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看護の教室 看護師さんは何をやればよいんだろ?
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2005/06/04のBlog
[ 13:09 ] [ 高濃度炭酸水 ]
人工的に高濃度炭酸水を作る器械は、世に1つしかありません。三菱レイヨンエンジニアリング、エムシーメディカルのホームページで確認できます。ここでは、稼動の段取りです。

準備するものは、本体(カーボメディカ)他に、足浴槽、炭酸ガスボンベ。
ガスボンベがミソでして、この器械は中空糸膜の技術を使って、水に二酸化炭素を溶かし込む装置なので、原料となるガスが必要です。その辺り、ちょっと敷居が高いところ、価格のほかに。まぁ樽生ビアサーバでさえ、ガスカートリッジが必要ですしね…。
足浴槽。
これは優れものですが、今は製造していないそうです。ほんとかな?!こんないいもの…。発泡スチロール製で、底に水抜き用の栓までついています。誂えのステンレス製の台車まであって、大人の下腿をすっぽり浸水することが出来ます。

ここでは発泡スチロールの桶をビニル袋で覆って使おうとしていますので、底の水栓は利用できません。夏場なら1時間ほど置いていても水温は40度から下がることはありませんでした。


炭酸ガスボンベに流量計をつけます。
慣れれば簡単ですが、写真のボンベだと計算上70回以上の足浴ができますので、頻繁なボンベ交換はありません。
本体裏側にあるホースの取り付け口。
足浴槽のお湯を本体に通して足浴槽に返しますので、警告に従って間違えないようつなぐ。
全部繋がったら、高濃度炭酸水製造開始。
炭酸ガスのボンベのバルブを開く、流量計をひらく、カーボメディカの電源を入れる、ホースをきちんと水に浸ける、スイッチをいれる、待つ。
30分ほどすれば、出来上がり。その後1時間ほど放置しても炭酸はまだ水に溶けていますので、その間に足浴をします。足浴には足浴槽の部分だけを使いますから、どこでも出来ます。


後々内容を追加していきますが、炭酸水はお肌によいとされ、美容や皮膚の疾患にも利用されています。今回はお湯の準備だけ書きました。
2005/06/01のBlog
[ 10:43 ] [ 看護の教育 ]
看護師は、基礎看護技術というのを看護師の養成教育施設で学んできます。
その中には、
バイタルサインの測定→血圧体温脈拍の測り方、観察・面接の仕方、情報のまとめ方
清拭せいしき、洗髪、足浴→入浴できない人の体をきれいにすること
排泄の援助→トイレで自分で排泄できない人の排泄の色々な方法
注射→注射薬をつくること、皮下注射・筋肉注射・静脈内注射、点滴のやりかた、とその看護
検査の看護→検査の準備、検査後に気をつけること
食事の援助→通常の食事ができない人への色々な栄養摂取の方法
移動・安全の援助→動けない人の安全な動かし方、体位の取り方

こないなことを練習してきます。これだけか?と言う感じですが、実際にはこれだけやるのも学校の中では大変で、一方で、働き始めた看護師さんにとっては病院で初めて見る事やることが多すぎて 全体としては十分な技術教育がされていないように感じられます。

思うに、講義→実習 と言う流れに既に無理がある気がします。
教える側でさえ、講義の準備と実習の準備を一緒にやることが相当に精神的にも緊張するし、肉体的にも負担があります。どうしても、80人100人の実習を一気にやるには教える側が先に疲労してしまいます。
学ぶ側にしても、講義で学ぶことと実習で使う脳は別のもので、知識を実践に移すには時間が短すぎますし、単に注意力が散漫になっている間に1つの単元が終わってしまうことがあります。

そこで、私が考えるのは、
やはり講義は思いっきり理論的科学的な資料を集めて、たくさんの技術の成り立ちや根拠を学生に詰め込む。技術(手順や物品)とその理由を脈絡付ける思考過程を学生に培う。いくつか単元をこなしているうちに、色々な手順の中に、どうしてそうしなければならないか、こうやったほうが効率がよい、こうやったほうが患者さんが楽であるとかそういう発想ができるようになり、ただ手順を教え込まれるのではなく 自分で次にどうしたらよいかを組み立てながら実習できるようになるのだと思う。
技術は教えられた順番でこなしていくのではなく、そういう場に立ったときに「さぁどうするか?」というのに対処・行動できる力を養う真なる実習機会でなくてはならない。

具体的には、
講義は講義でやる。
実習は実習の日としてやる。実習の課題や目標は最初から全て学生に提示しておく。
実習は80人100人で同じ内容やるのではなく、15人くらいずつ1単元をやる。
つまり、保清のグループ、注射のグループ、バイタルサインのグループ、排泄のグループなどにベッドを分けておき、常に全ての単元を稼動させておく。
グループの担当の教員を固定しておく。その担当の教え方は必ず教員同士がチェックしておく。
毎回担当の教員がデモをやり、学生を指導する。

こうすることで、まず物品を一気に100人分出し入れする必要がない。時間も節約できるし、100人分の道具は必要ない。収納するスペースも必要ないし、棚卸も楽になる。

学生は、小規模な人数でデモを見ることが出来る。やりそこなった技術があれば、自分の実習の後にそのベッドに様子を見に行くことも出来る。やりたければその道具で自分で実習することもできる。

