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釋護法の雑記帳「みちくさ」
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2005/10/30のBlog
[ 20:20 ] [ 徳島点描(徳島のはてな?) ]
先日、徳島城博物館で特別展示している「大名の旅-徳島藩参勤交代」の見学をしてきました。
ところで本題じゃないですが、江戸時代の徳島は阿波藩。藩主は蜂須賀でした。市内の中心部に城山(標高62m)があります。この上に非常時用の山城があったようです。本丸、東二の丸、西二の丸、西三の丸がある本格的な城で天守閣もあったとか。通常は城山の下に作られた平城で生活・執務をしていたようです。今は、いずれもなくて、庭園だけが残っています。なかなか見事な庭園ですが、やはり城がないのは寂しいですね。なんでも、明治に解体されたとか聞きます。誰が何のために壊したんでしょう。

で、本題の参勤交代。想像以上に大規模なものだったようです。幕府の大名、特に外様を服従させるための政策で、大名を経済的に疲弊させたかもわかりませんが、宿場町などへの経済効果は凄かったのではないでしょうか。また、想定外だったでしょうが、各地方の文化を交流させ日本としての統一感を持つうえでも有効だったのでは。

参勤交代の費用は数億円/藩だとか。阿波藩の参勤交代は、ある時期には
 3月中旬徳島出発 → 4月上旬江戸到着
 4月中旬江戸出発 → 5月上旬徳島到着
だというデータがありました。時代によって時期も変わっていったようですが、移動日数は思ったより短いです。

 12代藩主蜂須賀斉昌の自筆の「参勤・交代旅中日記」が展示されていました。名所旧跡を見学しながら、旅を楽しんでいるようです。

 展示品は撮影が出来ませんでした。この写真は、博物館の外にある徳島城表御殿の庭園です。通称、千秋閣庭園。枯山水庭と築山泉水庭のふたつから構成されてます。
写真は初代の至鎮公の踏み割伝説のある石橋です。
同じく庭園の一部です。この庭園、規模は偕楽園とか栗林に比べて小さいですが、内容・雰囲気は素晴らしいと思います。
たまたま庭園の入口で菊花展をしていました。
おしまいh、徳島城博物館の入り口です。
2005/10/28のBlog
[ 11:22 ] [ 徳島点描(徳島のはてな?) ]
こんど、その俘虜収容所の話が「バルトの楽園」という題名で映画化されるそうです。近くにあるロケセットを見に行ってきました。
もう一枚。題名のバルトはドイツ語の髭だそうです。所長もドイツ人の多くも立派な髭を生やしていたということからの命名とか。楽園は「がくえん」と読むそうです。
場面は変わって、こちらはセット近くの大麻比古神社の境内にある大クスの木です。
また近くには、四国八十八箇所お遍路の一番札所である霊山寺があります。お遍路姿の人形があちらこちらに置かれています。本堂前の人形は、何故か西欧人の容姿をしています(^_^)。
[ 11:06 ] [ 徳島点描(徳島のはてな?) ]
鳴門のドイツ館に客人を案内。板東にあった第一次世界大戦の時のドイツ人の俘虜収容所は有名、首都圏にいた時も渦・阿波踊りそして俘虜収容所をご存じの方が多かったですね。会津藩出身の収容所所長の素晴らしい人柄、俘虜の手作り楽団によるベートーベンの第九の日本初の演奏などを知っている方が結構いらっしゃいました。

この週末かな、コスモス祭もあるそうです。地元の方のご接待もあるとか。
館内の第九演奏を説明する施設です。
俘虜の手作りマンドリンです。
演劇なども上演したようですね。これはシェークスピア劇の手作りパンフレット。

俘虜になったドイツ人の文化レベルの高さには驚かされます。和洋の文化の違いはあったでしょうが、地元の人達との交流も素晴らしい。地元とドイツとの交流がいまも続いていることからも、その交流の深さが想像できます。

