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2008/10/20のBlog
[ 20:48 ]
[ 徳島点描(徳島のはてな?) ]
いやはや、今頃になってビックリ仰天。
本日、17時頃から19時頃に徳島県庁、大学、徳島新聞、文化ホールなどのある、徳島の中心部辺りを車で走行しました。
なにか薄暗がりの中を少し大きめの影が縦横に走っています。なんだろ、目をこらすと無灯火の自転車が縦横無尽に走っています。えーなんじゃ、これはと一瞬青ざめました。なんと、お巡りさんが街頭に出て整理しているのに、道交法違反の注意も一切なし。
街自体の照明が暗いうえに、無灯火です。それもかなりなスピードで走り抜けます。車から見えやしません。
交通マナーの悪さには少しなれてきましたが、流石にこれは酷い。
これで事故になるなら車の運転側から損害賠償を訴えたいですね。
本日、17時頃から19時頃に徳島県庁、大学、徳島新聞、文化ホールなどのある、徳島の中心部辺りを車で走行しました。
なにか薄暗がりの中を少し大きめの影が縦横に走っています。なんだろ、目をこらすと無灯火の自転車が縦横無尽に走っています。えーなんじゃ、これはと一瞬青ざめました。なんと、お巡りさんが街頭に出て整理しているのに、道交法違反の注意も一切なし。
街自体の照明が暗いうえに、無灯火です。それもかなりなスピードで走り抜けます。車から見えやしません。
交通マナーの悪さには少しなれてきましたが、流石にこれは酷い。
これで事故になるなら車の運転側から損害賠償を訴えたいですね。
2008/10/19のBlog
[ 10:10 ]
[ 徳島点描(徳島のはてな?) ]
徳島の地方紙に音読シリーズ「阿波の民話」の続きです。
先日の記事には源内さんという人の話を出されていました。
祖谷の源内さんが殿様に呼ばれて徳島城に来たときの話です。城の侍達が山奥から出てきた身なりが粗末で風采のあがらない山侍を馬鹿にしたそう。
その際に、源内さんは何かの術を使ったのでしょうか、城の馬鹿侍をからかったみたいです。・・・(ふーん、どっちかというと静岡方面からきた蜂須賀の人達が田舎侍だろうにね。四国、徳島には関東、中部から次々と振興の支配勢力が入り込んでますね。鎌倉の小笠原氏、南北朝から室町の細川氏など。脇町に入った武田氏は武田信玄の弟だし。)
何気なく、前の記事に書いた「三好郡の歴史散歩」をめくっていると、多分この源内さんだろうと思われる話「祖谷の源内さん」が載っていました。
四国を平定支配したばかりの長宗我部氏を土佐に押し戻し、蜂須賀氏が徳島に入ってきた際の抵抗勢力?である祖谷の反乱を抑えるのに功績を挙げた小野寺氏が北という性に変わり更に喜多となって祖谷を支配。阿波藩直轄地の代官になったらしいのが、喜多源内。この人が「祖谷の源内さん」と有名をはせたらしい。
身軽な武術の達人だけではなく、忍びの者に術をかけるほどの幻術の達人でもあったらしい。
このところ、ちょっと忙しくて山歩きは11月中旬までできそうもないし、たまに空いた時間に昔の話を斜め読みしています(^_^)。
先日の記事には源内さんという人の話を出されていました。
祖谷の源内さんが殿様に呼ばれて徳島城に来たときの話です。城の侍達が山奥から出てきた身なりが粗末で風采のあがらない山侍を馬鹿にしたそう。
その際に、源内さんは何かの術を使ったのでしょうか、城の馬鹿侍をからかったみたいです。・・・(ふーん、どっちかというと静岡方面からきた蜂須賀の人達が田舎侍だろうにね。四国、徳島には関東、中部から次々と振興の支配勢力が入り込んでますね。鎌倉の小笠原氏、南北朝から室町の細川氏など。脇町に入った武田氏は武田信玄の弟だし。)
何気なく、前の記事に書いた「三好郡の歴史散歩」をめくっていると、多分この源内さんだろうと思われる話「祖谷の源内さん」が載っていました。
四国を平定支配したばかりの長宗我部氏を土佐に押し戻し、蜂須賀氏が徳島に入ってきた際の抵抗勢力?である祖谷の反乱を抑えるのに功績を挙げた小野寺氏が北という性に変わり更に喜多となって祖谷を支配。阿波藩直轄地の代官になったらしいのが、喜多源内。この人が「祖谷の源内さん」と有名をはせたらしい。
身軽な武術の達人だけではなく、忍びの者に術をかけるほどの幻術の達人でもあったらしい。
このところ、ちょっと忙しくて山歩きは11月中旬までできそうもないし、たまに空いた時間に昔の話を斜め読みしています(^_^)。
2008/10/18のBlog
[ 10:46 ]
[ 徳島点描(徳島のはてな?) ]
徳島の地方紙に音読シリーズ子供から大人まで~「阿波の民話」というのが連載されています。もう約650回になろうというシリーズで、音読で脳の老化を防ごうという東北大教授の川島隆太郎先生が推奨されています。
面白い話が多くて、毎回楽しみにしています。
先日は、後醍醐天皇の第一皇子、尊長親王と唐歌姫の話が出ていました。土佐に流された親王の後を追ってきた姫が皇子を早産、亡くなってしまい、姫も親王に会えないままに亡くなったという悲しい話です。他にも政争で畿内から逃げた、あるいは流罪になった皇族、公家の話は沢山あります。
以前の記事では橘大王となんとかという話も出てました。昔は香川・愛媛・高知と接する徳島の西端の尾根が畿内からの交通ルートになっていたのでしょうか。こうした伝説は平家の落人とか南朝の山岳武士などの話も残っている三好市に多いみたい。
実は、「徳島の天空の里」を調べようと図書館で借りてきた「三好郡の歴史散歩」にも上記の親王と姫の話が出ていました。音読シリーズとは違って、姫と行き違いになった親王は京都に戻ったのではなくて九州に移っていったとなっていましたが。
面白い話が多くて、毎回楽しみにしています。