ベッドや道具を技術用にセッティングしておくことは 学生にも教職員にも相当にメリットがある。無駄な消耗がなくなれば、学校ではもっともっと多くのことを学べるはずである。学校では理論的・科学的根拠や学問的思考をもっともっと深めておくべきだろうと思う。

現場で働きながら出会う新しいことは沢山あって、その時々に学生の時のように根拠を教えてもらったり、理論だててケアを考えていくことは実際には難しいです。だから学校ではその思考過程や能力を十分身につけておいて欲しい。学校の技術教育はいっぱいイッパイですごく疲れるのですけれども、人数のせいで実際に消耗したり、錯覚しているのではないかと思います。

単元ごとに教員を固定することは、専門化するためには手っ取り早い方法で、排泄の担当になったならば、排泄事情について新しいこと、伝統的なこと、文化的なこと、科学的な情報、医学的な知識など 可能な限り調べ上げて学生に教えるくらいのことをして、大学の教員なのではないでしょうか。
それは、補助的な教員であっても同様で、単なるやり方を教えるだけだったら現場の看護師さんのほうがうんと上手にやれますし、そうでない指導者としての内容・方法のレベルが要求されるでしょう。経済学部を卒業したら経済学部の教員になれるわけではありません。看護の大学も、看護師だったら教員が出来るわけではないでしょう。

とりあえず、慣れてはいても、講義と実習が繋がっていると、相当にくたびれます。学生だって同じでしょう。実習は緊張するもので、それが毎週あるのは良いことがどうか分かりません。他の講義も沢山ある中で、講義は講義で学んでもらい、実習は実習の学び方を体得してもらうのがよいように思います。結果的には準備や物品の在庫などのメリットは大きいでしょう。

洗面器は300個も必要なく50個もあればよいのです。浴衣も200枚もいりません。タオルも50枚くらいあればいいんじゃないでしょうか? 100人分の準備をするのは教員だって、うんざりしますし、まとまった時間と体力が必要です。だけど、20人分くらいをコンスタントに用意するなら楽チンに決まってます。
2005/05/30のBlog
[ 21:06 ] [ 申し送り ]
ここは単刀直入に!

申し送りは、次のように脈絡を持たせて自分の仕事をサマライズ要約することに私はとても意味があると思う。

何かトピックスの経緯
それに対してどんな指示や予定があって
それを実施して、自分がどんなケアをして、
で どうなったか
今後どうするか


情報だけを羅列してもダメだし、足りなくても理解が深まらないし、情報に脈絡をもたせながら、上手に申し送ることはとても難しい。また、上手に申し送られると とても気持ちよくて、素晴らしい!!と感激もするし、仕事もやりやすい。

今でも、「あ、これ言うの忘れた…」「何度も同じこと喋っちゃってシツコイなぁ…」「長く喋っちゃったなぁ…」など うまく出来ないなぁ…と悔しく思ったり反省+努力しています。

新人の頃、それはもっと難しくて緊張する出来事で、家に帰ってパソコンで打ってみたりしてすごく大量の言葉を喋っていることに驚いたものです。だからカンゴフさんが要約する能力ってすごいと思うんですよね。

申し送りで伝達すべきことは何か と考えていたこともあったので、その当時から申し送りの時に書きとめた全てのメモやワークシートを実は保管しています。何か分析にでも使えないかなぁという気持ちや単なる思い出とか、あるいは振り返りにちらっとみたりしています。

申し送りは看護記録と同様に、その人が何を情報源としてどう判断して行動して患者さんの成果がどうなったのか、患者さんの意志をどう引き出したのか、今後どうやって看護していくのかよく見えるので 私は役に立つ仕事だと思います。仕事の実施の確認にもなりますし、人に説明することで自分でもあやふやだったことを今一度確認する機会も出来て自分のミスも気付いて防げます。

申し送りで、人から伝えられたことを ただそのままやり過ごすように伝聞の形で送る人は、その日勤務した価値はないだろうなとわかります。ただ見ただけの担当で、患者の回復や安心に貢献せず!です。


申し送りには、今までの経緯をうけて、その人が一体患者に何をしてあげたのか、そしてどうなったのかは最低でも内容に含まれていなければなりません。
送る相手が自分より経験の浅い能力の低い看護師であれば、今後どうやって看護をしていけばよいかより細かく指示しながら伝えてあげる必要もあります。
申し送りは、緊張感のある看護師さんらしいピリッとした仕事のひとつです。
2005/05/29のBlog
ここでは、私が担当した患者さんが亡くなったことから学んだことについてです。
10数年も前のことになり自分もその後実践を重ねたので、一度整理して書いておきたいと思います。


患者さんは、糖尿病性腎症で透析導入のために入院した人でした。網膜症もあり視力が極端に低下していたようです。血糖のコントロールも悪く全身的に衰弱していて、移動能力も低下していて、ベッド上で過ごしていました。尿がいくらか生成されていたのでバルンカテーテルが留置されていました。
私はその病院で週に1回準夜・深夜勤のアルバイトをしていました。その病棟ではオムツを使用している人が多く、1時・3時・5時に電気をつけて2人の看護婦で一斉におむつ交換をしていました。

