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世界読書放浪
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2008/04/24のBlog
ちょっと前に「台湾の屋台ごはん」を読んだのだが、ことらは竹書房ではなく、この手のものを専門にやっているトコらしい。出版は同時なのだが、偶然なのか、狙ったのか。とはいえ、竹よりは予算が厳しいところとみえて、紙質はだいぶ劣る。使ってるライターとカメラはどっこいどっこいなのだろうが、一応「食堂」であるからにして、「屋台」よりはカネがかかったのかもしれん。最後の方にまとめてレシピと地図を載せて頁数を稼いでいるのだが、これを実用に供してくれということなのだろうか。指差し用語集は最近のスタンダードなのかもしれんが、実際にコレを使って、旅してる人てホントにいるんだろうが。新大久保周辺にでも行けば、日本語(関西編もあるらしい)指差し用語集で道を尋ねられるのかもしれんが、「おいしいお店はどこですか?」とか聞かれても、どうやって答えればよいのやら。その辺の同胞にでも聞いてくれと言うしかなかろう。
毎度クレクレじゃないけど、マイクレといえばグラミン銀行なのだが、別にムハマド・ユヌス先生が発明したものではなく、グラミンの発祥と同時期にラテンアメリカやアジアの幾つかの諸国で始められていたのだという。イスラーム圏でもその嚆矢は50年代のエジプトにもみられるらしいのだが、著者がフィールドワークの対象としたマグリブ諸国では、グラミンをお手本としたMCが主流になっているモロッコ、チュニジア、そのモデルとは全く異なるアルジェリアと分かれているらしい。この研究書はいみじくも「文化人類学」であるから、その違いがインフォーマントに対する膨大なインタビューに、著者が一つ一つコメントをつけていくという形で明らかにされていく。面白いのは、その対象がMC受給者に留まらず、MCを供与する側で働く人間にも及んでいるところで、単に「成功」「失敗」の両モデルを紹介しただけでは、MCの文化人類学的には相対的ではないということなのだろう。もっとも、高学歴で占められる供与側と、読み書きもおぼつかないケースが多い受給側の間に、それほど深刻な「格差」がある訳でもない様で、これらの国々での「高学歴ノーリタン」の問題は日本とはケタ違いといって差し支えないだろう。著者はマグリブで「ニート」が生まれつつあるのだろうかなどと控えめな表現をしているが、実際は国中ニートだらけと言った方が真相に近いのではなかろうか。「フリーター」にでもなれれば幸運な部類であり、高学歴であれば、見合った仕事が無いという事情で、就職に消極的になることが多い様だ。そんな中、逞しく生きているのが、MC受給者たる女性たちなのだが、それもインフォーマル・セクターという「市場」が存在するという前提があるからの話である。著者は日本に対する提言として、どの様に効率的にODAを供与するかといったところに論を絞っているのだが、現実問題としては、日本にMCの導入は可能かという議論を進めていくべきではなかろうか。もちろん、日本の場合、飲んだくれの宿六を抱える専業主婦に数万円を二十回払いで貸し付けたところで、何にもならないのだが、サラ金とか街金がやっていることはそれなのである。ニート対策としても、インフォーマル・セクターの再建という経済の「逆コース」はあっても良いのではなかろうか。
池波正太郎という人は1923年生まれだから、まだ生きていてもおかしくはないのだが、享年67か。意外と早くに亡くなったもんだ。その作品を読みたいとは全く思わないが、未だに熱心なファンがいるらしく、電車とか図書館で爺さんが読んでる本を盗み見すると、高い確率で池波正太郎の本であることに驚かされる。そんな訳で、新作は出なくても、関連本を出せば、営業的にも硬いのか、元書生による、フランス旅行随行日記なんてものが出た。著者は10年間書生を務めたそうだが、昭和の時代には、このクラスの「先生」に「書生」がいるのは当然だったのだろうか。とはいえ、この書生は当時40代の妻アリというから、今で言う「秘書役」みたいなもんなのだろうか。