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Verdiのレコード置き場 今日車で聴いたものblog
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2008/08/14のBlog
G.ドニゼッティ:歌劇「ランメルムーアのルチア」
 エディタ・グルベローヴァ (soprano), アルフレード・クラウス (tenor),
 レナート・ブルゾン (bariton), ロバート・ロイド (bass), etc
 アンブロジアン・オペラ合唱団
 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
 ニコラ・レッシーニョ (conduct)
 EMI/東芝EMI TOCE-772729

 長距離運転で聞きましたの巻第二弾。久々に引っ張り出しました。

 グルベローヴァのルチアは他にも録音がありますが、この録音がグルベローヴァの歌唱鮮度としては一番いいかなと思います。1983年、まだグルベローヴァが30代の頃の録音です。正直、やはりグルベローヴァにしても尚、1990年代よりは1980年代の録音の方が魅力的です。
 ルチアと言えば、狂乱の場に関しては、それ以前に録音されたアリア集での絶唱が未だ空前絶後ですが、この録音はその点に於いては若干劣ると思います。何処が、というと難しいのですが、言ってみれば「オペラ全曲の歌唱」なんですね。その分だけ、狂乱の場だけ切り出して考えると、アリア集の方が完成度が高いと言っていいと思います。本当に微妙な差なのですが、アリア集の方は、決まるべき所が本当に完璧に決まっていて、歌唱表現、間合い、声の決め方等、これ以上動かしようがない、と言いたくなるくらい。
 一方、この全曲録音の方は、そこだけ見れば、如何なスタジオ録音と謂えども、やはり全体のバランスを考えた歌唱になるので、その分表現、というより、間合いがどうしても変わってくる。最高音も、グルベローヴァレベルの話で言えば、ほんの僅かだけれどもう一つ安定に難があるし。そのレベルで言えば、ヴァリアントの処理の仕方も僅かながら不安定。ちなみに、グルベローヴァレベルの下に初めて他のソプラノが来るんですけどね。その影を見せられるのは僅かにサザランドくらいかな。

 まぁ、正直、言い出せばキリが無いの類いであります。無理なものは無理。これ以上を求めても、というところでしょう。とはいえ、ちょっと共演陣が弱いんですけどね。
 ニコラ・レッシーニョ。名匠ではあるんですが、ロイヤル・フィルと合わせて、ここ一番での微妙な反応がもう一つ。やはりこちらも「全曲盤」モードなんですね。全体の流れとしては考えてやっていると思うんですが。決して悪くはありません。ただ、最高の出来のその上を行く訳ではないよね、といったところか。
 アルフレード・クラウス。ええ、悪くはありませんが........ここの人選は難しい所ですね。クラウス、このエドガルドという役にはもう一つ暴れ者系の力強さが欲しいというか.....ちょっと大時代的な歌い方も気になるし。
 一方、エンリーコのブルゾンもちょっと。いや、グルベローヴァのパワーに比してちょっとバランスがね。
 そう、クラウスにしてもブルゾンにしても、この役に合わないという訳ではないのですが、グルベローヴァの、「コロラトゥーラ・ソプラノ」などという枠に収まらない歌唱に対しては押され気味なのです。
 毎度毎度の話ですが、グルベローヴァの良さは、充実した中音域にあります。それがあるから、輝かしい高音が映えるし、コロラトゥーラもその「地」に支えられている。だから、狂乱の場だけでなく、第1幕のアリアや二重唱、更には第2幕でのフィナーレでも、線の細い歌唱では無いのです。言わばリリカルに揃えた歌唱陣は決して悪くないのですが.......まぁ、グルベローヴァが良すぎるのだ、と言っておきましょう。

 配役がいいと、ルチアも全曲聞いて惹き付けられるオペラになります。特に第2幕は、粒が揃うと、ルチアとエンリーコのやり取りからして飽きが来ない。緊迫感が出て、音楽が締まって来るのです。そういう点では、最初から最後まで聞いて飽きない録音です。なんだ、結局褒めてるし(笑)
 この録音も、しかし、今は現役盤ではなくなっているのかな。このCDが発売されたのは1992年で、出た時点で即買いしたのですが、この時も漸く現役盤として復活したのだったし。確かこの録音は、その後現役復帰していないのではないかと思います。色々著作権関係とかあってのことではないかと思いますが、ちょっと勿体無いなぁ。



2008/08/12のBlog
R.Wagner : Tristan und Isolde
 Rene Kollo (tenor), Kurt Moll (bass), Margaret Price (soprano),
 Dietrich Fischer-Dieskau (bariton), etc.
 Rundfunkchor Leipzig
 Staatskapelle Dresden
 Carlos Kleiber (conduct)
 Deutsche Grammophon 413 315-2

 旅行に出ています。御時世に逆らって(笑)車で出ているので、色々聞く時間がたっぷりあります。こういう時こそ、普段なかなか聞けないようなのを聞きたいところであります。
 というわけで、名盤中の名盤を久々に持って出ました。カルロス・クライバー指揮の「トリスタンとイゾルデ」。
 クライバーのトリスタンと言えば、クライバーの十八番だった演目。いろいろ問題のありそうなライブ盤も沢山出ていますが、今回は正規録音盤。諸々のライブ盤に比べると出演者の顔触れも立派なのではありますが、色々言われている録音でもあります。特にクルヴェナルのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウがいまいち不人気。それと、諸々のライブ盤に比してちょっと燃焼度が低いとか言われたり。
 でも、個人的には、燃焼度はともかく、全体に見てもバランスの取れたいい録音だと思ってます。DFDの評価は、まぁ分からなくはなくて、ワーグナーといえどもDFDの歌唱はちょっとオペラには合わない部分もある。それは事実。でも、そのへんの違和感も含めてDFDだから、とは思うんですけどね。