その日の3時のおむつ交換では、その患者のオムツを開けることはありませんでしたが、患者はバルンカテーテルを触るなどの仕草がありました。5時の段階では、いつもよりも一層顔色が白く入れ歯があごから外れていて、一見して異常な状態でした。

もう1人のベテランの看護師に声をかけ、当直の医師もすぐに来て中心静脈カテーテルを挿入したりもしましたが、モニターをつけ心臓マッサージをしても既に死亡していました。患者を6床室から重症室に移動して家族を待ちました。

私のその日の勤務は9時頃までで、その後大学に行きました。大学では同じように夜勤のアルバイトをしている友人に話を聞いてもらいましたが、その中では不安がましたり気分が紛れたりしていたのでしょう。
家族は怒っていないか、私が患者さんの異変を見逃したのではないか、私が夜の仕事をサボったと思われないか、その病院でバイトは続けられるのか そのことで動揺していたと思います。

大学の帰りに公衆電話から病棟に電話して、その後の状況を婦長さんに尋ねました。
糖尿病も腎不全もコントロールされていない状況で、いつ急変してもおかしくはなかった。決められた巡視の時間以外のことまで看護師は責任もてない。家族は患者の死を受け入れたようだ、とのことを淡々と伝えられました。私は謝りながら話を聞いていました。
その病棟では月に一人くらいの方が亡くなりますが、その時と同様にご苦労様とねぎらってもらい電話をきりました。


気持ちの整理がつくまでには長い時間がかかりましたが、そこで辞めたらただ潰れるだけで嫌だし申し訳ないし、きちんと学ばなければ単なる苦い思い出にしかならないのは悔しいし…と思ってきたと言う感じです。

夜間の看護の難しさ
腎不全、糖尿病患者の危うさ
看取ることの葛藤
死んでいく人のこと
 技術的にはそれぞれのことでまた整理したいと思いますが、このようなことをその後随分多くのことを考え学んでいく機会を与えられたと思います。

このような残念なケースだけでなく、患者さんの死は看護師にとっては肉体的にも心理的にも大変なストレスになります。「これでよかったのか…」と自分を責めるような気持ちが必ず出てきます。
患者さんの死があったら、早めに看護師は分かる誰かにそのプロセスを話すほうがよく、話を聞いた人はその仕事の大変さと十分に尽くしたことを労ってあげる必要があります。そうやって、一つ一つを繰り返して通り過ぎることが出来るように思うのです。

そして、そうする為には その患者さんに十分に手当てや世話を尽くしたのだと言う事実と気持ちのj準備が看護師にも家族にも必要でしょう。それが、看取りのときにやること①その時が来る前に です。

色々と学んだことはあったにせよ、私が最後まで自分の責めを負っているのは、患者さんに死が訪れる予定だったとしても、一人で誰にも見守られることなく死んでいったことは本当に気の毒で悪いことをしたなと思います。
その患者さんとは まともに喋る機会もなかったのですが、自分が経験の浅い看護師だったとは言え、もっと声を聞きだす努力をすれば何か分かってあげられたかもしれない様な気がします。

いわゆる業務上の過失にはならなくても、ベテランの看護師だったら、心臓や血糖腎臓に死が近づいていることを気付けたかもしれないなと思ったり、テランの看護師や専門の医師も予測できないほどの勢いで死がやってきたのだなとも解釈できます。また、診療に対して働く看護師として信頼が出来ない病院であれば、こうした種類で本当に問題のあることに遭遇する機会が多くなってしまうでしょう。


患者さんが死にそうになっている状態はその後随分恐怖だったしストレスのかかる仕事でしたが、患者さんが何十年も生きてきてそれが終わろうとしている その時を担っているという重大さは、貴い行いで完遂させるしかなく、それを十分に尽くせば満足の出来る仕事になると今は感じています。
看護師さんは、人が死ぬことに慣れたり冷静でいられるように見えるのは確かですが、平気でいられるわけでは決してありません。そういう場面に身をおきながら自分が鍛えられるのでしょうかね。

散漫な書き方になってしまいましたが、そうしたことが看護師になって2年目にありました。
昨日の夕方、新人の看護師ちゃんにその日のケアを振り返ってこんなことを話していたら、「ふぉ~ん…!?!」という反応だったので、バルンカテーテル 膀胱内留置カテーテルを抜く為に考えなければならないこと、それまでにやることについてまとめておきます。


①安静度の指示
 動作の制限があるかどうかを確認。動けないでいる期間・時間、いつから安静が解除になっているのか確認します。

②バルンカテーテルの留置期間
 どのくらいの期間留置しているのか、おおよその日数はどれくらいか。長くなれば、尿路感染症のリスクが高まります。また、膀胱や骨盤底の筋肉群の虚脱を招いて、抜去後に溢尿いつにょう や尿閉などの問題が生じやすいのです。

