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いとしいワンコウたちとの日々
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2008/02/25のBlog
[ 10:29 ] [ 日常 ]
23日、朝は天気は上々
暖かい、でも、午後から寒くなるとの予報はあったが・・・・

友人8名と、一日バス旅行
地元から、バスに乗って、富士山を葛城山から眺め、修善寺の梅林を見学、夜は前から一度みたかった、御殿場高原・時之栖(すみか)のイルミネーションを見る。
お昼はお寿司と海鮮なべ、いちご食べ放題、その後駿河湾ミニクルーズ、
久しぶりの元職場の友人と再会、おしゃべりに、食欲に、見学にといきたいところだったが・・・・
(写真はバスの中から写した富士山)
午前中は、最高のお天気だったが
バスに乗って、しばらくすると渋滞
でも、首都高や、東名の渋滞は今に始まったことではない

ところが沼津で東名を降りた後まったく動かない、大渋滞
そのうち雲行きが怪しくなり、風も出てきた、雨も降り出す。

ガイドさんが、葛城山ロープウエイは大風のためにケーブルが動いてないので見学中止

とりあえず、お昼を食べに行きましょうと
渋滞は続き、やっとお昼を食べたのが午後3時過ぎ
お寿司もだいぶ前に握られていた様 でも、朝食は6時に食べたきり、もうお腹がすいて美味しかった。
食後のいちごも美味しかった。
(待ちに待った昼食)
クルーズも風のために中止
次の修善寺の梅林の見学へ
風が強く、寒かったが、それなりにきれいだった。
予定では、イルミネーションを見学する時間は日が長くなったので、あまりきれいではないかなと心配したが
なんと、着いたのは夜8時半、
寒くて、風は強かったがきれいで、感激、
やっと、来たかいがあった。
帰宅したのは11時を過ぎていた。
一緒の友人は、大風で電車が遅れていて、午前様に、疲れた一日であった。

ワンコたちは2匹とも朝から外へ出していった。
夫が夕方6時ごろ帰るからというので、誰にも頼まないで出かけたが、やはり、電車が止まったり、乱れていて、帰宅したのは午後8時を過ぎていたので、2匹は寒さと、風で、悲痛な声で鳴いたとか、私が帰宅したときはぐっすり寝ていて愛嬌も振りまかない。
昨日も、大風、一日家の中で過ごしていた。
本当に、最近の天気は劇的に変わる。
2008/02/22のBlog
[ 13:00 ] [ 読んだ本 ]
『桜田門外ノ変』 著者 吉村昭 新潮社

吉村昭さんの本は結構読んでいて、家にもたくさんある。
積読だけであったこの本をあるきっかけで読もうと思った。何かのきっかけで今読まなければ、だんだん目は疲れるし、意欲のあるうちにと思い。

この方の小説は、冷静なほどの観察力と地道な下調べ、まるで、実際、こうだったかと思いたくなるような小説というよりは、ドキュメントのような感じがした。
本は浪士の襲撃現場の指揮をとった水戸浪士関鉄之助をこの小説の主人公に書かれている。
著者は関鉄之助の日記や資料がたくさん残っていることや
鉄之助が逃亡した地を訪れて克明に調べ上げている。

事件の背景や、流れがきちんと書かれていて、今まで、なんとなく知っていたこともなるほどと、理解できたと思う。
あくまで、小説ではあるが。

よく知られている井伊大老が、水戸浪士に殺害されたこの幕末最大の事件を水戸側の立場から書かれている。

井伊直弼というと、彦根藩城主で、大老、水戸斉昭を始とする攘夷派とことごとく対立、安政の大獄で吉田松陰や、橋本左内を始とする攘夷論者を死に追いやり、孝明天皇に相談もなくハリスに迫られ日米修好条約を締結してしまった天下の大悪人という説、
井伊直弼には言い分もあるのであろうが。大昔NHKで放映された、船橋聖一の『花の生涯』では、井伊直弼を主人公にし、見方もかなり違っていた。


大老撃つべしと攘夷派水戸脱藩浪士、薩摩脱藩浪士計18 名での襲撃が生々しい。
井伊直弼の首を挙げたのは薩摩脱藩浪士有村次左衛門、傷が深く、井伊大老の首をかかえてよろめきながら和田倉門前を過ぎ、辰の口の若年寄遠藤但馬守(近江三上藩主)屋敷へ首を預け果てた。