その書生と運転手、時には通訳、ガイドなどを引き連れて大名旅行するのが、鬼平先生のスタイルだった様で、予算は二週間で400万、四週間で700万(何れもファーストクラス航空運賃、予約済みホテル代は除く)というから、当時の為替レートを考えても、昭和の流行作家の威力を見せ付けられた様な気がする。既にスカイライナーで成田から出発する時代で、初回はアンカレッジ経由、その後はモスクワ経由の様だ。この当時は1ドル300円は切っていたろう。池波自身の旅行記があるんだろうけど、何を食べどこへ行ったという記録を付けるのは書生の役目だったらしく、NHK出版に、それを出してくれと言われて、運転役に渡していたコピーをサルベージしたのが、この本らしい。ということで、ただの記録みたいなものなのだが、メインは美食紀行みたいで、実に細かくメニューが再現されている。鬼平先生は死の数年前まで、この美食旅行を続けたそうだが、その半生が粗食であった人が、晩年にこんな食生活をしたら健康に影響あるんではないかと、思わず心配してしまった。その死因とは関係ない様ではあるが。
2008/04/23のBlog
『台湾独立運動私記』はかなり面白い本だったと記憶しているが、出版から12年も経っているのか。その時も総統選の年だったが、その後の民進党の躍進と李登輝の台湾ターンは著者自身にも大きな変化をもたらした様だ。『台湾独立運動私記』の続編とも言えるべき本のだが、学生時代にたまたま知り合った台湾人と意気投合したことにより、人生を台湾独立運動に捧げることになった日本人もようやく報われたということなのだろうか。別に「偉くなりすぎた」とは言わないが、そうした青臭いドラマチックな部分がなくなり、かなり政治的な色彩の強いものとなっている。政治の中枢に入った苦楽を共にした仲間に著者も引き上げられたのだから当然のことではあろうが、『台湾青年』の終焉を象徴するような展開ではある。また、江沢民訪日の怒りの真相が「お詫び問題」ではなく、「台湾問題」にあったことを指摘しているのだが、末次一郎・小渕のラインで江沢民を怒らせることに成功したのが著者の功績だったとしている。「台湾制憲論争」に著者が貢献していることも初めて知ったのだが、一国の制憲問題に「同志」とはいえ、外国人が関与するのはどうだろうか。万が一制憲を成し遂げても、日本国憲法同様、外国人が作ったといった非難から逃れることはできないのではなかろうか。別に台湾のベアテ・シロタ・ゴードンになろうとしている訳ではないのだろうか、台湾人の「日本人」に対する許容度は、日本人のアメリカ人に対するそれに近いものがあるのだろうか。それにしても、偽装パスポート潜入はわりと最近の話だからヤバい感じはした。これも北朝鮮のソレと同一にすることはできないのだが、逮捕されて報道された方が世間の注目が集まって良いと腹をくくっていたとはなるほど。となると、事件にならずに報道されなかったのも「中国」の影に怯える政府の差し金か。
遂にこの著者も新書進出と相成ったか。研究者としては新書は業績にならんのかもしれんが、とりあえず名声を得ている証ではあろう。デビュー作を読んで期待した身にとっては、「知るための」に次いで新書とは感慨深いものがある。いつの間にか外大の准教授に出世したいたのだが、数少ないこの地域の研究者として、政府関連の仕事も多くこなしている様子。そうした「在外調査」のおすそ分けみたいな形での、「旧ソ連」報告なのだが、その分析もさることながら、「命がけ体験」のコラムがあちこちで評判を呼んでいるみたい。前のネパール人少女ものでもそうだったが、女性の在外調査には危険という壁が常につきまとうことは通関させれる。時に女性は男性より便宜があることもたしかなのだが、著者が持ちこたえられた理由は、現地の人のホスピタリティなんていうものではなく、研究者としてのプライドではないかと感じた。旧ソ連の記憶より、その後の混乱の記憶の方が鮮明な世代かと思うのだが、冒頭でCIS諸国の「ソ連懐古主義」、「親露感情」を語り、後半で「ロシアKGB体質」を批判するのも「ソ連」の亡霊から、この地域が未だ解放されていないことを表しているのだろう。東欧や中欧圏では「ヨーロッパ」「EU」という寄りかかれる新天地があったのだが、CIS諸国は構造的に頼れる大国はロシアしかない。戦後日本がソ連とか中国国民党に占領されることなく、米国によって「民主化」されたことは不幸中の幸いであったのだが、そもそも連邦崩壊をロシアが主導してしまったことが、擬似ソ連の継続されることになった所以ではなかろうか。擬似ソ連で「親日感情」がどれだけ効果的なものなのかは分からないが、少なくとも反露感情の裏返しとしての、親日感情ではなかろう。しかし、村上春樹の影響はあっても、杉原千畝の影響はないんじゃないの。
