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2008/04/22のBlog
[ 02:42 ]
[ ロシア ]
このロイ・メドヴェージェフという人はよく知らなかったのだが、1925年生まれで、1969年に共産党から除名されて、1989年に復党したという歴史家らしい。スターリンと同じくグルジア出身で、スターリニストが未だにいるのかと思うくらいの「ソビエト史観」なのだが、思想的背景はよく分からん。全体の半分以上が、評注と対談にあてられており、特に評注は、ほとんど全文が「読み方注意」なのではないかというくらいで、対談でも北方領土問題や、ソ連参戦問題で著者に待ったをかけている。これを担当しているのはスターリン研究もする農学者らしいのだが、なんでも著者の双子の弟が書いたという「ソビエト農業」なんて本も訳している人なのだとか。となると、ロシア語には堪能なのかと思いきや、訳者も通訳も編集者も別にいるというのだから、ややこしい。論争が激しくなりすぎて、通訳が間に入ったりもしている。そこで問題になったのは、スターリンをどう評価するかだったりもするのだが、著者は歴史家としては、善悪ではなく、あったことをそのまま書くのみなのだとか。そのあったことが、膨大な評注となって返ってきた訳だが、それは著者からみれば日本側の視点というものなのだろう。日本人が正当な歴史史料を以っても、「ソビエト人」の大祖国戦争史観というものを覆すことは難しいだろう。ましてや相手は相当な筋金入りである。松岡洋右がスターリンに、我々は黙認するから、ソ連はインドに進出したらいいなどと進言していたとは知らなかったが、松岡はもちろん、前任者に比べて小物すぎたトルーマンやアトリーなどは、スターリンにとって、ものの相手ではないというのが著者の見解。そんな感じで議論は噛み合わないのいだが、日共創始日だけは、史料が一冊しかないから、そちらで調べてくれと譲歩している。




[ 00:10 ]
[ 中国 ]
ギョーザの前に出た本なのだが、ちょっとした話題にはなって、著者は来日プロモーションもしていたはずだ。この本でも、著者は日本のマスコミはすごく熱心なのに、中国政府を恐れて何も書けないなんてことを言っているのだが、草思社が潰れたのも、やhり中国を怒らせたからなのだろうか。その後の毒ギョーザ報道は、そのぶり返しみたいなもんなのかもしれないのだが、中国人が報道が不公平だとか逆ギレした投稿を載せた朝日も、さすがに抗議が殺到したのか、早々に「市民」のそれに対する批判投稿を掲載したりして笑えた。そのメタミドホスについても被害の報告をしているのだが、ダンボール肉まんをはじめ、よく聞く中国の食中毒話を網羅している感じ。これは、ソースが著者自身ではなく、著者がインターネットとかから拾い集めたということなのだろう。六四でムショ暮らしも経験している「作家」とのことだが、こういう「食中毒」専門の作家というのも、中国には何人もいるとみた。ダンボール肉まんが事実であったことは、もはや「定説」である訳だが、毒ギョーザも日本が絡んでなければ、とっくに「定説」が出来上がっていたのだろう。あまり利害関係のないギリシャには五輪イヤーということで、謝ったみたいだが、自国の人間が信用していないものを、どう外国人が信用せいというのか。






2008/04/21のBlog
[ 11:18 ]
[ フランス ]
パリ五月革命を体験した日本人の手記としては貴重なものなのだろうが、なんかちょっと違和感あった。1931年生まれの一人称が「ぼく」でも別に構わないのだが、あとがきでは「私」になっているのは、意図的なものだろうか。中年になって留学したパリで、五月革命に遭遇し怪我をしたという極私的な話なのだが、出版社からは、自分のことをもっと語るように言われたのだという。それで、会社で冷遇されたとか、嫌な上司の話とか、後年に没頭するピエール・ロチの研究話とか、本題からずれた私的ワールドでかなりの紙幅を使っている。元々、本題はパリ五月革命そのものではなく、そこで警官に殴られ、怒って大統領宛に手紙を書いたら、アンドレ・マルローから手紙が来て、献本もしてもらったという「ぼく」。ならばと思って、奨学金をクレと手紙を書いたら無視されたとのこと。たしかに、たとえ小説を自費出版し作家を名乗っていたとしても、素人本である限り、自分のことを書いてもらって体裁を整えるしかないのだが、本人が特異な体験だと思っていても、そこに、なんのドラマもないと、ただの思い出話に過ぎない。この時代だと、留学までさせてもらった一流商社(R交易ってどこだろう?)を辞めて、四十近くになって、研究者の道へ進むのは狂気の沙汰だったのかもしれないが、晴れて大学教授になった後半生は波乱のない地味な人生だったとしている。モノを売ったり買ったりすることは自分には合わないとか、自分にあった部署ではないとか、不平タラタラだった商社員時代の方が、記憶に深く刻み込まれているとのこと。結局、人生なんてそんなもんだね。




