ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | ユーザ登録 | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
気仙大工 (ケセン語)ブログ
Blog
[ 総Blog数:768件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2008/01/09のBlog
正月明け4日から建前を行った。住田町町営8所帯の集合住宅工事の見学を全国版団体新聞?の取材の案内で、見学してきました。住田町内に会社を置く、組合理事長の会社が元請受注したのです。

中間経費を省く為に、「設計施工」コンペで受注したのです。
町でも建設予算が少なくなったので、考え出された方法です。

今までは専門の設計事務所の設計士が書いた、計算上は大丈夫とは全然違います。
構造骨組みは、大工社長の拘りの骨太材で建てられています。
この地方の大工が当たり前に造って来たのを、そのままに建てたものです。

写真を見てください。如何にも骨太だと実感できると思うのです。
現在多くの大工で、急ぎ屋根下地工事を突貫で行っています。(瓦葺とか)

昨年、11月24日のブログ
http://www.doblog.com/weblog/myblog/33509/2616208#2616208「岩手県営「環境共生(共同)住宅」建築中」

県営住宅も見学してきました。前回紹介したとおり、町営住宅と同じで、大工専門工事を受注したのです。大分捗っているようです。当たり前です。3月上旬の引渡しですから急がないと間に合いない20所帯ですから、マゴマゴしていては本当に間に合いません。ヘルメットを持って行かないために中に入るのは遠慮した。



2008/01/08のBlog
[ 06:44 ] [ 気仙の辺辺(あたりほとり) ]
【草】・・・・・写真ー左下の角ぐらいまで水位がアッタのです。
正月7日の七草の一つ「芹」を摘みに小川に、昔は水量が10倍もあった小川が、広葉樹が切られ針葉樹の山になったら、自然界は正直です。山の水が全部といって良いくらい流れなくなったのです。

これは「人災」です。戦後の木材不足の影響で、利益度外視で植林した結果、里山・川の環境が著しく悪化したのです。人家から上流の小川は、雀のなみだほどです。昔は長靴の半分くらい水位もあったのですが、それが全然なくなったのです。

町に行けば七草全部が揃うのですが、1草でも足元にあるもの食べたいと思い、何時も昔から小川に取りに行きます。全てお金の時代に逆行かも知れませんが幾らかでも足元の自然への感謝の拘りです。

【木の再利用を?】・・・・・写真ー見ているだけで温もりを感じませんか?

30年前に建てられて家の廃材が「薪」になって、もう一役のお勤めです。
茅葺民家の廃材には釘などがほどんとありませんが、戦後の「バラック工法」は釘金物で取り付けている為、処理するのにバックホーでミンチにしか出来ない悲劇です。

それを手バラシでの解体材は、いたるところ、釘が露出で別々にはトンでもない手間が掛かります。
もう細かな材は、焼却処理でしか処理出来ません。

勿体無いと思いながらも、この方法しか出来ないのが現状です。このような解体材を機械処理して、ペレットなどに振り向けたら、再度燃料として活用が出来たらと常々思うのです。何とかならんのかと腹が立つます。

【火の力】・・・・・写真ー石油ボイラーの耐用年数の3倍越えたと言うことは設置の経費が3分の一になった言うことでは・・・・・・

“燃えて火となれ灰になれ”の歌の文句ではないが、その熱を湯水に変え、湯として使うととんでもなく恩恵が生まれるのではと思う。我が家の薪ボイラーは約40cm角の焚口一杯に2度の補給で、100℃のお湯が330L湯量に変換され、4人家族が1日に使うお湯になります。煙突・ロストルなどを、小まめに、交換しながら23年目に入りました。

初期投資は高いが、原油高騰の折、資源の再利用できるものが、アッチコッチに一杯あり、石油の安さに謳歌した時代の、終焉が目の前に来ているのではないかと思う。国内にも再利用可能なものがマダマダあり、安物にふりまわされ、他国の思惑に乗ってきたものを見直し時期ではないのか。


2008/01/05のBlog
正月3ガ日目から、今年の歩き初め、メタボの解消です。
1・2日と天気が悪いため、歩く人は大変だったのか、今日は多くの方々に会いました。
30名以上かなあ・・・・・・そうそう、秋田商業高校の合宿生徒などの大勢が松林の中で練習。

