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2008/04/27のBlog
[ 14:09 ]
[ 中国 ]
この著者はキワモノ系評論家と記憶していたのだが、「国際政治経済学者」だそうだ。ジョージ・ワシントン大の博士とも知らなかったが、元々、外大の中国語卒だったのか。中島嶺雄の門下かなんかだったのだろうか。現在、主宰しているという「国際未来科学研究所」というのがどんなもんなのかも知らんが、「ハゲタカファンド」と「チャイナ」」はフィールドにしていた様で、それをくっつけて五輪にひっかけ、ソロスの対談も付けて一丁上がりの本。「反日デモ」から時が経ち、一時鳴りを潜めていた「中国脅威本」も、ギョーザ、チベット以降、再燃する気配だが、在日中国人の皆さんが頑張って長野の聖火に「飛び火」してくれたことも手伝って、また点数が増えるかもしれない。ただし、どんなに急いでも配本されるまで二ヶ月はかかるだろうから、版元は先を読んで対策しておかなければならない。「国際未来科学研究所」がそこまで考えていたかどうかは分からんが、聖火リレーを世界地図をつけて言及しているはタイムリーヒットか。台湾関連で目をつけたみたいだが、第三国から第三国経由の問題ではなく、中国が沿道に一つでも「台湾旗」(青天白日旗は許容ということか)が振られたら五輪を辞退してもらうと脅かしたからだったという。しかし、そんなことで五輪の参加を拒まれるなら、台湾も国際世論向けに格好のアピールの場になったのではなかろうか。長野ではチベットのみならず、東トルキスタン旗も目出度く「デビュー」させてもらったのだが、台湾同郷会が全勢力を長野に集結させてくれたら、もっと面白いことになっていたかもしれない。馬政権誕生を祝って、当初の予定通り、聖火が香港から台湾入りしてくれないかな。




[ 02:37 ]
[ 韓国 ]
副題に「満州建国大学朝鮮人学徒 青春と戦争」とある。これも大変な大河ドラマなのだが、著者は朝日の元ソウル特派員で定年退職という人。主人公は建国大出身で、サハリン在留となった呉昌禄さんなのだが、元首相とかいろんな人の話が入り乱れていて、元新聞記者の割には、文体的にも乱れている感じがした。それも450ページ超もあるからだと思うのだが、思いの外、早く読めたのも、記者もの特有の平易文ということなのだろう。三一さんの朝鮮ものだから、当然「三・一運動」の話など出てきて、朝日的でもあるのだが、「従軍慰安婦」についてなど、おやっとさせられることも書いている。週刊朝日に初めて「拉致疑惑」を書いたのもこの人だそうだ。ちょっと赤報隊事件のことを思い出したのだが、あれって北とは関係ないんだろうか。韓国と右翼は繋がりがあるとよく言われるのだが、右翼とされる赤報隊が、あの時期になぜ「反韓国盧泰愚来日阻止」を掲げたのかよく分からん。事件当時、著者はソウル特派員に出てたみたいだが、逆にそれが安全圏になったのかもしれん。それにしても、満洲組の朝鮮人は、大陸、ソ連、北、南いずれも安全圏ではなかった様だ。それも「日帝」の影なんだろうが、自分自身がその僕となったことをよく分かっているから反「親日」を装う必要があるのだろう。その中で、サハリン残留組にはそうした無理が見られないのも、日帝の絶望より、戦後の絶望の方が深く刻まれているということか。日本を素直に懐かしいと思ってくれる人がいることは幸せなことなのだろう。その幸せを額面通りに受けとめるには、この長い物語を読み解く必要があるのだが。






