまらないということか、はたまた狙ってそうしたのか。ちょっとね。まぁ、サントラに文句言っても仕方ないのであれなんですが....(笑)
それにしても、もうちょっと日常に余裕が欲しいぞ......もう半月が山かなぁ。
ビクターエンタテインメント VICL-60203
このところ忙しくて、平日はとてもblogまでは手が回りません。通勤途中にCDは聞くけれど、書く暇も余裕も無いなぁ、という今日この頃。細かいとこまでフォローしてられないし。
この数日、ずっと聞いてたのがこのCDであります。アニメのサントラ?と知らない人はそう思うでしょうが、まぁ、そう言わずに.....
COWBOY BEBOP。もう10年前のアニメであります。実は、放送された当時全く見てません。放送が終わってから、知人に見せられた次第。手っ取り早く言うと、近未来、太陽系くらいには人類が拡かった世界での賞金稼ぎ・バウンティハンターの話。コメディアスかつシリアスかつ若干ヒューマニスティックというか。
まぁ、本来地上波で放送するような、市場性のあるアニメではないですね。当時はまだそういう言葉は無かったか、少なくとも一般的では無かったけれど、萌え要素なんて皆無。メカニカルな格好良さもまぁ無い。にも拘らず、何故か一部で熱狂的な支持を受けて、アメリカ辺りでも未だに度々放送されるとか。
まぁ、それはそれとして、このサントラがいいのです。このCOWBOY BEBOPのサントラ・アルバムは全部で3つ出ているのですが、音楽的に圧倒的に渋いのが、3つ目のこれ。元々タイトルの通り、モダンジャズ・タッチの音楽をベースに、音楽に非常な拘りを見せたシリーズではあるのですが、中でもシックな楽曲の多いこのアルバム、元のアニメに関係無くいいのです。
勿論、そこはサントラですから、色々入ってますし、「ありゃ?」という感じの音楽も無いとは言いませんが、普通に聞けてしまうのです。如何にもな番組用に作りました的音楽みたいなのはありません。その辺が普通に聞ける理由でしょうか。
あ、一曲だけ。Ave Maria と題して、19世紀のオペラ作曲家が書いたような曲があるのですが、これが何か変。後奏で寸詰まりになってるんですよね。これは、あまりにもそれらしくするとつまらないということか、はたまた狙ってそうしたのか。ちょっとね。まぁ、サントラに文句言っても仕方ないのであれなんですが....(笑)
それにしても、もうちょっと日常に余裕が欲しいぞ......もう半月が山かなぁ。
2008/08/25のBlog
[ 02:29 ]
[ ジャズ ]
シェリー・マン:スウィンギング・サウンズ
シェリー・マン (drums)
スチュ・ウィリアムソン (trumpet)
チャーリー・マリアーノ (alt saxophon)
ラス・フリーマン (piano)
リロイ・ヴィネガー (bass)
CONTEMPORARY/ユニバーサルミュージック UCCO-9149
シェリー・マン。ええと、私あまり詳しい所は分からないのですが、シェリー・マンって、ウェスト・コースト系だったのですか。まぁ、確かに、西海岸でやってたのは確かだし、出したアルバムはコンテンポラリー・レーベルがが多いし、そう言われりゃそうなんですが、うむー。
とか言いつつ、思い返してみれば、自分も前に取り上げてるシェリー・マンって、コンテンポラリー物だし、なぁ。今回もそうだし。
正直、ウェスト・コーストかどうかは割とどうでもいいのですけどね。
トランペットとアルト・サックスを入れたツーホーン・クインテット。1956年の録音ですから、モダンジャズとしても結構古いです。
敢えて言えば、ウェスト・コースト系がややもすれば傍流に見られやすい理由の一つは、「気持ちよく聞こえてしまうことを否定しようとしない」ところにあるのではないかと思います。例えば一曲目 "The Dart Game" の真ん中あたりで、ホーン二本とピアノが綺麗に揃ってしまう所があります。こういうの、いわゆるモダンジャズの保守本流、例えばマイルス・デイヴィスあたりであれば、そんな音楽はやらない、となるんだと思います。或いは、ソロの部分でも、メロディックにやってしまう。結構長いソロが入ると、それこそブルーノート系のミュージシャンなら、元のメロディラインを叩き壊し、如何に元のコードラインでアクロバティックで先鋭的な演奏をするかに腐心したわけですよね。まぁ、皆が皆、というわけではないけれど。
気持ちよく聞こえてしまうような音楽はブルースじゃない、ジャズじゃない、と、こういうことになるのかも。
実際、単に耳障りがいいだけの音楽ではないんですけどね。
でも、こうした、「気持ちよく聞こえてしまうことを否定しない」ということは、確かに魅力的なのです。そういう音楽を造る人、という意味では、確かにメンバー全員がそうなのだけれど、リーダーであるシェリー・マンの個性がそうなのでしょう。
この録音に限らずそうですが、シェリー・マンのドラムは、叩かないドラムなのです。ソロもあまり無いし、バックで叩いてる時でも、あまり前面に出ようとする風ではありませんし。正直、「なんでこのドラマーがリーダーなの?」と思わなくもないくらい影が薄い。聞こえない訳ではないけれど、全然リードしてるようには聞こえない。
これ、多分、リードしてないんだと思います。むしろ抑えに回ろうとしてるんじゃないか、という意味で、リードというよりコントロールしてるんでしょう。このへんの「大人しい、抑制されたジャズ」とでも言いたくなる感じが、ジャズとしては如何なものか?みたいな感じになるのでしょう。でも、こうして抑制の利いた演奏が出来る、というのも、音楽としては結構大事なことなので。そのへんがシェリー・マンの魅力なのかな、と思うのです。
シェリー・マン (drums)
スチュ・ウィリアムソン (trumpet)
チャーリー・マリアーノ (alt saxophon)
ラス・フリーマン (piano)
リロイ・ヴィネガー (bass)
CONTEMPORARY/ユニバーサルミュージック UCCO-9149
シェリー・マン。ええと、私あまり詳しい所は分からないのですが、シェリー・マンって、ウェスト・コースト系だったのですか。まぁ、確かに、西海岸でやってたのは確かだし、出したアルバムはコンテンポラリー・レーベルがが多いし、そう言われりゃそうなんですが、うむー。
とか言いつつ、思い返してみれば、自分も前に取り上げてるシェリー・マンって、コンテンポラリー物だし、なぁ。今回もそうだし。
正直、ウェスト・コーストかどうかは割とどうでもいいのですけどね。
トランペットとアルト・サックスを入れたツーホーン・クインテット。1956年の録音ですから、モダンジャズとしても結構古いです。
敢えて言えば、ウェスト・コースト系がややもすれば傍流に見られやすい理由の一つは、「気持ちよく聞こえてしまうことを否定しようとしない」ところにあるのではないかと思います。例えば一曲目 "The Dart Game" の真ん中あたりで、ホーン二本とピアノが綺麗に揃ってしまう所があります。こういうの、いわゆるモダンジャズの保守本流、例えばマイルス・デイヴィスあたりであれば、そんな音楽はやらない、となるんだと思います。或いは、ソロの部分でも、メロディックにやってしまう。結構長いソロが入ると、それこそブルーノート系のミュージシャンなら、元のメロディラインを叩き壊し、如何に元のコードラインでアクロバティックで先鋭的な演奏をするかに腐心したわけですよね。まぁ、皆が皆、というわけではないけれど。
気持ちよく聞こえてしまうような音楽はブルースじゃない、ジャズじゃない、と、こういうことになるのかも。
実際、単に耳障りがいいだけの音楽ではないんですけどね。
でも、こうした、「気持ちよく聞こえてしまうことを否定しない」ということは、確かに魅力的なのです。そういう音楽を造る人、という意味では、確かにメンバー全員がそうなのだけれど、リーダーであるシェリー・マンの個性がそうなのでしょう。
この録音に限らずそうですが、シェリー・マンのドラムは、叩かないドラムなのです。ソロもあまり無いし、バックで叩いてる時でも、あまり前面に出ようとする風ではありませんし。正直、「なんでこのドラマーがリーダーなの?」と思わなくもないくらい影が薄い。聞こえない訳ではないけれど、全然リードしてるようには聞こえない。
これ、多分、リードしてないんだと思います。むしろ抑えに回ろうとしてるんじゃないか、という意味で、リードというよりコントロールしてるんでしょう。このへんの「大人しい、抑制されたジャズ」とでも言いたくなる感じが、ジャズとしては如何なものか?みたいな感じになるのでしょう。でも、こうして抑制の利いた演奏が出来る、というのも、音楽としては結構大事なことなので。そのへんがシェリー・マンの魅力なのかな、と思うのです。
2008/08/24のBlog
[ 02:01 ]
[ クラシック ]
VLADIMIR ASHKENAZY : Personal Collection
Vladimir Ashenazy (piano, conduct), etc.