とはいえ、当時の写真を見ると、ドイツ人俘虜の周りに集まる、あるいは遠巻きする地元民という内容は、今の我々がネパールの奥に入ったときに、周りに集まってくる地元民という構図と非常によく似た雰囲気です(^_^;)。
これは、俘虜がボランティアで建造したというドイツ橋です。
2005/10/25のBlog
頂上の付近ではリンドウがいっぱい。
センブリも可憐な花をつけていました。
突然、蝶が飛んできて花にとまり、シャッターチャンスと大慌てで撮した写真です。ホームページ本体に移すときは、もう少しトリミングなどする予定。
この時期は、アキノキリンソウがどこでも見られますね。
最後に花とは違いますが、星の岩屋に戻る直前にある分岐を下っていった仏陀石を見学してきました。標識では仏石と書かれていて、説明の看板には仏陀石となっていました。
やはり弘法大師がらみの伝説が残っているようです。山の上に輝く光を見て山に分け入ったところ、両部曼荼羅の諸仏に出会ったそうです。
修行の場と宿の兼用のような家の間を通過して登り始めると、すぐに分岐。不動権現に参拝する道でした。また分岐に戻って、前の台風の影響か少し荒れ気味ですが、それでも登山道というより遊歩道といった風情のコースを登っていきます。
 林道を2回横切って、空が近くなって頂上かなというところに、ポーンと飛び出します。ここが驚き・・・なんと、補導された道と車が・・・えーっ、ウソーといった感じですね。金時山に全く展望のない沢沿いの林の中を登っていくと、急に展望がパーっと開けて、なんと富士山が目の前にどーんと迫ってくるコースがあります。内容はともあれ(^_^;)、同じようなショックを受けました。
写真は舗装道と車の側から振り返って、登ってきた登山道を撮しました。正面を向くと舗装道路がはしっていて、車も数台。これって・・・。
目の前にパラグライダーの大きな基地?があります。そのための道路なのかなあ。しかし、折角の徳島市の最高峰らしい中津峰が、なんとなく台無しになっているような気も。
気を取り直して山頂へのコース(これは遊歩道的な山道です)に。山頂です。
山頂には石積みの防風壁で囲まれた中津神社(まだ縁起も調べてなくて祭神はわかりません)。
山頂より展望の良さそうなパラグライダーの発進場所へと移動しました。少しかすんではいますが、阿南の海岸、直下の勝浦の集落そして西の方には連なった山並みが望めます。三つ並んで見える三角錐の形をした山は、一番左側が高丸山なんでしょうね。地元の方に尋ねましたが、高城山(たぶん、そうなのかな)、少し右に離れた山は雲早山かなということでした??。
勝浦の川と町の集落です。
2005/10/24のBlog
お天気も良くなり、ここ数日の寒気で空気も澄んできたところで、徳島市の最高峰(773mですけど)になる中津峰にぶらりと行ってきました。徳島に移ってきたすぐの4月に夫婦で如意輪寺から登るコースで行きましたので、今回は弘法大師ゆかりの星の岩屋からのコースを選択。かつ、久し振りの単独行です。

徳島145山というガイドブックによると「勝浦川の堤防にある星谷運動公園に車を置いて」と書かれています。公園から歩きだし、県道に出たところで看板があり、星の岩屋前に駐車場ありとなっています。約40分の行程を短縮しようと車に戻って林道に入りましたが・・・・・入ってから後悔、いやあ狭い道です。戻るに戻られず、星の岩屋前の駐車場まで行きました。

手前に面白い看板が出ていました。土の児神社と桜快道と書かれてます。そういや、昔ツチノコ騒動があったですね。その名残でしょうか。
3台くらいは車を置けるでしょうか、横には滝が流れ、駐車場の手前から星谷寺と星の岩屋へ登っていく細い道があります
人の気配がまったくなく、霊気漂う雰囲気の岩屋に足を踏み入れますと、なにか行者にでもなった気分です。
さっきまで修行僧が座っていたのではといった場所を通過すると、有名な裏見の滝です。これを楽しみにしてましたが、思ったより水量が少なくがっかり。滝の裏側から見ている写真なんですが、あまり雰囲気ないですねえ。
星谷寺の境内にあるオオイチョウに掘られた不動明王です。生不動というらしい。

参拝とと見学の後、中津峰への登り口を探しました。標識がないんですよね。地形図では岩屋から西に行く筈ですが・・何故か東方向に登山道があります。かなり荒れてはいますが、通行は可能。先で西に曲がるかなと偵察に行きました。
どうも西には向かわないうえ、鎖頼りに大岩を横にトラバース(剱の横バイですね)します。こりゃあ、行場だわと、引き返して、反対側の修行者が使うらしい宿舎の方へ方向転換。なんと、ふたつある家の間の道が登り口でした。

