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はじまりはブラックミュージック
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2008/04/19のBlog
インディーズ発のデビュー作(前作)で存在感の有る歌唱を聴かせてくれたオーシー。本作でも再認識の上手さです。

今回は美メロタイプの曲が多く、(特に前半は)分厚いコーラスもフィーチャーされていて、ボーイズ・Ⅱ・メン辺りを連想しました。但しオーシーは声に粘り気が有り、ボーイズより私好みです。

ヒップホップ感覚は添え物的に混じっているだけで、新しいタイプの音でもないんですが、落ち着きが有りながら、やや青臭さも漂う、彼のヴォーカルワークによくフィットした音世界だと思います。前回より正統路線かな?

♪内容

♪マイスペース
2008/04/18のBlog
[ 22:25 ] [ はじブラ流 ]
新聞の書評欄に気になるタイトルの本。鹿島茂著『SとM』・・・ほおほお、洋服のサイズの話か←こらこら!

勿論、ただ単にその手の話が掘り下げられているだけではない筈。しかしながら、やはり下世話な部分が気になるところ・・・。

欧米と日本のSM行為を比較すると、欧米は鞭による流血、日本は縄による緊縛というのがベーシックな部分に有るそうです。

狩猟民族と農耕民族、植民地主義と鎖国主義、直球と変化球、外交的スマイルと東洋の微笑・・・色々比較するキーワードは思い付きますが、根本的な部分では痛みが明快な鞭は西洋的、痛みが曖昧な縄は東洋的といえる気がします。ポルノの世界も、洋物は激しい行為に終始し(男女対等)、日本はロマンポルノの伝統からか、女性が身をよじる姿とか行為そのもの以外の部分も重点的に表現されている気がします(らしいです)。

しかし、日本も最近はどうでしょうか?露出度の多い一部女性のファッションとか、人前でイチャつくカップルとか、「明快な刺激」「ストレートな表現」が当たり前になってきているので、鞭>縄の世の中になっている気もします。

それはともかく、西洋にしろ東洋にしろ、SとMは表と裏の関係のような気もします。鞭で叩きながら叩かれている気分、縄で縛りながら縛られている気分を「共有」する所がポイントではないでしょうか(あくまで推測)?そういった点を考えると、マニアックではあるものの、一見苛めているようで心を通い合わせている、極めて人間的行為といえるのかも知れません。
2008/04/13のBlog
[ 15:21 ] [ Life is... ]
テレビ朝日『報道STATION』の、松岡修造が担当しているスポーツコーナーは、よく内容が掘り下げられているので時々観てます。

先日、柔道が世界的競技としてどんな風に取り上げられているか特集していました。山下泰裕氏が連盟の理事から落選し、日本の意見が通りにくくなるとは以前から言われていましたが、さて現状は?といった所でしょう。

そもそも「国際柔道連盟」は欧州が立ち上げたもので、日本は創立4年目に参加しています。確かに日本の柔道が基本にあるとはいえ世界に広めようとしたのはヨーロッパ人だといえるでしょう。日本が「わが国の柔道こそ本物」と主張したかどうか知りませんが、出発点から「JUDO」は「柔道」とは別のスポーツ・格闘技という概念が有るのではないでしょうか?特に現在の会長を中心にJUDOをメジャーにする為、パフォーマンス志向が強いようです。その一例として派手な畳の色を使ったりとか色々有るようですが、一番ビックリしたのは、投げ技の場合、最終的に背中が着いた選手が負けだそうです。柔道では、きれいな型で投げればそれで終わりなんですが、JUDOでは例えば投げた人間が勢いでバランスを崩した時など、下から攻めて逆に倒せば勝ちになるそうです。相手をきちんと倒し、倒された方は「死に体」になるのが柔道の精神的なものの象徴の一つかと思いますが、それよりも、スポーツとしての見た目の面白さを採用しているのでしょうか?

日本で生まれたスポーツだから、日本のルールを採用し続けなければならないものでもないかも知れません。JUDOは柔道にヒントを得た別のスポーツだとする考えもあるかも知れません。日本の選手もJUDOをやる場合は意識を切り替えて立ち向かえば良いのかも知れません。しかし、日本人としては日本が否定されたようでどうもシックリこない感じもします。とはいえ、日本人らしさを柔道に求めるには正直いって柔道をやっている人以外は「どうでもいい」と思うのが現代の世情かも知れません。ただ五輪になったらやたらと日の丸を強調する人が増えますけど・・・。色々な考え方が出来る問題なんですが、日本人の理事はせめて残して「柔道」側の意見とすり合わせる事はしてほしいとは思います。全く無視されているわけでもないようですが。

