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世界読書放浪
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2008/05/05のBlog
嫌悪感を覚えるタイトルだが、著者は前ケニア大使で、損保ジャパン顧問という人とのこと。元々、外交官ではなく、大蔵官僚出身らしく、NTTに天下り後、ケニア大使兼エリトリア、ルワンダ、セーシェル大使に呼ばれた様だ。タイトルだけではなく経歴も嫌味だが、中身も、まあ大使ものらしいゴミ本だった。毎日新聞社刊というのもイヤらしいが、元はホムペ(日本大使館のヤツ?)かなんかの流用らしい。在勤時代のものだとすると、下手なコトを書くと外交問題になるから、この程度でよかろうが、なんでもある人から、このままだと、あなたは遊んでばかりいると思われるから、仕事のことも書きなさいと言われてしまったのだとか。じゃあ書きますということで、大使の仕事などを書いているのだが、マータイさんに会ったとか、菊川怜が来たとかそんな話。初っ端からサファリ話で、キリマン観光とか、ゴルフ三昧の日々とか、まあ植民地官僚みたいな生活をしていたことは間違いないのだが、ケニア観光産業の宣伝に貢献したということなのだろう。大使兼任の国を含めて、他のアフリカ諸国への旅も書いているのだが、これも完全、視察という名の観光かな。このクラスだと、SPとかいるのかどうか分からんが、イスラーム圏でも、家族を連れて普通に市場に行ったり、カフェでお茶したりしている。アメの大使だったら、そうはいかんかもしれん。なんでも、大使館を訪れる人を「お客様」扱いすることを徹底したとのことで、この辺は、一応、「民間大使」の功績なのだろう。まあ税務署長時代も、NTT時代も、自分が「お客様」みたいなものだったのだろうけど、ケニアの様な「不健康地」では、日本人ムラの結束も固いのかな。その在留日本人関係では、JICAの青年隊とSVを一人、一人紹介したり、高校の後輩だという市橋夫妻も持ち上げているのだが、ケニアにコロッケ屋チェーンを展開した日本企業があったとは知らなかった。「コロちゃん」というコロッケ屋は西日本で成功したベンチャーらしく、社長が社会貢献をしようということで、ケニアに進出したのだとか。最初は日本から冷凍を輸入するなんてことをしていたらしが、ケニアに工場も作って、コロッケ弁当をケニアに広めようとした矢先に、日本の会社は破産したらしい。
今年はなぜか満洲ものが多いのだが、証言者も書けるうちに書いて、出せるうちに出しとかないと、「偽満」を正史としなくてはならない時代に突入してしまうかもしれない。そんなことを岩波が考えている訳はないのだが、ジュニアでも満州啓蒙。著者はレナウンに勤めていた人らしいのだが、1931年生まれのハルピン育ちで、敗戦時は開拓団で勤労奉仕をしていたとのこと。タイトルにある通り、当時、中学生だったので、「蟻の兵隊」をジュニアに持ってくるよりは妥当な線なのかもしれない。とはいえ、ちゃんと啓蒙路線はとっており、「七三一」や「パーロ」の章は編集サイドのリクエストかもしれん。「満州」と「満洲」、「ハルピン」と「ハルビン」の表記についての説明もちゃんとしている。こういうツマランことで、研究者たるオトナが罵倒しあったりなんてこともあるのだが、ジュニア向けにしては気を配っている感じもした。「残留孤児」にしても、それが「売買」であったことを示唆しているし、中国人による略奪、ソ連軍による強姦などもちゃんと書いてある。もちろん、日本人生徒間の軍隊式イジメについても触れており、敗戦後の逃避行中は、日本人も、もちろん「リャク」に走っている。混乱した社会では「五族共悪」であったのだが、ソ連軍が再三、家に略奪に来る一方で、ロシア人兵士が遊びに来て、お茶を飲みに来たというのは、どういうことなのだろうか。その説明はないのだが、やはり刑務所から出されたならず者が、ソ連軍先遣隊として略奪、強姦したという説は本当なのだろうか。衣類などを切り売りするタケノコ生活から、花札製造業に乗り出す話などは面白いが、この時代、ちゃぶ台ひっくり返すオヤジってのは、劇画に話ではなく普通にあったことも分かった。しかし、今の中学生がコレを読んで、「平和が大切だと思いました」とか、「日本は侵略戦争を中国の人たちに謝罪するべきです」とか都合のいい感想を持つかな。そう書けば、いい点数になることが分かってる子たちは、そう書くんだろうが、「こんなドラマチックな体験を私もしてみたかったです」とか、「僕たちはアルバイト禁止なのに、当時の中学生は自分で商売して稼いでいてうらやましいです」なんて、正直な感想も出てくるんじゃないかな。