先日は、後醍醐天皇の第一皇子、尊長親王と唐歌姫の話が出ていました。土佐に流された親王の後を追ってきた姫が皇子を早産、亡くなってしまい、姫も親王に会えないままに亡くなったという悲しい話です。他にも政争で畿内から逃げた、あるいは流罪になった皇族、公家の話は沢山あります。
以前の記事では橘大王となんとかという話も出てました。昔は香川・愛媛・高知と接する徳島の西端の尾根が畿内からの交通ルートになっていたのでしょうか。こうした伝説は平家の落人とか南朝の山岳武士などの話も残っている三好市に多いみたい。
実は、「徳島の天空の里」を調べようと図書館で借りてきた「三好郡の歴史散歩」にも上記の親王と姫の話が出ていました。音読シリーズとは違って、姫と行き違いになった親王は京都に戻ったのではなくて九州に移っていったとなっていましたが。
2008/10/17のBlog
[ 21:16 ]
[ 徒然Diary ]
9月に岐阜の友人夫妻にお世話になって乗鞍岳などを歩きました。乗鞍から友人ご夫妻のお宅に戻る途中に「ドライブステーション板蔵」に立ち寄りました。
飛騨名物の「板蔵ラーメン」、石原軍団の「西部警察」関連のお店などに並んで、赤い人形は「さるぼぼを沢山吊るしたお店がありました(URL)。
飛騨の名物、土産品で、子供が産まれたときの御守として、玩具の代わりに与えられたそうです。 さるぼぼとは、飛騨の言葉で「猿の赤ん坊(ぼぼ)」という意味。厄除けや縁結び、女性の安産のお守りだそうです。
飛騨名物の「板蔵ラーメン」、石原軍団の「西部警察」関連のお店などに並んで、赤い人形は「さるぼぼを沢山吊るしたお店がありました(URL)。
飛騨の名物、土産品で、子供が産まれたときの御守として、玩具の代わりに与えられたそうです。 さるぼぼとは、飛騨の言葉で「猿の赤ん坊(ぼぼ)」という意味。厄除けや縁結び、女性の安産のお守りだそうです。
話はがらりと変わって、昨日の記事「徳島の天空の里」に戻ります。徳島の西端にある三好市の山の集落を調べようと、図書館で借りてきた「三好郡歴史散歩」。
この中の池田町の歴史と史跡を紹介する記事に庚申さんの話が出てきました。ここ池田町では、赤い布で作った猿の縫いぐるみをお供えするそうです。
あれれと思ってネットで調べると、庚申さんの信仰と赤い猿の縫いぐるみは全国的にも拡がりを持っているようです。
写真は奈良の庚申さんでお供えされた縫いぐるみです。
庚申さんのお使いの猿を型どったお守りは魔除けとして、ならまちの家の軒先にぶらさがっている。災いを代わりに受けていただけることから、身代わり猿と呼ばれている。・・・そうです。
どうも庚申さんの申から猿を連想したようですね。
この中の池田町の歴史と史跡を紹介する記事に庚申さんの話が出てきました。ここ池田町では、赤い布で作った猿の縫いぐるみをお供えするそうです。
あれれと思ってネットで調べると、庚申さんの信仰と赤い猿の縫いぐるみは全国的にも拡がりを持っているようです。
写真は奈良の庚申さんでお供えされた縫いぐるみです。
庚申さんのお使いの猿を型どったお守りは魔除けとして、ならまちの家の軒先にぶらさがっている。災いを代わりに受けていただけることから、身代わり猿と呼ばれている。・・・そうです。
どうも庚申さんの申から猿を連想したようですね。
熊野古道を歩いたときに語り部さんから聞いた話では、「中国から仙人が飛んできて、それを祀ったのが庚申さん」との事でした。インターネットには、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教とくに密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑にからみあった複合信仰だとの説明がありました。
仏教では庚申の本尊を、青面金剛および帝釈天に、神道では猿田彦神としている場合が多いそう。これは庚申の「申」が猿田彦の猿と結び付けられたもの。また猿が庚申の使いとされているとか。まあ融通無碍というか、いい加減というか、まさに日本の宗教感そのものかも。
仏教では庚申の本尊を、青面金剛および帝釈天に、神道では猿田彦神としている場合が多いそう。これは庚申の「申」が猿田彦の猿と結び付けられたもの。また猿が庚申の使いとされているとか。まあ融通無碍というか、いい加減というか、まさに日本の宗教感そのものかも。
2008/10/16のBlog
[ 20:47 ]
[ 徳島点描(徳島のはてな?) ]
先日、徳島県の西端、愛媛県との県境になる三好市山城町にある塩塚高原に行ってきました。標高1000m少々の丘陵ですが、ゆったりとした山容と一面のススキの原は快適な散歩道でした。ただ登山口までは狭い林道の走行が必要です。 徳島の山に行き始めて約3年、車利用の山歩きにも馴れてきました。頂上近くまで通じている林道を車で行くのでなければ、余程の健脚で昼夜歩きを覚悟もしくはテント泊でないと山にアクセスできない場合が多いようです。かってのスーパー林道ができる前の南アルプスの北岳といった感じでしょうか。 そして、車でアクセスする林道、これがかなり山頂頂近くまで延びています。林業用もあれば生活道もあるといった感じです。驚くのが、その林道から見上げる山の斜面の上の方までに集落が民家があることです。今回の塩塚高原に行くときは林道ではなく、まだ国道を吉野川等にに沿って走行中に山の上を見上げると、大きな集落あるいは数軒の家そして更には一軒家などを遠望。たぶん標高は数百mでしょうか。遙か高みに圧倒感をもって迫ってきました・・・驚き!!。
徳島県の西部、山深い地域にはこうした「天空の里」が数多く存在するようです。ちょっと拝借した美馬市の山村風景、たぶん標高は700m弱でしょうか。山歩きでちょくちょく目にしていましたが、林道自体の標高が高かったので今回ほどの圧倒的な印象はなかったです。
