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2008/06/26のBlog
[ 06:17 ]
[ 患者をめぐる問題 ]
友の会大会の若年患者の会があった。
若年性患者の会ではない。
「60歳以下の患者」が対象で、参加者の意識はさまざまのようだ。
現役の患者という意識の人は、就業についてが大問題。
ある人は社会保障を政治にどう訴えるか。
またある人は病気にどう対処するか。
これからどう生きるか、薬をどうコントロールするか。
どの発言もそれぞれの患者が抱える切実な問題だ。
それを整理し、ひとつひとつの対処法を探る段階にはまだいかない。
これまでの集会での成果を全く踏まえないで会は進行する。
2,3の発言者がこれからの方向性を示したが、今後の方向は全国大会で何かを決めようとするのではなく、それぞれが抱える問題を各支部・各グループの単位で自らが対処法を探ることしかないように思う。
全国で方針を決めて動くのではなく自らの足元から動く。
全国組織に期待するのでなく身近で始めることが必要だと思う。
全国の集まりは、その結果を持ち寄るところ、交流の場がふさわしいという印象を持った。
若年性患者の会ではない。
「60歳以下の患者」が対象で、参加者の意識はさまざまのようだ。
現役の患者という意識の人は、就業についてが大問題。
ある人は社会保障を政治にどう訴えるか。
またある人は病気にどう対処するか。
これからどう生きるか、薬をどうコントロールするか。
どの発言もそれぞれの患者が抱える切実な問題だ。
それを整理し、ひとつひとつの対処法を探る段階にはまだいかない。
これまでの集会での成果を全く踏まえないで会は進行する。
2,3の発言者がこれからの方向性を示したが、今後の方向は全国大会で何かを決めようとするのではなく、それぞれが抱える問題を各支部・各グループの単位で自らが対処法を探ることしかないように思う。
全国で方針を決めて動くのではなく自らの足元から動く。
全国組織に期待するのでなく身近で始めることが必要だと思う。
全国の集まりは、その結果を持ち寄るところ、交流の場がふさわしいという印象を持った。
2008/06/25のBlog
[ 22:38 ]
[ 病気について ]
ぱきぱきクラブをほかの患者とつくったとき、病気が進行しても出てこられるような場所=クラブをつくりたいと思った。
そこに行けば友だちに会える、楽しい時間をすごせるような場所。
その実現には「移動手段」と「症状の差」が問題になってくる。
移動手段についてはまた別に扱うとして、「症状の差」をどう考えるか。
進行していない患者が進行した症状を見ると恐怖を感じることもあるだろう。
進行した患者は逆に肩身の狭い思いをするかもしれない。
それでは、お互いが一堂に会さないほうがいいのだろうか。
パーキンソン病は外見を変える。
進行するとその人自身を裏切って全く違う容貌・姿になることもある。
病気が表に出てしまう…辛いことだ。
パーキンソンン病患者は精神的に衝撃を受けると身体の症状に出てくるようになる。
でもこれは、健康な人も精神的に衝撃を受けると表には出なくても身体的にも衝撃を受けていることを示唆しているのではないか。
つまりパーキンソン病は、人間がどういう存在かを眼に見える形で表しているのではないだろうか。
”眼に見える形で「人間」を表現している”
私たちの病気はそういう病気だ。
そこに行けば友だちに会える、楽しい時間をすごせるような場所。
その実現には「移動手段」と「症状の差」が問題になってくる。
移動手段についてはまた別に扱うとして、「症状の差」をどう考えるか。
進行していない患者が進行した症状を見ると恐怖を感じることもあるだろう。
進行した患者は逆に肩身の狭い思いをするかもしれない。
それでは、お互いが一堂に会さないほうがいいのだろうか。
パーキンソン病は外見を変える。
進行するとその人自身を裏切って全く違う容貌・姿になることもある。
病気が表に出てしまう…辛いことだ。
パーキンソンン病患者は精神的に衝撃を受けると身体の症状に出てくるようになる。
でもこれは、健康な人も精神的に衝撃を受けると表には出なくても身体的にも衝撃を受けていることを示唆しているのではないか。
つまりパーキンソン病は、人間がどういう存在かを眼に見える形で表しているのではないだろうか。
”眼に見える形で「人間」を表現している”
私たちの病気はそういう病気だ。
[ 22:03 ]
[ ことば・旅 ]
おとといからの3日間、神戸に行ってきた。
ドイツから夏休みで帰ってきたぱきぱきに会うためと、友の会大会に参加した患者友だちに会うために
飛行機で往復、三宮貿易センター近くのホテルに泊まった。
そういうわけで、3日ともポートライナーに乗り、ポートライナー三宮駅で人と待ち合わせ、海側から駅の北側・加納町のフロインドリーブ・北野異人館街まで、ぐるぐる歩いた。
調子はちょっと悪かった。
ほんの少し薬が多かったのか、よくすくみ夫の腕を中心にしてぐるっと回転し転んだ。
それでも歩いた。
道や方角がよくわからないので同じところに出たりしながら、山と海に挟まれた街をぐるぐる歩いた。
極めつけは、最終日の今日。
しあわせの村から帰ってきて三宮から乗ったポートライナーもぐるりと回る。
神戸空港行きに乗ったはずのライナーが三宮に戻ろうとしているではないか!
