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他称若年寄の日々侘び寂び
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2008/07/23のBlog
しばらく更新に間が空いてしまいましたが、土日までにすべて片付けたいと思います。

巡行の2番目は孟宗山(もうそうやま)。
巡行の列は、このようにすべての山鉾が幟を先頭に歩いてきます。
雪の中から筍を掘り出すのが主題なので、このような涼やかな山になっています。
その次は油天神山(あぶらてんじんやま)です。

油小路通の天神様を勧請したので、油天神山。
でも、幟は撮り損ね・・・。
全景はこのような感じです。

鳥居が朱塗りで見事です。
このような、神社を模した山は他に2つあります。
アップの画像です。

金色に輝く社殿もまた素晴らしいです。
そして、生木の松に、紅梅の飾り。

後ほど出てくる霰天神山との比較で見るのも面白いと思います。
2008/07/22のBlog
山鉾巡行の先頭は長刀鉾(なぎなたぼこ)。

毎年「くじ取らず」として必ず先頭を行き、しめ縄切りを行うという大事な役目があります。

鉾の高さは25mほど、屋根まででも8mくらいあり、重さは11トンもあるど迫力です。

いきなり、圧倒されてしまいました。
生稚児が見えると思いますが、生稚児を乗せているのは今では長刀鉾のみです。

胴懸、前懸なども、昼であれば豪華さが一目瞭然ですね。
さて、山鉾巡行の一つの見せ場が辻まわし。
山や鉾でそれぞれ回し方があるのですが、鉾の辻まわしは豪快なもの。

車輪の下に割り竹などを敷き、水をかけて車輪を滑らすことで方向を変える・・・というものです。

1回では回り切らず、今回は少なくとも3回、多い鉾では5回も回していました(微調整が難しいので、なかなか最後まで一気に回すというのはできないようです)。

こうして回った鉾は、河原町通を北上していくのでした。
さて、翌日。
朝6時台には起きて、7時過ぎに出発。
京都駅に7時半前には着き、ロッカーに荷物を放り込んで、8時よりも前には四条河原町の交差点に着いてました。
ということで、西南の角に場所取り・・・。

8時50分頃(巡行が来る約1時間前)に、信号などの作業が始まりました。
こんな風に、本来なら通りに向かって正面を向いているはずの地名板がそっぽを向いています。
街灯もそうですが、回転できるようになっているようです。
9時半前くらいにはこのような人だかり。
巡行が来るまであとしばらく・・・なのですが、この時点では河原町通の車の往来は、完全には止まってませんでした。
9時半が過ぎて完全に通行止めになったところで、信号作業。
といっても、回転式の信号を山鉾の邪魔にならないように隠してしまうだけですが。

1枚目の写真と、どこが違うか見比べてみてください。
すぐに山鉾連合会の幟が到着して、いよいよ山鉾巡行の開始です。
2008/07/21のBlog
延々と続いてきた宵山の記事もこちらで打ち止めです。


こちらは占出山(うらでやま)。
提灯の風情とも、もう少しでお別れです。
当然のことながら、神功皇后の占いに縁った御神体は乗っていませんでした。
すべては明日、ということなのでしょう。
そして最後が、霰天神山(あられてんじんやま)。

傘をかざした提灯が目に付きます。
提灯に照らされた胴懸、見送などはさらに絢爛な雰囲気を醸してくれます。
そして、名残惜しくも祭りに別れを告げ、宿へと向かったのでした・・・。


本来であれば、「あばれ観音」などまだまだ見るところがあるのですけれども、さすがに宿が瀬田でチェックインもしていないのでは、難しいところでした・・・。
今度は、京都市中に宿をきちんと取って、腰を据えて見てみたいものです。
南観音山から蛸薬師通を東に折れて歩くと、橋弁慶山(はしべんけいやま)です。

やはり、橋弁慶山といえば・・・
御神体。
室町時代の銘がある人形は、必見だと思います。

巡行のときはさらに素晴らしいのですが、こうやって飾られているのを見るのもまた別の素晴らしさがあります。
橋弁慶山から烏丸通に出て南に行くと孟宗山(もうそうやま)です。

もう既に、明日の準備と思しき作業に入っていました。
帰りがけにもう一度山の前を通ったのですが、既にカバーがかけられて、いよいよ明日・・・といた感じになっていました。
長刀鉾から四条通を西進して、今度は新町通の一方通行区間を北上。
まずは放下鉾(ほうかぼこ)です。