北アルプスなどが間近にある岐阜の友人夫妻を徳島の山に案内したときに、「天空の里」にはビックリしていました。確かに岐阜の山に囲まれた道を走っていても、そんな標高の高いところに人家はありません。先日行った熊野古道でも「天空の里」と言えるような集落は見あたらないし、そんな上の方まで車走行のできる林道は少ないみたいです。
北アルプスなどが間近にある岐阜の友人夫妻を徳島の山に案内したときに、「天空の里」にはビックリしていました。確かに岐阜の山に囲まれた道を走っていても、そんな標高の高いところに人家はありません。先日行った熊野古道でも「天空の里」と言えるような集落は見あたらないし、そんな上の方まで車走行のできる林道は少ないみたいです。
こうした「天空の里」ができた経緯、縄文・弥生の頃は尾根が生活道で山の上で生活していただとか、平家の落人が逃げ込み集落を作っただとか、南朝の山岳武士だとか、色んな話があるようです。少し調べてみましたが、もっとプリミティブな疑問への回答は見つからずです。車社会になる前はそんなに住みにくい場所ではなかったのかも判りませんが、それでも不自由ではあったでしょう。冬は雪で寒いでしょうし。何故に住みついてしまったのか、移動しなかったのかという素朴な疑問。あるいは山の上の方から集落ができてきたのか、いやいや下の方から次第に上に拡がっていったのかとかなども判りません。
山城町が出しているパンフレットに鉄道「土讃線」の陸橋付近の写真が出ていました。山が迫ってきた川岸で、平坦地がほとんどないようです。庁舎なども河床から柱を立てて建物を建てる平坦部分を人口で造っているようです。これは大昔ではできない建造法でしょうねえ。
山城町が出しているパンフレットに鉄道「土讃線」の陸橋付近の写真が出ていました。山が迫ってきた川岸で、平坦地がほとんどないようです。庁舎なども河床から柱を立てて建物を建てる平坦部分を人口で造っているようです。これは大昔ではできない建造法でしょうねえ。
もうひとつの素朴な疑問。最近では、水、電気、熱源、買い物などの日常生活はどうなんでしょうか。電気は電力会社が配電する義務があったように思いますが?。下から見る限りでは、家まで車一台通れるくらいの道がついている事が多いようです。道路整備はここ数十年の事なんでしょうねえ。水はどうなんでしょう。湧き水、沢水が利用できるような場所に集落ができているのか? まさか、天水では集落は無理でしょう。
ネパールの「天空の里」は、もっと凄かったです。たぶん水のある谷まで標高差は1000mを超えているような急斜面に段々畑と家がはり付いています。寝相が悪いと家から滑落しそうな雰囲気です。水は天水しかなさそうです。1000mの標高差を上下して水を確保しているのかどうか?もちろん、車とは無縁の世界ですが、人が歩く道はどこまでもうねうねと繋がっていました。
図書館で「三好郡歴史散歩」という本を借りてきました。祖谷地区、山城町、池田町、井川町、三好町、三加茂町、三野町に分けて詳しく歴史と遺跡が紹介されています。
畿内と土佐の交通路にもなっていたようで土佐に流された上皇、親王などもここを通過したらしい。四国の要であったのかも判りません。人為的な徳島、香川、愛媛、高知の区分けとは別にこれらの各県に隣接する山城町の社会文化はどうなんでしょうか。現在でも交通の便は愛媛とか香川の方が便利、徳島へは非常に不便でしょうし、日常生活で徳島にはあまり接触がないかも。塩塚高原のスタッフ女性の話かたは阿波弁とは違ってましたですね。
図書館で「三好郡歴史散歩」という本を借りてきました。祖谷地区、山城町、池田町、井川町、三好町、三加茂町、三野町に分けて詳しく歴史と遺跡が紹介されています。
畿内と土佐の交通路にもなっていたようで土佐に流された上皇、親王などもここを通過したらしい。四国の要であったのかも判りません。人為的な徳島、香川、愛媛、高知の区分けとは別にこれらの各県に隣接する山城町の社会文化はどうなんでしょうか。現在でも交通の便は愛媛とか香川の方が便利、徳島へは非常に不便でしょうし、日常生活で徳島にはあまり接触がないかも。塩塚高原のスタッフ女性の話かたは阿波弁とは違ってましたですね。
2008/10/12のBlog
[ 17:49 ]
[ 徒然Diary ]
まだ暦にこだわっとります。
前の記事(旧暦カレンダーの作成)
前の前の記事(六曜の話)
今回ふと疑問に思ったのが、歴史上の出来事の日付はその当時の暦での日付なのか、新暦(太陽暦)に換算した日付なのか。
どちらだと思います???
・・・はーい、どうも月と日は当時の暦の日付をそのままつかっているみたい。
ややこしいのは西暦換算ですね。ところがこの換算がいい加減みたいですね。ネットで調べると、当時の暦の月日を使うため、換算西暦を一年ずらしたりもしてるらしい。
赤穂浪士の討ち入りは12月末というのは旧暦、新暦だと1月になるらしい。
元禄15年12月15日は、
○新暦だと正しくは January 31, 1703 。
○でも季節感を維持するために、December 15, 1702 という書き方も。
--------------旧暦----新暦-----のごった煮
○正確には、December 15, Genroku 15 (1702-1703) とすべきだと言ってます。
Genroku 15だけでは,それが西暦何年に相当するかわかりにくいから,西暦相当年を括弧書きで付す.このとき,前10ヶ月半が合致する1702とだけ書いてすまさずに,後1ヶ月半が合致する1703も書く.暦の知識を少しでも持っている人がDecember 15をみれば,それが1702年でなく1703年らしいことを容易に想像できるらしい。
前の記事(旧暦カレンダーの作成)
前の前の記事(六曜の話)
今回ふと疑問に思ったのが、歴史上の出来事の日付はその当時の暦での日付なのか、新暦(太陽暦)に換算した日付なのか。
どちらだと思います???