あわてて中公園で降りる。
どうやら2路線あったようだ。
知らなかった…
「無知の知」…関係のない言葉が頭をめぐる。
幸い時間に余裕があったので気を取り直し、神戸空港行きにしっかり乗りかえる。
無事帰りの飛行機は羽田につく。
折りあしくラッシュアワーの中、電車を乗り継ぎ帰ってきた。
帰りは殆どすくまず転ばないで歩けた。
Lドーパの量を少し控えめにしたのがよかったのか、薬の効き具合が適正だったのだろう。
いつもこういう状態で歩けたらどんなにいいだろう。
数年前(10年前?)まではいつもそうだったのに。
ドイツから夏休みで帰ってきたぱきぱきに会うためと、友の会大会に参加した患者友だちに会うために
飛行機で往復、三宮貿易センター近くのホテルに泊まった。
そういうわけで、3日ともポートライナーに乗り、ポートライナー三宮駅で人と待ち合わせ、海側から駅の北側・加納町のフロインドリーブ・北野異人館街まで、ぐるぐる歩いた。
調子はちょっと悪かった。
ほんの少し薬が多かったのか、よくすくみ夫の腕を中心にしてぐるっと回転し転んだ。
それでも歩いた。
道や方角がよくわからないので同じところに出たりしながら、山と海に挟まれた街をぐるぐる歩いた。
極めつけは、最終日の今日。
しあわせの村から帰ってきて三宮から乗ったポートライナーもぐるりと回る。
神戸空港行きに乗ったはずのライナーが三宮に戻ろうとしているではないか!
あわてて中公園で降りる。
どうやら2路線あったようだ。
知らなかった…
「無知の知」…関係のない言葉が頭をめぐる。
幸い時間に余裕があったので気を取り直し、神戸空港行きにしっかり乗りかえる。
無事帰りの飛行機は羽田につく。
折りあしくラッシュアワーの中、電車を乗り継ぎ帰ってきた。
帰りは殆どすくまず転ばないで歩けた。
Lドーパの量を少し控えめにしたのがよかったのか、薬の効き具合が適正だったのだろう。
いつもこういう状態で歩けたらどんなにいいだろう。
数年前(10年前?)まではいつもそうだったのに。
2008/06/20のBlog
[ 23:20 ]
[ 薬剤 ]
考えてみると、最近買い物がとても好きになっている。
買い物をするときのなんともいえない楽しさ。
若い頃、私はあまり買い物をしなかった。
生活も性格も変わってしまったのか。
今までまじめに考えなかったけど、これはDopamine Agonistによる「買い物依存症」かもしれない。
なにかが買いたくなる。
うちの経済状態は余分な買いものなんかしている場合じゃないのにね、と思いながら
思いとどまったり買ってしまったり。
そう思う根拠は十二分にある。
ビシフロールのときも、レキップも私は上限ぎりぎりまでのんでいる。
そうだといっても、レキップ止めるわけにはいかないし…困った。
買い物をするときのなんともいえない楽しさ。
若い頃、私はあまり買い物をしなかった。
生活も性格も変わってしまったのか。
今までまじめに考えなかったけど、これはDopamine Agonistによる「買い物依存症」かもしれない。
なにかが買いたくなる。
うちの経済状態は余分な買いものなんかしている場合じゃないのにね、と思いながら
思いとどまったり買ってしまったり。
そう思う根拠は十二分にある。
ビシフロールのときも、レキップも私は上限ぎりぎりまでのんでいる。
そうだといっても、レキップ止めるわけにはいかないし…困った。
[ 19:19 ]
[ 書くこと ]
文章を書くことを自分にとって大切なことと、今は考えているけど、昔はそんなこと全然思ってもいなかった。
まあ、手紙くらいは書いたけれど。
10数年前まではメールなんてなかったから、みんな手紙を書いていたんだよね。
ワープロが出てきた時は手紙をせっせと打っていた。
最初のThinkPadも”お手紙マシン”だった。
その頃はお手紙に凝って、便箋の縁取りのきれいなのを買ってきてその色に合わせて文字の色を選んだ。
