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気仙大工 (ケセン語)ブログ
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2008/06/10のBlog
[ 06:33 ] [ 気仙の辺辺(あたりほとり) ]
端午の節句で一つ書き忘れました。
何で端午の節句が「柏」なのか、それは「柏の木」の習性に日本人が願いを託したのだと古老から聞きました。

柏は秋になっても葉を落とさない。それでは何時落としのかというと、新芽が出て育つのを見てから落としのだと、その習性に日本人は感じたのです。それは「子孫繁栄」を願うことを意味しています。

春になって葉を根元に落とし事は、その落葉は腐葉土となって、またその育てた木に栄養となって循環していくのだと、だから男の子節句に使われだしたのだと言うのです。そしてその願いを葉に餅を包みそれを食べるのは、末代までも続くことを願う、ささやかなことの絆の始まりでもあるのだと。

そして、何故か葉の尖った処が19あるのが最高なのだとも聞きました。夫婦が最高の数「九・九」まで生き、その数を足しと十八、それに子(世継ぎ)で19に成ったのではないかとも。・・・・・・・・「生き苦」が人の道でもあるのだと、楽を求めたかったら遅かれ早かれ必ず行く「黄泉」の国が待っているのだ。

新築のお祝いに「柏」の幼苗を送るのも「子孫繁栄」が末代まで続く意味で、その家から他に嫁いだものが送るのが、最高なのだそうです。それは今生きている事えの感謝でもあると教えられ、自分で買って植えるものでもないと。(血縁を思う事でもある)

やはり意味があって「柏餅」を食べてきたんだねえ。・・・・・・・・それには健康が第一。

2008/06/09のBlog
[ 05:12 ] [ 気仙の辺辺(あたりほとり) ]
今年の庭の紅葉の木が変です。
去年とは葉の付けかたが違うのです。
今年は木に力が無いのか本当に可笑しいです。

―写真― 今年の紅葉・・・・・・不思議だ。
そう言い場「薩摩芋」の幼苗の生育が悪くて、苗の入荷がいつも年より少ないと畑を作る方々が行っていたが、何処か可笑しいです。去年と比較して全然元気がない。

―写真― 去年の今頃の紅葉
昨日、田んぼの畦の草刈を行ったが1ヶ月経っても草の伸びが少ないようです。
田んぼの苗は2週間経ったがようやく活着したようで、苗がピント田って元気なようですが、自然界をこうして眺めていると、色々なものの変化を見ていないと。

早朝の草刈にはまだ早いのに蛇が出たり通常では見えないものが見えるのは不思議です。

―写真― 早朝の田んぼの畦の草刈
2008/06/08のBlog
[ 04:54 ] [ 気仙の辺辺(あたりほとり) ]
今日6月8日は旧暦「5月5日」端午の節句。
1年で一番、勢いの良い節句です。

節句の謂れ「端午

由来といわれ

――木によって葉の形が違う――
我が家は男1人女3人なので「鯉幟」は掲げません。
で柏の木があり、柏の葉に包んだ餅は神棚に供えます。

そして「神様」に手向けてから、家族が頂きます。

柏餅

柏餅へ込められた願い
そして今年の「初鰹」が来ました。
今年のは、臭みがなく肉質も適当な脂の乗りで口に入ると何とも言いない・・・・・・・・・です。
骨に付いた、肉はだけはまたいいよ。

旨い本当に旨い。

季節の食べ物は身体に一番です。ごっちあん・・・・・・・です。
2008/06/06のBlog
[ 07:15 ] [ 気仙の辺辺(あたりほとり) ]
意味=「理屈を超えて、かたく思いこむ心。」

己も還暦を越え、今まで多くの方々に出会い、そして別れ、その中には多く畏敬の念を持って心にきざんだ方々は数知れない。・・・・・・・・

その1人、町内の偉人、数え歳88才の「河野通義翁」が、この4月半ばに帰らぬ人となった。この翁とは、ほんの数回合うことが出来、話を聞きました。地元に居ながら恐れ多くも近寄り難い方でもあった。その方の生き様は心底から「信念一徹」の塊の方であり、地域の事情を飛んでもなく知る尽くした方でもあった。
今から37年前(1971年)、我が国が超高度経済成長の真っ只中の時代、思えば我26歳の年です。御方は50歳ごろだと思います。「山・川・海」の3セットが揃ったわが町に面した内湾「広田湾埋め立て開発計画」が岩手県から発表になり、中味は県内で広田湾のような大きな湾がなく、地域開発の起爆材として、埋め立て石油コンビナート若しくは火力発電所を造るというバラ色の計画です。

