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気仙大工 (ケセン語)ブログ
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2008/09/06のBlog
[ 05:56 ] [ 未来が見えた ]
「辞典」を調べると
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まつりごと【政】とも読む
意味=〔「祭り事」の意〕「政治」の意の和語的表現。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
せい【政】とも読む 〔もと、規則正しく事を行う意〕

1 〔役人が〕それぞれの関する方面で民生を安んじる。
用例・作例 政治・行政・善政・財政・農政・郵政
2 政治。
用例・作例 政見・政界・政府・政略・政権・国政
3 政体。
用例・作例 王政・共和政
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【祭り・祭】
Ⅰ 
1 神霊に奉仕して、霊を慰めたり祈ったりする儀式。また、その時に行う行事。〔広義では、仏事をも指す〕 用例・作例 「お祭り」
2 記念・祝賀などのために行う行事。〔広義では、商店がある時期に行う特売宣伝をも指す。例、「婚礼―【=家具特別セール】」〕 用例・作例 「港祭り」
Ⅱ (造語) 動詞「祭る」の連用形。

【祭(り)上・げる】
(他下一) 周囲の者がおだてるようにして、ある人を、責任の有る地位につかせる。
「辞典」は以上。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日この頃の日本国「世相」、国家国民を代表するべき方々の「馬鹿騒ぎ」は如何な問かね。

マスコミを利用しての「本音」ぼかして、3面記事まがいの動きは世界に対して「馬鹿丸出し」ではないの、だから世界中の国ぐにから「変な眼」で見下げられるんだね・・・・・・・アホナ「国」と同じアホなら踊らにゃ「損損」とばかり、「マスコミ」がそれを煽るでは、「政治もマスコミ」も三流以下だね。そう思いません。

マスコミは国民によく説明せよ追及しますが、その記事を確りと噛み砕いて冷静に表現できる。新聞・テレビの報道関係者だって、毎日「麻薬患者」が記事を書いているといっても過言ではないんじゃない。「政」事が「馬鹿騒ぎ祭」となっているんじゃない。1面記事の大見出しを見れば誰のために報道しているのかはっきりしているじゃない。

「総てが自分のため」その1語に尽きるんじゃない。・・・・・・・・・・「国家国民」は関係ないとばかりだ。
国民のことを考えているなんて「詐欺師」と同様ジャン。・・・・・・・・・・だから「オレオレ」何とか同じだ。
本当の「政」事ってナンナンダイ。馬鹿騒ぎ「祭」を考えないと・・・・・・・・・・孫子にまで笑われるよ。

やはり「日本人」の根っこは【祭(り)上・げる】周囲の者がおだてるようにして、ある人を、責任の有る地位につかせる。・・・・・・・・・・所詮「我欲」=自分ひとりの利益や満足を求める欲望。でしかないんだ。・・・・・・・・・「我田引水」でないと生きられないんだ。

―写真― 鰹船から直送「もどり鰹」一番もの、舌にのった瞬間で判る脂身



2008/09/05のBlog
築100年を超えた気仙大工先人の造った「民家」の構造調査見学に同行しました。
構造骨組みともまだ確りとしており、現代のくらしに合わないのは不便なだけです。

第一、 バリアフリーでないことぐらいで、このまま維持をすれば200年以上の耐久性があります。建築時に考えられた耐久は現在も受け継がれ、変な近代化せず「高温多湿」の風土に逆らわない「床下通気工法」は今後も十分に機能を発揮するであろうと思うし、変に壁などで遮断しなければ「木材」は生きたままの姿で耐えうる。

―写真― 石場建てを認めない、心の狭い「えせ研究者」が200年の夢を打ち砕き、耐久性は「金物」だけだって、最初から「錆び」てナットが回らないと同じだ。研究者は心まで「錆びて」いる。これだもの「国も木造」可笑しくなるのも、最初から判った事。知らないのは「えせ」だけアホと違う
現在のように無理な乾燥は、材料の持っている良い部分は破壊され、耐久性がなく腐食を早めているだけと、無駄な経費の浪費は地球環境の破壊に貢献しているだけです。このような材料は「ミイラ」材若しくは「強姦」材と言って「心」に傷が残る材と、その材の家に住むことは、ミイラと心に傷を持った女性と同居では「幸」が無い。)