・・・はーい、どうも月と日は当時の暦の日付をそのままつかっているみたい。
ややこしいのは西暦換算ですね。ところがこの換算がいい加減みたいですね。ネットで調べると、当時の暦の月日を使うため、換算西暦を一年ずらしたりもしてるらしい。
赤穂浪士の討ち入りは12月末というのは旧暦、新暦だと1月になるらしい。
元禄15年12月15日は、
○新暦だと正しくは January 31, 1703 。
○でも季節感を維持するために、December 15, 1702 という書き方も。
--------------旧暦----新暦-----のごった煮
○正確には、December 15, Genroku 15 (1702-1703) とすべきだと言ってます。
Genroku 15だけでは,それが西暦何年に相当するかわかりにくいから,西暦相当年を括弧書きで付す.このとき,前10ヶ月半が合致する1702とだけ書いてすまさずに,後1ヶ月半が合致する1703も書く.暦の知識を少しでも持っている人がDecember 15をみれば,それが1702年でなく1703年らしいことを容易に想像できるらしい。
2008/10/10のBlog
[ 17:52 ]
[ 旅 ]
続いて、奥の院までの参拝道です。なんと、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞のお墓までありました。いずれも、本来のお墓は、法然上人が京都の二尊院、親鸞聖人が京都の大谷本廟ですね。
高野山のお墓はどういう位置づけなんだろ?現在の浄土真宗は真言宗とはかなり異なった宗旨になっていると思っていたけど、そこはそこ日本の宗教の融通無碍ぶりかな。
高野山のお墓はどういう位置づけなんだろ?現在の浄土真宗は真言宗とはかなり異なった宗旨になっていると思っていたけど、そこはそこ日本の宗教の融通無碍ぶりかな。
そして奥の院への最終の入口。ここからは写真撮影も禁止で脱帽。下着も禁止ですが、山用のシャツ一枚だと失礼かと上に長袖のワイシャツを羽織りました。
地下の御法場まで降りてスクリーンに微かに映る弘法大師の影像に参拝。
地下の御法場まで降りてスクリーンに微かに映る弘法大師の影像に参拝。
金剛峯寺から福島正則が寄進したという六時鐘、壇上伽藍と観光。
武将、大名の供養塔、墓が多いのは徳川幕府が高野山を保護したのがひとつの原因だとのこと。徳川家康が当時の各藩の情報収集に高野聖の助けを借りた事から始まったらしい。
武将、大名の供養塔、墓が多いのは徳川幕府が高野山を保護したのがひとつの原因だとのこと。徳川家康が当時の各藩の情報収集に高野聖の助けを借りた事から始まったらしい。
[ 16:41 ]
[ 旅 ]
南近畿の地理がもうひとつ頭に入っていません。先日は2回目の熊野古道(中辺路)、今回は高野山。いずれも日帰りツアを利用して、世界遺産の一部を観光し、そしていずれは自分なりの山歩きコースを検討するための偵察です。
高野三山(摩尼山、楊柳山、転軸山)というのも今回のツアついでに調べて初めて知ったというお恥ずかしい状態です。なんと高野山という山がなくて一帯の総称であり、標高が~800mの高地の広い盆地になっているのも今回初めて知りました。それにしても、別格本山という呼称のついた寺院が無数にあるのには驚きました。ところで、別格本山とはどういう意味なんでしょう。観光地でよくある本家、総本家、元祖といった勝手な呼称ではなさそう・・・実は、高野山の各寺院は日本の各地域毎に担当が決まっていたとか。以前は各地域からの参拝者が宿泊する宿坊もそれに合わせて決まっていたとか。
高野三山(摩尼山、楊柳山、転軸山)というのも今回のツアついでに調べて初めて知ったというお恥ずかしい状態です。なんと高野山という山がなくて一帯の総称であり、標高が~800mの高地の広い盆地になっているのも今回初めて知りました。それにしても、別格本山という呼称のついた寺院が無数にあるのには驚きました。ところで、別格本山とはどういう意味なんでしょう。観光地でよくある本家、総本家、元祖といった勝手な呼称ではなさそう・・・実は、高野山の各寺院は日本の各地域毎に担当が決まっていたとか。以前は各地域からの参拝者が宿泊する宿坊もそれに合わせて決まっていたとか。
金剛峯寺の辺りの町並みです。
参拝者、観光者を相手にしたお店も多いし、普通の民家らしい家も学校もあるし大きな町なんですね。今更ですが、驚きました。
余談ですが、前のグーグルマップのトラック記録でGPSによる記録が一部でおかしくなっています。上空は開けているはずなのに何故なんでしょうね。
参拝者、観光者を相手にしたお店も多いし、普通の民家らしい家も学校もあるし大きな町なんですね。今更ですが、驚きました。
余談ですが、前のグーグルマップのトラック記録でGPSによる記録が一部でおかしくなっています。上空は開けているはずなのに何故なんでしょうね。
こちらは昼食、精進料理の昼食を食べた金剛三昧院です。ここの多宝塔は国宝だそうです。北条政子が建立と説明書に書いてありました。落慶法要には禅宗(臨済宗らしい)の僧侶が来たそうで、法要の受付をしているお坊さんに歴史を尋ねましたが、禅宗と真言宗の関係・変化がもうひとつ判然としなかったです(律、臨済、真言の三宗合同・・そんな事ってあるのかしら)。
そして中の橋までバスで行って、各種供養塔、お墓が並ぶ参道を奥の院まで歩きます。
まずは、企業とか団体の様々な供養塔が目に付きます。
ここから現地のガイドさんがつきます。高野山の修行僧なんでしょうかしら。毎日毎日ガイドするから、どんどんと上手になるんでしょうが、いやあまあ流暢に次々と説明してくれます。