もちろんテーブル上の計算は莫大な経済効果があると発表。その銭に眼が眩んだ方々は諸手を挙って大賛成、しかし一度壊した自然は元には帰らないという考えから、この計画に筵旗を掲げ孫子の代まで自然を残しという「信念」に火がつき、住民を説得し大きな国家を相手に戦いを挑み、とうとう2年の運動で計画中止の道筋をつけたのです。

家業は味噌醤油つくりが現在まで200年続く老舗でもあり、命が尽きるまで商いを心配、後を継ぐ倅には兎に角厳しく、最後の送るときの言葉の端々にその思いの全て父を敬うことを聴かされたのには参列した多くの方々の目が潤んだのでした。・・・・・・・・・・また「信念一筋」を通しことの見本でもあったのです。そして一番郷土「今泉」を愛した方でもあろうと思う。店先の布旗がそれを見せて居るのかも知れない。

―――地場の米から造った「多賀多」の酒―――
次の朝スッキリが良い。



2008/06/04のBlog
[ 07:09 ] [ 気仙の辺辺(あたりほとり) ]
歩きながらの、近況の話しをするのだから風景の説明も飛んだりはねたり。

海は穏やかに見えても、岩にぶつかる波のエネルギーは本当に凄いです。
うねりが大きいとこんなぶつかりかたではありません。もっともっと超巨大です。
唐桑半島の東海岸は太平洋の波のエネルギーが固まってきます。
それを跳ね除けて来たのですから、人間がつくったケーソンなどは完全にずれることが暫しです。

本当にその時化の後を見ると人間は自然界に生かされても、立ち向かうのは愚かなことだといつも思います。台風や大しけの後などに来て見ると、その波の恐さがよくわかります。

半島の長さが約20kmもあり3分の2は外界です。数年前の「三陸南地震」この半島南端御崎の目の前の直下で起きています。残りは広田湾に面していますが、それでも海が荒れたときは外も内もないです。
当時被害調査で、戦後の建物に多くの被害が出たのは揺れに対する強度がないことを証明しており、戦前の建物に被害が少なかったのには歴史の積み重ねがあると自信を深めたのです。
我々の住む三陸は、常に地震・津波の被害に遭遇、自然の恐さは代々受け継がれてきており、知識のない現代人は軽い気持ちで過ごしているのをみると、これからの時代の恐怖を感じると話したのです。

2008/06/03のBlog
[ 06:56 ] [ 気仙の辺辺(あたりほとり) ]
今近くまで来ているが時間がないという知り合いの遠来の珍客からの突然の電話でビックリ。

居られるのが数時間なので、近くを見学しながら話をということで、南の隣町10数キロの宮城県・唐桑半島(現・気仙沼市)にと一緒に、陸中国立公園「巨釜半造」の折石に誘い見学。
チョット波もあり、少し晴れ間で良かった。
巨釜の駐車場から約200m先まで徒歩で、黒松林の先が「名勝・折石」大理石の石だそうで見事です。
簡単な案内名盤を読むと「高さ16m・巾3m」、良く地震などで倒壊せず立っていたものです。
自然って凄いなあ、こんなにひび割れしているのに倒れないって人の造ったものだったら、とうにないようなあ。・・・・・・・・感心していた。
唐桑半島にはあっちこっちに「大理石」の原石があり、日本橋「三越デパート」にも使われたという別の場所、「大理石海岸」もあります。~~~~(続く)

2008/06/02のBlog
[ 09:54 ] [ 気仙の辺辺(あたりほとり) ]
大船渡県立病院駐車場西側背後斜面の中段に珍客が・・・・・・・顔を出した。

我が家の周りにも夜中に出没して畑作荒らして困っている。それは国の「天然記念物カモシカ」ともなると捕まえる事も出来ずほとほと困っているのです。

山に食料となる木の実が少なく、人間が広葉樹から針葉樹に変えたのが大きな原因です。
やはり適切なる山にして行かないと最後に困るのはやはり人間ではないのか。山にいる動物だけではないのです。

広葉樹が少なくなったために、沢水や小川の水などの水量の激変、腐葉土が痩せ、大きな川などの栄養水が海に流れなくなったが為に、プランクットンの育ちが悪く小魚類が段々少なくなり大きな鰹・マグロなども、昔ほど回遊しなくなり海にも大きな異変が来ているのです。

