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2008/05/09のBlog
[ 12:28 ]
[ 米国 ]
タイトルだけみると、社会調査でもやった研究報告書かと思うのだが、副題が「B29墜落機をめぐって」で、その残骸が表紙となっている。著者は愛知県で大学教授をしていた人らしいのだが、元々茨城の出身で、終戦間際の幼少時代に東京大空襲に向かうB29が、筑波山ろくに墜落した事件を体験しているのだという。その際に脱出した米軍兵士が捕まり、目隠しをされて連行されるのを目撃したことがトラウマになった様だ。後に米国留学も果たし、英字紙を経て大学教員になったのだが、近年は当時、各地で起きた米軍機墜落事件の記憶を保存する活動を行っているらしい。このテーマは文学作品になったりもしているので、知られざるテーマという訳でもないのだが、各地で慰霊碑が建てられ、「B29の里」みたいに名所化されている所もあるとは知らなかった。著者も故郷の地に追悼碑を建立し、乗組員の遺族と交流したりしているのだが、大学のゼミでこの話を取り上げたところ、学生や職員から次々と、各地の「情報」が寄せられてきたのだという。興味を持った中国人留学生を連れて慰霊碑を訪れたこともあったそうだが、空爆した敵国の兵士を慰霊するなんて、中国人にとっては驚くべきことだったのかもしれない。とはいえ、「ブラックホーク」墜落みたいな「狂気の沙汰」までとはいかなくとも、当時の日本人が脱出した米軍兵士を怒りをもって山狩りしたことは確かであり、捕まった兵士は終戦の日に「処刑」された者もいたという。その運命は「明」と「暗」にはっきり別れたそうだが、著者が目撃した兵士も処刑されたことが分かっているらしい。となると、慰霊が始ったのは、戦後しばらくして平和な時代になってからということになるが、最近も千葉で1951年に建てられた慰霊碑が見つかるなんてことがあったらしい。当時はまだ公に出来ない事情があったらしく、現在でも著者が慰霊碑を建立する際に、少なからずの反発があったとのこと。米軍機も現在進行形で世界各地で墜落しているのだが、現場がここまで丁寧に扱われている国って他にあるのだろうか。最近でも沖国大事件とか、ちょっと昔には横浜でファントムが墜落して、パイロットは脱出したが、母子が死亡したなんて事件があった。米軍側に死者が出ていないこともあるが、世界各地の米軍機墜落事件は、その地の住民にとって「怒りの記憶」にしか過ぎないのだろう。その「記憶」を後世に引き継ぐのか良いのか、風化させるのが良いのか、それとも、「記憶」を和解に昇華させるのが良いのかが、「歴史」を選択するということなのかもしれない。






[ 02:56 ]
[ 東南アジア(複数国) ]
また「おじさん」の「アジア」旅ものなのだが、こちらは二人旅で、しかもビックネーム。灰谷健次郎さんが亡くなったのは2006年末ということだが、その一年後に出た追悼本みたいな文庫本。何の企画なのかよく分からんが、97年から00年にかけて、毎月、石川文洋をカメラに「アジア」を歩くという特集があったらしく、タイからインド、そして、なぜかパラオまでの分が収められている。追悼集ということで、最後に何人か寄稿しているのだが、石坂啓、鎌田慧、辻元、前哲など、正にその筋の面々が集まっている。サカキバラ実名報道で新潮社から版権引き上げなんて事件もあって、晩年は運動屋のイメージしかなかったのだが、作品は書いていたのだろうか。私の記憶にある初めての「読書」は『兎の眼』だった(様な気がする)のだが、児童文学というジャンルは、当たれば流行り廃りは関係なく、何年経っても印税が入ってくるから、沖縄で好き勝手に暮らしたり、「アジア」をほっつき歩いたりすることも出来たのだろう。私が読んだのも発表から十年くらい経ってからだった様だ。ちょっと意外だったのは、タイで鎌田慧とゴーゴーバーに行ったという記述。別に主義者が裸で踊る女の子の紐パンに500パーツ札を挟んじゃいけないという法はないのだが、鎌田慧のそういう姿はちょっと想像できんな。なんでも愛ちゃんという友人の娘さん(これは早乙女勝元の娘、早乙女愛のことか?)に通訳を頼んで、ゴーゴーバーに行ったら、レズビアンショーが始ってしまい、愛ちゃんが目に涙を貯めてしまって困ったなんてこともあったそうな。ベトナムは石川文洋の目が光ってるから、ヘタなことは書いてないのだけど、中国については、ずっと憧れていて、いざ行ってみたらガッカリしたので、もう行きたくなかったと正直に書いているのもベトナム脳の石川に影響されたものかな。