著者がコーディネートしたというNHKの放映分も視たけど、それとは別物の本だった。NHKのが「テレビの話」であったことはよく分かったが、本の方は4年以上もかかったのだとか。この前読んだ「大宅賞」の人もそうだけど、「自分探し」をノンフィクションという「自分語り」に昇華させるのは女性の方が向いている気がした。この著者の初期の本も読んでいるのだが、インド人男に全裸でマッサージされた猛女という印象しか残っていなかった。この10年の間、地道(でもないか)にボランティアをしていたとは全く知らなかったのだが、著者もその道に入るときは、マザーテレサの様な高貴な人たちと、胡散臭い連中という相反したイメージがあったのだという。インドに売られる少女たちに感心を抱いて、片っ端からネパールのNGOに電話したところ、援助を求める団体がホテルに押し寄せたという。ネパールの様な国では、NGOが有力産業と位置づけられており、外国からカネを引っ張ることは重要なビジネスである。何かと高尚な理念ばかり叫ばれるボランティアの世界が、そうした確執や矛盾を抱えていることを隠すのは、それを行ってしまえば集金に影響するからということなのだが、10年の試練を経て、著者もカネだけくれれば愛などいらないと達観する様になったみたいだ。自己実現の為に、「恵まれない人たち」を利用することについて鈍感ではないのだが、その辺の「恵まれないフリーライター」が「インドに売られるネパール人少女たち」をネタにすることに対する葛藤が、この本のテーマといって差し支えないだろう。その意味では少女たちの悲惨な記録は、あくまで脇役に過ぎないのだが、自分の内面を曝け出すことが、少女たちに対する申し訳になっている様にも感じた。援助される者に援助する者が対等に向き合うというのは、なかなか難しいものではあるのだが、はじめから「自己実現」を前提にしているのは、キレイ事を以って「自分探し」の言い訳にする連中より誠実であろう。
2008/04/22のBlog
この著者はボストンを「文化人類学的」にフィールドワークした第一作で、サントリー学芸賞とかの華々しいデビューを飾った人と記憶していたのだが、これは新潮の季刊誌に連載された頼まれ仕事らしい。その為、「研究」ではなく、「取材」という形で、短期の出張を繰り返したようだが、著者の次の研究テーマを探す旅の様な感じもした。「キリスト原理主義」や「ゲーテッド・コミュニティ」、「刑務所の町」はいかにも現在のアメリカを象徴させるテーマなのではあるが、ブッシュ退陣までの時間切れになりそうだし、やはり、ここは「地元」のボストン続編か、「ビッグスカイ・カントリー連帯する農牧業」なんてトコが時期的はホットなものになりそうだ。その中で異色なのが「アメリカン・サモア」なのだが、文化人類学学徒としては、ミードの「作品」の舞台になった「聖地」はやはり見ておきたかったのかもしれない。その後にミード批判が「定説」になってしまったこともあり、東サモアの現状を論ずる書物を日本語では、あまりお目にかかってないのだが、著者が書いている通り、交通不便、運賃高、心身共の「アメリカ化」で、もはや見るべきものはナシということなのかもしれない。ハーバードを出て、オックスブリッジに研究員として行っていたSFCのスター教授だから、小熊同様、次の研究になかなかとりかかれないのかもしれないが、観光局タイアップで「アメリカン・サモア本」を一丁仕上げてみたらどうなんだろう。
