Blog
2008/04/09のBlog
[ 10:37 ]
[ 日記 ]
最近朝起きて、パソコンを開き最初にすることは、ニュースを読むことでも、天声人語を読むことでも、ぼくが関心をもっている方々のブログを読むことではなく、“スパム・コメント”を削除することである。
もちろん朝だけでなくて、ほぼパソコンを開くたびに削除する。
みなさんよく御存知のようにdoblog自体もこれに対する“対策”を行っているわけだが、ぼくはめんどうなのでなにもしない。
ただしこの“めんどう”ということにも根拠がある。
つまり、ぼくはこの“スパム”を削除するたびに“現在を生きていることを”を実感するのである(笑)
つまりあらゆる“スパム”を削除するためには、現在の資本主義システムを否定しなければならないということを“実感”するわけである。
あなたが毎日平気で見ているあらゆる“広告”は、“スパム”ではないのだろうか?
これらの“スパム”攻撃をまぬがれることは、この“システム下”では原理的に不可能である。
だから主体的に“反撃”しなければならない。
だからぼくは、“広告のある”テレビを“見ない”し、新聞チラシを見ないで捨てるし、街で出会うあらゆる広告、電車の中刷り広告などをチラッと見て目をそむけ(笑)、このブログにへばりついた糞は手動で削除する。
つまり、生きることは、自分が認められないもの、嫌悪するものと“一緒に”生きることを意味する。
ぼくがいくら“消えてくれ”と念じても、“相手”はそう簡単に消えてくれない。
というか、そういうぼくにとって“不快なもの”によっても、ぼくが生きている可能性があるのである。
けれども、だからといって、そういうシステムを、“受け入れたり”、“適当に妥協して人生の達人”になる必要はない。
“ない”のである。
だから、マーティン・ジェイ等にならって、ぼくも提起したい;
現在における決定的な問い;
《真の民主主義とは何か?》
これこそ現在における、もっとも“過激な”(ラジカルな、根底的な)問いである。
この問題については、ただちにフォロー・ブログを書きたいが、この問題提起にそって今後“このブログ”は持続的に展開される(この問題を1回のブログで書けるはずがない)
これから朝食なので、その後にもう一度考えてみたい。
その間(待ちきれないひとは;笑)不破利晴ブログを読んで準備していて下さい(笑)
もちろん朝だけでなくて、ほぼパソコンを開くたびに削除する。
みなさんよく御存知のようにdoblog自体もこれに対する“対策”を行っているわけだが、ぼくはめんどうなのでなにもしない。
ただしこの“めんどう”ということにも根拠がある。
つまり、ぼくはこの“スパム”を削除するたびに“現在を生きていることを”を実感するのである(笑)
つまりあらゆる“スパム”を削除するためには、現在の資本主義システムを否定しなければならないということを“実感”するわけである。
あなたが毎日平気で見ているあらゆる“広告”は、“スパム”ではないのだろうか?
これらの“スパム”攻撃をまぬがれることは、この“システム下”では原理的に不可能である。
だから主体的に“反撃”しなければならない。
だからぼくは、“広告のある”テレビを“見ない”し、新聞チラシを見ないで捨てるし、街で出会うあらゆる広告、電車の中刷り広告などをチラッと見て目をそむけ(笑)、このブログにへばりついた糞は手動で削除する。
つまり、生きることは、自分が認められないもの、嫌悪するものと“一緒に”生きることを意味する。
ぼくがいくら“消えてくれ”と念じても、“相手”はそう簡単に消えてくれない。
というか、そういうぼくにとって“不快なもの”によっても、ぼくが生きている可能性があるのである。
けれども、だからといって、そういうシステムを、“受け入れたり”、“適当に妥協して人生の達人”になる必要はない。
“ない”のである。
だから、マーティン・ジェイ等にならって、ぼくも提起したい;
現在における決定的な問い;
《真の民主主義とは何か?》
これこそ現在における、もっとも“過激な”(ラジカルな、根底的な)問いである。
この問題については、ただちにフォロー・ブログを書きたいが、この問題提起にそって今後“このブログ”は持続的に展開される(この問題を1回のブログで書けるはずがない)
これから朝食なので、その後にもう一度考えてみたい。
その間(待ちきれないひとは;笑)不破利晴ブログを読んで準備していて下さい(笑)
2008/04/08のBlog
[ 08:50 ]
[ 日記 ]
今日は天声人語を読んだが、もう書かない。
ひとには“どて腹”になる自由もある。
ただ予想どおり天声人語氏は“どて腹”であることがわかった。
昨夜(ミッドナイト)書いた文章を貼り付ける;
ぼくは韓国に一度も行ったことがない。
けれどもいくつかの文章で、韓国へ行くと“なつかしい”感じがするということを読んだ。
それは、韓国の生活風土が“ひところの日本”を思い出させるからであろうか。
それならこの“ひところの日本”というのは、“いつの日本”なのだろうか。
10代の少年にも、“思い出”はある。
60を越えたぼくに、思い出がないはずがない(笑)
しかし“思い出”というのは、よほど強烈な事件でないかぎり、曖昧ではないだろうか、その“時と場所”がそんなに鮮明でないのではないか。
というか、ぼくにとって“なつかしい思い出”とは、“事件”ではない。
それは、言葉にできない、ある瞬間の気配のようなものである。
だからその場所が固有名を持つ場所であり、ぼくが行ったことがない場所であっても、“なつかしい”感じがすることも可能である。
その懐かしさは、その場所で起こった歴史的事件には直接関与しない。
ある光と風(のようなものに)関与する。
しかも“この場所”でなく、“あの場所”がなつかしいのなら、たぶんあの場所の方がリアルなのである。
引用する;
★ 「まず墓地を訪れなければなりません」と彼らは断言する。「それではじめて理解できるようになります」。こうして、1997年11月の寒い午後、何をしに行くのかよくわからないまま、市の中心から、韓国全羅南道の光州を見下ろす丘まで足を運ぶ。到着すると、彼らはまず古い埋葬現場へと案内する。1980年5月18日虐殺による民間人犠牲者を、急ごしらえで埋めた場所である。あれから何年も経ったが、傷はまだ癒えない。まにあわせの墓のそばには、だいぶ色褪せた写真が飾られている。(略)
彼らを追悼するための線香を渡される。その線香を差した香炉からタバコの吸い殻をゴミだと思って拾い出すと、戻してください、とそっと言われる。吸い殻も供え物なのである。
<マーティン・ジェイ“光州―虐殺からビエンナーレへ” 『暴力の屈折』所収>
★ 光州の街には、明るい光が溢れていた。さわやかな五月の風が吹いている。無等山(ムドウサン)は青々とした若葉に覆われている。
広いメインストリートの表示は、「錦南路(クムナムロ)」と読めた。ああこれが錦南路、と、私は口に出してみた。記憶に刻み込まれている地名である。あの日々、この道路を、軍事独裁に反対する人々が埋め尽くしていた。バスの運転手たちも車両を連ねて示威に参加した。そしてこの道路を戒厳軍空挺部隊の戦車と装甲車が侵攻したのだ。
いまは忙しげに各種の自動車が行き交うだけの、何の変哲もない商業道路である。あれは幻だったのか、それとも目の前のこの景色が幻なのか。
<徐京植“暴力の記憶―光州1990年3月・2000年5月” 『ディアスポラ紀行』収録>
★ 光州のことはこの20年間、折りにつけ気になっていたことのひとつだった。というのも1979年のひと夏をわたしは、前章に登場した許錫に導かれて全羅南道一帯を旅行し、彼の故郷である光州で何日かを過ごしたことがあったからである。(略)
わたしが東京に戻った後、1980年5月に市民たちが武器を携えて蜂起し、空挺部隊によって虐殺がなされたとき、わたしは思いがけない事態に激しく動揺した。教会関係者によって撮影されたというヴィデオを観る会合が東京で催されたとき、わたしはある編集者に誘われてそれに参加した。そこには見覚えのある道庁前の噴水や、目抜き通りが映しだされていた。トラックの荷台から必死になって叫んでいる青年の上着が血で汚れているさまを、わたしは見た。(略)
自分が個人的に知っていた旅館の主人は、バスの停留所で道を尋ねた女性は、呑屋の女将はどうなってしまったのか。それを確認するすべもないままに、わたしはいつかこの事件に対して心理的に封印を施してしまっている自分に気が付いた。
<四方田犬彦“聖域となった光州” 『ソウルの風景』所収>
ひとには“どて腹”になる自由もある。
ただ予想どおり天声人語氏は“どて腹”であることがわかった。
昨夜(ミッドナイト)書いた文章を貼り付ける;
ぼくは韓国に一度も行ったことがない。
けれどもいくつかの文章で、韓国へ行くと“なつかしい”感じがするということを読んだ。
それは、韓国の生活風土が“ひところの日本”を思い出させるからであろうか。
それならこの“ひところの日本”というのは、“いつの日本”なのだろうか。
10代の少年にも、“思い出”はある。
60を越えたぼくに、思い出がないはずがない(笑)
しかし“思い出”というのは、よほど強烈な事件でないかぎり、曖昧ではないだろうか、その“時と場所”がそんなに鮮明でないのではないか。
というか、ぼくにとって“なつかしい思い出”とは、“事件”ではない。
それは、言葉にできない、ある瞬間の気配のようなものである。
だからその場所が固有名を持つ場所であり、ぼくが行ったことがない場所であっても、“なつかしい”感じがすることも可能である。
