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2008/06/24のBlog
[ 00:00 ]
[ 私とパソコン ]
昨日は朝から肌寒い日でした。
雨が止んだり降ったりと落ち着かないお天気で
遣らなければいけないことが山ほど有るのに。
一日何となく落ち着かなくて雨が止んで草を
毟り始めるとポツポツと降って来て・・・
汚れた手を洗ってヤレヤレと家にはいると雨は上がり
梅雨特有のお天気でした。
青紫蘇も芽吹かず昨年お嫁に出した子の赤ちゃんを頂いて
移植致しました。
梅雨が明けて暑い日が続きますと青紫蘇は必需品ですから
頑張って根付いて欲しい物です。
syasinyaさんに頂いたフウセンカズラが大きく元気に育っております。
添え木をして蔓が出ても大丈夫なように致しました。
ハート型のお顔の種が採れますように。
それにしても肌寒い日が続いております。
夏野菜が驚く高さで娘と朝市に行って来ます~~
*撒きし種送り主似の忠実さ蒔いた数だけ元気に育つ
雨が止んだり降ったりと落ち着かないお天気で
遣らなければいけないことが山ほど有るのに。
一日何となく落ち着かなくて雨が止んで草を
毟り始めるとポツポツと降って来て・・・
汚れた手を洗ってヤレヤレと家にはいると雨は上がり
梅雨特有のお天気でした。
青紫蘇も芽吹かず昨年お嫁に出した子の赤ちゃんを頂いて
移植致しました。
梅雨が明けて暑い日が続きますと青紫蘇は必需品ですから
頑張って根付いて欲しい物です。
syasinyaさんに頂いたフウセンカズラが大きく元気に育っております。
添え木をして蔓が出ても大丈夫なように致しました。
ハート型のお顔の種が採れますように。
それにしても肌寒い日が続いております。
夏野菜が驚く高さで娘と朝市に行って来ます~~
*撒きし種送り主似の忠実さ蒔いた数だけ元気に育つ
2008/06/23のBlog
[ 09:55 ]
[ 故郷 ]
戦後は食糧事情が悪く白米だけのご飯は
農家でも頂けませんでした。
日常は5:5の割合で押し麦が這入ったご
飯を頂いておりました。
今はこの反対で麦の入ったご飯を頂くことが
ご馳走になっております。
世の中の変化が想像以上に面白い現象が起きております。
気をつけないと脚気になるかも知れません。
押し麦は「大麦」から出来ております・身近な加工品では「麦茶」です。
大麦は穂先が短く矢羽根のような実の付き方で野毛が太く硬い物です。
幹は小麦より太く節の間隔が短く「麦藁細工」には向いておりません。
小麦より早く収穫が出来て備蓄米が心細くなって来た農家は大麦に
助けられて小麦の刈り取りまで麦ご飯が続いた時代が有りました。
今はその様な事はなさそうですが・・・
農家でも頂けませんでした。
日常は5:5の割合で押し麦が這入ったご
飯を頂いておりました。
今はこの反対で麦の入ったご飯を頂くことが
ご馳走になっております。
世の中の変化が想像以上に面白い現象が起きております。
気をつけないと脚気になるかも知れません。
押し麦は「大麦」から出来ております・身近な加工品では「麦茶」です。
大麦は穂先が短く矢羽根のような実の付き方で野毛が太く硬い物です。
幹は小麦より太く節の間隔が短く「麦藁細工」には向いておりません。
小麦より早く収穫が出来て備蓄米が心細くなって来た農家は大麦に
助けられて小麦の刈り取りまで麦ご飯が続いた時代が有りました。
今はその様な事はなさそうですが・・・
上から踏みつぶした様な形の穂先が特徴で
小麦粉になるのが「小麦」です。
脱穀した後に数日天日で乾燥させて臼で挽いた
物が「地粉」です。
おうどんや色々な加工品に使われておりますが