鉾の名の由来となった「放下僧」はいわば芸人のようなものだそうです。
そこからしばらく北へ行くと、南観音山(みなみかんのんやま)。

巡行の際には必ず最後を飾る曳山です。
上には当然の如く人が乗ってましたが、日和神楽に出ていたようであまりいないように思われました。
と、そこへ日和神楽から戻ってきた山車が収まっていました。
小生が後ろからきて、追いついたような形だったようです。

それにしても興味深いですね。
こちらが函谷鉾(かんこぼこ)です。

当然、「鉾」なので大きく提灯を照らしてると思いきや・・・
明日の準備のためか、はたまた停電なのか、明かりをつけていませんでした。
こちらだけだったんですけれども、何かあったんでしょうか・・・。
長刀鉾(なぎなたぼこ)です。

名前の由来となった長刀が、上方にうっすらと見えています。
お囃子も賑々しく行われていて、祭りの雰囲気満点でした。
32基あった山鉾の中でも、やはり最も印象的だったものの一つです。
人が集まってくるのも致し方なし、といったところでしょうか。
四条傘鉾から四条通を東に進み、宵山見物もいよいよ終盤戦が見えてきました。

こちらは郭巨山(かっきょやま)。
暗い中にも、山の特徴の一つである屋根はうっすらと見えています。
この山らしい特徴は他にもあるようですが、さすがに宵山では全貌が明らかにはなってくれないようです。
続いて、月鉾(つきぼこ)。

独特の「月」という文字が大変印象的です。
屋根の上にさらに覆いをかけているようですね。
そして、月鉾の日和神楽。

たまたま移動する方向が一緒だったために、長刀鉾の前まで延々と月鉾の日和神楽にお付き合いすることになりました。
こちらが蟷螂山(とうろうやま)。読んで字の如く、別名・かまきり山です。







蟷螂は・・・撮影に失敗しました(苦笑)。
四条傘鉾(しじょうかさぼこ)です。

こちらも復興は平成になる直前と新しいのですが、傘鉾は踊りがあるせいか、途絶えやすかったようですね。
暗いところでも分かるくらいに見事な傘です。
こちらが浄妙山(じょうみょうやま)です。


その昔、古文で勉強した平家物語の一説「悪しゅう候、浄妙坊」という言葉を思い起こさせる山なのですが、まだこの時点ではその面影はありません。
こちらは八幡山(はちまんやま)。

御神体の八幡宮は通常は蔵で保管されているので、見ることができるのは巡行の日だけだそうです。
見送などもなかなか見事です。
続いて北観音山(きたかんのんやま)です。

華麗な絨毯がうっすらと見えていますが、宵山の時点ではこの山の華麗さはなかなか写真では伝わりにくいところです。
お囃子が聞こえ、いかにも宵山という風情を楽しませてもらいました。
続いて、鯉山(こいやま)です。
フランス国旗が掲げられて、妙にインターナショナルな空間です。


ただ、山自体はそう飛び抜けてインターナショナルなものでもありませんでした。

提灯の並べ方は独特でしたねぇ。
お次は黒主山(くろぬしやま)。

「黒主」とは謡曲「志賀」にちなんだ大伴黒主(大友黒主・六歌仙の一人)から採っているとか。難しい、難しすぎます・・・。
こちらは役行者山(えんのぎょうじゃやま)です。

役行者は皆さんご存知の呪術者にして伝説の人物。
御神体も、役行者の架橋伝説に因んでいるそうです。
そして、鈴鹿山(すずかやま)。

烏丸通の一番北にある山で、人が少ないかと思いきや、さすがに表通りは人が多くて移動に難儀しました。
ということで、続き。

鶏鉾からそのまま室町通を北上して四条通を突っ切り、雑踏の一方通行制限区間へ。
早速、菊水鉾(きくすいぼこ)が登場しました。

上のほうに見える「菊水」の字が見下ろすような感じを受けます。

雑踏の中では写真もろくすっぽ撮れずじまいでしたが、こんな感じで上に上がってお囃子を奏でてました。
その北にあるのが山伏山(やまぶしやま)。

御神体が山伏の姿をしていることから、この名前がついているとか。
こちらがその御神体。
パンフレットによれば、聖護院(京都市中でも殊に修験道が盛んなところですね)から参拝を受けているとか。

山伏といえば神仏習合の象徴みたいなものですが、祇園祭にもそのような習慣が残っているのが興味深いところです。
2008/07/20のBlog
白楽天山からちょっと北へ行き、西へ折れると綾傘鉾(あやがさぼこ)。

傘鉾は応仁の乱より前のスタイルを受け継ぐものですが、巡行に復帰したのは昭和の後半になってからとのことです。
明かりの中で浮かび上がる傘は、独特の風情がありますね。