 このトリスタンはもう長年に渉って聞いてますが、最近は聞いてなかった。
 トリスタンと言えば、学生時代にある先輩の御説を伺ったのが今でも忘れられません。
 曰く、トリスタンは1幕に限る。それも、惚れ薬を飲む前までに限る、と。何故なら、惚れ薬を飲んでからの二人は、要するに「乗り越えてしまった」後の話に過ぎない。以後は波瀾万丈だとしても、両者の気持ちはもうはっきりしてしまっている。恋愛というものが本当に面白いのは、そこに至るまでの過程だ。惹かれているのに決してその気持ちに従ってはいけない、というそれぞれの葛藤、いざその葛藤を乗り越えたとして、相手はそれに応えてくれるのか?という恐れと不安、結果として解決策として死を選ぶというドラマ、それこそが面白いのだ、と。気持ちがはっきりしてしまってからの恋愛ドラマなんて、おこちゃま向けのドラマさっ。なんだそうです。
 うーん。ぼく、おこさまだからよくわかんない('-')/
 いや、謂わんとする所は分かるんですが。でも、やっぱり、聞いてて楽しいのは、その後だもんなぁ.......

 ええ、個人的には、好きなのは第3幕であります。重苦しい弦の前奏に始まって、死の夢に囚われて、夢現つに語るトリスタン、そして、待ち侘びた末ついにやってきたイゾルデの腕の中で死んで行く。この展開がやはり音楽的にも好きなのです。
 確かに、聞き込むと、1幕って結構面白いんですけどね。でも、やはり、盛り上がりとしては2幕、更には3幕なんですよね。そういえば、確かシェローだったか、「イゾルデの到来と愛の死は全部夢オチでした」という演出があって、あれはあれで非常に納得の行く、というより納得せざるを得ない演出だったのですが、あれは気に入らない人も多いんだろうなぁ..... まぁ、録音で聞く分には分からないんですけどね。
 クライバー盤の3幕の良さは、何と言っても煽りの効いたオーケストラの演奏。この幕の本当の主役は、実はオーケストラだったりするのではないかと思うのですが、クライバーの演奏は物語を描かせるに秀逸の出来映え。起用されたオケがシュターツカペレ・ドレスデンであることは、一般的には必ずしも最善と評価されるところではないと思うのですが、クライバーとの相性が良かったのか、表現力もあるし、程よく煽情的ないい演奏になっていると思います。
 やっぱり、クライバーのトリスタンを選ぶ理由はこの辺にあると思います。勿論、コロのトリスタンがいい、とか、そういう話はあるのですが、例えば歌手陣で言えば、ベーム盤なんかの方が粒も揃っていると思います。オーケストラの歌を聞く録音、と言ってしまうには少々贅沢過ぎる、というか失礼に当たる歌唱陣なのですが、でも、やはりこの録音に関しては、そういう聞き方をしてるんだろうな、と思います。


2008/08/10のBlog
Van Eyck : Der Fluyten Lust-Hof(selections)
 Marion Verbruggen (recorders)
 harmonia mundi HMX2907350.51

 今日は古楽ですが、その中でもあまり聞いたことのないものを聞いています。
 ファン・アイクという人。正式には Johnkheer Jacob van Eyck という名前です。1590年生、1657年没。「ユトレヒトのオルフェウス」の異名を持ち、その名の通りオランダのユトレヒトで大聖堂の鐘や市の時を報せる鐘の管理をしていたそうです。同時に、リコーダーの名手としても知られていたそうです。
 この人が残した作品の殆どが収められているのが、Der Fluyten Lust-Hof, 英訳すると The Flute's Garden of Delights, フルートの楽しみの庭、とでも訳すのでしょうか、そういう名前の作品集。作品と言っても、当時のヨーロッパで流行していたヒットチューンの編曲等色々のようです。「アマリリ麗し」の編曲なんてのも入ってるし。このCDは、その作品集からの抜粋を録音したもの。と、ここまで、ライナーノートの説明に頼っておりますが、正直、私、この人初めて知りました。
 その他、色々能書きがあるのですが、めんどくさいし、この辺でパス(笑)

 問題は音楽ですね。
 ここに収録されているのは、殆どがリコーダーの独奏曲。一部、二重録音によるのか、デュエットもありますが、それもリコーダーのデュエット。リコーダーの独奏、というのは、よく考えるとあまり多くはないと思います。バロック期やルネッサンス期でも、今我々が普通に聞くものの殆どは合奏だったり協奏曲だったり、要はリコーダー単独というのはあまりないですね。
 実際、こうやって聞いてみると、リコーダー独奏というの、結構素朴だなー、などと思ってしまいます。素朴だけれど、しかし、つまらないかというと決してそんなことはないのでありまして。
 確かにリコーダーは基本的に単音しか出せません。管楽器ですから。しかも、ただでさえ高音中心の楽器である上に構造的に単純なのもあってか、ちょっと単純な音に聞こえます。その素朴な感じがいいかなぁ、と思うのですけど、どんなもんでしょ。
 本当に色々な編曲が中心なので、あまり統一感のあるアルバムにはなっていないと思います。でも、これはこれで楽しい。次から次へと繰り出されるリコーダーの音色、響きを楽しむディスク、と言っていいんじゃないかと思います。
 実際、リコーダーの澄んだ音色というのは、管楽器の中でも格別だと思います。勿論、澄んだ音色の管楽器としては、フルートとかピッコロというのもありますが、あのへんはちょっと金属的な音ですから、落ち着いて、或いはぽけーっと聞くには、ちょっと合わないかも知れません。特に後者の聞き方の場合......