藩主が首を失くすという前代未聞の不祥事に、彦根藩では直弼の死を伏せ、直弼の首とは言えず、この襲撃事件の護衛に当たっていた加田九郎田太が直弼と同じ46歳であるので、彼の首として受け取り、胴体に首を縫いつけ、何とか体裁を整えた。
襲撃に加わった浪士も、彦根藩士も亡くなったり、大怪我をしわずかな時間ですさまじい様相が伝わった。
折からの雪の朝、おびただしい血で染まり、刀はのこぎりの刃のようにボロボロ、切り落とされた指が、散乱した。
この事件に水戸浪士はピストルを5丁用意したようで、入所先なども書かれている。
攘夷論者であっても刀より、ピストルが威力ありと外国武器を使おうとしたのは皮肉なようにも思った。

関鉄之助は、襲撃には直接関与せず、見届け、薩摩との連携を信じて逃亡するが、最後は捉えられて死亡。

著者もあとがきに書いているが、先日再読した『恋闕(れんけつ』の中の2・26事件も雪の中、これを期に時代は大きく太平洋戦争へ、この桜田門外ノ変を期に時代は開国へと流れ明治へと進んでいく。
歴史とはこのようなものかと改めて考えさせられた一冊であった。

2008/02/18のBlog
寒いので、今夜はミネステローネを作る。
具沢山イタリア風野菜スープ。

これは、パンにも合うので朝も食べられるし、作りおきができる。
冬の寒いときに作り、那須の家ではよく作ったが、こちらもまだまだ寒いので。

野菜は何でもあるものを使う。
ジャガイモ、たまねぎ、ニンジン、キャベツ、大豆、今日はレンコンがたくさんあるので使った。

美味しさの決め手は、ベーコン(いいものを使うと美味しい)カリカリに炒めて香りを出す。
生のトマトは今は季節はずれ、高いし、美味しくないので
完熟トマトの缶詰を使う。

写真は材料
ジャガイモ 大2個、 ニンジン1本、 たまねぎ 大1個
レンコン 小1個、 キャベツ1/3個ぐらい、大豆(乾燥したものを一晩水につけたもの)カップ1杯ぐらい

にんにくひとかけら、固形スープ2個、完熟トマトの缶詰
ケチャップ、赤ワイン、塩、胡椒、バター
そのほかに香りのバジル、ロリエなどあれば使う。
野菜もセロリ、ブロッコリーなども使うときもある。

野菜はさいの目に切るらしいが、私はほとんど適当に割りと大きめに切る。食べているときにそれぞれの野菜の存在感がいいので。
キャベツも適当
オリーブオイルたっぷりの中で、にんにくを狐色になるまで炒めて、取り出し、次にベーコンをよく炒める。カリカリになるくらい。
野菜はキャベツ以外は一度にいれ、炒める。
水を入れて、30分ぐらい煮込む。
アクはできるだけ、取り除き、その後固形スープ、塩、胡椒、トマト缶、ケチャップ、をいれ煮込む。
写真は、一時間ぐらい煮込んだところ。

最後にバターを加える。大匙1ぐらい。
途中何回も、味見をして好みの味に整える。
出来上がり。
生クリームをかけて、あつあつを食べる。
カレーなどもそうだが、次の日のほうが味がなじんで美味しくなる、パスタを入れても美味しい。
濃厚な味が好きなので明日が楽しみ。

アバウトに作っても、あまり失敗がなく簡単で、野菜がたくさんとれて、温まるスープ。
[ 10:23 ] [ 日常 ]
天気は素晴らしく快晴
日差しも明るく、春の息吹を感じたいところだが、外は風が強くまだまだ寒い。
毎日、ベランダへ干している洗濯物が飛ばされる。
ワンコウも朝の散歩が終わると家の中へ入りたがる。

庭の草花もまだまだ、ひたすら、暖かくなるのをまっているよう。
そんな中、クリスマス・ローズが咲き出した。
直射日光がきらいで、葉っぱに覆われて気が付かないでいたが、今年はたくさんの蕾、だいぶ開いているのもある。
花が咲き出すと去年の葉っぱを切って花が見えるように。

クリスマスには咲かないが、2月になると忘れずに咲いてくれる、寒さに強い花
こちらはも色違い、葉っぱを切ると蕾がたくさん。

露地栽培で、ほったらかしておいても季節が来ると咲き出す。
ただ、花が下向きなのがちょっと。
四季バラ
ずっと寒さのせいか蕾のまま、一輪頑張っている。
残りわずかになった蝋梅
花のない季節、唯一楽しませてくれた。
来年もきれいに咲いてね。
シクラメンも咲いてはいるが色あせてきている。
それよりも、隣のランプが素敵
お友達が作ってくれたもの。夜とてもきれいです。
2008/02/13のBlog
[ 12:39 ] [ 那須の自然 ]
昨夜、那須から戻る。
那須の寒さからみると、こちらは少し暖かいような
気がしたが、今朝は天気はよいが、相当寒く、風が強い。