DECCA 475 8592
皆さん色々に仰られるのでしょうが、アシュケナージを一言で言い表すならば、やはり「器用貧乏」ってところではないでしょうか。
いや本当に多芸で。多芸と言っても基本ピアノと指揮しかしない人だけど、ピアノはバッハからショスタコーヴィチまで弾きこなし、指揮すれば古典派からこれまたショスタコーヴィチあたりに現代曲まで振ってしまう。いや、アシュケナージの指揮がつまらないという日本人が多いのは知ってますが、あれ、つまらないというのは、アシュケナージが堅実で外連味のない演奏をするからではないかと。
いや、本当に、堅実だと思いますよ、アシュケナージは。
でも、ちょっとレパートリー広過ぎ、という気がしなくもないんですよね。アシュケナージがGreat Piano Concertoを弾いたのを集めました、というCDセットがあるんですが、10枚組らしいのです。これじゃGreatってーよりめぼしい所全部集めました、ってノリではなかろうかと。
で、こちらのセットは、アシュケナージのコンピレーションもの。Deccaに録音し、賞を取ったりしたものから、アシュケナージが選んだもの。それだけでCD7枚あるというのですから、器用としか言い様が無いでしょう。
今日はその中から、シューベルトのソナタを聞いています。D850、ニ長調のソナタ。この時期のシューベルトのソナタとしては作品の長さも結構長く、音楽的にもダイナミズムのある曲です。
.......いや、待てよ。確かにダイナミズムのある曲ではあったけど、第1楽章、こんなに元気な曲だったっけ?これは、なかなか面白い。
シューベルトのソナタというと、どうしても抒情的な方向で演奏したくなるものだし、実際そういう演奏が多いと思います。その中で、確かにこのD850は、単なる抒情性では終わらない、音楽の幅に広さがある曲ではあるのですが、そうは言ってもその通りには意外といかない。
そこを上手くやっているのがアシュケナージ、という言い方は雑駁に過ぎるでしょうか?でも、実際、アシュケナージの演奏は、この曲の全体構成を見通した上で、デザインされているといった印象があります。だから大胆なダイナミズムが取れている。全体としても、ともすれば個々の楽章が寄せ集めのように感じられてしまう面が無いでもない、シューベルトのソナタとしては統一感のある演奏になっている。
アシュケナージの演奏で聞くこの曲は、何処かベートーヴェンのソナタの影を感じさせます。シューベルトとベートーヴェン、ピアノソナタとしては似て非なるものであるのだけれど、その接点が本当はあるんだよ、と感じさせる演奏です。
アシュケナージのシューベルトは、聞いた事あったかなぁ。最後期の、D958, 959, 960のソナタなんか、どんな風に弾くんだろう、という興味が湧いて来ます。でも、残念ながら、少なくともこのコンピレーションでは、シューベルトはこの曲しか入ってないんですよね。ちなみに、この録音は1975年のもの。もう30年以上前。アシュケナージも40代初めか30代、という若い時期のもの。今はまた全く違うように弾くのでしょうね。
ちなみに、このCDは7枚組(+インタビュー収録のボーナス1枚)構成の3枚目ですが、シューベルトの余白にはショパンが5曲収録されてます。いや、余白というのは失礼で、舟歌、バラード4番、スケルツォ4番といった大曲が入ってます。それにノクターンが2曲。ま、アシュケナージといえばショパン、というのは定番ではあるんですが。
こちらでは舟歌がいいですね。シューベルトの後の、透明感を若干感じさせる色彩感が程よく華やかで、いいです。
Vladimir Ashenazy (piano, conduct), etc.
DECCA 475 8592
皆さん色々に仰られるのでしょうが、アシュケナージを一言で言い表すならば、やはり「器用貧乏」ってところではないでしょうか。
いや本当に多芸で。多芸と言っても基本ピアノと指揮しかしない人だけど、ピアノはバッハからショスタコーヴィチまで弾きこなし、指揮すれば古典派からこれまたショスタコーヴィチあたりに現代曲まで振ってしまう。いや、アシュケナージの指揮がつまらないという日本人が多いのは知ってますが、あれ、つまらないというのは、アシュケナージが堅実で外連味のない演奏をするからではないかと。
いや、本当に、堅実だと思いますよ、アシュケナージは。
でも、ちょっとレパートリー広過ぎ、という気がしなくもないんですよね。アシュケナージがGreat Piano Concertoを弾いたのを集めました、というCDセットがあるんですが、10枚組らしいのです。これじゃGreatってーよりめぼしい所全部集めました、ってノリではなかろうかと。
で、こちらのセットは、アシュケナージのコンピレーションもの。Deccaに録音し、賞を取ったりしたものから、アシュケナージが選んだもの。それだけでCD7枚あるというのですから、器用としか言い様が無いでしょう。
今日はその中から、シューベルトのソナタを聞いています。D850、ニ長調のソナタ。この時期のシューベルトのソナタとしては作品の長さも結構長く、音楽的にもダイナミズムのある曲です。
.......いや、待てよ。確かにダイナミズムのある曲ではあったけど、第1楽章、こんなに元気な曲だったっけ?これは、なかなか面白い。
シューベルトのソナタというと、どうしても抒情的な方向で演奏したくなるものだし、実際そういう演奏が多いと思います。その中で、確かにこのD850は、単なる抒情性では終わらない、音楽の幅に広さがある曲ではあるのですが、そうは言ってもその通りには意外といかない。
そこを上手くやっているのがアシュケナージ、という言い方は雑駁に過ぎるでしょうか?でも、実際、アシュケナージの演奏は、この曲の全体構成を見通した上で、デザインされているといった印象があります。だから大胆なダイナミズムが取れている。全体としても、ともすれば個々の楽章が寄せ集めのように感じられてしまう面が無いでもない、シューベルトのソナタとしては統一感のある演奏になっている。
アシュケナージの演奏で聞くこの曲は、何処かベートーヴェンのソナタの影を感じさせます。シューベルトとベートーヴェン、ピアノソナタとしては似て非なるものであるのだけれど、その接点が本当はあるんだよ、と感じさせる演奏です。
アシュケナージのシューベルトは、聞いた事あったかなぁ。最後期の、D958, 959, 960のソナタなんか、どんな風に弾くんだろう、という興味が湧いて来ます。でも、残念ながら、少なくともこのコンピレーションでは、シューベルトはこの曲しか入ってないんですよね。ちなみに、この録音は1975年のもの。もう30年以上前。アシュケナージも40代初めか30代、という若い時期のもの。今はまた全く違うように弾くのでしょうね。
ちなみに、このCDは7枚組(+インタビュー収録のボーナス1枚)構成の3枚目ですが、シューベルトの余白にはショパンが5曲収録されてます。いや、余白というのは失礼で、舟歌、バラード4番、スケルツォ4番といった大曲が入ってます。それにノクターンが2曲。ま、アシュケナージといえばショパン、というのは定番ではあるんですが。
こちらでは舟歌がいいですね。シューベルトの後の、透明感を若干感じさせる色彩感が程よく華やかで、いいです。
2008/08/23のBlog
[ 01:49 ]
[ 歌曲 ]
ドイツ学生の歌 大全集
エーリッヒ・クンツ (bariton)
ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団、男声合唱団
フランツ・リトシャウアー (conduct)
ウィーン国立歌劇場管弦楽団、合唱団/男声合唱団
アントン・パウリク (conduct)
VANGUARD CLASSICS/コロムビアミュージックエンターテインメント COCQ-84365-68
ドイツ学生の歌、という題のCD4枚組セットです。歌うはエーリッヒ・クンツ。いや、前から折に触れ聞いているのですが、取り上げてなかったんですね。
このCDセット自体は比較的最近再発されたものですが、この録音自体はかなり古いものです。そりゃ確かに、レーベルがVanguard Classicsで、歌っているのがクンツですから、古いのも道理。遺憾ながら具体的な録音データが載っていないのですが、4枚組の内1枚がモノラル。残りはステレオ録音とはいうものの、録音年代は推して知るべし。ほぼ半世紀前の録音と見ていいんじゃないかと思います。
エーリッヒ・クンツの独唱といいながら、こういう歌集ですから、合唱が入る曲が殆どです。とはいえ流石に名歌手クンツ、こういう歌でも丁寧で上手。
ちなみに、フォルクスオーパー管は、その名の通り。国立歌劇場管は、録音契約の関係でこの名を使っていると言われていて、実態はウィーン・フィルに近い内容だったらしいのですが、まぁ本当のところはよく分かりません。でも、演奏自体はこういうものにしては御立派なのは事実です。
ドイツの学生歌、というのは、それ自体が一つのジャンルを形成しているのだそうです。17、8世紀くらいにはその伝統が築かれていたそうで、学生組合が行事の折に、或いは何かにつけての宴会の席で皆で歌われた歌、ということらしい。まぁ、古今東西、学生なんてものの考えることは大差無いのでありましょう。
そういうものなので、いわゆる民謡なんかとはまたちょっと違う。勿論、その中には、シューベルトの「菩提樹」とか、「ローレライ」みたいな歌も入っていて、これらは一方では民謡みたいな顔をして歌われていたりもするので、親和性は高いのではありましょう。
高歌放吟は世の常とは申しながら、日本ではこういうのはあまり無いのかも知れません。旧制高校の寮歌だとか、琵琶湖周航の歌だとか、ああいうのが強いて言えばあたるのかな?
正直、旧制高校の寮歌とかを聞いても、「いい」とか「懐かしい」というようには思わないのですが、この「ドイツ学生の歌」、歌詞の意味がよく分かってないのもあってか(笑)、民謡を聞くような感覚で聞いているのであります。こういう歌の方に却って親しみを感じてしまうというのも、妙と言えば妙なんですけどね。
エーリッヒ・クンツ (bariton)
ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団、男声合唱団
フランツ・リトシャウアー (conduct)
ウィーン国立歌劇場管弦楽団、合唱団/男声合唱団
アントン・パウリク (conduct)
VANGUARD CLASSICS/コロムビアミュージックエンターテインメント COCQ-84365-68
ドイツ学生の歌、という題のCD4枚組セットです。歌うはエーリッヒ・クンツ。いや、前から折に触れ聞いているのですが、取り上げてなかったんですね。
このCDセット自体は比較的最近再発されたものですが、この録音自体はかなり古いものです。そりゃ確かに、レーベルがVanguard Classicsで、歌っているのがクンツですから、古いのも道理。遺憾ながら具体的な録音データが載っていないのですが、4枚組の内1枚がモノラル。残りはステレオ録音とはいうものの、録音年代は推して知るべし。ほぼ半世紀前の録音と見ていいんじゃないかと思います。
エーリッヒ・クンツの独唱といいながら、こういう歌集ですから、合唱が入る曲が殆どです。とはいえ流石に名歌手クンツ、こういう歌でも丁寧で上手。
ちなみに、フォルクスオーパー管は、その名の通り。国立歌劇場管は、録音契約の関係でこの名を使っていると言われていて、実態はウィーン・フィルに近い内容だったらしいのですが、まぁ本当のところはよく分かりません。でも、演奏自体はこういうものにしては御立派なのは事実です。
ドイツの学生歌、というのは、それ自体が一つのジャンルを形成しているのだそうです。17、8世紀くらいにはその伝統が築かれていたそうで、学生組合が行事の折に、或いは何かにつけての宴会の席で皆で歌われた歌、ということらしい。まぁ、古今東西、学生なんてものの考えることは大差無いのでありましょう。
そういうものなので、いわゆる民謡なんかとはまたちょっと違う。勿論、その中には、シューベルトの「菩提樹」とか、「ローレライ」みたいな歌も入っていて、これらは一方では民謡みたいな顔をして歌われていたりもするので、親和性は高いのではありましょう。
高歌放吟は世の常とは申しながら、日本ではこういうのはあまり無いのかも知れません。旧制高校の寮歌だとか、琵琶湖周航の歌だとか、ああいうのが強いて言えばあたるのかな?