第二、 当時のくらしと時代背景から、木組み構造は嵐や強風でも農作業が主のため「土間」を大きく取り、日々のくらしの中に溶け込んでいるが、現在は農業が衰退して土間部分は減少、それは各自の部屋などに改修されているのが現状だ。但しその改修部分の床下など通気があまり良くない位だ。

―写真― これ「本物」の木組み、現在のは「偽物」の木組み、だから「おれおれ詐欺」と同じで、金目当てが本職だ。
第三、 屋根は葺き替えられ、陶器瓦は厳選されたものが使用され、屋根事態の雨漏りなどが無ければいつまでも持つであろう。現代の法律で建てられた考えとは180度違う、もちろん「貫工法・土壁塗り」斜めの筋交いなどは全然使用されていない、後と妻片方の壁だけで、その1箇所だけに変形を支える「隅紅梁(すみごおり)」現在の火打ち材だけで支えている。自然界を知り尽くした先人には敬服するのみである。

―写真― 世の中は斜め材も必要だと、先人が考えた。しかも1箇所で用が足りたと言っている。これ「省エネ伝統構法」の見本だ。
現在の日本国は、唯の1軒の家を建てたことない「えせ研究者」の戯言に振り回され、「法律」によって「ものつくり職人」を堕落に変えさせ、政府役人と組んで「国家滅亡」の方向に導びかされられる「危機」を改善しないと、孫子の代は「米国・中国」の奴隷になるであろう。人間は「理想」だけでは飯が食えないことを、自分を含めて知るべきである。

―写真― 繋ぐとはこのように見える繋ぎが「安心」を生むのだ。難しくない工法だ。
現、「建築基準法」は200年後の日本人には笑われるであるか。それともこの国は「日の沈む国」になっていると考える。しかし「愚かな」国になったものだ。のう堕落した「御国の福福」の旦那、「田田」も耕作せずに放棄とは無責任過ぎる。次に来るであろう殿の「あほう」ではどうにもならないなあ。もっと「民」を考えてくれよ。「??200年住宅??」は夢物語か。

えせ (接頭)〔もと、悪い・劣悪の意〕 うわべは似ているが、実質は あらゆる点で本物に劣ることを表わす。

―写真― これからの先(前)が見えることは良いことではないのか。風と木が喜ぶ。それが一番大事でないのか。難しくないのだ。

この建物は地震では倒れない。無茶な法律は人心を荒廃させるだけだ。

2008/09/04のBlog
地元の「名工匠 中村小三郎」は、町内のお寺「曹洞宗龍泉寺」の鐘撞堂門の建設に携わった。明治から大正にかけて活躍した名匠です。我が家の本家の建設、明治43年に携わった関係で、当時は「後見棟梁」として記録されています。唯当時30歳の若さで後見棟梁とは飛んでもない技量があったものと想像する。
明治12年生まれの小三郎は父も大工であり、息子も大正9年生まれの社寺大工、仕事先の東京で交通事故に遭い若くして亡くなっている。小三郎が残した仕事の後は、龍泉寺の建物しかなく、今のところ不明である。鐘撞堂門の仕事を観ると緻密な扇垂木のつくりは圧巻という外にない。良くもここまで垂木割を行ったものだと感心するしか、ないのである。

鐘撞堂門は遠くから見ても高さ、幅の絶妙なバランスはとても我足元にも及ばない。下の部分は竜宮門の形にした白い漆喰壁で仕上げられている。約100年も満たない棟梁の足跡などの記憶は遠くなり記録して残さないと、永遠に消滅するのが一杯出てきている。何とかしないと
建物は愚か、先人の生き様まで消えてゆく・・・・・・・・・・・所詮物つくりは、建てたものが正直に残れば幸いと思わなければ、仕事をやってゆけないのである。