その懐かしさは、その場所で起こった歴史的事件には直接関与しない。
ある光と風(のようなものに)関与する。
しかも“この場所”でなく、“あの場所”がなつかしいのなら、たぶんあの場所の方がリアルなのである。
引用する;
★ 「まず墓地を訪れなければなりません」と彼らは断言する。「それではじめて理解できるようになります」。こうして、1997年11月の寒い午後、何をしに行くのかよくわからないまま、市の中心から、韓国全羅南道の光州を見下ろす丘まで足を運ぶ。到着すると、彼らはまず古い埋葬現場へと案内する。1980年5月18日虐殺による民間人犠牲者を、急ごしらえで埋めた場所である。あれから何年も経ったが、傷はまだ癒えない。まにあわせの墓のそばには、だいぶ色褪せた写真が飾られている。(略)
彼らを追悼するための線香を渡される。その線香を差した香炉からタバコの吸い殻をゴミだと思って拾い出すと、戻してください、とそっと言われる。吸い殻も供え物なのである。
<マーティン・ジェイ“光州―虐殺からビエンナーレへ” 『暴力の屈折』所収>
★ 光州の街には、明るい光が溢れていた。さわやかな五月の風が吹いている。無等山(ムドウサン)は青々とした若葉に覆われている。
広いメインストリートの表示は、「錦南路(クムナムロ)」と読めた。ああこれが錦南路、と、私は口に出してみた。記憶に刻み込まれている地名である。あの日々、この道路を、軍事独裁に反対する人々が埋め尽くしていた。バスの運転手たちも車両を連ねて示威に参加した。そしてこの道路を戒厳軍空挺部隊の戦車と装甲車が侵攻したのだ。
いまは忙しげに各種の自動車が行き交うだけの、何の変哲もない商業道路である。あれは幻だったのか、それとも目の前のこの景色が幻なのか。
<徐京植“暴力の記憶―光州1990年3月・2000年5月” 『ディアスポラ紀行』収録>
★ 光州のことはこの20年間、折りにつけ気になっていたことのひとつだった。というのも1979年のひと夏をわたしは、前章に登場した許錫に導かれて全羅南道一帯を旅行し、彼の故郷である光州で何日かを過ごしたことがあったからである。(略)
わたしが東京に戻った後、1980年5月に市民たちが武器を携えて蜂起し、空挺部隊によって虐殺がなされたとき、わたしは思いがけない事態に激しく動揺した。教会関係者によって撮影されたというヴィデオを観る会合が東京で催されたとき、わたしはある編集者に誘われてそれに参加した。そこには見覚えのある道庁前の噴水や、目抜き通りが映しだされていた。トラックの荷台から必死になって叫んでいる青年の上着が血で汚れているさまを、わたしは見た。(略)
自分が個人的に知っていた旅館の主人は、バスの停留所で道を尋ねた女性は、呑屋の女将はどうなってしまったのか。それを確認するすべもないままに、わたしはいつかこの事件に対して心理的に封印を施してしまっている自分に気が付いた。
<四方田犬彦“聖域となった光州” 『ソウルの風景』所収>
2008/04/07のBlog
[ 23:24 ]
[ 日記 ]
現在、自己宣伝でない文章、自分の“主観的”不満や優越を“客観性をよそおって”書く文章ではない文章とはどのような文章だろうか。
ほんとうに状況の問題に直面し、それをアクチュアルに“問う”文章、すこしでもこの現実の問題の解明に根底から迫ろうとするラジカルな文章とはどのようなものなのだろう。
自分の主観性の感情的・感覚的根源に率直でありながら、“理性”を失わず、他者との関係の客観性に鈍感でない文章とはどのような文章だろうか。
ぼくはそのような文章を探すし、自分でもそのような文章を書きたい。
ぼく自身の文章は、まだダメである(これは形式的謙遜ではありえない)
しかし“プロ”が書いた文章も、ほとんどダメである(笑)
しかしこのブログは、“ダメである”ものの批判ではない。
“よいもの”について語る。
この本、マーティン・ジェイの『暴力の屈折』(岩波書店2004)については、これまでもたびたび書いた。
この社会的・哲学的・時事的エッセイ集に集められた、多様なテーマの文章を、ぼくは(たぶん)一昨年からボチボチと読み続けた。
その一編一編に感心した。
そもそもこのような種類の文章を(この国では)どう分類できるだろうか。
ぼくが上記に書いた社会的・哲学的・時事的“という形容詞も必ずしも適切でない。
このひとの“肩書き”は、“1944年生まれのカリフォルニア州立大学バークレー校教授であり、フランクフルト学派を中心とした現代思想史研究家”である。
もちろんこれだけで彼の特徴はわかる。
すなわち“現代思想”に対する膨大な博識である。
しかしそういうひとは他にも“大学”にはたくさんいらっしゃるのである(笑)
注目すべきは彼が学生時代にすでに“フランクフルト学派”の存命者に直接会って『弁証法的想像力』という大著を書き、それによってデビューしていることである。
フランクフルト学派のホルクハイマー、アドルノ等の仕事は、ナチスからの亡命と亡命先アメリカにおける大衆社会体験による、それまでの自らの思想の練成による“理性批判”として結実した。
(また亡命を果たせず自殺したベンヤミンへの敬愛が、しばしば語られる)
このことが極めて重要だと思える。
マーティン・ジェイの文章はきわめて“理性的”であり、思想史家らしくテーマに関連したおびただしい本の引用がある(しかし“学術書”におけるこうした参照自体は当たり前のことである)
もちろん重要なのは、彼が古典や同時代の本の何を選択しているかということである(注にあるこれらの英語で書かれた本のうち現在書かれているものの大部分が翻訳されていない、“翻訳大国”はどこへ行ったのか、この発見はショックである)
もっと重要なのは、かれの“理性的文体”に秘められた“理性批判”と“熱”である。
かれは決して“情熱的”にも、声高にも語らないが。
この素晴らしい抑制が、ぼくを感動させた。
(ぼくが学びたいのは彼の膨大な“教養”よりも、このような精神の強さである)
すでにこのブログも長くなった。
できるだけ多くの人にこの本を直接読んでもらいたい(だが結構高い本であるのが残念)
だから(今日書けるかわからないが)、この本の第10章“光州―虐殺からビエンナーレへ”とたまたまぼくが昨年読んだ徐京植『ディアスポラ紀行』“暴力の記憶―光州1990年3月・2000年5月”と四方田犬彦『ソウルの風景』“聖域となった光州”という三つの文章を引用・コラージュしてみたい。
ぼくは韓国の戦後史にまったく無知だったが、この1年くらいの読書で偶然この“光州”についての三つの文章にめぐりあったのを、偶然とは思えない。
さらに『暴力の屈折』序文でジェイ自身がこの本に収められた各文章の要約を試みているのを、さらに簡潔に引用してみたい(今日は無理だ)<08/4/8追記>
このブログの最後に今日読んだ“光州―虐殺からビエンナーレへ”から引用したい。
これはジェイ自身の言葉でなく、スラヴォイ・ジジェクの言葉をジェイが引用したものである;
《決定的な問い。今日の多国籍的グローバリズム化の状況下で政治的領域をいかにして再発明すべきか?》
ジェイ自身の問いはもっとシンプルである;
《真の民主主義とは何か》
”天声人語”の批判などしている場合ではなかった(爆)
<08/4/8夜追記>
この方法を試みようとしたが、うまくいかない。
ジェイが、それぞれの文章のトピックの”事件的”面白さ(興味深さを)を思想的に展開していく複雑さとダイナミズムをうまく要約し、伝えることがぼくの技量では無理だ。
たとえば第1章の”慰めはいらない”では、第1次大戦から第2次大戦開始時までのベンヤミンの動向と思想がテーマとなっている。
それはこの間に彼が若い友人に”自殺された”という現実のトラウマを負っている。
しかもこの自殺は、(友人自殺後の)亡命途中のベンヤミン自身の自殺と反響しあっている。
つまり大きな時代の変動とそれに包み込まれた個人の生と思考のドラマが”ある”のだ。
”慰めはいらない”というテーマは、あらゆる”弔いの拒否”とも読める。
それは”戦後”における国家による”弔いの儀式”の拒否としてもある。
だからこの”テーマ”は”靖国”に反響するのだ。
あるいは光州虐殺を”弔う”、”二つの墓地”へと反響する。
つまり、あらゆる虐殺の死者たちを、”慰める-弔う”とは、いかなる行為と思考であるかを”ベンヤミンと共に”、ジェイは思考する。
ぼくたちもまた、虐殺の死者でもありうる。
あるいは弔うべき人々を持っているのだ。
ほんとうに状況の問題に直面し、それをアクチュアルに“問う”文章、すこしでもこの現実の問題の解明に根底から迫ろうとするラジカルな文章とはどのようなものなのだろう。
自分の主観性の感情的・感覚的根源に率直でありながら、“理性”を失わず、他者との関係の客観性に鈍感でない文章とはどのような文章だろうか。
ぼくはそのような文章を探すし、自分でもそのような文章を書きたい。
ぼく自身の文章は、まだダメである(これは形式的謙遜ではありえない)
しかし“プロ”が書いた文章も、ほとんどダメである(笑)
しかしこのブログは、“ダメである”ものの批判ではない。
“よいもの”について語る。
この本、マーティン・ジェイの『暴力の屈折』(岩波書店2004)については、これまでもたびたび書いた。
この社会的・哲学的・時事的エッセイ集に集められた、多様なテーマの文章を、ぼくは(たぶん)一昨年からボチボチと読み続けた。
その一編一編に感心した。
そもそもこのような種類の文章を(この国では)どう分類できるだろうか。
ぼくが上記に書いた社会的・哲学的・時事的“という形容詞も必ずしも適切でない。