那須では日々の暮らしのために、働いているような気がしている。
雪かき、薪を割る仕事が一番大変であるが、楽しんでいるところもある。
薪は一度も買っていない。なんとなく、植木屋さんや、那須の地元の友達から伐採した木を頂、使っている。
もちろん燃えるようにするのは私の仕事
この次、行ったときの薪を作って帰ってきた。
友人は有難い。色々な情報も教えてもらえる。
これだけでは足りないかもしれないが、自転車操業のよう。
夜は寒いし、長いので読書と薪ストーブでことことと
料理づくり
風邪を引かないように、金柑をたくさん煮た。
甘くて、美味しいが食べ過ぎないように。
煮ているとき部屋一杯に金柑の香りが広がる。

にしん漬けも作ってきた。
今度行くときが楽しみ。昨年は暖かかったので、すぐに
すっぱくなったが、今年は大丈夫であろう?
チビゴン太は陽だまりの中、よく寝ていた。
チビゴン太の座るところの雪かきはすぐにしてあげたので
翌日には乾いて気持ちよさそう。
動物は、寒いとひたすら食べて寝ている。
チビゴン太写真写すよ。こちむいてね。
那須から戻ると、水仙が咲いていた。
やっぱり、雪の無いところ、花の咲くのが早い。
早速、仏様に使う。
紅梅を見上げると蕾が赤く膨らんでいる。
そう、2月の末に咲くのよね。
紅梅が咲き出したら、春も近い。
早く、咲いて。
2008/02/08のBlog
[ 18:37 ] [ 介護 ]
那須に来て今日で丸一週間が経った。
寒さにも慣れ、母の元へ通う日々が続いているが、(最も、大雪の日、昨日はスキーに出かけサボったが)

毎日、午後2時ごろ、施設に着くようにして、4時に帰る。 母の様子は今回はブログに書くことをよそうと思っていた。暗澹たる思いで施設から帰る日が多かったから。
身体的には安定しているが、私をわからないこともあり、繰り返される妄想や、譫妄にうんざり、まともな時が以前と比べるとずっと少なくなってきた。
妄想や、譫妄も嫌なことばかり、今日は会ったとたんに、「あんた、とうとう失明したんだってね。」
何を言ってるの失明したらここへ来れないでしょう。と言いたいのをぐっと抑えて、「大丈夫だよ。ちゃんとお母さんの顔見えるから安心して」
その後は、持て行ったおやつをもくもくと食べ、寒くて散歩はできないから、施設の中をぐるぐる回る。
ケアマネージャーさんとの話では、発作のような妄想は起こらなくなってはいるが、一日中妄想の世界に浸っていると。

今日の帰りがけ、食堂で牛乳を飲んでいたら、布人形と猫の縫いぐるみがあった。
そこへ座りたいと言うので座らせると、
久しぶりに、本当に私には久しぶりに優しい母の笑顔をみた。
人形を自分の子供だと思っているらしい。あやしたり、抱いたり 昔、私や妹をこんな笑顔で育ててくれていたのかとちょっと嬉しくなった。
忘れてしまってもいい、思い出さなくてもいい、いつも、この笑顔のような穏やかであってくれればいい。
明日も、笑顔に会いたい。

2008/02/07のBlog
[ 23:16 ] [ 読んだ本 ]
この本を読んだのは今から5年前。
夫から、たまには昭和史も読んでみろよ言われたが、戦争物は生々しくて、軍部の暴走があの昭和の悲惨な戦争に行き着くと敬遠していた。

そんな中『恋闕(れんけつ)』という題名
意味も、言葉も恥ずかしい話、まったく知らなかった。興味をもった。
★恋闕(れんけつ) 皇室を恋い慕う。一方的な片思いの ようではあるが。

先日ブログに載せた『霞町物語』でいただいたコメントの中に六本木の旧防衛庁敷地内に
「2.26事件で処刑されたという青年将校が銃殺された場所がそのまま本部の敷地内にあります。
史的事実を目の前に、ものすごい迫力を感じます。」
と書かれていた。