際限なく魚を根こそぎに捕るのも、もう限界にしないと海の生物はますます枯れてゆくだけです。
そもそも山の生き物も人間も、場を失ってしまう事の重大さにまだ気がついていないのかもしれない。銭社会の功罪を「カモシカ」は警鐘鳴らしているのかも知れない。・・・・・・・・・・・何処で住むのか決まらない日本人は果たして何処へ行くのか。


2008/05/31のBlog
[ 19:06 ] [ 気仙の辺辺(あたりほとり) ]
5月23日25度の最高気温記録以後段々温度が下がり続けて、29日には12度台にまでになった。
24日には大きな靄が正午あたりに掛かり、視界が200m前後までなったのである。
可笑しな空模様なので、「ヤマセ」が来なければと思ったのであるが案の定、低温が続くのはその前触れだったようだ。

31日の今日で8日間も低温が続いている。日本周辺の天気図を見るとオーホツク高気圧が発生しているのだ。この気圧が高いと、北太平洋沿岸上空1500mから下は大陸から張り出し気圧の舌にもぐりこみ温度が上がらなくなるのです。昔から一番悪い気候状態に入るのです。本当に20度以下の状態が長いと農作物などは生育が遅れ大変です。

そんな訳かどうか判らないが、方位方学の「鬼門」(北東方向は昔から良い方位ではない)の方向は、昔京都の街づくりに影響があったのは皆様ご存知でしょう。比叡山延暦寺は鬼門の方角になっている。江戸も上野の寛永寺がそうです。色々な資料を読むとその方角は一番良くないと書かれているのです。

気象学的ところから来たのかどうかは知る由もないが、何故か「ヤマセと鬼門」は関係しているのではないかと思うのです。よく鬼門は科学的ではないと論法もありますが、人間の考えの及ばないのが自然界の動きであり、気象予報なども精々1週間の予報には間に合うが1ヶ月先となると確実に解明できないというのが現実なのだそうです。

何でも昔からの言い伝いには確実性があり、長い間の積み重ねには真実の裏づけがあって、今日の状態が続いているのは間違いないのである。世の中がどんなに進歩しても我々の住む地球の営みは、絶対変える事が出来ないのであり、化石燃料が毎年毎年燃やされ続けている限り、地球環境は崩壊の方向に行ってることだけは間違いないようです。・・・・・・・・・ホンとに日中は寒いです。

―写真― 

1-普段の曇り空 

2-靄が掛かった状態

3-国道の温度計11度を表示

4-874mの山を包むヤマセの雲

5-大船渡測候所の5月の気温グラフ

2008/05/29のBlog
[ 19:35 ] [ 未来が見えた ]
ブログを休んでいましたが再開。・・・・・・・・・・・・・・しばらくぶりでローカル線に乗車、列車が来る間のんびりと半割にした。杉丸太のベンチに腰掛けていました。

その間ものんびりしては居られない職業病です。
フ-ト眼を柱の足元見たのが運の付き、柱の根元が綺麗に仕上げて有るじゃないの。

これ開かんは遠からず中がどうなるか、いつも見ている方はお判りでしょう。
この組み合わせはもう持たないは最悪です。
木材は乾燥するように使わなければいけないのに、根元は水が好きなコンクリートではないの、どのように繋いであるかわかりませんが、恐い施工です。・・・・・・・・これ以上はやめ様。おっかないよ。・・・・・・・・・・・駅長さんに睨まれるは。

JR線の電車の中、携帯の通話ができないがカメラで悪戯、吊革って丸いのが当たり前と思っていたが、何故か3角形になっているじゃない。
3辺の何処に触っても良いようにかんがえられたのか、田舎もんにとっては珍しいです。
誰が考えたのか後で誰からか聞いて見よう。
田舎から出てくると本当に不思議だ。


電車の出入り口の両引き戸の上には動く絵です。・・・・・・・これまた珍しいは、よう考えるものです。
電車が1駅ごとに絵での案内です。・・・・・・・都会はサービスが良いは「飯田橋―市ケ谷」間だと直ぐにわかるのです。・・・・・・・・・まもなく下車の四ッ谷駅です。
行く先は「都道府県会館」・・・・・・・そして地下鉄にと又乗り換えです。
よく面倒ではなく乗り降りしているものだと感心すること。
都会の人いうのは馬車馬のようによく動き働くもんだ。
田舎は別の意味で馬車馬だが都会の真似は出来ネエよ。・・・・・・・それでも憧れる若い人よ、一生くらしのには考えモンだよ。・・・・・・○原知事の奴隷かもよ。


2008/05/26のBlog
田舎ではとても考えられない想像も出来ない。

都会の姿・・・・・・・・こんな建物に入るのが都会生活?

