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2008/06/24のBlog
[ 20:37 ]
2005/12/26のBlog
[ 03:19 ]
[ 気仙大工 ]
25日に書いたブログの訂正
ヤフーの「地震情報」URLを書き込みましたが、50件以内は
アクセスできますが、50件に入らないものはアクセスできないので
申し訳ありませんが、URLを削除しましたのでご了承ください。
尚、他の地震情報のURLにがございますのでそちらをご覧ください。
http://www.wis-x.co.jp/members0/jishin/jishin.html
長い間アクセスいただきありがとうございました。
ヤフーの「地震情報」URLを書き込みましたが、50件以内は
アクセスできますが、50件に入らないものはアクセスできないので
申し訳ありませんが、URLを削除しましたのでご了承ください。
尚、他の地震情報のURLにがございますのでそちらをご覧ください。
http://www.wis-x.co.jp/members0/jishin/jishin.html
長い間アクセスいただきありがとうございました。
2005/12/25のBlog
[ 06:00 ]
[ 気仙大工 ]
17日土曜日の明け方(03:32)、地鳴りと共に、震度4の地震、まだ寝床の中なので寝ている時の震動と、立っている時では身体に受ける全然違うのです。今月になって頻繁に発生する地震、身体に感ずるだけでも数が多いと思い、今月のデータを見て見ました。
・2005年12月1日 19時31分ごろ 岩手県沖 震度 1 深さ70km マグニチュード4.0
・2005年12月2日 22時13分ごろ 宮城県沖 震度 3 深さ40km マグニチュード6.4
・2005年12月5日 3時3分ごろ 岩手県沖 震度 2 深さ20km マグニチュード5.0
・2005年12月5日 7時20分ごろ 宮城県沖 震度 2 深さ20km マグニチュード5.5
・2005年12月7日 9時11分ごろ 宮城県沖 震度 深さ40km マグニチュード4.1
・2005年12月7日 13時18分ごろ 三陸沖 震度 深さ10km マグニチュード4.8
・2005年12月8日 10時2分ごろ 宮城県北部 震度 深さ10km マグニチュード3.1
・2005年12月8日 13時5分ごろ 宮城県沖 震度 2 深さ 70kmマグニチュード 4.8
・2005年12月16日 2時9分ごろ 宮城県北部 震度 深さ 10km マグニチュード 2.5
http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/2005-12-16-02-09.html?c=2
・2005年12月17日 3時32分ごろ 宮城県沖 震度 4 深さ 50km マグニチュード 6.2
http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/2005-12-17-03-32.html?c=2
・2005年12月17日 23時9分ごろ 宮城県北部 震度1 深さ 80km マグニチュード 4.0
http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/2005-12-17-23-09.html
・2005年12月1日 19時31分ごろ 岩手県沖 震度 1 深さ70km マグニチュード4.0
・2005年12月2日 22時13分ごろ 宮城県沖 震度 3 深さ40km マグニチュード6.4
・2005年12月5日 3時3分ごろ 岩手県沖 震度 2 深さ20km マグニチュード5.0
・2005年12月5日 7時20分ごろ 宮城県沖 震度 2 深さ20km マグニチュード5.5
・2005年12月7日 9時11分ごろ 宮城県沖 震度 深さ40km マグニチュード4.1
・2005年12月7日 13時18分ごろ 三陸沖 震度 深さ10km マグニチュード4.8
・2005年12月8日 10時2分ごろ 宮城県北部 震度 深さ10km マグニチュード3.1
・2005年12月8日 13時5分ごろ 宮城県沖 震度 2 深さ 70kmマグニチュード 4.8
・2005年12月16日 2時9分ごろ 宮城県北部 震度 深さ 10km マグニチュード 2.5
http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/2005-12-16-02-09.html?c=2
・2005年12月17日 3時32分ごろ 宮城県沖 震度 4 深さ 50km マグニチュード 6.2
http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/2005-12-17-03-32.html?c=2
・2005年12月17日 23時9分ごろ 宮城県北部 震度1 深さ 80km マグニチュード 4.0