―写真― スタートの近くに法華寺が前に見えます。

昨年はずっと歩き通した。高田松原に今年も来ました。法華寺付近の津波水門入口に車を停め。西は気仙川水門へ、そしてUターンして東に向け、浜田川水門で折り返し1周して40分。

―写真― 1人海を見ている初老

途中色々な風景に出会います。野球場も静かに春を待っています。
舗装の道よりも土のところを選んで歩きますが、浜田川近くは堤防を歩かないと1周出来ません。

―写真― バイパスが直ぐ近くに見えます。

基に帰って、今度はジョギングコースの2kmを1周します。
それが約20分、計1時間を早足で歩きます。とにかく歩け歩けスタートです。

―写真― 早春の海は明るいは・・・・・・・・


2008/01/04のBlog
[ 08:24 ] [ 節・節 ]
正月の天気もようやく、3日から落ち着き今朝の日出を写真にと、定番の場所に。
真上に雲が無くても、水平線上には濃い灰色の雲。

定番に着いたのが、6:53分まだ水平線上は暗い。

顔を出したのが7:05:17秒、本当は6:55分ごろには出るのに、雲からでるまで7~8分遅れます。

何時見ても、黄金色の「日の出」何とも言い無いよ。

万歳~万歳~万歳

3が日も終わり、今日から世の中が動き出します。

今年はどんな年になるか・・・・・・・・楽しみだ。

先ずは身体が資本、それが先だ。大事に・・・・・・・・・・・

2008/01/03のBlog
2007年の「改正建築基準法」は、完全に「木造建築伝統構法」の抹殺の亥年であった。

国の担当者との意見交換では、安全性の優先が先であり、戦後作られた法律の遵守に乗っ取ったもの以外は安全性が証明できない限り認めないという極論でした。

ではその法律に乗っ取って、つくられてきた誰でも作れる「手抜き工法」は安全化といったら、それこそ馬鹿みたいな、壁さえ強くするしか考えない「建築研究者」の意見のみが強く押ししめられてきただけではないのか。

こんな建物なら、犯罪人を閉じ込めて置く牢獄のような造りが、生命の安全にしているという保証のようなものである。だからそのような建物で育ったような子らの行き着く先は決まっているじゃないるんないの、それは監獄ような造りに住まわせる事であり、犯罪人を作り出し家つくりなのだ。

このように「銭」社会は人間の考えまで動物に近い存在になったんたんじゃないの。

戦勝国米国が進めてきた誤った矯正国策であり、国民を「犬」みたえに飼いならし事しかできない国家なんて如何しようもないよ。砂漠の国ではないのだ。山河の豊かな自然素材を当たり前に使える、そして有効に出来ないなんて、歴史上最悪の国家運営しかできないなんて愚かなお国になったものだ。

国とは子孫が繁栄する国にしなければ成らないのに、このままでは「子孫」分まで食い潰していてよいのかと思う。自分らの世代だけ謳歌し、もっと後先を考えて、次の世代にも「木の文化」を伝えいくのが、これからの我々の残された戦いだと考える。そのためにも十二支のはじまりの子年はその戦いの年に、したいものだ。

―写真― 廃材を燃やし薪ボイラーの中、2回 ないし3回で90度の温度なります。
石油高騰のおり、一石2チョウの生活、薪を焚く人だけが辛いだけ。

木と木と重なって燃えないと、火には力が無い。
人も重なって燃えないと、次の世代の命が生まれない。
「木・人」自然から恵みを伝えなきゃ。




2008/01/02のBlog
[ 05:09 ] [ 気仙の辺辺(あたりほとり) ]
大晦日まで、新年の準備、大掃除と立った一夜を越のの大変さいつも思う。

我が家の正月3が日は、女の寝正月、男が先に起きてコタツに火入れ、薪ボイラーに火を入れ、若水汲みは男の仕事として行うのが伝統、親もそうしてきたから自分もそうせざる居ないでのある。

その準備が終り、7時前に定番場所に「初日の出」を拝む。
帰りは、宮城県最北、唐桑町大沢に鎮座する「賀茂神社」に初詣。今年1年の無事を祈願する。
なんでかというと、気仙沼で発行の地域紙「三陸新報」最終配達地お願いしている以上、必ずお参りする。


