ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | ユーザ登録 | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
rosebud パーキンソン病とともに
Blog
[ 総Blog数:549件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2008/06/07のBlog
この文章はAppleの若年性掲示板に載せたものと同一です。


長い間たった一人で病気と苦闘してきた。
その頃は”闘っている”という意識はなかったけれど、今から思うとこの病気は「闘う」としか言いようがない。

いや、あの頃はそれでも薬さえ効いていれば一人でどこへでも行けた。
そのときはおずおずとだったけど。

病気になって薬を飲みだすまでの8年間。
診断がつかず、なんで歩けないのかわからない。
どんどん歩けなくなった。
医者に行ってもなにもわからない、何も変わらない。
不安そして絶望。
うつうつと家に閉じこもった。
17歳から25歳まで。
分かち合う人は誰もいなかった。

そして今も不安がいっぱい。
いつまで動けるのだろうか。
動けるといってもふつうには動けない。
すくみ、バランスを崩し、前へ後ろへ転ぶ。

常に病気のことは頭から離れない。
なにも考えずに歩けたのは、いつまでだったろう。

そういう思いに沈むこともある。
人には言えないけれど。
2008/06/05のBlog
人はプライドを持ったりコンプレックスをもったりして生きている。
それはどんなプライドか?

人なみだというプライド
人より勝っているというプライド

これが逆転すると、人より劣っているというコンプレックス
コンプレックスを自分の根拠にもできるけど、プライドを自分の根拠にする方がポジティブかな。

私が病気を恥じていたとき
病気も含めてありのままの自分に誇りを持とうと思ったとき

人と比べて自分を測る。
この価値観は苦しい。
どうしたって、私は自分を評価できない。

言い換えると自分を評価できるような価値観を持つこと
そのためには、ありのままの自分を誇るしかない。

物で飾っても、知識で飾っても、家柄で飾っても、人は自分自身であるしかない。

ナチの時代のユダヤ人を思い出す。
ナチの人間に対する最高にひどい行為は、人から身につけた有形無形のもの全てを奪ったこと。
衣服を奪うことによって、教養・家柄・社会的地位・文化・プライドそのものを全て奪い取った。

人を徹底的に「物」として見る
精神性や文化を奪うのは、ただ命を奪うことより残虐だ。

そんな極限状況に人を追い込む権利は、どんな人にも、ましてや国家にはない。
人としての誇りを尊重する世界であってほしい。

[ 00:49 ] [ ことば・旅 ]
ある掲示板でロンドン旅行のことが書いてあり、私の2度のロンドン行きを思いだすことになった。

私は97年と2001年にロンドンに行った。
最初は友だち3人で、2回目はヨーロッパ患者協会の若年性集会への参加だった。
97年のときはヴィクトリア・ステーション近くのEbury St.にあるB&Bに泊まった。」
ここは今まで泊まった中で、最高に(最低に)ひどい宿だったが、今は懐かしい思い出だ。
一部屋に3人泊まり(ベッドは4つ)、部屋にはトイレもシャワ-さえなかった。
朝ごはんも自分たちで用意する。」
1泊、たしか3、4千円だった。
普通の日本人はまず泊まらないだろうが、韓国人の新婚カップルとドイツ人の教養ある学者夫婦が泊まっていた。
海外では自分の暮らし以上のホテルに泊まろうとする価値観とは違う人たちだった。

当時その近くの高級フラットに住んでいた友人のご主人が車でカンタベリーやコッツウォルズ、ストーンヘンジなどに連れて行ってくれた。
そのとき友だちが私のために車いすを用意してくれたのだが、フラットのすぐ前のレッドクロスで簡単に無料で(deposit)借りられた。
また、タイヤの空気を入れるのに困っていたら、通りかかった若い兵隊が親切に空気を入れてくれたのだった。
もっとも車いすはあまり使わなかった。

カンタベリー寺院の門番(?)は、車いすを見ただけで一行全員を無料で入れてくれた。日本みたいに証明書を見せることもなく。
どこか郊外にあったフェントン・ハウスという古い楽器を集めた家にも行ったけど、そこの女性係員は杖を持って歩く私を迷惑そうに見ていた。
展示物を壊さないか心配だったのだろう。