すぐにこの本を思い出した。本を探し、読み返した。
丁度季節も2月、、雪も舞い散る日々。

『恋闕(れんけつ)』 著者 黒崎貞明 日本工業新聞社

この本は2・26事件を起こし処刑された青年将校同士に捧げる鎮魂の思いで、書かれた本です。

2・26事件について書かれた物はたくさんあるようだが、詳しいことはまったく知らない。

この本の著者は、東京に不在のためにこの決起へ参加できず、生き残った青年将校であった。

著者こそが、事件を起こした青年将校たちの本当の気持ちや、想いを語ることができると懇願され、戦後を生きてきた著者が封印しようとしていた過去、想いを一気に吐露し、同士への鎮魂、連座され獄へ繫がれ、許されて後、激戦ガダルカナルの死闘を生き抜き、終戦を無事に迎えるように尽力し、苦難と、苦渋の激動の半生を自伝的に綴った書です。
私の好きな司馬良太郎は、明治の戦争を活き活きと書いていたのに昭和を書かないのはなぜであろうと思っていた。
司馬さん自身終戦時、戦車第一連隊に属する学徒出身の陸軍少尉で、当時22歳
その時、大本営参謀に、米軍が本土に上陸し、攻めて来た時に、無抵抗な一般民衆が連隊の邪魔になったら、どうするのか、と聞いたら
その参謀が「戦車でひき殺していけ」と言ったそうで、衝撃を受け、このことが司馬さんにとって軍部の思想の狂気というもの目の当たりにした原点となったようで、 
「狂気」に陥ったこの時代に対し、司馬さんは「全否定」した。
当然のことながら2・26事件も「全否定」し、 
さらに「ぼくは昭和維新がきらいでね。2・26事件をやったあいつらは、ヘドが出るほど嫌いだ」と言っています。
それほど軍部は腐敗していたのかもしれません。
この本の著者黒崎さんが陸軍師範学校へ入学後、どんどん軍の矛盾と、世界恐慌後の日本の農村の貧困、彼の元で共に戦う兵士の家族の現状を知るにつけ、若く純粋な青年将校が昭和維新を唱え暴走していくのは、わかるようにも思った。彼らをたきつけた人もいたであろう。
しかし、彼らの絶対的な天皇は反乱軍として彼らを認めなかった。
どんなにか、無念であったろうと思う。
彼らは本当に天皇と国民が一体となるような日本のために
働こうとしていたのである。自分たちが決起することも天皇
もわかってくださると信じ、天皇が反乱軍として彼らを認めなかったことなども知らないうちに処刑されてしまった。
銃殺されるときに、「天皇陛下万歳」を叫びながら果てていった彼らの想いを、せつせつと書かれているのを読み涙が溢れた。

著者に「後は頼む。支那との戦は駄目です」と北一輝は後事を託したが、その後はどんどん泥沼化、
彼らの決起は犬死だったのであろうか。
彼らの気持ちは純粋で、恋闕と言う言葉に尽きる。
なんとせつない、言葉であろうか。
この本を読む限りでは、司馬さんにも書いてもらいたかった。
今日はスキーに行ってきました。
楽しかった。
でも、だんだん怖くなる。
2008/02/05のBlog
ふくろうは、昔から知恵の神様として知られている。
知ってはいたが、あまり関心がなかった。
そういうたぐいは、まったく無視していた。

歳をとったのかな~、最近苦労も多く、何かに頼りたいなどと最も自分らしからざることを思っている。
子供もいないし、ワンコウは甘えるばかりだし。
弱音を吐くようでは駄目と思いつつ

ふくろう、不苦労とも書く(当て字であろうが)。
これはよい。
何か身につけるものをふくろうに。
ハリーポッターにでてくるあの大きな真っ白いふくろうも幸運をハリーに運んでくれる。
あのまん丸なお目目も可愛いし。
そんなことを思いつつ、一昨年、ふくろうのペンダントを買った。いいことがあるように、苦労しないようにと念じて、自分でもばかばかしいと思いながらお店の人が勧める物を買った。
黒いセターなどを着ているときにいつもぶら下げ、卓球の
試合には絶対身につける。
効果はあったのかしら
母が思いのほか早く、正式に特別養護老人ホームへ入居
できた。だいぶ気持ち的に楽になり、不苦労 ご利益感謝

卓球の方は?????苦労続きご利益なしかな。
やっぱり、実力の世界、厳しい。
今年は、別のふくろうを求めた。

これは前から、欲しいと思っていて3年越しで買った。
ふくろうの版画、種田山頭火の句が入っているのがなお嬉しい。

色々見た中でお財布と相談し、ふくろうの表情の気に入ったものを選んだ。
家の中の一番目に付きやすい壁にかけた。

お酒飲めないけど、こんな生活にあこがれもする。
今年はこのふくろうで、どうかラッキーに過ごしたい。
だんだん、母に似て、忘れっぽく、ボケの始まり。
この頭にどうぞ知恵を
お授けくださいと日々願っている。
2008/02/03のBlog
[ 21:00 ] [ 読んだ本 ]
『光る壁画』 吉村昭 新潮文庫

