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世界読書放浪
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2008/05/07のBlog
主体がどこなのかよく分からんのだが、とりあえず日中合作の論文集。別に関が日本代表、朱が中国代表という訳ではなかろうが、関を含めた日本勢は最後に日本のケースと比較して結論としている。この辺は統一されたフォーマットなのだろう。朱は中国側に向けて書くとか言って、共産党は自民党の利益集団政治に学べなどとしている。政府の公式見解の方は、清華の大将胡鞍鋼が書いてくれているので、仕事が減ったのかもしれん。日本勢のエースは丸川知雄だろうが、主将の関の十八番である「新自由主義」vs「新左派」もよくまとまっていて分かりやすい。後はは税制、銀行、株式、三農、不動産といったところで、特に目新しいものはないのだが、その中で面白かったのは、藤村幸義の「教育産業」と、尾崎春生の「医療改革」。教育産業では、卒業証書問題から暴動が起きたなどと伝えられている「独立学院」について論じており、その背景がよく分からなかったこともあり、「勉強」になった。大学が系列校を作ることは、日本でもよくある話なのだが、あちらは構内に金儲けの為に、別の大学を作ってしまうという乱暴な話。前に西安に大学が100校あるという話を聞いて驚いたが、こういうからくりなのだろうか。医療改革についても、偽薬の話が韓国公使事件などもあって伝わってくるが、病院経営が薬でもっていることは何処も同じ。クスリが買えなくて死ぬか、クスリ漬けで死ぬか究極の選択ではある。
別に明石の「知るための」の亜流ではなく、ネパール人留学生が書いたというエッセイみたいなものなのだが、その昔、弘文堂から「もっと知りたい」が出ていたことを思い出した。明石が弘文堂の亜流なのだが、こちらの本は「プロデュース」として日本人二人と、「編集協力」という人の名前もクレジットされている。留学生が書いた日本語を分かりやすく構成し直したというものらしい。ということで、別にとりたてて面白いことが書いてある訳ではないのだが、著者のゼミ教だったという構成者は、友達がトラに食われたという話に期するところがあった様だ。ネパールも毛派が与党になって、王政廃止なんていうエラい局面を迎えているのだが、著者のお兄さんは毛派になけなしのカネで買ったトラックを積荷ごと燃やされてしまったということで、批判的ではある。そもそも例の宮廷クーデター事件が元凶だと見ていて、ギャネンドラ現国王や毛派に懐疑的なのも、ネパール人の大方の見方と一致しているのだろう。それでも毛派が政権をとったということは、農村地帯に支持があったのか、それとも恐怖があったのか。いずれにしても、その本質が貧困問題にあることには違いない。また、日本で初めて満員電車に乗ったとき、ネパールのバスと同じだと思ったが、いざ乗ってみればエアコンもついていて快適だったという感想は面白い。外国人には極めて不評な通勤電車だが、実際は中国人とかは、屁とも思ってないんじゃないかな。さて、北海道でネパール人が嫁と娘を殺したなんて事件があった様だが、彼の地での家族制度の事情には、かなり頁数を割いているので参考になるかも。
2008/05/06のBlog
タイトルは平々凡々なのだが、この研究対象の「スラム」はフィリピンとかインドとかブラジルといった「メジャー・スラム」ではなく、ドミニカ、ガイアナ、トリニダード。ドミ共本でさえ数少ないのに、こちらはドミ国だ。これぞ研究界のニッチだが、著者は毎年の様にドミ国の調査に出かけているという。全くうらやましい。ドミ国の人口は約7万ということで、首都のロゾーも田舎町だと思うのだが、「不法占拠地」という形でスラムが形成されているという。ジャマイカとかハイチみたいにそれなりの人口と都市を抱えていれば、そうした問題も表沙汰になるのだが、この辺の小島国は独立していても、旧宗主国の恩恵がまだ何がしかあって、人口も少ないから土地も余って、まあまあの生活水準かと勝手に思っていた。所得水準では「中進国」と位置づけられているらしいが、実際には「小さなジャマイカ」みたいなものだろう。