正直、旧制高校の寮歌とかを聞いても、「いい」とか「懐かしい」というようには思わないのですが、この「ドイツ学生の歌」、歌詞の意味がよく分かってないのもあってか(笑)、民謡を聞くような感覚で聞いているのであります。こういう歌の方に却って親しみを感じてしまうというのも、妙と言えば妙なんですけどね。
2008/08/16のBlog
[ 11:58 ]
[ 車外(?)で音楽 ]
グルジアの歌
SEVEN SEAS/キングレコード KICC-5570
グルジア。紛争というよりもうこれは戦争になってる国であります。あそこが紛争地帯になってしまうには色々な事情 - 民族の事情と国家の事情と - があって、それはそれである面仕方ないのではありますが、しかしそうは言っても実際に紛争・戦争になって、難民が発生する事態に至っているのは事実だし。困ったもんです。困ったもんです、で済めば世界平和は容易いもんでしょうけれど。
グルジア辺りのコーカサス地方を果たして中央アジアと言っていいのか、問題は残りますが、この辺の地方からキルギスやトルクメニスタンがあるあたりの土地というのに、実に能天気ながら一種の憧れを抱いているのもこれ事実であります。イメージとしては、シルクロードの世界ですね。それに、ボロディンの「中央アジアの草原にて」のイメージが重なっております。でも、実際に自分が行くのは大変そうだから、多分行かない。行かないけど、興味は尽きない。と。こんな感じでしょうか。
ちなみに、これはもう本格戦争と言うべきチェチェン「紛争」が起きているチェチェンもコーカサス地方の、もっと東の方にあります。そう、こっちの勝手な憧れとは別に、宗教・戦争が入り乱れて、本気の殺し合いになっているのがこの地域の一面でもあります。
グルジアは、英語表記ではGeorgiaと綴ります。ジョージア、なのです。グルジアの国名の由来は色々あるらしいですが、実はキリスト教主体の国であるグルジアの守護聖人は聖ジョージなんだそうです。グルジアが対ロシア牽制の意味合いがあって、EUやUSAに近づき、或いはNATO加盟を希望したりしているのには、勿論外交上の思惑はあるにせよ、こうした文化背景もあるのでしょう。
で、そのグルジアの音楽を図書館から借りて来ました。
収められているのは、労働歌と宗教歌。ほぼ全編無伴奏での重唱。思えば、1967年頃に採録されたものだそうですから、40年前です。当時はソビエト連邦の1共和国として組み込まれていたわけで、それから20年後にソビエトは崩壊し、更に20年、今のような混迷に至る訳ですが、考えてみればソビエト政権下でもちゃんと宗教歌が残っていた訳で、それも立派と言えば立派か。
ただ、宗教家と言っても、いわゆる聖歌とは似て非なるもののようで、確かにキリスト教信仰はあるんだけど、同時に一種のシャーマニズムにも通ずる慣習も残っているようで、その辺よく分からないんですよね。このCDに付いてる解説も、詳しい所までは書いていないし。
音楽としては面白いです。合唱、というより重唱によるポリフォニックな音楽というのはあちこちに伝承されていて、ブルガリアの合唱などはその中でもかなりポピュラーになったものの一つですが、グルジアのそれも同様にポリフォニーな重唱が特徴的。取り敢えず聞いた限りでは、発声に特殊特別なものがある、とは思えないですが、旋律や音の造りは独創的というか特徴的と言うか。
こちらにそういう耳が備わってないのが主たる要因ですが、この種の音楽を聞くと、いつも「何が違うのかよく分からないが、何かとても違って聞こえるのは確かだ」という感じを受けるのです。正直、グルジアの音楽とアゼルバイジャンの音楽とアルメニアの音楽と、それぞれ聞いて、「ああ、確かに違う」とは思えても、それが具体的にどう、と体系的には分からないし、どれがどれ、というのもきっと暫く経つとよく分からなくなるのです。「どれがグルジアだっけ?」みたいな。要は情熱が足りないんでしょうけど....
まぁそういうことはともかく、この、ひたすら男声だけで延々紡がれて行く音楽、なんとも言えず惹き付けられるものがあります。こちらの音楽的ボキャブラリーというか素養からすると、「これは何でしょう?」となってしまうのですが、「いい/悪い」でなくて、引き込まれてしまうのです。まぁ、物珍しさ、というのはあるんでしょうけれど。
こういう歌が今もまだ残っているんでしょうか。今も伝承されているとしても、歌い手も戦火に巻き込まれているのでしょうか。或いは難民として逃れているのでしょうか。そんなことを思うのであります。
SEVEN SEAS/キングレコード KICC-5570
グルジア。紛争というよりもうこれは戦争になってる国であります。あそこが紛争地帯になってしまうには色々な事情 - 民族の事情と国家の事情と - があって、それはそれである面仕方ないのではありますが、しかしそうは言っても実際に紛争・戦争になって、難民が発生する事態に至っているのは事実だし。困ったもんです。困ったもんです、で済めば世界平和は容易いもんでしょうけれど。
グルジア辺りのコーカサス地方を果たして中央アジアと言っていいのか、問題は残りますが、この辺の地方からキルギスやトルクメニスタンがあるあたりの土地というのに、実に能天気ながら一種の憧れを抱いているのもこれ事実であります。イメージとしては、シルクロードの世界ですね。それに、ボロディンの「中央アジアの草原にて」のイメージが重なっております。でも、実際に自分が行くのは大変そうだから、多分行かない。行かないけど、興味は尽きない。と。こんな感じでしょうか。
ちなみに、これはもう本格戦争と言うべきチェチェン「紛争」が起きているチェチェンもコーカサス地方の、もっと東の方にあります。そう、こっちの勝手な憧れとは別に、宗教・戦争が入り乱れて、本気の殺し合いになっているのがこの地域の一面でもあります。
グルジアは、英語表記ではGeorgiaと綴ります。ジョージア、なのです。グルジアの国名の由来は色々あるらしいですが、実はキリスト教主体の国であるグルジアの守護聖人は聖ジョージなんだそうです。グルジアが対ロシア牽制の意味合いがあって、EUやUSAに近づき、或いはNATO加盟を希望したりしているのには、勿論外交上の思惑はあるにせよ、こうした文化背景もあるのでしょう。
で、そのグルジアの音楽を図書館から借りて来ました。
収められているのは、労働歌と宗教歌。ほぼ全編無伴奏での重唱。思えば、1967年頃に採録されたものだそうですから、40年前です。当時はソビエト連邦の1共和国として組み込まれていたわけで、それから20年後にソビエトは崩壊し、更に20年、今のような混迷に至る訳ですが、考えてみればソビエト政権下でもちゃんと宗教歌が残っていた訳で、それも立派と言えば立派か。
ただ、宗教家と言っても、いわゆる聖歌とは似て非なるもののようで、確かにキリスト教信仰はあるんだけど、同時に一種のシャーマニズムにも通ずる慣習も残っているようで、その辺よく分からないんですよね。このCDに付いてる解説も、詳しい所までは書いていないし。
音楽としては面白いです。合唱、というより重唱によるポリフォニックな音楽というのはあちこちに伝承されていて、ブルガリアの合唱などはその中でもかなりポピュラーになったものの一つですが、グルジアのそれも同様にポリフォニーな重唱が特徴的。取り敢えず聞いた限りでは、発声に特殊特別なものがある、とは思えないですが、旋律や音の造りは独創的というか特徴的と言うか。
こちらにそういう耳が備わってないのが主たる要因ですが、この種の音楽を聞くと、いつも「何が違うのかよく分からないが、何かとても違って聞こえるのは確かだ」という感じを受けるのです。正直、グルジアの音楽とアゼルバイジャンの音楽とアルメニアの音楽と、それぞれ聞いて、「ああ、確かに違う」とは思えても、それが具体的にどう、と体系的には分からないし、どれがどれ、というのもきっと暫く経つとよく分からなくなるのです。「どれがグルジアだっけ?」みたいな。要は情熱が足りないんでしょうけど....