[ 00:28 ]
[ 台湾 ]
古本屋もやってる第一書房の本は、なかなか読む機会がなかったのだが、新刊本は「Academic Series NEW ASIA」というシリーズにまとめているらしい。これはその59刊めということなのだが、そのほとんどが中国と韓国ものの様だ。かといって「特定アジア」専門という訳ではなさそうで、編者の崔吉城は、たしかニュートラルな人だし、鄭大均のも載せている。植民地の朝鮮と台湾がテーマとなると、すぐ反日対親日なんて話になってしまうものだが、そうした神学論争から離れて「植民地」時代の研究をしましょうという論文集。朝鮮、台湾と交互に登場するのだが、最後の鄭大均が、ゲスト参加なのか朝鮮が1本被ってる。漁業、言語、宗教と揃えてきているのは編者の意向なのだろうか。鄭は父親の話で、新書に書いたのと同じもの。アミ族と沖縄漁民の関係などがあった台湾の方が面白いものが揃っていると思うのだが、外人が書いて崔が訳したらしい。朝鮮人キリスト教殉教者の話は、なんか胡散臭い。崔は日本のキリスト教団の朝鮮布教についても書いているのだが、これは今日の韓国キリスト教の日本布教に通じるものがある。一方、台湾は日本仏教団の台湾布教なのだが、こちらは、あまり熱心にやった形跡がないとのこと。もう一本は、有名な台湾で神として祀られた日本兵の話で、執筆者も指摘しているのだが、たしかにこれは朝鮮と台湾の差異を如実に表す「植民地遺産」である。






2008/05/08のBlog
[ 13:39 ]
[ 中国 ]
これも自費ものっぽいけど、著者は甲府市立図書館長などをした人らしい。定年後は歴史ものの執筆に余生を捧げている様で、元図書館長の正しいあり方ではないかとも思う。高杉晋作の上海行について、これが「新しい視点」なのかどうかは分からぬが、晋作が半植民地化された上海を実際に見て、「他山の石」としたことが、その後の攘夷開国、しいては維新、日清日露に繋がっていることは言うまでもない。それまでも、ロシアの脅威は認識されていた様だが、上海に出てみると、オランダという国が、英仏などに比べて、取るに足らない国であるとが分かって、これまでの「蘭学崇拝」を改めるきっかけにもなったのだという。その伏線として、外国との交易に一々、オランダに手数料を払わなくてはならないという不満もあったらしいが、後の岩倉使節団も晋作の上海行の成果を踏まえたものであろう。晋作の上海滞在は約二ヶ月とのことだが、著者は「留学」と「遊学」を混在して用いている。その滞在記録などを見ると「遊学」が正しい様にも見えるが、この時代に現在的意味での「留学」などありはしないので、本来の意味としての「留学」が適当かと思われる。いずれにしても、国家の未来を背負った「留学」というものが消えて久しい。晋作にとっても、それまでの藩意識から、日本人意識へと覚醒したきっかけになった上海行だった様だが、中国では日本人留学生の日本人意識の覚醒ということは今でもあるかもしれない。中国人留学生の長野での行動もその文脈で考えれば不思議ではないのだろうが、それが日本を「他山の石」としたものかどうかは不明だ。