 リコーダー技巧的にどうなのか、というのはよくわかりません。リコーダーって、小中学生時代にやる縦笛ですしね。そのイメージがあるんだけど、これを聞いてると、当然そのレベルを遥かに越えているのはよく分かるんですが、って、んなの当たり前ですね(苦笑)その先、どんくらい高度なのか、ちょっとよく分からないと言うか.......
 実はリコーダー、やれば出来るんじゃないかという興味はあります。楽器も、銀座の山野楽器で一度見たことあるけれど、高くないものはそれほどじゃなかったし。他の楽器と違ってメンテもそれほど大変そうではないし。でも、練習場所がないなぁ........

 ちなみに演奏者は Marion Verbruggen というアムステルダム生まれの奏者。ムジカ・アンティクァ・ケルンやアムステルダム・バロック・オーケストラ、エイジ・オブ・エンライトメント管などでも演奏している人だそうです。きっと上手いんでしょうねぇ、これ。
 自分ではやらない方が無難かな.......(笑)


2008/08/08のBlog
サティ:ピアノ作品集
ジムノペディ第1番 / 官僚的なソナチネ / ジムノペディ第2番 / スポーツと気晴らし / ジムノペディ第3番 / 犬の為のだらだらした前奏曲 / 1906-1913年の6つの小品 / 2つの夜の空想 / あらゆる方向に向けられた数章 / 愛撫 / 最後から2番目の思想 / ジャック・イン・ザ・ボックス(びっくり箱)
 ミシェル・ルグラン (piano)
 ERATO/ワーナーミュージック WPCS-21082

 明日から休みです。でも、暑さも本格化。ムッとするような熱気がこの時間でも残るようになりました。暑いです。
 暑いと、いろいろ聞く気が失せて来ます..........耳の夏バテですね。耳に軽いものを聞こうかと。

 エリック・サティ。言ってみれば、自ら誤解されようとしているような音楽を書いて、見事に誤解されるどころか、その上を行く扱われ方をされてるような作曲家、と決めつけてはいけないかな?でもそんな感じなんですよね。
 サティはバブル期に盛んに使われた音楽家です。よく聞かれもしたけれど、風変わりなタイトルやアンニュイな感じのある音楽、19世紀末から20世紀初めの華やかな活動等と相俟って、何やら凄く先進的な作曲家扱い - それもなんとなく顔色の悪そうな、気難しい - されてしまったところがあります。いや、そこそこ先進的ではあろうけれど。
 何より、「家具の音楽」みたいなことを口走っていたのが災いして、都合良く真に受けて使われてしまった感じがします。

 このCDには入ってないですが、サティの書いた歌曲に「オリンピア劇場のプリマドンナ」という、小唄、シャンソンとしか言い様の無い歌があります。小粋で活き活きとして、とてもチャーミングな歌です。
 実際、サティ自身は結構気難しい人だったらしいけれど、こんな洒落た機嫌のいい曲も書けた人ではあったのです。そんなにステレオタイプな変人ではなかったんじゃないかと思うんですけどね。一筋縄では行かない人だったんだろうけれど。

 でもまぁ、一般的にサティの音楽と言えば、「風変わりで不思議」であり、人としても「風変わりで不思議」ってことで終わってしまうんでしょうね。そういうサティこそが、我々の聞きたいサティでもあるのだろうから、そういうものってことなのかも知れません。実際、私だって、サティを聞こうなんて時は、そういうものを聞きたくて引っ張り出しているのだから。

 このCDは、けれど、ちょっとサティの名曲集としては風変わりかも知れません。ん?風変わりな音楽の風変わりな録音、ということは元に戻って普通なのか?(謎)
 ジムノペディは収録されているけれど、その他は主に極短の小曲集を中心に構成されていて、比較的知名度の高そうな曲、例えば「ジュ・トゥ・ヴ」とか「梨の形をした三つの小品」なんかは入っていない。「サティ名曲集」ではなくて、もうちょっと真面目に、コンセプショナルに作られた作品集、とすべきでしょう。
 ま、そうは言っても、結局私はサティ、よくわからないんですけどね。

 この作品集など聞いているとつくづく思うのだけれど、サティという人は、結局音楽を芸術というか作品として「何かを言う為に作る」ことからどうやって逃げようかと散々算段した人なんじゃないか、という気がするのです。誤解を恐れず言うならば、サティの音楽の本質は、表層的である、というところにあるのでは無いかなと思います。何かが伝わってしまうのを避けるような音楽、というと言い過ぎでしょうか?でも、「家具の音楽」などということを言い出したのも、そうした想いの延長線上にあるのではないかと思うのです。その表層を掬い取って使われてしまったサティもいい面の皮、てなことなのかも。本当はただ作曲家とか、何かを表現する人にはあるまじき程にシャイなだけだったのかも知れないのに。

 というわけで、入れ込まず、さりとて害の無いBGMと言い切ってしまうことも無く、程度に付き合っておくのがいいんじゃないかな、などと思いながら聞いているのであります。こういう音楽と、そのくらいの付き合い方をするのは、この暑い中ある意味楽な音楽の聞き方なのではあります。でも、これでは、夏バテ解消にはならないかな?そうめんか冷や麦みたいな感じだもんなぁ。
 演奏はミシェル・ルグラン。映画音楽の大家であります。このへんが、他の「名曲集」とはひと味違う所以なのでしょうか。