http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/earthquake/2005-12-17-23-09.html
周辺だけでも、11回も発生しており、餓鬼のころ囲炉裏の火で、暖を取っている時に地震が来て、祖父の言ったことを記憶、地震による天気占いを語ったのを覚えています。
今、思い出しと確かなことはいいませんが、その時々の地震で、雨が近いとか、日照になるとかを語ったことを思い出しました。現代科学の研究者は、自身が納得しないと否定することが多くあり、「天地」は一体で物事を考えないといけないのではないかと思う。昔の人の長い体験が口伝として、色々と伝わって来た。我々の時代は情報科学が万能になり、身近なことを全部捨てたのではないでしょうか。
大きな地震がくる前に多くの動物は事前に察して防御に入り、わが身の安全を備えるのに、経済成長と言う「魔物」社会に、生活している現代人は自然界に生きていることを忘れている。我々はもう一度振り返り、国とか行政の責任に転化するべきではなく、自らの「命」は自ら守らなければと思う。
今、思い出しと確かなことはいいませんが、その時々の地震で、雨が近いとか、日照になるとかを語ったことを思い出しました。現代科学の研究者は、自身が納得しないと否定することが多くあり、「天地」は一体で物事を考えないといけないのではないかと思う。昔の人の長い体験が口伝として、色々と伝わって来た。我々の時代は情報科学が万能になり、身近なことを全部捨てたのではないでしょうか。
大きな地震がくる前に多くの動物は事前に察して防御に入り、わが身の安全を備えるのに、経済成長と言う「魔物」社会に、生活している現代人は自然界に生きていることを忘れている。我々はもう一度振り返り、国とか行政の責任に転化するべきではなく、自らの「命」は自ら守らなければと思う。
本題の三陸南地震を検証して、最初にブログ掲載した。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/30645?YEAR=2005&MONTH=8&DAY=31
270年前に建立の「石の鳥居」から学んだことは、270年の間に多くの「地震」にあっても何の変化もなく、建っていた事に大きな驚きを感じました。現代の我々、ものつくりが果たしてこれだけのことを今後できるだろうか。
270年前というと、1735年ごろだと推測します。
当時からの「地震史」
http://www4.cds.ne.jp/~rbaba/eq/shi.html
を見ると、大規模地震に一度や2度とは訊けないくらい遭遇しており、年代を辿りましと、その翌年からの大きな地震を見ると
この付近だけの大地震で、下記のように発生していた。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/30645?YEAR=2005&MONTH=8&DAY=31
270年前に建立の「石の鳥居」から学んだことは、270年の間に多くの「地震」にあっても何の変化もなく、建っていた事に大きな驚きを感じました。現代の我々、ものつくりが果たしてこれだけのことを今後できるだろうか。
270年前というと、1735年ごろだと推測します。
当時からの「地震史」
http://www4.cds.ne.jp/~rbaba/eq/shi.html
を見ると、大規模地震に一度や2度とは訊けないくらい遭遇しており、年代を辿りましと、その翌年からの大きな地震を見ると
この付近だけの大地震で、下記のように発生していた。
1736年 4.30日 仙台M6.0、
1767年 5. 4日 江戸・八王子でも感じた陸中地震、
1772年 6. 3日 陸前・陸中地震M7.5、
1793年 2.17日 陸前・陸中・磐城地震M 8.0~8.4 沿岸に津波
1835年 7.20日 仙台地震 M7.0 津波?
1855年 9.13日 陸前地震 M7.25
1861年 10.21日 陸前・陸中・磐城地震M6.4 江戸・長野でも有感
1896年 6.15日 三陸沖地震 M8.5 明治三陸地震津波 震害なし 津波被害大
1897年 8. 8日 仙台沖地震 M7.7 津波により小被害
1898年 4.23日 宮城沖地震 M7.2 小津波
1900年 5.12日 宮城県北部 M7.0
1933年 3. 3日 三陸沖地震 M8.1 三陸地震津波 津波の被害が甚大
1936年 11.3日 金華山沖 M7.5 小被害 小津波あり
1956年 9.30日 宮城県南部 M6.0
1962年 4.30日 宮城県北部 M6.5 宮城県北部地震 瀬峯付近を中心とする径40kmの範囲に被害集中
1978年 6.12日 宮城県沖地震 M7.4 1978年宮城県沖地震
1994年 12.28日 三陸沖地震 M7.5 平成6年三陸はるか沖地震
2003年 5.26日 三陸南地震 M7.0
2005年 8.16日 宮城県沖地震 M7.2
1767年 5. 4日 江戸・八王子でも感じた陸中地震、
1772年 6. 3日 陸前・陸中地震M7.5、
1793年 2.17日 陸前・陸中・磐城地震M 8.0~8.4 沿岸に津波
1835年 7.20日 仙台地震 M7.0 津波?
