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2008/05/20のBlog
[ 02:38 ]
[ ロシア ]
「自伝」なのに別の人の名前があるのは聞き書きだから。聞き書きしている人はカラシニコフの娘の友人だそうで、モスクワ生まれのパリ在住の作家だそうだが、ロシア人なのかフランス人なのかは不明。ということで原書はフランス語なのだが、2003年のものらしい。朝日の連載がコレを参考したのかどうか分からんが、ヒントはこの本だったのかもしれない。自前の出版が終わったから、新書で出したのだろう。何よりもカラシニコフが存命であるという事実が最大の見せ場であった訳だから。もっとも、この本を読むと、カラシニコフが健在であることも、財団を作ってることも、現役の技師であることも、世界的には知られた事実であることが分かる。「カラシニコフ」の知名度及び注目度は、「平和ボケ」の国と「世界」では違うものだろう。カラシニコフに責任を負わすのは、靖国の刀匠に責任を負わすのと同様、無意味なものであるが、問題提起を装った松本仁一と李纓に比べて、この聞き書きの人は誠実だと言えると思う。それは娘の友人であり、言語の障壁がなかったことも理由だろうが、当人の半生が生き生きと綴られていて面白い。エリツィンやゴルバチョフに批判的なのは、この時代の「ソ連人」らしいし、プーチンについて特に言及がないのも、また「ソ連的」な処世術である様に感じた。






[ 00:01 ]
[ 中国 ]
この人も、もう帰化済らしいが、いつものSAPIO路線。まあ色々考えさせてくれるのは確かなのだけど、中国の政策として「反日」の後は「親日」の波が来るというのは、とりあえずご明答であった。ちょうど地震もあったし、これでオリンピックを乗り切ったら、「反日」のガス抜きをしてくるのだろう。例のソウル聖火騒ぎでも分かったのだが、朝鮮族のナショナリズムも歪な形で現れてくることがある。張景子とは月とスッポンみたいになってしまったが、著者に言わせれば、張景子も共産党に従っているフリをしているということなのだろう。昔、日本僑報社から著作を出したこともあるそうだが、中国で認められない「言論の自由」に対して、よりラジカルな挑戦を行うことが、深い満足を得ることに繋がっている様な気もする。それは来日して覚醒したというよりも、生まれ育った国に対するトラウマを払拭せんとする行為にも思える。確証はないが、瀋陽で生まれ育ったとしたら、「親日派」の子孫であろう。親の世代は毛沢東も金日成も冷ややかにみていたのではなかろうか。著者の世代の朝鮮族は「漢族」を他者とするなら、先進資本主義国家の「日本」はその道具としてアイデンティティの一部に成り得たのかもしれない。






2008/05/19のBlog
[ 12:57 ]
[ イギリス ]
副題に「イギリス十八世紀から十九世紀へ」とある。これで何をテーマにしたものかは想像がつくのだが、出版ビジネスの黎明期を知るには良いテキストかもしれない。出版が業としてして成立するには、読者という裏づけがなくてはならないのだが、それまで「ペイトロン」の存在なくしては出版が適わなかった作家たちが、一般市民の識字率や教養の高まりにより「読者」が台頭し、版権が財産という価値を生むという時代に突入したのである。もっとも作家を保護する著作権はまだ後の話で、版権が第一次的価値を持っているのは現在でもあまり変わらない事情である。この本で取り上げられている『奔放なアイルランド娘』の様な作品が登場したのも、受けてである「読者」の変化が、書き手にも出版社にも変化をもたらしたと言えるのだろう。こんなブログは書き手や出版社にとって迷惑なものなのだろうが、時には読者のチャチャ入れも必要ではなかろうか。巷に溢れるシャンシャン「書評」大会ばかりでは出し手側にも新しいものが生まれないということである。






