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Don't Let Me Down
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2006/04/14のBlog
医療、介護保険などの身近なものから、教育基本法、憲法などの理念的なものまで、現政府の”改革”は合理性を欠くだけでなく、強者のみを優遇する”思想”に貫かれている。

ぼくたちはこれにどう反対すべきか。

最近のフランスのようにデモ、ストライキなどの”直接民主主義”で対抗すべきなのだ。

だがこの遅れた国のおくれた人民!には、そういう思想と実践力が乏しい。

選挙で現政権を倒すか、その数を減らすしかない。
だから、ぼくはブログを始めて以来、選挙のたびごとに、現政権党に投票しないことをしつこく呼びかけたではないか。

だが、目先の利益しかみえないものたちは自民党・公明党を勝たせ続けている。
たしかに交代野党のていたらくも問題である。

現在も小泉政権は減ったとはいえ50%近い支持率をもち、憲法”改正”支持者も過半数以上をキープしている。

一方、支持政党なしや選挙での棄権者も多い。
これらの人々は”小泉政権”を支持していない。
だが他の選択肢がないのだ。
ぼくも同じだ。
だが”現政権”を減らし、倒すためだけに投票には行っている。

現状のように、強い与党を出現させてはならないのだ。
かれらは何でも勝手に決めてしまう。
法案が提出された後ではいくら反対しても”実効”はほとんどない。

そういう意味では、”現状”は絶望的である。

だが直接民主主義を準備しなければならない。
まちがった動きに対して発言すること、書くことも直接民主主義である。
その効果がどんなに期待できなくともだ。

ぼくはこのブログで自分が書いていることに効果があるというようなどんな幻想ももっていない(だから時々いやになる)

だが、考える人がいて、批判力を失わない人がいて、彼らが書き続け発言し続けることが必要である。

ブログはそのような場でありうる。
無数の声を結集しようではないか。

未来へ向かって。
今は空しい声であっても。

仕事に行きます。

[ 04:14 ] [ 日記 ]
ぼくには子供がいません。

これからどのような”教育”がこの国で行われて行くのかに、直接の利害はありません。

だが今、学校に子供をやっている親、および自分が学校に行っている”子供”は(減ったとはいえ)たくさんいるんでしょう。

ボケている場合じゃないと思うよ。

とくに現在親である方々の”教育”にたいする鈍感さには、かねがね不思議儀な気がしています。

現在親である方々は、自分の子供にどのような”教育”が行われており、その方針がさらに変えられるつつあることをどの程度ご存知なのでしょうか?

ぼくは、全然知りません!(子供がいないし、ぼくは教育現場に関与していません)

だが”想像”できます。
おかしなことになっていると思う。

どうしてこういう肝心なことを無視して、あなたたちは何に関心があるんですか?

<追記>
ぼくは”教育”は基本的に親が行うものでも、学校が行うものでもないと思う。

教育は自分が行うものである。

だから、親や学校は”最小”でありたい。

サジェスチョンを与えればいい。
(あとは自分でやんなさい!)

親や学校が過剰に出しゃばったらだめなのだ。

だから、国家が教育にとやかく言うのも”最小”でありたい。

<再追記>
だって、国家が教育にとやかく言うのは、”自分に”従わせるためでしょうが!

[ 03:59 ] [ 日記 ]
<教育基本法改正案全文を了承、与党協議会>
アサヒコム2006年04月13日23時44分

 自民、公明両党の幹事長や政調会長らでつくる「教育基本法改正に関する協議会」は13日、与党の検討会がまとめた改正法の文案を最終報告として了承し、安倍官房長官と小坂文部科学相に法案提出に向けた作業を要請した。しかし、同日夕の自民党の文教関係の会議では、公明党との調整に手間どった「愛国心」「宗教教育」「教育行政」の条文などについて異論が続出した。
(略)
自民党の文教関係の会議では、「愛国心」を表現した部分に入れた「他国を尊重し」の文言について、「北朝鮮も尊重するのか」という不満の声が上がるなど異論が続出。「日本国憲法の精神にのっとり」「不当な支配に服することなく」との文言が残ったことなどにも批判が相次いだ


