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世界読書放浪
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2008/07/07のBlog
世界思想の白表紙「ゼミナール」ということで、その道の先生方の論文集。青学大学院出身の人が4人も入っていて、早稲田院が3人か。学閥というより、仲間内の仕事廻しみたいなもんだろうか。「フランス女性の世紀」と言っても、仏文学に登場する女性像だから、仏文出の人なら、難なくこなせるものなのだろう。しかし、時代は十八世紀ということで、サガンだのボーボワールだのが出てくる訳でもなく、タダでさえ読まない仏文の話はちょっと辛かった。粗筋に終始している様なものもあって、テーマが現実の女性なのか、現実を映す鏡としての小説なのかよく分からんようになってしまった。この時代のフランス国民の識字率は四分の一とのことなので、女性の識字率はそれよりはるかに低かったことは想像に難くない。ここに出てくる女性像のほとんどが貴族と結婚しているのも、それが文学テキスト上、必須条件だったからなのかもしれない。
副題に「東京朝鮮高校ラグビー部の目指すノーサイド」とある。著者は「小学館ノンフィクション大賞最終候補作」になったものを加筆したらしい。著者が朝高出身なのかどうかが、著者自身のことは全く書かれていないので分からないのだが、力道山や大阪朝高ラグビー部についての本も出している人らしい。前著がどういう立ち居地で書かれていたのか分からぬが、この本については「朝鮮」自体が本題な訳ではなく、いわゆる学校スポ根ものである。それが「SAPIO」の小学館大賞に応募したからなのか、落選したので修正からなのか知らぬが、声高に差別を訴えるものではなく、汗と涙の高校ラガーメンの姿を劇画チックに描いている。実況試合が全て「敗者の物語」になっているのも、日本的な感じがする。事実、朝高もモチベーション的に日本の高校生と変わらないだろう。エリート集団のサッカー部が衰退して、素人集団のラグビー部が隆盛するのも時代の流れということか。という感じで、読書的にはツマランものなんだけど、著者もあまりに凡庸なものになってしまったことに気付いたのか、「補遣」という章を最後に加えて、ここで鬱憤を晴らすかの如く、「歴史認識」を訴える。「朝鮮籍」とか「通名」とか、ここまで読んだ読者なら理解しろということなのだろうか。しかし、「韓国籍」も「本名」も「民団系学校」も選択できながら、なぜ「朝鮮籍」、「通名」、「朝高」に拘るのかという点については曖昧にしたままだ。この点、「北朝鮮」と同一視するなという著者の主張は説得力を欠く。また「創氏改名」と「通名」を混同しているのは意図的だと言わざるおえない。創氏改名した名前を名乗っている生徒が今でもいると言うのか。朝高をスポーツで代表させるのは問題の隠蔽化だし、対戦相手となってくれた高校の監督を「良き日本人」の代表とするのも、あたかも「シンドラーのリスト」みたいな違和感を覚える。結局、「抵抗」とか「被差別」というアイデンティティがないと、自分たちの存在意義を失うということではないのだろうか。
2008/07/06のBlog
馬政権誕生に合わせて用意されたものなんだろうが、選挙クライマックスを挿入した分、ちょっと発刊が遅れたと思ったところに、台湾漁船問題が起きて、急遽、タイトルを差し替えたかなという感じ。著者は毎日の「初代台北支局長」で、前にも2冊台湾本を出しているのだが、基本的にはそれらと同じ、社会状況取材もの。若林先生の大著を読んだばかりなので、コンパクトなのは助かるが、まあ広く浅くといったところであろう。ということで、漁船問題にまでは言及がないのだが、釣魚台問題において、日本と開戦を辞さずという過去の馬発言も紹介していて、今回の行政院長の発言は馬を代弁していたことが図らずも証明されてしまっている。とはいえ、選挙戦における馬と謝の「親日競争」にも触れていて、台湾では「親日」は「親中」と違って、決して命取りになることが無いことも窺わせる。馬来日は日本でも詳しい報道があったけど、謝が京大で日本語講演をしていたとは知らんかった。京大は李登輝を門前払いしたのだが、これは影響力の違い、博士号取得と学徒出陣といったところで、謝と李に差をつけたのだろうが、ぶっちゃげ、当選の芽がなかった謝の件で京大に圧力をかけたら逆効果と中国が判断したからということなのだろう。ただ、中国は安倍を厚遇した様に、小泉同様、阿扁をスケープゴートにしたフシもあるから、謝が当選したところで、陳政権との違いや、国民党支持者に配慮せざるおえなかったろう。その意味では「反中vs.親中の台湾」という図式はもう過去のものになっているのかもしれない。
