ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | ユーザ登録 | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
世界読書放浪
Blog
[ 総Blog数:3169件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2008/07/11のBlog
ナカニシヤの「叢書・地球発見」というシリーズか。前にも一冊読んでいるのだが、ナカニシヤ自体がマイナー過ぎて、あまり巡回場所でお目にかかることは無い。叢書だけど、新書より軽く読めるというのがウリかもしらん。前に読んだインドのヤツよりはマシだけど、ちょっと軽すぎかな。偉い先生が肩の力を抜いて書いたものといった感じだろうか。農学部の先生だが、専門は「山岳信仰研究」というものらしい。韓国地域研究というのもやっているらしいが、著作は出羽三山とかで、韓国ものはこれが初めての様だ。60年代にクリスチャンが作った映画でムーダンがバカにされていたなんて話もあるけど、特に山岳信仰関係という訳ではなく、韓国観光振興策のレポートみたいなもの。ソウルから済州までまわって、伝統文化をどう売り出すかといった話。そういうのは韓国人が好きそうな案件なのだが、伝統文化の誇り云々を声高に主張するということは、それだけ、伝統文化が失われているということなのだろう。それにしても仁川チャイナタウン建設の件、もう何年かかってるのやら。さすがに華僑人口500人では、見掛け倒しにならざるおえないのだが、期待している中国人観光客がわざわざそんなもん見に来るんかいな。横浜の中華街だって、中国人観光客はあまり来なくて、主体は日本人観光客だっていうのに。最近の大陸客は知らんけど、香港人とか台湾人は日本に来たら、「中華料理」は食べない、「中華街」は行かないと徹底していている人が多いのだが、あれって自分らは大陸の人間とは違うというメッセージなのかなあ。
二度も懲りているのに、またこの男の本を読んでしまった。前著は幻冬だったが、期待したほどでなかったのだろうか。今回はマルチ系のサンクチュアリ出版。前回の「中国初恋」はアフリカの話だが、今回はタイトル通り。引きこもりの人たちに三国志好きが多いのはゲーム影響らしい。中国本は中国史専攻の人より多く読んでいるかもしれない私だが、清朝以前の歴史には全く興味がない私なので、さくら剛に中国史知識で負けても悔しくもないのだが、今回は下手に歴史知識を振りかざしていて、今までのファンもひいてしまうのではないかという気がする。まあ、この世界で生きていくためには、そろそろ路線変更の必要があることはたしかなのだが。
所謂「空爆の歴史」を振り返ったもの。著者は広島市立大学広島平和研究所教授という肩書きの人。ここはチャイナスクールの親玉だった浅井基文が所長をやってるトコで、中国や北朝鮮の核が問題になることはなく、平和を阻害しいているのはアメリカと日本の帝国主義というスタンス。つまりココが目指している「平和」と我々が望んでいる「平和」にはズレがあるのだが、この著者も著作をみると大月とか、その傾向ではある様だ。ただ。今回は講談社新書であるだけに、あまり色はない。というか大戦期の空爆黎明期に重点をおいているから、自然にニュートラルになったということか。空爆を実行するにあたり、落とされる側を非人間化して、破壊ではなく、殲滅という思想に持っていったという流れは興味深い。ルメイの話なども出てくるが、ディズニーがその日本人を非人間化するイメージに協力して映画を作ったというのは知らんかった。重慶空爆が例の反日アジアカップに繋がったという話があるけど、これは落とされた側(といっても大部分が当時の生存者ではないが、落とした側を非人間化した例であろう。それを考えると、ルメイに戦後、勲章を与えたという日本という国はどう理解しようか。早乙女勝元などは怒っているみたいだが、これは落とされた側が、落とした側を人間化する儀式だったのかもしれない。前にB29墜落乗組員の追悼を続けている人の本も読んだが、アメリカ兵が墜落して、連行される時に、その「人間の顔」をみたことが原点となっている様だ。この日本の裁判、処刑について、ヒットラーはドイツで、連合軍兵士に同様の扱いをすることを拒否したとのことだが、ナチス政権下でも、裁判には「人間の顔」が残っていたということなのかもしれない。