2008/09/03のBlog
[ 05:35 ] [ 気仙大工 ]
9月1日のブログの続き、前回外観から見た感じを書きましたが、そして外から眺めでしばらく中には入らずジックリと眺めさしてもらいました。
そして入ってもビックリな事ばかり、此の屋の当時建て主は絵も描く方だったそうで、物の色々な事まで知りえた方でもあったと聞きました。
当時のくらしから出た演芸会のバックに使った大きな布に描いた絵なども出てきました。
内部のつくりは前回書いたように「壁際」の柱と壁のチリ際などにも隙間もなく、ビクともしない建て方である証明です。
座敷の、床の間のある「8帖間」の部屋を見て二度ビックリです。
床の間の床柱の姿は斜め横から見た「黒いドレスの貴婦人」です。丹念に皮を剥ぎ、磨きを掛けたつくりです。材名は「ソロ」の木、日本でも床柱に使ったなどは恐らく何軒も無いであろうと思います。
建て主がその「ソロ」の木の習性を知っていて使わせたのだと思うのです。
此の木は神式の時につかう「注連」の形をした「実」なるのです。祝言などの時に「床柱」を背負う「婿と嫁」への、意味も込めて棟梁に使わせたと考えるのです。
このような木が世の中に何本何10本あっても、意味がわからなければ唯の木です。それを知っていたからこそ使ったのだと思います。
高価な珍木を自慢して使うのも建て主の考え、それを自慢する軽薄な考え方の1本と世の中様々です。
近くで、そして目の前にある木材に意味を込め、それを理解できる建て主があればこそ、良き家と言いるのではなかろうか。


2008/09/02のBlog
[ 06:15 ] [ 未来が見えた ]
9月1日防災の日午後9時半、震源地日本国中核東京・霞ヶ関において政界の「劇震」が起きルた

震度は未曾有の激しさ1年前と同じ大きさだ。そして2代続けて、世界に無様な姿を晒したのです。

またもや「世界の笑われ者」に上方漫才以下ではないのか。

自然界ならいざ知らず、そこで生かし生かされているのを忘れ、「我欲」を維持するための放棄ではないのか。

末期がんならいざ知らず、頭のコントロールが出来ないからホッポリ出しなんて、国民を舐めんじゃないよ。

国民を弱体させ、その生血を吸血鬼ごとに吸い上げておいて、今更「ナンナンダイ」もうこうなったら、一度下野して「国家・国民」に懺悔し、目線を「民」の目線で行いえる人間と変わって戴くしかない。・・・・・・・・・・

解散~解散。何度でも言う「解散だ」
現在の議員は全員1期休んで下さい。

新たなる「血流」を作らないと明治の廃藩置県政治はこの際崩壊、「平成維新」を考える人が出てこないと又もとの「木阿弥」ではないのか。

辞書の意味「日本国」の政治は「倒壊、山崩れ・地割れ・断層」総てが当てはまる状態は、歴史に残る。

戦後政治「親辛抱・子堕落・孫乞食(ほいど)」親・子はいなくなって、「馬鹿孫」では落ちるだけ落ちないと再生は無理、ようやく「戦後占領政治」を作った国の思う壺になった。
国民の皆様、まだ眼が覚めないの。・・・・・・・・明日も夜が明けるよ。

今年の「日本国」は「天変地変」が絵に描いたようだ。そう言えば今年は「子年」大正元年と同じ年だ。それから12年経って亥年に「関東大震災」が来たのだ。そろそろって感じ、その防災の日に「人変」が起こるなんて「因果応報」かも知れない。

辞書

1 地震の強さの旧階級。木造家屋の30パーセント以上が倒壊し、山崩れ・地割れ・断層が生じる、最も激しいものとされ、震度7にあたる。

2 (比喩的に)衝撃。「政界に―が走る」
2008/09/01のBlog
[ 06:14 ] [ 気仙大工 ]
今から約50年近く前、先人が建てた「伝統構法」で建てられた民家の調査の見学に顔を出しました。
我が家から4kmは満たない隣町です。外観から見ても、水平・垂直の狂いは全然ありません。木造建築を研究している者に言わせると「贅沢普請」だと言われます。そこにしか頭が働かない研究者はやはり「一ランク」下がっているといつも思うのです。
自分の山の木を使い、直ぐ側の木挽き職人や大工棟梁・大工職人が当たり前の仕事をしてつくられたのです。もちろん製材所からの規格品材などは全然使わずに有りの侭、木製建具までつくっ手います。面白い事に「現・建築基準法」では「耐力壁」って言っても良いのが後ろ側にしかありません。全部が開放間取りです。恐らく構造計算しか頭にない人に「不安」でしかない建物です。しかし今までも何回も来た地震にもビックとも動いた形跡がないのです。それは内部の壁に剥離や罅が入っていません。
外側から見ても、「桁」などは丸太の外周白太などの年輪欠損などもなくその辺りは木の習性を知り尽くした「木挽き棟梁・大工棟梁」の眼力の見事なことです。先人は現在のように筋交いの力も知っての仕事です。耐力壁がないと言いましたが、桁下には「差し物構法」に匹敵する仕掛けが隠されているのです。それは研究者がいくら研究しても解明できない「工人」必殺技があるのです。・・・・・・・・・おわり。・・・・・・・そのようなつくりが「防災」になるんではないの。

