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2008/06/02のBlog
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[ 掲示板 ]
2008/05/30のBlog
[ 09:11 ]
[ 創作 ]
板張りの床がぎしぎしと音を立てて泣いているように
きしむ中でオルガンを弾く手を休めて隣の部屋で床
に伏している母の様子を探るように伺っている。
学校から帰ってオルガンに向かうとき日曜日が無い
世界に生きたたいと何時も思う。
なぜ自分がこの家に生まれたのかわたしが望んだ
わけでもないのに・・・
母が倒れてからいつの間にか自分に廻ってきた奏楽の奉仕を時々
恨めしく感じる時がある。
ひと通りの稽古を済ませると母の部屋の扉を開けてみる。
床の中から優しい眼差しで母が微かに微笑んだような気がして膝から
滑るように座り込むと母の額に手を当ててみる。
熱がないのでホットする。
薄く眼をあけた母が。
「ごくろうさま・・・とても上手に成ったのね」と冷たい手を膝に置いて言った。
「そうかしら・日曜日までには弾けるようにしておきます」
後二日もあるしもう充分に弾きこんでいるから自信はあるのだが。
「あなたも大変ね・・・オルガンを聞きながら少し眠ったようね」
昼間は園児のざわめきで眠られない母を気遣って出来るだけ静かに
間違わないように注意して稽古をしていてもオルガンのペタルを
踏むたびにシーンとっした部屋に響くぎしぎしと鳴る床が気になって
仕方がないのだった。
「それで熱が出なかったのかしら・わたしご飯の支度してきます」
台所に立つと手際よく夕食の支度はあっと言う間に出来上がりヤット
出来た一人の時間を楽しもうとしているときに。
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きしむ中でオルガンを弾く手を休めて隣の部屋で床
に伏している母の様子を探るように伺っている。
学校から帰ってオルガンに向かうとき日曜日が無い
世界に生きたたいと何時も思う。
なぜ自分がこの家に生まれたのかわたしが望んだ
わけでもないのに・・・
母が倒れてからいつの間にか自分に廻ってきた奏楽の奉仕を時々
恨めしく感じる時がある。
ひと通りの稽古を済ませると母の部屋の扉を開けてみる。
床の中から優しい眼差しで母が微かに微笑んだような気がして膝から
滑るように座り込むと母の額に手を当ててみる。
熱がないのでホットする。
薄く眼をあけた母が。
「ごくろうさま・・・とても上手に成ったのね」と冷たい手を膝に置いて言った。
「そうかしら・日曜日までには弾けるようにしておきます」
後二日もあるしもう充分に弾きこんでいるから自信はあるのだが。
「あなたも大変ね・・・オルガンを聞きながら少し眠ったようね」
昼間は園児のざわめきで眠られない母を気遣って出来るだけ静かに
間違わないように注意して稽古をしていてもオルガンのペタルを
踏むたびにシーンとっした部屋に響くぎしぎしと鳴る床が気になって
仕方がないのだった。
「それで熱が出なかったのかしら・わたしご飯の支度してきます」
台所に立つと手際よく夕食の支度はあっと言う間に出来上がりヤット
出来た一人の時間を楽しもうとしているときに。
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一台の米軍のトラックが門前に止まる。
駆けだしていくと沢山の材木と数人の米兵が
おりてきた。
近くの米軍の基地で働いている彼が廃材となった
材木を持ってきてくれたのだった。
戦後の物資のない時だから家の修理やらお風呂炊きやら何にでも使える
廃材は有り難い物だった。
手際よく綺麗にいつもの物置にキチンと終ってその人は帰っていった。
父の葬儀の日にその彼が元市長として父のために弔辞を読むなんて
あの時誰が想像しただろうか。
あの時の辛かった日々が走馬燈のように頭の中を駆けめぐり過ぎて行った。
敗戦から立ち直り母が他界して今年で何年が経つのだろうかと会堂に
溢れんばかりの会葬者の人に感謝しながら親族としての挨拶に追われていた。
ふと眼が吸い寄せられるように一人の人に留まる。
長い年月を経て互いに年を重ね道ですれ違っても解らないかも知れないが
今日この場所で神が引き合わせると言うのならあの人かも知れない。
白い花を手にして静かに献花を済ませると遺影に頭を垂れてその人は
親族の席に近づいてきた。
あの日私が時間に遅れなければ・・・との思いが胸を掻きむしるように
思い出されて眼から自然に涙が流れてくるのをそのままに眼と眼だけの
挨拶で時は流れていった。
あの日父が30分遅れないで母を見舞っていてくれていたら、
遅れることはなかったのにと静かに流れる奏楽のなかで亡き父に
語りかけている自分がいた。
駆けだしていくと沢山の材木と数人の米兵が
おりてきた。
近くの米軍の基地で働いている彼が廃材となった
材木を持ってきてくれたのだった。
戦後の物資のない時だから家の修理やらお風呂炊きやら何にでも使える
廃材は有り難い物だった。
手際よく綺麗にいつもの物置にキチンと終ってその人は帰っていった。
父の葬儀の日にその彼が元市長として父のために弔辞を読むなんて