1855年 9.13日 陸前地震 M7.25
1861年 10.21日 陸前・陸中・磐城地震M6.4 江戸・長野でも有感
1896年 6.15日 三陸沖地震 M8.5 明治三陸地震津波 震害なし 津波被害大
1897年 8. 8日 仙台沖地震 M7.7 津波により小被害
1898年 4.23日 宮城沖地震 M7.2 小津波
1900年 5.12日 宮城県北部 M7.0
1933年 3. 3日 三陸沖地震 M8.1 三陸地震津波 津波の被害が甚大
1936年 11.3日 金華山沖 M7.5 小被害 小津波あり
1956年 9.30日 宮城県南部 M6.0
1962年 4.30日 宮城県北部 M6.5 宮城県北部地震 瀬峯付近を中心とする径40kmの範囲に被害集中
1978年 6.12日 宮城県沖地震 M7.4 1978年宮城県沖地震
1994年 12.28日 三陸沖地震 M7.5 平成6年三陸はるか沖地震
2003年 5.26日 三陸南地震 M7.0
2005年 8.16日 宮城県沖地震 M7.2
今回の「三陸南地震」の木造建築被害建物を解体検証して感じたのは、誰でも簡単に施工できるようにと、国による「職人技術無視」と「工業化住宅促進」が、このような間違い工法のオンパレードを、奨励したことと、自然界の力を完全に無視した証明であり「建築基準法」が押し進める金物工法の無意味さが多く感じられたのである。
色々な形で今回の三陸南地震を検証した結果、「法」が奨励した工法では今後来るであろう、大地震に「絶対」大丈夫など言うべきではなく、また100%安全、安心と言うことはないのであるから、「命」を担保に家を建てられる住まい手、そして施工者は、巾の狭い専門研究者の言葉は鵜呑みせずに、キッチリとした、本物の知識の勉強をして決めることが大事であることを痛感した。
(ただ、「色物」で決める愚かさではなく、モノクロで建物を見てもらいたい。)
我々の先達「気仙大工」は、普請道楽の大地主が建物勉強し、ものつくりの大工と対等に話合い家つくりをした結果が、現在多く残った民家建物であり、それがものつくりの伝統であり「伝統工法」ではないでしょうか。
三陸南、宮城北部、中越、玄界島と続いた大地震も、75日の関心で忘れさられる、我々ものつくりには、希薄なものだと感じたのが、このブログ書いて印象と、外野的な方々にも、今後来るであろう大地震をどれだけの危機感で居られるのが、今回発信しての印象でした。
まだまだ被害写真等が多くありますが、気仙大工の地震検証報告はこれで終わりにします。長い間ありがとうございました。 このブログは 吉田晃さんにお返しします。
写真
1 屋根重量に対して柱が細かった。
2 短冊金物・羽子板ボルトなどつなぎ目等に全部使用されていた。
3 一番力の掛かるところの継ぎ手仕口
4 金物のオンパレード
5 主要構造全てがこのような取付かた。
色々な形で今回の三陸南地震を検証した結果、「法」が奨励した工法では今後来るであろう、大地震に「絶対」大丈夫など言うべきではなく、また100%安全、安心と言うことはないのであるから、「命」を担保に家を建てられる住まい手、そして施工者は、巾の狭い専門研究者の言葉は鵜呑みせずに、キッチリとした、本物の知識の勉強をして決めることが大事であることを痛感した。
(ただ、「色物」で決める愚かさではなく、モノクロで建物を見てもらいたい。)
我々の先達「気仙大工」は、普請道楽の大地主が建物勉強し、ものつくりの大工と対等に話合い家つくりをした結果が、現在多く残った民家建物であり、それがものつくりの伝統であり「伝統工法」ではないでしょうか。
三陸南、宮城北部、中越、玄界島と続いた大地震も、75日の関心で忘れさられる、我々ものつくりには、希薄なものだと感じたのが、このブログ書いて印象と、外野的な方々にも、今後来るであろう大地震をどれだけの危機感で居られるのが、今回発信しての印象でした。
まだまだ被害写真等が多くありますが、気仙大工の地震検証報告はこれで終わりにします。長い間ありがとうございました。 このブログは 吉田晃さんにお返しします。
写真
1 屋根重量に対して柱が細かった。
2 短冊金物・羽子板ボルトなどつなぎ目等に全部使用されていた。
3 一番力の掛かるところの継ぎ手仕口
4 金物のオンパレード
5 主要構造全てがこのような取付かた。
2005/11/03のBlog
[ 05:25 ]
[ 気仙大工 ]
仕事の都合でご無沙汰しました。
「気仙大工」ブログにも書きましたが、「木組みの家」を構造組み上げ後は、余り「鉄(金・銭)」に頼るべきではないと思う、確かに伐採から大工が加工するまで、取引、経費などにはもちろん、「銭」がなくては建てる場所までは来ないのは、これは物流の中では当然お世話にならなければ、「木」が動かないし加工・取り付けも出来ないのは当たり前のことです。