隣は何する人ぞ、近くて遠い隣人。

都会の姿・・・・・・・・・隔離され、音も無く住むなんてヘッドホン社会?
「き」(気・木)が無く見た目は印刷の「き」の。

都会の姿・・・・・・・・この箱の中では気が付かない生活?
壁は何処かで作られて嵌め込こんで造る。

都会の姿・・・・・・・・こんな箱に住むなんて考えが付かない?
どこを見ても、平らな家並みが無いに等しい。

都会の姿・・・・・・・・共生社会って生れるんだろうか無理?


こんな入れ物の中では何を考えているのか想像ができないのが
わかる気がする。

そして犯罪が生れるのも当然な社会のような気がする。

それを毎日報道する。マスコミが更に助長しているのが
わかる気がする。・・・・・・住まいは犯罪社会を建設している。

もう人間の住むのではなく、野獣・・・・・・・の姿しか写らない。檻の中だ。
先手必勝しかない。獲物の狙う以外に無いのか。・・・・・・個人はどこだ。

探し宛ても無い。。。



2008/05/25のBlog
防災システム研究所
CGによる過去津波と将来宮城県沖津波想定

1960年(昭和35年)5月24日早朝、その22.5時間前(日本時間:昭和35年5月23日04時11分)に起きた史上最大級の地震は、表面波マグニチュード(Ms)8.5、モーメントマグニチュード(Mw)9.5と、有史以来観測された中で最大規模の地震である。
発生から、22.5時間後には17,000km離れた三陸海岸に大きな津波に襲われたのです。(時速にして750km、ジェット機なみの速度で到達した。)

当時、陸前高田市・広田湾では、3時に出漁して定置網の仕掛けてあるのを起こしに向かった漁師さん達が、海の異変に気づき、連絡が早かったから、8人の犠牲者で済んだが、隣の大船渡市では53名の犠牲者が出たのです。

当時の資料を見ると警報を出す気象庁は日本まで来ないだろうと高をくくって、予報警報を出さなかったのです。・・・・・・・(人間の予想とはこんなもんなものです。)

図・・・・・カテゴリ “Great Chilean Earthquake” にあるメディア・・・・・より
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Great_Chilean_Earthquake?uselang=ja

中学校を卒業し、岩手県立大船渡職業訓練所・建築科に入所してまだ2ヶ月もしないうちに津波災害に遭い、列車通学の線路も流され、山手の住田町経由の臨時バスで通学したのです。

その津波後は、勉強どころではありません。津波被害者に救援物資を運ぶのに人手が足りないとのことで災害復旧の一員になり1ヶ月もトラックに乗り救援物資の配達で明け暮れたのでした。

津波の惨状はとても言葉では言い現せない。大きな船が約1キロも押し流され横たわり、亡くなった多くの犠牲者は、一塊になって大船渡町地の森付近の高台の斜面下に打ち上げられ、当時の先生方が先頭になり、犠牲者収容の寝棺を杉板で作ったのは昨日ことのようです。

これが大工道最初に人が入る箱を作ったのでした。そして来年は犠牲者の50回忌となります。
今朝、陸前高田市町内の海岸沿いには、朝5時のサイレンで避難訓練が実施され、雨の中海岸近くの方々は高台に避難し、沖を見ながら、津波が来ないようにと手を合わせたのです。

自然界が怒った時にはどんな建物に居様とも、安全な場所に逃げるのが最善の道であり、国がどんな基準の建物を奨励しようとも、いち早く避難、避難それ以外方法はないと考えるのです。

2008/05/24のBlog
5月は自然界からの恵みが沢山出てきます。

田植えの季節、山からは「ウド・タラの芽・ミズ」などが沢山きました。

(やまの刺身・・・ウド)
また海からは、地球温暖化のせいではないかと思われる。「ホヤ」の毒性が確認され、本当に今までは無かったことです。2 3日前に解除されようやく、ホヤの季節がきました。