千倉真理書房の本か。著者は北京大教授の牛軍。といっても、新潟大でやった講演のテープ起こしらしい。通訳をした人が訳者で、新潟大の先生だそうだが、北京大学の客員もしていて、日本人ながら、中国語でも本を出している人らしい。ということで、中共のお墨付きを得た説明が朝鮮戦争、中印紛争、ベトナム戦争、そして中ソ対立となされている。その基本的な立場は、中国は自ら戦争を仕掛けたことは一度も無く、やむを得ぬ事情で戦争になったという「反覇権」の宣伝。その延長線上に「中国脅威論」の払拭と「平和的台頭」のプロパガンダがある訳だが、援朝は金日成、援越はホー・チミンという「中国に信頼を寄せていた」指導者に頼まれて仕方なくということらしい。まぜは南侵の「共同謀議」を否定するのだが、朱建栄もそれをやっていたので、北朝鮮の関係から、対日言説として重視されているのかもしれない。で、アクサイチンとか、イリ事件、珍宝島などは、インド、ソ連の侵略行為がきっかえだそうで、中国は大々的勝利を収めたあと自主的に後退したとのこと。中越「懲罰」戦争については、「後に問題が生じた」としか書かれていないのだが、人海戦術で攻め込んで破壊しつくして撤退し、恐怖を残すというのは「作戦」として現在でも準備されているものなのだろう。そうなると与論島占領作戦というのも現実味を帯びてくるのだが、少なくともインド、ソ連、ベトナムについてはその「平和的撤退」が、その後の安定をもたらしたと考えている様だ。ビルマとの交戦といったあまり知られていない話にも言及しているのだが、ポルポト政権の樹立といった都合の悪い話は一切書かれていない。とにもかくも「中国は外国に覇権を求めず、その警戒を解く」というメッセージが発しられているのだということは分かったのだが、「国内問題」である台湾、チベットはその範疇には入らないということも分かる。つまりは、覇権は台湾を解決してからということだろうが、その節には「琉球」が「国内問題」として浮上するんだろうね。
新潮とんぼの本。ビッグなテーマにはビッグな書き手を起用ということなのか、「ベストセラー作家」のお通り。リリーが書いている所はクレジットされているので、実際には共著の人が写真と本文の多くを仕上げている様だ。とんぼの本には珍しく著者が被写体となっているのだが、まあ客寄せのモデルみたいなもんであろう。リリーの世代だと、ビートルズの洗礼というものがまだあった様だが、私は第二次「ブリティッシュ・インヴェイジョン」の洗礼こそあれど、ビートルズとかジョン・レノンへの思い入れは全く無い。無論リヴァプールに行ってみたいなどと思うことも無い。リヴァプールというとサッカーのイメージなのだが、人口は45万しかいないのか。まあ磐田とか鹿島なんて所はその半分もない。しかし、イギリスはどこでもそうなのだが、写真でみるとホントにくすんだ街である。ビートルズ観光というのも市の経済にとって重要な位置を占めているらしい。ここに出てくる「聖地」は実際には観光史跡として整備されているのだろう。おしんで町おこしみたいなもんだが、それでは絵にならないので、当時と同じ時間が流れていることを意識させる演出になっている。こういうのを東京でやると、「三丁目のナントカ」みたいになってしまうのだが、イギリスではむしろ変化している場所を探す方が大変なのかもしれん。唯一変わっていると思われるのがストロベリー・フィールドで、それが荒地状態になっていることが、またファン心理をくすぐるのだろう。フィレンツェの大聖堂ではないが、ここも落書きだらけだ。「○破」と記したのは中国人のポール・ファンかな。花束とか手紙とか突っ込まれるくらいなら、落書きされた方がまだマシなのかもしれん。
2008/07/05のBlog