この著者は、その特徴的な名前と、10年くらい前の岩波新書で記憶していたのだが、名前のことで突っ込んだら、怒られそうなフェミ系の人。しかし、フランスものには、女性がジェンダーをテーマにしたヤツが多いな。出生率の回復というキャッチコピーで釣っておいて、実際は引退年齢なしの男女関係とか、結婚制度によらぬカップルの法的承認といったことを賞賛するのが、そのパターンなんだけど、やっぱ女性にとって、その辺は魅力的なものなのだろうか。そうした日本人女性の「片思い」に冷や水を浴びせるようなフランス男の新書も出たりしているのだけど、「パリ在住エッセイスト」が勝ち組と捉えられている以上、その系譜はまだ続くであろう。そんな中にあって、この著者は在住二十余年というから古株なのだが、フランス人の父親たちを理想化するつもりは毛頭ないと、まず断っている。これも「お約束」みたいなものなのだが、日本では子育てなんぞ出来ないというのが、正直なところの様だ。唯一、日本の方が良いとしているのは、川の字で眠ることなのだが、前に読んだ元NHKの朝日記者が出したフランス・ジェンダーものにも全く同じことが書いてあった。「川の字」は出産を境に、「夫」が「おとうさん」に、妻が「おかあさん」へ変化する儀式の様なものなのだろうか。一方、フランスで「おとうさん」は宗教的なものを意味するというのは正しいと思うが、その説明が観念的で、これもフランス流なのだろうか。
2008/05/04のBlog
このタイトルで明石だから、その筋のモノかなとも思ったのだが、わりとマトモなモノだった。著者は共同通信出身で、サイゴン支局長やワシントン支局長を歴任し、常務理事までいったマトモな人で、定年後に大阪国際大学というところに迎えられてから、数年で学長までいったらしい。マトモというより、出世競争に長けた王道を行く人なのだが、この世代の記者にとって原爆は常に身近なテーマとしてあった様だ。なんでも、最初の上司がパーチェットのヒロシマ行を手助けした人だったらしく、後に原水禁の分裂騒ぎを取材して、それが国民の原爆への関心を失わせることになったと否定的である。その後はサイゴンでドンパチ取材などをしていたみたいだが、ワシントン時代に始めた公開された公文書シリーズが、この本の下敷きになっているらしい。再びパンドラの箱が開けられることでもない限り、ヒロシマ・ナガサキは世界史上の重大ニュースのトップの座を明け渡すことはなかろうが、その割には、このテーマは神学論争の枠に留まっている様な気もする。戦後日本が、ヒロシマを「無毒化」して平和の象徴に祭り上げてしまったことについては、ホロコーストや南京みたいな政治臭がしないだけでも、評価できることかとは思うのだが、原水禁分裂でも分かるように、その本質が「パワーゲーム」という政治の世界にあることを理解しないと、「平和」など絵に描いた餅に過ぎないのである。著者は「戦後、ソ連に対して優位に立つ為に、原爆を投下した」というリアリストの「定説」に疑問を呈している。「戦争終結を目的に被害者を最小限に食い止めるため」という「公式見解」は、もはや米国退役軍人と中国、北朝鮮くらいにしか説得力がないものなのだが、「人種差別のため」という理由が普遍的に受け入れられている訳でもないのである。著者がバーンズという人物に注目したのも、そうした文脈からの解明を試みたからだと思うのだが、エノラ・ゲイの標的はジャップでもソ連でも日本軍でもなくて、膨大な開発費に対する対費用効果というところにあったのではなかろうか。ナチスという敵を途中で失って迷走してしまったのがヒロシマ・ナガサキの悲劇の始まりとも言えるのだろうが、その後、ソ連という敵を失った米国が、その膨大な戦費の振り分け先の必要に迫られたのは周知の通り。