この本を読む気かけはこのブログ記事を読んだことによる。

吉村昭は好きな作家でしたが、以前MLで紹介された『破獄』もすごくよかった。.
職人の素晴らしい技術に魅かれて読む気になった。

胃カメラ、今では胃潰瘍や胃がんの発見には欠かせない。

吉村氏は南アフリカで、クリスチャン・バーナード博士の心臓移植手術を取材した際、世界で初めての胃カメラを作ったのは戦後間もない日本人だったことを聞き、興味をもち、取材しこの小説を書いたそうです。
地味な小説ですが、この題名、光る壁画は光源電球により
胃壁が光って見える、この感動をそのまま題名にしたものと思いました。
内容はオリオン(オリンパス)光学の2人の技術者と1人の外科医の開発にかけた男たちの熱い思い、彼らを支えた
町工場のようなところで、すごい技術(手作業)を持つ職人。
戦後間もない時期に、わずか、14mmの咽喉を通過する管、フィルム、電球を彼らに提供するために仕事をした職人にも感動。
直系5mmのレンズを磨くなど、研ぎ澄まされた器用な日本の技術を支えた人々がいた。
次々に立ちふさがる難題も不眠不休で、家庭も犠牲にしていくが・・・
何回も繰り返される犬を使った動物実験、同僚の医者自らが実験台になってくれたり、一つのものが開発されるには大きなドラマがあることをいまさらながら知った。
今でこそ、当たり前のファイバースコープまで、随分技術は進歩したものである。
戦後のこの時代、中村修二さんのような権利はどうなっていたのか、ふと思った。


[ 21:00 ] [ 那須の自然 ]
1日より那須に来ています。
雪は無く温度が低いだけでしたが、今日の夜中から雪が降り出し、まだ降っています。
10cm以上は積もったようです。
北国の人にはこんな雪で右往左往するなんてと笑われてしまいますが・・・・
午前中は、久しぶりに物置からプラスチックのジョンバを出して、雪かきに汗をかいた。

犬たちは嬉しくて、庭を飛び回っている。
それでも、お散歩に行かなければならない。
周りはモノトーンの世界 これも悪くない。
雪が降ったほうが私は暖かく感じる。
今日は立春、節分です。那須の家で節分は初めて。
毎年恒例の豆まきです。こちらは建て込んでないから、大声で、福は内 鬼は外
こんなことやっているのは家だけかもしれない。
鬼は、家の鬼娘、こはな。
これが、外へ行かないで家の中を豆の袋を銜えてちょろちょろ。

チビゴン太は危なく脱走されるところでした。
臆病なので、私の声と豆に驚き外へ飛び出す。

本当に気が弱いから。

節分には2~3年前から、恵方巻き。
今年はどの方角かな?

恵方巻きするほどの時間も材料もないから
雪で、買い物も、母のところも今日はパス
実は雪かきで疲れて昼ねしてしまいました。
今日は簡単にちょちょっと一本だけ。

たまごと、小松菜のおひたし、梅干、ちょっぴり残っていた、エビ、シラス入り
ご飯ばかりで2個でお腹一杯
早く、春が来て花が咲くようにと願って???
かぶりつけません。
2008/01/31のBlog
久しぶりに写真写すから、2匹でお座りしてね。
散歩行きたいのなら、早くして。

チビゴン太はすぐに真剣な顔でお座り。
散歩、ご飯、チビゴン太キーワード

こはなは、相変らずちょろ、ちょろ落ち着きがない。

「こはな、早くお座りしろよ。おいらはさっきからずっとお座りしてるのに。眠くなってきたぜ」
と言わんばかりの大あくびのチビゴン太

「私だって、頑張ってるの。ママはお顔も上げてとうるさいの」とこはな
やれやれ、やっと一枚。
これで散歩に行けるね。
でも、今日は天気はよいけど風が強くて、お友達にも逢えないし、ボールもできない。
こはなは飛ばされそう。