現在も作れますが、法律が建ててはならんとなりました。そして地震に壊れる建物作り奨励して、それに吸い付く「蚤・虱」観たいな「法」を語る組織団体ばかりが生まれて行く。阿呆な国だ。それで国民が幸福になるんだって、「幸」の意味を知らない「乞う」に近いんじゃない。


2008/08/31のBlog
[ 06:53 ] [ 木造建築 ]
昨日30日、岩手日報夕刊「トップ記事」「耐震改修「費用ない」 県、診断木造住宅で調査」がなされたと大きな文字で掲載された。


前にも書きましたが、「安全・安全」をどんなに法律でうたっても、「くらし・生活者」を理解しないで「耐震改修」を押し進めても、「馬の耳に念仏」であり、確かに大地震を考えたら必要だと県民の誰もが思っていても、そんな余裕などとても無理であるが「正解」である。

県内でも都市生活者などには可能であっても、盛岡から離れた地域ほど「耐震改修」は無理であると毎日のくらしを見ていても分かります。ましては年金くらしが多い中で、改修せよと言う高圧的な施策で推し進めようとする無理解では、ほどんとの改修は無理だ。

我々業者にも、改修が必要なことを生活者に説いて回れと講習会の時に色々な圧力的な言葉で言われましたが、暮らしている家を訪問するなど、このご時勢、あんたら仕事がないから来たのかと一括されたら、何のために「住宅安全」を説いて回れないのである。第三者の公務員でも来るならいざ知らず、民間営利企業にそもそも回ること事態が「営業」としか写らないのを役人は知らなすぎるのが、正直今回の調査の回答ではないのか。

8月15日の夕刊記事対する「意見ブログ」


そこで提案「県・市・町村」の公務員が住んでいる住宅の「耐震診断」を強制的に行っていただきたい。そしてその結果や聞き取り調査をして、県民に模範を示していただけないかと考えますが如何な問でしょうか。恐らく住んでいえる住宅の半分は地震に対する安全性は疑問だと思いますが、そのように号令を駆ける方が率先すると模範が出ると思いますが。・・・・・・・無理でしょうか。素朴な疑問です。・・・・・・・・・・・・・・・どなたでも構いません。答えをいつまでも待っています。


2008/08/30のBlog
東北北部と分けられる気仙も地域的に特異な場所のためよく天災に遭います。
大船渡測候所8月の「気象・雨量・気温」のグラフは次の通りです。
気温グラフ
8月日照グラフ
8月雨量グラフ
間を置いての雨
8月24日、1日雨です。100mm超えた日です。
この天気は完全に可笑しく、真夏日が無いなんて「米」どうなるんだろう。

とにかく「ゲリラ豪雨災害」被害に遭われた方々へお見舞い申し上げます。
なるべく普段の天気にならないと、「人心」まで乱れるのは困るのです。
2008/08/29のBlog
[ 07:43 ] [ 気仙の辺辺(あたりほとり) ]
どのように科学が発展しようとこの世はだらけである。それを解明するにはまだまだ時間が掛かるのか、それとも永遠に解けないのか

古老などから聞いていた話が現実に、昨日午後裏山の杉林に、鴉が多く群れていたが、間を置かずに鳴いている。すこしは気になっていたが、鴉の鳴き声が変で悪いと、なにか異変でもと、気にしていたら、夕方、現実になった。

時間的に、兄妹で近くに嫁いだ。従姉が5月ごろから原因不明の病にかかり状態が日増しに悪いのが眼で見てわかるが、どうしようと話をしていた時間帯である。その従姉が夕方の炊事支度中に倒れたとの電話が鳴り、救急車で病院と言う連絡、市内の病院から隣町の大きな病院と移動するとの事。とにかく病院へと急ぐ。