2008/08/07のBlog
ZONE : N
SONY MUSIC RECORDS SRCL-5704

 J-POPと呼ばれる類いのものは、殆ど聞かないようで、実は耳に入って来るものはそう拒んでいるつもりはないのではあります。
 でも、基本的に、選択的に聞いているというのは殆ど無いので、年代的にいわゆる「同時代の人」を除けば、非常に薄いのです。とはいえ、ピンポイント的に入って来るものはあって、他人から見ると「何で?」と思われそうなものがツボに入ったりするのであります。ま、よくある話。

 だからって、とっとと解散しちゃった微妙なグループの曲を今更聞かなくてもいいだろう、みたいな話ではあるんですが....

 別にファンとかなんとかいうわけではないんですが、妙にイメージが残ってしまうんですね、この曲。別段歌が上手い訳ではないし(むしろ下手)、凄くいい曲だというわけでもないんだけど。ただ、歌詞が、非常に光景をイメージしやすいのと、その歌詞がよく分かる歌い方をしているのですね。言葉の切り方は結構不自然だけれど、一応「分かる」ので、かえって耳に残ったのでしょう。
 ああ、それと、歌い方。拙いんだけど、拙いなりに、ゆっくりと、ゆったりと、歌い継いでいくその行き方が、なんとなくいいのです。勿論そんな歌は幾らだってあるのではあるけれど、たまたま上手いこと色々噛み合って、すっぽりとツボにハマったのでしょうね。

 今更紹介するほどの歌詞ではないし、てか、書くとこっ恥ずかしくなるような歌詞だし(苦笑)、だから、敢えて書かないのですが、この季節になるとついつい思い出してしまうのです。耳に残っちゃったんですね。そういう曲は、もうどうしようもないので、適度に付き合って行くしかないのです。ちなみにCDはどこぞで中古で買ったやつ。それこそ100円くらいじゃなかったかしらん。栄枯盛衰の激しい世界です。
 思えば、例えば10年前、どんな曲が流行っていたか、もうみんなそうは覚えていないでしょう。その頃多感な頃を過ごしていた人だって、多くの歌を覚えていたとしても、全部は覚えてないでしょうし。そういう曲の中からごく一部だけが残っていって、聞き継がれ(歌い継がれ?)ていくのだろうけど、この曲はどうなのかな。解散しちゃうと、余程人気が無い限り、難しいんでしょうけど、内心、10年後も何処かに残ってるといいよね、などと思ってしまうのです。

2008/08/05のBlog
マーラー:交響曲第4番
 エディタ・グルベローヴァ (soprano)
 フィルハーモニア管弦楽団
 ジュゼッペ・シノーポリ (conduct)
 Deutsche Grammophon/ユニバーサルクラシック UCCG-5067

 珍しく、マーラーの交響曲を聴いております。ええ、ちょっとした気の迷いで.....(謎)
 交響曲第4番。独唱はエディタ・グルベローヴァ。.......ええ、そこです。そこがポイント(笑)フィルハーモニア管弦楽団で、指揮はジュゼッペ・シノーポリ。

 シノーポリが亡くなって7年になるのですね。享年54歳とのことですので、生きていれば61歳。まだまだこれから、という所だったのに。
 率直に言うと、今、このあたりの世代の指揮者って、薄いんですよね。ラトルは今53歳。シャイーが55歳。私があまり好きじゃないムーティは67歳。この間の世代に、強烈な存在感のある指揮者があまりいないのです。
 (ちなみに、これを書くに当たって、最近のめぼしい指揮者の年齢をざっと調べてみたのですが、なかなか面白いですよ。いや、直感的に上記のように思っていたのだけど、本当に今60歳くらいの指揮者があまりいないのです。ちなみに、若そうに見えるノリントン卿が74歳と知った時はさすがにちと驚きましたよ私は。)

 ドレスデンの音楽監督だったシノーポリは、しかし、存命中に今のラトルの座を指名されることはなかったわけだし、そう考えると「それほどの指揮者か?」とも見えるかも知れませんが、この人結構面白い録音を多く残しているのです。マーラーの録音は言うに及ばず、曲同士のあまりにも鮮やかなコントラストに惹かれてしまうシューベルトの「未完成」とメンデルスゾーンの「イタリア」のカップリング。「トスカ」の録音は、1990年代の伊オペラ録音の重要なものの一つで、この曲の録音としては最良の一つだった。そして、図らずも晩年の録音となってしまった、新ウィーン楽派の一連の録音。このシリーズは、ドレスデン・シュターツカペレの演奏といい、シノーポリの「分析的」なんて言われるアプローチが非常にいい効果を引き出していて、録音史上に残したいいい演奏だったのに、人気が無くてあっさり市場から存在感を失ってしまいました。

 まぁ、そうは言っても、それほどシノーポリに激しい思い入れがある訳ではないんですけどね。でも、実際聞けばシノーポリは面白いと思います。もうちょっと聞かれてもいいとは思うんですが、やはり早過ぎたと言うしかありません。
 もっとも、シノーポリのマーラーというのは、実際の所人気があったんでしょうか?ライナーノートを見る限りでは、結構いい評価を得ていたように書かれているけれど、あまり「これは凄いよ!」みたいな話は聞かないんですよね。というより、マーラーを語る場合に、シノーポリはマストアイテムではなくなっているのでしょうか。全曲録音もしてなかった筈だし。そういうことなのかな?