[ 02:19 ]
[ オーストリア ]
山川のこの「ヒストリア」シリーズは忘れた頃に、ぽこっと出てくるな。今のところこれが最後の既刊みたいだけど、もう打ち止めかも。新書の倍の値段で、文字数は半分くらいしかないから、お値打ち感は、ないんだけど、借りて読む分には、大変お得な気がする。青野原俘虜収容所なんて普通の人は知らないだろうけど、この著者も地元(兵庫県小野市)の市史編纂から入ったらしい。副題が「第一次世界大戦とオーストリア捕虜兵」となっていて、はて、日本はオーストリアと戦争したことがあったのかなと思う向きもあるかと思うが、例のフランツ・フェルディナンドが暗殺された後、ドイツがオーストリア・ハンガリー帝国側で参戦し、イギリスが対ドイツで参戦し、日英同盟で日本が青島を攻略して、そこを守っていたドイツ、オーストリア・ハンガリー兵を捕まえたというのが第一次大戦のおさらい。日本とオーストリアが直接戦争した訳ではないので、オーストリア・ハンガリー軍所属の軍艦は一旦、武装解除したそうなのだが、本国から、やっぱドイツと一緒に戦えという指令が来て、あっさり捕虜になってしまったという次第。結局、オーストリア兵が数の上では一番多かったみたいだが、「第九」の歴史とかで散々言われるように、この頃の日本での俘虜生活は観光みたいなものだった様だ。当然、酒を飲むのも自由で、豚を飼って、パンを焼き、遠足にもいくのだが、さすがにロシア人の時の様に、妾を囲って、登楼するなんてまでは行かなかった様だ。その辺も関係しているのか、さすがは文明国だという評価も残っているらしい。とはいえ、刃物沙汰は何度かあったあしく、それがオーストリア・ハンガリー帝国内部の民族問題に起因するものとは興味深い。特にトリエステとかイタリア系出身の兵士が収容所内で、帝国に反旗を翻すなんてこともあったのだとか。それにしても、この時期にアングロ・サクソン系の国と戦って、収容所送りにでもしていたら、後の「日本収容所」の「記憶」も、幾分和らげることは可能だったのかもしれない。第二次大戦の「残虐行為」も「戦陣訓」の影響というより、食料不足ということが大きかったのでは。






[ 00:03 ]
[ 欧州(複数国) ]
北大のスラ研が獲得した「21世紀COE」の研究成果らしい。全3巻らしいが、カネが使えるだけあって、自前の出版局ではなく、講談社から。講談社も「ナントカ講座」じゃなくて、モノホンの「講座派」を出してみたかったのかもしれん。編者はスラ研の先生が一人ずつ出している様だが、執筆陣は自給自足ではなく、若手、中堅クラスを学内外から。「スラブ・ユーラシア学」というのが、どの辺までカバーできるもんなのか分からんが、「中央アジアとイラン」から始って、エストニアの「ヨーロッパ人になろう!」で終わっているのも、なにか意味がある順序なのかもしれない。その「ヨーロッパ人になろう!」が一番、面白かったのだが、単に最後だったから印象に残っているだけかもしれない。「現代中欧文学と地域アイデンティティ」なんてのもあるのだが、クンデラと亡命ロシア人作家の間で、ドストエフスキー論争なるものがあったとは知らなかった。何でもクンデラはドストエフスキーは、ロシアの匂いがするから嫌だとか言ったところ、ロシア人が怒ったとかいう話なのだが、こういう「旧東欧」人の「嫌露流」の言説は現在でも様々なところで糸を引いている。この論文でも、「東欧」を拒否して「中欧」を名乗りたがる人たちなどと揶揄されているのだが、最後のエストニア論文でも、ドイツ文化は尊重されるが、ロシア文化は遅れているものと捉えられているなどと書かれている。もっとも、帝政期からロシア人自身がそれを自認してきたフシもあり、そのコンプレックスが急進化して革命に繋がったという部分はあるのかもしれない。後はブリヤート人意識についてと、シベリア・ニュー・フロンティア説が興味深かった。その視点からシベリアと満洲の比較検証をやれば、面白い論文が一発できるんではないか。誰か既にやってるかもしれんが。