[ 03:00 ]
[ キューバ ]
長野の農業大学校勤務という著者は、これまで農業分野でのキューバ礼賛本を2冊出している人らしい。「サトウキビ刈り」のOBかどうかは分からぬが、色々と批判があったのだろう。独裁体制の国のデータなど信用できないと言われることをかなり気にしている様だ。その点、医療は農業よりも、世界的評価が確立している分野であることは事実。元々、ラテン・アメリカでは医療といえばキューバというイメージがあったのだが、最近はマラドーナとか、アメリカの医療体制を批判したマイケルムーアの映画などもあって、それが世界的にも知られる様にはなった。パキスタン地震とかインドネシア津波の災害にまで、医療団を派遣しているとは知らなかった。なんでも女性医師が多い為に、女性患者に対するケアができてイスラム圏では歓迎されているのだという。当然、この取材もキューバ大使館のアレンジではあるのだが、政府がわざわざ日本で宣伝する必要性は高くはないので、未だに数多く存在する「キューバ・ファン」に支えられての出版なのだろう。ソ連、中国、北朝鮮、ベトナムと日本の「近隣社会主義国」は崩壊したり、変節したり、堕落したりで、日本の純粋左翼の行き場がすっかりなくなってしまったのだが、南米の左旋回などをみてると、今や「社会主義の祖国」の座はキューバであると言って過言ではなかろう。その看板が「医療」にあることは、「帝国」に対する優位性を主張する上でも重要なことなのだが、実質、ドル経済が支配することになった社会においては、ソ連末期や一昔前の中国で起きた様な、医者の月給はタクシー運転手の日給に及ばないという現象も生じているらしい。医師免許の壁はあるが、医師という職業も、スポーツ選手や音楽家同様、亡命すれば何十倍も稼げる仕事なのではあろう。そうした誘惑の防波堤になっているのが、医師としての自尊心や愛国心だとは思えないのだが、日本の勤務医の様な過重労働とは無縁で、キューバという社会で生きていくには安定した生活を保障されているということなのだろう。データが信用できるかどうかは別としても、その収支がどうなっているかは、やはり不明である。代替治療にも力を入れているらしいが、説明がつくのは人件費くらいか。






[ 00:23 ]
[ 米国 ]
このシリーズで米本土が登場するとは意表をつかされるのだが、明石、五月、第三、彩流とその筋で本を出してきた著者が現在住んでいるところということで、人物本位の企画ものかもしれん。その路線から外れた芙蓉出版から出た、日系兵士の本は読んだ記憶があるのだが、彩流から出た『大きな女の存在証明』という本は気になるな。なぜか愛車と共に写っている近影をみると、たしかに著者は日本人女性としては大柄な感じだが、アメリカに行ったことと、米人と結婚したことが、それと関係あるのかは分からん。「大女」もまたマイノリティーなのだろうが、そのこと自体は、ここで書かれている黒人や先住民と連帯できる性質のものでもないだろう。この地域は色んな有名人を輩出しているのだが、高文研的にはエメット・ティルや「アル・カポーン」がヒーローで、ロナルド・レーガンにはそっけない感じ。「左翼のメッカ」とか「モルモン教」の話はあるのだが、「シカゴ学派」の話は無しか。アーミッシュはこの辺にも住んでるそうで、アーミッシュの家でランチを食べるツアーなんてものもあるそうだ。しかし、アメリカとカナダにしかいないと書いているが、パラグアイ、ボリビア、メキシコ、ベリーズにもコミュニティがあったはず。締めは「キャンプ・エリス」で、自分はアメリカ人でないことを確認か。靖国とか皇居に行ったら自分は日本人だと確認できるのかな。




2008/05/18のBlog
[ 13:04 ]
[ 中南米(複数国) ]
この須藤元気という人はその世界では大変有名な人らしい。格闘家は引退したとのことだが、作家としてベストセラーも出しているそうで、猪木や大山倍達の本が売れたのとは訳が違うのだろう。現役時代から体育会系とは違った魅力を放っていたのだろう。私は最近の格闘ものには疎いのだが、旅行記としては文芸社の素人以上のレベルはあるのだろう。専業作家の「お仕事」旅行記でもこのくらいなものは幾らでもある。チェ・ゲバラがこの方面の人にもリスペクトされていることは想像に難くないのだが、革命をやりに行った訳ではその息吹を感じに行ったのだという。そのくせ、キューバは情けない理由で端折ってるのだが、ベネズエラも行ったし、メキシコのトロツキー博物館にも顔を出した様だ。ゲバラよろしく旅の道連れに「ニート」の人を連れて行ったそうだが、実際は通訳も編集者もカメラも付いていったんじゃないかな。著者の体格が格闘家のソレかどうか分からぬが、「チーノ」口撃ではなく、ジロジロ見られたのだという。ペルーとベネズエラのことであろうが、やはり連中は強そうな相手には口出しできない臆病者だったか。それでもカラカスの空港では「人種差別」に遭ったとのことで、さすがは東洋人差別世界一を争うチェべスの国だけある。まああんな国に行けば、チリの人間は神様に見えることだろう。しかし、なんでボリビアとグアテマラを外したのかな。編集部の都合かしら。




