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世界読書放浪
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2008/05/12のBlog
これもまあアレなんだけど、どんなもんか読んでみた。で、北に何を学ぶかというと、アメリカに自分らが対「シナ」の駒として使えることをアピールして延命するということらしい。「拉致」に固執すると、日本は孤立するとかぬかしてる連中と、主張が正反対の様で、奇妙な一致もみたりしている。著者曰く、米国の主敵は「シナ」であって、「北鮮」など関心はない。ヒルなんていう三流の人間を立ててきたことから、それは分かるなのだという。何で三流かというと顔が三流なのだそうだ。まあ威圧感のある顔ではないことは確かなのだが、黄色いサルとの交渉には顔で威圧できる人間を出しとけば間違いないということなのだろうか。その意味では戦後日本もアメに最大の売り込みをてきたと思うのだが、著者が日本をへタレとするのは、対「シナ」が情けないからだという。その辺は、まあその通りなのだが、そうなると、米国に替わって中国が覇権を握れば中国に売り込みをしなければならんということで、「中国が強くなれば、日本は言うことをきく」と信じている中国人の言説を肯定しかねいことになってしまう。著者は中国の金持ち連中にモノを売るのが日本の道で、ゴミ以外はなんでも売れるとしている。実際には、ゴミを売ってる連中が一番儲かっていることは、ウルサイ「不用品収集軽トラ」が街を徘徊していることでも明らかであろう。従軍慰安婦も捕鯨も中国が仕掛けた騒ぎらしいのだが、それによって、米国やオーストラリアと反目した日本が中国についた訳でもない。五輪逆風の中、コキントウも、六四を鑑として日本を突破口するしか外なかったのだろう。北みたいな乞食国家の気概は、実際に乞食にならんと分からんもんじゃないかな。
2008/05/11のBlog
著者は元日経北京支局長だが、現在は拓大教授、中国経済学会理事、日中関係学会理事という人らしい。そんでもって、これは「サーチナ」に連載されたものを基にしたということで、立ち居地がイマイチよく分からん。サーチナには元読売支局長のバリバリ媚中派も連載していたと思うが、基本的に80年代の北京支局を無傷で過ごした人たちは、中国当局のお目がねにかなった連中ということであろう。ともあれ、こちらは拓大の人であるからにあって、北大の人みたいに、「公式見解」を代弁している訳ではないのだが、サーチナに載る程度の「公式批判」のニューズをずらっと解説した様な新書。ということで、日頃、中国ニュースをチェックしている人には、あまり目新しい話はないのだが、中国で「中国的品格」なる本がベストセラーになっているとは知らなかった。なんか「ノーと言える中国人」を彷彿させる話なのだけど、日本は経済成長が一段落して、不景気が忍び寄ってから、国粋主義的な本が売れるのに、中国は高度成長期にあるのに、こんな本が出るという論評。ていうか、国粋主義は建国以来常に同時進行な様な気がするのだが、たとえ見せ掛けだけとしても、改革開放初期の「学日本」リバイバル路線は、コキントウ来日でも強調された。朝日の土曜コラムで莫邦富も書いていたし、サーチナも足並みを揃えたところをみると、これが、日本の譲歩を引き出すに有効だと中国政府はみている様だ。その辺の役者として使われた白岩松についてもちらり。拓大的な話では、毎年ゼミ生を連れて台湾研修に行くなんてことが書いてある。その感想が日本人と中国人留学生では、だいぶ違うというのも興味深いのだが、これは台湾側の受け入れサイドによってもかなり違う。90年に国民党は、在日中国人の招待を結構やってたのだが、かなり情緒的統一工作をして、台湾人に対する偏見を以って育てられた中国人を感激させていたりもした。今や中国人留学生も台湾を見下す時代になった様だが、これは台湾人にとっては悪い話ではなかろう。サーチナにとっては都合が悪いが。