2008/04/20のBlog
[ 13:36 ]
[ 中国 ]
ま、どんなもんかと思って読んでみたが、「中国プロパガンダの正体」と副題つけてるわりには、「史実解明」に拘っている様な感じも。そうなると敵は「中国プロパガンダ」ではなく、国内の「大虐殺派」ということになるのかな。しかし、南京論客でもない水谷尚子が大虐殺派の末席に名を連ねているのはどうなのか。その通りなのかもしれんが、中共から勲章貰って喜んでるホンカツとか松岡環(インド映画じゃない方)と一緒にされちゃあ可哀そう。まぼろし派に櫻井よしことか、渡部昇一、小林よしのりが入ってるのと同様、数合わせなのかもしれんが、大虐殺派が今売り込んでる工員研究者は、無視されたのか、単に知らなかったのか。まあ、いずれにしても東中野が全体解説だと、あまりにも色が出過ぎる。せめて秦邦彦くらいにしてほしかったが、向こうからお断りかもしれん。南京と相殺するかの如く、通州事件をわざわざ載せるのは、通州事件解明にとっても不毛な話になるのではなかろうか。コラムでは、留学生リポートはとってつけた様な感もあるし、曙機関はアジアカップと反日デモを混同している。しかし、こういう本て結局、海外からみれば「アンチCNN」と同じ様にみられんだろうな。やはり「過去」に拘泥するより、「現在」で責めた方が効果的な気はする。「大虐殺派」が、現在の「大虐殺」を非難すれば説得力もあろう。このリストの面々で、それが期待できるのは水谷尚子さんくらいしかいないというのも、「貧困なる精神」だね。




[ 03:01 ]
[ インド ]
この版元も知らんのだが、親のブレイン・ワークスというのは、なんか聞いたことがあるな。よくある「アジア・ビジネス」屋みたいだけど、どっかで名刺を貰った様な。で、これもインド・ビジネス万歳本なんだけど、著者は日刊工業新聞出身のフリーの人らしい。『中国・広東省でやる気向上 女子工員が大先生』(重化学工業通信社)という著書は気になったが、それはテクノセンターの提灯本みたい。そんな感じで、インド各地の工場を訪問して一冊仕上げたのだが、年の殆どをアジア各地で取材としているだけに、場数は踏んでいる様子は窺える。その意味では、現場の話は皆無な門倉はもちろん、島田より現場には精通しているのかもしれない。とはいえ、なぜにインドに進出しなくてはならないかという理由が皆、似たりよったりで、どうにも説得力に欠ける感じは否めない。インドの巨大市場とか、中産階級の隆盛はたしかに魅力的なものなのだろうが、やはりインドは、「ポスト・中国」に成り得るのかどうかが、万人の知りたいところだろう。日本が求めるのは市場ではなく、工場である以上、インドが中国に取って代わるなんてことはないだろうし、韓国がインド市場で先行しているのも、日本の産業構造の変化を考えれば当然のことに思える。薄々感じてはいたのだが、インドビジネス伝道者たちが一番言いたいことは、「日本人はインドを知らなすぎる」ということなのではなかろうか。まあ「中国通」の末路を考えると、日本人がインドを知らない方が「インド通」の寿命も延びるというものだが。