 私みたいな人間からすると、シノーポリのマーラーは「聞きやすいな」という印象があります。私もそう沢山マーラーを聴いている訳ではないけれど、マーラーというと割合に芝居っ気たっぷりにやってみせることが多いと思うのですが、シノーポリはちょっと違うような気がします。いや、身振り手振りはあるのだけど、芝居の中でどっか醒めているというか、そんな感じがあります。
 そういうのを「分析的」って言ったのでしょうか。シノーポリを、特にそのマーラーを嫌う人は、そういう所が嫌いなんじゃないのかな、なんて思ったりするのですが(あ、あのヒゲが嫌だ、という人を一人知ってます。これは例外)、どんなもんでしょう。
 私としては、シノーポリのマーラーを今更ながら聞くにつけ、ああ、これはマーラー好きはつまらないかもなぁ、と思いつつ、あの新ウィーン楽派の録音に繋がる、冷静に音楽を見つめる眼のようなものがいいなぁ、などと思ったりするのです。

 ちなみに、本題の(?)グルベローヴァの独唱は第4楽章。録音は1991年ですから、グルベローヴァの一番脂の乗っていた頃、でしょうか。いや、このマーラーの、まぁ有り体に言えば大したこと無い曲を、よく歌ってくれてます。これを聞いてしまうと、そこらへんの並のソプラノでは聴く気がしなくなる、というほどの曲ではないのですが、これは是非いいシステムで聞いてみて頂きたい。いや、凄いんだから、本当に。
 正直、ここでグルベローヴァを使ってしまうのは、勿体無いの一語に尽きます。でも使ってしまう。この贅沢(笑)小澤指揮のカルミナ・ブラーナの独唱がグルベローヴァ、ってのも結構勿体無いですが、あれに比べてもこちらはもっと贅沢です。余白に1、2曲、歌曲でも歌っておいてくれたらよかったのに.....


2008/08/02のBlog
驚異のテノール カルロ・ベルゴンツィ ・ リサイタル1
あなたの口づけを / キオーヴェ / マレキアーレ / かわいい口許 / 五月の一夜 / カタリー / 夜の声 / なぜ? / 帰れソレントへ / ラ・スパニョラ / オー・ソレ・ミオ

 カルロ・ベルゴンツィ (tenor)
 ヴィンツェンツォ・スカレーラ (piano)
 ビクター音産 VICC-5013

 懐かしいCDを出して来ました。
 カルロ・ベルゴンツィ。私がぎりぎりで「間に合った」テノールです。いや、正確には、聞いた時にはもう70近かったので、果たして間に合ったと言っていいのかどうか。

 どうも、ベルゴンツィは録音でももう一つ人気が出ないようです。古いテノールというと、大抵はデル=モナコかコレッリか、という話になってしまうのですが。正直言うと、例えば聞いて燃えるのは確かにコレッリかも知れないけれど、歌として聞いてやはりいいなぁと思う、という点では、ベルゴンツィの方が上じゃないかな、という気がするのです。
 コレッリや、言ってみればデル=モナコもそうですが、この辺の人達は、基本的に異形の故にもてはやされる、という面があることは否めないと思います。ロブストで力強い声、輝かしい高音、或いは独特にして一流の「泣き」、そうしたものが魅力の一つになっている、否、大きな魅力になっている、というのはやはり否めないと思います。
 でも、それは、ある意味、歌い崩しの妙でもあります。そこをこそ褒めてしまう、そこにこそ惹かれてしまう、というのは、それはそれで勿論いいのだけれど。コレッリのパルマでのライブで、トスカを歌って第2幕のVittoria! で盛大な拍手とブラヴォーの渦で、止まってしまう。凄い!というのは、そりゃそうなのですが.....

 ベルゴンツィは結局何回聞いたのだったか。1992年に2度聞いて、その後もう一回は聞いていて。もう一回、暫く経ってから来ていると思うのですが、あの時は聞いたっけなぁ......
 とにかく、歌が上手いのです。このCDでいえば1990年の来日時の録音なので、この時66歳くらい。当然、声は決して「全盛期のテノール」の声ではない。勿論、自分が聞いた1992年の時点でも、率直に言って、もうとても最盛期とはいえない声でした。
 最盛期とは言えないんだけど、いいんですよ、これが。ベルゴンツィの衰え方(?)は、高い方が出なくなる、というタイプだったようで、声量はあまり衰えてなかったんですね。それと、歌の上手さ。これも失われない。結局、歌のフォルムそのものが失われていないから、後々まで歌い続けることが出来る訳ですね。現役だと、バスですがルジェロ・ライモンディがまだやってます。彼ももう70を越えているのに、未だにチューリッヒで現役で歌ってます。こういうことが出来るのは、やはり基本がしっかりしているからではないかと思うのです。歌い方、フォルム、発声、そういうことがきちんと出来ているから。
 ベルゴンツィや、70過ぎて日本でリサイタルをやって某評論家に「若手は参考とすべし」なんて言わせてしまった(若い時分に歳食った往年のテノールを参考にするのもどうかと思うが)アルフレード・クラウスなんかもそうですが、後年に至るまで、きちんとした歌で勝負出来るというのは、やはり礎の差なのでしょう。もっとも、個人的には、クラウスとベルゴンツィじゃ勝負にならないと思ってはいますが......