[ 01:48 ]
[ フランス ]
忘れた頃に見つかる山川世界史リブレット。素敵な名前の著者は東大の先生で、フランス近世社会史が専攻なのだという。「女・子ども」ではなく、「男」が入っているのは、フェミニズム的アプローチに対する異議を表しているのかもしれないが、「女と男と子ども」だと全員になってしまうではないか。という疑問は、近代に「子ども」が発見されたという命題によって瓦解しよう。曰く「それまで子どもは存在しなかった、あったのは小さな大人であった」というのは有名なテーゼである。著者は当時の図に子どもが「子供服」を着ていないことを指摘しているのだが、子ども服の成立を以って「子ども」が発見されたとする説もあるらしい。その辺をテーマにした本も、その内、読むこととするが、あれは、この著者の本だったかな。しかし、このシリーズは色んな方面のガイドとなってくれるから助かる。






[ 00:16 ]
[ 東南アジア(複数国) ]
なんのひねりもないそのまんまのタイトルの文芸社本だが、ひねり過ぎの定年本よりは良いかもしらん。ちなみに前に自費出版したのは『静岡市周辺の山々』というタイトルだったらしい。私が現役の時代には、たまにヒッピー崩れの仙人系を見るくらいで、年金パッカーはあまり見かけなかったのだが、最近は結構多いらしく、その手の需要を当て込んだガイド本も幾つか散見される。もっとも、こちらは文芸社で本を出す余裕があるくらいの人だから、泊まる所も、まあまあの中級パッカー。1943年生まれなら、「前期高齢者」だし、旅先の国では「長老」と扱われて然るべきトシなのだろうが、本人の気分的にも、見た目も「おじさん」で通用するのだろう。ということで、「年の功」を感じさせる内容は特になく、その辺の素人が書いたものに相違はないのだけど、バングラデッシュは、まあまあ珍しいから良いか。当たり前だけど、マレーシアを除けば、インドネシア、ベトナムとボリボリに遭って、バングラでも文句ばかり書いているのだが、最後がバングラデシュ最高。人々は親切で笑顔がイイ。という結論になってるのはあれれ。まあ実際、その通りなのだろうけど、チッタゴン丘陵は挑戦してくれや。逆に最悪な評価がベトナムなのだが、まあコレは著者も覚悟していたところなので妥当なものだったのだろう。インドネシアもブータラ文句垂れてるのだが、バンドン会議に郷愁を感じ、ベトナム戦争はそうでもないというのは、ベトナムの時はサラリーマン生活に入っていたということなのだろうか。しかし、ハノイの女子大生のアンケートに、ベトナムは最悪の国とか書くなんて最低だな。貴女の様な美人にもっと早く会ってたら印象が変わったと言ったら、ニッコリされたなんて、ホントKYな爺さんだ。外人のジジイにこんなこと言われて喜ぶ日本の女性っている?




2008/05/07のBlog
[ 13:34 ]
[ 米国 ]
PHPの本は「PHP」と「PHP研究所」名義の二つがあるけど、何か違いがあるのだろうか。青木直人は前の「PHP研究所」から出したヤツでは、松下批判を書いて、逆に松下の度量の広さを示した形になっていたけど、今回はアメリカが本題ということで、お得意のキッシンジャー一派攻撃。コカコーラとかGMがそれに入るらしいが、当然、中国絡みのお話で、実際は中国に始って中国に終わる。この著者の経歴もよく分からんところがあるのだが、同じく経歴不明な鳥居民同様、その原点は70年代中国にありそうだ。著者の場合、キッシンジャーと周恩来の会談で日本が差別的に言われたことに対する怨念みたいなものも感じるのだが、NHKの再現ドラマのは超訳だったのだろうか。それにもまして気になったのは新書風の口述筆記の文体。PHP新書は王敏とか毒抜きした宮正を出しているが、PHPは新書では反中国しないという決まりでもあるのだろうか。それにしても、中越戦争は華僑を取り込む為に起こしたものなのだそうだが、北朝鮮の華僑の影響力ってそんなにあるもんなのかな。周恩来が、居住国の不信感を拭うために華僑に帰化を促す方向に転じた政策は今も有効の様だけど、その代わりの実働部隊として留学生を使えたのは計算外のことだったのかもしれない。また、最近のカルフール問題など見てると、反日デモの際、反政府と民族系小売業者の権益保護の両側面を指摘した、著者の見方が正しい様にも思えるのだが、これも計算外のことかもね。