真言宗のしきたりというか風習も色々と話をしてくれます。
数珠の持ち方、仏壇のおまつりの仕方、五輪(卒塔婆)の意味合い、お盆の送り迎え、他にも色々こういうしきたりは真言宗に特に強いのかな。1000年も専業の僧侶があれこれと思索を巡らせてきたわけですから、もの凄い虚構の世界・宇宙が構築されてきたのでしょう。幽霊、霊魂、祟るなどは迷信と断じている浄土真宗とは相当に違ってますね。
チベット仏教の「死者の書」に描かれている世界も壮大なイメージの宇宙になっています。こちらは、死者自身のそれまでの生き様によってイメージの世界が拡がり、それが現実の物になっていくような感じですね・・いわゆる因果応報。
まずは、企業とか団体の様々な供養塔が目に付きます。
ここから現地のガイドさんがつきます。高野山の修行僧なんでしょうかしら。毎日毎日ガイドするから、どんどんと上手になるんでしょうが、いやあまあ流暢に次々と説明してくれます。
真言宗のしきたりというか風習も色々と話をしてくれます。
数珠の持ち方、仏壇のおまつりの仕方、五輪(卒塔婆)の意味合い、お盆の送り迎え、他にも色々こういうしきたりは真言宗に特に強いのかな。1000年も専業の僧侶があれこれと思索を巡らせてきたわけですから、もの凄い虚構の世界・宇宙が構築されてきたのでしょう。幽霊、霊魂、祟るなどは迷信と断じている浄土真宗とは相当に違ってますね。
チベット仏教の「死者の書」に描かれている世界も壮大なイメージの宇宙になっています。こちらは、死者自身のそれまでの生き様によってイメージの世界が拡がり、それが現実の物になっていくような感じですね・・いわゆる因果応報。
2008/10/09のBlog
[ 21:30 ]
[ 旅 ]
[ 21:10 ]
[ 徳島点描(徳島のはてな?) ]
高野山の日帰りバスツアに参加。
徳島空港の近くにあるツアバスの集合場所を利用です。遅れちゃならじと早く行きすぎて1時間以上も待機です。この場所、有料駐車場はありますが、トイレもなく待機する建屋もなく、近くには店もありません。
やむを得ず辺りを放浪(^_^;)。駐車場のすぐ奥に小川を挟んで前から気になっていた結婚式場?、誰もいないですが庭の奥まで入っていけます。
徳島空港の近くにあるツアバスの集合場所を利用です。遅れちゃならじと早く行きすぎて1時間以上も待機です。この場所、有料駐車場はありますが、トイレもなく待機する建屋もなく、近くには店もありません。
やむを得ず辺りを放浪(^_^;)。駐車場のすぐ奥に小川を挟んで前から気になっていた結婚式場?、誰もいないですが庭の奥まで入っていけます。
更に奥まで入っていくと、「入らないでください」との札の着いた鎖で仕切られた隣の庭園がありました。その札は奥の施設の庭園から結婚式場の施設に入らないようにとの注意書き。今回のように逆向きアクセスへの注意書きではなさそう(^_^;)。
式場もこちらの庭園もなかなか見事です。
式場もこちらの庭園もなかなか見事です。
2008/10/07のBlog
[ 17:57 ]
[ 電脳遊び、IT ]
デジカメで撮影した動画の編集には、これまでホームページビルダー付属のウェブビデオ スタジオとマイクロソフトのWindows ムービー メーカーを使ってきました。
最近のデジカメの動画撮影機能は十分以上にに実用レベルで、別途ムービーを持つ必要は感じません。専用のムービー機に比べて少し音質が劣る点と、私のデジカメでは動画撮影中にはズームできない点が欠点でしょうか。
ただ、私の使っているデジカメの動画ファイルの形式が Quick Time 、拡張子が mov です。これはWindows パソコンに標準の Windows Media Player では読み込ません。また、無料の動画編集ソフト Windows ムービー メーカーでも読み込めません。
で、これまでは、拡張子 mov に対応しているホームページビルダー付属のウェブビデオ スタジオにいったん読み込んで、Windows ムービー メーカーに渡せる拡張子 wmv の動画ファイルに変換してました。ウェブビデオ スタジオでも編集は可能なようですが、操作勝手があまりよくありません。
この mov ファイルを読み込んで、wmv ファイルに変換・・・実に時間を食います。デジカメで切れ切れに撮した動画ファイルを順番に読み込んでいきます。これがなかなか面倒。やっと読み込み終わると wmv ファイルへと出力します。
今回はファイル数が幾つあったかな。全時間が小1時間ありますが、たぶん20~30ファイルに別れていたかも。これを読み込ませている最中に、エラー。突然ソフトが落ちてしまいます。スタックオーバーフローのような感じです。パソコン起動し直すと読み込めましたから、たぶんメモリーが分断されて容量不足だったのでしょう。
そして、wmv ファイルへの出力、これがたいへん。最初の表示では10時間かかると出ます。やっていると次第に短くなっていきましたが、それでも5時間だって。
おまけに、やっと終わったと思ったら、またエラーでダウン。肝心の変換ファイルはできないまま。
最近のデジカメの動画撮影機能は十分以上にに実用レベルで、別途ムービーを持つ必要は感じません。専用のムービー機に比べて少し音質が劣る点と、私のデジカメでは動画撮影中にはズームできない点が欠点でしょうか。
ただ、私の使っているデジカメの動画ファイルの形式が Quick Time 、拡張子が mov です。これはWindows パソコンに標準の Windows Media Player では読み込ません。また、無料の動画編集ソフト Windows ムービー メーカーでも読み込めません。