フランスのJUDO人口は日本の柔道人口を遥かに凌いでいるそうです。しかも「礼に始まり礼に終わる」など、JUDOというより精神的な部分に重きのある「柔道」の形で草の根レベルで親しまれているそうです。このあたりを紹介したのが『報道STATION』の深かった部分。つまり日本人自身が(日常的に)柔道に親しんでいないのに、「日本のお家芸」という言葉を軽々しく使えないなあと思えたのです。

でも、頑張ってね、選手の皆さん。素晴らしいJUDOを観せて下さい。
2008/04/12のBlog
[ 18:40 ] [ 本・映画・TV等 ]
「食べる」という行為は、人間の根源的な部分に関わるものです。著者は「食」というより、人間が食らう“行為”に拘ります。しかも対象となる場所は、平凡な日常の食卓ではなく、特異な場所に限られています。紛争地帯、エイズが蔓延する村、ベルリンの壁崩壊直後の東西の思惑が混在する刑務所、チェルノブイリの立ち入り禁止区域etc・・銃弾の下をかい潜り、残飯に手を付け、バター・コーヒーに悶絶し、日本の食材に似て否なるものに出会ったりします。しかし、珍しい体験を語っているだけの本では有りません。

確実に死を前にしている少女や、従軍慰安婦としての体験を語る老婆等、かなり重たい状況も出てきます。極めてシリアスな作品なのです。この作品の裏には飽食日本に対する警鐘もあるでしょう。日本人である事が厭になる章も有ります。しかし、その前に、世界中様々な状況で懸命に生きている人々がたくさん居るという「人間ドラマ」が展開されています。辛いけれど人間の逞しさ素晴らしさが伝わってきます。哀切感がありながらも前向きなのです。トーンが暗鬱にならないのは、著者の相手に正対する姿勢が感じ取れるからだと思います(同じ物を食べながら話を聞くのも気持ちを通じ合わせるのに有効だったかも知れません)。著者の人情味とユーモアがダイレクトに伝わり、人々の悲しい気持ちや強い気持ちも彼を通して伝わってくるのです。

辺見さんは元共同通信の記者です。世界中から凄い量のニュースが飛び込んでくる場に居てマクロな視点を持ちながら、一人の市井の人間と交感するミクロな視点も持ち合わせている上に(それだからか)ロマン溢れる文章を物すれば、超一級品で感動を呼ぶルポルタージュが書けない訳がありません。
2008/04/09のBlog
[ 15:31 ] [ 現代R&B・ヒップホップ系 ]
ひさしぶりに聴いてみたのはブラックストリートの1st.94年作

テディ・ライリーは、最近も新しいユニットで好評を得ているようで何よりです。

それにしても最初にガイを聴いた時は衝撃的でした。私は当時黒人物を主に、音楽仲間の集まる喫茶店の常連でした。但し時代に沿って聴いてはおらず、広く深い沼を過去へ過去へと沈降していました(今もあんまり変わらない?)。「騙されたと思って聴いてみてよ」と、誰が持ってきたか覚えていないガイのアルバムを初めて聴いた時の高揚感!・・・私だけではなく、ソウルファンもブルースファンもジャズファンも勿論新しめのファンも、ロックファンまでもが惹きつけられました。

強烈に跳ねるビートに、アーロン・ホールの、宙空へ連れて行かれそうなガッツの有るヴォーカル。どちらかといえば落ち着いた感じの多かったブラックシーンに風穴を開け、さあ踊ろうぜ!とばかりに挑発しているような元気の良さ、気合の入りようでした。丁度パンクロックがロックシーンのアダルト化をぶち壊しに掛かった時のような「反動的」な感触がありました。但しNJSの方が明るいです。

しかし、ジョニー・ロットンが煮詰まってカルト的になったのと同様、一度革新的な事を成し遂げた者が前に進むのはかなり難しい事です。ガイの物別れというストッパーも有り、テディの動向を不安視する声が多くなったような覚えがあります。

そんな中提示したブラックストリートで、ニュージャック・スウィングそのものをやる訳にはいきません。しかしながらNJSを換骨奪胎したような引き摺ってから跳ねるビートは「後期ニュージャックスウィング」と呼ばれました。でも、むしろ「後期」で成功したのはジャム&ルイスやフォスター&マッケルロイでしょう。内容的に悪くなく一定の評価を得たブラックストリートですが、そんなにはビッグになりませんでした。

今改めて聴いてみると、微妙にPファンクサウンドの影響が見てとれます。考えてみるとガイにもPファンク性は有り、テディ自身が影響を公言しているワシントン・ゴーゴーの一派にも感じとれます。やはり重要なバックボーンの一つなのでしょう。過去の遺産をいかに引き継ぎ進化させるかは、常に黒人アーティストに求められる条件ではないかと思います。勿論、テディ・ライリーのNJS自体も「遺産」の一つになっているのは否定できない所です。

個人的には、本盤は少し詰め込みすぎかなとも思います。あと、歌物がどうしても好きですからアーロンの影を追ってしまうのが今一つシックリと受け止められない所以かと思います。しかし、しかし、黒人音楽史に残る一枚で有ることは間違いなし!