石油があってインド人がいるトリニダードや、ガイアナでは商業基盤がしっかりしてそうだが、貧困やスラムはそれに伴うものであろう。ガイアナで犯罪が多発していることも裏付けられてしまったが、人種的要因というのは、やはりあるのだろうか。その点、ドミ国のカリブ人の存在も気になるのだ、ここでは言及が無い。著者がドミ国の社会的発展を阻害している理由に宗教を挙げていることは興味深い。衣食住足りて、金銭的余裕がある者たちが道楽として宗教をやるのは結構だが、そうでない者を宗教心で縛り付けるのは搾取であろう。宗教団体が海外に出て貧困層を対象としたボランティアをやるのも免罪符に過ぎないのだが、その詭弁も批判されている。「怠惰」という概念も、その実、キリスト教がもたらしたものではなかろうか。神ではなくて、現実と向き合わなくてはならない。
日刊工業新聞のB&Tブックスっていうヤツらしい。著者は御馴染み島田卓だが、取材は日刊工業新聞の方でやったのだろう。ということで、トヨタの提灯本みたいなものだが、トヨタ関係者二人が「取材協力者」としてクレジットされている。しかし、トヨタが世界が血眼になっている中国とインドという「巨大市場」にあまり手をつけてこなかったは、戦略的に失敗だったのだろうか。先が不透明な段階では本格的には動かないというのは、トヨタくらいの会社になれば、賢明な選択だと思うし、他で儲かっているのなら、無理して出て行くこともないだろう。お陰で、中国では、散々イヤミを言われて、お荷物国営企業とかを押しつけられたりもしたのだが、インドでも、タタの独占時代にトラックにだけ手をつけたそうだが、変な金融会社と組まされたせいで、1台売るのに、15万円も赤字を出し続けていたのだという。そんなことで「世界のトヨタ」はびくともしないのは言うまでもないのだが、その合弁解消に島田は立ち会ったそうだ。こういう儀式は私も何度かしたことがあるのだが、何となく気まずい感じになるのはよく分かる。それで、インドの「改革開放」が始ってから、トヨタが再び進出して、ディーラー網も立ち上げる話になるのだが、宝石屋と酒屋が手を上げたというのも、ありそうな話だ。インド人と対等に渡り合えるようになったら、日本人も国際化したということと言ったのは、谷野作太郎だそうだが、それがインド人であって、中国人でないところがミソだろう。同じ仁義無き戦いでも、ルールもレフェリーも機能するのがインドというフィールドということか。
ほとんどパターン化した「疑問系」の新書なのだが、タイトルの話は最初の20ページ超で、さっさと片付けて、後はこの著者のお門である「ベースボール史」のダイジェスト。しかし、実際に観にいったことはないので分からんが、ホントに観客が皆、あの歌を合唱しているのだろうか。日本のプロ野球で「君が代」斉唱とかやったら、韓国人選手とかは怒って退場しそうなもんだが、さすがに「大リーグ」は元祖だけあって、外国人選手がワンサといるのに、そういう問題は起きないか。もっとも、国歌が「近隣国」のみならず、自国民からも拒否されるということ自体が、世界的にも異例な話ではあるのだが。で、この著者は、このテーマ一筋ウン十年というお方だけあって、かの国は大変敬意を抱いている様だ。アメリカ野球学会という所の会員でもあるらしいのだが、野球の元祖研究が最近のライフワークであることは、前著でも確認済。タウンボールやストゥールボールについては、何度も文章にしているのだろう。解説にも慣れた感じがした。他のボールゲームの得点が、ボールを主体としているのに、野球はなぜ、走者が主体なのかというのも面白い疑問である。とはいえ、海を越えたイギリス人がホームに帰って来るから得点になるという説は、それほど感心するものでもない。著者としては「元祖」に敬意を表してのことだろうが。
2008/05/05のBlog