「地粉」は産地に行かないと手に這入り憎いようです。
野毛は長く細く茎も細く藁細工に向いております。
蛍籠やお人形さんの頭を作って遊びました。
収穫前に颱風が来ると茎が細いために倒れやすく耕作面積が
広いので農家は大きな痛手を被ります。
上州は小麦の作付け面積が多いところで夏場のご馳走は新粉で
打ったおうどんがお客様へのご馳走で年頃になりますと親が口
喧しくおうどんの打ち方を娘達に教え込むのでした。
お陰で私はおうどんが打てます^^
*踏み茣蓙の足に伝わる手加減が身に付く頃は花嫁御寮
小麦粉になるのが「小麦」です。
脱穀した後に数日天日で乾燥させて臼で挽いた
物が「地粉」です。
おうどんや色々な加工品に使われておりますが
「地粉」は産地に行かないと手に這入り憎いようです。
野毛は長く細く茎も細く藁細工に向いております。
蛍籠やお人形さんの頭を作って遊びました。
収穫前に颱風が来ると茎が細いために倒れやすく耕作面積が
広いので農家は大きな痛手を被ります。
上州は小麦の作付け面積が多いところで夏場のご馳走は新粉で
打ったおうどんがお客様へのご馳走で年頃になりますと親が口
喧しくおうどんの打ち方を娘達に教え込むのでした。
お陰で私はおうどんが打てます^^
*踏み茣蓙の足に伝わる手加減が身に付く頃は花嫁御寮
[ 00:23 ]
[ 高尾の自然 ]
2008/06/22のBlog
[ 23:38 ]
[ 高尾の自然 ]
6月は悲しい出来事で明けてもう少しで
月を閉じようとしているが。
身近な人の旅立ち・知人の友人の若すぎる死と。
秋葉原の悲しい事件・宮城内陸地震・・・
小仏の清流の蛍の光が亡き人達の涙のように
溢れて飛んでいる。
月を閉じようとしているが。
身近な人の旅立ち・知人の友人の若すぎる死と。
秋葉原の悲しい事件・宮城内陸地震・・・
小仏の清流の蛍の光が亡き人達の涙のように
溢れて飛んでいる。
[ 11:39 ]
[ 秋葉原の電気街で過ごした青春 ]
少しずつ戦争の傷跡が消えて生活が安定し
家電製品が身近なものとなり始めた時代。
秋葉原の電気街は熱く燃えていた良き時代
だったと思う。
TVは試験放送が始まったばかりでブラウン管
だけが裸で画像を映し出していた時代だった。
プロレスばかりの放送に黒山の人だかりがして道が狭くなって
困ったのは働いている人達で。
あの混雑の中を伝票を持って用事が足せてお客様に満足して
頂いて始めて一人前と認められた時代だった。
広小路から日本橋・銀座へと都電が走り万世橋の交差点には
交番が有って顔なじみのお巡りさんもいて平和な商店街の集まり
で活気に満ちていた。
大型店と特殊なお店が協力して電機業界を支えていたように思う。
お客さんも従業員も一体で一つの物を開発する為に働いていたような
気がする。
秋葉原の駅前は日曜日になると人で歩く事も出来ない賑やかさだった。
少しでも安く良い物を手作りでの思いのお客様のお手伝いをして完成
する楽しみを共有して働いていた。
あの事件をTVで見て悲しくて・あの良き時代は何処に消えていったの
だろうか。
物が溢れ欲望ばかりが膨らみ自制心が薄れて終ったのだろうか。
TVの画面を見ると平気で携帯で写した惨事を放映していたのには
腹が立った。
あの頃を知る人が少なくなって来た今また良き時代の秋葉原の
電気街を思い出して見たいと思う。
家電製品が身近なものとなり始めた時代。
秋葉原の電気街は熱く燃えていた良き時代
だったと思う。
TVは試験放送が始まったばかりでブラウン管
だけが裸で画像を映し出していた時代だった。
プロレスばかりの放送に黒山の人だかりがして道が狭くなって
困ったのは働いている人達で。