このデンマークに帰化した元日本人の本は前にも読んだのだが、なんと言うか、現地在住なので真性の北欧教信者とでも言おうか。このおちょっくた様なタイトルからも分かるのだが、帰化した国に愛国心を持つのは別にいいけど、勝手に自分が勝ち組、日本人が負け組みだと勘違いしなさんな。とにかくもうこれ一面のデンマーク礼賛とそれに対して日本はという批判で溢れており、なんか将軍様の国の人が書いた本を読んでるみたい。デンマークが「地上の楽園」である可能性はかつての「税金など無い国」とか「ハエ一匹いない国」よりは高いかと思われるが、ここまでやれば宗教を感じさせずにいられない。日本だと「北欧教」揶揄する声を気にせぬばならぬが、昭和40年代前半の日本を「脱出」した著者には、日本というのは永遠に遅れた国でなくては、自分の人生を意味付けることはできないのだろう。今回は、歴史の専門家ではないので、軽く紹介すると言いながら、延々とデンマーク史を綴ったりと、その「愛国ベクトル」が最高潮に達している様だ。当然、ムハンマド風刺画問題や保守政権誕生など「排外的」な面は語られることはない。版元は極左だけど、デンマークならば王室を崇拝したり、皆が愛国者で、国歌は大声で歌ってもよろしいということか。
フランスでは大御所らしいこの著者の本は前にも一冊読んでいるのだが、元々、評論家なのか経済学者なのかよく分からん。いわゆる「知識人」てヤツだろう。何でも67年以来、中国を度々訪れているとのことで、若かりし頃はマオイストだったのかもしれない。トクヴィル以来のフランス知識人の伝統なのかもしれんが、どうも異文化に対する上から目線が気になる。前のアメリカものはトクヴィルという雛形から理解できたのだが、共産圏に関してはジッドの『ソヴィエト紀行』が連中の雛形になっている様だ。中国を宗教から理解するということは、日本人はあまりやらないのだけど、西洋人にとって、異文化という鏡の根幹は宗教にあるのであろう。この著者がカトリックなのか、ユダヤ教なのかは知らぬが、弾圧されるキリスト教徒というイメージが西洋における「反中国」の重要なメタファーとなっていることは間違いない。彼らのチベットに対する幻想もその延長線上にあると考えれば分かりやすいのだが、要するにキリスト教を前面に出さずに、チベット仏教に代理戦争を戦ってもらっているということだろう。西洋人のウィグルとチベットの間の温度差をそうした面から理解することもできよう。フランス人が89年のウーアルカイシをダニエル・コーン=ベンディットに準えたというのも意味深な話であるが、ウィグル、イスラームとユダヤ、ドイツという記号が中国とフランスで共有できる違和感なのかどうかは分からない。「インド並み」の多神教とみる道教という理解もあるみたいだが、中国におけるその宗教的根幹は儒教だとみている様だ。文革をナマで見ている者としては、その儒教が破壊され、宗教的に迷走し、混乱しているのが中国だと思えるのだろうが、日本が儒教を内包して成功したとみているのと同じく、西洋的な思い込みも見受けられる。まあ西洋人なのだから、それも当然の話なのだが、例の「反日デモ」について、ほぼ日本の言い分に軍配を上げているところは意外。別にそれを以って翻訳出版が成ったという訳ではないのだろうが、この辺は「義和団事件」や「文革」の記憶というものが西洋人には甦るのだろうか。もちろん、『ソヴィエト紀行』という雛形があってのことではあるのだろうが。
今年上半期の新書では上位を争うヒットとなったヤツだが、ようやく読めた。別に川田龍平との結婚でご祝儀商品となった訳ではなかろうが、この著者がこんな形でブレイクするとうは思わなかった。たしかに前著の「自分探し」みたいな本よりはよくまとまってる。これも岩波の編集の力がなせる業かと思うが、その分、岩波色はかなり色濃い。それでも「わたし色」よりはまだマシではあるのだが、これからは「格差系」として自立していくことだろう。その意味では現在の状況は著者にとって追い風以外のなにものではない。アメリカの格差社会がかくも悲惨なことは『アメリカ合州国』の時代から知られていたことだし、今や「アメリカ帝国論」は完全に「アメリカン・ドリーム」を凌駕しているのが現実だろう。著者がいみじくも前著のタイトルに付けた通り、支配勢力と対抗勢力としてのリベラルとの共通認識になっている「アメリカン・ドリーム」が崩れた時に、アメリカという帝国が革命によって崩壊するという可能性が現実になるのかもしれない。その革命は是非世界同時進行で行ってほしい。格差社会が著しい国から順番にしてドミノを引き起こしたらどうなんだろう。岩波さん。