あの時誰が想像しただろうか。
あの時の辛かった日々が走馬燈のように頭の中を駆けめぐり過ぎて行った。
敗戦から立ち直り母が他界して今年で何年が経つのだろうかと会堂に
溢れんばかりの会葬者の人に感謝しながら親族としての挨拶に追われていた。
ふと眼が吸い寄せられるように一人の人に留まる。
長い年月を経て互いに年を重ね道ですれ違っても解らないかも知れないが
今日この場所で神が引き合わせると言うのならあの人かも知れない。
白い花を手にして静かに献花を済ませると遺影に頭を垂れてその人は
親族の席に近づいてきた。
あの日私が時間に遅れなければ・・・との思いが胸を掻きむしるように
思い出されて眼から自然に涙が流れてくるのをそのままに眼と眼だけの
挨拶で時は流れていった。
あの日父が30分遅れないで母を見舞っていてくれていたら、
遅れることはなかったのにと静かに流れる奏楽のなかで亡き父に
語りかけている自分がいた。
2008/05/29のBlog
[ 05:01 ]
[ 花影 ]
おはようございます。
お義父さんが早朝4時22分旅立って逝かれました。
誰も間に合わずお一人での旅立ちだったご様子です。
長い事娘を暖かく見守って励まして下さった皆様に
娘に成り代わりまして御礼申し上げます。
旅路が安らかで有りますように…
お義父さんが早朝4時22分旅立って逝かれました。
誰も間に合わずお一人での旅立ちだったご様子です。
長い事娘を暖かく見守って励まして下さった皆様に
娘に成り代わりまして御礼申し上げます。
旅路が安らかで有りますように…
2008/05/28のBlog
[ 22:37 ]
[ 私とパソコン ]
「気違い部落」を書いた(きだ みのる)が
近くに住んで居たなんて。
「気違い部落」はもしかするとこの辺りが
モデルのようです。
近い内に戦時中に疎開をしていたお寺に
行って参ります。
今は住職も居ない荒れ寺のようですが・・・
何となく読んでみたくなって「本」を探している内に
「下恩方」に住んでいたことを探し当てました。
新しい興味がストレス解消には一番です^^
近くに住んで居たなんて。
「気違い部落」はもしかするとこの辺りが
モデルのようです。
近い内に戦時中に疎開をしていたお寺に
行って参ります。
今は住職も居ない荒れ寺のようですが・・・
何となく読んでみたくなって「本」を探している内に
「下恩方」に住んでいたことを探し当てました。
新しい興味がストレス解消には一番です^^
[ 21:59 ]
[ つぶやき・・ ]
[ 05:54 ]
[ つぶやき・・ ]
電話の向こうの顔が目に浮かぶような声で・・・
「わたしが二時間かけてお父さんの洗濯物を
取りに行っている間には」
「車で5分なのだから貴女が行ったら良いでしょう」
「洗濯物はその方が早く乾くわよ<<」
両親が同時に病み形振り構わず忙しくしている嫁に対して
なんと言う心ない言い方だろうと娘の話を聞いていて腹が
立ってきた。
ここに来て病人の状態が思わしくなく娘も疲れ切っていて
身の置き所が無いようだ。
見かねて娘の連れ合いが無駄を承知で妹に電話をした、その返事が
この有様では・・・親が何時どうなるか判らない時に言う言葉だろうか。
朝早くに来た娘は泣きながら「義父さんが可哀想」と言う。
精神的に相当参っているようで午前中は目が離せなく勤めに出すまで
一緒に過ごしたのだが。
話しの様子では妹の旦那から夜電話が有り「嫁に出した娘が何故病人の
様子を見に行かなければいけないのですか」・・・
流石のパパも之には切れたらしいが。
コ・ド・モより始末が悪い五十を過ぎた人。
こうなると腹も立たない。
此処まで頑張ったのだから一緒に頑張ろうと今日も二人して病院に
行って来た。
日を追って容態は悪化している。
苦しそうな姿を見ていると医療の進歩が恨めしくなるが人は「病気では
死なない」経験をしているだけに可哀想になって来る。
寿命のある内は頑張るしかないのだから。
「わたしが二時間かけてお父さんの洗濯物を
取りに行っている間には」
「車で5分なのだから貴女が行ったら良いでしょう」
「洗濯物はその方が早く乾くわよ<<」
両親が同時に病み形振り構わず忙しくしている嫁に対して
なんと言う心ない言い方だろうと娘の話を聞いていて腹が
立ってきた。
ここに来て病人の状態が思わしくなく娘も疲れ切っていて
身の置き所が無いようだ。
見かねて娘の連れ合いが無駄を承知で妹に電話をした、その返事が
この有様では・・・親が何時どうなるか判らない時に言う言葉だろうか。
朝早くに来た娘は泣きながら「義父さんが可哀想」と言う。
精神的に相当参っているようで午前中は目が離せなく勤めに出すまで
一緒に過ごしたのだが。
話しの様子では妹の旦那から夜電話が有り「嫁に出した娘が何故病人の
様子を見に行かなければいけないのですか」・・・
流石のパパも之には切れたらしいが。
コ・ド・モより始末が悪い五十を過ぎた人。
こうなると腹も立たない。
此処まで頑張ったのだから一緒に頑張ろうと今日も二人して病院に
行って来た。
日を追って容態は悪化している。
苦しそうな姿を見ていると医療の進歩が恨めしくなるが人は「病気では
死なない」経験をしているだけに可哀想になって来る。
寿命のある内は頑張るしかないのだから。