このひとの“肩書き”は、“1944年生まれのカリフォルニア州立大学バークレー校教授であり、フランクフルト学派を中心とした現代思想史研究家”である。
もちろんこれだけで彼の特徴はわかる。
すなわち“現代思想”に対する膨大な博識である。
しかしそういうひとは他にも“大学”にはたくさんいらっしゃるのである(笑)
注目すべきは彼が学生時代にすでに“フランクフルト学派”の存命者に直接会って『弁証法的想像力』という大著を書き、それによってデビューしていることである。
フランクフルト学派のホルクハイマー、アドルノ等の仕事は、ナチスからの亡命と亡命先アメリカにおける大衆社会体験による、それまでの自らの思想の練成による“理性批判”として結実した。
(また亡命を果たせず自殺したベンヤミンへの敬愛が、しばしば語られる)
このことが極めて重要だと思える。
マーティン・ジェイの文章はきわめて“理性的”であり、思想史家らしくテーマに関連したおびただしい本の引用がある(しかし“学術書”におけるこうした参照自体は当たり前のことである)
もちろん重要なのは、彼が古典や同時代の本の何を選択しているかということである(注にあるこれらの英語で書かれた本のうち現在書かれているものの大部分が翻訳されていない、“翻訳大国”はどこへ行ったのか、この発見はショックである)
もっと重要なのは、かれの“理性的文体”に秘められた“理性批判”と“熱”である。
かれは決して“情熱的”にも、声高にも語らないが。
この素晴らしい抑制が、ぼくを感動させた。
(ぼくが学びたいのは彼の膨大な“教養”よりも、このような精神の強さである)
すでにこのブログも長くなった。
できるだけ多くの人にこの本を直接読んでもらいたい(だが結構高い本であるのが残念)
だから(今日書けるかわからないが)、この本の第10章“光州―虐殺からビエンナーレへ”とたまたまぼくが昨年読んだ徐京植『ディアスポラ紀行』“暴力の記憶―光州1990年3月・2000年5月”と四方田犬彦『ソウルの風景』“聖域となった光州”という三つの文章を引用・コラージュしてみたい。
ぼくは韓国の戦後史にまったく無知だったが、この1年くらいの読書で偶然この“光州”についての三つの文章にめぐりあったのを、偶然とは思えない。
さらに『暴力の屈折』序文でジェイ自身がこの本に収められた各文章の要約を試みているのを、さらに簡潔に引用してみたい(今日は無理だ)<08/4/8追記>
このブログの最後に今日読んだ“光州―虐殺からビエンナーレへ”から引用したい。
これはジェイ自身の言葉でなく、スラヴォイ・ジジェクの言葉をジェイが引用したものである;
《決定的な問い。今日の多国籍的グローバリズム化の状況下で政治的領域をいかにして再発明すべきか?》
ジェイ自身の問いはもっとシンプルである;
《真の民主主義とは何か》
”天声人語”の批判などしている場合ではなかった(爆)
<08/4/8夜追記>
この方法を試みようとしたが、うまくいかない。
ジェイが、それぞれの文章のトピックの”事件的”面白さ(興味深さを)を思想的に展開していく複雑さとダイナミズムをうまく要約し、伝えることがぼくの技量では無理だ。
たとえば第1章の”慰めはいらない”では、第1次大戦から第2次大戦開始時までのベンヤミンの動向と思想がテーマとなっている。
それはこの間に彼が若い友人に”自殺された”という現実のトラウマを負っている。
しかもこの自殺は、(友人自殺後の)亡命途中のベンヤミン自身の自殺と反響しあっている。
つまり大きな時代の変動とそれに包み込まれた個人の生と思考のドラマが”ある”のだ。
”慰めはいらない”というテーマは、あらゆる”弔いの拒否”とも読める。
それは”戦後”における国家による”弔いの儀式”の拒否としてもある。
だからこの”テーマ”は”靖国”に反響するのだ。
あるいは光州虐殺を”弔う”、”二つの墓地”へと反響する。
つまり、あらゆる虐殺の死者たちを、”慰める-弔う”とは、いかなる行為と思考であるかを”ベンヤミンと共に”、ジェイは思考する。
ぼくたちもまた、虐殺の死者でもありうる。
あるいは弔うべき人々を持っているのだ。
[ 15:48 ]
[ 日記 ]
ぼくは朝日新聞や天声人語の批判を続けている。
ぼくの場合、だいたい1日をアサヒコムなどのニュース・サイトを見ることからはじめる。
最近は“あらたにす”もざっと見る。
そうすると1日を“天声人語”を読むことではじめてしまう。
つまり、その日の“あらたな一撃=不快”からはじめるわけである(笑)
朝日新聞本誌(つまりあの紙の新聞ね)は定期的に下の郵便受けに取りにいかない。
ある日の新聞をその日には見ないこともしばしばある。
みなさんは、“あの新聞”をどう見て-読んでいるのだろうか。
ぼくは最近、本の広告と見出しをみながら、どんどんめくっていき、気になる記事やコラムを戻って読む。
本当にスポーツ面やテレビ関係と一般広告は、ほとんど見ていない。
だから数分でめくり終わって、終わり(The end !)という日が多いのである。
今日は昼ごろ新聞をとってきてめくってみた。
★ 1面:ここにある見出しや天声人語はもうネットで見たよ。
★ 2面下“文芸誌”広告:東浩起の小説?こいつよくやるねー、読みたかない(笑)、“デュラス『愛人』を読む”という奥泉光×いとうせいこうの“文芸漫談”あり、なんでこのふたりなの?なんでデュラスは『愛人』なの?読みたかない(笑)
★ 2面“社説”はとばす(爆)だが今日は戻って読んだ、ヒドイ!!こんなのが“希望社会への提言なの!”《先頭に立つべきは政党だろう》だってさ。こういうことを言ってるかぎりニッポンには何の希望もない。先頭に立つべきは朝日新聞でしょうが(もち冗談よ)
★ 3面本の広告:やっぱ“小林秀雄”だ!(文芸誌広告にもあった)もうこの国は“小林秀雄”きゃないね(ぼくは読みたかねーが)
★ 9面に柄谷行人、老けたねぇー(笑)、戻って読む。
★ どんどん飛ばして、17面下の週刊現代見出し;“あなたの共感、雅子さまか、美智子さまか”だってさ。どちらにも共感不能で~す、存じ上げないし、週刊現代はいつから女性週刊誌になったの?
★ 18面週刊ポスト広告;“中川秀直の裏技!もし小池百合子、首相にならば…”、ブハハハハ、そういうこともアリかもよ。
★ 20面-21面見開き“朝日広告賞”:これは結構よく見たよ、ひどいね(笑)いまどきの“電通社員”の感性なんてこの程度ね;ワンカップ大関で《覚めるまで、夢はつづく》ならなんも言うことはありません。アフリカのサバンナに立つ親子はこんな広告についてなんだかんだいってる、消費社会の人々をじっとみつめているんだ。
★ バババッとめくって、33面“学長力”に東大総長。“学長力”ってナンなのさ。やっぱ東大はぶっつぶすべきだったんじゃないの。この総長アメフトで鍛えてフットワーク(だけ)いいそうです(笑)
★ “差額ベッド”、“ハンセン病”。ああごめん、読みたくない、こういうところが俺はダメなんだ!
★ 39面チャールトン・へストン氏死去。感想?あるよ、書くことはあるが、今は書きたくない。
★ 最終面:テレビ!知ったことか。
はてさて、今日戻るのは9面柄谷行人。
引用いっぱつ;
《現在も将来も、環境危機は、砂漠化や汚染にあると思う。CO2排出を減らすだけでそれを解決できるとは思えない。そもそも世界的に農地や森林が消滅しているのは、温暖化のせいではない。それは政治・経済的な問題である。いいかえると、国家と資本主義経済の問題です》
《資本主義の浸透がついにここまで及んだということだ。現実に、臓器が商品として売買されている。この現実に合わせて、人間の死をどこで認定するかいう医学的判断や法律的規定がなされている。しかし、そのようなものによって、人間の死や生命を判断することはできないでしょう》
ぼくの場合、だいたい1日をアサヒコムなどのニュース・サイトを見ることからはじめる。
最近は“あらたにす”もざっと見る。
そうすると1日を“天声人語”を読むことではじめてしまう。
つまり、その日の“あらたな一撃=不快”からはじめるわけである(笑)
朝日新聞本誌(つまりあの紙の新聞ね)は定期的に下の郵便受けに取りにいかない。
ある日の新聞をその日には見ないこともしばしばある。
みなさんは、“あの新聞”をどう見て-読んでいるのだろうか。
ぼくは最近、本の広告と見出しをみながら、どんどんめくっていき、気になる記事やコラムを戻って読む。
本当にスポーツ面やテレビ関係と一般広告は、ほとんど見ていない。
だから数分でめくり終わって、終わり(The end !)という日が多いのである。
今日は昼ごろ新聞をとってきてめくってみた。
★ 1面:ここにある見出しや天声人語はもうネットで見たよ。
★ 2面下“文芸誌”広告:東浩起の小説?こいつよくやるねー、読みたかない(笑)、“デュラス『愛人』を読む”という奥泉光×いとうせいこうの“文芸漫談”あり、なんでこのふたりなの?なんでデュラスは『愛人』なの?読みたかない(笑)
★ 2面“社説”はとばす(爆)だが今日は戻って読んだ、ヒドイ!!こんなのが“希望社会への提言なの!”《先頭に立つべきは政党だろう》だってさ。こういうことを言ってるかぎりニッポンには何の希望もない。先頭に立つべきは朝日新聞でしょうが(もち冗談よ)
★ 3面本の広告:やっぱ“小林秀雄”だ!(文芸誌広告にもあった)もうこの国は“小林秀雄”きゃないね(ぼくは読みたかねーが)
★ 9面に柄谷行人、老けたねぇー(笑)、戻って読む。
★ どんどん飛ばして、17面下の週刊現代見出し;“あなたの共感、雅子さまか、美智子さまか”だってさ。どちらにも共感不能で~す、存じ上げないし、週刊現代はいつから女性週刊誌になったの?