2008/07/04のBlog
満を持しての大御所の登場だけど、新書は7年前、岩波のサントリー学芸賞と朝日の総統選挙見聞期は11年前、そして著者が前著と位置づける東大の台湾論は16年前にもなるのか。東大で役職になって雑事に追われていたらしいけど、その鬱積したものを吐き出すかの様な400ページ超はさすがにぐったりきた。既出と書き下ろしが混じってるらしいが、とにかく清朝から現在までの台湾政治史がずっしり。メインは「中華民国台湾」なんだけど、とにかく全ての出来事が網羅されているのではないかというくらい濃密なもの。同時期に東大が出した「現代中国の歴史」は通史だったのは対照的。こちらはハードカバーでずしりと重く、とても新入生が読めるシロモノではない。台湾というと日本人にとって、中国とはまた別の意味で「態度表明」が迫られる研究領域であるのだが、「日本語族」にシンパシーを感じながら、それに台湾を代表させることなく、学術的にはメインストリームである「中国語族」を通して研究を進める著者には学者として敬服すべきものがある。そうしたことと関係しているのか原住民の政治参加の動きについてなどは、民進党と国民党の柵もあって、なかかな日本では使えるテキストがないのだが、非常に整理がついた説明となっている。専門外とはいえ、同僚の高橋哲哉の原住民認識が全くお話にならないことも頷けよう。長い戒厳令期を経て混乱と変革の渦の中にあったと思われる台湾政治も、こうしてみると「中華民国台湾化」という一つの波の中での出来事であったのではないかと感じる。李登輝、陳水扁、馬英九もその目指す道がそれぞれ違っても、「中華民国台湾化」という波から外れようとすると、途端に溺れ死ぬ危険にさらされる。それが台湾人が持つ最大公約数だとしたら、中国人、そいて多くの日本人はその希望を意識的に誤解していると言わざるおえないだろう。統一でも独立でもなく「脱植民地化」であるというテーゼはどう捉えるべきであろうか。ことの本質は、その「植民地」の主体が何であるのかということなのだろう。
三和書籍の「国際日本学とは何か?」というシリーズらしい。王敏が編者というだけで、警戒マークが点灯するのだが、最初の王を含めて、やはり在日が5人、中国が6人の中国人研究者執筆陣は「歴史認識」のお説教は外さない。とはいえ、結構温度差があるみたいで、中国組でも井上清を絶賛する文革世代が教条主義的なのに対し、同じ北京大教授の王新生という人は、中国と日本の問題点を並列化した上で、歴史認識を求めており、こちらの方が日本人をよく知っていることが分かる。おそらく中国語ではこんな文章は書かないだろうが、日本人に対する戦略が時代とともに変化していることが如実に現れている。全体的に思うのは善と悪の二分法が中国人にとっては自明のことであるということ。その文脈で言えば、悪に対する抗議活動である「反日デモ」は責められるものではないということなのだが、それが「日本右翼」の「自衛戦争」の言説と同じであることは言うまでも無い。もっとも日本を「絶対悪」と規定している以上、そこに矛盾を感じることはないのである。台湾やチベット、靖国もその意味では「疑いようが無い」話ということになり、善である者の面子は守られるが、悪である者の面子は考慮する必要もない。日本人が原罪を背負っている自覚がないこと自体が彼らの面子を潰しているということなのだろう。3人いる日本人執筆陣がそんなもんどこ吹く風で、歴史認識系の話を全く挟んでないことが、奇妙なコントラストとなっているのだが、日中間のテーマではどうしてもそのことに言及しなくてはならない中国人にも同情の余地はあるだろう。日本における中国研究が活発で、その出版点数が、中国における日本研究と対照的なことについてはよく話題になることなのだが、それを以って中国人研究者が、日本人は中国人に優越感を持っているとしているのは驚いた。私はその温度差については中国人が日本人に優越感を覚える文脈だと思っていたのだが、これは日本研究者独特のものなのだろうか。それとも、日本人が中国人に優越感を抱いていると規定するプロパガンダの賜物なのだろうか。