親北というより、植民地贖罪派といえる著者なのだが、これはわりと客観的なシロモノだった。「創氏改名」が強制的であったか否かについては、実際に自分で、その手続きをしたという人はあらかた亡くなり、月山明博の様な二世の「記憶」が、戦後韓国の「歴史認識」の枠内において、史実化されてしまった側面はあるだろう。ただ、「従軍慰安婦」や「強制連行」の様に日帝支配の象徴とまでになっていないのは、善良無垢な市民を身体的拘束を伴って連行するという「被害者イメージ」で語り継ぐには、不都合があるからでもあろう。著者は当然、その抵抗の記録を発掘しているのだが、岩波の水野本を以っても、この件に関しては「事大」の側面というのも否めない気がした。韓国人にその認識があったのか、あるのかは分からないが、著者も梶山季之の「族譜」が、韓国人の認識を改めさせたという「定説」自体は否定はしていない。梶山の小説が虚構に基づいていることは批判しているのだが、小説という性質上、史実に忠実である必要はなかろう。「創氏改名」に日本人が反対していたことは事実なのだが、それが日本人による差別であったにせよ、その動きを利用して阻止に持ち込むことは、やはり難しかったのだろうか。よく混同される「氏」と「姓」の問題や、女性側からみた改名問題など、「創氏改名」も多層的に考える必要があるとは感じた。今日の「通名」がその流れを汲むものであることは否定しないが、それが日本社会の変わらぬ差別であると単純に結論付けているのは、どうだろうか。著者のイデオロギー的なものにかかってくる問題なのだろうが、「在日」のアイデンティティとしての通名や、利便性のみで使用する通名も考慮すべきではなかろうか。
これも建築畑の人ではなく、「都市計画」が専門の著者の博論もの。モロッコに2年、フランスに2年、シリアに1年半の留学したとのことだが、この辺の学術言語は皆、仏語かな。この分野は研究より、実践重視だろうから、歴史史料というより、都市保全の参考資料として、実践的に読まれることを前提にしているのかと思う。というわけで、トーシロには難しいものなのだが、アンリ・プロストという人は名前を聞いたことがあった。著者は後藤新平の台湾・満洲の仕事に準えて、日本の都市計画のアジアへの拡散はもっと評価されてもいいとしているのだが、元々、都市計画の発展は植民地と密接な関係があるものだろう。それを否定したり、賛美したりすると、どうしても政治的な色彩を帯びてしまうのだが、初期に移住したフランス人が「古きモロッコ人」と、自分たちを位置づけていたというのも興味深い話だ。今はどうなのか分からんが、タンジェに船で着いたら、ウザイ連中が常に付きまとって来て閉口した。フェスに移動しても、すぐキターとなったのだが、傍にいた爺さんがウザオを一喝してから、ラバト、カサブランカ、メクネス、マラケシュと一切、ウザオに絡まれなくなり、快適な旅を続けられたのは不思議だった。まさか、爺さんが秘密警察ではなかろうが、フェスの魔力というものを感じ入った二十歳の夏だった。
2008/05/03のBlog
足かけ何年か。このシリーズも、ようやくこれで最後かと思いきや、まだフランスが残っているのか。出来上がった順に出しているのかそうか分からんけど、著者は、このシリーズが発刊し始めた頃はまだ院生で、自分が書くことになるとは想像もしていなかったという。それで、博論やスカラシップの報告書を下敷きに、アサヒビールの研究助成金も得て、調査に邁進したとのこと。その調査は付章のインドネシア食材事典に生かされているのだろうが、一週間に食べたものを記録してもらうインフォーマントも、相当な数に上っている。単にアンケートを回収するだけなら、それほど難しいことはないのだろうが、一人一人の詳しいプロフィールや感想もついていて、著者が時間をかけてインタビューしていたことを窺わせる。その食生活もさることながら、インドネシア人の多様性といったものをあらためて感じさせられた。インドネシアの女子高生やOLが何を食べているかといったことは、あまり知る機会もないのだが、食の中身こそ違えど、本質的なものは日本のソレと、あまり変わらないものだということも分かった。つまり、インドネシアの女子高生はハンバーガーとかパスタを外国料理と認識していなかったり、OLも「お一人様」で食したり、評判のお店をお友達と食べ歩きしたりしている。大学生男子の食生活がムチャクチャだったり、お年寄りの食生活が習慣的に質素だったりするのも普遍的なものなのかもしれない。宗教的禁忌や家政婦の有無といったものが日本と異なるのかもしれないが、屋台や物売りは、ファーストフードやコンビニと同じ位置づけにあろう。「ホカホカベントー」という大衆向け日本食チェーンが受けているというのは知らなかったが、その起源であろう「ほっかほっか亭」の名前が内輪もめから姿を消そうとしていることを考えると感慨深いものがある。しかし、サンドウィッチってインドネシアになかったかな。どっかで食べた様な気もするのだけど。