このように自民党の人々は、
”他国を尊重”したくない、
”日本国憲法の精神にのっとった教育”をしたくない、
”不当な支配に(国民を)服させる”教育をしたいわけだ。
[ 03:34 ] [ 日記 ]
昨夜は妻と近所のそば屋で魚天婦羅や鳥わさでビール飲み、天婦羅うどん食べて帰り8時前に寝てしまった。

起きたら3時だった、どうしましょう?
まったく頭活動せず。

NKM (kaw)さんブックマークします。
2006/04/13のBlog
[ 15:34 ] [ 日記 ]
ぼくがここでいろいろな”意見”を述べているのは、熟考の果てでも、ぼくに正しい”理念”の確信があるのでも、ぼくに燃えるような”理想”があるからでもない。

ぼくは”他人に小突き回される”のがいやなのだ。

他人を小突きまわすのが平気なひとを憎む。

それはぼくが自分の人生で国家や社会と称するものの大きな権力と、自分の生きる現場(学校、会社、親戚関係など)での具体的な”小さな権力”に小突き回されてしまったことへの、後悔と、怒りから発している。

ぼくは”あきらめ”が悪いのだ。

あるいは、すぐあきらめ、すぐ受け入れ、ものごとを”よい方に解釈する”ひとの欺瞞がきらいなのだ。
悪い方に解釈したいんじゃない。
ありのままに解釈したい。


[ 14:49 ] [ 日記 ]
snapshot 948ヘの注記

まさに”国旗・国歌法”がもたらしているものが、ファシズムではないか。

”教育基本法の改正”と、それに続く”憲法改正”こそがファシズムではないか。

その”本質”をみるならば。

なにもむずかしいことなどないではないか。
あなたが宣伝に踊らされず、ものごとを真っ直ぐに見るなら。

権力が不正な意図をもって、”法”の改訂をめざし、それに大衆が同意するなら、それはファシズムである。

この世界やこの人生には難しい問題が多い。
実践的にも観念的にも難しい問題が多い。
たぶんそれらは”解決”されることはない。

それらの問題に取り組むこと自体、その思考と実践こそが”人間”なのだ。

だが権力の仕掛ける”法の改正”作業は、そういう難しい問題ではない。

”権力”の意図は常に単純である。

それを”暴力”と呼んでいい。

権力とは自己の”力”を単純に求めるもののことだからだ。

あなたは、何に迷っているのか?
教育基本法の改正、憲法の改正に反対すべきだ。

<蛇足>
現憲法や教育基本法が”完璧”でないことは明らかである。

時代の変化の具体性に対応できてないことがあるだろう。

しかし憲法や基本法は”理念”を表現している。

だから現在の”教育基本法改正案”においても、個々の教育方針の具体性ではなく、”愛国心”のみが争点となっているのだ。

憲法も同様である。
現憲法が”環境問題に対応できてない”というような具体が問題になっているのではない。
”戦争をしない国であり続けるか否か”の理念が問われている。
国が国民を支配し、命令することの復活が問題となる。

だから問題はシンプルである。
ぼくたちは間違った”理念”を選ぶことはできない。
[ 13:23 ] [ 日記 ]
”ここんところ、すごくうまいね”
”これはなにを言っているのか、よくわかんないな”
わかんなくっていいのだ。千年前の文章が、ゆっくりと時間をかけて、風のように私たちの体を通り過ぎてゆく。

上記は今Amazonマーケット・プレイスから届いた「現代思想の冒険者たち:バルト」のあとがきで著者鈴村和成氏が書いている”親子読書会”の光景である。

”私が音読し、息子は聞いている”
読んだ本は小学生の頃はエンデの童話、カフカ短編、キングのホラー。「ドン・キホーテ」、「千夜一夜」、旧約・新約聖書も読んだ。
今は息子は中学生で「源氏物語」を注釈つき古文で読んでいる。
上記の”千年前の文章とは、もちろんバルトでなく「源氏」なのだ。

”身にしみてわかったことは、すぐれた古典は子供に理解できるように書かれているということ”
”音読すると読書のスピードが落ち、テクストが身を起こし体のなかに入ってくる”
”つぶつぶとした言葉の肌ざわり、これが文字どおりの悦楽を与えてくれる”