まぁそういうことはともかく、この、ひたすら男声だけで延々紡がれて行く音楽、なんとも言えず惹き付けられるものがあります。こちらの音楽的ボキャブラリーというか素養からすると、「これは何でしょう?」となってしまうのですが、「いい/悪い」でなくて、引き込まれてしまうのです。まぁ、物珍しさ、というのはあるんでしょうけれど。
こういう歌が今もまだ残っているんでしょうか。今も伝承されているとしても、歌い手も戦火に巻き込まれているのでしょうか。或いは難民として逃れているのでしょうか。そんなことを思うのであります。
2008/08/14のBlog
[ 22:41 ]
[ オペラ ]
G.ドニゼッティ:歌劇「ランメルムーアのルチア」
エディタ・グルベローヴァ (soprano), アルフレード・クラウス (tenor),
レナート・ブルゾン (bariton), ロバート・ロイド (bass), etc
アンブロジアン・オペラ合唱団
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
ニコラ・レッシーニョ (conduct)
EMI/東芝EMI TOCE-772729
長距離運転で聞きましたの巻第二弾。久々に引っ張り出しました。
グルベローヴァのルチアは他にも録音がありますが、この録音がグルベローヴァの歌唱鮮度としては一番いいかなと思います。1983年、まだグルベローヴァが30代の頃の録音です。正直、やはりグルベローヴァにしても尚、1990年代よりは1980年代の録音の方が魅力的です。
ルチアと言えば、狂乱の場に関しては、それ以前に録音されたアリア集での絶唱が未だ空前絶後ですが、この録音はその点に於いては若干劣ると思います。何処が、というと難しいのですが、言ってみれば「オペラ全曲の歌唱」なんですね。その分だけ、狂乱の場だけ切り出して考えると、アリア集の方が完成度が高いと言っていいと思います。本当に微妙な差なのですが、アリア集の方は、決まるべき所が本当に完璧に決まっていて、歌唱表現、間合い、声の決め方等、これ以上動かしようがない、と言いたくなるくらい。
一方、この全曲録音の方は、そこだけ見れば、如何なスタジオ録音と謂えども、やはり全体のバランスを考えた歌唱になるので、その分表現、というより、間合いがどうしても変わってくる。最高音も、グルベローヴァレベルの話で言えば、ほんの僅かだけれどもう一つ安定に難があるし。そのレベルで言えば、ヴァリアントの処理の仕方も僅かながら不安定。ちなみに、グルベローヴァレベルの下に初めて他のソプラノが来るんですけどね。その影を見せられるのは僅かにサザランドくらいかな。
まぁ、正直、言い出せばキリが無いの類いであります。無理なものは無理。これ以上を求めても、というところでしょう。とはいえ、ちょっと共演陣が弱いんですけどね。
ニコラ・レッシーニョ。名匠ではあるんですが、ロイヤル・フィルと合わせて、ここ一番での微妙な反応がもう一つ。やはりこちらも「全曲盤」モードなんですね。全体の流れとしては考えてやっていると思うんですが。決して悪くはありません。ただ、最高の出来のその上を行く訳ではないよね、といったところか。
アルフレード・クラウス。ええ、悪くはありませんが........ここの人選は難しい所ですね。クラウス、このエドガルドという役にはもう一つ暴れ者系の力強さが欲しいというか.....ちょっと大時代的な歌い方も気になるし。
一方、エンリーコのブルゾンもちょっと。いや、グルベローヴァのパワーに比してちょっとバランスがね。
そう、クラウスにしてもブルゾンにしても、この役に合わないという訳ではないのですが、グルベローヴァの、「コロラトゥーラ・ソプラノ」などという枠に収まらない歌唱に対しては押され気味なのです。
毎度毎度の話ですが、グルベローヴァの良さは、充実した中音域にあります。それがあるから、輝かしい高音が映えるし、コロラトゥーラもその「地」に支えられている。だから、狂乱の場だけでなく、第1幕のアリアや二重唱、更には第2幕でのフィナーレでも、線の細い歌唱では無いのです。言わばリリカルに揃えた歌唱陣は決して悪くないのですが.......まぁ、グルベローヴァが良すぎるのだ、と言っておきましょう。
配役がいいと、ルチアも全曲聞いて惹き付けられるオペラになります。特に第2幕は、粒が揃うと、ルチアとエンリーコのやり取りからして飽きが来ない。緊迫感が出て、音楽が締まって来るのです。そういう点では、最初から最後まで聞いて飽きない録音です。なんだ、結局褒めてるし(笑)
この録音も、しかし、今は現役盤ではなくなっているのかな。このCDが発売されたのは1992年で、出た時点で即買いしたのですが、この時も漸く現役盤として復活したのだったし。確かこの録音は、その後現役復帰していないのではないかと思います。色々著作権関係とかあってのことではないかと思いますが、ちょっと勿体無いなぁ。
エディタ・グルベローヴァ (soprano), アルフレード・クラウス (tenor),
レナート・ブルゾン (bariton), ロバート・ロイド (bass), etc
アンブロジアン・オペラ合唱団
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
ニコラ・レッシーニョ (conduct)
EMI/東芝EMI TOCE-772729
長距離運転で聞きましたの巻第二弾。久々に引っ張り出しました。
グルベローヴァのルチアは他にも録音がありますが、この録音がグルベローヴァの歌唱鮮度としては一番いいかなと思います。1983年、まだグルベローヴァが30代の頃の録音です。正直、やはりグルベローヴァにしても尚、1990年代よりは1980年代の録音の方が魅力的です。
ルチアと言えば、狂乱の場に関しては、それ以前に録音されたアリア集での絶唱が未だ空前絶後ですが、この録音はその点に於いては若干劣ると思います。何処が、というと難しいのですが、言ってみれば「オペラ全曲の歌唱」なんですね。その分だけ、狂乱の場だけ切り出して考えると、アリア集の方が完成度が高いと言っていいと思います。本当に微妙な差なのですが、アリア集の方は、決まるべき所が本当に完璧に決まっていて、歌唱表現、間合い、声の決め方等、これ以上動かしようがない、と言いたくなるくらい。
一方、この全曲録音の方は、そこだけ見れば、如何なスタジオ録音と謂えども、やはり全体のバランスを考えた歌唱になるので、その分表現、というより、間合いがどうしても変わってくる。最高音も、グルベローヴァレベルの話で言えば、ほんの僅かだけれどもう一つ安定に難があるし。そのレベルで言えば、ヴァリアントの処理の仕方も僅かながら不安定。ちなみに、グルベローヴァレベルの下に初めて他のソプラノが来るんですけどね。その影を見せられるのは僅かにサザランドくらいかな。
まぁ、正直、言い出せばキリが無いの類いであります。無理なものは無理。これ以上を求めても、というところでしょう。とはいえ、ちょっと共演陣が弱いんですけどね。
ニコラ・レッシーニョ。名匠ではあるんですが、ロイヤル・フィルと合わせて、ここ一番での微妙な反応がもう一つ。やはりこちらも「全曲盤」モードなんですね。全体の流れとしては考えてやっていると思うんですが。決して悪くはありません。ただ、最高の出来のその上を行く訳ではないよね、といったところか。
アルフレード・クラウス。ええ、悪くはありませんが........ここの人選は難しい所ですね。クラウス、このエドガルドという役にはもう一つ暴れ者系の力強さが欲しいというか.....ちょっと大時代的な歌い方も気になるし。
一方、エンリーコのブルゾンもちょっと。いや、グルベローヴァのパワーに比してちょっとバランスがね。
そう、クラウスにしてもブルゾンにしても、この役に合わないという訳ではないのですが、グルベローヴァの、「コロラトゥーラ・ソプラノ」などという枠に収まらない歌唱に対しては押され気味なのです。
毎度毎度の話ですが、グルベローヴァの良さは、充実した中音域にあります。それがあるから、輝かしい高音が映えるし、コロラトゥーラもその「地」に支えられている。だから、狂乱の場だけでなく、第1幕のアリアや二重唱、更には第2幕でのフィナーレでも、線の細い歌唱では無いのです。言わばリリカルに揃えた歌唱陣は決して悪くないのですが.......まぁ、グルベローヴァが良すぎるのだ、と言っておきましょう。
配役がいいと、ルチアも全曲聞いて惹き付けられるオペラになります。特に第2幕は、粒が揃うと、ルチアとエンリーコのやり取りからして飽きが来ない。緊迫感が出て、音楽が締まって来るのです。そういう点では、最初から最後まで聞いて飽きない録音です。なんだ、結局褒めてるし(笑)
この録音も、しかし、今は現役盤ではなくなっているのかな。このCDが発売されたのは1992年で、出た時点で即買いしたのですが、この時も漸く現役盤として復活したのだったし。確かこの録音は、その後現役復帰していないのではないかと思います。色々著作権関係とかあってのことではないかと思いますが、ちょっと勿体無いなぁ。
2008/08/12のBlog
[ 07:19 ]
[ オペラ ]
R.Wagner : Tristan und Isolde
Rene Kollo (tenor), Kurt Moll (bass), Margaret Price (soprano),
Dietrich Fischer-Dieskau (bariton), etc.
Rundfunkchor Leipzig
Staatskapelle Dresden
Carlos Kleiber (conduct)
Deutsche Grammophon 413 315-2
旅行に出ています。御時世に逆らって(笑)車で出ているので、色々聞く時間がたっぷりあります。こういう時こそ、普段なかなか聞けないようなのを聞きたいところであります。
というわけで、名盤中の名盤を久々に持って出ました。カルロス・クライバー指揮の「トリスタンとイゾルデ」。
クライバーのトリスタンと言えば、クライバーの十八番だった演目。いろいろ問題のありそうなライブ盤も沢山出ていますが、今回は正規録音盤。諸々のライブ盤に比べると出演者の顔触れも立派なのではありますが、色々言われている録音でもあります。特にクルヴェナルのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウがいまいち不人気。それと、諸々のライブ盤に比してちょっと燃焼度が低いとか言われたり。
でも、個人的には、燃焼度はともかく、全体に見てもバランスの取れたいい録音だと思ってます。DFDの評価は、まぁ分からなくはなくて、ワーグナーといえどもDFDの歌唱はちょっとオペラには合わない部分もある。それは事実。でも、そのへんの違和感も含めてDFDだから、とは思うんですけどね。
このトリスタンはもう長年に渉って聞いてますが、最近は聞いてなかった。
トリスタンと言えば、学生時代にある先輩の御説を伺ったのが今でも忘れられません。
曰く、トリスタンは1幕に限る。それも、惚れ薬を飲む前までに限る、と。何故なら、惚れ薬を飲んでからの二人は、要するに「乗り越えてしまった」後の話に過ぎない。以後は波瀾万丈だとしても、両者の気持ちはもうはっきりしてしまっている。恋愛というものが本当に面白いのは、そこに至るまでの過程だ。惹かれているのに決してその気持ちに従ってはいけない、というそれぞれの葛藤、いざその葛藤を乗り越えたとして、相手はそれに応えてくれるのか?という恐れと不安、結果として解決策として死を選ぶというドラマ、それこそが面白いのだ、と。気持ちがはっきりしてしまってからの恋愛ドラマなんて、おこちゃま向けのドラマさっ。なんだそうです。
うーん。ぼく、おこさまだからよくわかんない('-')/
いや、謂わんとする所は分かるんですが。でも、やっぱり、聞いてて楽しいのは、その後だもんなぁ.......