岩波初のブータン本かもしれないが、今枝由郎自体は翻訳集を岩波文庫で出したことがあるらしい。例の「ラサ暴動」の前に完成した新書で、主題はブータンだから、その言及はないのだけど、NHK出版のブータン本で書い多様な激しい中国批判は皆無。中国の「チベット進入」とか書いていたりもするのだが、これは「撫順の奇跡」から岩波に出向中のクマさんが、「侵攻」を「進入」に書き換えさせたのかもしれない。それとは関係ないのだろうが、相変わらずのブータン賛歌は、ブータン政府の代言人の立場も健在といったところだろうか。ネパール人問題についても、一応、説明があるのだが、この辺が政府の「公式見解」なのだろう。ほとんどブータンの代名詞となってしまっているGNHについては、国王自ら、「一人歩きしている」と語ったそうで、ブータン国内では、翻訳語として使われることはあっても、国民の間で話題となることは、ほとんどないそうだ。これはGNHに詭弁の匂いを感じる人たちに対するメッセージなのかもしれない。と、批判面から先に書いてしまったが、これは、結構面白い本だった。というのも、著者がブータンに「魅せられる」までの過程が詳しく綴られているからで、ここまで入国に時間と労力をかけたのなら、ブータンに魅せられないと損といった気持ちにもなるだろう。河口慧海やハラーの時代ではないのだから、ティンブ入り自体に意味がある訳ではないのだが、著者が何度も「専門はチベットなので、別にブータンでなくても良かった」と弁明するのも、不自然な感じがする。結局、10年も滞在することになったのも、偶然ではなく、運命的なものを感じてたからだと思う。自身を不信心者と位置づけているのだが、それもブータン人になり切れなかった自分への言い訳なのかもしれない。
このカナリア書房は、ちょっと前に似た様なコンセプトの本を読んだばかりなのだが、著者に名前が出ているブレインワークスっていうヤツが、カナリアの親会社らしい。つまりは「アジア」に出て行け、起業しろ、ついてはウチがコンサルするという会社なのだが、この本はそれをモロ出しにしたようなもん。たしかにタイは「アジア」の中では、条件が一、二を争うトコだと思うのだが、どうも「バッポン・オジサン」とか「外こもり」が自分を「タイ通」だと勘違いして、「ビジネス」を始めてしまうイメージも拭えない。そのパートナーは、えてして日本語を話す「タイ女」とか「華人」だったりもするのだが、それは別に日本人だけの問題ではなく、各国毎に網を広げている連中が存在するのだろう。「ビジネス」をする方も、金儲けというより、タイで暮らす手段として考えているケースが多いと思うのだが、暗中模索の段階においては、この手の本で釣られることもあるのかもしれない。それにしても、タイの外国人最低賃金が国別に定められているというのはスゴイな。日本人は6万バーツでトップ・グループか。今は5万に下がったらしいが、日本人より、ヨーロッパ人を雇った方が安くつくというのもなんだか。
2008/05/02のBlog
著者は新疆医科大学客座教授という人らしい。日大板橋時代に新疆医科大学が研修生を受け入れてから、交流を続けているとのことで、それは結構のことなのだが、そういう性質の本である以上、きな臭い話は皆無。当地で行っている研究はウィグル人の長寿者についての様で、100歳超全員に検診を受けてもらうなんてことをしたらしい。何でもウィグル人は長寿だが、カザフ人は短命だそうで、両者が気候風土が似たような地域に住んでいる以上、何か理由がありそうだということ。その理由は結局よく分からないのだが、ビルカバンバもウィグルも実のところ、100歳以上というのは自主申告であることが多く、70歳を過ぎると、年齢を1.5倍とかに水増しする現象があるのだという。ビルカバンバの100寿者の多くが80歳前後ではないかという話は知らなかったが、泉重千代さんも、実際は90代ではなかったかという説があるのは知らなかった。ということで、ウィグル人の100寿者全員に会いに行くなんてことは、それほど難しいことではない様だが、当地では男性の方が女性より長寿というのは考えさせられるものがある。それは世界的趨勢とは逆なのだが、女性の初婚年齢が早いことや、結婚離婚の繰り返しや、出産回数の多さと関係あるとのこと。イスラーム圏の女性に離婚が多いことは、知られていることなのであるが、42回も結婚したという女性もいたという。男は男で、奥さん数人、子ども100人とかいう話があるかと思いきや、ウィグル人男性の生活は意外と質素だそうで、死ぬ2週間前まで働いていたという100寿者もいたらしい。まあ、コトが老人関係なので、日本人も漢族もウィグル族も和気あいあいで研究していた様だが、血の気の多い連中も老人と医者には頭があがらないといったところだろう。最後に自分が理事をしている高校の卒業式の話があるのだが、浦和学院か。まあ、素直に感動すればよいのかもしれんが、新疆はお年寄りや家族を大切にするから素晴らしい、翻って日本は酷いなんて陳腐な結論になるのを避けるために、取ってつけた感じも否めないな。
