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2008/07/24のBlog
[ 00:39 ]
[ フランス ]
文庫クセジュで、このテーマというのは王道なのだろうが、他国の「公式神話」など読んでも面白くはないし、それが植民地支配を受けた国でもなければ、植民地支配をしていた国で、なおかつ現在も植民地政策を続ける国となればなおさらだ。訳者も控えめな表現ながら、個人主義に徹し、規律や束縛を嫌うフランス人が自己の生命を危うくするレジスタンスに参加したとは容易に理解できないとしている。国が解放されたら皆が抵抗していた様なことを言うのは、どこの国の「光復」でも見られる保身みたいなものなのだろうが、元々、抵抗する人間の方が多ければ、そう簡単に占領されたりもしないものである。てなことを考えながら読んだのだが、どうもその「レジスタンス神話」に批判的なところもある感じの本だった。どうやらドゴールの威光はさすがに薄くなっている様で、レジスタンスは革命ほど「歴史化」されていないのかもしれない。共和国の理念は革命から連綿と受け継がれたものであって、その後の歴史はナンバー制の共和国に過ぎないということであろうか。






2008/07/23のBlog
[ 11:59 ]
[ インド ]
つげの「シリーズ・地球文化紀行」か。このシリーズは結構面白いテーマを持ってくるんだけど、ビートルズ研究とインド研究って、両雄合いまみれずといったところで、天国(かな?)のジョージの嘆きが聞こえる様な気もする。インド研究の連中にも入り口がビートルズだったという人は結構いるのだろうが、インドに入り込むことによって、だんだんと「特殊化」して、パンピーの「インド放浪」を見下していく傾向になるのも、ある意味、カーストとか、修行解脱のシステムとかインド的要素を感じられなくもない。この著者は、はっきりとビートルズが入り口であったと認識している訳だが、その過去を「恥ずかしいもの」という意識もあるらしい。なんでも幼少の頃からピアノやら声楽やらを習ったものの、ニューウェーブの洗礼も受け、パンク系バンドなどもやっていたのだとか。そんなロック少女が大学教授となり、インド音楽の本を出す時代になったということなのだが、入り口はなんだっていいし、あらゆる所に入り口があるのが人生だと思わざるおえない。もしかしたら、インドを入り口にしてビートルズに入ったという若者も既に現れているのかもしれない。しかし、この本の目的は明確で、ビートルズを入り口にして、インド音楽の豊饒世界に引きずり込もうとするものである。それは著者が辿った道なのだろうが、それも著者が「音楽」という素養があったから容易に転向できたということであろう。そうでないパンピーは前半の「ビートルズ」編から、後半の「インド伝統音楽」にスイッチを切り替えるのは困難な様な気がした。






[ 02:56 ]
[ 米国 ]
この著者の新著は岩波からか。ケンブリッジにフェローとして出ていたときに脱稿し、あとがきはニューオリンズから。別にいいんだけど、いよいよ大御所への道を固めつつある匂いがする。とはいえ、今回はテーマ論文に関わらず、前著同様、かなり読みやすいもの。「アメリカン・センター」というと、私などは「アメリカ文化センター」を思い出してしまうのだが、正にその話だった。著者もだいぶ通ったクチかと思われるが、もちろん職員ではないので、アメ文で一冊という訳にはいかず、「パブリック・ディプロマシー」というヤツがテーマ。アメリカのその歴史は大戦下での「ホワイト・プロパガンダ」にその嚆矢をみることができるのだが、激化する戦火の下で「ブラック・プロパガンダ」と2本立てになり、それらが、占領下の「民主化」宣伝、しいては現在のアメリカ文化センターに繋がっていることは承知の通りである。ちなみにセンターはCIE図書館が前身という位置づけらしい。少し前にフィルセンでCIE映画の特集をやっていたので何本か観たのだが、『格子なき図書館』とはCIE図書館のことだったのか。占領終了後は交流プログラムでターゲットを訪米させ親米家に育てることが主流になるのだが、ここで狙われたのが労組幹部陣らしい。表向き革命を唱えていた総評幹部も「昼は反米、夜は親米」なんてことだった様で、安保闘争の時も、若い人のビザ申請が伸びていて、大使館は全く危惧していなかったとか。おそらく今の在韓米大使館なども似たような見解なのだろう。日本政府がどれだけ中国の反日活動家にアプローチしているのか分からないが、歌舞伎町案内人の本によると、中国は日本の民族活動家と接触しているらしい。中国は文化センターの相互設置を認めておらず、一方的に、しかも費用折半という形で外国に「孔子学院」を設置しているそうだが、冷戦を戦ってきた大国は昔から「プロパガンダ」に強いというものである。それにしても、市川房枝から村上春樹まで戦後文化オールスターを訪米させておるのだが、このテーマの研究があまりないこと自体が研究テーマになりそうだ。小田実と江藤淳みたいに、親米も反米も育てることが、アメリカという国の宣伝になったことは間違いないだろう。日本も是非、反日家を招いてほしいものだ。