で、これまでは、拡張子 mov に対応しているホームページビルダー付属のウェブビデオ スタジオにいったん読み込んで、Windows ムービー メーカーに渡せる拡張子 wmv の動画ファイルに変換してました。ウェブビデオ スタジオでも編集は可能なようですが、操作勝手があまりよくありません。
この mov ファイルを読み込んで、wmv ファイルに変換・・・実に時間を食います。デジカメで切れ切れに撮した動画ファイルを順番に読み込んでいきます。これがなかなか面倒。やっと読み込み終わると wmv ファイルへと出力します。
今回はファイル数が幾つあったかな。全時間が小1時間ありますが、たぶん20~30ファイルに別れていたかも。これを読み込ませている最中に、エラー。突然ソフトが落ちてしまいます。スタックオーバーフローのような感じです。パソコン起動し直すと読み込めましたから、たぶんメモリーが分断されて容量不足だったのでしょう。
そして、wmv ファイルへの出力、これがたいへん。最初の表示では10時間かかると出ます。やっていると次第に短くなっていきましたが、それでも5時間だって。
おまけに、やっと終わったと思ったら、またエラーでダウン。肝心の変換ファイルはできないまま。
これが、マイクロソフトのWindows ムービー メーカーの編集画面です。
使い勝手はそこそこ、でも mov ファイルが読み込めないという欠陥があります。
動画ファイルを読み込ませると、ソフトが適当に切れ目を入れて、それぞれを上側にずらりと並べてくれます。それを下のタイムランという時間軸に沿って並べていきます。ここの操作性がいまいち。並んだところで、それぞれの切断フィルムにトリミングしたり、タイトルを入れたり様々な編集を加えます。
そして、編集終了したら、まとめて最終的な wmv ファイルに書き出します。これがまたたいへん時間を要求します。これまではパソコンを終夜運転してました。
使い勝手はそこそこ、でも mov ファイルが読み込めないという欠陥があります。
動画ファイルを読み込ませると、ソフトが適当に切れ目を入れて、それぞれを上側にずらりと並べてくれます。それを下のタイムランという時間軸に沿って並べていきます。ここの操作性がいまいち。並んだところで、それぞれの切断フィルムにトリミングしたり、タイトルを入れたり様々な編集を加えます。
そして、編集終了したら、まとめて最終的な wmv ファイルに書き出します。これがまたたいへん時間を要求します。これまではパソコンを終夜運転してました。
そして、いよいよ画期的に編集が楽になったソフトの出番です。
エラーと長時間操作に嫌気がさして、パソコンショップ、インターネットで安いソフトを探しました。動画、DVD-Video のジャンルはパソコンとはまた違った特殊用語に溢れています。なにを言っているのか、チンプンカンプンですね。
だいたいが1万~2万円のソフトですが、今回ゲットしたのは1980円と格安。これなら、まあ駄目でもいいかとインターネットからダウンロード購入してインストールです。
マニュアルもナシでしたし、インストール法を書いてあるファイルの内容が既に違っているといういい加減さでしたが、まあインストールも無事に終了。起動すれば、勘で問題なく使えました。
そして感激。mov ファイルを簡単に読み込めます。編集も Windows ムービー メーカーと類似、もっと使いやすいです。
その後の wmv ファイルへの書き出しもあっという間。いままでのが文字通りカタツムリの歩みだとしたら、こちらは新幹線です。
いやあめっけものでした。
エラーと長時間操作に嫌気がさして、パソコンショップ、インターネットで安いソフトを探しました。動画、DVD-Video のジャンルはパソコンとはまた違った特殊用語に溢れています。なにを言っているのか、チンプンカンプンですね。
だいたいが1万~2万円のソフトですが、今回ゲットしたのは1980円と格安。これなら、まあ駄目でもいいかとインターネットからダウンロード購入してインストールです。
マニュアルもナシでしたし、インストール法を書いてあるファイルの内容が既に違っているといういい加減さでしたが、まあインストールも無事に終了。起動すれば、勘で問題なく使えました。
そして感激。mov ファイルを簡単に読み込めます。編集も Windows ムービー メーカーと類似、もっと使いやすいです。
その後の wmv ファイルへの書き出しもあっという間。いままでのが文字通りカタツムリの歩みだとしたら、こちらは新幹線です。
いやあめっけものでした。
2008/10/05のBlog
[ 17:13 ]
[ 山歩き ]
今年の5月末に初めての熊野古道を体験(URL)。
といっても日帰りバスツアで、ほんの入口を垣間見ただけです。今回も日帰りツアを利用、7Km弱を歩いただけですが、前回の終点に繋ぐ形で熊野本宮大社まで行ってきました。
ほとんど標高差なしの楽ちんコースを語り部さんの説明を聞きながらゆっくりと移動。約3時間ちょっとでしょうか。長時間のバス移動(片道4~5時間)ですから、古道歩きよりも古道アクセスの旅という感じですね。
といっても日帰りバスツアで、ほんの入口を垣間見ただけです。今回も日帰りツアを利用、7Km弱を歩いただけですが、前回の終点に繋ぐ形で熊野本宮大社まで行ってきました。
ほとんど標高差なしの楽ちんコースを語り部さんの説明を聞きながらゆっくりと移動。約3時間ちょっとでしょうか。長時間のバス移動(片道4~5時間)ですから、古道歩きよりも古道アクセスの旅という感じですね。
今回通過したのは、
発心門王子、水呑王子、伏拝王子、祓所王子