 このCD、実は、"1" とあるように、もう1枚アリアなんかも入れたのがあります。対してこちらは専らイタリア民謡集というか、カンツォーネ集です。だから、ある意味歌うに際しても自由度も高い。ベルゴンツィは、そこを上手に処理してます。あんまりまともに歌ったのでは、流石にちょっとつまらない。だから、お決まりの所は崩してはいるんだけど、基本はきちっと、むしろ端正なほどにやっている。だから、贔屓目かも知れませんが、未だに聞くに耐える内容なのです。
 定番曲を中心に全11曲。やはり、「マレキアーレ」なんかは燃えます。「カタリー」や「帰れソレントへ」なんかも勿論いいけれど、意外にいいのが、「夜の声」のような曲。やはりフォルムがしっかりしているからなんだと思います。「かわいい口許」なんかは、まぁ、あの、おっさんが歌うと、ね、ちょっと....(笑)
 ちなみに、いちいち一曲毎に拍手とブラボーが入ってるのでお分かりの通り、これはライブ盤。お客も異様に盛り上がってます。1990年頃は丁度バブル末期で、こういう盛り上がり方、してたんですよね。
 で、その盛り上がりが最高潮に達するのが、最後の「オ・ソレ・ミオ」。定番中の定番ですが、例の Ma n'atu sole のところで、トリルを掛けて延ばすのを一人でやってます。録音は1990年10月20日。そう、あのイタリア・ワールドカップで、3大テノールがやってのけた、あの年です。このバリエーション、昔からあるにせよ、やはりあれ以来「オ・ソレ・ミオ」はああいう風に歌うことになってしまった(?)ようですが、ベルゴンツィ、一人で負けてません(笑)ちなみに、間奏でもスカレーラが同様に御披露(笑)
 そう、ヴィンツェンツォ・スカレーラ、最近どうしているんでしょう。時々伴奏の名前に見掛けることもありますが、いい伴奏ピアニストなんですけどね。

 やはり、基本のフォルムが歪まない、というのは、歌手として大事なことだと思います。だから、この年齢になっても聞くに耐える歌を歌い続けられたのだろうと思います。


2008/08/01のBlog
J.HAYDN : Symphony No.85 B Flat Major "La Reine" / No.86 D Major / No.87 A Major
 The Hanover Band
 Roy Goodman (harpsichord, condut)
 HYPERION/HELIOS CDH55124

 暑いし、忙しいしで、更新も鈍りがちの今日この頃です。

 どうでもいいんですが、このdoblogのコメントの「認証用文字」、なんか凄く読みにくいんですが.......
 そりゃぁまぁ、こうすることで下らないスパムコメントからガードされるのはいいんですが、これがまた結構凝ってて、結構わかんなかったり間違えたりするんですよね(苦笑)まぁ、便利なことには某か困ったことも付いて来るもの、ということでしょうか。

 そうそう、先月の半ば過ぎには、御陰様で9万アクセスを越えました。いちいち書いているのは、アクセス数記録の為ではあるのですが、毎度御贔屓にして頂きまして有り難う御座います(笑)まぁ、ぼちぼちでコメントなども付けて頂ければ幸いであります。

 さて。夏は音楽もさっぱりしたものを第二弾、といったところでしょうか。今日はハイドンの交響曲です。85番「王妃」から87番まで。演奏は、ロイ・グッドマン指揮のハノーヴァー・バンド。言わば、1980年代から始まったピリオド・ルネッサンスの第1世代といったあたりの団体による演奏、てな風に見ているのですが、どんなもんでしょう。録音は1993年。Hyperionの廉価盤シリーズ、heliosレーベルの1枚です。
 グッドマンはハープシコードを弾きながら指揮しています。手許にスコアがある訳ではないので、聞いた限りでですが、弦五部の低弦に合わせて演奏されているようです。ハイドンの時代、というよりバロック時代からの慣習でしょうが、楽長がハープシコード/チェンバロを弾きながら(バロック期なら通奏低音でしょうか)オーケストラを指揮するというスタイルですね。


 放言を承知で言えば、実は古典派の交響曲、つまりはモーツァルトやハイドンの交響曲を楽しめる理由の一つは、マンネリズムにあると密かに思っています。時々、モーツァルト等の古典派やバロックの作曲家やらを評して、「全部同じに聞こえる」なんて仰る方がおられます。あれって、ある面正しくてかつ間違ってると思います。
 基本4楽章構成で、速めのソナタ形式(時に序奏付き)・緩徐楽章・メヌエット楽章・アレグロが基本の最終楽章。どれもまぁ似たようなもの、と言えば言えなくも無いけれど、実際に聞いてみればそれぞれにやはり違いがあって、同じように括れても、それなりの個性がある。いや、個性というのとはちょっと違うかも知れません。単純に「違う」ということなのでしょう。それを退屈と思うのか、その似たような風景の中にそれぞれの景色の違いを見るのか、ということでしょう。
 山の中に行くと、似たような林が続いていたりします。それはそれで同じような景色で退屈かも知れないけれど、その延々と続く緑の風景を楽しむことも出来るし、一本一本の木の違い、光の射し具合の違い、それが生み出す微妙な差異を楽しむことも出来る。山に行くと、飽きても下りて来るまでは付き合わなきゃいけないけれど、音楽だったら終わればそれまで。CDだったら止めればおしまいなので、もっとお手軽ですね。
 退屈するのも分かるし、その退屈しそうな風景の連続を楽しむのもあり、そこに微細な異同を見て楽しむのもあり。

 自分はどうだと言われると、どれもありだったりします。同じように感じて飽きることもあるし、それをこそ楽しむこともあるし。このCDで言えば、今回は同じ形式でも、微妙に変わる風合いを楽しんでいるところです。さらっと、しつこくなく。夏向きの楽しみ方?でしょうか。