また封筒の寸法を測って宛先・差出人の文字もカラーで印刷していた。
フォント・レイアウトにも気を配って。
今はそんなことしない。
ああ、”文章を書く”ことについてだった。
私はいつの間に文章を書くのが好きになったのだろうか。
"Message from Almond"を書くようになって、文章を書く楽しさに目覚めたのかしらん。
それと書きたいことが出てきたこともある。
昔は特に言いたいこと・書きたいことはなかったように思う。
ただ1日が過ぎるのを眺めていただけ。
書きたいことが出てきたのは、どうも私が「障害者」として位置づけられ待遇されるようになったことが大きな要因と思う。
つまり私がこの社会でどういう存在であるかが明確になったことがきっかけ。
そして徹底的に”人と違う”存在になったことが、私を変えたと思う。
そして、福祉サービスを受けることで行政とダイレクトな関係を持つようになったこと。
どういう人たちがこの福祉制度をつくり実施しているか、直接的に知ることになった。
8年前に亡くなった夫の母は文章を書く人であった。
亡くなる少し前に彼女が遺した文章と和歌は私の心をうった。
彼女は私のことを「一生文章を書かないだろう」と言っていた。
私もそう思っていた。
まあ、手紙くらいは書いたけれど。
10数年前まではメールなんてなかったから、みんな手紙を書いていたんだよね。
ワープロが出てきた時は手紙をせっせと打っていた。
最初のThinkPadも”お手紙マシン”だった。
その頃はお手紙に凝って、便箋の縁取りのきれいなのを買ってきてその色に合わせて文字の色を選んだ。
また封筒の寸法を測って宛先・差出人の文字もカラーで印刷していた。
フォント・レイアウトにも気を配って。
今はそんなことしない。
ああ、”文章を書く”ことについてだった。
私はいつの間に文章を書くのが好きになったのだろうか。
"Message from Almond"を書くようになって、文章を書く楽しさに目覚めたのかしらん。
それと書きたいことが出てきたこともある。
昔は特に言いたいこと・書きたいことはなかったように思う。
ただ1日が過ぎるのを眺めていただけ。
書きたいことが出てきたのは、どうも私が「障害者」として位置づけられ待遇されるようになったことが大きな要因と思う。
つまり私がこの社会でどういう存在であるかが明確になったことがきっかけ。
そして徹底的に”人と違う”存在になったことが、私を変えたと思う。
そして、福祉サービスを受けることで行政とダイレクトな関係を持つようになったこと。
どういう人たちがこの福祉制度をつくり実施しているか、直接的に知ることになった。
8年前に亡くなった夫の母は文章を書く人であった。
亡くなる少し前に彼女が遺した文章と和歌は私の心をうった。
彼女は私のことを「一生文章を書かないだろう」と言っていた。
私もそう思っていた。
2008/06/19のBlog
[ 01:19 ]
[ 考える―その他 ]
ひさしい前から、「勝ち組・負け組」という言葉がある。
それらが意味するところは、通常の社会生活から降りたかにみえる私にもわかる。
だが、これはあるひとつの考え方である。
浅薄で愚かな考え方だ。
勝った人生って何に勝ったのだろうか。
負けっぱなしの人生は何に負けたのだろう。
おそらく経済的に恵まれ社会的地位もある人が「勝った」ということなのだろうが、それって本当に勝ったことになるのだろうか。
朝日の天声人語に、秋葉原の事件を引き起こした人を高校卒業以来”負けっぱなしの”と表現したらしい。
私は最近は視力の衰えもあって新聞を読まない。
朝日新聞の記事はごくたまに夫が見せにきたときしか読まない。
かなり前、世の中が病的になったと感じはじめたのは、朝日のある記事によってだった。
死亡欄が大きく一面になって「今月のお別れ」とかいうタイトルがついていた。(記憶が間違っているかもしれない)