③併存疾患や現症
 尿路に関連した病気がないか。排尿障害を起こしやすいような病気がないかどうかを確認します。よくあるのは前立腺肥大。また、下腹部の手術をした場合には、手術操作で大小の神経を多少損傷しているために、バルンカテーテルの適切な留置期間は長くなります。
 それから、バルンカテーテルの留置に関連した尿路系の症状がないかを患者さんに聞いたり観察します。尿道が痛いとかカテーテルが煩わしいとか。また、尿の性状がどうか、尿漏れがあったり浸出液が出ていないかそんなことです。いずれでも何か症候があれば、抜去の方向に進みます。

④本人の意志
 トイレや尿器を使って排尿するのはどうだろうと 本人に方法を提示し確認します。
「だったらできそう」、「それはつらい」とか、「やってみたい」、「抜いて欲しい」そういう気持ちが患者さんにあるかを確認しつつ、そうなるように援助するのがバルンカテ抜去の看護です。

⑤安全面での条件
 患者の身体能力、危険回避の能力、全身的な症状について情報を収集した末に、バルンカテーテルを抜去した方がよいかどうかを判断し、実行するのは看護師です。出来るだけ抜去し、自排尿を促し援助するのが看護の健全な方向です。
 排尿のたびにトイレに歩くことが困難なら、尿器やポータブルトイレを用意すれば自排尿できるのか
 点滴やドレーンなどのルート類に配慮して動作がとれるか
 患者は1人で安全に排尿できるか、出来ないならばナースコールで知らせられるか
 全身的な状態では、極端な高熱や尿量の減少体の痛みなどはないか
 安全に排尿する為の援助やそのための根拠が薄いままで、排尿の度に患者さんが苦痛や恐怖、危険に晒されるとしたら、それは看護師のせいでしょう?!
 無理なく安全に、そして患者さんの意志が貫かれるような形で自排尿がえられるように、親切に対応することが大切なケアの1つだと言えます。


 上の全ての事柄の観察・情報収集・アセスメントの過程で、こうだからこうしたほうがよい、こんなことあんなことがおこるかもしれない、こうすればこうできそう だとか 全ての情報を提供しながら患者さんと接していきます。患者さんとの会話は、強いて話題を探す必要はなく、話すべきこと尋ねるべきことで疲れるほど山盛りです。

 バルンカテーテル抜去はある日突然現れるものではなく、こうしたケアを日々それぞれの看護師が積み重ねた結果、ある日ある看護師が実施することになります。
看護師は常日頃、今患者の状態はどこにあるのか、次はどこへ進んでいくのか把握しながら患者にもしっかり伝えていくことが回復の推進力となります。
看護師がぼんやりただ患者を眺めているだけでは、患者さんはただ寝ていて苦しんでいるだけで回復はしないでしょう。治療は医師の力で進むのですが、その結果回復するかどうかは、看護師さんに掛かっている部分が多いのだろうと思います。


その若い看護師ちゃんにも最後に話しましたが、
やたら複雑にみえますが、きっと教科書に書いてあるような極基本的なことです。聞いたことないようなことではなく、どんな看護師さんでもそんな発想は出来ると思います。それが、瞬時に出来るか、抜けが多いか、誠実でないか そんなことが出来不出来の違いにはなるでしょう。
2005/05/25のBlog
[ 19:56 ] [ ちょっと一息 ]
この「みんなの」blogの下に、CopyrightはNTTデータにあると書いてありますが、そうなのですか?
へーそうなの? そーなんですかぁ? わたくしたちが書いてる訳じゃないんですか?流用する時は許可が要るのですか? 
そこまで言うことないですか?うぅん だったらcopyrightなんて入れないでもよいですよねぇ…。

2005/05/22のBlog
いくつか 看取りに関することを書こうと思いますが、患者さん そろそろ危ないかな…と ささやかれ始める頃のことをまず今回は書いておきます。

配偶者や子どもさんが 面会や看護に付き添っていることでしょう。

ご本人と意思疎通がが十分出来ない状態であることをきちんと確認しましょう。
意識がないとわかっていても、伝え聞いているとしても、自分で患者さんに話しかけて、苦しくないか、痛いところはないか、体の向きはこれでよいか?、暑いか寒いか? 必ず声に出して、患者さんの体に触れるなどして尋ねます。

返事がない場合は、同じことを全て家族に尋ねます。さらに、会話が出来ているか、患者さんが目覚めることがあるか、目を開けることがあるか?尋ねてみてください。
患者さんの反応が乏しく悪い状態だと解かっていても 尋ねることの意味は、患者さんの変化を家族の人にもわかってもらうためであって、患者さんと一緒に家族の死を迎えるためだと考えています。

家族の方は、いろんな意味合いで死の恐怖を感じています。本人にとっての死の意味は、周囲の人に対するものとは必ずしも一致しません。
看護師や医師は第三者ですから、そのことをいちいち快く思ったり思わなかったりする必要はありません。一人の人の命が終わるという、重大な事実、そしてそれに関わるという重大な私たちの意味合いがあるばかりです。

一般的に、家族は死に目に会いたいと思い、その時に正確にその場に居合わせたいと思っています。家族は病院に付き添うべき時を予言して欲しいと、我々に要望してきます。つまり、「今日は大丈夫か…」「今晩は帰っても大丈夫か…。」というような問いかけです。

