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Duet's Weblog in Doblog
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2008/03/30のBlog
[ 22:14 ] [ 明日は我が身(介護・老後) ]
霞ヶ浦湖畔に立つ、瀟洒な老人ケアハウスに行った。
叔父叔母のステイ先である。

Mは2時間かかって、叔父を説得した。
もちろん、今日のところは、、、であるが。(笑)

わたしは少し離れたところで泣きじゃくる叔母の相手をしていた。
「みいに会いたい、みいと一緒に暮らしたい」
みいとは4年も会っていないのでわたしのことを忘れちゃったと思うの」
「可愛い猫だったわ・・・ どんな顔だったか憶えていないけれど
「あたしはね、T(叔父のこと)と暮らすよりも、みいと二人っきりで暮らしたい

叔母の繰り言を聞いていると、笑っていいのか泣いていいのかわからなくなった。
みいと別れたのは、たった4日前のことじゃないの・・・
叔父とより、みいと暮らすほうがいいのね、それはわかるような気がする。(苦笑)

突然、意地悪気分になった私は、叔母に質問をしてみた。
「みいは何色の猫だっけ」
「え? えーとね、茶色よ。 茶色の縞だったかな」
うーん、色は合っているからいいか。 (正解は、茶白のぶち猫)
叔父は不本意ながら、わたしたちの近くの有料老人ホームに行くことを承知したのだが、叔母の説得はMがやれと言う。

Mは叔母とふたりきりで部屋に入り、たった20分で説得した。
「どうやって説得したの?」
「すみれさんがおいおい泣くから、一緒に泣いたんだ。 悲しいよね、ぼくもすごく同じように悲しいんだよ、がんばろうねって」
「そんなことやってると、地獄に堕ちるわよ」

~~~~~~
帰りがけ、叔父と叔母に持ってきて欲しいものがあるか聞いた。
「テレビが欲しい、他のお部屋にはテレビがあるのよ」
「わかった、うちの母が使っていたテレビを持ってくるから待っててね」
「ありがとう」

要介護1なのですが、こんなものでしょうか。。。
■千日紅の恋人 帚木蓬生 新潮文庫 ¥590(税別)
金曜日の夜から土曜日の朝にかけて12時間連続眠ったデュエットです。
いやぁ先週は、すごく疲れました。
疲れを癒やすにもってこいは読書。
軽めの肩の凝らない奴、、、あ、これは良さそうだわ。
平積みになっていた「千日紅の恋人」を取りあげた。

~~~~~~
時子は38歳。 老人介護施設でヘルパーとして働きながら、母親が所有している古びたアパート「扇荘」の管理人をしている。
結婚は2回したが、死別と生別で今はひとり身。
扇荘は家賃が3万円ちょっとのボロアパートだから、今どきの人は見向きもしない物件だけれど、どういうわけかいつも空き室なしの盛況だった。
~~~~~~
「暖かでどこか懐かしい恋愛長編」
裏書きにはそう書かれているのに、読んでも読んでも恋人が登場しない。
扇荘の住人の紹介、老人介護施設での毎日、母親と一緒に通っているカラオケ教室。
こればかりがひたすらくり返される。

ようやっと、将来の恋人か?と思われる有馬生馬が扇荘の新住人として登場するが、恋愛らしいシーンはないのである。
のんびりした口調で語られるのは、扇荘の空き地に花壇を作ったこと、老人介護施設の運動会、カラオケ教室の発表会。
最後の10頁だけが恋愛小説かもしれない。

読み終わってみると、肩の凝りがほぐれていた。
なにがどうしたというわけではないが、ぬるめの温泉に時間をかけて入ったあとのような、けだるい充実感がある。
ほら、手指の腹がすっかりふやけているじゃないの・・・

(なぜベトナムの画像なの?ですか。 ええ、ええ、これには深いわけがありましてね)
2008/03/29のBlog
■アメリカ素描 司馬遼太郎 解説:亀井俊介 新潮文庫 ¥629
昭和60年頃に読売新聞に連載された司馬遼太郎のエッセイである。
新聞社の依頼で初めて米国へ行った旅行記であるが、「司馬遼太郎のアメリカ論」になっているところが、きわだっていた。
25年前の旅行記だったので、時代遅れでつまらないのではないかとおそるおそるという感じで読みはじめたが、そんなことはなくてたいへん面白かった。

司馬遼太郎の筆力はたいしたもので、少し前の時代の映画を観ているような臨場感がある。 アメリカの風景を映した映画を観ながら(観るようにして)、司馬遼太郎のアメリカ文明論を聞くのは楽しい。

日本や、アジアについては詳しいし、もちろん旅行も何度もしている司馬遼太郎であるが、ことアメリカに関してはまっさらの状態だった。
と、彼自身が書いているとおり、1回目の旅行記はおずおずとした雰囲気から始まった。
司馬遼太郎は、楽しげに軽やかに旅を重ねながらもアメリカというモノをしっかりと観察をし、旅行が終わる頃には「アメリカ文明」についてしっかりした枠組みをこしらえて、読者に見せている。
「アメリカ素描」には2回の旅行記が収録されているが、2回目の旅は司馬の仮説「アメリカ文明」を検証するスタンスで書かれているように思った。
「アメリカ文明」と打って出たところが面白い。
ええ?アメリカ文明かよ、でしょう? たかだか300年の歴史しかない国について、これを文明と定義している。
私は若い頃に森有正に夢中になっていた時代があったが、彼が欧州文明に押しつぶされそうになりながら書きあげた悲痛な欧州文明論とは対照的である。