母体がその方面のコンサル屋なので、「アジア起業」もの専門のカナリア書房。これもよくあるビジュアル・ゴミ本だけど、著者はシンガポール起業組の人らしい。カルチャースクールとか「京ダイニング」などをしている人の様だが、やはり現住日本人相手の王道エスニック・ビジネスらしい。しかし、肝心のビジネス関係については5分の一くらいしかなく、後はオススメ・スポットの紹介。ラッフルズホテル・ティフィンルームなどなのだが、この完全予約制の朝食をシンガポールに来た頃に毎朝通っていたのだとか。元々京都で薬局を数店舗経営する家のお嬢なのだそうで、大阪でカフェをやるつもりで親にカネを出してもらったのだが、気が変わってシンガポールでやることにしたそうだ。まあ軌道に乗せるまではそれなりの苦労があったのだろうし、実際、現在軌道に乗っているのかどうかも分からんのだが、やはり裸一貫で起業を成功させたという人は某統計が示す通り、1500分の1くらいなものであろう。
マイケル・ムーアの映画や、川田龍平と結婚したライターの本とかが当たって、何か「アメリカ下層社会」ブームみたいなものが起きているけど、これも、日本の「格差社会」ブームの輸入版みたいなものか。「ニート」はイギリスから持ってきたのだが、「ワーキング・プア」は、たしか米国産。「アメリカの鏡日本」の法則は未だに健在である様だ。ということで、新書界はその先兵みたいなものなのだが、こちらはアメリカの底辺校で「日本文化」を教えていたという人の本。その「アメリカ下層教育現場」はギャングが殺しあう様な危険な所という訳でもない様で、別に日本のソレと大差がない感じも受けるのだが、そうした学校に「日本文化」のクラスがあるということが驚き。まあ、今の日本の底辺校でもガイジン先生が教えてくれる「国際教室」みたいなものがあるらしいから、驚くほどのものではないんだろうが、これは、この著者が赴任して開設されたものではなく、それまでも米人教師が担当していたのだという。著者はアメリカで大リーグの取材などをしている人らしいのだが、自身が日本の底辺校出身から這い上がってきたという自負があるらしく、無謀にもアメリカで金八先生を試みている。もっとも、本人はボクサー上がりで、モデルとしたのは「スクールウォーズ」である様だ。実際に、ああいう「本音でぶつかりあう」式の熱血教育はアメリカの方が向いているかもしれん。その意気込みは伝わるのだが、どうも「ヤンキー先生」みたいな熱血正義にはついていけん。前に中国の学級崩壊校で日本語教師をした人の本を読んだが、その学生評はもうムチャクチャだった。しかし、日本の底辺校は昔みたいに「不良」の集まるところではないみたいだし、遊び半分のALTの連中にとっては、ちょろいもんかもしれんね。
これも博論もの。副題が「ケニア・ルオ社会の寡婦が男を選ぶとき」となってるが、その通りのフィールドワーク。著者はルオの村にホームステイして調査に及んだ様で、大変な労作である。こういうのは野郎の研究者には出来ない芸当だとは思うが、ただの読書野郎には、400ページ丸々ルオ社会のジェンダー報告は結構辛いものがあった。ルオ社会では女性は17歳くらいで32歳くらいの男と結婚して、20年くらいしてから寡婦になるというのが平均だそうで、女性の初婚年齢や平均寿命的にも合点がいく数字である。男性の結婚年齢が30歳代になるのは、一夫多妻制と関係あるのだろう。しかし、男性の方が十歳以上年上で、しかも平均寿命が短ければ、女性は高い確率で寡婦になるということである。複数の妻を持つ男というのは、それだけ経済的な裏づけがある訳だが、否応無く、経済的裏付けのない夫を持つ妻同様に夫の経済力をあてにできない後半生が待っているということである。そうした寡婦たちの救済処置というか伝統的慣習みたいなものがコト細かく報告されているのだが、やたら性交のしきたりが厳しいのが特徴的。斉藤由貴が洗脳されたモルモンみたいに、セックスも目的を以って、体位も決められたりしているしているのだが、そのしきたりが実際に機能しているのかどうかまでは著者も実際に見聞した訳ではなかろう。