参拝と道探しで1時間費やしました。なんとなく徳島の山は登山口が判りにくい感じがします。入ってしまえば、地形図と磁石に山勘でなんとかなりますが、入口が判りにくいのはつらいです。結構、荒れていて入る人が少ないような西丹沢辺りでも入口は、もう少し判りやすいかも。

・・・・・・その2へと続きます
2005/10/23のBlog
[ 20:34 ] [ 徳島点描(徳島のはてな?) ]
先日、地元の新聞(徳島新聞)に掲載された記事「神山町鬼籠野の天岩戸立岩神社で開元祭が開催された」を紹介しました。ご神体の岩を古事記の天の岩戸にみたてた開元祭で、「岩戸の舞」などが奉納されたとか。
 四国そして徳島には古代のロマン溢れる話がいくつもあります。どこまで本気なのかは判りませんが、研究会も色々とあるようです。上記の開元祭は、阿波古事記研究会の方がセットされたそうです。
 阿波古事記研究会
 先日、大阪から来て下さった友人ご夫妻と三嶺に登ったとき、車中で「徳島に天の岩戸があるとか、邪馬台国があったとか」、古代のロマンを追い求めている方達がいるんですよというお話しをしました。
 こういう話は嫌いな方じゃないし、首都圏在住中にも「邪馬台国はまちがいなく四国にあった」という大杉博さんの本の初版を入手してました。いずれ、徳島に戻ったときには、しかるべき場所でテント泊をして古代??の雰囲気を味わいたいなと思っていたくらいです(^_^;)。
 これまでに少しですが、ホームページの検索をした結果を紹介します。有名な竹内文書とか青森のキリストの墓とかピラミッドなどと比べると全国版ではありませんが、それなりに面白いです。よくまあ、ここまでと呆れるところもありますが。
 
 全国を股にかけて、この種の場所を実際に訪問調査されているグループがおられます。超歴史研究会というようですが、ホームページもあります・・・
このホームページには、北は北海道から南は九州まで超古代の伝説のある場所を実際に訪れたレポートを公開しています。有名どころでは、青森のキリストの墓・ピラミッドなどがあがっています。そして徳島ですが、
 八倉比売神社(神山町) 、 立岩神社・金山神社(八多町)
 忌部神社 、 立岩神社(神山町)、 天愚岩~台石
 塔岩(大剣神社)・宝蔵石神社 、 剣山 、 天磐戸神社
 白人神社 、 契約の箱(アーク)
などがあがっていました。

 安徳天皇にまつわる伝説もありますが、もっと古いところでの極めつけは「ソロモン王の秘宝」です。なんでも、剣山の山頂付近にソロモン王が莫大な宝物を埋めたそうです。実際に、戦後に宝物を求めて何組かの人が剣山の山頂周辺を掘り起こしたとか。そのひとりに、山本英輔という元海軍大将もいたそうです。実際に発掘して、50体以上のミイラを発見したとか・・・風化のため土と見分けがつかなくなっていたということで真偽不明だそうですが。その後、資金難から次第に行き詰まり、「残ったのは発掘口の穴と山本の借金、そして神域を荒らしたことに対する地元の怒りの声ばかりという有様となった」と書かれています。
 このソロモンの秘宝については、東京都三多摩に本拠を持つNSRというグループが色々と調べてホームページにも公開しています。こちらのグループも上記の超歴史研究会と同様にロマンを楽しんでおられるようです。
2005/10/22のBlog
[ 21:16 ] [ 徳島点描(徳島のはてな?) ]
ソバというと東京の藪蕎麦が全国的に有名ですが、徳島の蕎麦もなかなかのものです。素朴な田舎風の祖谷ソバもありますが、実は洗練された繊細で美味なソバがあるんですよ。この味を徳島で覚えたため、首都圏で有名どころのソバ屋に行っても、「ふーん」といった感じでした。
そのソバ屋さん、首相をなさった三木さんも大好物で、わざわざ徳島から取り寄せていたとか。私も帰省すると食べに行っていました。ところがです。そこのソバの味、ここ10年くらいのうちにどうも変化してしまいました。
残念だなとあと思っていましたが、近くに昔の味を復活させたお店を見つけました。
水車と繋がった挽き臼などを窓越しに見ながら食事できる囲炉裏のある倚子席の建物と座敷・倚子席のある建物があります。囲炉裏のある席に繋がる、なんとなく風情のある通路です。
何故かいろんな種類のトウモロコシがぶらさがっていました。
水車と繋がった突き臼です。
で、挽き臼で粉にしています。実際に使っているそうです。
2005/10/21のBlog
先日、荒れ模様のなかをミニ白神に行ったとき、暗い森の中でデジカメが手ぶれのオンパレードとなってしまいました。屋外の広い場所ですから、もちろんフラッシュなんて役に立ちません。トレッキングしながらの撮影ですから、じっくりと落ち着いて撮すこともままならず、手持ちで撮した写真のほとんどが使い物にならずでした。