定置網で働く親戚からは小魚(市場まで持っていくと赤字になるので働く方々の分け魚)が採れた手の塩焼き。

(来年の段取り・・・・第1次産業の不幸(効)率・・・・・・しかしやらないと来年がない)
24日の今日から土曜朝市の市場が開店と、毎年同じことの繰り返し「山海の珍味」がきました。

都会ではこの新鮮さは無理でしょう。・・・・・・・・・これが田舎もんの特特です。

広田湾漁協・気仙町長部市場は、まもなく遠くからの珍客はもう市場を目指して車移動中でしょう。・・・・・・・・・・楽しみです。

(近くの山・・・・・近くの海・・・・・本当にアリガタヤです。――――山海のシバデ)

2008/05/21のBlog
[ 06:52 ] [ 気仙の辺辺(あたりほとり) ]
本州最果ての地から東京へ出るのに、日本一有名な政治路線(大船渡線・通称ドラゴン路線)に乗って一ノ関駅に出て、東北新幹線に乗り換え東京へと。

距離と時間は陸前高田駅から一ノ関駅へは枝線の距離は82km、時間は116分です。そしてのんびり平均時速約40kmです。それとは途中駅での停車時間が長いのです。それでも無いと年寄り・高校生は大変困ります。・・・・・・陸前高田駅

東北新幹線は一ノ関駅-東京間は距離約450km時間133分、平均時速約203kmで走ります。早いですは、新幹線駅に近いということは本当に便利です。(拍手・・・・・)

所要時間最短で4時間15分が最短です。料金は安く見積もっても¥13,520.―が掛かります。でもこれは条件が最高に良い時です。時間が違うと1時間以上は余計に掛かります。・・・・・・・沿線風景これは今後も変わらないだろう。

枝線と並行して走る国道は62kmで一ノ関駅に出られます。その差は20km、車だと1時間チョットです。急ぐ時とかは新幹線最終20時16分で帰る時、車でしか動きが取れない、最終で家に着くときは午前様。・・・・・・・・途中駅からまだ残る板倉
高校を卒業しても、地元に働く場所がありませんので若者は、東京へ東京へと草木もなびくように故郷を捨てて東京へ、そして90%以上は戻ってきません。東京の「肥やし」となって一生を送るのです。
帰ってきても「浦島太郎」同様で、我のいる場所がなくまた東京に戻ります。
・・・・・・まもなく新幹線乗り換え
お金にゆとりのある方は、戻ってきますが東京の垢の付いた連れ添い説得して帰ることは1000人に1人もあれば、めっけものです。Uターンなどと地方自治体は一生懸命ですがマジで帰りません。
やはり都会の色が何と良いものか、一生馬車馬のように働き送る幸せとはなんでしょう。・・・・・わからない。・・・・・・・「ああ上野駅」――――それとも「哀愁列車」・・・・・・・就職列車―>悲劇それとも人生喜劇か。・・・・・・・・・アクナキ追求まだまだ建設ラッシュの東京。


2008/05/20のBlog
[ 07:11 ] [ 木造建築 ]
4角に囲んだテーブルに3人掛け、(6×3+4×3)×2=60席が、第2回意見交換会の配置でした。
4月の第1回意見交換会は、国側と向き合う対峙した配置のようでしたが、今回は四方の意見が聞けて見える配置だった。

しかし、意見交換とは名ばかりで、入口が何処なのかが不明な自己持論終始では、意見交換ではないのでは感じた。国を攻めるのは悪いとは思わないが、伝統的構法の意見を賜りたいと、国が門戸を広げたのに、過去の欠陥追及では前途が開けなのではないかと危惧したのです。もっと思いやりある全国見つめた考えで国に意見を述べられないのか不思議だ。

確かに、現・建築基準法の中では、古くからの建築構法は異質な構法に写るのが当然であり、なぜそうなったのかということは、皆様もご存知の戦後の荒廃の復興に力点が置かれ、とにかく全ての国民を住まわせなければならないと言う、切羽詰まった処から出来た法律なのを理解しなければならない。

その決め方が、如何のこうの文句を言って如何にもならない、それに固守していては折角遠く、から来ているのに、全国を理解しての発言でもなく、申しこし前向きな考えと、「伝統的構法」を如何次の世代に繋ぐかが我々の責務ではないのかと思うのだ。
(早起きして一番列車に乗り、半日掛けてと¥3????円以上の足代が掛かっているのにと腹が立った。)
―写真― 口型並べ方式意見会場