~~~~~~
司馬遼太郎、森有正で共通していたのは「日本には文明がない、文化がある」ということ。

うちのMさんに、文明と文化のちがいはなんだろうと聞いてみた。
「ワタシは、文明と文化は基本は同じだと思ってる。 文明と文化のちがいは規模と歴史(時間)でしょう。 アメリカは規模はクリアしてるけれど、歴史はまだ浅くてもう数百年経たないと文明とは定義できないだろうね」
「そうすると日本は文明にはならないの?」
「日本はね、文明と呼ばれるものから良いところを掠め取って独自の文化に仕立て上げるのが上手いんだよね。 森有正みたいに、文化しか持たない日本を悲しがることはないさ。 ワタシは電気科出身だからこれくらしかわかんないよ」

亭主自慢をするつもりはないが、わたしよりは数段アタマが良さそうだわ。。。
[ 22:33 ] [ 日記帖 ]
月曜日 休暇を取り、東京の有料老人ホーム見学
火曜日 AM:レディス・クリニックで検査結果を聞く。 PM:仕事
水曜日 仕事
木曜日 AM:人間ドック。 PM:仕事
金曜日 仕事
土曜日 叔父宅の近所三軒に電話をして、事情を説明し協力をお願いする。 美容室

~~~~~~
叔父が今朝早く、ご近所のOさん宅に電話を入れて、介護施設からカギをもらってほしいと頼んだ。 叔父夫妻は、今度の火曜日に自宅へ帰ろうとしているのである。
介護施設から連絡があったので、Oさんには渡さずにそのまま預かって欲しいと頼み、ご近所に事情を説明する電話をした。
3軒、それぞれに1時間ずつの説明だが、なかなか理解をいただけず大変だった。

叔父にパーキンソン病と軽度の認知症があって、叔母には中度の認知症があることを理解していただけないのである。
「奥さんはまったく正常ですよ、認知症だなんてとんでもない。 だいたい息子さんはどうしたんです? 息子さんに来てもらわなくちゃ話しにならないじゃないですか。 こんなことになって、Tさんご夫妻がお気の毒です」

電話は私がしたのだが、怪しい奴だと思っているのがありありとわかる。 正月から今までの経緯を順々に説明をして、叔母の認知症が具体的にどういう状態なのかを説明した。 「信じられない」というのがご近所の皆さんの感想で、ただお二人からはそういえば思い当たるふしが・・・と、少しだけ理解をいただくことができた。

息子がいるのに姪のわたしが叔父叔母の介護をやっていることについては、みなさんが不審に感じていて、実は近くに住んでいるらしいことを叔母が話していることもあって、息子さんに言えばいいじゃないの、なんで呼ばないのと詰問された。
「どうやら宗教が絡んでいるようなのです」
実は、わたしたちはそう考えている。

3軒のお隣さんの意見はほぼ一致していた。
■Tさんご夫婦が、あなたの言うような状態だとは思えない、信じられません。
■あなたが言っているのが本当だとしたら、こちらでTさん夫妻が暮らすのは火事などが起きたら恐いので困りますね。
■でも、長い間のお付き合いでできた人間関係があるから、Tさんから何か頼まれたら断ることはできませんのであしからず。
■息子さんについては、あなたの考えが正しいような気がします。
■あなたは奥さんの姪ですよね。 ご主人が最後に残った場合もちゃんと看るつもりがあるんですか、そこが心配です。
■あなたはTさんを老人施設に入れようとしているようだけれど、可哀想じゃないですか。 他の方法もよく検討してください。