[ 00:39 ]
[ 米国 ]
また三文政治解説かなんかと思ったら、ちょっと変わったタイプの本だった。なんでも『諸君!』に「気になるアメリカン・ブックス」として連載されていたヤツらしく、文字通り、アメリカの本を日本語で解説してくれるというアリガタヤなもの。私は「諸君」も「週金」も、本屋でタマにパラパラめくる程度なので、こんな連載があったとは知らんかった(週金の『読み方注意!』はチェックしている)のだが、ここで紹介されている本に興味を持ったところで、アマゾンで取り寄せようなんてことは当然ない。時事通信出身で在米だという著者はもちろん全部読んでるんだろうけど、ほぼ2年くらいの間に出た本で世界地図を作る「コレクション」が出来るのは英語と日本語くらいではなかろうか。仏語もできそうな気がするが、西語圏同様、あまり本を読んでなさそうだし、独語圏とか、世界一本を読むという北欧圏の人は英語に走りそうだ。中国語は気になるけど、あんだけ華僑華人送り込んでるのに、マイナー国家の本ってえらく少なかった様な気がした。意外と日本関係は出ているみたいだが、それでも日本の中国本の波状攻撃は中国人もアイヤーでしょう。「ノーと言える中国人」の作者が日本の本屋で、中国本の棚をみて、うな垂れたなんてこともあった。この著者も「諸君」系の人だけど、右の人の方が、読書許容度が高い感じもする。左側の人たちは自分たちの世界の本しか読んでいない印象もあるのだが、批判しながら読めれば、ゴミ本でも読了できるというもの。しかし、この本に出てくるエドガー・スノーの話は興味深いな。






2008/04/26のBlog
[ 13:53 ]
[ 中国 ]
旗立ててる連中が純粋な人間だとは思われないのだが、日本であの様な光景がニュースとしてお茶の間に流れたのだから、意義はあったといえるのだろう。国旗国歌に反対な「良識派」の人たちは、日中友好の大義には賛成しても、あんな光景を見せ付けられたら、少数の旗にシンパシーを抱かざるおえないかとも思う。そうした人たちの中から、この本を入門書として手に取る人が出る可能性も無きにしも非ずなのだが、こんなに舞台が揃い過ぎていて良いもんなのだろうか。原書は1974年らしいのだが、主人公のロブサンも、著者のイギリス人ジャーナリストも現在の消息は不明というのも怪しい感じがする。満洲人として生まれ、日本、国府、中共、新疆、チベット、インド、ブータンと行きぬいた人の聞き書きなのだが、この満洲人は、何処に行っても、実力者に食い込む、投獄、脱獄の繰り返しで、初めから評伝が書かれるために生まれてきた様な人生だ。これを読む限り、中共のスパイの様にも思えるし、国府のソレかもしれんし、チベット独立支持者にも、併合派にもみえる。まあ、あの混乱の時代は、誰がどこについてなんて「主義主張」は生存競争の前に無力なものであったことはたしかだろう。主人公はダライ・ラマ14世のその二面性を指摘しているのだが、あの時代の14世はまだこどもであるからにして、今日の状況を鑑みれば、脱出は懸命な選択であったことも証明されるかとも思う。それにしても、チベット唯一の女性活仏、ドルジ・パグモの情夫であったことを語るのはルール違反ではないかな。その真偽はもちろん不明で、中共の差し金の可能性もあるのだけど、関係した女のことをペラペラ喋るのは、どうも信用できん。なんでも、このロブさんは漢語、チベット語、日本語は堪能らしいが、英語はかなり苦手で、著者とは簡単な英語を使ってコミュニケーションしたという。それで、こんな壮大な物語ができるというのか。訳者と監訳者は明石から出た『ブータンの政治』の時と同じ師弟コンビなのだが、訳者である年長のお弟子さんの方は完成を待たずに亡くなられたのだとか。この本を手がけることになったのもブータン関係の仕事からみたいだが、たしかにブータン編は主人公から離れた政争の話ばかりだ。青蔵鉄道やウィグル「暴動」の新聞記事が解説でスクラップされているのだけど、その辺に関するヒントは、このロブサンが体験した時代の出来事にあることはたしか。しかし、明石に出版を断られたのかどうかは分からんが、つげ書房新社はどういう立ち居地なのかな。






[ 02:39 ]
[ 東南アジア(複数国) ]
龍谷大学のシンポジウム本だが、この国際社会文化研究所というところは京大閥が仕切っているのだろうか。というか関西はどこもそんなもんなのかもしれないが、そうした研究臭を排した実践的なプログラムというのがウリだったらしい。編者自ら実践から遠いところにいたとか言っているのだが、論文と称すると堅苦しいので、「エッセイ」と呼ぶとしている。それで、鈴木エッセイとか清水エッセイとか呼んでるんだけど、それが「親しみやすい」のか、編者が論文として認めていないのかは微妙なところだ。いずれにしても、その編者が定型通り「エッセイ」解説を最初にやるのが、一番堅苦しい感じはした。中身は東南アジアでNGOに関わっている人たちが出てきて、こんなことやってる、そんなことしてるといったプレゼンテーションみたいなもんで、資金集めと宣伝の場を龍大が提供したようなもんか。カネもない素人学生がタダで参加することはNGOも困るところがあるのだろうが、発表者も一様に初めはトーシロ学生の自分探しだったらしく、「自分語り」が結構入っている。まあ現実ドロドロで、キレイ事の建前を維持するには初心に帰るのが手っ取り早いのだろう。その辺、うまかったのはラオスの人かな。この人だけ現役サラリーマン(ホンダ)みたいだけど、研究者とかNGO屋稼業の他の人たちに比べて、浮世離れしたところが少ないのはたしかだろう。






