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はじまりはブラックミュージック
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2008/04/05のBlog
♪前回分

スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之氏が、宿命は変えられないが運命は変えられると言ってました。江原氏による、詳しい説明までは把握していません。従って、これから書く事は、「宿命」と「運命」という二つの言葉を拝借するだけで、江原氏の考えを述べるものではないことを、予め申し上げておきます。ご了承下さい。

私が考える「宿命」とは自分が生まれて来た事だと思います。生まれてから先の事が「運命」になるのではないでしょうか?「宿命」を更に普遍的に捉えると、「人間として生まれてきた事」だと思います。さまざまな人がどのような人生を送るにしろ、「人間として生まれたのなら人間らしく生きる」という「宿命」を負っている気がします。

人間らしくといっても大層な事ではなく、普通に人生を送る事だと思います。思い悩んだり、悔やんだり、楽しんだり、怒りを覚えたり、愛を感じたりして日々を暮らせば人間らしく生きている事になるんだと思います。逆に考えれば、そういう人生を送れていない人は自分が「人間」である事が“分からず”自分の正体を探しているのではないでしょうか?或いは「人生」を送っているのに、「自分」や「人間」というものに対して全く思いを寄せない為、「自分探し」という言葉に実体を感じるのではないでしょうか?後者は何とかなるかも知れませんが、気になるのは前者です。「人間」が起こしたとは思えない悲惨な事件や、殺伐とした世相が思い浮かびます。

今回はここで話を切ります。次回は「人間」と「人生」について書き進めようかと思っています。

(つづく)
2008/03/31のBlog
[ 23:59 ] [ 掲示板 ]
♪「はじブラ」とは・・・「ブラックミュージック」を軸に音楽についてあーだこーだと考えているブログです。決してマニアックでは有りませんので気軽に遊んでやって下さい。どうぞご遠慮なく、ご意見等有りましたらこちらにコメントして下さい。

♪「はじブラ」のデザインはbooさんから頂いてます。

♪タイトル部分のデザインはOkadaさんに創って頂きました。

♪文中、色が変わっている部分はクリックできます。

♪3月になりましたか。熊本はジワジワと暖かくなりつつあります。花粉症の方大変かと思いますが、冬の間背中を屈め気味だったあなた、春の陽光の下、思いっきり背伸びしてみましょう・・・ゴキッ☆うっ。

♪今月のリリース。ウルフのDVDは勿論ですが、<エイス>編集のメンフィス・ソウル集をご紹介しましょう。『メンフィス70』たぶんジャケットの青空のように気持ち好い一枚でしょう。

♪こんな所にもいます。mixi光の玉手箱おとなのコラムMyspaceedita

♪tessさん主催の「ホテル・ニューハンプシャー・じゃぱん」にお店を出しています。
リンク先から入り、ジャンルの「音楽レストラン・ブラック&ブルー」へお越しください。

♪表記基準・・・アーティスト名・曲名は基本的にカタカナ表記です。データ中心の場合は英語表記を使ってますけど。もし、検索される場合はカタカナが良いかも知れません。文中でアルバムは『』、曲名は「」、レーベル等は<>で囲みます。基本的に採り上げるのはCDで、LP等の場合は特記しますが、何しろ旧い音楽が多いので、気配りが及ばない場合があるかも知れません。あらかじめご了承下さい。

♪「はじブラ」を読み解くキーワード・・・●セルフ・プロデュース能力 ●コール&レスポンスもしくはインタープレイ ●変わりゆく変わらぬもの ●人を聴く ●オールドスクール ●シンコペーション ●エンターテイナー ●大衆の目線 ●せつない気持ち ●モノサシ
2008/03/30のBlog
[ 16:18 ] [ 下下下の下 ]
今年は特に状態がヒドイようです。目薬は減る一方・・・まぶたは酔っ払いのようにボオーッと赤くなりシワシワ状態。こすったら大変な事になると分かっていながらこすってしまいます。

鼻は詰まった状態で、詰まった状態の向こうからムピュピュピュと苦しげに鼻水が出てきます・・・え?何の話だって?