嫌悪感を覚えるタイトルだが、著者は前ケニア大使で、損保ジャパン顧問という人とのこと。元々、外交官ではなく、大蔵官僚出身らしく、NTTに天下り後、ケニア大使兼エリトリア、ルワンダ、セーシェル大使に呼ばれた様だ。タイトルだけではなく経歴も嫌味だが、中身も、まあ大使ものらしいゴミ本だった。毎日新聞社刊というのもイヤらしいが、元はホムペ(日本大使館のヤツ?)かなんかの流用らしい。在勤時代のものだとすると、下手なコトを書くと外交問題になるから、この程度でよかろうが、なんでもある人から、このままだと、あなたは遊んでばかりいると思われるから、仕事のことも書きなさいと言われてしまったのだとか。じゃあ書きますということで、大使の仕事などを書いているのだが、マータイさんに会ったとか、菊川怜が来たとかそんな話。初っ端からサファリ話で、キリマン観光とか、ゴルフ三昧の日々とか、まあ植民地官僚みたいな生活をしていたことは間違いないのだが、ケニア観光産業の宣伝に貢献したということなのだろう。大使兼任の国を含めて、他のアフリカ諸国への旅も書いているのだが、これも完全、視察という名の観光かな。このクラスだと、SPとかいるのかどうか分からんが、イスラーム圏でも、家族を連れて普通に市場に行ったり、カフェでお茶したりしている。アメの大使だったら、そうはいかんかもしれん。なんでも、大使館を訪れる人を「お客様」扱いすることを徹底したとのことで、この辺は、一応、「民間大使」の功績なのだろう。まあ税務署長時代も、NTT時代も、自分が「お客様」みたいなものだったのだろうけど、ケニアの様な「不健康地」では、日本人ムラの結束も固いのかな。その在留日本人関係では、JICAの青年隊とSVを一人、一人紹介したり、高校の後輩だという市橋夫妻も持ち上げているのだが、ケニアにコロッケ屋チェーンを展開した日本企業があったとは知らなかった。「コロちゃん」というコロッケ屋は西日本で成功したベンチャーらしく、社長が社会貢献をしようということで、ケニアに進出したのだとか。最初は日本から冷凍を輸入するなんてことをしていたらしが、ケニアに工場も作って、コロッケ弁当をケニアに広めようとした矢先に、日本の会社は破産したらしい。
今年はなぜか満洲ものが多いのだが、証言者も書けるうちに書いて、出せるうちに出しとかないと、「偽満」を正史としなくてはならない時代に突入してしまうかもしれない。そんなことを岩波が考えている訳はないのだが、ジュニアでも満州啓蒙。著者はレナウンに勤めていた人らしいのだが、1931年生まれのハルピン育ちで、敗戦時は開拓団で勤労奉仕をしていたとのこと。タイトルにある通り、当時、中学生だったので、「蟻の兵隊」をジュニアに持ってくるよりは妥当な線なのかもしれない。とはいえ、ちゃんと啓蒙路線はとっており、「七三一」や「パーロ」の章は編集サイドのリクエストかもしれん。「満州」と「満洲」、「ハルピン」と「ハルビン」の表記についての説明もちゃんとしている。こういうツマランことで、研究者たるオトナが罵倒しあったりなんてこともあるのだが、ジュニア向けにしては気を配っている感じもした。「残留孤児」にしても、それが「売買」であったことを示唆しているし、中国人による略奪、ソ連軍による強姦などもちゃんと書いてある。もちろん、日本人生徒間の軍隊式イジメについても触れており、敗戦後の逃避行中は、日本人も、もちろん「リャク」に走っている。混乱した社会では「五族共悪」であったのだが、ソ連軍が再三、家に略奪に来る一方で、ロシア人兵士が遊びに来て、お茶を飲みに来たというのは、どういうことなのだろうか。その説明はないのだが、やはり刑務所から出されたならず者が、ソ連軍先遣隊として略奪、強姦したという説は本当なのだろうか。衣類などを切り売りするタケノコ生活から、花札製造業に乗り出す話などは面白いが、この時代、ちゃぶ台ひっくり返すオヤジってのは、劇画に話ではなく普通にあったことも分かった。しかし、今の中学生がコレを読んで、「平和が大切だと思いました」とか、「日本は侵略戦争を中国の人たちに謝罪するべきです」とか都合のいい感想を持つかな。そう書けば、いい点数になることが分かってる子たちは、そう書くんだろうが、「こんなドラマチックな体験を私もしてみたかったです」とか、「僕たちはアルバイト禁止なのに、当時の中学生は自分で商売して稼いでいてうらやましいです」なんて、正直な感想も出てくるんじゃないかな。