まともに山を歩きながら三脚を利用されている方も大勢いらっしゃいますが、縦走パターンですと時間的につらいし、まず体力が・・・(^_^;)。せめてカメラ用の一脚を入手しよう、さすれば技術はともかくとしてマシな写真がもう少し撮れるはずと思いこんだわけです。
渓流釣り用のストック、カメラ用品の1脚も含め色々調べて、結局はオーソドックスにレキのストックを買ってきました。

これで、現在はピッケル合わせて3本となりました。これまでに壊したり、無くしたりしたストックが3本くらいでしょうか。合計6本、山歩きはじめて20年強ですから、お飾りのピッケル除けば、4年/本か・・・うーん、安いのか高いのか。
ストックにカメラを装着したところの写真。
カメラ1脚にもなるストックを探すと3種類くらいありました。治具のようなものをつける方式、ポールを専用の脚で付け替える方式、そして写真のようにトップをはずとカメラ取り付けネジが出てくる方式。
山歩きしながら使うには、手軽に操作できないとね。やはり、最後の方式が一番簡単のよう、問題ははずしたトップを無くさないようにする事ですね。

昔はトップにねじ穴があって、そこにカメラ取り付け用のネジを切ったボルトをとめる方式があったですが、もう販売されていないみたい。確かに、そのボルトが手にあたって不快でした。
2005/10/20のBlog
今朝の徳島新聞にトゥクチェ・ピークの登頂記事が出ていました。隊員5人のうち徳島の方が3名、ひとりは山岳ガイドの方のようです。
主峰への登頂は断念したそうですが、西峰6837mの西峰に登頂されたそうです(ちなみに、新聞記事では征服の文字が・・・うーん、この表現は嫌いですね)。

こういう本格的な登山は無理ですが、以前にネパールトレッキング中にプーンヒルに登った時の展望を思い出しました、北東右からマチャプチャレ、ヒウンチュリ、アンナプルナ南峰、アンナプルナⅠ峰、ニルギリ、カリ・ガンダキ。北西にダウラギリⅠ峰、その右にトゥクチェ・ピーク、左にダウラギリ主峰といた大展望。その中にトゥチェピークもありました。
写真はプーンヒルからダウラギリ主峰です。
ついでにトレッキング中のマチャプチャレの展望です。
2005/10/19のBlog
少し前にニュースになっていましたが、国語研究所が外来語の言い換え提案の中間報告をしたそうですね。

リバウンドが揺り戻し
クライアントが顧客
ドナーが臓器提供者
コンポストはたい肥
トラウマが心の傷
・・・・・あたりは、そうかなとも感じますが、

アクセスビリティーが利用しやすさ
サムターンが内鍵つまみ
ワークシェアリングが仕事の分かち合い
・・・・・等々、うん?かえって判りにくいなというのもありますね。

日本語は融通無碍というか、元々外来語の漢字がメインに、途中で
作ってきたカタカナにひらがなと複合的ですから、どうにでもなる言語
みたいですね。便利この上なしかなあ(^_^)。

中国では外来語を漢字に置き換えてますが、判じ物みたいですね。
中国を旅行中になんだろうと考えるのも楽しいですが、あれだけの広
い土地と多い人口の中で、決め事がどう伝わっていくんでしょうかしら。
アルファベットのまま使うと楽なのにと私なんかは思ってしまいます。
でも、あの置き換えセンスはたいしたものですね。日本も明治の頃は
色々な置き換え工夫がされていたようですが。
2005/10/18のBlog
[ 20:57 ] [ 徳島点描(徳島のはてな?) ]
徳島の神山町鬼籠野にある天岩戸立岩神社の開元祭が、16日に開催されたとの記事が地元紙に出ていました。添付写真は著作権の問題あるかな・・・見なかったことにして下さい(^_^;)。