国際交流基金「異文化理解講座」の書籍化も忘れた頃に出てくるな。山川もシリーズということで、順番に出しているのかもしれんが、本チャンの講座があったのは2005年1月だったという。テーマ的に3年くらいでは、大した変化はないから、川島真の「中国の外交」みたいに、さっさと出す必要もなかったのかもしれない。ただ、遅れの理由は、編者のグループの共同研究が東大出版会のシリーズで1冊出したばっかりというところにあった様で、噛み砕いたやさしいものを出さねばならんと、逆にリキ入れたからだという。で、山川さんゴメンとかあとがきで謝ってもいるのだが、果たして本文が、噛み砕いたものになっているかどうかは微妙。その点、コラムは合格点なのだが、「異文化理解講座」も結構、難しいことやってんなというのが正直な印象。コラムで面白かったのは、インドネシアの「ハラール中華」。ガチガチのムスリムなら、それでも恐くて食えんのだろうが、ジャカルタくらいならOKだろう。「シンガポール印尼僑」の人たちの投資だそうだが、インドネシアの国家予算を上回る資産をシンガポールのインドネシア人が持っているというのはスゴイな。シンガポールの富裕層の3分の一がインドネシア出身とのことだが、となると「共産クーデター」とか「反華人暴動」もシンガポールの陰謀でないのと疑いたくもなる。そんな感じで、「民衆のイスラーム」のケース・スタディが続くのだが、エジプト、イラン、トルコ、インドとか非中東アラブばかりなのはなぜだろう。編者は自分で専門ではないモロッコについて書くハメになったとか言ってるけど、非中東アラブでいこうという取り決めでもあったのだろうか。たしかに、「イスラーム」というと中東アラブのイメージが強すぎるし、中東アラブの方も自分たちが、イスラームの本家だという自負があるだろう。その意味では中東アラブは「宗教のイスラーム」であって、「民衆のイスラーム」はイスラームの後発地域に残っているということなのだろうか。
早稲田の「アジア太平洋研究選書」の第7弾らしいが、著者二人は20年差の慶應同門コンビ。このシリーズのプロデューサー、後藤乾一の推薦らしい。取り上げているのは1950年から2005年までなのだが、前2つと後ろ2つを先輩、真ん中2つを後輩、その前後を共同という見事に均等な役割分担。後輩の方の専門が、岸・佐藤兄弟の時代ということもあるのだろうが、波多野澄雄が研究者として一本立ちしたのは福田ドクトリンの頃か。戦後賠償はさすがに覚えていないだろうが、興味深かったのはやはりこの時代。しかし、この頃の「東南アジア」がパキスタンまで範疇にあったとは知らなかった。今日の「南アジア」という概念はまだなかった様だが、賠償問題や国際社会復帰が絡んだ日本の「東南アジア政策」において、インド・パキスタンの「スターリング圏」の動きは大変気に掛かるものだったらしい。また、「東南アジア」への中共の影響力拡大に対する対抗という意味合いも強かったとのことだが、これは当時と現在では、どちらが現実的な話なのだろうか。特にその鍵を握っていたのが、スカルノのインドネシアだが、日本と中国を天秤にかけ、両方に深入りしてすると、自滅の道を辿るという痛い教訓が、その後のASEAN政治家の共通認識になったのではないかとも思った。日本がスカルノを切ったのは、スカルノが中国の核実験成功を賞賛したからというのもリアルな話だ。根本七保子はハニトラ要員だったのだろうが、橋本とか谷垣のハニーなんていうのは、中国が三十年後に、日本にしっぺ返ししたものかもしれない。例によって、また中国の話になってしまうのだが、ARFにおける中国の能動的発言というのも興味深い。それは台湾や南シナ海において、ARFが中国の足かせとなることを警戒しているからだという。最近の聖火リレーでもチベットでもそうだが、黙っていると動きを止められてしまうという恐怖感が、この国は根強い様だ。チベット青年会とか東トルキスタン・イスラム運動がテロ組織だとかいう、いい加減な情報をばら撒いたり、留学生を動員して五星紅旗で沿道を占拠した「予防外交」の失敗には、賢明な外交部は気付いていると思うのだが。