「気仙大工」ブログにも書きましたが、「木組みの家」を構造組み上げ後は、余り「鉄(金・銭)」に頼るべきではないと思う、確かに伐採から大工が加工するまで、取引、経費などにはもちろん、「銭」がなくては建てる場所までは来ないのは、これは物流の中では当然お世話にならなければ、「木」が動かないし加工・取り付けも出来ないのは当たり前のことです。
(現在の世相、男女関係が金の切れ目が縁の切れ目と共通しているのは、やはり時代ですかな。まあそれは銭で片をつければ解決するが、1度作られた住まいを壊して再興するには大きな投資をしなければ不可能ではないでしょうか。それには「命」が関わります)
しかし、天力人力を尽くし、第二に「木」が生きる場所に落ち着いたら、「木」の持ってる力で、長期にわたり、住む人に安全を与えるものであり、幾ら「金物(鉄)」を多用しても今回のような天災には対応出来ないのが、正直に現れたものではないでしょうか。
今回の災害に遭われた住宅は、「木」の力を軽視した考えで建てられた物と思う、たかが人生数十年しか生きない方が書いた、建築関係の資料から自己の都合よい部分、いわゆる良いとこ取り(多くの現在人)で木造建築を考えたら、天罰は必ず来ると言うことを肝に銘ずるべきです。
今回の災害に遭われた住宅は、「木」の力を軽視した考えで建てられた物と思う、たかが人生数十年しか生きない方が書いた、建築関係の資料から自己の都合よい部分、いわゆる良いとこ取り(多くの現在人)で木造建築を考えたら、天罰は必ず来ると言うことを肝に銘ずるべきです。
各取り付け部分全てに、羽子板ボルト・短冊などで締められていた。
これだけアラユル仕口に金物のオンパレードは初めて見ました。今後のこともあり、手バラシと思っていましたが、屋根板を剥し、見たときに唖然としました。
これだけの金物と手間を考えたら、木材に回して骨太に考えたら、もっとこれだけの被害に遭わずに済んだと思う。
最初に書いたとおり、金物重視はこれからの「環境」と再利用を考えて、安かろう悪かろうの考えは改めるべきではないでしょうか。
「木組みの家」に金物なし工法に改めていくのが「現代人」の知恵ではなかろうか。
これだけアラユル仕口に金物のオンパレードは初めて見ました。今後のこともあり、手バラシと思っていましたが、屋根板を剥し、見たときに唖然としました。
これだけの金物と手間を考えたら、木材に回して骨太に考えたら、もっとこれだけの被害に遭わずに済んだと思う。
最初に書いたとおり、金物重視はこれからの「環境」と再利用を考えて、安かろう悪かろうの考えは改めるべきではないでしょうか。
「木組みの家」に金物なし工法に改めていくのが「現代人」の知恵ではなかろうか。
2005/10/06のBlog
[ 05:00 ]
[ 気仙大工 ]
水曜日の公開を一日遅れ。
外回りのなかで、最初に目に付く激しい壊れ方の、玄関庇。
本屋との取り付けとの乖離、震動が庇方向に加わった時、一緒に戻れなくって離れたのでしょう。そして屋根荷重が大きく作用したものと思われます。
解体時に色々と判ったのは、羽子板ボルトが取り付け部分全てといっていい位に取り付けられ、庇にも柱と桁、只、垂木掛けだけは釘止めでしたから、もう少し取り付けに注意されたら、このような離れ方はしないかったと思います。
外回りのなかで、最初に目に付く激しい壊れ方の、玄関庇。
本屋との取り付けとの乖離、震動が庇方向に加わった時、一緒に戻れなくって離れたのでしょう。そして屋根荷重が大きく作用したものと思われます。
解体時に色々と判ったのは、羽子板ボルトが取り付け部分全てといっていい位に取り付けられ、庇にも柱と桁、只、垂木掛けだけは釘止めでしたから、もう少し取り付けに注意されたら、このような離れ方はしないかったと思います。
妻側、東後ろ角のところです。
基礎が土台より大きい出っ張りは、25年前の宮城県沖地震の時に大規模補修され基礎を補強されたものです。
建築時の建物は、約90cm離れた擁壁の控え壁の上に建物基礎が乗っかっている状態でした。
その後に既存擁壁より大きく後退して、現状のような敷地拡大がなされたようです。
前回の宮城県沖地震の時、建物内部基礎などは100㎜近く陥没した状態も、床下点検時に確認しました。
後ろ側の基礎の沈下は、擁壁上のため沈下は少なかった。
基礎が土台より大きい出っ張りは、25年前の宮城県沖地震の時に大規模補修され基礎を補強されたものです。
建築時の建物は、約90cm離れた擁壁の控え壁の上に建物基礎が乗っかっている状態でした。
その後に既存擁壁より大きく後退して、現状のような敷地拡大がなされたようです。
前回の宮城県沖地震の時、建物内部基礎などは100㎜近く陥没した状態も、床下点検時に確認しました。
後ろ側の基礎の沈下は、擁壁上のため沈下は少なかった。
南側の縁側
縁框下の束の斜角を見ての通り、基礎と建物、地盤の動きが一体ではなく、框がかろうじて支えられた状態、左柱との取り付けも完全に離れ、基礎を見ると前回の地震で沈下した部分に楔などで高さ調整がなされていた。