毎日心配しながら患者さんの診療・看護に当たっている私たちにとっては、少しがっかりするような言葉ではありますが、現実的には色々事情があるのでしょうし、そこまで家族を憔悴させ、不安にさせているのはこちらの責任かもしれません。家族が付き添わないことを家族の罪悪だとか色々と評定すべきでもありません。

ただ、私が思うのは、患者さんが最後に目を閉じる時息を引き取る時に、患者さん独りでもよいか、それに対して自分たちの後悔がないか。それを敢えて言葉にして確認する時もありますし、長い経過の中で、十分に看護してその死を満足して迎えられる家族なのかどうかを見極めるようにしています(そのような人はその手の質問はしてこないですけどね…)。

具体的には、清拭や足欲等の身体ケアを、配偶者や子どもさんと一緒に行います。死の近づいた患者さんに対して、長い時間付き合うことが少ない中で敢えて丁寧に話しかけながらケアをすることで、十分にその方に尽くしたのだと言う私自身にけりをつける意味もあります。十分にケアや診察がなされていると感じることで、疑いや後悔不審、そういう気持ちは薄くなっていきます。

お父さん、お母さん、おばあちゃん、 これでよかったのだろうか?? 
誰にとっても気がかりに思えてくるものです。療養や人生を通じては、奏功したこともあれば、悔いるべきこともあるのかもしれませんが、死を受け入れざるを得ない時には もはやそのことは本人とは無関係の出来事ではないでしょうか。


この人と結婚して、家庭を作って、子どもが生まれて、仕事をして…、そういう一人の人の人生が立派に遂げようとしていること、苦しみから解放されようとしていること、私はただなんとなく想像したり、家族が話すのを聞いて感心したりしながら、自分がそれに誠実に関わっていけたらよいなといつも考えています。

病院では、看護師が家族の他の第三者として 一番患者さんの死に携わっていて、経験があれば、どういう様子で亡くなっていくのか知っています。患者さんがどういう状態であるか掴みきれない家族には、間接的なり直接なり 伝えることも看護の一部となるでしょう。

その時がくることを悟って、それに準備するのは家族ばかりでもなく、私達自信の為でもあります。次回は、本当にたった一人で亡くなっていった患者さんと私について書きます。
2005/05/15のBlog
[ 23:58 ] [ いわゆる看護研究のテーマ ]
今日思いついたものとしては…、
予定より早くケアをやることの有害事象、成果、看護師の説明
みたいな事の実態・関連を明らかにして、対処法を示すこと。

私は日々色々テーマは思いつくほうで、おぼろげ且つ壮大で偉そうなものでなく、非常に地道で現実的なよいテーマを思い付きがちだ。壮大なことしか言えない様なそういう若い頃もあったけれど、実際に働いていると、こういうことに関しては 実は誰も調べてもいないしデータも根拠も何もないんだよなー って思うことが沢山あるから、知りたくなったり、誰か調べてくれ、と思う。よく思う。

思いついたテーマをこっそり密かに自分の手柄にしたいわけでないから、書いていくことにしました。看護のデータがもっともっとあればいいのになと そんな願いと、何でも自分だけではできないなという気持ちからです。


いわゆる看護研究をやらなければならない人が気に入ったものがあればどうぞやってみて欲しい。だけど臨床での看護研究は看護の実践や患者の利益に直接繋がるものでなければならないと私は思うので、それぞれの現場の実際に即したものに変造して、視点と方法のヒントにしていただければと思う。
ちなみに、今日思いついたものは、いわば ポジティブバリアンスに関することと言えますが、早めにケアをやることの害が実はある様な気がするのと、逆に満足が高まってよかったようなこともあり、実行を決定している要因はケアの種類によってある程度典型的で、また有害事象が起こるタイプのケアもある程度推定できるから、事前に患者にどのように説明して(リスクコミュニケーション)意思決定をさせているか 調べてみる必要があるなと感じることがいくつかあったことがきっかけです。

方法としては、そういうエピソードを拾うことが実は難しいので、前向きにそういう事例があったらノートに書いたり、私に知らせてもらったりして、記録やフォーカスグループディスカッションから ある意味質的に分類していってもよいかなと思います。
私の現在の職場なら、食事開始、バルン抜去、安静解除 こうしたことが題材で、量的には全イベント数における ケアを予定より早めた頻度や そのうち問題が生じた頻度を調べ、内容を考察すると共に、必要な事前のリスクコミュニケーションを検討すると言う感じかな。

ちゃんとやれば 意味のある研究成果は得られると思いますね。
[ 18:02 ] [ ちょっと一息 ]
真面目な話は置いといて、病院での看護師の仕事の面白さについてちょっと考えてみます。

みなさん色んな仕事をいていて、時々面白く感じることがありますよね。
例えば、お店で働いているとしたら豪快に多額の買い物をしていった客がいたとか、芸能人が来たとか、売り上げがすごく良い同僚がいるとか、出入り業者のおじさんのかつらがずれていたとか 何かしらデイリーなオモシロエピソードがあるでしょう?