著者は「株式会社ベトナム アドバンテスト コンサルティング代表取締役」とある。要はベトナムコンサル屋なのだが、自分は株の専門家ではないと言う。別に株の専門家じゃない輩が株の本を出してはいけないという法はないし、実際は素人が出している株の本の方が多いと思うのだが、これは新書にしても薄っぺら過ぎやしないか。上場銘柄が200というから、その全銘柄のデータを載せているのだが、本文は駅3つくらいで読んでしまった。まあ名刺代わりみたいなもんと言えばそれまでか。執筆してからも刻々と情勢が変化してべトナム市場は日々成長しているなんてことも書いているのだが、最近はベトナムがヤバいという話しか聞こえてこない。外国人の口座は2000くらいしかなくて、そのうち半分が日本。韓国は20、アメリカも20と少ないのだが、中国も無いな。口座開設は韓国人より日本人が優遇されているとのことだが、そんなことがあるんかいな。やはり「旧敵国」には厳しいということなのだろうか。著者も商売だから、ベトナム人はマジメ、手先が器用。チャイナプラスワンに最適などと例の如くベトナムを持ち上げているけど、どうもベトナム推進派の言葉がいつも同じなのは気になる。柘植とか門倉の本を参考文献にしているみたいだけど、現地派も本当に同意見か?著者は学生の頃に、ひとりでひっそり「ラ・マン」を観にいったことがベトナムにのめりこむきっかけになったのだという。「青いパパイヤの香り」とか、はては「無人の野」を観たことが、きっかけとか言い出さないのは正直で宜しいとは思うのだが。
2008/07/10のBlog
なんか日本のテレビでやったらしいけど、中国人の74歳の爺さんが99歳の母親を自転車のリヤカーに乗せて、チベットを目指して旅するという話。それを韓国人の作家がハングルの本にして、蓮池さんが訳したというややこしいもの。ものの本によれば、蓮池さんは、地味な韓国語訳者の世界で突如登場したスターだそうで、元々、文芸書の翻訳点数が少なく、あっても在日とかコネがある人くらいしか翻訳に携われなかった中で、日本人訳者としては、ほとんど独占状態に近いのだという。たしかに訳者の名前で本が売れるというのは韓国語に限らず、非英語では稀有なことであろう。その訳文がどんなものなのか、原文が読めないだけに何とも言えないのだが、99歳の婆さんが、方言風で、74の息子が標準語というのは変ではないか。たぶん韓国語でそうなっているのだろうが、全羅道の方言を柏崎の方言に訳したみたいな感じで、崩しすぎで意味がよく分からん。親子の出身は中露国境の塔河だけど、この辺の方言とはどんなもんだろうか。「ドカ族」というのも気になるのだが、まさか「土家族」のことではないでしょうね薫さん。爺さんの著者名がWAN IL MINとなっているけど、これってもしかして韓国語読み?まあ「感動のヒューマン・ストーリー」にあれこれケチをつけてもしょうがないんだけど、こういう儒教儒教じみた話は韓国人は大好きなんだろうな。まだ北にいる拉致被害者も、このままでは親孝行ができないと将軍様に訴えてみたらどうなのだろうか。
三笠書房の「知的生き方文庫」ってヤツ。重村センセイの本を読んで知的とはこれ如何にだが、他のラインアップを見ると十分知的な部類か。文庫だけど、書き下ろしというのはポイント高いが、昔の本を文庫化していてはタイトルがウソになるし、実際は著者がその前に出したKKベストセラーズの新書とかから摘んできた感じの中身。以前からKCIA説がある人だけど、これほど親南反北がハッキリしている人も珍しい。しかし、正男ではなく、オヤジの正日自身が80年代何度も来日して赤坂で遊んでいたというのはホンマかいな。赤坂の韓国クラブで飲むために日本に来るというのはアラブの王様がカイロとかに遊びに行くみたいなもんで、別に驚くことはないんだろうが、遊びに来ていたのは影武者という説もあり、その影武者から直接話を聞いたという証言者まで出てくるのはどうなのか。何でも将軍様は金大中訪朝時には既に車イス生活で、DJを出迎えたのは偽者で、当然、小泉と会ったのも影武者なのだという。声紋鑑定で判明したらしいが、となると、加藤紘一が言うところの「天皇の様な将軍様が責任を認めたのだから、拉致被害者は北に返すべきだった」というのは前提からして成立していないのか。あれは英雄主義者が勝手にやったことならぬ、影武者が勝手に言ったことということにもなるのだが、ホンモノの将軍様はもう死んでいるとなると、話がややこしくなる。米帝は監視衛星で、金大中が首領様の廟を参拝したことを掴んでいるそうだが、偽メタボジョンイルを動かしているのが誰なのか当然に分かっているのだろう。中国でもなく、ロシアでもないとなると、まさか南のお方?