この著者は、その特徴的な名前と、10年くらい前の岩波新書で記憶していたのだが、名前のことで突っ込んだら、怒られそうなフェミ系の人。しかし、フランスものには、女性がジェンダーをテーマにしたヤツが多いな。出生率の回復というキャッチコピーで釣っておいて、実際は引退年齢なしの男女関係とか、結婚制度によらぬカップルの法的承認といったことを賞賛するのが、そのパターンなんだけど、やっぱ女性にとって、その辺は魅力的なものなのだろうか。そうした日本人女性の「片思い」に冷や水を浴びせるようなフランス男の新書も出たりしているのだけど、「パリ在住エッセイスト」が勝ち組と捉えられている以上、その系譜はまだ続くであろう。そんな中にあって、この著者は在住二十余年というから古株なのだが、フランス人の父親たちを理想化するつもりは毛頭ないと、まず断っている。これも「お約束」みたいなものなのだが、日本では子育てなんぞ出来ないというのが、正直なところの様だ。唯一、日本の方が良いとしているのは、川の字で眠ることなのだが、前に読んだ元NHKの朝日記者が出したフランス・ジェンダーものにも全く同じことが書いてあった。「川の字」は出産を境に、「夫」が「おとうさん」に、妻が「おかあさん」へ変化する儀式の様なものなのだろうか。一方、フランスで「おとうさん」は宗教的なものを意味するというのは正しいと思うが、その説明が観念的で、これもフランス流なのだろうか。
2008/05/04のBlog
このタイトルで明石だから、その筋のモノかなとも思ったのだが、わりとマトモなモノだった。著者は共同通信出身で、サイゴン支局長やワシントン支局長を歴任し、常務理事までいったマトモな人で、定年後に大阪国際大学というところに迎えられてから、数年で学長までいったらしい。マトモというより、出世競争に長けた王道を行く人なのだが、この世代の記者にとって原爆は常に身近なテーマとしてあった様だ。なんでも、最初の上司がパーチェットのヒロシマ行を手助けした人だったらしく、後に原水禁の分裂騒ぎを取材して、それが国民の原爆への関心を失わせることになったと否定的である。その後はサイゴンでドンパチ取材などをしていたみたいだが、ワシントン時代に始めた公開された公文書シリーズが、この本の下敷きになっているらしい。再びパンドラの箱が開けられることでもない限り、ヒロシマ・ナガサキは世界史上の重大ニュースのトップの座を明け渡すことはなかろうが、その割には、このテーマは神学論争の枠に留まっている様な気もする。戦後日本が、ヒロシマを「無毒化」して平和の象徴に祭り上げてしまったことについては、ホロコーストや南京みたいな政治臭がしないだけでも、評価できることかとは思うのだが、原水禁分裂でも分かるように、その本質が「パワーゲーム」という政治の世界にあることを理解しないと、「平和」など絵に描いた餅に過ぎないのである。著者は「戦後、ソ連に対して優位に立つ為に、原爆を投下した」というリアリストの「定説」に疑問を呈している。「戦争終結を目的に被害者を最小限に食い止めるため」という「公式見解」は、もはや米国退役軍人と中国、北朝鮮くらいにしか説得力がないものなのだが、「人種差別のため」という理由が普遍的に受け入れられている訳でもないのである。著者がバーンズという人物に注目したのも、そうした文脈からの解明を試みたからだと思うのだが、エノラ・ゲイの標的はジャップでもソ連でも日本軍でもなくて、膨大な開発費に対する対費用効果というところにあったのではなかろうか。ナチスという敵を途中で失って迷走してしまったのがヒロシマ・ナガサキの悲劇の始まりとも言えるのだろうが、その後、ソ連という敵を失った米国が、その膨大な戦費の振り分け先の必要に迫られたのは周知の通り。
親北というより、植民地贖罪派といえる著者なのだが、これはわりと客観的なシロモノだった。「創氏改名」が強制的であったか否かについては、実際に自分で、その手続きをしたという人はあらかた亡くなり、月山明博の様な二世の「記憶」が、戦後韓国の「歴史認識」の枠内において、史実化されてしまった側面はあるだろう。ただ、「従軍慰安婦」や「強制連行」の様に日帝支配の象徴とまでになっていないのは、善良無垢な市民を身体的拘束を伴って連行するという「被害者イメージ」で語り継ぐには、不都合があるからでもあろう。著者は当然、その抵抗の記録を発掘しているのだが、岩波の水野本を以っても、この件に関しては「事大」の側面というのも否めない気がした。