前回の終点が継桜王子でしたから、繋いだといっても約12Km、6つの王子を省略してしまってます(^_^;)。
発心門王子の所に真新しい感じの社殿がありました。立て札には「饒速日命」と書かれています。語り部さんにどう読むのか尋ねましたが、判らないとの事でした。帰宅して
ネットで調べると、「ニギハヤヒノミコト」。日本書紀は饒速日命、古事記では邇藝速日命らしい。
古事記では、イワレビコ(後の神武天皇)が東征し、それに抵抗したナガスネヒコが敗れた後、イワレビコがアマテラスの子孫であることを知り、イワレビコのもとに下った神様。
日本書紀では、神武東征より前に天照大神から十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国に天降り、大和国に移った神様らしい。ニニギの天孫降臨とは別系統らしい。祭祀を司どる物部氏の祖神とされているらしい。
発心門王子、水呑王子、伏拝王子、祓所王子
前回の終点が継桜王子でしたから、繋いだといっても約12Km、6つの王子を省略してしまってます(^_^;)。
発心門王子の所に真新しい感じの社殿がありました。立て札には「饒速日命」と書かれています。語り部さんにどう読むのか尋ねましたが、判らないとの事でした。帰宅して
ネットで調べると、「ニギハヤヒノミコト」。日本書紀は饒速日命、古事記では邇藝速日命らしい。
古事記では、イワレビコ(後の神武天皇)が東征し、それに抵抗したナガスネヒコが敗れた後、イワレビコがアマテラスの子孫であることを知り、イワレビコのもとに下った神様。
日本書紀では、神武東征より前に天照大神から十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国に天降り、大和国に移った神様らしい。ニニギの天孫降臨とは別系統らしい。祭祀を司どる物部氏の祖神とされているらしい。
途中の風景、花です。四つを紹介です(^_^)。
1.道の両側はきれいに草刈りもされていて、あまり花は見あたりませんが、珍しいらしい「キイジョウロウホトトギス」の花が一輪。キイは紀伊で、和歌山の特有種なんでしょうか。図鑑にはキイのつかないジョウロウホトギスは四国/九州の花と紹介されてます。
2.バケツに水がいっぱいになると紐を引っ張りバンザイする案山子。地元の方の観光客へのおもてなしでしょうか。
3.NHK朝ドラ「ほんまもん」ロケ地の看板の立った家。うーん、この朝ドラは見た記憶がほとんどないですねえ。
4.そして三軒茶屋。中辺路と高野道との分岐点です。「右かうや十九り半、左きみい寺三十一り半」と刻まれた石の道標が立っています。関所“九鬼口関所跡”が復元されています。高野道の方を覗いてみると快適そうな山道です。行ってみたいですね。
1.道の両側はきれいに草刈りもされていて、あまり花は見あたりませんが、珍しいらしい「キイジョウロウホトトギス」の花が一輪。キイは紀伊で、和歌山の特有種なんでしょうか。図鑑にはキイのつかないジョウロウホトギスは四国/九州の花と紹介されてます。
2.バケツに水がいっぱいになると紐を引っ張りバンザイする案山子。地元の方の観光客へのおもてなしでしょうか。
3.NHK朝ドラ「ほんまもん」ロケ地の看板の立った家。うーん、この朝ドラは見た記憶がほとんどないですねえ。
4.そして三軒茶屋。中辺路と高野道との分岐点です。「右かうや十九り半、左きみい寺三十一り半」と刻まれた石の道標が立っています。関所“九鬼口関所跡”が復元されています。高野道の方を覗いてみると快適そうな山道です。行ってみたいですね。
そして今回の本命、熊野本宮大社です。
創建は不明(伝崇神天皇代、B.C.33年?)で、1889年の大洪水で熊野川の中洲から流されてしまい現在地に移設されたそう。
社殿は三つ。向かって左の社殿は熊野那智大社、熊野若宮大社の神様を勧進、お祀りしているらしい。真ん中が本宮で、右は若宮だとの事。
祭神がもうひとつ判りません。
律令のもう一つ前の自然崇拝アニミズムの時代、
修験道そして律令と結びついた神仏集合の権現時代、
そして廃仏毀釈と国家神道で歴史を滅茶苦茶にした明治以後、
時代時代でどう変化したのか明確な資料も見つからないし、語り部さんもはっきりとは判っていない様子です。
取り敢えずは、
○本宮の主神は熊野坐神或いは家津御子神(熊野加武呂乃命)
奈良時代は牟須美(結)神と呼ばれた。
熊野固有の神々を記紀神話に結びつけてスサノウとしたのは何時?
○若宮の主神は天照大神とのこと。
○向かって左の二社は、
西御前:熊野牟須美神(くまのむすみのかみ) イザナミ?
中御前:速玉之神(みこはやたまのかみ) イザナギ?
まあ、ややこしい。人によって言ってることも違ってるみたい。奈良時代からの神仏習合時代は、本地垂迹として上から
阿弥陀如来、十一面観音、千手観音、薬師如来
だそう。
創建は不明(伝崇神天皇代、B.C.33年?)で、1889年の大洪水で熊野川の中洲から流されてしまい現在地に移設されたそう。
社殿は三つ。向かって左の社殿は熊野那智大社、熊野若宮大社の神様を勧進、お祀りしているらしい。真ん中が本宮で、右は若宮だとの事。
祭神がもうひとつ判りません。
律令のもう一つ前の自然崇拝アニミズムの時代、
修験道そして律令と結びついた神仏集合の権現時代、
そして廃仏毀釈と国家神道で歴史を滅茶苦茶にした明治以後、
時代時代でどう変化したのか明確な資料も見つからないし、語り部さんもはっきりとは判っていない様子です。
取り敢えずは、
○本宮の主神は熊野坐神或いは家津御子神(熊野加武呂乃命)
奈良時代は牟須美(結)神と呼ばれた。
熊野固有の神々を記紀神話に結びつけてスサノウとしたのは何時?