例によって、滞在先からは、「日本の娘」として遇されたそうだが、それも日本とケニアでは寿命も実年齢も異なるからであって、「日本の娘」は彼の地では孫がいてもおかしくない年齢であったりもする訳だ。別におちょくられていた訳でもなかろうが、言われたことをそのまま記録していったら、あまりにも複雑怪奇の慣習になってしまって収拾がつかなくなってしまった感じもする。しかし、処女性を重んじて、初夜の血痕を証明して祝うなんて慣習が、こんなところにもあるもんなんだな。その後の展開は他の性関係が厳しい所とはエラい違いだけど、アフリカのHIV問題の元凶はこういうところにあるのかな。
2008/05/10のBlog
みんぱくの中国少数民族特別展開催に合わせて発行された図録らしい。読売との共催らしいが、中国大使館も外務省もNHKも後援。その前から用意されてたんだろうから、チベット問題払拭とは関係ないかもしれんが、コキントー来日に合わたのは間違いない。本人は行ってないだろうが、嫁か、随行の「青少年団」は姿を見せたのかもしれん。当初、桜が咲く頃とかしてたから、余裕を持って3月13日から6月3日までとした様だ。間に合ってよかったねと言いたいところだが、閉幕が6月3日というのがモロで笑える。さすがに6.4まで奴さんが日本に留まることはなかったろうけど、気を遣ったのか、隠された抗議なのかよく分からんな。まあたとえ、東京でやってたとしても、観にいくことはないと思うけど、巧妙に中国の「熟番」だけ対象とした少数民族展というのも何だかなあ。協力は広西、貴州、雲南の民族博物館で、チワンと西南がメイン。チベットとかウイグルとかキナ臭いのは排除。出版担当の御用東方書店も、昔の本みたいになんかインキ臭い刷り上り。みんぱくの准教授に出世した「帰化しても無国籍で中国は一つ」の陳天璽が実行委員か。まあ別にいいんだけど、チワン族の常用語は普通話より広東語の方が多いんではないの。
これも地球研の本みたいだが、昭和堂から出ている「地球研叢書」ではなく、地理出版の殿堂、人文書院から。サラワクとラオス、それに付随した雲南の森林といった所がテーマなのだが、声高に環境破壊を訴えるといった「エコアジテンダー」系という訳でもない。サラワクと言えば、木材伐採反対運動がラジカル化して、華人企業から木を買っていた日本も随分叩かれたりしたものだが、その運動を昔話的に論じているのが印象に残った。ちょっと前にコスモ石油だったか、FMを聞いてると、盛んに、私たちはサラワクに木を植えてますだのなんだの、免罪符よろしくCM流していたことを思い出したのだが、数年でコスモが植えた木が森林になるはずもなく、華人が伐採をやめた訳でもなく、運動やってる連中もまだいるのだが、要するに時間が経てば、みんな忘れてしまうということ。では20年前と何が変わったかというと、「中国」が台頭してきたということが大きな変化をもたらしたらしい。地球研も昭和堂の中国グループとは別のなのか、執筆した若手のお弟子さんたちが勝手に書いたのかは分からんが、ここでは国境を越えて木材を中国に運び出す大陸商人に大変手厳しい。「ガラが悪い連中」などとも呼んでいるのだが、ラオスには森があるのに、国境を越えた雲南で森林を見ることが出来ない(奥地に多少は存在するとのこと)のは、そこが「中国」だからと、物凄く分かり易い結論。木材を伐採して砂漠化するのが漢人の文化なのだそうだが、まあそれには、反論は出来ないわな。
まあタマにはこんなものも。ヒコーキ新書では常連の著者だが、「参議院運輸委員会客員調査員」とか「経済産業構造審議会臨時委員」とか厳しい肩書きもある人だった様だ。平凡社新書はこれで4冊目だそうだが、乗客が直接の顧客ではないエアバスからカネ貰って書いたわけではなかろう。ということで、A380の紹介だけでただのPR本なので、大型旅客機の歴史などをちらほら。ドルニエDoxというのが、その嚆矢だそうだが、1929年の就航か。テスト飛行はもちろん、商業飛行も、ほとんど命懸けの時代の話。エアバスもその昔、テスト飛行で墜落したことがあったけど、A380のテスト飛行の話は興味深い。