夫は、「別に普通だ」と言ったけど、私はなにか異様な感じがした。
昔、朝日には百目鬼なにがしという人がいた。
日本語についての記事を書いていて面白かった。
彼だけでなく知的な文章を書ける人が多くいたように思う。
いくら世間で人生の勝ち負けをゲームのようにあつかう風潮があっても、知的な人はその考え方に批判的視点を持って当然ではなかろうか。
知的であるかどうかは、対象にクリティカルな視点を持てるかどうかにかかっている。
人の一生を勝ち負けで判断するのが如何に浅薄なことか、思索する人なら思うはずだ。
朝日新聞の天声人語を書く人は、深くものごとを考えたことがないのであろう。
文章は書いた人間を表してしまう。
さらに、死刑を続々執行している鳩山法務大臣も、人間の命について、そもそも人間のあり方について少しでも考えたことがあるのだろうか。
「人が人を裁くことができるのか」という命題は深くて重い。
法律上のことを言っているのではない。
これは哲学上・倫理上のことがらなのだ。
哲学・倫理は国家・法律より高度な次元にある。
こういう高度な次元を持たない人は、国の指導者として全くふさわしくない。
それらが意味するところは、通常の社会生活から降りたかにみえる私にもわかる。
だが、これはあるひとつの考え方である。
浅薄で愚かな考え方だ。
勝った人生って何に勝ったのだろうか。
負けっぱなしの人生は何に負けたのだろう。
おそらく経済的に恵まれ社会的地位もある人が「勝った」ということなのだろうが、それって本当に勝ったことになるのだろうか。
朝日の天声人語に、秋葉原の事件を引き起こした人を高校卒業以来”負けっぱなしの”と表現したらしい。
私は最近は視力の衰えもあって新聞を読まない。
朝日新聞の記事はごくたまに夫が見せにきたときしか読まない。
かなり前、世の中が病的になったと感じはじめたのは、朝日のある記事によってだった。
死亡欄が大きく一面になって「今月のお別れ」とかいうタイトルがついていた。(記憶が間違っているかもしれない)
夫は、「別に普通だ」と言ったけど、私はなにか異様な感じがした。
昔、朝日には百目鬼なにがしという人がいた。
日本語についての記事を書いていて面白かった。
彼だけでなく知的な文章を書ける人が多くいたように思う。
いくら世間で人生の勝ち負けをゲームのようにあつかう風潮があっても、知的な人はその考え方に批判的視点を持って当然ではなかろうか。
知的であるかどうかは、対象にクリティカルな視点を持てるかどうかにかかっている。
人の一生を勝ち負けで判断するのが如何に浅薄なことか、思索する人なら思うはずだ。
朝日新聞の天声人語を書く人は、深くものごとを考えたことがないのであろう。
文章は書いた人間を表してしまう。
さらに、死刑を続々執行している鳩山法務大臣も、人間の命について、そもそも人間のあり方について少しでも考えたことがあるのだろうか。
「人が人を裁くことができるのか」という命題は深くて重い。
法律上のことを言っているのではない。
これは哲学上・倫理上のことがらなのだ。
哲学・倫理は国家・法律より高度な次元にある。
こういう高度な次元を持たない人は、国の指導者として全くふさわしくない。
2008/06/18のBlog
[ 02:17 ]
[ 映画・本・音楽・写真 ]
30代後半から40代前半、かなり集中して映画を観た。
それまでも、フランソワ・トリュフォーの映画やジャン=リュック・ゴダール、フェリー二、ベルイマンなどのアートシアター系というか映画史上基幹というべき映画は観ていたと思うが、30代40代は普通のアメリカ映画も観た。
ちょうどその頃、シネセゾンとかレンタルビデオがでてきて、映画はトレンディーで少しおしゃれったのだ。
映画自体も最後の隆盛期だったと思う。
そして、今考えると胸が痛むのだが、その頃は一人で歩けた。
ずっと歩けると思っていた。