倒れて、2時間以上も経て大きな病院に転送されたが、2度も救急車の中で心臓停止したとのことで、何とか昨夜は一命を取り止めたが予断を許せない状態だ。

今までも、何度もその様な鴉の鳴き声の状態が現実にあってきたが、この「黒い使者」の高度な知能予言にはなんと考えたら良いかわからない。とにかく急を知らせたことだけは現実のようだ。鳴き声が悪いときにはとにかく気を点けろである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
PC辞書

「日本」

日本において、カラスは古来、吉兆を示す鳥であった。神武天皇の東征の際には、3本足のカラス「八咫烏(やたがらす)」が松明を掲げ導いたという神話がある。日本サッカー協会のシンボルマークはこの八咫烏である。

カラスは熊野三山の御使いでもある。熊野神社等から出す牛王宝印(ごおうほういん)は、本来は護符であり、近世には起請文を起こす用紙ともされたが、その紙面では、カラスの群れが奇妙な文字を形作っている。これを使った起請を破ると、熊野でカラスが3羽死に、その人には天罰が下るという。

なお、熊野は、神武天皇が東征の際に八咫烏と会った地である。「三千世界の烏を殺し、主(ぬし)と朝寝がしてみたい」とは、高杉晋作が唄ったとされるざれ唄で、この伝説に由来している(うるさく鳴くカラスを皆殺しにしてゆっくり眠りたい、と解釈される事もあるが、上記の伝説を知らない為の誤解である)。また、「誓紙書くたび三羽づつ、熊野で烏が死んだげな」という小唄もある。

2008/08/28のBlog
[ 05:44 ] [ 木造建築の謂れ ]
宗教から出た言葉です。意味は難しく考えないで素直に考えて下さい。

「辞書」〔仏教で〕
1 僧の修行のために一定区域を制限すること
2 魔物を入れないために印を結び、真言(シンゴン)を唱え、法を守ること。
3 禁制。

建築を学ぶ大学生による「古民家調査」を案内しました。
古民家には、くらしに結びついた「禁句」があります。

それは、調査に入るその建物の一番先「戸の口」(戸口・現在の玄関を意味します)ここは遮るという言葉から来た「さえぎ」という土台があります。現在の「敷居・土台」です。

外から中にはいる際はそれを跨いで入ります。もちろんそれに土足で上がることは、その家の主人の頭を踏みつけると言うことで、跨げない方は入ることは出来ません。

余談


その家と関係している方が、何か心に不味い事をしていると敷居が高くて入れないとい言うことを聞いたことはありませんか。「さえぎ」が高くて近寄りがたく着かずけないでことの意味です。

10数名が分担して、何度も出たり入ったりしてその土台をまたぎました。土台に上がるとお上さんにも何度も注意され、こちらも気の毒千万です。高度な学問を習うことは賛成ですが、その前に「禁句」の仕来りも教えていただけないものかと思う。
新潟県佐渡・宿根木集落の網元の見学でも、「結界」を意味するものがありました。主夫婦の部屋に入る板戸の内側に高さ40㎝の幅広の板で「さえぎ」られているので、案内人から聞いたら、その様な所には、主・以外が入るなという意味だと聞いた。

京都など寺院にいくと部屋の出入り口に「竹の横棒の木戸」も、これ以上は入るなと言うことで入りません。それも「結界」です。

PC辞書

生活や作法上注意すべきなんらかの境界を示す事物が、結界と呼称される場合もある。作法・礼儀・知識のない者は境界を越えたり領域内に迷いこむことができてしまい、領域や動作を冒す侵入者として扱われ、無作法または無作法者とよぶ。

また、日本建築に見られる「襖(ふすま)」「障子」「縁側」などの仕掛けも、同様の意味で広義の「結界」である。

空間を仕切る意識が希薄な日本においては、日常レベルでもさまざまな場面で「結界」が設けられる。

例えば、「暖簾(のれん)」がそうである。これを下げることで往来と店を柔らかく仕切り、また時間外には仕舞うことで営業していないことを表示する。このような店の顔としての暖簾は、上記の役割を超えて、店の歴史的な伝統までも象徴することとなる。

2008/08/27のBlog
[ 05:39 ] [ ケセン語 ]
もう秋風が吹くというのに、親の脛を齧る若者らが社会勉強をかねて大挙押し寄せてきました。
朝、携帯電話に知らない番号が着信・・・・うん誰だ・・・・首都圏6大学1つ通う親戚M大学の娘さんから、電話の声が聞き取りにくい声で自分の名前を名乗り、おお分かった。