この記事はよくまとめてらっしゃいます。特に「後期」の影響でラップとR&Bが近付いたというのはマストですね。Pファンクと同時にGファンク風ピ~ヒャララとか確かにブラックストリートにもラップへ近付く様が覗えます。

♪テディの発言

♪動画
エリカ・バドゥやジョーを輩出したキダー・マッセンバーグ氏。一時期は<モータウン>のCEOも務めていた重要人物の一人です。彼が持つ<キダー・エンターテインメント>からデビューした新人がアルジェブラ。昨年ジョーの来日公演にも同行していたとの事ですから目撃済みの方も居らっしゃるかと思います。

本格デビューする前は、アコースティックギター1本抱えライブハウス等渡り歩いていたそうです。最小限に近い表現方法で音楽に向き合っていただけに、確固たる自分を持っているアーティストのようです。ジョーも「彼女は自分の言葉と音楽を持っている」みたいな発言をしています。

曲調は同じ様なミディアム・テンポで、自然に身体が揺れてくるようなグルーヴが心地好いです。各曲の冒頭に色々な“遊び”を少しずつ仕掛ける事で気分の入れ換えになっています。少女の笑い声だったり、電話の呼び出し音(男性の声のよう)、勢いのあるストリングス、ばらまくようなスネア音、旧いブルースギター様のフレーズ・・・決して突出せず自然な感じで、色んな部屋に入るのに「のれん」のデザインが微妙に違うような面白さを感じます。全体に派手さはないけど地味すぎず、宣伝コピーにも有りましたが「スタイリッシュ」という表現がもっとも的を得ているかと思います。

前にご紹介したエステルといい、最近好い試聴盤に出会ってます。名のある人たちのも実は聴いているんですが、エステルとアルジェブラという二人の若手がそれらを凌いでいると思います。少なくとも決して内容的に劣っていません。エステルは名プロデューサーの助けも少しは有るかも知れませんが、アルジェブラは彼女一人で十分という感じです。

キダー・マッセンバーグが発掘したアーティストにインディア・アリーもいます。彼女のオールド+ネオソウルをうまくミックスした感覚と似たところが見受けられます。しかし、私だったらアルジェブラの方を選びます。感覚的な選択では有りますが、おそらくアルジェブラの素地にブルース性を感じたからかと思います。ブルース曲を演っているわけではないですが、かすかに臭います。

※日本盤のみジョーとのデュエット曲収録です。

♪動画

ところで音楽と全然関係ないですが、タイトルのPurpose。私はパーポスと発音するものと思っていました。アルバムの帯では「パーパス」と成っていたのでどっちかな?と思い調べみたらパーパス正解でした
2008/04/06のBlog
エイプリルフールのあくどい冗談だったら、と言いたくなるショーン・リヴァートの死。3月30日なんと刑務所で具合が悪くなり、突然の最後を迎えたとの事です。兄ジェラルドの後を追ったわけではないでしょうが、音楽的には一枚だけ出した95年のソロ・アルバム『アザー・サイド』は十分兄の背中を捉えた好アルバムだと思います。

「ジェラルドの死」は彼の生活にチカラを与えなかったのでしょうか?もう少し何とかならなかったのかなあ・・・。

ソロアーティストとしてメジャーにはなりませんでしたが、存在感はありました。ご冥福お祈りします。それにしてもエディーの心中や・・・。

[ 19:31 ] [ カバー・ストーリー ]
タワーでK-Ci&JOJOのJ-POPカバー集『ラブ』を試聴していたら、予想通りというか、あまり気持ちが乗らなかった。昨日は本屋で「蕾」ともう一曲掛かっていたが、やはりおかしい。メロディーを丁寧に歌いすぎるのです。彼らの野卑でエネルギッシュな感覚を、無理に枠に閉じ込めた感じで、かえってヴォーカルが汚らしく思えます。これはJ-POPファンの人もあまり好印象は受けないんじゃないだろうか。コブクロの「蕾」がやはり感動的です。

「カバー」というのはつくづく難しいと思います。大抵はオリジナルが勝ります。好カバーは、オリジナルの雰囲気というかエキスみたいなものを取り入れた作品に限るような気がします。歌う者の心に深く浸透した曲でなければ、新しいカバーとして印象を残る形で完成しないと思います。今回はK-Ci&JOJOにとって「日頃聴いている曲」ではなかったはず。メロディーは美しいので、それを丹念に歌おうとして彼ららしさが成りを潜めた感じです。
一方色んな所で評判のジェラルド・アルストンのサム・クックカバー集。普通でも難しいカバー・アルバムで、しかもサム・クックの曲に限るというのは信じられない所業、大失敗・・・となる所ですが、私はコレ聴いてませんが間違いなく好いと思います。

彼の歌を聴くとサム・クックの魂に裏打ちされているのがよく分かります。大抵のソウル・シンガーはサムの影響下にあるんですが、特にジェラルドは似ているというより、中に入り込んでいる感じがするシンガーです。ファンとしては新作が聴けないのは残念な気がしますが、良い仕事したなあというのも正直な感想です。

阿久悠さんの名言を思い出します。「歌手には歌の上手い人と歌い方の巧い人がいる」・・・K-Ci&JOJOに誰か訳してやってチョーダイ!