ぼくはここに、”読書のユートピア”が実践されているのをみる。
ぼくの音読を聞いてくれる息子・娘がいないのが残念だ。
ぼくが幼児の頃、仕事の休みの日の母は本を読んでくれた。
また、ぼく自身(たまに)妻に本の一節を音読することがある(近年、ル・クレジオの短編「雨季」は全部音読した)

読書には”悦楽”ばかりがあるわけではない。
不快な読書も多かった。

しかし、”読書のユートピア”は可能だ。

それは”そこに”あり、すぐに実行可能である。
コストもかからない。

だが、たぶんそれは対象(本)の問題であるよりも、こちらの心の状態の問題であろう。
音読する対象が必要なら、そのひととの関係の問題なのであろう。

関係があるから、読書を通しての関係が可能なのであり、読書を通して新たな関係を生み出すことも可能だと信じたい。

なにを読むか?
ぼくはそれを何度も検討してきた。
そのリストを提出することができる(といってもそれも暫定的である)

いまぼくは”西欧の”思想家たちの”解説書”をよんでいる。
その”人”は広がっていく傾向なのだ。
一方”日本”が知りたい。
ぼくは幼児から翻訳モノのほうに馴染んできた。
「源氏物語」を読む。
そして日本の近代こそが問題なのだ。
たぶん漱石に向かう。

読書のユートピアは可能である。
テレビを消して本を読む。
[ 11:34 ] [ 日記 ]
昨夜はどうでもいい深夜エロ映画をみていて寝たのが遅く、今朝も遅く起きた。

新聞1面トップは”愛国心”である。

朝っぱらから愛国心ですか、しんどい。

与党は教育基本法を”改正”しようとしている。
ところが”愛国心”をめぐって、自民党と公明党がもめていたわけ。

それが表現を変えることで決着、今国会に提出される。

”愛国心”は自民、公明の妥協による”寄せ木細工”(朝日)となったわけ。

この”改正案”をつくる側だった中嶋国際教養大学長(こんな大学あったの?)の談話がでている。
”「愛国心」はファシズムの時代なら危険だが、現在のように民主主義と個人主義が貫徹している社会では、使ってもまったく問題はない”

このひと、ボケ老人ではないのか!(失礼、痴呆症老人ではないのか)

いったいこの社会のどこに”民主主義と個人主義が貫徹”してるんですか!

ぼくにはまったくそうは思えません。

”ファシズム”とはなんですか?
定義してください。
現在日本社会が”ファシズムでない”という根拠はなんですか?

こういう人はヒットラー体制下でも大学の要職にあり、”現在はファシズムでない”と言う人々なのだ。

もちろん現日本にはヒットラーのような”明解な”独裁者はいない。
テレビに象徴される”多重人格”の独裁者がいるだけだ。

この”改正案”で自民党は、現教育基本法にある”日本国憲法の精神に則り”という表現や”(教育は)不当な支配に服することなく”という文言を削除しようとしていた。

自民党の意図は明らかではないか。

改正案が通れば、”愛国心”教育が強化される。

1999年に成立した国旗・国歌法につき、今は亡き良心的歴史学者網野義彦氏が”自分たち歴史学者が無力だった”と激しく自己批判し、”失敗を自覚することが、新しい前進を真に支える力であり、敗戦前の”亡霊”たちが姿をかえてわれわれの前にはっきりと現れてきた現在こそ、まさしく(日本の歴史についての)総括の作業を開始する最適の時点と、私は考える”(2000年、講談社日本の歴史00巻、<「日本」とは何か>)と書いたのが思い起こされる。