ええ、個人的には、好きなのは第3幕であります。重苦しい弦の前奏に始まって、死の夢に囚われて、夢現つに語るトリスタン、そして、待ち侘びた末ついにやってきたイゾルデの腕の中で死んで行く。この展開がやはり音楽的にも好きなのです。
確かに、聞き込むと、1幕って結構面白いんですけどね。でも、やはり、盛り上がりとしては2幕、更には3幕なんですよね。そういえば、確かシェローだったか、「イゾルデの到来と愛の死は全部夢オチでした」という演出があって、あれはあれで非常に納得の行く、というより納得せざるを得ない演出だったのですが、あれは気に入らない人も多いんだろうなぁ..... まぁ、録音で聞く分には分からないんですけどね。
クライバー盤の3幕の良さは、何と言っても煽りの効いたオーケストラの演奏。この幕の本当の主役は、実はオーケストラだったりするのではないかと思うのですが、クライバーの演奏は物語を描かせるに秀逸の出来映え。起用されたオケがシュターツカペレ・ドレスデンであることは、一般的には必ずしも最善と評価されるところではないと思うのですが、クライバーとの相性が良かったのか、表現力もあるし、程よく煽情的ないい演奏になっていると思います。
やっぱり、クライバーのトリスタンを選ぶ理由はこの辺にあると思います。勿論、コロのトリスタンがいい、とか、そういう話はあるのですが、例えば歌手陣で言えば、ベーム盤なんかの方が粒も揃っていると思います。オーケストラの歌を聞く録音、と言ってしまうには少々贅沢過ぎる、というか失礼に当たる歌唱陣なのですが、でも、やはりこの録音に関しては、そういう聞き方をしてるんだろうな、と思います。
Rene Kollo (tenor), Kurt Moll (bass), Margaret Price (soprano),
Dietrich Fischer-Dieskau (bariton), etc.
Rundfunkchor Leipzig
Staatskapelle Dresden
Carlos Kleiber (conduct)
Deutsche Grammophon 413 315-2
旅行に出ています。御時世に逆らって(笑)車で出ているので、色々聞く時間がたっぷりあります。こういう時こそ、普段なかなか聞けないようなのを聞きたいところであります。
というわけで、名盤中の名盤を久々に持って出ました。カルロス・クライバー指揮の「トリスタンとイゾルデ」。
クライバーのトリスタンと言えば、クライバーの十八番だった演目。いろいろ問題のありそうなライブ盤も沢山出ていますが、今回は正規録音盤。諸々のライブ盤に比べると出演者の顔触れも立派なのではありますが、色々言われている録音でもあります。特にクルヴェナルのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウがいまいち不人気。それと、諸々のライブ盤に比してちょっと燃焼度が低いとか言われたり。
でも、個人的には、燃焼度はともかく、全体に見てもバランスの取れたいい録音だと思ってます。DFDの評価は、まぁ分からなくはなくて、ワーグナーといえどもDFDの歌唱はちょっとオペラには合わない部分もある。それは事実。でも、そのへんの違和感も含めてDFDだから、とは思うんですけどね。
このトリスタンはもう長年に渉って聞いてますが、最近は聞いてなかった。
トリスタンと言えば、学生時代にある先輩の御説を伺ったのが今でも忘れられません。
曰く、トリスタンは1幕に限る。それも、惚れ薬を飲む前までに限る、と。何故なら、惚れ薬を飲んでからの二人は、要するに「乗り越えてしまった」後の話に過ぎない。以後は波瀾万丈だとしても、両者の気持ちはもうはっきりしてしまっている。恋愛というものが本当に面白いのは、そこに至るまでの過程だ。惹かれているのに決してその気持ちに従ってはいけない、というそれぞれの葛藤、いざその葛藤を乗り越えたとして、相手はそれに応えてくれるのか?という恐れと不安、結果として解決策として死を選ぶというドラマ、それこそが面白いのだ、と。気持ちがはっきりしてしまってからの恋愛ドラマなんて、おこちゃま向けのドラマさっ。なんだそうです。
うーん。ぼく、おこさまだからよくわかんない('-')/
いや、謂わんとする所は分かるんですが。でも、やっぱり、聞いてて楽しいのは、その後だもんなぁ.......
ええ、個人的には、好きなのは第3幕であります。重苦しい弦の前奏に始まって、死の夢に囚われて、夢現つに語るトリスタン、そして、待ち侘びた末ついにやってきたイゾルデの腕の中で死んで行く。この展開がやはり音楽的にも好きなのです。
確かに、聞き込むと、1幕って結構面白いんですけどね。でも、やはり、盛り上がりとしては2幕、更には3幕なんですよね。そういえば、確かシェローだったか、「イゾルデの到来と愛の死は全部夢オチでした」という演出があって、あれはあれで非常に納得の行く、というより納得せざるを得ない演出だったのですが、あれは気に入らない人も多いんだろうなぁ..... まぁ、録音で聞く分には分からないんですけどね。
クライバー盤の3幕の良さは、何と言っても煽りの効いたオーケストラの演奏。この幕の本当の主役は、実はオーケストラだったりするのではないかと思うのですが、クライバーの演奏は物語を描かせるに秀逸の出来映え。起用されたオケがシュターツカペレ・ドレスデンであることは、一般的には必ずしも最善と評価されるところではないと思うのですが、クライバーとの相性が良かったのか、表現力もあるし、程よく煽情的ないい演奏になっていると思います。
やっぱり、クライバーのトリスタンを選ぶ理由はこの辺にあると思います。勿論、コロのトリスタンがいい、とか、そういう話はあるのですが、例えば歌手陣で言えば、ベーム盤なんかの方が粒も揃っていると思います。オーケストラの歌を聞く録音、と言ってしまうには少々贅沢過ぎる、というか失礼に当たる歌唱陣なのですが、でも、やはりこの録音に関しては、そういう聞き方をしてるんだろうな、と思います。
2008/08/10のBlog
[ 01:25 ]
[ クラシック ]
Van Eyck : Der Fluyten Lust-Hof(selections)
Marion Verbruggen (recorders)
harmonia mundi HMX2907350.51
今日は古楽ですが、その中でもあまり聞いたことのないものを聞いています。
ファン・アイクという人。正式には Johnkheer Jacob van Eyck という名前です。1590年生、1657年没。「ユトレヒトのオルフェウス」の異名を持ち、その名の通りオランダのユトレヒトで大聖堂の鐘や市の時を報せる鐘の管理をしていたそうです。同時に、リコーダーの名手としても知られていたそうです。
この人が残した作品の殆どが収められているのが、Der Fluyten Lust-Hof, 英訳すると The Flute's Garden of Delights, フルートの楽しみの庭、とでも訳すのでしょうか、そういう名前の作品集。作品と言っても、当時のヨーロッパで流行していたヒットチューンの編曲等色々のようです。「アマリリ麗し」の編曲なんてのも入ってるし。このCDは、その作品集からの抜粋を録音したもの。と、ここまで、ライナーノートの説明に頼っておりますが、正直、私、この人初めて知りました。
その他、色々能書きがあるのですが、めんどくさいし、この辺でパス(笑)
問題は音楽ですね。
ここに収録されているのは、殆どがリコーダーの独奏曲。一部、二重録音によるのか、デュエットもありますが、それもリコーダーのデュエット。リコーダーの独奏、というのは、よく考えるとあまり多くはないと思います。バロック期やルネッサンス期でも、今我々が普通に聞くものの殆どは合奏だったり協奏曲だったり、要はリコーダー単独というのはあまりないですね。
実際、こうやって聞いてみると、リコーダー独奏というの、結構素朴だなー、などと思ってしまいます。素朴だけれど、しかし、つまらないかというと決してそんなことはないのでありまして。
確かにリコーダーは基本的に単音しか出せません。管楽器ですから。しかも、ただでさえ高音中心の楽器である上に構造的に単純なのもあってか、ちょっと単純な音に聞こえます。その素朴な感じがいいかなぁ、と思うのですけど、どんなもんでしょ。
本当に色々な編曲が中心なので、あまり統一感のあるアルバムにはなっていないと思います。でも、これはこれで楽しい。次から次へと繰り出されるリコーダーの音色、響きを楽しむディスク、と言っていいんじゃないかと思います。
実際、リコーダーの澄んだ音色というのは、管楽器の中でも格別だと思います。勿論、澄んだ音色の管楽器としては、フルートとかピッコロというのもありますが、あのへんはちょっと金属的な音ですから、落ち着いて、或いはぽけーっと聞くには、ちょっと合わないかも知れません。特に後者の聞き方の場合......
リコーダー技巧的にどうなのか、というのはよくわかりません。リコーダーって、小中学生時代にやる縦笛ですしね。そのイメージがあるんだけど、これを聞いてると、当然そのレベルを遥かに越えているのはよく分かるんですが、って、んなの当たり前ですね(苦笑)その先、どんくらい高度なのか、ちょっとよく分からないと言うか.......
実はリコーダー、やれば出来るんじゃないかという興味はあります。楽器も、銀座の山野楽器で一度見たことあるけれど、高くないものはそれほどじゃなかったし。他の楽器と違ってメンテもそれほど大変そうではないし。でも、練習場所がないなぁ........
ちなみに演奏者は Marion Verbruggen というアムステルダム生まれの奏者。ムジカ・アンティクァ・ケルンやアムステルダム・バロック・オーケストラ、エイジ・オブ・エンライトメント管などでも演奏している人だそうです。きっと上手いんでしょうねぇ、これ。
自分ではやらない方が無難かな.......(笑)
Marion Verbruggen (recorders)
harmonia mundi HMX2907350.51
今日は古楽ですが、その中でもあまり聞いたことのないものを聞いています。
ファン・アイクという人。正式には Johnkheer Jacob van Eyck という名前です。1590年生、1657年没。「ユトレヒトのオルフェウス」の異名を持ち、その名の通りオランダのユトレヒトで大聖堂の鐘や市の時を報せる鐘の管理をしていたそうです。同時に、リコーダーの名手としても知られていたそうです。
この人が残した作品の殆どが収められているのが、Der Fluyten Lust-Hof, 英訳すると The Flute's Garden of Delights, フルートの楽しみの庭、とでも訳すのでしょうか、そういう名前の作品集。作品と言っても、当時のヨーロッパで流行していたヒットチューンの編曲等色々のようです。「アマリリ麗し」の編曲なんてのも入ってるし。このCDは、その作品集からの抜粋を録音したもの。と、ここまで、ライナーノートの説明に頼っておりますが、正直、私、この人初めて知りました。
その他、色々能書きがあるのですが、めんどくさいし、この辺でパス(笑)
問題は音楽ですね。
ここに収録されているのは、殆どがリコーダーの独奏曲。一部、二重録音によるのか、デュエットもありますが、それもリコーダーのデュエット。リコーダーの独奏、というのは、よく考えるとあまり多くはないと思います。バロック期やルネッサンス期でも、今我々が普通に聞くものの殆どは合奏だったり協奏曲だったり、要はリコーダー単独というのはあまりないですね。
実際、こうやって聞いてみると、リコーダー独奏というの、結構素朴だなー、などと思ってしまいます。素朴だけれど、しかし、つまらないかというと決してそんなことはないのでありまして。
確かにリコーダーは基本的に単音しか出せません。管楽器ですから。しかも、ただでさえ高音中心の楽器である上に構造的に単純なのもあってか、ちょっと単純な音に聞こえます。その素朴な感じがいいかなぁ、と思うのですけど、どんなもんでしょ。
本当に色々な編曲が中心なので、あまり統一感のあるアルバムにはなっていないと思います。でも、これはこれで楽しい。次から次へと繰り出されるリコーダーの音色、響きを楽しむディスク、と言っていいんじゃないかと思います。
実際、リコーダーの澄んだ音色というのは、管楽器の中でも格別だと思います。勿論、澄んだ音色の管楽器としては、フルートとかピッコロというのもありますが、あのへんはちょっと金属的な音ですから、落ち着いて、或いはぽけーっと聞くには、ちょっと合わないかも知れません。特に後者の聞き方の場合......