もくもくとよく歩いたね。

帰りに公園で一休み。
明日から、那須だからね。きっと寒いよ。
帰ってきて、お水をたっぷり飲むチビゴン太
乾燥しているものね。

こはなはどこ?
「こはチャンもこっちでお水飲みなさい」

風のないところで、できなかったボール遊びに夢中。

さあ~家に入ってご飯ご飯。
2008/01/28のBlog
『霞町物語』 著者 浅田次郎 講談社文庫

浅田次郎の本は以前『壬生義士伝』を読んだのが初めて。
南部藩の貧しさ、下級武士の悲哀、親子の情、友情、
どれをとっても泣ける話であった。
上下2冊になっていたが、特に、下巻を涙ぼろぼろで
読んだ記憶がある。
浅田次郎の本と意識せずに、新撰組、忠臣蔵好きの
私の題名からのイメージであったがよい本であった。

古い友人にその話すると、『霞町物語』もいいよと薦めてくれた。貴女には懐かしいよ、若い頃を思い出すよと。

霞町、材木町、田村町、日本橋牡蛎町など、もうすっかり変わってしまった東京の古い町名
霞町は六本木、麻布、青山台地の窪地。もう、すっかり蓋をしてその姿を見ることがない古川にかこまれ、霧が湧いていたのかもしれないが、この話も霧に包まれセピア色になっていく、若者が元気だった昭和40~50年代の霞町(今は西麻布かな?)界隈
著者の家は麻布十番商店街の写真館、受験を控えた多感で、ハチャメチャな高校生であるが、刹那的な当時の若者の気分も、青春の甘く切ない哀歓もよく伝わる。
この町で祖父母、両親、友人たちとの日常的かかわりを綴ったものである。

社会人になって、結婚するまでの昭和40年代、私は2年間麻布十番に住んでいた。
当時のこの当たりのイメージがある。
あの当時の町の様子、出来事、出合った人たちと重なる。通ったお店、懐かしい
本に随所に出てくるオーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」、プロコル・ハルムの「青い影」、流行っていてあの頃よく聴いていた。

本は8編の連作短編集で、『霞町物語』はその最初の短編である。
そんな町に育った著者は生粋の東京人、
私のような田舎者には驚きの高校生ではあるが、東京オリンピックを境にして東京の街はどんどん変わって行き、都電がなくなり、写真館の存在も家庭にカメラが普及し薄れていく中、頑固に写真館にこだわる祖父の描写がすごくよい。
孫の著者とのかかわりも暖かく切ない。
私が結婚前下宿したのは麻布仙台坂下の布団屋さんの家、
大家さんには随分可愛がってもらった。嫁に来るときはここからで、布団を作ってもらい、お祝いに夫婦座布団を頂今も何度も打ち直し使っている。
まだ、大家と下宿人の間にもこんな付き合いがあった。
子供のいないご夫婦で、私たち姉妹のお目付け役でもあった。
仙台坂上には韓国大使館があり、学生運動が盛んな時期だったので警察がいつも一杯で嫌な感じ。
隣に下宿していた年の頃なら50代後半、女性
背筋のぴんとした、なんと粋に着物を着こなすおばさんかな~と思っていたら、
銀座の芸者置屋組合のお姐さん、夜遅く、妹と当時夢中だったR&Bのレコードを大きくかけて何度も叱られた。

本に出てくる粋で、気風がいい著者の祖母を思った。
著者はこの祖母から学んだことを随所で見せている。
祖母の描写もとてもよかった。

十番の商店街は今もあるが、豆菓子屋、カステラ屋、長坂更科蕎麦屋、しゃれたスパー、お風呂がなかったから銭湯で、時々行った十番温泉もあった。

六本木まで歩いてアマンドのケーキを買い、しゃれた喫茶店でお茶して、飯倉の狸穴(まみあな)蕎麦、うなぎ屋野田岩など美味しくてお給料の入ったとき待ち焦がれていったものです。
まだ結婚前の夫がおごってくれて、嬉しかった。
おのぼりさんの私は東京に住んでいるんだと嬉しがっていた頃。
夫は中学から、このあたりがテリトリー、よく知っていた。
祖父母、両親に愛され、しゃれた、シテイ・ボーイの著者は今はどんなおじさんになっているのであろうか。
町がすっかり変わり、布団やの大家さんも、土地を売って東京の郊外へ引越ししていった。
たまに、豆菓子を買いに十番商店街を訪れるが、地下鉄ができ、住んでいたところはすっかり変わり、面影はもはやないが、あの高度成長の時代確かにこの町で、こんな人たち生き生きと暮らしていた。
このあたりで青春時代を過ごした人には懐かしく、よい本であった。