お薬を25歳からのみはじめ10数年経っていたが、新宿にも渋谷にも日比谷のシャンテ・シネにも帝国ホテルにも一人で行くことができた。
つくづく幸せな時代だった。
シネマライズ渋谷、シネセゾン渋谷、ユーロスペース、シネマスクエア東急、シネヴィヴァン、有楽シネマなどにひとりでも、友だちともよく行った。
おしまいのころは立川シネマシティ、所沢SEIBUにあったシネセゾン所沢にも行ったっけ
。
映画について書こうと思ったのに。
そう、幸せなときは続かない。
当たり前に思っていた日々が”幸せなときだった”ということにもあとから気づく。
「幸せなとき」はいつも指の間から滑り落ちていく。
「幸せ」も「とき」も決して手に掴むことはできない。
せめて一瞬の「今」を握り締めたい。
それまでも、フランソワ・トリュフォーの映画やジャン=リュック・ゴダール、フェリー二、ベルイマンなどのアートシアター系というか映画史上基幹というべき映画は観ていたと思うが、30代40代は普通のアメリカ映画も観た。
ちょうどその頃、シネセゾンとかレンタルビデオがでてきて、映画はトレンディーで少しおしゃれったのだ。
映画自体も最後の隆盛期だったと思う。
そして、今考えると胸が痛むのだが、その頃は一人で歩けた。
ずっと歩けると思っていた。
お薬を25歳からのみはじめ10数年経っていたが、新宿にも渋谷にも日比谷のシャンテ・シネにも帝国ホテルにも一人で行くことができた。
つくづく幸せな時代だった。
シネマライズ渋谷、シネセゾン渋谷、ユーロスペース、シネマスクエア東急、シネヴィヴァン、有楽シネマなどにひとりでも、友だちともよく行った。
おしまいのころは立川シネマシティ、所沢SEIBUにあったシネセゾン所沢にも行ったっけ
。
映画について書こうと思ったのに。
そう、幸せなときは続かない。
当たり前に思っていた日々が”幸せなときだった”ということにもあとから気づく。
「幸せなとき」はいつも指の間から滑り落ちていく。
「幸せ」も「とき」も決して手に掴むことはできない。
せめて一瞬の「今」を握り締めたい。
2008/06/14のBlog
[ 23:05 ]
[ 病気について ]
ひとつ前のblogで、病気は”生きるひとつの条件”だと書いた。
そういう意味では、どんな人も「生きる条件」に縛られる。
それから免れる人はいない。
何の留保もつかない、何の制限もない人生はありえない。
ある条件下に人は生まれ、生きなければならない。
一般論としてはそうなのだが、その条件の厳しさははさまざまだ。
”治らない病気”という条件は厳しい。
それも、「動く」という人間が本来当然持っているはずの能力を奪われて。
この条件の厳しさが、私たちに深く考えることを強いる。
どんな形であれ、考え悩む。
条件が厳しければ厳しいほど、その人の「生」はシンプルにくっきりしたものになる。
私たちにあいまいな人生はない。
生きることに意識的になる。
逆説的に言えば、病気が私たちを「生」に向かわせる。
私たちは生きることの意味・価値を深く知ることになる。
生きること・人のあり方について。
そういう意味では、どんな人も「生きる条件」に縛られる。
それから免れる人はいない。
何の留保もつかない、何の制限もない人生はありえない。
ある条件下に人は生まれ、生きなければならない。
一般論としてはそうなのだが、その条件の厳しさははさまざまだ。
”治らない病気”という条件は厳しい。
それも、「動く」という人間が本来当然持っているはずの能力を奪われて。
この条件の厳しさが、私たちに深く考えることを強いる。
どんな形であれ、考え悩む。
条件が厳しければ厳しいほど、その人の「生」はシンプルにくっきりしたものになる。
私たちにあいまいな人生はない。
生きることに意識的になる。
逆説的に言えば、病気が私たちを「生」に向かわせる。
私たちは生きることの意味・価値を深く知ることになる。
生きること・人のあり方について。