帰ってから、足元の氏神様「白山神社」に今年最初のお参りと続く。

雪降りの中お参りする。



朝食後は84世帯の双六地区の新年会が10時から、約1時間84人の顔ぶれ見た後に散会。

午後2時からは、師亡き後28回目の「兄弟弟子」の新年会、首都圏から帰省者を交えて、1年を振り返り、又新たなる1年を語るのが何時ものパターンです。
同じ列車に乗っているので、先も後もなく、腹黒いのとは違う、皆、腹底まで知りちくした仲、皆それが「兄弟の契り」だ。
とにかく、1年の始まりの行事をしないと事が始まらない。皆無事であれと祈る。

帰って早々に、酒の周りが早いので、床について終わりです。1日が忙しいで元日が暮れる。

昨年の「1月4日」のブログ
http://www.doblog.com/weblog/myblog/33509/2615962#2615962
2008/01/01のBlog
[ 12:24 ] [ 未来が見えた ]
毎年、定番の小高い丘からの「初日の出」を拝みました。
昨年は偽装問題で恥ずかしいのか20分も遅れて顔を出してくれました。
でもマジで目出度し目出度しです。今年もお世話になります。

遅れましたが。

あけましておめでとうございました。
本年もよろしくお願い申し上げます。

気仙大工(ケセン語)ブログより。

2007/12/31のBlog
[ 18:18 ] [ 未来が見えた ]
正月の買物、4時ごろ最大の混雑、普段の数倍の買物客でテンヤワンヤです。
久しぶりの混みよう、レジ前は直ぐに、会計は出来ません。
いつもこんなに混んだら良いのになあと思うが、正月2日の初夢、もっと長く続いてほしいは・・・・・・

人・人の波です。都会のお金がワンサカきました。皆さん顔色が良い事羨ましい。・・・・・・・・

何処を見ても人の顔、普段見かけない顔が一杯だ。
あと5時間ほどで、新しい年を迎えるのだ。

蝦し大黒景気が良くなってほしいのが最大の願いです。

来年は良き年で有りますように、今年1年お付き合いありがとうございました。




今晩から、明日に備えるため、万人は「タッタ一夜」を越ために、色々な準備をしなければならない。
今日までに大掃除を行い、そして、「自然崇拝の神」を迎えるのである。
それが先祖から脈々と繋がれて来たケジメである。

御幣束を切り、「八百万神」に供え、迎える。
自然に守られる準備するのが毎年恒例の行事だ。
最初にお参りするのが生命の源「水神」、そして集落の安全の「氏神」その後は、家の周囲にある祠、蔵・作業場の神、そして家の中となる

家の中の「神」そこを中心として、内外ぐるりと神飾り行う。
昔は、神棚のある「常居」(御神)四方長押にまで注連縄を張り
正月3が日だけその部屋で食事を行ったのである。

今は行われなくなったが、「臼、み、竈、水瓶、ヒャッヤク」とあらゆる生活用具に、感謝の印として神飾りを行ったものです。

今はそれが忘れ去られたのである。
自然崇拝、それは宗教ではない。

「銭」が万能の世界になり自然感謝を忘れた民族である。
そして自然に生かされているを忘れた社会である。
「坊○・法○」は神仏を語るただの人でないのか。本物が少なくなった。・・・・・・

来る年は十二支が始まる年でもあり、今日は12年最後の1日。

アットデァー・・・・まずは良いお年を。あすは「初日の出」

今年1年、過激なブログにお付き合いありがとうございました。



2007/12/25のBlog
[ 06:22 ] [ 未来が見えた ]
伊勢路歩き、神宮の手前の「おかげ横丁」を歩きました。
石畳をずーと歩くと、大きな「招き猫」が歓迎してくれました。

「福・福・福」3匹だったらもっと福が来そうだ思うじゃない無いの。

でもデカイは天気が良いからか余計に思う。


今頃はどうしているのか、まだ戸が開かないのだろうと思うが、早く出直してもらいたいもんだ。聞くところによると、「おかげ横丁」つくりの先頭になった方が、残念に思う。
昔の例えに、「屏風を全開」すると倒れるの、例え通り、全壊ではないので早く忘れるんだね。バレタものは仕方が無いのだ。何でも何時まで続かんのを解っただけでも大きな収穫ではないの。・・・・・・・・・・・しばらく黒福だね。