夏休みのテーマ「法律相談で福島会津」に来ているので今晩超安い宿を探しているので教えてと来たもんだ。ネットで探したんだけど、どこでも良いとのこと。男女6人旅ちょうど車1台に乗れるタイプでのドライブだ。

平泉「中尊寺」やJR大船渡線沿線の名所などを見学、夕方8時ごろに宿に到着、2人ぐらいなら我が家に泊めても良いんだけど気ままな現代子たち、宿には1部屋に雑魚寝で良いからと頼んで置いていたのでラッキーと喜んでいる。

・・・・・・今晩の飯はと聞いたらコンビにと来たもんだもの。若さだ。
で宿の食堂で飯を食べさせる但し「出世払い」という条件、麺類ばかり食べてきたので天丼が美味しいと喜んでいる。若者は現金で良い「早く出世」して貰わないと、こちらがお陀仏になる前に出世してくれれば善いが・・・・・

そして今日は国道45号線を南下、「松島」見学後レンタカーを返して高速バスだって。

若いって良いわ。これから一寸先に賭けられるって素晴らしい。素晴らしい。

後で気がついた。全員「ご馳走様」と言ったのが分かった。今言わない連中が多い中でこれは特出、最低のマナーだもんね。・・・・・・・これから社会を渡るのにOKだねえ。




2008/08/26のBlog
[ 05:12 ] [ 気仙の辺辺――気仙道(往還沿い) ]
代官所のある街の古い建物が消えてゆく、役目を果たし見向きもされなくなると「ひと」は冷たいねえ。多くの人がその棲小屋で生まれ育ったのに、取り壊しの運命。
「木」偏に「妻」と書いて「棲む」住まいとは人々営みがあってこそではないのか。
その営みが時代と共に希薄なり、それを気に入らなくなると廃棄以外に無くなる。

―写真― 突き当たりが解体されたと思ったら手前両脇も無くなった。
幸い、その価値の判る方がいるとまだ勿体ないと引き受けてくれる。
有り難い。2度目の嫁入りです。
骨組みはまだまだ耐久性があり、別の場所で生まれ変われる。

―写真― 今から解体されるT字路民家
今までの場所は、代官所街が出来る前に戻ってゆく、それも新規がなくなり町の形の大きな崩壊です。取り壊し建物を1本1本に工人の色々なつくった様が染み込んだ「穴・ホゾ」の1箇所1箇所に大きな足跡を見た。

―写真― 粗大ごみにならず「仙台」で再生された。
ふと考えると「住む」人偏に主、「棲む」妻と木が一緒になる。やはりくらしに筋が1本通るのは女房である、妻あってのくらしなんだと思う。「胎内」も「家」も人の命を守るように出来ているんだねえ。男にはわからないのが当たり前なのかもしれない。でも壊される民家は惜しい。勿体ない。・・・・・・・・・・

―写真― 差物材黒光り本物光であり塗装で誤魔化しなんてしていない。


2008/08/25のBlog
4年に1度の世界のお祭り「北京五輪」が昨夜をもって17日間の幕を閉じた。
商業主義の的となり、そしてマスコミの晒し者に、勝っても負けてもTV・新聞は連日選手の活躍の一挙一動を取材者の眼で、目立ちところだけを報道、本当に4年間自分が一生懸命練習練習に明け暮れ、そしてこの日の一瞬、瞬間に賭けた結果が「天国と地獄」の模様を描いたのである。

その中でも日本選手は「力」という点では、まだまだ世界の頂点には立てないのも、国民に示した。昔から「技」で勝つことに徹しないと無理な期待は、選手に過剰な圧力となり、マスコミの過剰期待に押しつぶされたのが、マラソンなどの直前棄権などは良い例ではないのかと思う。ベストコンデションに持っていけないうちに、時間のという焦りの中で棄権の苦渋選択など、裏側で支える関係者の無責任もまた目だったのではないのか。

世界のどこで五輪大会が開けようと、デジタル時代になった現在、高速で走る新幹線の窓から景色を眺めるように、一瞬の景色の中、瞬間の印象も記憶せずに時代が過ぎ去ろうとしているのではないかと思うは自分だけだろうか。