★ 18面週刊ポスト広告;“中川秀直の裏技!もし小池百合子、首相にならば…”、ブハハハハ、そういうこともアリかもよ。
★ 20面-21面見開き“朝日広告賞”:これは結構よく見たよ、ひどいね(笑)いまどきの“電通社員”の感性なんてこの程度ね;ワンカップ大関で《覚めるまで、夢はつづく》ならなんも言うことはありません。アフリカのサバンナに立つ親子はこんな広告についてなんだかんだいってる、消費社会の人々をじっとみつめているんだ。
★ バババッとめくって、33面“学長力”に東大総長。“学長力”ってナンなのさ。やっぱ東大はぶっつぶすべきだったんじゃないの。この総長アメフトで鍛えてフットワーク(だけ)いいそうです(笑)
★ “差額ベッド”、“ハンセン病”。ああごめん、読みたくない、こういうところが俺はダメなんだ!
★ 39面チャールトン・へストン氏死去。感想?あるよ、書くことはあるが、今は書きたくない。
★ 最終面:テレビ!知ったことか。
はてさて、今日戻るのは9面柄谷行人。
引用いっぱつ;
《現在も将来も、環境危機は、砂漠化や汚染にあると思う。CO2排出を減らすだけでそれを解決できるとは思えない。そもそも世界的に農地や森林が消滅しているのは、温暖化のせいではない。それは政治・経済的な問題である。いいかえると、国家と資本主義経済の問題です》
《資本主義の浸透がついにここまで及んだということだ。現実に、臓器が商品として売買されている。この現実に合わせて、人間の死をどこで認定するかいう医学的判断や法律的規定がなされている。しかし、そのようなものによって、人間の死や生命を判断することはできないでしょう》
[ 13:15 ]
[ 日記 ]
ぼくのブログの欠点は“過去記事”検索ができないことである(笑)
つまり“ジャンル別分類”を数年前に途中放棄して、うっちゃらかしたままである。
すべてぼくが悪いのよ。
時々この分類をやりなおすことを考える。
今の(途中放棄の)“文学チック”分類ではなく、“引用”とか“読書感想”とか“映画”とか“写真のみ”とか“愚痴”とか“不機嫌につき当り散らし”とかに分類することを。
なぜこの新規分類作業をしないかというと、まず面倒だからであり、次に自分が書いた過去の文章を読みたくないからである(爆)
今そんなに前に書いたのではないブログを参照しようとしてめんどくさい。
朝日新聞のマスメディアの戦争協力をあつかった特集最後のまとめ記事である。
そこで朝日新聞が行なった質問=問題提起をもう一度正確に引用しようと思ったのだ。
それは“今度戦争が起こるとしたら朝日新聞=メディアはそれを阻止できるか?”というようなものだったと記憶する(これを正確に引用したかった)
ぼくはその時のブログで、“朝日に限らず現在の全メディアは阻止できない”と書いた。
さっき今日の天声人語についてのブログを書きながら、新たな考えが浮かんだ。
つまり、上記のような“朝日の質問”自体が虚偽なのだ。
つまりこの質問は、“メディア”としての“自分”が戦争を阻止しようとしている事を前提としているのだ。
自分が過去においても、現在においても“戦争に加担している”ということを、けろっと“忘れて”いなさる。
たしかに(読んでなかったが:笑)この朝日の連載自体が“朝日新聞の戦争協力”を扱うものであった。
しかしそれは“先輩の戦争協力の過ちを反省する”というようなレベルである(あったと思われる)
つまり現在の朝日記者は“あの戦争時”の記者(当事者)ではないからである。
もちろんこのことは、朝日新聞記者のみの問題ではない。
戦後の“若者”が“俺がやったわけでもない(生まれてもいない)戦争に何のカンケーがあんのかよ”と白を切る現象は日本国にもドイツ国にも見られたし、見られる(現在進行形)である。
ぼくのような61歳のオジンも“戦争なんか知らないよ”の第1世代なのである。
はてさて、何をいわんとしていたのであったか?
ああそうだ、“あの戦争”というのは、“戦争一般”ではないのである。
たとえば西谷修というひとは、“あの戦争”を“世界戦争”と定義した。
つまりすべての歴史上の“戦争”が世界戦争であったわけでは“ない”のである。
このことをヨーク考えてね(笑)
同じことであるが、ぼくにとって“あの戦争”は、“ファシズム-全体主義”戦争と定義される。
ここで“ファシズム”と“全体主義”という用語を厳密に定義することは、現在のぼくにはできない、まさにこのことを勉強中である。
だからここでは“全体主義”という言葉=概念を最大範囲で使う(つまり曖昧さを含んで)
つまり“全体主義”とは、ヒットラーや東条やムッソリーニやスターリンのことであると同時に、それらの差異でもあり、それらの具体的=象徴的個人を越えたものである。
しかしアウシュビッツやシベリア強制収用所が、“現実に”存在したことから考える必要もある、原爆が“現実に”広島・長崎で炸裂し、沖縄住民が“現実に”集団自決した事実から考える必要もある。
しかし“あの戦争”は、そういう“シンボル的事実=事件”を紋切り型の表象とすることだけで考えつくせるものでは“ない”。
だから、“理性の野蛮”というような指摘が重要なのだ。
《アウシュビッツの後では詩は野蛮である》
《飢えた子供の前で文学は可能か?》<注>
これらの発言は“あの戦争”直後に現われたのだ。
もちろん、これらの発言の後に生まれた世代、ご大層な“高度成長”による“豊かな消費社会”の恩恵を受けてお育ちのケータイおぼっちゃん・おじょうちゃんはまたしても、“そんなお話しは、知っちゃいねー(わ)”と白を切ることが可能である。
そして平和で豊かなショーヒ社会の中の断絶と孤独を“ケータイ小説”とかいう“ブンガク”のなかで語り続けている(らしい;笑)
れれ、話がそれてる?
朝日新聞ヒハンはドーした!
つまり(頭の良い読者はすでに御推察のとおり)“われわれ”は、加担者である。
ぼくは下記のブログで“ホームレスを焼き殺す者”というような例を“おもわず”使った。
ぼくが言いたいのは、天声人語のような“穏健な良識”、“ヒューマニズム的リベラル言説”を撒き散らすものが、“加担者ではないのか”という質問である。
日中戦争~太平洋戦争を支えた(加担した)ニッポン国民、虐殺収容所をもたらしたドイツ国民、収容所群島をもたらしたソヴィエト人民は、“鬼のような人々”だったのだろうか。
あるいは“彼らは”は、狂人に騙されただけの人々であったのだろうか。
加担しない、という思考があっても加担することはある。
けれども加担しないことは、加担しないという意志=思考がなければありえない。
<注>
戦争直後”文学”は、このような問いに直面し、このような問いを抱えて書き始められた。
だからぼくは”現在”において、これらの”文学”を読み直そうと思う<注2>
ぼくが、マルグリット・デュラスという(『愛人』で一事話題になったものの)忘れられた”アンチ・ロマン”の作家を再読している理由である。
いったいどこが”アンチ・ロマン”であろうか。
またぼくがこの言葉の発言者サルトル以降の思想家たちの”批判的継承”を”フランス現代思想”としてこだわり続ける根拠である。
このことは、”フランス”のみを意味しない。
アメリカにおける”現代思想史家”マーティン・ジェイのようなひとが、ドイツ”フランクフルト学派”を経由して”フランス現代思想”を自らの問題として扱っていることは、大いなる励ましである。
<注2>
辺見庸氏も講演でドイツのギュンター・グラス氏について語った。
『ブリキの太鼓』を読もう。
これらの”戦後文学”を現在において読むのは、”戦争責任”について考えるためでは”ない”。
責任について考えるためである。
いや、人間について考えるためである。
楽しく充実して生きるためである。
つまり“ジャンル別分類”を数年前に途中放棄して、うっちゃらかしたままである。
すべてぼくが悪いのよ。
時々この分類をやりなおすことを考える。
今の(途中放棄の)“文学チック”分類ではなく、“引用”とか“読書感想”とか“映画”とか“写真のみ”とか“愚痴”とか“不機嫌につき当り散らし”とかに分類することを。
なぜこの新規分類作業をしないかというと、まず面倒だからであり、次に自分が書いた過去の文章を読みたくないからである(爆)
今そんなに前に書いたのではないブログを参照しようとしてめんどくさい。
朝日新聞のマスメディアの戦争協力をあつかった特集最後のまとめ記事である。
そこで朝日新聞が行なった質問=問題提起をもう一度正確に引用しようと思ったのだ。
それは“今度戦争が起こるとしたら朝日新聞=メディアはそれを阻止できるか?”というようなものだったと記憶する(これを正確に引用したかった)
ぼくはその時のブログで、“朝日に限らず現在の全メディアは阻止できない”と書いた。
さっき今日の天声人語についてのブログを書きながら、新たな考えが浮かんだ。
つまり、上記のような“朝日の質問”自体が虚偽なのだ。
つまりこの質問は、“メディア”としての“自分”が戦争を阻止しようとしている事を前提としているのだ。
自分が過去においても、現在においても“戦争に加担している”ということを、けろっと“忘れて”いなさる。
たしかに(読んでなかったが:笑)この朝日の連載自体が“朝日新聞の戦争協力”を扱うものであった。
しかしそれは“先輩の戦争協力の過ちを反省する”というようなレベルである(あったと思われる)
つまり現在の朝日記者は“あの戦争時”の記者(当事者)ではないからである。
もちろんこのことは、朝日新聞記者のみの問題ではない。
戦後の“若者”が“俺がやったわけでもない(生まれてもいない)戦争に何のカンケーがあんのかよ”と白を切る現象は日本国にもドイツ国にも見られたし、見られる(現在進行形)である。
ぼくのような61歳のオジンも“戦争なんか知らないよ”の第1世代なのである。
はてさて、何をいわんとしていたのであったか?