花粉症花粉症!私の「鼻水記」・・・はへはへ。

♪おわび

[ 15:33 ] [ オールドソウル・ベテランの新作 ]
ボサノバの曲の話ではありません・・・。

テイシャーンの93年作『フォー・ザ・セイク・オブ・ラブ』を聴きながら、喉を潤す美味しい水のイメージが広がったのです。93年という時代にこの地味さ(滋味さ)。むしろ今だったら“アーヴァン感覚”が逆に好まれたかも知れません。

華やかさや盛り上がりには欠けるけど、ブラックネスは聴く者に静かに浸透し、温かい感動の波が訪れます。歌い口に力みがない為、歌唱より音創りの面で評価される事が多い気がします。しかし、パワー不足というよりナチュラルさを大切にしたヴォーカルじゃないかと思います。アルバムの裏ジャケが、肌着のような白いシャツを着てキーボードを弾く姿なのですが、それが彼の音楽性引いては人間性に繋がるような気がします。

最近も名前は聞いた記憶があります。地道に活動はしているようです。是非新作を今の時代に聴いてみたい気がします。水の美味しさ、水の価値を人が忘れてしまわないうちに・・・。

♪ラブ・イズ・フォーエヴァー

♪マイスペース
2008/03/29のBlog
●エリカ・バドゥ『ニュー(Nu)・アメリカ・パート1』

エリカ・バドゥのアルバムっていつも1曲目がカッコイイですね。どれもがオールド感覚を持ちながらも“斬新”で、正に「変わりゆく変わらぬもの」という黒人音楽の大原則を感じます。この盤でも同様。フィジカルなファンクながらも新味有るサウンドに溢れていて、アドレナリン急上昇の一曲です。

しかし、ドーンと一発打ち上げておいて、後は(彼女特有の世界ながら)例のビリー・ホリデイかエスター・フィリップスが現代に蘇ったようなクセのあるヴォーカルに頼るだけという感じで、相変わらずの世界が展開されます・・・但し最後まで聴いてませんから何ともいえません。

エリカ・バドゥファンからすれば大満足の一枚ではないでしょうか?私個人としては、前作以外は持ってますが、『ライブ』が一番好きです。一定の緊張感が、良い味出していると思います。

♪動画
●TQ『パラダイス』

ヒップホップバリバリ方面は余り聴かなくなりましたが、たまに試聴盤などで気に入るのが有ります。これもその一つ。

米西海岸のスタイル、所謂“ウェッサイ”物だそうです。知ったかぶりは避けたいので、推測めいてきますが、これは私も知っているドクター・ドレやスヌープ・ドッグ辺りの流れになるのでしょうか?確かに“Gファンク”と名付けられたように、緩やかなグルーヴがサウンドの中心を成しているのは共通点として見て(聴いて)取れます。

そういう背景はともかく、声と歌い方が魅力的です。訛りなのか表現なのかよく判りませんが、アクセントや引っ張り所がヴォーカルワークの特長を成し、聴き応え有ります。

ただワンパターン感は否めません。もっともこの手のサウンドは、エンドレスに近い感覚でプレイして「その場の雰囲気を創る」のが真骨頂といえるでしょうか・・・正直言って個人的にはすぐ飽きそうな感じもします。

♪これは本盤収録ではなく代表曲
先日BSフジで、日本ブルース界を代表する木村充揮さんと近藤房之助さんのコラボ・ライブをやってました。『男唄~昭和讃歩』と題されたライブですが、調べてみたら既に同タイトルで昨年CD化されてもいます。

ブルースのエキスが体内に染み込んでいる二人だけに、歌い出し、ギターを爪弾けば、吉幾三だろうが加山雄三だろうがショーケンだろうが、ブルース風味が自然に滲み出ながらもモロにブルース化しない形で仕上がっています。

たしか房之助さんが所属していたバンド、ブレイクダウンだったと思うんですがハッキリとは憶えていません。アルバムのキャッチコピーに「ブルースは排泄だ」というのが有りました。言い得て妙だなあとずっと心に残っています。「ブルース」を音楽形態とだけ捉えると実に単純なもので終わってしまいます。ブルースという音楽を通じて、人間の悲喜交々の感情の塊が押し寄せてくるのが第一の魅力だし、重要なポイントだと思います。一つの曲を別の人間が演ったり別のシチュエイションでプレイしたら「似て非なり」となるのは他の音楽ジャンルでも有るんでしょうが、ブルースの場合、より如実に違いが出るような気がします。よくブルースマンがトラディショナル・ソングや自分がカバーした曲を「あれは俺の曲だ」という事があります。これは自己顕示欲の顕れだけではないと思います。一つの曲を別の人間が演奏すると別の音世界になる、というのがブルースの愛すべき特長なのです。

本物の排泄物だったら、自分のはどうにか我慢できますが、他人の物はその筋の人でもない限り嫌悪感を感じます。ところがこのブルースという「排泄物」は他人の臭みも気にならないどころか、人間的生産物として非常に愛すべき存在に思えるです。