TVの朝モーニングなどは、あれほど一生懸命競技で戦った選手を面白おかしく、報道する自分らの餌にした姿勢はもっと批判しても良いのではないのか。国からの代表に選ばれ、生涯かけて自分のもてる力を大きな緊張の中出し切ることは並大抵ではないのかと思う。練習と自己の「心」の戦いの結果は・・・・・・・「天国と地獄」の世界だった。選手にはとにかく終わってご苦労さんと言いたい。ありがとう。



2008/08/24のBlog
[ 06:35 ] [ 気仙の辺辺(あたりほとり) ]
今の気仙、「陸前高田市・住田町」は大船渡市との地域「合併」に1部有力者たちが喧々諤々である。それとは国による脅迫された「合併」の波に1市1町の地域住民はその波に飲まれそうである。

地域全体をどうするかという「根本」は棚の上にし、「合併」によるメリット・デメリットの詳細を説明するべき機関もなく、毎日の地域報道のマスコミなども、合併方向の世論誘導の記事内容である。

 町の生活機能が整備された中心地域住民は無関心、しかし、山間地の高齢者の吹き溜まりについての解決策も棚の上で埃を被ったままである。

 今、東京から離れた末端地域は悲惨である。血の通った政治が成されていない。
利益追求の民間会社ならいざ知らず、「住民」に対する行政サービスで有る機関がスリムするのも悪いことではないが、現在でも数年前から見たら、行政サービスが低下しているのに、合併になると益々悪くなるのが当然である。

その切り口は「行政サービス」の予算がないという言葉である。金がないから出来ないの、一語である。

短絡的に国からの金があるうちに、合併した方が良いという銭ありきの考え方であり、それではその分配金は、末端ではなく中心となる地域に多く分配され、末端には雀の涙ほども分配されれば良い方である。それで夢から覚めたら何だったのだとなる。

現に隣の一関地域に合併した室根・大東町の声を聴くと、目の前の役場で用が済んだのが、往復60km以上も走行しないと用事が出来ないとなげえている。中心の一関の市民は合併してもしなくても全然変わらないのである。

そのような高齢者弱者に対する配慮も考えずに、闇雲に合併先行の考え方をどうするのか根本を考えた論議してないからだが、銭ありきの合併は将来に大きなツケを考えた上でなるべきではないのか。

その被害を最大こうむるのは、末端の高齢者弱者だということ念頭において議論しないと益々人口減に拍車がかかるのではないのか。

春まで一緒に暮らしていた老夫婦の一人がかけたら、山郷に一人置くわけにいかないということで、都会に住む倅が目の前において面倒見た方が、面倒が見やすいからと都会に連れていったのです。

まだ地域の草刈や共同作業が出来るかたです。その分の共同作業が残った方々の肩に掛かったのです。そのように歯が欠けたように人が減る地域問題解決の方が先ではないのか

こんな考えは「馬耳東風」か・・・・・・・・・・・・(笑に笑えない)

3月の読売新聞の記事1部

〈1〉 効果への疑念 「一極集中」嘆きの声も

「合併しないで済むなら、しない方がいい」。A4判5ページの文書には、合併後の旧町村長らの言葉が太字で強調されていた。

 「平成の大合併」で2001年に大船渡市と合併した旧三陸町。人の流れの中心だった旧町役場は、現在も大船渡市役所の支所として残っている。しかし、職員の数は155人から37人に減り、役場前の目抜き通りも急激にさびれた。

 商店経営の男性(54)は「市の中心が遠くなり、取り残された気がする」とぼやく。飲食店経営の女性(69)は「以前は役場からも人が来てくれた。今では、少ない日で客は3人くらい」とあきらめ顔だ。しわ寄せは商店街だけではない。旧町内の建設会社社長(58)は「旧町内で行われた市発注工事のうち、6割以上が大船渡の業者にもっていかれた。うちの会社もこの2年で1件しか取れていない」とこちらも嘆き節だ。

 市は「確かに公共工事の受注競争は厳しくなったかもしれないが、その分、行政コストの削減が進んだ面もある」(財政課)と理解を求める。

 合併を推進した及川和也元町議(69)は「漁港に作業場ができたり、道路が整備されたり、旧町内にも少なからず恩恵はある」と強調しながらも、「住民は町の財政が破たん寸前だったことをよく知らず、合併後も不自由なく暮らせているので、効果を実感しにくいのかもしれない」と推し量る

詳しい記事