フォートナム&メイソンのアフタヌーン・ティーも飲んだ。
ここの、日本では売ってなかった紅茶を買って帰ったが、腰がある本物の紅茶だった。
シェークスピアはその頃ロンドンに復元されたグローブ座で「お気に召すまま」を観たが、ただ観ただけだった。

2回目のときは、初めてのヨーロッパ患者協会会合参加で、日本との違いに驚いたものだ。
ヒースロー空港近くの一流ホテルでの開催、一般客に交じっての昼食、ディナーとダンス、食事のときも誰が医療関係者で誰が患者か分からない。
医師が患者に食事を運んでくれた。
大体、この会合の参加費は患者が一番安かったのだ。
ヒースロー近くで開催したのも移動に問題がある患者のことを考えたからに違いない。
また製薬会社・地元の行政がたくさん協力・寄付をしているのも日本とは違うようだった。
また前にも書いたけど、この協会の会長だったメアリは、参加した患者一人一人に挨拶に来て心のこもった言葉をかけた。
4年後に会ったときも、ちゃんと覚えていた。
一流企業のトップ、大物政治家のようなメアリ会長だった。
またジェネラルマネージャーというのだろうかリジーの細やかな優しさ。
ヨーロッパのメンバーでないのに参加してもいいかと尋ねたら、参加するのはあなたの権利だという答えが返って来た。

2008/05/31のBlog
患者、特に若年性患者は病気になると、病気の症状も辛いが、経済的にも辛い状況になることが多い。
就職前であれば、仕事に就けないし結婚するのも難しい。
家族を支える立場なら、仕事をいつまで続けられるか悩むだろう。
病気の進行は今のところ止められない。

体が思うように動かない
自分の体(姿勢)を保つことができない

情けない辛い病気だと思う。

それでも患者はけなげに生きる。
契約社員になり、ミスをしたら最後と緊張しながらも仕事を続ける。

雨の東京に、彼は私たちに会いにやってきた。
佐々木社労士と私に。

彼の経済的苦境は、佐々木さんと私のおかげで救われたと。
今まで私がしてきたことでほかの患者さんから感謝されたことはある。
感謝を望んでしたことではなかったので、人の感謝は思いがけない贈り物のよう。

でも、私たちにありがとうと言うために、わざわざ東京まで来たのは彼だけ。
なんにもしていない、ただ佐々木さんを紹介しただけの私に「ありがとう」と言う。

私は”人のために書く”という意識はない。
”自分のため”に書いている。
人のために書いたとしても、文章を書くこと自体、純粋に個人的行為だと思う。

だから私は私でいるだけなのに時に感謝される、今日みたいに。
しあわせだと思う、私は。






2008/05/29のBlog
[ 20:39 ] [ 映画・本・音楽・写真 ]
うちの夫は、時折、”生涯の音楽セレクション”づくりをする。
きのうの夜、私に「ジュークボックス聴かない?」と誘いに来た。

コンピュータに新たなセレクションをインストールし終わったのだ。
メディア・プレイヤーのリストにはアルバムジャケットの写真と曲名がきれいに並んでいる。
曲を取込むと、自動的にこういうリストができるのだ。

ヘッドフォンを私の耳にかぶせる。

曲のイントロが始まる。
うれしさがこみ上げる。

夫が音楽を聴いている傍らに、私はいつもいた。

ピアノ教師がレッスンに使ったバッハの小さな小さな曲。
私は、その曲をとっても大切に弾いた。
「バッハが好きなのね」と驚いたようにピアノ教師が言った。
私はうなずいた。

私はピアノは全然うまくなかったけれど、バッハを弾くことに心から喜びを感じた。

バッハと同じように、それとも全く違って、ロックは私にはとてつもなく大きな贈り物だった。

フェイセス、ジム・モリソン、フリー、キンクス、ピーター・ゲイブリエル、ブルース・スプリングスティ-ン、ポリス…

長い間、本当に長い間、夫の傍らでいつも音楽を聴いていた。

膨大なリストには日本のミュージシャンもあった。
RCサクセション、彼らはすごい。、もっと評価されてもいい音楽だ。
ユーミンが結婚直前につくった「晩夏(ひとりの季節)」
この曲は暗くていいと夫が言う。
ユーミンは結婚前の方がよかった。
松任谷正隆の手が加わる前の方が。

