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2008/05/18のBlog
[ 02:28 ]
[ イスラエル・ユダヤ ]
すっかり、新書の定番になってしまった「ジョーク集」だが、最近はどれだけツマランかを確認する為に読んでいる感じ。タイトルに「爆笑」とかつけるのもなんだが、ユダヤだからって、こんなタイトルにしてしまうのも、「ユダヤ商法」なのだろう。「反朝日本」は見掛け倒しだったが、オリコン裁判の人なら、まあマシなものを書くかなと思ったら、これは別人だった。もっとも、英語本とかユダヤ本とかを出しているこの著者の方が著作は多いみたいなので、世間的にはこちらの方が知られているのかもしれん。親戚なのか分からんが、この苗字って地方によっては珍しくもないのだろうか。とりあえず、読んで頭がよくなることは、まずないと思うが、ネタのジョークは著者の下に、メールで続々と送られてくるのだという。たしかに「電子メール」の黎明期に、チェーン・メールよろしく、つまらんジョークが英文で転送されてきたことがよくあったのだが、これだけスパムが蔓延する時代になっては、何か懐かしくも思える。さすがに、著者みたいに「世界をマタに駆けるビジネスマン」をしている訳ではないので、センスのかけらもない東洋人と思われても、無理してジョークを実践したいなどとは思わない。最後に虎の巻などがあるのだが、ひたすら暗記して、その機会が来たらよどみなく言えるようにするのだそうだ。ジョークって暗記するものだったのか。




[ 00:33 ]
[ ミクロネシア ]
この染木煦という人は全く知らなかったのだが、画家で民俗学者としても活躍した人らしい。前に読んだ「南洋の和製ゴーギャン」たちを扱った本にその名前が出ていたのかもしれないが、その企画展に展示するために、遺族がアトリエを整理したところ、この日記が出てきたのだという。版元の求龍堂は美術出版の老舗らしい。戦前戦中は画家として暮らしていた様だが、さすがに戦後は長く私立校で美術教師をしたそうだ。定年後になってから木版画などを手掛け、七十を過ぎてからシルクロードを旅したりして、昭和天皇の前年に生まれ、前年に亡くなった人とのこと。その作品を見るとかなり現代風なのだが、当時の風貌もイマ風な感じ。昭和のこの時代、アーティストにとっては、満洲より南洋の方が魅力的ではあったのだろう。肝心の日記の方は、まあ史料としては貴重なものといったところ。チャモロ人よりカナカ人の方がずる賢いか。実際にどうだったのかは分からんが、モデルの女性に性的魅力を感じた様な記述は見られない。




2008/05/17のBlog
[ 10:46 ]
[ イタリア ]
新潮の「とんぼの本」。澁澤龍彦ブランドは死後10年経っても、なお健在の様で、澁澤がイタリアに旅行した時のスナップ写真に街のガイドを付け加えたもの。澁澤龍子という人は奥さんだが、元「芸術新潮」編集者で、小川煕という人も「芸術新潮」編集部出身の当時イタリア在住というお方らしい。澁澤の奥さんが「澁澤龍子」なんて名前だとは知らなかったが、旧姓名が前川龍子で、エッセイストなのだとか。澁澤一族である澁澤龍彦の本名は「龍雄」。龍子さんとは再婚だそうだが、澁澤クラスの人が名前の受けを狙って結婚したことはないだろう。その新婚旅行でヨーロッパに行ったときは三島由紀夫も羽田に見送りに来たのだとか。澁澤の場合、メシの種がヨーロッパだから当然なのだが、この時代は海外旅行といえばヨーロッパだったのだろう。海外旅行が大衆化した現在でもそれほど事情が変わっている訳ではないが。この旅のスポンサーが新潮だったのかどうかは分からんが、その日記は没後に河出から出たらしい。若き日の塩野七生にも現地で会っているそうだが、澁澤の直筆日記なども公開されている。その字がなんというか、今の若い子が書くような字体だったので、意外な気もした。