ああそうだ、“あの戦争”というのは、“戦争一般”ではないのである。
たとえば西谷修というひとは、“あの戦争”を“世界戦争”と定義した。
つまりすべての歴史上の“戦争”が世界戦争であったわけでは“ない”のである。
このことをヨーク考えてね(笑)
同じことであるが、ぼくにとって“あの戦争”は、“ファシズム-全体主義”戦争と定義される。
ここで“ファシズム”と“全体主義”という用語を厳密に定義することは、現在のぼくにはできない、まさにこのことを勉強中である。
だからここでは“全体主義”という言葉=概念を最大範囲で使う(つまり曖昧さを含んで)
つまり“全体主義”とは、ヒットラーや東条やムッソリーニやスターリンのことであると同時に、それらの差異でもあり、それらの具体的=象徴的個人を越えたものである。
しかしアウシュビッツやシベリア強制収用所が、“現実に”存在したことから考える必要もある、原爆が“現実に”広島・長崎で炸裂し、沖縄住民が“現実に”集団自決した事実から考える必要もある。
しかし“あの戦争”は、そういう“シンボル的事実=事件”を紋切り型の表象とすることだけで考えつくせるものでは“ない”。
だから、“理性の野蛮”というような指摘が重要なのだ。
《アウシュビッツの後では詩は野蛮である》
《飢えた子供の前で文学は可能か?》<注>
これらの発言は“あの戦争”直後に現われたのだ。
もちろん、これらの発言の後に生まれた世代、ご大層な“高度成長”による“豊かな消費社会”の恩恵を受けてお育ちのケータイおぼっちゃん・おじょうちゃんはまたしても、“そんなお話しは、知っちゃいねー(わ)”と白を切ることが可能である。
そして平和で豊かなショーヒ社会の中の断絶と孤独を“ケータイ小説”とかいう“ブンガク”のなかで語り続けている(らしい;笑)
れれ、話がそれてる?
朝日新聞ヒハンはドーした!
つまり(頭の良い読者はすでに御推察のとおり)“われわれ”は、加担者である。
ぼくは下記のブログで“ホームレスを焼き殺す者”というような例を“おもわず”使った。
ぼくが言いたいのは、天声人語のような“穏健な良識”、“ヒューマニズム的リベラル言説”を撒き散らすものが、“加担者ではないのか”という質問である。
日中戦争~太平洋戦争を支えた(加担した)ニッポン国民、虐殺収容所をもたらしたドイツ国民、収容所群島をもたらしたソヴィエト人民は、“鬼のような人々”だったのだろうか。
あるいは“彼らは”は、狂人に騙されただけの人々であったのだろうか。
加担しない、という思考があっても加担することはある。
けれども加担しないことは、加担しないという意志=思考がなければありえない。
<注>
戦争直後”文学”は、このような問いに直面し、このような問いを抱えて書き始められた。
だからぼくは”現在”において、これらの”文学”を読み直そうと思う<注2>
ぼくが、マルグリット・デュラスという(『愛人』で一事話題になったものの)忘れられた”アンチ・ロマン”の作家を再読している理由である。
いったいどこが”アンチ・ロマン”であろうか。
またぼくがこの言葉の発言者サルトル以降の思想家たちの”批判的継承”を”フランス現代思想”としてこだわり続ける根拠である。
このことは、”フランス”のみを意味しない。
アメリカにおける”現代思想史家”マーティン・ジェイのようなひとが、ドイツ”フランクフルト学派”を経由して”フランス現代思想”を自らの問題として扱っていることは、大いなる励ましである。
<注2>
辺見庸氏も講演でドイツのギュンター・グラス氏について語った。
『ブリキの太鼓』を読もう。
これらの”戦後文学”を現在において読むのは、”戦争責任”について考えるためでは”ない”。
責任について考えるためである。
いや、人間について考えるためである。
楽しく充実して生きるためである。
[ 11:09 ]
[ 日記 ]
今日の天声人語を貼り付ける;
土日に深呼吸をして、きょうから出社2週目の新入社員もいるだろう。少しは慣れたか、まだ緊張がとけないか。周りで先輩風を吹かせている面々も、みんな1年目があった。仕事は人に、それとはなしの風格を与える▼今年の新人は、買い手あまたの中、氷の上を滑るように就職できたという。それゆえか、氷上競技になぞらえて「カーリング型」と呼ぶそうだ。名付けた社会経済生産性本部によれば、ブラシでこする(励ます)のをやめると、減速したり止まったりしかねない、らしい▼その年々の新入社員を、特徴的な「型」で言い表すようになって久しい。過去をたぐれば、わが四半世紀前は「麻雀牌(マージャンパイ)型」なる名を賜った。「大きさと形は同じで並べやすいが中身はわからない」が、そのココロだった▼画一性を嘆かれた同輩諸氏も、そろそろ会社を仕切る年齢だろう。気がつけば、自分に向けられていた「今どきの若手は……」のせりふを、年下に向けている。有史以来続く「ぼやき」のバトンリレーの、いつしか走者になった思いは苦い▼「後生(こうせい)畏(おそ)るべし」、という。「後生」は後から生まれた者、若い世代のことである。可能性に満ち、どれだけ伸びるかわからない。若者こそ畏敬(いけい)すべきだと、古人は説いた▼逆を行くような笑い話もある。ふた言目には昔をほめ、今にケチをつけるご高齢がいた。ついに「私の若いころの富士山は、あんなものじゃなかった」――。「若者けなし」にも通じる戒めに違いない。他山の石としながら、「カーリング型」にエールを送る。
(以上2008/4/8天声人語全文)
ぼくはつまらない文章を引用して自分のブログのレベルを下げたくない。
しかしある文章を批判するためには全文を引用しなければフェアじゃない。
ほんとうは“批判”というのは、自分と同レベルかそれ以上のものを批判しないと、自分のためにならない。
けれども、当然、ぼくが天声人語を批判し続けるのは、それが高度であるからでも、影響力があるからでもない。
それが現在の“多数の言説=感性”の典型と思えるからだ。
それは自分を“多数のひとり”と想定した言説であり、多数におもねることを読者に仕掛けると同時に、自らも多数におもねる。
今日の天声人語氏の“アイデンティティ”は“サラリーマンとしての多数である”。
つまり現在日本の“大多数が”会社に勤めている人間であるという“想定”である。
これはまちがいではないだろう(ぼくは統計数字をしらないが)
しかし“この社会”には会社に勤めていない(勤められない、勤めることを拒否する)人間もいるのである。
会社に関与していない人間もいるのである。
いうまでもないが、ぼく自身は“会社を引退した人間”である。
減ってきているのだろうが、自営農業・漁業に携わる人々、自分の商店を維持する人々もいる。
“病気”で就職できない人々、フリーターとか呼ばれる会社に帰属しない人々もたくさんいる。
これも減少しているが客観的・主観的条件により“専業主婦”である人々もいる。
自分が“会社員”でなくても、“家族のだれかが”会社員であるのだから、“日本人”はすべてサラリーマンに関与するという考え方もあるようである。
また“社会学”のような“学”が、その社会の主流(多数)の動向の分析を“サイエンス”と称することも事実である。
しかしそれなら、その社会での“少数者”はどうなるのであろうか。
しかもその“少数者”はその社会の“多数者”に対しては圧倒的に“少数”であっても、決して無視しうるほどの“少数”ではない(いったい無視しうる少数とは誰のことか、ホームレスを人間でないと焼き殺すのと同じではないか)
しかもぼく自身が“会社人間”をのべ30年以上経験している。
しかしぼくはそこにどんな“普遍的価値”も見出していない。
今日の天声人語にもどろう。
《仕事は人に、それとはなしの風格を与える》とはなにか。
ぼくはこういう“日本語”を使うひとが信用できないのである。
こういう“言葉”は、“多数の読者”をおだてつつ、自らの自惚れに居直る態度なのだ。
いったい“それとはなしの風格”とは、どういう“風格”なのだろうか。
もし仕事をしていくことが、人に“風格”をもたらすならば、それはどういう風格なのかを言葉として述べてほしい。
それが文章を書く最低のモラルである。
そもそも、最近流行の“品格”とか“風格”とかいう言葉は、悪い日本語の見本のような言葉である(もちろん、“よい日本語”もある)
天声人語氏は“自分の個人史”を語る;
《過去をたぐれば、わが四半世紀前は「麻雀牌(マージャンパイ)型」なる名を賜った。「大きさと形は同じで並べやすいが中身はわからない」が、そのココロだった▼画一性を嘆かれた同輩諸氏も、そろそろ会社を仕切る年齢だろう。気がつけば、自分に向けられていた「今どきの若手は……」のせりふを、年下に向けている。有史以来続く「ぼやき」のバトンリレーの、いつしか走者になった思いは苦い》
なにが“思いは苦い”のだろうか!