あの混雑の中を伝票を持って用事が足せてお客様に満足して
頂いて始めて一人前と認められた時代だった。
広小路から日本橋・銀座へと都電が走り万世橋の交差点には
交番が有って顔なじみのお巡りさんもいて平和な商店街の集まり
で活気に満ちていた。
大型店と特殊なお店が協力して電機業界を支えていたように思う。
お客さんも従業員も一体で一つの物を開発する為に働いていたような
気がする。
秋葉原の駅前は日曜日になると人で歩く事も出来ない賑やかさだった。
少しでも安く良い物を手作りでの思いのお客様のお手伝いをして完成
する楽しみを共有して働いていた。
あの事件をTVで見て悲しくて・あの良き時代は何処に消えていったの
だろうか。
物が溢れ欲望ばかりが膨らみ自制心が薄れて終ったのだろうか。
TVの画面を見ると平気で携帯で写した惨事を放映していたのには
腹が立った。
あの頃を知る人が少なくなって来た今また良き時代の秋葉原の
電気街を思い出して見たいと思う。
2008/06/21のBlog
[ 00:15 ]
[ つぶやき・・ ]
[ 00:10 ]
[ 故郷 ]
どんなに農作業が忙しくても食事の仕度は
やらないわけにはいかない。
重労働の日が続く農繁期は健康が第一で
その責任は主婦が担っていた。
今のように車もなく冷蔵庫もない時代でしたから台所を預かる
主婦は苦労が絶えなかったと思う。
年頃になり義姉の働き方を見ていて動きに無駄がない事に
感心した。
家の廻りは野菜畑ではあるが帰り道に野菜を収穫し川端で洗って
鍋に仕掛けるとその手で糠味噌を出し母が作って置いたおかずで
お膳が揃う。
母は母で苗採り仕事で忙しい筈だが今でも謎が解けないでいる。
田植えだけしている方が楽だったと思う。
一人前の仕事をこなしほんの半時ほど早く田圃を上がりお膳を揃えて
又みんなと一緒に田圃に出るのは大変なことだったと思う。
一口に「農家の嫁は10人のお給仕をして一番早く飯を終わる」と言われても・
無理な話が通った時代なのだろうか。
兄嫁には何時もよく手伝ってくれて嬉しいと言われていた私だが・・・
田植えが終わり「おさなぶり」のお祝いが済むとお嫁さんには嬉しい
里帰りが待っている。
お魚屋さんの小父さんは書き入れ時で適当にお魚や佃煮を
台所に置いていっていたようだ。
何とも長閑な良き時代だったと思う。
*おさなぶり浴衣姿のお嫁さん荷台の上の佳い日寄り道
やらないわけにはいかない。
重労働の日が続く農繁期は健康が第一で
その責任は主婦が担っていた。
今のように車もなく冷蔵庫もない時代でしたから台所を預かる
主婦は苦労が絶えなかったと思う。
年頃になり義姉の働き方を見ていて動きに無駄がない事に
感心した。
家の廻りは野菜畑ではあるが帰り道に野菜を収穫し川端で洗って
鍋に仕掛けるとその手で糠味噌を出し母が作って置いたおかずで
お膳が揃う。
母は母で苗採り仕事で忙しい筈だが今でも謎が解けないでいる。
田植えだけしている方が楽だったと思う。
一人前の仕事をこなしほんの半時ほど早く田圃を上がりお膳を揃えて
又みんなと一緒に田圃に出るのは大変なことだったと思う。
一口に「農家の嫁は10人のお給仕をして一番早く飯を終わる」と言われても・
無理な話が通った時代なのだろうか。
兄嫁には何時もよく手伝ってくれて嬉しいと言われていた私だが・・・
田植えが終わり「おさなぶり」のお祝いが済むとお嫁さんには嬉しい
里帰りが待っている。
お魚屋さんの小父さんは書き入れ時で適当にお魚や佃煮を
台所に置いていっていたようだ。
何とも長閑な良き時代だったと思う。
*おさなぶり浴衣姿のお嫁さん荷台の上の佳い日寄り道
2008/06/20のBlog
[ 22:30 ]
[ 朝顔日記 ]