韓国人にその認識があったのか、あるのかは分からないが、著者も梶山季之の「族譜」が、韓国人の認識を改めさせたという「定説」自体は否定はしていない。梶山の小説が虚構に基づいていることは批判しているのだが、小説という性質上、史実に忠実である必要はなかろう。「創氏改名」に日本人が反対していたことは事実なのだが、それが日本人による差別であったにせよ、その動きを利用して阻止に持ち込むことは、やはり難しかったのだろうか。よく混同される「氏」と「姓」の問題や、女性側からみた改名問題など、「創氏改名」も多層的に考える必要があるとは感じた。今日の「通名」がその流れを汲むものであることは否定しないが、それが日本社会の変わらぬ差別であると単純に結論付けているのは、どうだろうか。著者のイデオロギー的なものにかかってくる問題なのだろうが、「在日」のアイデンティティとしての通名や、利便性のみで使用する通名も考慮すべきではなかろうか。
これも建築畑の人ではなく、「都市計画」が専門の著者の博論もの。モロッコに2年、フランスに2年、シリアに1年半の留学したとのことだが、この辺の学術言語は皆、仏語かな。この分野は研究より、実践重視だろうから、歴史史料というより、都市保全の参考資料として、実践的に読まれることを前提にしているのかと思う。というわけで、トーシロには難しいものなのだが、アンリ・プロストという人は名前を聞いたことがあった。著者は後藤新平の台湾・満洲の仕事に準えて、日本の都市計画のアジアへの拡散はもっと評価されてもいいとしているのだが、元々、都市計画の発展は植民地と密接な関係があるものだろう。それを否定したり、賛美したりすると、どうしても政治的な色彩を帯びてしまうのだが、初期に移住したフランス人が「古きモロッコ人」と、自分たちを位置づけていたというのも興味深い話だ。今はどうなのか分からんが、タンジェに船で着いたら、ウザイ連中が常に付きまとって来て閉口した。フェスに移動しても、すぐキターとなったのだが、傍にいた爺さんがウザオを一喝してから、ラバト、カサブランカ、メクネス、マラケシュと一切、ウザオに絡まれなくなり、快適な旅を続けられたのは不思議だった。まさか、爺さんが秘密警察ではなかろうが、フェスの魔力というものを感じ入った二十歳の夏だった。
2008/05/03のBlog
足かけ何年か。このシリーズも、ようやくこれで最後かと思いきや、まだフランスが残っているのか。出来上がった順に出しているのかそうか分からんけど、著者は、このシリーズが発刊し始めた頃はまだ院生で、自分が書くことになるとは想像もしていなかったという。それで、博論やスカラシップの報告書を下敷きに、アサヒビールの研究助成金も得て、調査に邁進したとのこと。その調査は付章のインドネシア食材事典に生かされているのだろうが、一週間に食べたものを記録してもらうインフォーマントも、相当な数に上っている。単にアンケートを回収するだけなら、それほど難しいことはないのだろうが、一人一人の詳しいプロフィールや感想もついていて、著者が時間をかけてインタビューしていたことを窺わせる。その食生活もさることながら、インドネシア人の多様性といったものをあらためて感じさせられた。インドネシアの女子高生やOLが何を食べているかといったことは、あまり知る機会もないのだが、食の中身こそ違えど、本質的なものは日本のソレと、あまり変わらないものだということも分かった。つまり、インドネシアの女子高生はハンバーガーとかパスタを外国料理と認識していなかったり、OLも「お一人様」で食したり、評判のお店をお友達と食べ歩きしたりしている。大学生男子の食生活がムチャクチャだったり、お年寄りの食生活が習慣的に質素だったりするのも普遍的なものなのかもしれない。宗教的禁忌や家政婦の有無といったものが日本と異なるのかもしれないが、屋台や物売りは、ファーストフードやコンビニと同じ位置づけにあろう。「ホカホカベントー」という大衆向け日本食チェーンが受けているというのは知らなかったが、その起源であろう「ほっかほっか亭」の名前が内輪もめから姿を消そうとしていることを考えると感慨深いものがある。しかし、サンドウィッチってインドネシアになかったかな。どっかで食べた様な気もするのだけど。