高地はメデジン、寒冷地はアイスランドでやったのか。その回数は800回に及ぶらしいけど、テスト飛行の乗客は抽選で選ばれたエアバス職員とのこと。A380を日本の航空会社が採用しない訳は分かったけど、機材使用平均4年とか宣伝しているSQとかエミレイツは、こんなバカデカ機を中古市場で売るつもりなのかな。エミレイツのスカイなんとかっていうマイレージを5年くらい前に作ってほったらかしにしてるんだけど、これでA380のプレミアム・ファースト乗るには後100年くらいかかりそうだ。奴さんも未だに英語のメールを送ってきてはくれてるんだけど。
2008/05/09のBlog
タイトルだけみると、社会調査でもやった研究報告書かと思うのだが、副題が「B29墜落機をめぐって」で、その残骸が表紙となっている。著者は愛知県で大学教授をしていた人らしいのだが、元々茨城の出身で、終戦間際の幼少時代に東京大空襲に向かうB29が、筑波山ろくに墜落した事件を体験しているのだという。その際に脱出した米軍兵士が捕まり、目隠しをされて連行されるのを目撃したことがトラウマになった様だ。後に米国留学も果たし、英字紙を経て大学教員になったのだが、近年は当時、各地で起きた米軍機墜落事件の記憶を保存する活動を行っているらしい。このテーマは文学作品になったりもしているので、知られざるテーマという訳でもないのだが、各地で慰霊碑が建てられ、「B29の里」みたいに名所化されている所もあるとは知らなかった。著者も故郷の地に追悼碑を建立し、乗組員の遺族と交流したりしているのだが、大学のゼミでこの話を取り上げたところ、学生や職員から次々と、各地の「情報」が寄せられてきたのだという。興味を持った中国人留学生を連れて慰霊碑を訪れたこともあったそうだが、空爆した敵国の兵士を慰霊するなんて、中国人にとっては驚くべきことだったのかもしれない。とはいえ、「ブラックホーク」墜落みたいな「狂気の沙汰」までとはいかなくとも、当時の日本人が脱出した米軍兵士を怒りをもって山狩りしたことは確かであり、捕まった兵士は終戦の日に「処刑」された者もいたという。その運命は「明」と「暗」にはっきり別れたそうだが、著者が目撃した兵士も処刑されたことが分かっているらしい。となると、慰霊が始ったのは、戦後しばらくして平和な時代になってからということになるが、最近も千葉で1951年に建てられた慰霊碑が見つかるなんてことがあったらしい。当時はまだ公に出来ない事情があったらしく、現在でも著者が慰霊碑を建立する際に、少なからずの反発があったとのこと。米軍機も現在進行形で世界各地で墜落しているのだが、現場がここまで丁寧に扱われている国って他にあるのだろうか。最近でも沖国大事件とか、ちょっと昔には横浜でファントムが墜落して、パイロットは脱出したが、母子が死亡したなんて事件があった。米軍側に死者が出ていないこともあるが、世界各地の米軍機墜落事件は、その地の住民にとって「怒りの記憶」にしか過ぎないのだろう。その「記憶」を後世に引き継ぐのか良いのか、風化させるのが良いのか、それとも、「記憶」を和解に昇華させるのが良いのかが、「歴史」を選択するということなのかもしれない。
また「おじさん」の「アジア」旅ものなのだが、こちらは二人旅で、しかもビックネーム。灰谷健次郎さんが亡くなったのは2006年末ということだが、その一年後に出た追悼本みたいな文庫本。何の企画なのかよく分からんが、97年から00年にかけて、毎月、石川文洋をカメラに「アジア」を歩くという特集があったらしく、タイからインド、そして、なぜかパラオまでの分が収められている。追悼集ということで、最後に何人か寄稿しているのだが、石坂啓、鎌田慧、辻元、前哲など、正にその筋の面々が集まっている。サカキバラ実名報道で新潮社から版権引き上げなんて事件もあって、晩年は運動屋のイメージしかなかったのだが、作品は書いていたのだろうか。私の記憶にある初めての「読書」は『兎の眼』だった(様な気がする)のだが、児童文学というジャンルは、当たれば流行り廃りは関係なく、何年経っても印税が入ってくるから、沖縄で好き勝手に暮らしたり、「アジア」をほっつき歩いたりすることも出来たのだろう。