[ 01:53 ]
[ 中国 ]
井出孫六も懐かしい名前だ。1931年生まれというから、まだまだ現役で、著書もコンスタントに出している様だ。それにしても丸岡秀子や井出一太郎とは随分、トシが離れているな。造り酒屋が実家だそうだが、田舎では酒屋は豪商というのが相場であろう。ということで、秩父困民党も、満蒙開拓団も、本人の実感としてはない話なのだと思うのだが、逆にそのことが尾を引きずっているのかもしれない。『終わりなき旅』も、地元長野の開拓団の話が中心だった様な気がする。別に「新版」でも「続編」でもないのだろうが、例の裁判の話が後半にちょっとある以外は、あまり変わっていない内容ではなかろうか。「中国残留孤児」も最近は「真実」が語られる様になっているから、捨てられた日本人の子どもを我が子同然に育てた中国人の度量といった中共の宣伝は有名無実になってしまったのだが、「日中友好」に依拠した初期の「運動」をしていた人はそう簡単に「転向」する訳にはいかないだろう。それにしても、長崎国旗事件を今頃痛烈に批判されると、時代錯誤の感は否めない。しかし、あれから半世紀経って、地元長野に埋め尽くされた五星紅旗に著者は何を思ったのだろうか。






2008/05/16のBlog
[ 23:30 ]
[ 米国 ]
ちょっと前に話題になった本。なるほど、たしかにこれはアメリカ版「バナナと日本人」だ。かの国でも、児童労働の問題で、ナイキとかウォルマートが糾弾されて久しいから、こういう本も出るべくして出て、称賛されるべくして称賛されたというところだろう。その「手段」はTシャツだけでなく、ゆりかごからロケットまで、ありとあらゆる製品でのアプローチが可能かと思うが、アメリカから中国を往復してアフリカに辿りつく旅が、ポスト共産主義運動としての反グローバリゼーションに対する反証になっている様に思える。中国の「女工哀史」やアフリカの「白人のお古」といった、定型的な批判からは距離を置いたというか、反論する形でグローバリゼーションの動きを捉えているのは、著者がそれでも自由主義経済を信奉している証左にもなろう。その辺は「バナナ」や「エビ」の日本人とアメリカ人の違うところである。おそらくは、そうした観点からの批判も出ているかと思うが、チャイナタウンのスウェット工場や、国内で古着に頼る生活をしている貧困層など、アメリカ国内で完結する「Tシャツ」の行方は興味の対象外となっている。もっとも、この本がアメリカで話題になったのも、グローバリゼーションというものを対象にしたからであって、わざわざ中国やアフリカに行かなくても、アメリカに中国やアフリカがあることは自明のことだったのかもしれない。アメリカの高賃金も中国の低賃金と同じく、産業の空洞化を招いているという説明は秀逸だが、日本の中古輸出がもたらす第三世界の雇用についてもちょっと考えさせられる。






[ 21:19 ]
[ 中国 ]
著者は小林亜星の次男。カリスマ塾講師だそうで、「国語の神様」の異名を持つのだという。元俳優とのこだが、亜星の息子だから、別に生活の為のバイトが本業になったという訳ではないのだろう。むしろ七光り的に見られることに嫌気がさしたのかもしれない。今回、彩図社から出すのも、自分の意思で動いたからなのだろうか。「本当は怖ろしい」ものはグリム童話のヤツが当たってから、その系譜が出来ていると思うのだが、身近なものに対する考えを改めさせると言う意味では、漢字はその最たるものなのかもしれない。「怖ろしい」話は前半だけで後半は「奥深い」話となるのだが、嫌韓ものに進出した彩図社が反中ものも窺っていたのかも。ここに書かれている起源がマユツバなのかどうかは阿辻先生にでも聞かないと分からないが、たしかに身の毛がよだつ様なことが多く書かれている。受験勉強にも息抜きにもならんだろうが、弾をダンと読むのは弓を弾く音が「ダン」だからだとか、参考にはなった。ニセモノ商品で責められている中国が半ば冗談で「漢字の著作権を主張する」なんてことを言ったりしているのだが、そんなことになったら、亜星も息子を守りきれんだろうな。