[ 00:10 ]
[ 中東(複数国) ]
著者は筑波大学北アフリカ研究センター長というお方で、イスラーム啓蒙書を幾つか出している人。この本もタイトルから分かる通り、一般向け啓蒙書なのだが、秋山書店という版元は知らんかった。この種のものは大手新書から出す以外、有効性を感じないのだが、私も発売から一年以上経って、ようやく見つけた次第。例によって、9.11以降の「イスラム原理主義」敵視の雰囲気に喝を入れるということが目的だった様だが、テロに遭ったアメリカとかヨーロッパと違って、キリスト教国でもなく、ムスリム人口が多い訳でもない日本が、果たしてイスラーム敵視の雰囲気で覆われているのかどうかは疑問。日頃から狭いイスラーム研究界で仕事をしている人にとっては、新聞やテレビでちょっとでもイスラームに否定的なことを書かれるのは見逃せないものなのだろうが、だからといって、いちいち、イスラームは平和な宗教で女性差別などではないなどと声を張り上げるのもどうか思う。ネガティブな報道もイスラームというものが世間に認知されるプロセスだと思えばイイとも外野は思うし、批判を許さぬ非寛容な宗教と思われるには得策ではない様な気もする。この本でも池内恵が槍玉にあがっているのだが、片倉もとこを初めとする「イスラーム研究原理派」の女性陣が、池内を異端として排除する姿勢はなんか滑稽な感じもする。特に筑波は五十嵐事件が未解決である以上、「イスラム原理派」を「イスラム復興運動」とかオブラートに包んだり、「自爆テロ」を教義に反する特殊なケースで、ムスリムの多くは反対しているなどといった言葉で片付けるのではなく、毅然と向き合う必要もあるのではないかとは感じた。その姿勢こそが人々をイスラームを学んでみようと思わせるものだと考えるのだが、どうだろう。






2008/07/22のBlog
[ 14:33 ]
[ 東南アジア(複数国) ]
「BUBUKA」に連載されていたというから、こちらは正真正銘のコアマガジン系なのだが、イマイチ、パワーが足りない様な気もする。アジアが発展して「アジア」でなくなってきていることや、ネットの隆盛で、かつて伝説的に語り継がれた「あやしいわ~るど」系もそれほどインパクトが感じられなくなった。とはいえ、ドクター・ホーがまだ現役だったとは知らなかったが、バングラのAV事情はちょっと意外。一昔前は中国人もバングラ人も(男は)日本に来たら、まずAVに嵌るというのが相場だったのだが、もはやそれも過去のことなのかもしれない。中国では圧倒的に和モノの人気が高いが、バングラは洋モノか。単に流通事情の問題か、趣味の問題かは気になるところだ。インド系もそのうち洗練されたものが出回るのかもしれない。トルコのハマームは行ったことがないのだが、全裸なのか。他のアラブ圏ではパンツだった記憶があるのだけど、全裸で、皆全開は「特殊風呂」という訳ではないのだろうか。しかし、ラオスからトルコまでという下川祐司ばりの行程なのだが、「貧しくとも純真なアジア」というレトリックがとっくの昔に崩壊した以上、こういう地下系が「カウンター・カルチャー」として作用することはなかろう。「アジアの純真」なんて歌も考えてみれば、そのパロディーみたいなものだったんだな。陽水が天才であることには変わりがないけど。