[ 00:52 ]
[ 中国 ]
編者の玉野井さんという人は、UCLAの先生だそうで、これは原書英語の論文集。書いているのも中国人、韓国人を含んでいるが、当然英語原文と思われる。玉野井さんの文を含めて若手研究者が一章づつ下請けで訳した様だが、監訳は山本有造ではなく、山本武利。訳者バラバラなのに、統一感があって、大変読みやすいのは山本の腕なのかもしれんが、元々、原文が読みやすいからとみた。とにかく人文系は読者に理解させない難解な論文を書いてナンボと思っている研究者が多いのだが、英文の論文を読むとエッと思うくらい平易だったりすることが多いのも、維新以来の翻訳文化の弊害がまだ続いているということなのだろう。逆に、その辺が海外の日本研究家を特権化させている所以なのかもしれんが、その意味で日本語史料を当たらなくてはならない満洲研究がアメリカでは発達していないことも、その辺に関係あるのかもしれない。藤原の満洲ものというと、「偽満」系の印象があるのだが、編者はジョシュア・フォーゲルが、中国人学者の「偽満」論をたしなめたところ、激しく反発されたなんてことも書いている。もっとも、渡米した中国人学者によって、「偽満史観」が米国で定着する前に、本土の方では学術的に歴史を見直す自由も生じてきた。そうした動きにも配慮したのか、「偽満」と「大東亜建設」という二項対立ではなく、多文化が「交錯」する大地としての「満洲」がテーマともいえる。山本は満洲に日系アメリカ人が二千人もいたことを知って驚いたと書いているのだが、これは満洲育ちが、何らかの形で戦後アメリカに移住したということなのか。それとも、戦前に日系アメリカ人が新天地を求めて満洲に移住したということなのだろうか。いずれにしても少なくない数字である。中国人執筆者は川島芳子についてなのだが、取り上げるのが有名人過ぎて、スンマセンみたいなことを書いていて笑える。川島芳子の中国人宣言みたいなものを最初に書いているので、やはり、その手かなと思ったら、かなりバランスをとっている感じもした。この辺は、日本語文献に当たっている証左なのかもしれない。満洲のポーランド人についての論文も興味深く、「ロシア」、「ユダヤ」、「フランス」といった多層なアイデンティティが満洲のポーランド人社会(とは厳密には呼べないが)に存在していたことが窺えた。山本はこの辺に自分の研究のヒントを見つけた様だが、監訳者のつとめとしては文を読みやすくしただけと、最後に書いてあった。






2008/04/19のBlog
[ 12:52 ]
[ 香港・マカオ ]
著者は元「香港ポスト」編集長か。「香港通信」の元編集長は帰国して出世したけど、こちらも、帰国して「経済ジャーナリスト」として独立したとのこと。しかし、ホンポスも構成が結構変わったな。別にホン通を吸収した訳ではないんだろうが、必然的に読者層も大手駐在員から、中小お一人駐在とか、こういう「和僑」系にシフトしているのだろう。値段の方は相変わらず強気みたいだけど、和僑の方もそれを支える底力がついてきたということなのだろうか。とはいえ、紆余曲折が激しい和僑の皆さんのことだから、ここに登場する人のうち、何人かは、もう帰国されていることであろう。もっとも、現採の方は未だに経験者については売り手市場だから、失保のない日本に帰るのは、心身とも疲れ果ててからかもしれない。香港もビザ出ししなくなってから、地盤沈下が激しい様だけど、マカオにまで平均収入が抜かれてしまうというのも、どんなもんだか。市場が成熟していないところを求めていくと、モンゴルくらいしか行き場がないんだろうが、結局、裸一貫の個人が「日本」ブランドで勝負できるのは「東アジア共同体」の枠内だけということなのかもしれない。平壌に夜郎自大がどっと押し寄せる日も来るのだろうか。