[ 02:38 ]
[ カザフスタン ]
前に「初代大使の見たカザフスタン」ってヤツを読んだが、こちらは前大使のヤツらしい。この人もカザフスタン大使で上がりとなって、天下りの身らしいが、退官記念ものとしては意外に良い出来の部類ではなかろうか。宮仕えではなくなった気軽さからか、割と自由な記述が目立つ。中身的には王道で、地理、歴史、文化、政治、経済、地方、国際、そして対日と通り一辺倒ではあるのだが、本題から外れることは「蛇足ながら」で繋いでいて、この辺は好感が持てる。ギリシャ系が5000人もいて、ギリシャ大使館のレセプションに駆り出されたりしてたなんてことは、あまり知る余地もないことなのだが、そうした知られざる多民族国家の言語事情などは参考になった。この件に関しては、BSの小池A子が出てる世界のテレビを紹介する番組でも確認したことなのだが、若い人の間ではカザフ人同士でもロシア語会話が普通らしい。歴史的にも台湾の「国語」に近い事情なのだが、非カザフ、非ロシア系も少なくないということが、共通語としてのロシア語の地位が揺らがない要因になっている様だ。とはいえ、スラブ系住民の地盤低下は著しく、下層階級を形成しているというのは何か意外な気もする。ソルジェニーツィンとジリノフスキーが共にカザフ北部のロシア編入を訴えているというのも意外だが、カザフ・ナショナリズムに依拠した国民国家建設は国の崩壊を招くものであるのだろう。また、大使館アスタナ移転話なども興味深いが、国際関係もかなり整理できる。しかし、上海協力機構の「上海精神」の「翻訳」には笑った。まあこういう国際規約は現場では「翻訳」して読むものだろう。水谷尚子さんの本にも依拠している箇所があったりするのだが、大使館は在カザフ・ウィグル人組織と何か接触があったのかな。かなり同情的なので、それはそれで結構なことなのだが。








[ 00:26 ]
[ イギリス ]
アダム・スミスというと「国富論」ということで、もっぱら経済学者というイメージで、「国富論」がそうである様に、今日の経済学の祖であるのだが、それまでの「国富論」以前の「経済学」がない時代に、この人は何をしていたんだろうということは、あまり考えたことがなかった。アダム・スミスの著作はわずか2つしかなく、一つは経済学の嚆矢であり、もう一つは倫理学の本だという。つまりアダム・スミスは大学で倫理学を教えていたということなのだが、その著作が『道徳的感情論』というものらしい。その二つの著作を解説というか、読み下してくれる有難い新書なのだが、著者は経済学の先生であって、なんでも定年退職後に門下生となった院生から、武藤山治はアダム・スミスの思想に影響されているのではないかという指摘を受け、そのヒントとして、思想面からみたアダム・スミスの入門書を執筆することにしたのだという。大昔に『国富論』は訳分からんまま読んだ記憶はあるのだが、この『道徳的感情論』はたしかに全く別ジャンルの本である様だ。今日の経済学徒にとって『国富論』は未だ必携だろうが、『道徳的感情論』を読んでいる人はそうはいないだろう。倫理学という学問が今でも健在かどうかも不明なのだが、その道で古典と称されるものでもないかと思う。ただ、こうやって内容を追っていくと、やはり『国富論』よりは頭に入ってくる。こちらの方が現代社会にも通用する概念の様な気がするのだが、どうだろうか。








2008/05/15のBlog
[ 11:18 ]
[ 米国 ]
これもよく分からん本なのだが、ガリバープロダクツというのは広島地場の出版社で、著者は広島県医師会会長というお方なのらしい。この版元から何冊も著書を出しているらしく「ガリバーBOOKS 碓井静照 ベストヒットシリーズ」と銘打って、巻末にズラッとタイトルが並んでいる。もしかしたら広島では知らぬ者がいない有名人なのかもしれない。広島の日野原か養老かといったところなのだろうか。その「ベストヒット・ヒロシマ」は、専門の核戦争防止から、宮本武蔵、徐福、宮島とレパートリーがある様だが、これは在米被爆者の健康診断で米国に赴いた時にしたためたものをまとめたものらしい。カバーは野球場のスタンドの風景になっているのだが、イチローを観にいったなんて話は全くなく、ブラジル移民とか、モンゴル不思議旅とか、不老長寿考とかのごった煮。著者自身の被爆体験も入ってるが、こういうのが定番のスタイルなのかもしれない。しかし、ブラジルの日本人移民がオーストラリア移民の下で多く働いたとか、親戚がサントス開拓の為チリに移民したという話は何か違うような気もするのだが、大先生に間違いはないか。




