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Musica Mundana
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2008/07/31のBlog
[ 14:00 ] [ あとがき ]

 暑中お見舞い申し上げます。 - 盛夏

 今年は、例年より梅雨明けが早く、その後、雨の少ない状態が続いている四国地方ですが、皆さんのところは如何ですか。

 6月は平年並みに雨が降ったのですが、7月に入ってからは、本当に雨の少ないからから天気の状態で、暑さばかりが感じられます。一昨日は激しい雷雨で、こちらは一息ついたところですが、降れば土砂降りで水難に遭った地域も有ったようですね。

 ともかく、7月というのに全国的に猛暑日が目立っているようです。8月はどうなるか分かりませんが、いずれにしろ、熱中症などお身体には十分お気を付けください!

 ◆数学は「発見」?それとも「発明」?(その3)◆

 Where do mathematical objects live?
 http://www.sciencenews.org/view/generic/id/31392/title/Still_debating_with_Plato

の続き、終わりまでです。


「課題は、数学的命題が、好みや一時の気まぐれに影響されることなく、決定的に真か偽でありうるのは何故なのか説明することだと、彼は認めている。「2 + 2 = 4」のような単純な命題では、これは、数学と物理学との関係のためだと彼は言う。例えば、そのような命題は、コインやボタンの振る舞い方を叙述する。さらに物理学的世界から切り離されたより抽象的な命題のためには、彼は、私たちの脳の構造や論理への思考傾向を指摘する。

「しかし、Mazurは、その説明では満足できないと思っている。「私たちは、あまり意識されない存在だが「私たちの(our)」という言葉に目を凝らさ(注目し)なければならない」と彼は書いている。「「私たち(we)」は、個別に存在し恐らく一人一人異なりしばしば欠陥のある能力しか与えられていない私たちの一人一人であり、そうして、私たちみんなであるという意味でなければならないのか? 」この場合、個々人が皆違うように、数学自体が様々に異なっていなければならない。

「一方、もし「私たち」が、私たち個々人の才能の一種の抽象概念 - 実際に私たちの誰でもなく、私たちを結び付けている共通のもの - であるのなら、私たちは、抽象的なイデアの王国というプラトンの概念と隣合わせのところにいると彼は言う。

「しかし、発明という概念も、また、彼の見方では、数学をする経験の中で真実と捉えられる。「ときどき」と彼は言う。「私は、数学をしている間に、私の思考過程や他の人々の思考過程を分析をしているように思えるときがある。」こうした経験のあらゆる側面が、こうした議論には含まれなければならないと、彼は議論する。

「一つのことだけは、議論の余地はない - と私は信じる」と彼は書いている。「もしあなたが十分長い間数学と取り組んでいるのなら、いつかその問いとばったり出会うだろう。そして、その問いは、なかなか(頭から)立ち去ろうとしないだろう。もし、私たちが、数学を考えることは非常に素晴らしいことだと熱烈に感じた経験を大切にしたいのなら、私たちは、その問いに注意を払った方がよいだろう。」

 ◆イングランドの翻訳者たち◆

 イングランドは、12世紀に優れた翻訳者を二人以上生み出しており、アイルランドは少なくとも一人を生み出したように思えます。これらの中で最もよく知られているのは、バースのアデラード(Adelard of Bath)でしょう。トレド、トゥール(Tours)、ラオン(Laon)、そして東方でも学び、ギリシア、小アジア、エジプトを経由して、恐らくアラビアまで旅し、多くの数学的著作を持ち帰ったイングランドの学者です。

彼は、ギリシア語の知識があると信じられ、ユークリッド(エウクレイデス)をラテン語に訳した最初の人たちの一人ですが、この翻訳はアラビア語からなされたように思えます。彼かあるいはカンパヌス(Campanus)のいずれかが、星の多角形の角の総和を求めたように思えます。その図形は、恐らく占星術での使用のためだと思いますが、当時かなり関心が持たれていました。また、彼は、恐らく、アル・フワーリズミーの天文表を翻訳したでしょう。そして、この著者の算術についての注釈も書き、「算盤の規則(Regulae abaci)」と題する著作を書いたと言われています。

しかし、アデラードは、ユークリッドの名をイングランドにもたらした最初の人物では決してありませんでした。というのは、すでに、私たちが見てきたように(p.187)、10世紀には、イギリスの学者たちには、すでに知られていたようだからです。