[ 02:41 ]
[ 香港・マカオ ]
如何にもこの版元が好きそうなテーマであるのだが、原題は「十一万から三千へ」というらしい。オラヒスものだが、原題の意味は日本占領期に香港の小中学校の児童生徒数が大幅に減ったということらしい。原題のタイトルも、あたかも日本軍が子どもたちを虐殺した様な印象操作的なところがあるが、邦題を「子どもたち」にしたのも、戦争は悲惨であるということを暗喩する日本的印象操作の匂いがする。実際に証言者として登場するのは、カバー写真の様な「子どもたち」ではなく、皆、中学生以上の「少年少女」であって、「抗日ゲリラ」として活躍した人たちも多く含まれている。特にトップバッターは中共の教科書通りみたいな人だったので、どうなることかと思ったが、その基本路線は変わらぬものの、なにせ登場人数も多いので、自然にバランスがとれる様な感じになった。日本人と個人的な接触があった人は日本人にもいい人はいると評価し、そうでない人は日本人全体を憎んでいるという分かりやすい図式だった。日本の兵隊はたぶん学校にもいけない文化の低い人だったんだろうという感想は中国的な感覚で面白い。日本語教育にそれほど反発がなかったのは意外だが、これも日常、外国語の有用性を実感できる香港という地域の特殊性であろう。精神的な恨みより、食い物の恨みが大きい様にみえるのは地域性というより、どの世界でも普遍的なものであろう。侵会大学の原書は英語と中文両方あったのだろうけど、膨大な注釈作成と付録資料の翻訳はご苦労様である。訳者は占領史としてよりも、教育史としての史料的価値を認めた様だ。






[ 00:04 ]
[ イスラエル・ユダヤ ]
2004年の原書だが、題材は81年の「バビロン作戦」。著者は元LAタイムズの編集者で、在職中にたまたま興味を持ったこの作戦を調べることにしたということにしてある。なんでもイスラエル大使館での取材を終え、ロスに戻るフライトを変更して帰宅したところ、乗るはずだった便が9.11で墜落したのだという。奥付けの略歴には2007年3月に病没となっているのだが、2007年5月に書かれた訳者のあとがきには、そのことは全く触れられていない。病没は間違いないんだろうが、何か陰謀めいたものも感じる。ちなみにバビロン作戦に参加したパイロットの一人は、その後に宇宙飛行士となり、コロンビア号の事故で亡くなっている。この著者は秘密とされていた関連文書にアクセスできた最初のジャーナリストなのだそうだが、それが個人の力によって成されたものではないことは容易に分かることであろう。ならば、その「見えざる手」を動かしたのはモサドかCIAかという話になるのだが、いずれにしてもサダム・フセイン拘束という事態が、その扉を開かせたところはある様だ。作戦実行の詳細なプロセスも書かれているのだが、いささか「英雄段」的なところがあるのは否めない。アメリカの承認なしの電撃作戦であったというのは定説なのかもしれないが、作戦に使われた戦闘機がイラン革命でキャンセルされ、イスラエルに廻ってきたものだったとは知らなかった。イランのキャンセル分がイスラエルに廻ったのではイラクもたまったものではないが、サダムからみれば、それはアメリカの了承どころか、アメリカの計画である証左であろう。それが後のクウェート侵攻に繋がっているのだろうし、イラク戦争における米仏対立の原点とも言えるものだろう。となると、去年のシリア各施設(とされる)の空爆はイラン空爆への布石となるのだろうか。