病院だったら それがどのようなものか考えてみると、楽しいかどうかは別として、意外な出来事、腹立たしい出来事、他人の失敗、極めて不幸な出来事なんかが 会話のネタとなります。
それがオモシロく感じるかどうかは別として、そういうことに興味があるかないかが仕事をやっていく面白さに影響すると思います。

例えば、
○○先生 また採血のときシーツを血だらけにした。
○○先生 昨日も今日も同じ事言ってた。
○○さん 手術当日なのにご飯食べてた。
○○さん 血を吐いたのに懲りずに一気喰いした。
○○さん 先生に処置してもらえない。
○○さん 大暴れしてた。
○○さん 痛そうでかわいそう。
○○さん よくなるのかな?
○○さん もぅ退院しちゃった。
○○さん お見舞いの娘さんが美人だ。
○○さん いちいち要求が多い。
○○さん 家族の話が長い。
○○先生 怒られてた。
看護師○○さん こんなこと あんなこと言ってた。
○○って薬初めて見た。
○○って手術こわいねー。
○○さん すごーく大きな手術したらしい。
○○さん ドレーン沢山入っててかわいそうだねぇ。
どこどこのひと すごい感じ悪いよね。

と、基本的に 看護師医師患者が標的になる オイオイなエピソードが多い。中には、○○先生って立派ー!! ○○さん偉いねー!!というのも目立つことはあります。
オイオイとか やっちゃったーとか あるいはストレス発散系ではありますが、私はこれらのこと大学の仕事よりは罪がなくて面白いと思うんです。

大学の教員だと、こうした失敗や愚痴が シャレにならない種類やレベルのものがあるし、心底呆れることがあります。そうなってくると その仕事を続けていく希望や自信が失せちゃうんです。だから私は病院で働く方が好きなのかなとも思います。


○○先生の講義の資料は教科書丸写し。
○○先生の論文 他の有名な論文と似てる。
○○先生 休んだらしい。
○○先生の授業、レベルが低い。
○○先生の論文、日本語がおかしい。
○○先生、研究費で○○買ったらしい。
○○先生、○○先生と喧嘩したらしい。
学生○○さん また実習休んだ。
○○先生、教授になった。
○○先生、学位がないらしい。
○○先生、1日何やってるんだろう?
○○先生、英語の文献はひけない。
○○先生、専門ってなんだろう?

・・・ね、結構どれもこれも本当は深刻なのに、イマイチ興味をもてないと言うか、聞いたり言ったりしながらなぜかエネルギーが萎えていきます。
これは特定の大学や組織に限定したことではなく、ごく一部の大学を除いて日本だったら似たようなものかと思います。

他の業界だったら もっと真にオモシロネタあるだろうと思うんですよね。
例えば「ドラマで共演して意気投合」みたいなこともだし、演奏やお芝居が素晴らしいとか、よい作品が出来たとか、美しい人がいるとか、すごいヒット商品を出したとか。
で、どの業界にも共通するのは かつらとか肥満とか結婚・離婚、そういう話題かな?!

大学の仕事は 限られたメンバーで毎日過ごしていくので、どうしても内容的にも頻度的にも面白い話は少ないですね。病院は人の出入りもプレイヤーも多いし、出来事の一つ一つは人の生き死にに関わっていて重大ですから 刺激的であるとはいえますね。

全体的に、不謹慎に聞こえてしまったら 病院社会や大学社会にも申し訳ないですが、こうした日々が 看護師の仕事ともいえるかなとも思います。挫折する人挫折しない人といのは 大きく分かれていて、それを考えていて書いてみました。
2005/05/09のBlog
[ 20:42 ] [ 検温やラウンドでの看護 ]
たまには 真面目な記事書きます。せっかくソファーも買ったので。

さて、前回までに、朝の勤務開始時、午後、夕方の検温やラウンドでやることを書いています。
入院患者の一日と言うのは、午前中に治療・検査 午後には指導ものや 結構大きな検査(侵襲の大きな)が終わって帰ってくる なんて大まかな過ごし方となります。中には、その日の予定が何もない人もいます。

で、夕食後から消灯までに行うことが ここでの話です。
この時間には、殆ど全ての患者さんは寝るための支度をすることになります。スタッフが沢山いるわけではないので、夕方一斉にラウンドした時点で、誰に何をやるのかは予め決めておきましょう。

それから、患者さんにもその旨を伝えておきます。19時20時くらいには面会時間も終わり、病棟の中も静かになり、夜も更けて、患者さんはいろんなことが心配になります。このまま誰も来ないまま電気が消されてしまうのか…、自分で動けない人、痛みなどの症状がある人ではなおさらです。寝るまでにあなたにはどんな支度が必要で、私はどんなことをしてあげるのか そうすれば安心して眠れるでしょう という看護の脈絡をつけるのです。