[ 02:28 ]
[ イスラエル・ユダヤ ]
すっかり、新書の定番になってしまった「ジョーク集」だが、最近はどれだけツマランかを確認する為に読んでいる感じ。タイトルに「爆笑」とかつけるのもなんだが、ユダヤだからって、こんなタイトルにしてしまうのも、「ユダヤ商法」なのだろう。「反朝日本」は見掛け倒しだったが、オリコン裁判の人なら、まあマシなものを書くかなと思ったら、これは別人だった。もっとも、英語本とかユダヤ本とかを出しているこの著者の方が著作は多いみたいなので、世間的にはこちらの方が知られているのかもしれん。親戚なのか分からんが、この苗字って地方によっては珍しくもないのだろうか。とりあえず、読んで頭がよくなることは、まずないと思うが、ネタのジョークは著者の下に、メールで続々と送られてくるのだという。たしかに「電子メール」の黎明期に、チェーン・メールよろしく、つまらんジョークが英文で転送されてきたことがよくあったのだが、これだけスパムが蔓延する時代になっては、何か懐かしくも思える。さすがに、著者みたいに「世界をマタに駆けるビジネスマン」をしている訳ではないので、センスのかけらもない東洋人と思われても、無理してジョークを実践したいなどとは思わない。最後に虎の巻などがあるのだが、ひたすら暗記して、その機会が来たらよどみなく言えるようにするのだそうだ。ジョークって暗記するものだったのか。




[ 00:33 ]
[ ミクロネシア ]
この染木煦という人は全く知らなかったのだが、画家で民俗学者としても活躍した人らしい。前に読んだ「南洋の和製ゴーギャン」たちを扱った本にその名前が出ていたのかもしれないが、その企画展に展示するために、遺族がアトリエを整理したところ、この日記が出てきたのだという。版元の求龍堂は美術出版の老舗らしい。戦前戦中は画家として暮らしていた様だが、さすがに戦後は長く私立校で美術教師をしたそうだ。定年後になってから木版画などを手掛け、七十を過ぎてからシルクロードを旅したりして、昭和天皇の前年に生まれ、前年に亡くなった人とのこと。その作品を見るとかなり現代風なのだが、当時の風貌もイマ風な感じ。昭和のこの時代、アーティストにとっては、満洲より南洋の方が魅力的ではあったのだろう。肝心の日記の方は、まあ史料としては貴重なものといったところ。チャモロ人よりカナカ人の方がずる賢いか。実際にどうだったのかは分からんが、モデルの女性に性的魅力を感じた様な記述は見られない。




2008/05/17のBlog
[ 10:46 ]
[ イタリア ]
新潮の「とんぼの本」。澁澤龍彦ブランドは死後10年経っても、なお健在の様で、澁澤がイタリアに旅行した時のスナップ写真に街のガイドを付け加えたもの。澁澤龍子という人は奥さんだが、元「芸術新潮」編集者で、小川煕という人も「芸術新潮」編集部出身の当時イタリア在住というお方らしい。澁澤の奥さんが「澁澤龍子」なんて名前だとは知らなかったが、旧姓名が前川龍子で、エッセイストなのだとか。澁澤一族である澁澤龍彦の本名は「龍雄」。龍子さんとは再婚だそうだが、澁澤クラスの人が名前の受けを狙って結婚したことはないだろう。その新婚旅行でヨーロッパに行ったときは三島由紀夫も羽田に見送りに来たのだとか。澁澤の場合、メシの種がヨーロッパだから当然なのだが、この時代は海外旅行といえばヨーロッパだったのだろう。海外旅行が大衆化した現在でもそれほど事情が変わっている訳ではないが。この旅のスポンサーが新潮だったのかどうかは分からんが、その日記は没後に河出から出たらしい。若き日の塩野七生にも現地で会っているそうだが、澁澤の直筆日記なども公開されている。その字がなんというか、今の若い子が書くような字体だったので、意外な気もした。