~~~ちょきちょき~~~
わたしは仕事をしている人間なので、顧客から頭ごなしに怒鳴られることは慣れていますが、こんなふうにみっちり絞られるのもなかなかしんどいですねぇ。
2008/03/27のBlog
[ 23:59 ] [ 明日は我が身(介護・老後) ]
昨夜から叔母と叔父が暴れています。(茨城県の某老人施設に短期入居中)

やっぱり家に帰ることに決めた。 隣近所の力を借りればまだまだやっていける
これが、今時点の叔父の結論です。
Mに通帳を預けるのは非常に不安だから、直ぐに持ってきてくれ、とも。

Mが人非人だと見抜いた叔父の眼力はたいしたものですが、肺炎から生還できたのは誰のおかげだと思ってるんだい。(笑)

日曜日にお見舞いに行くことになっているので、それまでもう一度よく考えてくださいと話をしましたが、この調子だと明日は施設から脱走しそうですね。。。

自宅へ帰ったらどうする?とMに聞いてみました。
「隣近所に、情をかけて叔父夫妻を助けないようにお願いする。
最後まで面倒を見ることができないと思うなら、心を鬼にして手を出さないでくださいと言う。 すぐに行き詰まるさ」

~~~ちょきちょき~~~
面倒になってきたから、明日わたしが通帳を渡して、それではお元気で・・・にしちゃおうかと思ったのですが、Mが日曜日まで待ってあげなさいと言うので堪えることにしました。

どうもねぇ、Mの学校歴が良くないせいか足軽程度に見ているんです。
帝大卒の名誉教授は取り扱いが面倒で。。。 ったくもう。
[ 00:05 ] [ 日記帖 ]
みいた嬢(猫)が、うちに来るのがほぼ確実になりました。

叔父がうちの近くの老人ホームに入居してもいいと、Mに言ったそうです。
わたしが作った、老人ホームの資料が役に立ちそうで良かった。。。
なるべく早く、2週間くらいで仮入居できるようにしたいのですが、段取りは未だ未定。
ホームもどこにするか未だ決まっていませんし・・・

みいた嬢は動物病院に1ヶ月ほど預かってもらい、家のことを少しでも忘れさせてから、引き取ろうと思います。
慣れるまで早くても1ヶ月、ひょっとしたら半年くらいかかるかもしれませんね。
Mには永遠に懐かないだろうな・・・

外出時は、キャットシッターを頼めるようにしておかないと。
[ 00:02 ] [ むかしばなし ]
そういえば、叔母と私は同窓生である。
戦前の女子高等部・・・高等女学校と、今の高等学校のちがいはあるけれど。
去年の暮れから高等部の校舎を建て替えています。 70年振りですって・・・
わたしが通っていた頃でもかなり古くて、雰囲気はいいとしてもオンボロだと思っていました。
そうか、叔母もあの校舎でキャーキャー言ってたんだわ。

叔母が14歳の時に父親が亡くなったため、6歳年上の兄が父親代わりをしていました。
父兄(ふけい)という言葉がありますね、今だったら「父母会」というところを戦前は「父兄会」と呼び、文字通り「父」と「兄」しか出席できなかったそうです。

叔母は授業時間に窓の外を眺めてぼうっと過ごし、休憩時間になるとおしゃべりをしまくり、礼拝堂でくすくす笑う問題児だったため、兄はしょっちゅう呼び出されていました。
兄もまだ大学生だったんですけれどね。

高等女学部長のミス・スプロールズから、大きな声で笑わないように、廊下は走らない、ご家庭でもっときちんと躾けるように、英語と、ものすごく下手な日本語で注意を受けたと言っていました。
兄というのは、わたしの父です。
叔母の時代も、わたしの時代も、生徒は壁面をくりぬいたように見える、小さな裏門から出入りをした。

遅刻にやかましいのはアメリカ系のミッションスクールの特徴ですが、叔母のときはミス・スプロールズが門の前に待ちかまえていて、遅刻した女学生ひとりひとりから理由を聞いてお説教をしたとか。
もちろん英語で。
生徒も。。。 (その時代でなくてよかった、ほっ)
2008/03/26のBlog
[ 02:11 ] [ 日記帖 ]
2時ですねぇ、寝ないと・・・

叔父に見せるための老人ホームの資料を作っていたら、こんな時間です。
明日の仕事にすごく支障がありそう。

ま、いいか。
2008/03/24のBlog
[ 22:26 ] [ 明日は我が身(介護・老後) ]
今日は自宅周辺の有料老人ホームの見学をした。
朝から夕方までかかって4つの施設を回って、疲れたこと。。。
夕ご飯を食べながら居眠りしちゃいました。
叔父が東京へ住まいを移すことに合意し、貯金をくずしてくれないと有料老人ホームへの入居はできないのだが、もし承知してくれたら快適な老後が過ごせるだろう。
それにしても5年前、せめて3年前に決断していれば、体の自由が効くうちに老後を楽しめたのにと少々残念である。

だけど、そういうものなんですよね。
まだ大丈夫、まだ大丈夫、この調子ならなんとかやっていけそうと思っていたら、ある日突然破綻する。
往々にしてそういう展開になるのが、人生ってやつ。

この期に及んでも貯金は満期まで待ちたい叔父、もっと歳を取ったらね、今は問題ないわという叔母を説得できるだろうか。
Mの二枚舌、口先三寸の説得が成功しますように。