手前の瓦礫などは屋根の棟が落下したものです。
幸い、住んでる方が不在で難を免れたのがせめてもの救いと、人に被害ないのが一番良かったと思います。
縁框下の束の斜角を見ての通り、基礎と建物、地盤の動きが一体ではなく、框がかろうじて支えられた状態、左柱との取り付けも完全に離れ、基礎を見ると前回の地震で沈下した部分に楔などで高さ調整がなされていた。
手前の瓦礫などは屋根の棟が落下したものです。
幸い、住んでる方が不在で難を免れたのがせめてもの救いと、人に被害ないのが一番良かったと思います。
2005/09/27のBlog
[ 05:05 ]
[ 気仙大工 ]
立て揺れから横ゆれに変わり、浮いた鬼瓦などは、写真方向の斜めに落下し、後ろ側の山肌まで飛んで、もし隣家があったら、2次被害があったと思います。
また、入母屋屋根の鬼瓦から軒先に向かう下り棟なども落下、隣の奥さんが夕食準備中に地震に合い台所に入られず、玄関から飛び出したら、隣の下り棟亙が落ちてきて怪我をされたとのことです。
内部被害は後にして、外回りを見て行きたいと思います。
また、入母屋屋根の鬼瓦から軒先に向かう下り棟なども落下、隣の奥さんが夕食準備中に地震に合い台所に入られず、玄関から飛び出したら、隣の下り棟亙が落ちてきて怪我をされたとのことです。
内部被害は後にして、外回りを見て行きたいと思います。
東側の妻面を隣の畑から、被災建物は玄関から南側の一部以外全て埋め立て造成です。
建っている場所の地盤は、最初の造成で、昭和49年建築、昭和52年宮城県沖地震の時にも今回以上の被害あわれていたようです。その後現在のような擁壁を構築して土地の拡幅を行ってのこと、その時の埋立土とは違うようです。
最初の埋立は子供の握り拳ほどの土がごろごろして締りのない土だったようです。昭和52年宮城県沖地震の時も中ほどが陥没に近いほどで、縁の下に潜り調べたところ
造成と基礎工事が悪くて今回また前回の地震でも大きな被害の原因ではないかと思います。
鬼瓦は、建物左方向の角付近に落下。
建っている場所の地盤は、最初の造成で、昭和49年建築、昭和52年宮城県沖地震の時にも今回以上の被害あわれていたようです。その後現在のような擁壁を構築して土地の拡幅を行ってのこと、その時の埋立土とは違うようです。
最初の埋立は子供の握り拳ほどの土がごろごろして締りのない土だったようです。昭和52年宮城県沖地震の時も中ほどが陥没に近いほどで、縁の下に潜り調べたところ
造成と基礎工事が悪くて今回また前回の地震でも大きな被害の原因ではないかと思います。
鬼瓦は、建物左方向の角付近に落下。
浮いた高さは、高い所で6cmも浮いていました。
地震被害写真集
http://geot.civil.metro-u.ac.jp/archives/eq/index-j.html
調査報告書
http://www.kino-ie.net/news_2004_0730.html#4
地震被害写真集
http://geot.civil.metro-u.ac.jp/archives/eq/index-j.html
調査報告書
http://www.kino-ie.net/news_2004_0730.html#4
今回の地震被災建物の、もう1棟については工場で造られた工業化住宅、我々の調査にお住まいの方が、内部外部とも細かいチェクと制動実験に心よくご協力いただきました。
我々木造建築に携わるものにとって、ものつくりの考え方が違う建物についてとやかく言う立場にないので、工業化住宅の被害内容については差し控えたいと思います。
壊れ方が、木造とは施工も違うので本当に激しい壊れ方でした。
なぜか、疑問を持った方がHP上で、メーカーに問い合わせたようです。
http://www.d7.dion.ne.jp/~kayy/theme/16sekisuiheim.html
我々木造建築に携わるものにとって、ものつくりの考え方が違う建物についてとやかく言う立場にないので、工業化住宅の被害内容については差し控えたいと思います。
壊れ方が、木造とは施工も違うので本当に激しい壊れ方でした。
なぜか、疑問を持った方がHP上で、メーカーに問い合わせたようです。
http://www.d7.dion.ne.jp/~kayy/theme/16sekisuiheim.html
2005/09/21のBlog
[ 04:58 ]
[ 2003.05.26―三陸南地震 ]
港町大船渡市は、岩手県沿岸北から久慈、宮古、釜石、大船渡と4主要港の1つ数えられておりますが、また地震より津波災害の方が多く記録されてきました。
今回の「三陸南地震」では建物の全壊被害は予想していませんでしたが、現地を見るまでは信じられなく、確かに見るも無残に破壊され、倒壊だけは免れていました。