[ 01:53 ]
[ 中国 ]
井出孫六も懐かしい名前だ。1931年生まれというから、まだまだ現役で、著書もコンスタントに出している様だ。それにしても丸岡秀子や井出一太郎とは随分、トシが離れているな。造り酒屋が実家だそうだが、田舎では酒屋は豪商というのが相場であろう。ということで、秩父困民党も、満蒙開拓団も、本人の実感としてはない話なのだと思うのだが、逆にそのことが尾を引きずっているのかもしれない。『終わりなき旅』も、地元長野の開拓団の話が中心だった様な気がする。別に「新版」でも「続編」でもないのだろうが、例の裁判の話が後半にちょっとある以外は、あまり変わっていない内容ではなかろうか。「中国残留孤児」も最近は「真実」が語られる様になっているから、捨てられた日本人の子どもを我が子同然に育てた中国人の度量といった中共の宣伝は有名無実になってしまったのだが、「日中友好」に依拠した初期の「運動」をしていた人はそう簡単に「転向」する訳にはいかないだろう。それにしても、長崎国旗事件を今頃痛烈に批判されると、時代錯誤の感は否めない。しかし、あれから半世紀経って、地元長野に埋め尽くされた五星紅旗に著者は何を思ったのだろうか。






2008/05/16のBlog
[ 23:30 ]
[ 米国 ]
ちょっと前に話題になった本。なるほど、たしかにこれはアメリカ版「バナナと日本人」だ。かの国でも、児童労働の問題で、ナイキとかウォルマートが糾弾されて久しいから、こういう本も出るべくして出て、称賛されるべくして称賛されたというところだろう。その「手段」はTシャツだけでなく、ゆりかごからロケットまで、ありとあらゆる製品でのアプローチが可能かと思うが、アメリカから中国を往復してアフリカに辿りつく旅が、ポスト共産主義運動としての反グローバリゼーションに対する反証になっている様に思える。中国の「女工哀史」やアフリカの「白人のお古」といった、定型的な批判からは距離を置いたというか、反論する形でグローバリゼーションの動きを捉えているのは、著者がそれでも自由主義経済を信奉している証左にもなろう。その辺は「バナナ」や「エビ」の日本人とアメリカ人の違うところである。おそらくは、そうした観点からの批判も出ているかと思うが、チャイナタウンのスウェット工場や、国内で古着に頼る生活をしている貧困層など、アメリカ国内で完結する「Tシャツ」の行方は興味の対象外となっている。もっとも、この本がアメリカで話題になったのも、グローバリゼーションというものを対象にしたからであって、わざわざ中国やアフリカに行かなくても、アメリカに中国やアフリカがあることは自明のことだったのかもしれない。アメリカの高賃金も中国の低賃金と同じく、産業の空洞化を招いているという説明は秀逸だが、日本の中古輸出がもたらす第三世界の雇用についてもちょっと考えさせられる。






[ 21:19 ]
[ 中国 ]
著者は小林亜星の次男。カリスマ塾講師だそうで、「国語の神様」の異名を持つのだという。元俳優とのこだが、亜星の息子だから、別に生活の為のバイトが本業になったという訳ではないのだろう。むしろ七光り的に見られることに嫌気がさしたのかもしれない。今回、彩図社から出すのも、自分の意思で動いたからなのだろうか。「本当は怖ろしい」ものはグリム童話のヤツが当たってから、その系譜が出来ていると思うのだが、身近なものに対する考えを改めさせると言う意味では、漢字はその最たるものなのかもしれない。「怖ろしい」話は前半だけで後半は「奥深い」話となるのだが、嫌韓ものに進出した彩図社が反中ものも窺っていたのかも。ここに書かれている起源がマユツバなのかどうかは阿辻先生にでも聞かないと分からないが、たしかに身の毛がよだつ様なことが多く書かれている。受験勉強にも息抜きにもならんだろうが、弾をダンと読むのは弓を弾く音が「ダン」だからだとか、参考にはなった。ニセモノ商品で責められている中国が半ば冗談で「漢字の著作権を主張する」なんてことを言ったりしているのだが、そんなことになったら、亜星も息子を守りきれんだろうな。