[ 02:53 ]
[ 中国 ]
主体がどこなのかよく分からんのだが、とりあえず日中合作の論文集。別に関が日本代表、朱が中国代表という訳ではなかろうが、関を含めた日本勢は最後に日本のケースと比較して結論としている。この辺は統一されたフォーマットなのだろう。朱は中国側に向けて書くとか言って、共産党は自民党の利益集団政治に学べなどとしている。政府の公式見解の方は、清華の大将胡鞍鋼が書いてくれているので、仕事が減ったのかもしれん。日本勢のエースは丸川知雄だろうが、主将の関の十八番である「新自由主義」vs「新左派」もよくまとまっていて分かりやすい。後はは税制、銀行、株式、三農、不動産といったところで、特に目新しいものはないのだが、その中で面白かったのは、藤村幸義の「教育産業」と、尾崎春生の「医療改革」。教育産業では、卒業証書問題から暴動が起きたなどと伝えられている「独立学院」について論じており、その背景がよく分からなかったこともあり、「勉強」になった。大学が系列校を作ることは、日本でもよくある話なのだが、あちらは構内に金儲けの為に、別の大学を作ってしまうという乱暴な話。前に西安に大学が100校あるという話を聞いて驚いたが、こういうからくりなのだろうか。医療改革についても、偽薬の話が韓国公使事件などもあって伝わってくるが、病院経営が薬でもっていることは何処も同じ。クスリが買えなくて死ぬか、クスリ漬けで死ぬか究極の選択ではある。








[ 00:22 ]
[ ネパール ]
別に明石の「知るための」の亜流ではなく、ネパール人留学生が書いたというエッセイみたいなものなのだが、その昔、弘文堂から「もっと知りたい」が出ていたことを思い出した。明石が弘文堂の亜流なのだが、こちらの本は「プロデュース」として日本人二人と、「編集協力」という人の名前もクレジットされている。留学生が書いた日本語を分かりやすく構成し直したというものらしい。ということで、別にとりたてて面白いことが書いてある訳ではないのだが、著者のゼミ教だったという構成者は、友達がトラに食われたという話に期するところがあった様だ。ネパールも毛派が与党になって、王政廃止なんていうエラい局面を迎えているのだが、著者のお兄さんは毛派になけなしのカネで買ったトラックを積荷ごと燃やされてしまったということで、批判的ではある。そもそも例の宮廷クーデター事件が元凶だと見ていて、ギャネンドラ現国王や毛派に懐疑的なのも、ネパール人の大方の見方と一致しているのだろう。それでも毛派が政権をとったということは、農村地帯に支持があったのか、それとも恐怖があったのか。いずれにしても、その本質が貧困問題にあることには違いない。また、日本で初めて満員電車に乗ったとき、ネパールのバスと同じだと思ったが、いざ乗ってみればエアコンもついていて快適だったという感想は面白い。外国人には極めて不評な通勤電車だが、実際は中国人とかは、屁とも思ってないんじゃないかな。さて、北海道でネパール人が嫁と娘を殺したなんて事件があった様だが、彼の地での家族制度の事情には、かなり頁数を割いているので参考になるかも。