[ 10:46 ]
[ 中国 ]
著者は「日本政策投資銀行調査部課長」という肩書きの人らしい。この銀行は日本開発銀行を継いだ特法なのだが、食糧確保は政策投資に当たるのだろうか。在中日系企業への融資などをしているのかも分からないが、書かれているのは、日系企業が中国で行っている食品工業投資について。どこで何社が何を作ってるなんてことがズラッと並べられていて、この本の狙いは中国食品告発ではなく、どちらかというと中国食品不安払拭が狙いとしてある様だ。人民日報や朝日が宣伝する通り、危険物は元々日本企業が持ち込んだもので、中国食品の安全度は他の国より高く、高い輸出検疫があるので、国内産よりむしろ安全としている。この辺は「政策的」なものがあるのだろうが、中国の食品を責めるより、日本の食料自給率が低いという本質的な問題を考えなくてはならないというオーソドックスな見方。とはいえ、実際問題として犠牲者が出ている訳だし、当の中国人が一番、自国の食品を危険視しているのは周知の通り。ではどうしたら良いかということで、調査報告よろしくデータをズラッと並べた後の提言が、どっかの腐れ医者が書いた様な健康食生活の話になってしまう。お堅い役人みたいなそれまでのトーンと違うので戸惑うのだが、1日1.5食で玄米食にすれば健康に生きられるのだという。肉は一ヶ月に一度くらい外で高級肉を味わうくらいにして、後は粗食が良いのだそうだ。しかし、この著者は中国でも調査したんだろうが、果たしてそんな食生活をあちらでも送れたのだろうか。






[ 10:23 ]
[ フランス ]
中公新書のカラー版。定価1千円か。紙質は良いと思う。写真もキレイだが、これは著者の人が撮ったものらしい。なんでも20年以上もヨーロッパ各地のロマネスク教会を調査しているという「ロマネスク信者」ということで、なるほど力が入っている。とはいえ、私の様な「不信心者」はカラー版ということで救われた次第。説明も的を射たものなのだと思うのだが、どうも頭にスッキリ入ってこない。おそらく日本人のヨーロッパ好きの人は、こういうものに異国情緒を感じるのだと思うのだが、罰当たり者にはどうもその有難さが分からないといったところ。しかし、こうした趣味の東洋人は、欧州の人間にとってどういう位置づけになるのだろうか。自分たちの文化を認める外国人か、それとも野蛮な文化から抜け出た文明人か、同じ神を信じる同志か。いや、キリスト教にも、ヨーロッパ文明にも興味はないんですが、ちょっとばかり建築に興味がありましてなんて言ったら、失望するのかな。






2008/05/14のBlog
[ 14:16 ]
[ イギリス ]
「フェミニズム的転回叢書」というヤツらしい。この現代書館コードの白澤社は高金素梅にまんまと引っかかったゴミ本と、旧ユーゴ・ジェンダーの良書という(私的に)相反する本を出したトコなんだが、書館の子会社かんなんかだろうか。同じ傾向ものでも書館の方はは、たしかに男臭い雰囲気があるから、女性陣でフェミ系の子会社を作ったという訳ではないんだろうが、明石のフェミものみたいに粗製濫造しないだろうから、まあ期待したい。ということで、これも女性博論ものなのだが、公立中学教諭から英国留学という著者にとっては、身近な研究テーマなのかもしれない。あちらのフェミ研では御馴染みの話なのかもしれないが、たしかに、この件に関する日本語のテキストはあまりなさそう。今回、博論を大幅に加筆修正したとのことで、大変読みやすいことは読みやすいのだが、フェミニズムの発祥地としてのイギリスのフェミ史が先に展開されていて、女教師だけに絞った方が良かった様な気もした。植民地と帝国女性という構図は、日本の例と重なるところも多々あるのだが、版元の思惑とは別にそうしたものとは距離を置いている様にも感じた。むしろ、元中学教師だった著者にとって、比較対照となるのは現場の話であって、女子高の男性教諭とか、家庭科男女必修とか、2分の1の法則などといったテーマと離れた現実的問題をコラムの形でぶちまけている。読者となる女性教師諸君は著者のメッセージに感ずるところがあるかと思うが、タダの野郎読者の私が興味を持ったのは、1920年代のイギリス女子教育の現場でも、当時の日本のソレ同様「エス」が蔓延していたということ。今でも男女7歳にしてなんてやってるイスラーム国家とかでは、そんな問題が起きているのかな。それはそれで十分微笑ましい気もするのだが。