2008/07/29のBlog
L.Janacek : Taras Bulba / Suite "From the House of the Dead" / Blanik Ballade
 Janacek Philharmonic Orchestra
 Christian Arming (conduct)
 ARTE NOVA 74321 67524 2

 クリスティアン・アルミンク。御存知新日フィルの現音楽監督。未だ30代という若さもさりながら、日本では珍しく定期演奏会の半分を指揮する、「本物の音楽監督」です。そのお陰もあって、新日フィルの音が格段に良くなって来たのはいつも言うところなのですが。
 実はアルミンク、既にルツェルン歌劇場など、2線級での音楽監督なども幾つか歴任しているというある意味叩き上げタイプの指揮者なのであります。そのアルミンク、実はかつてチェコのヤナーチェク・フィルハーモニー管弦楽団というのを率いていたことがあります。この録音は、その頃のもの。1999年です。果たしてどういう企画で、何が目玉で録音されたのか、もう一つはっきりしない録音ではありますが(苦笑)ちなみにジャケットは、大写しの若き日のアルミンク。
 まぁ、ヤナーチェク・フィルによるヤナーチェク、という風に素直に受け取ればいいんでしょう。もっとも、こちらとしては、新日フィルで活躍中のアルミンクの昔を聞いてみよう、という興味がメインなのですが。

 曲目は、結構渋い選曲だと思います。1曲目の「タラス・ブーリバ」からして、ヤナーチェクとしては有名な方ですが、2曲目は組曲「死者の家から」。これは、ヤナーチェク最後の歌劇「死者の家から」(ドストエフスキー作の、労働流刑地での物語が原作)から組まれた管弦楽用の組曲。最後の「ブラニク(山)のバラード」も比較的晩年の作。正直、タラス・ブーリバだって、実際に聞く機会はあまりない。「死者の家から」も、歌劇は映像で見たことはあるけど、この組曲は初めてだし、最後のに至っては「これ、なんですか?」の世界。

 音楽的には、まぁ面白いと言えば面白い。後期ロマン派の香りを色濃く残すヤナーチェクの作品は、独特の野暮ったさが不思議と新鮮なアクセントになって、この時代の音楽としてはやや古臭いにも関わらず、飽きさせません。何度となく繰り返し聞きたいか、と言われると、ちょっと考えてしまいますが。「死者の家から」だって、歌劇の方がやっぱりドラマがある分面白いし。
 とか言い出すと、管弦楽を聞く理由がなくなってしまうのではありますが......
 まぁ、先にも書いた通り、あまり馴染みの無い曲ばかりなので、いいも悪いもないだろう、というところではあるのですが。

 そんなわけなので、「アルミンク、どうですか?」という興味については、なんとも言い様が無いな、という話に落ち着いてしまうのであります。いや、勿論演奏は悪くないと思いますよ。もたつくようなこともないし、はっきりとした音作り。こういう音楽にはあっていると思います。でも、まぁ、要は「そういう音楽だよね」ということですから、それ以上も以下も、評するだけのバックグラウンドが無いと言うか.......(苦笑) まぁ、それなりに楽しんで聞きましたので、そういうことでよろしいんではないかと。
 それにしても、ARTE NOVAは、色々隠し持ってて、今更ながら侮れないレーベルです。ハイ。


2008/07/26のBlog
W.A.モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K.331 <トルコ行進曲付> / 第13番 変ロ長調 K.333 / 第15番 ハ長調 K.545 / ロンド ニ長調 K.485
 フリードリッヒ・グルダ (piano)
 amadeo / ポリグラム PHCP-20328

 今日はグルダの演奏を久々に聞いています。amadeoレーベルに録音した、モーツァルトのピアノソナタ集。異色の演奏として名高い(?)演奏です。K.331、K.333、K.545の3曲、それにロンドK.485。グルダの演奏は、装飾音を多用したもの。音符が多いんですよね(笑)テンポ設定もダイナミズムに富んでいて、飽きさせません。

 モーツァルトのピアノソナタは、鑑賞用というより、ピアノ教師として教材用に書かれたものもあり、考えようによっては、わざわざ聞くほどのものでない、と言えなくもない。でも、実際弾かれれば面白いし、聞いてしまうのです。むしろ、時々聞きたくなることがあります。良くも悪くもシンプルで、聞いてあっさりさっぱり、でもよく出来ていて。そんなところが結構魅力だったりします。弾いて楽しむものでは?という話も分からなくはないのですが。

 とはいえ、やはりグルダのそれは一種独特。グルダのモーツァルトでは、最近、ドイツ・グラモフォンから、新たに発掘された録音テープ、という触れ込みでセットが出てますが、こちらの「正規録音」は言わば「完成品」でしょうか。どちらもそれぞれに面白いですが、今回は録音もちゃんとしている「正規版」を聞いてます。録音は、最初の2曲が1975年、後は1965年と1961年。でも、存外、録音年が違っても、演奏内容にそう差がある訳でも無いんですよね。

 例えばへブラーあたりのオーソドックスな演奏を聞き慣れた耳には、正直、グルダの演奏は結構引っ掛かりがあります。演奏自体はちゃんとしている、どころか、極めて流暢なんですが、さりげなく加えられる装飾音がアクセントになっている。勿論、そこが面白い訳ですが。
 なんとなく夏向きの音楽ですね。暑苦しくなく、さらりとして、でも流してしまうわけでもない面白さはある。てなとこでしょうか?