だが、国旗・国歌を強制する動きは東京都教委を中心に激しさをまし、教員が処分されていることは周知の事実だ。

つぎはこの”愛国心”である。

彼らの意図は明瞭であり、ぼくたちはこのような権力の暴力を、呆然と見ているだけだ。

奪われるのは”日本”の伝統と文化である。

それは古代から世界-内としてしか存在していない。
”は”世界”とこの列島をむすんでいた。

ある地域に根ざした情念は、世界と交流することで”普遍”をめざす。

”私”という特殊は、自分の生まれ育った地から発して、世界と交感し、普遍としての”個”を目指す。

”愛国”の閉鎖をいいたてる思想は、たんなる”野蛮”でしかない。

2006/04/12のBlog
[ 18:10 ] [ 日記 ]
ぼくは”社会派”ではない。

学生の頃は日本史や社会の授業が嫌いだった。
高校のころ日本の労働運動史を調べる課題があり、三一書房の本を読んでうんざりした。
なんてダサイんだと思った。
大学に入るまでマルクス主義などには何の関心もなかった。
ぼくの育った環境は”文学的”であった。

ぼくの中には今でもこのような感性がある。

昨日アルバイト行き電車で中吊り広告を見た。
”文芸春秋”の広告で、”美智子さん”の顔写真とオードリー・ヘップバーンの写真があった。なつかしかった。それは”50年前、この国には希望があった”という特集なのだ。

その隣の中吊りはコミック雑誌で、オッパイの部分がくりぬかれたメイド・コスチュームの二人の少女が”ご主人様、お帰りなさいませ”とか言っているのであった。

まったく皮肉な取り合わせであった。
”50年前に希望があった”としても、それは消えてしまった。

このとき、ぼくの中で怒りがくすぶるのだ。

今夕刊を見た。
地味な記事。
”連続インタビュー歴史意識”に東京大学で客員教授をしていた中国人教授ワン・フイ氏の談話がでている。
”外交的な配慮から(日本の)政治家が靖国参拝をやめたとしても、共有する歴史認識がなければ基盤は脆弱だ、と考える”
”歴史認識は自己をどう認識するかという問題だ”
”日本という国、社会を日本人がどう理解し、内側からどのように歴史を再確認するか。そこに初めて、次ぎの暗黙の了解が生れる”
”中国の台頭で東アジアの構造が変わった。中国、日本とも更新を迫られている自己意識を探りだせない”

きわめてまっとうな意見だと思う。

歴史意識は自己と自国に対するごまかしのない認識を基盤とする。
当たり前ではないか、ほかにどんな”認識”があるのか。
この当たり前のことが当たり前でないことが、現在の”靖国問題”なのだ。

中国との関係だけではない。
もうひとつ地味な記事。
”水俣、運命共同の地で”
485億円を投じた工事は1990年3月、東京ドーム13個分にあたる58ヘクタールを埋め立てて終了した。
かつて水俣湾は”キラキラ光る水面で魚がはね、海辺でカニが戯れる。穏やかな波と心地よい潮風……”であった。
その夢を今でも見る大矢さんは魚が大好きだった父を”奇病”でなくした。父は38歳であった。

これは国内問題であり、水俣病についてはすべての日本人が知っている。
ただ、”知っている”のだ。
ぼくも特に関心をもったことはない、この記事もたまたま読んだ。

だがこの記事の最後にこうあった。
埋立地は公園になりその一角に水俣病患者や家族、支援者でつくる「本願の会」が「魂石」を置いている。
その一つにあった言葉。
ここは海でした

胸を突かれた。

50年前この国には希望があった

<追記>
50年前の1956年ぼくは10歳(小学4年生)で夏休みに初めて母の職場軽井沢へ行った。その時の絵日記が残っている。
ぼくは「海底2万里」を読んでいる。
この絵日記の絵は母によって修整されている!
ぼくは普通の子供でカブトムシなどを飼っている。
同級生の子に恋をしたのもこの年だ(千草さん元気!)
テレビは存在していなかった、影も形もなかった。
[ 16:58 ] [ 日記 ]
ただいまネットニュースを巡回しました。

目についた項目以下の通り。

ノー・コメント!!

★座長案「国・郷土を愛する」を明記…教育基本法改正

★医療改革法案審議、野党「欠席」で開始 衆院厚労委

★桶川事件の夫妻、原告の力に 栃木リンチ殺人判決

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★都内の公園でハトが大量死 鳥インフルの可能性低く

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★ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリー、出産はアフリカで!

★多くの米国民「自分以外は皆太り過ぎ」=調査

★進藤晶子「新婚の実感まだ」