リコーダー技巧的にどうなのか、というのはよくわかりません。リコーダーって、小中学生時代にやる縦笛ですしね。そのイメージがあるんだけど、これを聞いてると、当然そのレベルを遥かに越えているのはよく分かるんですが、って、んなの当たり前ですね(苦笑)その先、どんくらい高度なのか、ちょっとよく分からないと言うか.......
実はリコーダー、やれば出来るんじゃないかという興味はあります。楽器も、銀座の山野楽器で一度見たことあるけれど、高くないものはそれほどじゃなかったし。他の楽器と違ってメンテもそれほど大変そうではないし。でも、練習場所がないなぁ........
ちなみに演奏者は Marion Verbruggen というアムステルダム生まれの奏者。ムジカ・アンティクァ・ケルンやアムステルダム・バロック・オーケストラ、エイジ・オブ・エンライトメント管などでも演奏している人だそうです。きっと上手いんでしょうねぇ、これ。
自分ではやらない方が無難かな.......(笑)
2008/08/08のBlog
[ 01:16 ]
[ クラシック ]
サティ:ピアノ作品集
ジムノペディ第1番 / 官僚的なソナチネ / ジムノペディ第2番 / スポーツと気晴らし / ジムノペディ第3番 / 犬の為のだらだらした前奏曲 / 1906-1913年の6つの小品 / 2つの夜の空想 / あらゆる方向に向けられた数章 / 愛撫 / 最後から2番目の思想 / ジャック・イン・ザ・ボックス(びっくり箱)
ミシェル・ルグラン (piano)
ERATO/ワーナーミュージック WPCS-21082
明日から休みです。でも、暑さも本格化。ムッとするような熱気がこの時間でも残るようになりました。暑いです。
暑いと、いろいろ聞く気が失せて来ます..........耳の夏バテですね。耳に軽いものを聞こうかと。
エリック・サティ。言ってみれば、自ら誤解されようとしているような音楽を書いて、見事に誤解されるどころか、その上を行く扱われ方をされてるような作曲家、と決めつけてはいけないかな?でもそんな感じなんですよね。
サティはバブル期に盛んに使われた音楽家です。よく聞かれもしたけれど、風変わりなタイトルやアンニュイな感じのある音楽、19世紀末から20世紀初めの華やかな活動等と相俟って、何やら凄く先進的な作曲家扱い - それもなんとなく顔色の悪そうな、気難しい - されてしまったところがあります。いや、そこそこ先進的ではあろうけれど。
何より、「家具の音楽」みたいなことを口走っていたのが災いして、都合良く真に受けて使われてしまった感じがします。
このCDには入ってないですが、サティの書いた歌曲に「オリンピア劇場のプリマドンナ」という、小唄、シャンソンとしか言い様の無い歌があります。小粋で活き活きとして、とてもチャーミングな歌です。
実際、サティ自身は結構気難しい人だったらしいけれど、こんな洒落た機嫌のいい曲も書けた人ではあったのです。そんなにステレオタイプな変人ではなかったんじゃないかと思うんですけどね。一筋縄では行かない人だったんだろうけれど。
でもまぁ、一般的にサティの音楽と言えば、「風変わりで不思議」であり、人としても「風変わりで不思議」ってことで終わってしまうんでしょうね。そういうサティこそが、我々の聞きたいサティでもあるのだろうから、そういうものってことなのかも知れません。実際、私だって、サティを聞こうなんて時は、そういうものを聞きたくて引っ張り出しているのだから。
このCDは、けれど、ちょっとサティの名曲集としては風変わりかも知れません。ん?風変わりな音楽の風変わりな録音、ということは元に戻って普通なのか?(謎)
ジムノペディは収録されているけれど、その他は主に極短の小曲集を中心に構成されていて、比較的知名度の高そうな曲、例えば「ジュ・トゥ・ヴ」とか「梨の形をした三つの小品」なんかは入っていない。「サティ名曲集」ではなくて、もうちょっと真面目に、コンセプショナルに作られた作品集、とすべきでしょう。
ま、そうは言っても、結局私はサティ、よくわからないんですけどね。
この作品集など聞いているとつくづく思うのだけれど、サティという人は、結局音楽を芸術というか作品として「何かを言う為に作る」ことからどうやって逃げようかと散々算段した人なんじゃないか、という気がするのです。誤解を恐れず言うならば、サティの音楽の本質は、表層的である、というところにあるのでは無いかなと思います。何かが伝わってしまうのを避けるような音楽、というと言い過ぎでしょうか?でも、「家具の音楽」などということを言い出したのも、そうした想いの延長線上にあるのではないかと思うのです。その表層を掬い取って使われてしまったサティもいい面の皮、てなことなのかも。本当はただ作曲家とか、何かを表現する人にはあるまじき程にシャイなだけだったのかも知れないのに。
というわけで、入れ込まず、さりとて害の無いBGMと言い切ってしまうことも無く、程度に付き合っておくのがいいんじゃないかな、などと思いながら聞いているのであります。こういう音楽と、そのくらいの付き合い方をするのは、この暑い中ある意味楽な音楽の聞き方なのではあります。でも、これでは、夏バテ解消にはならないかな?そうめんか冷や麦みたいな感じだもんなぁ。
演奏はミシェル・ルグラン。映画音楽の大家であります。このへんが、他の「名曲集」とはひと味違う所以なのでしょうか。
ジムノペディ第1番 / 官僚的なソナチネ / ジムノペディ第2番 / スポーツと気晴らし / ジムノペディ第3番 / 犬の為のだらだらした前奏曲 / 1906-1913年の6つの小品 / 2つの夜の空想 / あらゆる方向に向けられた数章 / 愛撫 / 最後から2番目の思想 / ジャック・イン・ザ・ボックス(びっくり箱)
ミシェル・ルグラン (piano)
ERATO/ワーナーミュージック WPCS-21082
明日から休みです。でも、暑さも本格化。ムッとするような熱気がこの時間でも残るようになりました。暑いです。
暑いと、いろいろ聞く気が失せて来ます..........耳の夏バテですね。耳に軽いものを聞こうかと。
エリック・サティ。言ってみれば、自ら誤解されようとしているような音楽を書いて、見事に誤解されるどころか、その上を行く扱われ方をされてるような作曲家、と決めつけてはいけないかな?でもそんな感じなんですよね。
サティはバブル期に盛んに使われた音楽家です。よく聞かれもしたけれど、風変わりなタイトルやアンニュイな感じのある音楽、19世紀末から20世紀初めの華やかな活動等と相俟って、何やら凄く先進的な作曲家扱い - それもなんとなく顔色の悪そうな、気難しい - されてしまったところがあります。いや、そこそこ先進的ではあろうけれど。
何より、「家具の音楽」みたいなことを口走っていたのが災いして、都合良く真に受けて使われてしまった感じがします。
このCDには入ってないですが、サティの書いた歌曲に「オリンピア劇場のプリマドンナ」という、小唄、シャンソンとしか言い様の無い歌があります。小粋で活き活きとして、とてもチャーミングな歌です。
実際、サティ自身は結構気難しい人だったらしいけれど、こんな洒落た機嫌のいい曲も書けた人ではあったのです。そんなにステレオタイプな変人ではなかったんじゃないかと思うんですけどね。一筋縄では行かない人だったんだろうけれど。
でもまぁ、一般的にサティの音楽と言えば、「風変わりで不思議」であり、人としても「風変わりで不思議」ってことで終わってしまうんでしょうね。そういうサティこそが、我々の聞きたいサティでもあるのだろうから、そういうものってことなのかも知れません。実際、私だって、サティを聞こうなんて時は、そういうものを聞きたくて引っ張り出しているのだから。
このCDは、けれど、ちょっとサティの名曲集としては風変わりかも知れません。ん?風変わりな音楽の風変わりな録音、ということは元に戻って普通なのか?(謎)
ジムノペディは収録されているけれど、その他は主に極短の小曲集を中心に構成されていて、比較的知名度の高そうな曲、例えば「ジュ・トゥ・ヴ」とか「梨の形をした三つの小品」なんかは入っていない。「サティ名曲集」ではなくて、もうちょっと真面目に、コンセプショナルに作られた作品集、とすべきでしょう。
ま、そうは言っても、結局私はサティ、よくわからないんですけどね。
この作品集など聞いているとつくづく思うのだけれど、サティという人は、結局音楽を芸術というか作品として「何かを言う為に作る」ことからどうやって逃げようかと散々算段した人なんじゃないか、という気がするのです。誤解を恐れず言うならば、サティの音楽の本質は、表層的である、というところにあるのでは無いかなと思います。何かが伝わってしまうのを避けるような音楽、というと言い過ぎでしょうか?でも、「家具の音楽」などということを言い出したのも、そうした想いの延長線上にあるのではないかと思うのです。その表層を掬い取って使われてしまったサティもいい面の皮、てなことなのかも。本当はただ作曲家とか、何かを表現する人にはあるまじき程にシャイなだけだったのかも知れないのに。
というわけで、入れ込まず、さりとて害の無いBGMと言い切ってしまうことも無く、程度に付き合っておくのがいいんじゃないかな、などと思いながら聞いているのであります。こういう音楽と、そのくらいの付き合い方をするのは、この暑い中ある意味楽な音楽の聞き方なのではあります。でも、これでは、夏バテ解消にはならないかな?そうめんか冷や麦みたいな感じだもんなぁ。
演奏はミシェル・ルグラン。映画音楽の大家であります。このへんが、他の「名曲集」とはひと味違う所以なのでしょうか。
2008/08/07のBlog
[ 01:06 ]
[ 車で音楽 ]
ZONE : N
SONY MUSIC RECORDS SRCL-5704
J-POPと呼ばれる類いのものは、殆ど聞かないようで、実は耳に入って来るものはそう拒んでいるつもりはないのではあります。
でも、基本的に、選択的に聞いているというのは殆ど無いので、年代的にいわゆる「同時代の人」を除けば、非常に薄いのです。とはいえ、ピンポイント的に入って来るものはあって、他人から見ると「何で?」と思われそうなものがツボに入ったりするのであります。ま、よくある話。
だからって、とっとと解散しちゃった微妙なグループの曲を今更聞かなくてもいいだろう、みたいな話ではあるんですが....