著者の泣かせどころは時代が変わっても少しも変わらず、上手い。
2008/01/21のBlog
[ 18:03 ] [ 日常 ]
日本の調査捕鯨船に「シー・シェパード」と名のる米環境保護団体(?)の男性活動家2人が無断で乗り込んだ。

調査捕鯨船を「密猟者」「テロリスト」呼ばわりし、酪酸を振りかけ、船のまわりに網をくくりつけて船の進行を妨害し、拘束されることを予想して洗面セットまで用意して、てんぷらまでご馳走になり、その後釈放、3時間後にはまた別の調査捕鯨船を襲撃、
「シー・シェパード」って何なの。

鯨を保護しょう、食べるなんてもってのほか。
鯨のウオッチングを楽しんでさえいれば満足。
日本や、北欧の国が鯨を食べるために乱獲するので、激減?
ウソばっかり、鯨を乱獲していたのはアメリカではないか。鯨の肉は食べないで、鯨油をとるためにどれだけ乱獲していたか。
かの、幕末のぺりー来航だって、鯨の漁場を求めて日本へやってきたのに。
それが今頃、鯨は高等動物で、捕鯨される映像が悲惨で可哀そうとか、日本は鯨を殺すテロリストだとか。
牛や豚、鳥はよくて鯨は駄目とはまったくおかしな話。
動物の屠殺現場の映像は何であれ、可哀そうと思うもの。

食料に限らず、人が生きていくためには、医学的にも動物実験によりどれだけの動物の命を犠牲にしてきたか。人が食べ物として有難く頂戴し、医学や、科学の発展のために、乱獲は避け、長い歴史共存していたではないか。

シー・シェパードは狂信者、教条主義者としか思えない。

「科学的なデータを集め、鯨について冷静な議論を」と言ったて、彼らは絶対認めない、彼らの主張は理屈ではない。
あの船についている 「どくろのマーク」 からいっても許せない集団。
この集団へお金を出すパトロンはどんなやからなのか。まさか西欧諸国、オーストラリア、アメリカではあるまいが・・・・
この組織を維持するために、多額の寄付金を得るために
過激なパホーマンスをしているとしか思えない。
それにしても日本外交の弱腰姿勢は今に始まったことではないが、情けない。
シー・シェパードは何が環境保護団体なのか?酪酸で 海を汚し(たいしたことはないにしろ、水生動物にはよくない)、オーストラリア政府は彼らを黙認し、すぐに自由放免

シー・シェパードの活動家は日本は過激な扱いはしないとなめている。情けない。
鯨は、古くからの日本の大切な蛋白源、もっと日本の立場を主張していいのではなかろうか。
現に、食用のミンク鯨は、随分増えていているようである。

あんなやからに、美味しいてんぷらなどご馳走するいわれなんぞない。

昔食べた鯨のベーコンみょうに懐かしい。

写真は、だいぶ咲き出した庭の蝋梅
(1月19日撮影)

2008/01/18のBlog
今日も全国的に寒い。
車がやっと、戻ってきた。
ラジエィターからの漏れが見つかって、最初からケチがついた車だが、欠陥車ではなさそうで、ラジエィターに繋がっているホースがしっかりとはめ込まれていないちょっとした
不具合ではあったが、念のために全部取り替えた。
これで大丈夫かな。
車のことには関心がないが、ちょっとした不具合で大事になることもあるということを改めて知った。
借りていた車を返すのに朝、後部座席を掃除した。
何しろ、2匹が乗ると、敷物は敷いてあっても、半端じゃない汚れ方。
水が冷たく手がかじかんで、真っ赤になった。

寒さついでに、沢庵を本漬けして、丸一ヶ月経つので、試食してみる。たるの中に手を入れるとぞくっとするほど冷たい。
糠を落として、切ってみると、まだ色がいまいちの感じ。
試食してみると、ぱりぱりしているが、まだ、塩なれしていないが結構いける。
ちょっと早かったかもしれない。素人の沢庵らしく、素朴な味がする。

ついでに今夜のおかずを。
買い物に行ったら、豚のヒレ肉が特売。
寒いし、料理の名前はないが、にんにくたっぷり、冬ネギは甘くて美味しいので、豚のヒレ肉と長ネギの一品をつくる。
材料
豚ひれ肉 一本 500gぐらい。(小ぶり)
ちょっと冷凍庫へ入れて包丁で切やすくする。