一般的には、歯磨きや顔を洗ったり拭いたりするケア。おむつの中が乾いていること、着物や寝具のしわが伸びていること、手許に必要なものがあること、オーバーテーブルを整理して物が落下しないようにすること、十分な寝具があること、灯りにすぐ手が届くようにすること。教科書に載っているような本当に基本的なことです。
それから、眠れないだろうと予想される人には、何が原因なのかを一緒に考えること。痛みや吐き気などの理由があるのか?心配事なのか?日中昼寝を沢山してしまったのか?どうすれば眠れるか患者と話しながら、きちんと結論を導くようにします。睡眠薬を何時くらいに内服するのか点滴するのか、何時まで眠れそうなのか、目が覚めた時にどうするか?痛み止めを使うときも同じです。

もちろん症状があれば、それは経過観察していてよいものかどうなのか 意見を述べてあげなければ、薬を使うなどの結論は患者さんは出せません。術後○日目だからまだ痛いですね、とか 夜はどうしても気になりますねとか 基本的には薬は使わないで生活していけるように考えるのですが、無理に我慢しなくてもよい基準は患者さんには伝えていかなければなりません。異常だと判断されれば、それなりに対処します。

それから 眠っている間も体についているルートや器具が適切で安全であるかを考えることも大切です。絡んだり 邪魔になったり 引っかかったりしやすいのは、看護師のせいです。また、夜中にルートを確認しやすいように、ルート類を整理するのも大切です。なるべくなら 患者を動かさず起こさず、夜も全ての種類のルートの全てを観察できるほうがよいです。トイレに行ったり自分で動く患者さんには、夜もルート類に注意するように指導し、わからないことがあったらナースコールですぐに呼ぶように話します。

体にガーゼや包帯がある患者さんでは、それがずれたり剥がれたりしないかをきちんとみておきます。既にガーゼに体液が滲みているような場合は、包帯交換・ガーゼ交換をする必要があります。

ここまでは、全て一般的なことで、教科書に書いてあるような基本的なことばかりです。いちいちそんなことメンドクサイなとか 本当にそんなことまで看護師さんはしてくれるか?と思う人がいるかもしれません。
だけど、私は本当に そういう基本的なことをやっています。自分でも不思議に思うのは、年を取って経験を重ねれば重ねるほど、こういった基本的なことをただひたすらやっているのです。

患者さんが喜んだり感心してくださることは、特別な技術であることももちろんありますけれども、こうして 患者さんの症状について 具体的に色んな側面で尋ねて考えて、自分の考えや知識を伝えて、そして患者さんの意見を聞いて それに従って動いていることばかりです。
若い時と違うのは、色んな手を知っているというよりは、若い時よりもずっと素直に患者さんの話を聞いているように思います。患者さんに質問することに躊躇がなく、患者さんと話すのに自信があるのかもしれません。

だからと言って自信満々と言うわけではありません。今 昔を思えば恥ずかしいように、何年か経てば、きっと 自分は至らないことをしていたなと 苦い思いをするでしょう。
昔の自分は、至らないのだけど、その時はその時で誠実にやっていたつもりなので、後悔するとか そんな深刻な気分にはなりません。自分は日々時間を先に行くだけです。

だけど、後悔しない為に注意していることはあります。
あと何年生きられるかわからない人のある1日を共に過ごした者として、気持ちよく過ごしてもらう、不安に苦しむのでなく和らいだ気持ちで過ごしてもらう、棘になるようなことはしない こうした気持ちは寝る前の看護では特に大事だと考えています。

2005/05/06のBlog
そういうわけでして、クリティカルパスウェイ以外の記事も増えてきましたし、よその場所に書いているものもいちいち開いていただくのも煩わしいでしょうから、基本をDoblogとして 気になる話題について 情報を充実させていこうと考えています。

書いていきたいことの中の大切なものとして、代替療法のことがあります。ここ3年くらい結構気にしていたのですが、まるまる2年ブランクが出来てしまいました。先日 文部科学省奨励研究の交付内定を貰い、改めて人工炭酸泉や代替療法の資料を開いてみました。前回研究会用に作った資料が ちょうど2年前の5月のものでした。

研究費が出ることを機に 再びお勉強と研究の世界に戻ることとなったわけですが(気持ちと頭だけです。体は病棟で看護師してますから…)、転地療養や長期療養がもたらす人間の回復だとか 生気候 気候物理 みたいなそういう観点を深めたくて、そして患者が病気を治すそのやりかた みたいなものを実践したい…そんな気持ちが蘇ってきました。

温泉でも 運動でも 食事でも あるいは タラソテラピーとかクナイプやシュタイナーなど何か特定の療法でもよいのですが、物理的化学的な作用とは異なる 患者自身が回復したと感じる為の機序や要素を明らかにして、看護学で言うところの 自立して健康を維持しようとするあるいは健康へ向かう を補完したいと考えているのです。補完と言うのは、医学的療養に対する看護とは別で、代替療法にまつわる回復だと考えられます。

私はそれを ダメージと再起の看護 あるいは 回復学と名づけたいなぁ…なんて勝手に空想していたのが ちょうど2年前に作った資料の中身でした。

観光学なんかとも関係があると思いますが、それに関してはまだ勉強も研究も実務も何も実績がありませんので、これからちょこちょこやっていきたいと思います。自分もハッピーになれる仕事もしたいというのは、少なからずあります。自然の恩恵を自分も肌に感じながらなんらかのtherapyをやっておられる方そういうのにあこがれているわけなんですねー。