中島みゆきの「南三条」が始まる。
まるっきり、ブルース・スプリングスティーンのようなこの曲。
夫が言う、あなたの最終課題はこの曲ねと。
カラオケのことらしい。

その前の挑戦は「晩夏」だって。
どちらもひどく難しい。


2008/05/25のBlog
[ 23:40 ] [ 考える―その他 ]
病気になってから、ずーっと自信がなかった。
何者でもなかったからだと思う。

この数年、不思議なことに、自分に自信があるような気がした。
長年、自信がなかったことへの反動か、自信過剰なくらいだった。

自分自身について、ああでもない、こうでもないと考えるなんてくだらない。
(男だったらmerde!というとこところだ)

とは思うが、私はいつまでもこれをやっている。

他人のくだらなさを軽蔑する。
それより自分のくだらなさは耐え難い。
「人間はくだらない」と言ってみてもはじまらない。
くだらなくても、ひたすら生きるのが人の美しさだというのもきれいごとか。

自分の中の愚かさ・くだらなさを憎む。
同じ土俵で仕返ししようとする心根を憎む。

批判精神を持つのが知性と思う。
自らにも。

私の中の善良な心がささやく、人のやさしさを踏みにじりたくはない。
ああ、永遠の自己循環。
[ 09:19 ] [ 患者組織 全国組織と地域 ]
きのうは、第2回ぱきぱきクラブ総会の日だった。
二人の発起人であった代表と私は退任した。(今までは一応役員だったのだ)

発起人が二人とも退任したことは、なんだかちょっとひどい気もする。
二人とも若年性患者であった。(若年性患者は3人しかいない)
最初、私たちは若年性患者のクラブをつくるつもりだったが、それはすぐ挫折した。
そのころは二人しかいなかったから。

私たちふたりは似ていたのかもしれない。
患者クラブをあくまでも楽しいこと―遊びのように捉えていたのだから。
まあ、たしかにPD患者には楽しみが必要なことには違いない。
楽しみを取り入れ、生活の質をあげることは重要だ。

だけど、クラブの運営は遊びではなかった。
患者会員の多くはお年寄りで、おそらく実りある人生を送ってきて、最後の時期をパーキンソン病に襲われた人たちだ。
若年性患者とは問題が違った。
私も彼らの年齢に近いけれど、やはり問題は違う。
人生が圧倒的に違うのだ。

私はぱきぱきクラブで、若年性ではない患者と友だちになった。
それは、とってもうれしいことだけど、彼らと私の間には違いがある。

違いがあっても、同じクラブの会員でいいのかもしれない。
若年性だけのクラブだったら、私たちは運営(?)を続けただろうか。
遊びの延長だったら、続けられたかもしれない。


2008/05/22のBlog
現在の私はバランスを崩しやすい。
病気がまだ初期のころ、とても歩き難かったがそんなには転ばなかったように思う。
転んだ覚えはあるけれど、しょっちゅうではなかった。

傾いた姿勢を回復する能力の衰えがはっきりしたのは、この10年くらいだ。

あれはまだ30代だった頃、駅の階段を下りていてステップの金属に躓いた。今だったら前に転ぶところだが、なんとそのとき私はジャンプして2,3段下に着地した。
随意ではなくとっさにとるこういう動作能力。

最近は椅子の下に落ちた物を拾おうとすると、傾いた姿勢をまた戻すことができない。
そのまま頭を下にして、椅子から落ちてしまうことになる。

この姿勢保持障害は転倒の大きな要因になる。
何かに驚いて重心が後ろへ移ったのを、引き戻せないのもそうだ。


ビシフロールをのんで、姿勢保持障害がかなり改善された経験もしているし、機能訓練を続けることで、バランス能力の著しい低下を辛うじて防いでもいる。
だから、「進行」というのはある程度、可逆性であるのかもしれない。