たてに1cm弱ぐらいに輪切りにして、こしょうを振りかけ、卵1個分、片栗粉大匙2杯をよく溶いた中にひれ肉を入れ、混ぜ衣にする。

長ネギは、写真のようにぶつ切り、好き好きですが、我が家はネギが好きなので太目を2本使う。

にんにく大玉ひとかけら、みじん切りにする。
油で、衣をつけたヒレ肉を揚げる。
全部揚げるが半分は冷凍し、次に使う。
衣に色が付いたら取り出し、油切りをする。

中華なべにサラダ油を引いて、にんにくを強火で炒め香りを充分だし、長ネギも加えていため続ける、長ネギの表面が狐色になったら、揚げたヒレ肉を加え、酒を多めに振りかけ
炒め続ける。
ここで、肉は完全に火が通る。
弱火にして、トマトケチャップ、大匙2杯、醤油大匙1杯
ウスターソース大匙1杯(今夜はウスターソースを切らしていたので中農ソースを使う)と少量の水を加えたものを
を一気になべに入れ、肉とネギに絡ませ、味を調える。少し砂糖加えた。
出来上がりです。
ヒレ肉は冷めても美味しく、柔らかい、長ネギが甘くて美味しい。
家のおかずの定番ですが、甘いのがきらいな方は砂糖やケチャップの量を減らしても美味しいです。
2008/01/17のBlog
[ 18:49 ] [ 介護 ]
一昨日の夜千葉の自宅へ戻る。
こちらも結構寒い。家の中に入れてある植木もぐったりしていた。今朝は薄っすら雪景色 すぐに融けてしまったが、風が強くて、余計寒さを感じる。
午後から卓球に行ったが汗をあまりかかなかった。

今回の那須通いは短い日々であったが、母が身体的には元気で安心した。
帰る日は寒いが天気がとてもよかったので、久しぶりに母を外へ連れ出した。

「おかあさん、みてごらん、山がとてもきれい」私が何度も言うが、母は「寒い、寒いを連発、早く家に帰りた」と言うばかり、美味しいものを食べるときと、お風呂が気持ちがいい
(ここは全身浴の機械風呂)それだけが今の母の嬉しいことなのか。
写真は母の施設から 那須の山並み
もって行くおやつは本当によく食べる。
机の上においてある、人形にもおやつをあげてと、何度も言う。
人形は食べないよ、と言っても聞かない。
ヘルパーさんの話では、最近は人形に話しかけてることが多いとか。
寂しいのであろうか。
帰り際に、またまた、お金を盗まれたので30万円欲しいと何度も言う。
ああ、また始まったと・・・ 
今日帰ると言うと、とたんに始まる。

最初は、今度結婚するために必要、次は私が家賃を払わないので家賃を払えず追い出される等々・・・・

今回は何度もお金はここへ置けないと言い聞かせるが、納得しない。ヘルパーさんに預かるからと実際にお金を持たせて、ヘルパーさんに渡す振りをする。
どうして、30万円なのか?

持っていたお金が2万円しかなかったら、あんたも貧乏してるのねと言う。笑ってしまう。
今回、何に使うのと聞くと、「あんたには言えないが私にも必要なことはあるのよ」
はいはい、と言うしかない。
「あんたの家に行くときの介護タクシー代すらないのよ。
長靴もないし」と言う。
歩けると思っているのだろうか。

介護タクシー代なんて言葉よく知っていると驚く。
那須の家に帰りたいのであろう気持ちがよくわかるが・・・・
この次は連れて来れるのであろうか・・・
こんなに寒くては。
もって行った果物を食べ満足そう、本当に食欲はある。
帰り際、かならず、「あんたが来ると元気が出る」

ああ~また言われてしまった。
本当にぼけているの?

この言葉に私は弱い。また、すぐ来るからと言ってしまう。
こうして、私の那須通いも今年も続く。
2008/01/16のBlog
こちらに帰ってきてドックフードがなくなっているのに気がつきあわてて、いつものお店に買いに行った。

新年の犬用の福袋が売れ残っていた。
かなりいいものが入っているとか、本当かな?
間違いなく10000円相当のものが、3000円

チビゴン太用を買いたいと思ったが。サイズは小さいものばかり。
でもセーター類は伸びるから着せられますよと店員さんにいわれて買ってみた。子犬用の女の子用を買った。
中を開けると、確かに3000円は安い。
セーター、パーカー、ダウンコート、リード、首輪の5点が入っていた。
早速伸びるからといわれたセーターをチビゴン太へ着せてみる。丁度いい感じ。嫌がらないで着ている。
少しは暖かいかしら。またまた、こはなのついでにという感がするが。
次にこはなへダウンコートを着せてみた。
これは伸びないからチビゴン太には無理。
それにしても、こはなは何を着せてもいまい