2008/07/21のBlog
[ 12:19 ]
[ スウェーデン ]
この版元も聞いたことがなかったのだが、絵本屋さんだそうで、本社が秦野、編集、物流が米子、営業所が旭川というよく分からん体制。「地方小」の権化みたいなトコか。で、その絵本屋さんのラインアップの中で、唯一、子どもと関係のない本がコレだそうで、著者と個人的な知り合いかなんかなのであろう。スウェーデン人のダンナと世界中を渡り歩いていた著者が五十台を迎えて、スウェーデンの田舎暮らしに落ち着くという話なのだが、日本以外の国に長くいただけあって、日本脱出型でもなく、国際結婚勝ち組意識もない為、礼賛一色の北欧教ものとは趣が異なる。もっとも、それは、夫婦が教会関係者で、社会システムより、キリスト教を信仰しているといった事情があるのかもしれない。ダンナが共著者になっているからということもあるのだろうが、本文を読む限り、ほとんどみどりさんの一人称で、どこをダンナが書いているのか分からなかった。どうもダンナはスウェーデンの社会事情についてレクチャーしたということらしい。どうでもいいけど、自分のダンナのことを「夫君」と記すには正しいんだっけ。さて、「先進国」の「知識人」は自国を自画自賛しないものなのだが、その傾向はヨーロッパでは特に顕著で、格差、人種差別、失業、腐敗など、「地上の楽園」の面目がたたないことが多く書いてある。ただ、だからといって、「外国」の方が道徳的に正しいから、「近隣諸国」に追従するなんてことにはならないのが、日本のエセ知識人との違い。まあ「住めば都」も、「住めば地獄」もどちらも一理あるということなのであろう。




[ 02:35 ]
[ 韓国 ]
この著者は韓国ライターとしてキャリアが長い人なのだが、冬ソナ以降は韓ドラ仕事に手を染めているみたいで、『愛してる!!韓国ドラマ』なんていう雑誌の編集長をやっているらしい。となると愛国風を吹かせたウリナラ礼賛紀行になるかと思いきや、いつも通りの戸惑い韓国紀行だった。両親の出身地、済州島から珍島など島巡りをしてソウルまでという旅なのだが、在日が韓国を旅する紀行ものはそれほど多く見かけない。旅行者なのか里帰りなのか曖昧なところもあるのだろうが、著者の様に韓国に対する印象を自然に書くことは意外に困難なのかもしれない。結果的に日本と韓国を二者択一する様な感想には抵抗があるのだろうし、韓国人が持っている日本、在日に対する思いというものも十分に複雑に感じることであろう。この著者はその辺の描写がかなり自然で驚くのだが、こういう自然な触れ合いができるのは言葉が出来るからなのか、同胞だからなのか。言葉が出来ない同胞であれば、韓国人の対応も、また違ったものなのであろうし、言葉が出来る日本人でも、また違うのかもしれない。しかし、韓国で「お一人様」が不便であることは分かるのだが、取材を兼ねているとはいえ、実に良く食い、良く飲み、良く話す人だ。著者は「歴史認識」という荷物を背負っていない分、身軽であるのだが、あれこれ難しいことを考えないというのが韓国を楽しむ秘訣なのかもしれない。