ちょっとそれますが、酸化マグネシウムのお薬を飲むより 高価な天然のにがりを買って料理に入れるわけです、多くの人は。私は特に、化学物質で短絡的なことをしたくないし、自然のプロセスって言うのはとても大切だと思うんですよね。サプリメントって本当に大丈夫なんでしょうか?そして必要なのでしょうか?だけど医学や化学の解決方法はそれなんです。

それから、正直、病院の中の厳しい場面ばかりに立会い、その仕事で一生終えるわけにはいかないと思うんです。今更看護婦の癖に…と言われるかも知れませんが、明けても暮れても悲惨な病気の人ばかりで こちらも疲れるし萎えてしまいます。

私の場合は、最後に自分が偉くなりたいというよりは、自分が思い通りにのんびり人間らしくやれるか、健康でハッピーなお客さんや、明るく清潔で清々しい自然の風味の漂う場所で仕事が出来るというのが 一番の贅沢な理想です。
音楽が流れ、風がそよぎ、日が当たり、窓を開け、お茶をいれ 語らい手当てする。そういうのが回復には必要ではありませんか? 集中や忍耐、休養、修養。療養は本来とても厳しいものです。だからこそ 環境や人 大事なんだと思うんですよね。そんな最高の環境と資源があってこそ、最高の療養とその成果も生まれるはずでしょう。


長くなりましたが、タイトル変更の経緯あれこれでした。今後ともどうぞよろしくお願いします。
ちなみに、写真は 杉の子ども、引用。
2005/05/04のBlog
[ 23:29 ] [ ちょっと一息 ]

あしかがフラワーパークに行ってきましたので、写真を少しだけ
2005/04/23のBlog
[ 10:02 ] [ ちょっと一息 ]
[関連したBlog]

lobbyistなる ちゃんとした言葉があるんですね。

わたくしたち大学生の頃、60名くらいのクラスで、大体いつも同じ場所で授業を受けていました。その学科が1つの建物をほぼ占有しており、教室は1階にありました。建物を入ったすぐにジュースの自動販売機と古ぼけたソファーが置いてあり、そこを「ロビー」と読んでおりました。
そのロビーは、講義の出席に遅刻した者が教室に入るのに躊躇したり、授業に耐え切れたくなって抜け出してきた、授業以外の用事で学校へ来てしまって行き場所がない、卒論を取らずに所属教室がない、タバコを吸いたくなった、ヘンな時間にご飯が食べたくなった人、時にはホームレスも、どこか中途半端な落ちぶれた人が誘い合わせるでもなくなんとなく集って会話をするような場所になっていきました。
教室よりもロビーがメインと言うような人もいて、やがて「ろびーすと」なる呼び名が出来ました。

したがって、TBしたlobbyistとは真逆な感じもしますが、懐かしく思い出された次第です。
2005/04/15のBlog
[ 17:38 ] [ 注射や採血 ]
刺入

静脈内の勢いがよいと、静脈内に針が納まると注射器の針基の部分に血液が逆流してきます。そんな気配があってもなくても針は2センチほど入ればよい。

短すぎると、血を引いているときに針ごと抜けてしまうことがあります。長く刺しすぎると、静脈に届いた上に針がその先の血管壁を破ってしまうことがあります。そうした場合にも腕の中では出血しているから採血はできますけれども、痛いですし内出血しますし、動脈や神経などを傷つけてしまう可能性が高くなります。

静脈に針先が届いた感触は、ずーーっと肉を刺しているの感じではなくて、液体・柔らかい部分に刺さった と言う感じです。
で、針が届いたら、注射針・注射器と患者の腕を固定させて、反対の手で注射器を引く。


駆血の解除
必要な量の血液が引けたら終わりですが、針を抜く前に絶対にしなければならないことが、駆血帯を外すこと。
針を刺したままで行うので、片手で外せるように巻いておかなければ相当に困るでしょう。

また、駆血帯をしたまま針を抜くと、血がダラダラ溢れてきます。残念ながら一度くらいはそんなミスを犯してしまいます…、驚くやら汚れて面倒やら謝らなきゃだわ…、二度とそんな失敗はしなくなります。

抜針
アルコール綿を添えて、

止血
針をさっと抜いたら、アルコール綿で圧迫する。
針が抜ける前に圧迫をかけると、針先で血管や皮膚を切ってしまいます。

それで…、
患者さんはそこでもう安心してもらってよいのですが、
我々は抜いた注射針に十分に注意を払わなくてはなりません。ここでは、注射器で採血をしたためにリキャップをしています。採血管に移し替えたり針を変えたりするためです。
できれば、安全具を用いた方がよいでしょう。また、ここでは素手で行いましたが、手袋をすることが当然奨められます。手袋は患者さんの為でもありますが、一番は血液由来感染源への曝露を防ぐ為です。仮に針が刺さってしまった場合でも、手袋があるのとないのとでは、血液の体内への流入が少なくて済むという理屈です。

保護
点滴の抜針でも書きましたが、凝固や針穴が塞がる仕組みを考えると、2~3分くらいは圧迫しておいた方がよいです。
止血が十分でないと、皮下や表皮に出血