地震直後、テレビ、ラジオ等の被害速報で、全国の多くの建築関係者から、被災見舞いと被害状況を知らせてとの問い合わせがあり、とにかく写真等による記録が先と考え、被災写真を多く取ることが出来ました。
写真 在来木造住宅の玄関と西面
今回の「三陸南地震」では建物の全壊被害は予想していませんでしたが、現地を見るまでは信じられなく、確かに見るも無残に破壊され、倒壊だけは免れていました。
地震直後、テレビ、ラジオ等の被害速報で、全国の多くの建築関係者から、被災見舞いと被害状況を知らせてとの問い合わせがあり、とにかく写真等による記録が先と考え、被災写真を多く取ることが出来ました。
写真 在来木造住宅の玄関と西面
中でも、昭和40年代後半の「住宅ブーム」に建てられた在来木造住宅と、「国」お墨付きの、工場で作られた「超近代プレハブ住宅」の2棟が被害にあわれ、見るも無残な状態で建っていました。地震後には電話が繋がっていましたが、時間と共に電話回線に規制が掛かり被害地からは繫がり難くなりましたが、ITのおかげでメール等での問い合わせが出来、時代の進歩を痛感したのが今回の地震での収穫でした。
写真 被害地の東 大船渡湾
写真 被害地の東 大船渡湾
被害地は、丘陵地のロケーションがすばらしいところで、北の五葉山から、東は大船渡湾、南は大船渡湾口まで見える、とてもこんな場所の良い所はないと言っても良いくらい良い所でした。
しかし、今回地震が段丘のこの辺一体が、大きな被害にあったのです。地震の振動波が増幅されて、特に屋根瓦などの被害が多くあり、いたるところの屋根に、ブルーシート覆われ、被害の凄さを物語っていた。
写真 南からみた段丘被害地
しかし、今回地震が段丘のこの辺一体が、大きな被害にあったのです。地震の振動波が増幅されて、特に屋根瓦などの被害が多くあり、いたるところの屋根に、ブルーシート覆われ、被害の凄さを物語っていた。
写真 南からみた段丘被害地
写真 丘陵地を岸壁からの遠望、東から被災の丘陵地を望み、なぜこの丘だけに集中したのか、いまだに素人の自分には理解できません。
そしてこの丘から、南に連なる約2kmと海抜30~50m周辺の住宅等に数多くの被害に遭われた。
この地球の自然を考えた時、とても「人間」にはどうすることも出来ない、無力感を感じたのが本音で、いかに現法規を整備し絶対大丈夫だと確信できる建物補強をしても、一瞬の出来事に、対応する訓練の方がもっと大事だと考えます。
伝統工法住宅には、一瞬の倒壊等は考えられず、水平耐力で徐々に支える工法であるのを長い歴史が証明しています。
幾ら金物で頑強に補強するより、一瞬に倒れにくい建物の工法を研究すべきが本来の建築だと考えます。
そしてこの丘から、南に連なる約2kmと海抜30~50m周辺の住宅等に数多くの被害に遭われた。
この地球の自然を考えた時、とても「人間」にはどうすることも出来ない、無力感を感じたのが本音で、いかに現法規を整備し絶対大丈夫だと確信できる建物補強をしても、一瞬の出来事に、対応する訓練の方がもっと大事だと考えます。
伝統工法住宅には、一瞬の倒壊等は考えられず、水平耐力で徐々に支える工法であるのを長い歴史が証明しています。
幾ら金物で頑強に補強するより、一瞬に倒れにくい建物の工法を研究すべきが本来の建築だと考えます。
2005/09/14のBlog
[ 06:00 ]
[ 気仙大工 ]
漁業の町の集落,
唐桑半島の西側に面する内湾、リアス式海岸狭い陸地に密集した地域でしたが、地震の破損は余り見受けられず、外から見たのと、中での被害は確認せず写真記録のみにしました。
地盤、構造骨組みによって被害の程度の違いが出来ているようです。1960年以前の古い建物には被害が見受けられず、昭和40年代以降の建物に被害が多く発生してる感じです。
40年代以降の住宅ブームと、最低基準法で建てられた建物に多いのは、構造についての不勉強さが正直に現れたといっても過言ではないと思います。
唐桑半島の西側に面する内湾、リアス式海岸狭い陸地に密集した地域でしたが、地震の破損は余り見受けられず、外から見たのと、中での被害は確認せず写真記録のみにしました。
地盤、構造骨組みによって被害の程度の違いが出来ているようです。1960年以前の古い建物には被害が見受けられず、昭和40年代以降の建物に被害が多く発生してる感じです。
40年代以降の住宅ブームと、最低基準法で建てられた建物に多いのは、構造についての不勉強さが正直に現れたといっても過言ではないと思います。
いかに立て揺れと横揺れが大きかったか、被害に遭われた家が気の毒です。
被害住宅から中を連想すると、1階部分の屋根が高いため、2階柱を12尺ものの35柱が使用されたものと思いますのと、2階の部屋が大きな間取りではないかと考えられます。
棟が立て揺れによって、浮かされたのちに横揺れで棟亙が破損したと考えられます。