2008/07/21のBlog
MEDIEVAL ENGLISH MUSIC
 The Hilliard Ensemble
 Harmonia Mundi France HMA1901106

 また古楽です。好きだねぇ、我ながら....
 録音年月日をはっきり書いていないのですが、恐らく1983年頃だと思います。タイトルの通り、イングランドの14世紀から15世紀にかけての宗教曲を取り上げた録音です。ちなみに、一曲を除いては作者不明。
 14、5世紀のイングランドというのは、政治的には色々あった時代です。百年戦争と薔薇戦争の時期がすっぽり入ります。そういう意味では、非常に厳しい時代であったと思うけれど、同時に、社会的に豊穣な面もあった時代、というところでしょうか。そんな時期の音楽です。

 ポリフォニー、特にルネッサンス期やそれ以前の声楽曲は、宗教曲と世俗曲とを問わず、結構好きです。歌い方や旋法等も含めて、現代において普通に「クラシック音楽」とされるものの体系から外れている解放感みたいなものを感じます。まぁ、勝手にこちらが感じてるだけなので、それもどうなんだという話はあるけれど。
 ヒリアード・アンサンブルは、言うまでもなく古楽声楽曲の第一人者(?)の一つでしょう。カウンター・テナー1、テナー3、バス1という編成で歌っていますが、男ばかりで見事なハーモニーを奏でています。個人的なお気に入りは、このCDでは、12曲目の Tota pulca es amica mea。非常に綺麗なハーモニーです。世の中の合唱という合唱がこんだけ綺麗なハーモニーを作り出せるなら、どんなにか素晴らしいことか、なんてのはもうファンタジーの領域になってしまいますが(苦笑)、そんな風に思わせるくらい。

 うだうだと考えたりするのが嫌になるような暑さですが、そういう季節に妙に合います。いや、決して、聞いてると涼しくなってきたりする訳ではないんですよ。ただ、気分的に楽になって来る、とでも言うんでしょうかね、これは。リラックスする?いわゆるひとつの癒しの音楽?うわぁ、そんな言い方したくない。でも、そんな風に分類されてしまいかねないような感じです。そういや、こういうのって、グレゴリオ聖歌と似てるし、あれも元祖ヒーリング・ミュージックみたいに言われてたしなぁ。
 でも、グレゴリオ聖歌みたいな、ある種の肩の力の入り方、というのは無いし。そのへんが割合に聞きやすいものになっているのかも知れません。

 本当は、この辺の音楽について、もうちょっと体系的に調べたりすると面白いだろうな、とか思うんですけどね。でも、どうにも時間が......やれやれです。


2008/07/19のBlog
Who is afraid of 20th century music?
 Philharmonisches Staatsorchester Hamburg
 Ingo Metzmacher (conduct)
 Syrinx LC01039

 ええ、まぁ、正式なタイトルは上記の通りなんですね。「20世紀音楽を怖がる人って誰?」「怖がる人なんているの?」って訳す所でしょうか。でも、感覚的にはですね、やはりこう20世紀音楽を片手に掲げて「悪いごはいねがー!!」と迫って来る感じではないかいな、と、こう思う訳でして。

 ハンブルク州立管弦楽団、なのでしょうか。この楽団が中心に制作したCDのようです。全5枚組+ボーナスCD。1999年の大晦日、ミレニアム・ジルベスター・コンサートとして、この "Who is afraid of 20th century music?" と題したコンサートが行われたのを皮切りに、2003年まで続いたこのジルベスアー・コンサート・シリーズを記録したのがこのセットというわけです。
 ご存知の通り、1999年は決して20世紀最後の年ではなかったわけですが、まぁこれはこの際置くとして、ということでしょう。
 なまはげ いや違う指揮はインゴ・メッツマッハー。ここ数年、あまり活躍を聞かないのですが、この頃は新進気鋭の指揮者として出てましたっけ。最近はどこでやってるんだろう?

 さぁ、なまはげに追われて泣きながら聞いてみましょう。
 とはいえ、物凄い内容というわけではありません。存外すんなり聞きやすいと思います。まぁ、土台20世紀音楽、ですから、一番古い生まれはアナトール・リャードフの1855年。以下、ラヴェル、ストラヴィンスキー、オネゲル、ガーシュイン、ショスタコーヴィチ、といった面々が結構プログラムされてます。そう考えると至って聞きやすそう。
 ちなみに初年度、1999年のラインアップは、バーンスタイン、ヘンツェ、カーゲル(この人知らない)、アイヴズ、ストラヴィンスキー、ラヴェル、ワイル、プレート(この人も知らない)、ヒンデミット、ツィマーマン、ショスタコーヴィチ、ハチャトゥリアン、プロコフィエフ。こう並べてみると、確かに怖くはないですね(笑)ちなみにプログラムの最初はキャンディード序曲で掴んでおいて、最後はハチャトゥリアンの「剣の舞」。一曲一曲が、長くても10分ほどというのもいいのでしょうね。

 演奏もなかなかよいです。これだけのバリエーションをあれこれやっているのだから、良し悪しもあろうというものですが、全体にあまりくどくどしくないすっきりした演奏で、よくまとまってます。あの、「クラシック ホームコンサート」みたいなCD、ありますよね?あれの20世紀音楽版、と考えるといいかも知れません。

 なんだ、全然怖くないじゃん(笑)

 ちなみに、このCD、ライブ録音ということもあって、全ての曲の後に拍手が入ってます。これがまた面白いというか、味があるというか、微妙に変わるお客の反応がなんともです(笑)


2008/07/17のBlog
M.Mussorg