別にファンとかなんとかいうわけではないんですが、妙にイメージが残ってしまうんですね、この曲。別段歌が上手い訳ではないし(むしろ下手)、凄くいい曲だというわけでもないんだけど。ただ、歌詞が、非常に光景をイメージしやすいのと、その歌詞がよく分かる歌い方をしているのですね。言葉の切り方は結構不自然だけれど、一応「分かる」ので、かえって耳に残ったのでしょう。
ああ、それと、歌い方。拙いんだけど、拙いなりに、ゆっくりと、ゆったりと、歌い継いでいくその行き方が、なんとなくいいのです。勿論そんな歌は幾らだってあるのではあるけれど、たまたま上手いこと色々噛み合って、すっぽりとツボにハマったのでしょうね。
今更紹介するほどの歌詞ではないし、てか、書くとこっ恥ずかしくなるような歌詞だし(苦笑)、だから、敢えて書かないのですが、この季節になるとついつい思い出してしまうのです。耳に残っちゃったんですね。そういう曲は、もうどうしようもないので、適度に付き合って行くしかないのです。ちなみにCDはどこぞで中古で買ったやつ。それこそ100円くらいじゃなかったかしらん。栄枯盛衰の激しい世界です。
思えば、例えば10年前、どんな曲が流行っていたか、もうみんなそうは覚えていないでしょう。その頃多感な頃を過ごしていた人だって、多くの歌を覚えていたとしても、全部は覚えてないでしょうし。そういう曲の中からごく一部だけが残っていって、聞き継がれ(歌い継がれ?)ていくのだろうけど、この曲はどうなのかな。解散しちゃうと、余程人気が無い限り、難しいんでしょうけど、内心、10年後も何処かに残ってるといいよね、などと思ってしまうのです。
SONY MUSIC RECORDS SRCL-5704
J-POPと呼ばれる類いのものは、殆ど聞かないようで、実は耳に入って来るものはそう拒んでいるつもりはないのではあります。
でも、基本的に、選択的に聞いているというのは殆ど無いので、年代的にいわゆる「同時代の人」を除けば、非常に薄いのです。とはいえ、ピンポイント的に入って来るものはあって、他人から見ると「何で?」と思われそうなものがツボに入ったりするのであります。ま、よくある話。
だからって、とっとと解散しちゃった微妙なグループの曲を今更聞かなくてもいいだろう、みたいな話ではあるんですが....
別にファンとかなんとかいうわけではないんですが、妙にイメージが残ってしまうんですね、この曲。別段歌が上手い訳ではないし(むしろ下手)、凄くいい曲だというわけでもないんだけど。ただ、歌詞が、非常に光景をイメージしやすいのと、その歌詞がよく分かる歌い方をしているのですね。言葉の切り方は結構不自然だけれど、一応「分かる」ので、かえって耳に残ったのでしょう。
ああ、それと、歌い方。拙いんだけど、拙いなりに、ゆっくりと、ゆったりと、歌い継いでいくその行き方が、なんとなくいいのです。勿論そんな歌は幾らだってあるのではあるけれど、たまたま上手いこと色々噛み合って、すっぽりとツボにハマったのでしょうね。
今更紹介するほどの歌詞ではないし、てか、書くとこっ恥ずかしくなるような歌詞だし(苦笑)、だから、敢えて書かないのですが、この季節になるとついつい思い出してしまうのです。耳に残っちゃったんですね。そういう曲は、もうどうしようもないので、適度に付き合って行くしかないのです。ちなみにCDはどこぞで中古で買ったやつ。それこそ100円くらいじゃなかったかしらん。栄枯盛衰の激しい世界です。
思えば、例えば10年前、どんな曲が流行っていたか、もうみんなそうは覚えていないでしょう。その頃多感な頃を過ごしていた人だって、多くの歌を覚えていたとしても、全部は覚えてないでしょうし。そういう曲の中からごく一部だけが残っていって、聞き継がれ(歌い継がれ?)ていくのだろうけど、この曲はどうなのかな。解散しちゃうと、余程人気が無い限り、難しいんでしょうけど、内心、10年後も何処かに残ってるといいよね、などと思ってしまうのです。
2008/08/05のBlog
[ 01:05 ]
[ クラシック ]
マーラー:交響曲第4番
エディタ・グルベローヴァ (soprano)
フィルハーモニア管弦楽団
ジュゼッペ・シノーポリ (conduct)
Deutsche Grammophon/ユニバーサルクラシック UCCG-5067
珍しく、マーラーの交響曲を聴いております。ええ、ちょっとした気の迷いで.....(謎)
交響曲第4番。独唱はエディタ・グルベローヴァ。.......ええ、そこです。そこがポイント(笑)フィルハーモニア管弦楽団で、指揮はジュゼッペ・シノーポリ。
シノーポリが亡くなって7年になるのですね。享年54歳とのことですので、生きていれば61歳。まだまだこれから、という所だったのに。
率直に言うと、今、このあたりの世代の指揮者って、薄いんですよね。ラトルは今53歳。シャイーが55歳。私があまり好きじゃないムーティは67歳。この間の世代に、強烈な存在感のある指揮者があまりいないのです。
(ちなみに、これを書くに当たって、最近のめぼしい指揮者の年齢をざっと調べてみたのですが、なかなか面白いですよ。いや、直感的に上記のように思っていたのだけど、本当に今60歳くらいの指揮者があまりいないのです。ちなみに、若そうに見えるノリントン卿が74歳と知った時はさすがにちと驚きましたよ私は。)
ドレスデンの音楽監督だったシノーポリは、しかし、存命中に今のラトルの座を指名されることはなかったわけだし、そう考えると「それほどの指揮者か?」とも見えるかも知れませんが、この人結構面白い録音を多く残しているのです。マーラーの録音は言うに及ばず、曲同士のあまりにも鮮やかなコントラストに惹かれてしまうシューベルトの「未完成」とメンデルスゾーンの「イタリア」のカップリング。「トスカ」の録音は、1990年代の伊オペラ録音の重要なものの一つで、この曲の録音としては最良の一つだった。そして、図らずも晩年の録音となってしまった、新ウィーン楽派の一連の録音。このシリーズは、ドレスデン・シュターツカペレの演奏といい、シノーポリの「分析的」なんて言われるアプローチが非常にいい効果を引き出していて、録音史上に残したいいい演奏だったのに、人気が無くてあっさり市場から存在感を失ってしまいました。
まぁ、そうは言っても、それほどシノーポリに激しい思い入れがある訳ではないんですけどね。でも、実際聞けばシノーポリは面白いと思います。もうちょっと聞かれてもいいとは思うんですが、やはり早過ぎたと言うしかありません。
もっとも、シノーポリのマーラーというのは、実際の所人気があったんでしょうか?ライナーノートを見る限りでは、結構いい評価を得ていたように書かれているけれど、あまり「これは凄いよ!」みたいな話は聞かないんですよね。というより、マーラーを語る場合に、シノーポリはマストアイテムではなくなっているのでしょうか。全曲録音もしてなかった筈だし。そういうことなのかな?
私みたいな人間からすると、シノーポリのマーラーは「聞きやすいな」という印象があります。私もそう沢山マーラーを聴いている訳ではないけれど、マーラーというと割合に芝居っ気たっぷりにやってみせることが多いと思うのですが、シノーポリはちょっと違うような気がします。いや、身振り手振りはあるのだけど、芝居の中でどっか醒めているというか、そんな感じがあります。
そういうのを「分析的」って言ったのでしょうか。シノーポリを、特にそのマーラーを嫌う人は、そういう所が嫌いなんじゃないのかな、なんて思ったりするのですが(あ、あのヒゲが嫌だ、という人を一人知ってます。これは例外)、どんなもんでしょう。
私としては、シノーポリのマーラーを今更ながら聞くにつけ、ああ、これはマーラー好きはつまらないかもなぁ、と思いつつ、あの新ウィーン楽派の録音に繋がる、冷静に音楽を見つめる眼のようなものがいいなぁ、などと思ったりするのです。
ちなみに、本題の(?)グルベローヴァの独唱は第4楽章。録音は1991年ですから、グルベローヴァの一番脂の乗っていた頃、でしょうか。いや、このマーラーの、まぁ有り体に言えば大したこと無い曲を、よく歌ってくれてます。これを聞いてしまうと、そこらへんの並のソプラノでは聴く気がしなくなる、というほどの曲ではないのですが、これは是非いいシステムで聞いてみて頂きたい。いや、凄いんだから、本当に。
正直、ここでグルベローヴァを使ってしまうのは、勿体無いの一語に尽きます。でも使ってしまう。この贅沢(笑)小澤指揮のカルミナ・ブラーナの独唱がグルベローヴァ、ってのも結構勿体無いですが、あれに比べてもこちらはもっと贅沢です。余白に1、2曲、歌曲でも歌っておいてくれたらよかったのに.....