[ 01:16 ]
[ 中南米(複数国) ]
この元朝日サンパウロ特派員は20年位前にも岩波新書で出しているのだが、その時とノリが全く変わっていないのに驚いた。「中南米特派員」がカバーする地域は恐ろしく広いので仕方ないんだろうが、テレビ並みに表層だけ書いて、ポンポン次の国に移っていく手法は、長年ベタ記事扱いしかされない中南米特派員時代に磨いたものなのだろう。役職にいかずに定年になりそうだが、最近は定年後に備えてか、「平和市民派」のコネを確保している様で、九条とかその筋の集まりにもよく顔を出しているらしい。岩波新書のときも上野英信が原点とか書いていた記憶があるのだが、「筑豊」だった南米がここまで左傾化すると、著者としてもそのカラーを出しやすいのかもしれない。最近もパラグアイが左派政権となり、台湾の行方が気に掛かるところだが、昔、あれほど支持した「解放の神学」に言及がないのも、パラグアイ新大統領よろしく、教会の影響力の退潮というものを感じさせられる。九条バカの連中が大好きなコスタリカを避けたのは、反米という言説から外れることが分かっているからだろう。まあ、こんな単純な見方でも、中南米が新書になることは歓迎すべきことなのだが、サトウキビ収穫で「キューバの青春」を体験しただけあって、キューバ支持は相変わらずだ。著者はキューバの現状はアメリカの情報操作によって、日本で間違って伝えられていると怒っているのだが、日本の場合、間違って伝えられているというのは正しくても、未だにカストロ・ファンの情報操作から抜け出せないというのが実情であろう。元在キューバ大使が唖然とする様な本を出す日本は、アメリカの情報操作以前の問題があるだろう。クウェートで起こった様な。数万人の市民がアメリカを歓迎する様な光景は全て情報操作とのことだが、沖縄では朝日もそれを学んだということなのかな。






2008/04/25のBlog
[ 12:14 ]
[ 韓国 ]
コレはちょっと酷いんじゃないの。トンデモに反応するのもトンデモだけど、著者は「環境汚染防止技術者」というのが本業で、1985年から1995年まで韓国企業数社に技術指導を行ったことがあるとのこと。80年代の反日は、もはや伝説化している感じもあるけど、この人も韓国人よろしく、海の向こうからたまに出てくる「妄言」に、過去のトラウマが甦るのだろうか。「嫌韓流」以降というか、日韓ワールドカップ以降というか、2ちゃんねる以降なんだろうけど、韓国人を批判しても「差別」ではないという流れが出来たのは結構なことなのだが、歴史認識を批判するのはよしとしても、「韓国人の特徴」と称してアナクロなレッテル張りをしてしまうとひいてしまう。なんでも現代に自分の技術を盗まれた(と主張)をはじめ、何度も韓国人には痛い目にあったそうだ。技術指導を日本式の叱責スタイルで行うことは、他の「アジア諸国」と違って、韓国も同じ文化的土壌があるのかもしれないが、日本人が叱責するとなると話が別な様な気もする。それにしても、何か言うと「日帝36年」の枕詞で、議論をふっかけてくるというのも、根本敬のマンガみたいに分かりやすい話だ。「馬鹿野郎」などとも言っていたらしいから、向こうからしても分かりやすい日本人だったのだろうけど。歴史認識編では、金完燮や呉善花などを種本としているらしい。イザべラ・バードの本はどうも最近、その筋で「古典」扱いされている様だ。まあ独島靖国教科書慰安婦の四点セットは当然なのだろうが、ついでに南京まで論じてしまうのはオーバーワーク気味か。日韓の「ネチズン」が電脳空間でズケズケとやりあっているのは結構なことだと思うのだが、どうも「キーセン観光世代」のジイサンがあからさまに言うと角が立つ。とはいえ、「ネチズン」の中の人たちも実は「キーセン観光」対「386」だったりして。




