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2008/09/06のBlog
[ 15:57 ] [ 日記 ]
筆者の勤務する事務所が移転する。いまは池袋、今度は市谷だ。転職等に伴い、筆者は、五反田、築地、赤坂(田町通り、1丁目)、池袋と勤務地を変えた。

居心地としては、なんといっても赤坂が最高で、ランチ、居酒屋、寿司屋、焼肉、バー等が充実していた。五反田もけっこう飲み屋が密集していたけれど、赤坂にはかなわない。築地は短くて、印象がなく、池袋は、まるでなじまなかった。

市谷は、神保町、神楽坂には近いものの、事務所界隈にどんなお店があるのか、まださっぱりわからない。池袋よりは期待できるでしょう。
2008/09/04のBlog
秋晴れには程遠い9月の始め。雨、曇天、そして、湿度が高い毎日。日本の首相はさっさと辞任してしまったが、米国では、共和党の副大統領候補に女性が決まった。相当な保守派らしいが、高校生の娘さんが妊娠しているという報道に驚いた。日本だと、高校生で未婚の母というのは少ない。

欧米の女性は常に、マチュア(Mature)であろうとする。成熟である。いつまでも子供ではいられない。だから、一般には日本語の「カワイイ」という美意識に価値を見出さない。共和党陣営では、高校生の「未婚の母」を娘にもった母親が副大統領候補であることになんの支障もないという。高校生ながら、子供を産み育てることを決意した女性は、マチュアであることを意味するのかもしれない。

筆者はアメリカに住んだことがないので、この当たりの価値観がよくわからない。米国の保守・革新の概念は、日本のそれとは対応しない部分があるのかもしれない。

日本の保守といえば、自民党だけれど、TV映像の限りだが、総裁選を前にして、俄然生き生きしているように見える。みな“人事”に燃えているのだ。

国会、外交、委員会・・・といった国会議員の本来の仕事は官僚まかせ。やっと自分たちの本領を発揮できる舞台が用意されたというわけか。この人たちの頭の中には、権力闘争しかない。

自民党議員に輪をかけて、これまた生き生きしているのが報道陣。こちらも同様に政策には疎い面々のようで、「出馬の・・・」というわかりやすい質問を発する声が普段よりでかい。自民党とテレビというのは、よほど仲がヨロシイようだ。
2008/09/02のBlog
驚いた、というよりも呆れた。Fは、サミットの議長がやりたくて総理大臣になったのにすぎないようだ。辞任の記者会見では、悪いのは前任者と野党、自分は最善を尽くしたけれど、うまくいかなそうなので辞めた、と言っているように聞こえる。聞こえるというよりも、実際、そうなのだ。国会が始まれば、野党が追及を開始する。Fはそれに耐え切れない。混乱から解散・選挙になって民主党に負ければ、己のキャリアに傷がつく、そうなる前に辞めてしまおう、という魂胆だ。

こういうタイプの政治家は、国民の生活感覚を理解することがない。“政策”型の政治家だから泥が被れない、という評価もあるようだが、言ってみれば、できの悪い“秀才”にすぎない。ワーキングプア、ネットカフェ難民、日雇い派遣、格差拡大、インフレ、就職難、環境破壊、異常気象、自然災害・・・といった、国民の切実な危機に頭がまわらない。

Fの胸の中には、外務官僚がすべてセットしてくれたサミットで海外首脳と対等に渉り合ったかのような幻想――己が大政治家になったかのような錯覚――が「良き思い出」として残っているのかもしれない。あまりにも儚い過去、倒錯的奢り、自己満足にすぎない。その思い出に胸を膨らませて、後は知らないよ、と総理の座を放り出す。無責任極まりない。

ここのところ、K→A→Fと、「自己満足型」総理大臣が続いた。3人とも、国民不在、己の欲望を充足することが政治だと錯覚している暴走型の政治家だ。Kの場合は、靖国参拝、Aの場合は、北朝鮮強硬外交、Fはサミット議長がそれぞれの象徴となっている。Kは動、A・Fは静という外見上の相異はあっても、3人には、共(Common)のために政治をやるという気概がなく、すべてが、自分(内向き、自己実現)のためであって、政治=権力の私物化という共通性がある。