♪男唄サイト

♪動画あり。特に好きな歌です。

↑タイトルで木村さんの名前が「Atushi」になってますが「あつき」が正解です。

♪ポンポコリンだけじゃな~い
2008/03/23のBlog
[ 14:49 ] [ オールドソウル・ベテランの新作 ]
朝から雨です。それなら、とオラン・“ジュース”・ジョーンズの『ジュース』をドライブのお供にしました。86年<デフ・ジャム>発の当アルバムは1曲目の「レイン」が超有名です・・・って毎年雨の時期になると採り上げている感じもしますが、何となく聴きたくなる盤ではあります。「レイン」はもちろんのことですが、アルバム全体を通して“雨”の雰囲気によく合う気がするのです。

オランは仲間にラッパーが多いせいも有り、ゆったり目のラップに彼独自のグルーヴを絡め、か細いファルセットで歌い上げているパターンが多いです。ところが、『ジュース』はラップというよりDJトーク(昔のね)みたいなのはフィーチャーされてますが、全体的に70年代正統甘茶路線を引き継いでいる感じです。アップテンポの曲になると80年代らしいズンドコリズムが登場しますが、総括的には“ネオ甘茶”といった一作です。

激しくはないけれど絶え間なく降りそそぎ、気持ちの奥にまでジンワリと入り込む春の雨。まさに、切なくウェットなオランのファルセットにピッタリです。

♪レイン
2008/03/22のBlog
[ 13:03 ] [ 本・映画・TV等 ]
『ダーウィンと家族の絆』という本が出版されているそうで、この本を著したのがダーウィンの孫の孫にあたるランドル・ケインズ氏。何とケインズ経済学で有名なジョン・メイナード・ケインズ氏が祖父の兄に当たるそうです。凄い血筋ではありますが『進化論』も『ケインズ理論』も把握していない身としては、単純にこの本に対する興味が湧き起こるのみです。

ダーウィンと妻のエマは、10歳で亡くなったダーウィンの娘アニーに関する闘病記や思いをしたためた一文、遺品や遺髪を文箱に収めます。この「アニーの小箱」が150年ぶりに開けられた事で、ダーウィンの子孫である著者が自らの血脈と存在意義を感じたのか、緻密なリサーチの上纏めあげたものです。

宗教の教えが広く浸透していた時代だけに、妻のエマは来世でのアニーとの再会を固く信じていたのですが、ダーウィンは無垢な少女が無慈悲にも亡くなった事で神が存在しない事を確信するキッカケとなります。そして、アニーは「自然のいたずら」で亡くなったものと考え「自然淘汰」を自ら意識する端緒となったようです。この「アニーの小箱」を軸にダーウィンと家族の一生が描かれた作品のようです。

ところで、ケインズ経済学に関するウィキペディアを読んでいると、ケインズはダーウィンの「適者生存」の考えを引き継いだ一派には否定的だったと書いてあります。高い木の上の葉っぱを食べるためにキリンの首は長くなったというけれど、高いところにある木の枝から葉をむしることだけを生存の目的の全てと見て、もっとも首の長いキリンだけを生存させることをベストとする考えは間違っているというものらしいです。進化論の否定とまでは書いてなかったですが、自分に関係のある「偉大なる先祖」でも、自論に反すれば槍玉に上げるという姿勢はやはり只者ではないです。
2008/03/20のBlog
独身時代、夜な夜なうろついていた頃・・・大体似たような人間は集まるもので、黒人音楽好きの仲間はたくさん居ました。

その中の一人Hさんは、剽軽かつ助平心満載の人で、楽しくお付き合いできました。音楽の好みも合う方で、話もよく盛り上がりました。ちょっと、飲み過ぎるとハチャメチャになる人で、女性がはべっているタイプの店でも、スックと立ち上がり、自分の息子さんを紹介したりする人でした。しかし、音楽のツボはシッカリと押さえています。Pファンクのメンバー一人一人の解説等参考になりました。Pファンクといえば私はパーラメントとオールスターズ、彼はファンカデリック盤をより多く持っていたので交換して聴いたりしました。だいぶ助かりました。

又、バンド活動を演っている人達も多数居ました。Hさんもその一人です。ある時クリスマス・パーティー・ライブをやろうじゃないかという話になり、Hさんのバンド(彼はヴォーカルのみ)も聴く事ができました。飄々とした性格同様にナチュラルな歌い口で十分鑑賞に堪えました。「メッシン・ウィズ・ザ・キッド」あたりも下手なヤツがやると力が入りすぎ、乗りが悪くなるんですが、Hさんはリズムに自然に乗りグルーヴが醸し出されていました。興味対象が近いだけに選曲も私好みでした。その内の一つ「ヤング・ボーイ・ブルース」もジワジワとした盛り上がりにわざとらしさがなくシットリと心に沁み込みました。