[ 02:30 ]
[ 中国 ]
昭和堂の地球研叢書なのだが、これは第五弾ということでいいのかな。その内、3つが中国モノというのも、彼の地の環境問題が及ぼす影響の深刻さを表すと同時に、大学共同利用機関法人人間文化研究機構たる総合地球環境学研究所が、半ば国策で中国の環境対策に狩り出されていることを示しているといえよう。その前線基地が地球研の他、東大京大早慶に東洋文庫内に設置された「中国環境問題研究拠点」というヤツらしい。たしかに公害は海を越えてやって来るわけだから他人事では済まされないのだけど、ODA終了の見返りとして、中国が要求し、「中日互恵協力」の宣伝として、テメーの環境対策を押し付けられている感も否めない。もっとも地球研の偉い学者さんはそんなヨコシマなことを考える余地などなく、日々研究に精進されている訳なのだが、この中国水問題危機の科学的解明を読むと、私の様な邪悪なダライ一派は、中国がチベットをなんとしても確保しなくてはならない理由がますます明確になってきた様に思えた。イスラエル・パレスチナ紛争も実のところ、「水問題」であることは、よく指摘されることなのだが、チベット問題というのも、その本質は水である。ダライ・ラマ14世のいう「高度な自治」の具体的内容は分からないし、「自治政府」が大河に流れ出る水源をコントロールすることが技術的に可能なのかどうかも分からないのだが、チベット人による「高度な自治」が黄河流域(つまり中国)の生殺与奪を握ることになるという危機感は抱いていると思う。前に読んだ、在日チベット人の本でも、漢人が「水泥棒」と位置づけられていたが、正に「誰が中国を養うか」というべき問題である。もはやチベット人の人心掌握は中国には無理である以上、漢族の絶対多数を確保した上で、中国が育てた「ダライ・ラマ15世」に、「高度な自治」でも与えるつもりなのだろうか。






2008/04/24のBlog
[ 23:56 ]
[ 東南アジア(複数国) ]
著者は国際弁理士連盟理事というエライさんっぽい人なのだが、その会議やらなんかで、ASEAN各国に行くことがあって、そのついでの観光旅行をまとめたヤツみたいなもの。章ごろに年号がふってあるので、その都度書き溜めたものなのかもしれん。ブルネイは珍しいし、ミャンマー以外は足を伸ばしているみたいなのだが、如何にも凡庸な旅行記なので、上下2巻を読むのは結構辛い。1冊にまとめてくれたら助かったのだが、自費っぽいから、著者の意向で全編収録したんだろう。この版元はよく知らなかったのだが、『軍縮地球市民』なんていう、これも如何にもな季刊誌と自費の2本立てでやってるらしい。そのことと関係しているのかどうか知らんが、著者もそっち方面のお膳立てはしているらしく、中華系には靖国、九条で相手を喜ばせたりしている。よく分からんが、国際的な人らしいので、それも潤滑油になることは否定しない。しかし、シンガポールとかベトナムの愛国主義を賛美することまでしなくてもよかろうに。知財関連の会議をしてきたみたいだけど、「中国」の話は80年代初頭の北京が暗かったということくらい。ASEAN知財協会の設立にも寄与したとのことだが、少なくとも、この旅行記を読む限り、それも総会だの理事会という名の観光旅行をする為みたいな感じもする。




[ 13:40 ]
[ 台湾 ]
ちょっと前に「台湾の屋台ごはん」を読んだのだが、ことらは竹書房ではなく、この手のものを専門にやっているトコらしい。出版は同時なのだが、偶然なのか、狙ったのか。とはいえ、竹よりは予算が厳しいところとみえて、紙質はだいぶ劣る。使ってるライターとカメラはどっこいどっこいなのだろうが、一応「食堂」であるからにして、「屋台」よりはカネがかかったのかもしれん。最後の方にまとめてレシピと地図を載せて頁数を稼いでいるのだが、これを実用に供してくれということなのだろうか。指差し用語集は最近のスタンダードなのかもしれんが、実際にコレを使って、旅してる人てホントにいるんだろうが。新大久保周辺にでも行けば、日本語(関西編もあるらしい)指差し用語集で道を尋ねられるのかもしれんが、「おいしいお店はどこですか?」とか聞かれても、どうやって答えればよいのやら。その辺の同胞にでも聞いてくれと言うしかなかろう。