※黒人音楽にカバー・ヴァージョンが多いのは、先人に対するリスペクトが強い現われかと思うんですがどうでしょうか?
[ 14:45 ] [ 現代R&B・ヒップホップ系 ]
才人ジョン・レジェンドが<アトランティック>の協力の下立ち上げたレーベル<ホーム・スクール・レコーズ>の第一弾アーティストだそうです。エステル(Estelle)はUK出身のフィメール・シンガー&ラッパーでこれが2枚目のアルバム。1枚目にジョン・レジェンドが参加していた縁のようです。

ウィル・アイ・アムやカニエ・ウエストという“オールド感覚”を持ったプロデューサーも参加していて、期待を持って聴きましたら予想以上に好かったです。特に出だし3曲ほどがオールドソウルのオブラートに包まれた感じですが、現代R&Bとしての存在感も有ります。ラップもこなすだけにリズム感が非常に良く、合いの手を入れたりする部分もキップがよく生き生きとしています。声はハスキーでネオ・ソウル系でよく聴くクセを付けたジャジーな部分も聴けますが、針金のように細いながら硬質な感触が有るのでネオ系とは一線を画します。もっと熱がこもったらメアリー・Jあたりの正統R&Bシンガーに化けそうな感じがしないでもないです。

中盤レゲエを挟んだ後ラップ中心の曲が有りますが、あまりラップに馴染んでない私も入り込みやすい感じ。シンコペーションが効きながら切り込みも鋭くカッコイイ出来です。逆にカニエ君は自身のアルバムとはまた違った味のラップを聴かせ、エステルの歌唱を生かしたバイ・プレイヤー(バイ・ラッパー?)となっています。まあ、当たり前なことでしょうけど・・・。ジョン・レジェンドもザラ付きのある歌唱に終始し、彼のコアな部分が如何に確固たるものか証明しています。ウィル・アイ・アムも含め、やはり彼らは次代のR&Bサウンドを創り上げる存在なんだなあと再認識しました。後半のバラード曲も、一般的R&Bに終わらず彼女のリズム感(間合い感)を生かした好曲です。もちろん、エステルの可能性も感じました。レディシとはまた違うタイプで、今後に期待の持てる女性アーティストです。ラップも使えるというのは強いね。

8曲目はアノ有名曲じゃないんですが、最初にテープの逆回しのようなSEが入るんですが、その中に紛れている感じもします。聴いてみた方如何でしょう?

※ラブ・アンリミテッドの「ウォーキン・イン・ザ・レイン」だそうです。

♪内容

♪サイト

♪タイトル曲
2008/04/05のBlog
♪前回分

スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之氏が、宿命は変えられないが運命は変えられると言ってました。江原氏による、詳しい説明までは把握していません。従って、これから書く事は、「宿命」と「運命」という二つの言葉を拝借するだけで、江原氏の考えを述べるものではないことを、予め申し上げておきます。ご了承下さい。

私が考える「宿命」とは自分が生まれて来た事だと思います。生まれてから先の事が「運命」になるのではないでしょうか?「宿命」を更に普遍的に捉えると、「人間として生まれてきた事」だと思います。さまざまな人がどのような人生を送るにしろ、「人間として生まれたのなら人間らしく生きる」という「宿命」を負っている気がします。

人間らしくといっても大層な事ではなく、普通に人生を送る事だと思います。思い悩んだり、悔やんだり、楽しんだり、怒りを覚えたり、愛を感じたりして日々を暮らせば人間らしく生きている事になるんだと思います。逆に考えれば、そういう人生を送れていない人は自分が「人間」である事が“分からず”自分の正体を探しているのではないでしょうか?或いは「人生」を送っているのに、「自分」や「人間」というものに対して全く思いを寄せない為、「自分探し」という言葉に実体を感じるのではないでしょうか?後者は何とかなるかも知れませんが、気になるのは前者です。「人間」が起こしたとは思えない悲惨な事件や、殺伐とした世相が思い浮かびます。

今回はここで話を切ります。次回は「人間」と「人生」について書き進めようかと思っています。

(つづく)