エディタ・グルベローヴァ (soprano)
フィルハーモニア管弦楽団
ジュゼッペ・シノーポリ (conduct)
Deutsche Grammophon/ユニバーサルクラシック UCCG-5067
珍しく、マーラーの交響曲を聴いております。ええ、ちょっとした気の迷いで.....(謎)
交響曲第4番。独唱はエディタ・グルベローヴァ。.......ええ、そこです。そこがポイント(笑)フィルハーモニア管弦楽団で、指揮はジュゼッペ・シノーポリ。
シノーポリが亡くなって7年になるのですね。享年54歳とのことですので、生きていれば61歳。まだまだこれから、という所だったのに。
率直に言うと、今、このあたりの世代の指揮者って、薄いんですよね。ラトルは今53歳。シャイーが55歳。私があまり好きじゃないムーティは67歳。この間の世代に、強烈な存在感のある指揮者があまりいないのです。
(ちなみに、これを書くに当たって、最近のめぼしい指揮者の年齢をざっと調べてみたのですが、なかなか面白いですよ。いや、直感的に上記のように思っていたのだけど、本当に今60歳くらいの指揮者があまりいないのです。ちなみに、若そうに見えるノリントン卿が74歳と知った時はさすがにちと驚きましたよ私は。)
ドレスデンの音楽監督だったシノーポリは、しかし、存命中に今のラトルの座を指名されることはなかったわけだし、そう考えると「それほどの指揮者か?」とも見えるかも知れませんが、この人結構面白い録音を多く残しているのです。マーラーの録音は言うに及ばず、曲同士のあまりにも鮮やかなコントラストに惹かれてしまうシューベルトの「未完成」とメンデルスゾーンの「イタリア」のカップリング。「トスカ」の録音は、1990年代の伊オペラ録音の重要なものの一つで、この曲の録音としては最良の一つだった。そして、図らずも晩年の録音となってしまった、新ウィーン楽派の一連の録音。このシリーズは、ドレスデン・シュターツカペレの演奏といい、シノーポリの「分析的」なんて言われるアプローチが非常にいい効果を引き出していて、録音史上に残したいいい演奏だったのに、人気が無くてあっさり市場から存在感を失ってしまいました。
まぁ、そうは言っても、それほどシノーポリに激しい思い入れがある訳ではないんですけどね。でも、実際聞けばシノーポリは面白いと思います。もうちょっと聞かれてもいいとは思うんですが、やはり早過ぎたと言うしかありません。
もっとも、シノーポリのマーラーというのは、実際の所人気があったんでしょうか?ライナーノートを見る限りでは、結構いい評価を得ていたように書かれているけれど、あまり「これは凄いよ!」みたいな話は聞かないんですよね。というより、マーラーを語る場合に、シノーポリはマストアイテムではなくなっているのでしょうか。全曲録音もしてなかった筈だし。そういうことなのかな?
私みたいな人間からすると、シノーポリのマーラーは「聞きやすいな」という印象があります。私もそう沢山マーラーを聴いている訳ではないけれど、マーラーというと割合に芝居っ気たっぷりにやってみせることが多いと思うのですが、シノーポリはちょっと違うような気がします。いや、身振り手振りはあるのだけど、芝居の中でどっか醒めているというか、そんな感じがあります。
そういうのを「分析的」って言ったのでしょうか。シノーポリを、特にそのマーラーを嫌う人は、そういう所が嫌いなんじゃないのかな、なんて思ったりするのですが(あ、あのヒゲが嫌だ、という人を一人知ってます。これは例外)、どんなもんでしょう。
私としては、シノーポリのマーラーを今更ながら聞くにつけ、ああ、これはマーラー好きはつまらないかもなぁ、と思いつつ、あの新ウィーン楽派の録音に繋がる、冷静に音楽を見つめる眼のようなものがいいなぁ、などと思ったりするのです。
ちなみに、本題の(?)グルベローヴァの独唱は第4楽章。録音は1991年ですから、グルベローヴァの一番脂の乗っていた頃、でしょうか。いや、このマーラーの、まぁ有り体に言えば大したこと無い曲を、よく歌ってくれてます。これを聞いてしまうと、そこらへんの並のソプラノでは聴く気がしなくなる、というほどの曲ではないのですが、これは是非いいシステムで聞いてみて頂きたい。いや、凄いんだから、本当に。
正直、ここでグルベローヴァを使ってしまうのは、勿体無いの一語に尽きます。でも使ってしまう。この贅沢(笑)小澤指揮のカルミナ・ブラーナの独唱がグルベローヴァ、ってのも結構勿体無いですが、あれに比べてもこちらはもっと贅沢です。余白に1、2曲、歌曲でも歌っておいてくれたらよかったのに.....
2008/08/02のBlog
[ 22:29 ]
[ オペラ ]
驚異のテノール カルロ・ベルゴンツィ ・ リサイタル1
あなたの口づけを / キオーヴェ / マレキアーレ / かわいい口許 / 五月の一夜 / カタリー / 夜の声 / なぜ? / 帰れソレントへ / ラ・スパニョラ / オー・ソレ・ミオ
カルロ・ベルゴンツィ (tenor)
ヴィンツェンツォ・スカレーラ (piano)
ビクター音産 VICC-5013
懐かしいCDを出して来ました。
カルロ・ベルゴンツィ。私がぎりぎりで「間に合った」テノールです。いや、正確には、聞いた時にはもう70近かったので、果たして間に合ったと言っていいのかどうか。
どうも、ベルゴンツィは録音でももう一つ人気が出ないようです。古いテノールというと、大抵はデル=モナコかコレッリか、という話になってしまうのですが。正直言うと、例えば聞いて燃えるのは確かにコレッリかも知れないけれど、歌として聞いてやはりいいなぁと思う、という点では、ベルゴンツィの方が上じゃないかな、という気がするのです。
コレッリや、言ってみればデル=モナコもそうですが、この辺の人達は、基本的に異形の故にもてはやされる、という面があることは否めないと思います。ロブストで力強い声、輝かしい高音、或いは独特にして一流の「泣き」、そうしたものが魅力の一つになっている、否、大きな魅力になっている、というのはやはり否めないと思います。
でも、それは、ある意味、歌い崩しの妙でもあります。そこをこそ褒めてしまう、そこにこそ惹かれてしまう、というのは、それはそれで勿論いいのだけれど。コレッリのパルマでのライブで、トスカを歌って第2幕のVittoria! で盛大な拍手とブラヴォーの渦で、止まってしまう。凄い!というのは、そりゃそうなのですが.....
ベルゴンツィは結局何回聞いたのだったか。1992年に2度聞いて、その後もう一回は聞いていて。もう一回、暫く経ってから来ていると思うのですが、あの時は聞いたっけなぁ......
とにかく、歌が上手いのです。このCDでいえば1990年の来日時の録音なので、この時66歳くらい。当然、声は決して「全盛期のテノール」の声ではない。勿論、自分が聞いた1992年の時点でも、率直に言って、もうとても最盛期とはいえない声でした。
最盛期とは言えないんだけど、いいんですよ、これが。ベルゴンツィの衰え方(?)は、高い方が出なくなる、というタイプだったようで、声量はあまり衰えてなかったんですね。それと、歌の上手さ。これも失われない。結局、歌のフォルムそのものが失われていないから、後々まで歌い続けることが出来る訳ですね。現役だと、バスですがルジェロ・ライモンディがまだやってます。彼ももう70を越えているのに、未だにチ
あなたの口づけを / キオーヴェ / マレキアーレ / かわいい口許 / 五月の一夜 / カタリー / 夜の声 / なぜ? / 帰れソレントへ / ラ・スパニョラ / オー・ソレ・ミオ
カルロ・ベルゴンツィ (tenor)
ヴィンツェンツォ・スカレーラ (piano)
ビクター音産 VICC-5013
懐かしいCDを出して来ました。
カルロ・ベルゴンツィ。私がぎりぎりで「間に合った」テノールです。いや、正確には、聞いた時にはもう70近かったので、果たして間に合ったと言っていいのかどうか。
どうも、ベルゴンツィは録音でももう一つ人気が出ないようです。古いテノールというと、大抵はデル=モナコかコレッリか、という話になってしまうのですが。正直言うと、例えば聞いて燃えるのは確かにコレッリかも知れないけれど、歌として聞いてやはりいいなぁと思う、という点では、ベルゴンツィの方が上じゃないかな、という気がするのです。
コレッリや、言ってみればデル=モナコもそうですが、この辺の人達は、基本的に異形の故にもてはやされる、という面があることは否めないと思います。ロブストで力強い声、輝かしい高音、或いは独特にして一流の「泣き」、そうしたものが魅力の一つになっている、否、大きな魅力になっている、というのはやはり否めないと思います。
でも、それは、ある意味、歌い崩しの妙でもあります。そこをこそ褒めてしまう、そこにこそ惹かれてしまう、というのは、それはそれで勿論いいのだけれど。コレッリのパルマでのライブで、トスカを歌って第2幕のVittoria! で盛大な拍手とブラヴォーの渦で、止まってしまう。凄い!というのは、そりゃそうなのですが.....
ベルゴンツィは結局何回聞いたのだったか。1992年に2度聞いて、その後もう一回は聞いていて。もう一回、暫く経ってから来ていると思うのですが、あの時は聞いたっけなぁ......
とにかく、歌が上手いのです。このCDでいえば1990年の来日時の録音なので、この時66歳くらい。当然、声は決して「全盛期のテノール」の声ではない。勿論、自分が聞いた1992年の時点でも、率直に言って、もうとても最盛期とはいえない声でした。
最盛期とは言えないんだけど、いいんですよ、これが。ベルゴンツィの衰え方(?)は、高い方が出なくなる、というタイプだったようで、声量はあまり衰えてなかったんですね。それと、歌の上手さ。これも失われない。結局、歌のフォルムそのものが失われていないから、後々まで歌い続けることが出来る訳ですね。現役だと、バスですがルジェロ・ライモンディがまだやってます。彼ももう70を越えているのに、未だにチ