被害住宅から中を連想すると、1階部分の屋根が高いため、2階柱を12尺ものの35柱が使用されたものと思いますのと、2階の部屋が大きな間取りではないかと考えられます。
棟が立て揺れによって、浮かされたのちに横揺れで棟亙が破損したと考えられます。
左側の方が増築された建物、右側は亙の形から30年代建てられたものと推測します。
遠くから見るとかなり大きな家です。屋根亙の形からみても増築されたものだと思いますが、瓦の形拭き方を見ると30年代に建てられたものと思います。
窓の形から見ても、大きな部屋間取りではないかと考えられますが、どうしてもこのような地震のとき、新旧部分の取り合わせが、弱いのが特徴です。
施工する側も、屋根工事の雨を心配して急ぐため、どうしても構造より工期の短縮が優先されるために地震のときに弱いところが被害にあうと考えられます。
遠くから見るとかなり大きな家です。屋根亙の形からみても増築されたものだと思いますが、瓦の形拭き方を見ると30年代に建てられたものと思います。
窓の形から見ても、大きな部屋間取りではないかと考えられますが、どうしてもこのような地震のとき、新旧部分の取り合わせが、弱いのが特徴です。
施工する側も、屋根工事の雨を心配して急ぐため、どうしても構造より工期の短縮が優先されるために地震のときに弱いところが被害にあうと考えられます。
2枚目の住宅と同じで、震動による棟瓦の破損が酷い壊れたかです。
窓の形を見ると、二間の部屋構成だと想像します。小屋組み構造見ないとなんとも言えませんが、内部壁などと施工がどのようになされたか不明なのと1階には余り被害ないのではないかと思います。
窓の形を見ると、二間の部屋構成だと想像します。小屋組み構造見ないとなんとも言えませんが、内部壁などと施工がどのようになされたか不明なのと1階には余り被害ないのではないかと思います。
2005/09/07のBlog
[ 17:43 ]
[ 気仙大工 ]
家の周りの構築物について
三陸南地震の地震波の衝撃は、
横揺れより立て揺れの方が大きく、
我家でも本棚からの本の落下が一番多くて
立て揺れの凄さは実感しました。
唐桑町は前にも「ブログ」に書きました
通り、船乗りさんが住む入母屋の豪壮な家が多く
写真の家なども県道の傍に立ち見事な構えです。
敷地一杯の建て方な為に境界ぎりぎりなので
塀をまわさざるいないのが実情です。
新しく作られた方は、頑丈ですが壊れた方は
セメントが劣化したために、一番上の傘の部分が
剥離したて揺れ震動壊れたようです。
三陸南地震の地震波の衝撃は、
横揺れより立て揺れの方が大きく、
我家でも本棚からの本の落下が一番多くて
立て揺れの凄さは実感しました。
唐桑町は前にも「ブログ」に書きました
通り、船乗りさんが住む入母屋の豪壮な家が多く
写真の家なども県道の傍に立ち見事な構えです。
敷地一杯の建て方な為に境界ぎりぎりなので
塀をまわさざるいないのが実情です。
新しく作られた方は、頑丈ですが壊れた方は
セメントが劣化したために、一番上の傘の部分が
剥離したて揺れ震動壊れたようです。
でも、横揺れでどちらかに倒壊したらと思うと
背筋が凍ります。
約30年前の「宮城県沖地震」の時には多くの
ブロック塀が倒れ、人災とも言われました経験から
今回は余り見かけないので安心しました。
この塀も、人の背丈ほどあり傍を歩いて方に
倒れたら本当に大変だったと想像します。
通気等を考えて上までは鉄筋が入っていたかどうかは
わかりませんが、壊れない傘の部分も外して
修理できればと思います。
背筋が凍ります。
約30年前の「宮城県沖地震」の時には多くの
ブロック塀が倒れ、人災とも言われました経験から
今回は余り見かけないので安心しました。
この塀も、人の背丈ほどあり傍を歩いて方に
倒れたら本当に大変だったと想像します。
通気等を考えて上までは鉄筋が入っていたかどうかは
わかりませんが、壊れない傘の部分も外して
修理できればと思います。
とにかく、外観は威風堂々と構えた本格的な
入母屋2階建て住宅の表側は2階の窓は大きく
ゆったりしたつくりは見事言うしかことばが
見当たりません。
唐桑町を含む、太平洋沿岸岩手県南、宮城県北は
入母屋屋根に建てなければ、家とは言わず、
良いかまど構えたとは言わずです。
入母屋2階建て住宅の表側は2階の窓は大きく
ゆったりしたつくりは見事言うしかことばが
見当たりません。
唐桑町を含む、太平洋沿岸岩手県南、宮城県北は
入母屋屋根に建てなければ、家とは言わず、
良いかまど構えたとは言わずです。
写真の家の旦那とは30年も前から顔なじみですが、
国道に面して、広田湾・太平洋ははるか遠くまで見え
元旦の初日の出などは、2階から拝めて見学に
態々でなくても良い場所に建っておりますが、
今回の地震では幾らか被害が出たようです
この程度の被害は瓦屋さんが簡単に修復できるので、