2008/07/20のBlog
[ 23:51 ]
[ イタリア ]
タイトル通りの話で、著者は一家でフィレンチェに移住し、日本と欧州を毎は月往復するという人らしい。肩書きは「欧州音楽評論家」となっている。商用ビザを取得とあるが、この名義で取得したのだろうか。イタリアも円より桁が多く、ルピアとかウォンの類だったリリラの時代は今は昔で、噂によれば、既にフランスを上回る物価水準に達しているとも聞く。そんな国での「格安生活」だから、モノには限度ってヤツがあるんだろうが、あまり使えるもんではない。何か一昔前の「海外駐在指南」みたいな話で、自分が経験した引越しから、家探し、ビザ申請、スーパーでお買い物といったところを書き綴る。本業はライターだそうだが、かなりクセのある文章を書く人なので、イタリア移住を考えている人以外は、あまり面白いものではないかもしれない。結局、「格安」だと感じたのはライアンエアーだけで、結局、これは前に読んだスウェーデンの子連れ家具職人の話と重なった。実際、EU先進国で、航空運賃以外に日本より格安なものを見つけるのは困難とみえる。学費とかは格安とは違うだろうし。クスリとか草関係も日本より若干安いくらいじゃないの。




[ 11:53 ]
[ 中国 ]
東洋書店ということで、自費ものなんだろうが、退職高校教師(ほんと、このパターンが多いな)が、シルクロードへ団体旅行に行った話を書き綴るという、まあ典型的なアレな本なんだけど、師範学校出の1925年生まれか。退職後は「執筆活動に入って」旅行三昧とのことだが、戦争に翻弄された青春も、十分取り返したことであろう。中国の同世代の退職教師などは著者が「戦後民主化教育」などをやっている間にも、反右派とか大躍進とか文革とかがあって、人生のほとんどを国家に翻弄されたに等しい訳だが、サマルカンドはもちろん、自国のシルクロードまで足を伸ばせた人はそういないかと思う。まあこれからは我々も前半生に苦労しない分、老後に地獄ということになるのだが、旅というものは苦労してでも若いうちに行くべきというのは間違いないところだと思う。天山山脈を移動するバスの車中に喜多郎の「シルクロード」が流れ、ここに来ることを夢見ながら亡くなってしまった参加者のお姉さんの為に、皆で黙祷するなんていう場の雰囲気には私は到底馴染めそうにない。




[ 02:32 ]
[ 中南米(複数国) ]
山川から出ている国際交流基金の異文化理解講座書籍化シリーズ。もう第8弾になるのか。初の非アジア圏ということになるのだが、アジア、中東、中南米、太平洋州の四本立てでやっているらしい。アフリカ年なのにアフリカはないのか。編者がコーディネーターという訳なのだが、地元の愛知万博(勤務先大学が会場の目の前とのこと)の時に、メジャーな国が賑わっていたのに対し、中南米諸国のパビリオンに全く人が入っておらず寂しい思いをしたらしい。たまに来る客は何かいい土産がないかと聞くだけで、その国のことについて訊ねる客は皆無だったというから、悲しすぎる。そんなこんなで不安を抱えたまま講座をしきったらしいが、さすがに溜池大学の受講者は物見遊山ではなかった様だ。コスタリカの先生は病気(などで)辞退したそうだが、メキシコ2本、キューバ、べネスエラ、米国ラティーノ、パナマ、CFTA、グアテマラ、英連邦カリブという構成。バランスをとったというより、著者のお友達を動員したら、こうなったという感じか。中部圏の大学から3人も引き連れて来ている。紙幅の関係も講座の性質もあって特に注目すべきものはないのだが、「ヒスパニック」より「ラティーノ」の呼称をジェンダーの専門家が好むのは、「ラティーノ」が男性形と女性形に分かれるため、両者の関係性の言及がより直接的な表現で可能になるからだというのは知らなかった。少なくとも「ヒスパニック」と「ラティーノ」を混同することはない様だ。また悪いクセで中国を持ち出すが、カストロの中国嫌いというのはソ連とベトナムのからみという説明がある。ゲバラとの不仲説はこの辺に起因しているのかもしれない。メキシコがNAFTAと中国の板ばさみに遭ってるという話も興味深い。英連邦カリブは特殊地域なので概説。弁護士や医師の資格は大学が共有である以上、共通になるのは当然なのだろうが、法律も各国間で共通してるのだろうか。そんな訳ないよね。