 アデラードがトレドに滞在した数年後、数学に関心のある別の二人のイングランドの学者が、自らの研究を究めるためにスペインへ行っています。

このうち最初の者がチェスターのロバート(Robert of Chester)(1140年頃)です。彼は、アル・フワーリズミーの代数をラテン語に訳し、いくつかの天文表を用意しました。彼は、北スペインのパンペルナ(Pampelune)の助祭長で、また、イタリアとギリシアに旅したようにも思えます。彼は、コーラン(クルアーン)をラテン語に訳した最初の人物でした。(1143年)

 そのイングランドの学者の二人目は、ダニエル・モーリー(Daniel Morley)で、1180年、オックスフォードで学んでいました。彼はパリへ行き、そこからトレドへ行って、アラビアの著述家たちを自由に引用しながら、天文学と数学とについて著述しました。こうした人たちが、この時代、数学を求めて強制的に外国へと派遣されたことは、ロンドンの学校で書かれた著作の記録から明らかです。スペインへ行くべきであるというのは、全く自然なことでした。単に言語の理由からだけではなく、アルフォンソ8世(1158-1214年)とヘンリー2世の娘、レノーラ(Lenora)との婚姻で、カスティリアとイングランドとの間には、親密な関係があったからです。

 ◆フランスのマニエリスト(その2)◆

 フランスのマニエリストの作曲家たちは、マショーやその直接の弟子たちと共に、すべて豪華なシャンティ写本(Chantilly Codex)に描かれています。その写本は、実際のところ、アラゴン王によって注文されたまさにその曲集あるいはその豪華版であるかも知れません。なぜなら、それは、彼の勅令にきちんと答えているからです。その何人かは、- フランスの影響を受けたイタリア人と共に - モデナ写本(Modena, Bibl. Est. M.5.24)(olim lat.568)やその他の資料の中にも現れます。

彼らの芸術は、自意識の激しい貴族的な玄人好みの音楽でした。彼らの一人、グィードは、「自然に反して」書かなければならないことに不平さえ漏らしています。「フィリップ[ドゥ・ヴィトリ]」の「boin exemplaire(よき模範?)」は、今では無駄になってしまいました。グィードは過激主義者の一人ではありませんでした。

真の過激主義者の中で最も優れているのは、アラゴンの宮廷にいたフランス人ハープ奏者、ヤコブ・ド・サンレッシュ(Jacob de Senleches)とも、ヤコミ・デ・セントルフ(Jacomi de Sentluch)とも、また(モデナ写本
(Modena Codex)では)ヤコピヌス・セレセス(Jacopinus Selesses)とも様々に知られている人でした。彼の苦心の末到達した精巧さでさえ、「マギルテル・ザカリアス(Magister Zacharias)」という人物によって越えられてしまいます。

モデナ写本の彼のラテン語のバッラード「Sumite karissimi」は、アペルによって「音楽の全歴史におけるリズムの複雑さの極み」と描写されているほどです。記譜だけでなく、記譜のレイアウト上の工夫は、後の時代に加えられたものではありますが、シャンティ写本(Chantilly Codex)の最初のボド・コルディエ(Baude Cordier)による二つのロンドに示されています。ハート形に記譜された有名な「Belle, bonne sage」と円形に記譜された「Tout par compas」です。

後者の一隅に、その作曲者は、ランス(Rheims)生まれで彼の音楽はローマにまで知れ渡ったという内容の韻文が書かれています。

 生まれたランスからローマまで
 彼の音楽は姿を見せさまよい歩く。
 (De Reins dont est et jusqu'a Romme
 sa musique appert et a rode.)

しかし、「Belle, bonne, sage」の実際の音楽は、いくつかの彼の作品(例えば「Amans ames」)ほどマニエリズムには決して堕していません。彼は、恐らく、15世紀初期に活動していたことでしょうそして、その頃には、マニエリズムに対する反動が始まっていました。
[ 13:46 ] [ あとがき ]

 いつの間にか6月も終わりです。ということは、2008年も半分過ぎたことになります。早いものですね。

 今年は、7月1日が雑節の半夏生です。「半夏のはげあがり」などという言葉を思い出しました。「降り続いた雨も、この日には晴れる」という意味だというものもあれば、「半夏(夏至から十一日目に当る日)の日が晴れると後は晴天が続く。」という意味の地方もあるようです。

 今日は、湿舌が入り込んでいるのかと思わせるほどの蒸し暑さでした。半夏生、さてさて晴れますでしょうか?
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