このロイ・メドヴェージェフという人はよく知らなかったのだが、1925年生まれで、1969年に共産党から除名されて、1989年に復党したという歴史家らしい。スターリンと同じくグルジア出身で、スターリニストが未だにいるのかと思うくらいの「ソビエト史観」なのだが、思想的背景はよく分からん。全体の半分以上が、評注と対談にあてられており、特に評注は、ほとんど全文が「読み方注意」なのではないかというくらいで、対談でも北方領土問題や、ソ連参戦問題で著者に待ったをかけている。これを担当しているのはスターリン研究もする農学者らしいのだが、なんでも著者の双子の弟が書いたという「ソビエト農業」なんて本も訳している人なのだとか。となると、ロシア語には堪能なのかと思いきや、訳者も通訳も編集者も別にいるというのだから、ややこしい。論争が激しくなりすぎて、通訳が間に入ったりもしている。そこで問題になったのは、スターリンをどう評価するかだったりもするのだが、著者は歴史家としては、善悪ではなく、あったことをそのまま書くのみなのだとか。そのあったことが、膨大な評注となって返ってきた訳だが、それは著者からみれば日本側の視点というものなのだろう。日本人が正当な歴史史料を以っても、「ソビエト人」の大祖国戦争史観というものを覆すことは難しいだろう。ましてや相手は相当な筋金入りである。松岡洋右がスターリンに、我々は黙認するから、ソ連はインドに進出したらいいなどと進言していたとは知らなかったが、松岡はもちろん、前任者に比べて小物すぎたトルーマンやアトリーなどは、スターリンにとって、ものの相手ではないというのが著者の見解。そんな感じで議論は噛み合わないのいだが、日共創始日だけは、史料が一冊しかないから、そちらで調べてくれと譲歩している。
ギョーザの前に出た本なのだが、ちょっとした話題にはなって、著者は来日プロモーションもしていたはずだ。この本でも、著者は日本のマスコミはすごく熱心なのに、中国政府を恐れて何も書けないなんてことを言っているのだが、草思社が潰れたのも、やhり中国を怒らせたからなのだろうか。その後の毒ギョーザ報道は、そのぶり返しみたいなもんなのかもしれないのだが、中国人が報道が不公平だとか逆ギレした投稿を載せた朝日も、さすがに抗議が殺到したのか、早々に「市民」のそれに対する批判投稿を掲載したりして笑えた。そのメタミドホスについても被害の報告をしているのだが、ダンボール肉まんをはじめ、よく聞く中国の食中毒話を網羅している感じ。これは、ソースが著者自身ではなく、著者がインターネットとかから拾い集めたということなのだろう。六四でムショ暮らしも経験している「作家」とのことだが、こういう「食中毒」専門の作家というのも、中国には何人もいるとみた。ダンボール肉まんが事実であったことは、もはや「定説」である訳だが、毒ギョーザも日本が絡んでなければ、とっくに「定説」が出来上がっていたのだろう。あまり利害関係のないギリシャには五輪イヤーということで、謝ったみたいだが、自国の人間が信用していないものを、どう外国人が信用せいというのか。
2008/04/21のBlog
パリ五月革命を体験した日本人の手記としては貴重なものなのだろうが、なんかちょっと違和感あった。1931年生まれの一人称が「ぼく」でも別に構わないのだが、あとがきでは「私」になっているのは、意図的なものだろうか。中年になって留学したパリで、五月革命に遭遇し怪我をしたという極私的な話なのだが、出版社からは、自分のことをもっと語るように言われたのだという。それで、会社で冷遇されたとか、嫌な上司の話とか、後年に没頭するピエール・ロチの研究話とか、本題からずれた私的ワールドでかなりの紙幅を使っている。元々、本題はパリ五月革命そのものではなく、そこで警官に殴られ、怒って大統領宛に手紙を書いたら、アンドレ・マルローから手紙が来て、献本もしてもらったという「ぼく」。ならばと思って、奨学金をクレと手紙を書いたら無視されたとのこと。たしかに、たとえ小説を自費出版し作家を名乗っていたとしても、素人本である限り、自分のことを書いてもらって体裁を整えるしかないのだが、本人が特異な体験だと思っていても、そこに、なんのドラマもないと、ただの思い出話に過ぎない。この時代だと、留学までさせてもらった一流商社(R交易ってどこだろう?)を辞めて、四十近くになって、研究者の道へ進むのは狂気の沙汰だったのかもしれないが、晴れて大学教授になった後半生は波乱のない地味な人生だったとしている。モノを売ったり買ったりすることは自分には合わないとか、自分にあった部署ではないとか、不平タラタラだった商社員時代の方が、記憶に深く刻み込まれているとのこと。結局、人生なんてそんなもんだね。