ぼくはあらゆる“文章”が“個人性=主観性”を含むことを、悪いこととは思わない。
けれどもいったい天声人語氏というのは、“個人において”語っているのだろうか。
ここでの天声人語氏同期世代が“麻雀牌(マージャンパイ)型”だったのは、天声人語氏世代に限った特徴とは思えない(笑)
現在“朝日新聞のような”マスメディアで給料をとる方々の“普遍的=職業的”性格ではないか。
まさに天声人語氏世代に限らない“会社人間の本質=大きさと形は同じで並べやすく、中身もみんな同じである“方々のマスメディア支配、日本株式会社支配が、現在の日本という社会の崩壊をもたらした。
いったい“麻雀牌(マージャンパイ)型”と“カーリング型”にどんな“差異”があるのだろうか。
“無知蒙昧”であることに変わりはないではないか。
自分に甘く、他者に厳しいこと(意地悪!)になんの変化もないではないか。
そのくせ、“あなたはぼくと同じ多数だよね、ねっ、ねっ”という“呼びかけ”ばかりには御熱心である。
最後に言いたい;
「私の若いころの富士山は、あんなものじゃなかった」(爆)
土日に深呼吸をして、きょうから出社2週目の新入社員もいるだろう。少しは慣れたか、まだ緊張がとけないか。周りで先輩風を吹かせている面々も、みんな1年目があった。仕事は人に、それとはなしの風格を与える▼今年の新人は、買い手あまたの中、氷の上を滑るように就職できたという。それゆえか、氷上競技になぞらえて「カーリング型」と呼ぶそうだ。名付けた社会経済生産性本部によれば、ブラシでこする(励ます)のをやめると、減速したり止まったりしかねない、らしい▼その年々の新入社員を、特徴的な「型」で言い表すようになって久しい。過去をたぐれば、わが四半世紀前は「麻雀牌(マージャンパイ)型」なる名を賜った。「大きさと形は同じで並べやすいが中身はわからない」が、そのココロだった▼画一性を嘆かれた同輩諸氏も、そろそろ会社を仕切る年齢だろう。気がつけば、自分に向けられていた「今どきの若手は……」のせりふを、年下に向けている。有史以来続く「ぼやき」のバトンリレーの、いつしか走者になった思いは苦い▼「後生(こうせい)畏(おそ)るべし」、という。「後生」は後から生まれた者、若い世代のことである。可能性に満ち、どれだけ伸びるかわからない。若者こそ畏敬(いけい)すべきだと、古人は説いた▼逆を行くような笑い話もある。ふた言目には昔をほめ、今にケチをつけるご高齢がいた。ついに「私の若いころの富士山は、あんなものじゃなかった」――。「若者けなし」にも通じる戒めに違いない。他山の石としながら、「カーリング型」にエールを送る。
(以上2008/4/8天声人語全文)
ぼくはつまらない文章を引用して自分のブログのレベルを下げたくない。
しかしある文章を批判するためには全文を引用しなければフェアじゃない。
ほんとうは“批判”というのは、自分と同レベルかそれ以上のものを批判しないと、自分のためにならない。
けれども、当然、ぼくが天声人語を批判し続けるのは、それが高度であるからでも、影響力があるからでもない。
それが現在の“多数の言説=感性”の典型と思えるからだ。
それは自分を“多数のひとり”と想定した言説であり、多数におもねることを読者に仕掛けると同時に、自らも多数におもねる。
今日の天声人語氏の“アイデンティティ”は“サラリーマンとしての多数である”。
つまり現在日本の“大多数が”会社に勤めている人間であるという“想定”である。
これはまちがいではないだろう(ぼくは統計数字をしらないが)
しかし“この社会”には会社に勤めていない(勤められない、勤めることを拒否する)人間もいるのである。
会社に関与していない人間もいるのである。
いうまでもないが、ぼく自身は“会社を引退した人間”である。
減ってきているのだろうが、自営農業・漁業に携わる人々、自分の商店を維持する人々もいる。
“病気”で就職できない人々、フリーターとか呼ばれる会社に帰属しない人々もたくさんいる。
これも減少しているが客観的・主観的条件により“専業主婦”である人々もいる。
自分が“会社員”でなくても、“家族のだれかが”会社員であるのだから、“日本人”はすべてサラリーマンに関与するという考え方もあるようである。
また“社会学”のような“学”が、その社会の主流(多数)の動向の分析を“サイエンス”と称することも事実である。
しかしそれなら、その社会での“少数者”はどうなるのであろうか。
しかもその“少数者”はその社会の“多数者”に対しては圧倒的に“少数”であっても、決して無視しうるほどの“少数”ではない(いったい無視しうる少数とは誰のことか、ホームレスを人間でないと焼き殺すのと同じではないか)
しかもぼく自身が“会社人間”をのべ30年以上経験している。
しかしぼくはそこにどんな“普遍的価値”も見出していない。
今日の天声人語にもどろう。
《仕事は人に、それとはなしの風格を与える》とはなにか。
ぼくはこういう“日本語”を使うひとが信用できないのである。
こういう“言葉”は、“多数の読者”をおだてつつ、自らの自惚れに居直る態度なのだ。
いったい“それとはなしの風格”とは、どういう“風格”なのだろうか。
もし仕事をしていくことが、人に“風格”をもたらすならば、それはどういう風格なのかを言葉として述べてほしい。
それが文章を書く最低のモラルである。
そもそも、最近流行の“品格”とか“風格”とかいう言葉は、悪い日本語の見本のような言葉である(もちろん、“よい日本語”もある)
天声人語氏は“自分の個人史”を語る;
《過去をたぐれば、わが四半世紀前は「麻雀牌(マージャンパイ)型」なる名を賜った。「大きさと形は同じで並べやすいが中身はわからない」が、そのココロだった▼画一性を嘆かれた同輩諸氏も、そろそろ会社を仕切る年齢だろう。気がつけば、自分に向けられていた「今どきの若手は……」のせりふを、年下に向けている。有史以来続く「ぼやき」のバトンリレーの、いつしか走者になった思いは苦い》
なにが“思いは苦い”のだろうか!