[ 01:57 ]
[ チェチェン ]
著者は「チェチェンの戦火を生き抜いた少女」なのだそうだ。そんで、フランスに出て、これも原書フランス語みたいだから、「されて」ものの系譜なのだろうけど、ここでの敵はロシアであって、イスラームではないから「ダンス」という訳かな。なんでも前に読んだルワンダの「されて」著者とは、お友達みたいで、一緒にアウシュビッツなどにもいったらしい。あのルワンダの姉ちゃんの本はアスコムで酷い目にあったみたいだけど、このチェチェン娘はポプラ社か。大陸市場に目がくらんでるのか、中共御用本ばかり出してるポプラは、チェチェンを出せてもチベットは出せんだろうな。実際、チェチェンとチベット、どちらが悲惨かは甲乙つけ難いけど、少なくともチェチェンには選挙で自分たちの大統領を選ぶことはできる。何よりもチェチェンは「ヨーロッパ」に近く、白い肌が自慢の著者がチェチェンに「ヨーロッパ・センター」を作るのも、ワッハーブとか「過激派」からの援助攻勢に対抗する意味もあるのだろう。もっとも、チベットは逆に、「ヨーロッパ」から遠いこと武器にした秘境作戦で、白人連中の支持を集めているから、「ヨーロッパ」との近似性云々より、まずは、ロシアとか中国みたいな暴力国家からの弾圧を全面に出すのが得策なのではあろう。とりあえず、パリ政治学院を出た著者が「ジャーナリスト」として故郷に戻って活動できるということだけでも、チベットよりは、マシなのかな。




2008/04/18のBlog
[ 23:25 ]
[ オセアニア(複数国) ]
著者はピジン語の研究などをしている人らしい。博論もナウルの言語だったそうだが、ナウル、ノーフォーク島、パプア・ニューギニアをフィールドにしている様で、現地事情としてはレアなものだろう。ナウルにも大学(フィジーの分校)があって、教職員4人、学生5人だそうだ。この情報は10年くらい前の話とみられるので、国が行方不明なんて事態になった後でも存続しているのかどうかは知らんが、日本の地方私大にも教職員と学生の数が同じくらいという所はあるらしいから、別に驚くほどのこともないか。著者自身は日本で唯一、オセアニア学科というコースを擁する帝塚山大学というところに、三十四歳で採用されたとのことだが、たしかに、この種のレアなテーマを選んでしまうと、就職するのも大変そうだ。そんな不安定な状況の中でも、せっせと論文は書き溜めていたそうで、これはその成果を入門編に改編したものらしい。とはいえ、大学のニュースレターに書いた雑文をまとめただけという感じもする。まあ、どんな形であれ、貴重なものであることは確かなので、是非とも次はナウル本の執筆をお願いしたい。「知るための」の企画持込は早い者順っぽいので、ニューギニアと組んでも良いかと。






[ 15:18 ]
[ 中国 ]
このテーマは今まで幾つかあることはあったのだが、保健体育の授業とか中国四千年の性の奥義みたいな「使えない」ものばっかだったから、まあ「文化小革命」くらいな価値はあるのではかなろうか。後半の「東スポ的」な現代編はさておき、文字通り著者が肌で知っている文革、改革開放期の性事情はイイ。私もかつて、解放された青年たちに、せっせと差し入れをしていたクチであるが、85年に来日にした著者が、週刊誌のグラビアから、AV(創成期だね)、吉原にまでハマっていくのも、その光景が目に浮かぶ様である。著者の一人娘の奈々ちゃんは中一で、上海の中学(国際クラスかな)に在籍中だそうだが、この本を読んで父親を軽蔑することにはならないだろうか。そうした親子間の「性事情」の断絶は、中国でより深刻なことも窺わせるのだけど、リアル文革を体験した著者の世代の方が、儒教道徳に懐疑的で、愛国バリアーから、保守化する若者より、ラジカルな感じもした。当時の資本主義国家に対する眼差しは、日本の同世代がスウェーデンに対する眼差しと同質のものだろう。もはや伝説化している「君よ憤怒の河を渉れ 」も、公開されたフィルムに相当な編集が入っていたことも知られているのだが、中国で中野良子が聖女化したのも、当時の日本映画のお約束シーンがカットされていたことと無関係ではなかろう。著者は綿矢りさの本なども訳したそうだが、カットされる様な性描写なんかあったのか。渡辺淳一が人気とも聞くけど、どんな翻訳になってんだろう。とにかく、中国の性事情が規制と実態が矛盾した歪な形になっていることは、その通りだろう。それは別に日本でも同じことなのだが、政治、言論、儒教の束縛の反作用以上に、拝金主義の功罪が如実に表れるのが「性」に関する現象である。その点、西北大学事件に関する著者の考察は深いものがあると感じた。