私の、曲名を覚えない悪い癖は当時から有り、(記憶にはあったのですが)「ヤング・ボーイ・ブルース」がベン・E・キングの曲だと尋ねて初めて気付きました。早速家に帰ってからアルバムを引っ張り出し改めて聴きました。ベン・Eもソフトな歌い口が身上で、彼によく似合った好曲だと再認識しました。

歌詞の内容を考えた事はないですが、タイトルからして、青春の切なさを歌ったものではないでしょうか・・・私もこの曲を聴く時、Hさんや音楽を愛する仲間達と半分バカ騒ぎしている中、時々訪れた切なさを愛おしく思い出します。ヤング・ボーイという歳ではなかったですが、とても良い時間を過ごせたと思っています。

♪サンプル

♪ロバート・プラント版しかなく少々残念。本家より引っ張りすぎ!
[ 15:09 ] [ 本・映画・TV等 ]
「昭和事件史」をテーマにした番組等で何度か観た事が有る映像。1960(昭和35)年、時の社会党委員長・浅沼稲次郎氏が、演壇で「右翼の少年」に刺し殺された事件。強烈な残像は頭に有るものの、事件の内容に関しては正確に把握していませんでした。

本著は、浅沼氏と少年(山口二矢<おとや>)両人がどういう人間なのか、何故取り返しのつかない形で出会わなければならなかったのかといった点を、関係者への綿密な取材と、当時の政治的・思想的背景の考察などで浮き彫りにしています。

右翼と左翼という立場ながら、二人には「共通項」が有る気がします。二矢は大日本愛国党の赤尾敏氏に師事しようと、せめて大学を出てからという赤尾本人や家族の意見を聞かず強い意思で入党します。しかし、左翼勢と争いになっても「決定的なトドメ」を刺さない右翼の姿勢に自分とは違うものを感じ、愛国党内を脱党する一派に紛れるように党を離れ、実際には孤高のテロリストとして生きる道を選びます。左翼の粉砕というテーゼを持ちながら、政治勢力として成り立つにはいくら右翼でも、人殺し集団にはなれません。その政治思想はある意味純粋な少年には伝わりません。二矢は左翼の「トップ」を殺し、日本の赤化を食い止め、自らの命も絶対的地位としての天皇陛下に捧げる(あくまで二矢の考え方です)道を選びました。この事件の後、右翼の間では二矢少年は神のような扱いを受けていますが、右翼思想に幻滅していた二矢にとっては皮肉な事かも知れません。
浅沼は庶民的性格から、保守勢力にも一目置かれる存在でした。社会主義活動が激しい弾圧を受けていた時代(本人も拷問を受けたりしている)から只管「労働者のため」活動を行っていました。日本全体に中国反対のムーヴメントが起きている時、訪中団の代表として冷遇寸前の中国で親中的演説を行い、中国政府から友人として見られます。帰国すると反発される事が多く、派閥が連立してできた日本社会党内でも昔からの仲間には総スカンを食らい、逆に社会党内左派からは歓迎されるという形になりました。しかし、中間派や左派の方が力を持ち始めていたので本来ならロートル扱いの“万年書記長”の浅沼が委員長に推挙される結果になりました。面白いのは委員長になったとはいえ人間機関車と例えられた自分の姿勢は変えず委員長という立場ながら全国遊説に駆け回り、民衆の声を直接拾い上げるという日々は続けました。

結局二矢にしろ浅沼にしろ、通過する“思想”は違っていても、思想よりまず実践、目標的には国民のための日本を作りたいという意味では一致していたんじゃないかと思います。もし同じ思想を共有するような立場だったら二人は意気投合していたかも知れません。二矢も浅沼個人が憎いのではなく、左翼思想の壊滅が目的だったのです。

著者のルポルタージュのレベルの高さは今更説明する必要がないでしょう、本書でも事実の積み重ねが生み出す人間ドラマと、見えにくい真実が鮮やかに浮かび上がります。また、暗殺場面に至っては、いかに“偶然”が重なったかという流れも含め、サスペンス小説の域に達する手に汗握る緊張感も生み出しています。

刺殺の瞬間をカメラに収めた人物は日本人初のピューリッツァー賞を受賞したそうですが、その“裏話”的エピソードも面白いです。さすがは沢木耕太郎、細かい事実も見逃しません。抜かりがないです。