伊勢路に来て珍しいと思ったのは、各家の戸口の上には「笑門」書かれた注連飾りが掲げてあるのです。

「笑う門には福来る」ネットに次のように掲載されています。
http://www.ise-kanko.jp/html/monoshiri/shime.html

伊勢の町を歩くと、家々の門口に注連飾りが掲げてあるのが目につきます。中央に「蘇民将来子孫家門」あるいは「笑門」「千客萬来」などと墨書きした門符(木札)が付き、左右にシデやウラジロなどを飾った太い注連縄です。正月の注連縄飾りは普通は松の内が過ぎればはずすのが一般的ですが、伊勢市周辺や志摩では、一年間かけたままで過ごす風習があります。
 それは、「その昔、この地を訪れたスサノオノミコトに、貧しいながらも慈悲深い蘇民将来が一夜の宿を貸した。ミコトは旅立つ時、今後は門符を門口にかけておけば、子孫代々疫病から免れると言い残した」という伝説があるからです。蘇民の子孫である証拠として門符を掲げ、無病息災を願うようになったそうです。つまり、家内安全の祈りを込めた「厄除け」の門符です。
 ちなみに「笑門」とは、後に「蘇民将来子孫家門」を縮めた「将門」で、さらにこれが平将門に通じるのを嫌って「笑門」になったと言われています。


来る年は「良い年」でありますように。・・・・・・・・・・・・・


2007/12/24のBlog
[ 06:24 ] [ 気仙の辺辺(あたりほとり) ]
昨日の「有馬記念」(明るい話題)―――馬主・・・岩手県人自宅でテレビ観戦「表彰式」には欠席。

 第52回有馬記念(23日、中山9R、GI、3歳上オープン国際、定量、芝・内2500メートル、1着本賞金1億8000万円=出走15頭)第52回有馬記念は9番人気の伏兵マツリダゴッホが好位から早め先頭で抜け出して優勝。GI初制覇を飾った。1番人気のメイショウサムソンはいつもの行きっぷりがなく8着に惨敗。2着は3歳牝馬のダイワスカーレット、3着はダイワメジャーが入り3連単はGP史上最高の80万880円となった。

サンスポの記事
http://www.sanspo.com/keiba/top/ke200712/ke2007122400.html
■マツリダゴッホ
 父サンデーサイレンス、母ペイパーレイン、母の父ベルボライド。美浦・国枝栄厩舎所属。鹿毛の牡4歳。北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)岡田スタッドの生産馬で、馬主は高橋文枝氏。戦績は16戦7勝。獲得賞金は3億8886万5000円。重賞はGIIAJCC、GII産経賞オールカマーに続いて3勝目。GI有馬記念は、国枝栄調教師は初勝利。蛯名正義騎手は01年マンハッタンカフェに続いて2勝目。

★オーナー&生産者、表彰台に姿なし 

表彰台の上にはオーナーも生産者の姿もなかった。土曜日から続いた雨で道悪競馬が予測されていた上に、まだGIでは力不足と判断していたようで、岡田スタッド(北海道静内町)の岡田牧雄場主(55)は「無理、無理ですよ」と笑って、期待を寄せることはなかった。
当然、この日は「オーナーが行かれるということだったので…」と自宅でテレビ観戦。「あれっ…まさか」と現実に引き戻されたのは、ダイワスカーレットを抜き去ってマツリダゴッホが先頭に躍り出た時。あとは我に帰って声を振り絞っての「ソレッ、ソレッ!」が続くだけだった。
先代の故・蔚男(しげお)さんから引き継いで23年目にして初めてのGI制覇。「父の時代にはミホランザン(73年)で朝日杯3歳Sのビッグタイトルを頂きましたが、当時はグレード制はなかったですから」。
 ゴッホについては「気性が幼く、体型的には脚長。本当なら520キロぐらいあってもいい馬。きょうの12キロ増は成長の証しなんでしょう」と牧場時代から成長した姿を感慨深げに振り返った。

 高橋福三郎オーナー(岩手県八幡平市在住=高橋重機社主=本馬主・文枝さんのご主人)にとってもビッグサプライズだった。文枝夫人が体調を崩したことで、オーナーは中山競馬場には足を運ばなかった。「びっくりして声も出ませんでした。時が経つにつれて実感が沸いてくるのでしょうね」と初めてGIの栄誉を手にしたことに感激ひとしおだった。

★有馬記念売り上げ451億9421万4900円…前年比増

どこからこんなにお金が集まるんだろう、まだまだ金があるんだねえ。・・・・・・・超ビックリ・来る年も田舎にお金が回ってほしいよ。都市のブラックホールには幾らでもあるんだねえ。