ぼくはあらゆる“文章”が“個人性=主観性”を含むことを、悪いこととは思わない。
けれどもいったい天声人語氏というのは、“個人において”語っているのだろうか。
ここでの天声人語氏同期世代が“麻雀牌(マージャンパイ)型”だったのは、天声人語氏世代に限った特徴とは思えない(笑)
現在“朝日新聞のような”マスメディアで給料をとる方々の“普遍的=職業的”性格ではないか。
まさに天声人語氏世代に限らない“会社人間の本質=大きさと形は同じで並べやすく、中身もみんな同じである“方々のマスメディア支配、日本株式会社支配が、現在の日本という社会の崩壊をもたらした。
いったい“麻雀牌(マージャンパイ)型”と“カーリング型”にどんな“差異”があるのだろうか。
“無知蒙昧”であることに変わりはないではないか。
自分に甘く、他者に厳しいこと(意地悪!)になんの変化もないではないか。
そのくせ、“あなたはぼくと同じ多数だよね、ねっ、ねっ”という“呼びかけ”ばかりには御熱心である。
最後に言いたい;
「私の若いころの富士山は、あんなものじゃなかった」(爆)
2008/04/06のBlog
[ 21:38 ]
[ 日記 ]
たとえば、“世界”はやってくる。
突然に断片として、すぐには“わからない”ものとして。
やってくるのである。
それをぼくたちは、感じることもできるし、考えることもできるし、忘れることもできる。
忘れていたことを、思い出すことさえできる。
白昼であろうと、夢のなかであろうと。
《でも、気が狂ってるというのは、やはり悲しいことですわ。もしほかの人たちが気違いだとしたら、その中でわたしはどういうことになるのかしら?(デュラス1967『ヴィオルヌの犯罪』)
《「きみが来てくれて、ほんとによかった」
彼女は体の向きを変える。また彼女の視線が向けられる。ゆっくりと。
「破壊しにね」と彼女はいう。
彼は彼女に微笑する。》(デュラス1969『破壊しに、と彼女は言う』)
《子供たちがとても幼かったころ、母親は、ときどき、子供たちを乾季の夜景を眺めに連れだした。彼女は子供たちにこう言う、この空を、まるで真っ昼間のように青いこの空を、見渡すかぎり大地が明るく照らされているのをよく見てごらん。それからまた、耳を澄ませてよく聴いてごらん、夜のざわめきを、人びとの呼び声、笑い声、歌、それからまた、死にとり憑かれた犬の遠吠えを、あれらの呼び声はみんな、孤独の地獄を語り、同時にまたそういう孤独を語る歌の美しさを語っている。そういうことも、耳を澄ましてちゃんと聴かなければ。普通は子供たちには隠しておくことなのだけど、やっぱり逆に、子供たちにはっきりとそれを語らなければいけない、労働、戦争、別離、不正、孤独、死を。そう、人生のそういう面、地獄のようであり、同時にまた手の打ちようもない面、それもまた子供たちに知らせなければいけない、それは、夜空を、世界の夜の美しさを眺めることを教えるのと同じことだった。この母の子供たちは、しばしば、母の語る言葉がどういう意味なのか説明してくれと求めた。すると母はいつも、子供たちに、自分にはわからない、それはだれにもわからないことなんだと答えた。そして、そういうことも知らなければいけない、と。何にもわからないんだいうこと、何よりも、それを知ること。子供たちに向かって何でも知っているよと言う母たちでさえ、知らないんだ、と。》(デュラス1991『北の愛人』)
突然に断片として、すぐには“わからない”ものとして。
やってくるのである。
それをぼくたちは、感じることもできるし、考えることもできるし、忘れることもできる。
忘れていたことを、思い出すことさえできる。
白昼であろうと、夢のなかであろうと。
《でも、気が狂ってるというのは、やはり悲しいことですわ。もしほかの人たちが気違いだとしたら、その中でわたしはどういうことになるのかしら?(デュラス1967『ヴィオルヌの犯罪』)
《「きみが来てくれて、ほんとによかった」
彼女は体の向きを変える。また彼女の視線が向けられる。ゆっくりと。
「破壊しにね」と彼女はいう。
彼は彼女に微笑する。》(デュラス1969『破壊しに、と彼女は言う』)
《子供たちがとても幼かったころ、母親は、ときどき、子供たちを乾季の夜景を眺めに連れだした。彼女は子供たちにこう言う、この空を、まるで真っ昼間のように青いこの空を、見渡すかぎり大地が明るく照らされているのをよく見てごらん。それからまた、耳を澄ませてよく聴いてごらん、夜のざわめきを、人びとの呼び声、笑い声、歌、それからまた、死にとり憑かれた犬の遠吠えを、あれらの呼び声はみんな、孤独の地獄を語り、同時にまたそういう孤独を語る歌の美しさを語っている。そういうことも、耳を澄ましてちゃんと聴かなければ。普通は子供たちには隠しておくことなのだけど、やっぱり逆に、子供たちにはっきりとそれを語らなければいけない、労働、戦争、別離、不正、孤独、死を。そう、人生のそういう面、地獄のようであり、同時にまた手の打ちようもない面、それもまた子供たちに知らせなければいけない、それは、夜空を、世界の夜の美しさを眺めることを教えるのと同じことだった。この母の子供たちは、しばしば、母の語る言葉がどういう意味なのか説明してくれと求めた。すると母はいつも、子供たちに、自分にはわからない、それはだれにもわからないことなんだと答えた。そして、そういうことも知らなければいけない、と。何にもわからないんだいうこと、何よりも、それを知ること。子供たちに向かって何でも知っているよと言う母たちでさえ、知らないんだ、と。》(デュラス1991『北の愛人』)
[ 19:57 ]
[ 日記 ]
“確率論的にガチガチのこの世界で動きが取れない”若者とその成れの果ての大人たちに、四方田犬彦氏の1968年の青春をお送りします。
引用:四方田犬彦『ハイスクール1968』(新潮文庫2008)
★ 今にしてみれば、その年の夏は、たぶん私の人生のなかでももっとも幸福な夏のひとつだったと思う。わたしはユリと田儀の海まで行くと、途中の路傍で買った西瓜を磯の潮溜りに放りこみ、泳ぎ疲れると、それを磯に叩きつけて割って食べた。彼女はいつも白い水着を着ていた。
★ わたしの思い出に浮かび上がってくるのは、ある晴れた午後に長い縁側の廊下に置かれたトランジスタ・ラジオからドアーズの「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」やサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」が流れている光景である。ユリはドアーズの新曲を聴いて「こんなのよりもっといい曲がいくらでもあるわよ」といい、「水晶の船」や「奇妙な日々」といった曲を聴かせてくれた。わたしはPeople are strange when you are strangerというドアーズの歌詞の一節に深く印象づけられた。
★ ユリとジェファーソン・エアプレインの「ホワイト・ラビット」を聴きながらルイス・キャロルの話をしたのがこのときだったのか、その翌年のことだったか、わたしは正確に憶えていない。ローリング・ストーンズからムーディー・ブルース、クリーム、さらにヴァニラ・ファッジまで、当時「アート・ロック」とか「ニュー・ロック」と呼ばれ始めていた実に多くの音楽の洗礼を、わたしはこの夏に受けたからである。ユリの希望は、一刻も早く出雲のような田舎を出て、東京の美術大学に進み、新宿に行ってみたいということだった。
★ 出雲から東京に戻って、そろそろ夏休みも終わろうとするころ、ビートルズが新しいシングルを発表した。「ヘイ・ジュード」というその曲はひどく長く、ドーナツ盤のかなり内側までレコードの刻み目が付けられているため、わたしの家にあるモノラル再生装置ではどうしても合唱の途中からを聴き続けることができなかった。わたしは意を決して、秋葉原に行ってステレオを買おうと母に提案した。こうしてソニーのインテグレート100という、小さくはあるがステレオの再生装がわが家に到来することになった。
★ 確かに全体を通して聴く「ヘイ・ジュード」は、美しいメロディーラインと説得力のある展開部をもち、ビートルズの面目躍如ともいうべき大作といえた。だがわたしはその裏面にある「レボリューション」という、ひどく混沌としていて、ひとの神経を逆撫でするだけのような印象の曲の方を、どちらかといえば好むようになっていた。そしてさらにいえば、ビートルズの調和的な宇宙を越えたところにある、雑音と土埃に満ちた音響の世界にも。
何度でも言う;
テレビやケータイやパソコン画面やその他の液晶画面を眺めているだけでは、<世界>は決して見えない。
引用:四方田犬彦『ハイスクール1968』(新潮文庫2008)
★ 今にしてみれば、その年の夏は、たぶん私の人生のなかでももっとも幸福な夏のひとつだったと思う。わたしはユリと田儀の海まで行くと、途中の路傍で買った西瓜を磯の潮溜りに放りこみ、泳ぎ疲れると、それを磯に叩きつけて割って食べた。彼女はいつも白い水着を着ていた。
★ わたしの思い出に浮かび上がってくるのは、ある晴れた午後に長い縁側の廊下に置かれたトランジスタ・ラジオからドアーズの「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」やサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」が流れている光景である。ユリはドアーズの新曲を聴いて「こんなのよりもっといい曲がいくらでもあるわよ」といい、「水晶の船」や「奇妙な日々」といった曲を聴かせてくれた。わたしはPeople are strange when you are strangerというドアーズの歌詞の一節に深く印象づけられた。
★ ユリとジェファーソン・エアプレインの「ホワイト・ラビット」を聴きながらルイス・キャロルの話をしたのがこのときだったのか、その翌年のことだったか、わたしは正確に憶えていない。ローリング・ストーンズからムーディー・ブルース、クリーム、さらにヴァニラ・ファッジまで、当時「アート・ロック」とか「ニュー・ロック」と呼ばれ始めていた実に多くの音楽の洗礼を、わたしはこの夏に受けたからである。ユリの希望は、一刻も早く出雲のような田舎を出て、東京の美術大学に進み、新宿に行ってみたいということだった。
★ 出雲から東京に戻って、そろそろ夏休みも終わろうとするころ、ビートルズが新しいシングルを発表した。「ヘイ・ジュード」というその曲はひどく長く、ドーナツ盤のかなり内側までレコードの刻み目が付けられているため、わたしの家にあるモノラル再生装置ではどうしても合唱の途中からを聴き続けることができなかった。わたしは意を決して、秋葉原に行ってステレオを買おうと母に提案した。こうしてソニーのインテグレート100という、小さくはあるがステレオの再生装がわが家に到来することになった。
★ 確かに全体を通して聴く「ヘイ・ジュード」は、美しいメロディーラインと説得力のある展開部をもち、ビートルズの面目躍如ともいうべき大作といえた。だがわたしはその裏面にある「レボリューション」という、ひどく混沌としていて、ひとの神経を逆撫でするだけのような印象の曲の方を、どちらかといえば好むようになっていた。そしてさらにいえば、ビートルズの調和的な宇宙を越えたところにある、雑音と土埃に満ちた音響の世界にも。
何度でも言う;
テレビやケータイやパソコン画面やその他の液晶画面を眺めているだけでは、<世界>は決して見えない。
[ 19:52 ]
[ 日記 ]
ぼくにはあまり関心のない問題だが、“18歳成人”について、今日朝日新聞朝刊に斉藤環氏と石田衣良氏の“耕論”が掲載されている。
現代の“若者”とはどんなひとたちか?