ご神体の岩を古事記の天の岩戸にみたてた開元祭だそうでし。約80人も集まったとか。二胡の演奏、ディジュリドゥの演奏(えー、歩き人ふみ君がオーストラリア徒歩旅行から持って帰った楽器だ)、ホラ貝や石笛など盛り沢山だったようです。
写真は、「岩戸の舞」だとか。
2005/10/16のBlog
[ 22:03 ] [ 徒然Diary ]
徳島の大学で先生をされている范永輝さんとお仲間の中国武術研究発表会に行ってきました。
范永輝さんは、全中国プロ武術家大会の棍棒で優勝、九節鞭で三年連続優勝など武術の達人で中国武術最高の資格である武英級をもっておられます。
素晴らしい好青年で徳島で大学の先生、地域の方々など大勢の仲間の方と活躍されています。

今回は、范永輝さんのお仲間の演技に加えて、范永輝さんの武術はもちろん、
 ・元世界武術チャンピオンで日本に来られてからはテレビでも活躍、
 日本オリンピック委員会の強化スタッフもされている陳静さん、
 ・ご主人で2003年の世界武術選手権大会で42式太極剣チャンピオンとか
 日本武術選手権大会で10連覇などなさっている渡辺俊哉さん、
 ・山口にお住いで全日本武術太極拳選手権大会で42式太極拳5連覇され
 ている陳作栄さん
といったそうそうたる方々の模範演技を堪能させてもらいました。
[ 08:59 ] [ 徳島点描(徳島のはてな?) ]
土曜日の地元紙にお祭りの記事が少し大きく掲載されていました。阿波古事記研究会という団体の主催らしいですね。今日が開催ですが、残念ながら他のイベントがあって見学に行けません。

開元祭では、神事、「岩戸の舞」、「えま&慧奏」による二胡の演奏などがあるそうです。奈良の香具山神社の宮司も参列とか。
祭りの後に、天岩戸物語が生まれた説明板も設置するとか・・・いつか見に行ってみましょう。
王子神社だったかなあ、さざれ石の説明だったか、神社の縁起だったかの説明板に「ちょっと、おかしいのでは」という内容が書かれてました。今回は研究会主催だそうですから、そんなことはないと思いますが、「遊び心」と「かくあって欲しい」がごっちゃになって、部外者に勘違いされやすい内容になってない事を願ってます。

研究会では、地名と「阿波の風土記」の記事の一致と、ご神体の大きな岩がある事から、この神社周辺が古事記の高天原があったと解釈しているそうです。
また、手力男神が「佐那郡件に座す」というのも、佐那河内村の事だそうで、そちらの神社でも開元祭をするそうです。

ロマンの世界ですね。

2005/10/15のBlog
あれ、いま書いた記事が消えてしまった(~_~メ)。

書き直しです。三嶺下山して連泊の丸石パークランドへの戻り、439号線の復旧工事にぶつかり30分ほどの待ち。幸い携帯が通じたので、宿に風呂の用意をお願いして、のんびりと待機。

写真は丸石パークランドの前にあった大きな釜です。実際に造り酒屋で使っていたとか。これで茶碗5000杯だか3000杯が炊けると言ってたと思います。
あれえ、またシーン2から4まで消滅してしまった・・・なんなんだ(~_~メ)

こちらも丸石パークランドの正面にある二重かずら橋の入口です。入場料500円。
受付の人の話では、観光バスも入る西祖谷の人数に比べて一桁少ないとか。ちょっと、道路が狭いから入りにくいですね。西祖谷と東祖谷の間をピストンする観光マイクロバスを運行すると、開発が進んでしまった西祖谷とまた風情が異なる東祖谷へのお客増えるのでは・・・どうかな??
見ノ越まで移動したときの三嶺の展望です。
こちらは、すぐ上になる剣山とジロウキュウです。
ちょっと遅くなりましたが、三嶺の山歩き続編です(^_^;)。
徳島市内から丸石への移動日は雨模様でしたが、翌日はなんとか雨もやみました。口には出さないものの、ひょっとして快晴~かなという淡い期待は裏切れましたが、