2007/12/22のBlog
昭和50年代に建築された建物(50㎡まで無い)のを解体。
日本経済が第一ランドの発展した当時、戦後の「バラック工法」(規制・建築基準法)は「釘・かすがい」で固めて良いという法律です。

そして、現場の作り手は手を抜いて良いという「確認申請」です。
大工がきっちり仕事してきたものを、大工生齧りの人間に、計算式さえチヅツマガ合って良ければ建ててよいと言うこっとだったのです。

それは、「モノ」知らない人間がこの建物分野に参入させた、国の最大責任です。
それが、そもそもの大きな原因です。

今回、解体建物をミンチにせずに、「大工」の手で解体した。
まあまあ、トンでもないことです。
機械解体だったら、1日も掛からずに終わるのが、5人の大工で3日も掛けないと、解体出来ませせん。

解体というより、「釘・かすがい」そして貧弱な羽子板ボルトが、滅茶苦茶に取り付けてあり、それを手ねいに外しさなければ、解体出来ないのです。

これが、現法の最大の弱点であり、その始末は建てぬしが背をあなければなりません。

手抜きを奨励した御国は「廃棄物処理法」などヤヤコシイ法律をばかりつくり、作るときから解体が簡単に出来る方法を確立していればこんな貧弱な建物をつくらなくても良いものを、それは後の祭りです。

経済効率優先の建物などは、出来た時だけで後の始末は、非効率の世界を作り出しているのです。
それが、現在の日本国の姿なのです。

粗大ゴミのオンパレードを作り出した「バラック工法・基準法」はもうそろそろ気がついても良いのではないかと思うのだ。
伝統工法の建物は過大・粗大ゴミをつくらないのです。
孫子の代でも再利用するように考え、骨太の家をつくって来たのです。

見栄張りの結末は、環境破壊・次世代に大きなツケばかりだ。
その穴は誰が埋めるのだ。粗大ゴミだけで沢山だ・・・・・・・・




2007/12/21のBlog
20回まで続けてきましたが今回で、「伊勢河崎のまちなみ」も終わりにしたい。
通りだけでも見学する価値があり、一軒一軒の内部の構造(骨組み)まで見学できたらもっと良かった思うが、それはこちらの我がままというモンで、「伊勢大工」の心意気が、各家の外観から感じられた旅だった。

通りから外れて、現在の大きな通りの角に旅籠が見えてきました。
HPは中止中で詳細はわかりません。
次のブログで「伊勢志摩・松阪のほっとメニュー」照会されていました。

http://www.qn-net.jp/wordpress2/?p=1957

―写真― 外観は見る限りドッシリとしています。

―写真― 歩いてきたとおりです。

―写真― 玄関は「唐破風」如何にも時代を感じさせます。これかもそのままずーと変わることが無い玄関です。

―写真― 個性ある看板文字も凄い。

―写真― 狭い通り側から見上げた外観、如何にも「旅籠」の面影を残しています。


次回は「おかげ横丁」で見たものをブログします。

2007/12/20のBlog
[ 06:57 ] [ 気仙の辺辺(あたりほとり) ]
今年は身近にいた方々が帰れぬところに往く方々が多かった。

自分も3月車で事故って3週間の長い眠りの中で見た虚像を思い出しと、先に往った人が「向い」に来ないのが不思議であった。21日ぶりに目が覚めて、それははっきりと思い出せた。

写真――日の出
寝ている時のその虚像は、中国5千年の歴史の中で4百回もおき、今年はその年に当っているとのこと。
巨風の吹く年だということで、「凶風」その風のせいか行く人方多かった。

家に出入りした、それも真だ若い50代初頭の2人、同級生が1人全て恐い「癌」が原因です。
四転八倒して見ていられないものだった。
痛み止めの薬で幾らか楽にしてもらっていたが本当に恐ろしい癌。

写真――冬の野花如何にも寒そう。

そして寝食をともにした。2年後輩が、飲み会の帰りに帰らぬ人なって朝見つかった。
今日はその方の最後の別れ。・・・・・・

「諸行無常」とはよく言ったものだ。
早朝、松原を歩くと今頃の時間は丁度日の出時間、その光が松の木に当たり輝いているではない。
目が覚める言うことは、今日も生きられる言うことです。

全ての方々、今日も無事であるように願う。・・・・・・・・・合掌。・・・・・・天の恵みに感謝して「合掌」

写真――輝く松林