かつて、保守系政治家といえば、利益誘導型が圧倒的だった。公共工事、補助金、特定事業者・・・と、都合のいいように法律や制度をつくり、官僚に差配させ、選挙に勝ってきた。ところが、露骨な利益誘導が難しくなった今日、彼らは自分の思い込みを、国会議員という立場(=権力)を用いて実現することに重きを置き、名前を売って存在感を示そうとしているようにも見える。権力の私用・乱用である。

自公政権を終わらせなければいけない。
2008/08/31のBlog
記録的豪雨だった今年の8月。東京地方では夕方から夜にかけて、大量の雨が降る日が何日も続いた。これほど豪雨が続く夏を筆者は記憶していない。東京に住む筆者にとって、8月はむしろ晴天が多く水不足となり、秋になって台風がやってきて、水不足が一気に解消されるというパターンを記憶している。

“バケツをひっくりかえした”という豪雨に関する表現は、雨季の東南アジアでは珍しくない。筆者が観光に行ったことのあるバンコク、シンガポールはもちろん、西北アジアのネパールも雨季には豪雨に見舞われる。

気象のメカニズムは、素人の筆者にはよくわからない。肝心なのは、東京の豪雨が「たまたま今年だけ」なのか、それとも「この先ずっと」なのかだと思う。

都市を豪雨から守るためにはどうしたらいいのか。堤防、排水、警報、避難等のハード、ソフト両面のシステム整備が必要だろう。重要なのは、専門分野を統合し、生活者の生命を第一に守るという視点だ。それがなければ、税金の無駄遣いになる。

増税か減税かという議論は無意味だ。納税者が納税に見合ったサービスを受けていないと感じるから、減税の声が強いのだ。徴税段階の不公平さ、課税の不公平さ、税の使い道の不公正さと不公平さ、特別会計という不明朗さ・・・に対する不信感が国民の中に渦巻いている。

人の通らないところに立派な道路をつくるのは困る。それは建設業者を潤すだけで、生活者は恩恵に浴さない税の使われ方だからだ。だが、都市生活者を災害から防衛するシステムをつくるような税の使われ方なら、だれも文句は言わない。税の使い方に関するプライオリティーが、生活者の視線からずれている以上、税への不満が消えることはない。国民はいつだって税金を払いたくないんだ、という政治家の現状認識は間違っている。国民を馬鹿にしているのだ。

政治を変えれば行政も司法も変わる。だから行政改革というのは政官が癒着した現政権では無理な話なのだ。国民は、現政権下における「行政改革」の掛け声に、に一点の幻想を抱いてはいけない。
2008/08/28のBlog
[ 21:04 ] [ 日記 ]
帰宅途中、わずかだったけれど、豪雨に打たれた。すごい雨量。これが日本の気候だろうか。今年は異常なのか、これが毎年常態化するのか。

気象学者、環境学者、都市学者・・・は早いところ、都市の豪雨対策を考えたほうがいい。さもないと、都市の豪雨による死者が増えてしまう可能性がある。

豪雨の中、小型車に乗った主婦が水没する車中から携帯で救助の電話をしたのに間に合わず、最後、実母に自らの死を告げた話は悲しい。

消防というのは、そう毎日仕事があるわけではない。消防士は暇で、いつも消防車ばかり磨いている、という批判が絶えないものだ。消防がその存在を許されているのは、危機に及んで力を発揮してくれるからだという信頼関係の故だ。

水没した市民が救助の連絡をしても、消防が何もできないくらいなら、働きにあわせて思い切って消防士の賃金を下げるしかない。市長、消防責任者は、このたびの不手際の責任をとって、辞職するのが適当だ。彼らが現職にこのまま居座るというのは、よほど勇気がいる。
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