[ 01:32 ]
[ マグレブ ]
毎度クレクレじゃないけど、マイクレといえばグラミン銀行なのだが、別にムハマド・ユヌス先生が発明したものではなく、グラミンの発祥と同時期にラテンアメリカやアジアの幾つかの諸国で始められていたのだという。イスラーム圏でもその嚆矢は50年代のエジプトにもみられるらしいのだが、著者がフィールドワークの対象としたマグリブ諸国では、グラミンをお手本としたMCが主流になっているモロッコ、チュニジア、そのモデルとは全く異なるアルジェリアと分かれているらしい。この研究書はいみじくも「文化人類学」であるから、その違いがインフォーマントに対する膨大なインタビューに、著者が一つ一つコメントをつけていくという形で明らかにされていく。面白いのは、その対象がMC受給者に留まらず、MCを供与する側で働く人間にも及んでいるところで、単に「成功」「失敗」の両モデルを紹介しただけでは、MCの文化人類学的には相対的ではないということなのだろう。もっとも、高学歴で占められる供与側と、読み書きもおぼつかないケースが多い受給側の間に、それほど深刻な「格差」がある訳でもない様で、これらの国々での「高学歴ノーリタン」の問題は日本とはケタ違いといって差し支えないだろう。著者はマグリブで「ニート」が生まれつつあるのだろうかなどと控えめな表現をしているが、実際は国中ニートだらけと言った方が真相に近いのではなかろうか。「フリーター」にでもなれれば幸運な部類であり、高学歴であれば、見合った仕事が無いという事情で、就職に消極的になることが多い様だ。そんな中、逞しく生きているのが、MC受給者たる女性たちなのだが、それもインフォーマル・セクターという「市場」が存在するという前提があるからの話である。著者は日本に対する提言として、どの様に効率的にODAを供与するかといったところに論を絞っているのだが、現実問題としては、日本にMCの導入は可能かという議論を進めていくべきではなかろうか。もちろん、日本の場合、飲んだくれの宿六を抱える専業主婦に数万円を二十回払いで貸し付けたところで、何にもならないのだが、サラ金とか街金がやっていることはそれなのである。ニート対策としても、インフォーマル・セクターの再建という経済の「逆コース」はあっても良いのではなかろうか。






[ 00:17 ]
[ フランス ]
池波正太郎という人は1923年生まれだから、まだ生きていてもおかしくはないのだが、享年67か。意外と早くに亡くなったもんだ。その作品を読みたいとは全く思わないが、未だに熱心なファンがいるらしく、電車とか図書館で爺さんが読んでる本を盗み見すると、高い確率で池波正太郎の本であることに驚かされる。そんな訳で、新作は出なくても、関連本を出せば、営業的にも硬いのか、元書生による、フランス旅行随行日記なんてものが出た。著者は10年間書生を務めたそうだが、昭和の時代には、このクラスの「先生」に「書生」がいるのは当然だったのだろうか。とはいえ、この書生は当時40代の妻アリというから、今で言う「秘書役」みたいなもんなのだろうか。その書生と運転手、時には通訳、ガイドなどを引き連れて大名旅行するのが、鬼平先生のスタイルだった様で、予算は二週間で400万、四週間で700万(何れもファーストクラス航空運賃、予約済みホテル代は除く)というから、当時の為替レートを考えても、昭和の流行作家の威力を見せ付けられた様な気がする。既にスカイライナーで成田から出発する時代で、初回はアンカレッジ経由、その後はモスクワ経由の様だ。この当時は1ドル300円は切っていたろう。池波自身の旅行記があるんだろうけど、何を食べどこへ行ったという記録を付けるのは書生の役目だったらしく、NHK出版に、それを出してくれと言われて、運転役に渡していたコピーをサルベージしたのが、この本らしい。ということで、ただの記録みたいなものなのだが、メインは美食紀行みたいで、実に細かくメニューが再現されている。鬼平先生は死の数年前まで、この美食旅行を続けたそうだが、その半生が粗食であった人が、晩年にこんな食生活をしたら健康に影響あるんではないかと、思わず心配してしまった。その死因とは関係ない様ではあるが。