2008/05/06のBlog
[ 13:49 ]
[ カリブ(複数国) ]
タイトルは平々凡々なのだが、この研究対象の「スラム」はフィリピンとかインドとかブラジルといった「メジャー・スラム」ではなく、ドミニカ、ガイアナ、トリニダード。ドミ共本でさえ数少ないのに、こちらはドミ国だ。これぞ研究界のニッチだが、著者は毎年の様にドミ国の調査に出かけているという。全くうらやましい。ドミ国の人口は約7万ということで、首都のロゾーも田舎町だと思うのだが、「不法占拠地」という形でスラムが形成されているという。ジャマイカとかハイチみたいにそれなりの人口と都市を抱えていれば、そうした問題も表沙汰になるのだが、この辺の小島国は独立していても、旧宗主国の恩恵がまだ何がしかあって、人口も少ないから土地も余って、まあまあの生活水準かと勝手に思っていた。所得水準では「中進国」と位置づけられているらしいが、実際には「小さなジャマイカ」みたいなものだろう。石油があってインド人がいるトリニダードや、ガイアナでは商業基盤がしっかりしてそうだが、貧困やスラムはそれに伴うものであろう。ガイアナで犯罪が多発していることも裏付けられてしまったが、人種的要因というのは、やはりあるのだろうか。その点、ドミ国のカリブ人の存在も気になるのだ、ここでは言及が無い。著者がドミ国の社会的発展を阻害している理由に宗教を挙げていることは興味深い。衣食住足りて、金銭的余裕がある者たちが道楽として宗教をやるのは結構だが、そうでない者を宗教心で縛り付けるのは搾取であろう。宗教団体が海外に出て貧困層を対象としたボランティアをやるのも免罪符に過ぎないのだが、その詭弁も批判されている。「怠惰」という概念も、その実、キリスト教がもたらしたものではなかろうか。神ではなくて、現実と向き合わなくてはならない。






[ 00:25 ]
[ インド ]
日刊工業新聞のB&Tブックスっていうヤツらしい。著者は御馴染み島田卓だが、取材は日刊工業新聞の方でやったのだろう。ということで、トヨタの提灯本みたいなものだが、トヨタ関係者二人が「取材協力者」としてクレジットされている。しかし、トヨタが世界が血眼になっている中国とインドという「巨大市場」にあまり手をつけてこなかったは、戦略的に失敗だったのだろうか。先が不透明な段階では本格的には動かないというのは、トヨタくらいの会社になれば、賢明な選択だと思うし、他で儲かっているのなら、無理して出て行くこともないだろう。お陰で、中国では、散々イヤミを言われて、お荷物国営企業とかを押しつけられたりもしたのだが、インドでも、タタの独占時代にトラックにだけ手をつけたそうだが、変な金融会社と組まされたせいで、1台売るのに、15万円も赤字を出し続けていたのだという。そんなことで「世界のトヨタ」はびくともしないのは言うまでもないのだが、その合弁解消に島田は立ち会ったそうだ。こういう儀式は私も何度かしたことがあるのだが、何となく気まずい感じになるのはよく分かる。それで、インドの「改革開放」が始ってから、トヨタが再び進出して、ディーラー網も立ち上げる話になるのだが、宝石屋と酒屋が手を上げたというのも、ありそうな話だ。インド人と対等に渡り合えるようになったら、日本人も国際化したということと言ったのは、谷野作太郎だそうだが、それがインド人であって、中国人でないところがミソだろう。同じ仁義無き戦いでも、ルールもレフェリーも機能するのがインドというフィールドということか。




[ 00:05 ]
[ 米国 ]
ほとんどパターン化した「疑問系」の新書なのだが、タイトルの話は最初の20ページ超で、さっさと片付けて、後はこの著者のお門である「ベースボール史」のダイジェスト。しかし、実際に観にいったことはないので分からんが、ホントに観客が皆、あの歌を合唱しているのだろうか。日本のプロ野球で「君が代」斉唱とかやったら、韓国人選手とかは怒って退場しそうなもんだが、さすがに「大リーグ」は元祖だけあって、外国人選手がワンサといるのに、そういう問題は起きないか。もっとも、国歌が「近隣国」のみならず、自国民からも拒否されるということ自体が、世界的にも異例な話ではあるのだが。で、この著者は、このテーマ一筋ウン十年というお方だけあって、かの国は大変敬意を抱いている様だ。アメリカ野球学会という所の会員でもあるらしいのだが、野球の元祖研究が最近のライフワークであることは、前著でも確認済。タウンボールやストゥールボールについては、何度も文章にしているのだろう。解説にも慣れた感じがした。他のボールゲームの得点が、ボールを主体としているのに、野球はなぜ、走者が主体なのかというのも面白い疑問である。とはいえ、海を越えたイギリス人がホームに帰って来るから得点になるという説は、それほど感心するものでもない。著者としては「元祖」に敬意を表してのことだろうが。