博論もの。「在日パキスタン人ムスリム移民の妻たち」という副題が付いている。修論は在英パキスタン人についてだったらしく、研究テーマが日本にシフトししているし連続性は保たれている。「妻たち」にフィールドを移したのは、同性として、「夫たち」より調査の利点があるがことが関係しているのだろう。もっともそれ以上に、「妻たち」が同じ日本人であることが大きいと思われる。日本人の妻を持つ在日パキスタン人はほぼ例外なく、流暢な日本語を話すし、英語での調査も可能だろう。しかし、女性研究者の調査にはパキスタン人男性としても、ムスリムとしても壁があったことは確かであろう。改宗してムスリマとして生きる「在日パキスタン人の妻たち」が社会から見えない存在であることや、ビザ不要の時期に来日して、現在まで在留し続けるパキスタン人と結婚した妻たちの年齢が著者と近いこともその理由となった様だ。一言で言えば、彼女たちが社会から「見えない存在」になっている原因を追究する論考と言えるのだが、ビザを要因とした結婚、イスラームにおける女性の扱いといった、とかくステレオタイプに陥ってしまう話を声高に否定するのではなく、その可能性も含めて、内実の多様性を紹介することで、日本人同士の結婚、非ムスリム同士の結婚同様、一筋縄では語れない「結婚」と「家庭」という問題を相対化することに成功している。日本では宗教的実践が難しいという声もあれば、皆がほっといてくれるので、イスラームの実践はしやすいという声もある。いずれにしてもイスラームの問題に帰結できるのだが、「ボーン・ムスリム」がイスラームとパキスタン或いはその出身社会の慣習を混同している点は興味深い。これは「スカーフ論争」と同種のものだろう。また「娘の教育」というのはこうした家庭の重要な課題となっている様で、娘はパキスタンに送って「日本の女の様にさせない」というのが、多くの家庭で共通する認識なのだという。たしかに日パハーフの息子はよく見かけるが、娘はあまり見かねない。その是非は議論の対象になるべきだろうが、ムスリムとしては問答無用の自明なことなのであろう。女子の性教育や体操着を拒否することがクルアーンの教えに合致してるのかもしれないが、「女性」を見えなくしてしまうことは宗教というより、文化的なものとも思われる。学術論文である以上、宗教に関わる問題については慎重な姿勢が窺えるが、いすれにしても優れたものであることはたしか。著者自身の入信の予定はないらしいが、それも博士という「自己実現」があったからだろう。離婚や日本人以外の第三国人の妻たちについても調査があればよかった。在日パキスタン人の妻として、フィリピン人やロシア人、中国人などの事例がかなりあるのだが、彼女たちに対しては明らかに日本人妻に求められるものとは違う傾向がある様にも感じる。
2008/07/03のBlog
これもなんか変わった本だが、母親の遺品を整理したところ、70年前に書き残した満洲国についての「自由研究」のノートが出てきて、還暦を過ぎた息子が、その検証をするというもの。女学校の「自由研究」なのだが、価値があるものだと思い込んだ様で、満洲に詳しい学者に見てもらおうと探したのが劉傑。さては新書の「漢奸裁判」辺りで見当を付けたのかと思われるが、劉はさすがに小林英夫に廻したらしい。小林はこういう素人参加が好きな人だから、気さくに会ってくれたらしいが、残念ながら「資料的価値はない」とバッサリ。まあそれも当然の話だが、母思いの還暦男に同情したのか、「当時は上野の図書館くらいしか、調査する資料がなかったはずだから、お母さんは大変努力されたと思います。形見として大切に保存してください」と暖かい言葉。その言葉で火がついたのか、ここから、母親が参考にした当時の資料を探し求める息子の闘いが始る。母親が卒業したのは跡見で、今は女子大になっているのだが、そこで検証する様なことはぜず、ひたすら国会図書館と国立大学ので資料を探す。なんでも満洲関係の資料は富山大と宇都宮大、そして神戸大の山口誓子記念館というところにまとめてあるらしく、骨盤痛で苦しむ中、足を伸ばす。富山大には、満洲馬賊を専門とする女性教授がいたはずだが、名前は出てこない。大豆油から人造石油の件で、「自由研究」をバカにされた研究者がいたなんてことも書かれているが、かつて食品分析を生業にしていたという著者は母親と自身の名誉をかけて執念でその裏づけを見つけていく。と、まあ70年前の「自由研究」に熱くなった男の記録なのだが、こういうのって、男のロマンを掻き立てるものなんだろう。