山川のこの「ヒストリア」シリーズは忘れた頃に、ぽこっと出てくるな。今のところこれが最後の既刊みたいだけど、もう打ち止めかも。新書の倍の値段で、文字数は半分くらいしかないから、お値打ち感は、ないんだけど、借りて読む分には、大変お得な気がする。青野原俘虜収容所なんて普通の人は知らないだろうけど、この著者も地元(兵庫県小野市)の市史編纂から入ったらしい。副題が「第一次世界大戦とオーストリア捕虜兵」となっていて、はて、日本はオーストリアと戦争したことがあったのかなと思う向きもあるかと思うが、例のフランツ・フェルディナンドが暗殺された後、ドイツがオーストリア・ハンガリー帝国側で参戦し、イギリスが対ドイツで参戦し、日英同盟で日本が青島を攻略して、そこを守っていたドイツ、オーストリア・ハンガリー兵を捕まえたというのが第一次大戦のおさらい。日本とオーストリアが直接戦争した訳ではないので、オーストリア・ハンガリー軍所属の軍艦は一旦、武装解除したそうなのだが、本国から、やっぱドイツと一緒に戦えという指令が来て、あっさり捕虜になってしまったという次第。結局、オーストリア兵が数の上では一番多かったみたいだが、「第九」の歴史とかで散々言われるように、この頃の日本での俘虜生活は観光みたいなものだった様だ。当然、酒を飲むのも自由で、豚を飼って、パンを焼き、遠足にもいくのだが、さすがにロシア人の時の様に、妾を囲って、登楼するなんてまでは行かなかった様だ。その辺も関係しているのか、さすがは文明国だという評価も残っているらしい。とはいえ、刃物沙汰は何度かあったあしく、それがオーストリア・ハンガリー帝国内部の民族問題に起因するものとは興味深い。特にトリエステとかイタリア系出身の兵士が収容所内で、帝国に反旗を翻すなんてこともあったのだとか。それにしても、この時期にアングロ・サクソン系の国と戦って、収容所送りにでもしていたら、後の「日本収容所」の「記憶」も、幾分和らげることは可能だったのかもしれない。第二次大戦の「残虐行為」も「戦陣訓」の影響というより、食料不足ということが大きかったのでは。
北大のスラ研が獲得した「21世紀COE」の研究成果らしい。全3巻らしいが、カネが使えるだけあって、自前の出版局ではなく、講談社から。講談社も「ナントカ講座」じゃなくて、モノホンの「講座派」を出してみたかったのかもしれん。編者はスラ研の先生が一人ずつ出している様だが、執筆陣は自給自足ではなく、若手、中堅クラスを学内外から。「スラブ・ユーラシア学」というのが、どの辺までカバーできるもんなのか分からんが、「中央アジアとイラン」から始って、エストニアの「ヨーロッパ人になろう!」で終わっているのも、なにか意味がある順序なのかもしれない。その「ヨーロッパ人になろう!」が一番、面白かったのだが、単に最後だったから印象に残っているだけかもしれない。「現代中欧文学と地域アイデンティティ」なんてのもあるのだが、クンデラと亡命ロシア人作家の間で、ドストエフスキー論争なるものがあったとは知らなかった。何でもクンデラはドストエフスキーは、ロシアの匂いがするから嫌だとか言ったところ、ロシア人が怒ったとかいう話なのだが、こういう「旧東欧」人の「嫌露流」の言説は現在でも様々なところで糸を引いている。この論文でも、「東欧」を拒否して「中欧」を名乗りたがる人たちなどと揶揄されているのだが、最後のエストニア論文でも、ドイツ文化は尊重されるが、ロシア文化は遅れているものと捉えられているなどと書かれている。もっとも、帝政期からロシア人自身がそれを自認してきたフシもあり、そのコンプレックスが急進化して革命に繋がったという部分はあるのかもしれない。後はブリヤート人意識についてと、シベリア・ニュー・フロンティア説が興味深かった。その視点からシベリアと満洲の比較検証をやれば、面白い論文が一発できるんではないか。誰か既にやってるかもしれんが。