~~~ちょきちょき~~~
それにしても自分の老後は悲惨だ。
わたしたちはバブル破綻時にすっからかんになって貯金はほとんどないし、退職金なんてもちろんない。 子供も、甥も姪もいないから誰にも頼ることはできない。
長生きはするまいと心の中で誓った。 (でも寿命は自分で決められないんだわ、とほほ)

(写真は神代植物公園の夜景です、候補のホームからも近いんですよ)
2008/03/23のBlog
[ 22:56 ] [ 日記帖 ]
お孫さんが今日生まれそうというtonちゃんさんの記事を拝見して、自分のことのように嬉しく思い、tonちゃん家の昇竜の勢いを感じたデュエットです。

我が家は衰亡の一途をたどっているな・・・ ( ̄ー ̄)
Mとわたしが死んだら、M家もデュエット家もチョン、おしまいですわ。(笑)
午前中は多磨霊園へ。
石屋さんで今年のお掃除料を払ってから、お墓参りをした。
春分の日(3/20)は雨が降っていたから遠慮して、この週末に来ちゃいました、ということなのだろう。 いつもは静かな霊園が大賑わいだった。

実家は神道だからお彼岸には関係ないのだけれど、お墓参りは賑やかなほうがいい。
だから、この頃はお彼岸に便乗しています。

お墓参りといっても、墓前には10分もいなかったと思う。
お花を飾って、パンパンと柏手を打つ。(二礼二拍手一礼ってやつですね)
「まさえさん、今ね、すみれ叔母ちゃんちの介護でえらい目に遭ってるわ~」
「F家の人たちは、ホントに手がかかるよね!」
ふたりで文句を言ってから、墓石にバイバイと手を振って帰った。

もう一週間もしたらこんな風に桜がきれいなんですけれどね、今日はまだつぼみ桜ばかり。

~~~~~~
午後からは吉祥寺へ繰り出して、母方の叔父夫妻と会った。
こちらの叔父も肺炎から生還して、いまは2ヶ月経過したところだ。

体重は40kgあるかな、、、ないかも。
でも、痩せの大食い・・・失礼・・・健啖(常識の範囲内の大食い、という意味ですって)はすっかり回復していたから安心した。
夫婦揃って後期高齢者よ~、すごいというか、やんなっちゃうというか。
このところ叔父の介護に専念している叔母が、ころころ笑った。

わたしの周りは後期高齢者ばかり。
ところで前期高齢者っていつから? 65歳からなんですね、、、もうじきだわん。