○若宮の主神は天照大神とのこと。
○向かって左の二社は、
西御前:熊野牟須美神(くまのむすみのかみ) イザナミ?
中御前:速玉之神(みこはやたまのかみ) イザナギ?
まあ、ややこしい。人によって言ってることも違ってるみたい。奈良時代からの神仏習合時代は、本地垂迹として上から
阿弥陀如来、十一面観音、千手観音、薬師如来
だそう。
2008/10/03のBlog
[ 09:24 ]
[ 山歩き ]
徳島県のメルマガ、「とくめる」だったか「とくしまファンクラブ」だったか忘れましたが、塩塚高原のススキの案内が出ていました。なかなか快適そうな高原、そして一面のススキの原。 塩塚高原ってどこ?の状態でしたが、魅力ありそうで、早速にインターネット検索して出かけました。徳島県の三好市と愛媛県の四国中央市の境界にあって、最高峰は1,043mの塩塚峰なんですね。徳島市よりも香川、愛媛からの方がアクセスしやすそうです。
ライブカメラもありました→URL
ライブカメラもありました→URL
なんでも、近年まで地元農家に茅肥採取地として活用されていた。良質な茅肥を守るために行っていた野焼きは現在も行われていて、観光型里山の一つと紹介されてました。春は野焼き、夏から秋にかけてはパラグライダー、キャンプ、ススキで有名だそうです。若草山のような野焼きはローカル新聞のニュースで見てましたが、詳しいことは知らなかったですね。
なお、塩塚はもともと愛媛での呼称で、徳島ではドウメキ山と呼ばれていたそう。でも、何故か徳島のキャンプ施設が「塩塚高原キャンプ場」で、愛媛のキャンプ場が「霧の高原キャンプ場」(^_^)。
どちらも立派な施設です。内容もよく似ています。まとめて造れば効率が良いでしょうに、競争原理でも考えたのかしら。
宿泊用のテン場は実に立派。ちゃんとテントを張るための木製の台があって、各台には水道、電気、煮炊き用のカマなども着いているようです・・・約3000円(徳島)約2100円(愛媛)。
他にバンガロー (5人用、12,000円)、ロッジ (7人用、20,000円)、コテージA (10人用、25,000円)、
コテージB(10人用、28,000円)なども。愛媛のコテージは15,750円ってなってましたね。
なお、塩塚はもともと愛媛での呼称で、徳島ではドウメキ山と呼ばれていたそう。でも、何故か徳島のキャンプ施設が「塩塚高原キャンプ場」で、愛媛のキャンプ場が「霧の高原キャンプ場」(^_^)。
どちらも立派な施設です。内容もよく似ています。まとめて造れば効率が良いでしょうに、競争原理でも考えたのかしら。
宿泊用のテン場は実に立派。ちゃんとテントを張るための木製の台があって、各台には水道、電気、煮炊き用のカマなども着いているようです・・・約3000円(徳島)約2100円(愛媛)。
他にバンガロー (5人用、12,000円)、ロッジ (7人用、20,000円)、コテージA (10人用、25,000円)、
コテージB(10人用、28,000円)なども。愛媛のコテージは15,750円ってなってましたね。
塩塚高原の管理棟から歩きましたが、車でもっと上の展望台まで行けてしまいます。
歩くコースの殆どは舗装道になりますね。展望台から塩塚峰への尾根縦走は快適です。
なお、舗装道には歩く人に判りやすい標識はあまり整備されていない感じでした。
道路の両側には秋の花が咲いています。
歩くコースの殆どは舗装道になりますね。展望台から塩塚峰への尾根縦走は快適です。
なお、舗装道には歩く人に判りやすい標識はあまり整備されていない感じでした。
道路の両側には秋の花が咲いています。
2008/10/01のBlog
[ 21:47 ]
[ 徒然Diary ]
宮崎駿監督の四年ぶりの新作、「崖の上のポニョ」を楽しんできました。
もうそろそろ上映も終わり頃なんでしょうか、平日ということもあって観客は少なめです。
子供よりもシニア層が多かったかな(^_^)。アニメとは知らずに見に来られた方もいたようです(^_^)。
これまでの宮崎駿のアニメに比べて軽い印象、話はまさに和製人魚姫のような童話かな・・・と思ってたら、深読みなさる方もいらっしゃるものです。
ポニョと母親の女神、そして眷属達、あれはラヴクラフト描くところのクトゥルー神話に出てくる、地球の旧支配者「深きものども」だとの事。うーん、途端にちょっとオッカナイ感じになってきます。
そいういえば、映画の中でちらっと出てきた結界・・・ポニョの家のフェンスに結界が張られてましたね。
一瞬の場面で出てくるだけで、誰が何時、どういう目的で結界を張ったのか、役に立ったのかどうか等、何も説明が無かったです。
もうそろそろ上映も終わり頃なんでしょうか、平日ということもあって観客は少なめです。
子供よりもシニア層が多かったかな(^_^)。アニメとは知らずに見に来られた方もいたようです(^_^)。
これまでの宮崎駿のアニメに比べて軽い印象、話はまさに和製人魚姫のような童話かな・・・と思ってたら、深読みなさる方もいらっしゃるものです。
ポニョと母親の女神、そして眷属達、あれはラヴクラフト描くところのクトゥルー神話に出てくる、地球の旧支配者「深きものども」だとの事。うーん、途端にちょっとオッカナイ感じになってきます。
そいういえば、映画の中でちらっと出てきた結界・・・ポニョの家のフェンスに結界が張られてましたね。
一瞬の場面で出てくるだけで、誰が何時、どういう目的で結界を張ったのか、役に立ったのかどうか等、何も説明が無かったです。
2008/09/30のBlog