中国本もありとあらゆる本が出ている訳だが、たしかに全面的に社会調査に依拠した本というのは、あまりお目にかかっていない。それは中国でも事情は同じだった様で、数年前に中国で大々的な社会調査の本が出されるにあたっては、著者が北京の社会科学院に赴いてレクチャーをしたのだという。中国でこうしたデータを収集するに際しては、そのあまりに膨大な人口、広大な国土、極端な階層社会といった根本的な問題以前に、収拾する側と回答する側に政治的バイアスがかかっていないかといったものを考えなくてはならないので、信頼性について疑問符がつけられることが多い。もっとも、この手の調査には日本でも疑問が出ていることだし、私自身も「正直」な回答をしたことはあまりない。つまりどうにでも操作できるのが社会調査と思われている訳だが、著者はそうした風潮に真っ向から反対している様で、それならば、ジャーナリストや学者が自分の印象で書いた本が信頼に値するのかということらしい。そもそも巷に「中国通」が蔓延っているのも、中国が「とらえようがない社会」であるからであって、社会調査以上に信頼できるデータがあるかと言われればそれまでである。農民工が都市生活に満足していたり、中国人は学歴格差は当然だと思っていたり、はたまた日本人男性と結婚した中国人女性は幸福であると思っているといった結果は、先入観を覆すものとして作用する訳だが、数値化したデータが「中国通」の偏見より説得力を持つかというとそうではなかろう。データが一人歩きして、また新たな偏見が生ずる可能性もあるというものだ。「中国通」の論理には「オレ流中国」で対抗できるが、数値で出されると、一般人は黙らざるおえないから、面白くない。
2008/07/09のBlog
この王増祥という人の本は中身が強烈に独善ぽかったので、何年も積ん読になっている。証券会社から研究職に転じた人が書いたこの評伝を読んでから、やっとそのことを思い出した始末なのだが、それでも本人の告発本を読み返す気にはとうていなれない。この老人は残り少ない人生を日本の証券会社との闘いに捧げる覚悟だそうで、これまで、アメリカのロビー活動などで総額六十億円!も費やしたのだという。株式市場の現状をみると、その執念も決してムダではなかったと思われるのだが、残念ながら、この本を以ってしても、日本で王増祥の戦いに同情を示す者は数少ないだろう。もちろん、それは金融機関への支持を表すものでも決して無いのだが、それは彼が理解する通り日本人の排他的心理というより、金持ちに対する心理的抵抗感といったもので、お金持ちは無条件で偉い人とされる華人社会とは根本的に違いがあるのではないかという気がする。著者はその華人社会に片足を突っ込んでいる人なのだが、王増祥との距離の近さや、本人の抵抗感を理由に、評伝を出すこと躊躇した様だ。それは著者が証券会社出身で、もう片足は日本にあるということでもあろうが、同情こそあれど、同じ台湾人を親に持つ村上世彰がみせたような王増祥に対する共感は、著者にはあまりない様に感じた。ありとあらゆる手法を使って日本社会の閉鎖性を告発する王が評伝には乗り気でなかったのも、その辺の事情があったのかもしれない。邱永漢なども書いていることだが、戦後の混乱期に大儲けした「第三国人」が、差別云々を語っても、それは説得力があるものではないということもあろう。十八歳の億万長者の話や香港ダラーの狂騒も何か寓話の様に思える。
博論ものだが、著者はこの分野で長いキャリアがある人みたいで、青年隊OBの元JICA職員でもあるらしい。アフリカ問題はサミットでもホットなイシューとなってるし、アフリカサミットが横浜であったり、ボノとボブ・ゲルドフが乗り込んできて、説教かましたりと、「援助疲れ」の欧米の肩代わりを迫られる日本という構図から抜け切れていない気もするのだが、マラウィ、日本、イギリスとアフリカ援助問題一筋でやってきた著者であるだけに、そうした単純な見方とは一線を画している。欧米の援助には宗教的慈悲というものが根底にあって、慈悲ではなく自立を求める日本とは援助のあり方が根本的に異なるということは指摘しているのだが、正に「失敗国家」だらけになってしまったアフリカの惨状から、アジアで成功を収めた日本の援助を評価する向きもあるのだという。キリスト教の記念年かなんかだから、アフリカの債務を帳消しにしろとか日本に要求してきたボノが、一転して日本に媚を売る様な行動に出たのも、「植民地主義」とも「新植民地主義」とも無縁な日本に希望を託すしか道がないという深刻な状況にアフリカが陥っているという事情がありそうだ。そこを突き詰めるとアジアの勤勉とアフリカの怠惰という、極めて人種的な問題に突き当たってしまうことも、日本という非白人国家を関与させることにより、「アフリカ的段階」の突破を図りたいという意思に繋がっているのだと思う。ところが、教育が発展の礎であるという思想が磐石なものでないことは、著者のケーススタディでも明らかになる。アフリカの多くの国で、その教育環境が植民地時代より悪化していることは定説となっているのだが、国連が教育普及に乗り出し、就学率が劇的に上がったからといって、問題が解決した訳ではない。そのことにより、教育インフレが深刻化し、高等教育の卒業者の受け皿が増えるどころか、少なくなり、初等教育では無料化により、親たちの学校への関心が薄れ、教材も逆に不自由になったという。教育による上昇という発展途上国モデルが崩れてしまっては、親たちが教育というものに懐疑的になるのも無理なかろう。ある意味、ニートとか格差社会といった日本の問題も、アフリカが抱える問題と本質的には同質なものなのかもしれない。