斎藤氏は“反社会”ではなく、“非社会”の傾向を指摘。
石田氏は“欲望のダウンサイジング”を指摘。
石田氏いわく;
《自分自身の可能性や成り立ちについて、世界全体を見回して自分を見ている。これ以上よくならないんだ。世の中のシステムがガチガチに固まって、その中で自分は変わりようがない、と思ってしまうのではないか》
斎藤氏いわく;
《予期せぬ変化の可能性を確率論的に考えてしまう。他者に対する寛容度が下がっていると思う》
いちいちごもっともな指摘だが、ぼくは現在の“若者”が《世界全体を見回している》とは思わない。
ここでお二人が用いている“概念”=世界(全体)、世の中(のシステム)、確率論的、他者というのは、すべて“世間”のことである。
まさに“世間”と“世界”はちがうという認識がなければ、“若者”は変わらないし、変われないであろう。
“モデルとする大人の不在”についても両氏によって語られている。
これはぼくのような年齢のものには耳が痛いが、われわれ“大人”も《世の中のシステムがガチガチに固まって、その中で自分は変わりようがない》という条件は同じである(笑)
むしろ、“若者”よりその条件は厳しい(爆)
どのような“若者対策”が必要かということにつては、斎藤氏が“社会に不適合な若者の対策に本腰を入れろ”と言い、石田氏が“お金と恋愛を教える教育を”と言っている。
ぼくは斎藤氏には賛成だが、石田氏には賛成でない(笑)
“18歳成人”についても、斎藤氏が《気になるのは、若い人たちの間から、何の反応もないこと。議論しているのは上の世代ばかり・・・・・・》と言っている。
そりゃ“大人のモデル”がいるにこしたことはない、だがぼくにもそんなものはなかった。
若者よ、自分のことは自分で考えようよ。
ぼくの“ヒント”(唯一のアドバイス)は、“世間じゃない、世界がある”である。
テレビやケータイやパソコン画面やその他の液晶画面を眺めているだけでは、<世界>は決して見えない。
現代の“若者”とはどんなひとたちか?
斎藤氏は“反社会”ではなく、“非社会”の傾向を指摘。
石田氏は“欲望のダウンサイジング”を指摘。
石田氏いわく;
《自分自身の可能性や成り立ちについて、世界全体を見回して自分を見ている。これ以上よくならないんだ。世の中のシステムがガチガチに固まって、その中で自分は変わりようがない、と思ってしまうのではないか》
斎藤氏いわく;
《予期せぬ変化の可能性を確率論的に考えてしまう。他者に対する寛容度が下がっていると思う》
いちいちごもっともな指摘だが、ぼくは現在の“若者”が《世界全体を見回している》とは思わない。
ここでお二人が用いている“概念”=世界(全体)、世の中(のシステム)、確率論的、他者というのは、すべて“世間”のことである。
まさに“世間”と“世界”はちがうという認識がなければ、“若者”は変わらないし、変われないであろう。
“モデルとする大人の不在”についても両氏によって語られている。
これはぼくのような年齢のものには耳が痛いが、われわれ“大人”も《世の中のシステムがガチガチに固まって、その中で自分は変わりようがない》という条件は同じである(笑)
むしろ、“若者”よりその条件は厳しい(爆)
どのような“若者対策”が必要かということにつては、斎藤氏が“社会に不適合な若者の対策に本腰を入れろ”と言い、石田氏が“お金と恋愛を教える教育を”と言っている。
ぼくは斎藤氏には賛成だが、石田氏には賛成でない(笑)
“18歳成人”についても、斎藤氏が《気になるのは、若い人たちの間から、何の反応もないこと。議論しているのは上の世代ばかり・・・・・・》と言っている。
そりゃ“大人のモデル”がいるにこしたことはない、だがぼくにもそんなものはなかった。
若者よ、自分のことは自分で考えようよ。
ぼくの“ヒント”(唯一のアドバイス)は、“世間じゃない、世界がある”である。
テレビやケータイやパソコン画面やその他の液晶画面を眺めているだけでは、<世界>は決して見えない。
[ 18:24 ]
[ 日記 ]
ぼくが前にこのブログで取上げたアントニオ・ネグリ氏の来日中止についてのフォロー記事が今日の朝刊に出ていた。
アサヒコムにも検索したら出ていたので貼り付ける。
アントニオ・ネグリ氏の来日がはたされなかったことは、映画『靖国』上映中止のようには問題にならなかったが、こういうところにも“危機”は露呈していると考える;
<ネグリ氏不在でも講演会大入り 「危機を突破」議論に熱>アサヒコム
2008年04月06日11時00分
「おうおう」と陽気なアントニオ・ネグリ氏の声が、国際電話で会場に流れると、拍手がわき起こった。
3月29日、東大・安田講堂。政治テロに思想的影響を与えたとして有罪・服役した経歴を理由に、土壇場で来日中止となったイタリア人哲学者ネグリ氏の講演会は、本人不在にもかかわらず、約700人を集めた。前後して企画を開いた東京芸大でのべ600人、京大でも400人が参加した。
丁々発止の議論があった。「世界が直面する危機を能動的にとらえ、突破しようとする」(鵜飼哲・一橋大教授)氏への共感。舞踊家の田中泯氏は「(知識人には)階級を解きほぐす言語が必要ではないのか」と迫った。主役抜きでの開催は、問題が逆に深く浮き彫りになると考えた主催者の意図と、聴衆の思いが溶け合う熱気があふれていた。
中止に至る経緯は不可解というしかない。招請元の財団法人国際文化会館によると、来日決定は約1年前。経歴は承知していた。この5年に22カ国を訪ねた氏側は、講演で報酬が発生するならビザが必要かと案じ、パリの日本大使館に問い合わせたが、不要と言われた。
渡航2日前の3月17日になって、外務省が「昨今の状況」を理由にビザ取得を促す。サミット前の入国管理の厳しさを示唆したと、会館側は受け止めた。急きょ申請に動いたが、犯歴ある外国人の入国を認めない入管法が壁に。例外規定を探る時間も限られ、氏側は断念した。
国際文化会館は過去にも「反体制知識人」を招いており、氏の犯歴の件は事前に関係省庁に問い合わせなかったという。会館の準備不足か、省庁間の連携のまずさか、サミット前の締め付けか――。いずれにせよ、日本の人々との対話の機会は奪われた。会館は再度招く意向だが、見通しは定かでない。
近著『未来派左翼』でネグリ氏は、個人がばらばらになって複雑化する時代こそ、私たちは団結するという逆説を述べている。私でも公でもない「共(コモン)」の創出は可能か。重い問いが、私たちの前に残された。(藤生京子)
アサヒコムにも検索したら出ていたので貼り付ける。
アントニオ・ネグリ氏の来日がはたされなかったことは、映画『靖国』上映中止のようには問題にならなかったが、こういうところにも“危機”は露呈していると考える;
<ネグリ氏不在でも講演会大入り 「危機を突破」議論に熱>アサヒコム
2008年04月06日11時00分
「おうおう」と陽気なアントニオ・ネグリ氏の声が、国際電話で会場に流れると、拍手がわき起こった。
3月29日、東大・安田講堂。政治テロに思想的影響を与えたとして有罪・服役した経歴を理由に、土壇場で来日中止となったイタリア人哲学者ネグリ氏の講演会は、本人不在にもかかわらず、約700人を集めた。前後して企画を開いた東京芸大でのべ600人、京大でも400人が参加した。
丁々発止の議論があった。「世界が直面する危機を能動的にとらえ、突破しようとする」(鵜飼哲・一橋大教授)氏への共感。舞踊家の田中泯氏は「(知識人には)階級を解きほぐす言語が必要ではないのか」と迫った。主役抜きでの開催は、問題が逆に深く浮き彫りになると考えた主催者の意図と、聴衆の思いが溶け合う熱気があふれていた。
中止に至る経緯は不可解というしかない。招請元の財団法人国際文化会館によると、来日決定は約1年前。経歴は承知していた。この5年に22カ国を訪ねた氏側は、講演で報酬が発生するならビザが必要かと案じ、パリの日本大使館に問い合わせたが、不要と言われた。
渡航2日前の3月17日になって、外務省が「昨今の状況」を理由にビザ取得を促す。サミット前の入国管理の厳しさを示唆したと、会館側は受け止めた。急きょ申請に動いたが、犯歴ある外国人の入国を認めない入管法が壁に。例外規定を探る時間も限られ、氏側は断念した。
国際文化会館は過去にも「反体制知識人」を招いており、氏の犯歴の件は事前に関係省庁に問い合わせなかったという。会館の準備不足か、省庁間の連携のまずさか、サミット前の締め付けか――。いずれにせよ、日本の人々との対話の機会は奪われた。会館は再度招く意向だが、見通しは定かでない。
近著『未来派左翼』でネグリ氏は、個人がばらばらになって複雑化する時代こそ、私たちは団結するという逆説を述べている。私でも公でもない「共(コモン)」の創出は可能か。重い問いが、私たちの前に残された。(藤生京子)