私が読んだのも発表から十年くらい経ってからだった様だ。ちょっと意外だったのは、タイで鎌田慧とゴーゴーバーに行ったという記述。別に主義者が裸で踊る女の子の紐パンに500パーツ札を挟んじゃいけないという法はないのだが、鎌田慧のそういう姿はちょっと想像できんな。なんでも愛ちゃんという友人の娘さん(これは早乙女勝元の娘、早乙女愛のことか?)に通訳を頼んで、ゴーゴーバーに行ったら、レズビアンショーが始ってしまい、愛ちゃんが目に涙を貯めてしまって困ったなんてこともあったそうな。ベトナムは石川文洋の目が光ってるから、ヘタなことは書いてないのだけど、中国については、ずっと憧れていて、いざ行ってみたらガッカリしたので、もう行きたくなかったと正直に書いているのもベトナム脳の石川に影響されたものかな。
古本屋もやってる第一書房の本は、なかなか読む機会がなかったのだが、新刊本は「Academic Series NEW ASIA」というシリーズにまとめているらしい。これはその59刊めということなのだが、そのほとんどが中国と韓国ものの様だ。かといって「特定アジア」専門という訳ではなさそうで、編者の崔吉城は、たしかニュートラルな人だし、鄭大均のも載せている。植民地の朝鮮と台湾がテーマとなると、すぐ反日対親日なんて話になってしまうものだが、そうした神学論争から離れて「植民地」時代の研究をしましょうという論文集。朝鮮、台湾と交互に登場するのだが、最後の鄭大均が、ゲスト参加なのか朝鮮が1本被ってる。漁業、言語、宗教と揃えてきているのは編者の意向なのだろうか。鄭は父親の話で、新書に書いたのと同じもの。アミ族と沖縄漁民の関係などがあった台湾の方が面白いものが揃っていると思うのだが、外人が書いて崔が訳したらしい。朝鮮人キリスト教殉教者の話は、なんか胡散臭い。崔は日本のキリスト教団の朝鮮布教についても書いているのだが、これは今日の韓国キリスト教の日本布教に通じるものがある。一方、台湾は日本仏教団の台湾布教なのだが、こちらは、あまり熱心にやった形跡がないとのこと。もう一本は、有名な台湾で神として祀られた日本兵の話で、執筆者も指摘しているのだが、たしかにこれは朝鮮と台湾の差異を如実に表す「植民地遺産」である。
2008/05/08のBlog
これも自費ものっぽいけど、著者は甲府市立図書館長などをした人らしい。定年後は歴史ものの執筆に余生を捧げている様で、元図書館長の正しいあり方ではないかとも思う。高杉晋作の上海行について、これが「新しい視点」なのかどうかは分からぬが、晋作が半植民地化された上海を実際に見て、「他山の石」としたことが、その後の攘夷開国、しいては維新、日清日露に繋がっていることは言うまでもない。それまでも、ロシアの脅威は認識されていた様だが、上海に出てみると、オランダという国が、英仏などに比べて、取るに足らない国であるとが分かって、これまでの「蘭学崇拝」を改めるきっかけにもなったのだという。その伏線として、外国との交易に一々、オランダに手数料を払わなくてはならないという不満もあったらしいが、後の岩倉使節団も晋作の上海行の成果を踏まえたものであろう。晋作の上海滞在は約二ヶ月とのことだが、著者は「留学」と「遊学」を混在して用いている。その滞在記録などを見ると「遊学」が正しい様にも見えるが、この時代に現在的意味での「留学」などありはしないので、本来の意味としての「留学」が適当かと思われる。いずれにしても、国家の未来を背負った「留学」というものが消えて久しい。晋作にとっても、それまでの藩意識から、日本人意識へと覚醒したきっかけになった上海行だった様だが、中国では日本人留学生の日本人意識の覚醒ということは今でもあるかもしれない。中国人留学生の長野での行動もその文脈で考えれば不思議ではないのだろうが、それが日本を「他山の石」としたものかどうかは不明だ。
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