他所から見たら被害は軽い方だと思います。
但しこの建物は他所の工務店さんの仕事でした。
唐桑町HPhttp://www.town.karakuwa.miyagi.jp/
国道に面して、広田湾・太平洋ははるか遠くまで見え
元旦の初日の出などは、2階から拝めて見学に
態々でなくても良い場所に建っておりますが、
今回の地震では幾らか被害が出たようです
この程度の被害は瓦屋さんが簡単に修復できるので、
他所から見たら被害は軽い方だと思います。
但しこの建物は他所の工務店さんの仕事でした。
唐桑町HPhttp://www.town.karakuwa.miyagi.jp/
2005/09/03のBlog
[ 08:49 ]
[ 気仙大工 ]
三陸南地震の5.26日翌朝、隣町宮城県最北の町、唐桑町の、岬の突端御崎神社を目指した。
早朝、最初に目にした屋根瓦の破損は、薄っすらと夜明けの明るさ中で目にしました。
震源地の深さから言って「直下」といっても過言ではなく、立て揺れ地震が屋根構造下地の柔らかい所に浮き上がりが多く見受けられたのである。
普段の生活ではなんともなくても、災害が起きると結局、損をするのは施主、負担負う事になるのはなんとも致し方ないのと諦めて貰うしかないのです。
早朝、最初に目にした屋根瓦の破損は、薄っすらと夜明けの明るさ中で目にしました。
震源地の深さから言って「直下」といっても過言ではなく、立て揺れ地震が屋根構造下地の柔らかい所に浮き上がりが多く見受けられたのである。
普段の生活ではなんともなくても、災害が起きると結局、損をするのは施主、負担負う事になるのはなんとも致し方ないのと諦めて貰うしかないのです。
窓の位置から想像すると梁と梁の間付近の柔らかい所ではないかと思います。
この程度被害の場合は簡単に元に戻し復旧できますが、棟亙など時には結構修理にかかります。
三陸南地震は立て揺れが大きかった関係で、平亙の破損が多く目につきました。
この程度被害の場合は簡単に元に戻し復旧できますが、棟亙など時には結構修理にかかります。
三陸南地震は立て揺れが大きかった関係で、平亙の破損が多く目につきました。
2005/08/25のBlog
[ 15:34 ]
[ 気仙大工 ]
2003.05.26―三陸南地震
2年過ぎましたが、「三陸南地震」の写真集を掲載します(掲載者・気仙大工)
三陸南地震から2年が経ち、月日が早い今日この頃ですが、その間地球上には何回かの大きな地震にみまわれ、多くの人命が失われた。「1寸先が闇の世界」と昔の例えが身に染みます。
(ゼンリンデータ地図から拝借)
2年過ぎましたが、「三陸南地震」の写真集を掲載します(掲載者・気仙大工)
三陸南地震から2年が経ち、月日が早い今日この頃ですが、その間地球上には何回かの大きな地震にみまわれ、多くの人命が失われた。「1寸先が闇の世界」と昔の例えが身に染みます。
(ゼンリンデータ地図から拝借)
2003.05.26 夕方突然、立て揺れの「地震」翌日の組合総会の資料作成中に襲われ、とにかく外に避難しなければと飛び出し、周囲を見ながら揺れの収まるのを待ちましたが、次から次と余震に襲われて、整理が付かなかった。
別名日高見神社
別名日高見神社
御崎神社の鳥居が270年前に栃木県の小泉氏によって建立されたと近年になって判明、その間幾多の地震に遭遇して来たはず、まさかと考えましたのは、石の鳥居が倒れたのを何かの本で見たことがあり、しかし鳥居を見た瞬間安堵しました。その鳥居は幾つかにつないであるのにビクともせずに立っているではありませんか。
柱・貫・傘とつないである。
柱・貫・傘とつないである。
そこで単純に疑問に感じるのは、2本だけ立っているのになぜ倒壊しないのだろうと思います。
ましては、柱を繋ぎ、貫・傘まで1本石ではないのです.そこには長い「ものつくり職人」の歴史が物語っている感じがします。
2004.09.24 三陸河北新報
http://www.sanriku-kahoku.com/news/2004_09/k/040924k-torii.html
ましては、柱を繋ぎ、貫・傘まで1本石ではないのです.そこには長い「ものつくり職人」の歴史が物語っている感じがします。
2004.09.24 三陸河北新報
http://www.sanriku-kahoku.com/news/2004_09/k/040924k-torii.html
2005/08/24のBlog
[ 09:35 ]
新潟中越地震以降、3/20福岡県西方沖地震、7/23首都圏で震度5、そして8/16宮城沖地震と地震が続いています。全国の地震の情報を寄せて頂くため表題を試験的に「新潟中越地震先遣隊フォトレポート」から「日本各地「大地震」木の家ネット調査フォトレポート」に変えてみました。ご意見を、
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