著者は東大法の大蔵キャリアで、事務次官まで上って、国民金融公庫総裁に天下って、現在は矢崎総業の財団理事長というまるで絵に描いた様なエリート人生。国民公庫退任後に早稲田で博士号も取得したらしい。その博論が元になってるのか、名誉博士号なのかは分からんが、そのキャリアとは関係ない研究本を中公叢書で出してしまうのも、老いてなお盛んといった感じもする。なんでも「反日デモ」の時にも、中国へ講演に行き、北京は中止となったが、長春は無事終了したとのこと。中国の言うところの「歴史認識」が日中戦争以前までには遡らないことに対して疑問を持っていたらしいが、吉野作造と中国を結びつける視点はそうした現在の日中関係の歪さを念頭に置いたものの様だ。吉野作造という人が孫文など同盟会の支援者であったことは有名な話なのだが、東京にいた周恩来が吉野作造を二度訪ねたが、会うことはできなかったなんていう話は知らなかった。昔の人は何れもそうなのだが、吉野も日記を残しているから、その行動のみならず、思想的背景を様々な視点から探ることは可能である。そのうちブログにも史料的価値が出てくる時代になるのだろう。当時の「支那観」については漱石、芥川、谷崎といった文豪が知られているが、「知識人」は隣国で起きつつある革命の渦に無言であることはできなかったということか。その意味では再び「反日」の世紀になった現在と同じ状況であるとも言える。「吉野作造と中国」というテーマに名を借りて、大正デモクラシーの日本と、革命の中国の動きを振り返ったものなのだが、当時と現在の類似性を鑑みると、中国が強大な国家になり、日本も経済大国としての礎を確固なものとした。吉野作造や孫文といった巨人が両国に現れることはもはやない。それは成熟なのだろうか。停滞なのだろうか。
2008/07/08のBlog
「歩き方」の「GEM STONE」シリーズ。このシリーズは読み物系とガイドブック系があるが、こちらは後者の方だった。旅行者的にはこっちの方が使えるんだろうけど、読者的にはゴミみたいなもん。オシャレな「カフェ」ばっかり載っていて、やたら硬質だったキューバ編とはさすがに違う。執筆者は「スイーツ」な人たちみたいで、アイルランドも岡村昭彦みたいな野獣が目指した紛争地であった時代との変化を感じさせられる。経済的には一時ほどの活況は呈していないものの、英国と並んで、労働市場を全面開放しているだけに、外国人の割合が高まっている様だ。元々、人口が少ない上に、自国の何倍も海外に「アイルランド系」を抱えている国だし、英語国ということもあって、強烈な愛国心で知られたかの国もナショナリズムは内面的なものに留まっているのだろう。てなことが、この「スイーツ本」に書いてある訳ではないのだが。
バジリコの本も久しぶりだが、路上考現学というかVOWみたいな変なもの探し。前に出た「韓国の変」も5年も前だったのか。W杯があって韓流の始め頃に出た安直なヤツだったと記憶しているが、中国変もオリンピックと偽ディズニーランド事件とかで中国のソノ世界が身近になってきたことと関係しているのだろう。その分、ブログとかではこの系統が乱立しているみたいだし、レコチャイみたいな「合法メディア」が「合法基準」の写真も流してきているのでネタには困らない。もはやコアマガジンクラスのネタを持ってこないと、驚きには値しないのだが、そこはバジリコなので、あくまでも健全な範囲。ニフティのポータルサイトでも連載していたものだとか。定番の「変な日本語」とかはもう飽きたし、割り込みとか、トイレとか、ケンカといったものは「燕京の華」みたいなものだから、昔から「変」だと思ったことはない。「さらし刑」だけちょっと驚いたが、これは司法がやってるものではないだろう。昔はトラックの荷台に犯罪者を詰め込んで、文字通りの市中引き回しをやっていたのだが、あれも90年代以降は全くお目にかかっていない。日本人はどこでも立小便するとかバカにしてるくせに、ガキの小便がどこでもフリーなのは解せないが、大の方もフリーだったと知った時には驚いた。女性の下着を干すのが恥ずかしいというのは案外日本だけの感覚かもしれない。下着ドロとか、ブルセラなんてものが跋扈するのも日本だけの様な気がするが、日本のAV大好きの中国人も、そういう性癖は理解できないだろう。日本の下着フェチはいつ頃から現れたのだろう。少なくとも白木屋デパート火災の頃にはそんな輩はいなかった訳で。